50年以上昔の鉄模
0001鈴木
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2018/07/22(日) 16:27:42.17ID:49Aa7EDn
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。
過疎スレ覚悟。
投稿意見に対する批判はOKだが、
投稿者者の人格に対する批判は禁止。
0234名無しさん@線路いっぱい
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2019/10/21(月) 13:12:32.67ID:z1e93tah
鈴木老いぼれg3は認知症なので
信用しないようにしましょう。
0235鈴木
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2019/10/30(水) 17:08:16.03ID:jbtw1L9g
>232鈴木の続き
「 主催、交通文化博物館(後の神田交通博物館)、交通科学研究会他。 後援、運輸省
という陣容の鉄模コンクール」で
「菊地氏はSゲージのC51を出品し2等になってる。 」
と書いたが菊地氏のC51はSゲージであるとは言っても、
1/50、22mmゲージ。この規格で国鉄型を作れば、車体縮尺とゲージ縮尺は一致する。
この機関車はトレインに写真が出た。テンダードライブの優れたブラス機関車だ。

山崎氏は「国鉄型Sは1/60、22mmゲージで作るべし」と言ったのだが、
関西には、「国鉄型Sは1/50、22mmゲージ作るべし」という勢力があった。
もしかしたらこの関西の考え方は大阪の朝日屋の考えかもしれない。

この鉄模コンクールでは、
「B級2等 蒸気機関車 久保田富弘」の名で弁慶号風の写真
「佳作 蒸気機関車 久保田富弘」の名で米国風0-6-0の写真
が出ているが、ゲージや縮尺は発表されていない。
久保田氏以外の作者で蒸気機関車等で1等を受賞した人の模型も、
ゲージや縮尺は不明だ。昔は呑気だんですかね。

TMS,1949年4月号、p45には久保田富弘氏がSゲージ0-6-0の製作記として書いてる。
氏は記事中で、「弁慶は2等、0-6-0は佳作をとった」と書いてる。

この1948年コンクールの審査員は以下の通り。
池田技官 (運輸省の技官を置いて権威付けするののでしょう。山崎氏はこういう権威付けに反対した)
田口武二郎 (ライブスチームのパイオニア。鉄模に限らず全模型の万能選手)
竹野正吉 (戦前は1/30のミトイクラブ、戦後は日本模型鉄道同好会=JAMのリーダー)
山口憲一 (未知の人)
山崎喜陽 (枕木会、機芸社)
本間清人 (戦前50mmゲージを主唱。山崎氏は本間氏を高く評価してる)
エリオット (米軍技術曹長らしい。HO,DC,2線式模型を多数持ち込み交通博物館に貢献した)
0236鈴木
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2019/11/01(金) 15:07:15.82ID:QK7HqFJ5
"TMS特集シリーズ12,ミキスト"(原本はTMS1947年12月号)に依れば、
MR誌1957年7月号の調査発表で、

採用者は
HO=54.9%、 OO=8.59%、 S=6.1%、 O=23.8%、
集電法は
2線式=84%、 3線式=11%、

とある。
この3線式の内訳が
内側中央レール式なのか?
外側第3レールなのか? よく解らない。
英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
米国HOの3線式採用率も知りたいところです。
0237名無しさん@線路いっぱい
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2019/11/01(金) 18:52:30.41ID:C1jjKOVA
>>236
> 集電法は
> 2線式=84%、 3線式=11%、
> とある。
> この3線式の内訳が
> 内側中央レール式なのか?
> 外側第3レールなのか? よく解らない。
> 英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
> 米国HOの3線式採用率も知りたいところです。

鈴木さんの言う「外側第3レール」って、架線集電のこと?
それとも、実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから
集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
0238鈴木
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2019/11/01(金) 22:59:31.85ID:sRueyNSd
>>237名無しさん@
>実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
       ↑
東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するような模型が昔はありました。
確か、名古屋模型クラブが戦後すぐに、Oゲージで採用したと思いました(どこかで読んだ記憶です)。

山崎氏が戦前大きな影響を受けたEdward Beal氏のOOレイアウト写真、
TMS,1976年、6月p68は、私には外側第三軌条集電に見えます。
https://images.awesomebooks.com/images/books/rnaimages/9995436331_2.jpg
これはBeal氏の鉄模本。文字がボヤケてるが「Trackwork in oo-gauge」と書いてある。
0239鈴木
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2019/11/02(土) 18:31:28.69ID:Uxc7BTuF
https://www.nycsubway.org/perl/show?12688
蛇足ですが、英国地下鉄実物写真。
中央レールと外側第三レールの二か所から集電してるようです。
0240鈴木
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2019/11/02(土) 20:33:41.37ID:ndCuqle7
http://dda40x.blog.jp/archives/51457613.html
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/2/d/2d4884e4.jpg
これは1/45.2の32mmゲージのテンダー。
外側3線式、そのための部品は昔は売っていたそうだ。
外側3線式のためのコレクターシューは必ずボギー台車中心ピン位置に取り付けなければいけない、
と思っていたが、これを見るとかなりズラしても平気なようです。


ところで、「1/45.2の32mmゲージ」というのは
NMRAが主張している「Oスケール」つまり1/48、32mmゲージが、
内股なのでそれを改善しようとした規格です。
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/7/d/7d818dfd.jpg
上で説明しているが、
上段の黒いNYCハドソンが1/45.2の32mmゲージ(名称はQゲージか? はっきりはしない)
中段の灰色のNYCハドソンが1/48の32mmゲージ(NMRA式Oスケール)
1/45.2の32mmゲージは1960年代末から1970年代初期に消えたと思う。
0241鈴木
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2019/11/03(日) 09:42:06.88ID:USxz90uT
名古屋模型鉄道クラブの外側第三軌条集電の事は、
TMS、"NMRCスペシャル"、(発行日が明記されてないダメ本だが、1997年発行らしい)
のp83に、1947年頃の話として
「特筆すべきことは、外側第三軌条集電を採用した事であった(中略)。レールの中央に余分なレールがあるのを心快しとしない」
とあります。

但し、NMRC幹部の伊藤剛氏の1952年頃作、Oゲージ米国型4-6-4は、
中央レール集電と外側第三軌条集電の切り替え可能です。

伊藤氏のこの製作記事はTMS、No.49、1952年9月号("高級モデルノート"に再録)ですが、
その完成写真は、堂々と完全な2線式線路に乗っかってます。
これって、米国なんかの3本レール模型機関車の模型屋宣伝で、
中央レールが目立たないように写した写真よりも、もっとエゲツないんじゃなかろうか?
伊藤氏が悪いんじゃなくて、TMSに問題があると思う。
0242名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
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2019/11/03(日) 23:41:31.08ID:FVOGwTbU
>>241
伊藤氏は、ギミック有りの鉄道模型車両の帝王でしたからね。
模型店の販売躍進には、邪魔な存在だったのでしょうねぇ?(笑)
0243鈴木
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2019/11/04(月) 01:06:13.40ID:atOyBlLB
>>242名無しの素人♪♪♪
山崎氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていなければ自作する
伊藤氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていても自作する
あたりと思います。
勿論伊藤氏といえども1台も模型を買わなかった、という事はないと思いますけど。

そして伊藤氏はブラス模型を模型屋から買ってきて、実物の詳しい考証をして、
チョコチョコ細密部品を付けたり好みのウェザリングをして細密化する事を
「作る」とは認めなかったと思います。

伊藤氏は、
「鉄模ファンについて、鉄道ファンか? 模型ファンか? 問われたら、私は模型ファンだ、と断言する」
と書いてましたね。
0244鈴木
垢版 |
2019/11/04(月) 16:53:12.89ID:muRDtmSY
私が昨日書いた伊藤氏の考えの根拠は、
"鉄道ファン"1962年9月号P32、
"5月号「メルクリンと私」をよんで" でした。
「たとえそれが金さえ出せば買えるものであっても、私達は自分で作ったものを欲しいのです」
とあります。

伊藤氏の記事は、同誌5月号の篠原正瑛氏の
メルクリン礼賛記事に対する批判として書かれたものです。
0245名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
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2019/11/05(火) 00:05:33.22ID:tGBB+Hcw
>>244
伊藤氏は、アナログな模型の仕掛けが好きだったのでしょうね。
イコライザーが最たるものだと思います。
最近は、アナログな模型の仕掛けの考察が少なくなったように思いますね?(笑)
0246鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 07:50:36.03ID:mQM9cSJD
伊藤剛氏は、TMSや、同好会会報以外にも、いくつか記事を書いてます。
既に書いた鉄道ファンでの模型自作論以外に、
鉄道ピクトリアル、1951年11月号に"海をわたった模型列車"なる記事を。

これは占領米軍の鉄道管理者、東海北陸民事部長ハロルド・ウォーカー氏に
日本側の鉄道関係者が私的にプレゼントした、45mmゲージのライブスチーム列車セットの紹介記事です。
(その後これと同様の記事は1980年代頃のTMSに井上豊氏が書きました)

ライブスチームは井上豊氏、客車はカツミ、特製レールは大同製鋼、
ステンレス客車の波板は日本車両が特製ロールで作る、
という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。
0247名無しさん@線路いっぱい
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2019/11/05(火) 08:21:33.99ID:WJzNphQE
>>246

> という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。

高官へのワイロなんてついこの間までありましたよ。
鉄模が外交カードになったのなら、
それはそれで面白い。 

それとは別の方でしょうが
交博にHOレイアウトを作った米兵さん
もありましたね。
0248鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 20:29:24.46ID:BueZpvmi
模型の価値そのものは、模型の質の上下で決まるだけでしょうし、
「名古屋で作られた45mm模型セットは質的に上だ」、と言えばそうでしょう。
例え米軍の鉄道管理官に対する違法な贈賄だとしても。

精密鉄模は、真面目な鉄模趣味者が所有しようが、
[人の生き血を吸う馬鹿殿様の七光り低能息子]が退屈しのぎの贅沢三昧で所有しようが、
その価値に変わりはない、という事ですね。

米軍技術曹長のエリオット氏は、
おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
(但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオット氏が居なくて、日本人だけだったら
交通博物館のレイアウトは、Oゲージ3線式で作られていたかもしれません。
何しろ1940年代後半、16番部品を売ってるのは鉄道模型社だけだったし、
関西ではむしろ16mmゲージが強かったと思います。
0249名無しさん@線路いっぱい
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2019/11/05(火) 20:34:49.05ID:bF4Mg2Ya
>>248

>> 米軍技術曹長のエリオット氏は、
> おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
> (但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
> 彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオットルームだったかな。
TMSに写真があったと思うが失念した。
交博のHPかもしれない。
0250名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/05(火) 20:46:10.67ID:bF4Mg2Ya
エリオット・ルーム
総延長100m
車両130両とのこと。
0251鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 20:47:29.77ID:GUjm/YEb
>>249名無しさん@
>エリオットルームだったかな
       ↑
これは貴重な話をありがとうございます。
私も暇を見て、それを探してみます。
0252鈴木
垢版 |
2019/11/07(木) 15:44:17.16ID:zjdf+7a2
米軍技術曹長エリオット氏に関しては、
"ブラック鉄道史"p87に、これまで当スレに書かれたような事が記載されてました。
この本全体は、実物鉄道史に関する本です。

TMS、1947年、4月30日発行のミキストでは、
1947年、4月上野松坂屋開催"科学玩具と模型展覧会"で展示された、
エリオット氏のHO模型を褒めてます。
0253鈴木
垢版 |
2019/11/21(木) 20:00:30.82ID:Rn7VHSuY
TMS特集シリーズNo.6、p14"安価に出来るパワーパック"、(元はTMS、1954年8月号p318)
には、16番のDC運転には、セレン整流器が必要と書いてある。
筆者山崎氏は「安く作れる方法はないかと、セレン以外もテストしましたが、
安く出来てもどうも不完全で」
「市販品は1A用が350円(1954年当時の値段)」
と書いてます。
私はこの記事を読んで、初めてセレン整流器というものを知り、多分戦前から在ったんだろうと思っていた。

最近"セレン整流器の歴史を語る"という本を読んで、
1905年頃ドイツのSAFとかいう会社がセレン整流器を開発し、
日本はNECだの東芝などが何とかして真似しようとしたが、困難で、
戦争中は、軍の需要もあったが、結局出来の悪いのしか出来ないまま終わった。
というような事が書かれてました。

この本は終戦後の事はほとんど書いてませんが、
要するに、終戦後まで、特別な研究者以外セレン整流器など、触る事もできなかったようです。
またセレン整流器研究以前は、亜酸化銅整流器の研究もしたそうだが、
こちらはセレンよりもっと成績が悪かったそうです。

それ程むずかしいセレン整流器なのですが、山崎氏執筆の1954年頃には、
一般人も何とか買えるようになったようです。

では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
という疑問がわくわけです。
0254鈴木
垢版 |
2019/11/25(月) 21:14:57.49ID:N1QtlxfQ
ものすごい劣化コピーの、そのまた劣化コピーなんだが
https://i.imgur.com/3duadUU.jpg
エリオット氏のHOレイアウトらしい。
場所は交通博物館らしいのだが、はっきりとした確定は出来ない。
0255鈴木
垢版 |
2019/12/01(日) 21:12:00.82ID:IV2VvpG3
TMS、1992年、7月号p86、"私の鉄道模型史"、半田一氏筆は
割と平凡な自分史をたんたんと、書いたものです。

しかしこの中で、1950年代の神奈川県藤沢のクラブの話が書かれていて、
そのリーダーは熊谷守美氏でした。
Oゲージの小田急電車が好きだったようです。
TMSにも1952年にも一度、江ノ電の解説を書いた、

運転会は六畳と八畳をブチ抜きでやってたようです。
熊谷氏の家は片山元総理大臣が遊びに来るほどで、
相当な家柄と思いますが、
半田一氏に依れば
それ以外に、片瀬江の島で、熊谷模型店もやっていたようです。

昔の少年工作雑誌の座談会より。
読者少年 : 「戦争前からの模型飛行機熱が終戦ですっかりうすれて、
  それが模型鉄道の方へ移ってきたのではないでしょうか」
熊谷守美(湘南支部長) : 「簡単に実物がみられるからでしょう。今は日本の飛行機というものはないからね」
0256鈴木
垢版 |
2019/12/02(月) 08:41:04.10ID:BV95udPg
1950年当時の少年の鉄模趣味は、
中学高校生くらいになると、かなりラジオ趣味に移行する傾向があったようだ。
理由は、
鉄模には、「理論的なもの」が少ないが、
ラジオには、「理論的なもの」が多い。

鉄模にもDCやACがあるし、1950年頃はモーターの大幅な改造や自作もあった。
モーターの巻き線を巻きなおすくらいの事は中級では普通だった。
それ以外にも、動力車両の惰行なんて事も論議されていた。
それ以外にも自動逆転装置だの信号だの課題はあった。

しかしながら、鉄模では、
「実物の外観や姿を正しく再現する」という課題が大きな部分を占めるのが宿命であり、
これは、「理論的なもの」というよりは、
絵画や工芸に属するものだ。

そういう事から、学齢が上がるに従って、
絵画写生と、「理論的なもの」が同居する、鉄模から離れて、
「理論的なもの」が最重要視されるラジオ趣味に移行する少年が多かったのでしょう。
0257鈴木
垢版 |
2019/12/03(火) 01:13:40.74ID:YkIWcfp2
占領米軍少尉ワディントン(David L. Waddington)氏については既に、
>>200に書いたが、もう少し書くと、

一番詳しく書かれているのは、TMS、No.400, 1981年4月号p90ミキストです。

1946年春、お茶の水の鉄道模型社に教えられて、山崎氏の成城の自宅に来た。
山崎氏はこのW氏のおかげで生(なま)の米国の状況を知った。
例えば
「米国貨車模型の派手な色は模型特有のもので、実物はくすんだ色じゃないか?」
という疑念を多少は持っていたのだが、山崎氏の疑念はW氏によって払拭された。
W氏の初訪問の時点で山崎氏はTMS, 旧1号の発刊準備中だった。

>>197に書いたように、TMS, 旧3号に"日本の鉄道と模型"なる記事をW氏が書いた。

1947年、W氏は米国に帰国した。この直前W氏の興味はOからSへ移った。

帰国後は、MR誌に記事を書いた。
またMRの"Traction GuideBook"にはW氏による精密なHO電車図面が2,3,載ってるので、
かなりMR誌とつながりがあったと思われる。

1978年再来日、山崎氏と再会。

TMS, 1981年、4月号p76に、米国の大型模型(54mmゲージ)に関する報告を執筆

TMS, 1993年、8月号p90にはW氏が米国で健在な事が報告されている。
0258鈴木
垢版 |
2019/12/20(金) 09:18:33.92ID:hvfdMcyw
https://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201912010000/
私は9mmゲージについてはよく知らないのですが、
その初期には、今ではほとんど知られていないメーカーが随分とあったのですね。

見る人によっては玩具に過ぎないものかも知れないが、
何故これらはTMSに紹介されなかったのだろう?

この優れたブログを見て驚きました。
0259名無しさん@線路いっぱい
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2019/12/20(金) 11:42:20.44ID:ZW0+924l
>>254
tubeのN開封動画で良く見る絵だな…もっとも状況は全く違うが
精いっぱいやってこれと、必要最小限で稼ごうとするあれ
0260名無しさん@線路いっぱい
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2019/12/20(金) 12:27:32.00ID:1Hu2+ybl
>>258
ゴミレス鈴木はいつから自分語り初めたの(大笑い)
0261鈴木
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2019/12/23(月) 07:12:31.01ID:bEjfW744
つまり、1960年代中頃には、各種の玩具っぽい約9mmゲージが安く売られていて、
その外観の優劣は、SONYが売ろうとした9mmゲージ模型とそれ程は変わらないのですね。
0262名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 02:25:16.50ID:HDpJS7je
>>261
1080年代の鉄道模型はどんな模型だったの?
   ↓
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0263鈴木
垢版 |
2019/12/31(火) 07:06:52.88ID:DZ0wgeze
>>262名無しさん
「1080年代」は、私の書き間違いで、
「1980年代」と、書くべきものだったと、思います。
0264名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 10:01:24.14ID:HDpJS7je
>>263
なんだ捏造だったんですね。

捏造は駄目ですよ。
1080年代の模型はどんなものか知人に聞いたら笑われましたよ。
0265名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/10(金) 23:07:56.99ID:PUJvthur
鈴木は平気で知ったかぶる
0266名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 11:13:28.94ID:vkJEHCD8
スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
0267名無しさん@線路いっぱい
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2020/01/12(日) 11:29:23.96ID:a8JmLVqm
>>266

> スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。

スケールが無理と考える時点で
スケールが重視されていたと言う
エビデンスとなる。
0268名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 12:20:23.92ID:lY7TgbP7
今やアニメキャラのフィギュアですらスケール明記の時代
実物のモデルなら正確なスケールや比率が必須となっている
0269鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 18:10:35.06ID:CRGm2ZdP
>>266名無しさん@
>スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
        ↑
一体何年頃の時代の話をしているのか? 意味不明だが、
戦前から、色々な模型のスケールは決められていて、
それを作る人は、それぞれの一定のスケールを目指して作っていましたよ。
0271鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 22:00:20.73ID:6nLr6yCc
戦後は米兵が流入したから、16.5mmが優勢になったが、
戦前は16mmもあった。
知りたい人は"TMS特集シリーズ、車両工作ブック"のp2、
EB凸電、鎌田達夫設計の図面を見れば解るでしょう。16mmゲージです。
0272名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/04(水) 01:01:05.00ID:CvzyqQ30
16oって映画の規格に似ていますね。Nゲージが発売される前の1950年代末に一部の愛好家の間で1/150スケールの8oゲージが作られたのは
偶然ではないかもしれませんね。

ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611230000/
ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611250000/
0273鈴木
垢版 |
2020/03/04(水) 09:24:21.89ID:FggSAJjU
>>272名無しさん@
>16oって映画の規格に似ていますね。
         ↑
これはTMSのミキスト(号数忘れ)でも、
「何か関連があるんじゃないか? と誤解するひとが居た」
と書いてました。

私も小学生の時、
  映画の35mm ≒ 鉄模の32mm
  映画の16mm ≒ 鉄模の16.5mm
で何か関連があるんじゃないか? と考えてました。
0274鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 03:00:06.81ID:8tWLPPug
http://tbmod.com/rm/Madder%20Valley%20MRJ%201994%20dec.pdf
こんなページ見つけました。
英国のOOゲージ(1/76, 16.5mm)モデラーで、
Edward Beal氏の影響を受け、1940年代から1950年代に、
優れたレイアウトを作った人らしい。

この人は戦前、DC6Vで運転していたらしい。
pdfの6ページ、上段テキストには、
「powered by 6-volt car bftteries」
「電気は自動車用6V電池が使われてる」
とある。
山崎氏なども、やはり電池を使ってDC電源を確保していたのだろうか?
少なくとも日本ではセレン整流器は軍用で、一般人は入手不能だったはず。

それとこの英国レイアウトの機関車のモーターはマグネットモーターだったのだろうか?
日本では、絶縁車輪が発売されてしばらくしてやっと
マグネットモーターが販売された。
理由は、多分マグネット部分が高価だったからじゃないだろうか。
0275名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:22:39.00ID:I4JYZ5Jn
50年前の1970年に発売されて
動力は改良されつつ、
車体はそのままで生産されている模型がありますよ。
この車両の登場で、全国で無数のレイアウトが作られ
主力車輛として活躍したことが当時のTMSで見られます。
0276名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:57:11.24ID:9s78MGAb
>>253
>では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
>山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
>という疑問がわくわけです。

戦前の『科学と模型』誌に電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
また一般的ではないものの電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する手法もあったようです。
0277鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 09:37:13.43ID:w/9sby8P
>>276名無しさん@
>電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
      ↑
電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
この方法は初めて知りました。

>電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する
      ↑
この方法は私でも誰でも考えますから、
山崎氏達はこれでやったのかな、とも思うのですが、
「それでやった」という話は見つからないのですよね。
自動車やバイクの電池を使ったという話は、
前回書いた英国レイアウトの他に、Model Engineer誌にも出ていた気がします。
しかし電池が無くなったら、自動車修理屋にでも充電を頼むのかなぁ?
尤も戦前の日本の家庭用配電はACの他にDC地域もあったので、
DC地域なら家庭で充電できるのかも知れない。

因みに戦前の鉄模趣味者は、
変圧器だの、モーターだのも自作出来る人が普通に居たようです。
0278名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 23:24:28.18ID:PSI2jme5
>電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
>50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
>この方法は初めて知りました。

スピーカーと同様の構造の交流電磁石の吸引で動く接点があって交流の上半分又は下半分の時のみ通電すると半波整流になるらしい。
0279鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 23:36:27.95ID:xBjrOkE6
>>278名無しさん@
なるほど、スピーカーの方が正確なのかも知れませんね。
ありがとうございます
0280名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/07(土) 18:15:13.68ID:WjN96uWa
>>257
David L. Waddington氏は戦後はゼネラルエレクトリック社の技師として勤務したそうです。
2000年代まで執筆していたようです。
David L. Waddington, whose stories and scale drawings appeared in Model Railroader and other hobby publications from the 1940s through the 2000s, died May 12 in Orleans, Mass.
ttps://mrr.trains.com/news-reviews/new-products/2014/07/in-memoriam-model-railroader-author-david-l-waddington
0281鈴木
垢版 |
2020/03/07(土) 19:18:10.92ID:9u5hdv2K
>>280名無しさん@
ありがとうございます。
見ると、Waddington氏は2014年に亡くなったようですね。
そしてMRでも特に、図面が評価されてるようです。
手持ちの"Traction Guidebook"1974年出版(機芸が売った)には、
HO=1/87で
  木造郵便電車
  BB凸電
  Massachusetts 路面電車(彼が住んだ町の電車?)
  木造旅客荷物合造電車
  移動変電所カー
の精緻な図面が載ってます。
残念ながら各図面の公開年が不明ですが、
図面の優秀さでは、TMSの実物図面を凌駕してるんじゃないか? と密かに思ってます。

Waddington氏は、TMSに協力している頃はSゲージャーだった、と思いました。
0282名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 11:19:07.33ID:ubtDR2Kt
1940年代後半は世界的にSゲージが一時的に普及しかけた時期だったようですね。
同時期国内でも普及の兆しがありましたが、結局16番の台頭により短期間で廃れたようです。
現在、アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58、EH10、EF65等は実質的には日本型Sゲージで
動力化すれば篠原のレール上を走行できるようです。そういえばかつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました。
彼のゲージ観の一片が伺える一文でした。
同様の軌間22.5oの軌道上を走行するスケールとしてOmがあります。
フェロースイスからGe6/6等が模型化されています。
ttps://brasstrains.com/Classic/Product/Detail/092775/Om-1-45-Brass-Model-FS-Ferro-Suisse-Rhb-Rh-tische-Bahn-GE-6-6-Rhaetian-Crocodile-402-F-P-Superb-Detail-DCC
ttp://www.ipernity.com/home/72864
ttp://www.bahnonline.ch/bo/archiv/2009/12/21/ferro-suisse_neuheiten/
ttp://www.illisoft.net/trains/loks/ge66_sp.htm
0283鈴木
垢版 |
2020/03/09(月) 13:42:41.82ID:Iq7yKsas
>>282名無しさん@
>アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58
          ↑
これですね。  ↓
http://www.aoshima-bk.co.jp/product/4905083030714/
外側はプラのお飾り台車、内側は動力用金属台車にする部品が出ればいいわけですね。
どういうパンタが付いてるのか知りませんが、
金属製パンタが2個付いていれば、それだけでも
Oゲージ電車に使い道か゛あるかも知れません

アオシマは古い会社で、知る限りでは、既に
"科学と模型"誌、1952年9月号には広告を、
青島文化教材研究所の名前で出してました。
木製モーターボート模型などを売ってたようです。

>かつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました
          ↑
それで国鉄型を作った場合、1/47≒1/48=NMRA式Oゲージ、になりますね。
0284名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 16:30:11.83ID:ubtDR2Kt
アオシマから販売されているプラモデルの1/50の機関車シリーズは細密模型を見慣れた現在の基準で見ても
比較的よくできていると思います。パンタグラフはプラ製でした。
同社のDD51を動力化する例はあるのですが、EF58、EH10等の動力化の例は見つかりませんでした。

それにしても1/50縮尺の車体に"特典"として1/45縮尺のEF66に使用されたPS22下枠交差式パンタを装備するとは…。
ttps://store.shopping.yahoo.co.jp/aoshima-bk/g5706.html

35o軌間は日本特有だと思っていましたが、実はドイツにもあったようです。
http://www.schweja-blecheisenbahn.de/5.html
0285鈴木
垢版 |
2020/03/09(月) 21:28:27.11ID:bBc73dxV
>>284名無しさん@
>それにしても1/50縮尺の車体に"特典"として1/45縮尺のEF66に使用されたPS22下枠交差式パンタを装備するとは…。
        ↑
まあ無いよりは嬉しいじゃないですか。
パンタ持っているでけ夢は広がるし。

>35o軌間は日本特有だと思っていましたが、実はドイツにもあったようです。
        ↑
"Bub"という名前の玩具屋さん、又は模型屋さんは、初めて知りました。
こういう模型は楽しいですよね。
0286名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/31(火) 02:29:55.24ID:DBuEVdF0
>>285
確かに1/45のPS22でも無いよりは嬉しいですね。

ところで昔も今も高嶺の花というイメージのあるブラス製品ですが、実際には昔の方が入手しやすかったのでしょうか?
かつては月給のおよそ1/5以下で購入できましたが、近年では月給の2/3払わなければ購入できませんね。
家電製品等、身の回りのあらゆる工業製品は1970年代と比較して相対的に安くなっているにもかかわらず、こと鉄道模型に至っては安くなるどころか高騰してますね。
1995年から2003年にかけて給料はほぼ横ばいなのにEF58の値段は2倍に上昇しています。
産出量の限られた貴金属やレアアースを大量に使用しているのであれば理解できなくもありませんが、単に人件費の高騰だけでは説明がつかない気がします。

1972年 EF58形 \15,600 当時のサラリーマンの月給 \76,000
1979年 EF58形 \31,500 当時のサラリーマンの月給 \179,100
1988年 EF58形 \38,500 当時のサラリーマンの月給 \257,600
1995年 EF58形 \109,000 当時のサラリーマンの月給 \317,500
2003年 EF58形 \220,000 当時のサラリーマンの月給 \331,300
ttp://www.tenshodo.co.jp/models/museum/1970/tabid/217/Default.aspx
ttps://nenji-toukei.com/ns/kiji/10023/サラリーマン月給
0287鈴木
垢版 |
2020/03/31(火) 08:50:46.61ID:DUheTzh7
>>286名無しさん@
       ↑
サラリーマン月給のページは面白い物を教えていただきました。
唯、1960年頃サラリーマンと認定された人は、割に高収入の人で、
サラリーマン以下の農民とか零細店の店員とか職人とかかなり居たんじゃないかと思います。
同時に、現在はサラリーマンと認定されない、
低所得のバイト、派遣社員、パートの人達が増えていると思います。

手持ちの"模型とラジオ1961年4月号付録、鉄道模型部品ものしり帳" によると、
EB54型電気機関車(カワイ製?)、多分真鍮製、キット950円、完成品1300円
が安い模型で入門者向けです。
私の推測ですが、1960年頃息子に950円のEBキットを買ってあげられない親は
沢山居たんじゃないでしょうか。
その意味では、昔も今も真鍮製鉄模は中流以上の趣味と思います。

「1995年から2003年にかけて給料はほぼ横ばいなのにEF58の値段は2倍に上昇」
の原因は、金さえ出せば、馬鹿でも精密な模型を手に入れる事が出来るようになったので、
鉄模趣味者が、やたらに高額精密な模型を模型屋に要求した結果かと思います。
0288名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/31(火) 20:53:27.90ID:05QFyRbm
昭和25年 1950年新年号のミキストにゲージシェアが載ってる。
0番 60.0%
16番 23.6%
S 5.1%
0及16番 4.4%
その他 6.9%

70年前は、0番ゲージが2/3もいたのですね。
驚きました。
0289鈴木
垢版 |
2020/03/31(火) 21:47:42.53ID:13MYrtSn
>>288名無しさん@
MR誌の調査の場合、よく 「serious(真面目な、本気の)モデラー」 の人数が問題にされます。
「serious」と言うのは、
 買って貰った電関セットを持ってはいるが、
 車両模型も作らないし、レイアウトも作らない人を除外した、
 モデラーの意味の事と思います。
雑な言い方をすれば、作るモデラー、とも言えます。

TMSの調査の場合
この「seriousモデラー」の人数かよくは解りません。
TMS,1960年1月、Oゲージ京都市電を発表した栗井稔氏が、
「最近TMSに0番がめっきりさびしくなりました。我々として残念なことです」
と書いてました。

つまり、1960年1月には、Oゲージの「seriousモデラー」の人数は減ってました。
しかし、同時期に模型屋にはまだ沢山の商品が並んでいたし、
デパートの玩具売り場には、16番よりもOゲージ模型の方が多かった印象があります。
各メーカーの売り上げ高が、Oと16番別に解ればいいのですがね。
0290名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/01(水) 02:18:35.31ID:+N75gsCl
>>288
>70年前は、0番ゲージが2/3もいたのですね。
>驚きました。

鈴木氏の仰る通り、当時はまだ3線式のガラレールの電関が主流だったようですね。
アンケートとというのは母数集団が重要でTMSの綴じ込みのはがきから切手を貼らずに投函する方式なのかそれとも自分で切手を買って投函する方式なのかでも結果が変ってきますね。
そもそもseriousではない人でわざわざTMSを購入する人がどのくらいいるのかも不明です。
これは1960年代に百貨店には0番が売られていたのにTMSのアンケート調査では割合が低かった事と合致します。
1960年代初頭におけるOゲージの衰退はその30年後の16番の衰退を暗示していたようでもあります。

その他 6.9%が気になりますが、おそらくこれは戦前からの35oゲージや当時先駆的だった1/110TTゲージだったであろうかと推測されます。
興味深いのはSゲージですね。当時華族制度が廃止され、華族ではなくなった毛利(元)男爵が提唱していたそうです。
一見、絶滅してしまったに見える日本型Sゲージですが、実はアオシマの1/50シリーズとして21世紀の現在も命脈を保っています。
数年前まで篠原から軌間22.5mmのレールや分岐器が販売されていましたが、先行き不明です。
http://www.jmra.gr.jp/shinohara/c100.html
BEMO等から入手可能なOmゲージでは軌間22.2mmです。
BEMOの貨車は1980年代のFama製の軌間22.5mmの軌道上を走行できるように車輪を交換できるようです。

ttp://zeitgeist-av.com/BemoOmmain.html
ttp://www.winco.uk.com/BemoOmmain.html
ttps://ogrforum.ogaugerr.com/topic/bemo-omfirst-car-in-pictures
ttps://www.modellbahn-scheierlein.de/de/Modelleisenbahnen/Bemo/Bemo-Spur-0m/
とりとめもなく長文失礼
0291鈴木
垢版 |
2020/04/01(水) 08:46:17.67ID:1JtQivGr
>>290名無しさん@

Oゲージと16番の入れ替わりの時代には、
Oゲージ車両よりも16番車両の方が安い、という気がしました。
これに加えて、16番にはセレン整流器が必要で、これもEB電関の半分くらいの値段だった。
可変抵抗器は整流器より高いが、これは無くても何とか走る。

篠原がS用の線路も売っていたとは、初めて知りました。
Sも16.5mmゲージにも、
戦後すぐは、いくつかの縮尺があったようです。
その中で山崎氏が推奨する16番が勝ち残ったわけですけど。

アオシマについては>>283にも書いたけど、大変古い静岡の模型屋ですね。
静岡というのは、昔木製模型のメーカーが多かったのだが、
何か理由があるのだろうか?
ヤマハ楽器があるから、良い原木材料が手に入りやすいのだろうか?
0292名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/01(水) 11:58:28.29ID:+N75gsCl
>静岡というのは、昔木製模型のメーカーが多かったのだが、
>何か理由があるのだろうか?

『田宮模型の仕事』等いくつかの本によると静岡は川を下って運ばれてくる材木の集積地だったという説や
静岡中部では徳川幕府が、静岡浅間神社や久能山東照宮などの造営を行うために全国から職工を集めた事により
漆器や下駄,木製家具などの産業が発達してそれらの大量に排出された廃材の有効利用から1940年に木製模型飛行機の製造が始まったという説があるようです。
楽器産業が勃興したのも優秀な木工職人が多数いたこと無縁ではないでしょう。

ttps://www.kokugakuin.ac.jp/article/11410
0293鈴木
垢版 |
2020/04/01(水) 18:00:05.77ID:WHDz94h8
>>292
成程。
大井川も当時は、今より水量が多くて、筏による輸送が可能だった、
と聞いた事があります。

隣りの浜松ですが、
ヤマハの広大な木材自然乾燥場が、
東海道線の車窓から見えた記憶があります。
https://twitter.com/kanazawa10026/status/1017352926988103680

http://butsuryu.web.fc2.com/tenryugawa.html
内の
http://butsuryu.web.fc2.com/tenryugawa197602-03.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0295名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/02(木) 22:33:46.16ID:j/AzeYAV
1952年のTMS46号のミキストに
1番 0番 S  16番 TT
の比較が掲載されています。
この時期の車両製品、機関車、客貨車、電車は
いずれも0番が16番よりも充実していたようですね。
0296名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 01:05:57.45ID:IbqFUVrd
1950年代初頭はまだ0番が優勢だったようですね。
上述のように1960年代初頭には16番が主流になったようです。
1960年代初頭には1/150,8mmゲージというものが一時期、一部の愛好家の間で作られていました。
これが後の1/150,9mmの日本型Nゲージの始祖となったと思われます。
Nゲージが主流になったのは1980年代に入ってからで模型化の車種の数が16番を超えたのは90年代に入ってからでしょう。
0297名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 07:45:12.45ID:qEib9Vqo
>>296
日本の鉄道模型史を大きく分けると

〜1960年頃  0番
1960〜1980年頃 16番
1980年以降 Nゲージ

が主流という事でしょうか。
16番の全盛期は思ったほど長くないようです。
また、Nゲージが新たな規格に取って代わられる様子もなく
既に40年以上主流を占めるNゲージは、
日本鉄道模型史上最強の規格と言えそうですね。
0298鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 07:47:11.02ID:+MfZh7E8
山崎氏の考えでは、
鉄模の本流は、レイアウト運転です。

これが戦後のMR誌の影響に依るものか? それとも
もっと古い、英国OOゲージのリーダー、エドワード・ビール氏の影響に依るものか? 
は解りませんけど。
0299名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 07:53:36.53ID:qEib9Vqo
>>298
>鉄模の本流は、レイアウト運転です。

ミキスト90号以降から、レイアウト関連の記事が増えてますね。
0300名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 10:21:56.32ID:IbqFUVrd
>>297
> 日本鉄道模型史上最強の規格と言えそうですね。
コレクションするために程よい大きさと狭い室内でもフル編成を走らせられるのはNの利点だと思います。

>>298
確かにレイアウトには力を入れていましたね。
一例として1960年5月号No.143 P.211の水源急行鉄道の記事は個人のレイアウトでありながら11ページもありました。
他にも時々、8ページ以上の個人のレイアウトを紹介する記事がありました。
0301鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 13:48:18.77ID:/jRez297
既に>>211で書いたけど、
https://www.hoseeker.net/assemblyexplosionvarney/varney282mikadorigidpg1.jpg
の部品販売の如く、米国には1950年頃までは、
鉄模でO、HO、OO等の機関車をスクラッチする、という風習があったわけです。
この風習は、英米共通するものであり、
欧州大陸には無かった風習です。

山崎氏が英米鉄模を尊重し、
ドイツ鉄模を軽視した一因はこれだと思います。

しかしながら、その後米国ではこの風習はほとんど無くなった気がします。
そして、車両は既製品か既製品の小改造程度にして、
労力は、情景付きレイアウトや、列車運行法に集中したんだと思います。

日本では、どちらかというと、レイアウトよりも車両工作が多かった。
これは山崎氏の希望とはズレたわけです。
0302名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 17:06:29.62ID:IbqFUVrd
今でもそうですが、1970年代の首都圏の住宅事情を考慮するとレイアウトを所有することがいかに困難なことであるかが分かります。
反面、車両工作は狭いスペースでも可能ですし、1970年代以降、徐々に輸出から日本型へメーカーも転換しつつありました。
ようやく市井の人々も趣味に時間を費やせる環境が整いつつあったのはないでしょうか?
0303鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 21:49:52.83ID:vCGyQddT
それと、山崎氏が推奨する16番では、
絶対にG&D級の精密情景レイアウトは作れない。
それは、日本人は下手だからとか、手抜き技法だからとか、貧乏だからとか、
に依るものではない。

HOは1/87なので、線路は1435mm÷87=16.5mmなるが、
16番国鉄型は、線路は167mm÷80=13.3mmのはずなのに、
実際は16.5mmで、「この蟹股ゲージ線路は絶対に変えられない」と言う事。
精密情景レイアウトは無理、という事(都電や京王線なら作れる)。
0304鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 22:09:00.65ID:bnK+kDjv
>>300名無しさん@
>1960年5月号No.143 P.211の水源急行鉄道の記事は
        ↑
水源急行鉄道は夢がありましたね。
二階の部屋なんだが、「押し入れをつぶし壁をブチ抜き」とある。

線路だけの区間の張り出し部があり、
それは一階からの、階段の上を走っていて、
しかも、その張り出し線路の下には別に地下線がある。
隣り部屋との通路には跳ね上げ式の橋がある。

実物鉄道や、模型の庭園鉄道が、
地形の困難さを、曲線や橋脚で、巧みに線路を通す面白みがありった。
0305名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/04(土) 23:44:03.86ID:VRBgsd7K
1952年のTMS46号のミキストに掲載された
ゲージでの比較ですが
お座敷運転は 0番はA評価 16番はB評価となっています。
お座敷運転では0番は16番よりも安定した運転ができるそうです。
TMSは16番の組み立て式レイアウトを記事にしたと思うのですが、
お座敷運転を安定化させるために16番の組み立て式を開発したのかも
知れません。
0306名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/05(日) 01:54:47.61ID:MFph6+xv
確かにある程度大きい方が畳み等の床上に線路を敷設した場合、凸凹の影響を抑えられそうですね。
小さいと少々の凸凹でも肩を揺らしながら走行することになってしまいますね。
そういえば、戦前の『科学と模型』誌で旧制中学の学生が先生の宅にお邪魔して35oと0番の優劣に関して話す下りがありました。
当時、版元の朝日屋は35oを推進していたので35oを推奨する結論だったと思います。
他にもプロペラ推進のシーネンツェッペリンの模型を走らせて実物では風が強過ぎて周囲に悪影響を与えかねないので実用的ではないとか書かれていたと思います。
まだ戦局が悪化する前だったのでそのようなゲージの優劣や模型の構造について語り合うような記事もあったのでしょう。
0307鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 02:43:05.37ID:St+OFdKS
>>305名無しさん@
何が正しいか、とかは別にして、
"犬走志んNo.4"
"まくらぎ会のころ"で、藪田昆氏が懐旧談をやってます。
「やま氏は、少なくとも当時は『レイアウトは固定式じゃなきゃダメだ』
と考えていたんだから。
お座敷運転なんて幼稚だという認識だったんだろうね」
と書いてます。

その後TMS100号記念に中尾氏や吉田氏が、組み立て式レイアウトを作ったそうで。
なお、山崎氏が御座敷運転を馬鹿にしたのは、
御座敷運転では線路が凸凹になるから、脱線し易いと考えたのかも知れません。
0308鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 03:01:15.99ID:St+OFdKS
>>306名無しさん@
>戦前の『科学と模型』誌で旧制中学の学生が先生の宅にお邪魔して35oと0番の優劣に関して話す下りがありました。

『科学と模型』誌、1938年、8月号にも似た記事がありますね。
「大体16ミリというのは(中略)一般的ではありませんね。
あれでは模型としての機械美とか迫力はありませず、唯、
可愛らしいなー位のものでしょう」

ここで言ってる「16ミリ」は。
16.5mmゲージの事ではなく、
戦前一定の支持を得ていた正真正銘の、16mmゲージの事と思います。
0309名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/05(日) 21:14:09.59ID:LcXxhfQ5
0番の3線式レールは、よっぽど頑丈なんでしょうね。
0310鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 22:02:45.65ID:Ds+iHQHG
単に、

「山崎氏はTMS100号未満の頃は、
 『16番は固定レイアウトで走らすのが本筋で、
 お座敷で走らす事は考えない』
と考えていた」

と、薮田昆氏が思い出を語っただけですから。


なお、
山崎氏が16番を主張する前に、
16mmゲージを主張した鎌田氏を、
藪田氏は高く評価してます。

鎌田氏は、16mmゲージを単に豆機関車模型としてとらえたのではなく、
レイアウトに近い物を考えていたようで、
16番は、鎌田氏に多少影響を受けてるんじゃないかな? という藪田氏の話です。
0311鈴木
垢版 |
2020/04/15(水) 12:37:50.47ID:BJyWOgMQ
敗戦直後の玩具について、
"日本金属玩具史"p458より

「連合軍総司令部のダフという少佐から、
占領軍の子弟へ電気機関車のおもちゃを作ることを命じられた。
(中略)
ダイキャスティングによる鋳型法は、昭和十年ころアメリカで発明され、
我が国には昭和十二年頃その製法が入って来た。
玩具にも応用されたが、アメリカほどの発展はしなかった。
(中略)
ダフ少佐はこの製法による電気機関車を作れと命令した。
(中略)
終戦直後の技術では満足すべきものが得られなかったので、
初め車だけをダイキャストで、上部をブリキで作っていた」
0312名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/17(金) 16:33:49.21ID:1iInfH8L
そのような経緯があったのですね。勉強になります。
個人的には鉄道模型におけるダイキャストといえばエンドウEF57の屋根が反ったり
香港製富ED75のウエイトが膨らんだりしたのが印象に残っています。
品質の悪い1950年代以前のダイキャストだと経年劣化しているかもしれませんね。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~toyoyasu/ed75tm.htm
ttp://www.stfeel.sakura.ne.jp/daikyasuto/daikyasuto.html
ttp://skymax17.blog.fc2.com/blog-entry-1635.html
ttps://ameblo.jp/mini3298j/entry-12461283006.html
0313鈴木
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2020/04/18(土) 03:29:09.51ID:gMXZDIR7
>>312名無しさん@
成程。このED75主要部の海老反りは、タマランですね。

https://i.imgur.com/k8dmlPF.jpg
転載元は、TMS,1990年1月ミキスト。
その転載元は、MR誌、1941年12月号広告。
(我らがヒロヒト大元帥が、真珠湾不意打ち攻撃を敢行した時です)

広告には
「die-cast body」と明記してます。
このVarney社製0-4-0サドルタンクが安くて(当時の日本円にすると物凄く高価ですが)、
大量に売れて、HOの拡大に貢献したそうです。

山崎氏は常に、
  「16番普及の為には、精密高価な模型よりも、
  誰でも気軽に買える、ペット的な機関車が必要だ」
と考えていたのですが、
これが、その思考の原点なんじゃないか? と愚考するわけです。
その熱望は、カトー製の
「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品として、実現しました。

http://www.tcawestern.org/images/varney3.jpg
↑はVarney社製ですが、ワルシャート弁付きだから、後年の製品かも知れません。
0314名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/22(水) 03:05:12.62ID:V0JhQx0p
重箱の隅をつつくような指摘で申し訳ありませんが、あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。
上層部は事前に把握していたが戦意高揚の為にわざと不意打ちを食らったように演出して国内の世論を参戦へ仕向けたようです。
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU4/code11.htm
ttp://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/NazisGermany/MartinBormann_toubou.html
ttps://yoshiko-sakurai.jp/2001/08/02/3769
ttps://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/books-the-spy-who-went-after-the-gold-1312223.html
ttp://gerard45.bloggertje.nl/note/14228/nederlandse-onderzeeër-kxvii-in-1941-opgeblazen.html

山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。
一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ果たした役割は大きいと思います。

「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品といえば、かつて1970年代にトミーから香港製のEF58や
イタリアのリマからも新幹線やL特急やバンダイからも新幹線が発売されましたがどれも短期間で姿を消しましたね。
当時の射出成型の技術ではブラスモデルを見慣れていて目の肥えた日本の鉄道模型愛好家の食指を動かすまでには至らなかったようです。
尤も、同時期に”高級品”とされていたダイキャスト製のメルクリンの製品でさえもディティールの再現においてはシュパーブライン等の日本製のブラスモデルに遠く及ばなかったわけですが。
0315鈴木
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2020/04/22(水) 11:07:17.28ID:XuCtLleL
>>314名無しさん@
>あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。
         ↑
私には、真珠湾不意打ちが筒抜けだったのか、どうか、を判断出来ませんが、
仮に筒抜けだとしたら、我がヒロヒト大元帥君は、何処にも居るポンちゃんだった事になりますね。

>山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。
>一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ
         ↑
私の大雑把な把握では、「山崎氏は16番を精密化しろ」のような意見は書いていません。
  「ロストで着飾った虚飾の模型などやめとけ」
と考えたのか?
  「16番国鉄型など、どの道蟹股なんだから、精密化すればするほど蟹股が目立つだけ」
と考えたのか? は解りませんが、

こういう考えは、
中尾豊氏とは違ってると思います。
0316鈴木
垢版 |
2020/09/17(木) 21:42:55.19ID:UhX7EfV0
本棚を整理していて、ふと
TMS、1994年11月号から、
TMS、1995年4月号まで連載された、
伊藤剛氏の記事"平田町界隈"を久しぶりに読みました。

内容は伊藤氏が子供だった時から、第二次大戦までの、
名古屋の鉄模事情です。
技術屋が本職の伊藤氏ですから、
私には難しい技術的説明もありますが、
それは僅かで、全体的に面白いです。

TMS、1995年1月号P87に、
「昭和初期」は、「モケイヤと言えば、一般の人にとっては
模型飛行機の材料を売っている所」
という文があります。

戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、
模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、
模型屋ばかりでなく、
文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。
しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。
鉄模(EB電関)は多分、
模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。
0317鈴木
垢版 |
2020/10/27(火) 20:32:24.76ID:xawOKG8W
Oゲージ国鉄2B1型(自由形SL)製作記事の流れ。

C59か何かを2B1型(自由形SL)に変えて作る記事は、
戦前の人達に好評だったらしい。
OゲージでC59を作るには、Oゲージでは通過曲線の問題でかなりむずかしい。
そこで、それを2B1にしようとする考えだ。

@多分カワイの販促雑誌"模型鉄道"に出た酒井喜房氏の記事から始まると思う。
山崎氏がこれを褒めていた。

A戦後は、朝日屋の"科学と模型"1948年3月号から荒川嘉男氏が、連載で
 「新鋭B621型蒸気機関車の作り方」を書いてる。

B"模型少年"1949年3月号から難波敏夫氏が、連載で「B61蒸機の製作」を書いてる。
 この記事は1949年12月時点で難波氏が亡くなったため、
 雑誌編集部が酒井喜房氏に続きの執筆を依頼したが、断られた。

CTMS,No.24,25,28(1952年9月、10月、1951年1月)で、
 PFL生氏が「国鉄型蒸気機関車の詳細製作法」と題して、
 Oゲージの国鉄近代型2B1型の記事を書いてる。
 この当時はまだTMSと酒井喜房氏は関係があったので、何らかの示唆があったかも知れない。

DTMS,No.146(1960年8月)で、「Oゲージ国鉄型アトランをかこんで」
 という記事があり、PFL生氏の記事に触発された、向山真司氏作の2B1が紹介されている。
 但し、製作記ではない。当時の私は良く解らないが
 「どうもOゲージ国鉄型アトランは古い人には有名らしい」と感じた。

ETMS,No.770(2007年8月)頃から連載された、戦後日本製品史の中のどこかに、
 カツミのOゲージC62に関連して2B1の製品解説があった気がする。
0318名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/01/02(土) 06:50:17.08ID:ugaqqvif
>>316
あの連載は読みました。興味深い記事でした。
戦前の鉄道模型の事情に関してはTMS500前後の日本鉄道模型小史やとれいん98号辺りにも掲載されていました。

>戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、
>模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、
>模型屋ばかりでなく、
>文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。
80年代でも似たような状況でした。他に100円のプラモデルもありました。
現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。
数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。

>しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。
>鉄模(EB電関)は多分、
>模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。

鉄模は高級品だったようですね。カツミのB型電関のセットでも当時は高根の花だったようです。

>>317
アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。
戦前に完成品として販売されていた定番商品ともいえる関電機の蒸機はC51等、1Cの車輪配置でしたが、何故か自作派には2B1が好まれたようですね。
構造上B型電関の動力を流用するのは困難かもしれませんが作りやすい事や曲線通過が容易などの理由が好まれたのでしょう。
0319鈴木
垢版 |
2021/01/04(月) 21:55:12.36ID:3uZucSmy
>>318名無しさん
>現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。
>数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。
       ↑
「大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機」
は、知りませんでした。
でも今の子供は紙袋に入った模型飛行機など興味ないんでしょうね。

私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。
と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、
手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。

何しろ鉄模は電関だけでなく、
それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。

>アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。
       ↑
このアトランなんですが、
酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。
酒井喜房氏→TMSの他に、
大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。
まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。
0320名無しさん@線路いっぱい
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2021/02/22(月) 05:01:45.78ID:gNLAtDs0
>私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。
>と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、
>手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。

>何しろ鉄模は電関だけでなく、
>それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。

運転会等で昭和30年代に幼少期を過ごされた方にお話を伺うと当時は廃棄されたテレビの変圧器を流用したりモーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。
今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。

>酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。
>酒井喜房氏→TMSの他に、
>大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。
>まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。

文献に残っていませんが戦前に酒井氏以外にもアトランの車輪配置の機関車を模型化した人はいた可能性はあります。
あくまでも推測ですが、終戦直後で模型メーカーは進駐軍相手に商売を始めた頃で愛好家達は入手できる部品が限られていた当時、スケールモデルよりは手軽に作れそうなB型電関やアトランの製作は当時の潮流だったのかもしれません。
同時期のモデランド誌や模型とラジオ誌や子供の科学誌、学生の科学誌、科学画報誌等の工作記事にも類似の題材を扱った例があるかもしれません。
当時は趣味としての鉄道模型には電関に代表される実物とは異なる単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派と実物に忠実な模型を志向する流派(スケール派)があった可能性が伺えます。
やがて経済成長に伴い豊かになるとスケール派が大勢を占めるようになった可能性があります。
21世紀になってもJAMで往年の三線式を展示するグループがいたり、はぐるまやのような専門店があったりBトレインショーティーがシリーズ化され売れていた事から単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派も一定数いることが伺えます。
0321鈴木
垢版 |
2021/02/23(火) 16:05:40.56ID:X2GC2MO3
>>320名無しさん
>モーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。
>今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。
        ↑
その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。
日本敗戦から15年たった(60年前)模型屋には、まだOや16番のSL用クランク動輪を売ってました。
60年前よりはずっと裕福になった、2021年、SL用クランク動輪はほとんど売ってないですね。
今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、
精密化なんじゃないでしょうか。
0322名無し
垢版 |
2021/02/25(木) 07:56:35.59ID:n41wlVUa
PFL生氏っていったい誰だったのだろう。
0323鈴木
垢版 |
2021/02/25(木) 10:06:54.56ID:CSdP1I5A
>>322
私の考えでは、
「PFL生」というのは、
TMS編集部員、実態的には山崎氏、中尾氏、赤井氏の3人です。
雑誌の記事が集まらないと、仕方なく編集部員が一般投稿せざるを得なくなる。
しかし毎号山崎、中尾、赤井、の投稿では体裁が悪いので、
「PFL生」を使いまわして、一般投稿記事を装ったんだと思います。
一般投稿記事が多ければ、読者も「一つオレも記事を投稿しよう」という気持ちになるでしょう。

他にも「安井酉次郎」などという執筆者名も実名なのか? どうか? 怪しい部分がある。
私には余り良い習慣とは思えませんけど。

なお「PFL生」の「P」はパセンジャー、「F」はフレート、「L」はロコモティブ、の略号と思いました。
0324名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/10(水) 14:46:46.47ID:D8lTcAiI
>>321
>その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。

現在でも水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです。歯車だけなら東急ハンズ等でも売っているようです。

>今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、
>精密化なんじゃないでしょうか。

そうですね。以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています。
尤も合運等でJORCの公開運転を見るとOゲージ以上のゲージではまだまだ工作派が健在なのが伺えます。16番やNゲージでも極少数ではありますが工作派が健在なようです。

>>323
322氏ではありませんが長年の疑問が一つ氷塊しました。ありがとうございます。
ところでもう一つ疑問があるのですが『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう?中学生等の生徒を意味する語彙なのでしょうか?
0325鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 00:07:20.57ID:yzHMvjr1
>>324名無しさん
>水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです
        ↑
車輪は、そこそこの技術があれば、作れると思います。
しかしSL用クランク付き動輪となると、グンとむずかしいです。
現在の模型屋さんは、付けくても走れるような
SL用の外見を精密化するためのロストワックス部品は、盛んに売ってるのに、
それが無くては走れないような、SL用クランク付き動輪は、あまり売ってはいない気がします。
模型屋の側から見れば、
「そんなもの買う客は居ない」
という事で、それも尤もな事なのでしょう。

>以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、
>最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています
        ↑
えっ、そこまでいっちゃったんですか。
まぁTMS読んでいても
  「〇〇型製作」
なんて記事があっても、読み進むと「〇〇型製作」というのは、
実は
  「模型屋さんが製作した〇〇型キットキットを、 私はハンダで組み立てました」
という記事なのが解って、まああり得る話かな? と。

>『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう
        ↑
昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。
例えば
  「尊敬する山崎先生へ。 ・・・・ムニャムニャ・・・・・鈴木生より。」
みたいな形式ですね。
探したら、文例がありました。
TMS,No.26, "凸電通信" 、"高級モデルノート"p78に再録。
  「安井さん、長らくご無沙汰・・・・ムニャムニャ・・・・剛 生 拝」
  「伊藤剛様・・・・ムニャムニャ・・・・例の処で、モデルをサカナら談じましょう 安井 生」
0326鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 00:17:59.62ID:yzHMvjr1
今どき自分の名前に「生」を添えるなんて、
文人気取りの嫌味な感じは受けますけどね。

でも、伊藤氏や「安井」氏のような何世代か上のインテリ階級の人達には、
ごく自然な礼儀だったのかも知れません。
0327名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/14(日) 02:58:53.60ID:ICtKeaRt
>昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。
そのような経緯があったとは存じませんでした。勉強になります。
以前一人称として『小生』を使っていましたが由来を知らずに使っていました。
0328鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 11:42:21.72ID:yzHMvjr1
>>327
私も中学生の頃は、
学校の国語教科書より、
TMSの方にもっと難しい高級(?)な言い回しがあるので、
TMSから大人用の国語を学び、お馬鹿さんな教養をヒケラカシてました。

もう忘れちゃったけど下手したら、片思いの彼女へのラブレターに
「小生は・・・・ムニャムニャ・・・・鈴木生より」
などと、書きかねない危険な状況でした。
0330名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/15(月) 01:47:15.84ID:l1uCXOGP
そういえば10代後半の頃敢えて難しい言い回しをしたりする人が周りにも少なからずいたようです。
当時はそれらを言い表す適当な語彙が無かったようですが最近では存在するようです。
ttps://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85
0331鈴木
垢版 |
2021/05/11(火) 17:50:58.14ID:d25jOJDs
昔TMSには電車などの箱型車体を組み立てるのに、
「イモ付け」なる言葉がよくあった。
中学生読者の頃は意味が解らなかった。
これは出来上がった側板と妻板を直角に接合するのに、
「糊しろ」とか「半田しろ」を使わず、板のコバとコバを直接突き合わせて接合する方法です。
簡単正確な方法だが、強度はやや弱い。

しかしそれを、何故「イモ付け」と言うのか?
鉄模と関係ない板金工作の本を見ても「イモ付け」という用語は出て来ない。
或いはブリキ屋さんなんかの、現場用語なのだろうか?

最近鍛造についての説明の中に、鍛接(溶接普及以前の接合技術)の説明があり、
その中に、長さ30cmくらいの2本の鉄の角棒を、つなげて、
長さ60cmくらいの1本の鉄の角棒する方法があり、
その中に、
「芋接 (Butt welding)」
という項目があった。
"機械工作法講話 2 鍛冶・板金工及製缶" p70

この辺が「イモ付け」の語源かも知れない。
しかし
鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。
0333名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/11(火) 22:22:50.18ID:NCwObzZk
>>331
>鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。
電子部品の半田付けでは下手な半田付けを「イモ半田」と呼んでいますが上述の「イモ付け」別の概念かもしれませんね。
www.kogadenshi.co.jp/2015/02/16/イモ半田でしょうか/
0334鈴木
垢版 |
2021/05/12(水) 06:03:23.57ID:rhYnqUXd
>>332、 >>333
私も「イモ半田」という言葉は初めてしりましたが、
その、(半田付け)職人のはんだ付けblog の人は、
「イモ半田」=「下手糞なハンダ付け」の意味で使ってるようですね。

私は鉄模用語の「イモ付け」=「突き合わせ接合」は、
鉄模以外では使われない用語なのか? にちょっと興味がありました。
なお、"特集シリーズ・ミキスト"の中の「TMSコンサイス」の中で、
「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、
と赤井氏が書いてます。
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