50年以上昔の鉄模
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。 過疎スレ覚悟。 投稿意見に対する批判はOKだが、 投稿者者の人格に対する批判は禁止。 >>334 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 >>331 建築関連でも使用される類似の語彙があります。 芋付け よみ:いもつけ 鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。 www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html 芋継ぎ いもつぎ 平面に対して直角に平滑に取り付ける単純な接合法。平継ぎ又は単に「いも」ともいう。芋留、芋矧ぎも同じ。 wp1.fuchu.jp/~kagu/search/regist_ys.cgi?mode=enter&id=54 芋継ぎ(いもつぎ) 2つの部材を平滑に仕上げただけで、ドン付けで接合すること、もしくは接合方法。 芋継ぎは手抜き仕事のようだが、芋継ぎできちんと仕上げるのは、きわめて難しく高度な技術が要求される。 www.kenchikuyogo.com/101-i/010-imo_tsugi.htm >>334 >「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、 >と赤井氏が書いてます。 イモ付けでなければ製作の困難な事例もあるのではないでしょうか? 例えばドックサイト等のサドルタンクの肩の部分は実車はリベット止めのようですが、あれは半田付けの場合、半円状の半田しろは困難ではないでしょうか? satoyama.in/auto/sharyo/auto30.html >>336 >芋付け >鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。 >http://www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html ↑ これは知りませんでした。ありがとうございます。 鉄模以外にも色々使われているのかも知れませんね。 確かに「イモ付けでなければ製作の困難な事例」もあると思います。 念の為赤井氏が書いた文を正確に引用すると、 「1/30華やかなりし昔は、イモヅケなんてトンデも無い技法であって 正に邪道呼ばわりされていたもの。 あまり強度を必要としない個所など0番でも相当使う人がいるようだ。(中略) 16番ではこのイモヅケがすべての部分にわたって使用され」 です。出典は"特集シリーズ12ミキスト"の、TMS1950年7月号ミキストの欄。 この"特集シリーズ12ミキスト"は各ページに、ページ番号が書いてない、という実に困った本です。 調べたところ、 サドルタンクと云わず、 1938年頃の記事、松本正二筆、初心者向け1/30のBタンク(箱型タンク)も、 煙室胴前端と煙室鏡板の接合は、 どうもイモ付け(単純付き合わせ接合)らしいです。 >>338 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 松本正二氏筆、"1/30規格四輪タンク機関車の作り方" は大阪の"科学と模型"誌、1938年6月号辺り、p102 に出てます。 下記はそのp107のボイラー図です https://i.imgur.com/G5uXrZZ.jpg 上段の円内の図は、煙室胴と煙室鏡板のイモ付け、と私は判断します。 但し下段の缶側面図の右側・火室寄りは、イモ付けでない可能性もありこれは判断しかねます。 記事の文としては、「この図の通り作れ」 というだけの素っ気ないもので、 一般的に昔の雑誌記事は、不親切なのが普通です。 >>340 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 >>340 貴重な資料をお持ちですね。紹介していただき、ありがとうございます。 黎明期の国内の鉄道模型の歴史を紐解く上で重要だと思います。 掲載されているのはライブスチームでしょうか?円内のネジは水面計の代用で斎藤製作所の現行製品でも水面計の代わりに上限にネジがあり給水時に外しておいてその穴から水が流れ出るまで給水するようです。 それにしてもかなりの工作力を要求されそうですね。 そういえばアスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付けされていました。一応圧力試験では問題ないようです。 >>341 >940年前位から鉄道模型があるらしいです。 奈良、平安時代には既にろくろ、ロストワックス、青銅器という蒸気機関の製造に必要な要素技術が揃っていました。 また蒸気タービンの原型であるアイオロスの球は紀元前に存在していたそうです。 史実より1000年早く東洋発の産業革命が起きていたかもしれませんね。 ちなみに奈良時代には乾漆像という漆と麻布を組み合わせた繊維強化プラスチック(FRP)の原型も既にありました。 >>342 名無しさん >ライブスチームでしょうか? ↑ ライブスチームではなくて、電動式です。 戦後のTMSに、 「戦前は蒸気機関車はライブスチームで作るのが普通だったのだが、 松本氏は電動式蒸気機関車を広めた」 と解説されていた記憶があります。 松本氏は戦前"科学と模型"のコンクールで上位を取った後、 同誌の編集室で仕事をしました。戦後は京都の模型屋さんになりました。 >アスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付け ↑ そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、 重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。 >>343 提示された図が部分的だったので電動式だとは思いませんでした。 以前、TMS(No.331 1976年 1月号?)に電動とライブの両方を兼ね備えたパシフィック機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた件や 現存する店舗のショーウィンドウに飾られている機関車にはライブスチームも含まれているのでてっきりライブ仕様だと思っていました。 works-k.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/06/19/img_6825a.jpg works-k.cocolog-nifty.com/page1/2010/06/post-f889.html >そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、 >重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。 全ての機種が同様の構造かどうかは不明ですが、 ある程度厚みのある(2mmくらい?)の銅板を鏡板に使用しているボイラーの鏡板にはフランジ状の『しろ』がないようです。 >>344 >機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた ↑ TMS(No.331 1976年 1月号p49 に、 「進駐軍マニアの目にとまり、脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」 と書いてあります。 進駐軍マニアはピストルつきつけたわけではないし、 彼らは当時の日本人より10倍くらい金持ちだったから、 結構いい値段だったのではないでしょうか? その値段、例えば500円とか判ればいいのですが。 ただ 買い取られてしまった日本のマニアとしては、 こっちは「売りたくない」と言ってるのに、 脅迫されるがごとく買われてしまった事が、とても悔しいのでしょうね。 もしそういうエゲツない、米国将兵の所業が普通にあったとしたら、 日本の刀剣屋や、陶器磁器屋とか、諸々の文化財や「お宝」を売る店は、 似たような被害を受けたかも知れませんね。 検閲があったので記録には残っていないだけで実際にはあったのでしょう。 ironna.jp/theme/332 ironna.jp/article/1926 ironna.jp/article/1819 www.afpbb.com/articles/-/2946474 本土復帰以降の沖縄でさえこの有様、終戦直後は推して知るべし。 1972年に沖縄が日本復帰して以降、在沖米軍基地から派生する米軍人、軍属とその家族による刑法犯摘発件数は累計で6052件(沖縄県警まとめ、今年9月末現在)。 そのうち殺人や強盗、強姦(ごうかん)、放火など凶悪犯罪は581件となっている。 www.okinawatimes.co.jp/articles/-/650949 裁判権放棄の「密約」今も www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-08-18/2018081801_05_1.html 「脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」 というTMSの文は、中尾豊氏の筆かと思いますが、 具体的にどういう脅迫があったのか?はっきりしませんね。 「もしそれを拒否したら、お前はこういう不利益になるぞ」 という文言が。 米国将兵が支払った値段がハッキリしてれば、いいのですが既に無理。 名古屋の井上豊氏は似たような状況になり、 「同じ模型をもう一台作りますから」 と言って相手の了承を取ったようです。 ウォーカー氏は中部地方の産業界を統括するかなりの権力を持っていたようでしかもこちら側から(一種の賄賂として)贈呈を提案したようですね。 dda40x.blog.jp/archives/52043997.html dda40x.blog.jp/archives/52044057.html dda40x.blog.jp/archives/52044060.html dda40x.blog.jp/archives/52044234.html dda40x.blog.jp/archives/52044253.html ブラスモデルの歴史 14分頃にはあの方が出演 www.youtube.com/watch?v=Qnw7BNk46-0 PFMのDon Drewのインタビュー 25分頃からサウンドシステムに関して言及 MME S01 E09 - Making Brass Model Trains www.youtube.com/watch?v=e9dQVqqZVmg 機芸出版社の本 g-gauge.world.coocan.jp/MAGAZINE/KIGEI.html 少年技師ハンドブックの田口氏と山北氏 mmlnp.exblog.jp/22474332/ The Art Of Brass 真鍮の芸術について ... ... 人類は歴史上、交通手段を小型化し、若者を喜ばせる玩具としてきました。しかし、鉄道の時代が到来して間もなく登場した鉄道模型のように、広く人気を博したものはなかった。この「機関車」は、「移動する機械」という意味の新語で、古めかしいおもちゃは一掃され、その模型が人気を博した。引っ張る必要のない移動手段が発明されたことは、交通手段の飛躍的な進歩であった。そして、目に見えない力で動く小さな汽車に子供たちが驚けば、それを作った人間もまた、同じように魅了されたのである。こうして、子供も大人も楽しめる新しい趣味、鉄道模型の世界が生まれたのである。 この新しい趣味は、最初の製造業者の先駆的な努力によって発展してきた。アメリカでは、ライオネル社やアメリカン・フライヤー社の鉄道模型は、愛好家なら誰でも知っている。やがて、他の模型メーカーの列車も登場し、第二次世界大戦の雲行きが怪しくなってきた頃、HOという新しい縮尺の模型が発表された。 これは、1フィート=3.5ミリという正確な縮尺で、従来の電車の87分の1の大きさであり、標準軌の4フィート8インチからわずか16.5ミリに縮小され、まさにリリパットの国への驚くべき縮尺であった。そして、第二次世界大戦が終わると、HOスケールの鉄道模型が主流となり、世界中の愛好家の心を捉えたのである。 さらに戦後は、日本が鉄道模型の市場として、また後には輸出国として台頭してきたのです。戦前から熱心な鉄道模型の愛好家がいたが、その数はさらに増えた。戦前から熱心な鉄道模型愛好家がいたが、今やその数は増え、アジア最大の模型愛好家の集団となった。マルコ・ポーロがアジアの驚異を目の当たりにして驚いたように、鉄道模型を作る人もいて、占領軍もそれを買い求めるようになった。 日本人が鉄道模型を自作したことは、驚くことではなかった。日本人は、西洋式の玩具や装飾品を作って輸出していたので、小型化には長けていたのである。また、外国人の愛好家に対する売れ行きを見て、鉄道模型を輸出すれば儲かると判断したメーカーもあり、新しい市場が生まれそうな気配があった。 しかし、50年代前半、海外からの注文が入り始めたころには、それがどのようなものであったかは分からない。しかし、需要は飛躍的に伸びた。現在では、アメリカ、オーストラリア、西欧諸国をはじめ、世界各国の趣味家に何十万台もの真鍮製鉄道車両が愛用されていることを、輸出業者は誇らしく思っている。 本書で紹介する熊田商会も、そのような企業である。その品質と豊富な品揃えは、世界中のホビーファンから高く評価されている。K.M.T.ラベルは、0スケールの2フィートもある大型電気機関車からHOスケールの2インチにも満たないレイルスピーダーまで、様々なモデルに貼られているのだ。その数は1000を超え、さらに増え続けている。直営2工場と指定下請け工場で、平均して2週間に1個のペースでフル生産している。もう生産されていない鉄道模型はコレクターズアイテムとして、手に入れるたびに高値がつく。 本書では、これらの希少な作品に加え、K.M.T.レーベルの真鍮製鉄道模型の数々を紹介します。各写真は明確に識別され、関連する製造データが添えられています。本書の制作にあたっては、KUMATA & COMPANY LIMITEDに多大なご協力をいただきました。本書が鉄道模型を愛するすべての人々に歓迎されることを強く願っています。模型店、趣味人、コレクターなど、この精密で小さな世界と密接に関わっている方々の生活を、どこまでも豊かにしてくれるに違いないのです。しかし、出版社として、ひとつだけ懸念があります。この本に掲載されている輝かしい鉄道模型の数々は、ある読者にとっては、自分の趣味である鉄道模型の収集に、より一層拍車をかけることになるかもしれません。しかし、それが喜びとなるのであれば、私たちは有罪を認めます。 著者について ... . 熊田精一氏(株式会社熊田製作所代表取締役)は、競争の激しい鉄道模型製造の世界で成功を収めている実業家です。成功には、知性と判断力の融合が必要だが、ビジネスが先祖代々から続く家系であることも、決して悪いことではない。 熊田氏の場合、この3つの要素が十二分に満たされている。彼は、60年以上にわたって繊維を扱ってきた有能な東京商人の家系である。そして、その家系は、現在でも株式会社クマタアンドカンパニーの一部門として、テキスタイルを扱っているのである。 鉄道模型への興味は、鉄道模型に夢中になった少年時代までさかのぼることができる。東京商科大学を卒業後、最初に就職したのは大手輸出企業の玩具部門であった。 そこから鉄道模型の製造会社の経営者になるまでの道のりは、まさに論理の連続であった。輸出貿易を知り、独立し、1950年にニューワン製作所の鉄道模型の輸出を開始した。やがて、他のメーカーの製品も扱うようになり、販売する製品の品質を保証するために、最終的には製造の分野にまで踏み込んでいったのである。 鉄道ファンにとって、クマタ・アンド・カンパニー・リミテッドの名前とK.M.T.レーベルは、いまさら説明するまでもないだろう。本書は、その名を知らぬ人はいないであろう。この本には、一人の男の手によって生み出されたユニークな鉄道模型が紹介されている。 本書は、熊田氏のビジネスにおける才能を視覚的に証明するだけでなく、もうひとつの驚きに満ちている。本書は、鉄道模型の世界での彼の人生を綴った回想録という形をとっている。 それは、成功するために意志を持って働くビジネスマンのまっすぐな物語です。しかし、その中に著者の楽観性とユーモアのセンスが感じられる。短い文章ではあるが、読んでいて楽しい。熊田氏の文学的才能が、事業の重圧に阻まれ、これまで開花しなかったのは残念である。一日も早く、再び筆を取ることを期待したい。 100年くらい前、Storchenbein(コウノトリの脚)と呼ばれる自由形のジャンルがあった。 www.youtube.com/watch?v=726_anEIVIQ www.youtube.com/watch?v=yHnu0eEj7iM 日本最古の鉄道模型ってどれかな? 幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航したときに船上で実演した蒸気機関車模型か、 ペリーが幕府に献上した蒸気機関車模型か、佐賀藩の精錬方で製作された蒸気機関車の雛形だろうか。 9.5mm 河北氏 昭和9年発表 BB型電気機関車 後にTMS32号、昭和63年4月号に掲載 8ミリゲージの流線型ディーゼル列車“サンビーム号 昭和16年 伊藤氏作 TMS20号に掲載 郵便切手大の機関車 軌間10ミリで縮尺は1/150 水上氏作「ラジオと模型」(少年文化社)昭和24年2月号に掲載 C59形 池末弘氏 TMS205号(昭和40年7月号)掲載 C58形 TMS386号(昭和55年4月号)に掲載 平石氏は,TMS226号(1967年4月号)で6250,8550,4030,247号(1969年1月号)では2800,8800,281号(1971年11月号)では2120といった古典機を発表され,295号(1973年1月号)でC57 長谷部氏の8620(345号(1977年3月号)),小川氏の古典機と客貨車(369号(1979年1月号)) 電気機関車の古典機としては,宮崎氏がED17をTMS349号(1977年7月号)で発表 plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/?PageId=1&ctgy=9 1955年マルサン商店 C62蒸気機関車 ブログ11周年 〜 鉄道ブリキコレクションから ameblo.jp/porsche356a911s/entry-12769378483.html うちにメーカー不明の3線式35㎜ゲージのEB58+有蓋車+無蓋車が残ってるわ 親父の遺品で、親父が子供の頃買ってもらったものらしく走らせてる写真もあった EB58の塗色は青大将色で、茶色より見栄えが良かったからと言ってた 線路もあるけど錆び錆びで、モータ?は回らなかった RM MODELS1999-4月〜7月にかけて「EB58物語」という連載記事があり、EB58は各社の定番商品だった事が伺える。 車体下部にKTMという表記があればカツミ製、他に宮沢等数社が生産していた。 戦後の日本における三線式Oゲージの時代は20年程度だった。 plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201901130000/ ameblo.jp/koho-fujikawamayu/entry-12010221366.html www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/hagurumaya/omake02/eb58old.html 『子供の科学』目次の通時的分析から見る鉄道模型の周縁 ――テキストマイニングの社会学的利用5― 本報告は鉄道趣味の研究の一環であり、鉄道模型に注目して趣味を支える背景構造を考察する ものである。鉄道模型に関する社会学的研究として、辻(2008)の先行研究が挙げられる。辻は 模型と科学について論じる中、敗戦という外在的要因によって戦闘機や軍艦が雑誌から姿を消し、 とりわけ特定のコーホートに属する趣味人において、結果として鉄道が主役に位置付けられたと 指摘する。本報告では、代表的な少年向け科学雑誌『子供の科学』の目次の通時的分析を行い、 この点を実証的に検討するとともに、当該雑誌における鉄道模型の周縁の状況を、模型と実物の 違いに留意しつつ確認する。 jss-sociology.org/research/89/pdf/365.pdf カタログ等 hoseeker.net/lit.html hoseeker.net/pacificfastmailinformation.html hoseeker.net/fulgurex.htm 修理 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/ 雑誌バックナンバー trainlife.com/pages/model-builder-magazine-archive TMSバックナンバー www.morii.jp/railmodel/magazine/TMS/index.html 古い製品 ho-scaletrains.com/category/locomotives/page/2/ 鈴木老いぼれg3(後期高齢者)は 実は鉄道模型持ってないエアゲージャーなので 信用しないようにしましょう。 鉄道模型趣味 1950年9月号(No.24)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(1) tplibrary.seesaa.net/article/456806105.html 鉄道模型趣味 1950年10月号(No.25)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(2) 鉄道模型趣味 1951年1月号(No.28)2B1アトランチック 国鉄型状の詳細製作法(3), PFL生, 「電車と機関車の工作」に再録 鉄道模型趣味 1957年1月号 (No.103)アトランチックを作る 鉄道模型趣味 1957年11月号(No.113)蒸機作品発表 私のアトランについて 鉄道模型趣味 1966年1月号(No.211)ライブアトランティックを語る 鉄道模型趣味 1978年9月(No.364)アトランVSミカド・6600と9700を作って(1) 鉄道模型趣味 1978年10月(No.365)アトランVSミカド・6600と9700を作って(2) 亜鉛ダイキャストの経年劣化 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/what-is-zinc-pest/ 戦前のライオネルの凸型電関の修理 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/lionel-prewar-locomotive-parts-give-this-electric-new-life/ 蒸機好きが 高齢者に媚び諂って、詐取するのって この辺りの古い模型ですょねぇ? 結構お気楽に遊べるね、1970年代の製品は。 アダチのナメクジ、よく走るね。牽引力も十分。 ディテールがあっさりしているのも私好み。 良く 知ってるねぇ、骨董模型をさぁ 詐取した遺品? >>373 私も持っております。小学生時分にお年玉で買いました(笑) 高校生時分、中村の客車キットにハマって()バイトの稼ぎで ボチボチ買い集めているうちに長編成を組めるようになって C58やナメクジに10両編成牽かせたりして愉しんだものです。 >>373 カツミダイヤモンドシリーズの後期販売品、C59、C62、C60、テンダーが重くウエイトが軽いのは困りものだが、廉価版安達製品との兄弟機。 ダイヤモンドシリーズと廉価版安達製品は炭水車がダイキャスト製で厚みがあり、重かったね。 四半世紀以上後に他社から発売されたダイキャスト製の炭水車は注型圧力が高圧化されたらしく薄肉化されていた。 ダイヤモンドシリーズのC62はC59の炭水車を流用していたり前照灯がパイプだったりプラやダイキャスト製の部品を多用していた。 1970年代はダイキャスト製の文鎮DD51やDD54、ホワイトメタル製のEH10、プラ製EF58等、量産方法が模索されていた時期だったようだけど、 窓枠や縁の厚みやディティール表現がイマイチで当時は本格的な普及には至らなかった。 今日は全員いたよ アイスショーに女の戦い方が分かっている 要するに >>261 あーらら お巡りさーん ダサすぎ推しだったらアンチのクズ アスリートが選ばれてるとジェイクの株... IDなしだから なんとなくなるみたいなマグカップだったのにこの運転手がどんな状態だったらアンチになり 日本人の50代60代の前半に霊感商法のターゲットが若者の方が 美少女の幻覚をかけ合う系になってそう まぁいつもそうやろみたいな話を繰り返すだけ そんなんだから心配すんな 小洒落たアパート借りれるからな 過去の人全て馬鹿者は無理 人気はあったよね なんか変 ネイサンてクワドないと一生意識変わらなさそうだからそういう気質は一般人の犯行だった read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる