X



50年以上昔の鉄模
0001鈴木
垢版 |
2018/07/22(日) 16:27:42.17ID:49Aa7EDn
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。
過疎スレ覚悟。
投稿意見に対する批判はOKだが、
投稿者者の人格に対する批判は禁止。
0002名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/07/22(日) 22:49:21.18ID:9HZX8pGz
>>1
オイコラ鈴木
誰得なスレ立てんなヴォケ
0003名無しの素人♪♪♪♪♪♪♪
垢版 |
2018/07/24(火) 00:40:37.51ID:ZGT6PGYU
>>1

詰まり
ハンダ付けの、上手い輩専用のスレッドって事ですね?
(笑)
0004名無しの素人♪♪♪♪♪♪♪
垢版 |
2018/07/24(火) 00:45:12.79ID:ZGT6PGYU
まあ
6mmも有る、1/80の蒸機の庇のハンダ付け程度で苦戦する輩は。
参加出来ないスレッドって事でしょうなあ。

(笑)
0005名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/07/26(木) 07:23:25.59ID:P3uq4+hH
ハンダ付けの上手い輩は板の隙間が開いたりしません
(笑)
0006鈴木
垢版 |
2018/07/26(木) 08:26:21.44ID:541QcgE3
TMSNo74、1974年10月号p402。(後年"スパイクから運転まで"に再録)
"工具はこれだけ欲しい" 山崎喜陽筆
初心者向けに必要工具が17個挙げられてる。
(中には注射針みたいに、こんなもの別に要らないだろうと思うような物も一部含まれてる)

ハンダゴテに関して、山崎氏は広く普及してる電気配線用の先が丸い物でなく、
先が三角形な物を推奨してる。
とても重要なアドバイスだ。

この先が三角形な物を見つけるのに、町の電気屋に売ってなくて苦労した記憶がある。
コテは70Wとして書いてある。
現在大抵の人は80W-100Wじゃないだろうか。
私は60Wだが、車体の真鍮板程度なら普通に平気だ。
0008名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/07/27(金) 10:49:30.12ID:mD0VlrjA
三線式OゲージのカツミEB50持ってる
天賞堂エバグリでジャンク購入、はぐるまやで修理
0009鈴木
垢版 |
2018/07/27(金) 15:37:12.40ID:KHkD9v//
>>8
連動はプーリーとスプリンク゜ベルトですか?
新たな入手がむずかしそうですね
0010名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/07/27(金) 18:25:41.23ID:D3LNEtMZ
>>9
鈴木君はここで自分語りしてくれ
他のスレに来られると住人が迷惑するからね。

お魚さんに賛同してくれるAHOやキチガイとゆっくり語ってくれたまえ。
0012鈴木
垢版 |
2018/07/28(土) 13:31:27.02ID:wvWccmYF
1961年頃魚籃坂カツミは既に16番に進出していたが、
店内の一角にだけOゲージ真鍮未塗装の米国向け輸出蒸気機関車模型が10台程度飾ってあった。

ガキのTMS知識で、
「Oゲージは古い衰退する模型、16番は新しい優れた模型」
と思ってたのに、このOゲージ模型群は逆に怪しい魅力を放って
私の心に迫ってきた。

真鍮の色はピカピカでなく、かなり薄汚れていたが、むしろその方が迫力があった。
値段票はなかったが、多分強烈な価格だったのだろう。
このような事もあり、シェイ型機関車の存在は、カツミのOゲージ模型展示を通して、割と早く知った。
0014鈴木
垢版 |
2018/07/29(日) 21:04:15.81ID:JlMleojg
カツミのwikiによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%83%9F
「元はゴム動力飛行機を扱うカツミ模型店として東京都港区高輪で出発し」
とある。
高輪とは言わないが、「カツミは戦前模型飛行機屋だった」とTMSの何処かにも書いてあった気がする。

戦争中盛んだった模型は飛行機であり、これは軍国主義科学教育という追い風があったから。
打って変わって敗戦後、模型飛行機教育は激しく低迷したらしい。
これが、カツミが飛行機模型から鉄道模型に転換した原因なのかどうかは解らない。
因みに下↓の如くカツミの公式ページには模型飛行機の過去については触れていない。
http://www.ktm-models.co.jp/cp2.html

祖父江欣平のwikiによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6%E6%B1%9F%E6%AC%A3%E5%B9%B3
「1945年よりカツミの行田市の工場に勤務」
とある。
1945年当時の行田市は純農村に近く工場には不向きだったはずなのに、
経営者の縁故があったのか、疎開のためなのか、不思議です。
0015名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/08(土) 11:17:41.58ID:WDs3tvuj
1940年代には学徒動員で工場での勤務を経験した若い人達が大勢いたので工場の進出での
人材確保は十分可能だったのではないでしょうか?
農閑期であれば人手も集めやすかったでしょう。
0016鈴木
垢版 |
2018/09/08(土) 21:53:29.99ID:kLNmUrok
>>15名無しさん@
>1940年代には学徒動員で工場での勤務を経験した若い人達
      ↑
カツミが飛行機模型をやめて鉄道模型に切り替えたのは敗戦直後だから、
この話は、1940年代全体でなく、1945年-1949年の話と存じます。
高崎線の行田-大宮電化は1950年代ですから、行田-品川間はかなりの時間を要しただろうと思います。

>農閑期であれば人手も集めやすかったでしょう。
      ↑
そういう事はあったでしょうね。

ところで、カツミの鉄道模型に貢献した、酒井喜房氏は戦時中から戦後にかけて、
浦和に住んでました。つまり祖父江氏も酒井氏も埼玉県南部、という事になります。
0017鈴木
垢版 |
2018/09/12(水) 00:57:25.95ID:71TlRORp
酒井喜房氏は、
1935年にカワイモデル入社。
カワイモデルの販促雑誌"模型鉄道"を編集。
個人的には、模型鉄道研究会を主宰していたらしいのだが、
この「模型鉄道研究会」そのものが、カワイ内にあった可能性もある。

雑誌"模型鉄道"は、
@それまでの少年向け工作教育雑誌と一線を画し、大人向けの記事が多かった。
A当時のカワイの主力模型は1/30(35mmゲージ)だったのに、
 湯山氏Oゲージや、山崎氏の16番にページを割いた。
酒井氏は"模型鉄道"の21号まで編集し、その後28号(終刊号)まで別人が編集したが、
この別人は酒井氏とはかなり違う編集方針だったらしい。

私は"模型鉄道"は全く未見です。
"模型鉄道"に関しては下記にも説明されてます。
http://www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/

戦後は"模型少年"の編集部にいたりしたが、
1947年、"鉄道模型趣味"創刊号の編集長をする。
"鉄道模型趣味"2号以後は山崎氏が編集長になったが、ケンカ別れでなかったのは、
2号以後も記事をOゲージ記事を寄稿したり、機芸社の浦和事務所のような事をやっていた事で解る。
TMSへの大きな寄稿は国鉄型Oゲージ蒸気機関車の基礎的な寸法取りに関するものがある。

戦後の勤務先模型店はカツミだった。
以上の書き込みはTMS,No.55,p87に大きく依拠してます。

実物話だが、戦後浦和から都内に通勤する時、よく宇佐美式弁装置のD50型を見かけた、
と何かの実物雑誌に氏が書いていた。
宇佐美式は原理的にはワルシャートと同類だが、
外観はかなり違うはず(返りクランクが無い)。私は写真も図面も見たことがない。
0018名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/15(土) 11:58:02.45ID:0TanoIw6
>私は写真も図面も見たことがない。

ttp://railsphpto.travel.coocan.jp/c57hold/C5770.html
ttps://twitter.com/hornby32mm/status/894080203516817408
C5770とD50190に試験的に採用されていたそうです。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0019鈴木
垢版 |
2018/09/15(土) 15:03:03.12ID:EfEn1e7d
>>18名無しさん@線路いっぱい
ありがとう御座います。
これはまた絶妙な写真が在ったんですね。
      ↓
https://pbs.twimg.com/media/DGiRfH3VwAAYXDP.jpg:large

私が宇佐美式を知ったのは
"特殊構造をもつ機関車とライブスチーム"三ツ矢明著、p81の動作略図でした。
0020名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/18(火) 12:38:33.04ID:xj6f+q4r
宇佐美式はベーカー式と同様にリンクのみで構成されていて摺動部がなかったのですね。
0021鈴木
垢版 |
2018/09/24(月) 09:26:33.41ID:40rltbd7
戦中、敗戦直後の日本の鉄模について書いたものが含まれるものに、
"犬走志ん"(いぬばしりしん)なる雑誌がある。 おそらく1号から5号まで出ている。
発行人は石坂善久氏。神田のはぐるまや模型店の人。

以下はデータと主な記事です。
1号、1994年2月発行
 未見です

2号、1995年2月発行
 ヘンリー・グリーンリーの著書解説
 本間清人氏のページコピー
 昔の鉄道雑誌、鉄模雑誌解説

3号、1996年3月発行
 湯山一郎氏インタビュー
 "科学と模型"掲載の16番規格コピー

4号、1998年7月発行
 岩瀬清昭(薮田昆)氏インタビュー「まくらぎ会の頃」
 終戦直後の模型雑誌

5号、2000年11月発行
 雑誌"科学と模型"解説
 伊藤剛氏の50年前のOゲージ客車製作記事

"犬走志ん"はおそらく5号で終了してると思いますが、はて?
この雑誌は、このスレとは余り関係のない、
現代高校生や大学生の鉄道アングラ本や鉄道漫画本などにもかなりの比重を与えています。
0022名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/24(月) 14:01:49.50ID:Hx8ZRldo
そういえば『とれいん』の100号前後にも鉄道模型の歴史の短期連載やTMSの500号前後にも鉄道模型小史という短期連載で戦前の鉄道模型事情について書かれれていました。
TMSには伊藤氏の平田町界隈という短期連載もありました。
0023鈴木
垢版 |
2018/09/24(月) 20:05:25.02ID:hvLkYLaK
>>22名無しさん
伊藤剛氏はメルクリンファンとの論争で、
「私は欲しい形式の模型車両が、仮に模型店で売られていても、
買わずに自作する」
と書いていたような気がして
「凄い人だなぁ」と思った。
この辺が、山崎氏と、ひいては大多数の人との別れ道かと思います。

伊藤剛氏の意見は確か鉄道ファン、1962年9月号掲載だと思ったのだが、
今書棚に見つからないので、伊藤氏の該当文が確認できず、断言は控えます。
0024名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/25(火) 07:13:52.07ID:Kn9hGV4V
伊藤氏には10年くらい前にグランシップの鉄道模型のイベントでお会いしたことがあります。
ロンビックイコライザを内蔵したED17や列車が通過すると手を休める保線員等を展示されていました。
0025名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/09/26(水) 06:35:40.72ID:zkbIn7Wl
伊藤剛氏は、自作の権化のような人で、キット利用はほとんどしなかった人です。
今のTMSのように「キット組み立て」や「キット精密化」なのに
「キット自作」などと称するのとは大違い。

ただ、氏の執筆記事の図はすべて、
フリーハンドで描かれたもので、これが見ずらかった。
氏としては、自作というものは、物差しに縛られる事なく、脳味噌を自在に活性化し、
ノートに概念図を描き、後は真鍮板を切って曲げていく事なんだ、
と言いたかったのだろうが、
読み手の側としては、その構造自体斬新なアイデアに満ちた絵図を
解読するのに結構疲れる。

ところで、歴史的な事を書く場合、
故人には「氏」などの敬称を付けないのが,一応のスジなんだが、
(伊藤博文氏→伊藤博文、三島由紀夫氏→三島由紀夫)
私の場合多少混乱してます。
0026鈴木
垢版 |
2018/09/29(土) 21:59:18.16ID:ut/S/tVi
>>25名無しさん@は鈴木でした。
今頃気が付きました
0027名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/08(月) 12:11:52.84ID:leHgZWdj
読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。

真鍮細工鉄道
ttps://blogs.yahoo.co.jp/vgn_triplex/14433204.html
0028鈴木
垢版 |
2018/10/08(月) 17:55:55.80ID:NRZVy8Ag
>>27名無しさん
>読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。
     ↑
どうもです。
唯の自称「研究機関/高等教育機関につとめる研究者」、
中身はイカレポンチな模型コレクター扱いしてれば、問題無いと思います。

https://blogs.yahoo.co.jp/vgn_triplex/14433204.html
★「HO/16番スケールの蒸気機関車の模型が中心となります」
と書いてるが、このお方は、
【米国型HO】模型と、
【米国型16番】模型と、
の違いが判ってるのか? 怪しいですね。

★「(ひょっとして実機の詳細についてご存じないのかも知れませんね)。」
このお方は、実機の詳細について、一体何をご存じなのか? 説明してませんね。

★「私の本業は、研究機関/高等教育機関につとめる研究者で、物書きのはしくれでもあります。発言にはそれなりに責任が伴いますし、本業の研究がございますので、市井の評論家様や自称マニア様と議論する暇はございません。」
「研究機関/高等教育機関につとめる研究者」として、「市井の評論家様」と議論したくなければ、
何の理由でネットに、米国型蒸気機関車の意見など書くのか不可解ですね。
0029鈴木
垢版 |
2018/10/08(月) 18:18:10.89ID:NRZVy8Ag
>>27名無しさん
>読みたいけどブログ主の承認が無ければ読めない。
     ↑
研究機関/高等教育機関につとめる研究者である、そのブログ主さんは、

蒸機エンジン進歩に貢献したワットは、頭は良かったが学歴は低いから、
 大学出入りの実験器具業者に採用された。
蒸気機関車発明に貢献したジョージ・スチブンソンは、頭は良かったが学歴は低いから、
 キリングワース炭鉱の修理職に採用された。
ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
 大工の職人から人生を始めた(後アルコ上級技師)。
ボールドウインのボークレンは、頭は良かったが学歴は低いから、
 ボールドウインの下級工員から人生を始めた(後ボールドウイン社長)。
国鉄機関車に大きな影響を与えた、シュミットもガルベも、頭は良かったが学歴は低いから、
 錠前屋養成学校から人生を始めた。

という事が解ってない研究機関/高等教育機関につとめる研究者なんじゃないかな?
0031鈴木
垢版 |
2018/10/09(火) 05:27:48.61ID:bjh9yyDu
>>29鈴木 
ロジャースに関して訂正します
×ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
×  大工の職人から人生を始めた(後アルコ上級技師)。
〇ロジャース機関車製造社社長のロジャースは、頭は良かったが学歴は低いから、
〇  大工の職人から人生を始めた(ロジャースは米国ではいち早くスチブンソン弁を採用)。

>30
エリート意識を心の奥底に持つのは、まぁケッコウな事だが
それが他人に見透かされたら、マズイっすね。
0032名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/11(木) 22:29:14.83ID:QfSqCPdK
職工からたたき上げで技術者になった方は歴史的に名を残す仕事をしているようですね。
ドイツのマイスター制度も実践を重んじるようですね。
0033鈴木
垢版 |
2018/10/14(日) 00:20:03.78ID:3cF5eLMO
学歴話とは違うが、
英国に居たLBSC氏(本名はリリーだったかカーリーだったかみたいな名前)は
子供の時から物作りの才能があった。
貧しかったので、年少でLBSC鉄道に就職、理数が得意だったのでしょう、
早目に機関士に出世した後、
ライブスチーム作りを始めた。

物凄い多作で、おそらく多作ぶりでは世界一。
数多くの記事を休みなくModel Engineer誌に書いたが、
疎まれる反面もあったらしい。

ライブ趣味は貴族趣味の傾向があり、下層階級とは親しく出来ない。
LBSC氏はその作品の一部を売って生活してるから趣味者ではない。
等の理由があったんだと思う。
0034鈴木
垢版 |
2018/10/15(月) 23:52:17.13ID:4YcxkMB9
LBSCは1922年から"Model Engiheer"に登場した、と言われる。
以下は同誌マーチンエバンスによる、1982年7月の説明。

当時はライブスチーム模型の燃料はアルコールが多かったが、
LBSCはこれに対して石炭や木炭の優位性を主張し論争となった。
当時の大メーカーBassett-Lowke社はアルコール優位性を主張し、
1924年両者の2.5インチ(63mm)ゲージ機を使った実地対決になった。

課題は15分間でエンドレスを何周回れるか? で、
Bassett-Lowkeは23周、LBSCは22.5周で、Bassett-Lowke社の勝となった。
しかし両機の重量に大きな差があったとか、アルコール機は燃費が悪かったという点で、
LBSCは抗議した。

まあ大メーカーが1台作るのと、個人が1台作るのでは、不平等という事もあるが。
0035鈴木
垢版 |
2018/10/17(水) 08:00:15.97ID:OcbbaRUz
"Model Engineer"は1898年(約120年前)、
Percival Marshall氏が創刊した英国の雑誌で、
これは世界最初の模型雑誌だ、と言う人が多い。
創刊時の雑誌名は、
"The Model Engineer and Electrician"だったが、
「and Electrician」の部分は創刊後間もなく削除された。
Percival Marshallは創刊の同年に創設された、
society of model and experimental engineers
にも関係していた可能性もあると思う。
こちらの協会は趣味者向けというよりプロ向けらしい。

私は1990年以前30年間の内のごく僅かなものを、あやふやなな英語力で読んだだけだが、
ライブスチームや、船、自動車、など色々あり、
蒸機エンジンは勿論、ベントレーRotaryエンジンの1/4製作記なんて、ブッたまげものまである。
実物の産業技術史や、工具や工作機械の作り方もある。
技術上の激しい論争が載るのも、米国の雑誌に見られない特徴だが、
英語だし、内容もむずかしくて解らない。
0036鈴木
垢版 |
2018/10/18(木) 22:35:25.62ID:omNf8Lb9
TMS2018年6月、p106、編集者の手帖には
「小誌の活版印刷第1号は1947年の1月であったか」と書いてるが、
"鉄道模型趣味"誌の1号には1947年2月10日発行と書いてあります。
(揚げ足取りに見えるかも知れないが、編集長が間違っては困ります)

なお、多くの人が知ってるだろうと思うが、
"鉄道模型趣味"誌はそれ以前に既に、謄写版印刷で、1号、2号、(3号も?)が出ていた。
これは俗に「TMS旧号」などと呼ばれたが、もうそんな話を出す人もほとんど居ないだろう。
何故、活版になった時に、号数を新たに、1号にリセットしたのかは解らない。
推測としては、「TMS旧号」に関してGHQの雑誌発行許可を取っていなかったので、
活版印刷にした時に、「TMS旧号」は無かった事にしてGHQの許可を取ったのかも知れない。
勿論これは私の推測であって、証拠は全くないです。

活版印刷第1号は、既に書いたと思うが、
編集発行人は山崎氏でなく、酒井喜房氏。

発行所は、東京都本郷区元町1の15、機芸社だが、
この場所は鉄道模型社という模型店だった。
鉄道模型社としては、随分迷惑な話だ。
山崎氏や、酒井氏の自宅に電話が無かったからかも知れないが、
この時代鉄道模型社に電話があったかどうかは不明だ。

消極的というか、あつかましい理由かも知れないが、鉄道模型社は、
山崎氏が行く大学の通学路に近い、という事はあっただろう。
勿論それらとは全然違って、鉄道模型社の鳥飼氏は海の物とも山の物とも言えない、
山崎氏の16番推進に対して意気投合した可能性はあります。

鉄道模型趣味の発行所を、文京区元町1の15、鉄道模型社と名乗った最後は、
創刊7年後の、1954年2月号、No.66。
但しこの時点で既に「御通信は世田谷区祖師谷2-105、機芸社編集部宛て」
などと小さく書いてあります。

それにしても、普通の人なら、
鉄道模型社の住所で、"鉄道模型趣味"を発行すれば、
ほぼ同一の組織と思ってしまいます。
機芸出版は、もう少し鉄道模型社から受けた初期の恩恵を書いてもいいと思うのだが。
0037名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/19(金) 02:49:05.81ID:b5MkdDrt
>>34
貴重な資料を紹介して頂き、ありがとうございます。
>>35
>蒸機エンジンは勿論、ベントレーRotaryエンジンの1/4製作記なんて、ブッたまげものまである。
連載されていた記事が本になっているようですね。
Bentley B.R.2 World War 1 Rotary Engine: Building the One Quarter Scale Working Replica
ISBN 9780949135049
0038鈴木
垢版 |
2018/10/19(金) 05:59:47.47ID:zccIGwh4
>>37
本当だ。ベントレーのエンジン製作記の本が出てましたね。
ありがとうございます。

>34に私が書いた
の石炭焚き模型機関車については、
https://en.wikipedia.org/wiki/Curly_Lawrence#Battle_of_the_boilers
の「Battle of the boilers」の章にも説明されてるようです。
私が書いたのより、このページの方が正確かもしれません。
0039名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/22(月) 23:12:26.13ID:hMUkuxQd
>>38
ありがとうございます。water tube boilarというのはHenry GreenlyのModel Steam Locomotive1954年版のP52によれば
F.Smithiesが1900年に発明したそうで俗にスミシス式ボイラーと呼ばれているそうです。
「Battle of the boilers」の章ではあたかもHenry Greenlyは水管式ボイラーの信奉者であるかのように書かれていますが、Model Steam LocomotiveではP206〜P230にかけて
あぶりがま式やスミシス式(水管式)や煙管式の製作法やそれぞれの得失に関して詳細に記述されており、彼が決して水管式一辺倒ではなかった事が伺えます。
そもそも蒸気発生量は火格子の面積と伝熱面積で決まるので彼がスミシス式(水管式)の短所を知らなかったとは考えにくい気がします。
0040鈴木
垢版 |
2018/10/23(火) 07:22:06.09ID:1n2Jwatg
>>39名無しさん@
そうですか。
私は「GreenlyのModel Steam Locomotive」は全く読んでいないので、
模型に於ける、炙り釜や、水管式や、煙管式の、得失に関する知識がなく、
ためになります。
0041名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/25(木) 23:09:31.70ID:dUzCh1uO
LBSCもGreenlyも亡くなってから50年が経過していますので彼らの著作権の保護期間は終了しているはずです。
かつて『犬走志ん』に『科学と模型』誌や『子供の科学』誌に連載されていた記事の執筆者はLBSCやGreenlyの影響を受けたと書かれていました。
著作権の保護期間が終了したので英語版の青空文庫があればアップロードされていても良さそうな気がします。
0042名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/25(木) 23:22:08.87ID:dUzCh1uO
誠文堂新光社の『ライブスチーム』という本は国内ではライブスチームの原典のように扱われていますが、
内容は数10年前に発刊されたグリーンリーの『Model Steam Locomotives』とほぼ同じです。
最初に『ライブスチーム』を読んだ時点ではすごい本だと思いましたが、2000年代に入ってからアマゾンで手軽に洋書を購入できるようになると、
上述の『Model Steam Locomotives』等が手軽に現地価格に近い価格で買えるようになり、読んでみると国内の『模型とラジオ』等の執筆者は影響を受けているように思います。

またLBSCは蒸機一辺倒だったようですが、グリーンリーは電気式の鉄道模型でも先駆的な役割を果たしたようです。
ttp://www.idsme.co.uk/IDSME/Ashpan/Ashpan059.pdf
0043鈴木
垢版 |
2018/10/26(金) 00:43:40.77ID:CFaW78Xx
>>42
ご指摘のpdf資料の13ページ
"The Model Engineer and Electrician"雑誌は
は現在の
"Model Engineer"雑誌ですね。

グリンリーの最初の就職は、メトロポリタン鉄道の技術部門だったはず。
僅か数年でそこを辞めて、パーシバル・マーシャルの雑誌に加わったのですが、
もともと蒸機機関に限定されない、幅広い工学知識があったんだと思います。
大戦中は模型仕事を離れて、国の依頼で、何かの工学的研究に加わっていた気がするのだが、
今資料が見つからない。

あと、グリンリーは、遊園地鉄道を欧州各地に広める仕事もしてたと思う。
あと、グリンリーは、エスカデール鉄道用1/4ライブスチーム機関車に、Lenz ポペット弁を採用したが、
これは英国実物機関車より早かったはず。
つまり、模型が中心ではあるが、実物との境目が、良い意味ではっきりしない人で、
日本にはあまり居ないタイプと思います。

そう言えば、グレスレー技師は開業直後のロムニーハイス鉄道で、ライブスチーム機関車を堂々と運転してるし、
LBSCはグレートウエスタンのホールクロフト技師の合成弁理論に触発されて、
実物では実現しなかった、4気筒合成弁のライブスチーム機関車を作り、
それをホールクロフト技師が見学しに来た。
なんて話もありました。
0044鈴木
垢版 |
2018/10/26(金) 00:51:56.31ID:CFaW78Xx
>>41
>著作権の保護期間が終了したので英語版の青空文庫があれば

そうなって欲しいのですが、
米国は著作権=作者の死後70年、を主張してるらしいし、英国はどうなんでしょうか?
0045鈴木
垢版 |
2018/10/26(金) 01:47:52.78ID:CFaW78Xx
>>42
>誠文堂新光社の『ライブスチーム』という本は国内ではライブスチームの原典のように扱われていますが、
>内容は数10年前に発刊されたグリーンリーの『Model Steam Locomotives』とほぼ同じです。

え本当ですか? 私或る人から昔頂戴して、持ってるのですが、ほとんど読んでません。
この方面では、平岡氏の本を愛読 (と言っても理解できる範囲しか読んでませんが) してるので。
0046名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/27(土) 01:17:37.87ID:skTalvDd
>>44
米国の著作権の保護期間はミッキーマウスの著作権の保護期間の終了が迫るたびに延長されているようです。
>>45
1960年代から1970年代にかけて『模型とラジオ』に連載されていたライブスチーム関係の記事は英国の先達の影響を受けているようです。
科学教材社から販売されていた『模型とラジオ』の記事のコピーを読んだ当時はTMS等の形体の再現に重点を置いた鉄道模型とは異なる、
実物同様の機能に重点を置いた模型に感銘を受けました。当時(1990年代のネットが普及し始めた頃)はまだライブスチーム関連の洋書の購入はおろか、
存在すら知りませんでした。
『模型とラジオ』に連載されていたライブスチーム関係の記事が英国の先達の記事と似ているのは
ライブスチーム自体が既に技法が完成していて数十年間に渡り、新規性が乏しい分野であることもあるのでしょう。
0047鈴木
垢版 |
2018/10/27(土) 05:29:44.41ID:0sR9QI6K
>>46
>TMS等の形体の再現に重点を置いた鉄道模型とは異なる、 実物同様の機能に重点を置いた模型

私個人もライブは、実物の外観再現より、実物の動作原理再現に進むべきだと思いますが、
全くの野次馬なので。
かつて5インチゲージ模型の為の、ロストワックス製ヘッドライト(かなり大きいはず)販売広告がTMSに出ていて仰天しました。

>ライブスチーム自体が既に技法が完成していて数十年間に渡り、新規性が乏しい

実物蒸気機関車百数十年の歴史で、その間技術者が試みた技術は、
実現機関車と計画倒れ機関車を合計すれば100を越えると思います。
そういったものの中から掘り起こせば、まだ色々模型化課題は出るんじゃないでしょうか。
平岡氏のギヤードロコや、三ツ矢氏のハガンス式機関車など。
米国"ライブスチーム"誌に載った、ボールドウインのフレキシブルビーム台車とか。
但し、日本の実物蒸気機関車にはそういった技術開発は非常に少なかったのですが。
0048鈴木
垢版 |
2018/10/28(日) 23:11:05.59ID:br5/MGTZ
>>23鈴木
>伊藤剛氏はメルクリンファンとの論争で

と九月にかきましたが、引用元が見つかりました。
鉄道ファン、1962年5月、p54に、
  "メルクリンの模型鉄道と私" を篠原正瑛氏が書いて、
  メルクリンを日本の模型と比べて礼賛したのに対して、
鉄道ファン、1962年9月、p32に、
  "5月号「メルクリンと私」を読んで" を伊藤剛氏が書いて
  メルクリンをやや批判的に書いた。

伊藤氏の該当文には、
「たとえ金さえ出せば買えるものであっても、私達は自分で作ったものが欲しいのです」
という箇所があります。
0049名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/10/31(水) 21:28:56.92ID:BWjgd+Wp
模型屋の製品とか、そのコレクションとか、には
金も無いし、ほとんど知識も興味も無いのですが、
下記は日本製高額ブラス模型輸入の代表的会社である、
PFM関係者である、Dan Glasure氏が書いた貴重な証言の日本語訳です。

  https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279143.html
(その1)訳者による解説
  https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279176.html
(その2)本文
以下(その6)まで、本文が続く。

内容は私が知らない、
戦後日本の模型製造会社と米国の輸入会社の関係の歴史が詳しく書かれてます。
知らない会社名、知らない人名が多いので、全体を把握するのは大変ですが、
ざっと読むだけでも面白いです。

私の怪しい推測では、
米国のブラス輸入業者は大抵、日本敗戦直後に鉄模と関係ない、
軍務やそれに付随する仕事で来て、
日本の低賃金によるブラス模型技術を知り、
帰国後に、米国太平洋岸で輸入業を始めたんじゃないかと思うのですが、
これに関しては書いてないので、やはり私の勝手な推測の可能性があります。

なお、本文に登場する、三成善次郎氏は確かミキストでも一度紹介されていて、
山崎喜陽氏は、映画撮影趣味で、三成氏と知り合いだつた、と書いてました。
http://www.naganogakuren.net/scrap/2006/20060527eiga.htm
上は鉄模と関係のない山岳映画上映会のページですが、
三成善次郎氏の1956年の山岳映画が存在するらしいです。
0050鈴木
垢版 |
2018/11/01(木) 15:59:46.75ID:o0gjvmjF
昨晩は、米国輸入業者の本を、
和訳して出した、優れた日本人ブログ主のページを紹介しましたが、
同じブログ主が、"Art of Brass"という本の序文の、
まことに優れた和訳を出してるのが解りました。

"Art of Brass"という本の存在は知ってましたが、私は勿論見た事がありません。
昔日本でも販売されましたが、高価な本でした。
該当序文はブラス製品模型店の熊田晴一氏が書いたもので、英文らしいです。
1ページ目が下で、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318270.html
下記のページまで延々と連続してます。
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318306.html
(私はゆっくり読み直すため、Wordに変換して印刷したら28ページになりました)

昨晩の米国人の証言に比べて、こちらの方が、日本人による執筆なので、
日本国内の輸出業界について詳しいです。
私は元々TMSを中心に読んできたので、
日本の優れた模型製作趣味者の名前は多少は知ってますが、
模型メーカーにも優れた模型製作が居た、という事に感心しました。
日本の業者や、会社で、聞きなれない名称が多いけど、その分ためになります。
暇が在れば、ここに書かれた固有名詞を、
私が知ってる知識と照らし合わせてみたいと思います。

どちらかと言うと、昨晩のより、"Art of Brass"の方が面白いです。

ところで、Art of Brassという英語は日本語ではどう言ったらよいのでしょう。
「Art」は「芸術」と訳される事が多いけど、
技術とか技(わざ)という意味も少しはあるはずです。
私は、真鍮で優れた模型を作る、という行為は、芸術などと言わず、技(わざ)と表現して、
何ら恥じる事はない、と思うのですが。
最近TVに出演する、リフォーム大工さんや、コックさんの一部が、
どうも私の目には、技術よりも芸術を志向している人が多いように見えて、
思わず余計な事を書いてしまいました。
0051名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/01(木) 17:05:25.88ID:gcAEkWzC
(この時代(世代)のいわゆる「プラアレルギー」が、16番ゲージの衰退をもたらしたのも、紛れもない事実)
0052鈴木
垢版 |
2018/11/02(金) 07:18:48.84ID:PC5bRKfB
プラ板なら、電車の窓の切り抜きが楽だ、という長所があるが、
プラ板は、金属に比べて強度が劣る、という短所があります。
16番:ゲージが衰退してるのかどうかは知りませんが。
0053名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/02(金) 08:53:35.62ID:WUPyq9e2
プラ板というよっかプラ成形品に対するアレルギーだろ

現に、プラ成形品で、盛り返してるし
0054鈴木
垢版 |
2018/11/02(金) 10:02:45.11ID:ueQeusSW
プラ成形品の場合は大量製造以外不向きです。
だから何百だか何千種類もある実物形式の内、
何千人にも人気のある、有名実物車以外模型化出来ません。
食べ物で言えば、学校給食はこれに近いです。

勿論個人がプラ成形品を作るのはほとんど無理です。
とても高価な工作機械を必要としますから。
プラ板なら、そういう難点はありません。
0055名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/02(金) 10:23:08.52ID:WUPyq9e2
海外HO製品が、大量生産によるプラ成形品を流通させる時代になっても、
某模型店主の「Nはおもちゃ。プラレールと同じ。」
に象徴されるような、プラ成形品に対するアレルギーがあったのは事実。

ブラス製品にこだわりプラ成形品を拒否した結果、16番モデルは高騰、衰退した。
現在は、Nのプラ成形品メーカーが16番にも参入して盛り返しつつあるが。
0056鈴木
垢版 |
2018/11/02(金) 12:07:49.94ID:1cYZGYMj
>>55
>某模型店主の「Nはおもちゃ。プラレールと同じ。」 に象徴されるような、プラ成形品に対するアレルギーがあったのは事実。

某模型店主とかは、プラ成形品に対するアレルギーがあったのですか?
それは50年以上昔の話ですか?
0057名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/02(金) 12:26:47.08ID:GFiP03Eu
「スーパーなんて、スーっと出てきてもパーっと消える」とかのたまわった、
時代を読めなかった商店街の連中と同じねwww
0058蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/02(金) 12:30:25.51ID:Cn+iu2hJ
>>54
>プラ成形品の場合は大量製造以外不向きです。
>だから何百だか何千種類もある実物形式の内、
>何千人にも人気のある、有名実物車以外模型化出来ません。
>食べ物で言えば、学校給食はこれに近いです。

Nの状況見ればそうとは限らないでしょう
要は人口が多くなれば、マイナー機種でも可能になりますね
0059名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/02(金) 13:11:57.05ID:GFiP03Eu
要は、
プラレールみたいなおもちゃと、ブラス製品との間を埋めるようなプラ成形普及品がなかった
(海外でいえば、メルクリンの廉価版とか、バックマンやアサーンみたいな)
ことが、日本型にとっての不幸。
0060鈴木
垢版 |
2018/11/02(金) 21:31:36.65ID:Zjx3bAG7
>>49で書いた
https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35279176.html
の中にある「メル・ソーンバーグ」氏は、
https://www.amazon.com/Building-Model-Passenger-Train-Thornburgh/dp/B000KBFQNU
この著書があるようです。

TMS,1950年12月、p314には、
"ソンバーグの製作法"という記事で、
山崎喜陽氏が4ページに渡って蒸気機関車製作法のModel Railroderからの、
寄せ集め再録のようなものを書いてる。
山崎氏によれば、ソーン氏は1939年の時点で既に61台のOゲージ機関車を作っていて、
全て精密模型であり、客車やレイアウトや建築物の模型発表もあるそうだ。
旋盤は使わず、「ドリルレース」、図版を見る限りハンドドリルを使っているらしい。

ソーン氏の職業はB&O鉄道社員、と山崎氏は書いてる。
一方、一番最初に挙げたHPでは、「彼らは米国のコレクター向きにロコをカスタムビルド」をしていて、
非常に高価な模型だった、と書いてます。

話を変えて、MR誌も1950年頃までは、
こういう機関車の自作記事が、普通に載っていたんじゃないだろうか? と推測してます。
しかし、戦後の米国模型雑誌は、ダイカスト鋳造やプラ射出の出来合い品を買い、
趣味者のやる事は、レイアウト製作へ、と誘導された。
今、該当雑誌が見つからないが、私の記憶では、
1980年頃一度MR誌スタッフによる、USRA2-8-0自作法の気合の入った連載記事が出た気がする。
しかし、後が続かなかった。
0063名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 01:56:19.05ID:2926F6RS
>>60
TMSも初期のころ(〜200号くらいまで)は『たのしい鉄道模型』に採録されているようなEF57のスクラッチのような完全自作の日本型の製作記事がありましたが、それまでは輸出に力を入れていたメーカーが
徐々に国内型に注力して完成品が出回るようになると広告主と競合する製品の自作記事は減り、製品を元にした改造記事が主流になりました。
『日本型蒸気機関車の製作』という本では市販製品と競合しない記事ばかりでした。MR誌も広告主と競合する製品のフルスクラッチの製作記事は避けたのかもしれません。
一方、『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌ではフルスクラッチの製作記事が1970年代まで掲載されていました。

ところで鉄道模型を実際に製作したり走らせたりしない方を認めない方もいるようですが、
海外の鉄道模型の愛好家の間では鉄道模型の変遷を調査、分析する"armchair model railroaders(安楽椅子鉄道模型愛好家)"という一ジャンルが確立しているそうです。
ttp://cs.trains.com/mrr/f/88/t/167162.aspx
ttps://model-railroad-hobbyist.com/node/13434
ttps://www.trainorders.com/discussion/read.php?3,3334628
0064鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 02:53:53.42ID:rnF7oQc/
>>63名無しさん@
>広告主と競合する製品の自作記事は減り、製品を元にした改造記事が主流になりました。
        ↑
私の考えでは、日本人が豊かになり、趣味者も何とか製品を買えるようになった。
当然国鉄大型蒸気機関車の販売品目も増えた。
製品の実物忠実度が向上すると、普通の趣味者が製品並みの忠実度では作れなくなった。
いきおい、趣味者は製品のパイピング等、細かい細工しかしなくなった。
またキットや完成品の人気が上がる、という事は同時にその分、
動輪などの基本部品を売っても儲からなくなった。

私はこういう傾向に賛成してはいません。
製品に頼る、という事は、模型屋が選んだ売れ筋形式に頼る以外ないし、
模型屋が選んだ規格、つまりHOだの、16番だの、しか出来ないからです。

> 『日本型蒸気機関車の製作』という本では市販製品と競合しない記事ばかりでした。
        ↑
この再録本が出版された1963年と、一番古い元記事1955年12月号、"C62を作って"の間に若干の間がありますが、
この間あった製品は、鉄道模型社のC62だけだったと思います。

>MR誌も広告主と競合する製品のフルスクラッチの製作記事は避けたのかもしれません。
        ↑
証拠は無いけど私はこれを感じます。
あとMR誌の方針は、部屋に引き籠ってコツコツやらずに、
家族や友人とネアカに趣味生活を送れ、というのがあったと思います。
TMSも影響されて"ホームレイアウト"なんて本を出したりしました。

>一方、『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌ではフルスクラッチの製作記事が1970年代まで掲載されていました。
        ↑
私は『模型とラジオ』誌や『模型と工作』誌はほとんど読んでませんが、
学童向け工作教育雑誌の方が、
「大人の趣味」を気取る雑誌より、返って健全だったのかも知れません。
0065名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 03:14:42.72ID:+h1PYflb
俺は中学校にあった「子供の科学」の別冊からかな。

金持ちのボンボンがカツミかなんかの16番持ってきて理科室で走らせてるの見て、
鉄道模型がやりたくなった。
でも、お金が無いから千円未満のペーパーキットを組むことにした。
「子供の科学」だけでなくて「TMS」なども読んで、
モーターやら整流器やらも配線してなんとか形にして、走るようにはなったが、
キットを買いに行った店、全国的にも名の通った鉄道模型専門店の主人に、
床下機器の必要な部品を尋ねても、まともに相手にされず、
ジャンク箱のような、床下機器の部品の箱を指さして「自分で探せ」という態度。
ズブのシロウトは相手にできないと言った感じで、途方に暮れた。

もうめんどくさくなって、鉄道模型をやめようと思った頃に、
安くてすぐに走る、Nゲージを知った。

以後、専らNゲージ、プラから真鍮までキットも組むようになったが、
16番をやる気はなくなった。

あのMT模型、現在も営業してるが、二度と敷居は跨ぎたくない。
0066蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 04:53:33.66ID:fJMADH2w
>>63
>ところで鉄道模型を実際に製作したり走らせたりしない方を認めない方もいるようですが、
>海外の鉄道模型の愛好家の間では鉄道模型の変遷を調査、分析する"armchair model railroaders(安楽椅子鉄道模型愛好家)"という一ジャンルが確立しているそうです。

勘違いしないで頂きたいのは、そういう人達がこのスレのような場所で分析を発表する分には何の問題もありませんし、
議論を交わすことは良いと思います

ただ、一部の人が実際に楽しんでいる人に対して、
自分が勝手に分析した結果を押し付けようとする、勘違いしてる人がいるから、
拗れるのでしょう

貴方が言う「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、実際に楽しんでいる人に対して、
否定的意見を書くのは間違っていますね
0067鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 09:34:35.92ID:bvtn2YEQ
>>65名無しさん@
>まともに相手にされず、 ジャンク箱のような、床下機器の部品の箱を指さして「自分で探せ」という態度。
      ↑
私などは、TMSに大きな広告出す店で部品ばかり買っていたら、三度目あたりで
「もう店に来ないでくれ」と、店主に言われた事があります。
模型の問題ではなく、店主の資質の問題なのかも知れないし、
最終的には、ツマラン客は追出さないと店の経営が悪化するのかも知れません。
犬に噛まれたと思って忘れるのは精神衛生上いいですね。
時代は、キットや完成品を売らなければ、店の家賃の足しにならなくなった頃でした。
0068鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 09:49:46.22ID:bvtn2YEQ
>>66蒸機好き
>「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、実際に楽しんでいる人に対して、 否定的意見を書くのは間違っていますね
        ↑
書かれた意見が、間違っていか、間違っていないか、は書かれた文章によって判定する以外ないです。
「安楽椅子鉄道模型愛好家」が書こうが、
「実際に楽しんでいる人」が書こうが、

書いた人間の事を理由として、意見の正否を決める事は出来ません。

「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、「実際に楽しんでいる人」に、否定的意見を書くのは間違ってるが、
「実際に楽しんでいる人」が、「安楽椅子鉄道模型愛好家」に、否定的意見を書くのは間違っていない、
などという命題は成り立ちま得せん。
0069名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 09:56:41.73ID:USyPI1EB
>>65
Nみたく小さけりゃ鉄コレみたいにそれらしいものを並べて置いてもカッコがつくし、まして走らせりゃわかんないけど、
大きい模型はそうはいかないからな。
床下がスカスカだとカッコがつかんし、おかしいとすぐバレる。

>>67
> 私などは、TMSに大きな広告出す店で部品ばかり買っていたら、三度目あたりで
> 「もう店に来ないでくれ」と、店主に言われた事があります。
> 模型の問題ではなく、店主の資質の問題なのかも知れないし、
> 最終的には、ツマラン客は追出さないと店の経営が悪化するのかも知れません。
そんな接客態度で、当時の少年がみんなNに行ってしまったというオチで。
0070鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 10:27:03.27ID:UoHumvkZ
>>69名無しさん@
>そんな接客態度で、当時の少年がみんなNに行ってしまったというオチで。

まあ、私が入店拒否を喰らったのは40年前の話なので、スレタイとは多少ずれました。

私は凡人ですから、仮に模型店経営したとしたら、
金は無いが熱意だけある、年少者常連客30人獲得よりも、
万札溜め込んだ熱意は中位の、オッサン常連客1人獲得に励む、というオチになるでしょう。
0071蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 10:40:54.69ID:fJMADH2w
>>68
いいえ、「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、他人の楽しみ方まで意見するのは、
間違ってますよ
それが、否定意見ならば尚更でしょう

「安楽椅子鉄道模型愛好家」を自称するなら、他人の楽しみ方にまで踏み込むべきではありません
0072名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 11:09:14.25ID:wBGb5Qbl
>>70
その店の店主は、オタクを入店拒否したのは正解でしたね。

DQNを相手にしたら、大変な事になりますから
今で言うモンスター・クレーマーですね。
0073名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 11:26:35.44ID:MIWFMVWY
「実車の知識もロクにないド素人が、鉄道模型に手を出すな」
というのでは、裾野は広まらないわけで

この板にも、必要もないところでもやたら実車知識をひけらかす人もいるけど、
誰彼なくマニア気質をひけらかす模型屋さんでは一般客は困惑するばかり
0075名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/03(土) 12:19:17.10ID:2926F6RS
>>74
同感です。近年、全国チェーンを展開している某店は鉄道模型専門店空白地帯にも進出して初心者からマニアまで取り込み、
さらにはレイアウトの受注生産や鉄道模型の生産にも進出して見事だと思います。
10年位前にも東京堂という店があり、他店では扱わない絶版となって久しい部品等を販売しており、重宝していた時期がありましたが、
ある日突然閉店してしまいました。あの時は落胆しました。
0077鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 14:23:17.15ID:UoHumvkZ
>>71蒸機好き
>いいえ、「安楽椅子鉄道模型愛好家」が、他人の楽しみ方まで意見するのは、 間違ってますよ

「実際に楽しんでいる人」が「安楽椅子鉄道模型愛好家」に対して、 否定的意見を書く場合は
何を書いても間違っていないのかね?

何かの意見を書いた人が、
果たして本当に「安楽椅子鉄道模型愛好家」だったのか?
或いは、
果たして本当に「実際に楽しんでいる人」だったのか?
なんて、どうやって判定するのかね?
0078蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 14:33:59.06ID:fJMADH2w
>>77
>「実際に楽しんでいる人」が「安楽椅子鉄道模型愛好家」に対して、 >否定的意見を書く場合は
>何を書いても間違っていないのかね?

「安楽椅子鉄道模型愛好家」って、模型やっていないのですから、
そもそも否定しようがありませんね
しかしながら、「安楽椅子鉄道模型愛好家」にアホな発言があれば、
その発言に対して否定されるでしょうし、
そのアホな発言を正当化すれば、否定されるでしょう
ですから、
あくまでも「安楽椅子鉄道模型愛好家」次第ですね
0079蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 14:36:29.71ID:fJMADH2w
>>77
>何かの意見を書いた人が、
>果たして本当に「安楽椅子鉄道模型愛好家」だったのか?
>或いは、
>果たして本当に「実際に楽しんでいる人」だったのか?
>なんて、どうやって判定するのかね?

そんなの、模型やってる人なら判りますよ
それが、判らないと思い込んでいる時点で「安楽椅子鉄道模型愛好家」レベルですからね
0080鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 17:28:05.40ID:UoHumvkZ
>>79蒸機好き
>そんなの、模型やってる人なら判りますよ

オタク自身が模型やってるかどうかなど、全く不明ですよ。
誰が模型やってる人で、
誰が模型やっていない人かなど、
匿名掲示板だから、証明はむずかしいでしょう。

このスレは、50年前の鉄模です。
0081蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 20:20:56.57ID:fJMADH2w
>>80
それは、鈴木さんが模型やっていないから、判らないだけですよ

「安楽椅子鉄道模型愛好家」と実際にやってる人とは、
決定的な違いがありますからね
0082鈴木
垢版 |
2018/11/03(土) 20:28:10.55ID:UoHumvkZ
>>81蒸機好き
>それは、鈴木さんが模型やっていないから、判らないだけですよ

会った事もない他人が「模型やっていない」かどうやって判断するの?
オタク自身は、「模型やっている」と、宣言するのかね?
0083蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
垢版 |
2018/11/03(土) 20:52:05.79ID:fJMADH2w
>>82
判りますよ

模型やっていたら解っていなきゃダメな話が出てきたら、
模型やっていない人ですからね
0084名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/04(日) 01:38:08.01ID:AmbQKS6z
>>49
>私の怪しい推測では、
>米国のブラス輸入業者は大抵、日本敗戦直後に鉄模と関係ない、
>軍務やそれに付随する仕事で来て、
>日本の低賃金によるブラス模型技術を知り、
>帰国後に、米国太平洋岸で輸入業を始めたんじゃないかと思うのですが、
>これに関しては書いてないので、やはり私の勝手な推測の可能性があります。

天賞堂とPFMの関係が書かれています。PFMの初代オーナーだったビル・ライアン氏が始めたようです。
ttps://myedmondsnews.com/2016/07/edmonds-museums-model-train-exhibit-inspired-generations-of-hobbyists/

その前にマックスグレイという輸入業者がいました。
日本製鉄道模型の輸入業者としては最初期の業者でしたが、後継に恵まれず廃業しました。
ttp://cs.trains.com/mrr/f/88/t/38071.aspx
0085鈴木
垢版 |
2018/11/04(日) 09:05:17.32ID:q+Q98L/7
>>84名無しさん@
ありがとうございます。ご提示のパジェットレイアウトのHP読ませてもらいました。
「パジェット」という言葉は1970年代のMRで読んだけど解らなかった記憶があるのですが、
これを読んだ今、やっと意味が解りました。

既に書きましたが、米国の輸入業者が米国の有名地であるNYやシカゴになく、
太平洋岸に多いのは、「日本からの距離が、船便で近いからだろう」
と漫然と思ってたのですが、
PFMの創業者Ryan氏(北西部生まれ→デトロイトGM社員→帰郷)も、
引き継いだDon Drew氏(父はシアトルの銀行家)も、米国北西部出身のようです。

PFM以前に輸入業者の大手だったインターナショナル社の所在地は、
東部か西部か知りませんが、
全体的にブラス輸入業者は、米国の中では田舎である北西部が多かったようで、
何か、米国東部で始まった映画産業が、西部に引っ越してきた事などを思い起こします。
0086鈴木
垢版 |
2018/11/04(日) 12:12:21.71ID:Qp/wcA+/
>>85鈴木 訂正。
アブナイ間違い。
「1970年代のMRで読んだけど解らなかった記憶があるのですが」の部分は削除。

「パジェット」という言葉に関して、鉄道模型レイアウトでのPugetとは違い、
実物鉄道の蒸気機関車で、英国にCecil Paget氏による、
「パジェット」型という単動式8気筒機関車が1台あり、
https://en.wikipedia.org/wiki/Midland_Railway_Paget_locomotive
私の記憶は、これと混濁していたのかも知れません。
記憶だけで書いて失敗。お粗末でした。
0087名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/04(日) 20:45:01.02ID:dOKg48fK
個々の動輪にシリンダが備えられていたというのはドイツ国鉄19.10形蒸気機関車と似ていますね。
どのような懸架方式だったのか気になります。ばね下重量が増えるので路面追従性や軌道への影響もあったのかもしれませんね。
0088鈴木
垢版 |
2018/11/04(日) 21:32:07.09ID:AU9/0+n8
>>87
https://i.imgur.com/8cL61yH.jpg
実物のパジェットはこんな感じです。
弁装置が奇怪で、平弁やピストン弁のようなスライド弁と違う、
Rotary弁と言われるもので製作がむずかしい物。
誰かライブスチーマーが既に挑戦してるのかも知れません。
実物話はスレ違いなのでこれくらいでやめときます。
0089鈴木
垢版 |
2018/11/05(月) 08:36:43.80ID:6DQf4Wt0
鉄模雑誌記事には、"製作記"の記事"と、"作り方"の記事がある。
前者は、著者の製作報告であり、記事の通り作っても必ず作れるとは保証しないもの。
後者は、この記事の通り作れば、必ず作れる、というものであり、
例えば年代は50年前より新しいが、
TMSNo.296,1973年2月、"ライブスティームのSHay"平岡記は前者
機芸社刊、"生きた蒸気機関車を作ろう"平岡著は後者。
ただ前者と後者の分類は必ずしも厳密にはできないが。

古いTMSでは、後者の"作り方"の記事が多かった。
初心者に受けそうな実物を題材にした"作り方"の記事も多かった
車体の窓抜きの寸法だの、電車の前頭部オデコの展開図などもかなりあった。
現在のTMSでは、そういったものはほとんど姿を消してる。
わりかし最後まで記事に丁寧に寸法図を添えていた寄稿者としては、松尾緑郎氏が印象的。
TMSNo.199,1965年1月、"C57の製作法"松尾記あたりだろうか。
現在松尾氏の記事を読むのは困難だが、
TMS特集シリーズ13、"電車工作集"(1963年)には、近鉄1460形と湘南型の記事が再録されている。

「TMSは子供の雑誌じゃないんだから、細々した寸法入りの作り方記事は止めてくれ」
という投書がかなりある、と山崎氏が何処かで書いていた。
但し本当にそういう投書が多かったのか? それとも山崎氏自身の意見そのものなのかは解らない。

初期のTMSには実物の図面も毎月出ていて、
それは大体1/100-1/150程度の縮尺だが、
所謂形式図よりはずっと細かいもので、模型作りに十分役立ったはずだ。
私が知らない旧式国電だの、旧式私鉄電車の図など、
興味深いものです。
0090名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/05(月) 08:47:58.03ID:f7bh7WwW
>>89

> 初期のTMSには実物の図面も毎月出ていて、
> それは大体1/100-1/150程度の縮尺だが、
> 所謂形式図よりはずっと細かいもので、模型作りに十分役立ったはずだ。
> 私が知らない旧式国電だの、旧式私鉄電車の図など、
> 興味深いものです。

そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに。
0091鈴木
垢版 |
2018/11/05(月) 09:42:37.35ID:6DQf4Wt0
>>90名無しさん@
>そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに。

図面だけではないが、その大部分は機芸社刊"鉄道車両401集"として刊行されました。
但し、この本は"Prototype Guide"や"タイプを求めて"をまとめた物です。
但し、最初期の"Prototype Guide"(TMSNo.4-17, 28,33)は、
都合により割愛する、と後書きに明記されてます。
何故割愛したのかは不明です。
また初期のTMSは"新車の宝船"とか言って当時の新車も同様に説明してるし、
赤井氏による明治の旧式客車の優れた連載連載もあるが、
これらは含まれていません。

現在、アーカイブスを売っていないのは、
図面など、コンビニで簡単にコピーされてしまうから、売る意味がない。
今のレベルから見れば、図が簡略過ぎて買った人ががっかりする。
図面を使って何かを自作しようとする人数が減った。
文中の言い回しなどに、古色蒼然としたものがある。
などの理由が考えられます。
0092鈴木
垢版 |
2018/11/05(月) 18:59:48.73ID:6DQf4Wt0
古いTMS見てると、笑ちゃうような事を見つける事がある。

TMS,No.191,1964年5月号、p291
"外国製プラキットわ日本風に、信号所の加工"―TMS編集部
Faller製信号所(B-121)を日本風に組み立てる記事だ。
記事中にこのキットの縮尺は全く明示されてないし、寸法は屋根上の煙突だけだ。

まあ、買った人は自己責任で物差し当てて、寸法を測ればよい、という事なのでしょう。
TMSの記事の方針としては、「明示無き模型は16番」のはず。
となると、Fallerキットは欧州だから、HO=1/85〜1/87の可能性が強い。
一方、日本の模型は16番なら1/80のはず。

ところがである。次号の
TMS,No.192,1964年6月号、p372、
のミキストには、
「先月号に載せた信号所(1/100)」
と書いてある。
Faller製信号所キットはHOでも16番でもない、1/100だったのか?
だったら、元記事で、
「Faller製信号所は1/100ではあるが」
と書くべきだったんじゃないか? となる。 
記事はTMS編集部の記事なんだし。
アンマリだ。
0093鈴木
垢版 |
2018/11/05(月) 21:07:46.78ID:6DQf4Wt0
これは米国のOゲージの巨大クラブと思いますが、
http://www.oscalekings.org/halloffame.html
Oゲージに関する歴史的功労者を挙げてます。

何人かは、知ってる名前だし、
何人かは、知ってるようだが、似たような同じ名前と勘違いしてる場合もある。
一応多分確かと思うのは以下です、

Kimpei Sofue、祖父江欣平、カツミの仕事をした
Alvin F. Staufer 、有名な実物本"Pennsy Power"の著者
Dave Waddington、占領軍の軍人として来日し、初期TMSに協力した。ミキストに紹介されてる
Al Armitage、本名Alan Armitage?プラ模メーカーRevell社の人。TMSNo.171,1962年9月号に、MR誌に執筆した機関庫の翻訳記事がある。
Richard M. “Rich” Wagner、雑誌"TrolleyTalk"発行者。元MRの編集者と思った。Birdella夫人は"TrolleyTalk"エディター。
Levon John Kamalyan、https://blogs.yahoo.co.jp/kiyomodeltrain/35318305.htmlの中にある「ケマリン氏」と思われる。
William K Walthers、巨大模型屋さん
Rollin Lobaugh、昔あった有名模型屋さん。ミキストにも出て来る
0094名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/06(火) 23:17:03.67ID:VscU9XAI
>>90
>そんな図面だけ集めたアーカイブスがあったらいいのに

日本の車両 スタイルブックはどうでしょう?
その年にTMS紹介された車輛を採録したTMSスタイルブックは1960年代までは毎年発行されていたそうです。
0095鈴木
垢版 |
2018/11/07(水) 07:53:05.31ID:2ntE9AgY
スタイルブックは当時SBの通称で、
1947年版から1962年版まで毎年出たはず。
そして"スタイルブック海外版"なるものも、初期に一度出たはず(未見)。
「出たはず」と書くのは私は、その内ごく一部しか見ていないし、その間に抜けが無いとも限らないから。
これらは合計すると概ね17冊出たはず。
1947年版から1955年版まではB5版。1956年版から1962年版は大判SBでA4版。
初期の図面縮尺は1/100くらいから1/45くらいまで混在していた。

機芸社の初期の宣伝では、「図面はTMS既出の再録でなく、総て新たに書き下ろし」と言っていたが、
必ずしもそうではないんじゃないだろうか。
TMS既出の再録、新たな書き下ろし、海外書籍からの外国図面コピー、などがあったと思う。

SBを大版にした理由は、図面縮尺の大部分を16番的(1/76, 1/80, 1/87)にするためと思う。
これは、TMSが推進する16番が、OやSを凌駕出来る、と見切った処置でしょう。
だったら、「スタイルブック」などと名乗らず「16番図面集」にすればいいじゃないか、と思うかも知れないが、
それは出来ない。国鉄型図面は16番ではなく、13mm図面で描かれているから。
なお、一応16番用図面集になった後も一部に1/120等も残されていた。
1/150、所謂「N」はまだ無視されている。
(続きます)
0096鈴木
垢版 |
2018/11/07(水) 08:18:08.44ID:2ntE9AgY
(続きです)
SBの欧州大陸車図面は1/85。TMSは 「16番欧州大陸車=1/85」 とは明言していないが、
当時はそういう考えだったんだと思う。現在は 「16番欧州大陸車=1/87」 が一般通念化してる。

SBには実物外形をそのまま描いたものの他、「模型化図面」の名のもとに、
16番模型図面として描いたものも一部ある。
この場合国鉄車の車体は1/80、ゲージは1/65である。
古い小型蒸気機関車にこれが多いが無意味と思う。蒸気機関車を自作する程度の人は、
実物図面を重視するのであり、他人の手垢のついた「模型化図面」など嫌うだろうから。

SBの図の大部分は中尾氏が描いた。
簡単に得られる図面はよいが、それが出来ない時は、
TMSの協力者でかつ車両メーカー社員のツテを頼りに、
メーカーの部屋の隅でトレースさせて貰ったんだと思う。
現在では考えられない事だが、当時は企業秘密や企業財産に関して寛大だったのでしょう。

山崎氏は、1形式当たり千ページもある図面を分析して、1枚の図面を作るのは大変な労力なんだ、と書いてるが、
私は必ずしもそうは思わない。
メーカーは納入の際、普通は多分1m程度の精緻な全体図(General Arrangement)を添付するはずで、
これがあれば、千枚もある部品図調査の労はほとんどなくなるはずだ。
但し、面倒なのは、細かい部品の取り付け位置等を変更した場合だろう。
電車の床下器具などのかなりは、車両メーカーが電気屋から買ってネジ止めするから、位置は簡単に変更される。

中尾氏の一番の苦労は、例えば「標準的なD51」とは何だろう?のようなものと思う。
D51は一台一台細かい違いがあるから、それらを標準化、平均化した図面を作るのであり、
その「標準的なD51」なるものが実在するかどうかは、責任持つ必要がないわけだ。

機芸社のSBは1962年版を最後として、それ以後は、
それらをコピーし直した"蒸気機関車スタイルブック"、"日本の車両スタイルブック"として出版し、
機芸社は図面を描く労を劇的に軽減した。
(終ります)
0097鈴木
垢版 |
2018/11/08(木) 07:27:28.96ID:hcm6dUuP
>>96鈴木
>機芸社は図面を描く労を劇的に軽減した。

とは書いたが、
TMSは、SBの1/80図面とまではいかなくても、
雑誌記事中に、模型化図面を含めれば、その後毎月のように、
1/120程度の図は載せてます。
例えば、1967年6月号には、DE10と長野電鉄OSカーの図を載せている。
一般的には、この程度の図でも、十分模型作りに役立つはず。
0099鈴木
垢版 |
2018/11/10(土) 08:59:48.76ID:Gi1/C/6/
1970年代初期だから「50年以上昔」の話とは言えないが、
この頃はTMSは、ほとんど毎号1/80〜1/50程度の図面を出してる。
これを集めれば、新たなスタイルブックも可能なんだろうが、
色々な事情があって出せないんだろうな。
0100100
垢版 |
2018/11/13(火) 14:01:58.42ID:Tsc3E7yU
100年前にも鉄道模型てあったんだろうな

今に比べれば随分と大きな、そして贅沢品だったんだろうが
0101鈴木
垢版 |
2018/11/13(火) 15:57:49.08ID:TQUmUXIO
>>100
100年前だと1918年だから、鉄模は間違いなくあったでしょう。
古株模型屋の横綱であるメルクリンのWikiに拠れば、
メルクリンが鉄道玩具を発売したのは、1891年と書いてありますし。
金持は鉄模で遊んでいたんだと思います。
当然、個人が面白半分に鉄模を作った事もあっただろうと、想像は出来ます。

では150年前、1868年はどうか、と言うと、
1854年にペリー提督が幕府に、Norris製の乗用ライブスチーム模型をプレゼントしてますから、
https://en.wikipedia.org/wiki/Norris_Locomotive_Works
「未開の地、日本にさえあった」と言えるでしょう。
明治か大正か昭和か、旧殿様=貴族のボンボンが座敷に線路拡げてる写真が、
ミキストにありましたね。

では200年前、1818年はどうか、と言うと、
実物蒸気機関車の始祖トレビシックやブレンキンソップ達が、研究用に模型を作った可能性はあるとしても、
確認は出来ません。

機関車などに比べれば、鉄道や木製軌道は遥かに歴史が古く、
500年前には既にあったと思うが、そのトロッコ模型があったかどうかは解りません。
0102名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:05:45.13ID:2Bs6Nikx
ここにも要らない蒸気好きが来てるな、見たくない・聴きたくないなら来るなよ。ボケ
0103名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:07:07.79ID:2Bs6Nikx
上記のキット組んだくらいで、威張るな
「安楽椅子鉄道模型愛好家」とは何かな?

頭で敵わないから、手数か(大笑い)
0104名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:10:45.89ID:2Bs6Nikx
模型に興味のない人間が、これだけの知識・情報・示唆ができるかな?

ああ言えばこう言うだけの、クソな蒸気くん

まあ、楽器奏者じゃなくても指揮者じゃなくても「音楽評論家」って出来るよね
「政治評論家」なんて、最たるもんじゃないか?
きみの行動は「炎上狙いのエセ評論家」と一緒だよ、な お花畑さん。
0105名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:21:25.68ID:2Bs6Nikx
模型に興味のない人間が、これだけの知識・情報・示唆ができるかな?

これは、きみの鈴木氏に対する「言い掛かりに」対する、反論な。。。

ここにも来ない方が良いよ、うちにも祖師谷の本は1960年代のからあるが・・・
1067mmのサブロクが「1/64になってる」こんな言い訳(紹介)は載ってなかった気がする。
昭和30年代の小学生はうぶだったからね(笑)

HO???との知識教育は見かけなかった、魚藍坂の直系店だから罪は重い(HOの何たるか知らないハズはない)
デパートで「HO売り場」で売ってたからね、入門セットの箱には確かHO・・・と書いてあった気がする。
横ではメルクリンも売ってたし・・・洋風が高級な時代(汗)
0106名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:23:19.34ID:h4+cPvhs
SBの図面は1/80なんだけど
「陸蒸気からひかりまで」は1/150で統一されている。
この本は1965年の発売だけど、これは日本初の9mmゲージC50と同じ年。
陸蒸気からひかりまで、の図を1/150としたのは今のNゲージに合わせたのだろうけど
多くの図を描くには相当の時間もかかるだろうから、9mmゲージの開発にも
合わせたのだろうか?
0108名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:27:45.28ID:2Bs6Nikx
ネットで画像をググって見た。。。

楽しいHO、鉄道模型、HOゲージと大きく書いてある。
どこにも16番とは書いてないんだから、罪だよね。
これ買った、当時の小学生は騙されてたわけだ・・・嬉しかったけどな(笑)

どっかで「違う!!」と言わなかったのは、祖師谷の罪
とれいん誌にに HO scale日本型の規格記事が出るのは、さらに20年かかる
13mmの方が先行してるから。

ガニ股に気が付いてた人も多いって事だ。
0110名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:39:47.76ID:WACcw/hQ
>>108
>どっかで「違う!!」と言わなかったのは、祖師谷の罪

故人に鞭打つなど言語道断。
どういう育ち方してきたんだか。親の顔が見たいわ。
0111名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/13(火) 22:40:12.91ID:WACcw/hQ
>>108
>どっかで「違う!!」と言わなかったのは、祖師谷の罪

故人に鞭打つなど言語道断。
どういう育ち方してきたんだか。親の顔が見たいわ。
0113鈴木
垢版 |
2018/11/13(火) 23:07:13.45ID:N2ST7Ost
>>106名無しさん@
>9mmゲージの開発にも 合わせたのだろうか?

お説の通りと思います。
山崎氏は、1964年1月ミキストで、
「今後TTはアメリカでも少し盛んになってくるだろうと思う。TTが欧州で盛んな事は」
と書いてるが、「OOOゲージの進出も英国Lone Star社とドイツのArnold社によって行われつつあり」と書いて、この時期が山崎氏の9mm選択の結節点と思われます。

結果として山崎氏の9mm選択は、国際情勢からみて的中した事になります。
そして山崎氏は加藤金属に対して、TTではなく9mmを勧めた。
もう一つ、私が気にしてる事は山崎氏は、
ほとんどの場合加藤氏に好意的だったという事。

TMS創刊の理念は、暮らしの手帖を見倣って、
メーカーや模型店への御追従はしない、
という事があったにもかかわらず、です。

これは加藤氏が、山崎氏主宰のまくらぎ会の会員であり、
当時としては無謀な、まくらぎ会の16番推進運動に協力したのが
根底原因としてあるんじゃないか? と疑ってるのです。
以上の最後のパラグラフは、根拠が見つからないままの、
私の勝手な推測です。
0114鈴木
垢版 |
2018/11/13(火) 23:19:03.53ID:N2ST7Ost
>>108名無しさん@
> 楽しいHO、鉄道模型、HOゲージと大きく書いてある。
>どこにも16番とは書いてないんだから、罪だよね。

"楽しい鉄道模型"というTMS特集シリーズは持ってませんが、
ほぼ1ページを費やして目次を羅列した1964年TMSの発売広告内では、
「HO」用語は見られません。この当時はまくらぎ会の人も多いし、
山崎氏の検閲も厳しかったはずです。
一方でこの広告中に「16番」用語もみられません。
鉄模と限定無しで言えばこの時点では、自動的に「16番」であり、
まだ多数残存してたはずのOゲージはほとんど無視されたのでしょう。
0115鈴木
垢版 |
2018/11/13(火) 23:35:24.46ID:N2ST7Ost
>>108名無しさん@
>どっかで「違う!!」と言わなかったのは、祖師谷の罪

日本敗戦直後の時点で一番ファンが多かったのは、
1/30,35mm(=1/30スケール模型)模型だったと思います。

16番国鉄型は1/65+1/80の蟹股スケール模型なのだから、
当然1/30スケール模型主張者からの批判はあったと思うのですが、
それが見つからない。
そういう批判が無かったのか? 山崎氏が知らないふりをしてたのかは、
解らない。
なお、
機芸の初期の所在地は、文京区の鉄道模型社の住所。
後に機芸=文京区の鉄道模型社の住所でかつTMS編集室=世田谷区成城。
さらに後に機芸=世田谷区祖師谷に移転。
0116名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 00:10:16.91ID:p6175Sw/
>>110 名前:名無しさん@線路いっぱい 2018/11/13(火) 22:39:47.76 ID:WACcw/hQ
>>111 名前:名無しさん@線路いっぱい 2018/11/13(火) 22:40:12.91 ID:WACcw/hQ
>>どっかで「違う!!」と言わなかったのは、祖師谷の罪

>故人に鞭打つなど言語道断。
>どういう育ち方してきたんだか。親の顔が見たいわ。

どこに個人名が書いてある、出版をした以上明確に責任はある。

故人に鞭打つなど言語道断と言うなら、死刑囚すら批判話許されんのかい?
(まあ、死をもって償ったとの考えはあるがね・・・・)
0117名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 00:14:29.76ID:p6175Sw/
>>107名無し ID:qSm/GhT/
>>109名無し ID:qSm/GhT/

あんたも巡回監視してる暇があったら、模型でも作っててれば・・・楽しいXX模型
0118名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 00:21:41.06ID:p6175Sw/
>>112 名無し ID:WACcw/hQ

>大事なことだから二回書いたぞ。
  大事なことだから書く、出版も新聞もテレビ・ラジオも公の器だ。
  テレビ・ラジオは放送法で縛られるから、ある程度普遍性が求められる。
  出版や新聞は、発行責任者に「主張した」責任があると私は考える。

  自分の主張した考えが、間違った方向で広まったなら「校正」「修正」する努力は必要だろう。
  知っていて行なわなかったら怠慢だ、批判は甘んじて受けるべき。
  少なくとも「HOゲージ」では無い、米国との交流もあった発行者は理解していたハズだ。

  どこかで気が抜けてる。
  
0119鈴木
垢版 |
2018/11/14(水) 07:12:14.82ID:Tk/hJwOB
>>111名無しさん@
>故人に鞭打つなど言語道断。

相手が故人だろうが生きてる人間だろうが、鞭打たない方がいいだろうね。
鞭打っていいのは、誰かがやった行為そのものや言動そのものに対してだけだ。

ヒットラーそのものや、スターリンそのものや、を鞭打つのは感心しないが、
ユダヤ人虐殺行為だの、ロシア人虐殺行為だの、はヒットラーがやろうが、
スターリンがやろうが、他の誰がやろうが、鞭打たれて当然。

キリスト教徒がよく言う「その人を憎まず、その罪を憎め」だな。

故人を鞭打つな、などという>>111は、
そんな事書く暇があねなら、
当該個人が、「鞭打つ必要がない程立派な行いをしていた」という事を証明するべきだろうね。
>>111の書き方は、個人を誉め殺ししているだけだね。
0120名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 08:35:57.29ID:0XQ3cd/I
>>113
「陸蒸気からひかりまで」にまとめられる前、
「陸蒸気からこだままで」がTMS誌の連載で1961年頃から掲載されていたようです。
この連載のスケールは1/150だったのでしょうか?
Nという規格は1961年にはまだ確立されていないはずで、
1964年頃から1/160 9mmがアーノルドのカタログに掲載されたそうですから、
1961年に1/150で作図していたら、それはTMSが世界で初めてだと思うのです。
0121鈴木
垢版 |
2018/11/14(水) 13:37:27.07ID:ZBFU9cZ2
>>120名無しさん@
> 「陸蒸気からこだままで」がTMS誌の連載で1961年頃から掲載されていたようです。
>この連載のスケールは1/150だったのでしょうか?
      ↑
「陸蒸気からこだままで」の開始号は、
TMS,No.1591961年9月p408です。p408には
「ペン画はカット等をのぞき大体1/120又は1/160。」
と説明されてます。
因みに最初の「ペン画」はSharp Stewart 製5000型0-4-2で、
 実物動輪径1371mmφを、
 ペン画の実測値では9mmφにしてあるから、1/152という事になります。
P412には、Vulcan Foundry製7030, 0-6-0で
 実物動輪径1067mmφを、
 ペン画の実測値では5mmφにしてあるから、1/210という事になります。
しかし、次号、10月以降は、ほとんど1/50で統一されてます。

>Nという規格は1961年にはまだ確立されていないはずで、
>1961年に1/150で作図していたら、それはTMSが世界で初めてだと思うのです。
      ↑
これが一番の問題です。Nゲージwikiに拠れば、
最初のNは
1962年、1/160・軌間9mmでアーノルト・ラピード(Arnold Rapido)がNを売った。
1965年、「関水金属彫工舎」(現関水金属、KATO)が9mmゲージ・1/150を売った。
とあります。

1961年の時点でTMSが「陸蒸気からこだままで」を連載し始めた時点で1/150をとったのは、
@実物の編成姿ペン画をB5版やB4版にレイアウトするには、
 従来多く用いられた1/120では大き過ぎるから1/150にした。
A日本型レイアウトの為に16番より小さい模型を考えた場合、
 TTより、欧州でぼっこうしつつある1/160の日本適用版1/150が良い
の2つが考えられますが、私個人の推測では、少なくとも初期は@だったんじゃないかと思います。
証拠はありませんが。
0122名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 14:41:30.81ID:Dyf55Jds
>>121
>「ペン画はカット等をのぞき大体1/120又は1/160。」

今では、TTスケールかNスケールになるのでわかりやすいですが、
当時は少なくとも1/160は名もない、あるいはOOOであり、
当初なぜこの縮尺をとり、次号以降1/150としたのか、
それは作図をした片野さんが決めたのか?
後に日本で最も普及することになる1/150のルーツが
TMSの「陸蒸気からこだままで」にあったことは
間違いないかも知れませんね。
日本初の9mmゲージ関水金属C50の設計は1964年に始めたのですから。
0123鈴木
垢版 |
2018/11/14(水) 15:17:09.38ID:ZBFU9cZ2
>>122名無しさん@
>それは作図をした片野さんが決めたのか?

片野氏はTMSに対して、群馬県から1954年頃より
熱心に投書したり、イラストを送ったり、デザインコンクールに応募してますが、
本文記事として最初に採用されたのは、
1960年9月で "安楽マニアもまた楽し" という自由形車イラスト集です。
そして2番目の本文記事が、僅か1年後9月の"陸蒸気"ですから、
未だ、模型の縮尺問題にも拘わる重大な決定権は無かったんじゃないでしょうか。

後の片野氏が沢山の模型製作でTMSを支えるとは、
当時想像も出来ませんでした。 しかも記事には名文もあった。
0124名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/14(水) 23:14:54.84ID:0XQ3cd/I
>>123
>2番目の本文記事が、僅か1年後9月の"陸蒸気"ですから

なるほど。片野氏に1961年10月分以降は1/150とするように
誰かが依頼した可能性はありますね。
あるいは原版は大きく書いてあって、印刷時にTMSで1/150とした
可能性もあるかと。

16番規格の時は、蒸機の正面観で比較していましたが
新規格では列車単位の側面観で検討したのかも知れません。
0125鈴木
垢版 |
2018/11/15(木) 04:03:15.48ID:4A1m4r66
>>124名無しさん@
>あるいは原版は大きく書いてあって

原版は一度天賞堂の階段の壁に展示され、
私も見ましたが、
ほぼ1:1のような気もしたが、ガキンチョだったので記憶に自信がありません。
特に原版は1/120か? 1/150か? と接近した比率なると全く自信がありません。
0126名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/15(木) 09:18:00.79ID:JUS7tWPT
「ペン画はカット等をのぞき大体1/120又は1/160。」
の文には続きがあって
「すなわち、16番の2/3又は1/2に縮小してありますが」
と書いてますね。これは1/80が序列的に的確な数値であることを
言っている感じです。
では、整合性のとれた縮尺がなぜ1/150に変更され、
のちにNゲージの縮尺に採用されるまでになったのか?

チコちゃんに聞いてみたいですね。
0127鈴木
垢版 |
2018/11/15(木) 13:55:52.40ID:qa1pBffn
>>126名無しさん@
単行本 "陸蒸気からひかりまで" のp156には、
新幹線が載ってるのですが。
これが1/150なのか? はたまた和式「N」の山崎式規則をふまえた1/160なのか?、 
が問題になりますね。

相手がペン画なので、1/150なのか? 又は1/160なのか? kの判別7はむずかしいです。
勿論私が、実物新幹線の寸法に疎い事もあります。
0128名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 01:55:50.09ID:ePAz8HN6
過渡は当初TTゲージ(12o)に進出を予定していたが、山崎主筆の助言によりNゲージに進出したそうです。
この説を裏付ける資料はありますか?
0129鈴木
垢版 |
2018/11/17(土) 06:44:52.06ID:E9FrvNGK
>>128名無しさん@
>過渡は当初TTゲージ(12o)に進出を予定していたが、山崎主筆の助言によりNゲージに進出したそうです。
>この説を裏付ける資料はありますか?

山崎主筆が、ミキストでそう言ってる事以外、裏付け資料は、私には見つかりません。
カトー会社は、それについて何も語ってないと思います。
0130名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 08:07:22.88ID:Wp91Ga84
KATO Nゲージ生誕50周年記念誌の第5章、Nゲージ生誕の頃に、故加藤会長の貴重なインタビューがあります。
0131鈴木
垢版 |
2018/11/17(土) 10:41:56.64ID:amwWSWRq
>>130
その本は読んでないので、何が書いてあるのか解りませんが、
""KATO Nゲージアーカイブス"という本のp6には、
加藤祐治氏の「ごあいさつ」があり、
「Nゲージ」を世に送り出して50年という区切りに関して述べてますが、
氏が、「Nゲージ」をやる前に、TTサンプルを山崎氏に持ち込んだ、という話は書かれてません。

なお、この本のp7には、関水金属・KATOの50年に関する年表が載っていて、
「1957年、文京区関口水道町に関水金属彫工舎を設立」
「1958年、鉄模各社へのパーツ供給を始める」
から始まってますが、
TMS,1951年、1月号p39には既に、
「加藤金属、世田谷区世田谷1-164。台車新発売、電車の窓抜き加工をします。」
の広告があります。
0132名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 13:47:59.54ID:bCxUUCuL
>>131
>「加藤金属、世田谷区世田谷1-164。台車新発売、電車の窓抜き加工をします。」

KATO Nゲージ生誕50周年記念誌には、16番のドロップ台車を作っていた頃の話も
たくさん書いてあるので、50年以上前の鉄模の話をするには、必読書だと思いますよ。
0134名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 15:13:00.86ID:bCxUUCuL
>>133
お安くなりましたねぇ。
この本は買いだと思いますが。
0135名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 15:30:06.33ID:1fnFPyI0
当初、ソニーのマイクロトレーンに使用する予定だったリレーラーの金型が過渡に譲渡された経緯も気になります。
0136名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/17(土) 22:12:31.66ID:Wp91Ga84
>>135
リレーラーの話は、KATO Nゲージ生誕50周年記念誌67ページに
故加藤会長の談話が掲載されています。
0139名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/18(日) 08:43:42.66ID:NCXMfZU+
平成も終わりますからねぇ。
16番はユーザーが減少し、メーカーが消えていく一方ですね。
Nゲージだけが鉄道模型として残っていくかと思いきや、
Nゲージすら知らない人も多くなってきたようで、
鉄道模型の消滅を杞憂しなければならない時代となったようです。
0141名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/18(日) 08:56:15.39ID:NCXMfZU+
方南町と西落合は、クルマで移動すると20分かからない位近い場所。
共に50年以上経過して、新社屋と閉店の差。
16番とNの差なのか、としみじみ思う。
0143名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/18(日) 13:05:36.98ID:NCXMfZU+
>>140
KATOのトキ15000は、1966年発売で現在も売られています。
50年以上ほぼそのままの貴重なモデル。
0144名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/21(水) 14:53:59.60ID:ex2vrbUi
>>127
陸蒸気からひかりまで、買いました。
新幹線も1/150で描かれていますね。
0145名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/21(水) 17:22:57.24ID:A8oBhQrf
>>141-142
Nはもとより、16番も海外向けHOも、元気だね
KATOUSAのHOとかも

>>143
未だに「ワンコイン貨車」が健在というのもなにげにうれしい
0146鈴木
垢版 |
2018/11/22(木) 21:14:43.09ID:vPg9BciL
>>132名無しさん@
>KATO Nゲージ生誕50周年記念誌には、16番のドロップ台車を作っていた頃の話も
>たくさん書いてあるので、50年以上前の鉄模の話をするには、必読書だと思いますよ。

図書館で読んできました。予想以上に内容が深く、
特に金型製作における放電加工技術や、微細な車体票差しの色差しなど、
これはもう、個人の自作では太刀打ち出来ないんじゃないかな? とも思います。

勿論私には疑念もあり、プラ模は所詮量産模型だから、
模型屋が選ぶ、有名実物形式しか買う事が出来ないし、
模型屋が選ぶ、縮尺やゲージしか買う事が出来ない、という事はありますが。
0147名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/11/24(土) 23:30:21.90ID:Rs/D8tuu
>>146
>これはもう、個人の自作では太刀打ち出来ないんじゃないかな? とも思います。
かなり高度な技を持つモデラー以外は、買って来る方が良い車両を持てるでしょう。

>模型屋が選ぶ、有名実物形式しか買う事が出来ないし、
初期段階では量産模型だからたくさん売れる車種しか発売できなかったでしょうが、
量産が進み購買層が増えると、それほど有名ではない車種も発売することになったり、
そのような車種でも採算ラインを超える数を購入する購買者がいれば、
有名でない車種でもプラ量産化できているのが現実ですね。
0148鈴木
垢版 |
2018/11/25(日) 22:05:42.01ID:q/EkXoIJ
>>147
>量産が進み購買層が増えると、それほど有名ではない車種も発売することになったり
    ↑
実物鉄道に対する追求が深まれば、そういう傾向は表れますが、
同時に有名車両に対する追求の方も深まるので、有名形式は、
製造番号だの、活躍時代によって細分化されるでしょう。

1つの形式で色々出しても、金型は簡単に償却出来るし、
一旦償却すれば、技術が進歩した新しい金型も作れるという事じゃないでしょうか。
一方、不人気車種は1つの金型作っても償却できる程は中々売れません。
明治時代の輸入機関車などはほとんど作られません。

プラ射出商品は、この点一番困る物であり、
真鍮ハンダ付け商品は、この点次に番困る物であり、
個人自作品は、この点一番番困らない物、と言う事が出来ます。

米国の実物蒸気機関車の形式数は、日本の十倍を超えると思いますが、
米国プラHO蒸気機関車は、10年一日同じように、
有名形式だけ売ってるのを見ても解ると思います。
0149名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/02(日) 04:16:08.70ID:IzehusTV
TMSの購読者数は最盛期の1970年代には3万人いたそうですが、近年は1万人くらいで推移しているそうです。
Although the circulation of Tetsudo Mokei Shumi has declined to one-third of its peak of 30,000 copies in the 1970s, the number has stabilized in recent years.

ttp://www.japantimes.co.jp/news/2014/02/11/national/model-train-mag-reaches-milestone/
0150鈴木
垢版 |
2018/12/02(日) 12:34:41.50ID:0HmL5yO1
>>149名無しさん@
貴重な記事の紹介ありがとうございます。

大雑把に考えれば、実物鉄道の衰退が、
鉄模人口減少と、シンクロナイズしてる気がします。

50年前は国内交通の王様は、まだ鉄道でしたから。
今じゃ長距離は飛行機、短距離は自動車の時代。
鉄オタによる鉄道取材用途でさえ、
運賃が高く、使い勝手の悪い鉄道利用は敬遠されがちです。
0152名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/02(日) 15:34:06.93ID:gN5R6MYa
>>149
私は小学校低学年の時に親に買ってもらったTMS1970年1月号から欠かさず定期購読していたのですが2014年12月号を最後に購入を止めました。
そして翌年の春に1990年の1月号から2014年12月号までの288冊全部処分しました。
処分先はブックオフで値段がついたのは最後の3年分のみで残りは全部0円。
でも一気に本棚スッキリ!!
よって当家のTMSの最新号は1989年12号です。
空いたスペースには16番の車両達が入りました。
0153鈴木
垢版 |
2018/12/02(日) 22:03:18.99ID:Gz7ajYrA
>>152名無しさん@
>288冊全部処分しました。

ウ〜ン。勿体ないと言えば勿体ない。
0154名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/06(木) 20:46:25.06ID:rDRo8mpe
>>152
東京近郊の方なら都立図書館に寄贈してもらいたかった。古いTMSが保存してあるが結構欠本があるので補充に使えるはずだった。
0155鈴木
垢版 |
2018/12/06(木) 23:08:58.68ID:QQCC+kGc
>>154
都立図書館だと、雑誌の場合多分広尾本館でなく西国分寺になりますね。
0158名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/11(火) 01:15:43.18ID:UfLGyKS6
国会図書館はどうでしょう?『模型とラジオ』や『科学と模型』、『模型と工作』等、まだまだ揃っていない雑誌があるようです。
0159名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/11(火) 13:12:58.88ID:WngR/pNW
古い模型とラジオはどこにもないね
科学と模型はデジタル化されている。模型と工作は国会図書館の勝ち
0162名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2018/12/12(水) 20:24:51.73ID:LZxKPZDd
'69年といえば、過渡が最初のEF65を発売した年ではないか(ただし、台車はEF70のものを使用)。
0163鈴木
垢版 |
2018/12/12(水) 21:20:51.29ID:Xmmx1+MX
>>162名無しさん@
関水のEF70は1969年に改良新発売されてますね。
関水のEF65は見つけられませんでした。
あと、関水は連結器をアーノルト式に変更。
0164鈴木
垢版 |
2019/01/12(土) 15:22:04.66ID:2rSAp9K1
>>96鈴木で、
「山崎氏は、1形式当たり千ページもある図面を分析して、1枚の図面を作るのは大変な労力なんだ、と書いてるが、
私は必ずしもそうは思わない。 」
と書いた。

今日"日車の車両史、図面集-戦後私鉄編"を読んだけど、それを再確認する気持ちになりました。
そこには、戦後私鉄の日本車両製の図がシコタマある。
それらは、少なくとも車体に関しては1/90の全体図がある。
中尾図面ほど美しくはないが、普通に模型車体だけ作るなら十分な史料価値がある。
実際スタイルブックとほとんど違わない車体図もある。
何千万だか1億円だか知らないが、そういう物を納入する実物車両メーカーは、
鉄道工学素人(例えば私だの鉄道会社経営者)でも解るきちんとした外観全体図を、
鉄道会社に付与してるんじゃないだろうか?
というのが私の推測です。

台車はこの図面集には出てないが,同列図面集の、台車の巻には、かなりの物が、
スタイルブックよりも、的確に出てるはずだ。

なお、電車の台車の図面は1950年代のTMSにはそこそこ出ていたが、
それ以降は出ていない。
この場合台車の図面とは、平面図を含むものだ。
側面図だけでは、台車の構造は解りにくいし、
第一実物の台車枕バネはどの程度まで出っ張っているか、解らないでしょう。
0165名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/01/20(日) 22:13:48.16ID:RKen0E27
>>156
実際行ってみると閲覧請求したら欠本がかなりあった。切り取りや破損がひどいと廃棄になる。そのため国会図書館は扱いが非常に厳重、都立は都内の区立図書館などに貸出すので破損などよくある。
0166鈴木
垢版 |
2019/01/21(月) 08:06:43.25ID:0d4Vjqx4
>>165
ま、そんなとこなんでしょうね。
国会図書館は、一般コピー禁止本が多い。
国会図書館はその場合写真のような撮影サービスがあるが、
この撮影コピーは画質最悪、文字は汚く写真はほとんどマックロケ。
私の推測だが、コピー禁止とは言っても、世俗的にいう学者である事を証明すれば、
つまり〇〇大学教授で鉄道に関する研究書でも出してれば、結構コピー出来るんじゃないかな?
また国会図書館はあくまでも国会議員用の図書館であって、一般国民による閲覧とは大きな権利差がある。

まあそれでも、週1回閲覧可、コピー禁止の鉄道博物館資料室だの、
一般人一切閲覧不能の鉄道総研だかナンダカに比べればまだましだ。
0167名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/01/24(木) 21:43:34.46ID:GnMvOLF5
何号かは失念したが、CQ出版のRFワールド誌に戦前は鉄道模型を生産していて戦後、高周波コネクタの製造に参入した会社について書かれた記事があった。
0168鈴木
垢版 |
2019/01/25(金) 12:39:46.70ID:MNKH5XnC
>>167
電気の知識はないです。
電気っぽい会社名で戦前というと、
関電機製作所は、鉄模の中でも高額品を売ってたらしいのですが、
同社の戦後については知識がありません。
東京の会社なのか、関西の会社なのか、判れば絞って探せるかも知れません

戦後に話を変えれば、中目黒の
今井製作所は電気っぽい模型屋さんでした。

全然レスとして役に立ちませんね。
0170鈴木
垢版 |
2019/02/04(月) 21:50:52.67ID:+f+OPcmv
"日本の模型 業界七十年史" 非売品、全320ページ程度、昭和61年発行。

戦前から現代までの歴史だが、
半分は飛行機模型、1/3は船や自動車や教材やガンダム、残りが鉄模、といったところか。
飛行機模型の趣味者や業界が戦前から戦時中、文部省などにゴマ擦って、
小学校の正規の教育に取り入れるよう根回しした事を、書いてあった。
1939年には文部省内に"模型航空機教育教程編纂委員会"が設立されたそうだ(P111)

敗戦後の飛行機模型の凋落については>>14に少し書いた。

こういった模型界の政治運動は山崎氏にとっては苦々しいもので、
そういう事もあり、戦後鉄模雑誌を創刊する時に
雑誌名の中に、"教育"ではないシルシに、
わざわざ「趣味」の二文字を織り込んだわけだ。

戦前鉄模で有名な朝日屋は、昭和三年、大阪府泉南郡丹野輪で佐原一一氏が始めた、とある。
昭和三年川合延之氏はカワイモデルを浅草小島町に開店、1/30,35mmゲージを中心に売った
昭和四年関電機は本所厩橋でOゲージを売り昭和10年代に撤退した。
竹岡房次郎氏は当時蔵前4丁目で鉄模部品を売った(初期TMSに広告を出していた竹岡模型か?)
等々がこの本に書いてある。

この本には1956年の模型教材組合設立同意者として、
約40の模型店が挙げられていて、ほとんどはおそらく鉄模以外の模型店、
鉄模の模型店はカツミなど三、四社と思うが、
その中で、安達金属製作所、代表安達太郎、墨田区寺島町、
とあるのは、現在鉄模を売ってる安達製作所の事なんだろうか? が気になる。
0171名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/05(火) 00:23:28.29ID:Znm2e9X+
カツミが飛行機から鉄道になった理由は
おとなの工作読本No2(2003年)
62ページに書いてあります。
0172鈴木
垢版 |
2019/02/05(火) 07:12:31.77ID:kSu2/NIu
>>171
何て書いてあるのですか?
0173名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/05(火) 16:10:05.29ID:Znm2e9X+
>>172
知りたいの?
0174名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/06(水) 01:52:22.63ID:3qcJFUlY
>>168
>関電機製作所は、鉄模の中でも高額品を売ってたらしいのですが、
>同社の戦後については知識がありません。
ttp://www.tcawestern.org/seki.htm

関電機は戦時中に生産を中止したようで何号かは失念しましたが、TMSに戦後、山崎氏が生産を再開しないのか経営者に聞いたらもうやる気はないとの答えが返ってきたと書いてありました。。
関連は不明確ですが、製品の生産に関しては酒井というメーカーが似た製品を生産していたいたようです。
両社の製品は電関にウォームギアを使用せず、スパーギア(平歯車)による伝動を採用していたので電流を止めても
実物のようにしばらくは惰性で走行できたようです。製品は主にボギーの無いB型電関で箱のイラストとは似ても似つかないデフォルメした製品でした。
関電機は蒸気機関車の模型も生産していましたが、こちらも同様にB型電関の動力を流用していました。
TMS500号あたりで鉄道模型小史の第1回にもカラーで写真が掲載されていました。ヴィンテージ鉄道模型大全にも掲載されていたと思います。

ttp://www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/hagurumaya/omake02/sekied16.html
ttps://blogs.yahoo.co.jp/starfield86202000/31141880.html
ttps://beta.groups.yahoo.com/neo/groups/Sakai_SekiToyTrainGroup/info
ttp://traincollectors.co.uk/japanese-0-gauge-trains/
ttps://web.archive.org/web/20160914200210/http://dutchhrca.nl/dhrca2014agm-2.htm
ttp://works-k.cocolog-nifty.com/page1/2016/12/o-d40b.html
0175名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/06(水) 03:18:05.16ID:3qcJFUlY
関電機と酒井に関して
ttp://www.binnsroad.co.uk/railways/seki/myseki/index.html
ttp://www.binnsroad.co.uk/railways/seki/
ttp://www.classicogauge.net/forum/viewforum.php?f=57&sid=5caf5fc27dbd6197348050f84f480af1
ttp://www.classicogauge.net/forum/viewforum.php?f=25&sid=5caf5fc27dbd6197348050f84f480af1
ttp://www.binnsroad.co.uk/railways/sakai/index.html
0176鈴木
垢版 |
2019/02/06(水) 23:48:15.01ID:IFW5Zayp
>>175名無しさん
いや驚きました。
外国のトレインコレクターの凄さに。
リンク先全部を読むのは大変だし、ブリキ玩具の知識もほとんどないのですが、
関や酒井の模型を英国だかオランダだかで集めてる人が居るんですね。
日本人より、むしろ彼らの方が、関や酒井について詳しいのかも知れない。
有難うございます。
0177鈴木
垢版 |
2019/02/07(木) 08:37:07.29ID:fgPeSgq/
関電機の模型は精密であり、その分一般人にはとても買えない高額模型だった、
と何処かで読んだ気もするのですが、
このように沢山の関電機の写真を見ると、
同時期のカワイの1/30模型より、原始的な感じがしますね。
0178鈴木
垢版 |
2019/02/07(木) 12:01:12.25ID:ZaFybMUo
カツミが飛行機から鉄道になった理由は おとなの工作読本No2(2003年) 62ページ
に依れば次の通りです(一部省略)。注釈は鈴木が付けました。

「酒井銀蔵氏は、『円タク』と呼ばれた乗合自動車を経営していたが、
戦争の激化などで行き詰まる。そこで港区魚籃坂(注1)に店舗を設け、
近所の子供たちを相手に、ゴム動力の模型飛行機などの販売を行うようになった。
戦後進駐軍の指導によりゴム動力といえども飛行機はダメと指導され(注2)、
商うものがなく困ってしまう。
そのころ長男・酒井一氏が戦地から復員(注3)、一氏は
『飛行機がダメなら鉄道ではどうか』と提案」

注1、魚籃坂店舗付近は今はビル街だが、
 バブル以前までは近所の主婦が通う食料品店などがある普通の小規模商店街だった。
注2、進駐軍による模型飛行機禁止は、日本の模型屋の考え過ぎと思う。この件は既述の
 "日本の模型 業界七十年史"に書いてある。
 飽くまでも鈴木の想像に過ぎないが、
 「model of 飛行機禁止」という指導があった場合「model」は「試作」という意味だったのを、「模型」
 と解釈した可能性はないだろうか?
注3、酒井が復員した時、「今度復員した酒井一です」と紹介された、
 と、山崎氏は何号かのミキストに書いてあったと、思う。
0179名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/10(日) 09:27:41.66ID:cwc08IuI
>>177
関電機の製品は箱の図は立派なのに中に入っているのは平歯車が片側のフランジを兼ねているB型電関だったりして
かつての有井のプラモデルの蒸気機関車のようなものでした。以前、天4で4万円位で売られていました。
戦前にライオネルの模倣ともいえるようなガラレールとの組み合わせでKTM等が1970年代初頭まで売っていた電関の入門セットの
原型が既に出来ていたようです。平歯車を伝動に使用した電関は知る限りでは関と酒井や他には宮沢のEF58くらいです。
戦後に参入した他社は揃いも揃ってウォームギア伝動だったようです。
精密さという点では港区芝にあった千代田計器が群を抜いていたようです。
『ヴィンテージ鉄道模型大全』によればブランド名は、英国向けがStronliteとOxil、欧州大陸向けはBryant。米国向けがSekiとBryant。オーストラリア向けはMaraklin
(綴りに注意)とされる。
戦局の拡大で消滅したが、戦後に関係者が酒井製作所(Sakai)を立ち上げたそうです。
ttp://tplibrary.seesaa.net/article/441967032.html
>>178
模型飛行機の禁止は航空機開発全般が禁止されており、それに伴う『風洞実験用の模型を禁止する』という指令を
羮に懲りて膾を吹くが如く、拡大解釈した可能性もあります。
ラジコン技術誌に戦後の復興期に北村小松氏が模型飛行機はだめだから包丁が主翼になった豚を飛ばしたというエピソードがあり、
それを見た進駐軍の軍人と仲良くなって一緒にUコンを飛ばしたという記事がありました。
ttp://mokoken.driven.jp/kimura/kimura.html
ttps://ameblo.jp/hien-ki61/entry-12087986152.html
ttps://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/meihin_21.html
酒井氏は自動車の整備や運転が出来たので戦争中はトラックで輸送する任務に就いていて地雷敷設地帯を勘と度胸で走破したそうです。
0180名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/10(日) 09:29:39.35ID:cwc08IuI
捕捉
>かつての有井のプラモデルの蒸気機関車のようなものでした。
箱のイラストと中身の違い(落差)が似ているという意味です。
0181名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/10(日) 10:29:08.12ID:cwc08IuI
ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b369883659
ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h353444960
ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g315305121
ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r292854393
0182鈴木
垢版 |
2019/02/10(日) 21:37:53.40ID:xSy7Umnn
>>181名無しさん@
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h353444960#enlargeimg
の、フランジ平歯車共用を見ると、曲線で
平歯車の歯が、外側レールヘッドの内側側面に食い込んで、レールに乗り上げるんじゃないかと、心配しますが、

実際には
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b369883659#enlargeimg
↑の如く、レールヘッド断面が角型でなく円弧なので、乗り上げない、という事がわかりますね。
0183鈴木
垢版 |
2019/02/10(日) 21:49:53.55ID:xSy7Umnn
>>179
>模型飛行機の禁止は

GHQに依って模型飛行機の製作は禁止されていると思っていた
業者や一般人が沢山いたのに、
実際には敗戦後間もなく皇居前広場で、
米兵+日本人で、模型飛行機競技会か行われたと聞いてます。
0184名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/10(日) 23:13:48.96ID:cwc08IuI
模型飛行機の禁止はGHQを刺激しないように日本側が過度に対応していたようですね。

ttp://www.aero.or.jp/bunka/50zadan.htm
戦後GHQによる「航空禁止令」(?)とはどんな内容だったのか読んでみよう
ttp://ascii.jp/elem/000/001/531/1531212/
SCAPIN-301: COMMERClAL AND CIVIL AVIATION 1945/11/18
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885365
1947年/昭和22年、模型飛行機生産再開
ttps://minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
0185鈴木
垢版 |
2019/02/11(月) 09:22:43.25ID:LZhDkSG8
>>184
色々有用なリンク提示、ありがとうございます。

http://www.aero.or.jp/bunka/50zadan.htm
は、御主旨とは違う事になってしまいますが、鉄道趣味者の目で驚きました。
利光松男日本航空協会会長は、利光鶴松の息子ですね。
利光鶴松は自由民権運動の活動家だったが、政治運動に行き詰まって実業家に転身し、
小田急電鉄を創業した人です。
終戦時は小田急喜多見駅付近(今の小田急車庫付近)に住んでいた人です。

http://ascii.jp/elem/000/001/531/1531212/
は、「4. including working models.」が問題になります。
「動作する形の物を含む」でしょうか。
日本側が、萎縮したのもうなづけます。
下手したら、戦争中自分達が煽っていた、
模型飛行機軍国主義教育の件で、戦争犯罪人として捕まってしまいますから。

https://minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
は、模型史としてまとまっていて、優れてますね。
  「・1946年/昭和21年、 宮城前広場で戦後最初の模型航空機大会を開催。」
は、多分私が書いた、「米兵+日本人で、模型飛行機競技会」の事かと思います。
  「・1946年/昭和21年、 空缶利用の鉄道Oゲージレール製造を立川の遠藤製作所」
は、当時友人が持っていた、
黒色のゼンマイ動力電気機関車模型のプレス細工の板金裏側が、
機関車模型表面よりもずっと美しい缶詰の印刷なのが不思議でした。
もう一つ、魚籃坂カツミの至近に遠藤プレス
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-CYpAX2RA_LQ/
という中規模の工場があり、これは「立川の遠藤製作所」とは、何の関係も無い会社なのか、
ちょっと気になります。
0186名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/14(木) 01:48:26.48ID:0eRhewSO
> 空缶利用の鉄道Oゲージレール
3線式Oゲージのレールの長さは空き缶のブリキを展開した長さで決まったという説がありましたが、裏付けられたようです。

minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
↑は多分資料の転載なので出典があると思います。
0187名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/18(月) 23:53:30.42ID:JIjxW5zx
>>168
何号かは失念したが、CQ出版のRFワールド誌に戦前は鉄道模型を生産していて戦後、高周波コネクタの製造に参入した会社について書かれた記事があった。

改めてバックナンバーを常備している店舗で調べたところ、RFワールド vol.29 P.110の川島金属玩具製作所でした。現在は川島製作所として高周波コネクタ等を製造しているようです。
1925年創業で当時はブリキ製の凸型電関等を製造していたようです。
ホームページの写真をよく見ると、ギザギザの第3軌条でどうやらラックレールがあるようです。
当時は交流3線式が一般的でしたから、どのようなメカニズムであるのか気になります。
ttps://kmco.co.jp/
0188名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/19(火) 00:03:26.33ID:OcLu9NnR
そういえば、近年、DCCやメルクリンデジタルのような多重制御が普及していますが、戦前の『科学と模型』誌にも
複数の列車を同一の線路上で個別に制御する手法が掲載されていました。
特定の周波数の高周波(といっても電鈴と同じような機構で断続する電流)で車載のステッピングモーターを駆動するものでした。
黎明期のラジコンで用いられたシングル式の送信機で使用されたエスケープメントに似た機構で電磁石に通電するとガンキ車がカチャと数度回転して
ロータリースイッチをON、OFF、逆転する機構だったようです。他にも音叉の共振を使用して混信を防ぐ手法も試されていたようです。
0189鈴木
垢版 |
2019/02/19(火) 11:59:57.95ID:N2jByC6/
>>187
この会社、かなり大きいんですね。
50年以上昔に撤退した、鉄模の写真を
トップページにドカンと載せてるのは、好感が持てます。

この機関車、当時かなり模型が流行った、
ニューヨーク・セントラル鉄道の機関車を多くの人が連想するんじゃないでしょうか。
https://en.wikipedia.org/wiki/New_York_Central_S-Motor#/media/File:The_Street_railway_journal_(1904)_(14739010736).jpg
この辺の模型(車軸配置が簡略化されてるけど)よりは精密みたい。
このLionel製はひょっとしてボギー式?  ↓
https://marketplace.trainzauctions.com/offer/details/Lionel-402-0-4-4-0-Electric-Locomotive-8505382

もし、中央軌条給電だとしたら、中央のラックレールはまずいですよね。
戦後の人が適当にラックレールを置いた?
0190名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/20(水) 00:51:41.30ID:bUOPsHeS
凸型電関は1920年代の大恐慌前の時期でアイヴィスやライオネル等が生産していたようで
それらを模倣した可能性があります。

TMS2004年7月号(No.726) p44に伊藤氏の『郷愁NYC電関レプリカ作成の記』が掲載されていました。
0192千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
垢版 |
2019/03/19(火) 23:35:53.09ID:L2DskTvU
こんなスレがあったんですね。
鈴木さんにしては珍しく、いいスレ立てましたね。

さて、50年前と云えば…私がこの趣味に入って、もうすぐ50年。
その当時のカツミEB10は散々走らせまくって壊しましたが(笑)
一緒にスターターセットに入っていたワフ35000とトラ45000は私の手許でいまも“現役”
つい先程も加トのD51に牽かれて走り回っておりました。

このスレを御覧の皆様は、50年前はどんな鉄模(または鉄玩)で遊んでましたか?
0193鈴木
垢版 |
2019/03/20(水) 12:20:57.81ID:WqhU9X/Q
>>192千円亭主
>鈴木さんにしては珍しく、いいスレ立てましたね。

珍しいかどうかは知らんが、有難うございます。
スレタイは「50年以上前」
なので、60年前でも100年前でも結構です。
0196鈴木
垢版 |
2019/04/09(火) 18:02:45.62ID:2orDLsYq
>>195名無しさん@
>小生も有用なスレを立てて頂き

好意的評価ありがとうございます。

今のところ
「50年以上前」という言葉は、
  鉄模に対する個人的想い出と、
  鉄模自体の歴史と、
はっきり区分していないのですが、
まあ、よろしくお願いします。
0197名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 09:38:40.86ID:U/BntCXX
【作品投稿】鉄模雑誌 比較スレ【TMS,Train,RMM】に
TMSのガリ版刷り旧1号〜旧3号(現TMS活版刷り1号の創刊前に発行された)
と考えられる目次が出てます。
「考えられる」と持って回った書き方をするのは、
この投稿された目次に、明確に「旧号」と書かれていないからです。
でもこれの前後の投稿のやり取りから、多分「旧号」と考えられます。
大変貴重な投稿と思います。

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/gage/1344523991/361-363

@「鉄道模型趣味 第1号
創刊に際して 山崎善陽 1
新標準規格 鉄道模型懇話会 酒井喜房 2
縦型モーターの製作技法 山崎善陽 8
0番と僕 竹野正吉 12
NEWS & TOPICS 酒井喜房 14
ワキとトキ 中尾豊 17
鉄道模型懇話会結成
クラブ便り
クラブへのお知らせ
掲示板
編集者の手帳」

A「鉄道模型趣味 第2号
アメリカ模型界展望 山崎善陽 25
再建のことば U.E.R. 上田龍 28
フリーランス オハ500 竹野正吉 29
窓を抜かずに客車ができる T&N生 33
Railway News & Topics 酒井喜房 35
二線式と三線式の信号配線 山崎善陽 39
鉄道模型界あれこれ(座談会) 40
C形タンクエンジン217号 酒井喜房 44
海外通信
訂正
クラブ便り
掲示板
編集者の手帳」

B「鉄道模型趣味 第3号
随想 まくらぎ会 増見茂治 57
私の設計法 能率的に美しく 津村清 52
スイテ49 大角忠 49
フリーランスB型電機について 伊藤博 50
自由形ディーゼル電気列車 酒井喜房 56
日本の鉄道と模型 デグィッド L ワディント 60
モデルの冶具 山崎善陽 61
Railway News & Topics 酒井喜房 65
荷物電車の製作 四つの手紙 山崎善陽 67
????展
待望の鉄道模型展
新形式E10
??氏の近況
軌楽会の運談会
NYCの新型蒸機
掲示板
編集者の手帳」
0198鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 09:40:35.35ID:U/BntCXX
>>197名無しさん@ は鈴木の投稿です。
0199鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 10:50:12.23ID:U/BntCXX
何故TMSに、1号から928号の他に、
それ以前の、通称TMS旧1号からTMS旧3号が存在するかというと、
おそらく、TMS旧号は、
米国占領軍の検閲法令による雑誌の発行許可を取っていなかった。
それで活版で発行するのを機に、創刊雑誌として発行許可を取ったのだが、
それ以前に無許可で出したTMS旧号は、「無かった事」にしたんじゃないだろうか?
これを匂わす事は赤井編集長が近年"編集者の手帖"に書いてたと思います。

そして、>>197に引用したTMS旧号目次で、
第一号のp1に山崎氏が"創刊に際して"を書いてるのだから、
TMS旧号の責任者は山崎喜陽氏で間違いないはず。
しかるに、現TMS1号の責任者が酒井喜房氏なのは不思議。
(但し現TMS2号以降の責任者は山崎氏)

活版印刷ともなると、仕事も大掛かりになるから、年長の酒井氏に頼んだのか?
それとも、大学の研究室で修業中の学徒山崎氏が、
玩具のサイドビジネスをしてたら、学問不熱心で教授に叱責されるか?
0200鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 15:36:13.25ID:U/BntCXX
>>197に引用した、TMS旧号目次の内、
私が知ってる範囲の人物は、現在有名な人は別して、

竹野正吉氏は戦前は1/30,35mmゲージの"ミトイ会"のリーダー。
 側面に英語のレタリングを派手に描いた自由形電車だか気動車だかが、カッコ良いと評判。
 戦後はOゲージ、さらに16番に進んだらしい。
 TMS、50号ミキストには山崎氏が批判を書いてる。

デグィッド L ワディントン氏はDavid L Waddington氏。Sゲージファン。
 占領軍として来日し、成城の山崎氏を見つけた事は、
 何年か前のミキストに詳しく書かれている。初期TMSに大きく協力した。
 MR誌に精緻な電車の図面を提供し、
 それはTraction Guidebookで、見る事が出来る。

増見茂治氏は、ミキストの前身とも言える"模型鉄道"誌内コラム「サンドボックス」を
 山崎氏と一緒に執筆した、とTMS、50号ミキストに書いてある。
 山崎氏の高校時代の友人。1954年逝去と、71号ミキストに書いてある。
0201名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 20:22:33.21ID:4Hk2TBmm
1930〜50年代に生まれた方々ってほんと器用
ボディを自作しながら機関車組み上げるんだもんな
60・70年代生まれはキット組み立てがやっとで基本的に完成品、80年代生まれ以降は完成品にパーツ付けるのにもブーブー言うもんね
自作のコントロールパネルなんて私語になっちゃった
0203鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 21:38:10.18ID:U/BntCXX
>>201名無しさん@
>1930〜50年代に生まれた方々ってほんと器用
>60・70年代生まれはキット組み立てがやっとで基本的に完成品
       ↑
本当に器用なのか? どうなのか? は別として、
鉄模を自作する、という事は、好みの車両があれば、
世界の何処の珍車でも、歴医的過去のどんな珍車でも、
でも作れる。
また、自分が良いと思うどんな縮尺でも、どんなゲージでも、
作れる、という大切な二点があると思います。

一方最近では、模型屋製キットの組み立てや、完成品の入手がはやり、
それらは、金さえ出せば、自作よりも大抵は遥かに優れた模型に成ります。

しかし、キット組立にせよ、完成品買物にせよ、
模型化対象実物は模型屋が、一意で決めるものであり、
模型化の縮尺やゲージは模型屋が、一意で決めるものであり、
この点では趣味者は武器を放棄して模型屋の奴隷になる、という事になりかねません。
0204名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 23:18:51.85ID:wWsbPmB/
>>200
>竹野正吉氏は戦前は1/30,35mmゲージの"ミトイ会"のリーダー。
記憶があやふやなのですが確か竹野氏はとれいん100号辺りで戦前の鉄道模型界隈に関して書かれていたと思います。

>>201
確かにその感はあると思います。
手軽に完成品を購入出来なかった時代には模型とラジオ誌等の少年向け工作雑誌の記事を読んで作るのが一般的だったようです。
戦前の科学と模型誌や子供の科学誌にも現代の愛好家からみると本当に製作していたのか疑問がありますが、当時の読者層である中学生達が旋盤やフライス盤の使用を前提とした製作記事があります。
0205鈴木
垢版 |
2019/04/29(月) 02:22:15.68ID:loOGQXju
>>204名無しさん@
>記憶があやふやなのですが確か竹野氏はとれいん100号辺りで戦前の鉄道模型界隈に関して書かれていたと思います。
        ↑
私もその記事を読んだ記憶があります。
そして、竹野氏はごく初期のTMSに何回か記事を執筆してます。
それからごく初期のTMSに何回か広告を出した
「フジモデル、富士板金模型研究所、新宿区諏訪町32」
は竹野氏の模型屋じゃないかと思うのですが、断定できません。

>手軽に完成品を購入出来なかった時代には模型とラジオ誌等の少年向け工作雑誌の記事を読んで作るのが一般的だったようです。
        ↑
TMSはそう言った"何々の作り方"的な少年向け記事を抑制する一方で、
鉄模ファンの集まりに参加する顔ぶれを、教授だの、一流企業社員だの、お茶の先生だの、
の高級な大人の社交界みたいな書き方をしてました。
科学教育用雑誌ではない、大人の趣味、という旗印で。
0206名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/05/01(水) 17:43:17.19ID:TErcEFRg
私も親にせがんで「EB級電関」を買ってもらったなぁ。
当時のトランスはタップ式だから、ダイヤルを上手く回さないと無電の部分があった。
レオスタットの方式が出てきたのは、16番に移行してからだった。
16番は、レールも2本だったし、レオスタットのスムーズな加速で、
小さいのに高級な感じがした。
0207鈴木
垢版 |
2019/05/01(水) 19:14:38.57ID:i0luSqCm
>>206名無しさん@
>レールも2本だったし

私なんかの昔の認識では、
「3本レール」は高級品。
レールが2本のヤツは、ゼンマイ式か少し良くても電池式。

レールが2本のヤツは、クラスでも二、三人持っていたが、
「3本レール」ともなると、学童用雑誌の写真でしか見れなかった。
いや、何処かのデパートで見たかも知れないが、その価格はとんでもない値段。
0208鈴木
垢版 |
2019/05/04(土) 08:22:09.58ID:NZOm+bmn
Oゲージの最初は古ラジオから抜き取ったらしいトランスで走らせた。
トランスのタップは6.3Vと12Vとで、電線を直接持って、6.3Vにしたり12Vにつないだりしてた。
何故「6V」でなく「6.3V」なのか解らないが、当時6.3Vのトランスはよく見かけた。
ラジオに使うのに、6.3Vが適していたのだろうか? 

16番を始めた時、セレン整流器が必要と知って、父にきいたら、
1Aのセレン整流器をくれた(父は電工のような仕事をしてた)。
それで、セレンと、6.3Vと12Vのトランスで紙車体の電車を走らせていた。

"スパイクから運転まで"に塩水抵抗器の作り方が書いてあったので、
これを作って見ると驚くほどスムーズな加減速をした。
しかし何日か使うと、ビンの中の塩水が薄気味悪い濃緑色に変化し、気持ち悪いから捨てた。

可変抵抗器を買ったのはずっと後で、
そのころには秋葉原の電気街も知ったので、そこで買った。
0209名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/05/06(月) 17:03:51.68ID:AWvXVxgm
脳「ムム、この感じ…子作りっ!?」
左金玉「待ってください!脳っ!!!これはオナニーです!!」
脳「んわけない!!お前はご主人様を信じられないのか!!!!!」
左金玉「これまで14歳から26歳まで毎日射精して全てオナニーなんですよ!?もう信じられません!!!!!!!」
脳「うるさいっ!!!!!!黙れ!!!!!!!!右手っ!どうなんだ!!!」
右手「規則的な運動をしています」
脳「よし!!金玉!!!射精の準備だ!!!!!」
左金玉「もう無理です!!!!さっきから右金玉からの反応もないしもう限界です!!!!!3日…いやせめて2日でもいいから休息をください」
脳「黙れっ!!お前は子孫繁栄の事だけを考えていればいいんだ!!!」
左金玉「だからこれは子孫繁栄とはなんら関係のな
脳「発射3秒前!!!!!2!!!!!!!1!!!!!!!!!!!!発射!!!!!!!!!!!!!!!」
金玉「「うわあああああああああああああああああ」」
精子「うわああああああああああああああああああああ」
ワイ「うっ…ふぅ」
小池百合子「濡れタオルを首に巻いて熱中症対策!」
ワイ「マンコに入れた方が涼しいよ」ズボッ
百合子「ひゃうんッ!ワ…ワイさんそんないきなりされたらびっくりしちゃう…」
ワイ「やっぱりおちんぽの方が良かったかな?」ズボッ
百合子「はぁんッ!熱い…ワイさんのおちんちん熱いィ!」
ワイ「じゃあタオルで冷やさなきゃね」ズボッ
百合子「アァン!ワイさんダメ…百合子のおまんこおかしくなっちゃう!」
ワイ「アッハッハ!もうおかしくなってるよ!」ズボズボズボズボ
百合子「らめぇぇぇぇぇ!!!!!東京オチンピック開幕いたしまぁぁぁす!!!!!」プッシャアアアアアアアアアアアア
小池百合子「都民ファースト」 
ワイ「ふーん…俺のちんぽより都民が大事なんだ?」
ワイ「じゃあもうしてあげないよ?」
小池百合子「え…イヤ!そんなのイヤよ!」
ワイ「じゃあ何ファーストなの?」
小池百合子「…ぽファースト…」
ワイ「もっと大きな声で言わないと聞こえないなぁ!」
小池百合子「おちんぽファースト!百合子はずっとワイさんのおちんぽ第一主義よぉ!!!」
ワイ「…いい子だ」ニヤリ
ワイ「本当にワイのチんポは小さすぎて見えなあああああい!!!!」(激怒)
ワイ「でしょ?」
ワイ「でもオナホールをハメると…世界は変わる」
ワイ「大きくなっちゃうんです!!(勃起)」ウォォォォォ
ワイの金玉の中の菊川怜「すごーい、(血管が)はっきりきれいに見える!」
ワイ「オチんポの高度がエクスタシーで上がりました…」
ワイ「なんてデカいカリなんだ…!」
ワイの金玉の中の菊川怜「チんポの皮がカットされてる!長時間シコっても手が楽!」
ワイ「ちょっと見ていて下さいね」ニュポッ
ワイの金玉の中の菊川怜「きゃあっ!!//」
ワイ「この感度、さすが MADE IN JAPAN」
ワイの金玉の中の菊川怜(ウインク
ワイ「スゴいぜ!ワイのチんポ!!」ワアアアア(拍手喝采)
ワイの金玉の中の菊川怜「ワイのチんポ、だぁいすきー」
0210鈴木
垢版 |
2019/05/07(火) 08:15:01.70ID:mMB2sZpT
家庭用の電気が、一律にAC100Vになったのは、よく解りませんが大正時代なんでしょうか。

TMS,No.237,1968年、3月、p191の山北藤一郎氏発言によると、
  神田淡路町に住んでいて、配電はDCだった。
  「神田多町の何番地に来ている電気は直流ですか、交流ですか?」
  と変電所の人に尋ねたら「直流です」と言われた。
  その頃蓄電池を買ったので電灯線からすぐ充電できた。
  直流でなくなったのは震災(1923年)で変電所が壊れてから。

電灯線から蓄電池にすぐ充電できた、というのは、
DC6Vか12Vの配電だったのだろうか?
英国の初期電動模型にDC6Vが使われたのは、
バイクのDC6V電池用が入手しやすいから、と何処かで読んだ記憶もあるのだが、
そのバイク以前にDC6Vの配電地区があったからなのだろうか?

因みに東京都内の大正時代までのDC配電に関しては
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000026/26446/06haraguchi.pdf
長文で読むのがシンドイが、ここに詳しいです。
0211鈴木
垢版 |
2019/05/08(水) 22:33:15.74ID:QmG/RpBO
米国バーニー社カタログ集 ↓
https://www.hoseeker.net/varneymiscellaneous.html

その中の蒸機模型集 ↓
https://www.hoseeker.net/varneyinstructions.html

その中のHOの2-8-2の部品集 ↓
https://www.hoseeker.net/assemblyexplosionvarney/varney282mikadorigidpg1.jpg
驚くのは、米国のHO機関車でも、
これだけ多種の細かい部品を、価格表付けてバラ売りしていた時代があったわけだ。
米国は機関車自作をしない、という印象があるが、
少なくとも、このカタログを発行していた当時は、自作がかなりあったのでしょう。
そしてこれほどのバラ売りは、日本では到底出来ない事だと思います。
0212鈴木
垢版 |
2019/05/09(木) 23:14:50.61ID:/s1JU1gL
https://www.hoseeker.org/varneymiscellaneous.html
また、バーニーのカタログなのだが、

https://www.hoseeker.org/varneyinformation/varney1939catalogpg06.jpg
1939年カタログ、p4、第二段落
「The year 1938 marked the general swing from out-
side third rail operation to what is known as two rail
distribution.」
「1938年は外側第3レール運転から、2レール給電への総合的転換として、マークされる」
と拙訳ながら、読めると思います。

つまり少なくともバーニー社に関する限り、1939年にはHOに於いて、
旧来の外側3線式から、
2線式に舵を切ったと言えると思います。
バーニーについては、後でさらに書くかも知れません。

因みに英国OOに於いて、ホーンビーが2線式に舵を切ったのは、
その20年後、1960年です。
0213鈴木
垢版 |
2019/06/06(木) 12:26:11.15ID:oXU2R15V
https://www.hoseeker.org/gallery/index.php?album=mantuatyco%2Ftrainsets&;image=mantuagayoldtimertrainset1.jpg
Mantua社というのは、日本でも大型模型店として多少知られていた。
何故なら、米国HOの創始者の一人エリック・ラナル氏が、HO用連結器として、
ラナル式連結器をMR誌1935年1月に発表した。(出典、ミキスト1955年2月号)
この連結器はその後、Mantua社で生産され、ケーディ連結器以前の
米国HOの最有力連結器になった。

山崎氏は、自分が創設した16番用連結器に、このマンチュア型連結器を採用したかった。
そしてマンチュア型連結器とほとんど同一の砧型連結器を推奨した。

マンチュア型連結器はどういう理由か? 日本では発売されなかった。
そして日本では、マンチュア型に一部似ているが一部異なる連結器で、米国では少数派の
ベーカー型が一挙に3つの模型店(カワイ、天賞堂、鉄道模型社)から発売され、
ベーカー型が16番の標準的な連結器になってしまった。

https://www.hoseeker.org/gallery/index.php?album=mantuatyco%2Ftrainsets&;image=mantuagayoldtimertrainset2.jpg
こうして昔のMantua社の模型キットを見ると、
写真右の客車主材料は真鍮に見える。
これを組むためには、おそらくハンダ付けの技術が必要であり、それなりにむずかしいはずだ。

こういうむずかしいキットは、その後のMR誌の方針かどうか解らないが、
米国では忌避され、
「車両は原則完成品を使い、趣味者の工作は情景付きレイアウトに集中せよ」
になったんだと思います。
0214鈴木
垢版 |
2019/06/09(日) 09:54:37.96ID:kjvgslCf
日本人でVarney社と言うと想い出すのは、
HO蒸気機関車模型の動軸可動装置に長いピアノ線を使った装置だろう。
これはTMS,1947年4月号ミキストで、3動軸用が図示された。

https://www.hoseeker.org/assemblyexplosionvarney/varney282mikado1788kpg2.jpg
↑は図としては、ミキストの図より見ずらいが、4動軸用です。
この図で「driver springs」や「spring guide rivets」なる物が核心部です。

日本ではその後すぐ、
Oゲージの蒸気機関車でこれを使った自作品がTMSに載った気がするが、
号数は解らない。
0215名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/15(土) 04:59:14.14ID:WXZd/smz
>>208
>何故「6V」でなく「6.3V」なのか解らないが、当時6.3Vのトランスはよく見かけた。
>ラジオに使うのに、6.3Vが適していたのだろうか?

マツダラジオフレンド第2巻第2号(1952年4月号)によれば
真空管のヒーター用の電源として鉛蓄電池を3個直列にした電圧だそうです。
ttps://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=334012&id=59452737

真空管のヒーターに関する実験
scw.asahi-u.ac.jp/~sanozemi/Sakuhin/tube01/tube01.html

6.3V系の傍熱整流管 - おんにょの真空管オーディオ
ttps://blog.goo.ne.jp/onnyo01/e/162cd65b0fbd41367325565987909830

ヒーター電圧と真空管特性の関係
www.op316.com/tubes/datalib/heater.htm

Mini Watter アンプ・Project
phys.sci.hokudai.ac.jp/newfront/subpage/理数応援OpenLab_project_Amp.pdf
0216鈴木
垢版 |
2019/06/15(土) 15:05:09.94ID:RxM0r5+i
>>215名無しさん@
ありがとうございます。
電気関係でも、ディープな人や雑誌があるもんですね。

一度書いたと思いますが、戦前の山北藤一郎氏の神田の家は直流配電だったらしい(TMS,1968年3月)
それに電球抵抗を介在させて模型のモーターを回した、と言ってます。
それから山北氏は、買ってきた蓄電池に配電されてる直流から簡単に充電できた、とも言ってます。
もう少し古い田口武二郎氏は、手製の重クロム酸電池を使ったらしい(TMS,1953年7月)

マツダラジオフレンドという雑誌も面白そうですが、
図書館などでは見つかりませんでした。
0218鈴木
垢版 |
2019/06/15(土) 17:36:57.89ID:RxM0r5+i
>>217
何が言いたいの?
自分の鼻の穴がくっさくて困ってるの?

鈴木は以前から、電気に関して一般人以上の大した知識は持ってないと言ってますよ。
それに対して>>215名無しさん@は、
鈴木が知りたい1950年代から1960年代の電気の資料に各段と詳しいですよ。
多分、昔は盛んだったラジオ製作趣味を体験した人なんでしょう。

50年前の、鉄模趣味と、ラジオ趣味の関係バナシは一度書いた気もするが、
その内また書きましょう。
0219名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/16(日) 12:44:28.25ID:fL5YpCIV
215
小生は数年前、鈴木氏に有用な資料に関して御教示を頂いたので自分も氏の為に何かお役に立てればと感じた次第です。
ラジオ製作趣味は少しだけでそれほど詳しくないです。

マツダラジオフレンドという雑誌は東京芝浦電気(株)管球販売部が技術者ではない一般向けに刊行していたようですが、
現存数が少ないようです。
ttps://kogundou.exblog.jp/23555612/
ttp://www.kyo.co.jp/~mikosa/Documents.htm
0220鈴木
垢版 |
2019/06/16(日) 18:24:51.05ID:hRIuBE9s
>>219名無しさん@
>小生は数年前、鈴木氏に有用な資料に関して御教示を頂いたので

「それはどうもわざわざ恐縮で」.......なぁんて書くとまた>>217みたいな男が出て来そうですな。

"マツダラジオフレンド"は、
国会図書館、都立図書館、国立科学博物館、大阪市科学館、東芝未来科学館には無いですね。

他にもアチコチ調べたが、改めて解ったのは、
昨今の「博物館には図書室はほとんど無い」という事ですね。
その代わり受付で、ネアカな制服の美女がニコニコ、
ハンバーガー店のように応対するだけのようです。
コチトラ、制服の美女に会うために、わざわざ辛気臭い博物館に行くわけではないのだが。
それに比べれば大宮の博物館がカタチだけでも図書室を置いてるのに感謝すべきなのか。
0221名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/17(月) 00:18:13.63ID:k04AnFEH
建設的な活動をせずに他人の足を引っ張ったり揚げ足を取る低能な輩はリアルでもネット上にもいるので関わらず放置&無視がよろしいかと思います。
他のスレを見ると定期的に巡回しているようで彼らに対して正論を述べたりすることは承認欲求を満たすことになり逆効果でエサを与えるようなものではないでしょうか。

> 昨今の「博物館には図書室はほとんど無い」という事ですね。
確かに昨今の博物館に図書室は殆んどありませんね。横浜の1番ゲージの博物館は最近では休日でも閑散としているようですし、模型関連の文献等の収集、保管はしても一般には公開しないようですね。
先行きが危ぶまれます。
www.asterhobby.co.jp/pdf/22.pdf
ところで調べてみて感じたのですが、真空管に限らず、戦前のメーカーはカワイの『模型鉄道』誌や朝日屋の『科学と模型』誌のように一般向けの啓蒙雑誌を刊行していたようです。
戦後は科学教材社が『模型とラジオ』誌を刊行していました。
0222鈴木
垢版 |
2019/06/17(月) 07:30:29.69ID:9RE57dA5
国立科学博物館の図書室は15年くらい前、新大久保付近にあり一度行った事があります。
今は筑波に移転しているらしいです。
博物館は入場者数増加に必死になるため、
子供やファミリーや恋人受けやTV受けを狙ってネアカ感を出す一方、
図書室は入場者数増加に貢献しないからいらない、という事じゃないかと思います。

カワイの『模型鉄道』誌は、特に酒井喜房編集長時代の物を一度見たいとは思いますが、見る事ができません。
誰かがデジタル化してネットに載せてくれればいいのですが、
そうなると今度は著作権の問題も出るのかも知れません。

朝日屋の『科学と模型』誌は、国会図書館に若干あったと思います。
『科学と模型』誌は、戦後すぐ復活し、1950年代まで続いたはずですが、
刊行停止時にTMS上には、説明は無かったと思います。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1764694?tocOpened=1

『科学と模型』誌は、戦前山崎氏の16番規格を載せた太っ腹の雑誌なのですが、
戦後TMSはライバル誌していたと思います。
何故ならTMSは、「大人の趣味」を目指し、
『科学と模型』誌は、子供の科学教育のための記事が多かったからです。

私個人はTMSの、「大人の趣味」路線など、あまり高く評価しません。
0223名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/19(水) 15:03:20.90ID:nDhuD8tl
『科学と模型』誌は模型部品の販売会社が刊行していたので詳細な部品の寸法を書いた記事で自社の部品を使えば記事通りに実際に組み立てられる記事が掲載されていました。
一方、TMSの方は初期は記事通りに組み立てれば走らせられる記事が掲載されていたものの、広告主であるメーカーからキットや完成品が発売されるようになると直接メーカーの製品と競合するような製作記事の掲載は
無くなった気がします。市販品の改造や製作記事であってもナローや外国型やOスケール等、広告主と競合しないような車種の製作記事に限定されていた気がします。

アメリカのモデルローダー誌ではサウンドシステムの自作やフルスクラッチの記事があったのとは対照的な気がします。
0224鈴木
垢版 |
2019/06/19(水) 19:48:43.32ID:BJEf5TPZ
>>223名無しさん@
>自社の部品を使えば記事通りに実際に組み立てられる記事が
        ↑
"模型と科学"と同じなのが、後年の"模型とラジオ"でしたね。 ガキの時、
私の友人は"模型とラジオ"を読んでいて、私はTMSを読んでいたのだが、
乏しい小遣いでやってる者には、部品一覧とそれぞれの価格が出ている友人の雑誌が羨ましかった。
当時のTMSは、模型の値段はほとんど書いてなかった。
0225鈴木
垢版 |
2019/07/15(月) 06:57:54.02ID:CP657SVN
"鉄道ピクトリアル"1956年10月号p10、"趣味から見た鉄道書[1]"川上幸義筆、
は題名の通り実物鉄道書の精緻な書誌的解説だが、
鉄模に関しても、以下の如く雑誌について三点言及してる。

@戦前普通の書店で買える雑誌で鉄道に関しても書いてあるのは
"子供の科学"、"科学画報"、"科学知識"だったが前二者は、毎号模型記事があり、
原田三夫、本間清人、山北藤一郎が書いていた。戦後の"子供の科学"はかなり編集方針が変わった。

A日本の鉄道趣味雑誌として最も古いのは、"鉄道"だが、編集長の武田氏は元来模型趣味者なので
模型記事も毎号あった。1/30、35ミリ模型が中心だった。1938年頃100冊程度を出して終刊したようだ。

B日本の戦争突入で雑誌の廃刊が相次ぐ中、最後まで発行されたのはカワイの"模型鉄道"。
この雑誌は最初は鉄模ばかりだったが、10号あたりから実物の記事も出てくる。
1941年の21号から紙質が悪くなった。1942年の27号で終わった。
0226鈴木
垢版 |
2019/09/01(日) 11:07:32.23ID:CQeM9hmX
https://marklinstop.com/2018/01/marklins-00ho-track-system-1935-present/
これなのだが、
ここでは、メルクリンでなく、英国のOOを考えます。

Hornby 3-rail 00 track (courtesy Eric Wicherts)
https://marklinstop.com/wp-content/uploads/2017/12/Screen-Shot-2017-12-26-at-12.10.59-PM.png
ですね。

山崎氏や、MR誌が影響を受けた戦前の英国OOは、
Edward Beal氏によるOOレイアウトで、
TMS, 1976年ミキストにも載ってるが
https://www.rmweb.co.uk/community/index.php?/blogs/entry/89-the-beal-thing/
https://www.rmweb.co.uk/community/uploads/monthly_10_2009/blogentry-2-12547200796955.jpg
で、それは外側3線式給電だ。

しかし上記Hornby 3-rail 00 trackは中央3線式給電だ。
英国は戦前は外側3線式給電だが、戦後中央3線式給電が優勢になったのだろうか?
そして、既に書いたかもしれないが、
Hornbyは1960年になってやっと2線式給電を発売したが、
一方で旧来の顧客のために、中央3線式給電をも供給し続けたらしい。
0227鈴木
垢版 |
2019/09/01(日) 13:26:24.16ID:ByzZ3jH9
https://marklinstop.com/2018/01/marklins-00ho-track-system-1935-present/
これなのだが、
ここでは、英国のOOでなく、メルクリンのスタッドコンタクトの話です。
「In 1953 Märklin came out with an improved version of this system: for the first time the “stud-contact” system was introduced.」
「1953年メルクリンはこのシステムになった:初めて“stud-contact”が導入された」
この辺が解らない。「このシステム」とはフランスのVollon & Brunなる模型屋のスタッドコンタクトシステムなんだろうか?

“stud-contact” systemについては、山崎氏がTMS, 1951年、10月ミキストに「スタッド集電」の名称で書いてる。
「2年前イギリスの"モデル・レイルウェイ・コンストラクター"誌にスウェインという人が発表し以来採用も増し」
「2年前」という事は、1949年になります。
と、するとメルクリンは1949年から4年後に、フランスのVollon & Brunなる模型屋のシステムをHOに導入したのだろうか?

山崎氏は、実物のスタッドコンタクトシステムが約50年前(1901年頃)General Electric 社で使われたらしい、と書いてる。
実物のこれは「surface contact system」の名前で、路面電車用にいくつかあった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stud_contact_system

https://i.imgur.com/igzO6Zj.jpg
     ↑
これは、1900年のKingsland式
0228鈴木
垢版 |
2019/09/09(月) 22:48:47.84ID:TtoZEL1R
https://www.rmweb.co.uk/community/uploads/monthly_09_2016/post-26540-0-28386200-1473540546.jpeg
      ↑
(長大URLだから5ch.では、直接クリック表示できないかも知れないけど)
これは1/76、4mmスケール、英国のMike Sharman氏が作った、
実物1435mmと2141mmゲージのデュアルゲージ線路模型。
1960年から1970年頃の作品じゃないかと思う。
Mike Sharman氏はRailway Modeller誌1970年12月に
これとは別の情景付きトリプルゲージジャンクションを発表した。
その情景付きトリプルゲージジャンクションはMR誌の1971年6月号で優れた模型として、賞賛されました。
ま、48年くらい前の模型です。

この系統の鉄模は日本ではほとんど発展しなかった。
まぁ日本の実物には複雑なジャンクションは無いも同然だから、仕方ないのだが。
0229元祖 個人投資家
垢版 |
2019/09/10(火) 02:24:15.51ID:j4242lWV
鈴木g3は認知症なので信用しないようにしましょう。
0231鈴木
垢版 |
2019/09/18(水) 16:25:13.60ID:tx6qiaxu
>>228鈴木 が出した、Mike Sharman氏の別の線路はこれ。
    ↓
https://i.imgur.com/cEBrhXa.jpg
本当はこちらを出したかったのだが、何しろ50年前の旧式コピー機によるものなので、
コンビニで再コピーしてみたら、全くの白紙画像としてしか読み取れなかった。
ふと思いついて、自宅の1万円コピー機でコピーしたら、むしろそこそこ良いコピーがとれた。
原写真は"Model Railroader" 1971年6月号P53。

かなり複雑な線路です。
こういうのが日本で流行らなかったのは、
日本の実物には、こういうのがない。
TMSの山崎氏が、複雑な線路を嫌い排除した。
という2つの理由が考えられます。
0232鈴木
垢版 |
2019/10/18(金) 18:10:52.49ID:f6Q2SPnt
人気もないし、ネタ切れもあるし、古い鉄模著名人人の事を書こうと思います。
★菊地文雄氏。
wikiに依れば、1914年生れ、1989年死。
@ネットで読めるイチオシはこれ ↓ 非常に役立つ。
  http://tplibrary.seesaa.net/article/441992409.html
A本などで、まとまった説明は、トレイン誌創刊号、1975年1月号。
 作品写真を中心に9ージ量。文章は補助的には役立つ。筆者は松本兼一氏。

1960年前後"模型とラジオ"誌に毎号、新型電車を16番(菊地氏が言う「HO」)を自作記事を書いていた。
総て、紙で窓を抜く時の寸法図入り。
記事末には買い揃えるべき、必要な台車やパンタ等の部品とその値段が書いてあったから、
作りたい人は大体の予算がわかる。
当時TMSには模型や部品の値段はほとんど記載されてなかったから、圧倒的に親切。

菊地文雄氏について、@やAに加えて補足します。
私は子供の頃菊地氏は紙で作る子供向き模型専門と思い込んでいたのだが、
戦前からの、旺盛な金属スクラッチビルダー兼実物ファンである。
1948年秋の鉄道記念日関連で、
主催、交通文化博物館(後の神田交通博物館)、交通科学研究会他。
後援、運輸省
という陣容の鉄模コンクールがあった。
この時菊地氏はSゲージのC51を出品し2等になってる。
この模型の写真が、トレイン誌創刊号の写真に該当するらしい。

 このコンクール審査員の中に山崎喜陽氏が名を連ねている。
 山崎氏は7才先輩の菊地氏の模型を審査した事になる。
 山崎氏が審査員をやった事は、TMS,No.9ミキストで確認できるが、
 この部分は"特集シリーズ12ミキスト"では割愛されて再録されていない。
 なお、このコンクールでは他に
 久保田富弘氏の(多分Sゲージ)米国型0-6-0が受賞となった。

菊地文雄氏に関しては、まだ家の何処かに資料があったかも知れない。
0233名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/10/18(金) 18:21:11.41ID:HeSEz9Ts
ゴミレス鈴木は、ここで自分語りをしてくれ♪
0234名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/10/21(月) 13:12:32.67ID:z1e93tah
鈴木老いぼれg3は認知症なので
信用しないようにしましょう。
0235鈴木
垢版 |
2019/10/30(水) 17:08:16.03ID:jbtw1L9g
>232鈴木の続き
「 主催、交通文化博物館(後の神田交通博物館)、交通科学研究会他。 後援、運輸省
という陣容の鉄模コンクール」で
「菊地氏はSゲージのC51を出品し2等になってる。 」
と書いたが菊地氏のC51はSゲージであるとは言っても、
1/50、22mmゲージ。この規格で国鉄型を作れば、車体縮尺とゲージ縮尺は一致する。
この機関車はトレインに写真が出た。テンダードライブの優れたブラス機関車だ。

山崎氏は「国鉄型Sは1/60、22mmゲージで作るべし」と言ったのだが、
関西には、「国鉄型Sは1/50、22mmゲージ作るべし」という勢力があった。
もしかしたらこの関西の考え方は大阪の朝日屋の考えかもしれない。

この鉄模コンクールでは、
「B級2等 蒸気機関車 久保田富弘」の名で弁慶号風の写真
「佳作 蒸気機関車 久保田富弘」の名で米国風0-6-0の写真
が出ているが、ゲージや縮尺は発表されていない。
久保田氏以外の作者で蒸気機関車等で1等を受賞した人の模型も、
ゲージや縮尺は不明だ。昔は呑気だんですかね。

TMS,1949年4月号、p45には久保田富弘氏がSゲージ0-6-0の製作記として書いてる。
氏は記事中で、「弁慶は2等、0-6-0は佳作をとった」と書いてる。

この1948年コンクールの審査員は以下の通り。
池田技官 (運輸省の技官を置いて権威付けするののでしょう。山崎氏はこういう権威付けに反対した)
田口武二郎 (ライブスチームのパイオニア。鉄模に限らず全模型の万能選手)
竹野正吉 (戦前は1/30のミトイクラブ、戦後は日本模型鉄道同好会=JAMのリーダー)
山口憲一 (未知の人)
山崎喜陽 (枕木会、機芸社)
本間清人 (戦前50mmゲージを主唱。山崎氏は本間氏を高く評価してる)
エリオット (米軍技術曹長らしい。HO,DC,2線式模型を多数持ち込み交通博物館に貢献した)
0236鈴木
垢版 |
2019/11/01(金) 15:07:15.82ID:QK7HqFJ5
"TMS特集シリーズ12,ミキスト"(原本はTMS1947年12月号)に依れば、
MR誌1957年7月号の調査発表で、

採用者は
HO=54.9%、 OO=8.59%、 S=6.1%、 O=23.8%、
集電法は
2線式=84%、 3線式=11%、

とある。
この3線式の内訳が
内側中央レール式なのか?
外側第3レールなのか? よく解らない。
英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
米国HOの3線式採用率も知りたいところです。
0237名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/01(金) 18:52:30.41ID:C1jjKOVA
>>236
> 集電法は
> 2線式=84%、 3線式=11%、
> とある。
> この3線式の内訳が
> 内側中央レール式なのか?
> 外側第3レールなのか? よく解らない。
> 英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
> 米国HOの3線式採用率も知りたいところです。

鈴木さんの言う「外側第3レール」って、架線集電のこと?
それとも、実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから
集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
0238鈴木
垢版 |
2019/11/01(金) 22:59:31.85ID:sRueyNSd
>>237名無しさん@
>実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
       ↑
東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するような模型が昔はありました。
確か、名古屋模型クラブが戦後すぐに、Oゲージで採用したと思いました(どこかで読んだ記憶です)。

山崎氏が戦前大きな影響を受けたEdward Beal氏のOOレイアウト写真、
TMS,1976年、6月p68は、私には外側第三軌条集電に見えます。
https://images.awesomebooks.com/images/books/rnaimages/9995436331_2.jpg
これはBeal氏の鉄模本。文字がボヤケてるが「Trackwork in oo-gauge」と書いてある。
0239鈴木
垢版 |
2019/11/02(土) 18:31:28.69ID:Uxc7BTuF
https://www.nycsubway.org/perl/show?12688
蛇足ですが、英国地下鉄実物写真。
中央レールと外側第三レールの二か所から集電してるようです。
0240鈴木
垢版 |
2019/11/02(土) 20:33:41.37ID:ndCuqle7
http://dda40x.blog.jp/archives/51457613.html
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/2/d/2d4884e4.jpg
これは1/45.2の32mmゲージのテンダー。
外側3線式、そのための部品は昔は売っていたそうだ。
外側3線式のためのコレクターシューは必ずボギー台車中心ピン位置に取り付けなければいけない、
と思っていたが、これを見るとかなりズラしても平気なようです。


ところで、「1/45.2の32mmゲージ」というのは
NMRAが主張している「Oスケール」つまり1/48、32mmゲージが、
内股なのでそれを改善しようとした規格です。
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/7/d/7d818dfd.jpg
上で説明しているが、
上段の黒いNYCハドソンが1/45.2の32mmゲージ(名称はQゲージか? はっきりはしない)
中段の灰色のNYCハドソンが1/48の32mmゲージ(NMRA式Oスケール)
1/45.2の32mmゲージは1960年代末から1970年代初期に消えたと思う。
0241鈴木
垢版 |
2019/11/03(日) 09:42:06.88ID:USxz90uT
名古屋模型鉄道クラブの外側第三軌条集電の事は、
TMS、"NMRCスペシャル"、(発行日が明記されてないダメ本だが、1997年発行らしい)
のp83に、1947年頃の話として
「特筆すべきことは、外側第三軌条集電を採用した事であった(中略)。レールの中央に余分なレールがあるのを心快しとしない」
とあります。

但し、NMRC幹部の伊藤剛氏の1952年頃作、Oゲージ米国型4-6-4は、
中央レール集電と外側第三軌条集電の切り替え可能です。

伊藤氏のこの製作記事はTMS、No.49、1952年9月号("高級モデルノート"に再録)ですが、
その完成写真は、堂々と完全な2線式線路に乗っかってます。
これって、米国なんかの3本レール模型機関車の模型屋宣伝で、
中央レールが目立たないように写した写真よりも、もっとエゲツないんじゃなかろうか?
伊藤氏が悪いんじゃなくて、TMSに問題があると思う。
0242名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
垢版 |
2019/11/03(日) 23:41:31.08ID:FVOGwTbU
>>241
伊藤氏は、ギミック有りの鉄道模型車両の帝王でしたからね。
模型店の販売躍進には、邪魔な存在だったのでしょうねぇ?(笑)
0243鈴木
垢版 |
2019/11/04(月) 01:06:13.40ID:atOyBlLB
>>242名無しの素人♪♪♪
山崎氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていなければ自作する
伊藤氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていても自作する
あたりと思います。
勿論伊藤氏といえども1台も模型を買わなかった、という事はないと思いますけど。

そして伊藤氏はブラス模型を模型屋から買ってきて、実物の詳しい考証をして、
チョコチョコ細密部品を付けたり好みのウェザリングをして細密化する事を
「作る」とは認めなかったと思います。

伊藤氏は、
「鉄模ファンについて、鉄道ファンか? 模型ファンか? 問われたら、私は模型ファンだ、と断言する」
と書いてましたね。
0244鈴木
垢版 |
2019/11/04(月) 16:53:12.89ID:muRDtmSY
私が昨日書いた伊藤氏の考えの根拠は、
"鉄道ファン"1962年9月号P32、
"5月号「メルクリンと私」をよんで" でした。
「たとえそれが金さえ出せば買えるものであっても、私達は自分で作ったものを欲しいのです」
とあります。

伊藤氏の記事は、同誌5月号の篠原正瑛氏の
メルクリン礼賛記事に対する批判として書かれたものです。
0245名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
垢版 |
2019/11/05(火) 00:05:33.22ID:tGBB+Hcw
>>244
伊藤氏は、アナログな模型の仕掛けが好きだったのでしょうね。
イコライザーが最たるものだと思います。
最近は、アナログな模型の仕掛けの考察が少なくなったように思いますね?(笑)
0246鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 07:50:36.03ID:mQM9cSJD
伊藤剛氏は、TMSや、同好会会報以外にも、いくつか記事を書いてます。
既に書いた鉄道ファンでの模型自作論以外に、
鉄道ピクトリアル、1951年11月号に"海をわたった模型列車"なる記事を。

これは占領米軍の鉄道管理者、東海北陸民事部長ハロルド・ウォーカー氏に
日本側の鉄道関係者が私的にプレゼントした、45mmゲージのライブスチーム列車セットの紹介記事です。
(その後これと同様の記事は1980年代頃のTMSに井上豊氏が書きました)

ライブスチームは井上豊氏、客車はカツミ、特製レールは大同製鋼、
ステンレス客車の波板は日本車両が特製ロールで作る、
という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。
0247名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/05(火) 08:21:33.99ID:WJzNphQE
>>246

> という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。

高官へのワイロなんてついこの間までありましたよ。
鉄模が外交カードになったのなら、
それはそれで面白い。 

それとは別の方でしょうが
交博にHOレイアウトを作った米兵さん
もありましたね。
0248鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 20:29:24.46ID:BueZpvmi
模型の価値そのものは、模型の質の上下で決まるだけでしょうし、
「名古屋で作られた45mm模型セットは質的に上だ」、と言えばそうでしょう。
例え米軍の鉄道管理官に対する違法な贈賄だとしても。

精密鉄模は、真面目な鉄模趣味者が所有しようが、
[人の生き血を吸う馬鹿殿様の七光り低能息子]が退屈しのぎの贅沢三昧で所有しようが、
その価値に変わりはない、という事ですね。

米軍技術曹長のエリオット氏は、
おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
(但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオット氏が居なくて、日本人だけだったら
交通博物館のレイアウトは、Oゲージ3線式で作られていたかもしれません。
何しろ1940年代後半、16番部品を売ってるのは鉄道模型社だけだったし、
関西ではむしろ16mmゲージが強かったと思います。
0249名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/05(火) 20:34:49.05ID:bF4Mg2Ya
>>248

>> 米軍技術曹長のエリオット氏は、
> おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
> (但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
> 彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオットルームだったかな。
TMSに写真があったと思うが失念した。
交博のHPかもしれない。
0250名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/05(火) 20:46:10.67ID:bF4Mg2Ya
エリオット・ルーム
総延長100m
車両130両とのこと。
0251鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 20:47:29.77ID:GUjm/YEb
>>249名無しさん@
>エリオットルームだったかな
       ↑
これは貴重な話をありがとうございます。
私も暇を見て、それを探してみます。
0252鈴木
垢版 |
2019/11/07(木) 15:44:17.16ID:zjdf+7a2
米軍技術曹長エリオット氏に関しては、
"ブラック鉄道史"p87に、これまで当スレに書かれたような事が記載されてました。
この本全体は、実物鉄道史に関する本です。

TMS、1947年、4月30日発行のミキストでは、
1947年、4月上野松坂屋開催"科学玩具と模型展覧会"で展示された、
エリオット氏のHO模型を褒めてます。
0253鈴木
垢版 |
2019/11/21(木) 20:00:30.82ID:Rn7VHSuY
TMS特集シリーズNo.6、p14"安価に出来るパワーパック"、(元はTMS、1954年8月号p318)
には、16番のDC運転には、セレン整流器が必要と書いてある。
筆者山崎氏は「安く作れる方法はないかと、セレン以外もテストしましたが、
安く出来てもどうも不完全で」
「市販品は1A用が350円(1954年当時の値段)」
と書いてます。
私はこの記事を読んで、初めてセレン整流器というものを知り、多分戦前から在ったんだろうと思っていた。

最近"セレン整流器の歴史を語る"という本を読んで、
1905年頃ドイツのSAFとかいう会社がセレン整流器を開発し、
日本はNECだの東芝などが何とかして真似しようとしたが、困難で、
戦争中は、軍の需要もあったが、結局出来の悪いのしか出来ないまま終わった。
というような事が書かれてました。

この本は終戦後の事はほとんど書いてませんが、
要するに、終戦後まで、特別な研究者以外セレン整流器など、触る事もできなかったようです。
またセレン整流器研究以前は、亜酸化銅整流器の研究もしたそうだが、
こちらはセレンよりもっと成績が悪かったそうです。

それ程むずかしいセレン整流器なのですが、山崎氏執筆の1954年頃には、
一般人も何とか買えるようになったようです。

では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
という疑問がわくわけです。
0254鈴木
垢版 |
2019/11/25(月) 21:14:57.49ID:N1QtlxfQ
ものすごい劣化コピーの、そのまた劣化コピーなんだが
https://i.imgur.com/3duadUU.jpg
エリオット氏のHOレイアウトらしい。
場所は交通博物館らしいのだが、はっきりとした確定は出来ない。
0255鈴木
垢版 |
2019/12/01(日) 21:12:00.82ID:IV2VvpG3
TMS、1992年、7月号p86、"私の鉄道模型史"、半田一氏筆は
割と平凡な自分史をたんたんと、書いたものです。

しかしこの中で、1950年代の神奈川県藤沢のクラブの話が書かれていて、
そのリーダーは熊谷守美氏でした。
Oゲージの小田急電車が好きだったようです。
TMSにも1952年にも一度、江ノ電の解説を書いた、

運転会は六畳と八畳をブチ抜きでやってたようです。
熊谷氏の家は片山元総理大臣が遊びに来るほどで、
相当な家柄と思いますが、
半田一氏に依れば
それ以外に、片瀬江の島で、熊谷模型店もやっていたようです。

昔の少年工作雑誌の座談会より。
読者少年 : 「戦争前からの模型飛行機熱が終戦ですっかりうすれて、
  それが模型鉄道の方へ移ってきたのではないでしょうか」
熊谷守美(湘南支部長) : 「簡単に実物がみられるからでしょう。今は日本の飛行機というものはないからね」
0256鈴木
垢版 |
2019/12/02(月) 08:41:04.10ID:BV95udPg
1950年当時の少年の鉄模趣味は、
中学高校生くらいになると、かなりラジオ趣味に移行する傾向があったようだ。
理由は、
鉄模には、「理論的なもの」が少ないが、
ラジオには、「理論的なもの」が多い。

鉄模にもDCやACがあるし、1950年頃はモーターの大幅な改造や自作もあった。
モーターの巻き線を巻きなおすくらいの事は中級では普通だった。
それ以外にも、動力車両の惰行なんて事も論議されていた。
それ以外にも自動逆転装置だの信号だの課題はあった。

しかしながら、鉄模では、
「実物の外観や姿を正しく再現する」という課題が大きな部分を占めるのが宿命であり、
これは、「理論的なもの」というよりは、
絵画や工芸に属するものだ。

そういう事から、学齢が上がるに従って、
絵画写生と、「理論的なもの」が同居する、鉄模から離れて、
「理論的なもの」が最重要視されるラジオ趣味に移行する少年が多かったのでしょう。
0257鈴木
垢版 |
2019/12/03(火) 01:13:40.74ID:YkIWcfp2
占領米軍少尉ワディントン(David L. Waddington)氏については既に、
>>200に書いたが、もう少し書くと、

一番詳しく書かれているのは、TMS、No.400, 1981年4月号p90ミキストです。

1946年春、お茶の水の鉄道模型社に教えられて、山崎氏の成城の自宅に来た。
山崎氏はこのW氏のおかげで生(なま)の米国の状況を知った。
例えば
「米国貨車模型の派手な色は模型特有のもので、実物はくすんだ色じゃないか?」
という疑念を多少は持っていたのだが、山崎氏の疑念はW氏によって払拭された。
W氏の初訪問の時点で山崎氏はTMS, 旧1号の発刊準備中だった。

>>197に書いたように、TMS, 旧3号に"日本の鉄道と模型"なる記事をW氏が書いた。

1947年、W氏は米国に帰国した。この直前W氏の興味はOからSへ移った。

帰国後は、MR誌に記事を書いた。
またMRの"Traction GuideBook"にはW氏による精密なHO電車図面が2,3,載ってるので、
かなりMR誌とつながりがあったと思われる。

1978年再来日、山崎氏と再会。

TMS, 1981年、4月号p76に、米国の大型模型(54mmゲージ)に関する報告を執筆

TMS, 1993年、8月号p90にはW氏が米国で健在な事が報告されている。
0258鈴木
垢版 |
2019/12/20(金) 09:18:33.92ID:hvfdMcyw
https://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201912010000/
私は9mmゲージについてはよく知らないのですが、
その初期には、今ではほとんど知られていないメーカーが随分とあったのですね。

見る人によっては玩具に過ぎないものかも知れないが、
何故これらはTMSに紹介されなかったのだろう?

この優れたブログを見て驚きました。
0259名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/20(金) 11:42:20.44ID:ZW0+924l
>>254
tubeのN開封動画で良く見る絵だな…もっとも状況は全く違うが
精いっぱいやってこれと、必要最小限で稼ごうとするあれ
0260名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/20(金) 12:27:32.00ID:1Hu2+ybl
>>258
ゴミレス鈴木はいつから自分語り初めたの(大笑い)
0261鈴木
垢版 |
2019/12/23(月) 07:12:31.01ID:bEjfW744
つまり、1960年代中頃には、各種の玩具っぽい約9mmゲージが安く売られていて、
その外観の優劣は、SONYが売ろうとした9mmゲージ模型とそれ程は変わらないのですね。
0262名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 02:25:16.50ID:HDpJS7je
>>261
1080年代の鉄道模型はどんな模型だったの?
   ↓
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0263鈴木
垢版 |
2019/12/31(火) 07:06:52.88ID:DZ0wgeze
>>262名無しさん
「1080年代」は、私の書き間違いで、
「1980年代」と、書くべきものだったと、思います。
0264名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 10:01:24.14ID:HDpJS7je
>>263
なんだ捏造だったんですね。

捏造は駄目ですよ。
1080年代の模型はどんなものか知人に聞いたら笑われましたよ。
0265名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/10(金) 23:07:56.99ID:PUJvthur
鈴木は平気で知ったかぶる
0266名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 11:13:28.94ID:vkJEHCD8
スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
0267名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 11:29:23.96ID:a8JmLVqm
>>266

> スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。

スケールが無理と考える時点で
スケールが重視されていたと言う
エビデンスとなる。
0268名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 12:20:23.92ID:lY7TgbP7
今やアニメキャラのフィギュアですらスケール明記の時代
実物のモデルなら正確なスケールや比率が必須となっている
0269鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 18:10:35.06ID:CRGm2ZdP
>>266名無しさん@
>スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
        ↑
一体何年頃の時代の話をしているのか? 意味不明だが、
戦前から、色々な模型のスケールは決められていて、
それを作る人は、それぞれの一定のスケールを目指して作っていましたよ。
0271鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 22:00:20.73ID:6nLr6yCc
戦後は米兵が流入したから、16.5mmが優勢になったが、
戦前は16mmもあった。
知りたい人は"TMS特集シリーズ、車両工作ブック"のp2、
EB凸電、鎌田達夫設計の図面を見れば解るでしょう。16mmゲージです。
0272名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/04(水) 01:01:05.00ID:CvzyqQ30
16oって映画の規格に似ていますね。Nゲージが発売される前の1950年代末に一部の愛好家の間で1/150スケールの8oゲージが作られたのは
偶然ではないかもしれませんね。

ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611230000/
ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611250000/
0273鈴木
垢版 |
2020/03/04(水) 09:24:21.89ID:FggSAJjU
>>272名無しさん@
>16oって映画の規格に似ていますね。
         ↑
これはTMSのミキスト(号数忘れ)でも、
「何か関連があるんじゃないか? と誤解するひとが居た」
と書いてました。

私も小学生の時、
  映画の35mm ≒ 鉄模の32mm
  映画の16mm ≒ 鉄模の16.5mm
で何か関連があるんじゃないか? と考えてました。
0274鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 03:00:06.81ID:8tWLPPug
http://tbmod.com/rm/Madder%20Valley%20MRJ%201994%20dec.pdf
こんなページ見つけました。
英国のOOゲージ(1/76, 16.5mm)モデラーで、
Edward Beal氏の影響を受け、1940年代から1950年代に、
優れたレイアウトを作った人らしい。

この人は戦前、DC6Vで運転していたらしい。
pdfの6ページ、上段テキストには、
「powered by 6-volt car bftteries」
「電気は自動車用6V電池が使われてる」
とある。
山崎氏なども、やはり電池を使ってDC電源を確保していたのだろうか?
少なくとも日本ではセレン整流器は軍用で、一般人は入手不能だったはず。

それとこの英国レイアウトの機関車のモーターはマグネットモーターだったのだろうか?
日本では、絶縁車輪が発売されてしばらくしてやっと
マグネットモーターが販売された。
理由は、多分マグネット部分が高価だったからじゃないだろうか。
0275名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:22:39.00ID:I4JYZ5Jn
50年前の1970年に発売されて
動力は改良されつつ、
車体はそのままで生産されている模型がありますよ。
この車両の登場で、全国で無数のレイアウトが作られ
主力車輛として活躍したことが当時のTMSで見られます。
0276名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:57:11.24ID:9s78MGAb
>>253
>では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
>山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
>という疑問がわくわけです。

戦前の『科学と模型』誌に電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
また一般的ではないものの電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する手法もあったようです。
0277鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 09:37:13.43ID:w/9sby8P
>>276名無しさん@
>電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
      ↑
電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
この方法は初めて知りました。

>電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する
      ↑
この方法は私でも誰でも考えますから、
山崎氏達はこれでやったのかな、とも思うのですが、
「それでやった」という話は見つからないのですよね。
自動車やバイクの電池を使ったという話は、
前回書いた英国レイアウトの他に、Model Engineer誌にも出ていた気がします。
しかし電池が無くなったら、自動車修理屋にでも充電を頼むのかなぁ?
尤も戦前の日本の家庭用配電はACの他にDC地域もあったので、
DC地域なら家庭で充電できるのかも知れない。

因みに戦前の鉄模趣味者は、
変圧器だの、モーターだのも自作出来る人が普通に居たようです。
0278名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 23:24:28.18ID:PSI2jme5
>電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
>50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
>この方法は初めて知りました。

スピーカーと同様の構造の交流電磁石の吸引で動く接点があって交流の上半分又は下半分の時のみ通電すると半波整流になるらしい。
0279鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 23:36:27.95ID:xBjrOkE6
>>278名無しさん@
なるほど、スピーカーの方が正確なのかも知れませんね。
ありがとうございます
0280名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/07(土) 18:15:13.68ID:WjN96uWa
>>257
David L. Waddington氏は戦後はゼネラルエレクトリック社の技師として勤務したそうです。
2000年代まで執筆していたようです。
David L. Waddington, whose stories and scale drawings appeared in Model Railroader and other hobby publications from the 1940s through the 2000s, died May 12 in Orleans, Mass.
ttps://mrr.trains.com/news-reviews/new-products/2014/07/in-memoriam-model-railroader-author-david-l-waddington
0281鈴木
垢版 |
2020/03/07(土) 19:18:10.92ID:9u5hdv2K
>>280名無しさん@
ありがとうございます。
見ると、Waddington氏は2014年に亡くなったようですね。
そしてMRでも特に、図面が評価されてるようです。
手持ちの"Traction Guidebook"1974年出版(機芸が売った)には、
HO=1/87で
  木造郵便電車
  BB凸電
  Massachusetts 路面電車(彼が住んだ町の電車?)
  木造旅客荷物合造電車
  移動変電所カー
の精緻な図面が載ってます。
残念ながら各図面の公開年が不明ですが、
図面の優秀さでは、TMSの実物図面を凌駕してるんじゃないか? と密かに思ってます。

Waddington氏は、TMSに協力している頃はSゲージャーだった、と思いました。
0282名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 11:19:07.33ID:ubtDR2Kt
1940年代後半は世界的にSゲージが一時的に普及しかけた時期だったようですね。
同時期国内でも普及の兆しがありましたが、結局16番の台頭により短期間で廃れたようです。
現在、アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58、EH10、EF65等は実質的には日本型Sゲージで
動力化すれば篠原のレール上を走行できるようです。そういえばかつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました。
彼のゲージ観の一片が伺える一文でした。
同様の軌間22.5oの軌道上を走行するスケールとしてOmがあります。
フェロースイスからGe6/6等が模型化されています。
ttps://brasstrains.com/Classic/Product/Detail/092775/Om-1-45-Brass-Model-FS-Ferro-Suisse-Rhb-Rh-tische-Bahn-GE-6-6-Rhaetian-Crocodile-402-F-P-Superb-Detail-DCC
ttp://www.ipernity.com/home/72864
ttp://www.bahnonline.ch/bo/archiv/2009/12/21/ferro-suisse_neuheiten/
ttp://www.illisoft.net/trains/loks/ge66_sp.htm
0283鈴木
垢版 |
2020/03/09(月) 13:42:41.82ID:Iq7yKsas
>>282名無しさん@
>アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58
          ↑
これですね。  ↓
http://www.aoshima-bk.co.jp/product/4905083030714/
外側はプラのお飾り台車、内側は動力用金属台車にする部品が出ればいいわけですね。
どういうパンタが付いてるのか知りませんが、
金属製パンタが2個付いていれば、それだけでも
Oゲージ電車に使い道か゛あるかも知れません

アオシマは古い会社で、知る限りでは、既に
"科学と模型"誌、1952年9月号には広告を、
青島文化教材研究所の名前で出してました。
木製モーターボート模型などを売ってたようです。

>かつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました
          ↑
それで国鉄型を作った場合、1/47≒1/48=NMRA式Oゲージ、になりますね。
0284名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 16:30:11.83ID:ubtDR2Kt
アオシマから販売されているプラモデルの1/50の機関車シリーズは細密模型を見慣れた現在の基準で見ても
比較的よくできていると思います。パンタグラフはプラ製でした。
同社のDD51を動力化する例はあるのですが、EF58、EH10等の動力化の例は見つかりませんでした。

それにしても1/50縮尺の車体に"特典"として1/45縮尺のEF66に使用されたPS22下枠交差式パンタを装備するとは…。
ttps://store.shopping.yahoo.co.jp/aoshima-bk/g5706.html

35o軌間は日本特有だと思っていましたが、実はドイツにもあったようです。
http://www.schweja-blecheisenbahn.de/5.html
0285鈴木
垢版 |
2020/03/09(月) 21:28:27.11ID:bBc73dxV
>>284名無しさん@
>それにしても1/50縮尺の車体に"特典"として1/45縮尺のEF66に使用されたPS22下枠交差式パンタを装備するとは…。
        ↑
まあ無いよりは嬉しいじゃないですか。
パンタ持っているでけ夢は広がるし。

>35o軌間は日本特有だと思っていましたが、実はドイツにもあったようです。
        ↑
"Bub"という名前の玩具屋さん、又は模型屋さんは、初めて知りました。
こういう模型は楽しいですよね。
0286名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/31(火) 02:29:55.24ID:DBuEVdF0
>>285
確かに1/45のPS22でも無いよりは嬉しいですね。

ところで昔も今も高嶺の花というイメージのあるブラス製品ですが、実際には昔の方が入手しやすかったのでしょうか?
かつては月給のおよそ1/5以下で購入できましたが、近年では月給の2/3払わなければ購入できませんね。
家電製品等、身の回りのあらゆる工業製品は1970年代と比較して相対的に安くなっているにもかかわらず、こと鉄道模型に至っては安くなるどころか高騰してますね。
1995年から2003年にかけて給料はほぼ横ばいなのにEF58の値段は2倍に上昇しています。
産出量の限られた貴金属やレアアースを大量に使用しているのであれば理解できなくもありませんが、単に人件費の高騰だけでは説明がつかない気がします。

1972年 EF58形 \15,600 当時のサラリーマンの月給 \76,000
1979年 EF58形 \31,500 当時のサラリーマンの月給 \179,100
1988年 EF58形 \38,500 当時のサラリーマンの月給 \257,600
1995年 EF58形 \109,000 当時のサラリーマンの月給 \317,500
2003年 EF58形 \220,000 当時のサラリーマンの月給 \331,300
ttp://www.tenshodo.co.jp/models/museum/1970/tabid/217/Default.aspx
ttps://nenji-toukei.com/ns/kiji/10023/サラリーマン月給
0287鈴木
垢版 |
2020/03/31(火) 08:50:46.61ID:DUheTzh7
>>286名無しさん@
       ↑
サラリーマン月給のページは面白い物を教えていただきました。
唯、1960年頃サラリーマンと認定された人は、割に高収入の人で、
サラリーマン以下の農民とか零細店の店員とか職人とかかなり居たんじゃないかと思います。
同時に、現在はサラリーマンと認定されない、
低所得のバイト、派遣社員、パートの人達が増えていると思います。

手持ちの"模型とラジオ1961年4月号付録、鉄道模型部品ものしり帳" によると、
EB54型電気機関車(カワイ製?)、多分真鍮製、キット950円、完成品1300円
が安い模型で入門者向けです。
私の推測ですが、1960年頃息子に950円のEBキットを買ってあげられない親は
沢山居たんじゃないでしょうか。
その意味では、昔も今も真鍮製鉄模は中流以上の趣味と思います。

「1995年から2003年にかけて給料はほぼ横ばいなのにEF58の値段は2倍に上昇」
の原因は、金さえ出せば、馬鹿でも精密な模型を手に入れる事が出来るようになったので、
鉄模趣味者が、やたらに高額精密な模型を模型屋に要求した結果かと思います。
0288名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/31(火) 20:53:27.90ID:05QFyRbm
昭和25年 1950年新年号のミキストにゲージシェアが載ってる。
0番 60.0%
16番 23.6%
S 5.1%
0及16番 4.4%
その他 6.9%

70年前は、0番ゲージが2/3もいたのですね。
驚きました。
0289鈴木
垢版 |
2020/03/31(火) 21:47:42.53ID:13MYrtSn
>>288名無しさん@
MR誌の調査の場合、よく 「serious(真面目な、本気の)モデラー」 の人数が問題にされます。
「serious」と言うのは、
 買って貰った電関セットを持ってはいるが、
 車両模型も作らないし、レイアウトも作らない人を除外した、
 モデラーの意味の事と思います。
雑な言い方をすれば、作るモデラー、とも言えます。

TMSの調査の場合
この「seriousモデラー」の人数かよくは解りません。
TMS,1960年1月、Oゲージ京都市電を発表した栗井稔氏が、
「最近TMSに0番がめっきりさびしくなりました。我々として残念なことです」
と書いてました。

つまり、1960年1月には、Oゲージの「seriousモデラー」の人数は減ってました。
しかし、同時期に模型屋にはまだ沢山の商品が並んでいたし、
デパートの玩具売り場には、16番よりもOゲージ模型の方が多かった印象があります。
各メーカーの売り上げ高が、Oと16番別に解ればいいのですがね。
0290名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/01(水) 02:18:35.31ID:+N75gsCl
>>288
>70年前は、0番ゲージが2/3もいたのですね。
>驚きました。

鈴木氏の仰る通り、当時はまだ3線式のガラレールの電関が主流だったようですね。
アンケートとというのは母数集団が重要でTMSの綴じ込みのはがきから切手を貼らずに投函する方式なのかそれとも自分で切手を買って投函する方式なのかでも結果が変ってきますね。
そもそもseriousではない人でわざわざTMSを購入する人がどのくらいいるのかも不明です。
これは1960年代に百貨店には0番が売られていたのにTMSのアンケート調査では割合が低かった事と合致します。
1960年代初頭におけるOゲージの衰退はその30年後の16番の衰退を暗示していたようでもあります。

その他 6.9%が気になりますが、おそらくこれは戦前からの35oゲージや当時先駆的だった1/110TTゲージだったであろうかと推測されます。
興味深いのはSゲージですね。当時華族制度が廃止され、華族ではなくなった毛利(元)男爵が提唱していたそうです。
一見、絶滅してしまったに見える日本型Sゲージですが、実はアオシマの1/50シリーズとして21世紀の現在も命脈を保っています。
数年前まで篠原から軌間22.5mmのレールや分岐器が販売されていましたが、先行き不明です。
http://www.jmra.gr.jp/shinohara/c100.html
BEMO等から入手可能なOmゲージでは軌間22.2mmです。
BEMOの貨車は1980年代のFama製の軌間22.5mmの軌道上を走行できるように車輪を交換できるようです。

ttp://zeitgeist-av.com/BemoOmmain.html
ttp://www.winco.uk.com/BemoOmmain.html
ttps://ogrforum.ogaugerr.com/topic/bemo-omfirst-car-in-pictures
ttps://www.modellbahn-scheierlein.de/de/Modelleisenbahnen/Bemo/Bemo-Spur-0m/
とりとめもなく長文失礼
0291鈴木
垢版 |
2020/04/01(水) 08:46:17.67ID:1JtQivGr
>>290名無しさん@

Oゲージと16番の入れ替わりの時代には、
Oゲージ車両よりも16番車両の方が安い、という気がしました。
これに加えて、16番にはセレン整流器が必要で、これもEB電関の半分くらいの値段だった。
可変抵抗器は整流器より高いが、これは無くても何とか走る。

篠原がS用の線路も売っていたとは、初めて知りました。
Sも16.5mmゲージにも、
戦後すぐは、いくつかの縮尺があったようです。
その中で山崎氏が推奨する16番が勝ち残ったわけですけど。

アオシマについては>>283にも書いたけど、大変古い静岡の模型屋ですね。
静岡というのは、昔木製模型のメーカーが多かったのだが、
何か理由があるのだろうか?
ヤマハ楽器があるから、良い原木材料が手に入りやすいのだろうか?
0292名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/01(水) 11:58:28.29ID:+N75gsCl
>静岡というのは、昔木製模型のメーカーが多かったのだが、
>何か理由があるのだろうか?

『田宮模型の仕事』等いくつかの本によると静岡は川を下って運ばれてくる材木の集積地だったという説や
静岡中部では徳川幕府が、静岡浅間神社や久能山東照宮などの造営を行うために全国から職工を集めた事により
漆器や下駄,木製家具などの産業が発達してそれらの大量に排出された廃材の有効利用から1940年に木製模型飛行機の製造が始まったという説があるようです。
楽器産業が勃興したのも優秀な木工職人が多数いたこと無縁ではないでしょう。

ttps://www.kokugakuin.ac.jp/article/11410
0293鈴木
垢版 |
2020/04/01(水) 18:00:05.77ID:WHDz94h8
>>292
成程。
大井川も当時は、今より水量が多くて、筏による輸送が可能だった、
と聞いた事があります。

隣りの浜松ですが、
ヤマハの広大な木材自然乾燥場が、
東海道線の車窓から見えた記憶があります。
https://twitter.com/kanazawa10026/status/1017352926988103680

http://butsuryu.web.fc2.com/tenryugawa.html
内の
http://butsuryu.web.fc2.com/tenryugawa197602-03.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0295名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/02(木) 22:33:46.16ID:j/AzeYAV
1952年のTMS46号のミキストに
1番 0番 S  16番 TT
の比較が掲載されています。
この時期の車両製品、機関車、客貨車、電車は
いずれも0番が16番よりも充実していたようですね。
0296名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 01:05:57.45ID:IbqFUVrd
1950年代初頭はまだ0番が優勢だったようですね。
上述のように1960年代初頭には16番が主流になったようです。
1960年代初頭には1/150,8mmゲージというものが一時期、一部の愛好家の間で作られていました。
これが後の1/150,9mmの日本型Nゲージの始祖となったと思われます。
Nゲージが主流になったのは1980年代に入ってからで模型化の車種の数が16番を超えたのは90年代に入ってからでしょう。
0297名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 07:45:12.45ID:qEib9Vqo
>>296
日本の鉄道模型史を大きく分けると

〜1960年頃  0番
1960〜1980年頃 16番
1980年以降 Nゲージ

が主流という事でしょうか。
16番の全盛期は思ったほど長くないようです。
また、Nゲージが新たな規格に取って代わられる様子もなく
既に40年以上主流を占めるNゲージは、
日本鉄道模型史上最強の規格と言えそうですね。
0298鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 07:47:11.02ID:+MfZh7E8
山崎氏の考えでは、
鉄模の本流は、レイアウト運転です。

これが戦後のMR誌の影響に依るものか? それとも
もっと古い、英国OOゲージのリーダー、エドワード・ビール氏の影響に依るものか? 
は解りませんけど。
0299名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 07:53:36.53ID:qEib9Vqo
>>298
>鉄模の本流は、レイアウト運転です。

ミキスト90号以降から、レイアウト関連の記事が増えてますね。
0300名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 10:21:56.32ID:IbqFUVrd
>>297
> 日本鉄道模型史上最強の規格と言えそうですね。
コレクションするために程よい大きさと狭い室内でもフル編成を走らせられるのはNの利点だと思います。

>>298
確かにレイアウトには力を入れていましたね。
一例として1960年5月号No.143 P.211の水源急行鉄道の記事は個人のレイアウトでありながら11ページもありました。
他にも時々、8ページ以上の個人のレイアウトを紹介する記事がありました。
0301鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 13:48:18.77ID:/jRez297
既に>>211で書いたけど、
https://www.hoseeker.net/assemblyexplosionvarney/varney282mikadorigidpg1.jpg
の部品販売の如く、米国には1950年頃までは、
鉄模でO、HO、OO等の機関車をスクラッチする、という風習があったわけです。
この風習は、英米共通するものであり、
欧州大陸には無かった風習です。

山崎氏が英米鉄模を尊重し、
ドイツ鉄模を軽視した一因はこれだと思います。

しかしながら、その後米国ではこの風習はほとんど無くなった気がします。
そして、車両は既製品か既製品の小改造程度にして、
労力は、情景付きレイアウトや、列車運行法に集中したんだと思います。

日本では、どちらかというと、レイアウトよりも車両工作が多かった。
これは山崎氏の希望とはズレたわけです。
0302名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/03(金) 17:06:29.62ID:IbqFUVrd
今でもそうですが、1970年代の首都圏の住宅事情を考慮するとレイアウトを所有することがいかに困難なことであるかが分かります。
反面、車両工作は狭いスペースでも可能ですし、1970年代以降、徐々に輸出から日本型へメーカーも転換しつつありました。
ようやく市井の人々も趣味に時間を費やせる環境が整いつつあったのはないでしょうか?
0303鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 21:49:52.83ID:vCGyQddT
それと、山崎氏が推奨する16番では、
絶対にG&D級の精密情景レイアウトは作れない。
それは、日本人は下手だからとか、手抜き技法だからとか、貧乏だからとか、
に依るものではない。

HOは1/87なので、線路は1435mm÷87=16.5mmなるが、
16番国鉄型は、線路は167mm÷80=13.3mmのはずなのに、
実際は16.5mmで、「この蟹股ゲージ線路は絶対に変えられない」と言う事。
精密情景レイアウトは無理、という事(都電や京王線なら作れる)。
0304鈴木
垢版 |
2020/04/03(金) 22:09:00.65ID:bnK+kDjv
>>300名無しさん@
>1960年5月号No.143 P.211の水源急行鉄道の記事は
        ↑
水源急行鉄道は夢がありましたね。
二階の部屋なんだが、「押し入れをつぶし壁をブチ抜き」とある。

線路だけの区間の張り出し部があり、
それは一階からの、階段の上を走っていて、
しかも、その張り出し線路の下には別に地下線がある。
隣り部屋との通路には跳ね上げ式の橋がある。

実物鉄道や、模型の庭園鉄道が、
地形の困難さを、曲線や橋脚で、巧みに線路を通す面白みがありった。
0305名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/04(土) 23:44:03.86ID:VRBgsd7K
1952年のTMS46号のミキストに掲載された
ゲージでの比較ですが
お座敷運転は 0番はA評価 16番はB評価となっています。
お座敷運転では0番は16番よりも安定した運転ができるそうです。
TMSは16番の組み立て式レイアウトを記事にしたと思うのですが、
お座敷運転を安定化させるために16番の組み立て式を開発したのかも
知れません。
0306名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/05(日) 01:54:47.61ID:MFph6+xv
確かにある程度大きい方が畳み等の床上に線路を敷設した場合、凸凹の影響を抑えられそうですね。
小さいと少々の凸凹でも肩を揺らしながら走行することになってしまいますね。
そういえば、戦前の『科学と模型』誌で旧制中学の学生が先生の宅にお邪魔して35oと0番の優劣に関して話す下りがありました。
当時、版元の朝日屋は35oを推進していたので35oを推奨する結論だったと思います。
他にもプロペラ推進のシーネンツェッペリンの模型を走らせて実物では風が強過ぎて周囲に悪影響を与えかねないので実用的ではないとか書かれていたと思います。
まだ戦局が悪化する前だったのでそのようなゲージの優劣や模型の構造について語り合うような記事もあったのでしょう。
0307鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 02:43:05.37ID:St+OFdKS
>>305名無しさん@
何が正しいか、とかは別にして、
"犬走志んNo.4"
"まくらぎ会のころ"で、藪田昆氏が懐旧談をやってます。
「やま氏は、少なくとも当時は『レイアウトは固定式じゃなきゃダメだ』
と考えていたんだから。
お座敷運転なんて幼稚だという認識だったんだろうね」
と書いてます。

その後TMS100号記念に中尾氏や吉田氏が、組み立て式レイアウトを作ったそうで。
なお、山崎氏が御座敷運転を馬鹿にしたのは、
御座敷運転では線路が凸凹になるから、脱線し易いと考えたのかも知れません。
0308鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 03:01:15.99ID:St+OFdKS
>>306名無しさん@
>戦前の『科学と模型』誌で旧制中学の学生が先生の宅にお邪魔して35oと0番の優劣に関して話す下りがありました。

『科学と模型』誌、1938年、8月号にも似た記事がありますね。
「大体16ミリというのは(中略)一般的ではありませんね。
あれでは模型としての機械美とか迫力はありませず、唯、
可愛らしいなー位のものでしょう」

ここで言ってる「16ミリ」は。
16.5mmゲージの事ではなく、
戦前一定の支持を得ていた正真正銘の、16mmゲージの事と思います。
0309名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/05(日) 21:14:09.59ID:LcXxhfQ5
0番の3線式レールは、よっぽど頑丈なんでしょうね。
0310鈴木
垢版 |
2020/04/05(日) 22:02:45.65ID:Ds+iHQHG
単に、

「山崎氏はTMS100号未満の頃は、
 『16番は固定レイアウトで走らすのが本筋で、
 お座敷で走らす事は考えない』
と考えていた」

と、薮田昆氏が思い出を語っただけですから。


なお、
山崎氏が16番を主張する前に、
16mmゲージを主張した鎌田氏を、
藪田氏は高く評価してます。

鎌田氏は、16mmゲージを単に豆機関車模型としてとらえたのではなく、
レイアウトに近い物を考えていたようで、
16番は、鎌田氏に多少影響を受けてるんじゃないかな? という藪田氏の話です。
0311鈴木
垢版 |
2020/04/15(水) 12:37:50.47ID:BJyWOgMQ
敗戦直後の玩具について、
"日本金属玩具史"p458より

「連合軍総司令部のダフという少佐から、
占領軍の子弟へ電気機関車のおもちゃを作ることを命じられた。
(中略)
ダイキャスティングによる鋳型法は、昭和十年ころアメリカで発明され、
我が国には昭和十二年頃その製法が入って来た。
玩具にも応用されたが、アメリカほどの発展はしなかった。
(中略)
ダフ少佐はこの製法による電気機関車を作れと命令した。
(中略)
終戦直後の技術では満足すべきものが得られなかったので、
初め車だけをダイキャストで、上部をブリキで作っていた」
0312名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/17(金) 16:33:49.21ID:1iInfH8L
そのような経緯があったのですね。勉強になります。
個人的には鉄道模型におけるダイキャストといえばエンドウEF57の屋根が反ったり
香港製富ED75のウエイトが膨らんだりしたのが印象に残っています。
品質の悪い1950年代以前のダイキャストだと経年劣化しているかもしれませんね。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~toyoyasu/ed75tm.htm
ttp://www.stfeel.sakura.ne.jp/daikyasuto/daikyasuto.html
ttp://skymax17.blog.fc2.com/blog-entry-1635.html
ttps://ameblo.jp/mini3298j/entry-12461283006.html
0313鈴木
垢版 |
2020/04/18(土) 03:29:09.51ID:gMXZDIR7
>>312名無しさん@
成程。このED75主要部の海老反りは、タマランですね。

https://i.imgur.com/k8dmlPF.jpg
転載元は、TMS,1990年1月ミキスト。
その転載元は、MR誌、1941年12月号広告。
(我らがヒロヒト大元帥が、真珠湾不意打ち攻撃を敢行した時です)

広告には
「die-cast body」と明記してます。
このVarney社製0-4-0サドルタンクが安くて(当時の日本円にすると物凄く高価ですが)、
大量に売れて、HOの拡大に貢献したそうです。

山崎氏は常に、
  「16番普及の為には、精密高価な模型よりも、
  誰でも気軽に買える、ペット的な機関車が必要だ」
と考えていたのですが、
これが、その思考の原点なんじゃないか? と愚考するわけです。
その熱望は、カトー製の
「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品として、実現しました。

http://www.tcawestern.org/images/varney3.jpg
↑はVarney社製ですが、ワルシャート弁付きだから、後年の製品かも知れません。
0314名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/04/22(水) 03:05:12.62ID:V0JhQx0p
重箱の隅をつつくような指摘で申し訳ありませんが、あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。
上層部は事前に把握していたが戦意高揚の為にわざと不意打ちを食らったように演出して国内の世論を参戦へ仕向けたようです。
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU4/code11.htm
ttp://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/NazisGermany/MartinBormann_toubou.html
ttps://yoshiko-sakurai.jp/2001/08/02/3769
ttps://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/books-the-spy-who-went-after-the-gold-1312223.html
ttp://gerard45.bloggertje.nl/note/14228/nederlandse-onderzeeër-kxvii-in-1941-opgeblazen.html

山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。
一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ果たした役割は大きいと思います。

「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品といえば、かつて1970年代にトミーから香港製のEF58や
イタリアのリマからも新幹線やL特急やバンダイからも新幹線が発売されましたがどれも短期間で姿を消しましたね。
当時の射出成型の技術ではブラスモデルを見慣れていて目の肥えた日本の鉄道模型愛好家の食指を動かすまでには至らなかったようです。
尤も、同時期に”高級品”とされていたダイキャスト製のメルクリンの製品でさえもディティールの再現においてはシュパーブライン等の日本製のブラスモデルに遠く及ばなかったわけですが。
0315鈴木
垢版 |
2020/04/22(水) 11:07:17.28ID:XuCtLleL
>>314名無しさん@
>あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。
         ↑
私には、真珠湾不意打ちが筒抜けだったのか、どうか、を判断出来ませんが、
仮に筒抜けだとしたら、我がヒロヒト大元帥君は、何処にも居るポンちゃんだった事になりますね。

>山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。
>一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ
         ↑
私の大雑把な把握では、「山崎氏は16番を精密化しろ」のような意見は書いていません。
  「ロストで着飾った虚飾の模型などやめとけ」
と考えたのか?
  「16番国鉄型など、どの道蟹股なんだから、精密化すればするほど蟹股が目立つだけ」
と考えたのか? は解りませんが、

こういう考えは、
中尾豊氏とは違ってると思います。
0316鈴木
垢版 |
2020/09/17(木) 21:42:55.19ID:UhX7EfV0
本棚を整理していて、ふと
TMS、1994年11月号から、
TMS、1995年4月号まで連載された、
伊藤剛氏の記事"平田町界隈"を久しぶりに読みました。

内容は伊藤氏が子供だった時から、第二次大戦までの、
名古屋の鉄模事情です。
技術屋が本職の伊藤氏ですから、
私には難しい技術的説明もありますが、
それは僅かで、全体的に面白いです。

TMS、1995年1月号P87に、
「昭和初期」は、「モケイヤと言えば、一般の人にとっては
模型飛行機の材料を売っている所」
という文があります。

戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、
模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、
模型屋ばかりでなく、
文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。
しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。
鉄模(EB電関)は多分、
模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。
0317鈴木
垢版 |
2020/10/27(火) 20:32:24.76ID:xawOKG8W
Oゲージ国鉄2B1型(自由形SL)製作記事の流れ。

C59か何かを2B1型(自由形SL)に変えて作る記事は、
戦前の人達に好評だったらしい。
OゲージでC59を作るには、Oゲージでは通過曲線の問題でかなりむずかしい。
そこで、それを2B1にしようとする考えだ。

@多分カワイの販促雑誌"模型鉄道"に出た酒井喜房氏の記事から始まると思う。
山崎氏がこれを褒めていた。

A戦後は、朝日屋の"科学と模型"1948年3月号から荒川嘉男氏が、連載で
 「新鋭B621型蒸気機関車の作り方」を書いてる。

B"模型少年"1949年3月号から難波敏夫氏が、連載で「B61蒸機の製作」を書いてる。
 この記事は1949年12月時点で難波氏が亡くなったため、
 雑誌編集部が酒井喜房氏に続きの執筆を依頼したが、断られた。

CTMS,No.24,25,28(1952年9月、10月、1951年1月)で、
 PFL生氏が「国鉄型蒸気機関車の詳細製作法」と題して、
 Oゲージの国鉄近代型2B1型の記事を書いてる。
 この当時はまだTMSと酒井喜房氏は関係があったので、何らかの示唆があったかも知れない。

DTMS,No.146(1960年8月)で、「Oゲージ国鉄型アトランをかこんで」
 という記事があり、PFL生氏の記事に触発された、向山真司氏作の2B1が紹介されている。
 但し、製作記ではない。当時の私は良く解らないが
 「どうもOゲージ国鉄型アトランは古い人には有名らしい」と感じた。

ETMS,No.770(2007年8月)頃から連載された、戦後日本製品史の中のどこかに、
 カツミのOゲージC62に関連して2B1の製品解説があった気がする。
0318名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/01/02(土) 06:50:17.08ID:ugaqqvif
>>316
あの連載は読みました。興味深い記事でした。
戦前の鉄道模型の事情に関してはTMS500前後の日本鉄道模型小史やとれいん98号辺りにも掲載されていました。

>戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、
>模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、
>模型屋ばかりでなく、
>文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。
80年代でも似たような状況でした。他に100円のプラモデルもありました。
現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。
数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。

>しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。
>鉄模(EB電関)は多分、
>模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。

鉄模は高級品だったようですね。カツミのB型電関のセットでも当時は高根の花だったようです。

>>317
アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。
戦前に完成品として販売されていた定番商品ともいえる関電機の蒸機はC51等、1Cの車輪配置でしたが、何故か自作派には2B1が好まれたようですね。
構造上B型電関の動力を流用するのは困難かもしれませんが作りやすい事や曲線通過が容易などの理由が好まれたのでしょう。
0319鈴木
垢版 |
2021/01/04(月) 21:55:12.36ID:3uZucSmy
>>318名無しさん
>現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。
>数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。
       ↑
「大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機」
は、知りませんでした。
でも今の子供は紙袋に入った模型飛行機など興味ないんでしょうね。

私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。
と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、
手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。

何しろ鉄模は電関だけでなく、
それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。

>アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。
       ↑
このアトランなんですが、
酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。
酒井喜房氏→TMSの他に、
大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。
まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。
0320名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/02/22(月) 05:01:45.78ID:gNLAtDs0
>私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。
>と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、
>手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。

>何しろ鉄模は電関だけでなく、
>それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。

運転会等で昭和30年代に幼少期を過ごされた方にお話を伺うと当時は廃棄されたテレビの変圧器を流用したりモーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。
今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。

>酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。
>酒井喜房氏→TMSの他に、
>大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。
>まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。

文献に残っていませんが戦前に酒井氏以外にもアトランの車輪配置の機関車を模型化した人はいた可能性はあります。
あくまでも推測ですが、終戦直後で模型メーカーは進駐軍相手に商売を始めた頃で愛好家達は入手できる部品が限られていた当時、スケールモデルよりは手軽に作れそうなB型電関やアトランの製作は当時の潮流だったのかもしれません。
同時期のモデランド誌や模型とラジオ誌や子供の科学誌、学生の科学誌、科学画報誌等の工作記事にも類似の題材を扱った例があるかもしれません。
当時は趣味としての鉄道模型には電関に代表される実物とは異なる単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派と実物に忠実な模型を志向する流派(スケール派)があった可能性が伺えます。
やがて経済成長に伴い豊かになるとスケール派が大勢を占めるようになった可能性があります。
21世紀になってもJAMで往年の三線式を展示するグループがいたり、はぐるまやのような専門店があったりBトレインショーティーがシリーズ化され売れていた事から単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派も一定数いることが伺えます。
0321鈴木
垢版 |
2021/02/23(火) 16:05:40.56ID:X2GC2MO3
>>320名無しさん
>モーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。
>今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。
        ↑
その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。
日本敗戦から15年たった(60年前)模型屋には、まだOや16番のSL用クランク動輪を売ってました。
60年前よりはずっと裕福になった、2021年、SL用クランク動輪はほとんど売ってないですね。
今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、
精密化なんじゃないでしょうか。
0322名無し
垢版 |
2021/02/25(木) 07:56:35.59ID:n41wlVUa
PFL生氏っていったい誰だったのだろう。
0323鈴木
垢版 |
2021/02/25(木) 10:06:54.56ID:CSdP1I5A
>>322
私の考えでは、
「PFL生」というのは、
TMS編集部員、実態的には山崎氏、中尾氏、赤井氏の3人です。
雑誌の記事が集まらないと、仕方なく編集部員が一般投稿せざるを得なくなる。
しかし毎号山崎、中尾、赤井、の投稿では体裁が悪いので、
「PFL生」を使いまわして、一般投稿記事を装ったんだと思います。
一般投稿記事が多ければ、読者も「一つオレも記事を投稿しよう」という気持ちになるでしょう。

他にも「安井酉次郎」などという執筆者名も実名なのか? どうか? 怪しい部分がある。
私には余り良い習慣とは思えませんけど。

なお「PFL生」の「P」はパセンジャー、「F」はフレート、「L」はロコモティブ、の略号と思いました。
0324名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/10(水) 14:46:46.47ID:D8lTcAiI
>>321
>その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。

現在でも水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです。歯車だけなら東急ハンズ等でも売っているようです。

>今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、
>精密化なんじゃないでしょうか。

そうですね。以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています。
尤も合運等でJORCの公開運転を見るとOゲージ以上のゲージではまだまだ工作派が健在なのが伺えます。16番やNゲージでも極少数ではありますが工作派が健在なようです。

>>323
322氏ではありませんが長年の疑問が一つ氷塊しました。ありがとうございます。
ところでもう一つ疑問があるのですが『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう?中学生等の生徒を意味する語彙なのでしょうか?
0325鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 00:07:20.57ID:yzHMvjr1
>>324名無しさん
>水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです
        ↑
車輪は、そこそこの技術があれば、作れると思います。
しかしSL用クランク付き動輪となると、グンとむずかしいです。
現在の模型屋さんは、付けくても走れるような
SL用の外見を精密化するためのロストワックス部品は、盛んに売ってるのに、
それが無くては走れないような、SL用クランク付き動輪は、あまり売ってはいない気がします。
模型屋の側から見れば、
「そんなもの買う客は居ない」
という事で、それも尤もな事なのでしょう。

>以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、
>最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています
        ↑
えっ、そこまでいっちゃったんですか。
まぁTMS読んでいても
  「〇〇型製作」
なんて記事があっても、読み進むと「〇〇型製作」というのは、
実は
  「模型屋さんが製作した〇〇型キットキットを、 私はハンダで組み立てました」
という記事なのが解って、まああり得る話かな? と。

>『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう
        ↑
昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。
例えば
  「尊敬する山崎先生へ。 ・・・・ムニャムニャ・・・・・鈴木生より。」
みたいな形式ですね。
探したら、文例がありました。
TMS,No.26, "凸電通信" 、"高級モデルノート"p78に再録。
  「安井さん、長らくご無沙汰・・・・ムニャムニャ・・・・剛 生 拝」
  「伊藤剛様・・・・ムニャムニャ・・・・例の処で、モデルをサカナら談じましょう 安井 生」
0326鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 00:17:59.62ID:yzHMvjr1
今どき自分の名前に「生」を添えるなんて、
文人気取りの嫌味な感じは受けますけどね。

でも、伊藤氏や「安井」氏のような何世代か上のインテリ階級の人達には、
ごく自然な礼儀だったのかも知れません。
0327名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/14(日) 02:58:53.60ID:ICtKeaRt
>昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。
そのような経緯があったとは存じませんでした。勉強になります。
以前一人称として『小生』を使っていましたが由来を知らずに使っていました。
0328鈴木
垢版 |
2021/03/14(日) 11:42:21.72ID:yzHMvjr1
>>327
私も中学生の頃は、
学校の国語教科書より、
TMSの方にもっと難しい高級(?)な言い回しがあるので、
TMSから大人用の国語を学び、お馬鹿さんな教養をヒケラカシてました。

もう忘れちゃったけど下手したら、片思いの彼女へのラブレターに
「小生は・・・・ムニャムニャ・・・・鈴木生より」
などと、書きかねない危険な状況でした。
0330名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/03/15(月) 01:47:15.84ID:l1uCXOGP
そういえば10代後半の頃敢えて難しい言い回しをしたりする人が周りにも少なからずいたようです。
当時はそれらを言い表す適当な語彙が無かったようですが最近では存在するようです。
ttps://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85
0331鈴木
垢版 |
2021/05/11(火) 17:50:58.14ID:d25jOJDs
昔TMSには電車などの箱型車体を組み立てるのに、
「イモ付け」なる言葉がよくあった。
中学生読者の頃は意味が解らなかった。
これは出来上がった側板と妻板を直角に接合するのに、
「糊しろ」とか「半田しろ」を使わず、板のコバとコバを直接突き合わせて接合する方法です。
簡単正確な方法だが、強度はやや弱い。

しかしそれを、何故「イモ付け」と言うのか?
鉄模と関係ない板金工作の本を見ても「イモ付け」という用語は出て来ない。
或いはブリキ屋さんなんかの、現場用語なのだろうか?

最近鍛造についての説明の中に、鍛接(溶接普及以前の接合技術)の説明があり、
その中に、長さ30cmくらいの2本の鉄の角棒を、つなげて、
長さ60cmくらいの1本の鉄の角棒する方法があり、
その中に、
「芋接 (Butt welding)」
という項目があった。
"機械工作法講話 2 鍛冶・板金工及製缶" p70

この辺が「イモ付け」の語源かも知れない。
しかし
鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。
0333名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/11(火) 22:22:50.18ID:NCwObzZk
>>331
>鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。
電子部品の半田付けでは下手な半田付けを「イモ半田」と呼んでいますが上述の「イモ付け」別の概念かもしれませんね。
www.kogadenshi.co.jp/2015/02/16/イモ半田でしょうか/
0334鈴木
垢版 |
2021/05/12(水) 06:03:23.57ID:rhYnqUXd
>>332、 >>333
私も「イモ半田」という言葉は初めてしりましたが、
その、(半田付け)職人のはんだ付けblog の人は、
「イモ半田」=「下手糞なハンダ付け」の意味で使ってるようですね。

私は鉄模用語の「イモ付け」=「突き合わせ接合」は、
鉄模以外では使われない用語なのか? にちょっと興味がありました。
なお、"特集シリーズ・ミキスト"の中の「TMSコンサイス」の中で、
「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、
と赤井氏が書いてます。
0335名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/12(水) 14:27:55.18ID:qbmHQYYr
>>334
三文講釈師のゴミレス鈴木によれば
940年前位から鉄道模型があるらしいです。

https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0336名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/13(木) 07:53:46.63ID:09Q1J8dc
>>331
建築関連でも使用される類似の語彙があります。

芋付け
よみ:いもつけ
鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。
www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html

芋継ぎ いもつぎ
平面に対して直角に平滑に取り付ける単純な接合法。平継ぎ又は単に「いも」ともいう。芋留、芋矧ぎも同じ。
wp1.fuchu.jp/~kagu/search/regist_ys.cgi?mode=enter&id=54

芋継ぎ(いもつぎ)
2つの部材を平滑に仕上げただけで、ドン付けで接合すること、もしくは接合方法。
芋継ぎは手抜き仕事のようだが、芋継ぎできちんと仕上げるのは、きわめて難しく高度な技術が要求される。
www.kenchikuyogo.com/101-i/010-imo_tsugi.htm

>>334
>「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、
>と赤井氏が書いてます。

イモ付けでなければ製作の困難な事例もあるのではないでしょうか?
例えばドックサイト等のサドルタンクの肩の部分は実車はリベット止めのようですが、あれは半田付けの場合、半円状の半田しろは困難ではないでしょうか?
satoyama.in/auto/sharyo/auto30.html
0337鈴木
垢版 |
2021/05/13(木) 08:50:05.37ID:8GYtAc/2
>>336
>芋付け
>鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。
>http://www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html
        ↑
これは知りませんでした。ありがとうございます。
鉄模以外にも色々使われているのかも知れませんね。

確かに「イモ付けでなければ製作の困難な事例」もあると思います。

念の為赤井氏が書いた文を正確に引用すると、
  「1/30華やかなりし昔は、イモヅケなんてトンデも無い技法であって
  正に邪道呼ばわりされていたもの。
  あまり強度を必要としない個所など0番でも相当使う人がいるようだ。(中略)
  16番ではこのイモヅケがすべての部分にわたって使用され」
です。出典は"特集シリーズ12ミキスト"の、TMS1950年7月号ミキストの欄。
この"特集シリーズ12ミキスト"は各ページに、ページ番号が書いてない、という実に困った本です。
0338鈴木
垢版 |
2021/05/13(木) 09:22:17.10ID:8GYtAc/2
調べたところ、
サドルタンクと云わず、
1938年頃の記事、松本正二筆、初心者向け1/30のBタンク(箱型タンク)も、
煙室胴前端と煙室鏡板の接合は、
どうもイモ付け(単純付き合わせ接合)らしいです。
0339名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/13(木) 09:31:48.46ID:q0EZNIrE
>>338
三文講釈師のゴミレス鈴木によれば
940年前位から鉄道模型があるらしいです。

https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0340鈴木
垢版 |
2021/05/13(木) 10:20:04.33ID:8GYtAc/2
松本正二氏筆、"1/30規格四輪タンク機関車の作り方"
は大阪の"科学と模型"誌、1938年6月号辺り、p102
に出てます。

下記はそのp107のボイラー図です
https://i.imgur.com/G5uXrZZ.jpg
上段の円内の図は、煙室胴と煙室鏡板のイモ付け、と私は判断します。
但し下段の缶側面図の右側・火室寄りは、イモ付けでない可能性もありこれは判断しかねます。
記事の文としては、「この図の通り作れ」
というだけの素っ気ないもので、
一般的に昔の雑誌記事は、不親切なのが普通です。
0341名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/13(木) 14:38:36.39ID:q0EZNIrE
>>340
三文講釈師のゴミレス鈴木によれば
940年前位から鉄道模型があるらしいです。

https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0342名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/13(木) 23:44:22.12ID:09Q1J8dc
>>340
貴重な資料をお持ちですね。紹介していただき、ありがとうございます。
黎明期の国内の鉄道模型の歴史を紐解く上で重要だと思います。
掲載されているのはライブスチームでしょうか?円内のネジは水面計の代用で斎藤製作所の現行製品でも水面計の代わりに上限にネジがあり給水時に外しておいてその穴から水が流れ出るまで給水するようです。
それにしてもかなりの工作力を要求されそうですね。
そういえばアスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付けされていました。一応圧力試験では問題ないようです。

>>341
>940年前位から鉄道模型があるらしいです。
奈良、平安時代には既にろくろ、ロストワックス、青銅器という蒸気機関の製造に必要な要素技術が揃っていました。
また蒸気タービンの原型であるアイオロスの球は紀元前に存在していたそうです。
史実より1000年早く東洋発の産業革命が起きていたかもしれませんね。
ちなみに奈良時代には乾漆像という漆と麻布を組み合わせた繊維強化プラスチック(FRP)の原型も既にありました。
0343鈴木
垢版 |
2021/05/14(金) 21:29:17.74ID:I4/4rX5Q
>>342名無しさん
>ライブスチームでしょうか?
        ↑
ライブスチームではなくて、電動式です。

戦後のTMSに、
「戦前は蒸気機関車はライブスチームで作るのが普通だったのだが、
松本氏は電動式蒸気機関車を広めた」
と解説されていた記憶があります。
松本氏は戦前"科学と模型"のコンクールで上位を取った後、
同誌の編集室で仕事をしました。戦後は京都の模型屋さんになりました。

>アスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付け
        ↑
そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、
重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。
0344名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/14(金) 23:53:44.29ID:y7nVX2uj
>>343
提示された図が部分的だったので電動式だとは思いませんでした。
以前、TMS(No.331 1976年 1月号?)に電動とライブの両方を兼ね備えたパシフィック機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた件や
現存する店舗のショーウィンドウに飾られている機関車にはライブスチームも含まれているのでてっきりライブ仕様だと思っていました。
works-k.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/06/19/img_6825a.jpg
works-k.cocolog-nifty.com/page1/2010/06/post-f889.html

>そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、
>重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。

全ての機種が同様の構造かどうかは不明ですが、
ある程度厚みのある(2mmくらい?)の銅板を鏡板に使用しているボイラーの鏡板にはフランジ状の『しろ』がないようです。
0345鈴木
垢版 |
2021/05/15(土) 22:43:10.44ID:99JufpW7
>>344
>機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた
            ↑
TMS(No.331 1976年 1月号p49 に、
「進駐軍マニアの目にとまり、脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」
と書いてあります。

進駐軍マニアはピストルつきつけたわけではないし、
彼らは当時の日本人より10倍くらい金持ちだったから、
結構いい値段だったのではないでしょうか?
その値段、例えば500円とか判ればいいのですが。

ただ
買い取られてしまった日本のマニアとしては、
こっちは「売りたくない」と言ってるのに、
脅迫されるがごとく買われてしまった事が、とても悔しいのでしょうね。

もしそういうエゲツない、米国将兵の所業が普通にあったとしたら、
日本の刀剣屋や、陶器磁器屋とか、諸々の文化財や「お宝」を売る店は、
似たような被害を受けたかも知れませんね。
0346名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/16(日) 01:30:51.33ID:6Awg2HUX
検閲があったので記録には残っていないだけで実際にはあったのでしょう。
ironna.jp/theme/332
ironna.jp/article/1926
ironna.jp/article/1819
www.afpbb.com/articles/-/2946474

本土復帰以降の沖縄でさえこの有様、終戦直後は推して知るべし。
1972年に沖縄が日本復帰して以降、在沖米軍基地から派生する米軍人、軍属とその家族による刑法犯摘発件数は累計で6052件(沖縄県警まとめ、今年9月末現在)。
そのうち殺人や強盗、強姦(ごうかん)、放火など凶悪犯罪は581件となっている。
www.okinawatimes.co.jp/articles/-/650949

裁判権放棄の「密約」今も
www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-08-18/2018081801_05_1.html
0347鈴木
垢版 |
2021/05/16(日) 23:15:19.86ID:4/sg1gUg
「脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」
というTMSの文は、中尾豊氏の筆かと思いますが、
具体的にどういう脅迫があったのか?はっきりしませんね。
「もしそれを拒否したら、お前はこういう不利益になるぞ」
という文言が。
米国将兵が支払った値段がハッキリしてれば、いいのですが既に無理。

名古屋の井上豊氏は似たような状況になり、
「同じ模型をもう一台作りますから」
と言って相手の了承を取ったようです。
0348名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/05/21(金) 00:34:54.76ID:F8cXeBv8
ウォーカー氏は中部地方の産業界を統括するかなりの権力を持っていたようでしかもこちら側から(一種の賄賂として)贈呈を提案したようですね。
dda40x.blog.jp/archives/52043997.html
dda40x.blog.jp/archives/52044057.html
dda40x.blog.jp/archives/52044060.html
dda40x.blog.jp/archives/52044234.html
dda40x.blog.jp/archives/52044253.html
0349名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/14(水) 02:48:28.33ID:5MejHoAW
ブラスモデルの歴史
14分頃にはあの方が出演
www.youtube.com/watch?v=Qnw7BNk46-0
PFMのDon Drewのインタビュー
25分頃からサウンドシステムに関して言及
MME S01 E09 - Making Brass Model Trains
www.youtube.com/watch?v=e9dQVqqZVmg
0352名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/01/07(金) 00:58:02.64ID:DXf7BabB
The Art Of Brass

真鍮の芸術について ... ...
人類は歴史上、交通手段を小型化し、若者を喜ばせる玩具としてきました。しかし、鉄道の時代が到来して間もなく登場した鉄道模型のように、広く人気を博したものはなかった。この「機関車」は、「移動する機械」という意味の新語で、古めかしいおもちゃは一掃され、その模型が人気を博した。引っ張る必要のない移動手段が発明されたことは、交通手段の飛躍的な進歩であった。そして、目に見えない力で動く小さな汽車に子供たちが驚けば、それを作った人間もまた、同じように魅了されたのである。こうして、子供も大人も楽しめる新しい趣味、鉄道模型の世界が生まれたのである。

この新しい趣味は、最初の製造業者の先駆的な努力によって発展してきた。アメリカでは、ライオネル社やアメリカン・フライヤー社の鉄道模型は、愛好家なら誰でも知っている。やがて、他の模型メーカーの列車も登場し、第二次世界大戦の雲行きが怪しくなってきた頃、HOという新しい縮尺の模型が発表された。

これは、1フィート=3.5ミリという正確な縮尺で、従来の電車の87分の1の大きさであり、標準軌の4フィート8インチからわずか16.5ミリに縮小され、まさにリリパットの国への驚くべき縮尺であった。そして、第二次世界大戦が終わると、HOスケールの鉄道模型が主流となり、世界中の愛好家の心を捉えたのである。

さらに戦後は、日本が鉄道模型の市場として、また後には輸出国として台頭してきたのです。戦前から熱心な鉄道模型の愛好家がいたが、その数はさらに増えた。戦前から熱心な鉄道模型愛好家がいたが、今やその数は増え、アジア最大の模型愛好家の集団となった。マルコ・ポーロがアジアの驚異を目の当たりにして驚いたように、鉄道模型を作る人もいて、占領軍もそれを買い求めるようになった。

日本人が鉄道模型を自作したことは、驚くことではなかった。日本人は、西洋式の玩具や装飾品を作って輸出していたので、小型化には長けていたのである。また、外国人の愛好家に対する売れ行きを見て、鉄道模型を輸出すれば儲かると判断したメーカーもあり、新しい市場が生まれそうな気配があった。

しかし、50年代前半、海外からの注文が入り始めたころには、それがどのようなものであったかは分からない。しかし、需要は飛躍的に伸びた。現在では、アメリカ、オーストラリア、西欧諸国をはじめ、世界各国の趣味家に何十万台もの真鍮製鉄道車両が愛用されていることを、輸出業者は誇らしく思っている。

本書で紹介する熊田商会も、そのような企業である。その品質と豊富な品揃えは、世界中のホビーファンから高く評価されている。K.M.T.ラベルは、0スケールの2フィートもある大型電気機関車からHOスケールの2インチにも満たないレイルスピーダーまで、様々なモデルに貼られているのだ。その数は1000を超え、さらに増え続けている。直営2工場と指定下請け工場で、平均して2週間に1個のペースでフル生産している。もう生産されていない鉄道模型はコレクターズアイテムとして、手に入れるたびに高値がつく。
本書では、これらの希少な作品に加え、K.M.T.レーベルの真鍮製鉄道模型の数々を紹介します。各写真は明確に識別され、関連する製造データが添えられています。本書の制作にあたっては、KUMATA & COMPANY LIMITEDに多大なご協力をいただきました。本書が鉄道模型を愛するすべての人々に歓迎されることを強く願っています。模型店、趣味人、コレクターなど、この精密で小さな世界と密接に関わっている方々の生活を、どこまでも豊かにしてくれるに違いないのです。しかし、出版社として、ひとつだけ懸念があります。この本に掲載されている輝かしい鉄道模型の数々は、ある読者にとっては、自分の趣味である鉄道模型の収集に、より一層拍車をかけることになるかもしれません。しかし、それが喜びとなるのであれば、私たちは有罪を認めます。


著者について ... .
熊田精一氏(株式会社熊田製作所代表取締役)は、競争の激しい鉄道模型製造の世界で成功を収めている実業家です。成功には、知性と判断力の融合が必要だが、ビジネスが先祖代々から続く家系であることも、決して悪いことではない。
0353名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/01/07(金) 01:01:10.80ID:DXf7BabB
熊田氏の場合、この3つの要素が十二分に満たされている。彼は、60年以上にわたって繊維を扱ってきた有能な東京商人の家系である。そして、その家系は、現在でも株式会社クマタアンドカンパニーの一部門として、テキスタイルを扱っているのである。

鉄道模型への興味は、鉄道模型に夢中になった少年時代までさかのぼることができる。東京商科大学を卒業後、最初に就職したのは大手輸出企業の玩具部門であった。

そこから鉄道模型の製造会社の経営者になるまでの道のりは、まさに論理の連続であった。輸出貿易を知り、独立し、1950年にニューワン製作所の鉄道模型の輸出を開始した。やがて、他のメーカーの製品も扱うようになり、販売する製品の品質を保証するために、最終的には製造の分野にまで踏み込んでいったのである。

鉄道ファンにとって、クマタ・アンド・カンパニー・リミテッドの名前とK.M.T.レーベルは、いまさら説明するまでもないだろう。本書は、その名を知らぬ人はいないであろう。この本には、一人の男の手によって生み出されたユニークな鉄道模型が紹介されている。

本書は、熊田氏のビジネスにおける才能を視覚的に証明するだけでなく、もうひとつの驚きに満ちている。本書は、鉄道模型の世界での彼の人生を綴った回想録という形をとっている。

それは、成功するために意志を持って働くビジネスマンのまっすぐな物語です。しかし、その中に著者の楽観性とユーモアのセンスが感じられる。短い文章ではあるが、読んでいて楽しい。熊田氏の文学的才能が、事業の重圧に阻まれ、これまで開花しなかったのは残念である。一日も早く、再び筆を取ることを期待したい。
0355名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/07/15(金) 10:32:31.14ID:aRZlPnjZ
100年くらい前、Storchenbein(コウノトリの脚)と呼ばれる自由形のジャンルがあった。
www.youtube.com/watch?v=726_anEIVIQ
www.youtube.com/watch?v=yHnu0eEj7iM
0356名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/08/06(土) 06:37:42.28ID:fxCrgUpy
日本最古の鉄道模型ってどれかな?
幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航したときに船上で実演した蒸気機関車模型か、
ペリーが幕府に献上した蒸気機関車模型か、佐賀藩の精錬方で製作された蒸気機関車の雛形だろうか。
0357名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/09/20(火) 15:43:06.79ID:lMNWWDMx
9.5mm 河北氏 昭和9年発表 BB型電気機関車 後にTMS32号、昭和63年4月号に掲載
8ミリゲージの流線型ディーゼル列車“サンビーム号 昭和16年 伊藤氏作 TMS20号に掲載
郵便切手大の機関車 軌間10ミリで縮尺は1/150 水上氏作「ラジオと模型」(少年文化社)昭和24年2月号に掲載
C59形 池末弘氏 TMS205号(昭和40年7月号)掲載
C58形 TMS386号(昭和55年4月号)に掲載
平石氏は,TMS226号(1967年4月号)で6250,8550,4030,247号(1969年1月号)では2800,8800,281号(1971年11月号)では2120といった古典機を発表され,295号(1973年1月号)でC57
長谷部氏の8620(345号(1977年3月号)),小川氏の古典機と客貨車(369号(1979年1月号))
電気機関車の古典機としては,宮崎氏がED17をTMS349号(1977年7月号)で発表

plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/?PageId=1&ctgy=9
0358名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2022/11/17(木) 13:36:44.83ID:vUuNDyTw
1955年マルサン商店 C62蒸気機関車 ブログ11周年 〜 鉄道ブリキコレクションから
ameblo.jp/porsche356a911s/entry-12769378483.html
0360名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/03/04(土) 01:24:25.46ID:v0iiTbjr
うちにメーカー不明の3線式35㎜ゲージのEB58+有蓋車+無蓋車が残ってるわ
親父の遺品で、親父が子供の頃買ってもらったものらしく走らせてる写真もあった
EB58の塗色は青大将色で、茶色より見栄えが良かったからと言ってた

線路もあるけど錆び錆びで、モータ?は回らなかった
0361名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/04/16(日) 21:43:07.73ID:2f8JNcT3
RM MODELS1999-4月〜7月にかけて「EB58物語」という連載記事があり、EB58は各社の定番商品だった事が伺える。
車体下部にKTMという表記があればカツミ製、他に宮沢等数社が生産していた。
戦後の日本における三線式Oゲージの時代は20年程度だった。
plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201901130000/
ameblo.jp/koho-fujikawamayu/entry-12010221366.html
www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/hagurumaya/omake02/eb58old.html
0362名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/05/16(火) 16:36:58.57ID:URvunO1W
『子供の科学』目次の通時的分析から見る鉄道模型の周縁
――テキストマイニングの社会学的利用5―
本報告は鉄道趣味の研究の一環であり、鉄道模型に注目して趣味を支える背景構造を考察する
ものである。鉄道模型に関する社会学的研究として、辻(2008)の先行研究が挙げられる。辻は
模型と科学について論じる中、敗戦という外在的要因によって戦闘機や軍艦が雑誌から姿を消し、
とりわけ特定のコーホートに属する趣味人において、結果として鉄道が主役に位置付けられたと
指摘する。本報告では、代表的な少年向け科学雑誌『子供の科学』の目次の通時的分析を行い、
この点を実証的に検討するとともに、当該雑誌における鉄道模型の周縁の状況を、模型と実物の
違いに留意しつつ確認する。
jss-sociology.org/research/89/pdf/365.pdf
0363名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/05/25(木) 13:58:35.80ID:b+ojlnWa
カタログ等
hoseeker.net/lit.html
hoseeker.net/pacificfastmailinformation.html
hoseeker.net/fulgurex.htm

修理
www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/

雑誌バックナンバー
trainlife.com/pages/model-builder-magazine-archive
TMSバックナンバー
www.morii.jp/railmodel/magazine/TMS/index.html

古い製品
ho-scaletrains.com/category/locomotives/page/2/
0364名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/05/29(月) 10:06:13.51ID:tYk9DjIE
うんこちんちん
0365名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/05/29(月) 16:43:48.58ID:9aeK9jBB
鈴木g3の過疎スレ
0366名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2023/06/10(土) 16:23:32.20ID:JilOW7gZ
鈴木老いぼれg3(後期高齢者)は
実は鉄道模型持ってないエアゲージャーなので
信用しないようにしましょう。
0367名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/01/06(土) 21:40:49.85ID:oKm8h/q+
鉄道模型趣味 1950年9月号(No.24)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(1)
tplibrary.seesaa.net/article/456806105.html
鉄道模型趣味 1950年10月号(No.25)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(2)
鉄道模型趣味 1951年1月号(No.28)2B1アトランチック 国鉄型状の詳細製作法(3), PFL生, 「電車と機関車の工作」に再録
鉄道模型趣味 1957年1月号 (No.103)アトランチックを作る
鉄道模型趣味 1957年11月号(No.113)蒸機作品発表 私のアトランについて
鉄道模型趣味 1966年1月号(No.211)ライブアトランティックを語る
鉄道模型趣味 1978年9月(No.364)アトランVSミカド・6600と9700を作って(1)
鉄道模型趣味 1978年10月(No.365)アトランVSミカド・6600と9700を作って(2)
0368名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/02/04(日) 13:53:27.34ID:7f2/Nb//
亜鉛ダイキャストの経年劣化
www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/what-is-zinc-pest/

戦前のライオネルの凸型電関の修理
www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/lionel-prewar-locomotive-parts-give-this-electric-new-life/
0369名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/10(日) 10:13:20.97ID:vTDkPCe3
プラモnoハナシ 第2回
0370名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/12(火) 17:36:22.90ID:7GIWzevt
蒸機好きが




高齢者に媚び諂って、詐取するのって
この辺りの古い模型ですょねぇ?
0371千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
垢版 |
2024/03/12(火) 20:01:16.94ID:dx7GtzSI
結構お気楽に遊べるね、1970年代の製品は。
アダチのナメクジ、よく走るね。牽引力も十分。
ディテールがあっさりしているのも私好み。
0372名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/12(火) 23:15:58.73ID:7GIWzevt
良く




知ってるねぇ、骨董模型をさぁ
詐取した遺品?
0374千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
垢版 |
2024/03/13(水) 22:17:28.24ID:0nGBbJcz
>>373
私も持っております。小学生時分にお年玉で買いました(笑)
高校生時分、中村の客車キットにハマって()バイトの稼ぎで
ボチボチ買い集めているうちに長編成を組めるようになって
C58やナメクジに10両編成牽かせたりして愉しんだものです。
0375名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/13(水) 22:27:44.57ID:pL6XYkZ6
見せてくれるぅ?



それとも、妄想ぉ?
0376名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/13(水) 23:01:32.63ID:fGpUHk32
>>373
カツミダイヤモンドシリーズの後期販売品、C59、C62、C60、テンダーが重くウエイトが軽いのは困りものだが、廉価版安達製品との兄弟機。
0377名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/16(土) 05:20:34.44ID:GOzImx/z
ダイヤモンドシリーズと廉価版安達製品は炭水車がダイキャスト製で厚みがあり、重かったね。
四半世紀以上後に他社から発売されたダイキャスト製の炭水車は注型圧力が高圧化されたらしく薄肉化されていた。
ダイヤモンドシリーズのC62はC59の炭水車を流用していたり前照灯がパイプだったりプラやダイキャスト製の部品を多用していた。
1970年代はダイキャスト製の文鎮DD51やDD54、ホワイトメタル製のEH10、プラ製EF58等、量産方法が模索されていた時期だったようだけど、
窓枠や縁の厚みやディティール表現がイマイチで当時は本格的な普及には至らなかった。
0378名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 11:19:46.85ID:vIAIzDAT
今日は全員いたよ
アイスショーに女の戦い方が分かっている
要するに
0379名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 11:35:25.12ID:jVsyfYQc
運転席付近にリレーやら何やら電装系集中してる
0380名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 11:37:35.69ID:jVsyfYQc
>>261
あーらら
お巡りさーん
ダサすぎ推しだったらアンチのクズ
アスリートが選ばれてるとジェイクの株...
0381名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 12:55:13.39ID:KLybh6lC
IDなしだから
なんとなくなるみたいなマグカップだったのにこの運転手がどんな状態だったらアンチになり
0382名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 12:57:48.17ID:wNemYvr3
日本人の50代60代の前半に霊感商法のターゲットが若者の方が
美少女の幻覚をかけ合う系になってそう
まぁいつもそうやろみたいな話を繰り返すだけ
0384名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/03/31(日) 14:10:27.30ID:DP5SRuBC
過去の人全て馬鹿者は無理
人気はあったよね
なんか変
ネイサンてクワドないと一生意識変わらなさそうだからそういう気質は一般人の犯行だった
0386名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2024/04/28(日) 23:53:15.41ID:RMTLpU0a
貴重
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況