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50年以上昔の鉄模

0001鈴木
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2018/07/22(日) 16:27:42.17ID:49Aa7EDn
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。
過疎スレ覚悟。
投稿意見に対する批判はOKだが、
投稿者者の人格に対する批判は禁止。
0184名無しさん@線路いっぱい
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2019/02/10(日) 23:13:48.96ID:cwc08IuI
模型飛行機の禁止はGHQを刺激しないように日本側が過度に対応していたようですね。

ttp://www.aero.or.jp/bunka/50zadan.htm
戦後GHQによる「航空禁止令」(?)とはどんな内容だったのか読んでみよう
ttp://ascii.jp/elem/000/001/531/1531212/
SCAPIN-301: COMMERClAL AND CIVIL AVIATION 1945/11/18
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885365
1947年/昭和22年、模型飛行機生産再開
ttps://minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
0185鈴木
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2019/02/11(月) 09:22:43.25ID:LZhDkSG8
>>184
色々有用なリンク提示、ありがとうございます。

http://www.aero.or.jp/bunka/50zadan.htm
は、御主旨とは違う事になってしまいますが、鉄道趣味者の目で驚きました。
利光松男日本航空協会会長は、利光鶴松の息子ですね。
利光鶴松は自由民権運動の活動家だったが、政治運動に行き詰まって実業家に転身し、
小田急電鉄を創業した人です。
終戦時は小田急喜多見駅付近(今の小田急車庫付近)に住んでいた人です。

http://ascii.jp/elem/000/001/531/1531212/
は、「4. including working models.」が問題になります。
「動作する形の物を含む」でしょうか。
日本側が、萎縮したのもうなづけます。
下手したら、戦争中自分達が煽っていた、
模型飛行機軍国主義教育の件で、戦争犯罪人として捕まってしまいますから。

https://minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
は、模型史としてまとまっていて、優れてますね。
  「・1946年/昭和21年、 宮城前広場で戦後最初の模型航空機大会を開催。」
は、多分私が書いた、「米兵+日本人で、模型飛行機競技会」の事かと思います。
  「・1946年/昭和21年、 空缶利用の鉄道Oゲージレール製造を立川の遠藤製作所」
は、当時友人が持っていた、
黒色のゼンマイ動力電気機関車模型のプレス細工の板金裏側が、
機関車模型表面よりもずっと美しい缶詰の印刷なのが不思議でした。
もう一つ、魚籃坂カツミの至近に遠藤プレス
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-CYpAX2RA_LQ/
という中規模の工場があり、これは「立川の遠藤製作所」とは、何の関係も無い会社なのか、
ちょっと気になります。
0186名無しさん@線路いっぱい
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2019/02/14(木) 01:48:26.48ID:0eRhewSO
> 空缶利用の鉄道Oゲージレール
3線式Oゲージのレールの長さは空き缶のブリキを展開した長さで決まったという説がありましたが、裏付けられたようです。

minkara.carview.co.jp/userid/139692/car/110425/268499/note.aspx
↑は多分資料の転載なので出典があると思います。
0187名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/18(月) 23:53:30.42ID:JIjxW5zx
>>168
何号かは失念したが、CQ出版のRFワールド誌に戦前は鉄道模型を生産していて戦後、高周波コネクタの製造に参入した会社について書かれた記事があった。

改めてバックナンバーを常備している店舗で調べたところ、RFワールド vol.29 P.110の川島金属玩具製作所でした。現在は川島製作所として高周波コネクタ等を製造しているようです。
1925年創業で当時はブリキ製の凸型電関等を製造していたようです。
ホームページの写真をよく見ると、ギザギザの第3軌条でどうやらラックレールがあるようです。
当時は交流3線式が一般的でしたから、どのようなメカニズムであるのか気になります。
ttps://kmco.co.jp/
0188名無しさん@線路いっぱい
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2019/02/19(火) 00:03:26.33ID:OcLu9NnR
そういえば、近年、DCCやメルクリンデジタルのような多重制御が普及していますが、戦前の『科学と模型』誌にも
複数の列車を同一の線路上で個別に制御する手法が掲載されていました。
特定の周波数の高周波(といっても電鈴と同じような機構で断続する電流)で車載のステッピングモーターを駆動するものでした。
黎明期のラジコンで用いられたシングル式の送信機で使用されたエスケープメントに似た機構で電磁石に通電するとガンキ車がカチャと数度回転して
ロータリースイッチをON、OFF、逆転する機構だったようです。他にも音叉の共振を使用して混信を防ぐ手法も試されていたようです。
0189鈴木
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2019/02/19(火) 11:59:57.95ID:N2jByC6/
>>187
この会社、かなり大きいんですね。
50年以上昔に撤退した、鉄模の写真を
トップページにドカンと載せてるのは、好感が持てます。

この機関車、当時かなり模型が流行った、
ニューヨーク・セントラル鉄道の機関車を多くの人が連想するんじゃないでしょうか。
https://en.wikipedia.org/wiki/New_York_Central_S-Motor#/media/File:The_Street_railway_journal_(1904)_(14739010736).jpg
この辺の模型(車軸配置が簡略化されてるけど)よりは精密みたい。
このLionel製はひょっとしてボギー式?  ↓
https://marketplace.trainzauctions.com/offer/details/Lionel-402-0-4-4-0-Electric-Locomotive-8505382

もし、中央軌条給電だとしたら、中央のラックレールはまずいですよね。
戦後の人が適当にラックレールを置いた?
0190名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/02/20(水) 00:51:41.30ID:bUOPsHeS
凸型電関は1920年代の大恐慌前の時期でアイヴィスやライオネル等が生産していたようで
それらを模倣した可能性があります。

TMS2004年7月号(No.726) p44に伊藤氏の『郷愁NYC電関レプリカ作成の記』が掲載されていました。
0192千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
垢版 |
2019/03/19(火) 23:35:53.09ID:L2DskTvU
こんなスレがあったんですね。
鈴木さんにしては珍しく、いいスレ立てましたね。

さて、50年前と云えば…私がこの趣味に入って、もうすぐ50年。
その当時のカツミEB10は散々走らせまくって壊しましたが(笑)
一緒にスターターセットに入っていたワフ35000とトラ45000は私の手許でいまも“現役”
つい先程も加トのD51に牽かれて走り回っておりました。

このスレを御覧の皆様は、50年前はどんな鉄模(または鉄玩)で遊んでましたか?
0193鈴木
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2019/03/20(水) 12:20:57.81ID:WqhU9X/Q
>>192千円亭主
>鈴木さんにしては珍しく、いいスレ立てましたね。

珍しいかどうかは知らんが、有難うございます。
スレタイは「50年以上前」
なので、60年前でも100年前でも結構です。
0196鈴木
垢版 |
2019/04/09(火) 18:02:45.62ID:2orDLsYq
>>195名無しさん@
>小生も有用なスレを立てて頂き

好意的評価ありがとうございます。

今のところ
「50年以上前」という言葉は、
  鉄模に対する個人的想い出と、
  鉄模自体の歴史と、
はっきり区分していないのですが、
まあ、よろしくお願いします。
0197名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 09:38:40.86ID:U/BntCXX
【作品投稿】鉄模雑誌 比較スレ【TMS,Train,RMM】に
TMSのガリ版刷り旧1号〜旧3号(現TMS活版刷り1号の創刊前に発行された)
と考えられる目次が出てます。
「考えられる」と持って回った書き方をするのは、
この投稿された目次に、明確に「旧号」と書かれていないからです。
でもこれの前後の投稿のやり取りから、多分「旧号」と考えられます。
大変貴重な投稿と思います。

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/gage/1344523991/361-363

@「鉄道模型趣味 第1号
創刊に際して 山崎善陽 1
新標準規格 鉄道模型懇話会 酒井喜房 2
縦型モーターの製作技法 山崎善陽 8
0番と僕 竹野正吉 12
NEWS & TOPICS 酒井喜房 14
ワキとトキ 中尾豊 17
鉄道模型懇話会結成
クラブ便り
クラブへのお知らせ
掲示板
編集者の手帳」

A「鉄道模型趣味 第2号
アメリカ模型界展望 山崎善陽 25
再建のことば U.E.R. 上田龍 28
フリーランス オハ500 竹野正吉 29
窓を抜かずに客車ができる T&N生 33
Railway News & Topics 酒井喜房 35
二線式と三線式の信号配線 山崎善陽 39
鉄道模型界あれこれ(座談会) 40
C形タンクエンジン217号 酒井喜房 44
海外通信
訂正
クラブ便り
掲示板
編集者の手帳」

B「鉄道模型趣味 第3号
随想 まくらぎ会 増見茂治 57
私の設計法 能率的に美しく 津村清 52
スイテ49 大角忠 49
フリーランスB型電機について 伊藤博 50
自由形ディーゼル電気列車 酒井喜房 56
日本の鉄道と模型 デグィッド L ワディント 60
モデルの冶具 山崎善陽 61
Railway News & Topics 酒井喜房 65
荷物電車の製作 四つの手紙 山崎善陽 67
????展
待望の鉄道模型展
新形式E10
??氏の近況
軌楽会の運談会
NYCの新型蒸機
掲示板
編集者の手帳」
0198鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 09:40:35.35ID:U/BntCXX
>>197名無しさん@ は鈴木の投稿です。
0199鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 10:50:12.23ID:U/BntCXX
何故TMSに、1号から928号の他に、
それ以前の、通称TMS旧1号からTMS旧3号が存在するかというと、
おそらく、TMS旧号は、
米国占領軍の検閲法令による雑誌の発行許可を取っていなかった。
それで活版で発行するのを機に、創刊雑誌として発行許可を取ったのだが、
それ以前に無許可で出したTMS旧号は、「無かった事」にしたんじゃないだろうか?
これを匂わす事は赤井編集長が近年"編集者の手帖"に書いてたと思います。

そして、>>197に引用したTMS旧号目次で、
第一号のp1に山崎氏が"創刊に際して"を書いてるのだから、
TMS旧号の責任者は山崎喜陽氏で間違いないはず。
しかるに、現TMS1号の責任者が酒井喜房氏なのは不思議。
(但し現TMS2号以降の責任者は山崎氏)

活版印刷ともなると、仕事も大掛かりになるから、年長の酒井氏に頼んだのか?
それとも、大学の研究室で修業中の学徒山崎氏が、
玩具のサイドビジネスをしてたら、学問不熱心で教授に叱責されるか?
0200鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 15:36:13.25ID:U/BntCXX
>>197に引用した、TMS旧号目次の内、
私が知ってる範囲の人物は、現在有名な人は別して、

竹野正吉氏は戦前は1/30,35mmゲージの"ミトイ会"のリーダー。
 側面に英語のレタリングを派手に描いた自由形電車だか気動車だかが、カッコ良いと評判。
 戦後はOゲージ、さらに16番に進んだらしい。
 TMS、50号ミキストには山崎氏が批判を書いてる。

デグィッド L ワディントン氏はDavid L Waddington氏。Sゲージファン。
 占領軍として来日し、成城の山崎氏を見つけた事は、
 何年か前のミキストに詳しく書かれている。初期TMSに大きく協力した。
 MR誌に精緻な電車の図面を提供し、
 それはTraction Guidebookで、見る事が出来る。

増見茂治氏は、ミキストの前身とも言える"模型鉄道"誌内コラム「サンドボックス」を
 山崎氏と一緒に執筆した、とTMS、50号ミキストに書いてある。
 山崎氏の高校時代の友人。1954年逝去と、71号ミキストに書いてある。
0201名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 20:22:33.21ID:4Hk2TBmm
1930〜50年代に生まれた方々ってほんと器用
ボディを自作しながら機関車組み上げるんだもんな
60・70年代生まれはキット組み立てがやっとで基本的に完成品、80年代生まれ以降は完成品にパーツ付けるのにもブーブー言うもんね
自作のコントロールパネルなんて私語になっちゃった
0203鈴木
垢版 |
2019/04/28(日) 21:38:10.18ID:U/BntCXX
>>201名無しさん@
>1930〜50年代に生まれた方々ってほんと器用
>60・70年代生まれはキット組み立てがやっとで基本的に完成品
       ↑
本当に器用なのか? どうなのか? は別として、
鉄模を自作する、という事は、好みの車両があれば、
世界の何処の珍車でも、歴医的過去のどんな珍車でも、
でも作れる。
また、自分が良いと思うどんな縮尺でも、どんなゲージでも、
作れる、という大切な二点があると思います。

一方最近では、模型屋製キットの組み立てや、完成品の入手がはやり、
それらは、金さえ出せば、自作よりも大抵は遥かに優れた模型に成ります。

しかし、キット組立にせよ、完成品買物にせよ、
模型化対象実物は模型屋が、一意で決めるものであり、
模型化の縮尺やゲージは模型屋が、一意で決めるものであり、
この点では趣味者は武器を放棄して模型屋の奴隷になる、という事になりかねません。
0204名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/04/28(日) 23:18:51.85ID:wWsbPmB/
>>200
>竹野正吉氏は戦前は1/30,35mmゲージの"ミトイ会"のリーダー。
記憶があやふやなのですが確か竹野氏はとれいん100号辺りで戦前の鉄道模型界隈に関して書かれていたと思います。

>>201
確かにその感はあると思います。
手軽に完成品を購入出来なかった時代には模型とラジオ誌等の少年向け工作雑誌の記事を読んで作るのが一般的だったようです。
戦前の科学と模型誌や子供の科学誌にも現代の愛好家からみると本当に製作していたのか疑問がありますが、当時の読者層である中学生達が旋盤やフライス盤の使用を前提とした製作記事があります。
0205鈴木
垢版 |
2019/04/29(月) 02:22:15.68ID:loOGQXju
>>204名無しさん@
>記憶があやふやなのですが確か竹野氏はとれいん100号辺りで戦前の鉄道模型界隈に関して書かれていたと思います。
        ↑
私もその記事を読んだ記憶があります。
そして、竹野氏はごく初期のTMSに何回か記事を執筆してます。
それからごく初期のTMSに何回か広告を出した
「フジモデル、富士板金模型研究所、新宿区諏訪町32」
は竹野氏の模型屋じゃないかと思うのですが、断定できません。

>手軽に完成品を購入出来なかった時代には模型とラジオ誌等の少年向け工作雑誌の記事を読んで作るのが一般的だったようです。
        ↑
TMSはそう言った"何々の作り方"的な少年向け記事を抑制する一方で、
鉄模ファンの集まりに参加する顔ぶれを、教授だの、一流企業社員だの、お茶の先生だの、
の高級な大人の社交界みたいな書き方をしてました。
科学教育用雑誌ではない、大人の趣味、という旗印で。
0206名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/05/01(水) 17:43:17.19ID:TErcEFRg
私も親にせがんで「EB級電関」を買ってもらったなぁ。
当時のトランスはタップ式だから、ダイヤルを上手く回さないと無電の部分があった。
レオスタットの方式が出てきたのは、16番に移行してからだった。
16番は、レールも2本だったし、レオスタットのスムーズな加速で、
小さいのに高級な感じがした。
0207鈴木
垢版 |
2019/05/01(水) 19:14:38.57ID:i0luSqCm
>>206名無しさん@
>レールも2本だったし

私なんかの昔の認識では、
「3本レール」は高級品。
レールが2本のヤツは、ゼンマイ式か少し良くても電池式。

レールが2本のヤツは、クラスでも二、三人持っていたが、
「3本レール」ともなると、学童用雑誌の写真でしか見れなかった。
いや、何処かのデパートで見たかも知れないが、その価格はとんでもない値段。
0208鈴木
垢版 |
2019/05/04(土) 08:22:09.58ID:NZOm+bmn
Oゲージの最初は古ラジオから抜き取ったらしいトランスで走らせた。
トランスのタップは6.3Vと12Vとで、電線を直接持って、6.3Vにしたり12Vにつないだりしてた。
何故「6V」でなく「6.3V」なのか解らないが、当時6.3Vのトランスはよく見かけた。
ラジオに使うのに、6.3Vが適していたのだろうか? 

16番を始めた時、セレン整流器が必要と知って、父にきいたら、
1Aのセレン整流器をくれた(父は電工のような仕事をしてた)。
それで、セレンと、6.3Vと12Vのトランスで紙車体の電車を走らせていた。

"スパイクから運転まで"に塩水抵抗器の作り方が書いてあったので、
これを作って見ると驚くほどスムーズな加減速をした。
しかし何日か使うと、ビンの中の塩水が薄気味悪い濃緑色に変化し、気持ち悪いから捨てた。

可変抵抗器を買ったのはずっと後で、
そのころには秋葉原の電気街も知ったので、そこで買った。
0209名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/05/06(月) 17:03:51.68ID:AWvXVxgm
脳「ムム、この感じ…子作りっ!?」
左金玉「待ってください!脳っ!!!これはオナニーです!!」
脳「んわけない!!お前はご主人様を信じられないのか!!!!!」
左金玉「これまで14歳から26歳まで毎日射精して全てオナニーなんですよ!?もう信じられません!!!!!!!」
脳「うるさいっ!!!!!!黙れ!!!!!!!!右手っ!どうなんだ!!!」
右手「規則的な運動をしています」
脳「よし!!金玉!!!射精の準備だ!!!!!」
左金玉「もう無理です!!!!さっきから右金玉からの反応もないしもう限界です!!!!!3日…いやせめて2日でもいいから休息をください」
脳「黙れっ!!お前は子孫繁栄の事だけを考えていればいいんだ!!!」
左金玉「だからこれは子孫繁栄とはなんら関係のな
脳「発射3秒前!!!!!2!!!!!!!1!!!!!!!!!!!!発射!!!!!!!!!!!!!!!」
金玉「「うわあああああああああああああああああ」」
精子「うわああああああああああああああああああああ」
ワイ「うっ…ふぅ」
小池百合子「濡れタオルを首に巻いて熱中症対策!」
ワイ「マンコに入れた方が涼しいよ」ズボッ
百合子「ひゃうんッ!ワ…ワイさんそんないきなりされたらびっくりしちゃう…」
ワイ「やっぱりおちんぽの方が良かったかな?」ズボッ
百合子「はぁんッ!熱い…ワイさんのおちんちん熱いィ!」
ワイ「じゃあタオルで冷やさなきゃね」ズボッ
百合子「アァン!ワイさんダメ…百合子のおまんこおかしくなっちゃう!」
ワイ「アッハッハ!もうおかしくなってるよ!」ズボズボズボズボ
百合子「らめぇぇぇぇぇ!!!!!東京オチンピック開幕いたしまぁぁぁす!!!!!」プッシャアアアアアアアアアアアア
小池百合子「都民ファースト」 
ワイ「ふーん…俺のちんぽより都民が大事なんだ?」
ワイ「じゃあもうしてあげないよ?」
小池百合子「え…イヤ!そんなのイヤよ!」
ワイ「じゃあ何ファーストなの?」
小池百合子「…ぽファースト…」
ワイ「もっと大きな声で言わないと聞こえないなぁ!」
小池百合子「おちんぽファースト!百合子はずっとワイさんのおちんぽ第一主義よぉ!!!」
ワイ「…いい子だ」ニヤリ
ワイ「本当にワイのチんポは小さすぎて見えなあああああい!!!!」(激怒)
ワイ「でしょ?」
ワイ「でもオナホールをハメると…世界は変わる」
ワイ「大きくなっちゃうんです!!(勃起)」ウォォォォォ
ワイの金玉の中の菊川怜「すごーい、(血管が)はっきりきれいに見える!」
ワイ「オチんポの高度がエクスタシーで上がりました…」
ワイ「なんてデカいカリなんだ…!」
ワイの金玉の中の菊川怜「チんポの皮がカットされてる!長時間シコっても手が楽!」
ワイ「ちょっと見ていて下さいね」ニュポッ
ワイの金玉の中の菊川怜「きゃあっ!!//」
ワイ「この感度、さすが MADE IN JAPAN」
ワイの金玉の中の菊川怜(ウインク
ワイ「スゴいぜ!ワイのチんポ!!」ワアアアア(拍手喝采)
ワイの金玉の中の菊川怜「ワイのチんポ、だぁいすきー」
0210鈴木
垢版 |
2019/05/07(火) 08:15:01.70ID:mMB2sZpT
家庭用の電気が、一律にAC100Vになったのは、よく解りませんが大正時代なんでしょうか。

TMS,No.237,1968年、3月、p191の山北藤一郎氏発言によると、
  神田淡路町に住んでいて、配電はDCだった。
  「神田多町の何番地に来ている電気は直流ですか、交流ですか?」
  と変電所の人に尋ねたら「直流です」と言われた。
  その頃蓄電池を買ったので電灯線からすぐ充電できた。
  直流でなくなったのは震災(1923年)で変電所が壊れてから。

電灯線から蓄電池にすぐ充電できた、というのは、
DC6Vか12Vの配電だったのだろうか?
英国の初期電動模型にDC6Vが使われたのは、
バイクのDC6V電池用が入手しやすいから、と何処かで読んだ記憶もあるのだが、
そのバイク以前にDC6Vの配電地区があったからなのだろうか?

因みに東京都内の大正時代までのDC配電に関しては
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000026/26446/06haraguchi.pdf
長文で読むのがシンドイが、ここに詳しいです。
0211鈴木
垢版 |
2019/05/08(水) 22:33:15.74ID:QmG/RpBO
米国バーニー社カタログ集 ↓
https://www.hoseeker.net/varneymiscellaneous.html

その中の蒸機模型集 ↓
https://www.hoseeker.net/varneyinstructions.html

その中のHOの2-8-2の部品集 ↓
https://www.hoseeker.net/assemblyexplosionvarney/varney282mikadorigidpg1.jpg
驚くのは、米国のHO機関車でも、
これだけ多種の細かい部品を、価格表付けてバラ売りしていた時代があったわけだ。
米国は機関車自作をしない、という印象があるが、
少なくとも、このカタログを発行していた当時は、自作がかなりあったのでしょう。
そしてこれほどのバラ売りは、日本では到底出来ない事だと思います。
0212鈴木
垢版 |
2019/05/09(木) 23:14:50.61ID:/s1JU1gL
https://www.hoseeker.org/varneymiscellaneous.html
また、バーニーのカタログなのだが、

https://www.hoseeker.org/varneyinformation/varney1939catalogpg06.jpg
1939年カタログ、p4、第二段落
「The year 1938 marked the general swing from out-
side third rail operation to what is known as two rail
distribution.」
「1938年は外側第3レール運転から、2レール給電への総合的転換として、マークされる」
と拙訳ながら、読めると思います。

つまり少なくともバーニー社に関する限り、1939年にはHOに於いて、
旧来の外側3線式から、
2線式に舵を切ったと言えると思います。
バーニーについては、後でさらに書くかも知れません。

因みに英国OOに於いて、ホーンビーが2線式に舵を切ったのは、
その20年後、1960年です。
0213鈴木
垢版 |
2019/06/06(木) 12:26:11.15ID:oXU2R15V
https://www.hoseeker.org/gallery/index.php?album=mantuatyco%2Ftrainsets&;image=mantuagayoldtimertrainset1.jpg
Mantua社というのは、日本でも大型模型店として多少知られていた。
何故なら、米国HOの創始者の一人エリック・ラナル氏が、HO用連結器として、
ラナル式連結器をMR誌1935年1月に発表した。(出典、ミキスト1955年2月号)
この連結器はその後、Mantua社で生産され、ケーディ連結器以前の
米国HOの最有力連結器になった。

山崎氏は、自分が創設した16番用連結器に、このマンチュア型連結器を採用したかった。
そしてマンチュア型連結器とほとんど同一の砧型連結器を推奨した。

マンチュア型連結器はどういう理由か? 日本では発売されなかった。
そして日本では、マンチュア型に一部似ているが一部異なる連結器で、米国では少数派の
ベーカー型が一挙に3つの模型店(カワイ、天賞堂、鉄道模型社)から発売され、
ベーカー型が16番の標準的な連結器になってしまった。

https://www.hoseeker.org/gallery/index.php?album=mantuatyco%2Ftrainsets&;image=mantuagayoldtimertrainset2.jpg
こうして昔のMantua社の模型キットを見ると、
写真右の客車主材料は真鍮に見える。
これを組むためには、おそらくハンダ付けの技術が必要であり、それなりにむずかしいはずだ。

こういうむずかしいキットは、その後のMR誌の方針かどうか解らないが、
米国では忌避され、
「車両は原則完成品を使い、趣味者の工作は情景付きレイアウトに集中せよ」
になったんだと思います。
0214鈴木
垢版 |
2019/06/09(日) 09:54:37.96ID:kjvgslCf
日本人でVarney社と言うと想い出すのは、
HO蒸気機関車模型の動軸可動装置に長いピアノ線を使った装置だろう。
これはTMS,1947年4月号ミキストで、3動軸用が図示された。

https://www.hoseeker.org/assemblyexplosionvarney/varney282mikado1788kpg2.jpg
↑は図としては、ミキストの図より見ずらいが、4動軸用です。
この図で「driver springs」や「spring guide rivets」なる物が核心部です。

日本ではその後すぐ、
Oゲージの蒸気機関車でこれを使った自作品がTMSに載った気がするが、
号数は解らない。
0215名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/15(土) 04:59:14.14ID:WXZd/smz
>>208
>何故「6V」でなく「6.3V」なのか解らないが、当時6.3Vのトランスはよく見かけた。
>ラジオに使うのに、6.3Vが適していたのだろうか?

マツダラジオフレンド第2巻第2号(1952年4月号)によれば
真空管のヒーター用の電源として鉛蓄電池を3個直列にした電圧だそうです。
ttps://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=334012&id=59452737

真空管のヒーターに関する実験
scw.asahi-u.ac.jp/~sanozemi/Sakuhin/tube01/tube01.html

6.3V系の傍熱整流管 - おんにょの真空管オーディオ
ttps://blog.goo.ne.jp/onnyo01/e/162cd65b0fbd41367325565987909830

ヒーター電圧と真空管特性の関係
www.op316.com/tubes/datalib/heater.htm

Mini Watter アンプ・Project
phys.sci.hokudai.ac.jp/newfront/subpage/理数応援OpenLab_project_Amp.pdf
0216鈴木
垢版 |
2019/06/15(土) 15:05:09.94ID:RxM0r5+i
>>215名無しさん@
ありがとうございます。
電気関係でも、ディープな人や雑誌があるもんですね。

一度書いたと思いますが、戦前の山北藤一郎氏の神田の家は直流配電だったらしい(TMS,1968年3月)
それに電球抵抗を介在させて模型のモーターを回した、と言ってます。
それから山北氏は、買ってきた蓄電池に配電されてる直流から簡単に充電できた、とも言ってます。
もう少し古い田口武二郎氏は、手製の重クロム酸電池を使ったらしい(TMS,1953年7月)

マツダラジオフレンドという雑誌も面白そうですが、
図書館などでは見つかりませんでした。
0218鈴木
垢版 |
2019/06/15(土) 17:36:57.89ID:RxM0r5+i
>>217
何が言いたいの?
自分の鼻の穴がくっさくて困ってるの?

鈴木は以前から、電気に関して一般人以上の大した知識は持ってないと言ってますよ。
それに対して>>215名無しさん@は、
鈴木が知りたい1950年代から1960年代の電気の資料に各段と詳しいですよ。
多分、昔は盛んだったラジオ製作趣味を体験した人なんでしょう。

50年前の、鉄模趣味と、ラジオ趣味の関係バナシは一度書いた気もするが、
その内また書きましょう。
0219名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/16(日) 12:44:28.25ID:fL5YpCIV
215
小生は数年前、鈴木氏に有用な資料に関して御教示を頂いたので自分も氏の為に何かお役に立てればと感じた次第です。
ラジオ製作趣味は少しだけでそれほど詳しくないです。

マツダラジオフレンドという雑誌は東京芝浦電気(株)管球販売部が技術者ではない一般向けに刊行していたようですが、
現存数が少ないようです。
ttps://kogundou.exblog.jp/23555612/
ttp://www.kyo.co.jp/~mikosa/Documents.htm
0220鈴木
垢版 |
2019/06/16(日) 18:24:51.05ID:hRIuBE9s
>>219名無しさん@
>小生は数年前、鈴木氏に有用な資料に関して御教示を頂いたので

「それはどうもわざわざ恐縮で」.......なぁんて書くとまた>>217みたいな男が出て来そうですな。

"マツダラジオフレンド"は、
国会図書館、都立図書館、国立科学博物館、大阪市科学館、東芝未来科学館には無いですね。

他にもアチコチ調べたが、改めて解ったのは、
昨今の「博物館には図書室はほとんど無い」という事ですね。
その代わり受付で、ネアカな制服の美女がニコニコ、
ハンバーガー店のように応対するだけのようです。
コチトラ、制服の美女に会うために、わざわざ辛気臭い博物館に行くわけではないのだが。
それに比べれば大宮の博物館がカタチだけでも図書室を置いてるのに感謝すべきなのか。
0221名無しさん@線路いっぱい
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2019/06/17(月) 00:18:13.63ID:k04AnFEH
建設的な活動をせずに他人の足を引っ張ったり揚げ足を取る低能な輩はリアルでもネット上にもいるので関わらず放置&無視がよろしいかと思います。
他のスレを見ると定期的に巡回しているようで彼らに対して正論を述べたりすることは承認欲求を満たすことになり逆効果でエサを与えるようなものではないでしょうか。

> 昨今の「博物館には図書室はほとんど無い」という事ですね。
確かに昨今の博物館に図書室は殆んどありませんね。横浜の1番ゲージの博物館は最近では休日でも閑散としているようですし、模型関連の文献等の収集、保管はしても一般には公開しないようですね。
先行きが危ぶまれます。
www.asterhobby.co.jp/pdf/22.pdf
ところで調べてみて感じたのですが、真空管に限らず、戦前のメーカーはカワイの『模型鉄道』誌や朝日屋の『科学と模型』誌のように一般向けの啓蒙雑誌を刊行していたようです。
戦後は科学教材社が『模型とラジオ』誌を刊行していました。
0222鈴木
垢版 |
2019/06/17(月) 07:30:29.69ID:9RE57dA5
国立科学博物館の図書室は15年くらい前、新大久保付近にあり一度行った事があります。
今は筑波に移転しているらしいです。
博物館は入場者数増加に必死になるため、
子供やファミリーや恋人受けやTV受けを狙ってネアカ感を出す一方、
図書室は入場者数増加に貢献しないからいらない、という事じゃないかと思います。

カワイの『模型鉄道』誌は、特に酒井喜房編集長時代の物を一度見たいとは思いますが、見る事ができません。
誰かがデジタル化してネットに載せてくれればいいのですが、
そうなると今度は著作権の問題も出るのかも知れません。

朝日屋の『科学と模型』誌は、国会図書館に若干あったと思います。
『科学と模型』誌は、戦後すぐ復活し、1950年代まで続いたはずですが、
刊行停止時にTMS上には、説明は無かったと思います。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1764694?tocOpened=1

『科学と模型』誌は、戦前山崎氏の16番規格を載せた太っ腹の雑誌なのですが、
戦後TMSはライバル誌していたと思います。
何故ならTMSは、「大人の趣味」を目指し、
『科学と模型』誌は、子供の科学教育のための記事が多かったからです。

私個人はTMSの、「大人の趣味」路線など、あまり高く評価しません。
0223名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/06/19(水) 15:03:20.90ID:nDhuD8tl
『科学と模型』誌は模型部品の販売会社が刊行していたので詳細な部品の寸法を書いた記事で自社の部品を使えば記事通りに実際に組み立てられる記事が掲載されていました。
一方、TMSの方は初期は記事通りに組み立てれば走らせられる記事が掲載されていたものの、広告主であるメーカーからキットや完成品が発売されるようになると直接メーカーの製品と競合するような製作記事の掲載は
無くなった気がします。市販品の改造や製作記事であってもナローや外国型やOスケール等、広告主と競合しないような車種の製作記事に限定されていた気がします。

アメリカのモデルローダー誌ではサウンドシステムの自作やフルスクラッチの記事があったのとは対照的な気がします。
0224鈴木
垢版 |
2019/06/19(水) 19:48:43.32ID:BJEf5TPZ
>>223名無しさん@
>自社の部品を使えば記事通りに実際に組み立てられる記事が
        ↑
"模型と科学"と同じなのが、後年の"模型とラジオ"でしたね。 ガキの時、
私の友人は"模型とラジオ"を読んでいて、私はTMSを読んでいたのだが、
乏しい小遣いでやってる者には、部品一覧とそれぞれの価格が出ている友人の雑誌が羨ましかった。
当時のTMSは、模型の値段はほとんど書いてなかった。
0225鈴木
垢版 |
2019/07/15(月) 06:57:54.02ID:CP657SVN
"鉄道ピクトリアル"1956年10月号p10、"趣味から見た鉄道書[1]"川上幸義筆、
は題名の通り実物鉄道書の精緻な書誌的解説だが、
鉄模に関しても、以下の如く雑誌について三点言及してる。

@戦前普通の書店で買える雑誌で鉄道に関しても書いてあるのは
"子供の科学"、"科学画報"、"科学知識"だったが前二者は、毎号模型記事があり、
原田三夫、本間清人、山北藤一郎が書いていた。戦後の"子供の科学"はかなり編集方針が変わった。

A日本の鉄道趣味雑誌として最も古いのは、"鉄道"だが、編集長の武田氏は元来模型趣味者なので
模型記事も毎号あった。1/30、35ミリ模型が中心だった。1938年頃100冊程度を出して終刊したようだ。

B日本の戦争突入で雑誌の廃刊が相次ぐ中、最後まで発行されたのはカワイの"模型鉄道"。
この雑誌は最初は鉄模ばかりだったが、10号あたりから実物の記事も出てくる。
1941年の21号から紙質が悪くなった。1942年の27号で終わった。
0226鈴木
垢版 |
2019/09/01(日) 11:07:32.23ID:CQeM9hmX
https://marklinstop.com/2018/01/marklins-00ho-track-system-1935-present/
これなのだが、
ここでは、メルクリンでなく、英国のOOを考えます。

Hornby 3-rail 00 track (courtesy Eric Wicherts)
https://marklinstop.com/wp-content/uploads/2017/12/Screen-Shot-2017-12-26-at-12.10.59-PM.png
ですね。

山崎氏や、MR誌が影響を受けた戦前の英国OOは、
Edward Beal氏によるOOレイアウトで、
TMS, 1976年ミキストにも載ってるが
https://www.rmweb.co.uk/community/index.php?/blogs/entry/89-the-beal-thing/
https://www.rmweb.co.uk/community/uploads/monthly_10_2009/blogentry-2-12547200796955.jpg
で、それは外側3線式給電だ。

しかし上記Hornby 3-rail 00 trackは中央3線式給電だ。
英国は戦前は外側3線式給電だが、戦後中央3線式給電が優勢になったのだろうか?
そして、既に書いたかもしれないが、
Hornbyは1960年になってやっと2線式給電を発売したが、
一方で旧来の顧客のために、中央3線式給電をも供給し続けたらしい。
0227鈴木
垢版 |
2019/09/01(日) 13:26:24.16ID:ByzZ3jH9
https://marklinstop.com/2018/01/marklins-00ho-track-system-1935-present/
これなのだが、
ここでは、英国のOOでなく、メルクリンのスタッドコンタクトの話です。
「In 1953 Märklin came out with an improved version of this system: for the first time the “stud-contact” system was introduced.」
「1953年メルクリンはこのシステムになった:初めて“stud-contact”が導入された」
この辺が解らない。「このシステム」とはフランスのVollon & Brunなる模型屋のスタッドコンタクトシステムなんだろうか?

“stud-contact” systemについては、山崎氏がTMS, 1951年、10月ミキストに「スタッド集電」の名称で書いてる。
「2年前イギリスの"モデル・レイルウェイ・コンストラクター"誌にスウェインという人が発表し以来採用も増し」
「2年前」という事は、1949年になります。
と、するとメルクリンは1949年から4年後に、フランスのVollon & Brunなる模型屋のシステムをHOに導入したのだろうか?

山崎氏は、実物のスタッドコンタクトシステムが約50年前(1901年頃)General Electric 社で使われたらしい、と書いてる。
実物のこれは「surface contact system」の名前で、路面電車用にいくつかあった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stud_contact_system

https://i.imgur.com/igzO6Zj.jpg
     ↑
これは、1900年のKingsland式
0228鈴木
垢版 |
2019/09/09(月) 22:48:47.84ID:TtoZEL1R
https://www.rmweb.co.uk/community/uploads/monthly_09_2016/post-26540-0-28386200-1473540546.jpeg
      ↑
(長大URLだから5ch.では、直接クリック表示できないかも知れないけど)
これは1/76、4mmスケール、英国のMike Sharman氏が作った、
実物1435mmと2141mmゲージのデュアルゲージ線路模型。
1960年から1970年頃の作品じゃないかと思う。
Mike Sharman氏はRailway Modeller誌1970年12月に
これとは別の情景付きトリプルゲージジャンクションを発表した。
その情景付きトリプルゲージジャンクションはMR誌の1971年6月号で優れた模型として、賞賛されました。
ま、48年くらい前の模型です。

この系統の鉄模は日本ではほとんど発展しなかった。
まぁ日本の実物には複雑なジャンクションは無いも同然だから、仕方ないのだが。
0229元祖 個人投資家
垢版 |
2019/09/10(火) 02:24:15.51ID:j4242lWV
鈴木g3は認知症なので信用しないようにしましょう。
0231鈴木
垢版 |
2019/09/18(水) 16:25:13.60ID:tx6qiaxu
>>228鈴木 が出した、Mike Sharman氏の別の線路はこれ。
    ↓
https://i.imgur.com/cEBrhXa.jpg
本当はこちらを出したかったのだが、何しろ50年前の旧式コピー機によるものなので、
コンビニで再コピーしてみたら、全くの白紙画像としてしか読み取れなかった。
ふと思いついて、自宅の1万円コピー機でコピーしたら、むしろそこそこ良いコピーがとれた。
原写真は"Model Railroader" 1971年6月号P53。

かなり複雑な線路です。
こういうのが日本で流行らなかったのは、
日本の実物には、こういうのがない。
TMSの山崎氏が、複雑な線路を嫌い排除した。
という2つの理由が考えられます。
0232鈴木
垢版 |
2019/10/18(金) 18:10:52.49ID:f6Q2SPnt
人気もないし、ネタ切れもあるし、古い鉄模著名人人の事を書こうと思います。
★菊地文雄氏。
wikiに依れば、1914年生れ、1989年死。
@ネットで読めるイチオシはこれ ↓ 非常に役立つ。
  http://tplibrary.seesaa.net/article/441992409.html
A本などで、まとまった説明は、トレイン誌創刊号、1975年1月号。
 作品写真を中心に9ージ量。文章は補助的には役立つ。筆者は松本兼一氏。

1960年前後"模型とラジオ"誌に毎号、新型電車を16番(菊地氏が言う「HO」)を自作記事を書いていた。
総て、紙で窓を抜く時の寸法図入り。
記事末には買い揃えるべき、必要な台車やパンタ等の部品とその値段が書いてあったから、
作りたい人は大体の予算がわかる。
当時TMSには模型や部品の値段はほとんど記載されてなかったから、圧倒的に親切。

菊地文雄氏について、@やAに加えて補足します。
私は子供の頃菊地氏は紙で作る子供向き模型専門と思い込んでいたのだが、
戦前からの、旺盛な金属スクラッチビルダー兼実物ファンである。
1948年秋の鉄道記念日関連で、
主催、交通文化博物館(後の神田交通博物館)、交通科学研究会他。
後援、運輸省
という陣容の鉄模コンクールがあった。
この時菊地氏はSゲージのC51を出品し2等になってる。
この模型の写真が、トレイン誌創刊号の写真に該当するらしい。

 このコンクール審査員の中に山崎喜陽氏が名を連ねている。
 山崎氏は7才先輩の菊地氏の模型を審査した事になる。
 山崎氏が審査員をやった事は、TMS,No.9ミキストで確認できるが、
 この部分は"特集シリーズ12ミキスト"では割愛されて再録されていない。
 なお、このコンクールでは他に
 久保田富弘氏の(多分Sゲージ)米国型0-6-0が受賞となった。

菊地文雄氏に関しては、まだ家の何処かに資料があったかも知れない。
0233名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/10/18(金) 18:21:11.41ID:HeSEz9Ts
ゴミレス鈴木は、ここで自分語りをしてくれ♪
0234名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/10/21(月) 13:12:32.67ID:z1e93tah
鈴木老いぼれg3は認知症なので
信用しないようにしましょう。
0235鈴木
垢版 |
2019/10/30(水) 17:08:16.03ID:jbtw1L9g
>232鈴木の続き
「 主催、交通文化博物館(後の神田交通博物館)、交通科学研究会他。 後援、運輸省
という陣容の鉄模コンクール」で
「菊地氏はSゲージのC51を出品し2等になってる。 」
と書いたが菊地氏のC51はSゲージであるとは言っても、
1/50、22mmゲージ。この規格で国鉄型を作れば、車体縮尺とゲージ縮尺は一致する。
この機関車はトレインに写真が出た。テンダードライブの優れたブラス機関車だ。

山崎氏は「国鉄型Sは1/60、22mmゲージで作るべし」と言ったのだが、
関西には、「国鉄型Sは1/50、22mmゲージ作るべし」という勢力があった。
もしかしたらこの関西の考え方は大阪の朝日屋の考えかもしれない。

この鉄模コンクールでは、
「B級2等 蒸気機関車 久保田富弘」の名で弁慶号風の写真
「佳作 蒸気機関車 久保田富弘」の名で米国風0-6-0の写真
が出ているが、ゲージや縮尺は発表されていない。
久保田氏以外の作者で蒸気機関車等で1等を受賞した人の模型も、
ゲージや縮尺は不明だ。昔は呑気だんですかね。

TMS,1949年4月号、p45には久保田富弘氏がSゲージ0-6-0の製作記として書いてる。
氏は記事中で、「弁慶は2等、0-6-0は佳作をとった」と書いてる。

この1948年コンクールの審査員は以下の通り。
池田技官 (運輸省の技官を置いて権威付けするののでしょう。山崎氏はこういう権威付けに反対した)
田口武二郎 (ライブスチームのパイオニア。鉄模に限らず全模型の万能選手)
竹野正吉 (戦前は1/30のミトイクラブ、戦後は日本模型鉄道同好会=JAMのリーダー)
山口憲一 (未知の人)
山崎喜陽 (枕木会、機芸社)
本間清人 (戦前50mmゲージを主唱。山崎氏は本間氏を高く評価してる)
エリオット (米軍技術曹長らしい。HO,DC,2線式模型を多数持ち込み交通博物館に貢献した)
0236鈴木
垢版 |
2019/11/01(金) 15:07:15.82ID:QK7HqFJ5
"TMS特集シリーズ12,ミキスト"(原本はTMS1947年12月号)に依れば、
MR誌1957年7月号の調査発表で、

採用者は
HO=54.9%、 OO=8.59%、 S=6.1%、 O=23.8%、
集電法は
2線式=84%、 3線式=11%、

とある。
この3線式の内訳が
内側中央レール式なのか?
外側第3レールなのか? よく解らない。
英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
米国HOの3線式採用率も知りたいところです。
0237名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/01(金) 18:52:30.41ID:C1jjKOVA
>>236
> 集電法は
> 2線式=84%、 3線式=11%、
> とある。
> この3線式の内訳が
> 内側中央レール式なのか?
> 外側第3レールなのか? よく解らない。
> 英国のOO,16.5mmゲージは、内側中央レール式が多かったはずだ。
> 米国HOの3線式採用率も知りたいところです。

鈴木さんの言う「外側第3レール」って、架線集電のこと?
それとも、実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから
集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
0238鈴木
垢版 |
2019/11/01(金) 22:59:31.85ID:sRueyNSd
>>237名無しさん@
>実車の東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するようなシステムを採用した鉄道模型が、昔はあったんですか?
       ↑
東京メトロ丸ノ内線みたく、本当にサードレールから 集電するような模型が昔はありました。
確か、名古屋模型クラブが戦後すぐに、Oゲージで採用したと思いました(どこかで読んだ記憶です)。

山崎氏が戦前大きな影響を受けたEdward Beal氏のOOレイアウト写真、
TMS,1976年、6月p68は、私には外側第三軌条集電に見えます。
https://images.awesomebooks.com/images/books/rnaimages/9995436331_2.jpg
これはBeal氏の鉄模本。文字がボヤケてるが「Trackwork in oo-gauge」と書いてある。
0239鈴木
垢版 |
2019/11/02(土) 18:31:28.69ID:Uxc7BTuF
https://www.nycsubway.org/perl/show?12688
蛇足ですが、英国地下鉄実物写真。
中央レールと外側第三レールの二か所から集電してるようです。
0240鈴木
垢版 |
2019/11/02(土) 20:33:41.37ID:ndCuqle7
http://dda40x.blog.jp/archives/51457613.html
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/2/d/2d4884e4.jpg
これは1/45.2の32mmゲージのテンダー。
外側3線式、そのための部品は昔は売っていたそうだ。
外側3線式のためのコレクターシューは必ずボギー台車中心ピン位置に取り付けなければいけない、
と思っていたが、これを見るとかなりズラしても平気なようです。


ところで、「1/45.2の32mmゲージ」というのは
NMRAが主張している「Oスケール」つまり1/48、32mmゲージが、
内股なのでそれを改善しようとした規格です。
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/7/d/7d818dfd.jpg
上で説明しているが、
上段の黒いNYCハドソンが1/45.2の32mmゲージ(名称はQゲージか? はっきりはしない)
中段の灰色のNYCハドソンが1/48の32mmゲージ(NMRA式Oスケール)
1/45.2の32mmゲージは1960年代末から1970年代初期に消えたと思う。
0241鈴木
垢版 |
2019/11/03(日) 09:42:06.88ID:USxz90uT
名古屋模型鉄道クラブの外側第三軌条集電の事は、
TMS、"NMRCスペシャル"、(発行日が明記されてないダメ本だが、1997年発行らしい)
のp83に、1947年頃の話として
「特筆すべきことは、外側第三軌条集電を採用した事であった(中略)。レールの中央に余分なレールがあるのを心快しとしない」
とあります。

但し、NMRC幹部の伊藤剛氏の1952年頃作、Oゲージ米国型4-6-4は、
中央レール集電と外側第三軌条集電の切り替え可能です。

伊藤氏のこの製作記事はTMS、No.49、1952年9月号("高級モデルノート"に再録)ですが、
その完成写真は、堂々と完全な2線式線路に乗っかってます。
これって、米国なんかの3本レール模型機関車の模型屋宣伝で、
中央レールが目立たないように写した写真よりも、もっとエゲツないんじゃなかろうか?
伊藤氏が悪いんじゃなくて、TMSに問題があると思う。
0242名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
垢版 |
2019/11/03(日) 23:41:31.08ID:FVOGwTbU
>>241
伊藤氏は、ギミック有りの鉄道模型車両の帝王でしたからね。
模型店の販売躍進には、邪魔な存在だったのでしょうねぇ?(笑)
0243鈴木
垢版 |
2019/11/04(月) 01:06:13.40ID:atOyBlLB
>>242名無しの素人♪♪♪
山崎氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていなければ自作する
伊藤氏の主張は自分が欲しい模型を、売っていても自作する
あたりと思います。
勿論伊藤氏といえども1台も模型を買わなかった、という事はないと思いますけど。

そして伊藤氏はブラス模型を模型屋から買ってきて、実物の詳しい考証をして、
チョコチョコ細密部品を付けたり好みのウェザリングをして細密化する事を
「作る」とは認めなかったと思います。

伊藤氏は、
「鉄模ファンについて、鉄道ファンか? 模型ファンか? 問われたら、私は模型ファンだ、と断言する」
と書いてましたね。
0244鈴木
垢版 |
2019/11/04(月) 16:53:12.89ID:muRDtmSY
私が昨日書いた伊藤氏の考えの根拠は、
"鉄道ファン"1962年9月号P32、
"5月号「メルクリンと私」をよんで" でした。
「たとえそれが金さえ出せば買えるものであっても、私達は自分で作ったものを欲しいのです」
とあります。

伊藤氏の記事は、同誌5月号の篠原正瑛氏の
メルクリン礼賛記事に対する批判として書かれたものです。
0245名無しの素人♪♪♪ ◆IQM320uRe6
垢版 |
2019/11/05(火) 00:05:33.22ID:tGBB+Hcw
>>244
伊藤氏は、アナログな模型の仕掛けが好きだったのでしょうね。
イコライザーが最たるものだと思います。
最近は、アナログな模型の仕掛けの考察が少なくなったように思いますね?(笑)
0246鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 07:50:36.03ID:mQM9cSJD
伊藤剛氏は、TMSや、同好会会報以外にも、いくつか記事を書いてます。
既に書いた鉄道ファンでの模型自作論以外に、
鉄道ピクトリアル、1951年11月号に"海をわたった模型列車"なる記事を。

これは占領米軍の鉄道管理者、東海北陸民事部長ハロルド・ウォーカー氏に
日本側の鉄道関係者が私的にプレゼントした、45mmゲージのライブスチーム列車セットの紹介記事です。
(その後これと同様の記事は1980年代頃のTMSに井上豊氏が書きました)

ライブスチームは井上豊氏、客車はカツミ、特製レールは大同製鋼、
ステンレス客車の波板は日本車両が特製ロールで作る、
という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。
0247名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/11/05(火) 08:21:33.99ID:WJzNphQE
>>246

> という超豪華版です。 米軍占領時代の暗い嫌な一面ですね。

高官へのワイロなんてついこの間までありましたよ。
鉄模が外交カードになったのなら、
それはそれで面白い。 

それとは別の方でしょうが
交博にHOレイアウトを作った米兵さん
もありましたね。
0248鈴木
垢版 |
2019/11/05(火) 20:29:24.46ID:BueZpvmi
模型の価値そのものは、模型の質の上下で決まるだけでしょうし、
「名古屋で作られた45mm模型セットは質的に上だ」、と言えばそうでしょう。
例え米軍の鉄道管理官に対する違法な贈賄だとしても。

精密鉄模は、真面目な鉄模趣味者が所有しようが、
[人の生き血を吸う馬鹿殿様の七光り低能息子]が退屈しのぎの贅沢三昧で所有しようが、
その価値に変わりはない、という事ですね。

米軍技術曹長のエリオット氏は、
おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
(但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオット氏が居なくて、日本人だけだったら
交通博物館のレイアウトは、Oゲージ3線式で作られていたかもしれません。
何しろ1940年代後半、16番部品を売ってるのは鉄道模型社だけだったし、
関西ではむしろ16mmゲージが強かったと思います。
0249名無しさん@線路いっぱい
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2019/11/05(火) 20:34:49.05ID:bF4Mg2Ya
>>248

>> 米軍技術曹長のエリオット氏は、
> おそらく自分の趣味もあって、交通博物館のHOレイアウト作りにたずさわりました。
> (但し、この時の博物館レイアウトは情景はちゃんと在ったのか、今の所確信が持てません。)
> 彼は帰国時にはかなりのHO車両を博物館に寄附したのだから、恩人といえます。

エリオットルームだったかな。
TMSに写真があったと思うが失念した。
交博のHPかもしれない。
0250名無しさん@線路いっぱい
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2019/11/05(火) 20:46:10.67ID:bF4Mg2Ya
エリオット・ルーム
総延長100m
車両130両とのこと。
0251鈴木
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2019/11/05(火) 20:47:29.77ID:GUjm/YEb
>>249名無しさん@
>エリオットルームだったかな
       ↑
これは貴重な話をありがとうございます。
私も暇を見て、それを探してみます。
0252鈴木
垢版 |
2019/11/07(木) 15:44:17.16ID:zjdf+7a2
米軍技術曹長エリオット氏に関しては、
"ブラック鉄道史"p87に、これまで当スレに書かれたような事が記載されてました。
この本全体は、実物鉄道史に関する本です。

TMS、1947年、4月30日発行のミキストでは、
1947年、4月上野松坂屋開催"科学玩具と模型展覧会"で展示された、
エリオット氏のHO模型を褒めてます。
0253鈴木
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2019/11/21(木) 20:00:30.82ID:Rn7VHSuY
TMS特集シリーズNo.6、p14"安価に出来るパワーパック"、(元はTMS、1954年8月号p318)
には、16番のDC運転には、セレン整流器が必要と書いてある。
筆者山崎氏は「安く作れる方法はないかと、セレン以外もテストしましたが、
安く出来てもどうも不完全で」
「市販品は1A用が350円(1954年当時の値段)」
と書いてます。
私はこの記事を読んで、初めてセレン整流器というものを知り、多分戦前から在ったんだろうと思っていた。

最近"セレン整流器の歴史を語る"という本を読んで、
1905年頃ドイツのSAFとかいう会社がセレン整流器を開発し、
日本はNECだの東芝などが何とかして真似しようとしたが、困難で、
戦争中は、軍の需要もあったが、結局出来の悪いのしか出来ないまま終わった。
というような事が書かれてました。

この本は終戦後の事はほとんど書いてませんが、
要するに、終戦後まで、特別な研究者以外セレン整流器など、触る事もできなかったようです。
またセレン整流器研究以前は、亜酸化銅整流器の研究もしたそうだが、
こちらはセレンよりもっと成績が悪かったそうです。

それ程むずかしいセレン整流器なのですが、山崎氏執筆の1954年頃には、
一般人も何とか買えるようになったようです。

では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
という疑問がわくわけです。
0254鈴木
垢版 |
2019/11/25(月) 21:14:57.49ID:N1QtlxfQ
ものすごい劣化コピーの、そのまた劣化コピーなんだが
https://i.imgur.com/3duadUU.jpg
エリオット氏のHOレイアウトらしい。
場所は交通博物館らしいのだが、はっきりとした確定は出来ない。
0255鈴木
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2019/12/01(日) 21:12:00.82ID:IV2VvpG3
TMS、1992年、7月号p86、"私の鉄道模型史"、半田一氏筆は
割と平凡な自分史をたんたんと、書いたものです。

しかしこの中で、1950年代の神奈川県藤沢のクラブの話が書かれていて、
そのリーダーは熊谷守美氏でした。
Oゲージの小田急電車が好きだったようです。
TMSにも1952年にも一度、江ノ電の解説を書いた、

運転会は六畳と八畳をブチ抜きでやってたようです。
熊谷氏の家は片山元総理大臣が遊びに来るほどで、
相当な家柄と思いますが、
半田一氏に依れば
それ以外に、片瀬江の島で、熊谷模型店もやっていたようです。

昔の少年工作雑誌の座談会より。
読者少年 : 「戦争前からの模型飛行機熱が終戦ですっかりうすれて、
  それが模型鉄道の方へ移ってきたのではないでしょうか」
熊谷守美(湘南支部長) : 「簡単に実物がみられるからでしょう。今は日本の飛行機というものはないからね」
0256鈴木
垢版 |
2019/12/02(月) 08:41:04.10ID:BV95udPg
1950年当時の少年の鉄模趣味は、
中学高校生くらいになると、かなりラジオ趣味に移行する傾向があったようだ。
理由は、
鉄模には、「理論的なもの」が少ないが、
ラジオには、「理論的なもの」が多い。

鉄模にもDCやACがあるし、1950年頃はモーターの大幅な改造や自作もあった。
モーターの巻き線を巻きなおすくらいの事は中級では普通だった。
それ以外にも、動力車両の惰行なんて事も論議されていた。
それ以外にも自動逆転装置だの信号だの課題はあった。

しかしながら、鉄模では、
「実物の外観や姿を正しく再現する」という課題が大きな部分を占めるのが宿命であり、
これは、「理論的なもの」というよりは、
絵画や工芸に属するものだ。

そういう事から、学齢が上がるに従って、
絵画写生と、「理論的なもの」が同居する、鉄模から離れて、
「理論的なもの」が最重要視されるラジオ趣味に移行する少年が多かったのでしょう。
0257鈴木
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2019/12/03(火) 01:13:40.74ID:YkIWcfp2
占領米軍少尉ワディントン(David L. Waddington)氏については既に、
>>200に書いたが、もう少し書くと、

一番詳しく書かれているのは、TMS、No.400, 1981年4月号p90ミキストです。

1946年春、お茶の水の鉄道模型社に教えられて、山崎氏の成城の自宅に来た。
山崎氏はこのW氏のおかげで生(なま)の米国の状況を知った。
例えば
「米国貨車模型の派手な色は模型特有のもので、実物はくすんだ色じゃないか?」
という疑念を多少は持っていたのだが、山崎氏の疑念はW氏によって払拭された。
W氏の初訪問の時点で山崎氏はTMS, 旧1号の発刊準備中だった。

>>197に書いたように、TMS, 旧3号に"日本の鉄道と模型"なる記事をW氏が書いた。

1947年、W氏は米国に帰国した。この直前W氏の興味はOからSへ移った。

帰国後は、MR誌に記事を書いた。
またMRの"Traction GuideBook"にはW氏による精密なHO電車図面が2,3,載ってるので、
かなりMR誌とつながりがあったと思われる。

1978年再来日、山崎氏と再会。

TMS, 1981年、4月号p76に、米国の大型模型(54mmゲージ)に関する報告を執筆

TMS, 1993年、8月号p90にはW氏が米国で健在な事が報告されている。
0258鈴木
垢版 |
2019/12/20(金) 09:18:33.92ID:hvfdMcyw
https://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201912010000/
私は9mmゲージについてはよく知らないのですが、
その初期には、今ではほとんど知られていないメーカーが随分とあったのですね。

見る人によっては玩具に過ぎないものかも知れないが、
何故これらはTMSに紹介されなかったのだろう?

この優れたブログを見て驚きました。
0259名無しさん@線路いっぱい
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2019/12/20(金) 11:42:20.44ID:ZW0+924l
>>254
tubeのN開封動画で良く見る絵だな…もっとも状況は全く違うが
精いっぱいやってこれと、必要最小限で稼ごうとするあれ
0260名無しさん@線路いっぱい
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2019/12/20(金) 12:27:32.00ID:1Hu2+ybl
>>258
ゴミレス鈴木はいつから自分語り初めたの(大笑い)
0261鈴木
垢版 |
2019/12/23(月) 07:12:31.01ID:bEjfW744
つまり、1960年代中頃には、各種の玩具っぽい約9mmゲージが安く売られていて、
その外観の優劣は、SONYが売ろうとした9mmゲージ模型とそれ程は変わらないのですね。
0262名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 02:25:16.50ID:HDpJS7je
>>261
1080年代の鉄道模型はどんな模型だったの?
   ↓
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257

257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm
1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、
「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、
『自分の模型になった』とか言われては困るのである」
と書いたのがあった。
どの模型を指しているか? は書いてなかったが、
私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。
0263鈴木
垢版 |
2019/12/31(火) 07:06:52.88ID:DZ0wgeze
>>262名無しさん
「1080年代」は、私の書き間違いで、
「1980年代」と、書くべきものだったと、思います。
0264名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2019/12/31(火) 10:01:24.14ID:HDpJS7je
>>263
なんだ捏造だったんですね。

捏造は駄目ですよ。
1080年代の模型はどんなものか知人に聞いたら笑われましたよ。
0265名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/10(金) 23:07:56.99ID:PUJvthur
鈴木は平気で知ったかぶる
0266名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 11:13:28.94ID:vkJEHCD8
スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
0267名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 11:29:23.96ID:a8JmLVqm
>>266

> スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。

スケールが無理と考える時点で
スケールが重視されていたと言う
エビデンスとなる。
0268名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/01/12(日) 12:20:23.92ID:lY7TgbP7
今やアニメキャラのフィギュアですらスケール明記の時代
実物のモデルなら正確なスケールや比率が必須となっている
0269鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 18:10:35.06ID:CRGm2ZdP
>>266名無しさん@
>スケールなど無理だった時代の鉄道模型が、スケールより始まったと言うぐらいですからな。
        ↑
一体何年頃の時代の話をしているのか? 意味不明だが、
戦前から、色々な模型のスケールは決められていて、
それを作る人は、それぞれの一定のスケールを目指して作っていましたよ。
0271鈴木
垢版 |
2020/01/12(日) 22:00:20.73ID:6nLr6yCc
戦後は米兵が流入したから、16.5mmが優勢になったが、
戦前は16mmもあった。
知りたい人は"TMS特集シリーズ、車両工作ブック"のp2、
EB凸電、鎌田達夫設計の図面を見れば解るでしょう。16mmゲージです。
0272名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/04(水) 01:01:05.00ID:CvzyqQ30
16oって映画の規格に似ていますね。Nゲージが発売される前の1950年代末に一部の愛好家の間で1/150スケールの8oゲージが作られたのは
偶然ではないかもしれませんね。

ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611230000/
ttps://plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201611250000/
0273鈴木
垢版 |
2020/03/04(水) 09:24:21.89ID:FggSAJjU
>>272名無しさん@
>16oって映画の規格に似ていますね。
         ↑
これはTMSのミキスト(号数忘れ)でも、
「何か関連があるんじゃないか? と誤解するひとが居た」
と書いてました。

私も小学生の時、
  映画の35mm ≒ 鉄模の32mm
  映画の16mm ≒ 鉄模の16.5mm
で何か関連があるんじゃないか? と考えてました。
0274鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 03:00:06.81ID:8tWLPPug
http://tbmod.com/rm/Madder%20Valley%20MRJ%201994%20dec.pdf
こんなページ見つけました。
英国のOOゲージ(1/76, 16.5mm)モデラーで、
Edward Beal氏の影響を受け、1940年代から1950年代に、
優れたレイアウトを作った人らしい。

この人は戦前、DC6Vで運転していたらしい。
pdfの6ページ、上段テキストには、
「powered by 6-volt car bftteries」
「電気は自動車用6V電池が使われてる」
とある。
山崎氏なども、やはり電池を使ってDC電源を確保していたのだろうか?
少なくとも日本ではセレン整流器は軍用で、一般人は入手不能だったはず。

それとこの英国レイアウトの機関車のモーターはマグネットモーターだったのだろうか?
日本では、絶縁車輪が発売されてしばらくしてやっと
マグネットモーターが販売された。
理由は、多分マグネット部分が高価だったからじゃないだろうか。
0275名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:22:39.00ID:I4JYZ5Jn
50年前の1970年に発売されて
動力は改良されつつ、
車体はそのままで生産されている模型がありますよ。
この車両の登場で、全国で無数のレイアウトが作られ
主力車輛として活躍したことが当時のTMSで見られます。
0276名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 07:57:11.24ID:9s78MGAb
>>253
>では戦争中の16番は一応はDC運転を旨としていたのですが、
>山崎氏はどうやって、DC電源を確保していたのだろうか?
>という疑問がわくわけです。

戦前の『科学と模型』誌に電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
また一般的ではないものの電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する手法もあったようです。
0277鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 09:37:13.43ID:w/9sby8P
>>276名無しさん@
>電鈴に使用される電磁石の断続で整流する手法が掲載されていました。
      ↑
電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
この方法は初めて知りました。

>電動発電機と同様の手法で交流電動機で直流発電機を駆動して整流する
      ↑
この方法は私でも誰でも考えますから、
山崎氏達はこれでやったのかな、とも思うのですが、
「それでやった」という話は見つからないのですよね。
自動車やバイクの電池を使ったという話は、
前回書いた英国レイアウトの他に、Model Engineer誌にも出ていた気がします。
しかし電池が無くなったら、自動車修理屋にでも充電を頼むのかなぁ?
尤も戦前の日本の家庭用配電はACの他にDC地域もあったので、
DC地域なら家庭で充電できるのかも知れない。

因みに戦前の鉄模趣味者は、
変圧器だの、モーターだのも自作出来る人が普通に居たようです。
0278名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/06(金) 23:24:28.18ID:PSI2jme5
>電磁石のブルブル断続間隔を調節して、
>50/secや60/secにピッタリ同期させるんですかねぇ。
>この方法は初めて知りました。

スピーカーと同様の構造の交流電磁石の吸引で動く接点があって交流の上半分又は下半分の時のみ通電すると半波整流になるらしい。
0279鈴木
垢版 |
2020/03/06(金) 23:36:27.95ID:xBjrOkE6
>>278名無しさん@
なるほど、スピーカーの方が正確なのかも知れませんね。
ありがとうございます
0280名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/07(土) 18:15:13.68ID:WjN96uWa
>>257
David L. Waddington氏は戦後はゼネラルエレクトリック社の技師として勤務したそうです。
2000年代まで執筆していたようです。
David L. Waddington, whose stories and scale drawings appeared in Model Railroader and other hobby publications from the 1940s through the 2000s, died May 12 in Orleans, Mass.
ttps://mrr.trains.com/news-reviews/new-products/2014/07/in-memoriam-model-railroader-author-david-l-waddington
0281鈴木
垢版 |
2020/03/07(土) 19:18:10.92ID:9u5hdv2K
>>280名無しさん@
ありがとうございます。
見ると、Waddington氏は2014年に亡くなったようですね。
そしてMRでも特に、図面が評価されてるようです。
手持ちの"Traction Guidebook"1974年出版(機芸が売った)には、
HO=1/87で
  木造郵便電車
  BB凸電
  Massachusetts 路面電車(彼が住んだ町の電車?)
  木造旅客荷物合造電車
  移動変電所カー
の精緻な図面が載ってます。
残念ながら各図面の公開年が不明ですが、
図面の優秀さでは、TMSの実物図面を凌駕してるんじゃないか? と密かに思ってます。

Waddington氏は、TMSに協力している頃はSゲージャーだった、と思いました。
0282名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 11:19:07.33ID:ubtDR2Kt
1940年代後半は世界的にSゲージが一時的に普及しかけた時期だったようですね。
同時期国内でも普及の兆しがありましたが、結局16番の台頭により短期間で廃れたようです。
現在、アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58、EH10、EF65等は実質的には日本型Sゲージで
動力化すれば篠原のレール上を走行できるようです。そういえばかつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました。
彼のゲージ観の一片が伺える一文でした。
同様の軌間22.5oの軌道上を走行するスケールとしてOmがあります。
フェロースイスからGe6/6等が模型化されています。
ttps://brasstrains.com/Classic/Product/Detail/092775/Om-1-45-Brass-Model-FS-Ferro-Suisse-Rhb-Rh-tische-Bahn-GE-6-6-Rhaetian-Crocodile-402-F-P-Superb-Detail-DCC
ttp://www.ipernity.com/home/72864
ttp://www.bahnonline.ch/bo/archiv/2009/12/21/ferro-suisse_neuheiten/
ttp://www.illisoft.net/trains/loks/ge66_sp.htm
0283鈴木
垢版 |
2020/03/09(月) 13:42:41.82ID:Iq7yKsas
>>282名無しさん@
>アオシマから販売されているプラモデルの1/50のEF58
          ↑
これですね。  ↓
http://www.aoshima-bk.co.jp/product/4905083030714/
外側はプラのお飾り台車、内側は動力用金属台車にする部品が出ればいいわけですね。
どういうパンタが付いてるのか知りませんが、
金属製パンタが2個付いていれば、それだけでも
Oゲージ電車に使い道か゛あるかも知れません

アオシマは古い会社で、知る限りでは、既に
"科学と模型"誌、1952年9月号には広告を、
青島文化教材研究所の名前で出してました。
木製モーターボート模型などを売ってたようです。

>かつてやま氏がOJで24oというゲージを採用したことに対して国際的に互換性のある22.5oを採用した方が良かったのにと苦言を呈していました
          ↑
それで国鉄型を作った場合、1/47≒1/48=NMRA式Oゲージ、になりますね。
0284名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2020/03/09(月) 16:30:11.83ID:ubtDR2Kt
アオシマから販売されているプラモデルの1/50の機関車シリーズは細密模型を見慣れた現在の基準で見ても
比較的よくできていると思います。パンタグラフはプラ製でした。
同社のDD51を動力化する例はあるのですが、EF58、EH10等の動力化の例は見つかりませんでした。

それにしても1/50縮尺の車体に"特典"として1/45縮尺のEF66に使用されたPS22下枠交差式パンタを装備するとは…。
ttps://store.shopping.yahoo.co.jp/aoshima-bk/g5706.html

35o軌間は日本特有だと思っていましたが、実はドイツにもあったようです。
http://www.schweja-blecheisenbahn.de/5.html
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