[鈴木g3蒸機好き出入禁止]【HOn3-1/2 HOm】1/87 12mmスレ【HOj HO1067】 -12- [無断転載禁止]©2ch.net
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キット、パーツ等だいぶ手に入りやすくなりましたし
待望のプラ客車も・・!
楽しんでまいりましょう。
【注意事項】
他規格批判スレッドではありません。
他規格(16番、13mmなど)に対する批判や否定的な書き込みは厳禁です。
また他規格狂信者の荒らし煽り行為は徹底無視でお願いします。 ____
/ \ /\ 貴方のような人は一般社会において、最も忌み嫌われる厄介者であり
. / (ー) (ー)\ まともな社会生活を送れているとは思えませんね キリッ
/ ⌒(__人__)⌒ \
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ノ \
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↑蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
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/ノ \ u. \ !?
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| (__人__) u. | オマユウ クスクス>
\ u.` ⌒´ /
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<クスクス / \!??
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リソースの有効活用という点でそれも良いのかもしれない。 Q:ここには株ニートは来ないのか?
A:お呼びですか?
単なるニートですが・・・ 鈴木老いぼれg3(72歳)は認知症なので
信用しないようにしましょう。 問題は私に動機がないって事かなw
最近ここに来ることも減ってさ。ネタも貯めてないし。 鉱山鉄道っていいよね!
仕事が明確で、しかも鉄道向きである点がいい。体積のある重量物輸送。
しかも方向により荷姿が大きく違い、いかにも仕事をした感じが漂う。
実物では液体輸送も重量物輸送だけれども、姿形に変化は感じないので寂しい。
鉄道模型では、積荷は積みっぱなしだ。
セキでもホキでもセムでも積車同士が、あるいは空車同士が複線ですれ違うのはおかしい。
積車と空車がすれ違って欲しい。模型で、鉱物資源の片道輸送を再現したい。
では積空二種類の編成を用意すれば・・・って実際にやればわかると思うけど大変で無駄で嫌になるよ。
これが積年の難問。 Youtubeの前面動画に旧ユーゴスラビアの路線が大量にアップされている。
面白い。戦争で保線どころではなかったのだろう。
結果的に、少し前の時代の線路を高画質で記録したような雰囲気がでている。 少し前の話だが大井川鉄道で7200形を見て、格好良さに打ちのめされてしまった。
今までステンレス車を、東急車を嫌って避けていた。
各地のローカル私鉄への導入例を苦々しく感じ、どうせ次は廃線の報せだろうと見限っていた。
積極的に訪れるはずも無い。
のだが!
大井川いいじゃないの。
ステンレスという素材も古びてくると味が出てくるものなのか。
ロケーションの素晴らしさが全てを許し蕩かすのか。
ああ、買ったよ天賞堂。帯無し冷房仕様。年末年始のお楽しみだ。
しばらくこのまま走らせて、やがてウチの会社にもステンレス車が来る時代になったか仕様に改める。
改めるって言っても路線カラー色帯一本プシューするだけですけどね。
こんな醜態を晒すようになるまで営業を続けている設定ではなかった筈なのだが。 吉田類の酒場放浪記、西日暮里編にモデルワムが出てきて驚いた。再々再放送ぐらいだろうけど。
ブラスモデル見て金額一桁違うと驚くとか、まぁ、それが一般人の反応だよねー。 80の電車は大きい。あと時間軸を現代まで伸ばすと世界観崩壊寸前。
どう考えても地方私鉄への譲渡は90年代だろう。
手持ち車両に並べると世界がブワッと広がる。
ついでに80軽便の存在価値も再認識した。87は小さ過ぎる。 三山線の車両史を伸ばして東急7200、くっつかないかな。
三岐鉄道のような会社を興すしかないか。
西武ではなくて東急車が入る三岐。 東芝HDB800が格好良過ぎ。
これは製品化が期待されるが、HOでは確実に出るだろう。
日本型世界に持ち込むには好都合。ここで87派は拘りの代償として孤立する。そういう一面を絶対に認めようとしないからますます孤立する。 メルクリンのスタートセットの中に、LEGOが入っているやつがある。
足回りメルクリンで車体をLEGOで造れというもの。
そう来るか、というか、そういう発想がうらやましい。巨人同士の幸せな結託。 >>23
積み込みホッパーの反対側がトンネルで積み下ろしホッパーになっているレイアウトプランがあった。
貨物ヤードも編成が二つありますけど。 >>31
積車は積み下ろしがわで突っ込んだら積み込み側で引っ張り出す、空車はその逆。 >東芝HDB800が格好良過ぎ。
>これは製品化が期待されるが、HOでは確実に出るだろう。
HOじゃ出ないんじゃね・・・HOn3-1/2 じゃね、それかガニ股で十六番 >>23
米型オアカーをヤフオクなどで大量購入し艶消し黒に塗り変え、まさにそれを愉しもうと企んだ
私がここにおります。尤も日本型化(?)改装に丁度良い小柄なラウンドハウス(MDC)の
製品は20両しか手に入らず、少々大柄なIHC製品とモデルパワー製品が合わせて46両。
大柄ゆえに最後尾が背の高いヨ8000でないとバランス悪い…まっ(笑)安ければいいや。 >>33
〉それかガニ股で十六番
あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。 >>33
〉それかガニ股で十六番
あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。 >>35 確信犯な二回書き 2021/01/09(土) 11:03:06.49 ID:IRCtuynF
>>36 確信犯な二回書 2021/01/09(土) 11:03:07.28 ID:IRCtuynF
>>それかガニ股で十六番
>あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。
確信犯な二回書きのオツムに中、ガニ股十六番がHOだとよ、解釈は人それぞれだからな(笑)
でもさ、スノープラウ無いと「ガニ股バッチリで、前から見らんね〜だろ」ど〜よ
見ないフリかい、好みは人それぞれだからな(笑)
立派な下半身でもな(大笑い) HDB800の正体ぐらい把握してからにしろよ。
ドイツに納品する標準軌の機関車だぞ。 >>39
そいつらエアジェージャーだから(どこぞのチェアカー君を見ながらw 前もって調べる能があれば、わざわざ恥をかきに来ないでしょ
あ、かわいそうだから必死チェッカーで調べてよそで何て書き込んでたか見ちゃだめだぞw あからさな釣り。仕掛けは見せびらかしている。
火事場にダイナマイトを投げ込むようなものだが期待した爆発は起きて、良い見世物にはなったな。
イデオロギー的闘争が先に立つ争いからは距離を置き、本スレは基本sageで占拠された。以上。 スーツさんが近鉄「楽」を借りて名古屋から京都までの企画列車を走らせた、という動画を見た。
近鉄名古屋線っていいなあ。標準軌の幹線が三重県北部のような状況を走る路線って珍しいよね。
いま色々調べている。 東武ED611は格好良い。
日本の電気機関車部門で三枝に入る可愛さ。
このサイズ感と丸みがいい。
栗原時代の派手な色がよく似合う。
私鉄っていいなぁ。 東武時代の並びを再現したい。
でもED 4001のハードルは高いぞ。
珊瑚製品は難しいというし碓氷時代だし、重要なラック関係部品を敢えて付けないというのは勇気がいる。
伊豆箱根仕様を作ったのだから日光仕様も出すと期待していたのだが。
中古は高騰してる。論外だなぁ。 ED4001ってなんだ。
602ね。
ロッド駆動電気機関車であればいいけどな。 蒸気機関車で一番良いのはC56。次がC11、その次が9600。
以下はズーーっと距離を置いてドングリの背比べ。
異論は認めるが、同意はしない。 PIKOのHOレールがロコもどきで面白い。
軟質ゴムの特は保護期間が終わったのかもしれない。
本家ROCO製が硬質整形で特許を回避したが客も減らしたように思う。
新参PIKOはさて、どこまでシェアを奪えるか。
ポイントの所でポイントの数だけ道床にハサミを入れねばならない可能性もある訳ですが。 岡山模型店って、いつになったら袋詰め終わるんだろうか・・・w
室内を考えるとゾッとしてしまう。 椿井文書を知って、少し興奮している。
江戸時代に同一人物により作られた偽書の一群なのだが、その手口が私の理想だ。
架空が多い鉄道ネタ話の作り方を、証拠書類の偽造という分野だが二百年以上先行して実施して逃げ切った奴がいる。
九の真実に一つ嘘を混ぜる。別の角度から引用して信憑性を高める。
咄嗟には指摘しにくい穴を突く。
上手い。やられた、と思う。 戦中戦後の名鉄の西尾蒲郡線が実にカオス。
谷汲線生え抜きの大型単車70型がパンタグラフ乗せて末端部の主役になり、そこでは海軍の基地建設のため国鉄6250型が無蓋車二両を牽引し蒲郡線まで往復している。
蒲郡線は末端非電化で、蒸気動車までいる。国鉄から廻って来ただけで動車としては稼働していないみたいだけど。
数年前まで睨み合っていた吉良駅構内は前述の6250型を通すために急カーブで結ばれて、ここを小なりとはいえ明治時代の東海道線の主力機が通ったのか。
ああ、見たかったなぁ。 久しぶりに気になった乗工社の羽鶴を見ようと蓋を開けたらスポンジ崩壊していた。押すと無抵抗で爪先が沈んでゆく。
確か昨年も開封し健全であった筈なので、時期が着たら急激に劣化するという経験談は納得できる。
崩壊はいずれ来るだろうと予め和紙で包んであったので模型へのダメージは見つからない。
乗江社廃業から何年経つのか。金箱銀箱の黒いスポンジはもう駄目だ。
全て開封してベト付かないうちに棄てなくてはならない。
崩壊時期は排気ガスの量に比例するとか言うけど、本当かな。 戦前、国鉄から私鉄や専用線に向けての小型蒸気機関車の処分に興味ある。
ある形式の処分が始まると、長くても10年ほど譲渡が続く。
ネタがなくなると終わる。その頃には次の形式の処分が始まる。
つまり、私鉄側の希望よりも車両更新という国鉄内部の強い事情が優先されるのだろう。
私鉄が希望した車両は、国鉄が必要とする限り、例外的措置を除いて譲渡は実現しない。
その中で例外的に、私鉄向きだが国鉄には小型過ぎる20トン前後のCタンクは改番の手間さえ惜しいと言わんばかりに常に処分が急がれた。
国鉄経由では数が足りないので新車の製造も盛んになる。少し上の1C1クラスからは、譲渡車が幅を利かせるようになる。
B6級は数は多いのだが国鉄が必要として、なかなか処分しない。
最後のグループはDD13型の目処が立つまで引っ張り続けた。DD13型で代役が果たせたかどうか、疑問だが。
重すぎて私鉄が欲しがらなかったのか、要求を断らねばならないほど国鉄が手放さないのかは不明。 私がいま足跡を追っているのは、1070形に代表される改造タンク機関車。
1930年代半ばから整理対象となり開戦まで盛んに譲渡が続く。
戦時体制入りしてからは譲渡例は減り、戦後にまた小さなピークを迎えて50年代には国鉄線上より姿を消す。
改造されなかった6250型も似たような経緯をたどっており、結局ボイラーなどの各部の状態が処分時期を左右したのかなと思う。
中堅私鉄に意外とよく出没してはいるのだが、なぜか活動は短期間で終わる事が多い。
大きな動輪径のB型というのは、代役は務まっても長く主役は保てないのか。
同類を日本で最もよく使役したのは、実は東武鉄道だったりして。テンダー機だけど。
その期間の長さは官鉄や日本鉄道を引き離し、それらから余剰車を集めて戦後にATSまで載せて走り続けた。
東海道線や東北線のようなスケールは無く花道も無いが、地味ではないと思う。
けむりプロで東武蒸気本が出ないかと、少し期待している。
タンク改造機に戻る。
使い道を間違えなければ、模型としては好ましいのではないか。
大き過ぎず小さ過ぎず、実に好ましい大きさ感になる。
私に向けてちょうどイイアッピールだけれども。
乗工社製品を見て改めて惚れ込んでしまい、手持ち車両の中からどんな車両と共存するだろうかとあれこれ考えていた次第。
サイドタンクから大きく外に出たエアタンクが可愛い。 国立公文書館の公開文書すげえな。
膨大な情報量がある。
まだ未公開分があるのが堪らん。 忙しい。ネタ培養中だが現地に行きたくなってきた。
県境を超える移動はお控えください・・・ 吾妻線はなぜ東急による開発を拒んだのだろうか。
まだ世間は混乱期を脱しきれていない時期であるが、東急を断ることと国鉄建設線昇格は連動した動きに思えてならない。
東急は巨額投資リスクを避けて国鉄による建設の段取りをつけたのか。
そんな力技が振えるほどの化け物には見えない。 草軽が後に吾妻線となる専用線を土木工事レベルで買収したことは、確からしい。
この辺の事情を整合性ある説明をした記事が見当たらない。
草軽はせっかく買収した予定線を、直ちに国に譲り渡したのか。
国鉄線は概ね専用線線路敷を活用しているらしい。
台風被災はたまたまの偶然なのか。開発を諦めたことと関係あるのか。
悩ましい。 賑わう草津温泉が、鉄道がない理由が判らん。草軽電鉄が速すぎて依存しすぎたか。
草軽電鉄が昭和36年に廃線となったことは、やや唐突だった。このタイミングからの新たな私鉄建設は難しかろう。
同年度中に碓氷峠からアプト式の廃品を貰えるように段取りをつけようとしたが上手く行かず、以後は鉄道に恵まれない観光地となる。
太子鉄山への専用線の橋梁が放置されているのも、何か事情があるのだろうか。通常は速やかに撤去して鉄道建設前に復旧せねばならない筈だ。
残すということは使うあてがあるということで、昭和45年の廃止時点で何かの動きがあったのではないか。
例えば、太子駅から草津温泉に向けての新線構想に必要とか。
先のアプト式草津鉄道構想が、太子駅経由だとしたらどうなったか。
昭和40年前後に草津温泉と太子駅間にアプト式草津電気鉄道を開業させていたら、国鉄太子線も存続していただろう。
しかし草津電気鉄道、収支合いそうもないなあ。太子駅と草津温泉の間にロープウェイを設けてはどうか。索道ならば経営成り立つような気もしますが。
譲渡を受けたED42型が働く草津電鉄。バブル期に新型機も出たりする。
国鉄も観光特急に本腰を入れ、JR化後のいまも高崎駅で新幹線に接続する、吾妻線専用観光特化形特急がある。他所からの改造車だけど線内を何度も往復する。
たとえば五両編成で、これが太子駅に着くとアプト式機関車が尻に連結され、草津温泉へと向かう。
どうかな。651系短縮編成にED42形をつけても、これで文句を言わせない。 草軽電鉄は、昭和35年から十年間ほど営業休止できなかったんだろうか。
軽井沢駅の跡地利用がしたかった、わけではない。驚く無かれ今も駐車場である。
そこから別荘地を抜けるまでは線路敷は処分され、別荘側も喜んで買っただろう。
別荘地から先は、線路敷地はほぼ、原野に戻っているのではないか。
草津温泉側は、橋も流されたことでもあるし残念ながら切り捨てるしかない。
軽井沢駅前から北軽井沢までの区間であれば、極端に運行本数を減らして10年以上の延命はできたのではないか。
具体的に言うと、冬期運休してしまえということ。その状態のまま時間が経てば、夏季には人気を集めるようになるだろう。通年運行も可能となるかもしれない。
先に南半分が廃止となったのは、北軽井沢駅と上州三原駅の間の成績が最低であったことと、軽井沢駅付近で敷地を売れるだけ売って資金回収しようという目論見ではないか。
私の案では真逆である。吾妻川から北を廃止にして、北軽井沢駅から北は勝算なしとして切り捨てる。
冬季は軽井沢駅周辺だけ、せいぜい鶴溜駅までの往復にとどめ、夏季に北軽井沢まで足を延ばす。
その縮小体制で10年間耐え切ればバブル期に設備更新され、現在まで存続することは期待できる。
昔は草津温泉まで走っていたんだけれども台風で流されてね、という解説付きで軽井沢駅にL電が何本も並ぶ。外観は古いが中身は別物の強力機である。
太く整備された軌条の上を、続行運転で次々と発車してゆく。空席も旧軽井沢駅で全て埋まった。全席指定なのです。
どうかな。 草軽の応用は意外と効く。
似たような架空鉄道を近隣で展開してみる。 草軽鉄道は開業時点においてすでに軽井沢の別荘の客筋を読み違えていたのではないだろうか。
会社の主体となったのは草津温泉の有力者たちと聞く。
当初は吾妻川沿いに降るつもりが、架橋地点に困り、一箇所だけで済む軽井沢を目指した方が安上がりとして信越線へ結んだ。
だから軽井沢別荘文化とは少し、いやかなり筋が違うのだ。
草津温泉は万病に効くというが特に皮膚病に霊験ありとされ、長期湯治の傾向が強かった。
それは草軽の開通で交通の便よくなり滞在短期間に変わって行くのだが、おおよそ別荘の住人とは異なる。
それが、軽井沢の開発を目指した西武コクドの理想からは遠かったのではないだろうか。 草軽と黒部渓谷鉄道の最初の電気機関車が兄弟であるという説は興味深い。
電気機関車黎明期はこの程度の工事用でも引っ張りだこなのか。 硫黄つながりで妄想が蔵王に飛んだ。
蔵王高速鉄道を調べると戦前にも計画があったという。温泉側とトラブルが起り頓挫したとか。
この話で辻褄合わない細部は、温泉側は硫黄採掘を問題視したという点だ。
その年代には蔵王で硫黄採掘は既に始まっている。採掘の悪影響を懸念というけど、既に操業している。操業規模拡大を懸念したものか。
戦前蔵王鉄道は、ケチ臭い温泉と組まずに硫黄臭い鉱山と組めばよかった。
鉱山では麓まで索道を敷いたが、それは昭和13年のこと。
大正時代には山奥からの製品搬出で困っていたはずだ。別に温泉所有の土地を跨がねば鉱山まで上れないということでもなかろう。
起点も山形市内に求める必要は無い。奥羽本線の蔵王駅(当時金井駅)に接続すれば良い。
蔵王鉱山までの急勾配をジグザグに登る勾配から、電化の必要はある。
まず手堅く金井駅と蔵王鉱山までを結んで経営を軌道に乗せてから、鉱山から蔵王温泉街までを造ろうと思うけど温泉街はどう考えるかね?と迫ればよかった。
鉱山と温泉は直線距離で2キロ以上離れている。それがどうした。温泉まで延ばしてほしければ土地を寄付しろという事になる。
山形市内など、そこまで出来てから考えればいい。どうせ花巻電鉄のような、路肩を走る軌道線になるだろう。
戦後、硫黄鉱山の閉山までは維持できるかもしれない。鉱山と運命を共にするだろう。
花巻の馬面とジェフリー製機関車が同居するような仮想鉄道の出来上がり。
硫黄を運ぶ貨車が未舗装の県道をゴトゴトと行く、沼尻を電化したような光景になる。
沼尻貨車と草軽L電を連結しても良いわけだ。
蔵王高速鉄道は、一流品を求めた点が間違いだと思う。航空写真を見ても山形、上山双方の市街地は手付かずに見える。
成功例である弘前電気鉄道の弘前市街地へのアプローチの苦しさは、奇跡的なものだ。
国鉄駅を避けた事も賢明だが、いまある線路は建設時点までは洪水氾濫原として放置されていた土地ではなかったか。
普通、土手に線路は敷かせない。良くぞ国が認可したものだ。
国鉄駅正面側にもぐり込む事の難しさは長野駅や浜松駅など実例が無数にある。
蔵王高速鉄道の山形駅はどこに設けるつもりだったのか。戦前の計画ではどうか。
興味は尽きない。 近江鉄道220型、HOでキットが欲しい。
20m級は俺には長過ぎる。 不出来な子ほど可愛いというのなら、JR東海は優秀過ぎて憎たらしくて愛せそうにない。 矢口高雄先生のおらが村という漫画を読んでいる。
今時一冊300円という安さでこれが読めるというのは、法外な事だ。
既に故人となられた方だが、その故郷が雄勝線が走った場所であると知り読まずに居れなくなった。
厳密には電車線沿いではなくバス路線沿いの集落の事だが、廃線沿線の当時の世相を知るには最高の環境だろう。 世界の車窓から、がアマゾンプライムに出てきた。
かなりの本数がある。細切れでないのが有難い。 宗谷本線が面白い。
Youtubeで旭川駅から普通列車で北上すると、どんどん線路が酷くなってゆく。
最初は立派な旭川駅。架線さえある高架複線なのに、主要駅を経るにつれ両脇の植物が迫力を増す。
ここを、最後のC55客レなどと騒いでいたのかなぁ。
先人たちが撮った画像を漁ると半分が荷物車の4両編成であったようで、列車本数が多かったのだろうが当時でも客車2両なのかと思う。客車だけで6両はあると思ってた。
改めて調べると特急列車設定時期が遅い。サンロクトオは無理にせよヨンサントオには特急ネットワークが通じたと思い込んでいた。道内のエル特急は旭川が北限だったか。
先人たちはSLブームの折、冬季によくぞ遠征してくれたものと思う。今見ても遭難しそうだよ。
日曹天塩炭鉱専用線もいっそう遠く感じられる。時間的にも、距離的にも。 騙されたと思って、LGB 20782 と入力して画像検索してください。
2021年発売。いまならドイツの模型店のどこでも手に入る現行機種です。
色は別として、どこをどう見てもニッポンの地方私鉄でしょ、これ。
フランス製造の機関車ですが特に強い自己主張はなく、日本の車両メーカーが競うようにコピーした可能性が非常に高い。似過ぎでしょう。
実物はメーターゲージで動態保存されています。
つまり、製品のままで、強いて手間を指摘すると連結器をケィディに換装するだけで、ニッポンの1067mm地方鉄道の機関車が手に入ります。
ヘッドライトが気になるかもしれませんね。それはまあ楽しみの一つでしょう。
700ドル前後に運賃プラスで、10万を切ります。
ワールド工芸12mmC型蒸気が完成品12万(既に完売)ですので、どうですか。
いや、なんで薦めてるのか判りませんけど、犬の糞のような車両を真剣に愛でられますか?夢見るレイアウトの可能性はどれぐらい?
12mmよりも家族の理解、得られ易いんじゃないでしょうか。大きさに呆れられますが、大衆の賛同は得易いと思うのです。 ヨーロッパにもワールド工芸のような会社があるね。
プラダイカストではあり得ない、中華製からも手に余るようなマイナー形式が出てる。
日本からどうやって求めたら良いのか見当もつかないので悔しい。 衝動的に入札した模型が落札されてしまった。深く反省している。
以前から欲しかった車種なので一目ぼれしたのだが、初めて見るにも拘らず正体を調べることを怠り適当に少し上回る金額で応札した。どうせ落とせないだろ。
その行為そのものを忘れてしまい、昨日メールをチェックしていたところ落札を知らせる件が見つかった。何を買ったのか思い出せない。
正体を探っていたら、結構な規模の電鉄だった。現在も超低床車などを入れて平行する鉄道線と競合しつつ盛業中です。
ウィーンのバーデン地方鉄道。所要一時間借弱、毎時四本のくせにほぼ全区間複線専用軌道。ところどころで併用軌道。なんとまあ豪華な福武線であることよ。
解せないのは最新型電気機関車などを多数保有しているところ。積極経営という奴で、機関車リース業に進出しているのだろうか?
http://www.railfaneurope.net/pix/at/private/WLB/trams/historic/2003_09_19_TW_24_Baden-Leesdorf_GH_klein2.jpg
http://www.railfaneurope.net/pix/at/private/WLB/trams/historic/wlb032_ds110122.jpg
どうだいこれ。前面妻板が左右非対称の馬面電車というところに痺れてしまった。
車体更新を受けているらしいが原形では幅の狭いほうは貫通扉だった可能性もある。根拠はヘッドライトの位置で、中央についてない。
扉は中央とした名鉄モ600型よりも、賢いのではないだろうか。
ニコちゃん大王のようなデコの灯具は何だろう。方向指示器だろうか。なにこれ。
有りがちなナローではなく標準軌なのでガニマタ感が凄い。
見たことない奇妙な連結器をしているし。これどうやってロックするのだろう。
短めの古典的な電車が欲しかった。
プロトタイプに拘らず夢の世界で遊ぼうと思う。岳南デキ1型などと相性は良いはずだ。 アインハイツロコ寸前のドイツの機関車が最高ですね。
蒸気機関車も電気機関車も。
内燃機関には少し早すぎるのも良し。 篠原正瑛教授は今年で没後二十年にもなるのか。
その鉄ヲタ愛満ち溢れた書物の内容が今染み渡るように判るような気がする。
ある程度のレベル以上の本は、本当に関心が向かうまで上っ面の文字の列を眺めているだけで終わる。
しかしウィキペデアの猛追はすごい。日本語版記事も増殖している。
ドイツ語版記事を訳しても、技術的に筋が通らなかったり文脈が通じないことは今も多発しているので、現時点ではまだ教授の著作物がリードしている。
今回はウイキで予習してるから理解度が深いのかもしれない。 ポールセルーの旅行記に続編があるとは知らなかった。
古きパタゴニアの急行列車、という。
先ほど古書店で見つけて買い求めた。
先行する鉄道大バザールはよほど売れたらしい。
私も新刊で読んだ。家族旅行で上野より北へ向かうブルートレインに乗るときに多分上野駅で親にねだったのだろう。
車中では字が細かいのと、それどころではないので早々に投げ捨てた。しかし宿についてから四六時中読み耽って親に注意された記憶がある。
その続編を知らないのは、まああり得る。大長編の前作に見劣りしないよう、続編では活字が大きいのが苦心を伺わせる。 最近、鉄道模型の模型化プロセスに伴う、「二線式」は本当に必要かつ意義あるものか?という思いに囚われている。
左右いずれかの車輪を絶縁としなくてはならないし、その絶縁車輪へ集電ブラシを当てねばならぬ。
これが結構な弱点だという事は、比べるものを体験していないと全く理解できないだろう。
鉄道模型の、ただ走ることの大切さを考えると三線式は実に楽で、スタートラインにチートが効いている状態だ。
この簡単さを多くの人に知ってほしいと思う。 草軽電気鉄道を現在まで延命してみる。
軽井沢は西武鉄道だとか怪しい話が流布しているけど、実は東武鉄道のほうが可能性はあったんじゃないか。
東武日光線は伊勢崎線に匹敵するような延長距離があるではないか。1920年代にこれを完成せしめた東武はすごい実力の持ち主だ。
そして日光線の距離を当てはめると、伊勢崎駅から草津温泉まで届きそうだ。こっちでフルスイングすればどうなったか。
史実では間に挟まる東京電燈前橋線や吾妻軌道があまりにも設備貧弱、酷かったものだから、ゼロから建設するも同然であったこともあり着手に至らなかった。
仮に、たとえば吾妻軌道が親会社のバックアップを受けて秩父鉄道並みの地方私鉄の体裁を備えていたら?東京電燈前橋線が上毛電鉄並みの線路設備であったら?
1920年代半ばの東京電燈編成時に、東電は鉄道経営に積極的ではなかったらしい。
そうなると東電の経営者を兼ねた人物が経営する東武が圧倒的に有利である。
戦前1930年代に東武伊勢崎延長線が中之条町に到達しても、おかしくはないのだ。
開業したばかりの省線上越線に対抗して伊香保と草津の両温泉を、東武の観光地としてアッピールする。熾烈な競争は優秀な車両を残す。
デハ5型やデハ10型は草津方向のためにも製造数が何割も増えることになる。 東武鉄道吾妻線は戦時に至り鉄鉱石輸送をその任に加える。何しろ大東武なので戦時買収の可能性はない。
草津温泉にむけて未成区間の半分ほど、長野原までは非電化専用線で出来てしまう。
実際の輸送量は微々たる物に終わったらしいので、明治生まれの古典蒸気機関車が吾妻川に沿って上り下りする。
長野原から先、嬬恋方向へも専用鉄道の路盤は伸び、終戦目前には線路まで敷かれていた。
それを譲り受け営業に耐えうるように、電化など追加設備投資、昭和20年代半ばには嬬恋まで東武嬬恋線として開業を果たす。
前後して独立資本であった草軽電気鉄道が翼下に加わる。嬬恋駅より北を「草津温泉線」、東武嬬恋駅より南を「軽井沢線」と呼称した。
東武5300系電車を主とする急行電車は浅草駅を出て、はるばる4時間をかけて嬬恋駅に到着し、ここで草軽電鉄線に乗換えとなる。
それでも国鉄線碓井峠経由より2時間以上早く東京から草津温泉へと入れるようになり、利用者は増加に転じた。
日光線同様に夏季シーズンは夜行列車も設定された。草軽電鉄は設備増強に追われ、東武との合併に向かう。 もちろん台風被害はあるが、すでに草軽線は東武にとって重要な路線である。
初回被災からの復旧時に線路は100mほど上流側に、同時に十メートル近く嵩上げし、市街地を迂回することで東三原のスイッチバックも解消された。
この新吾妻川橋梁は将来の1067mm化も想定した、軽便には不似合いなものだった。
軽井沢方向は国鉄信越線の複線電化など増強に遭い時間的に逆転され苦戦するが、昭和40年代になると高原列車の風情が人気を呼び始める。
L電の続行運転が始まり、やがて黒部渓谷鉄道のような大型凸電が導入され始め・・・・・。
一方で草津温泉方向は抜本的な増強策として1067mmへの改軌が図られる。
途中の急曲線は大胆にショートカットされ、幾本かのトンネルや橋梁に置き換わる。結果的に新線同然となり軽便時代の路盤はほとんどが放棄された。
旧来の草軽電鉄草津温泉駅も立地が悪いと利用されず、大きく東から廻り込んで湯畑に近い場所に東武草津温泉駅が開業する。
以後、日光方面と草津温泉方面は東武を支える二枚看板として、競うようにロマンスカーの投入が続くのであった。
ただし、日光方面が二時間を大きく切るようになったのに対し草津方面は四時間近く、私鉄界でも屈指の乗車時間を誇るようになってしまった。
結果的にロマンスカーも長距離利用に特化したタイプとなっている。
軽井沢における東武の存在感もまた、大きい。北陸新幹線開業後も草津温泉まで含めた回遊ルートを構成し続けている。
国鉄吾妻線など無かったことにするのが大切。
草軽はL電のままでは生き残れないが、黒部渓谷のような長蛇のトロッコ列車となって中山道を横切り観光客に親しまれ続ける。運行本数も黒部並みが必要だろう。
少数のL電は復元されたサマーカーとともに、北軽井沢駅付近で観光列車を牽く。 軽井沢駅前の草軽デキ13ですけど、鋳物製側台枠にマイナスネジ頭が幾つも顔を覗かせていますよね。しかも実物を良く見ると、テーパーのついた皿頭になっている。
これはなぜでしょう?当時すでに六角頭ボルトが多用されていたはずです。考えてみました。
皿ネジはテーパーのある下孔加工が面倒臭い。それに六角頭であれば大きなレンチで無理やり外すこともできるし、最悪頭を焼き切ることは、どの鉄工場でもすぐにできる。
それに対しマイナスネジは溝を痛めれば終わりで、そうなったら皿頭のボルトより少し小さな径のドリルでボルトを内側から薄く削って外すという、恐ろしく面倒臭い仕事をしないとリカバリーできない。再組み立て時に必要な皿頭ボルトは特注せねば手に入らないでしょう。
損得を考えた仮説。
「側台枠と連結器ブロックの固定で精密な位置決めがしたかったが、この様な大物鋳造部品同士を溶接で組み上げる事ができなかった」からではないか。
メーカーとしては、このネジが外される事態は全く想定していない。
三本のネジが直線に並んでいないところも、寸法誤差を最小限に抑えようという意図を感じます。
わが国のカトーやサカイでは、同じ側台枠部分の鋳物を凹ませ、薄くなった部分に六角ナットを多数並べています。
連結器ブロックの側にボルトを多数植え込んでいるのでしょう。
連結器ブロック側は貫通孔ではない筈です。側台枠と連結器ブロックの双方が貫通孔の場合、孔とボルト径の隙間だけ二重に動いてボルトが斜めになります。
鉄道車両の場合は致命的で、衝撃でナットもすぐに弛むでしょう。機械設計の禁じ手です。
どの機関車もこの部分だけはナットが表に出ているのは、弛みを覚悟しているためです。
ナットを内側に隠してしまうと、外れていても判りません。
表に出ているナットの喪失は日常点検で判ります。
これは外して台枠をバラバラにすることも必要という設計上の配慮か、それとも皿頭孔加工が面倒臭いのか。
ナット頭露出から見ても、構造上の弱点と認識していたことは確かでしょう。
たまにこの部分のボルトがやけに本数が多い実物がありますが、それは連結器ブロック側も貫通孔で普通のボルトナットで絞めているのではないでしょうか。
正に弱点です。数さえあればナットが何個も欠損して動軸の平行さえ保てなくなるまで時間は稼げます。
皿頭はテーパーの角度が決まっており、それは一般的なドリル先端部とは異なります。
ネジ孔加工の仕上げはテーパー角度にあわせた仕上げ専用の刃先工具が必要となります。
角度が一致しない場合はテーパーのごく一部しか支えにならず、皿頭を用いる意味がなくなります。
絞めるだけで位置が一点に決まるのが皿頭最大の長所であり、単に突出させないだけなら円筒形に深く大きな穴を掘って六角頭ボルトを沈めればよいのです。
カトーやサカイのように。
草軽デキ13のように互い違いに配置した皿頭ボルトはちぐはぐな方向に引っ張り合って釣り合うことで、連結器ブロックと側台枠の位置関係はボルト数本を絞めるだけで全く不変となる筈です。
車両の牽引力の大半は側台枠と連結器ブロックの間の摩擦で伝達されます。皿頭ボルトは両者をきつく締め付けて強い摩擦力を維持するためのものです。
この締め付け力はテーパー部分を通じて伝達されますので、ネジ孔加工は極めて大切な意味を持つわけです。
ボルトの弛みは摩擦力をゼロに等しくしてしまい、牽引力のすべてがボルトを経由することで弛みも加速度的に悪化します。
専用工具を使い精度は出るが台枠の分解はできないジェフリーと、そこは諦めて監視し易くし、台枠までバラバラにできるカトーやサカイ。
いずれが正解なのか。
一体鋳造ができればそれに越したことはないし、溶接技術の進歩で板台枠へと移ってゆくわけです。 草軽の電気機関車は、機械としては汎用量産品なのであちこちの軽便へ譲渡話が創作可能だ。
零細な電化軽便自体が物件が少ないわけですけど。 水力発電所って津々浦々にあるのね。
小規模発電所が設備更新期に不経済として廃止が相次いだ時期もあるけど、今は小規模水力発電所として再興の機運があるらしい。 イギリスの保存鉄道の映像を見ていると、この国に生まれた不幸に浸ってしまう。 宇宙イチ格好イイ鉄の塊だと信仰しているC11254が会津田島駅前にある。
同類ジャンル中で頭一つ抜きでて優れた性能の、よい設計。
現場で愛され、しかも兄弟機の中で一番カッコいい。
何も言うことは無い。
何十年も昔にチラ見した。
こんな愛しい物品が近所にあったら生活できない。
ほかのタンク機を見て動悸を抑えてる。
いきなりC11254号機見たら多分死んでしまう。 >>89
>イギリスの保存鉄道の映像を見ていると、この国に生まれた不幸に浸ってしまう。
イギリスは日本にはない移民や医療関連の問題を抱えているよ。
特に医療関連の問題は深刻で富裕層出ない限りは緊急を要する盲腸の手術でさえ待たされたり手軽にレントゲン検査も受けられないらしい。
食生活の問題もあり、富裕層を除く一般庶民の平均寿命は日本より短い。
古いものを大切にする習慣があるのは良い事だけどそれに関する社会的な負担も大きい。 保存鉄道のために不幸になるのなら、構わないさ。
私の物差しが壊れてるんだよ、最初から最後まで。 一つだけ言っとくと
「不幸になったやつ」は保存鉄道に関わる余裕はないよ では数々の保存鉄道がある事で、杞憂だと実証されてるんですね!
捨て台詞も少しは考えて言えよと思いました。 英国には余裕のあるやつとそうでないやつが居るってだけの話だが?
あたまつかお? そもそも俺はイギリスの全肯定などしていないのだよ?
あたま、使おうな、本当に、心配するよ 別にイギリスを全肯定してるわけじゃないのよ。
ユートピアなど無い。そんなの当たり前の大前提じゃない。
なんでそんな大前提を受け付けポストに捻じ込んでくる奴が出るわけ?理解不能。
書く必要もないことをわざわざ教えてくれようとする意味は何?
常識を押し売りしておいて、その対応に使う俺の脳細胞などないわw
お前が頭使えよ、ほんとうに。 自分が不幸な状態なのに保存鉄道の支援とかできるわけねーだろって話に対して
>>94みたいな返しをするのは、必要なことなのかな?
普段どんな扱いされてんのか知らんが、ろくに討論したわけでもない相手の言葉を
捨て台詞扱いするのも頭おかしいし(挨拶代わりに罵られてる日常なのか?)
とにかく>>93のどこがぶっ刺さったのか知らんが、突然錯乱するのは勘弁な
壊れてるのがものさしだけじゃないのは判ったがw そして 1/80・16.5mmの HOゲージプラ完成品は益々増殖し続ける♪ グーグルアースでサウスジョージア・サウンスサンドイッチ諸島を探してほしい。
なんじゃそらというのは当然。フォークランド諸島の東の彼方1000キロにある英国領の孤島。
例の戦争で、よせばいいのにアルゼンチン軍が占領したものだから、誰も知らない奪回作戦が行われていた。
フォークランドが果てしなく遠いのに、そこからさらに1000キロですよ。
南極が目と鼻の先にあるため天候に恵まれず、両軍とも敵は空模様という始末。
まあそれはさておき、主な集落らしいクリトピゲンを検索して特定し、ストリートビューで降り立ってほしい。
まずは目標として博物館が良かろう。その庭に。
ナベトロが、おる。
屋内に収まらぬ捕鯨砲などの道具の向こうに、きれいに塗られたナベトロが短い線路の上におる。
こんな極地にナベトロがおるとは・・・
まてよと周囲を探検すると、桟橋のひとつから土に埋もれた細い線路があり、錆びたナベトロがもう一台。
しかもこの線路、桟橋方向を拡大するとペンギンがいる。トロッコとペンギン。
付近にはナベと台枠が分離した奴も何台か見出され、合計で10台前後はいたらしい。
周囲は一面の廃墟で、荒涼としており、錆色と雪の取り合わせがなんともいえぬ。
このナベトロたちは、何を運んでいたのだろう。
鯨油生産が唯一の産業であったらしい。周辺の廃墟は捕鯨産業衰退の結果だろうか。
そうなると、船上で解体した鯨肉でも運搬していたんでしょうかねえ。人力で。