[鈴木g3蒸機好き出入禁止]【HOn3-1/2 HOm】1/87 12mmスレ【HOj HO1067】 -12- [無断転載禁止]©2ch.net
0001名無しさん@線路おっぱい
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2017/03/25(土) 21:27:33.43ID:5xnFGGFI
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キット、パーツ等だいぶ手に入りやすくなりましたし
待望のプラ客車も・・!
楽しんでまいりましょう。

【注意事項】
他規格批判スレッドではありません。
 他規格(16番、13mmなど)に対する批判や否定的な書き込みは厳禁です。
 また他規格狂信者の荒らし煽り行為は徹底無視でお願いします。
0101名無しさん@線路いっぱい
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2021/06/29(火) 17:04:32.61ID:TpF/J+qM
Wikiは便利だなあ。
パニアタンクについて一通り勉強できてしまった。日本語版だって英語版で触れていなけりゃタンク式機関車の項目でもスルーだろう。
今ほど知名度を上げるには、機関車トーマスの力なしに考えられない。
ほかにも様々な珍しい様式が、子供のために調べるママさんの懸命の努力で世界的な規模の無駄知識になりつつある。

機関車トーマスを見ていて一番格好いいのがダックですな。異論は構わないが認めん。
そこからパニアタンクの深みにはまる。
この機関車(もちろん実物)を知らなかった訳ではなく、それどころか英国型の泥沼へと誘う恐ろしい存在として警戒対象であった。
トーマスに出てくれば追いかけてしまうのも当然だ。
ただ、以前はパニアタンクという知識を仕入れることは簡単ではなかったように思う。
初めて見たのは大昔の「とれいん」誌上ではあったが、そこにパニエタンクという解説はあっただろうか?
だから、トーマスがwikiを詳しくしたんじゃないかって勝手に思ってる。そのほうが楽しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%A2#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:GWR_Pannier_7714.JPG

サイドタンクに対するパニアタンクのメリットが思い浮かばない。
バルブギアのメンテがし易いって、お前らほとんどインサイドシリンダーだろうが。
ランボードの位置が低めで半月型の動輪ケースがあるので、メンテナンスは長所にはならんぞ。
重心は高くなるだろ。だからといってボイラーに重力で給水できるはずも無くインゼクタはついてる。
ハンドレールは高くなるので、低いランボード位置とあわせ外周を歩きやすい。メリットかな。グリースの補充とか地際からでも出来そうな気がする。
パニアアンクとランボードの間に目障りな給油装置とか収めてもあまり気にならない。これはメリット。
結局、ボスになったエンジニアの偏った美意識の産物だろ?

GWRでは雑多な入換機の統一と性能向上を図る際にペルペア式火室を導入することにした。
ペルペア式はボイラー上に平らな場所が出来るので、それまで大半を占めていたサドルタンク機の水槽をすべて交換しなくてはならなくなった。
効率が数パーセント違うというけど、そうまでしてやることか。
普通のサイドタンクでも良いんだろうけど、なぜかパニアタンクという特異な様式に。
最初からパニアタンクの新規製造車がどんどん増えて英国でも有名な一大勢力に。
国有化で旧GWR地域から離れた場所にも生息域を広げて、GWRだけでなく英国蒸気のアイコンの一つになる。

俺この形が好きだから、で採用したということにしてほしい。
特に長所など無くて良い。美しいセンスが形になった、すばらしい機械だと思う。
0102名無しさん@線路いっぱい
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2021/06/29(火) 17:36:19.94ID:TpF/J+qM
上の文章を書いた後、パニアタンクとぺルペア火室の深いかかわりが判ってきた。
バニアタンクの謎も解けた。

元は大量の、そして出所も多様なサドルタンク機の群れであったらしい。
当時のGWRは超広軌の乱痴気騒ぎの後遺症もあって、機関車を部品単位で見て適時組み合わせて出場させることに違和感を感じないという面があった。
検査に一番時間がかかるボイラーなど、ストック品から載せられるものを載せて出してしまう。工場敷地が狭かったんだろうな。
そういう中に、効率を改善した新型ボイラーとしてペルペア式火室を設計し、検査交換サイクルに入れてしまった。
だから、「パニアタンク付新型ボイラー」は、「サドルタンク付旧型ボイラー」と完全な寸法互換性があった。
入換機が入場したときに、先に検査終了した足回りに載せられるボイラーが新型か旧型かは、わからない。
以前はバニアタンク付新型が載っていた番号が入場して出場するとサドルタンク付旧型であったりする。

だから、サイドタンクでは無理なわけだ。サドルタンク機時代のランボードが板大枠についているから。
ランボードとペルペア式火室を避けたタンク体の形が、パニアタンクということ。

そのうちにこの標準ボイラー規格を使う足回りだけ新たに製造して新ナンバーを収得したりする。
その新ナンバーも検査サイクルに入ると、古いサドルタンクを背負って出場することがある。
こうして、写真と番号を見比べてファンを楽しませることになる。

こんな検査体制を敷いているのはGWRぐらいなもの。他社はランボードから作り変えればよいので真似をしない。
美意識の産物ではないが、パニエタンクの曲線に美意識を見出したい。
0103名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/04(日) 09:29:05.24ID:uG7l0MC2
GWRって深いな。趣味探求の限界、底が見えない。
まず英米ファンが100年かけて掘った深い穴の存在を感じる。
0104名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/07(水) 09:50:16.20ID:gXi2PGTl
ルクセンブルグ5519号機
間違いなくドイツの042型だけれども、一度もドイツ国籍であったことがない戦後生まれ。
しかも現時点ではルクセンブルグ国鉄の信号システムに対応できておらず、活動の本拠地をドイツ国内においている。
でもドイツ籍ではないので、ドイツの保存蒸気のリストからは漏れていることが結構ある。
042型で稼動状態にあるのは、現時点でこの一両だけ。

オーストリアのウィーンにあって、いまは操業を止めた車両工場の製品。
戦時中にこの工場ではまず52型の量産に参加していたけど、生産計画の変更で途中から42型の主力生産拠点に指定されたか、敗戦前には完成車を送り出し始めていた。
ドイツ本国内メーカーは戦車生産に動員され機関車製造からは手を引いていたようだ。占領地のメーカーを動員した52型の大量産はまず上手く運んでいたということだろう。
42型は52型の重量増加、出力強化型のはずだが材料が思うように集まらず予定の性能を出すことに苦労はしたようだ。
(42型という形式は、軽量52型の量産構造と高出力43型の折衷という意味があるのではないか)

戦後の復興についても42型なら売れると見込んだのか、確約がないまま大量の見込み生産を始めたのです。これが過ちの始まり。
東西ドイツからはキャンセルされ、頼みのオーストリア国鉄からは、水力発電で電力余ってるから幹線電化を急ぐと断られた。
大量の完成車が行く先もなく側線を埋めていたところを、深刻な車両不足に悩むルクセンブルグが見つけた。
まだソ連占領時代の1949年のことで、20両まとめてバーゲン価格で引き取った。
ちなみにこの会社からは1952年にもブルガリアに、33両も42型が売れている。
その後に他の車両製造会社に吸収されて今は存在しないが、大量の見込み生産品が業績悪化を招いたのではないか。

当時、ルクセンブルグは大戦末期のバルジの戦いで国土は荒廃の極みにあり、独立維持が危ぶまれるほどの状況にあった。
戦前から欲を持つベルギーが併合を提案さえしたけど、戦争前の旧状復帰を求めた米英仏の介入で阻止された。
ベルギー自体が破綻寸前だったし、大戦中にベルギー王室がドイツ寄りであったことを、特にアメリカは忘れていない。それにフランスもベネルクスが強くなることを望まない。
この地域は米英独仏のパワーバランスの影響下にあり、集団安保や金融業の成功でルクセンブルグが発展し始めるのは後の話。
当時はまぁ、観光地も無くて退屈極まるカリオストロ公国みたいなものだろう。

廃墟の中で発足したルクセンブルグ国鉄は、連合国からの救援物資としてイギリス製のコンソリ「リべレーションクラス」を20両手に入れて、ようやく一息ついていた。
復興に役立つ材料としては、戦後すぐから隣のフランスでは深刻な石炭不足が起きており、ルクセンブルグ国内の炭鉱から輸出すれば安直に外貨が稼げる情勢にあった。
そのための重牽引貨物用機関車を探していて、オーストリア製42型のバーゲンセールに出会ったわけだ。

1950年代に入ると、フランスは輸送量が急増した石炭輸送ルートを電化することにした。ルクセンブルグやベルギーの国境近くである。
しかも商用周波数交流電化。戦前から仏国内で研究は進んでいたという下地があったのはもちろんだが、旧ドイツ占領地から接収した交流電化設備の影響も大きい。
この電化で、初期交流電気機関車の名作であるBB12000型を生んだ。
この石炭輸送ルートにルクセンブルグが片足を深く突っ込んでいたお陰で、ルクセンブルグ国鉄も全く同型のBB3600型を20両、導入することになる。
1958年ごろのことで、このころに発足したEC体制下でルクセンブルグは金融首都として発展し始める。
交流電化が蒸気機関車引退を早めたのは間違いない。直接的にはディーゼル機関車に交代した。

しばらく公園機関車として余生を過ごしていた5519号機だが、復活を遂げる。
このタイミングが良かった。最初はルクセンブルグ国鉄工場で修繕をしていたのだが、東西ドイツ統一が起きてしまう。
これで旧東ドイツ内の企業に自由にアクセスできるようになった。そして旧東ドイツには、蒸気機関車のボイラー製造能力を保持し続けていた企業が残っていたのだ。
5519号機は旧東ドイツ内で残りの修繕を済ませ、動態保存機として再デビューを飾る。
更に2001年には同所で製造された溶接ボイラーに交換したとの事。「全力で走ることができる、042型」という地位を手に入れた。

生粋のドイツ人から見れば、間違いなく純正042型でもドイツの鉄道の籍を一度も得ていないことが、気に障るらしい。
製造時点では042型としての仮番(戦時生産下での計画だが)で扱われていたが、結局その番号では構内試運転程度しかしていない筈だ。
0105名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/11(日) 18:51:30.86ID:XMi5F6Zf
ダージリン鉄道の新しい動画が色々出ている。
撮り方の上手な人が、一度に見るのに適切な尺で多数上げている。
すごく楽しい。
0106名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/15(木) 18:20:51.31ID:2kqPaHdr
戦時中に急造されていた上信鉱業専用線が草軽に買収されることで、草軽の延命が図れなかったのは残念なことだ。
専用線は路盤まで完成していたとされるが、買収失敗については原因が判らないままだ。
用地買収には成功していたという記述もあれば、東急が乗り出してもできなかったという記述もある。

その理由は・・敗戦直後の資材難の価値観をもって評価しても、当時の草軽電鉄があり無いほど酷かったせいではないだろうか?
いまさらあんなものに走られても困るというのが、住民の正直な気持ちなのかもしれない。
D51型が入線可能という国鉄長野原線がすでに来ており旅客営業も間近だというのに、昭和20年代になって草軽レベルの軽便鉄道が通じても困る。
長野原駅から嬬恋方向にも国鉄規格の線路を作ってくれ。
と、いう要望が地元からあったのではないかと思うのだが、どこにも気配が無い。
そういう動きでもないと空白が埋められないのだが、肝心のピースがみつからない。

そもそも、なぜ長野原線改め吾妻線の、長野原駅から西に向けて、大前駅までの間が建設されたのだろう?

東急がここでも「やらかした」のではないか。
着工は昭和38年です。この時期に東急は大糸線沿線の白馬にスキー場をつくり、「タイミングよく」、地元自治体が県を通じて請願した南小谷電化工事が行われています。
村の中心市街地でも無い南小谷駅が電化工事の終点に選ばれた理由は駅前にバス転回場を設ける事が出来たからで、癒着というのも恥ずかしくなるほどに官民がガッチリ手を携えた観光開発でした。
東急にとっては、大糸線白馬電化よりも長野原線延伸案件のほうが関わりが古い。長野原線の成功体験を大糸線電化推進に応用したのではないか。

草軽が東急と関係を持ったのは敗戦前のことで、いくらなんでも速すぎる。これも事情がありそうだが、草軽のほうから東急翼下に入ることを選んだとある。
東急対西武の対決に最初に火を放ったのは、実は草軽鉄道かもしれない。

草軽は草津温泉関係者により設立され、湯治客を運びつつ北軽井沢の別荘地開発で知られる。これが軽井沢を創業の地とするコクドの気に触ったのではないだろうか。
コクドは、戦前の異様に早い時期に浅間山麓に自動車専用道路を開業させる。
高所得層しかいない別荘の住人の自家用車保有率は問題なかったろうし、軽井沢を他の方向に出ても道は未舗装で、ドライブという気分になり難い。
だから高所得層向け有料自動車道路という発想は正しいのだが、問題はこの道路がほぼ、草軽電鉄に並行する点です。ああ縦割行政。

今まで西武と東急の争いを論じた記事は多いが、戦前のコクド対草軽という図式を論じた人はいるだろうか?
草軽が東急翼下に入ったのは、西武の圧力に耐えきれなくなっていたのではないか。
戦前すでに圧倒されっぱなしで、戦中の産業統制が終われば西武に押し潰されるのは目に見えていた。
0107名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/15(木) 18:21:33.54ID:2kqPaHdr
それにしても鮮やかな対比です。
有料道路を行く、ほとんど輸入車であろうマイカーを運転する別荘の主が、コクドの客。
凝った観光用の客車をもつとはいえ極限の最底辺の設備で温泉湯治客を運ぶ草軽電鉄。
有料道路にバスが走り始めたら、草軽側は圧倒されたのでしょう。そこに天災です。

草軽電鉄は社業の発展を、上信鉱業線を合わせる事に賭けた。コクドに押し潰されそうなので東急との資本関係を望んだ。
天災を受けるまでも無く、東急はコクド相手では草軽電鉄線を推しても勝てないと見た。地元も軽便鉄道の延伸には気乗りしていない。
そこで東急は、草軽が望む専用線買収案件を適当に流した。草軽電鉄サイドの記述に乱れがあるのはこのためだ。
その代わり、長野原線の嬬恋延伸を企てた。東急資本を動員することはない、国に作らせれば良いのだ。
天災を逃さず草軽には廃線を指導し、バス会社として手足のように使う。

地元長野原町はこの後、コクドと対立する。
file:///C:/Users/design-kondo/Downloads/atomi_kankomi3_07%20.pdf
この論文は長野原町視点で記述されたものだ。
民間資本を活用するにあたり、まず草軽東急ありきであることに少し戸惑いを覚える。
そしてコクドが妨害に出て、自治体とコクドの間で裁判になる。
なぜ草軽東急と長野原町が「ズブズブの関係」にあるのかは、この論文では触れられていない。
コクドの立場に立てば、小資本草軽が相手であった筈のものを東急が出てきて、しかも自治体を味方につけて逆にコクドを圧迫し始めたことが腹に据えかねたのではないか。

伊豆戦争や箱根戦争と比べて、軽井沢は西武の圧勝もしくは無風状態と捉えられてきた。
実は異なり、しかも爆薬の点火スイッチが押されたのは、浅間山麓ではないだろうか?
0108名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/15(木) 21:40:14.44ID:2kqPaHdr
迷宮食堂、キューバ、ハーシー編

インターアーバンの工場にヒロシがグイグイ入ってゆく。
あそこ、モーターコイル手巻きで修繕してるんだね。
普通に撮ってると出てこない映像だよ。
0109名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/18(日) 10:01:32.38ID:XVfHS7ps
コロナが終息したら、また軽井沢に行きたい。
行き先は廃線跡なので道路が少々混む事を除けば空いてるし。
前回よりも、もう少し奥に入りたい。
0110名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/19(月) 19:19:47.39ID:EToEpBge
草軽のホハ30型だけれども、形式図の説明に室内端部を仕切ることができるとある。
これは、病客車ホヘ19号の代わりではないだろうか。
ホハ30型と入れ替わるように病客車ホヘ19号が引退している。
ホヘ19号の運用実態は酷いものであったというが、果たしてどれだけ利用されたのか。
以下私の想像です。

ホヘ19号による病人輸送用夜行列車は細々と運行が続いた。
それは会社と群馬県の合意事項なので履行せざるを得ないことなのだが、しかし会社はこの列車の面倒くささに音を上げてしまった。
そこで昭和7年のホハ23型、続いて翌昭和8年から量産が始まるホハ30型に工夫を凝らした。
どうせ病人の利用者はいないのだし、客車の端部に仕切り壁をもうけて、いざ本当に来たときは仮設の寝床を設けてカーテン等で仕切ればいいではないか。
寝床を置く可能性があるので、そちら側の妻板の扉は引き戸になっている。

群馬県より病院へは送迎用に自動車が貸し与えられており、その自動車が上越線渋川駅などから病院までを結んでいた。
その結果、草軽鉄道も(やる気の無い)病人輸送をしていることは、患者界隈ではすっかり忘れられていたのではないだろうか。
草軽は病人用夜行列車の存在を極力伏せたはずだし、行政や病院の側はトラブル回避のために自動車の活用を病人に勧めたはずだ。
そこで利用実態のない病人専用列車を廃止するため、群馬県には今後は昼間の列車の客車内に仕切りを設けて対処しますと報告した。
差別がますます高まる時勢だけに、何ら問題とはされなかったのだろう。
表向きは昼間の定期列車に病人も便乗可能となったわけだが、自動車への隔離追放が成功したからこその便乗容認ではないだろうか。

患者隔離設備はホハ30型にしかなさそうだが、運用は限定されていたのだろうか?
どうもそんな事はなさそうな気がする。
新軽井沢駅で切符を買おうとする病人はゼロに等しく、仮にいても先ず病院に電話をするように薦められ、病院でも即応するようになったのではないか。
迎えに参上すれば、病人が温泉街へ宿を取る可能性もない。
草軽は有料だが送迎自動車は無料の筈だ。
ホハ30型によりタテマエでは病人輸送の責を担いながらも、病人輸送からは解放されたわけだ。
0112名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/22(木) 09:58:34.33ID:MDw948W7
田口線の起点、飯田線本長篠駅構内、よくこれで認可されたな。
急勾配を下って入ってくる田口線側に安全側線の類がない。

制御不能の電気機関車が勾配を下り降りてくる事故は実際に起きたらしい。
経営陣が実質同じであったとしても、実質的に支線であるとしても、配慮無さすぎ。
しかも飯田線は国有化してるわけです。
今の第三セクターの縁切りとは大違いで興味深い。
0114名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/26(月) 23:28:02.53ID:glHlL+iA
小川功氏の軽井沢、吾妻に関する論文が面白くて仕方がない。
ネットで読めるのは有難いが、まとまった本で読みたい。
0115名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/29(木) 12:22:56.45ID:aRYfqbVB
海外情報が簡単に手に入るようになると、いままでのような適当な振る舞いが難しくなってくるな。
ヘレンタール線に興味を抱いて調べはじめたは良いが、次から次へと出てくる情報量に圧倒される。
おかしい、こんな筈ではなかった。

日本の鉄道模型を侵し滅ぼす悪癖だと私が思う、フル編成、特定番号嗜好。
こんなもの想像力を減衰させる悪趣味の類でしかない。走らせて見分けがつかない細部に金を費やすべきではない。それよりも楽しい鉄道模型に時間を費やそうぜ。

そこを、外国型鉄道模型は都合が良かった。元情報が言語の壁の向こう側にあるので、見えない。
何十両と並ぶヨーロッパの蒸気機関車の棚を見て一言。うわー、全部同じだー、と思えてしまうんですよ。
あくまでも外国型の場合はね。これは情報量不足が成せる悪戯。
日本型蒸気機関車の場合は同じ形式が何両と並んでいても仕様の違いとその背景がすぐに連想されて、見飽きるということがない。
全てのバージョン違いを理解して各々に物欲が沸く。
しかし外国型は、例えばドイツ蒸気に限定しても、44型と43型の差が判らないし、テンダーの形態違いから連想する事象に乏しい。
軸配置が同じなら01と03の両方持つ必要無いんじゃね?これ日本で言えばC62とC59以上の差が開くのだろうけど・・・。
無知とは恐ろしいが、それでも今までは無知で生活できていた。万人に開かれた優れた情報源が無いから。

今は違う。WIKIのドイツ母国語記事が莫大な量に達し、機械翻訳も精度が上がり鉄道用語の法則を理解すれば内容は読めてしまう。
情報のダムが決壊し、無知の平野を大洪水が襲う。
先のルクセンブルグの保存蒸気機関車だって、ほんの少し前まで存在を掴むことさえ難しかったはずだ。
いまは模型店の棚から特定番号の製品を見つける能力が、ついてしまった。
編成の特定も簡単だろう。それが皆が共有する時代が来る。ああ困った困った。
0116名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/29(木) 19:22:30.52ID:RgC1d57c
>いままでのような適当な振る舞いが難しくなってくるな。

過疎スレ占拠してるような奴がなに気にしてんだ
キチガイの思考はマジわからん
0117名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/07/29(木) 20:07:42.03ID:aRYfqbVB
過疎スレは使って消費するのが正しい。志半ばに倒れた1への供養にもなろう。
お前も何か面白いことを書き込みたまえ。ここでも、他の過疎スレでもいい。
0118名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/29(木) 20:22:15.82ID:PCE9UBtu
ヘレンタール線の前面展望映像も簡単に視聴できる。もう誰もテレビ番組に戻らないだろう。
そこで、何という急勾配と急曲線の連続であることか。55‰の登坂が、右に左に折れながら延々と続く。
これを標準軌で敷いて、しかも粘着式にして、さらに商用周波数交流電化の試験線にする。
粘着運転の切り札として投じられた85型は三気筒機で、44型から足回りの設計を流用している。
それでも55‰勾配で僅か165トンしか牽引出来なかった。平坦区間のおおよそ1割でしかない。

ドイツ人の狂気を感じる。
0119名無しさん@線路いっぱい
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2021/07/29(木) 21:30:47.94ID:PCE9UBtu
ちょっと魔がさして仙山線の前面展望も見てみた。もちろん仙台から勾配を登る方向で。
共通するのは亜幹線でさえない所と、急勾配の交流電化試験線と言う所か。
そこ以外は全然違う。当たり前か。
右に左に頑張って登ってくれるけど、33‰だからなぁ。
0122名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/08/07(土) 13:43:38.22ID:Np924Daa
良い感じの里に来ると、架空の鉄道を敷いてやりたくなる。
特に何の産業もなさそうだと途方に暮れてしまう。
0124名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/08/07(土) 21:51:37.85ID:F/BfLoMg
55‰の勾配って碓氷峠の手前ぐらいはある。
五動軸もあるBR85型が二軸客車三両と荷物車一両しか牽引していない戦前の記録映画もある。
これ、連結器が破断したら大事故でしょう。動力車を勾配の下に置くという登山鉄道の方法を用いない。
あくまでも普通の鉄道として、僅かな乗客に大型機を充てがう。
信越本線と異なり、迂回する術がないというのとも違う。大きな輸送量を持つ幹線はやや離れて並行して存在する。
なんのために作ったんだろう、この路線。
0126名無しさん@線路いっぱい
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2021/08/19(木) 14:08:16.55ID:SMDdZA7T
メルクリンの4656と言う貨車をご存知だろうか。
何十年も昔に出た製品だが、独特の形が災いしたか日本では滅多に見かけない。
動く弁当箱という体裁でまことに見た目が悪い。
https://marnan.eu/media/catalog/product/cache/3b28cd24ecc870320f879d37d9a25edd/i/m/img_0446_1.jpg
私はこれを、自由形フリーランスだと長く決め付けていた。グランピー鉱車のようなものだと考えていた。
だって実物写真に全く見かけない形だもの。こんなに容積が大きくて二軸貨車というのもおかしい。

ところが、ネットとは面白いもので、改めて正体を探ったら実物が出て来た。
https://www.cooltrain.be/index.php/nmbs-type-1000g1-en-1000g2
えええええ・・・。
これ、メルクリンにしてはかなり再現度の高い模型だったの?
模型化したのは登場まもない時期であり、運用開始後すぐにページ下のほうのワッフル模様の補強がついた、らしい。
輸送中に積荷が凍結して、払い落すためにガンガン叩かれたんだね。
叩くといえば中京地区にいる赤ホキの車体下部にある丸い模様は、冬場に凍結したらこの円を狙って叩けという意味だってね。
最近登場した後継形式には丸はついてないので、省力化のために作業方法が変わったのだろう。積荷カバーと関係あるかもしれない。
ドイツで現役のFalnsシリーズの側扉には打撃痕もないし、そもそも厚みがあるように見える。
二重にして断熱層を設け積荷の凍結を防ぎ、機械的に強引に開けるのか。
日本のセキでは石炭が壁内側にガッチリと張り付いて、扉の開放を妨げるほどだったと聞く。
開放は手動でハンドルが廻るようになるまで、真冬の吹き曝しの石炭埠頭高架桟橋の上で大勢の人夫がガンガンガンガン叩き続けていたらしい。
当時でも問題になるほど低効率で超ブラックな職場であったそうで、やがて蒸気で貨車ごと蒸して氷を解かし、さらに貨車ごとひっくり返す設備が整えられるに至る。
扉を開けないのに専用のバスタブゴンドラを開発しなかった怠慢は永遠の謎だ。
そう言う事情を踏まえると、非常に近い構造のベルギーワッフル貨車が気になります。
メルクリン4656も冬場の荷降ろしの際にはガンガン叩かれて、工業地帯に物悲しい音を響かせていたのかもしれません。

それを割り引いても実物の貨物列車に見かけない理由は、ベルギー国内の炭鉱とオランダ国境付近にある工場のあいだを往復するだけの、限定運用だったから。
この二軸貨車、最高速度は何キロまで許容されたのだろう。
日本で喩えるとエンドウブリキ貨車のミ10型みたいなもの、かな。
模型では知ってるけど実物は見たことがないという奴。
0127名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/08/20(金) 20:34:52.37ID:ucULNc1Q
タクナーアリカ間鉄道
ペルー国の南部にあるタクナ市内に素敵な廃線を見つけ追跡していたら、この線路は現役だった。
タクナはペルー、アリカはチリに属し、植民地からの独立後に、新興国家間の戦争により領土が複雑に入れ替わっている。
元は内陸部のタクナ市とアリカ港という関係で、ペルーの鉄道では最古に近いものらしい。
戦争で両市の間に国境が引かれてしまったが、戦勝国チリは戦勝時点でタクナ市まで占領、領有したものを、アメリカの仲介でペルーに占領地の北側を返還した。
こういうケースでは怨恨が長く残りそうなものだが、領有権などで対立が起きてなさそうなのが不思議だ。
多分、戦争前はボリビアの領土であったらしいことが、両国間を共犯意識で連帯を可能にしてるんじゃないのかなー?
内陸国ボリビアが太平洋岸の領有権を主張し、チリとの関係があまりよろしくないのは有名です。
考えすぎか。

よく判らないがチリ領内の鉄道施設もペルーが所有し管理し続けているらしい。
その管理も鉄道というカテゴリーではなく、ペルーの交通文化財という事らしいので驚く。
稼働車両は一両だけで、2010年代に製造された可能性もあるが、なんと、片方向にしか進めないタンタン式?気動車である。
世界でも最新の実例ではないだろうか。
0128名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/08/21(土) 22:11:46.05ID:PhKUlkVO
ブラジルでオリジナルのHOゲージの鉄道模型製品がかなり豊富に出回っている。
中国製かもしれない。
中国で中国型が色々出ていることは知っていたが、まさかブラジルでも自国車両の製品化の動きがあったとは。
地域柄、アメリカの車両の偽物の様な形が多くて面白い。特に貨車は、塗替え品かもしれない。

これ、日本でも買えないかな。アメリカの模型店では扱いはない様だ。
0129名無しさん@線路いっぱい
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2021/08/25(水) 20:54:33.90ID:aEKj1s1f
ブラジルの鉄道模型メーカーですけど、EMDのG12A1Aというやつが出てるじゃないですか。
これは悩ましい問題が起きた・・・・。判ってますでしょうか?
アメリカの汎用輸出型機関車でも台車内に遊軸を与えて、軸重軽量化に努めてるタイプです。
台湾に1067mm版が入ってきておりましてね。

ええ・・・台湾のHOは1/80スケールを採用する16.5mmゲージで御座います。
ブラジル製はHOで、1/87スケール16.5mmゲージです。
な、並べてやりたい・・・・・・。
日本でも様々なノックダウン試作機をムサシノモデルが1/80で作ってますし、輸入機であるDD12型など1/87製品と並べてやることは可能なので今更ですけど。

言わずもがなですけどブラジルは標準軌よりも広軌の勢力が強く、アルゼンチンやチリと並んで南米に広軌鉄道網を広げています。
三か国相互の連携が今も恐ろしく悪いのが理解できませんが。
そのブラジルのHOが、1/87はともかく、シレっと16.5mmゲージでありますのは当然ですが面白い。
「HOとはまず16.5mmゲージのことだ」説を補強するものであります。
日本以外の世界中の常識HO・・・・などという主張があやふやなものになります。
汎世界で常識のHOとは、日本と南米も例外としないHOゲージのほうでしょう。
0130名無しさん@線路いっぱい
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2021/08/25(水) 20:55:37.53ID:aEKj1s1f
さて機関車に戻るとして、EMDのG12型は日本も避けて通れない。
IFの話ですが、日米貿易摩擦で貿易障壁なるものが崩されたわけです。
もし仮に貿易障壁がもっと早く崩されて存在しないとしたら、G12型はまとまった数が輸入されていた可能性が出て来ます。
日立製DF91型とEMDの関係は、語られた資料を見たことはありません。
EMD製の低軸重型輸出機とDF91型は外観がよく似ているほか、台湾では一連のシリーズ扱いも同然の様に見えます。
DF91型のエンジンがドイツ製という事もあり、登場の背景については私は判りません。

日立のライバルである日本車両が、GEと提携して釧路のDE601型を作ってます。
国鉄は海外企業と日本企業が個別にパテント契約を結んで製品を供給する体制を、嫌っていた節があります。
オールジャパン体制で国鉄指定の複数企業が競争入札をする。
裏で談合まみれであろうとタテマエは日本企業だけで競争入札があるという美学?が大切だった。
いくら世界市場で売れていようが、海外企業のパテントで縛られて独占契約となる技術は発注できないのです。
三菱製DD54型も、故障頻発ならDD51型だって同じですしDD20型のように国産機も死屍累々ではないですか。
三菱がパテントを持つから欲しくても買えないし、早期引退の理由を故障に求めざるを得なかった、というのが真実ではないでしょうか?
DD54型のドイツ本家形式ってまだ本国で現役機がいるらしいですね。何が欠陥機だ。

DD51型の最大の長所とは、日本企業であればだれでも競争入札に参加できる点でしょう。
それが貿易障壁なのです。
日立=EMD、日本車両=GE、加えて三菱=ドイツ企業連合?の三グループはいずれも海外企業の進んだ技術力を背景に国鉄市場に食い込もうと働きかけますが、凡庸なDD51型にバッサリと切られて排除されたのです。

話を元に戻します。
貿易障壁が外国の圧力で早々と崩されていたら、どうなっていたか。
国鉄色の、日立によるノックダウン生産のEMD=G12型、軸配置A1A仕様が、かなりまとまった数で日本の線路上を走りまくっていたことでしょう。台湾の鉄道と似た状況です。
それがHO模型が市販されており、1/87スケールの16.5mmゲージである点で非常に面白いと思うわけです。
国鉄色に塗り替えて、10系寝台車などを含む夜行急行でも牽引させてやりたい。
0131名無しさん@線路いっぱい
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2021/08/28(土) 09:08:02.43ID:EUgalZeD
ブラジルの鉄道の動画、探し慣れてくると紐付けされるのか、急にヒット数が増える。
今まで未知の地域だけに新鮮。
意外とメーターゲージが多いように思えるが、どの路線のいつの動画なのかまでは探れない。
三線軌道の走行動画もありました。
0132名無しさん@線路いっぱい
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2021/08/28(土) 17:19:33.75ID:EUgalZeD
DD51型は少し偏見で見過ぎたかもしれない。
とりあえず格好は良いよね。
これで折れたらクロコダイルだったのに(毒
0133名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/04(土) 17:30:04.49ID:2Ttk3KyY
定山渓鉄道の本、発売時はスルーしていたけど立ち読みしていたら買っていた。
地元新聞社が全力投球したカラービジュアルガイド。ここまで調べて厚くしてこの値段は安い。
もっと早く買えばよかった。全国に図書館に置くべき。
0135千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
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2021/09/14(火) 23:57:01.66ID:cyj8Nchw
>>133
もっと思う存分書き込んで下さいよ…
このスレ、楽しみにしてるので(笑)。
0136名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/16(木) 19:37:46.04ID:xjRQ39on
仕事が忙し過ぎて見るのが精一杯というのが昨今の個人事情。
でも暇あれば色々考えているんです。
昔からの課題に新しい切り口が見つかることもあれば、形にならず消えてゆく思いつきもあります。
0137名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/18(土) 16:02:40.43ID:JYFtKm8J
何年ぶりかでプラモデル売り場にゆく。マスクは年齢も挙動不審もバレにくいので便利だ。
完全なる浦島太郎状態を味わう。工具類の充実ぶりは今の若い世代が羨ましい。
裏返せば、とても金のかかる趣味でもあり、子供のいない売り場だった。
客数の減少を値上げで補っているのだろうか、田宮MMシリーズもすごく高価に感じる。
88ミリ砲が有れば衝動買いもしたのだがと言い訳してみる。当時と同じ金型か知らないがカタログ落ちは無いようだ。
この88ミリ砲は今までに二回組んだ。幼い頃に縁日夜店の籤で大当たりしたのが最初だった。
当時はコレをプラモデルにする意味から理解できず、素直に形にはしたがすぐに捨てたと思う。
はるか後の書物で、88ミリ砲の製品化が、それまでタイガーだのパンサーだの花形戦車しかなかった分野に泥臭い、汗臭いジオラマを拓くきっかけであったのだと知る。
ベージュ色一色の兵隊さんが数多く入っていた事は確かに覚えている。右手と左手をつけ間違えるなど散々な出来だった。
0138名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/18(土) 22:18:11.80ID:DS2yX3yP
だんだん思い出してきたけど、ベージュの人形は田宮ではない別の何かだな。
当時は色を塗る人が少ないので、ミリタリー色、オリーブドラブ色のような濃い色でランナーは整形されていた。
色番を指示するなど塗装を勧めるようになってから成形色は明るくなったように記憶している。
何で覚えているかというと、その濃い顔を肌色に塗ろうとしてドボドボにしていた事を思い出したから。
二回塗らないと、尖った西洋人の鼻先や頬骨が黒いままだったんだよね。

MMで鍛えたので、GMの板キットに全く抵抗感はなかった。むしろ簡単過ぎて面白くなかった。
東武DRCの頭とか田宮が作ればイイものになるだろうな、とか考えてましたね。
0140名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/25(土) 19:53:07.49ID:in/VVPA9
言い訳

88ミリ、バイクを組むだけで視力の衰えを嫌になる程に思い知らされる。
ああ、こんな筈ではなかxtyた。
サクッと素組をするつもりだったけど、ガッタガタ。
0141名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/25(土) 20:11:59.44ID:rJQn8srV
>>133
「定山渓鉄道」で思いだしましたが、長野電鉄のED5101が好きでした。
そのせいか、カツミのフリー『ED58』が自分なりに気に入ってて、
貨物の最後尾にアルモデルのワフをつないだり、
ワム90000に赤円板つけたりして楽しんでます。
0142名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/25(土) 21:36:55.30ID:in/VVPA9
ED58 は好き嫌いが別れますよね。車体も二種類以上ある様に思えます。
OゲージED58は実物EFに近いのに、HOゲージになると実物よりもスマート。
その方が格好いいからなんでしょうか。

模型として手を加えようとすると難しいというのが定説ですよね。
そのままか、塗り替えるのがいい。
0143名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/26(日) 00:20:45.68ID:5tlGvoks
時計見たら日付変わっていた。
88ミリはおおよそ7割ぐらいの進行。
素組が精一杯で、古いキットゆえに金型の合いも悪く丁寧に組むには大変な労力が想像できる。
完成後も砲身が後退したり車輪の着脱ができたりとあちこちが動くところがMMとしては異色で、初期作品ならではだろう。
作りながらも楽しい。
プラ成形の厚みやプラゆえの弱さも目立つ。本当に88ミリが欲しければ全てブラスで作れたら、素晴らしいと思う。
自分が知らないだけで、そういう製品は過去にあるのだろう。ヨーロッパのモデラーにも偏執的な奴が大勢いる事は知っている。

日本で海洋堂が所有しているそうだが、実物が見たい。でも見てしまうとまたキットに手を出して今度こそ泥沼だ。
0144名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/29(水) 20:09:55.52ID:8vk339/A
銚子電鉄のことを調べていて、ヤマサ醤油第一工場のことが気になった。

有名なオットー君(以下敬愛を込めてオットー君で統一する)は国鉄銚子駅構内や新生貨物駅に入る許可は得ていたのだろうか。
第二工場の側線入換までヤマサ醤油は自社機で行ったかどうかということなんだけれども。
憶測だが、第二工場の側線は国鉄蒸気機関車に委ねていたのではないか。新生貨物駅の写真は多いけど、常に分不相応な国鉄大型蒸気ばかりでヤマサ社有機を見かけない。

第一工場の話。
北側側線は昭和4年敷設で銚子電鉄が入換を担当する電化線。
南側側線は昭和32年敷設でオットー君が引退まで活躍し、その後も国鉄貨物廃止まで社有内燃機が入換を担当した非電化線。
この南北の側線の使い分けはどうなっていたのか。ヤマサ醤油工場内の施設配置図があれば分かり易いのだが。

憶測だが第一工場の西側は原材料受入をする倉庫群。中央から東側にかけて醸造を行う工場があるのではないか。
その仮説が正しい場合、北側側線は倉庫群と工場の双方に面している。建設以来長く全ての貨物を扱っていたのだろう。
第一工場の生産量増加に伴い、北側側線で原材料の搬入まで行うことを止めて南側側線を原材料倉庫の中に引き込んだのではあるまいか。

我らが?銚子デキ3型が活躍する北側側線のほうが先に活動を止めた節がある。
輸送中の温度管理が問題となる醤油製品出荷のほうが先にトラック化されたと考えれば納得は行く。
一方で原材料をワム等で搬入することに不都合はなかろうから、国鉄貨物廃止まで南側側線は細々と現役であり続ける。
あるいは、仲ノ町駅を跨いで両工場間にパイプラインが渡っていることをご存じか??
第一工場で製造した製品を第二工場へ送りボトリング、新生貨物駅もしくはトラックにより出荷していたのではあるまいか。
このパイプラインが何年の写真まで遡って確認できるのか判らないが、設置時期がデキ3型失業の時かもしれない。
0145名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/29(水) 20:10:35.50ID:8vk339/A
判らないのは、第一工場の側線に配置された機関車がなぜ二種類もあったのかという点。
第一工場でも北側と南側で側線の扱いが違うので、北では電気機関車、南では内燃機関車を配置するという不経済な真似も許されたのか。
南側側線を設ける時に、多少余計な出費をしても電化して銚子電鉄に入換業務委託するという事を考えずにオットー君を探したのはなぜなんだろう?
オットー君で済む仕事量なのだから、デキ3型一両でも充分にこなせた筈と思う。

昭和32年といえば小型内燃機関車製造も量産体制ができており、酒井でも加藤でも、贅沢に日本車両でも新車購入ができたはずだ。
なぜヤマサ醤油は昭和32年にオットー君を活用しようと考えたのか?戦中を挟んだ状況から見て昭和32年時点で廃車同然であってもおかしくはない。

以下仮説
当初計画では新設する南側側線も電化し銚子電鉄に業務委託する方針であった。
ところが契約交渉をしてみると、経営難の銚子電鉄が出した見積もりが想像を超えて高かった。
怒ったヤマサ醤油は電化を中止し、近隣から中古機関車を急ぎ探して自前で入換を行った。
さらに第一工場から第二工場に向けてパイプラインを敷設し、製品出荷までも銚子電鉄に依存せずに済む体制に仕立て上げてしまう。
強気のヤマサ醤油を前に銚子電鉄は平身低頭したのだが時すでに遅し。北側側線は低調なまま、やがて他よりも先に活動を止めてしまう。
デキ3型の保存にヤマサ醤油が前向きに絡んでこないのに対し、オットー君に特別の愛着を感じるヤマサ社員がいるような気がする。デキ3型は他人でオット−君は身内。

ところでオットー君、デキ3型とどちらが強いんだろう??最弱を競うようにしか見えないんだが。
「探し回ってオットー君」というあたり、ヤマサ醤油はデキ3型を南側側線のために使う機関車の目安にしていたという、傍証ではあるまいか。
あるいは風向きによっては反省した?銚子電鉄と業務委託契約し南側側線も電化。オットー君は極めて短期間の活動で終わるという可能性も、昭和32年時点ではありえたのではないか。
デキ3型に期待した仕事がこなせれば、ボロボロの機関車でも何でもよかった。
ただ銚子電鉄と契約しないことが確定したので、ボロボロのオットー君は現役数年で二代目社有機へと交代した。

天下のヤマサ醤油とあろうものが、最初から非電化で考えた専用線に充てた機関車がよりによってオットー君だったというアンバランスな出来事に、納得がいかないんです。
繰り返しますが昭和32年は、普通に内燃機関車が買える年です。そしてヤマサ醤油はその時点ですでに大企業の筈です。
0146名無しさん@線路いっぱい
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2021/09/30(木) 23:04:52.94ID:N4nDd6gK
>>145
オットー君はヤマサに来る前はどこに居たのですか?

デキ3が10t、オットー君が7t、いずれにしても1067mm軌間では超小型ですよね。
ところでデキ3は客車牽いて外川まで走ったりなんてしたのかな?
0147名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/02(土) 07:48:37.05ID:2KXu8JAS
銚子電鉄で今一番詳しい資料はRMライブラリーの銚子電鉄上下巻です。
私の妄想のほとんどを再読を繰り返す事で打ち砕いてくれてます。
それによるとオットー君の本籍地は本千葉駅で、三松工業の専用線とのこと。
三松の三には表記揺れがあり資料によっては漢字が参になります。
読みはミマツなんでしょうけど。
0148名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/02(土) 07:53:54.96ID:2KXu8JAS
両機とも本質は貨車移動機で、エアーブレーキ持ってないことでは共通します。
両機とも手回しのハンドブレーキだけ。
ですから本線での列車運用など運用する身になると考えたくもない・・・筈。

銚子デキ3のほうは電車故障時の代走だそうですが客車一両を牽引している様が記録に残り、やってないことはない模様。
あと、SLブーム後の時期にファンの訴えに応じ本線に出ては見たものの、単機回送で戻ってくる様なイベントを鉄道ファン誌上で読んだ覚えがあります。
車体全体が傾いてムリって事になったんでしょう。
0149名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/02(土) 08:08:49.23ID:2KXu8JAS
三連投すいません。

ヤマサ専用線ですけど、機関車が三両も記録されてます。
ほぼ知名度のない二代目も、相当のポンコツエリートです。
おそらく、初代オットー君が導入数年にして致命的な故障を起こしたのではなかろうか?
それで、同じ担当者がまた同じ真似を繰り返して、二代目としてとんでもない中古車を探してきた?
なぜなら経理部や総務部には、機関車の相場ってこんなものという認識しかないから。(ヤマサ内部署名は超テキトーです)
それも故障が頻発し営繕費用が高止まり。都度国鉄機の応援を借りていた。流石におかしい買い物だと誰もが気がつき始める。
三代目でようやく社内の担当者も一新され、普通に普通の新車を買い今度こそ鉄道ファンから無視される。
隣の敷地が銚子電鉄なのに、誰がカメラを向けるか、というぐらいに平凡な三代目。
0150名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/03(日) 16:03:36.85ID:WLZxnPnn
>>147
レスどうもです。確かにあの大きさなら実質的には「貨車移動機」ですよね。

他の私鉄を見ても、こんな小型機何に使うんだろう?みたいな例がありますね。
板橋区の城北公園にあるコッペル8t機、東武の所有でしたが元は有田鉄道の1号機。
戦時中に気動車と交換で東武に来たとのことですが、東武はこの小型機を何に使うつもりだったのだろうか。
0151名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/04(月) 18:31:21.89ID:D6Oy4xei
お題頂きましたぁ。
あの東武が何で貰ったのか判らない、という機関車ですね。
情報の少ない時代ですけど、事前に重量とか牽引力ぐらいは得ていることでしょう。基本的なスペックを見ただけでも察せられそうなものです。
物々交換のアンバランスさから東武が騙された説が昔からありますけど、以上の点からは考え難い。
原因は、有田鉄道に先立つものは何もなく、機関車という名の屑鉄しか差し出すものがなかったからではないでしょうか。
東武の置かれた立場を想像してみましょう。
緊急に欲しいのは63型で、その割り当ての加減は国が握っております。そこで得点を稼ぐために目立つように中小企業支援をした・・・のではないか。
東武は電車も、大手他社に比べるとなかなかの上玉を中堅私鉄へ放出しています。
とにかく定員の大きな63型に化けてくれればいいという想いが透けて見えるような気がします。

よく判らんのは、豆粒機関車を受け取った東武は長期保管した末に、廃車にするために車籍を与えている点ですね。
そりゃ車籍のないものを廃車手続きも出来ないだろうけど、そんなに書類上の辻褄合わせが大切なことだったのか。
書類の説明を受ける運輸省担当者が困ってしまいそうです。車籍を与えた時点で稼働可能とも思えない。
税制上はどういう扱いだったのか。放置中は国から見れば行方不明も同然ですから当然非課税でしょう。
車籍を得て即座に廃車手続きをして、資産価値は日割り計算して納税したんでしょうか。
0152名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/04(月) 19:09:39.18ID:D6Oy4xei
東上線を回送するときに車軸が焼け付いたというけど、本当かなあ?
普通、運ぶときは長物車に載せるでしょう。煙突とキャブ上半分を切り取ってでも長物車に載せたい筈。
キャブの水平方向に鋼板継手が見える小型機関車は散見されますし、後の国鉄貨車移動機の背の低さは長物車で運ぶためのもの。
走り装置を廻して東海道線を延々と回送なんて考え難い。
メインロッドは外せてもサイドロッドはバランス上外すことは出来ないし、終戦直後とはいえ東海道線を牽かれて走ることなどできそうにない。
だから国鉄は長物車に載せて川越駅まで運んだのだけど、そこで東武の線路上に下ろしてから、受け取った東武担当者が注油を怠って東上線で白煙を吹いた・・・のではないかな。
多分、有田鉄道でも稼働状態にない代物で元々油切れに近かったんでしょう。
焼け付いたことが使わない理由にはならないと思うけどね。最初から使う気がなかったんで受け取りも疎かになったんでしょう。
0153名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/05(火) 07:45:36.30ID:kxEwEnF1
この取引を調べていて、有田鉄道に行った元東武の気動車が最終的に尾花沢線に入っていたので同線を調べていたところ、戦後まもなく燃料難の時代に同線も電化を計画していたという。
顛末はRMライブラリ参照。尾花沢線よ、お前もか。
こういう歴史のほころびを見つけると嬉しくなってしまう。
近隣の秋田中央交通はようやく電化に漕ぎつけ、尾花沢線は内燃化を選んだ。その差はおそらく紙一重であるだろう。しかし史書には結果しか記述されない。

電化された尾花沢線を考えてみよう。
尾花沢線はディーゼル機関車牽引だが1067mmとしては国内最小クラスの筈。協三工業製で貨車移動機といっても通用しそうな機関車です。
順調に当初計画通り電化されていたとしたらどんな電気機関車が入っていたのか。メーカーに設計を依頼していたというから、新製機です。

結論を先に言いましょう。

尾花沢線の電化計画に際しメーカーに依頼されていた電気機関車の注文流れは、越後交通→秋田中央交通のEB111型ではないだろうか?
タイミング的には符合するし、越後交通には小さ過ぎる。
越後交通の電化工事は驚異的な短期間で済んだそうじゃないか。車両の手当てをしている時間はないのにEB111型だけ新車で入ってきている。
後に沿線に工場進出相次ぐと秋田中央交通へと渡っていった。この越後交通の体質改善の話も出世物語のようで、すごく面白い。
0154名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/05(火) 19:00:58.89ID:Wrff2J7q
>>151-152
レスサンクスです。
当方もネットで調べてみたら、このコッペルは有田から持ってきた当初は、ひとまず
新高徳に回送されたとの資料もありますね。
だからといって、(元国鉄5500が主力の)矢板線で使うとも考えにくいし。
やはり東武はハナから使うつもりなど無かったのでしょうね。
余談ですがこのコッペル、廃車手続き後の一時期どういうわけか「東上鉄道1号機」として
池袋の東上業務局前に約1年間ほど展示してあったとか。
現代から見れば笑えるようなデタラメを堂々とやってのけるほど長閑な時代だったのですね。
0155名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/05(火) 19:32:44.12ID:Wrff2J7q
>>153
> この取引を調べていて、有田鉄道に行った元東武の気動車が最終的に尾花沢線に入っていたので

尾花沢線では廃線まで在籍していたとの事ですね。エンジンは東武時代に既に抜かれていたとか。
結局は有田でも(気動車としては)使い物にならなかった、という事でしょうか。
もっとも有田には件のコッペル以外にも雨宮の12t機(Bタンク)とか居たみたいだし。
東武から来たキハは、客車として少しは役に立ったのかな?

> 越後交通の電化工事は驚異的な短期間で済んだそうじゃないか。車両の手当てをしている時間はないのにEB111型だけ新車で入ってきている。
> 後に沿線に工場進出相次ぐと秋田中央交通へと渡っていった。この越後交通の体質改善の話も出世物語のようで、すごく面白い。

長岡線の電化は、田中角榮が旧長岡鉄道の社長在任中の事業ですね。
0156名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/08(金) 18:46:54.81ID:jMPJYnBp
越後交通は私にとって鬼門ですね。
私は最終目標を模型のための架空鉄道づくりにおいてます。
かりそめの匿名に甘えて過去にいくつも駄作を公表してます。
史実は様々なエピソードの中から、どこまで逸脱すると真実味を失うか判断力を養うために調べるようなものです。

過去に苦手だと感じた史実は、たとえば名古屋市電800型。
アレを空想ででっち上げた文章にリアリティを与えるなど私はできそうにない。だけど実在はするようだ・・・(半信半疑
田中角栄も、その類なんですよ。この人は自伝を綴っても多分、嘘くさくなる。
堤康次郎は架空のお話のテコとして大いに利用価値があるけど、角栄は器が違う化け物だ。
頭が良過ぎる。サイコロで、相手だけ全ての目が6のようなものだ。
角栄の名を出せば新幹線でも何でも敷けてしまうのでリアリティも何も、問題外なんですよ。
チートしているようで実に扱いづらい。チートを疑われ、逆にリアリティが遠のくように感じます。

越後交通は、特に車両調達が非常に上手いんですよ。越後線も栃尾線も凄くうまいと思います。
昔からこの点が不思議で仕方がないんですね。
それに廃止など重大な決断も異常に素早く、しかも貨物列車だけ残したりする。すべてが上手い。
もし仮に判断が田中角栄近辺から出ているとしたら、金権政治という派手なレッテルに隠されて見えなくなっている怪物の天才の証ではないか。
こんな超人的なチート、創作で真似して綴っても嘘くささが増すばかりで上手くまとまらないんですよ。
0158名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/13(水) 12:51:34.67ID:1bo+Qb+F
矢板線問題
米軍撮影の戦後間もなくの航空写真で新高徳駅付近を見ると驚くよ。
三角線の路盤がほぼ出来上がっている。出来立てなので白く目立つ。
たぶん、東北本線鬼怒川橋梁が爆撃されることを懸念したのでしょう。未成に終わったためかほとんど取り上げられないので、知名度が低い。
現在の土地区画からも痕跡に乏しく、おそらく敗戦後速やかに復元されたのだろう。

矢板線は、最後の区間をなぜ建設したのだろうか。
東武日光線建設の件は公示などで当然知っていただろうし、下今市駅付近で東武線と平面交差するという交渉さえ始まっていたかもしれない。
時間的に微妙に前後して、もう矢板線全線開業も近いというときになって東武鉄道から平面交差を申し込まれたのかもしれない。遅いよ。

温泉街となった鬼怒川からは想像し難いが、下野電気鉄道の建設目的は鉱山にある。
結果論的に言えば足尾のように鉱脈にたどり着けなかったらしいが、付近は成功した鉱山も多い。
矢板までの建設に踏み切った理由は、今市から高徳までの間に面倒くさい川が三つもあったから以外にないだろう。河原を見ればいずれも相当な暴れ川であることが判る。

下野電気鉄道は、根拠はないが沿線鉱山の成功を信じて疑わなかったのではないか?すべて上手くいかなかった結果を知る私たちが断罪することは不可能だ。
少量の貨物輸送なら日光線に接続した軽便鉄道で充分であったはずだ。しかし実際に営業して軽便鉄道の限界を知ったことだろう。
1067mm鉄道への輸送力強化を目論見、しかし、三つの川に架けた橋梁が障害となった。
軽便鉄道の橋梁が耐えられるはずがない。しかし架け替え費用は高額なものになった。
そこで、橋を架ける必要がない矢板までの建設を検討したら、そのほうが安上がりだった。
(橋梁の工事費用はとてつもなく高価なものだそうです。)
0159名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/13(水) 12:52:37.20ID:1bo+Qb+F
矢板線を作っていたら、東武日光線ができるという噂を聞く。
でも下野電気には関係ないし建設は続行される。貧弱な橋梁を強化する資金は、矢板線の建設でいよいよ当てが無くなっていたからだ。
東武線のため下今市駅まで路線が短縮される件も大きく揉めないだろう。矢板駅で東北本線に接続できれば、東武線との接続などどうでもいい。
この時期の下野電気鉄道は、今市と高徳の間の廃線さえ考えていてもおかしくない。まず鉱山鉄道であり、東北本線と1067mmの線路で結ばれればよかった。

そして日光線が開業。東武の怒涛の攻勢が始まる。
資金不足に陥った下野電気鉄道の経営に食い込み、問題の三橋梁に東武の資金が潤沢に注がれ改築強化され鬼怒川線となる。
下野電気鉄道の本線となる筈だった矢板線は、全線開通後わずか数年で無用となった・・・・・。

河川争奪という現象があるそうで、この説明がまさに矢板線の運命。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/Stream_capture.png
下野電気鉄道経営悪化の原因が矢板線建設強行にあるとしたら、何が悪いのか全く判らないよ。
東武とて日光線開通にまだリスクがある状態で鬼怒川線を推進することなど出来ないだろうし、その時点での下野電気鉄道は交渉相手として難しい筈だ。
下野電鉄株主は鉱山の将来に期待して、まだガッポリ儲けるつもりでいるので東武との交渉に応じない可能性もある。
なにしろ矢板線を作らせるほどの強気の株主がいたのだから。
0160名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/13(水) 12:57:20.02ID:1bo+Qb+F
東武進出後数年間の変化は下野株主たちを呆然とさせたのだろう。
それでもなお、買収が昭和18年まで遅れた辺りに、鉱山の成績に期待する下野株主たちの抵抗が見て取れる。
しかし戦時体制下に強化対象とならない銅山に、何の価値があろう。
国は価値を認めず東武に併合され、株価は二束三文のまま。

不思議なのは、戦時体制下に矢板線が不要不急線に指定されなかったことだ。
不要不急線の指定自体が条件が曖昧で根拠不明なのだが、国も鉱山が大化けするかもなど考えて両天秤をかけたのだろうか。
それとも三角線つまり東北本線の迂回ルートとして価値ありと認めたのか。
東武にとっては誠にありがた迷惑であった筈で、要らない矢板線は残されるのに日光線は単線にされるという始末。

既に関係が断たれた旧経営陣は東北本線迂回ルートという思いもよらぬ活用策に、何を考えたのだろう。
0161名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/14(木) 23:16:15.13ID:9HbddN1a
>>158
鬼怒川線の前身、下野軌道の敷設目的のひとつに、鬼怒川発電所のダム建設の資材運搬があったとも言われていますが。
…でもまさか小田急とは関係無いですよね?w
(Wikipediaで「鬼怒川水力電気」をクリックすると小田急電鉄のページに飛ばされてしまいますw)
0162名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/15(金) 13:27:30.01ID:/5fIDFpo
電力業界と鉄道業界の結びつきは面白過ぎますよね。
時期にもよりますが資金調達能力は電力業界の圧勝であることが多い。
戦前の電力会社が弱肉強食で競っていた時期にも、陸上交通の王者であるはずの鉄道会社を圧倒します。
電力=ライフラインと輸送業界では収入構造が全く違うのでしょう。
電力業界は副業で電鉄経営しますし、発電所を作るために線路を敷きます。

この、発電所建設のための線路ですが、電力業界からみれば使い捨て出来てしまいます。
実際に使い捨てた実例が複数見つかっています。典型が、草軽のL型電機が輸入時に使われた軌道。
草軽が大変に有名ですので遡って調査されておりますが、地図に載る暇もなく廃線になっています。
鉄道業界から見ると、電力業界の需要は最大瞬間風速です。短期間に膨大な貨物を輸送して途絶えてしまう。
地方私鉄が巻き込まれた典型が松本電鉄上高地線でしょうか。儲かったとも言われますが松電の設備投資額も大きい。

使い捨て出来るほどの資金力を振るって、工事完成後に不要となった路線。
この鉄道をなんとかして永続的に維持したい地元などの関係者の振る舞いが、非常に面白い。
そもそも地元には地方私鉄を作る資金力などないのです。
特に山間部では軌道の存在は奇跡に等しいのですから、払い下げを受けたりして自主運営したケースが見いだされる。

揖斐川上流部はイビデンがダムを含む発電所を、かなり早い段階から建設しています。
この資材輸送に軌道がつかわれ、建設終了後に地元に移管され運営されているのです。
そんな場所に鉄道など、かつて報告されたことはないと思います。もちろん地図でも見当たりません。
法的に鉄道でもなく、森林鉄道などで管理もされていないので公的な資料がない。
起点と終点さえわかりません。現地には当時の古レールが使われた柵があるらしいのですけど。

下野電気鉄道もそうした電力会社の残した路線の、典型の一つでしょう。
莫大な資金力で暴れ川に架橋して、あとは欲しければ差し上げるから頑張ってね、という展開ではないか。
路線維持は大変だったかと思われます。
東武が来る前に水害一つあれば、鬼怒川線は随分と様相を変えていたことでしょう。
0163千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
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2021/10/17(日) 23:43:30.72ID:cxBlQ5xl
>>162
電力会社と鉄道会社の関係で少し特殊な存在だった北恵那鉄道を調べているうちに、
北恵那の車両関連で、なぜか名鉄瀬戸線が気になってきました。
少年時分の一時期を沿線の小幡で過ごした私としては、瀬戸電の車両については
かなり種々と調べましたが、未だに写真が見られない車両があります。
それが1号蒸機。これまで得られた情報としては、
・1920(大正9)年5月雨宮製
・運転整備重量8トン
・1922(大正11)年、開業当初の淡路鉄道(→淡路交通)に数ヵ月間貸し出し
(淡路の発注した蒸機の納車が遅れて開業に間に合わなかったので)
・1937(昭和12)年7月、会社が蒸気動力廃止を届出
(肝心の1号機自体がどうなったのかは不明)
で、既出の元・有田鉄道のコッペルと同様、3呎6吋軌間で8トンとは超小型であり
軸配置はおそらく0-4-0と思われますが。。。
しかし乍ら、そもそも電車と電動貨車(どちらも路面電車然としたもの)で
営業していた瀬戸電が、何に使うつもりで蒸機を買ったのか。
瀬戸電は開業当初“瀬戸自動鉄道”で、皆さんご存知の通りフランスから輸入した
“セルポレー式蒸気動車”3両で開業。このセルポレーが故障多発で取扱いに難渋し
わずか2年で電車に切り替えられた。
しかし、皮肉にもセルポレーの扱いにも次第に慣れてきたのか、故障も少なくなり
電化後も補助的に使われ続けた、とのこと。
このセルポレーの廃車時期だが、1911(明治44)年と云う説と、1922(大正11)年と
云う説があります。私は後者が正しいと考えておりますが。
0164名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/19(火) 22:05:18.06ID:HznpUy7k
瀬戸線はかなり特殊な路線だと思います。
普通、セルボレー式に手を出して素早く電化に切り替える資金の出所がない。そう思いませんか?
蒸気機関車の存在も霞んでしまいそうです。
開業時から複線というのも、沿線を考えるとすごい。終点瀬戸以外はほぼ水田ですよ。
0165千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
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2021/10/19(火) 22:45:46.90ID:vQBeamj9
確かにすごく特殊な路線ですよね。戦前はどちらかと云えば貨物本位の路線だったようで。
あの凸型電機(名鉄機号デキ201・202)にしても、あの当時ポール集電だった割には
ハイスペック(75.5kW×4)なものを入れているし。
ところで、セルポレーですが、電化後は貨車の入換にでも使っていたのではないか?
尾張瀬戸、堀川の両終端か、国鉄線と接続する大曽根のいずれかの駅で。
旅客用としての稼働記録が1911年で途絶えているとは云うが、導入後6〜7年で廃車とは
いかに厄介者といえども早すぎないか、とも思えるので。
雨宮の8トン蒸機は、3両のセルポレーの何れかの代替機ではないかと。
その蒸機と相前後して導入されたのがテワ(実質デト?)1・2で、これが電車に代って
デキ入線まで貨物を牽いていたのでしょう。
それにしても、1号機の写真がどこからも出てこないのは何でだろう。
当然乍ら名鉄には引継いでいないので、どこへ行ったかも判らないし。
0166名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/19(火) 22:54:57.16ID:HznpUy7k
瀬戸は心くすぐられますね。鉄道史を無視しても興味があります。
狭い地域で長期間、活発な経済活動が営まれたことでは日本でも指折りかと思います。
土地利用の変化の激しさが面白い。いまだに瀬戸を掴み損ねている思いが強いのです。
たとえば写真家臼井薫さんの写真集を見ると、裸の子供に衝撃を受けます。陶土採掘現場の男たちも半裸でトロッコを押しています。
亡くなられたころに瀬戸市美術館で展覧会がありましたが、撮影年代は昭和30年代とのこと。
瀬戸線の踏切ですら撮影場所が判らない。狭い谷間から出ていない筈で、その狭い地域にどれほどの人が住み何本の煙突が建っていたのか。
その燃料を搬入し製品を搬出する手段が、瀬戸線です。

古い地図を見ると瀬戸の谷間に入る寸前まで、ぽつぽつと集落のある水田地帯です。瀬戸だけが真っ黒な市街地として表されます。
その昔、瀬戸線に乗れば、行く手の狭い谷間に何本もの煙突が重なる異様な景色が見られたかと思います。矢田川の水も白く濁っていたと聞きます。
小さな電気機関車が十数両もの貨車を牽いて日に何度も往復したことでしょう。尾張瀬戸駅は本来は旅客スペースの何倍もの面積の貨物扱い施設を持つ駅です。
電車は昭和24年の体質改善まで、単車を含む路面電車タイプの高頻度運転。戦時中は美濃町線モ510型が応援に来たとされる。
戦後までホームは低いままであったことは驚くよりほかにない。
(瀬戸線車両の転出で「近代化」される岐阜市内線ってどうかという件もあるがw)
0167名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/19(火) 23:09:32.32ID:HznpUy7k
貨物列車は、軌道法時代は電車に貨車一両程度しか許されない筈です。デキ導入で貨物列車になるのは地方私鉄になってから、です。
ですから、軌道時代に入換機は無いんじゃ無いかと思います。むしろ、貨車一両の牽引に駆り出されていたのでは無いでしょうか?
複線ですし、頻繁に貨物列車が行き来する光景が想像できます。

蒸気動車の整理は、鉄道法規に何かが適合しなかったからでは無いでしょうか。廃車は鉄道法移行の翌年の筈です。
0168名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/21(木) 21:15:40.92ID:w1cHfOtR
瀬戸線は面白いですね。
でも調べても調べても、雨宮製蒸気機関車のことは判りません。


誤植じゃ無いんでスカ?(w
0169千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
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2021/10/22(金) 00:40:18.51ID:B1UsJrRD
>>168
“瀬戸電気鉄道1号機”についての記述は、私も鉄ピクの古い号で2つしか見たことがありません。
ひとつは1971年4月号の名鉄の記事。(寄稿者は加藤久爾夫氏と渡辺肇氏。)
旧瀬戸電の電車と気動車については詳らかに述べられていますが、1号蒸機については
在籍したことが述べられているのみ。
もうひとつは1972年2月号の淡路交通の記事。(寄稿者は藤井信夫氏。)
こちらは洲本口(宇山)〜市村間開業当初の借入れ記録に関する記述のみ。
因みに、Wikipediaの記述も、この2冊を出典として書かれているようです(笑)。
0170名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/22(金) 17:11:02.52ID:VecBzKqG
8トン機が真実ならばセルポレー式の予備機でしょうか。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Mat%C3%A9riel_roulant_du_tramway_de_Gen%C3%A8ve#/media/Fichier:1VEGi.jpg
wikiから拾えたセルポレー式の画像で判明しているスペックは、これで自重10トンだそうです。
瀬戸線の同系機は一回り以上小型のようですので、自重からは一致する。
当時の電車は単車ばかりですので、8トンがレール負担力の限界なのかもしれません。当時の矢田川橋梁など細いですからね。

セルポレー式は廃車こそ免れているが稼働率は低かったされます。
稼働三両では足りないのではなく、満足に動かないので同等品を買ったのではないか。

その目的は、地方鉄道への鞍替えに伴う諸々の工事用ではないでしょうか。
Wikiに1920年〜1937年とありますが、雨宮の事情から見て1920年の製造に納得できるとして、早くも1922年に一旦不要になる。
1921年に地方鉄道になるまで大忙しで働き、翌年は暇になったという筋書きは出来過ぎか。

淡路の借入は1922年11月から翌年4月までのようですね。
セルポレー式が廃車になったという1922年と符合します。

セルポレー式の末期はやはり、ほぼ稼働しなかったのでしょう。しかし社内には熟練の機関士が電車運転士とは別に大勢いる(w
そこで同クラスの蒸気機関車を一両だけ購入し、セルポレー式もなんとか動かして、信号機など地方鉄道に必要な建設工事を行う。
一段落したのでセルポレー式は廃車処分。雨宮は淡路に貸す。返還後は複線化工事どに時折使う。
全線複線化されると電気機関車も投じられ、雨宮は車庫の奥で眠りにつく。
購入から17年目で廃車というのは減価償却期間だったりして。


当時の単車がけん引できる貨車は、せいぜい一両が限度でしょう。
セルポレー式や8トン機は、貨車二両程度が限界だったのではないか。いずれもエアブレーキを装備できないとおもいます。
堀川駅まで来たんでしょうね。有名なサンチャインカーブを通る貨物列車・・・・。

堀川駅の大正時代の写真を見て、北側のホームが南側よりも背が高いですよね。
旅客用としては実質一面一線で、北側は貨物専用ということですね.。
他の貨物扱量の多い軌道線では見ない光景で、他では荷扱いは地面から貨車の床まで長い渡り板を斜めにかけて人夫が上下するのが当たり前でしょう。
0171名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/23(土) 14:33:47.74ID:yG3hyJoY
セルボレー式の評価はこの、末期の印象が決定的になったんでしょうね。
製品としては決して粗雑なものではなかったと思います。まず外観は試作然とした感じが全くしない。
セルボレーも会社としては蒸気自動車のメーカーとして有名なようで、生産台数も少なくはなさそう。
ですから日本側の受け入れ態勢が調わなかったのでしょう。
0172名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/24(日) 13:27:38.88ID:ykcBYHQ1
瀬戸線の歴史の前半分、瀬戸電気鉄道の経営内容は判らないですね。
当線に限らず被合併企業の歴史は語られ難い部分があります。社史は、しばしば、自らに都合の悪い事実を書き残しません。
それは会社にとっても編纂の意味を揺るがしかねない問題ですので、社史編纂の外部委託が進んでいるわけです。
一昔前は、社史編纂室といえば窓際の象徴のようなポストでしたけど、派閥と縁を絶ったような立ち位置でなければ歴史の記述は不可能でもあります。恨まれても左遷のしようがない。
名鉄の社史も例外ではなく、最新のものほど「よく書けているなぁ」と思ってしまいます・・・・w
時代を経れば当事者への聞き取り調査も困難になるわけで、時間との戦いです。

話は変わりますがモンスター経営者のいる会社の歴史は難しいですね。
まず社史の類がまともではない。代表例が西武鉄道。西武が本当の意味での普通の会社になる目安は、社史を刊行できるかどうかに懸かっていると思います。
外部のライターから散々貶められた内容を会社自ら筆を曲げすに記録として残せるか。
越後交通も同じ。田中真紀子が大株主である間は「お父ちゃんの悪口」など不可能でしょう。
こうしている間にも、たとえば電化工事の当事者などはどんどん鬼籍入りしてしまいます。
裏返せば、社史を多数読むことで、外部から判る事象との差異があれば、そこに組織や経営の歪みを見出すことは可能になってきます。
不都合な経営者の存在ごと素っ飛ばすような社史が、他社の事例ですがあるようですよ。
朝日新聞社は、他社による戦前の大見出しの刊行を妨げました。軍国主義を煽った当事者そのものであった歴史が暴かれることを嫌ったためです。
新聞社は同族経営やワンマン経営が多くて、社史は面白い読み物になりがちだそうですよ。
メガバンクも社史編纂できるのでしょうか。旧行の対立が噂される「みずほ銀行」の歪みをどう客観視して残せるのか。

戦史編纂も筆の曲げ具合がいかようにも調整出来て、歴史家の注目の的です。
日露戦争の戦史は誰も責任を問われることがない総花的なものであり資料として信用に値せずと、司馬遼太郎から嘆かれておりました。
その司馬も自ら関わったノモンハン戦役の研究ではソ連側資料の欠落により判断を誤っております。
太平洋戦争の戦史を防衛省が編纂しておりますが、負けた戦争だけあって客観視には努めているようで研究者からも一定の評価を得ているようです。
しかしこれも、アメリカ側の戦果報告書との甚だしい食い違いがしばしば見られるようで記述の難しさを感じさせます。
アメリカは無批判に前線の報告を受け入れて真偽の検証を怠る傾向が強くあり、問題を引き起こしてもいます。南北戦争の戦史編纂でまだ南北間で揉めてるという噂も。
外国の戦史はどうなんでしょうね。
歴史認識の基礎資料となる自国の戦争の客観視を許さない政治情勢の国は、危ういです。

話が大きくそれました。
瀬戸電に戻りますが、今なぜ全く別の話にそらせざるを得ないかというと居場所の問題で名鉄社史を参照できないストレスがあるからであって・・・・・・w
ただ名鉄社史ですが昭和33年版よりも百年記念事業版のほうが踏み込んだ内容になり、これが部外者の編纂関与による影響かどうかは判断しかねますが名鉄社内に何らかの原資料があることを示します。
資料検証の立場から見れば昭和33年版の編集で丸ごと省かれた部分がもしあれば、「行間を読む価値」が出て来ます。
0173名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/24(日) 18:48:16.95ID:AcNI4iaB
商用交流電化の始まりについて、ヘレンタール線のことを調べています。
Wikiを中心に海外テキストの翻訳が中心です。
紙の本を読む、特に洋書を手に入れて辞書片手に一行づつ解読するという読書法は完全に過去のものになっています。
大昔はそうやって重く厚い本を楽しんでいた記憶があるのですが。
鉄道書は日本より海外のほうがハードカバーの歴史が古く、日本でも「トレイン」など盛んに立派な写真集を刊行してきました。
その歴史ももう終わるのでしょう。「レイル」が電子版になるときが楽しみです。
読書という習慣そのものが大きくスタイルを変えているのです。読書が廃れたとは思いません。
私はwikiや青空文庫へのアクセス数はありますし、youtubeの視聴時間まで含めると、読書とテレビの時間が新しい方法に置き換わっただけです。

そもそもの始まりは鉄道模型で、メルクリンの95型が大好きだってことです。
小さな動輪が多数ある機関車が、動力方式を問わず好きなのですね。C62は嫌いです。
そうなるとヘレンタール線専用機ですので編成を組むとなると調べねばならない。
洋書頼みでは難解で小さな版のドイツ語文献しかなく、読書を妨げていた。
ところがwikiのドイツ語版などの充実ぶりは目覚ましく、絶壁が溶けて消えてしまう。
0174名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/10/24(日) 18:49:04.14ID:AcNI4iaB
ヘレンタール線の支線にドライゼーンバーンという路線があるのですよ。
ドイツという国は線路に路線名が付いたりつかなかったりする不思議な国で、たとえばライン西岸線というのは大雑把な路線の集合体で、日本の東海道線に諸々の貨物線がついてくるのと似てる。
ただし定義は難しく文献により終点や範囲が違う。
どうも法律でも明確でないというか、分邦鉄道時代はまた別の名前、二度の戦争もあって名称が二転三転しているためか、文献ごとに筆者が分かり易く説明しようと悪戦苦闘している気配を感じる。
支線は固有名が付いているケースが多いが、それよりも最近はSバーンの地方への浸透により系統番号のほうが幅を利かせて路線名は使われていないようなケースがある。
ルクセンブルクのような隣の小国は全土系統番号だけで問題の収拾を図っている模様。
やはり命名基準がないことが利用者にも判り難さとなって受け取られているんでしょう。

ヘレンタール線は昔からヘレンタール線で、固有名として定着してます。
商用交流電化の試験のためか、地理的に独立しているからか。ヘレンタールというのは訳せば地獄谷だそうで、通過する著名地名を路線名としています。
「地獄谷」が例えば「箱根八里」のようにドイツ文化圏で浸透しているので、ドイツ人誰でも分かり易いアイコンになっているのですね。
そのヘレンタール線から「ドライセンバーン」?なる路線が支線として分岐しています。
このドライゼーンが判らない。三重線という訳語が出てきて困りました。ドイツ語で13というのは綴りが違うけど、13番線なる路線名が山奥にありうるのか。
地名ゆえに何かを足した合成語だろうけどドイツ語の素養は全くない。
しばし困った末に,wiki英語版を和訳してみて疑問氷解。
三つの湖をめぐる路線という意味なんだそうで、やはり単語を合成した造語らしい。
三湖線とでも訳しましょうか。
これで、小一時間を費やしている。やれやれ。
0176名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/24(日) 22:06:18.71ID:3zgX8wo8
素晴らしいですね。
逆ハの字に上が広がった木製架線柱。
故意に枕木を埋めて、さりとて砕石ではなく土で埋め、しかし道路としては使わない軌道。
いずれもいつのまにか日本から消えました。
0177名無しさん@線路いっぱい
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2021/10/25(月) 21:28:31.14ID:qLAFFMyY
尾張瀬戸駅の、自動車の数が多過ぎw
凄まじい好景気なのか。

二つ目玉、付随車牽引してますね。乗客も多い。
当時最も成功した電鉄の一つではないでしょうか。

これだけ連結した列車が多いと、終点での付け替えが気になります。
尾張瀬戸駅は良くわかるのですけど、堀川駅ではどうやっていたのか。
側線が気になります。映画でもチラリと出てきますけど、手前に客車が入っています。
これが入換方法を物語るのではないか。
0178千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
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2021/10/26(火) 00:20:05.39ID:4gLgsiX+
>>177
時代的には昭和恐慌の直前ですね。
瀬戸電自体も羽振りがよかったのでしょうね。
全線複線化工事を一気に進め、電機2両に鋼製ボギー電車10両を投入した頃。
(明治末期に投入した単車を9両廃車したのもその頃、と云われています。)

矢田川鉄橋を渡る貨物列車、何故か懐かしい気分になりますね。
私の小学生時分(昭和40年代後半)もあのような貨物列車が走ってました。
デキの屋根上こそパンタグラフでしたが、国鉄の貨車数両+しんがりに小柄な
木造ワフをしたがえていたのは同じ。
因みに私が見た最長牽引は8両(国鉄ワム7両+ワフ)でした。
小幡駅を通過する貨物の中にワム90000によく似た「ポム」の記号を見つけて
帰宅して早速「ポムって何だ?」と鉄道図鑑を調べたのも懐かしい思い出(笑)。
0179名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/11/06(土) 09:23:59.21ID:3LpMZ76Y
せとでん100年という本のp18に雨宮製蒸気機関車の写真がある。
若干不鮮明だが040の、1067ミリ用に見えない小型機。
しかし車両紹介では全く取り上げていないようだ。
瀬戸電時代の車両一覧表からも抜け落ちている。
本当に謎なんだろうね。
0180名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/11/06(土) 09:36:36.00ID:3LpMZ76Y
パンナム、パンアメリカン航空のブランドは今、米北東部の田舎鉄道会社が所有している。
http://www.panamrailways.com/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/Mec_31933_08-04-2005.jpg
お年寄りには懐かしいパンナムのマークが入った貨車があるらしいのだが、田舎過ぎて数が少ない。
おまけにインターモーダルの浸透でボックスカーに出番が少ない。
北米のファンでも、見かけるとちょっと嬉しいネタとなっている。

何で北東部の鉄道が気宇壮大な、ということだけど、実は距離的にヨーロッパに一番近い。
だからこの大き過ぎるブランドを掲げる行為も、一種の伝統なのでしょう。
European and North American Railwayという冗談みたいな会社が実在した。
なんとかパシフィツク鉄道という企画倒れ会社が米中西部に数多くあるが、こちらは大西洋が間にあるのに気にしないという破格のスケールで迫る。
「京福電鉄」で京都と福井の間ガーなどと悩む島国根性が、恥ずかしい。
この地域は似たようで少し大人しい、でもローカル線には似合わない大袈裟な名前の鉄道がしばしば歴史に出てくる。

現在では航空機の航続距離が伸び、軍用では空中給油機が当たり前になって、北東部の空軍基地はほぼ消滅したようだ。
第二次大戦中は英国へ空輸される戦闘機などは当地に集結し、増槽まで燃料満タンにして、長い長い滑走路をえんやコラと離陸していったという。
それでもギリギリの航続距離という機種が多かったみたいだ。
船で運ぶとUボートに遭って全損するかもしれないので仕方がない。
冷戦時もアイスランドや北欧に最も近い米本土とあって、B52の根拠地として重要だった。
冷戦終了とともに膨大な燃料輸送が途絶え軍人家族も引き上げ、鉄道会社も潰れ再編成された。
かつて飛行機で世界と結ばれ栄えた地域の歴史を継承するための、パンナムブランドなのでしょう。冷やかされても気にしない。

鉄道模型、パンナム鉄道、格好悪いんだよネええ・・・・w(有個人差、しかし認めん
群青の濃いめの色は夜間や荒天時の視認性最悪では?
実物はライト点けっぱなしだから関係ないのか。
汚れが全く判らない色であり、実物写真見ても埃だらけに見える機関車が多い。
0181千円亭主 ◆JVEbhP5n7A
垢版 |
2021/11/06(土) 21:01:32.08ID:YzV2jfn/
>>179
> せとでん100年という本のp18に雨宮製蒸気機関車の写真がある。

名古屋近辺の図書館ならあるはずなので探してみます。有難う御座います。

余談ですが、>>180
パンナムと聞くと私はどうしても、昭和時代の大相撲千秋楽の
デヴィッド・ジョーンズ氏を思い出してしまいます。
あぁ、昭和は遠くなりにけり。。。
0182名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/11/07(日) 10:51:49.67ID:1puHXEnr
表彰状という文章があるとつい、ヒョーショージョーと読んでしまう私ですけど、若い人には通じなくなりましたね。

パンナムを調べていて気がついたのですけど、戦前の太平洋便はミッドウェー島からサイパンまで南下してフイリピンを通り香港へ向かうのです。
1930年代半ばの事ですけど、そこまで日米関係は悪化していたのか。
羽田に来るのは戦後のことです。東京湾に大型水上機が飛来することを、日本は嫌がったのでしょう。
0183名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/11/07(日) 20:24:32.74ID:vi+mkqDi
>>182
航空会社の目的が太平洋横断であり、目的地が日本じゃ無いだけ。
0184名無しさん@線路いっぱい
垢版 |
2021/11/07(日) 21:12:12.33ID:1puHXEnr
えっと、一行では説明が全く足りないと思います。
航空会社の目的は商業航路の開設にあり、記録に挑戦する事ではないと思いますよね?「太平洋横断」自体は目的ではないです。
利益を得るために新しい航空路を模索するのです。

それになぜ日本を目的にしなかったのかという謎を大きくしますね。
当時、横浜航路などの商船航路は花盛りであり、客を奪うには絶好の相手であるはずです。
パンナムはなぜ需要(利益)が見込める日本に寄らず、営利企業としては狂気の沙汰であろう「太平洋横断」という記録に固執したんですか?

いま現時点でもたとえば「世界一周に挑む航空会社」などという記録に挑む航空会社がいたら、正気を疑うと思います。
0185名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/08(月) 00:01:15.39ID:Tcetmr36
別にパンナム(航空史)に興味があるわけではないのでどうでもいいです。
ただこちらも色々調べているうちに、太平洋航路開設にしては不自然だと既に考えていたから納得できないだけの事。
0186名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/08(月) 07:38:26.32ID:0CzfFN7w
>>185
商業としての目的地が横浜ではなく大陸であり香港だっただけ。
0187名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/08(月) 07:42:17.75ID:0CzfFN7w
太平洋航路っても、太平洋横断が目的ってわけじゃないしね。
パナマ航路って言ってもパナマ運河通過の観光旅行なわけないし。
0188名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/08(月) 19:19:29.57ID:vWPxEjzc
>>185
要らん解説がどうでもいいとか言うんなら、このスレの大半の書き込みがそれだぞ
ここ一応12mmスレなのに、無関係な解説だらけだぞ
0189名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 07:53:22.65ID:sWVuMDCo
いや、もはやここは要らん解説のスレですからw
しかも個人的見解ですから。

あえて言えばパンナムや初期の太平洋の航空路に興味がある人が居られるのなら、自由帳として使っていただいて結構です。
要らん解説は、その時点まで興味が薄くても刺激を受けるやも知れず面白いですから。
0190名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 18:30:59.71ID:nc+PWH5S
うんだから過疎スレの目的外乗っ取り専有をすんなって話ね
ちゃんと目的に沿ったスレ立てて、過疎スレはそのまま落とせって事
0191名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 19:50:31.85ID:gLkTdClX
嫌です。
念を押しておきますが、別にこのスレに執着している訳ではないので、ここで邪魔をしても移動するだけです。
読者を想定しておりません。
こうしているのも無駄なやりとりですね。
0192名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 20:53:02.21ID:/02LEt7n
このスレに執着してない、読者を想定していないのならば
自分でブログ立ててやればいいのに。>>191
0193名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 23:06:03.98ID:sWVuMDCo
廃物利用ですよ。
誰かに迷惑かけてますか?

他のスレに移動しましょか?w
0194名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/09(火) 23:07:29.03ID:sWVuMDCo
別にあなたの機嫌を伺う必要は無かったんだったねゴメンなさい。
私の次の行動は、私の自由です。
0195名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/10(水) 18:23:55.15ID:DRF4i6Pg
誰かに迷惑かけてるかと聞いたやつが、他所に迷惑かけに行こうとしてるんだから世話ねえわ
構ってもらえて嬉しそうだが、キチガイのやる事を遠巻きに見てるだけだぜ?(たまに口は出す)
0197名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/10(水) 20:40:34.86ID:xrE+BaNx
うっはw謎の上から目線、何の役にも立たないクズw

おっといけない時間の無駄だ。
0198名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/10(水) 21:37:58.56ID:ISOvC+6k
構ってもらえて嬉しそうだねぇ。>>197
0199名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/13(土) 12:23:07.56ID:ecLmInsO
ドイツなどで車輪が三軸の短めの客車を二両、半固定連結にする事がある。
理由がわからなかったけど、最近、最高速度向上のためだと判った。
やはりというか、三軸車両は高速では走りにくい。
そこで二両を組にして、その間のバッファに数トンの圧力をかけて普段外せないようにする。
そうすると、安定性が向上するんだそうだ。

日本にはほとんどない車種なので、面白い。
0200名無しさん@線路いっぱい
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2021/11/13(土) 12:35:42.77ID:6E53ayOO
>>199
二軸運材車は2台の間を丸太で固定してボギー車としてひかれてるよ。
目的が高速ではないだけで。
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