魏延の長安奇襲策
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蜀漢の第一次北伐における魏延が献策した長安奇襲は成功の可能性があったのか?
蜀漢が北伐を成功させるためには必要な作戦だったのか?
その是非を問いたい >>281
> 先主復領益州牧、諸葛亮為股肱、法正為謀主、關羽・張飛・馬超為爪牙、許靖・麋竺・簡雍為賓友。
> 及董和・黄權・李嚴等本璋之所授用也、呉壹・費觀等又璋之婚親也、彭羔又璋之所排擯也、劉巴者宿昔之所忌恨也、皆處之顯任、盡其器能。
武官トップ3が関羽・張飛・馬超、賓客トップ3は許靖・麋竺・簡雍、諸葛亮・法正を除く文官トップ3が董和・黄権・李厳という並び順からみても、黄権は李厳より上位の扱い。
黄権が夷陵の戦いで帰還できていれば、諸葛亮の後継者は蔣琬でも李厳でもなく黄権だったろうな。 >>525
>黄権とか敵陣の呉の真っ只中で見捨てられて魏に亡命とか美談だけど
この地形で、夷道から巫まですでに呉軍が充満しているのに、峡谷を出た荊州側北岸に展開している黄権が帰れるわけもない。
峡谷■■■■■■■■■■■■■■■■■
夷陵
益州 永安 巫 秭帰 信陵 江陵
夷道
峡谷■■■■■■■■■■■■■■■■■
自分ひとりならともかく兵たちもいるので、呉に降るぐらいなら・・という選択肢しかなかった。
呉に降った蜀将は誰もいない。
傅彤・程畿もそうだし、零陵で反乱を起こしてかつての同僚の潘濬に討たれた習珍も投降を拒んだ。
呉に降った杜路・劉寧は蛮族の指導者で、蜀将じゃない。 >>964
年齢的に黄権は諸葛亮とほぼ同じぐらいで李厳より年上かな
諸葛亮、李厳、蒋琬は荊州人グループで黄権は巴西出身の益州人グループ
黄権は220年に光禄勲、
李厳は222年に尚書令、223年劉備死去劉禅即位で光禄勲を追加され仮節を受ける
220-222年の序列としては黄権が上だね
ただ出身地や劉禅との関係だと留守政府長吏の蒋琬が劉禅期には信頼されていたかなあと思う
まあ黄権が魏に降らず南蛮平定、北伐など外征に従軍せず成都にいたらまた劉禅との関係も近くなっていたかも知らないけど
ただ劉璋、劉備時代のキャリアからして蜀に留まっていたら北伐には漢中の丞相府参軍として従軍していただろうから姜維のように軍司令官として漢中にいる事の方が長くなりそうだけどねえ え、てことは孔明は李厳より年上なの?、とウィキ見ると不詳なのか。
李厳は208年に県令、若すぎる気がする。
そんなに毛並み良いのか、とウィキ見ると親類のコネがない... 181年生まれの孔明が李厳より年上で李厳が182年生まれだとすると
李厳より二十数歳年下の費観は213年に十歳前後で李厳の参軍になったことになるから
孔明は李厳より年下でしょ 宮城谷三国志では黄権の評価が高くて軍略については諸葛亮以上。
人柄もいいし蜀は惜しい人材を失った。 曹丕の魏に行ってからも孟達のように孤立せず曹叡時代も順調に出世して車騎将軍・儀同三司にまで登り詰めたからね
魏に降ってからの功績は不明なので出世の要因も不明だけど
曹丕から曹叡への代替わりが起きた時に孟達の蜀への帰参という事態もあった後の話だから二の轍を踏まないように降将優遇を見せつけて蜀や呉から同じ様に魏に降った将軍を残材にはしませんよっていうメッセージを含んだ人事だったと思うけどね >>969
諸葛亮より上というより、諸葛亮は戦術家としては凡庸、戦略家として上の下ってとこだろう
黄権や法正、龐統、馬良などがいれば、内政に専念したんじゃないかな
あるいは、李厳が野心を見せなければ、李厳に任せたかもしれない
なお、士大夫ではない魏延は、しょせんは駒に過ぎないので、後継者とは思わなかった
馬謖や姜維への極端な贔屓も、軍事に自信がないことの表れだろう
だから、死を前にした劉備は、諸葛亮に軍事を任せず、李厳を軍事の統括者に指名し、さらに馬謖の扱いに注意した 劉備死後の蜀で、上級幹部になれた非士大夫系は魏延、王平ぐらいで文官はなしか
優秀な平民が官吏になっても、県か郡に仕える役人以上になれず、軍官になって武功をたてるしか、上に上がる道がなかったんだろうな
九品法以降の魏と同じく「上品に寒門なし、下品に勢族なし」という状況 >>972
その王平も辛い
漢中争奪戦の時に蜀に降ってから15年以上働き続け、
馬謖の失敗を救い、
北伐で働き続け、
魏延を殺してようやく後典軍
一方、士大夫たちは、中央の中級官僚か太守を務めたら偏将軍や稗将軍、中郎将
参軍・典軍どころか護軍も珍しくない
「中卒・高卒」と「大卒・院卒」以上に差がある超格差社会 絵文字使ってクソ野郎を連呼するだけの妄想の人はいなくなったの?
一日に何十回も連投しする必死さと時間の浪費っぷりが面白かったのに
また見たいよ >>974
勇者「銅の剣は安いなあ」←これ、あの世界銅がそんじゃそこらにあるんか? ニートにはキツい( ´›ω‹`)
基本的人権➡削除
国民主権➡削除
9条➡変更
🆕緊急事態条項追加
緊急の場合は憲法むしだお!
国のために民は働け、戦争行ってこい∠( ̄^ ̄)
ワイマール憲法みたいのだお
テストにでるお? 夜間中学校で学び直しが出来る取り組みあるからそこを切っ掛けに社会に復帰する事も出来るのでは。
老若男女様々な人が通ってる。 義務教育を終えていないと労働者になれない(社会適応出来ない)という研究結果が出ていてな…
大教育には膨大なコストと時間が掛かるんや
社会復帰には間違いなく苦労するが、まぁ、頑張れ 蜀漢の第一次北伐における魏延が献策した長安奇襲は成功の可能性があったのか?
蜀漢が北伐を成功させるためには必要な作戦だったのか?
その是非を問いたい 劣等な自分らを基準にしか物を考えられないところが嫌だね〜。(ま、劣等だからこそ、自分基準にしか物を考えられないのだがw 第四の性格は、はなはだ残忍に、軽々しく人間を殺すことである。些細なことで家臣を殺害し、人間の首を斬り、胴体を二つに断ち切ることは、まるで豚を殺すがごとくであり、これを重大なこととは考えていない。だから自分の刀剣がいかに鋭利であるかを試す目的だけで、自分に危険がない場合には、不運にも出くわした人間を真っ二つに斬る者も多い。……もっとも残忍で自然の秩序に反するのは、しばしば母親が子供を殺すことであり、流産させる為に、薬を腹中に呑みこんだり、あるいは生んだ後に(赤子の)首に足をのせて窒息させたりする。 戸外には俄雨でずぶぬれになった瀕死の僧侶がうつぶせになっていた。それでもまだ生きている証拠にうめき声を出していたので、みんなは彼のことを死んでいるとは考えず、手荒く扱わないようにしていた。しかし、石も涙を流すかもしれないこうした場面にも、日本人は全く冷淡であった。 前述した日本人の高慢、正義、そして勇気について知っていれば、この国民が怒りを抱けば、自分の敵に対してまったく容赦しないということについて驚くことはなかろう。 彼らは尊大で大胆であると同様にまた、
極めて執念深く無慈悲でもある。
そして己れの激しい憎悪をむき出しにすることなく、
しばしばそれを異常なまでの冷淡さの内に隠し、
復讐の好機をねらう。 日本の法律は乞食を人間とみとめていない。
乞食は畜生である。
乞食を殺しても訴えられも罰せられもしない。
道路に死んで乞食が横たわっている。
いやそんなことがあろうかと思うだろうが、事実そうなのである。 今の派遣叩きと同じwwwwwwwww自殺したければ氏ね言うのが日本 日本人ほど狷介で暴力沙汰を起こしやすく、憤慨する人々はこの地球上にいない。日本人は喧嘩をすれば相手を殺すか不具にしてしまう。喧嘩は戦争の一部分である。 日本人はまったくどうということのない理由で
抵抗の意思がない外国人を、
群れをなして襲撃したりする。 どうしてか突然にママにびんたされるんだけど、笑っちゃうよね おそらく世界に東洋しか存在しなかったら、100億年たってもフランス革命のようなのはおきなかったでしょうねw。
猿の惑星のような中世世界ですよ100億年後もwww このスレッドは1000を超えました。
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