五胡十六国南北朝を語るスレ21
残虐非道な暴君とされているのに洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」という真逆な評価をされている苻生 石虎の息子はなんでことごとくクレイジーなんだ
それをはるかに超えるヤバイ奴に滅ぼされるけど 姚弋仲だっけ?
石虎に「お前の教育が悪いから息子は争うし庶民は苦しんでる」ってはっきり言ったの >>740
そう
石虎に必要だったのは姚弋仲みたいに対等に渡り合える奥さんだった
後継者問題も、頭パーな奥さんによる二転三転と、強引な手段でしか収拾しない石虎の合わせ技によるとこがデカく
子供も教養を覚えない上で強引な手段を見習った結果ズタボロ 石虎の最初の夫人郭氏は石勒が仲人をしただけあって賢婦と名高く、石虎も一目置くほどだった
しかし、側室の鄭桜桃(どういうわけか美少年とされることも)が讒言したため、郭氏は無実の罪で誅殺されてしまった
もしも郭氏が生きていたら、石虎の死後わずか数年で滅亡することはなかっただろう 石虎もそれほど暴君じゃないだろうけどな。
在命中に国が滅びてないからね。 それどころか荒廃が蔓延して弱小国家しか産まれないor外敵にかっさらわれるっていう腐敗国家テンプレにならず、うまく遺産を取り入れた前秦前燕が繁栄して雌雄を決したわけだからな
曲がりなりにも死後まで国土を戦場にすることはほぼなく、賊も蔓延らせなかったのが功を奏してる >>743
始皇帝と同じで死後数年も持たず国崩壊して滅亡なので
自身の治世は恐怖で国を保っただけの暴君扱いされても致し方ない >>738
苻生と同じく仏教保護したのに洛陽伽藍記でも擁護してくれなかった石虎… 秀吉に似てるよね。石虎
後継者問題の失敗。
土木工事を起こしたこと。
大規模な戦争など。 >>746
石虎と苻生は親子以上の年の差なのに
治世の時期は数年しか離れてないのは意外 ジャニーズの騒動とか見てるとどれだけ巨大な帝国を築き上げても独裁権力者が没してしまえば一気に崩れ落ちるくらい脆い状態になるんだなって思った >>750
儒学者の前でそれを言ってのけた庶人天王って色々すごすぎる 孫皓、司馬衷、石虎、劉c、蕭宝巻、高緯、宇文贇、陳叔宝
北も南もやべーのばかりで劉禅が相当マシに見えるな・・・ >>752
単なる暗君の先代を倒したものの、石虎を真似してハイパー暴政をしいた李寿も忘れずに 暗君:ただの無能
暴君:能力はともかく迷惑な存在
ひでえ君主ってのはこの二つに大別できるだろうな
前者の代表はやはり晋恵帝衷、ただこれは歴史に埋もれたのも多い、あとここで必ず上がる万暦帝って実はかなり微妙なんだよなあ、一応ここに分類されるが。とにかく何も出来なかった連中だな。
後者の代表は始皇帝や武帝の類だろうな、我らが虎吉もこっちに入るだろう。勃勃も当然ここ ここで菩薩皇帝ってよく見るけど正しくは皇帝菩薩だったような気も >>750
ただし徳なき法は世界を腐らせる
資本主義も科学的共産主義もまさにこの道を辿ってる 庶人天王「徳とかいう甘っちょろい考えが人を腐らせ犯罪に走らせる。だから周公旦は役立たずな徳を振りかざして裏切られて泣き言を抜かすのだ。この乱れた世こそ人を法と刑で律しないといけない」
さすが、犯人を拷問なしの尋問するのが生き甲斐で、十日に一回は裁判長として法廷に立っていただけある 庶人天王様…
『魏書』では「庶民大王」
『晋書』では「庶人大王」
でどれが正しいのか禿げそう >>757
皇帝大菩薩vs宇宙大将軍
東映まんがまつりかな? >>760
少なくとも、天子を騙っていい器ではない、と判断されていたのは伺える 『晋書』も庶人天王には「父母兄弟によく仕えたが逆境を過ごし、文武の官の地位を保全し、自身の輝きを隠して仇敵を殺害した。自分を罰して高慢になることの危うさを避け、身のこなしが軽い乱世の好人物であった」と好意的なんだよな >>760
『晋書』は唐の太宗の貞観22年(648年)に完成しているので太宗の諱の世民を避諱して「庶人大王」と記したのだろう。
他にも『晋書』は唐の高祖の祖父の李虎の諱の虎を避諱して石虎を字の石季龍と記している。 >>765
崑崙奴はインド〜東南アジアの肌の黒い人種を指すから
アフリカーナとは限らない フビライの絵に黒人が描かれてるね
オスマン帝国では黒人の宦官を使っていたようだ
黒人奴隷でいえば西欧諸国の悪行が有名だが、アラブ世界でも黒人奴隷を使っていた
去勢させたからアラブ人と黒人の子孫がいないだけ モンゴル系が故地に残ったものもいるのに対し、テュルク系はマムルークとして全て中東世界に移動してしまった
この違いは何だろう? 王莽「今日からお前は『匈奴単于』ではなく『降奴服于』だ。あともう王ではないから金の印も回収、代わりに木の印を使え」
匈奴「あ゛あ゛?」(反乱) そして下句麗
鮮卑については元から字面がかなりアレなんでこれ以上は下げようがない 大蒙古国皇帝奉書
朝廷「蒙古って…モンゴル人達ちゃんと意味分かって使ってるのかな?」 ちなみに今のモンゴル人に蒙古って書くとめっちゃ嫌がる
蒙古タンメンもダメ ソ連のお情けで独立させてもらった三等国のくせに生意気だな Chinaは良いのになんで支那はダメなん?同じ意味だけど 777ラッキー
西欧では666はサタンの数字、日本では4は死と音が同じだから不吉とされたが、中国でもそういう縁起の悪い数字あるの? >>778
そりゃ暗くて古い=時代遅れって意味だからな
ダウン症のダウンてのも、実はモンゴロイドのこと指してるし
未だにそういうのが罷り通ってるのが現実 漢民族は長子相続が基本原則だが、遊牧民は必ずしもそうではない >>777
中国でも四は死と同じ発音(スー)だから縁起の悪い数字とされていて、ホテルなどで801、802、803、805と4を飛ばして番号付けしているところもある。 >>771
貴様~!柔然を「蠕蠕(ぜんぜん)」や「芮芮(ぜいぜい)」と言い換えた太武帝を愚弄する気か~! >>782
台湾が四を避けてるのは知ってた(九は特に何も)けど中国でもそうか 武廟六十四将に高長恭がないだと⁈
他の時代・他国の将に比べても見劣りしない活躍はしてると思うんだが… >>783
柔然「ヒャッハー」
北魏「蛮族め」
劉宋「それお前らの昔の姿だからな…」 >>784
マカオのカジノにも4番台が無いところがあるから中華圏に共通して四は演技の悪い数字のようだ。 宦官って
1 志願者
2 罪人
3 異民族の捕虜
の3パターンだけど、
3について高麗・朝鮮人、契丹人、女真人、モンゴル人、ベトナム人、チベット人は聞くが、は日本人の宦官は全く聞かないな
白村江の戦い、元寇、倭寇、朝鮮出兵など中国の捕虜になった日本人も結構いるのに 西晋が異民族の傭兵で、唐が節度使で滅んだ轍を踏まないよう
明は全て漢民族99%の国軍でモンゴル人や女真人の傭兵はいなかった? >>788
孝文帝@北魏「怒らないでくださいね。あんたらって中華名乗ってるけど最初の皇帝は親の名前もよくわからず読み書きもできない腕っぷしだけが強いだけのチンピラじゃないですか」 >>791
土木の変の戦死者見る限り本人漢人でも親父や祖父がモンゴル人とかは普通におる >>794
それって降伏した帰化したモンゴル人やその子孫でしょ
野生のモンゴル人や女真人を明代中後期で傭兵として用いたことはあったのかなと まぁそれ言ったら五胡も西晋の段階でちょこっと漢化してるか >>798
不要な能力は消えていく、というのは科学的に証明されてる真理よ
文学でシノギを得なきゃ暮らせない世界であれば必死に覚えるが、それがなくても暮らせるなら覚えない
無学な貴族層が存在するのは西晋以降の腐敗のバロメーターでもある なんか>>795公を見ていると、虎吉とかが全盛期の冉閔(当時の石閔)ってこう何かあるたびに「スレ違い」って言いながら悶々としていたのかなあ
と想像出来てなんかえらく惨めに思えてきたw 司馬一族は無能でも政治力は何故かあるからタチ悪い
謝安を追いやった司馬道子とか 『魏書』島夷劉裕伝では、バクチで財産を使い果たしてしまい、
字もほとんど読めずに周囲から呆れられ、借金も返さずすさんだ生活をしていたとしている。 (国史事件からも分かるけど)鮮卑族ですら漢字読めるのに >>804
『魏書』だから信憑性が怪しいけど、劉裕は貧しい出自から無学で字がほとんど読めなかった、とある
また、劉穆之から「字が下手なら一枚の紙に六、七文字くらいの大きさで堂々と書けば良い」とアドバイスされたことから、かのナポレオンと同じく悪筆疑惑がある ありがとう
教養が無いのは疑わないけど魏書かー罵詈はフカしてそうだな
有名な字下手話でも一応書けてるし全くダメってことはないんじゃないかね 皇室に生まれた意思疎通はできる軽度知的障害や発達障害とかどう生きてたんだろ >>808
王義之さんの居た時代だから字の上手い下手はかなり重要だったと思う
悪筆は文盲レベルの批判があったかも
今でも重要と聞くね >>809
世話係がいるだろ
というかおまいらが知ってるパターンだろ >>809
東晋の安帝なんか弟がヤングケアラーだったな >>784
日本では残さずに食べることが、中国では少し残すことがマナーだけど、台湾はどっちなん? >>813
宴席料理なんかでは中華と同じで少し残す
総菜料理(自分が好きな量と種類を頼むセミセルフバイキングみたいなあれ)の時は
出来る限り残さない、多く残したら持って帰る 明も日本と同じくスペイン・ポルトガルと交易あったのになんで鉄砲を大量輸入しなかったんだろう?(紅夷砲という大砲は輸入してた)
アレ使えばモンゴルだろうと女真だろうと長篠の戦いでやられた武田騎馬軍団みたく蜂の巣に出来たのに >>815
作家の陳舜臣が『日本人と中国人』で書いていたが昔から中国人は日本人に比べて個人的な修練による練達を必要とする武器より、あまり扱いが複雑でない武器の使用をの好んでいたそうだ。
例えば古代から中国で使われていた大型で複数人による扱いを必要とする弩は中国で多様されたが、日本では既に奈良時代に中国から伝えられていたのに日本では弓に比べ、あまり使われず僅かに途轍もなく大きい物を表す”超弩級”という言葉が残されているくらい。
つまり中国と日本での弓と弩との扱いの違いが明末に、それぞれ鉄砲と大砲に置き換わったと言える。 >>815
そもそも鉄砲に騎馬軍団が突っ込んで壊滅とか創作やぞ (超)弩級ってドレッドノート級の略で戦艦の話じゃなかったか 鉄砲より弓の方が扱いが難しいってアンゴルモアで習った ライフル銃出るまでの銃とクロスボウってどっちが精度高かったん >>822
少なくとも安土桃山の頃には、ライフリングない銃>>>>>>>>>>>>クロスボウだったのは判明してる
使うための道具一式さえあればクロスボウの出る幕はないんだろう
五胡十六国でも、コンポヂットボウが使えない勢力の苦肉の策みたいなのが弩だし >>823
さんきゅう
あんまりまっすぐ飛ばないのかクロスボウ 弩は春秋から火器出るまで重装騎兵ぶち抜ける主力兵器じゃん
複合弓の苦肉の策ってのはどっから出てきたのか知らんが弩級といい変な妄想湧き過ぎやろ 後秦を滅ぼして長安を陥落させた劉裕が真っ先にやったのは、捕らえた姚興の娘を妾にして大っぴらに寵愛した事だった
それを聞きつけた謝晦は血相を変えて「人心定まっていないうちに滅ぼした国の公主を無理やり妾にするのは徳に悖る行為です」と諫めた
劉裕はハッと気付くや姚興の娘を解放したのだった
後に、唐の朱敬則は、劉裕はこのように徳に悖る行為をしたから、国を長く保つ事が出来ず功臣の子孫が貴顕として残っていないのだと論じた 劉裕は長安攻略したのはいいけどその後はグダグダすぎて清々しすらある
仲間割れの末赫連勃勃にいいようにやられちゃって >>826
朱敬則君さあ李世民様の前でもそれ言えるの? >>825
つまり軽騎兵が主になるこの時代では資源の無駄遣い…とw >>830
×重装騎兵"だけに"有効
◯重装騎兵"にも"有効
春秋からずっと使われてるって言ってんだろ
無駄遣いなら戦車や戈みたいにとっとと廃れてるよ
あと慕容部とか禿髪部は早くから鉄騎使ってるけどどの時代のこと?スレタイわかる? >>831
ボウガンはバカでも使えるから残ってるんだろ
んでご自慢の鉄騎をぶち抜くボウガンの話まだか?
あと何故「鉄騎」なんてワードになってるかも理解してるか?
まじで呆れる
こういうのがしたり顔で「超弩級」とか広めるんだろうな 兄貴の李建成さんはボロクソに書かれながらなんだかんだ優秀ではあったみたいな感じなのに
弟の李元吉君は嫁さん奪われた上にボロクソのままなんだけど >>833
簒奪などがあった場合、ボロカスに貶す相手と共に、称える相手も居ないといけない。ただ貶すだけでは支持されんからな。
前者は元吉、後者が健成及び親父ってわけ。この選び方は結構絶妙だと思う
劉裕が失敗したのはこのあたりじゃねえかな、とも思うが >>833
李建成の娘(聞喜県主李婉順)と天可汗さんが仲良かったってのもあるんじゃ
天可汗さんは建成の息子は全滅させたけど娘は殺さず親代わりとなって嫁入りさせてる
ちなみに李婉順は漫画「長歌行」の主人公のモデルでもある >>834
劉裕はバック(王氏とか謝氏)が前王朝をリスペクトする意味がないって意向だったからな
罪家のくせに権益潰して皇帝集権考えた桓氏、太守クラスが関の山なのに勘違いして西晋以降やらかしまくった司馬氏に対し、リスペクトなんてする気概もなかっただろう
それで信望得られなくても責任は皇帝持ちっていう心持ちの影響は少なくない あの3000年の歴史が認める悪の中の悪、悪王の中の悪王レジェンド紂王でさえ本人は時々微妙に評価されてる
それなりに大きな役割を果たした人の全否定徹底ってのは案外難しいのでは?李淵に関してはなんと言っても王朝の開祖だし
(ソ連のように)創業者の悪口を許したり信仰を捨てた体制は終了のようなことを現代中国大陸の覇者も昔言ってたそうな
まあ李建成さんは本人と男系が皆殺しにされて十分ボロクソだけどね… >>837
紂王暴君説は捏造された疑いが強くなっている
孔子の弟子でもっとも優秀とされている子貢も「彼の悪行は言うほどではなかったが、悪をなしたために悪評全てが彼の責となったのだ」と疑問を呈している
それどころか人を生贄に捧げる儀式を残酷だと廃したのは紂王だったのが最近発掘された甲骨文字の文献から明らかになった
甲骨文字の文献から紂王は暴君どころか心優しい性格で精力的に政務をこなす勤勉な王だったのが判明している
あれ?なんか苻生が洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」と評価されているのと似ているような… ちょうど、北周(季蜀)北斉(曹魏)梁(孫呉)の勢力なんだなぁ
https://i.imgur.com/lt7ViiF.jpeg
(三国志14PK追加シナリオ「235年1月 秋風越えて」より) >>838
暴君に仕立て上げるテンプレみたいなのがあるんだろうな >>841
子貢は弁舌だけでなく政治家としても極めて優秀で「史記」貨殖列伝に載るほどの資産家だった
死後、西南財神・端木賜という道教の財神として広く祀られた
司馬遷も「史記」仲尼弟子列伝で圧倒的に長い記述で紹介している
その才能は師である孔子をも上回るとされ、当時から孔子の弟子で一番優れている者として真っ先に挙げられるほどだった
最愛の弟子が顔回なら、最優秀の弟子は子貢といっていい >>832
極東の島国だと…
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
スレチになるのでリンクだけでも >>836
ただその皇帝の皆様が揃ってアレなのはどうなんでしょうね、劉宋って・・・・ 『南史』を編纂した李延寿は「劉裕は後継体制が不備なままわずか2年で崩御した。このため劉宋は短命になった。悲しいかな」と評している
南宋の葉適は『習学記』で「劉裕は名将であったが、長安を短期間で失陥する失態をやらかし、晋の二帝を簒奪の末に弑殺した。なんら恥じる事がなかったのはいかがなものか。劉裕を誤らせた劉穆之の責任は極めて重い」と非難している
『三十国春秋』を編纂した梁の武烈世子蕭方等に至っては「劉裕は、怨みに報復するとはいえ、些細な過ちを許す度量に欠ける。君主としていささか狭量なのでは。これでは短命に終わっても当然だ」と切り捨てている 劉裕の晩年は安禄山のように体調悪くて己の死期を悟ってたんじゃないの?と思う
息子がまだ若いから、自分がやれる事はやって息子に受け継がせたかったけど寿命が持たなかったようにみえる >>846
葉適先生は劉穆之がどんだけ嫌いなんだよ 数世紀にわたって繁栄した大帝国は
始祖が軍事・政治・健康・後継者に恵まれてこそ成立しえたな >>848
九錫にこだわったあたりが癪に障ったのか、食い道楽だったのが気に入らなかったのか・・・
寧ろ劉穆之の死で軌道修正が効かなくなった、って方が正解じゃないかなあ、と思う 隋は2代目が35歳で継ぐの結構理想的なムーブな気がするな >>848
葉適先生も好悪に正直なところは好感持てるが史家としては(ry
清史以降AIが編纂するようになったら好悪差し込まなくなるのは少し寂しい >>852
司馬史観じゃねえけど、人が意思を持って作ったものって妙に説得力持ったりするからね >>853
魏収先生「では、私の渾身の傑作『魏書』も説得力があるのですな!あなたの伝記を特別に無償で素晴らしいものにしますよ」
李百薬先生「ゴホゴホ…。駄作と叩かれたそれがしの『北斉書』も説得力があると…。ゲッホゲホ…。風邪薬飲まないと…」
裴松之先生「当然であろう!『三国志』は俺の注釈があってこそだからな!ただし、賈詡と陸遜、テメーらゴミクズはダメだ!」 >>853
意思を持って作ることで生まれる不完全性こそが、後世での伸びしろになるからな
完璧だとそれ以上は求められないことで誰も触れず見捨てられ消滅するし
単純な能力不足での不完全性はケレン味がなく心を束縛できない
内容をある程度知った上でキャッチーな脚色をすることへの需要や魅力は、スポーツ賭博のハンデ師に近いものがある >>856
まあ都市伝説とか陰謀説の根源はこれなんだよな
この時代もそういう不完全な魅力の集合体だしな
実際の虎吉やボーボー、文宣帝がさわやかナイスガイだったかもしれんしw >>838
甲骨文字でも擁護されない夏桀王…
洛陽伽藍記でも擁護されない虎さんに似ている 甲骨文字を使った人たちが桀王を擁護する理由無くね? >>859
寧ろ甲骨文字を使った殷人からすると前代の夏の最後の桀王が暴政していなければ、殷が取って代わる正統性が無くなるから尚さら擁護できないな。 何千年も前から紂王は言われるほどひどくないんじゃね?って言ってる人が居るのが面白い
煬帝が再評価されてる所もある感じか >>862
画一的な情報統制への反発ってのもある
ネットワークが発達したから、思考能力のある人間は、押し付けられてる正義や常識を疑う機会が増えた
そこに伝統的手法(昔の寓話や史書に現代への非難を込める)が加わることも少なくない 紂王は桀王のパクリ
マリーアントワネットは司馬哀のパクリ