五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 唐の時代に『史記』の注釈書である『史記索隠』を著した司馬貞は本貫が河内郡温県であることから晋の皇族の末裔といわれている ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>2
20以下のdat落ちはないんじゃない?
以前荒らしが大量にスレ立てて既存スレ流される事件はあったはずだけど 中華で明らかに文明文化が後退した時期ってあった?
スレタイの時代ですら仏教伝搬やら色々あったけど >>9
中国に仏教が伝来したのは後漢の明帝の時代
明帝の弟である楚王劉英は中国で初めて仏教を信仰した事で知られる
あまり知られていないけど後漢の桓帝も熱心な仏教徒だった
後漢末に笮融が熱心に布教したことにより江南地域を中心に仏教が広まっていき、三国志最悪の暴君と悪名高い孫皓も仏教に帰依していた
この事から笮融ははっきり言って大悪党にもかかわらず中国に仏教を広めた功労者と評価されている 陳舜臣の小説では南北の二大危険人物として「北の呂布、南の笮融」と呼ばれていたな 実は呂布と笮融よりも裏切りがひどいのが劉備だったりする
呂布が「劉備こそ信用ならんのだ!手懐けたつもりだろうが今に後悔するぞ!」と叫び、程昱が「劉備は信用なりません。いつまでも殿の下風にいると思えませぬ。殺しておしまいなさい」と忠告したのは有名な話
果たして、曹操は劉備に裏切られて死ぬほど後悔する羽目になる 虎吉といい、中国で仏教を広めた人間は悪人ばかり
まあ玄奘もある意味狡猾な人だったしな 柴栄「仏像は仏じゃないし、もし仏なら民の困窮を救う為に自分の身を犠牲にするのを躊躇わないだろ」
何も言えんわ… >>8
ローマ式の剣は刺す用、ゲルマン式の剣は斬る用
この2つの利点を合わせたのがバスタードソード 大陸だと右手に剣や矛などの武器、左手に盾を持つスタイルだが、
日本は両手で刀や薙刀・槍を持つスタイル
こういう戦闘方法の違いはどのようにして生まれたのかな? 鮮卑の大野氏説、元は漢族の趙郡李氏だが鮮卑化した説があるな。
いずれにしろ、本人達の主張する漢族の隴西李氏というのは嘘八百で、
独孤氏だの竇氏(費野頭)だの鮮卑や匈奴の血が混じりまくっている
から、仮に祖先が漢族に繋がるとしても、普通に考えて鮮卑だよな。 >>12
じゃ劉備が聖人キャラ設定で
呂布が脱毛した類人猿扱いになったんだろ 大野姓からして異世界転生した日本人が先祖と考えられる >>17
あっちは広大な戦列でドンパチやるから攻撃の逃げ場がなく、歩兵がその場で身を守れる盾及び盾を壊すピラムが発達した
これを意に介さない弓騎兵は森に阻まれてハンガリー以西に進出できなかったのもデカい
日本はそういう戦術を使わず少数精鋭のきらいがあったから、相手を刈れるリーチや威力が優先されてる
本格的に軍団VS軍団になったときにはハジキが既に出回っていて盾じゃどうにもならなかった 陳安は左手に大刀、右手に矛
冉閔は左手に矛、右手に戟
他に両手に武器持って暴れた系いるっけ? >>13
程c「劉備は危険だから殺せ」
曹操「まあ大丈夫っしょ」
王猛「慕容垂は危険だから殺せ」
苻堅「まあ大丈夫っしょ」
天丼ギャグかな? >>27
なお、陵墓は地域のゴミ捨て場として活用されている模様 >>25
劉裕とか両手剣で真三国無双しそうなイメージだが
長刀なんだよな意外だ 劉備にしろ慕容垂にしろ殺さなかったら裏切られたってのは結果論でもあって部下のアドバイスに従ってヤバそうなやつ殺してたら他の部下にまで疑念をまき散らして結束が保てなくリスクはあるよね >>30
慕容垂は降将かつ前燕討伐の殊勲だから、徳治を自称する苻堅が手を下すのは難しいだろう
身内を信用できない以上、コケない限り忠実に働く部下は惜しい
問題は性急に攻めた結果コケるどころか爆発四散したこと
慕容垂としては、他に自立気配ある前燕皇族に先手を打たれて戦力吸収されないよう、自身も立ち上がらざるを得なかった 松井先生次回は五胡十六国でどうッスかね
この手の薄い本に使えそうなネタは五胡十六国の方が転がってるッス
https://i.imgur.com/I14jQgr.jpg >>30
王猛「だからわざわざ策に嵌めて殺すための口実作ったんだよなあ…」 >>31
寧ろよくあそこまで苻堅の面倒を見たもんだ、と思う
勿論苻堅の名声を利用する腹があったのだろうけど、それにしては・・・なんだよな
そういうところが支持された所以だと思う >>17>>23
日本と同様の島国の琉球でも『るろうに剣心』の宇水が使っていたことで有名になったローチン(短槍もしくは小刀)とティンペー(盾)という大陸式だった。 >>32
そういえば今週の話で、北畠顕家が陵王を舞ってたな >>34
なんだかんだ言っても苻堅は最後まで民や兵から慕われてたから周りの「寝込みを襲って首とっちまいましょうよ」的な行為をして自分がヘイトを買うのを恐れたと考えられる 苻堅が淝水の戦いで勝ってたとしても西燕建てた連中は裏切ってそうだよな
結構慕容垂は苦しい立場か >>37
しかしそんな事宣った慕容徳が慕容氏の中で最後まで勢力保ったという… 吐谷渾は2代目から慕容姓名乗ってないからノーカン
しかし唐の時代に唐に亡命してからは
何故か慕容姓に復帰してるのな 夏の滅亡後、赫連氏の一部は北魏に服属するのをよしとしないで吐谷渾に逃げ延びた
吐谷渾は自分達を頼ってきた赫連氏を厚遇した
この赫連氏が後に吐谷渾の大貴族の一つ吐谷渾赫連氏となる >>23
その大陸スタイルと島国スタイルが激突したのが元寇か
あと織田が武田騎馬軍団を火縄銃で壊滅させたみたく、明も火縄銃で女真の騎馬軍団をやって仕舞えば良かったのにな
紅夷砲はかなり効果的だったみたいだが 赫連ってピー音だとすげえ難しい発音みたいだけど、英語だと「helian」となってなかなかカッコいいw 日本
↓
ジーベン(中世中国語での発音、現在はリーベン)
↓
ジパング(中世イタリア語)
↓
ジャパン(英語) 苻堅を殺してしまったせいで前秦残党の抵抗強めて苻登と10年近く戦う事になったのほんとババ引いた感じだよな ババ引いたというよりも地雷踏んだ感が
しかし苻登−苻崇−苻宣と続く統一北朝前秦はみてみたかった 北中国統一維持は苻堅直系じゃないと無理だろうなあ
熟食路線では無理無理 必ずしも漢民族vs異民族という簡単な図式では語れないのよな
苻堅と王猛の主従関係もそうだし、意外に元は宋の次くらいに王朝に殉ずる臣下が多かったと言うし >>50
元が滅んだ後も北へ帰らず中原に残るモンゴル人も多かったみたいだね
理由は先祖のような過酷な遊牧生活は無理とのことで モンゴル人はチベ仏で尚武の気風を失った
明と組んで女真に抗おうとするも征服される 五胡は仏教好きだし(儒教は漢族マンセー主義だからなのもあるけど)、元や清の皇帝はチベ仏にハマるのもいるし、異民族は仏教が好きな傾向
半島は高麗が滅んでからは儒教一辺倒
日本は江戸時代に儒教が盛んになったが、神道・仏教もありバランス良く色々やね 土木の変で戦死した明軍の将軍とか本人の名前はきちんとした漢人風なんだけど、親父や祖父の名前がもろモンゴル人とかなんだよね >>53
儒教は漢民族を束ねる兵法って側面があるし、神が(漢民族の)皇帝に固定されるから、異民族は使いづらい
(楊堅が儒教どっぷりなのも、異民族然の北周既得権益を切り捨てる口実にできるから)
それに対して仏教は小乗でも大乗でも異民族を排除する要素がない上に親和性があるから馴染む
(小乗なら自己研鑽による実力主義の肯定、大乗なら衆生救済による民族間の融和が代表的) >>48
長男でも駄目だったし
というか本人が元部下に〇されているんですが
これはまともに統一できていなくて一応従っているだけで >>15
銅像は溶かして銭に変えたほうがね、、、
日本も仏像作ってそのせいで銅の毒で疫病がみたいなのもあったし
そもそも仏陀が位とか否定しているはずなんだよね
それなのに寺の格がとか、大僧正だとか座主だとか、法王だとか 銅は必須元素なので全く摂らなくても身体に悪い
銅は1万年前の人類でも加工して使っていた
スキタイみたいな遊牧民族の方が先に銅使ってる説 >>54
土木の変で戦死した呉克忠と呉古勤の兄弟の父の元の名は把都(バトゥ)で、同じく戦死した薛綬の父の元の名は脱歓(トゴン)だった。
薛綬が戦死するとオイラート兵は怒りのあまり遺体を切断したが後に薛綬が元はモンゴル人だったと知ると、「これ我が同類なり。勇建なること斯くの如くあるべし」と言って嘆き悲しんだという。 >>57
規模が大きくなると、宗教も組織化しなければならなくなる
特にテッペンがいる場合は権能ごとに神性を分けたり箔付け要員が >>60途中送信しちゃった
>>57
規模が大きくなると、宗教も組織化しなければならなくなる
特にテッペンがいる場合は権能ごとに神性を分けたり箔付け要員を置いて序列を作ったりする必要がある
そうじゃないとテッペン以外等しく虫けらだから信仰が細まっていくのが不可避だし、最終的にテッペンが反逆されて崩壊(宗教色が変動する儒教がまさにそれ)に至る
日本の場合は最初からヒンドゥーと習合した後のが伝わってきていて、後からも密教のような完成度の高いものが唐から渡ってきた以上、階級が最初からあるのは仕方ない >>15
柴栄は自分で前線に出て戦うし英雄だと思うけど部下にはなりたくない典型だよねw
今の世の中生きてたら若手のイケイケ系の経営者なんだろうなぁ
自分にも厳しいけど部下にもめっちゃ厳しい 元の支配を経験して筈なのに清の支配はあっさり受け入れてる漢人
それだけ明末の悪政が酷かったのもあるか
ちなみに人口は漢人1億5千人と満州人100万程度 何せ明朝三百年、開創以来皇帝達に虐められ根性がねじ曲がり目下を虐め賄賂を求める官人達がドルゴンの支配と共にほぼ一斉に回れ右だからな。
無論、逆らうと首が飛ぶが一番デカい理由だがそれでも明への未練は袁崇煥の末路を目の当たりにしたら醒める訳で。 明末漢人勢力が史実より粘って持ち堪えると三国鼎立とか南北対立みたいな状態が長く続いて
大陸=統一イメージが大幅に後退するだろうから中国史がえらいことになりそう 王敦って王祥をいじめたり毒殺しようとしたり生の淡水魚食わされた継母の子孫なんですね 王祥が別駕として徐州刺史呂虔に仕えていた時のこと
呂虔は相応しくない者が所有すると大いなる災いをもたらすという恐ろしい魔剣を所有していたので知られていた
王祥の仕事っぷりを高く評価した呂虔は魔剣を手に取るやこう言った
「この剣は相応しくない者に災いをもたらす。しかし、貴方は三公になれる器量をお持ちだ。この剣に相応しいので差し上げようと思う」
王祥は三公など畏れ多いと断ったのだが、呂虔があまりに熱心に勧めるものだから仕方なく受け取った
果たして、呂虔が見込んだ通り、王祥は三公の一つである太保まで登り詰めたのであった >>72
魏は太保を置かなかったけど、晋になって太保を復活させている
なお、王祥は魏の時代に三公の一つである司空と太尉を歴任している >>73
晋は八公を置いたが太宰、太傅、太保は上公とされ三公の上で、三公は太尉、司徒、司空
だから王祥は魏で三公になったが、晋の太保は三公よりエライので三公扱いは不適当だ
ついでに曹魏から晋初にかけては大司馬、大将軍は三公の下であったが武帝の間に三公の上に戻された >>66
よりによって魏晋南北朝スレでそんなこと言う? >>75
明の話題ばっかの奴は、正徳帝を妊娠させる薬を作った拓文遠と判断するといい 始皇帝から溥儀まででヘリオガバルス並みのhen Taiいる? 海陵王ぐらいしか知らん
幼女とその母親交えた乱行PTやっていた むしろ始皇帝を激怒させた
ママン趙姫とチン芸偽宦官嫪毐の密通レベルの
スキャンダルのほうが >>78
五胡十六国時代に姉弟丼を食べた皇帝がいるらしいぜ >>77
ローマ帝国皇帝はネコが多いイメージ
中華皇帝(五胡含む)は圧倒的タチが多くて
極稀にいる少数のネコは奇特な変態扱い 中韓人って今でも犬猫を食べるの?
日本も江戸時代までは犬食べてたけど >>83
『はだしのゲン』を読んだことないのか?
敗戦直後の日本で軍人が野良犬を斬って肉を食う描写あったぞ。 >>80
???「我が従兄弟の生だな、けしからん!」 >>83
犬は少なくとも6年前までは食ってた
湖北省の長沙に仕事で行ってたけど普通に肉屋で出てた
くっさい中華飯の中で一番クセがなくて美味いまであった >>83
生類憐みの令で食べなくなっただけで、基本犬は普通に食べていた
戦前は飢えていたんだから、犬がいれば食べちゃう
基本、ご飯だけの食事を銀シャリと呼んで憧れるレベルなんだし この頑なにスレ違いのネタやる奴と餌与える奴はなんなんだろうな >>87
真面目な話、王猛にとって符堅ってどこまで許される存在だったんだろうな
とりあえず「南征大好きオジサン」属性は嫌いだったようだが 南征も仮に当時の東晋が末期孫呉とか末期陳なら「桀紂を放伐して暴政に苦しむ民を救う事こそ天子の仕事ですぞ」とか言って煽り立てるんじゃねえの
それか自ら遠征軍の指揮を買ってでるか 379年に広陵侵攻軍が壊滅させられてるのになんであんなに謝玄のこと舐め腐ってたんだろう
桓沖のことは高評価だったのに >>82
スレ違いだが趙伯jは猫のおかげで皇帝になれたので
一生猫に頭が上がらないある意味猫プレイ 慕容垂だけじゃなくて前燕連中までも抱えたら成功しても火種がずっとある状態だろうに >>95
だからこそ功を焦ったというのを前スレとか前々スレでも挙がってたね
符堅を裏切りたくて裏切ったわけでもない、嵌めたいわけでもないというのが伺える内容だった >>93
彭超にガチギレして自殺に追い込んでるあたり謝玄が強いんじゃなくて彭超がやらかしたと思ってたんじゃね
謝安のコネで北府軍率いてるだけの雑魚に負けやがってと思ってたらソイツが普通に有能だったという >>91
罰せられはしないけど進言も遺言も聞いてくれなかったりで
だけど劉備と諸葛亮の関係に近いと思う まあ王猛は「孔明?子房や蕭何や鄧禹に例えてくれや」とか言いそう これ住めねぇよな
当時の長城外がこんな気温ならそら死ぬ気で漢土に攻め込むし定住して「出てけ」つってもそら出ていかんわ
https://i.imgur.com/wSLRrah.jpg >>104
当時も長江が凍った話もあるしモンゴル・トルキスタンだと氷点下数十度行ってたかもしれんな 漢人に住めと言われて住んだら居心地良く子沢山に
結果人口増えて侮れない勢力になったから出てけ
ざけんな、だよなあ >>106
現在の難民移民問題を先取りしているなぁ
板違いの意見ですまぬ >>102
北方民族が好んで、周王の呼び方でもあった天王を日本が真似て 北魏の鮮卑族たちも一部日本に来てたのかな?
南朝の漢族は確実に来日してるけど >>111
自称ならいそう
最も日本は北魏に似ている話もあるから
トンデモ説では天皇が鮮卑 天孫降臨とか八岐大蛇とか天岩戸の話のルーツっぽいのなんて中国にも半島にも五胡にも無さそうだけれど… >>106
川口蕨のクルド人みてると笑い事で済まないところまで来ている
人間でない魔族だと思ってゾルトラークするしか解決方法が無い >>114
異文化との関りはそうなるんだよ
クルド人がどんなに酷いとしてもクルド人はクルド人の中にいたがるし いつの時代でもどの国でも、民族浄化や差別に走りたがる奴は大勢いるが大抵はろくなことにならないんだよなあ
「ユダヤ人もスラブ人も滅ぼせ。アーリア人こそ至高!」ってほざいてたらソ連にベルリン落とされた挙句国を分割されたナチスとか「鬼畜米英から植民地を解放せよ!」とかほざいてたら原爆二発落とされて以降アメリカのポチやってる日本みたいな例もあるし >>113
中国神話には"相柳"という八岐大蛇に似た怪物が存在する。 >>117
そりゃ、皆丸しにしようとすれば、徹底的に抵抗するだろうし
内部でも見なまるしはちょっとって抵抗する奴等も出てくるし
石器時代ぐらいなら、敵対勢力の男はみなまるしとかよくあったけど
少し馬くやって、宗教や民族でなく別の理由とかでやればなんとか
例えば、窃盗で手足を切断するなんて残酷だと言って
だから、窃盗犯の手足の切断に賛成した人間の手足を切断するみたいな >>118
そりゃ、はっきりとか色々な言葉が中国語由来らしいし
日本語も、中国人が作った言語かもしれないし
親って言葉も老人のラオみたいなのの、語頭の裸形が発音できなくてとか説も 中国でも四声とかで漢と韓が両方ハンだけど第四声だから違う音みたいなのとか
方言によっては八声とかあってそれを上手く共通語作るために
ほぼ母音で止めて抑揚のない日本語を原住民の語彙を取り入れたりして作った地 >>117
インディアン絶滅未遂のアメリカと現代のホロコーストやってるイスラエルは勝ち組だけどな >>122
成功すると邪魔な連中が消えるからね
そもそも銃があるからインディアン撲滅できたともいえるし
現在も生き残りがいるから絶滅をそれでもさせられなかったといえる
どうでもいいけどゲームでも映画でも文明崩壊後の世界で
アメリカは普通に重火器や弾薬はあるんだよなあ
場合によってはパソコンすら
もうこれらが手に入らないって感覚がないのとあったらもう確実に勝てないからな 日本も新日本人が旧日本人を追い込んで絶滅間際状態にしてるし >>122
比較的勝ち組のソイツらでもクソ面倒臭い禍根は死ぬほど残ってるやんけ
マイノリティを排除したいって欲望は共同体の本能みたいなものだし、知性も教養もないバカな大衆はその本能に流されて暴走しがちだが、そうやって行動した結果が正解であることは稀って話よ 皇族と貴族を全員処刑したと記録されていても
本物か不明だけど自称子孫はあちこちから出てくるし
する側の能力的にも、中々むずかしいんだろうね
ハエやゴキブリも毎日丸されているのに全然絶滅しないし >>126
仮に何も罰せられなくて、することが可能ならば、
〇〇人を皆〇しにしたいって者は、世の中に数多くいるからね
今アニメやっている即死チートが手に入ったら即使うようなのがゴロゴロ その極北がエレン・イェーガーだな
生きてる奴らマジで問答無用に一匹残らず駆逐しようとしたし
結果的に人類の8割が死滅したし >>129
ネトウヨとかが過去を美化するから日本人を〇したい人間が
億単位でいるんだよなあ、、、 冉閔は天王だっけ?
東晋に帰順せず独自年号だしこの人何やりたがったのかさっぱり >>120
日本語はウラル・アルタイ語族だからどちらかというとモンゴル語に近い
中国語はシナ・チベット語族 >>127
今の日本の皇室は北朝の系統だけど、南朝(後南朝)の末裔っているの? >>133
第二次大戦後に南朝の末裔を名乗った熊沢天皇こと熊沢寛道が子無しで没したので現在、公式には南朝の末裔はいないとされている。 >>133
遺伝子的に男系子孫がいてもおかしくないけど当然皇位継承権など持ち合わせない
>>134
熊沢さん自身が非公認の人では >>133
>>135
DNA鑑定したら今の天皇も、、、 >>134
但し寛道と対立した親類や寛道の親父の代で喧嘩別れした親族が
平成の初め頃に「南朝皇胤の当主を継承した」と称し、中には「女帝」になったのもいたそうで
熊沢系皇胤は全てが断絶した訳ではない。
また熊沢系以外の自称南朝皇胤もいるにはいる。ただ当然ながら熊沢を含め彼らが真正の南朝天皇の末裔かどうかは不詳。 >>136
どう鑑定するの?
神武天皇の遺伝子サンプルでもあるの? >>138
過去の天皇または皇族から分かれた男系男子の誰かとDNA鑑定をして
恐らく違っているだろうから、、、
妻の子が夫の子である確率が80%でも孫は64% 田中芳樹「蘭陵王」Kindle化
この頃はガイエ先生はまだ劣化してない頃なんで読み物としては面白い。文宣帝のテンプレを超えたらウルトラ暴虐描写の出典を確認しながら読んでるとさらなる暴虐ネタが飛び出して読みすすめるのに難儀するんは困った >>139
で、皇族から分かれた男系男子とやらが純血(?)である確率は? 五胡十六国"南北朝"を語るスレ
なので熊沢天皇の話は微妙にスレ違いにならないという・・・ いやそれならば日本の南北朝と五胡時代との関連性を語ってくれたらなあと
当時の皇室や朝廷の習俗への五胡十六国の習俗か及ぼした影響とか 定説がない状態かつカオスな部分が盛り上がりの要因のひとつだから
今の世界情勢がカオスで盛り上がってる以上、元々詳しく書いてた層がそっちに流れてる印象ある >>141
孔子の子孫も何系統か調べて遺伝子違っているのもいるけど
多数派が多分そうだから 淝水の戦いのインパクトが大きすぎて忘れられがちだけど桓沖と姚萇、慕容垂の戦いも結構熱くね? >>141
墓あばけば一発よ
>>148
桓沖と朱序の粘りがなかったら西から落とされてただろうな >>131
冉閔は東晋に共闘を持ちかけたけど全く相手にされなかった
それどころか東晋に失地回復のチャンスとばかりに攻撃される始末だった
冉閔は東晋は永嘉の乱で皇族をはじめ多くの人を虐殺した石氏を滅ぼした漢人の自分と喜んで共闘してくれると思っていたんだろうけど
東晋にとって冉閔は永嘉の乱で皇族をはじめ多くの人を虐殺した憎き石虎の養孫でしかなかったのが、冉閔最大の誤算だった >>150
前燕みたいに王止まりにして臣従してりゃまだ救いはあったんだがな
不倶戴天理解せず天を騙り胡殺令で全方位をドン引きさせるあたり、所詮は乞活→武官っていうチャランポランな育ち方をした武辺者の範疇だったかという感じ
天を名乗らず屈服してりゃ前燕や代のような異民族すら存在を許されたというのに、あまりにも愚かで身勝手に突っ走りすぎた 晋期三大“結局おめえ何したかったの?”
・司馬倫
・キン準
・冉閔 >>152
司馬倫「孫秀が悪いよ孫秀が」
靳準「晩年劉聡と劉粲にちょっと隙がありすぎた」
冉閔「だって俺のこと皇太子にしてくれなかったし俺に勝てる奴誰もいなさそうだったし」 >>150
日本がシンカイを見習えでどんびかれされたようなものか
>>151
光武帝みたいに代わりにぎゃくさつしてくれる奴を
やったことを叱るが罰せず降格もさせないってやり方がいいのかね >>153
趙庶人は、兄の孫から帝位を奪わずに
形式的には、恵帝を残したままにして、帝の命だとしてやっていればなあ >>153
趙庶人は、兄の孫から帝位を奪わずに
形式的には、恵帝を残したままにして、帝の命だとしてやっていればなあ
でも、歴史上初の生きている太上皇が誕生したか >>141
実際に調べたらしい記録で
天皇?は、父が縄文系で、母が弥生系だけど
文化的には弥生系で、縄文系を見下してというか敵対感覚らしい
周も王族と国民で遺伝子が違っていて
王族は匈奴と同じ遺伝子だったとか >>158
いや、男系の遺伝子がすり替わってないかは
天皇の子孫らしい家の大半が同一だったらまあ子孫かぐらいで >>158
いや、男系の遺伝子がすり替わってないかは
天皇の子孫らしい家の大半が同一だったらまあ子孫かぐらいで 川名は日本人からイジメを受けたと主張しているが
本当に生理臭がウンコ臭かっただけらしい >>154
呉漢は色々特殊すぎるわ
主君の意向に背き虐殺を働いたりするけど私欲がなく仕事一筋で忠誠心に厚いとかコイツくらいだろ 騎馬民族征服王朝説くんの新しい日本毀損方法のデモンストレーションか >>164
代わりにぎゃくさつしてくれて、しかも自分は叱っているから非難されない
ただし、左遷も降格も軽い処罰さえしないのは、、、
>>165
日本人は、どう頑張っても支配者の言語を覚えてくれないから
完全に上位の支配者の外国人が日本語を仕方なく覚えるレベルだから、、、 >>165
その説の証明は難しいけど
他の仮説と同じぐらいの信頼度扱いしてもいいのに異様に否定する
日本語と韓国語が同一祖先ということも学会は徹底的に否定
基礎語彙が違うだけなのにな >>156
禅譲の口上書いてるの陸機だからな
司馬倫自体が老齢だからと性急に地盤固めしたい担ぎ手の意向を感じる
>>167
それ既に近代韓国語自体が日本製だって論破されてただろうに・・・ 司馬倫は孫秀の口車に乗せらて最後にでかい花火打ち上げてやろうって考えはまだ理解はできるんだよ
何したかったんだ感は司馬穎の方が強い
司馬倫と違って人望や人材はいたから余計に質悪い 司馬頴の棺を掘り出して馬車に乗せて転戦した桑汲はもっと訳わからない
そして、姜維に開明王という諡を捧げて神として信仰していた宇文泰に至ってはもはや意味不明 宇文泰はなんかしらんけど蜀漢すきだったんでしょ。劉亮の件とか。ほんで郷土(関中)の偉人を顕彰的な?
八王のクソバカと並べるのはかわいそうだからやめろ その手のだったら司馬越が司馬乂殺した経緯もだいぶ酷いな
勝てる戦を早とちりして負け確とみなした挙句裏切るとかさあ… >>164
創作じゃ美味しいキャラなのに何故かあんま食いつかないよな呉漢って >>173
ぶっちゃけ主君の光武帝自体があんまり… キャラで言うなら五胡の連中の方がよほど立ってるもんな 張方「あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ!『長沙王が強すぎて我らに勝ち目はないと撤退しようとしていたら、いつのまにか東海王が長沙王を縛り上げて降伏していた』」
張方「な…、何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…。頭がどうにかなりそうだった…。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ」
張方「もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」 >>175
劉淵、石勒、石虎、冉閔、慕容恪、桓温、苻堅、姚萇、慕容垂、拓跋珪、赫連勃勃、劉裕とキャラだけなら新末後漢初どころか三国時代よりも濃いと思うんだけどなあ五胡十六国
あとビッグネーム同士の激突も頻繁に起こるし >>177
その2つと比較すると年数自体も長いからな
鐙という革新的な開発もあるにも関わらず知名度や認識が疎いのは
ステレオタイプと八王の乱、異民族ルーツバレ隠蔽の三位一体による阻害が悪さしてる印象 >>164
私欲が無いのに劉秀の味方や領土でも
掠奪凌辱三昧とかサイコパス過ぎる
よく劉秀に腰斬にされなかったものだ >>179
最初は「武」が諡に決定されたのに光武帝が直々に「忠」に変えたってエピソードも残ってるしなあ
光武帝への忠誠心は間違いなく本物っぽいんだが… ???「お前ら攻めてきたのが俺でよかったな!呉漢なら殺されてたぞ」 >>181
司馬昭「調子こいて独断専行してんじゃねえぞカス」 >>181
なお、この発言を聞かされた蜀の人々に「あいつは教養のない田舎者だ」と嘲笑された模様……
合掌…… >>182
僭称皇帝の阿斗を勝手に王に据えた辺りに感覚麻痺を感じる
たかだか方面軍指揮官程度でここまで弾けた独断専行は、後の時代でもない
まあ60過ぎまで下働きが続き、小僧の指揮下で望外の成果を上げちゃったんだから分からなくもないが >>182
でも息子の炎は鄧艾の遺族取り立ててるんスよね
炎は頼りない(息子の恵帝司馬衷同様)とこあるけどこう言う「親父の過去の汚点」を償おうとする姿勢は後の八王や初期の五胡の暴君ムーヴみてるとホッとするわ >>183
鍾会を田舎者と笑ってた蜀の人々はその後の時代ほぼ田舎者扱いで
終いには約1400年後には屠蜀でほぼ絶滅させられた模様……
合掌…… >>185
司馬昭は送還しただけだからなあ
どさくさで殺った衛瓘が悪いよ
賈后「汚点は私が消しましたわ!」 と言うか西晋とか後趙とか劉宋とか
皇室同士殺し合うってのが大杉
特に後趙はポスト石虎がコロコロ変わるほどだったし 劉宋が衰退した原因に皇族同士が殺し合った事が真っ先に挙げられてんだよな
劉宋の皇族がまるで共食いのように殺し合ったのは悪い意味で有名だったようで、南斉の蕭道成は「劉宋と同じ轍を踏んではならぬ」と厳しく戒めている
なお、劉裕の子息は飲んだくれだった末子以外は、まるで東晋の恭帝に呪われたかのように悲惨な末路を遂げている >>191
傍から見てるのと実際に執るので乖離が酷いからな
好き放題やった結果滅んだんだろjk→なんやこのがんじからめのマゾプレイ…てな具合
これは現代でも通じてる
例えば日本のイメージでは北方領土は不当占拠だが、実際はサンフランシスコ平和条約で日本の権利を破棄させられてる
にも関わらずカエセカエセっていう世論に「実情教えずに」対応しなきゃいけない外務省とか >>191
その戒めも結局馬耳東風だったようで
前王朝と五十歩百歩な修羅場に成り果てた
そして半世紀君臨する皇帝菩薩爆誕… >>196
当時の成都は辺境なだけで結構な都市だし…
嶺南あたりはまだまだ未開 劉宋の場合、一族が兵権を持ったのが敗因とされているね。武の人だからなあ、結局頼れるのがそれしかないと思ったのかも。
姉さん女房とか劉穆之みたいなそういう指摘をしてくれる人が早世しているのが悔やまれるね。 >>198
身を立てる手段が武しかなく実権は王謝のもんだから、遅かれ早かれ起こっていたこと
桓玄潰した後の行動なんて、ただただ桓温の実績を超えるための儀式的行為ばかりで、劉裕自身の熱意や洛陽長安を維持する気概が見えない
言葉は悪いが、力だけあるが他が薄っぺらすぎた 真・五胡十六国南北朝無双
とかいうゲーム作って
淝水の戦いを劉裕でプレイして
主だった前秦武将を全て討ち取ってみたい >>198
結局劉裕は項羽や呂布に猿知恵を足しただけと言うか 劉裕ってチャンバラ強かったのか?
匹夫の勇とも言うがw 出自から考えるに個人的な武勇も相当あるんじゃね
そうでないとのし上がれない >>199
赫連夏がヒャッハーし始めた途端長安落とされんのホンマ… >>205
ちゃんと通しで読んでから書き込もう 誤字もやめてくれ 劉裕が長安を陥落させた後のこと。夏の赫連勃勃に和親を求める使者を立てた。
使者からの書状を読んだ勃勃は名文家として名高い中書侍郎の皇甫徽を召して雷のような大声で命じた。
「おい、貴様の名文を見込んで頼みがある。机と紙と筆を用意してやったから今すぐ返答を書け!俺様が暗記できるよう工夫しろ!」
皇甫徽は机に向き合うと筆を執って勢いよく書き出した「陛下、これでいかがですかな?暗記できるよう要点をまとめてあります」
勃勃はひったくるや一通り目を通した。そして、皇甫徽の手をとって感謝した
「素晴らしい返答だ!さすがは俺様が見込んだだけある!劉裕の野郎に一泡吹かせられるわ!」
翌日、劉裕の使者を引見した赫連勃勃は神妙な顔をして
「ご使者、遠路はるばるご苦労である。私は何分無学だ。口頭で言ったことを書記官に記録させる。これを劉裕殿の返答としたい」
と告げた。そして、勃勃は皇甫徽が書いて暗記した内容を滔々と述べた。書記官が記録したものを返答として使者に持ち帰らせた。
劉裕は赫連勃勃の返答を読むと唸り声をあげた。
「赫連勃勃は血生臭い野蛮な男と思っていたが…。このような素晴らしい見識を澱みなく言えるとは。赫連勃勃、つくづく只者ではない!」
これ以降、劉裕は赫連勃勃に一目を置くようになったという。 赫連勃勃は家柄、美貌、武勇、カリスマ、悲劇性があって頭まできれるのか
これもう完全に主人公じゃん…… >>207
単なる暴君じゃないところが赫連勃勃の一筋縄ではいかないところ
しかしまあ、部下にカンペを作らせるってw >>202
孫恩〜桓玄討伐あたりまでは長刀振り回して大暴れしてるな
晩年は金創に苦しんだとか 赫連勃勃は姚興だけではなく劉裕までも魅了したのかよ
きっと拓跋嗣もそうなんだろうな お前たちのせいで「興」がそういうかたちに見えてきたぞ >>210
オフレッサーが時代と合致したパターンといえる>劉裕
政治能力クズではあるけど本人はそれをしないから大丈夫だし >>216
戦争での謀や勘所はいいのでまるきり脳筋ではなさそうだが、折衝や事務は劉穆之以下に投げてたでいいのかね >>218
それじゃヤンの頭脳のあるオフレッサーやんけ
嫌すぎんぞ >>208
しかし人として決定的な何かに欠けていた・・・それが劉勃勃こと赫連勃勃という男 降将の王買徳に「あなたは後秦に及ばない。力を蓄え時期を待つのが上策かと」と痛いところを突かれても喜んで軍師中郎将に任命して諫言に素直に耳を傾けたり
マジキチな叱干阿利に命を救ってもらった恩義を忘れずに重用したりと
赫連勃勃にも数少ない美点はあるんだけどねw 王買コ諫曰:「明王之行師也,軌物以コ,不以暴。且熾磐我之與國,新遭大喪,今若伐之,豈所謂乘理而動,上感靈和之義乎!苟恃眾力,因人喪難,匹夫猶恥為之,而況萬乘哉!」勃勃曰:「甚善。微卿,朕安聞此言!」
ここ最高に意味不明で好き とりあえず中国一般社会の中で徳がありそうな行いを勧めたら喜ぶってか。
みんなに認められたい野蛮人みたい 王買徳
「人の喪に付け入るのは万乗の君のすることではない
石勒や石虎みたいな残虐非道の君のすることである」
赫連勃勃もあまり変わらんと思うが・・・ 五胡十六国南北朝スレで赫連勃勃が話題になる程度のことは当たり前なのではないのか 明とか清とかローマ(しかもどれも政体や共通点ではなく強弱談義など)で荒れるよりよほどKENZENだからな
しかも南北朝に移行前に起きた最期のドでかい花火だし >>224
意外にも勃勃は石虎のように降伏した城の民衆を大量虐殺したり生き埋めにしたりしていないんだよな
生かした方が役に立つと考えて金品や食糧や牛馬と共に略奪して統万城まで強制連行している >>229
しかし石虎も具体的に埋めたって書かれてるのは前趙の兵士と屠各の人らくらい?
鄴とか落としてるけど桃豹あたりが普通に統治してるし、石虎に降伏してる城や砦は多いし実態はどんなもんだったんだろうねえ >>229
ブリヤード共和国の発掘で分かるとおり、昔から匈奴は奴隷として他民族を使役する文化を持ってる
それを弁えているからこそ連れ去ってオモチャにするわけ
後の北方民族の鍛鉄奴隷に通ずるものがある 白起さんや西楚の覇王さまの生き埋めはその後のヘイト感情(その後反泰感情や反項羽感情が爆発)の高まりを見るにある程度の誇張はあるにしても相当数の虐殺があった事は想像できるけど、石勒や石虎の虐殺って趙人自体が憎まれたりするレベルまではいってないのでかなり誇張されてて実際はそこまでやってないのではと考えられる
せいぜいが司馬越の軍民の皆殺しとバンジージャンプ事件くらい >>229
>>231
人間が資産になる時代だからね
工業力も今とは比較にならないほど低いから殆どは人力に頼らざるをえないし >>232
司馬越残党の下りは晋の諸王だけで数十人殺ってるからな
冉閔から逃げた石氏が東晋に皆殺しにされるくらいには憎まれてると思うよ
姚襄や苻宏あたりでも一応は受け入れられてるのにさ >>234
軍勢持ったまま降ってるからな
下手に殺そうとしようものなら数万の戦闘員が敵に回ることになる
対して石氏が逃げ延びた時には内乱と冉閔による殺戮でほぼ軍勢は残ってない
そんな状態の人間を庇う義理はないということ >>229
気に入らなくても官僚がいないと行政まわらないから 石勒と石虎の子孫が誰一人として畳の上で死ねなかったのが恐ろしいよな
なんていうか虐殺した報いというかなんというか 悪因悪果なんだ
苻堅や王猛の子孫が東晋や北魏で優遇されてるのとは対象的なんだ 石琨だったっけ東晋に降り処刑されたのは
誰か劉琨だと勘違いして救う手立て無かったのか >>235
それじゃおとなしく帰順してる姚襄をいびり倒した挙句返り討ちにされた殷浩と謝万がバカみたいじゃないですか!
>>239
石氏を劉琨扱いなんかしたら墓から出てきた祖逖にぶち殺される >>238
王猛は元々漢族だし…
あと苻宏の場合はまだ前秦の勢力が各地に残ってしかも皇太子だからな。存在そのものが前秦残党の正統性の脅威になりうる奴を殺すのはいくらなんでももったいない 改めてみると後秦は前秦残党との戦いに時間かけられすぎだな
いや苻登の粘りが凄まじいと言うべきかw 東晋の「(漢族ながら趙に与していた)冉閔すら敵視した」趙アレルギーとか
「魏書」での上記に加えた病的なまでの他国へのディスりぶり
(特に東晋含めた南朝に対しては先天的基地外扱い)
とか見てると
それ以外での
当事国が相手国をどう見てたかの事例は? >>232
趙人というよりも羯族なんだけど
五胡のうち唯一族滅規模の殲滅で民族消滅してるのが羯族というのが全て
他の五胡は漢民族に融合して知らぬ間に消滅してるのに 講談社の中国の歴史シリーズの春秋戦国の巻で、表紙裏に地図があり、考古学が明らかにした文化圏が書いてある。この文化圏の範囲に合わせて、春秋戦国の国が立ったという。この文化圏の1つの大きさが、人が国を作るときの標準サイズだろう。 十六国のうち、益州を本拠にしたのは、成漢だけだ。以降は、荊州から西に進んだ東晋が併合するか、関中から南下した国が併合するかである。成漢は、再現性がない国なんだ。 >>247
十六国外なら幾つか益州本拠の短期泡沫政権有るけど 前燕は、慕容暐が皇帝のとき、前燕に滅ぼされた。国こそ滅ぼされたが、人材は前秦に取り込まれた。旧前燕の勢力は、健在だ。 仇池は益州でオッケー?
オッケーなら前秦に滅ぼされた期間以外ずっと維持された益州の長期政権ってことになるが 張蜀(374年)
譙蜀(405-413年)
程蜀(432-437年) 皇帝一人もいないんだよなあ
そもそも譙蜀以外国家と言っていいのか…? 段灼がケ艾の名誉回復のための上奏が面白い
「ケ艾は強情で性急で、上に対しても下に対してもその気持ちを害するような奴だったので、誰も擁護してくれなかったのです。全く残念なことですなぁ」
お前もその部下の一人だったけど、内心そう思ってたのか…ってツッコミはともかく、反逆者のレッテルは剥がされただけ魏延よりはマシかも知れん >>257
お前の父ちゃんの判断ミスだ!ってことになるから多少は婉曲に言わんとね
協調性が高そうではないけど 3年前にコロナは茶番って言ってたら、周りから陰謀論者扱いされたな。でも、結局コロナは茶番でした。 一年の計は元旦にありって言うけど、大地震は衝撃的でした。
今年は備えよと言う教訓かも知れませんね。😢 段灼は晋書に伝あるのに
伝の内容のほとんどが上奏文でワロタw 司馬昭とケ艾の軍事行動と徙民が鮮卑乞伏・禿髪部や羌姚氏の動向に重大な影響を与えていて興味深い
問題は西晋前期ぐらいまでは諸部落の区別が雑なんだよな 鄧艾の作った軍事施設が結構な足止めになってたらしいの >>262
少なくとも拓跋が北魏を名乗る原因を作ったのは司馬昭
匈奴のかわりの北方異民族として利用したうえ、八王末期には大単于すら与えてしまった
漢民族の甘い汁を吸いながらも中身のド腐れをしらなかったが故に、勃興から衰退、滅亡もああいう流れになったと
あと部族の区分けがはっきりしないのは、辺境のモヒカン野郎ってくくりでしかなく、細分化する必要が薄かったのがデカいかと
それが外交対象になったり王朝立てたり民族ごと移動したりで分けざるを得なくなった 司馬攸と司馬衷は一回りぐらいしか歳離れてないのか
息子が暗愚で弟が人望も能力もあって元々の本家筋となったら兄貴の司馬炎も警戒するわな >>264
司馬昭は力微のころで流石に責任を押し付けるのはちと無理がある
拓跋部を大単于にしたのなんて司馬越のころだし
オルドスから涼州方面の鮮卑・羌を移住させて対蜀戦線で使い倒したのはアカンかったけど
それにしたって羌胡(多分鮮卑)はひどいよ… >>265
無能な暗愚なほうが貴族にとって都合いいのに、司馬炎自身が貴族に白い目で見られるようなチョンボしたのも痛い
強権君主に縛られるのが嫌だ、っていう貴族に担がれて禅譲できたくせに、開口一番に贅沢禁止令(皇帝と貴族の生活水準の差別化)という空気の読めなさ
貴族としての教養はあったと思われるが人心掌握や洞察はてんでダメだった 拓跋力微とか劉豹とか
この時代の胡族は極めて長命
寒冷化で飢饉多発してたのに
もしかして宇宙人なのかw >>268
単純に正当性主張のための後付け延命
劉淵は劉豹ではなく劉宣の子供なのが濃厚 劉淵が決起する場面も劉宣が劉淵の実父だとしたら辻褄があうしな >>270
劉淵が匈奴連中のヒャッハーを抑えきれなくなるなるのも、劉宣の死とタイミングが重なる 劉宣が実父ならなんで即位しなかったの?劉淵2代目でええやん >>273
キン準や石勒、姚弋仲の論理でわかるとおり、本来異民族は皇帝になれないっていう鉄則があった
しかも後述する裏切りの前は、匈奴劉氏は簒奪の計画もなく名乗る動機もない
あくまで西晋の枠組みで生き残るムーブだった
それが本物の漢室劉氏である劉コンを近所に当てつけとして置き、劉淵の勢力を引き抜かせるって暴挙をしたあげく
大単于なんて称号を拓跋ごときに使わせて敵対させた
西晋で生き残る道を念入りに潰されたからこそ、冒頓単于を利用して皇帝号を名乗り、独立せざるを得なくなったわけ
恭順の意思が憎悪に振り切れて、滅晋大将軍になるのも無理はない しかし滅晋大将軍とか平晋将軍とか何回見ても笑うわ
こんなヘイト丸出しの将軍号名乗らせてヒャッハーすんなとか無茶や >>274
言いたかったのは304年に子の劉淵が漢王に即位し、父の劉宣が丞相に任じられたのはなぜかということ
劉宣が実父ならそっちが即位するでしょう
丞相として政治に参画していたようだから高齢で耐えられないというのもなさそうだし
そもそも漢文化に明るい劉淵が父を臣下にするようなアホな事するとは思えん 西晋は2重にも3重にも厳重に滅びの道を進むようになってる気がするわ
結果的に内乱からの異民族で滅んだけど劉淵の漢趙王朝を何とかしても次は地方軍閥が力持って終わってそう >>226
むしろシャニマスの幽谷霧子とコラボで
赫・連・勃・勃 汲古書院から昭明太子・簡文帝・元帝を扱った本が出てるけど文学史メインか…
高いし悩む これッスか
https://books.rakuten.co.jp/rb/17819624/#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E6%A2%81%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C,%E5%91%BD%E3%81%98%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 >>276
304年時点で漢王を名乗ったのは、4年以上も司馬穎に酷使されて部下の怒りが爆発寸前だったのが大きい
一般的に戦争継続限界は3〜5年であり、それ以上経つと厭戦や不平不満で組織が崩れていく
しかも劉淵の部下の殆どが漢民族の教養を持ってないヒャッハー軍団なのに、本分である略奪もできずに使われていた
このままだと分裂・内乱待ったなしだし、酷使してきた西晋への憎悪が爆発して全てを敵に回しかねない
それをどうにか押しとどめなければならないため、体裁上の独立として漢王を称した
(あくまで王であるため皇帝と不倶戴天ではないが、西晋のラジコンではなく独自に行動するという絶妙な位置)
んで独立で押しとどめなきゃいけないのが、怒り狂ったヒャッハー軍団であるというのがポイント
力こそ全てって思想の軍団かつそれが先鋭化してる
劉宣は取り立ての逸話や劉淵との関係を鑑みると、既に70後半〜80とおぼしき老人
匈奴を治めていたとはいえ、後世において文弱と呼ばれる育ちをしていて、部下はすんなり付き従わない
となると今まで軍を率いて武威を見せてきた劉淵がトップにならざるを得ないわけ
でも劉淵にとって劉宣の存在は非常にデカいから、丞相や中外諸軍事、右賢王など様々な肩書を付けて
劉宣があらゆる行動に対して劉淵に影響を及ぼせる建前を作ったが
劉宣死後は度重なる西晋の不義理も相まって、自他ともに衝動を抑えることができず覇道を突き進まなくなった、という流れ
因みに劉宣が羌渠の子だと120歳以上生きたことになるため、ソッチ準拠だと更におかしくなるというおまけつき 追記
そもそも匈奴が漢の地に居座ることになったのは
ろくな見返りもないのに漢に軍勢を送るなどして忠義を尽くした羌渠が、身内の不満を抑えられず殺されたから
というのも忘れてはいけない要素
これで冒頓直系のオフラや呼厨泉が漢に助けを求め、呼厨泉に至っては故地に戻れないまま漢の駒になった
免官されるまでは呼厨泉の立場だったが、司馬穎拾われてから独立前までは羌渠の立場に立たされていたというのが劉淵
因果は巡る ああわかったぞ
歴史の真髄とかいうデタラメブログに踊らされたクチか
ガバガバすぎて論にも何にもなってねえよ >>283
論すら出せない輩の分際で謎の敵視
しかも藁人形論法
あいにく、このスレは寝たきりになった海原雄山に給仕するためのもんじゃないってのを知っておけ 要するに昔の有名人は長生きなんだよ
きちんと証人や記録がない限りは 何にしろ当時の伝統的な刑法を優しい方向に改正したことは興味深い。 真心がなければ、どうして損得抜きで来ようと思うでしょうか。 僕は騒動前と何ら変わらない生活を普通に送っていますが、どうしても付けざるを得ない時があれば、なるほどそれを理由に使わせてもらいます。あんなもの健康な人には百害あって一利なしですが。 >>285
まあ細胞分裂の限界の範疇(120歳)までなら科学的にはこじつけても許容できるか
アブラハムの血族は170とかやっちゃってるけど 事を述べる際に冷や汗を流して恥ずかしく思わないことはないのです。 通説では陸遜の子孫は断絶したとあるけど、3年前に北周の武将歩六孤亮(歩六孤とは陸を意味する)の墓が発見されたことにより、定説が覆される可能性が出てきた
歩六孤亮の墓碑に「歩六孤亮は陸遜の子孫である」と書かれているのが判明したからだった >>300
馬鹿なことをやってないでハローワーク行け
家族は泣いているぞ >>299
歩六孤亮が陸亮だとすると
西魏の驃騎大将軍・開府儀同三司・太僕卿の陸通の息子か
確か陸通は歩六孤氏の姓を賜ってるし
陸亮の妹は歩六孤須蜜多だから間違いないだろう
しかしそうなると定説では陸亮は陸遜の弟の陸瑁の九世孫になる
(陸瑁−陸英−陸玩−陸始−陸載−陸僑−陸政−陸通−陸亮)
定説の真偽の検証含めた続報に期待 歩六孤と普六茹って禿髪拓跋と同じ印象受ける
語源は一緒なのかね 現在鮮卑姓名乗ってる中国人あまり居ないのをみると
鮮卑も中華に吸収されて同化して負けた まるで魏は国外の出来事だから書かず、呉は国内の出来事だから書く。って風に分けているのかなと思いました。すごいなと思いました。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 しかし翌222年、曹丕は皇弟曹彪を呉王に封建しています。たった1年ほどで、孫権の王位は剥奪されてしまったんですね。 自国には全く支援金を出さない岸田くん…
一体何を目指しているのやら? >>305
中華民族、中国特色社会主義と戦ってる近現代の民族じゃあるまいし
鮮卑さんは中華とかいう謎の存在と戦った覚えはないから… >>305
逆に言えば鮮卑が中華民族を僭称することに
成功したとも言える 貴様~!大野氏って日本人みたいな名字だった唐王朝を愚弄する気か~! そういや李虎が大野姓賜っても子孫は
大野淵とか大野世民とか名乗らないのな… 西魏・北周の胡姓賜与って結果的に胡族の氏族ロンダリングになってね? >>314
大野世民って現代日本にいそうな名前だな 大野元吉さんいそう
というか「おおのもとよしさん」で普通に変換された >>317
漢人でも六鎮に赴任・流された人はいるし、西魏が名門漢人にも胡姓乱発したからもうわけわかんないね >>317
そりゃ漢化を拒んだ異民族を大正義弘農楊氏が皆殺しにしたわけだからね
ウッチカイの抵抗とかまさにそれ >>321
無茶苦茶だなあ
周朝の忠臣尉遅迥が逆賊楊堅を討伐しようとしたが時利あらずして成し遂げられなかっただけやぞ
あと迥をカイって呼ぶことある? この発見は、かつて普遍的に受け入れられていたことの根幹を揺るがすものである。ワクチン産業が築き上げてきた礎石、すなわち抗体の不可欠な役割は、麻疹との闘いにおいて、これまで信じられてきたほど重要ではないのである。
抗体がなくてもウイルスを排除できるのであれば、抗体は不可欠ではないという論理が成り立つ。この考え方は、論理学の基本原則と一致している: オーストリアの著名な哲学者であるカール・ポパーが示唆したように、普遍的な声明は、たった一つの真正な反事例によって反証されうるのである。 麻疹の発疹は、体の免疫、特にキラーT細胞免疫が麻疹ウイルスと効果的に闘っていることを示す重要なサインである。T細胞免疫は、粘膜バリアを越えて体内に侵入するウイルスと闘う上で極めて重要である。 同様に、ワクチンで生成された抗体は、私たちの身体に害を与えたり、自然免疫を妨害したりする免疫反応を引き起こす可能性がある。このような免疫調節異常は、ワクチン接種後の非定型麻疹や関連合併症の一因となる。
麻疹に対する考え方とは対照的に、伝統的な中国医学(中医学)では治療に対するアプローチが異なります。中医学の理論によると、麻疹は子宮内で発生した「胎児毒素」が妊娠中に赤ちゃんに移行し、後に発疹や水疱として身体に現れると考えられている。
発疹が完全に表れていることが、子供の完治と免疫には不可欠である。カナダのジョージアン・カレッジで中医学を教えるジョナサン・リウ博士によると、「中医学者は、麻疹の発疹が体幹から手のひらまで完全に広がるように、主にシミシフゲ根茎(生脈麻)とプエラリアエ・ロバタエ根茎(葛根)という薬草をよく使います。この目標を達成することは自然回復を意味する。" 深刻な脳の問題との関連性の可能性
麻疹ワクチンに使われている弱毒化されたウイルスは、脳にも影響を与える可能性がある。
麻疹ウイルスには免疫抑制作用があり、神経系に合併症を引き起こす可能性がある。麻疹感染後の重篤な脳疾患は亜急性硬化性全脳炎(SSPE)であり、脳脊髄液や血清中の抗麻疹抗体の量が異常に多いのが特徴である。
SSPEは麻疹に感染してから数年後に発症することがあり、思考や運動が徐々に障害され、最終的には昏睡状態に陥り死に至ります。 1967年以来、麻疹ワクチン接種後に脳に関連した問題が報告されている。その後の調査では、脳組織の炎症である脳炎に焦点が当てられました。 各国のレトロスペクティブ解析を含む観察研究では、麻疹ワクチン接種後に脳症または脳炎を発症した症例が報告されている。麻疹ワクチンに関連した脳症の発生率は、100万回接種あたり約1〜11例と計算されている。 2003年、アルゼンチンの研究者たちは、1998年の麻疹流行時に生後6ヶ月から10ヶ月で麻疹にかかった8人の子供たちを調査した。彼らは1年以内に麻疹ワクチンの初回接種を受け、4年後にSSPEを発症した。 脳には広範な組織障害が認められ、血液と脳脊髄液には高濃度の抗麻疹抗体が検出された。脳組織におけるこの異常に高いレベルの抗体は、麻疹ワクチンを潜在的な要因としてさらに調査することを必要とする不穏な警鐘を鳴らすものである。 大野治、大野旦、大野賢、大野顕、大野隆基、違和感ないてか、唐の皇族は下の名前も日本人みたいだね。 >>333
違和感なさすぎて草
読み方まで字面から伝わってくる 後趙の末路は石勒石虎以外に優れた人物が一族から出なかったのが原因なの? >>333
この中に大野智リーダーが混じっても違和感ないな… >>337
あの目が逝っちゃった写真を思い出した
五胡十六国時代は酒に溺れたり丹毒に冒されたのはいても阿片塗れになった人はいなかったよね? 病気が快方に向かうとき、最後にもう一度、悪化したかに見える症状がある。これを瞑眩という。 前向きに発展しようと思えば、必ずその過程でさまざまな苦難と葛藤がある。それは他人から見れば見苦しく見えるかもしれない。しかし、それを恐れて現状で止まっていては何の発展もない。 毛利元就に滅ぼされた陶氏の通字がどうやら弘っぽくて系図見ると陶弘○がいっぱいいる
こっそり陶弘景を紛れ込ませても違和感なさそう まー阿片が毒物と認定されたんは明の李時珍以降だから一応ノーカンやな 曹魏や前燕にボコボコにされてた高句麗が
後に隋唐の攻撃をはねのけるほど強くなるとはな 子供に締め付けしまくるとその反動で痛みを知らない無敵の人になるからな… そんな高句麗も唐に攻められてあっけなく滅亡
以後蓋馬高原を大きく越えた朝鮮王朝が興る事は無かった >>352
苻洪苻生親子や宇文邕そして張居正に聞かせたいお言葉 孔明は軍事家としては?が付くけど
政治家だけじゃないよね
内政力は、ずば抜けてる色んな所から入り込んできた、あの状況の蜀でまとめ上げている力や、蜀の細道、道具開発等々
外交力よりも、内政力でしょうね 百歩譲って諸葛亮が天才ではないとすると、
この時代の殆どの人が凡才かそれ以下っていう事になるけど? 天才っていうのは、天賦の才、努力ではたどり着けない才能を持つ人物の事。
諸葛亮は宰相として間違いなく天才だが、
軍事に限ると、特に目立つような行動も功績もなく、軍事の天才とはとても言えない。 何だいつもの荒らしか。
>>354
万暦帝が「君臨すれども統治せず」となったのは張居正のせい? 陳寿には用兵の才能はなかったと酷評されたけど蜀を滅ぼした時に孔明の兵書や軍制を収集・研究させてそれを馬隆らが対異民族戦に応用したという記述があるから戦った敵側からもリスペクトされていたんだよな 唯一大負けしてるといえる第一次北伐の理由が人選ってのがな
人選も用兵のうちというならマイナス評価だし登山家のせいといえば別になるし 尚書の梅陶は親しい曹熾に書を送った時
「陶公(陶侃)の神のような機略と優れた見識は魏武(曹操)の如しである。
忠順にひたすら勤労に励んだことは諸葛孔明(諸葛亮)のようである。
陸抗を始めとした諸々の人物でも彼に及ばないであろう」
と絶賛した。 >>364
事実上の開祖である宣帝が諸葛亮ヲタクだから何の違和感もない
アメリカでオルグして染め上げられた政治家が、売国政策に何の躊躇いもないのと一緒 >>353
滅亡後の相当大規模な高句麗遺民の強制移動や亡命から在りし日の強大さが垣間見える
敵が唐だけなら新羅がやったみたいに退けて勝ち残れたかもしれんが
四方に敵を抱えた上に内乱じゃさすがの高句麗さんも無理ゲーですわ >>369
いやここはイケメンも歪んでるから... >>372
蘭陵王は20人の美女を前に
1人しか選ばないという♂としては問題人格者 つか蘭陵王こそ高家で一番歪んだ人間
と考えた方が辻褄が合うw
(もうなんだか分からん) 高歓の人格破綻はあまりきかないから正室の婁昭君が変な血をもってるのか >>375
慈愛諸子,不異己出とか言われる割に高洋に対しては明らかに当たりキツイからな
明らか毒親 >>375
おいおい馬車から落ちた息子(高澄)を弓で射殺しようとしたクズエピソードがあるでしょうが 宇文泰息子は出来がいいのにな
正確には高歓の息子や孫も出来はいいの多いんだけどさ。。。 >>375
高歓の側室の子供は概ねまともなんだよな
明らかに婁昭君の血筋がおかしい 婁昭君って良妻賢母みたいな評価されてるけど実像は違ったということ? >>383
独孤伽羅とかも良妻賢母扱いされてるが実像は…
子供の育ち具合で判断するのが宜し >>385
ゴキブリとドブネズミならどっちが下等なのかみてえな問い 劉宋のおかげで後漢書や世説新語や三国志裴松之注
が現代我々読めるのを考えると劉宋かな
北斉人でこれぐらい有益な書物を保護した皇族居ないだろ 史書を保護どころか自身を護るのすらままならなかった。 花見は日本オリジナルの文化かな
中韓に花見の文化はないよね? >>393
朝鮮は知らんけど中国では桃の花を愛でたんじゃなかったっけ?
少なくとも昔は 中国は桃や牡丹。他は仏教関連が多い蓮を愛でる習慣があった位か。
勿論樹の花や草花を表現区別するのはちゃんとしてたが愛でる花見となるとほぼの三つ。
朝鮮は木槿や梅を好む傾向があったが花見をしてたかどうかは俺は知らん。 >>393
魏徴の歴史家としての功績は認めるが
鉅鹿魏氏は代々歴史家多いが北斉の皇族でないし
一族の中には「穢史」と貶されてる『魏書』書いた魏収が居たり
魏徴自身も隋唐時代の人で生まれた時には
既に北斉滅亡してて北斉と直接関係ない人だからな・・・ >>396
すまん素で魏収と間違えた…
魏書は文宣帝が関わっているので…文宣帝にもでき悪いなと思われたらしいが 北斉の体制がボロボロだったのを物語ってる出来だからな→魏書
とにかくマウント取って優劣を示す必要があったというのが筆運びから分かる
北魏が腐った原因(漢化の進行で鮮卑と漢のイデオロギー衝突したあげく収拾つかない)をそのまま引き継いだ末路 一流の学者を集めて『晋書』を編纂させたら『旧唐書』の著者の劉昫に「晋書はデマ誤記だらけで程度の低いゴシップまみれだ!大体、歌詠みだの詩人だのに歴史書を書かせんな!美文を書けばいいってもんじゃねえ!なんで一丁前に評論家ぶってんだ!史書は真実をありのままに書くものだろうが!」とぼろくそにこき下ろされたでござる…… ワイは一平の正体が気になるわ
色々経歴が怪しいって聞いて草やった 聖人かどうかは知らんけど
一向に英語を覚えようとしないあたり根は普通の野球部員なんやろうなと思うわ
真面目なら長谷川や菊池みたいに日本時代から英語の勉強するだろ 結果論として違法な胴元に金払う上で
それが大谷の意思だとしたら大谷が悪いんだが
しかし正直言ってガチ被害者だしまぁキレるのも分かる そもそも肩代わりしてうっかり違法なマフィアの口座に振り込んじゃったって話は最初大谷信者がいかにも大谷なら有り得そうと言ってたじゃん😅 TwitterでOhtaniで検索したら大谷ガチで嫌われとるやん
全米が大谷に熱狂とか言うてたのになんで嫌われとんねん 真面目で努力家なら英語ぐらい勉強するだろっていうツッコミすら許されなかったのは異常だよな
で、結果がこれやん
同じアメリカにいる錦織八村渡邊は当然としてMLSにいる吉田らサッカー選手も話せるぞ
ゴルフ松山はド下手糞だけどちゃんと勉強してることは報じられてるし 古代中国人は白人だった
今の中国人は北方民族の子孫、トルコ人 >>411
まー荒らしだろうな
ここに来ての日銀利上げもハイパーインフレの仕込みだし、崩壊前のアメリカの死に物狂いをこんなとこでも見せつけられてる感じ >>401
なお、『旧唐書』は真実をありのままに書きたいのが昂じて資料丸写しな模様…… でもそういう場合、引用先を明示してくれると逸文扱い出来るから
文献使いの学者としてはごっつう助かるのよ。元文献の内容の変遷や上限を見つけやすくなるから。
でもまあ王朝の公式見解としての正史としては、それではアカンと。 >>413
玉石混淆の資料丸写しなだけで全く真実ありのままになってないのが泣ける…
コンセプトは解るが酷過ぎて褒めようがない 『旧唐書』は資料を丸写ししたり晩唐に近くなるほど内容が薄くなったりと致命的な問題があると大不評だった
宋になって編纂された『新唐書』は、詔勅の文章勝手に古文に改変したり、欧陽脩をはじめとする執筆者の主観丸出しで客観性に欠けるなど、歴史書として問題があると指摘されている
今では『旧唐書』の方が史料的価値が高く歴史書として優れているとされている コピペと言えば張賓とか苻雄みたいな忠臣が死んだ時にお決まりのように「天は我に天下統一させるつもりはないのか?どうして○○をこんなに早く我から奪うのだ!」を言わせるのはちょっと笑ってしまう >>418
まあ張賓や苻雄はマジで替えの効かない人材だからな…苻雄の奮戦がなければ前秦多分滅んでたし 『旧唐書』『新唐書』どちらも日本(倭)に関する記述がいいかげんだが
「倭国伝」と「日本国伝」2つ書いてる『旧唐書』よりは
『新唐書』の方がスマートではある >>418
慕容恪にはそのお決まりのテンプレが無い模様・・・ 庶人天王「徳で統治するなど生ぬるいのよ。人民は法と刑で律するべきなのだ」 >>427
慕容暐は発言とかはちょいちょい格好良かったり高潔さを感じさせたりするんだよな…まあ結果は伴わないんだが
母親が猜疑心キチガイで慕容評とかいう佞臣もいて周りに苻堅と桓温がいて即位したのが十歳の時とかハードモードすぎですわ >>428
妹と弟もエラい目に合わされるしな
かわいそう なぜ慕容氏はここまで優秀な人材を輩出しながら華北を平定出来なかったのか?
なぜ拓跋氏に遅れをとったのか?
というのをネアンデルタール人優秀説あたりと絡めるといい論文書けそうw
優秀だからすべてOK、じゃねえのが世の中なんだよなあ 慕容垂からは追諡されず、慕容徳から幽とか最低クラスのやつ付けられた慕容暐 >>432
傍から見れば母親と奸臣に惑わされて優秀な叔父を亡命に追いやって国を滅ぼした暗君だからねえ…
そういや西燕の皇帝や庶人天王からも追謚されてないんだよねこの人 慕容儁の系統を否定したあと後燕はともかく西燕が追諡しないのはなあ… 慕容沖追諡してないのか
ケツ以外もガバガバなんだな 西燕はバタバタしてるうちに別系統の慕容永になっちゃったししゃーない
…と思ってたら慕容泓・慕容沖は追諡されてるのか 宇文邕の顔が復元されたけど、なんともいえん感じだな 五胡十六国の君主で幽と追謚されたのは慕容暐の他には成漢の廃帝幽公李期ぐらいなんだよな
しかも自分を廃した李寿に執拗に祟りをなして狂死に至らしめたという身の毛のよだつ逸話のある
そんなヤツと同じ謚号って…… >>437
有能そうだけどパワハラやってそうな顔でもある >>437
額が狭くてエラが張ってて吊り目…顔の濃ゆい感じが胡族感あるな >>437
どことなくイメージ通りの顔なのは人物評を正確に記してるって事なのかなw うむ、現役の中共中央政治局委員にいてもおかしくない
大陸の支配者の顔は古来あまり変わらないのか >>449
つべで「赫連勃勃のお墓」で検索すると素人のおっちゃんが撮影したらしき動画が出てくる
赫連勃勃のように美形とされていた人物の顔は特に気になる
現代人からみても美形といえるのか 美兄醜弟の典型とされる高兄弟か・・・
兄弟でそうなる科学的な根拠みたいなものがあるんかね?
まあ業績に関してはどちらも臭と言えるけど 石勒はイメージ的にいかにもマチズモ感溢れる面じゃないと説得力が >>449
石勒の墓は所在不明になっている
というのも、崩御する際に城門から数十の棺を運び出して、墓の所在を分からなくしたから
いくつか候補地があるけど決定打になっていない 遊牧民族は墓を作る習慣がなかった
人里離れた地に穴を掘って棺を入れて、子山羊(子羊とも)を殺して一緒に埋葬し、墓石や墓碑の類いは一切置かなかった
墓参りに行く際は、子山羊の親山羊を連れて行き、親山羊が悲しげに鳴いたら、そこで祈りを捧げる
親山羊が死んだらどこに埋葬したか分からなくなるので、もう墓参りはおしまいとなる >>450
「平安美人」というパワーワードがあるよねw
>>451
兄貴たちや甥っ子たちは美男子美少年揃いなのに醜男として有名なリチャード三世とか・・・・
>>453-455
死生観が出てるね
土葬で揉めてるイスラムの人たちに聞かせてあげたいわ 本来のイスラムというかアラブは砂漠に埋めて墓参りしなかった世界。
預言者のムハンマドとか聖者の墓は崇敬の対象になったけど、他の俗人は王公から庶民まで
砂漠に埋めてハイ御仕舞いな世界だった。
だがこのイスラムが東に広まるにつれ、火葬は地獄で焼かれてるみたいだから厳禁、水葬は航海中以外は基本禁止
砂漠は東にいくとある所ばかりでないので、結局そこの土に埋めて墓を営むように変化した。 >>453
慕容徳も同じような話があるよね
よく知らんやつに掘り返されて旗印にされた挙げ句井戸に投げ捨てられたり、
頭痛がするとか難癖付けられて暴かれ川に投げ捨てられたり、
そんな憂き目に遭うなら立派な墓はない方がいいのかもしれない >>458
だからこそ埋葬場所の隠蔽って言うのはこの地域において最高峰の孝行になるのよね
秦漢より前の遺跡や遺物がイマイチなのも、その後の代で盗掘されて副葬品が鋳つぶされたりしてるからだし
テムジンに至っては埋葬に関わった人間を皆殺しにして秘匿したくらい極まってた ツタンカーメン「僕ちんの墓だってずっと見つからなかった、なんてことはなかったんだしね」 >>458
首級を道端で焼却処分にされて墓すらろくに建ててもらえなかった後趙の新興王石祇が何やら言いたそうにしています…… >>458
頭真っ赤な奴に暴かれた末にガソリンで丸焼きにされたり >>455
羊の寿命は長くても十数年だから
胡族には四十九回忌とか不可能なのか… >>463
あれは劉少奇に陪葬されたようなものだから
>>464
両脚洋? 五胡十六国の人物ならトチ狂った姚萇によって損壊された苻堅の遺体もなかなか… トチ狂った姚萇の死に様(チ〇コ腫れて大量出血)も悲惨ぞ
そういや姚萇は苻堅より7歳年上とは意外 変な死に様が史書に書かれてしまった君主達
李寿…即位してから僅か5年で廃帝幽公に呪われて祟りに怯えながら狂死
赫連勃勃…雷に打たれて死亡(諸説あり)
慕容盛…重傷を負うも反乱軍を自ら殲滅して場を落ち着かせてから立ったまま死亡
司馬曜…側室に冗談で「お前もババアになったから用済みな」と言ったもんだから、間に受けた側室に布団蒸しにされて死亡
蕭鸞…病とメンヘラが昂じて調度品から衣服まで赤で備えて病平癒を願うも効果なし、早死にしてしまう
姚泓…処刑されるや、建康周辺の草木が枯れ果てるという恐ろしい怪異をなした。異説では、処刑直前に怪異をなして山中に逃げたとも。妖怪か? 高澄の「料理人にパワハラ→その料理人にぶち殺される」が抜けとる 今は赤眉軍も孫殿英軍もおらんし中華民族の五胡人民ですみたいな顔しとけばマルクス・レーニン・マオ朝の今上も襲ってはこないはず…
>>456
確かリチャード3世は10年ほど前にお顔復元&改葬されて劇的に尊厳回復?してたような気がする >>468
姚泓君そんなパワーあるなら後秦が滅びる前に使えよ
あと何度見ても孝武帝の死に方がひどい 話の流れぶった斬って恐縮だけど慕容垂の息子に慕容倭奴って人がいるんだけど「倭」と何か縁のある人なのかな?
命名規則明らかに違うよね?ひょっとして母親が倭の出身とかってあるのかな?
>>470
当時の「せむし」とかの表現が見事当たってたとかいう復元結果じゃなかったっけ?
この間顔が復元された武帝も実は肖像画結構いい線いってる説あるし昔の言い伝え侮れないものあるよね >>471
李寿の死に方も大概ひどい
即位して数年後に祟られて狂い死にってなんだよ… >>468
【南朝にて生き永らえた亡国君主】
李勢(成漢、347-361年)
張天錫(前涼、383-406年)
【南朝にて処刑された亡国君主】
石琨(後趙、352年)
慕容超(南燕、410年)
姚泓(後秦、417年)
姚泓が南朝祟りたくなるのはわかるが
前者と後者の扱いの差が不明 南朝へ亡命した王族といえば
菩薩皇帝が北魏の亡命王族を武装させて
2度ほど故国を乗っ取らせようとしたけど >>477
李勢は劉禅ムーヴ見習って投降したから桓温も大徳ムーヴで応えた
張天錫は天子を称してないから王公として寛大な沙汰となった
そのほかは天子僭称したあげく身の程弁えてないから殺さざるを得なかった
厳罰に処さねば政はつとまらん、という義時ドクトリン 北朝(特に前秦や北魏)も結構亡国君主受け入れているが
処刑された亡国君主も以外と多い >>477
東晋からしたら姚泓は帰順しておきながら裏切った姚襄の一族だから許す道理はなかった >>482
姚襄は被害者というかとばっちりみたいなもんなのに >>482
桓楚残党を支援したから絶許リスト入りしたんじゃないかな 東晋というより劉裕の意向じゃないんか
謝安なんて前秦皇族の投降受け入れるわ救援要請に兵送ろうとするわ後趙と比べて甘々の対応だった 苻堅の一族は五代十国時代でも「礼儀を知る人たち」と言われてるところからして東晋でも「敵とは言え一角の人物。無碍に扱ってはいけない」と思われていたものと考えられる 最新DNA研究で北周の武帝の顔復元とな
news.yahoo.co.jp/articles/f7e382777b27319c49f7f9c7f82edaf7154d92ca 東晋としては寛容な名君と誉れ高い苻堅を弑殺した裏切り者の孫を許すわけにはいかなかったんだろうな
もしも受け入れたら世間の謗りを浴びて政権の威信がガタ崩れになりそうだし >>488
×東晋
〇陳郡謝氏
謝安の評価のソースが苻堅しかないから、とにかく凄い奴だったという待遇にしなきゃ体裁が保てない
某バンデラ崇拝に近いものがある >>488
滅後秦のときには苻宏が桓玄について劉道規あたりにぶち殺されてるし誰も気にしなそう >>490
永嘉の乱で劉秋や劉恂がぶち殺されても誰も気にしていないので
基本的に中華の人は易姓革命でオワコンになった王朝や皇族は
建前上では二王三恪で祭祀は守るが基本的にゴミ以下の扱いと思われ 虎吉「ヒャッハー!名族がなんだ?漢人がなんだ?力が正義よ、ガハハハハ」 >>491
後周の柴氏に最後まで礼節を尽くした宋は異例中の異例。 >>494
北朝鮮も李氏朝鮮のことはボロクソに言っている。
その一代前の高麗のことは南北統一の際は高麗連邦共和国としようと韓国に提案したくらい高く評価しているが。 趙匡胤は柴栄の下でどんどん出世するんだからすげぇわ
あのおっさんちょっと仕事出来ないとすぐキレるんだもん >>496
すぐキレるのは趙匡胤も大概なんで
受け継がれるパワハラスピリッツ >>495
順治帝「前代は悪、前々代は転じて正義」 >>486
そういや苻堅の一族の嫁貰ってるの結構多いな
色白で美人確率高い慕容氏なら嬉しいのだが
苻堅の一族の美人度が気になる… >>499
ブサイクだとしても別に妾作ればいいからへーきへーき
独孤皇后「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾を撲殺
北条政子「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾の家に放火
まあこんなパターンもあるんやけどなブヘヘヘヘ >>499
パパの苻雄は醜形貌頭大而足短
あまりにも酷い 独孤伽羅はパパが容姿に優れてるみたいだから本人も美人だったはず
美人で優秀で気が強くて嫉妬心も強い嫁さん
楊堅何が不満だ 国をNTRのは難しくはない
しかし、上司の娘と過ごす夜ほど恐ろしいものはない
と言ったとか言わないとか・・・・ 法事でお経を見る機会があって
「梁天子」というワードがあったから気になって調べてみたら
やっぱ梁の武帝のことなのな 正信偈は正確にはお経ではないらしい
曇鸞は北魏〜東魏の人らしい 中国の専制の元祖は始皇帝の秦だけど、ロシアの専制の元祖はビザンツ?それともジョチ・ウルス?
ルーシ諸国の頃はそこまで強権的ではなかったし インドは始皇帝が現れなかった中国って感じがする
マウリヤ朝とムガル帝国以外殆ど分裂状態だし >>505
武帝のことと知っちゃうと急にありがたみがなくなるなあ >>508>>510
中華料理店でフランス料理出せと言われても叩き出されるだろ >>513
ID:mEUD2pXEOはフランス料理店に、わさび醤油を持っていって使った北大路魯山人のような奴だろ。 フランスの太陽王ルイ14世の最も好きな調味料は醤油
なのでルイ14世は中華(胡族)の王とも看做せる >>511
というか過剰なまでに仏教推進してたのも事実だしな
あの石勒石虎ですら仏図澄を重用するほどだし 世界三大料理
中華料理とフランス料理は分かるがトルコ料理?ケバブ? >>519
儒教は前提として漢民族以外クズ(夷狄)というのがネック
んで頂点は皇帝(無論漢民族の)って決まってる以上、それを覆せるロジックがないと正統性が損なわれる
恩寵の逆説や前提知識の差でのマウントも厄介
それに対して仏教は民族に対して平等で広めやすく、異民族間の共通のイデオロギーとして使えるし
漢民族の文化に対しての防波堤にもなれる
惜しむらくはそれを異民族ではなく漢民族(菩薩皇帝)が体現して大失敗したとこだろうか ビックコミックで朱のチーリンというのが始まってた
主人公は姜維なんだけど重要人物として同年輩の羌族の姚宇というのが出てくる
ひょっとして姚萇のご先祖様だったりして
ちなみに一話目の冒頭に儒教による漢民族と異民族の区別が書かれてた
話変わって馬超って羌族の血が流れてるとされてるけど末裔はどうなったんだろ? 姚弋仲の父親の柯回が伐蜀に従軍している
都督隴右諸軍事のケ艾の節度下だろうね
晋書載記だと戦功で鎮西将軍になってるらしいがさすがに嘘だろう >>507
曇鸞は浄土宗の開祖なのに日本ではほぼ無名・・・
達磨(ダルマ)は日本では有名なのに曇鸞と同時期の
南北朝時代の人なのは日本人ほぼ知らないという・・・ >>516
ゲルマン系の諸王国(アリウス派)は全て滅んだが、フランク王国(アタナシウス派)だけは生き残った
五胡十六国の中でもっとも漢化した北魏が華北を統一した
少数の民族が圧倒的多数の他民族を支配するにはやはり郷に入れば郷に従うしかない
ヴァンダル王国や元朝はどちらも内輪揉めが酷く、更に現地の文化を軽視した支配体制だから短命だった(アタナシウス派弾圧、科挙廃止) >>522
そういえば姚一族って後秦滅亡後どうなったんだろ
一部は北魏に逃れ出世したみたいだし今でも子孫いたりするのかな 姚弋仲南安赤亭羌人也。其先有虞氏之苗裔,禹封舜少子於西戎,
世為羌酋。其後燒當雄於洮罕之間。
現代中国で姚姓は51番目に多い姓で約570万人
呉興姚氏(姚察etc...)と南安姚氏(姚弋仲etc...)
の子孫が多いらしいので今でも傍流なら確実に子孫居そう >>532
51番手で570万人って・・・・
日本一の佐藤さんでも180万人だぞ・・・・ >>533
日本より中国は姓のバリエーションが少ないからな
帰化で新しい姓を手軽に造り出せる(玉鷲など)のが特殊っていうのもあるが 諸葛、司馬、公孫、慕容
改姓で拓跋は元、完顔は王になってるけど
半島人も元は日本人みたいに複字姓だったが、新羅あたりから中国真似て単字姓になった 中公新書から
「殷」
「周」
「隋」
「唐」
は出版されているんだが
「晋」
は出ていないんだな。
入手が容易で(絶版になっていない本で)晋(特に東晋)の通史となるとどれがいいんでしょ? 司馬の攸ちゃんはみればみるほど微妙な立場だな
炎と司馬衷の丁度間ぐらいの年齢だし
どうあがいても粛清かクーデターしか道がなさそう >>535
そもそも周や漢ではそれなりにあった気がする複字姓の存在感が漢人王朝や中共の漢族に継承されてなさそうだしな
なんか相性が微妙なのかもしれん、漢文と複字姓が… >>537
単に司馬炎が暗君で佞臣の讒言鵜呑みにしただけの悲劇のような >>540
次男相続の天命を作ったのが司馬懿と司馬昭であり
佞臣の讒言しか信じられないような状況を作ったのは他ならぬ司馬炎自身なのが皮肉
統一してからの乱痴気はもはや言うまでもないが、即位前の経歴も即位〜統一までの実績も中々酷い
そりゃ粛清せざるを得ないくらい輿論が司馬攸に靡くわと そういや
前秦の苻氏とか
西秦の乞伏氏とか
後秦の姚氏とか
春秋戦国時代の最終勝者と同じ国号なのに
なんで国姓を「嬴」に改めなかったのか 夏王朝の王様の弟が匈奴の祖先になったとか無理あり過ぎる設定 >>536
西晋の範囲であれば福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)がよくまとまってるし電子版で読める
でも東晋の範囲をカバーしてる書籍は思い浮かばないな… 秦は地域名でもあるから採用する意味はあるだろうけど姓はあんま関係ないし…特別名乗る価値のある字でもないだろうし… >>543
桀王の息子に夏后淳維がいた
夏が滅びると淳維は一族を率いて北の地に亡命した
この淳維こそ匈奴の先祖だという 氏はともかくとして姓って改められるのか?
それに姓って普通男性は名乗らないし
始皇帝の「嬴政」表記はいつももにょる 未だに歴史本や雑誌なんかで見る「韓王韓王信」表記に比べれば 王侯の姓を表記ないし呼称しまくる現象はチャイナ産の古代歴史モノでも流行ってますね
個人的にはこまかいことは別にええやんって感じなんだけど
今や三国志系をぶっちぎって中国史モノの頂点に君臨するキングダムの斉王、王建王は作品が偉大過ぎるだけにちょっと気になる >>543>>547
西周の武王の曾祖父の古公亶父の長男・太伯の末裔が開いた国が日本だと言うのも、かなり無理がある設定だな。 >>542
宇宙大将軍様に
なんで国姓を「劉」に改めなかったのか
と言うぐらいの失言 >>543
劉淵の先祖が(匈奴に降嫁させた)前漢の公主だった、
と比べると? フン族=北匈奴説
柔然=アヴァール説
信憑性ある? 柔然「ヒャッハーwwwww」
北魏「おのれ蛮族め!」
劉宋「あれはお前らの昔の姿やで…」 趙宣之をググってみると
何故かナイツ塙が先頭に出てくるのな… 創作で菩薩皇帝をイケメン(内面含めて)&有能に描くとその後の劣化ぶりが無残になる典型
https://i.imgur.com/aR1230c.jpeg 創作は人気商売である以上イケメン化はやむを得ないが…
チャイナ美男子=背中に垂れるロン毛から離れられないのは何故なのか…
そこに肖像画と冠があるじゃろう? 60位で亡くなってたら南朝最高の名君として称えられたろうに長命過ぎて晩節を汚してしまった >>562
清・乾隆帝「68歳で死んだ朕は丁度よかったのか。」
南宋・高宗「55歳で譲位した朕も丁度よかった。」 最初の皇帝「十全老人並みに碌なこと書かれてないのにもうちょっと長生きしてればとも言われる朕」 菩薩皇帝どうなんだろうな
後継者争いで結局国はボロボロになってそうじゃない?
宇宙大将軍が引き金か菩薩皇帝の死が引き金かの違いで >>562
48歳で亡くなってる苻堅の晩節汚しはもっと悲惨
蕭衍は捨身始める前に昭明太子に帝位譲って
思う存分仏教信仰してれば 隻眼の皇帝ってこの時代の蕭繹と苻生くらいか?
ふたりとも強烈なコンプレックスの持ち主よね 孫権、司馬炎、李隆基
晩節がアレなのはやっぱこの3人かな
そして海陵王は石虎の生まれ変わり 蕭衍は死因餓死なのが凄いわ
何もなければ100近くまで生きてそう 梁の皇帝は餓死に圧死に溺死にろくな死に方してないな >>569
孫権司馬炎は反乱起こされてないしマシな方なんじゃ
つか二宮の変はそれこそ東晋時代なら陸遜が建業まで兵を出して孫権を隠居させるか土下座させてたはず
なんだかんだ言っても家臣の頭をきっちりと抑え込んでたのはさすがよ >>568
元祖独眼竜・李克用は即位していなかったか。
息子の後唐の荘宗・李存勗によって太祖と追合されてはいるが。 >>575
田中芳樹「奔流」のコミカライズ
原作とかなりキャラは変えてる >>568
蕭繹と苻生との後世での評価が雲泥の差で泣ける
苻生は蕭繹みたいに本の虫になっていれば…
いつの世も酔っ払いには厳しい世界 >>577
苻生の記録は不自然なほど少ないうえに残っている記録も改竄された疑いがあると指摘されているんだよな
洛陽伽藍記に「苻生は思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった。暴君という汚名を着せられてしまっている」という評価が載っている 苻生は軍事面での功績が大きすぎて度を超えた!暴虐に書くしかクーデターの正当性ができなかったんだろう 陳舜臣先生も「苻生の暴虐エピソードは盛られ過ぎ」とか指摘してたな 一方で仏教保護してるのに洛陽伽藍記でも暴虐を否定して貰えない石虎…
クズ貴族なのに何度も洛陽伽藍記に登場する石崇… 苻生の治世中、前秦は一度も侵略行動を起こしていないんだよな
敵に攻め込まれたら返り討ちするという程度で、捕虜を穴埋めにすることはなかった >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう 「俺は沢山の書物を読んで学んだのにこういう状況になってるじゃねえか!!」←焚書
なんか現代にもこういう人いそう ローマ帝国時代は下級兵士や庶民までも文字を読めたが、西ローマ滅亡後で文字が読み書き出来たのは教会の神父だけ
中国は西晋が滅んで五胡十六国時代になっても漢族知識人は勿論五胡も読み書き出来た
この違いを説明出来る人いる? >>587
身内で争うとか胡族を呼び込むとかした後の末路を史書から学べなかったのか ・五胡は漢民族ありきの国家運営にかまけたのに対し、西欧は酋長制を更に階層化しただけの閉鎖的社会が続いた
・政治と文学が混濁している中国に対し、ローマは政治と文学が乖離(むしろ衆愚化の道具)していた
・中国は文明に依存するプロパーの人数が桁違いに多いが、ローマは雑多な民族の集合体で共通のイデオロギーがなかった
・中国は域内の統一が至上命題であり文化圏の包含に勤しんだが、ローマはベネチアやビザンチンとして逃げ延びた
大体こんなとこか
改めて考えると、不必要な機能は消滅するという自然の摂理によるとこが、東西を大きく分けたな
識字が統治に必要なビザンチンでは、当時の記録からして割と識字率は良かったようだ ・中国が製紙の発達により文章の伝達や保存が可能な紙が大量に生産されたのに対して、
西欧はエジプトから輸入していたパピルスが途絶えると、製造に限界がある羊皮紙しかなかった。 藩校や寺子屋みたいな教育施設があったから日本は江戸時代の識字率が高かったという
清はそれまでの王朝と同じく上流階級や金持ちは老師を家庭教師として雇ったり、その人の元へ通ったりとするが、庶民は放ったらかし…その結果が今の簡体字
朝鮮も同じくで、ハングルも世宗が漢字を読めない庶民向けに作ったもの >>592
しかもそのハングルすら普及しきらず20世紀でもローカル文字が20種類以上あったとかいう修羅の国だからな
不完全に写した結果文体が変わったアルファベット派生よりも酷い 空白の4世紀
邪馬台国が30程の国を支配(宗教的権威で統治)→大和王権による統一国家(武力で支配)
墳丘墓→巨大な前方後円墳
戦乱が終わり環濠集落も姿を消す
弥生時代にはいなかった牛や馬の登場
中国の歴史書にはあるが、記紀では存在しない邪馬台国
騎馬民族征服王朝説?
邪馬台国が大和王権に進化?それとも大和王権が勃興して邪馬台国を併合した?
そもそも邪馬台国は九州?近畿? >>594
DNA解析で否定されてるもんをいつまでこの基地外は嘯くのだろうか >>588
>>590
むしろ地中海と周秦漢とかいう地勢も気候も隣接地域・勢力も違う二つの世界の割りに大差ないんじゃないか、という気もする
西ローマ滅亡後の西欧を大雑把にチャイナに当てはめると西域とか南越とか内蒙古になりそうだし >>596
それどころか西欧が五胡、アナトリアが東晋てな具合の地勢よ
唯一の国家という思想が厳格だった中国と、そもそも征服地だらけで他国という存在がありふれた(がゆえに支配の及ばない地域を容認した)ローマ帝国っていう差がデカい
仮にローマ帝国でユダヤ教が勃興してたらチャンコロになってただろうが、ギリシャから多神教ラーニングしてたのが功を奏した
あと倫理コードや行動ルーチンは東西を問わず文明レベルに応じて一定のタイミングでアップデートされてるから
文明発展への阻害がなければ地勢の差はそこまで影響を及ぼさない
(五大欲求や枢軸時代を参照) >>584
書の五厄込みで王夫之とか司馬光とか儒者からの評価散々だな蕭繹
でも侯景倒した分込みで何之元とか虞世南とか
孫呉系貴族からの評価マイルドになってる感が カールの戴冠(西ローマ帝国の復活)や神聖ローマ帝国とか見てると中世でもローマの権威はしっかり残ってるかなと
ビザンツ帝国については滅亡したその日まで自称は「ローマ帝国」だった >>598
そりゃ先祖の行為を見習う+中途の偉業を引き継ぐのが孝として尊ばれる世界にあって、先祖の行為をリバースエンジニアリングできなくする焚書は非難されて然るべきよ
(見習うべきものがない=どん詰まり)
アレキサンドリア図書館と知恵の館の焼失は、そうでもない世界だった+ヴァカチンとユダヤにとって都合いいから近代まで許されてたがな 【悲報】スレタイ、ホラッチョだった【南北朝はジョガイジョガイ】 >>576
「奔流」は漫画化するのには良いチョイスだと思うわ
主人公の陳慶之をはじめキャラ立ってる人物ばかりだし
メインの話である鍾離の戦いも漫画映えすると思うわ 鍾離の戦いは南北朝最大の戦いだからもう少し注目されてもいいかな
北魏の元英、楊大眼や梁の韋叡、曹景宗などの武将は >>599
国家の重心をあまり南に移さなかった五胡北朝隋唐みたいなヤツじゃね?フランク王国は >>605
時代を問わず南北分かれてる時は武力的には北側が圧倒していて南は局地戦で戦術的な勝利はおさめられるけど基本圧迫されるという理解でいいのかな? 大規模な戦役の割に鍾離の戦いの知名度が低いのは
この戦いが歴史を大きく変えた戦いじゃないからって気がする
負けた側の北魏もこの戦いが原因で衰退したわけでも無いし勝った側の梁も勢力を大きくしたわけでも無いしな 淝水の戦いは文字通り歴史を変えた戦いだからな
もしも前秦が勝利したら天下統一が成って歴史が大きく変わった可能性が高かった >>608
参合坡みたいに後の趨勢を決めてしまったような戦いではなく、大規模な衝突ってだけだとね
北魏梁両国の趨勢を語る上で外せないイベントだったらしょっちゅう語られるだろうけど
この時代で語られるのはあくまでも国の存亡とその趨勢だからね >>611
どの時代でも国の存亡の可否はデカい
この時代に限った話でも、勝率や戦果なら石勒より石虎のが上だが
石虎は敵を滅ぼす大一番の戦いで敗北(劉曜,慕容恪)するのに対し
石勒はいくら負けても復活するし大一番では勝つところから
石勒のが強く感じるのと似てる 秦、新、西晋、隋
短命の統一王朝
一番まともなの秦か? 秦はChinaの語源になってる説なので・・・
しかし秦(Qin)、新(Xin)、晋(Jin)、清(Qing)なので
実は南朝陳(Chen)がChinaの語源ではないかと思えてくる 秦は「初めて中華を統一した事」自体前代未聞だったしな >>615
あれで中華世界の枠組みが出来上がったからな
その功績のデカさは始皇帝ペルシャ人説や呂不偉ユダヤ説といったもんが出るのでも分かるとおりよ
短命統一王朝の中で抜群のハズレは西晋だろう
秦(前漢)、新(後漢)、隋(唐)と違い、思想を換骨奪胎した中長期的統一王朝が現れなかった
後継といえる東晋なんて、反西晋イデオロギーに傾いた時に強く、親西晋の時は惰弱て散々な推移ののち劉宋以降の腐敗体制に行き着いたってオチだし 炎「だってぇ、名族とかいううるせえ奴らが言うこと聞いてくれないんだもん」 始皇帝の事業は今で言ったらEUを統一国家にするくらいの偉業やからね >>617
まあ西晋は後漢~曹魏の延長国家とも言える 皇帝がうるせえから言うこと聞かなくていいよう河内司馬氏が名族代表として担ぎ上げられた
っていう事情を炎はマジでわかってなさそうなのがなぁ
後漢曹魏だけでなく、前漢太祖と武帝の遺した呪いまで引き継いでる王朝って感じ >>614
古代と現代では同じ漢字でも発音が異なっているから現代の発音で考えても、あまり意味がないと思う >>616
蛮族にヒャッハーされて中原から追われて南遷という点では
西晋は北宋と大して変わらないのだが
素人目にも西晋と北宋は全然別物にしか見えないのが(ry 西晋(に限らんけど)は皇帝しのぐ権力握る→ヒャッハーなパターン何回やってんねんっていう
諸葛亮みたいなやつの方が特殊って誰かいってたけどそうだよねってなる >>623
あんだけ謙譲した霍光すらも最終的に族滅したって前例が響いてる
即座に逃げる、殺される、段階的に逃げる、簒奪するの選択肢しか残されなくなって、西晋の場合は大多数が簒奪をゴールラインに示した結果、終わりなき闘争に行き着いた
唯一それを否定した乂(越は簒奪の大義名分がないため除外)もスタートラインが恵まれてた甘ちゃんに過ぎない 桓玄がとっとと簒奪したのは
パパの桓温が禅譲しようとして周りに時間稼ぎさせられて
タイムオーバーになったのを反面教師にしたからだろうな >>624
霍光は海昏侯を廃した前科があり、親族が宣帝の許皇后を毒殺してしまったから、死後に族滅されたのは自業自得だったりする
史書では海昏侯が暗愚荒淫だからやむなく廃したとあるけど、実際のところは海昏侯が霍光の言いなりにならないほど聡明であり、海昏侯の側近が霍光を除こうとしたからだという説が浮上している >>625
焦った結果軍功が足りないまま簒奪しちゃって結局破滅するのホンマ… >>626
まあ嫁毒殺が響いてるわな
でも許皇后の産んだ子(元帝)が宣帝が遠ざけてた儒者や士大夫を重用して結果としては王莽さんの簒奪コースになるんだから歴史のピタゴラスイッチ感半端ない >>627
なんだかんだ言っても
劉裕→長安奪還
蕭道成→劉帰藩の反乱鎮圧
菩薩皇帝→東昏候を弑逆
これと比較すると明らかに武功が足りてないんよな
劉牢之も勝手に自滅しただけだし >>628
あの馬鹿については太子の頃から分かっていたのに廃せられなかった
これが霍一族への恨みの大きさを間接的に表してもいるわけだしな
法の人とされる宣帝の行った“情の裁決”ってのがどれだけ重くのしかかってくるか、人の性を感じるわ >>623
諸葛亮は晴耕雨読のニートから仕事の虫で過労死
中華歴代皇帝でも偶に仕事の虫は居れど
それなりに権力弄んだり珍味楽しんだり後宮でヒャッハーしたりで人生楽しんでる
諸葛亮に関しては部下の仕事迄自分で裁決し
粗食で嫁舞祭組と人生何が楽しいのかわからん
五胡南北朝どころか中華のは歴史上ほぼ皆無の
変態中の変態なので特殊どころか唯一無二の変態 そういや誰か作家が諸葛亮を「三国志演義では清廉潔白で仕事に忠実で暗愚な皇帝に尽くした
忠臣中の忠臣として描かれてるけど珍しく不思議なことに実際の人物も概ねそういう人物だったらしい」
みたいに評してたのがいたな、司馬だったか >>629
とはいえあそこからすぐ滅ぶのはわけわからん
劉裕がおかしいでいいのか >>633
甲家の権益を侵すとどうなるかの見せしめみたいなもん
国自体の権限やリソースが弱いから、甲家に担がれる≒激強リソースが加えられる劉裕のが遥かに強かった 考えてみたら六朝トップの孫呉も初期は孫堅孫策の武勇ありなとこあったし、しょっちゅう人殺してる描写のある孫策も(直接殺人をやった描写が正史三国志にあるの孫策くらい)地元豪族には丁寧な態度とってるから腕っぷしの強いチンピラをインテリが神輿として担ぎ上げるのは六朝のテンプレかと想像される
(初代でインテリ層は菩薩皇帝くらいだし) >>634
まさかとは思いますが、この「甲家」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか
あなたの病気は悪化しています
あり得ません。専門家の意見を聞くまでもないことです >>631
苦役で自身が傷つくことを誇りに思ってる異常者(おそらく情報提供者は徐庶)だからな
儒教的な視点からも常道を外れてる特異な存在
>>635
漢自体が、お山の大将をインテリがおだてて暴力装置に使ったとこから始まってるからな
自由には責任を伴うって言葉と、それに対するゴール(責任取らずに自由を行使する立場)は昔から真理であるというのを知らしめている
こう考えると王敦王導はエグい両建て成功したなって感じ >>639
ジェンガの達人
関わったもんをボロボロにしながら美味しいとこを持っていったり生き残る能力が高い
宣帝なんて人間不信の小僧のお気に入りになったおかげで、政治センスないのに事実上の君臣最高位の録尚書事だからな
その後も州大中正制定や子孫の皇帝廃位&惨殺&筆曲げ強制、同族殺し、清談の腐敗、贅沢のための我尽などで全方位壊してるあたりマジで凄い
悪貨が良貨を駆逐した 酷い言われようだが
司馬氏は元々軍事系の家系なのに
『司馬法』『史記』『子虚賦』『続漢書』『史記索隠』『資治通鑑』
などの文学史学系で結果を残した事は同じ軍事系の琅邪王氏よりも優れる 司馬氏は居るのに
司空氏とか司徒氏とかほぼ聞かないのは謎 >>645
司徒とか司空なんていうのが置かれるようになった頃には単姓がデフォだし
そこら辺と並べる大司馬は司馬氏のルーツではない >>645
司空は古来から存在する複姓だが元代には蒙古人や色目人も名乗るようになったので明代になると唐や宋や杜といった単姓に変える者が多かったので中国では少なくなった。
却って唐末の黄巣の乱を避けて新羅に移住して帰化した者の子孫は司空の姓のままだったので現代の韓国や北朝鮮にも複姓としては比較的多く存在する。
2000年に韓国で行われた調査によると司空は133位の約4300人で韓国の複姓では南宮(約18000人)・皇甫(約9100人)・諸葛(約4400人)に次いで4番目に多く、現代の韓国でも財務部長官を務めた司空壱や大邱高等裁判所長を務めた司空永振や韓国プロ野球の斗山ベアーズに在籍した司空よう(火編に華)といった人物がいる。 呉三桂が李自成よりドルゴンを選んだ理由とは
同じ漢民族とはいえ下賤出身者に従うくらいなら、辮髪にして異民族に従った方がマシってことか
てか五胡の髪型ってどうなん?漢族みたく総髪?それとも蒙古や女真みたいな辮髪?
北魏までいくと絵画を見る限り漢服総髪になってるけれど >>648
南匈奴あたりはもう漢人と区別つかない格好してたんじゃね
劉淵ファミリーあたりはエリート士大夫の格好してたろうし 戦国趙の武霊王辺りから漢人も胡服着たりして
文化融合し過ぎて漢人も胡人もあまり違い無さそうな
とはいえ近代のチャイナドレスは満服なので
漢胡に完全に染まってない文化も残ってたり 霊帝は確か胡服(半袖短パン)好んでて(ソースは後漢書五行志)大臣たちがそれに追従して真似したとか草なんだな
北斉時代に漢人が鮮卑の貴族に媚びて琵琶習ってるのを嘆いたた顔之推=センセイもお嘆きになろう 胡服は西洋に伝わった一方
漢服であるほぼ絶滅で残念
まあ機能性考えると残当 >>656
この時代を最終的に完結されたのが十全老人様と考える見方もあるw 漢族「夷狄が中原を支配する資格なんてねーよww」
雍正帝「舜は東夷の人だったし、文王も西夷の人。徳があれば夷狄でも中華たりえるんだお!はい、論破」 >>629
これみると桓玄も北伐すれば良かったのにと思ったが
武功の為に北伐しても桓玄が姚興相手に勝てたかというと謎
桓玄こいつ王敦と同じ内弁慶の臭いしかしないからな