五胡十六国南北朝を語るスレ20
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五胡十六国南北朝を語るスレ19
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1675641449/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 五胡オタ的には邪馬台国の近畿説と九州説はどちらを信じてるの?
あと倭国は魏晋南朝とのやりとりはあったけど、五胡・北魏の連中も倭国に来るやついたんだろうか? 日本にある古い仏像は北魏の旧領土で発掘された奴とたいていそっくりだから北朝~朝鮮半島経由で倭国に入ってきたルートも当然あると思う だとしたら六朝の人と五胡・北朝の人が日本でばったりなんてケースもあったかもな 五胡十六国時代の董卓が石虎、五胡十六国時代の呂布が冉閔、ただし二人とも三国志の連中より強い この時代の一番の文化的貢献度だとやっぱり王義之が一番なんかねえ
個人的には梁の昭明太子なんかも相当良い線言ってると思うんだけど おいお前蘭亭序を文字通りの意味で墓まで持ってくのやめろ >>5
判明している邪馬台国の記述は
五胡十六国時代よりも昔の話だから何とも
壹与が長寿ならギリ五胡十六国時代に生きてたかもしれんが
その頃には邪馬台国は地球上から消えててもおかしくない >>7
西域で漢の使者と匈奴の使者がばったりなんてケースもあるから
普通にあるのでは >>13
陸と海っていう埋めがたい差があるから難しいんじゃないかね
それこそ渡航には台風っていう過酷な気象条件があるし >>14
この頃の日本って新羅と百済を子分にして高句麗と平壌辺りで
ドンパチしてた頃だし実際どうなんだろうな >>14
>それこそ渡航には台風っていう過酷な気象条件があるし
遣唐使は朝賀に参加する為の時期に合わせて渡航しているから
必然的に台風の時期に渡航しているという頭悪いだけで
普通に渡航するにはそんなに難易度高くないぞ
倭の五王の時代でも普通に南朝に遣使してるがな >>16
倭の五王の南朝への遣使は東晋が南燕を滅ぼして山東半島を南朝が領有した420年代から北魏によって北朝が再び山東半島を奪還する470年代までの劉宋の時期に集中しているのも、日本列島から朝鮮半島の三韓を経て黄海を渡って山東半島に至る比較的に安全な航路が南朝まで通じていたからで、それが失われた南斉以降の南朝への遣使が途絶えているのが東シナ海を渡っての渡航の難易度が高いという事を物語っていると思う。 慕容部が船を出した記録とかないのかな
陸のことで精一杯でそんな余裕はなかったか 五胡十六国で華北がめちゃくちゃな状態なのって当時の日本にも伝わってたんかな >>17
面白いのは日本書紀には日本(当時倭)の
応神天皇仁徳天皇雄略天皇が孫呉に遣使してた記述がある
これらは中国側の史書に記述が残っていないので何とも言えんが
孫呉は山東半島はおろか徐州も領有していないが
遠く離れた遼東や高句麗まで遣使した実績があるのは確か >>20
銅鏡の記述や朱然墳墓での発掘成果から、日本から渡来してるんじゃなく孫呉自体が日本に渡来してきて文化伝染してるのが濃厚
国策で台湾を山越同様にしようと船出して失敗した経歴があり、その一部が着いて帰れなくなったってとこ
日本から孫呉に渡来してた場合、銅鏡の年号や孫呉側の史書との整合がつかない 台湾は鄭成功とかで話題になるが、海南島は中国史で空気だな 山幸彦の系統が天皇になり、海幸彦の系統が隼人になった説
夏王朝の一族が北へ行き匈奴になった説
元ネタはこれか? 五胡諸国や北朝との日本との交流の障壁になってたのは高句麗だろうな
日本は高句麗と交流する代わりに、中国の北族との通交という面では高句麗は壁にもなっていたと思う
五胡諸国が日本と交流してたら海に出る匈奴や鮮卑が見れたかもしれん >>22
唐代には鑑真が日本への渡航に失敗して漂着したり、宋代には蘇軾が流刑にされたり、それなりに有名人も来ている。 刀伊が高麗や日本を荒らし回ったのも遼が女真族との国境に柵を作って宋との交易が出来なくなったからなのよね >>21
亶洲在海中,長老傳言秦始皇帝遣方士徐福將童年男女數千人入海,求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。
世相承有數萬家,其上人民,時有至會稽貨布,會稽東縣人海行,亦有遭風流移至亶洲者。
所在絕遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還。
孫呉が日本に渡来してきて文化伝染しているのはわかるが
一方通行ではなくちょくちょく亶洲(日本)から会稽に
渡来してきて貿易しているのは
三國志孫権伝にも載っているので間違いないだろう
そもそも行ったきりで全く戻ってこないなら情報途絶して
史書に行き先の情報が残らない >>22
そうでもない
海南島は前漢時代から儋耳や珠高ニ呼ばれて中華王朝に属しているが
何せ反乱の多い土地なのでたまに中国史に出てくる事がある
逆に台湾は何故か中華外の扱いで鄭成功がオランダ勢力追い出して割拠するまでは
ほぼ空気といってもいいぐらい中国史で見かけない 台湾は日本が統治する前は風土病が酷くて漢人は住みたがらず
住んでいたのは海賊とマレー・ポリネシア系の原住民
征服欲旺盛な元からもスルーされ、明清は化外の地と認識 よく中国は五胡十六国時代からモラルや民度が崩壊して今に至るみたいな話をする人いるけど
秦漢三国晋と皇帝から庶民までやべーのごろごろいるけどな それ岡田英弘の与太ヤンケ
近現代史専攻のオッサンがなにいっちょかみしてるんや >>31
岡田英弘の専攻は蒙古・満洲史だろ。
中華に関して与太ばかりなのは否定しないが。 大体みんな三国志春秋戦国楚漢戦争に興味言っちゃうから
専門家以外が口出すのは仕方ないね、五胡十六国時代は三国志の延長で最近はマニアには受けてるけど 八王の乱がとっつき難いのが悪いと思う
三国志の二宮の変でも辟易するのに >>34
・司馬が多すぎ
・どの司馬がどのポジなのか分かりづらい
・三国志で有能な人物すらゴミみたいに死ぬ
・皇帝が全員クソ
・争いが収まらず段々萎えてくる
・ヒロイックな感情移入とは正反対に位置する
・異民族跋扈の匈奴漢完成というバッドエンド
史書には明記されない不文律やイデオロギーを察せないと、まずバイバイになる代物だよね >>34
・司馬が多すぎ
・どの司馬がどのポジなのか分かりづらい
・三国志で有能な人物すらゴミみたいに死ぬ
・皇帝が全員クソ
・争いが収まらず段々萎えてくる
・ヒロイックな感情移入とは正反対に位置する
・異民族跋扈の匈奴漢完成というバッドエンド
史書には明記されない不文律やイデオロギーを察せないと、まずバイバイになる代物だよね >>34
そもそも孫呉は六朝扱いされてるヤンケ
二宮の変にしても孫皓の暴虐にしても南北朝のあるあるムーヴを先取りしたんや >>37
どうみても六分の五朝(東晋、劉宋、蕭斉、蕭梁、陳陳)は
六朝の祖にして三国時代随一の天国孫呉に憧れて
模倣国家になったと思われ
南渡した士大夫は恐怖国家曹魏や破綻国家季漢には憧れず
二宮の変や孫皓の暴虐が楽しい孫呉に倣って
南朝二百数十年の命脈を保った 他2国であれば腰斬に値する行為でも、逆に刑罰担当の官僚を擂り身にするのが呉
正統性ゼロの無頼漢僭称皇帝+貴族は部下ではなく僭称皇帝のパトロンという体制が、後の南朝を先取りする原因になったのだろうか
王敦、桓温、桓玄
強権皇帝を実現させるのを志した者が総じて失敗し、劉裕が台頭してしまったのが運の尽きか 蘭陵蕭氏は蕭道成の奪権のあと一族から学者がたくさん出て
文化的業績を残したのに河内司馬氏は両晋の時期には
後世に残る学者がいない
皇族になったのに文化的事業に励むやつが出なかったんだよな 田中芳樹大先生も書いてたけど司馬家のイメージ悪いのその辺もあるんやろな
曹家は文化面の貢献度も高いから再評価のむきもあるけど司馬宣王😂はあの酷い詩やし 田中芳樹は周瑜が南朝最初の名将みたいなこと言ってたな >>44
実際、今演義読み直すと明らかに曹操=北朝 アンチ曹操=南朝 って意識して話作ってる
巻狩りの話なんて高澄が孝静帝をいじめた話をマイルドにしただけだし 演義で南蛮が蜀に臣従したいいやつ的な扱いを強調してるのも
「南」家「蛮」子と漢民族が呼ばれて蔑まされたのも一枚噛んでるしなぁ
あと露骨に魏=北朝を印象付ける架空武将「慕容烈」とか
こういう南朝正当化プロパガンダの先駆けが、桓温=曹操と結びつけるための漢晋春秋というのも感慨深い まあ桓温になる可能性が実際にあったのは周瑜だろうけどね。周瑜の蜀攻めが仮に成功したら周瑜の武功がデカくなりすぎて孫家と周家の立場逆転してたかもしれないんだ
劉備が「周公瑾は雄材大略。人の下につく男ではない」と周瑜を評し、孫権が周瑜の遺族に塩対応したのも残当なんだ >>47
周瑜は孫策と断金の交わりと呼ばれるぐらいの堅い絆
で周瑜自身も孫家への忠誠心大なのでそれは無いかと
周瑜が雄材大略で人の下につく男ではないならば
孫策死んだ時点で行動してるが実際には孫策の喪に服しているからな
もし桓温が殷浩と竹馬の友ではなく
司馬cと断金の交わりだったら 刎頸の交わりを結ぶ司馬昱と桓温
それに嫉妬する謝安と王坦之
これはBLの世界ですわ >>48
孫策までは、いわゆる任侠道に基づく寄り合い所帯だったらからな
匈奴漢の諸勢力や後趙がそれに近いから、代替わりで縁が切れるというのも納得いくものがあるだろう
それを差っ引いても冉閔は論外だが 親父の孫堅が荊州刺史や南陽太守殺すところとかまんまヤクザとか半グレのノリやからな >>51
そして孫晧はその先祖の乱暴な部分以外継がなかったわけだが >>51
孫堅は荊州刺史にはとどめ刺してない
孫堅に追い詰められた荊州刺史が金溶かした液体飲んで服毒自殺
金飲んで自殺とか中華の貴族だとたまに居るのな
この荊州刺史はまだ権勢無い時代の琅琊王氏
司馬昭に会釈で許されるアラ還デビューの王祥以前の琅琊王氏はほぼ空気 >>52
三國志ボーイあるあるのステレオタイプ孫晧やめーや
狂った理由が両晋南北朝に通じてるんだから
孫晧が即位した時は皇族内乱でズタズタ+孫休のせいで貴族増長って環境
陸凱のように皇帝より実質的に上位の権力者までいた
既得権益や保身は超一流だが国家を何とも思ってない者が多く寒門以外は孫晧に従わない
その結果が自暴自棄で晋に滅ぼしてもらうor自滅が最善という絶望よ
司馬炎との逸話からして切れ者なのは確かだし、暴虐の理由も納得させるだけのバックボーンもある
周から天子の価値が下がり続けた結果、物質主義が跋扈したらどうなるかを体現してる そういや、南朝系では孫皓みたいな「頭のキレるキチガイ」はあんま見かけないな
北朝では高一族を筆頭にぎょうさんおるけど >>55
腐っても皇帝としての教育を受けているか否かの違いだろう
孫皓は絶望的な状況ではあったが孫休が頭でっかちで教育詰め込んだから才覚発揮した
菩薩皇帝の権勢もサロンに潜り込める運が味方したのがデカいし、貴族が担いでなかったのも分かりやすい相違点になってる
他の南朝皇帝は武辺者で、二代目以降は皇帝として教育がまともにされていたか怪しいレベル
所詮は貴族の番犬だからお察しということか
後世の李世民も頑張ったほうだが、元は皇帝としての教育がされていなかったせいか、諡号で大チョンボやらかしている 天可汗さんは諱が「世民」の時点で本人も周りも帝位につくとか考えもしてなかったろうからな >>56
多分正解
明帝で頭のキレない皇帝はほぼ記憶に無い 優秀なんだけど問題あり、という意味の諡になりがちなのが明帝というのが味わい深い 石勒……
司馬紹……
劉ケ……
あれっ割と納得だな
時代違うけど劉荘も意外とこう、なかなか 後漢の明帝(劉荘)はビッグモーターや無惨様もびっくりのパワハラ皇帝やからな
おかげで息子(章帝)や孫(和帝)が士大夫官僚との関係に神経使って早死 t_k_t_k(邪魔という方は左記をNGお願いします)
ご家族等など紹介してプラス¥4000をゲットできる。
https://i.imgur.com/1CID09p.jpg >>63
魏明帝(曹叡)も軍事内政に有能なんだけど、ワンマンの節がある上に血筋disられる始末
極めつけは隋明帝か
明の諡が文句なしの暗黒になった例 >>65
それを国号にした王朝は
最初から最後まで暗黒だったな 宇文護の毒殺だと分かってもあえて毒物口にした
北周明帝が一番泣けるな… 宇文護も皇帝なってたら明帝ぽいw
有能だけど...みたいな 宇文護自体は強引ながら宇文泰の作った胡ベースの胡漢融合を堅持、発展させたからね
誅殺したはずの宇文邕が宇文護の路線を流用した+蓄えた国力で北斉ボコったとこからも優秀さが窺える >>66
明朝暗黒史観なんて江戸時代暗黒史観並みの胡散臭さヤンケ
社会に余裕がなかったら大衆文化(4大奇書などを始めとした講談や演劇)や新思想(陽明学など)が出てくるなんてないんやで 後漢明帝は同母弟の劉蒼は厚遇したみたいだけど他の兄弟は自殺や処罰されたり大抵不幸な生涯送ってる
光武帝が後継を誤ったのではと疑いたくなるほどの人物だな >>59
墓誌、宇文覚が略陽公
初代がそれだと天王(皇帝)に就いておらず、
まだ西魏が続いているということにならないかな
宇文覚と宇文毓の時期は元号もないし
ほんとに禅譲してたのか 要するに明帝ってのは酩酊するどころか明晰な頭脳でもって政治を壟断した皇帝に与えられた諡号なわけだ
それが鞘に収まっていないことが多かった 明帝というから陽キャかなと思ったら
そうでもないのがほとんど >>71
現実逃避とプロパガンダの大衆文化を誇らざるを得ないとか暗黒そのものやんけ
陽明学についてもアフォが俺法や私刑を肯定するために使うのが主で、神道やイデア論的な本懐に至れた者がどれだけいたか分からん
んで、十六国と南北朝を合わせた期間存在した統一王朝なのに、それ以外の誇れるもんはあるのか?と
ここで擁護したのが運の尽きと言うべきか なぜ9をリメイクしないのか
https://dengekionline.com/articles/202289/
まあ追加シナリオで永嘉の乱以降のシナリオ入れてくれれば良しとするか 東晋の明帝は東晋の皇帝じゃ唯一名君だったのに
在位3年で死んじゃったのが惜し過ぎる あれ多分長生きしてたら
後趙に攻め込まれてたと思うで
諸々危うい、突っ走りそう >>79
唯一名君というよりも唯一主体性ある皇帝では
他は神輿に乗ってる感が >>80
後趙というか石勒も石虎も長江に近づくとそんなに強くないので
但し後趙を迎え討つのが内弁慶ジャイアンの王敦ならどうなるかわからん
王敦は部下(陶侃、周訪、etc…)が優秀なだけで本人に軍才あるのかは謎 >>78
三國志9で永嘉の乱以降のシナリオ入れるなら
マップ数倍に広げて異民族領域広げないと堪能出来ない >>75>>76
廟号に明の字が付く皇帝も後唐の2代皇帝の明宗は自身の治世はまずまずだったが後継者選びに失敗して死後わずか3年で後唐は滅亡したし、元の9代皇帝の明宗に至っては在位わずか半年で暗殺されると全く明るくない生涯だった。 >>79
にっくき王敦の墓を掘り起こして遺体しばき回したり三族刑復活させたりとなかなかに不穏ムーブかましてるんよね >>89
皇帝の権威さえあれば安泰で済む、というのを曹魏転覆で破壊してしまった後遺症
自身が力を振りかざして恐怖を教え込まなければろくなことにならない、という強迫観念に近いものを感じる
原因である曹髦暗殺をわざわざ明帝に教え込んだのも、正負両方の含みがありそう >>89
皇帝の権威さえあれば安泰で済む、というのを曹魏転覆で破壊してしまった後遺症
自身が力を振りかざして恐怖を教え込まなければろくなことにならない、という強迫観念に近いものを感じる
原因である曹髦暗殺をわざわざ明帝に教え込んだのも、正負両方の含みがありそう >>87
トニー(とにかく明るい安村)が中華皇帝ならとにかく明るい明帝になれたかもな
顔と体型と変態芸は五胡十六国南北朝時代皇帝にもし生まれててもあまり違和感ないが >>88
現在の西安は中華民国時代の1932年から1943年の間は西京と呼ばれていた。
また現在の洛陽は北宋では西京と呼ばれていた。 >>90
誰が教えてたんだっけと思ったら、よりによって王導かよ… 琅邪王氏が王朝を開けてたら
堅実な運営ができそうだな
文武に多士済々だしなあ 琅邪王氏は王敦以外責任持ちたくなさそうなのがなぁ… 光という字を使うとアウトなのに明はセーフというのがよくわからないあの皇帝
スレ違いだけども >>97
国名の明は白蓮宗が原義だから変えられなかったんだと思う
なんせ建国時は支持母体だったんだもの 北京を最初に都にした王朝は金
その時の皇帝は海陵王
>>93
なるほど 最近スレ乱立しては立て逃げしてるやついるけど
なんかあったの? >>95
ただ絶対に華北進出はしないだろうなあ、モラトリアム人間ばかりだろうし
つまり統一王朝への最大の障害となる >>92
とにかく明るい安村が唐の玄宗の時代に生きていたら安禄山(ロクシャンはソグド語で明るいの意味ある)と共に、とにかく明るい安安と称されたろうな。 南朝が一番勢いがあった時代ってやっぱり皇帝菩薩前期なのかね
ボケてない皇帝菩薩に北朝は六鎮の乱のゴタゴタで分裂目前 >>106
俺はただのヤク中にしか見えないな、ヤクやっている人間に見られる不安定さや被害妄想みたいな兆候がある
多分長寿の薬とかで飲まされたのか、強壮剤として飲まされたものにトンデモなのが入っていたと思う 高一族みんなどっかおかしいからな
クスリか酒でおかしくなったのか、高長恭があの一族では異質なのか >>93
昔はあったけど今はもう西京の都市名はないのね >>108
まあ北斉は北周と違って道教を規制した様子がないから、拓跋から引き続き仙丹キメて頭おかしくなったんでしょ
人口に対して国家出力がショボい北斉が、人口の1割以上出家しているという歪な体制だったのとも符合するし
北周の廃仏も、仏教と習合した道教規制って意味があった >>106
猛将だがちょっと間抜けな彭楽
許褚みたいなキャラ
高洋に謀反の罪で処刑されるのだが
彼からしたら高一族に含むところがあったのかも >>110
仙丹については北周もキメてる
貶めてる部分もあるんだろうけどそれにしたってブッ飛んだ逸話が多すぎる北斉 文宣帝は他鉢可汗が妙に入れ込んでるのよな
息子の高紹義も取り立ててたりする
まあ最後は北周の調略にかかって差し出すンやけどなグヘヘヘ >>108
高長恭は中国英雄にありがちな長生きしたら豹変して晩節を汚すタイプの臭いがする 怒らないでくださいね。
世界的にも無駄に長生きして晩節を汚してる奴の方が多いじゃないッスかね >>103
>>104
戦乱の五胡十六国南北朝時代でなくても
暴君の虫の居所悪ければ腰斬もしくは車裂になりそうな諧謔だが
俺は評価したい 中国史上最高の名君は李世民?それとも愛新覚羅玄Y? 嬴政「王族です」
劉邦「農民です」
王莽「外戚です」
劉秀「皇族です」
司馬炎「廷臣です」
楊堅「異民族(鮮卑)です」
李淵「異民族(鮮卑)です」
趙匡胤「武人出身です」
フビライ「異民族(蒙古)です」
朱元璋「農民です」
ヌルハチ「異民族(女真)です」
孫文「農民です」
毛沢東「農民です」
百姓と異民族が多いな >>118
そりゃ反乱農民を裏からパトリキが支援するって様式美が漢からできたからね
責任を取らずに自由を行使できる立場が一番美味しい、というのを紀元前から理解していた
徳治を志すなら皇帝は無能な怠け者が丁度いい >>119
支援してたはずの農民に粛清されるまでが様式美 「隋―「流星王朝」の光芒」読んでるけど半分近くが南北朝ネタよな。
読んでて始めて気がついたけど独孤信って楊忠楊堅親子の上司ってだけじゃなくて高熲も独孤信の部下だったのな。
これだけ濃い人間関係だと「公私の別をしっかり区別しなさい」つってと難しいものがあるんじゃ >>123
独孤信は一時期梁に亡命して蕭衍の許しを得て西魏に帰国しているとは
陳慶之も生きていたから一緒に北伐させるという選択肢もあっただろうに 独孤信といったら浅井長政
宇文毓、楊堅、李モに娘が嫁ぐ
なんでこんなに娘が気に入られたのかなあ
しかし本人は宇文護の犠牲者という 独孤信って大貴族&イケメン&ファッションリーダー(今ならインフルエンサー)だからそら引く手あまたやろ
娘も超美形の可能性高し >>123の続き
あと周隋革命が起きた時の楊堅のヘイトの買い方が尋常じゃない。娘(楊麗華)からシカトされてたってのは有名ネタだけど、発掘されて墓誌によると「私は周の皇太后だ」と公言してたり、李淵の嫁はんの竇氏も「叔父さんの家の危機を救えなくて悔しい」と泣き出したり李徳林からめ「宇文氏は前の主筋。殺したらアカン」と諌められてるのに左遷したり突厥に降嫁した周の皇女も隋侵攻を煽り立てたりと煬帝でなくてもいつかはヘイトが爆発して反乱祭りのオチは変わらなかったんじゃ >>129
弘農楊氏と偽るために、北周の鮮卑至上主義と決別しなきゃいけなかったのが効いてる
文化的に漢民族は異民族を差別しなきゃいけず、当然の如く当たりは強くなるんだが、元同僚や部下からしたら迷惑かつ理不尽でしかない
煬帝が李世民や永楽帝レベルの強運とパワーを持つ名君レベルでないと、それなりの規模の内乱は避けられないだろう 煬帝は楊玄感の乱のあたりから精神に失調をきたしてた節(突然激昂したり泣き出したり)があるけど、あれも周囲のヘイト感情(宇文一族族滅への恨み)に耐えきれなかったんじゃないかってきがする あと文帝の「漢魏の頃に帰る」発言も何気にヘイト買ってそう むしろ
「彭頭山文化の頃に戻る」とか
「北京原人の頃に戻る」
といえよ >>129
宇文泰が八柱国十二大将軍を設定して以後
その恩恵を受けた門閥が数多だったから
周隋革命で北周皇族宇文氏ほぼ族滅でヘイト買うのは残当
楊堅は宇文闡を頃した後にかなりの傍系の宇文洛に介国公継がして
劉宋以降の南朝の二王三恪の真似したかの如く宇文氏の祭祀守って
介国公宇文氏は隋唐経て五代十国時代まで存続したのに
宇文氏ほぼ族滅のヘイトは後世まで拭いきれなかったな・・・ むしろあんだけ縁戚門閥でがんじがらめなのによく族滅に踏み切ったって感じ
楊堅のオヤジの楊忠にしても宇文泰からも武帝(宇文邕)からも厚遇礼遇されてた言わば「股肱の臣」じゃん 暗愚な宇文贇の奇行のせいで宗室は相当群臣からの信を失ったのだろう
あれだけ武功のあった韋孝寛のような功臣が簒奪阻止のため挙兵した尉遅迥の抑えに回るぐらいだから >>133
古代中国だったら「盤古の頃に戻る」だろ。 北魏の北海王が亡命してきた時に陳慶之が洛陽
落としてるけどここが南朝の限界やったんかねえ
北魏は反乱相次ぎ分裂目前で南朝にとってはこれ以上無いチャンスだったと思うんだが 皇帝菩薩が宇宙大将軍をうまく操縦できてもワンチャンすら程遠かったかもな でも宇宙大将軍vs文宣帝高洋は見てみたいんだ
北斗の拳のモヒカンvsリアル無惨様なんだ 侯景の乱がなく梁武帝が自然死してたら、その後八王の乱も真っ青な宗室の争いが起こるだろうからなあ まあ、南で政権固めると大抵の人間が北上したくなくなるよねw
やっぱ寒いのは嫌なんだろうな
北の人間との意識の差を感じる 普六茹氏なんて木っ端じゃなく独孤、乙弗、万紐于あたりの名門ならもっとうまくやれたのかしら 普六茹氏なんて木っ端じゃなく独孤、乙弗、万紐于あたりの名門ならもっとうまくやれたのかしら >>138
劉裕の北伐成功してから劉裕死んで洛陽失陥(422年)(逃げ上手の檀道済が撤退戦で名を上げた)
してから陳慶之が北伐成功して洛陽奪還したのは
第一次元嘉北伐(430年)(到彦之が5万の軍で洛陽奪還)で一時的に洛陽占領したぐらいで
北魏が華北統一(439年)した以降はほぼ北伐ノーチャンス
北魏が柔然討伐した隙狙った第二次元嘉北伐(450年)は
6万の軍で北伐したのに北魏60万のカウンター喰らって
瓜歩までレッドグラウンドになって以降限界集落状態
拓跋Zが宗愛に殺害された時(452年)にも第三次元嘉北伐やってるが
蕭道成が長安方面進軍して少し名を上げたぐらいで予想通り失敗でほぼ空気 >>142
南だけでも豊かだからな
北取っても入手可能なリソースに対してコストやリスクが割に合わないと考えてる節すらある
桓温以降の北伐は、皇帝(候補者)のデモンストレーション的な意味合いが強く、都市を陥落させても統治する気概がない >>147
失敗したが太平天国も北伐したし建国当初の意気盛んな時は本気で統一を狙うのだろう。 北は野望の巣窟
南はニートの墓場
って気がする、やる気ある奴は北を目指すんだろうけど、よくいるイキった変な奴なんだろう 6国が相互に結び、協力して秦の圧力を防ごうとした合従策は失敗
北条包囲網、信長包囲網、伊達包囲網、対仏包囲網も瓦解
柔然・劉宋・夏・北涼・北燕・高句麗・吐谷渾による北魏包囲網も崩壊
古今東西、囲んでる方が有利なのになぜか上手くいかない歴史の法則 PS4,5/XBOX1/Steam(PC)
■架空戦争略奪サバイバルゲーム
▽「RUST(ラスト)」シーズン10 第3章
『負け犬の復讐』VS KENNYS×OFF中国軍#2
ttps://iplogger.info/2wxbtq.tv アメリカ一国でもチート過ぎるからな
日独伊にソ連加えてようやく対抗できるかどうかってところだし
日本はそれでいくつもりだったが独ソ戦が始まってしまった・・・ >>152
米英はともかく中蘭は戦力としてどうなんやろね >>147
いわゆるナショナリズムとナチズム
女真やモンゴルといった異民族に蹂躙されてズタズタにされた漢民族のプライドを、憎悪に変貌させて敵を飲み込んだ
しかも白蓮教のもとに団結した集団は死をも厭わないという、兵士として最良の精神を持ち合わせてる
当時のモンゴルはパスクモンゴリカに綻びが出始めており、各オルド国家間の不和もあった上
筆頭である元はチベット仏教にのめり込んで経済破綻を起こしたあげく、紙切れ量産で混乱を加速させ信望を失っていた
超ドーピングしたパキギメ漢民族VSガリガリにやせ細ったモンゴルという図式があってこそ、明は北伐を成功できた >>147
>>148
永楽帝「カワイイ甥っ子を殺した現実から逃げたかったんや」 宇宙大将軍てなんか絶妙な強さだよな
不満分子としてやっかいな強さとカリスマ性があるけど、
不利な形勢をひっくり返したりエース級をぶつけられると勝てる程の強さではないという イスラム教って全宗派で豚肉も酒も禁止だよな?日本にいるクルド人やインドネシア人はこれらを普通に飲み食いしてるけど、これ教義的にはどうなん? 中国料理は豚肉多いけど回族の方々は全く豚肉食べない? >>160
イスラム教徒でも厳しい地域と緩い地域、厳しい人と緩い人がいる
東南アジアは緩いので有名 >>151
湣王が強勢を極めた斉に対する六国同盟軍よる侵攻は成功したぞ >>151 ビン王が強勢を極めた斉に対する六国同盟軍よる侵攻は成功したぞ >>159
格的には爾朱榮軍団内では下っ端のモブ
高歓や宇文泰どころか独孤信よりも下なのに
瞬間的に南朝牛耳って皇帝にもなれたんだから奇跡 明の北伐が東晋や南朝や南宋の北伐と違って成功したのは南宋までは鄭州付近から山東半島の北を通って渤海に注いでいた黄河が、元の半ばから山東半島の南を通って淮河に合流してから黄海に注ぐように流路が変わったせいで江南から進軍する大軍の兵器や糧食の輸送を水路を使っての大量運搬が容易になったのが大きいのではないだろうか。
後の太平天国の北伐が失敗したのは明と同様に南京から北京まで主力軍を一直線に北上しようとしたところ、それまで淮河に合流していた黄河が流路を変えて渤海に注ぐ流路に変わったため渡河に失敗し進軍路を西に変更して山西から遠回りして北京を攻める形になり清に防衛体制を整えられる余裕を与えたからだろう。 >>166
中国史に残る大仕事をしたのに暴君扱いされる煬帝に悲しき過去…… 暴君にしてはニートになったりダサいんだよなあ、広は
やはり虎キチみたいにとことん暴れ回らんと暴君成分が感じられない まあ文化系だからな。文学者としては当時は並ぶ者がいないと言われたほどのレベル そう考えると高洋って結構キャラ立ってるよな
堂々たる五胡や南北朝の中の代表する君主の1人 >>169
一流の文人だが為政者としては失格で亡国を招いたという点では北宋の徽宗と似ているな。 >>171
失格判定スレスレで早死にし、血縁のない後継者がそれなりに頑張ったおかげでどうにかなった曹丕といい
下手に内面の想像力が豊かだと酷い事になるなと感じる >>170
高洋もこれまた暴君にしては人間っぽく感じないんだよなあ、なんか人間に必要な何かがポッカリ空いちゃった感じ
残虐だろうと強権だろうと人間を感じることが暴君には多いけど(つかワガママ)
高洋にはそれすら感じない気味悪さがあるんだよなあ
まあ上にもあるけどこの時代の皇帝は総じて丹薬の影響か、そういう人間としてのvividを感じられないのが多い >>170
優秀でイケメンな兄と比べられて母と兄弟に馬鹿にされながらも父親が認めた才能を発揮するまでは物語の主人公ぽいんだけどな... >>174
手っ取り早く成果を出せる外征、って解釈だったんじゃねえの?
ま、実際はそうでもなかったが >>174
後の唐王朝でもなんどかやってるしあの辺は戦略的に抑えないといけない土地なんじゃ
あと煬帝は突厥も高句麗攻めに参加して貰える皮算用があった臭い >>174
周囲の異民族を屈服させて事実上の臣下にするというのは、前漢武帝が成し遂げてから強権皇帝のステータスよ
故に完璧志向かつ専制主義の煬帝にとって外せなかったのが窺える
実際、先代の統一王朝である西晋は拓跋をそれと見なして屈服させて箔を付けた
南匈奴と大月氏、さらには倭(これは司馬懿の成果として流用するが)を臣下と見なした曹魏への対抗って面もあるけど >>160
トルコ人は酒飲んでる
遊牧民だった頃の名残かな
ロシアの君主がキリスト教かイスラム教かどちらか選ぼうとなった時
イスラム教が禁酒と聞いてキリスト教を選んだという逸話がある 高句麗の領土は漢帝国~曹魏の時点では楽浪郡つって中華の領土扱いやからな
本来の漢帝国の領土を奪回する事で政治的な正当性を得るって発想は珍しい考え方ではない イスラムの広がりは中央アジアまでだったな
中国は儒教、モンゴルはチベット仏教だからマイナーとしては入りこめても
メジャーにはなれなかった >>181
現代でイスラム教徒が最も多い国は総人口の90%、約2億人の東南アジアのインドネシアですが。 インドネシアは五胡十六国南北朝時代は
インド商人の影響でヒンドゥー教だったのに
12世紀(趙宋)以降はムスリム商人の影響でイスラム教に
宣教師が布教するよりも商人が布教した方が効果あるのでは 隋唐が執拗に高句麗を気にしたのは
宇文氏以来の地政学的条件もあったと思っている
五胡初期には慕容氏と宇文氏は犬猿の仲
この当時から高句麗はあったわけだけど、結局慕容氏に宇文氏は従わされたので
武川鎮の意識として慕容部の故地+高句麗のあたりを何としてでも抑えなければいけないというような
脅迫観念というか… 高句麗と突厥が組んで攻めてきたら流石の唐もきついからな
どちらか片方は潰す必要がある(まあ高句麗は内紛で自滅したけど)
ローマ帝国はゲルマニアとササン朝の二正面戦争に苦しめられた >>184
高句麗は昔は毌丘倹や慕容翰に首都蹂躙されてたモブだったのに
時代が下って隋唐が苦戦するとはな…
>五胡初期には慕容氏と宇文氏は犬猿の仲
宇文泰が八柱国十二大将軍を設定した時に
慕容氏(豆盧寧)を入れたのは評価したい 宇文部と慕容部の戦いでは
宇文部がボコられてばかり
結局慕容氏に服属し、北魏との戦いで拓跋氏に降伏して配下になって
そして宇文泰という英雄を出して拓跋氏を食って華北の覇者へ
なかなか数寄な経過だな 東ローマ皇帝の末裔はいるけど西ローマ皇帝の末裔はいるの? 東晋や南宋は長く続いたけど南明は速攻で滅んだのはなぜ? >>189
その程度の国家でしかない、ということ
腐っても東晋も南宋も愛国心や帰属意識、資本といった守るべきもんがあった
南明は前身の明の時点で全方位に見捨てられていて、イエズス会のケツ舐めるとこまで落ちぶれている
こんなのに付いていける者がいるわけない 鄭成功「せやな」
永暦帝もビルマではなく台湾に逃げれば良かったのに 後漢が中央集権化により皇帝に権力が集中し、宦官と外戚の専横を招き、滅亡した
西晋はその轍を踏むまいと各地の司馬一族の王らに力を持たせたが、
その王たちが皇帝の位を巡り争うようになり、その隙をついて五胡が台頭
違うやり方をすればいいというものでもないのが歴史 >>188
西ローマ皇帝は血縁継承でないところの方が多いから
何処かしらの皇帝の末裔は居ると思われ 宇文泰の母は楽浪王氏
王仁は楽浪王氏だから楽浪王氏を通じて
倭国と宇文氏のつながりとかあったりしないかな 滅亡したササン朝の皇子が唐まで逃れて援軍を請うたが実現せず
そのまま長安で没したんだよな
てかアラブ人たち宗教的情熱はあったにせよ
どうやってササン朝のカタフラクトと戦象を撃破したのか気になる 東洋版のカタクラフトは慕容部の発明?
独自の発明かそれともササン朝などから伝播したのか気になる
廉台の戦いで慕容恪が冉閔を包囲殲滅する鉄床として運用
高句麗の主力となるが、恐らくは慕容部との角逐の中で高句麗は学び取ったんだろうね 東洋版のカタクラフトというと金の鉄浮屠を思い浮かべるな
南宋相手には活躍したようだが、モンゴルの軽装騎兵とは相性が悪かったか >>198
そりゃ重騎兵って軽騎兵のカモだからな
西洋の騎士が歯が立たなかったのと同様、縄にかけて引きずるだけで勝手に死ぬ鉄の塊になる
ポーランドのフサリアはその対策として縄が体にかからないようにクソデカ羽を背負ったというわけ 第二次ウィーン包囲ではポーランド国王ヤン3世が率いるフサリア3千騎が、
ウィーンを陥落すべくこれを包囲していたオスマン軍15万に対する中央突撃を敢行し、
敵の総司令官カラ・ムスタファ・パシャのいる本陣まで一気に縦深し大混乱に陥れ、
たった1時間でオスマン軍全軍を散り散りに敗走させている。
敵が油断していれば兵力差10倍以上でもなんとかなる。 駐蹕山の戦い
https://www.youtube.com/watch?v=0acE-VT5lTo
これが映画で再現されてるなんて知らなかったわ、韓国映画だけど
鮮卑から学んだであろう高句麗のカタフラクト部隊が唐太宗の歩兵に向かって突撃、両翼から軽騎兵で分断包囲殲滅される
慕容恪VS冉閔は攻め手が歩兵、受け手が重装騎兵で逆だが
軽騎兵が両翼から殲滅したのは同じ
第二次ウィーン包囲のポーランド騎兵の突撃みたいに歩兵の蹂躙が成功することもあるし戦例は様々 天可汗さん、韓国でもそんなに評判良くないかもんな
韓国ドラマ「善徳女王」でもゴリ押し外交でヘイト飼ってたし、秀吉が大魔王とするなら天可汗さんは外圧マウントおじさんみたいな扱い 安市城 グレート・バトル
https://eiga.com/movie/91117/
映画そのものは数年前に日本でも公開されとるな >>202
韓国は被害者商売民族だから韓国で評判悪かろうが大した事ない
秀吉が韓国で大魔王扱いでも日本には全く影響ないだろう
中国で華北失って流れた南朝も韓国並に拗らせてもおかしくないが
そこまで酷くないのは北朝に吸収されてモーマンタイになったからか 大阪城韓国人観光客多いやん
お前ら秀吉嫌いなんじゃないのかよw ぐぐりゃわかるけど韓国の歴史じゃ暴虐豊臣家は徳川にボコられて〆られて
徳川が韓国側にボコったんで許してって謝罪してきて韓国は許した事になってんの
ボコられた負け組の城の上に勝利者が新たに作った城ってのはあっちも知ってる 家康……聞いたことが在ります……日本人ではなく元信(韓国名원신ウォンシン)といい。朝鮮の義兵の指揮官で藤堂高虎に捕らえられて日本に送られて大藩の太守の影武者になったとか…… >>200
フサリアは強度ガン無視の殺傷力ある長柄で暴れ、武器が壊れたら敵前逃亡を繰り返すという、当時としては異質な戦法の戦士
なんと恐ろしいことにWW1でも現役なほど強かった
なおWW2 桶狭間では織田軍3,000 vs 今川軍25,000とのことだが
本当に25,000もいたのか?
背後は甲相駿三国同盟で安心して駿河・遠江・三河の兵力を尾張へ全振りすれば可能かな? 桶狭間の戦い
実際に本戦戦ったのは
織田本軍2000vs今川本軍5000説
戦地に布陣してるが本戦に加わっていない軍も加えて25000ならわからんでもない
淝水の戦いでも前秦軍117万でも戦ったのはごく一部で
ほとんどは朱序に騙されて敗走した烏合の衆 しかも桶狭間では所謂精鋭軍団だった信長軍に対して、今川は雑兵や非戦闘員が多かった当時の常識的戦国軍団だったらしいからな
実質三倍くらいの戦力差が信長軍とついてしまったらしい、みたいな研究で後にNHK大河の時代考証の常連になった小和田哲男の出世研究
寡兵をもって大軍を穿つ、というのの大部分はこういう数字のいたづらなんだよな 五胡南北朝を通じてのベスト合戦はおれは高歓VS宇文泰の
543年の邙山の戦いを推すわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%99%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
淝水の戦いみたいに戦略的、歴史的な帰趨を決めるものではないけど
戦術面の3日間の推移がシーソーゲームでとても面白い
大将同士が前線に立って討ち取られそうになったりとか躍動感に溢れている ということは
最強の人類一人vs訓練すら受けてない数兆の雑兵
でも前者が無傷で後者を死滅させられるのか つ項羽
ネズミが100匹集まっても1匹のライオンには勝てない >>214
で、4-5桁のネズミにフルボッコされたけどな エルサレムが一番平和だったのはオスマン帝国の時代かね >>216
有史以降ではそれでいいと思う
イスラムというのは教義からは想像できないかもしれんが非常に寛容で、ユダヤもキリストも兄貴分として保護していた
またアミニズムや仏教をも学習する気概があり、仏教は啓典(つまり聖書)のひとつだという答えを出したりしてる
オスマンはそこに他民族国家としての矜持も加わっていて平和そのものだった
それが憎いからと解体したらこのザマ
物質主義にまみれた集団が他者と並び立つという概念を理解できず、今まさにナチズムの根底にある絶滅主義をユダヤが使ってる 高歓は何度も西魏を攻めてたのに北斉の君主は北周攻めてないよな
北周放置してても国力もまだ上で数多くの名将がいるし間違っても征服されないと高を括てったのかな >>215
結局項羽は誰も倒せず(配下28騎は全滅)
最後は自ら首を刎ねて死亡
命尽きるまで戦ったらどうなったものか
真三國無双なら項羽一騎でハードモードで数多の武将
最後には劉邦まで討ち取ってゲームクリアしそうだが
五胡十六国時代だと劉裕でプレイして
同時代の赫連勃勃や拓跋嗣を討ち取ってみたいところ >>217
元々エルサレムはユダヤ教徒とキリスト教徒の土地
そこに後からイスラム教徒の連中がのこのこやってきて勝手に占拠して奪っただけじゃ… >>217
その頃は、良識派が絶望し厭世に特化したグノーシスと、選民だから何してもいいシオニズムに二分されていた
北周すら可愛く見えるくらい退廃してて占拠されても文句言えない
天命が下ったから放伐になったという状況だし、ユダヤ教徒やキリスト教徒の身分も保証するくらいの徳を見せつけた
てかアブラハムの宗教は共通でエルサレムが聖地である以上、イスラムだけ排外するのは白人仕草よ
まさに絶滅主義 >>217
その頃は、良識派が絶望し厭世に特化したグノーシスと、選民だから何してもいいシオニズムに二分されていた
北周すら可愛く見えるくらい退廃してて占拠されても文句言えない
天命が下ったから放伐になったという状況だし、ユダヤ教徒やキリスト教徒の身分も保証するくらいの徳を見せつけた
てかアブラハムの宗教は共通でエルサレムが聖地である以上、イスラムだけ排外するのは白人仕草よ
まさに絶滅主義 というか
両方喧嘩両成敗かつ問答無用で鏖にしたほうが遥かにマシだろ
無論中東という地すらムーやアトランティスのごとく消滅させてな
というかスレチやめろ 宇宙大将軍は頭のネジがブッ飛んでたり元々ない奴と比べたらかなりマシという…
肩書きでよくネタにされるけど、六合諸軍事だけならネタにすらならない中堅上位クラスの人物で終わってただろう 宇宙大将軍は殺されたあとに高洋に手と足が届けられた
これからしたら蕭繹は北斉との関係改善を狙ってたと思う
北斉と組み、ま西魏に対抗する策だったのだろうか
頭蓋骨は漆塗りにして保存とか、どこかにも例があるような >>225
いや獅子身中の虫となって最後は自身がバラバラにされた、なんて王莽レベルのネタ人物だろw 高洋「侯景の手足貰ってもな…薛嬪みたいに琵琶作れんしイラネ」 というか、
宇宙大将軍とかの反逆の末にバラバラになった奴の肉を食った記録があるが
お味の方は記録あったんだろうか >>229
史書で人肉の味を評したのは隋末唐書の群雄の朱粲の事績を綴った『旧唐書』と『新唐書』の”朱粲伝”に「酒を嗜んだ人間の肉は粕漬けの豚肉に似た味がする」という朱粲の発言くらいしか無かったと思う。 >>230
それを聞いてきた相手を煮込んで食べちゃったやつかw >>231
朱粲が李淵に降伏する意向を伝えたので段確という人物を李淵は散騎常侍として朱粲の元に遣わした。
そこでの宴会の際に酔った段確から人肉の味を聞かれた朱粲が>>230の通りの発言したので段確に
「人食いの逆賊め!また人を食らうのか!!」と罵られたので従者数十人と共に段確を煮て側近達と食らった。
最後は李世民に捕らえられて斬られたが、その屍体は朱粲を憎む人々が争って瓦礫を投げ打ったので瞬時に墓の盛り土のようになったそうだ。 可食部少なそうな気がするけど人肉
臓器とか食ったらなんか病気なりそうだし 緊急時に食うならいいけど食肉用として育成生産するには不向きすぎるというだけかな >>235
家畜飼ってる遊牧民族なら家畜潰して喰った方が美味い
人間は家畜よりも不味いわ面倒だわで殺す方が楽なのかも 羯は冉閔に皆殺しにされて可哀想と思ったけど
漢人を「羊」として扱ってたときがあったのか
なら冉閔のようなのにみんな消されても仕方ないよなあ 東晋時代でもどこかで見たけどわりとフランクに食人描写出てくるのにはドン引きする
飢餓からというより憎っくき敵に対して食ってるケースが多い >>239
死体への冒涜は権威の否定として様々な国がやっていた
墓を暴いて鞭打ったり斬首したりするのは古代中国ではよくあったことだし
20世紀ですら遺体を掘り返し焼却処分してる
とはいえ食うという例は珍しいか
15000年前(白人誕生当初)はカニバリズム葬儀があった、というだけでパニックになりかけたし ここ、行ってきたけどくっそ遠かったね
駅まではそこからバスに乗ってさらに歩いて20分と結構きつい(しかもかなり急な上り坂)
平日はタクシー使わないと死ぬね
https://twitter.com/kurokawakobunka/status/1712724989437468841?t=I4KLGi0V-1oy5uDHXtL8MA&s=19
上野やってた三国志展と比較するとやっぱ後漢末~曹魏と比較すると金粉まぶしてる装飾品とか増えて一気に派手な感じに変化した印象
https://twitter.com/thejimwatkins >>240
文革の孔子一門の墓総荒らし&遺体焼却とか
国民党の汪兆銘の墓爆破とかな >>240
文革の孔子一門の墓総荒らし&遺体焼却とか
国民党の汪兆銘の墓爆破とかな 汲桑が司馬穎を掘り起こしたみたいに正当性を主張するために利用した例はほかにあるんだろか 汲桑が司馬穎の死体を掘り起こしたみたいに、正当性の主張などで死体を利用した例はほかにあるんだろか 紅衛兵の李連英の首サッカーボール事件もあったか。
汲桑みたいに遺骸を掘り出し奉じた、というのは恐らく異例中の異例。
基本死者は決まった墓地か死者の出身氏族の本貫地に安葬するもので
埋葬地までの移送以外で遺骸を持ち歩く事はない(信仰対象の仏舎利は除く)
周武王が文王の位牌を奉じ軍を率いた「逸話」は有るが実際の出来事かは不明だし
多分遺骸にしろ持ち出さねば正統性を示せないと考える事も状況も異例だと思う。
そもそも移葬し無いのに掘り出すのは墓荒らしに等しい無礼だったから。
ただ春秋辺りから唐朝まで君主継承の最初の儀礼は、死んだ君主の枕前や棺の直ぐ側に新たな君主が居て
群臣の拝を受ける事だったので、その場景を念頭に置いた可能性は少しあるかも。 苻登の「熟食」の軍団は強かった
敵の肉を食らって戦えと
淝水後の姚萇と10年近く壮絶な戦いを繰り広げるが挽回できず
苻登は姚萇を討ち取れたら中興の名君として名を残せたかもしれない >>247
あれ司馬遷の創作の可能性があるんやぞ
史記より前に書かれた春秋には書かれとらんのや >>249
カンニバルの話さえなければ悲運の名君苻堅に忠義を尽くす義士の集団とか講談の主役になりそうなのに >>240
“油条”という中国南方・香港・台湾・ベトナム・ラオス・タイなどで朝食の際よく食べられる揚げパンの一種があるが、これは元々は”油炸檜”と言っていて言葉の謂れは南宋初期の宰相の秦檜にあり彼が抗金の英雄・岳飛を無実の罪で処刑した際、杭州に住んでいた王小ニという人物がこれに怒り練った小麦粉を秦檜夫婦に見立てて二人を象り、油で揚げて釜炒りの刑にする事で恨みを晴らそうとした故事にあるとされる。 秦檜って岳飛を殺さなかったら評価の変わった男だよねえ
だから姚萇も苻堅を殺さなければ(以下略 >>253
ぶっちゃけ上皇とかに棚上げして軟禁してくたばるまで待ってりゃ良かったんじゃね
なおこれを実際にやったのは天可汗さん 姚萇さんは結構前秦に尽くしてるんだよなw
苻堅殺した事を先に知ったからそこに驚いた記憶ある 実際、淝水敗戦後も慕容垂の東帰を許さず(もしくは軍監つける)姚萇を重用してたら最悪関中と華北はキープできたと思うんだよね。 淝水後の1年の状況だと慕容垂より姚萇のほうが苻堅に対する
忠誠心が強いように見える
慕容泓、沖討伐に向かってるし
無駄に西燕が強すぎたってのもあるかな
こいつら、宮廷の中で幼少期過ごしてきて戦の経験がないはずなのに
自立していきなり戦いに勝っている
その点はやはり慕容氏 苻堅はネタにされやすいけど民忠は当時じゃダントツで姚萇の兵ですら苻堅の死を嘆いてたしババ引かされた印象は拭えない いや兄(姚襄)の仇なのによくここまで苻堅のために働いたといえるほど
ちなみに冉閔は姚襄にも大敗させられてるな (他の息子と奥さんが反逆するほど)可愛がってたのに裏切られた
ヘンリー2世とジョン欠地王のような関係もあるしな 姚襄(331-357) : 姚弋仲の5男
姚萇(331-394) : 姚弋仲の24男
いつもこのくだりで吹くw
一番のツッコミどころはこの時代珍しい聖人なのに
男子42人こさえた性人の姚弋仲なんだが 姚襄(331-357) : 姚弋仲の5男
姚萇(331-394) : 姚弋仲の24男
いつもこのくだりで吹くw
一番のツッコミどころはこの時代珍しい聖人なのに
男子42人こさえた性人の姚弋仲なんだが ぶっちゃけすぐ死ぬ時代だから弾は多ければ多いほどいいからな
司馬炎も子供のうち10人くらいは成人前に死んてるし 一夫一妻での家系だったのに17人の兄弟いるベンジャミンフランクリンと比較して
姚弋仲は一夫多妻で諸派の嗣子として作り続けたから衝撃はない 慕容皝も確認できてるだけで20人くらいいる
早世したのとか無名の女子とかなら40人くらいいるかもしれん
近現代ならイブン・サウードをが思いつくな
まだ今のサウジ王は2世代目なんだぜ 5男と24男が同じ年生まれの方が気になる
密度がすごい >>266
昔は娯楽なんて限定されてたし多死社会だからな
サウード家も聖地の守護者かつ一夫多妻肯定されてるし英米の後ろも楯あるから驚くことはない
孫200人いるから遺産分配のため三菱にビル売ったって自慢していたデイビットロックフェラーのが特筆に値する特殊性
>>267
生年か出生順が誤ってるってのが通説 それでも後秦は最終盤まで同族争いが起きていないのが目を引く
劉裕に攻められる滅亡期の姚泓の時期になってやっと兄弟のバトルになる
羌は唯一現代まで続いている五胡だからまとまりは強いんだろうな >>265
王族だったらマリア・テレジアと
その子たるレオポルト2世とマリア・カロリーナだな
一夫一婦で16~18人作ったから
相当の金玉と子袋の持ち主というか 子ども50人もいたら生活レベルどんくらいなんだろう >>271
ただ全員無事育ったとは限らん時代だしなあ
また多すぎて栄養が行き渡らなかったという話もあるかもね、記録にないと思うけど
まあ古代世界は子供を産める母親が絶対正義だったのが分からんでもないな 嫉妬深くて浮気許さないウーマンだけど、しっかり男の子を4人産んで育て上げた独孤伽羅ちゃんは神 完全にこの系統やからな
https://i.imgur.com/aKtNaXU.jpg
これで実家パワー最強の独孤氏とかそらマウント取られ続ける人生になりますわな
独孤氏ってマジモンの名族で煬帝に殉じて戦死した家臣に独孤氏の縁者がいただけで後に唐朝から流罪にされたり流罪になった王世充も独孤氏の縁者を殺してたから流罪→殺害のコンボ食らってる
やっぱり三朝で皇后出してる家のパワーは半端ないッスね >>272
五胡十六国より1000年後の明の朱元璋には男子26人に女子16人の計42人の子供がいたが、夭折したのは男子2人と女子2人だけで81歳の長寿を全うした14女の含山公主を筆頭に70歳代が5(男2・女3)人、60歳代が6(男5・女1)人、50歳代が5(男2・女3)人と50歳以上生きた者が17 人もいるのは時代が進むと特権階級は幼児の死亡率も低くなると言えるだろうか。 >独孤氏ってマジモンの名族で
よくよく考えると独孤氏は南匈奴十九種族最上位の屠各種の出身で
劉姓名乗れる(実際に拓跋宏の漢化政策で劉姓名乗らされたw)資格持ちの
虚連題氏(劉淵)や赫連氏(劉勃勃)とも同族扱いで
鮮卑においても拓跋珪が定めた臣八姓の一姓に加えられ
南朝でいえば琅邪王氏や陳郡謝氏などと比較されてもおかしくない名族
北魏分裂以降の独孤氏はじめ関隴集団の動静をみるに
真の貴族政治は似非貴族政治の南朝ではなく末期の北朝に存在していた >>275
それとともに朱子学みたいな男尊女卑的な考えが強くなってきた気もしないでもないんだよなあ
幼児生存率の上昇が皮肉にもその子を生む女性の地位を低下させた、なんてことも言えそうな気も 約束反故にしまくるわ、報酬の金渡さんわ、挙句の果てには遼の残党と組もうとするわ
こりゃ金もブチ切れる 約束反故にしまくるわ、報酬の金渡さんわ、挙句の果てには遼の残党と組もうとするわ
こりゃ金もブチ切れる 唐以後は五胡、南北タイプの名・暴君は出てこなくなる
それが全部合わせて復活したようなのが金の海陵王
漢文化に憧れて北京に遷都したようなところは孝文帝みたいだし、
60万の大兵で江南を征服しようとして大敗するとかは苻堅のようでもある
あとは司馬炎、石虎、高洋、宇文護、隋煬帝もろもろの
五胡南北朝の君主をちょっとずつ取っていったような…
中華の首都が北京という流れは海陵王から 女真文字は廃れて満州文字が使われるようになったが結局は漢化
清朝も後半になると皇帝でさえ満州語を話せなくなってくる >>278
約束とは人と人の間ですることだ。
騎乗人面獣とすることではない。だから宋の行為は非難することはできない。
ただし、宋はそれをやるだけの軍事力に欠けていた。
これこそが問題なのだ。 >>273
しかし結果論からすると独孤伽羅の子育ては成功したとは言い難い
もし楊堅死後に独孤伽羅が生きてて垂簾聴政行ってたとしても
北魏の文成文明皇后程の政治力発揮できたと思えないので
単なる恐妻でしかない >>270
その逆ベクトルが
英国の前王朝・ステュアート朝最後の王アンだよな
17回も孕んで
流産・死産・生後即夭折ばかりで
長くても11歳までしか持たんかったしな >>283
文明皇后とかいう政治力キチガイはもっと有名になっていいと思うんだ
子貴母死でも止まらない外戚とかえげつなさすぎる
子貴母死 強権を振るったタイプでは呂后や賈南風、独孤伽羅
儒教的な良妻賢母だと天可汗の長孫皇后とか朱元璋の馬皇后などいるが
制度設計的な面でのアタマの良さを発揮したのは文明皇后(馮太后)くらいしかいない…
あ、武則天という超大物がいたか
彼女とおそらくは長楽馮氏の率いる漢人集団こそが孝文帝改革の主導者
清河崔氏よりずっと賢かったといえるかも >>286
まあ崔浩は魏書の記述を見るに軍略の方面で能力を発揮してるイメージがあるな。太武帝とか崔浩の進言を聞かずに行動するたび失敗して「崔浩の言うことを聞いとけばよかった…」とか言ってるし、なんなら崔浩の死後も崔浩を殺したことを悔やむような発言してる。
まあ国史の獄で特大チャンボかますわけだがあれも謎が多くてよく言われる「拓跋部の野蛮な歴史をそのまま書いたから説」も結構怪しいからなあ。その点崔浩は評価が難しい人物と言える。 >清河崔氏よりずっと賢かったといえるかも
清河崔氏はそこそこ有能でもどこかしら抜けてるのは
崔杼の頃から変わってないからな・・・
太公望呂尚の子孫とは思えない抜けっぷりだが
唐の時代に清河崔氏から12名(博陵崔氏他も含めると29名)
の宰相出してるのを考えると基本有能なのは確か 清河崔氏が崔杼なら
河内司馬氏の司馬卬もなー
楚漢戦争時だが判断がマヌケすぎるような、ことごとく選択が空回りしてる感がある
それから司馬懿ほか抜け目のないやつが出てきたもんだ 元々エルサレムは東ローマ帝国の領土であり
ユダヤ教徒とキリスト教徒が暮らしていた
そこに後からイスラム教徒(アラブ人=パレスチナ人の祖先)がのこのこやってきて土地を奪って勝手に住み着いただけ >>290
すれちだろ
むしろここに住んでる奴らを含め
地球上で問題を起こしてる奴ら全員
一匹残らず土地ごと問答無用に地球から消し去るだけでいいだろ 崔浩は国史の獄でやらかさなけりゃ武廟六十四将入りもありえたと思う
ていうか北魏から唯一選ばれてる長孫嵩があまりにも地味というか王猛や謝玄や慕容恪と比べると格落ち感が否めない 崔浩は国史の獄でやらかさなけりゃ武廟六十四将入りもありえたと思う
ていうか北魏から唯一選ばれてる長孫嵩があまりにも地味というか王猛や謝玄や慕容恪と比べると格落ち感が否めない >>291
こういう時だけコテ外すとはニクい奴やのぉ
巨人主義きゅん >>293
長孫嵩は河南長孫氏の唐の長孫無忌・長孫皇后兄妹の一族の遠祖であるから嵩上げされたのだろう。
ところで長孫無忌が武廟六十四将に入っていないのは何故だろうか。凌煙閣二十四功臣の筆頭であるし入っていて当然と思うのだが。 武廟六十四将なんて玉石混淆でゴミも混じっているからな
楊素入っている時点で気付かないのはバカ
こんなもん有り難がってるのは残念な人種 戦国時代で主君を変えるのは普通とはいえ
それを外様がやるのと、一門譜代がやるのとでは訳が違う気もする
当時の価値観でも大なり小なり鞍替えは良くないことという認識だったろうけど モンゴルが攻めてきた時、宋や高麗の武将はあちらに寝返るのも一定数いたけど
日本の鎌倉武士で寝返ったのは皆無だったな
この違いはなんだろう? >>299
海で隔てられているかそうでないか
そもそも侵攻された期間が全然違うし比較が成立しない モンゴルというと武勇一辺倒のイメージだが情報戦や敵国の人間への調略も得意だったりする >>301
というか、そっちが本業だからな<情報戦と調略
チンギスハンの遺言を守って軍事力を維持するとマンパワーや国土開発がおそろかになる
それでも遵守するためには、自軍の被害を防いだり征服民に開発させなければならず、いかに相手を取り込むかが肝になる
それに失敗したフレグは財政難からの弱体化で真っ先に崩壊して現地と同化した モンゴルって元朝含めて基本収奪しかしないまま終わったイメージ フビライは案外慎重派で時間かけて攻略してるんだよね確か
そのせいで兄貴にキレられたりしながら 南宋戦は心攻戦重視で略奪なんかも控えられたと聞いたことがある モンゴル軍ってモンゴル族だけでなく
漢族、女真族、高麗人、果てはイスラムの戦士、十字軍の騎士なども含めた
異民族・異教徒の兵士からなる混交軍団だったりする >>266
イブン・サウードの経歴
五胡南北朝だと劉裕がいちばん当てはまると思う
ガタイは慕容恪のようだし、少数の兵で大軍に挑んだり城を奪ったりするところは劉裕みたいで
寒門貴族≒零落した小王国から、ということを考えたら石勒ほど下からの出発ではない
われわれが東洋的な徳性ってのがだいたい何たるかを知っているように
イブン・サウードはイスラム社会、遊牧社会での武力も含めた広義の徳を一身に兼ね備えてたんだろうな >>290
ユダヤ人の祖イサクは神から「この地をあげるよ」と言われたというのがユダヤ人の論理
ちなみにイサクの腹違いの兄イスマイールはアラブ人の祖先ってことになってる >>306
王莽や苻堅に混成モンゴル軍の爪の垢を煎じて呑ませたい >>309
苻堅「僕も同じようなことしたんですよ?でもその結果がアレでね」 >>310
王猛「素直に俺の遺言聞いときゃよかったんだよなあ」 ロシア軍の戦死者30万人か
(アフガン侵攻における戦死者は約1万5千人)
これだけ死んだのは独ソ戦以来だな 五胡の時代から少し外れるが
安史の乱での死亡者約3600万人で
現代の人口比に換算すると4億2900万人で最悪レベル
第二次世界大戦での死亡者約5500万人よりもある意味酷い というか36万とかならあるかも(庶民や隷民含め)しれんが
3600万はちょっと有り得んだろ。
そもそも中唐期の大雑把な総人口ってナンボだったっけ? インドが中国を抜いて人口世界一になってるな
中国もいよいよ人口減のフェーズに入ったか
国が経済的に一定以上豊かになると避けては通れない道 中国は分裂期もあったが統一王朝ばかり
逆にインドはマウリヤ朝とムガル帝国の他はずっと諸国乱立の状態
もし始皇帝がいなかったら中国もインドのような歴史を歩んでいたかもな >>318
一説には唐の人口
754年 : 962万戸5288万人
764年 : 293万戸1692万人
なので人口1/3に激減3600万人死亡説
鑑真は安史の乱前に日本に逃れて無事だったが
阿倍仲麻呂や藤原清河は日本帰路沖縄まで辿り着いたのに
何故か嵐で驩州(ベトナム)に流されて唐へ戻り
安史の乱を何とか生き残れたが結局唐で没
そういや李白や杜甫らも何とか安史の乱を生き残ってるので
安史の乱での士大夫以上の致死率は案外低いが
庶民の致死率は悲惨だったと思われる >>313
ウクライナが既に150〜200万死んでるからお話にならんレベル
人口動態見てりゃ分かる ロシアってウクライナの10倍の軍事力があったのに西側がほんの少し支援しただけでウクライナ軍がロシア軍相手に拮抗状態になってる
ロシアが弱いって言われてるのはロシア軍の軍事力の10%しかないウクライナ軍にここまで抵抗されていまだ降伏に追い詰められてないのが原因 あーこいつニュー速や政治chでウクライナの現状が見えてきて追い出されたクチか
ダメだこりゃ >>321
成程。後漢末から三国末みたいに庶民が戦乱から離散避難して
戸籍数が大変動したような訳でもないんだな。
これじゃ普通に屠城や一村丸ごと略奪して殺害は当たり前に起こってるね。 >>325
イスラム辺りからずっとスレチだったのにスルーしてたんじゃ、都合悪くなった途端に逃げ口上発する生ゴミですって宣言にしかならねぇぜ
>>327
とはいっても研究や試算の根拠が徴税記録だから、その後の五代十国を加味すると、戸籍から消えただけで貴族や軍閥の私有財産になった数も相当いただろう
特にウイグルやイスラムまで幅広く援軍を募ったせいで、外部への流出もしやすい環境が整っている やっぱりこの世を一匹残らず駆逐すべきだったな
…明日早々進撃最終回みるか 情報偏向させようとしたのをバラされたあげく、付け焼き刃で書いた糞レスをロジカルに否定され涙目敗走
これほどみっともない奴は久々に見た >>332
ま、王浚をはじめとした「なんでこいつ間違った言葉ばっか信じて転落したんだろう」っていうのを、自らの犠牲にして実演してくれたことを誉めてあげるべきだろ
余裕ぶっこき続けて気がつけばボロボロっていうのは北斉リスペクトだろうが、腐ってもアッチは皇帝と側近がやってたわけであって、戦争研究所みたいな壊れたスピーカー鵜呑みにしてたっていうのは斬新だけどな
西晋すら司馬越に従って逃亡する奴が少なくなかった(石勒にやられたが)てのに 田余慶の子貴母死について書かれた奴読んでるけど中々面白いな
拓跋部の歴史とか深く調べたことなかったけど后妃が権勢振るいまくっててそりゃあ子貴母死とか作りますわってなる >>334
これか
北魏道武帝の憂鬱―皇后・外戚・部族
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784814001910
後のモンゴルとかでもあったけど遊牧民は母親とか妻の地位が高いのに加えて漢人の政治システムに乗っかるから権力が強化される構図なんだよね
あと乳母が「保大后」みたいな皇太后代理扱いなのは北魏特有で他の遊牧系王朝ではあんまみない >>335
あれは生母を殺されて大ダメージ受けた拓跋嗣が自分の代以降生母と養母をわけたからっぽいんだよな
実際史書の記述見るなり太武帝は養母のことを実の親のように慕ってるしまた太武帝の留守に柔然が攻めてきた際養母が諸将に指揮を出し柔然を撃退するなど明らかにかなりの権力握ってる。
結果生母じゃなくて養母の方になれば産みの親殺した上で幼少の皇太子囲い込めるじゃんって気づいた馮太后の専横を招くこととなるんだけどな。 子貴母死を免れて生き残った霊太后が、自身で産んだ皇帝を殺すのって最高に皮肉よね 拓跋嗣の皇后は赫連勃勃の娘
こいつは殺せねえなと思ったら拓跋嗣死後1年で謎の死 >>336
垂簾政治のために内廷との繋がりを強化
内廷の権力を保つため鮮卑より内務ができる漢民族を重用し癒着する
その権勢を引き継いだ孝文帝は漢民族との癒着体制も継承
となった結果外圧以外で漢化を止められなくなって六鎮の乱、と考えると味わい深い 拓跋珪の時代の主力は拓跋儀や長孫肥というイメージですわね 長孫肥はよくわからんが
拓跋儀は莫題みたいに晩年狂った拓跋珪から誅殺されたイメージ
この時期に他勢力が北魏に軍事行動起こせてれば 肝心の後秦が北魏にボコボコに負けるわ
劉裕が圧力かけてくるわ赫連勃勃が不穏だわでそれどころじゃなかったのがなぁ.. >>342
拓跋部の歴史見ると親から子以外にも兄から弟の継承ルートがちょくちょくあるんだよな
当時の拓跋嗣がまだ十代と若かったのに対し拓跋儀が有能で実績ある人物だったとのを考慮するとコイツ危険だなと思われて粛清された可能性を疑ってしまう 拓跋部というか北魏は若くして次代だから
継承関係が親子なのか兄弟なのかよくわからん
拓跋部の初代辺りは長寿だというのに 生年を魏建国に合わせて捏造しただけだからなー
俺様拓跋は魏の天命を継ぐものである、というのを作り上げるための口実 北魏の分裂までの皇帝で明元帝・文成帝・孝文帝・宣武帝の4人だけ病死であとは殺害されてる
それなのに孝明帝まで8代父子相続が続いてるのはすごいな 文成帝の父の拓跋晃も優秀だったらしいし北魏は宣武帝まではまともな皇帝が続いている >>347
神武天皇が127歳で崩御
と同じような感じか…
何気に北魏と日本は共通点あるな 拓跋晃と親父の太武帝殺ってる宗愛てこの時代でもトップレベルでやべぇ奴だわ 親子2代連続で殺ってるのって殆ど見ない気が
朱全忠くらいかな 仏像保管できないどころではないんよな
高麗の次の王朝である李氏朝鮮が儒教一辺倒で仏教大弾圧が行われた
韓国にあるのが首なし仏像ばかりなのはそのせい 韓国人が日本に来ると寺が街中にあるので不思議に思うそうだ
普通韓国では寺が山の中にあるから
李氏朝鮮時代に仏教は弾圧されて山の中に逃げてかろうじて存続したからその名残り >>351
太武帝の末子である南安王拓跋余を即位させたけど、拓跋余が自分の言うことを聞かなくなるとあっさり殺している 中国旅行したら故宮、万里の長城、敦煌、上海を回りたい
他におすすめのとこある? >>352
我らが宇宙大将軍は武帝と簡文帝の二代キメてるな 五胡は儒教アレルギーだったが、仏教はすんなり受け入れてるな >>361
「そもそも俺らは外来種なんだから外来の宗教を受容して何が悪い」
まさに至言
儒教は突き詰めると漢民族皇帝マンセー、だから抵抗あったんでしょ
実は由緒正しき漢民族でしたって嘘をついた隋が儒教ズブズブになったことも、これの裏返し 儒教や仏教に全く毒されなかった五胡の皇帝は庶人天王こと慕容盛ぐらいなものかと
周公旦も庶人天王にかかれば「法律を重んじないで情に流される惰弱者」と形無しときてる 五胡の君主に辛口めの評価をする『晋書』だけど、庶人天王には何故か「父母兄弟によく仕えたが逆境を過ごし、文武の官の地位を保全し、自身の輝きを隠して仇敵を殺害した。自分を罰して高慢になることの危うさを避け、身のこなしが軽い乱世の好人物であった」と好意的な評価を下しているんだよな かつて大和朝廷に抵抗した隼人の末裔が神道マンセーというのも興味深い
日本でも国学の影響で廃仏毀釈が激しかった薩摩藩では領内の寺院が一時期全て消滅して島津家の菩提寺すら棄却されている
現在でも鹿児島県の寺院数は全国で最も少ない >>357
宦官にさせられてチ◯コ失った憤りと憎悪を皇帝殺害に向けるのは
趙高にも通ずる拗らせた生き方
もっと頑健なら張蚝を目指せたものを 宗愛は罪を得て宦官になったから元から性質が良くなかった模様 >>369
あれは張蚝がおかしいだけなんだよなあ… 張蚝はシグルイの牛又師範の前世とかなんじゃないのん? チ○コ失った憤りで史書(非公式)を完成させた宦官もいるから しかし時代を下れば
自ら宦官になりたがるものも増えてきちゃうし
子孫を絶やすというデメリットよりも
天下をも動かした先達の栄達を目指すのも訳ないか 宦官つっても公務員だからな
チンコと引き換えにしても生活の安定が欲しいんや >>199
レヒフェルトの戦いでは東フランク重騎兵が2倍もの数のマジャール人軽騎兵を打ち破ってるからケースにもよるんかな 苻堅の代ってとにかく有能な臣下が多すぎて苻堅が凄かったのか部下が凄かったのか微妙にわからないんだよな 有能な臣を従えるのも君主の器量ヤンケ
淝水敗戦後に民が食い物献上した話みてても「こいつのために何かしてやりたい」って思わせる魅力はあったんやろ 理想主義者すぎて後年からみると人間的にどうやねんという行動もあるけど。
王猛が東晋じゃなくて苻堅を選ぶし、死後残党が長い事戦ってたし人間的魅力があったんだろうなぁ〜
内政もちゃんとやってたし 姚萇が苻堅の怨霊に対して「主上の御命を奪ったのは愚兄の姚襄めであります!断じて私ではありませぬ!」と見苦しい命乞いをしたことがれっきとした史書に記されているあたり
苻堅が人々に慕われていたのが良く分かる 反逆自体はしゃあない
自身が反乱鎮圧の任務に失敗してこのまま帰ったら完全に余裕のなくなってた苻堅に処刑されかねなかったからな
慕容垂と違って淝水後も苻堅に付き従ってたんだし苻堅がやらかさなければ能臣として終わってたんじゃないかね >>383
苻堅の配下は国主級が数多だから
苻堅は劉邦とは違うタイプだが将の将なのは確か
ただ晩節の酷さで低評価なだけで
淝水で番狂せ無く天下統一してれば間違いなく天可汗級の評価に 姚萇は裏切った経緯見ると普通に被害者じゃね?って
苻叡はその筆頭格だろうけど苻堅の息子ってなんかあんまパッとしないイメージ >>380
キンタマのエピは苻堅を持ち上げる必要性がいかに高かったかを窺わせる例
晋で存在感を遺憾なく発揮していた王氏や四世三公である袁氏と並ぶ存在に謝氏が並ぶためには、苻堅の価値を高めなきゃ説得力がなかったからな まあどんなに持ち上げても慕容沖への「オチンチン見せて」→強姦ッ!のコンボで台無しなんやけどなグヘヘヘヘヘ
慕容沖は苻堅敗北後に報復のために軍勢連れてきて苻堅と罵り合ってるけど性別抜きにしたら、くつころ姫騎士がイキリ散らしてるようにしか見えないんだ
イキリ散らしても周りはエロい目線でしか見てくれないんだ なお、当時まだ12歳だった庶人天王に「慕容沖様は智恵が人々を上回らず、才能は平凡以下です。いまだ恩を人々に施す前から、傲慢になりました。私の見立てでは、慕容沖様のやり方で転覆し敗れなかったものは少ない」とダメ出しされた模様 慕容氏は慕容吐谷渾の時代から内ゲバばかりのイメージ
慕容氏の歴史の中では慕容恪の融和路線が異端 >>389
慕容恪は能力随一でありキング超えてプラットフォーマーの矜持を貫いたから、みんなビビってプラットフォームに従ってたって感じじゃね?
いわゆる死による支配ではなく生による支配ってやつ 慕容沖と比べてあんまり話題にならないけど苻堅って慕容垂の嫁も寝とってたよな
知れば知るほど何もかも自業自得に思えてくる もし王猛が生きてたら苻堅は東晋遠征強行したのかどうか気になるわ
王猛すら無視してやっちゃいそうな気もするけど >>392
かなり重度の英雄病患者だからなあ…
自分を光武帝と思い込んでいる一般氐族酋長って感じ >>393
けったいなドンキホーテ、という例えがしっくりくる
止めようとする人間を尽く殺して面従腹背かイエスマンしか残らないから
勘違いに気付かず誰も止められない
あのまま統一してたら多分氐自体が消滅してた
異民族が皇帝簒奪したのを史書で誤魔化したり美化できても
苻氏(蒲氏)自体が氐でもさほど高貴ではないって現実に耐えられず殺る
そんで劉邦に自己投影して粛清正当化するのも読める 苻生殺して簒奪してついでで苻法も殺って、王猛を宰相にした前後でもガッツリ粛清してるし
割とヤバめな部類だと思うがスルーされがちよね あれほど尽くしてくれた苻洛を性格が悪いから反逆すると決めつけて徹底的に冷遇して地方を延々と転戦させて
苻洛が手柄を立てれば認めてもらえるとボロボロになっても黙殺したのはあまりに酷すぎる >>394
言うて苻堅って自分のこと止めようとする奴そんなに殺してるか?
王猛はもちろん権翼や趙整も殺されてないし
諫言も聞く時は聞き入れるけどそこだけは誤ってはいけない肝心なところ(東晋遠征とか慕容垂派兵)で悪手踏んだイメージ 苻健直系と家格の高い氐族を始末したかったんだろうね
肝心な時に藩屏いなくなっちゃったけど
関東で信望のあった苻融が死んだのも効いてる 淝水の戦いで誰が1番得したんだろうな
東晋もその後なんか内部抗争でゴタゴタするし謝安もすぐ死んじゃうし 383年 淝水の戦い
385年 謝安死去
388年 謝玄死去
389年 謝石死去 >>396
とはいえ苻洛を冷遇したとはいえ誅殺してないからな…
苻洛は呂光と梁熙の内ゲバで死んだのは残念
まぁ苻洛生きてても苻洛に前秦崩壊防げたかというと微妙 >>400
北魏の創始者の拓跋珪だろう。淝水の戦いの敗戦で前秦が弱体化したから自立して北魏が建国できた。 暴君だとされている苻生だけど、意外にも自ら他国に侵略した形跡がないんだよな
他国から侵略されてやむなく応戦するケースばっかりで、しかも自軍の損失を最小限に抑える形で完勝している
捕虜を生き埋めにせず希望者は帰国させたり、戦死した姚襄の遺体を辱めるべきだという声を押し切って丁重に弔っている
何よりも、費用がかかって庶民を苦しめる大規模な狩猟や巡幸を一切していない
苻生は本当に暴君なのだろうか? >>404
拓跋珪は劉裕よりも歳下で
蕭衍並の寿命有れば瓜歩の役ぐらいまでは存命だったから
拓跋珪が北朝統一してたパラレルワールドも有り得た
拓跋Zみたいに崔浩頃したり宗愛に頃されたりは変わらないと思うが >>405
苻生に関する記録が極端に少ないという闇 苻生が道行く兄弟にセックスしろって強要した話とかはロリショタ姉弟丼の苻堅の身内臭はする >>408
洛陽伽藍記に「苻生は勇を好み酒を嗜んだとはいえ、仁にしてでたらめに人を殺すようなことはなかった。その統治を観るに凶暴とはいえないものであったのに、史書には天下の悪を全て帰している」という真逆の人物評が載っているんだよな
苻生の一連の悪行は苻堅の簒奪を正当化するためにでっち上げた疑惑が絶えない >>403
それでも一族は劉宋以降も裏で繁栄してたわけだから、王敦売った王導のような取引はあったと推察できる
>>409
まあ正当化だろう
苻堅には胡を捨てて漢民族になろうとした聖人って属性がなけりゃ箔が付かないからな
仇なす異民族は必要以上に醜悪に書かなきゃいけない >>403
庾亮(340)
庾懌(342)※自殺
庾冰(344)
庾翼(345)
庾亮の兄弟も5年の間に立て続けに亡くなってるんよな
この後、庾氏が握っていた軍権をすんなり手放したことで庾氏の影響力が小さくなり桓温が台頭していく流れになる 庾信は新野人だから別系統なんすね
まあでも潁川系も結構しぶとく生き残ってるな 天可汗、燕賊、赤ペン皇帝と即位時に即位時に同族で
簒奪したのは政務にそれなりに励んで業績を残す
苻堅もその類なんだろうな
このタイプでは海陵王や隋煬帝との中間型 成漢の李寿のように先代幽公李期から簒奪して、先代よりひどい暴政をしいた皇帝もいるけどな
しかも、幽公李期に執拗に祟られて狂い死したことがれっきとした史書に書かれちゃうという >>414
ここまで悲惨な末路だと簒奪しない方が幸せだっただろうに…… >>411
バカ扱いの庾條はその後も生きてるw
まぁ庾氏が握っていた軍権をすんなり手放したことで
潁川庾氏は細々と隋唐まで生き残り
代わりに軍権継いだ譙国(沛郡・竜亢)桓氏は
別県別系統を除きほぼ絶滅 あんだけ日本嫌い嫌い言う割には日本旅行しまくってる中韓人 中国人は京都を見てかつての長安に想いを馳せるらしい
長安は唐末の混乱で徹底的な破壊と略奪に遭い、今となっては跡形もないからね >>416
桓玄の遺児とされる桓誕(字は天生)が蛮族の地に逃れて蛮族の族長になったことが『南斉書』に記されている 蛮族いうても南蛮とか武陵蛮とかではなく
沔水(漢水)流域の流民だからほぼ中華
しかし桓誕ほぼ百年ぐらい生きててこの時代の歴代でもかなりの長寿 >>418
文献も日本に輸入されたものを頼りにしないといけないほどに
散逸しまくってるしな >>415
占い師に「皇帝になったら数年の命ですぞ」と忠告されたのに、李寿ときたら「なあに、数年でも皇帝になれるのだ。喜んで即位しよう」と聞く耳持たなかったんだもの >>422
そりゃ当時じゃ皇帝=神だから、神になればどうにかできるだろって思ってることだろう
どうにかできるのは周囲のサポートと民の信奉次第っていうのを全く気にせずに
皇帝の価値がどんどん下がっていく様を楽しめるのもこの時代ならではだろう 用済みになったら黒幕に殺処分されるまでに成り下がった
西ローマ皇帝程ではないだろ ローマ皇帝はあくまで権限の集合体
中国で例えるなら、大秦王、丞相、持節宇宙大将軍、六合諸軍事、領中書事、領尚書事って感じ
だから元老院みたいな他の権力機構や反逆者から潰される
それに対して中華皇帝は儒教の頂点であり舞台装置としての役割がある
始皇帝以降、中国において地方政権以上の国家を形成するために必要不可欠
ローマ皇帝より存在意義が強いが、ローマ教皇ほど絶対的な権威ではないって感じ 南北朝の時代の官職名って長い
変わったところでは司徒ではなく司徙とかある
護民官ならぬ移民監督官か >>409
苻生と同じく仏教を保護してるが暴君扱いの石虎は
洛陽伽藍記にどう書いているのかは気になる・・・
と思って洛陽伽藍記原文読んでみたら石崇は載ってるが
石虎は載っていない(王子虎という文章は一ヶ所ある)
石虎も洛陽支配してたし石虎と苻生は没年数年しか違わないので
石虎も洛陽伽藍記に何かしら書かれててもおかしくないのだが 五胡十六国の董卓扱いされる事多い石虎だけど、董卓と違って
仏教保護して後世に仏教残した功績あるから、ただ残忍で狂暴なだけの暴君じゃないってのが
色々とややこしくしてるな 董卓も仏教には縁が無かっただけで
それまで罪人扱いされてた蔡邕を厚遇したり
少ないながらも善行残してるのにな
まぁ犍陀多ですら蜘蛛の命助けているので
仏教保護した程度で善人とかなら釈迦が笑いそう 征夷大将軍
鎮守府将軍
宇宙大将軍
驃騎将軍
車騎将軍 >>427-429
何をやったかではなく誰がやったかで判断するのは絶滅主義あるある
レス番が預言とならないよう注意すること このスレにいたらレシートのお釣りを見て
502円…ああ蕭衍即位か、なんてあるあるだろ? >>432
お釣り383円…淝水の戦いか、はたまにある >>434
モンゴル族の先祖は柔然でなくモンゴル語族系の室韋
室韋は史書の『隋書』『北史』では鮮卑宇文部の末裔として書かれている
おそらく宇文部のうち故地に残ったのが室韋になったのだろう 慕容部とか史書の記述を見る限り全然モンゴルっぽくない
身体はデカくて彫りが深く、漢人からは白虜などと言われ黄髯も出る
宇文部と慕容部は数十年も争い続けたけど互いに
容貌だけでそれだと分かったんだろうな 北条高時 自害
足利義昭 天寿を全う
徳川慶喜 天寿を全う 劉裕が悪いよ〜劉裕が〜
西晋の皇帝もヤラれてた気がするけど >>439
弑逆(放伐)なら前皇帝は殺されて当然(新たに天命が下った者が罰する)
禅譲のうち王莽式でも前皇帝は殺していい(前皇帝は天命がなく本来の天命持ちが支配する)
曹丕式禅譲(前皇帝が新皇帝に天命を授ける)で殺してしまったのが致命的
仁や徳というのを前皇帝に示さなくて良くなり、こぞって後顧の憂いを断つために殺すようになった 因果は巡るとはよくいったもので、劉裕の息子は保身のために酒に走った末子を除いて非業の死を遂げている
そして、劉裕の子孫は互いに殺し合った末に、蕭道成に禅譲を強要される羽目になる
順帝は宮中を追われる際に「劉裕が晋の恭帝にしたやり方に習うだけですから」と告げられ
「ああ、生まれ変わっても二度と帝王の家に生まれたくない」と泣くことになった 前王朝の禅譲した皇帝を殺したのは劉裕が初めてなわけで
それからしたら劉準が、ウチの開祖は特例で蕭道成さんは
従前の例に戻ると楽観的になってもよかったはずなんだがな
因果を覚悟してたんだろうか
蕭道成が司馬炎、曹丕の例に戻していれば 順帝は熱心な仏教信者だったそうだから、東晋の恭帝を引き合いに出された時点で、これは仏典が説く因果応報であると悟ったんだろうな
先祖(劉裕)が悪行を重ねて先帝を弑殺した報いで自分も同じ末路を辿ると 愛○覚羅玄○「前皇帝を排するなんて万民の頂点たる皇帝のやることではない」 >>442
とりあえず二王三恪で祭祀守るから
前皇帝弑殺してもセフセフ >>444
崇禎帝の子孫は康熙帝によって皆殺しにされたんだよね
朱元璋の血統で清朝から見逃されたのある? 魏も晋も前皇帝の一族を殺さなかったが、劉聡・劉裕の劉劉コンビから変わっていくんだよな
柴一族を保護した趙匡胤みたいなのは例外
モンゴルが金や西夏の皇族は皆殺しにしたのに、宋の皇族は手厚く保護した不思議 金の皇族は族滅していない模様
金の末帝完顔呼敦は太平郷に葬られたのだが、その係累らしき皇族が生き延びて墓守になっている
また、完顔氏の末裔が満州八旗に属していて清に仕えている >>447
漢人官僚を相手せざるを得ず中華に染まったクビライが超特殊なだけであって、恭順しない敵は根切というのがモンゴルの常識だからな
おかげさまで跡形もなく消滅した国は無数にある
南宋は粘りに粘ってクビライの代まで存続したのが功を奏した 南宋抵抗も激しかったし刺激したらヤバイって認識もあったかも 乾隆帝の時代にもなると満州族でさえ漢語を喋り、
満州語を理解できなくなっていたようだな 圧倒的多数派の漢民族に対して機密の漏洩防止のために満州語の習得を禁じた結果、満州人自身が満州語を忘れるという笑えない事態になったんだよな
西太后が満州語で書かれた文書をさっぱり読めなくて「お願いだから、次からは漢文で書いてほしい」と頼み込んだのは有名な話 よく中国の皇帝は日本のように万世一系でなく、
ローマ教皇みたいなのもいない、と日本主義の人たちの言説を聞くが
中国にそれにあたるのはいるじゃないか
「衍聖公」
北宋以前もその前身があるし、万世一系であって孔子以前からも系譜がしっかりしてる
ときの皇帝も在任中一度は足を運ぶか、行かなくても最高級の勅使を一度は出す
秦始皇もそして石勒だって高洋だって、金、元などの征服王朝でもどんな暴君でも首ちょん切って、なんてことはなかった
儒教を宗教とするならローマ教皇的でもある >>446
存命中の著名人では中国の国務院総理(日本の首相に当たる)まで務めた朱鎔基(1928年生)。彼は朱元璋の18男の朱へん(木偏に便)の19世の子孫である。
また中国の物理学者の朱清時(1946年生)は朱元璋の11男の朱椿の20世の子孫である。
二人は18歳の差あり1世代違うが、これは彼等の名前を見れば分かる。何故なら朱元璋は男子に全て木偏の諱を与えて、その子孫には五行思想に基づく諱(木火土金水)を代々つけるようにした。
だから朱鎔基は金偏の名前だが1世代後の朱清時は水編(さんずい)の名前なのである。 確かに孔子宗室の当主(清での衍聖公)は一時は曲阜の裁判権などを治外法権に近い優遇を保有し
唐末五代の貴族絶滅以降でも、歴代王朝のみの科挙と建国などの功績による貴族と異なる事実上の「中国に於ける世襲貴族」
ではあったが、 天皇と異なり歴代宗室は歴代王朝の皇帝に支配権や統治に関わるいかなる権威も賦与した事が無いし
また賦与し得ると王朝や皇帝達に認識された事もない。
皇帝は歴代宗室の保護をする事で権威付けを「自らに施した」のであり、宗室当主の承認は求めもしないし必要としなかった。
似た存在が竜虎山の正一天師だが、彼らは時に治外法権や全国の道教の監理を任じられたりもしたが
常に保護され続けた孔子宗室と異なり、皇帝の意思や好みで度々その優遇は剥奪され清代は康熙帝らの好みに合わなかったのか
罪を得たとして爵位や封禄を除かれてしまっている。明代に到っては天子に対して天師は非礼として天師号すら停止され正一大「真人」にされた。
中国は余りに皇帝の権威が極端に高く強力だったので、彼等といえど皇帝には逆らえなかったのが実情。
孔子宗室は確かに五経博士といった儒学に関わる官に専任されたが、実際の儒学の内容の判断の権威は国子監にあった。
それに神に対し贈号や勅封を賦与し、その権威を全国普く認められていたのは皇帝だけであり彼等孔子宗室や天師では無かったのだ。
孔子宗室などは数少ない近代まで存続した中国に於ける世襲貴族とは言えるが、天皇とはまたその性質が異なる。 >>456
やっぱ孔融を殺した曹操ってかなりヤバい事やってた? 漢と匈奴はバチバチだったけど、ローマとゲルマンは必ずしもそうではなかった
ローマに反抗的なゲルマンというイメージが強いけど、
中にはローマと同盟を結んで友好的な関係を築いていた部族も多かった
帝政初期から下級兵士や農民として帝国内に平和的に移住するゲルマン人もいたし
アウグストゥスの親衛隊にもゲルマン人の兵士がいたことが確認されている >>460
日本で例えたら伊勢神宮あたりの宮司惨殺するレベルのヤバさ
創作だと屁理屈ばっか言ってるオッサンに描かれがちだけどやはり殺したらアカン人な訳で 焚書坑儒を実行した秦や儒教に無関心気味だったモンゴル帝国ですら孔子の子孫を保護しているからなぁ… >>461
バチバチつっても宣帝の時点で寒冷化に耐えきれず降伏したし光武帝の時点でローマ同様幹部クラスは漢王朝に留学(人質でもある)して漢族化してったヤンケ
劉淵さんはその中でもエリート中のエリートで本人も匈奴と言う意識よりも漢族エリート士大夫の意識が強く西晋で士大夫としての栄達を夢見てた
むしろ周りの連中が劉淵さんに「あんなオワコン連中さっさと見捨てて自立しろや!だいたい匈奴は漢の弟分なんだから漢を簒奪した曹操や司馬懿の末裔に顎でこき使われる事なんぞないんや!」って煽り立てたんじゃ 劉淵は司馬穎を担いで恵帝ゲットして実権握ってゆくゆく禅譲ってルートも見てみたかった >>465
漢を簒奪した曹操や司馬懿の末裔に
顎でこき使われる事を善しとせず独立したのに
曹操や司馬懿の末裔は生き残る一方で
漢の末裔は自らの一味が滅ぼしたという闇 色々苦労して独立した劉淵の死後速攻で内輪揉めしてるのはワロエナイ
にして八王の乱で劉淵の独立招いた司馬穎のムーブは無能+クズの合わせ技で清々しすらあるわね >>460
孔融の兄の孔褒も張倹を匿った罪で中常侍に処刑されてるのだが…そっちは無問題かw そういや禿髪樹機能がヒャッハーしてた時劉淵に匈奴率いらせて討伐させようって案があったらしいな
その時は樹機能倒した後劉淵が独立する恐れがあるってことでやめになったけどどうしてこの時の危機感を維持できなかったのか >>470
あの頃は統一できず貴族も皇帝も呆ける暇がなかったからな
律令整備や軍役といい、やる気に溢れてた
よく司馬炎は末期の酷さを批判されるが、統一後と賈充死後で二段階ほど腐ってることを考慮しなきゃならない 山濤さんが「統一したら政治に緊張感がなくなる」って言ってたのが現実になったよな 外に巨大な敵がいるうちは一致団結して戦うけど、それがいなくなったら内輪揉めを始めるのは古今東西一緒
ただ中国韓国については侵略者と通じて国内の政敵を倒そうとさえすることが多々あるから、その一致団結すら難しかったりする 日中戦の時すら日本軍に協力したりしなかったりでお互い潰しあってたものな >>470
これ結果論になるけど劉淵に樹機能を討伐させて高位与えてけば本人の「士大夫として西晋の役にたちたい」って望みも満足できてたんじゃ………
まあ八王の乱のグダグダが延々と続いてたかも知れんのやけどなグヘヘヘへ >>471
その賈充の子孫も
賈充の築いたものをご破産にしたがな >>476
賈充自体が中護のくせに裏切って皇帝殺害という禁じ手を使ったのが響いた
保身や私欲のために皇帝をも殺してもいいし、体面気にするならスケープゴートを用意して誤魔化すのも正当化された
特に賈南風どころか張華すら誅殺スケゴのコンボを認めてるのが西晋の闇深さを物語ってる >>477
前漢も呂氏に支配されてた時代はヤバかったんじゃねぇかな?
普通に魏晋南北朝時代みたいに劉氏の皇帝が禅譲されるか殺されるかして呂氏の王朝が誕生する可能性もあったと思う >>478
だから皇帝すら奴隷に貶してもいいと
(奴隷から皇帝になった石勒が属した)前趙もやるほどだしな 賈充と司馬炎
王猛と苻堅
似てるようで微妙に違う凸凹コンビ >>480
一応あれは劉淵のロジックでは偽皇帝だからOK
(冒頓単于と劉邦の盟約に従う+劉協が劉豹に天命を返した、ゆえに曹氏も司馬氏も僭称)
ただし劉聡はそこまで頭回らずヒャッハー論理でやっちゃった感はある 劉聡くんは洛陽留学時代に悪い友達とつるみ過ぎたんだじゃね。匈奴って言うより腐敗貴族のムーヴや 中国が一般的にイメージするような皇帝独裁体制になるのは宋代以降で
それ以前は皇帝とはいえやりたい放題できたわけではなかったからな >>483
確かに西晋貴族は呉みたいに貴族が皇帝ナメてる節あるからなぁ
即位直後に節制の勅書を布いたのに聞き入れられなかったり、しまいには皇帝自ら贅沢三昧の土俵に乗り込んだ逸話からも感じるとおり
司馬懿は無理として、せめて司馬昭が存命のうちに簒奪してりゃ面目は立ったのかもしれん
30過ぎで実績無しのオッサン小僧っていう、ナメて下さいと言わんばかりの司馬炎じゃ説得力が無さすぎた 逆に司馬炎すら早死して
司馬衷の出番が早まってしまってたら? 司馬昭は何であそこで死ぬんだよってタイミングで死んだよな 司馬炎は275年ごろ洛陽を襲った疫病で死んでた可能性はあったよね
そのタイミングだったら全然違う歴史になってた >>487
孫呉の使者持て成してる期間に急死
暗殺説出てもおかしくないのだが >>486
司馬攸を排除する前だったらワンチャン司馬攸画帝位について延命ルートもあるかもしれん >>484
絵図とかみてると北宋までは皇帝と家臣が同じ机使って顔つき合わせてたり同じ部屋で執務したり距離感が近いんスよね
北宋あたりから皇帝は座っるけど家臣は立ってるとか這いつくばる光景が描かれるようになるッス 日常執務中の家臣との距離が近くないと
李白が玄宗にゲロぶかっけて玄宗が介抱した
なんて話も成り立たないもんね >>488
その頃はまだ孫呉存在してたから
漢人の北朝と漢人の南朝の南北朝時代になった可能性も少々
少なくとも賈充が健在の間は南征しそうにない… 賈充は終始征呉に反対だったからな
そういうことなら王渾を推したいわ
それと王濬の独断専行の大当たり
司馬炎の前半は不和があっても多士済々のキャラがうまくかみ合ってたと思う 一癖二癖ある人達だけど優秀ではあったから何だかんだ機能してた感じだよね
司馬炎もまだやる気あったし
まだギリギリの所で食い止められてたのが楊駿辺りで狂い始めた気がする 北周=織田、隋=豊臣、唐=徳川
的な感じかなぁ
これ全部一人でやった朱元璋はやはり傑物 前王朝の末裔は族滅とは言うものの、嫡流でない傍流は見逃してるのは何か中華的儒教的な理由があるの?
あと高麗の王氏は李成桂に徹底的に殺されたけど今でも生き残りいるのかな? 将軍職を秀忠に譲ったことで天下は豊臣に返さないとの家康の意思表示とはよく言われるが、
そもそも豊臣は関白だから将軍は関係なくね?という見方もある
家康が本気で豊臣家を滅ぼそうと思ったのはいつ頃なんだろ?二条城会見あたり?
自分の死後、もし毛利や島津など徳川に反感を持つ西国の大名たちが秀頼を担ぎ上げた時、
それに秀忠が対処できるか心配になったとか? >>498
そんな風に前朝や嫡流の滅んだ諸侯の末裔を遇するのが
二王三恪(本来は前朝の霊廟の祭祀を絶やさないようする事。霊廟祭祀はその子孫しか出来ないから子孫を保護する)
という儒礼に基づく礼遇。
でも確実にされてた訳でなく、完全に絶滅されてしまった事もあるし子孫が隠れたり当人達すらも忘れて隠滅するとか
普通にあったし、また政治的に強まりそうな家系は潰して無能な人を残すようなエゲツないのとか
はたまた子孫が居ても何も礼遇を与えない、兎に角自称子孫に申し訳程度の礼遇を施すとかもそれぞれ都合で起こってます。
それに清になると王朝や諸侯の末裔ではなく、神とされた人物や聖人・高名な人と見られた人物の末裔もそれに準ずる扱いにされました。
明辺りに古人を顕彰する意味も付加されたので本来の意義から変化したようです。 >>495
西晋の立場からしたら、王渾は司馬攸から劉淵をかばってしまったのが難点
こちらは恵帝から劉淵への禅譲を見てみたかったと思うけど
おそらくは劉裕とかその前に劉聡みたいに殺すことはしなかっただろう
冒頓単于を天に配するのに劉邦の血筋をなのって士大夫の振る舞いもできるという
漢と匈奴の習合思想が進化したらどうなっていたか 東晋が滅亡した際、司馬一族が北魏に亡命してるね
前の前の王朝(晋→前秦→北魏)と直接的には関係ないから特にお咎めもなし 石勒の一族逃げるなら前燕でしょ
なんでよりによって東晋に逃げるんだよw >>497
文化大革命の端緒となった明代の官僚・海瑞を描いた戯曲『海瑞罷官』の作者で有名な呉ヨの著書『朱元璋伝』を訳者の作家・堺屋太一は朱元璋を「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑の役割を一人で果たした傑物」と評しているな。 >>504
司馬氏の皇后は玄武門の変まで生き残ってるからしぶとい 8王の乱のグダグダも酷いが司馬熾が1番ダメな気がするわ >>504
司馬楚之とかいう北魏随一の名将好きよ
劉宋の北伐を撃退してるのも熱い 正統帝とエセンみたく敵同士だけど仲良くなったみたいな例もあるんよね
フビライは文天祥に熱愛だったけど振られたw 正統帝とエセンみたく敵同士だけど仲良くなったみたいな例もあるんよね
フビライは文天祥に熱愛だったけど振られたw 今、「平家物語」の新訳(古川日出男訳)読んでるんスけど冒頭の中華奸臣四天王に秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の安禄山って出てるけど朱异だけ無理やり入れた感が半端ないッスね。田中芳樹先生も突っ込んでたけど「なんで最後に選択ミスってやらかしただけの奴が大奸臣扱いなのん?」としか思えないんだ
「梁の武帝 仏教王朝の悲劇」でも指摘してたけど出自が悪く素行にどれほど問題があっても皇帝からしたら実務能力が高いから朱异を重用してた訳でそこをスルーして史書で朱异sageやってんのは後世の士大夫層のウケ狙いと考えられる >>510
そもそもあの間引き寸前野郎に家族を族滅されて
相当恨みあるしな >>509
統一王朝の皇帝が見捨てられて皆逃げ出す、という最初の例だからな…
司馬熾みたいな無能な働き者は得てして有能な皇族や腹心が立場を守ってくれるんだが、その人員(司馬越)すら敵に回したのが致命的すぎた >>510
劉宋だと似たのは劉昶
ちょっと立場は違ってて同族(劉子業)からの粛清を逃れたのだが
北魏に亡命して南斉への南伐に加わる
北魏に亡命しても劉宋から王に封じられてて劉ケとの関係はよかったんだね
もっとも、残ってたら劉ケに粛清されてた可能性も高いが 東晋末期の王鎮悪とか北魏末期の慕容紹宗みたいば人珍しくないんか >>505
当時の勢力地図みると
後趙支配地域に東晋前燕前秦が雪崩れ込んで
他に冉魏や段斉や後趙残存勢力が乱立しててカオス
東晋に逃げた石琨の立て籠ってた襄国から
東晋支配地域や前燕支配地域は同じような距離なので
石琨は前燕よりも東晋が好きだったとしか思えない
致命的な判断ミスなんだけど >>513
平家物語の原文では朱异ではなく周異(誰?)だったような
朱异は亡国の権臣だから奸臣扱いされても致し方ないが
奸臣度は慕容評よりも下に感じる >>519
誰だろ?周迪&留異?
宇宙大将軍でもよさそうなもんだが >>513
四人とも別々の方向で奸臣だからかな
院近臣が念頭にあったのかも 石勒の子供も石虎の子供も誰一人として畳の上で死ねていないのが恐ろしい
やはり晋の皇族をはじめ多くの人を虐殺した報いなのだろうか 椅子は高校の歴史資料集に五胡南北朝時代に
五胡から漢民族に入ったものとして出てたな
そういえば竹林の七賢の絵とか東晋時代までの
絵に椅子はないね
樽みたいなやつに座ってる 史書に家系が断絶したとはっきりと書かれたのは後趙の皇族だけ >>525
清代に描かれた三国演義の挿絵で
司馬昭が椅子に座ってたりしてて時代考証完全無視
これだから中華は >>529
江戸時代に描かれた大化の改新の絵も朝服が平安スタイルだったり女官が十二単だったりするんだよな
日本のこと知らない方ですか? >>529
その頃は考古学自体が存在しないから時代考証も糞もないでしょ
中国だって今ですらエロゲや三國無双からの逆輸入のおかげでプロパガンダ以外の用途で見られるようになったくらいなんだぞ 中国メーカーの三国志ソシャゲにコーエーが素材提供したりしてるもんな >>530
つ 古代オリエントの出来事なのに中世ヨーロッパの格好
つ 飛鳥・奈良時代の出来事なのに平安装束に大鎧 >>534
コイツラが早めに除去されてたら
中華は五胡の天下だったろうな >>534-535
胡が漢化するリスクを煮詰めた存在の靳準
創作でありがちな俺ツエー君主がいかにダメかを体現した冉閔
という視点では非常に価値がある 悲劇の王子は現実ではこうだよなぁ感がある拓跋珪と赫連勃勃 鎌倉幕府や江戸幕府と違って
室町幕府が不安定だった大きな理由の一つが直轄領の少なさなんよね
執権北条氏や徳川将軍家が絶対権力者たりえたのは一門で圧倒的な領国を保有していたから
足利将軍家はそれが少なく各地に有力守護大名がひしめいてる状態で
いくら武家の棟梁である征夷大将軍とはいえ、それらの代表に過ぎなかった >>537
幼少の境遇はともあれ全然悲劇感出さないパワハラ系王子
毒りんご喰って仮死状態の白雪姫相手でも
キスではなくパワハラ殴る蹴るで白雪姫生き返らせそうな 淝水戦後、拓跋珪は慕容垂に一時的に保護されてる
慕容垂は何か優しすぎるところがあったんだろうな、この時代としては
参合陂の戦いで慕容宝をボコられるあたり、源頼朝と平清盛、宗盛のエピソードみたい >>540
憎しみの再生産をしない、というのは難しいのよ
本心を包み隠さなくてもいい力を持ってしまうと、余計に報復への欲求が加速する
自らの代で憎しみの再生産を止められた者が聖人扱いされるのも、決して大げさなことじゃない >>534
冉閔vs慕容恪ってまんま絶対悪(冉閔)vs正義の味方(慕容恪)なのホントに草 拓跋珪は復讐とかどうでも良さそう。というか生き残ることしか考えてなさそう >>541
むしろ白雪姫も継母も問答無用に殺した末に
死肉をそのまま食らうだろうな
>>543
逆に憎しみの拡大再生産は容易いがな
取っといたプリン食われた腹いせに
100億人問答無用に死滅させても驚くに値しないがな それどころか
地球そのものの生殺与奪が腹の虫次第になっても
「へぇ」としか言えないし ローマ帝国と漢が戦ったらどっちが勝つか気になる
時代が違うけど前者はトラヤヌス、後者は武帝の治世(お互いの全盛期)
そしてフィールドは大平原と仮定して 西欧は西ローマが滅んでルネサンスまでの1000年は暗黒時代
そしてローマのような巨大帝国は二度と生まれなかった
中国は西晋滅亡後、五胡十六国や南北朝などを経て大帝国の隋唐として復活
この違いはなんだろう? >>551
スレチだがこれだけは言える
西欧は南朝貴族の理想をローマ崩壊後に達成し今も続いてるから帝国など不要だったと
やっとこさ今その綻びが愚昧にも分かるようになってるが 劉淵の時代より100年もあとの赫連勃勃の時代の匈奴のほうがより匈奴らしい
屠各種は漢化が進んでしまったが、夏を立てた鉄弗部は動かなかったから
古い匈奴が保たれていた、という理解でいいかな
いうなれば鉄弗部はゲルマン民族の大移動期にも動かずにゲルマニアにとどまったゲルマン人
ドイツはその後にほかの民族があまり入ってきてないから比較的昔の遺伝子を残している
赫連勃勃が中原への覇権を狙ったことで漢化の坩堝に飲まれて匈奴は完全消滅してしまった >>553
鉄弗部は滅んだかもしれんが
独孤部は隋唐時代も生き残ってるから
匈奴は完全消滅してないよ フン族は鉄弗部よりも少し後に壊滅状態
残党は唐の時代まで確認できるが 突厥の末裔がオスマン帝国を築いたように
匈奴の子孫も西に大帝国を築いた可能性があったが
アッティラが鼻血ブーしてなければな… 朱元璋は元よりも陳友諒・張士誠との戦いの方がメインなんだよな >>558
ゴード族のパツキン美人に興奮してしまうのは匈奴に限らず古今東西
モンゴル族もパツキン美人に憧れてヨーロッパ征服しようと思ったら
ロシア美人で満足してしまい途中で引き返したからな・・・ >>560
スレチな自演やる暇あったらガザ地区でもウクライナでも行ってこい インド人は黒髪褐色肌だけどたまに碧眼いるよね
バラモン階級の人とかかな? インド人は黒髪褐色肌だけどたまに碧眼いるよね
バラモン階級の人とかかな? >>557
破野頭(費也頭)氏て宇文氏名乗ってるけど別系統なのか
例えるなら項羽の叔父の項伯が劉邦から劉姓を賜ったようなものか 何気にモンゴルとアイヌは戦ったんだよね
元もガチガチに防備を固められた九州よりも
樺太→蝦夷→奥州ルートで攻めれば良かったのに・・・
と思ったが補給の問題があるか そういや晩年の李世民が武則天とギシアンしてたと思うと つか天可汗さんが死にかけてる時に高宗(李治)と武照おばさんはファックしてたんだよね
李治「オヤジの側室もイケるしな」(ヌッ) “忠”の字が付いたので報われたのは秀忠のみだな
忠吉、忠輝、忠直、忠長、“忠”の字は行く末芳しからず >>568
そう考えるとやってる事アレだな陰薄いくせに
2人は歳近いけども >>569
楊忠「あ?獣と同じように舌引っこ抜くぞゴラ!」 >>570
レヴィレイト婚としては普通の裁定だからね
四世三公の血筋を嘯いて漢民族王朝を装った隋と比較して、唐は随所に異民族らしさを発揮してる
文化に胡や西国のエッセンスを取り込んだり、イスラム商人受け入れたり、諡間違ったり 四世三公いうから汝南袁氏(袁安の子孫)と思ったら
弘農楊氏(楊震の子孫)なのか・・・
五胡で楊氏は名乗っても袁氏名乗るのはあまり居ないのな >>577
東晋の楊佺期とか…
北魏末には爾朱氏によって壊滅した楊侃・cの系統と北周で栄達した楊素の系統の2つがいるが
実際どうなんだろうねえ >>575
天可汗「上級漢人きどるのもしんどいもんやで。ちったあリスペクトしてくれや」 日本
北条幻庵、太原雪斎、山本勘助、朝倉宗滴、竹中半兵衛、黒田官兵衛
中国
呂尚、孫臏、張良、郭嘉、諸葛亮、周瑜、王猛、劉基
他におすすめの軍師いる? 後醍醐の東夷嫌いはガチ
後醍醐天皇の正中の乱の際に弁明した言葉がある。
「関東は戎夷(えびす)なり。天下管領しるべからず。卒人の民皆重恩を荷う。聖主の謀反と称すべからず。
但し、陰謀の輩あらば、法にまかせて尋ね沙汰すべき事の由これを載せらる、多く本文を引かる、その文体宋朝の文章のごとし(花園天皇記)」
この時代の公家の国家観は「天下」があって、その「天下」の中に「日本国」(畿内)と「外国」(周辺地域)が併存するというものであった。
彼らは観念の上で2つの国家という意識を持っていたである。そしてさらに天皇や公家の居住地である京都や畿内が清浄で周辺地域は野蛮で文化程度も低いという観念が横行していた。
この野蛮で文化程度の低い地域の代表が東国であると意識されていた。だから後醍醐は率直に「関東は戎夷なり」と言ったのである。 寡兵で大軍を破ろうと思ったら
・桶狭間みたく敵総大将を討ち取る
・厳島みたく奇襲攻撃で相手を混乱させて総崩れに追い込む
・河越城みたく籠城して味方の援軍を待って反撃する
・淝水みたく敵方の将を寝返らせて攪乱させる
・名胡桃城の一件みたく敵よりも更に強大な勢力を味方に付けて叩き潰す
くらいかな?
こうして見ると結構あるね 項羽の彭城の戦いとかはあれ奇襲攻撃になるのかな
なんつうかあれは項羽軍1に対し連合軍10でやっと互角みたいな >>582
サルフの戦いのように敵が集結する間隙をぬった各個撃破 >>580
朱棣を支えて靖難の変を戦い抜き建文帝政権を倒してすことに貢献した道衍(姚広孝)。 項羽と秦軍の鉅鹿の戦いのような退路絶たせて殴り合いに勝つ手法も なんか1000年くらいあとの東夷の話しかできないやつがしつこく湧いてるな
>>87
寡兵で力押しして城抜くのやめてくれません? >>580
本朝なら真田信繁、立花道雪、太田道灌、本多正信
中華なら管仲、楽毅、呉起、孫武、信陵君 >>588
新九郎スレや逃げ若スレでも同じネタ貼ってるから確信犯やろ 異民族勢力の漢に勝っても次は地方の軍閥が力持ってるし東晋どうなっても詰んでないか? >>592
西晋の時点で強権皇帝の文明に限界が来ていたからしゃーない
司馬氏が自らやってのけた業を受け入れて権力のマトリョーシカ化を選ぶ以外だと、易姓革命が起きるのは明らかだった
(ジャニ大河gaeの記事では、天皇も家康もマトリョーシカ化を受け入れて繁栄したと解説している)
まあ皇帝以外に権力を振るえる人間がカルテル組めるようになった結果、実際に東晋は潰れてしまったのだが
戦乱が続いていなければ、甲家の犬でしかない劉裕が即位という事態は発生せず
皇族ほぼ皆殺しっていう風習は生まれなかったとは思う 王敦「おめえら司馬は俺のおもちゃでいいんだ、上等だろ(不敬)」
元帝「もう琅邪に帰ろうや(激ウマジョーク)」
王導「やめてくれよ…(絶望)」 そんな王敦は
短小包茎早漏だった(某妾談)と思うと
どんなに威張っててもつい噴き出してしまうw 王敦は例えていうなら
木村昴ではなくアイクぬわらが声優のジャイアン 王敦のWikipedia記事が知らぬ間に増強されてるのは良き良き 劉備も諸葛亮も元ニート
匈奴や突厥や蒙古みたいな遊牧民にもニートはいたのだろうか? >>602
高等遊民やぞ
謝安が40までニートやれたのも実家が太いからや
つか荘園の管理とか家の仕事はやっとるやろ >>603
武功以外で表舞台に出られるのって、それなりに財力ある人間だっていうのを忘れられがちだよね
読み書きできて役人に話通せる教養を得るための土台(シノギ、縁故、奴隷)がなきゃ奴隷や食肉加工が関の山
これは中国に限った話ではなく欧州でも共通
自由人or市民が必要となるアーツ(哲学や数学などの教養)と、それ以外が必要になるテク(農業工業の技術)は違うと明確に線引きされてるし
食人の証拠が発掘されてしまってもみ消しに躍起になってたりする 中国なら朱元璋、日本なら豊臣秀吉が鉄板だけど欧州はどうなんやろ?
一兵卒から皇帝にまで成り上がったディオクレティアヌスかな? ナポレオンも同じく皇帝まで成り上がったが、下級貴族の出だから家柄ガチャではそれなりに恵まれてるんだよな >>605
せめてそこは石勒出して脱線から戻るべきだったな >>606
石勒レベルになると世界史的にみてももう極少数なんじゃね
石勒がリスペクトしてる高祖劉邦も今で言うと元半グレ→田舎の駐在所のオッサンとかやし
民族主義の強い胡三省も資治通鑑の注釈で石勒は別格扱い(あと劉淵)してるけどまあそうだわなぁ 石勒も元々は部落小帥の息子だから家柄はそんなに悪くない >>609
とはいえそれが活きたのは石虎加入と相馬眼くらいであり、スタートラインはどん底だからね
無頼漢としての生き方しか経験できなかった文盲というのは途方もないハンデ
張賓を得られたのは豪運と言わざるを得ない 劉裕も文盲やね
朱元璋は寺にいたから一応読み書きは出来た 司馬倫司馬穎も文盲だとされてるな
この二人は識字障害だろうけど
中国史で識字障害ある人間どんぐらいいたんだろ >>611
仏教寺院は日本でも中国でも創作だと悪く描かれがち(強訴や僧兵や脱税や兵役逃れで)だけど貧困層のセーフティネットや学力の機会均等やDV被害者のシェルター的な役割もあるからね 日本だと藩校や寺子屋みたいな教育施設があるけど、中国はないんだよね?
それなりに裕福な家庭の子息はどこぞこの老師のもとに通って教えをこうみたいな感じか? >>614
それこそ前漢や新の時代から学校はあるでよ
漢代だと序(徐)とか隋代だと書家とか小学校くらいの年齢から >>614
王莽が学校作ったが光武帝に全否定されて消滅
士大夫や名士と呼ばれる集団の互助組織は、様々な名前を変えつつ教育機関として存在したが
どこぞの暗黒中世のごとくヒエラルキーの固定に邁進した
そこまで地位が高くない人間ですら何人も奴隷を持てた世であるというのを忘れてはならない
奴隷に与えるのは賦役と虐待が主だった世で、素質を見出されて任侠道に入り込めた石勒の運の良さが際立つ >>615が正解では
郡學、州學、府學、縣學、大學、等
漢時代には整備されていた
世が乱れた五胡十六国南北朝時代では
どうなったかは知らんが >>610
石勒が奴隷に堕ちたのは20代半ば〜後半でそれまでは
部族長代理だからスタートラインはそんなに悪くない
その後部族が困窮して離散して自分が助かる為に
仲間売って儲けようとしたら自分も捕まって奴隷に堕ちたので
ある意味仲間の黒人を奴隷貿易で売りまくって儲けたのに
仲間の黒人全てからヘイト買って身を滅ぼしたダホメ王国みたいに自業自得ではある
そこからのU字回復は見事だが >>614
南北朝半ばあたりなら地方の群太守が学校作って学問奨励したって記述がちらほら見かけるから支配層にしても「ある程度大衆の教育レベルや社会的スキルがないと生産性が上がらない」って認識はあったんじゃね 顔之推も論語だけでも読めたら最悪食っていけると言っていたしそのレベルでも需要あったんだろう それに元々中華の中原限定としても、各地言語が別言語レベルで
春秋戦国以来筆談が各地での交流手段として後世まで有効な世界だから
文章読解をある程度レベル無い事には、簡単な通達すら伝達理解出来ない。
だから学習施設は必須だったんだが、如何せん中華の言語に用いられる文字数が
現在でも世界最大で基本的な千字文ですら千字で、更にそれを組み合わせ文章を作り理解するんだから
結構難易度高いんよなー
今尚その問題は完全解消出来てないし。 >>618
部族も鼻息ひとつで吹き飛ぶような貧乏部族で
奴隷堕ちも必ず飯が食えるからって理由らしいけど、実際は違うんか? すまん、奴隷堕ちした方が必ず飯が食えるからわざと堕とした と書きたかった >>619
中央政府の支配を強く受けないための軍閥化(リトル政府)を作るのが必要になり、人員を調達したかったというのが実情
これまた名士や豪族が任官制度で与党にねじ込む犬を教育したのと手法は同じようなもの
>>622
帝国繁栄後も簡単に族滅されるくらいの木っ端だからな
石勒の由来もテュルクだし、個別の民族と見なされない雑多な異民族の一つでしかなかった
それが帝国まで作ってしまう英雄だったから区分しなきゃいけず、情報不十分だけどとりあえず羯として区分されたって感じ 元代は科挙が停止されてたけど色目人などイラン系官僚のおかげでなんとか行政運営できた >>617
寺子屋と比較して家格での足切り厳しいのに目を瞑れば整備されてたと言えるな() UPLIFT プレミアム・サービスのお知らせ
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・書き込みが規制されているプロバイダーからでも書き込みができるようになります。
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5ちゃんねるを存続させるためには、皆様のご協力が必要です。
最後まで御精読いただきありがとうございました。 >>
明初の10年ほどは科挙が停止されていたので、その間の官僚の任用は既に任官された者の推薦で行われた。
しかし胡惟庸の獄が起きたため推薦制の弊害をのそくによるにん (>>628の続き)
推薦制の弊害を除くため科挙が復活し以後は清末に廃止されるまで続いた。
ちなみに太平天国でも科挙は行われた上に中国史上、空前絶後の女性の科挙も行われた。 太平天国は天草島原の乱のデカいバージョンというイメージ 日本にとって中国が先生だったのは唐代もしくは宋代まで
元明清も大国という認識はあったが、それ以上でもそれ以下でもなかった
見下すようになったのは日清戦争に勝って以降 李靖が李淵にとっ捕まった時、50前で郡丞とかぱっとせんな
よくあれだけ活躍できたものだ 李靖は出自も悪くなく科挙にも受かってるのにあのキャリアは謎
相当性格に癖があったんかね >>622
史書に記されないぐらいの弱小放牧部族なら普通では
石勒のスキルは生粋の奴隷では考えられないぐらいのものばかりだから
漢民族の教養に疎くて文盲なだけで
小さい時から拘束されて鞭で打たれた最底辺でないのは確か 劉淵は光武帝の方が近いんじゃね
敗軍を迎える時に喪服で出迎えた的なエピソードみてても育ちの良さが目立つ
儒者の冠にションベン垂れる不良皇帝とは違うわな 劉邦の初期メンは秦の官吏がいるから行政能力あるのまだわかるんだけど、石勒十八騎、特に前半八騎の当たり率やばいよね
チンピラ8人集まったら王陽・支雄・夔安・桃豹おるんやで 石勒と石虎の子孫が軒並み非業の死を遂げているのが因果応報というかなんというか >>641
朱元璋の初期メンバーに徐達、湯和というスーパーな人間がいたし英雄とそういう豪運もあるのか >>643
初期メンバーどころか牛泥棒やらかした仲間、らしいからな、その二人はw
まあ運ってそういうもんだよなあ >>644
その二人の少年時代は「さすが重八の兄貴!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!」という少年時代のディオに心酔するガキと同じ存在だった。 >>645
牛も国も実質そんなに変わらん糞味噌同じ
人名で王牛も王国もいるのと同じ 欧州の王族は婚姻しまくっててほぼ親戚同士
日本の皇室も藤原(のちの五摂家)は勿論、織田・徳川、更には薩摩隼人や百済の王族の血も入ってる
中国も前王朝の一族は基本皆殺しにされるものの傍系は見逃されるから今でも子孫はいる 本当に皆殺しにされたのは高麗の王氏くらいかな?
李成桂によって皆殺しにされた
韓国・北朝鮮に王姓が全くいないのはそのため 史書にはっきりと家系断絶したと書かれた後趙石氏が例外中の例外なのであって
普通はたとえ直系が滅んでも傍系は生き残るもんなんだよな
楊堅に虐殺された北周の皇族も傍系の虞国公宇文興の一族は助命されて生き延びている >>649
高麗王の末裔である開城王氏は現存しているよ
李氏朝鮮の迫害から逃れて別の姓に改姓した高麗王の傍系が後に王氏に復姓している
現在では、中国から帰化した人達も含めて王氏は韓国で25,565人いる 劉裕以後の「禅譲」も劉裕から変わった、という認識はないんだろうね
直系とそれに近いところは危ないから消すが、かなりの傍系でも
二王三恪は守ってるだろ、と
しかしとうとう中国、朝鮮、ベトナムで禅譲させて直系を生かした(傍系でも)
のでまた取り返されたって例はないんだよな
東晋、南宋などが挑戦したが統一王朝が一部分になって再統一ってことも出来ずじまいだった 日本の古代だと幼児は見逃していたが、頼朝・義経の平家滅亡大逆転があったせいか、それ以降男なら幼児でも○すようになった
>>651
意外とバレないもんなのね 俺等の友達にも実は劉邦や蕭何レベルがいるかもしれない 劉邦からいい部分を削り取ったような奴はいるんだけどなぁ〜 陳叔宝や万暦帝や徽宗から悪いところ取っても
何が残るんだろ 徽宗は芸術方面の特に優れた感性程度は残るだろ。
陳叔宝は音楽と歌「だけ」やらすならまだ多少は。
万暦はいよいよ張先生が居ないと全然ダメ。本当に箸にも棒にも掛からない。 陳叔宝は詩、徽宗は書が優れていたな
万暦帝は・・・ >>658
>万暦帝は・・・
紅衛兵にガソリンかけられて燃やされる芸 >>657
『本草綱目』の献上を受け大いに絶賛し出版への便宜を与えるなど、中国本草学への寄与は大きいし後の江戸時代に本格化した日本の本草学へ間接的に寄与したとも言える。 万暦帝は“ニートでもこんなに長く皇帝で居られる”と体現してみせた!
働きバチのように散っていった短命皇帝の愚かさを我々に教えてくれた そら平和な時代の統一王朝だからこそ出来たんやろ
五胡十六国や五代十国で同じようなことやったら他国に攻め込まれて終わり 秀吉の戦国オールスター軍を追い返してるからやはり腐っても大国なんだよな明は 元を中華の統一王朝とするなら北元と明で南北朝時代、って思ったら
このスレですでに出てたのね
北元は北方民族の東晋、南宋みたいなもんなんだが >>663
スレチだが日本が退いたのは偽装降伏に引っ掛かったのと兵站の壊滅によるもの
特に後者は朝鮮の扱いを誤った結果取り返しがつかなくなる体たらく
ヒ水でも分かるが、兵力を維持できるインフラがないと僅かなきっかけで自壊するのよ もし「日本史謎の時代」にあたる五胡十六国時代に倭で大陸に攻め込むような勢力が居たらどうなっていただろうなあ
朝鮮半島で止まったか、どさくさに紛れて大陸に進出して一つの国(植民地、拠点)くらい作れたか
いろいろ日本史を考えると、やはり当時の日本も分裂状態だったんだろうなあと想像できる、もし統一されていたらきっとこんな展開をしていたと思うから
まあただ強壮なんだけど兵站を無視するのもまた日本の軍隊の伝統ではあるが・・・ >>650
たまに思うんだが石勒があんなに頑張らなけりゃ血統ごと皆殺しにされることもなかったんだろうなあって
人間万事塞翁が馬というが石一族の末路はその最も極端なケースかもしれん >>666
神功皇后の三韓征伐は実のところどうなんだろうね
五胡スレ的には高句麗が前燕にボロ負けしてる
後に隋唐の侵攻をはね除けるほど強くなるが、内通者出てあぼんなんよね >>669
なんだかんだで高句麗止まり、だろうねw
東晋を狙えたらワンチャンありそうだけど、多分船舶技術が追いつかなくてこれもポシャwって感じに思える
東晋の水上戦の力ってどうだったのかね、桓温の成漢征服あたりが最高水準にあったのか >>669
高句麗は後燕ともやってるしその時は後燕をボコってたはず
広開土王の頃だからやたら強かった 石勒も石虎とあんまり変わらないよなあ
10万人規模の大屠殺をやってるし
石氏が逃げ込むなら拓跋氏がいちばん生存確率が高かったんじゃないかな
もっとも、爾朱氏は羯の後裔説がある >>671
広開土王が戦ったのは庶人天王死んだ後のボロキレ以下の残りカスだからなあ
後燕が元気だったころには慕容農にボコられてるよ
>>672
宇宙大将軍も羯族説あるし雑胡の何でも箱扱いされてるよな 苻訓英の思いつきで高句麗攻めて
一応勝ってたけど
慕容照が苻訓英ちゃんと2人で勝つとこ見たいから待ってて
とか無茶言ったから奇跡的に高句麗が逆転勝ちしたんだよな 高句麗・渤海には生き残ってほしかったな
まぁ生き延びたとしても後にモンゴルというバケモンが出てくるからいずれにせよ詰みルートなのが悲しい 高句麗・渤海には生き残ってほしかったな
まぁ生き延びたとしても後にモンゴルというバケモンが出てくるからいずれにせよ詰みルートなのが悲しい >>671
高句麗が強くなったのもあるがそれ以上に後燕が弱体化
慕容垂が生きてた頃は拓跋珪ボコれるぐらいだったのに
慕容垂が死んだら十年も経たず高句麗にボコられるぐらいに
まるでサッカーW杯でブラジルやアルゼンチンをボコって2014年優勝したのに
W杯最多得点王クローゼが引退したら弱体化して十年経たずに
日本にボコられるぐらい弱体化したドイツ代表みたいな 庶人天王は自ら親征して高句麗を撃破して遼東を奪還している ネクロフィリア慕容照も普通にしてりゃ勝ててた
てかあんなクソミソな状況でも高句麗相手に善戦できる慕容一族はやべえな
西燕もそうだし。 戦術的に強いやつが続々と出てきても戦略的、内政面に卓越していたのが慕容恪くらいしかいない
それが慕容氏の限界なんだろうな むしろ格の強さが尋常ではなかったがために外交的な努力を怠った節もある 治安の悪さでいえば足立区だったけど、今は埼玉に外人が増え過ぎてむしろこっちの方が危険では? 慕容熙も庶人天王から「叔父上の勇猛さはかの成武帝(慕容垂)に匹敵する」と評される猛将だったんだよな
ただし「惜しむらくは大略(優れた知略や器量)に欠けている」とも評されたけど 前評判だけの見掛け倒し慕容会の話題にはならない・・・ 慕容垂の強さはマジで異常だからなあ
自分は死にかけの老いぼれな上バカ息子が外征戦力溶かした直後という最悪の状況で拓跋虔倒して平城奪うのはマジで意味わからん
流石の拓跋珪もドン引きだったろうな 自らが裏切った苻堅の末路も悲惨だったが苦難の末に再興した燕の軍勢が最後の最後で潰滅させられて自分は寿命でどうすることもできずに最後を迎えることになった慕容垂も劣らず悲惨よな 後期五胡時代って輿入れが多いな
後燕に苻氏が行ってたりするし特に初期の北魏
政略結婚で共存を図ろうとした面もあるのだろうか
それでもすぐに実家と戦争になり、滅ぼされ‥日本の戦国時代のようだ 慕容会の乱や蘭汗の簒奪など相次ぐ内乱で国力がズタボロになったにもかかわらず、契丹と高句麗を大いに撃破して、北魏に一歩も引かなかった庶人天王ってすごくね? >>689
闇堕ちしたヒーローみたいやな
死に方も悲壮やけどかっこいい >>690
重傷を負いながらも反乱軍を自ら殲滅して、動揺する周囲を一喝して落ち着かせた後に、立ったまま息絶えたんだよな 淝水の戦いの戦いで前秦が勝ってたら姚萇は前秦の統一に貢献した功臣として生涯終えてただろうけど
慕容垂はどうしてたんだろうね。 不勉強が服を着て歩いているといわれる俺は
ごく最近までハンとハーンが違うって知らなかった 遊牧民の酋長の称号が単于から汗になったのもこの時期か 汗若しくは可汗をハンやハーンと発音するのは知られてるが
単于って何て発音してたんだろ。 >>696
テュルク諸語の「天」がなまって漢語で「単于」になったと考えられる >>691
なんか五胡南北朝の君主の中で一二を争うほどカッコいい死に様だな 庶人とはどんな思いで名乗ったのか慕容盛
自虐的な意味だったりして
宇宙大将軍とはまた逆な謙遜した名前だな イタリア人にとってのローマ、中国人にとっての西安は
日本人にとっての京都みたいな感覚かね? 中国人と交流あったけど日本でいう京都は洛陽だと表現してた
ベトナム人にとっての京都はフエだそうだ 慕容盛は生まれるのが遅すぎたね
まあ人心わからなそうなタイプだから恪がいる時以外だと人間関係でやらかして排除されそう >>700
もしくはヒッタイト万能説に基づくゼウス→ゼウ→単于 >>695
>遊牧民の酋長の称号が単于から汗になったのもこの時期か
汗の起源・・・慕容宝戮して後燕簒奪したのに
皇帝名乗らずに大単于名乗った蘭汗(慕容盛の舅)
なら面白い 劉淵は冒頓単于から約500年くらい後
今もボルジギン氏は続いてるし、チンギス以降ハーンはボルジギン氏でなければいけないという「チンギス統原理」ができた
それからしたら「攣鞮氏統原理」みたいなのが匈奴にもあったわけだな
独孤氏まで入れたら800年くらい続いたことになる
単于号に関しては対抗関係にあった鮮卑や氐、羌も使ったのが面白い
北方では中華の皇帝みたいなブランド称号化しつつあったということやね ゾロアスター教とマニ教はイスラムによって死滅させられた(アラー以外は全て邪教邪神悪魔という発想、ただしユダヤ教とキリスト教は同じ啓典の民だから見逃す)
ササン朝の王子が唐までいって援軍を求めたが結局実現しなかったな ササン朝の王子の一族の子孫は唐の貴族と婚姻して血を残したんだよな・・・
その人気ぶりは肌白くて大人気だった奴隷時代の慕容部みたいな カーバ神殿の神々の像は全て破壊されたし、バーミヤンの仏像も破壊されたし、
現在でも「カミハアッラーダケ!ココニカミサマハイナイカラオガムナ!」とか言って神社破壊するし
ユダヤ教やキリスト教など一神教には排他的傾向があるのは仕方ないにせよ
イスラム教は特にそれが激しいから他宗教との共存は厳しいのかもな・・・ 宗教で思い出したけど
北魏時代の大乗の乱怖すぎやろ >>713
因みにこれは選民の逆説である「聖絶」まんまである
今まさにガザで行われているホットな話題 神道は日本オリジナルよね
中韓には神社も初詣もおみくじも鏡餅も太陽神や八岐大蛇の話もなくて神道の元になった文化はなさそうだし 李鴻章「和服を捨てて洋服を着るのを恥ずかしいとは思わないのですか?」
森有礼「そちらこそ漢民族の伝統の服を捨てて満州族の服を着るのは恥ずかしくないですか?」
漢族の李鴻章はこの返しには答えづらかったろうな…
ちなみに漢服を着た乾隆帝の肖像もある
清は中華に憧れるが、それでいて少数の満州族で大多数の漢民族を支配するという問題に常に悩まされていた王朝だった >>719
正月だから頭がパー・・・もといオメデタクなっているのだろう。 今年は
王敦の乱鎮圧から1700年
宋文帝即位から1600年
破六韓跋陵起兵から1500年です。
あけおめ 呉楚七国、八王、節度使
中国は地方に力を持たせると反乱起こすのが必ず現れる
趙匡胤以降はそういうのもなくなった >>721
あけおめ
最後のだけは想定外でワロタw 司馬乂「張方軍はまもなく総崩れだ!全軍、総力を挙げて攻撃せよ!」
張方「ま、まずい!長沙王がこれほど強いとは!今すぐ撤退せよ!…ん?」
司馬越「このままでは我らが負けてしまう!よし、長沙王を捕縛して投降するぞ!」
司馬越「張方殿、司馬乂の身柄を引き渡しますので、全軍投降致します。どうかよしなに」
張方「(はぁ!?負けそうだから撤退しようと思ったんだが…。どうなってんだこれ?)り、了解した。司馬乂を適当なところに放り込んでおけ」
司馬越「困ったぞ。困ったぞ。張方軍をあと一歩で負かすところを私が勘違いして投降したとは…。拘束された長沙王を奪還する動きが出ているし…。このままでは私の責任が問われて首が危ない」
司馬越「そうだ!張方に長沙王を始末してもらうよう手紙を書こう!これで枕を高くして寝られる」
張方「東海王から手紙とな?なになに…。『長沙王を擁立して謀叛を起こす動きあり。今すぐに処刑されたし』だと?」
張方「(うわっ、クズだクズだクズだ!己の保身のためだけに司馬乂を始末させるとは!)東海王に承知したと伝えよ。司馬乂を刑場に引き出せ」
張方「(長沙王、あんたに恨みはないが悪く思うなよ。クズを身内に持った事を恨むんだな)」
司馬乂が捕縛されて処刑されるまでの流れがまるでコントみたいでもうね… >>724
永楽帝による建文帝からの簒奪や、明清交代の際の三藩の乱とかあるにはあるが、三国時代や五胡十六国や五代十国のような長期間の群雄割拠にはなってないっしょ?
清朝滅亡後に軍閥が乱立したけどそれも比較的短期間に鎮圧されてるし(今の中共が滅んだ後はどうなるか想像出来んけど…) >>725
司馬乂は生まれてくる時代を間違えてしまった英雄という感じがするわ >>726
煬帝の運河建設による軍事展開速度の飛躍的な向上が、五胡十六南北朝と五代十国の大きな差になった
後者は足元お留守なガチ勢以外は封建制みたいにのほほんとやっててるが、仮に強国がガチになってたらすぐ乱は静まった
(隋唐の易姓革命が短気だったのが好例)
そんで宋→それ以降の違いは、ぐう聖扱いされる人格者の趙匡胤のおかげ
結局のとこテッペン取った奴が下々が困らないよう弁えて振る舞えば、満足に暮らせるようになって突き上げもなくなる
ただし突き上げられる力≧運河のロジ>>政権になると国体が維持できず急速に滅ぶってわけ
中共はまさに力を持ち過ぎた上海閥を中央政権(天津閥)が叩き潰してる最中
胡錦涛までは逆の立場だったから、これはこれで易姓革命が静かに執り行われている感じ
ゲーム規制も上海閥のフロント(テンセント等)の締め上げが目的 司馬乂に尊重されてるのに裏切った司馬穎がわりと意味わからないんよね
混乱させにさせてその挙句結果的に劉淵の独立も招いてるし >>729
本当骨の髄まで劉淵の台頭に貢献したよなwwww >>729
顒・穎としては冏が乂を殺したら中央に乗り込む予定だったのに
乂が強すぎて計画失敗しちゃったから邪魔だったんだろうね
それに英邁な弟に劣等感抱えてそう >>729
>>730
劉淵さん本人は西晋の士大夫として立身したかったっぽいのに
まあ匈奴の長老たちや劉淵さんに期待してる漢人の不平士大夫たちは期待のプリンスがオワコン王朝に義理立てしてるのはたまらんかったろうけど 今、平家物語(現代語訳)読んでるんだけど二条天皇って近衛天皇の皇后(藤原多子)を皇后に立ててるッスね
作中でも「唐代でも武則天や楊貴妃しかねーぞ」と公卿が騒いだりしてて武則天や楊貴妃のセックススキャンダルは当時の日本でも有名な故事でさらにその上をいく畜生エピソードを二条天皇がやらかしてるッスね
やっぱり怖いッスねチョッ・パリは 汲桑はマジで司馬穎を崇拝していたようで、勝手に発掘した司馬穎の棺を奉じて日夜盛大に祀っていた
行動を起こす前に司馬穎の棺に「成都王殿下、行動を起こしたいと存じます。つきましてはお告げを賜りたく…」と祈りを捧げた
そして「皆の者、偉大なる成都王殿下のお告げである!⚪︎⚪︎城を攻略してを略奪せよと仰せだ!」と告げたのだった 属官の公師藩ならともかく公師藩の下に参加しただけの汲桑は使い潰してやろうくらいにしか思ってなさそう 宇文泰「おおっ、信じる神は違えども、汲桑殿は私と同志!よーし、今日も開明王姜維様をお祀りしちゃうぞー!」 >>736
汲桑自体、石勒が徒党組んで強盗殺人してもシノギ貰えりゃいいって思って飼ってたからね
利用できるものは利用するけどビジネスライクな香りがする あの石勒が全く頭が上がらなかったのが汲桑だったりする あの石勒が全く頭が上がらなかったのが汲桑だったりする 司馬穎は人望だけは無駄にあった
誰にも気前よく分け隔てなく接して謙虚な性格だったので、司馬穎のためなら命を捨ててもいいと思う者がわんさかいた
司馬穎を捕らえた范陽王司馬虓は扱いにほとほと困り果てたようで、処刑しないで幽閉するだけに留めた
処刑を求める声に「人望のある成都王を処刑してみろ。後々大きな災いとなるぞ。成都王を慕う者は多いからな」と取り合わなかった
司馬虓の急死後、司馬穎は後難を恐れた者達によって自決を余儀なくされるが、汲桑が司馬穎の棺を奉じて復讐すると反乱を起こした
果たして司馬虓が危惧した通りになったのであった 西晋の人物達Wikipediaで見てると
小競り合いも含めていろいろ内紛起こしとんな
永嘉の乱以前からまあまあ血生臭い 改めてifを唱えるなら
何で武帝はあえて>>727や>>741みたいなのが居たのに衷を選んだのか、と
いくら倍くらい年齢差があろうと、賈南風の後ろ盾が強力だったとしてもそこは折れなくてもいい話だったろう
もっともその選択だけで五胡十六国時代が生まれなかったか、というとまた微妙だけど >>743
司馬炎自体が司馬攸と比較され劣等感に苛まれたからこそ長子継承に拘ってる
もう少し司馬昭が長生きして簒奪してたら「天下は我が兄のものであるから兄に返す」とかの名目で廃太子されてた 長期の統一王朝の初期には必ず皇族内乱、牝鶏、北方民族の試練がある
これを克服できるかが分かれ目
前漢/西晋に例えたら呉楚七国=八王、呂后=賈南風、匈奴=五胡だよ
唐、明などでもほぼ同じだが試練を克服して盛世
この試練を超えられなかったのはやはり河内司馬氏の限界 >>744
司馬昭だって人の子だから最高位極めたら自分の子や孫に帝位を継がせたい気持ちは出てくるはず
と思ったけど、どっちも自分の子だった 五胡十六国南北朝のWikipediaやたら長いの多い 司馬越は数ある重要な分岐点で選択間違ったような気がする
そのせいか憤死しようがその後に軍が壊滅しようが哀れみを感じないんだよな 司馬乂はもちろん懐帝の側近無実の罪で皆殺しにしたりマジでクズ
いくら能力あっても中身が倫と変わらんと救いようがないね 張方だって頭抱えただろうな
司馬乂にボコられた挙げ句に撤退しようと思ってたら、何を勘違いしたのか知らないけど司馬越が司馬乂をふん縛って降ってきたんだから >>751
後に誰かさんの例もあるし、遺骸を使われたくなかったんじゃね、それくらいのトラウマを食らったんだと思う
しかしこんなチキン野郎どもが最終勝者というところが八王の乱の肝だよなあw >>749
司馬越と懐帝が決裂したのは恵帝暗殺からだろう
越としては恵帝の補弼が最高位であり御輿として使えたんだが、あろうことか懐帝が廃される前に先手打っちゃったからな
そんで御輿は嫌だ好きなようにやらせろで暴走した結果、西晋って国の土台自体が崩れたと >>744
司馬哀は厳密には次男で長男夭折したので跡継ぎ扱い
日本の北条氏政と同じで家滅ぼす跡継ぎ次男
西漢の劉徹みたいに長序関係なく継がせても良かったかもな… >>753
司馬越は司馬馗の子ゆえ帝位の椅子取りゲームの参加資格すらなかったからな
にも関わらず「お前司馬熾が司馬衷殺したの疑ったよな?」としつこくdisられたんだから
国に仕える気が喪失しても当然に思える
>>754
早世によって家督継いだ次男宣帝と次男文帝のラインに連なってる皇統だぞ
氏政にかこつけるのはいいが素性よく考えにゃいかん
しかも西晋は才能重視なんて嘯いて若造を据えるのは致命的
曹魏のそれを嫌った貴族の代表として司馬氏が帝位に就いたのと
皇族がバラバラに軍権握り過ぎてるのも悪さして
八王前倒しの恐れがある 八王の乱の大戦犯の1人司馬顒が司馬孚の孫だなんて信じたくないわ ナポレオン「真に恐るべきは有能な敵より無能な味方である」
高緯「せやな」
上杉定正「確かに」
崇禎帝「ほんまにね」
牟田口「ごもっとも」 高緯にせよ上杉定正にせよ、政敵殺した後に北周や山内上杉からどうやって国を守るかの見落としが全くないんだよな…
そういうとこが暗君の暗君たる所以だけど >>759
朱元璋「何を守るか、それを考えて粛清をしないといけないな。ただ怯えただけでは粛清とは言えない、単なる過剰防衛だ」 >>760
「陛下は漢土の内政が安定してから胡惟庸ら不埒な文臣を誅殺し、ブイルノールの大勝で北元の脅威が無くなってから藍玉ら驕れる武臣を成敗し大明の天下を盤石にする深謀遠慮まこと臣らの浅慮の遠く及ばぬところであります。」 南斉の廃帝海陵恭王はなんと食事の献立すら自分で決めることを許されていなかった
赤いメンヘラこと明帝蕭鸞が決めた献立を文句一つも言わず大人しく食べていたという >>766
文宣帝「けしからんな、空飛んでみるか?」 >>770
万虎「マン○ではない!ワンフーとお言い!!」 家康は最初豊臣を滅ぼすつもりはなかったけど
(豊臣政権における織田みたいに無力化できればそれでよしみたいな)
いつ頃から本気で潰そうと思ったんだろうか?二条城会見?
優秀そうな秀頼を見て、自分の死後、もし島津や毛利がそれを担ぎ上げてきた場合
秀忠で対処できるか不安になったとか? >>773
スレ違いというか板違い
三国志・戦国板か戦国時代板に該当するスレがあると思うから
そちらで質問したら? 少年漫画板でも貼られてたものだからお触り禁止だよ、その豊臣ネタ。
ほっとけほっとけ >>768
もしも、赫連勃勃に向かって言ったら、「人に頼む前に貴様が手本を見せよ。よもや出来ないとは言わせぬぞ」と凄まれるだろうな
そして、勃勃と並んでマジキチな叱干阿利が現れて、有無も言わずに統万城の城壁から飛行実験を死ぬまでやらされるだろうな > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 >>778
孝静帝は生前は気の毒だったけど死後に報われてよかったなあ
お墓を観光資源としてキチンと整備してもらえて 五胡十六国南北朝時代の人物で
最も有名な墓は誰のなんだろ?
孝静帝なら泣ける 高澄墓……レンガの材料として活用
高歓墓……勝手に道教寺院を建てられる
高洋墓……ゴミ捨て場として活用
蘭陵王墓……地元民に大切に扱われて立派な像を立ててもらえている
孝静帝墓……地元民に大切に扱われて観光名所になっている
こうしてみると因果応報てマジであるんだな >>778
北斉ファミリーご当地人気ねえのな…(T_T) そもそも北斉が人気になる要素ある?
蘭陵王ぐらいしか思い浮かばない 有力家臣を警戒するのも分かるが
劉邦や朱元璋みたいに天下取ってから粛清すればいいのにと思う 北斉随一の名君と評された孝昭帝高演が不慮の事故で早死にして、武勇はあるものの暴君の武成帝高湛が継承してしまった時点で、北斉の命運は尽きたといえる 南朝斉と北斉どっちがましなんだろ
名将がいた分北斉かな >>784
この板ではそれなりにあるんじゃない?
歴代皇帝の御乱行っぷりがw 斉という名の国でまともだった国はあったのだろうか・・・・
春秋戦国の斉も結構波があったし 劉禅は暗君の代名詞みたいに言われるけど、五胡・南北朝だけ見てもそれより酷いのごろごろいるからな
足引っ張らずに放任主義なだけまだマシ 波があるだけでダメなら波すらなくまともな国ってどこなんだ >>786
馬脚を現す前に死んだだけじゃないかと思わせるのが北斉クオリティ >>793
劉禅が暗君だという風評を常識にすり替えた主犯、漢晋春秋がこの時代に造られたというのも業が深い
一度作った正当性を全部かなぐり捨てた際に生じた歪みともいえる
魏延や楊儀に厳しく対処したり、外征と内政のバランス感覚を重視したりと、姜維が実権握るまで劉禅は無難だった
でもそういうバランス感覚のいい神輿では勢力拡大できないのがあの土地
成漢の時代もそれは変わらなかった >>795
暴君ってのは石虎や海陵王みたいなのでしょ
万暦帝は暗君というか贅沢好きの怠け者やね
ニート皇帝だけど日本が攻めてきた時は「朝鮮に出兵すべし」と檄を飛ばして朝臣を驚かせているからやれば出来る人とは思う キリスト教やユダヤ教では死んだら天国に行く
仏教では生まれ変わってまた新しい人生を送る
儒教や神道でも死後の世界を説いた教えはある? なんで高歓と婁昭君の子供はドSの英才教育でも受けたのか 北周の宇文泰の子供たちへの教育は優秀だな
宇文直という例外がいるにはいるが
それより周りの環境が大きいのかもしれないけど 息子の優秀さなら姚弋仲が一番だと思う
姚襄、姚萇、姚碩徳、姚緒、姚紹と中々に粒揃い >>800
高歓が側室に産ませた子供達は優秀で人格的にまともだから、婁昭君に原因があるのかも >>795>>798
万暦的は怠君もしくは惰君だな。 >>803
夫のスピード出世で勘違い教育を施すことになったという感じかな・・・
環境が急激に変わっても女性ってさっと変われるからな、良くも悪くも >>803
高洋がゆがんだ一因ではあるだろうな
劉禅は諸葛亮と董允に押さえつけられてたからマシに見えるだけで陳寿の記録の時点でどうしようもないカス >>802
子供の数多いので普通に後世に名前残らないぐらいの
出来損ないの方が圧倒的に多いと思うが 文宣帝は兄貴(高澄)と甥っ子(高長恭)がイケメンで本人はキモメンの時点で根性がひん曲がるのは裂けられないのだ >>802
下手な鉄砲(42人)も数撃ちゃ当たるの典型ヤンケ 宇文神挙
曽祖父は女の本能みたいな名前なのに
曽孫は拳法使いみたいな名前とは 車騎将軍
驃騎将軍
征夷大将軍
鎮守府将軍
宇宙大将軍 >>812
女の本能ってどういうことと思ったら…求男で納得した 路恵男なのに女とは…
この時代女なのに名前に「男」付いてる人多杉 女性の名前に「男」がつくのは現代でも割りとあったような 桶狭間では織田軍3000 vs 今川軍25000と言われるが、この25000の信憑性はどうなんだろ?
甲相駿三国同盟で背後の武田と北条は気にしなくていいから駿河・遠江・三河の3国の兵をフル動員すれば可能ちゃ可能か >>825
「中国語で猪はイノシシではなくブタを意味する漢字で豚は可愛らしいコブタを意味する漢字。
つまり君の親は君を目に入れても可愛くないから豚という名前を付けたのだよ。」 >>824
そりゃ漢民族自体が姫姓からの分岐だからそうなる 漢民族が姫姓の分岐は言い過ぎやろ
女為とか女吉とか女似とか姚とかある >>824
逆に名前に男偏の漢字はほとんど無いな。 >>828
女偏ばっかりだから古代中国は母系社会だった説とか見たことあるな 一時前の金持ち中国人や韓国人が日本の若い女を囲いたがった理由が
「自国の女は性格がきつ過ぎて嫌、日本の若い女は大人しい」 だったから
向こうの女性は儒教なんかで雁字絡めに抑え込まないと普通に男勝りな性質になるんだろう。 >>833
日本の女も八百屋お七とか阿部定とか引けを取っていないな。
>>834
中国ドラマ『大明皇妃』で永楽帝の次男・漢王(朱高煦)がバナナ食う場面あったな。 バナナと書くと美味そうだが芭蕉と書くと…うーん
南朝時代のバナナだとキャベンディッシュ種みたいな甘さは期待できない… 松尾ばなな「おくの細道」
漢王って狂暴極まりなくて最後は焼き殺されたあいつか・・・・wなかなかなギャップだな
とはいえバナナって基本スイカみたいにゲリラ的な種の入り方しているらしいから、その種をかみ砕く、という光景は目に浮かぶw
とりあえず種なしの突然変異種に期待したんだろうなあ、3~5世紀あたりでも 後廃帝「(こいつらしょーもない事言うとるけど腹切り裂いたらバナナ臭いんやろか…?)」 >>839
赫連勃勃「まずは貴様が手本を見せよ。おい、叱干阿利。こやつの腹をかっさばいてやれ」 赫連勃勃でのオヌヌメは「マグロ中落ち」と「とん平焼き」
「ポテサラ」や「ネギ入りだし巻き」も美味い >>842
美味しいんだろうけど店名の時点で食欲が落ちるんだよなあ…
髑髏台のことを考えながら食べる飯は味がしなさそうだ >>843
蕭鸞「アハハハハハ!食欲がないだってぇ?じゃあ、僕が君のために献立を考えてやるよ……」 >>846
蕭鸞「これは河豚というものだ、半生くらいの肝臓が特に旨い・・・( ;∀;)・・食べてね( ;∀;)」 >>847
汲桑「成都王殿下、お喜び下さいませ。盗んできた河豚の肝臓を殿下に捧げます。どうか、我らに殿下のご加護を……」
汲桑「皆の者、成都王殿下よりお告げを賜ったぞ!殿下は河豚の肝臓が殊の外珍味であるとお喜びだ!大いに略奪に励めと仰せだ!」 顧栄が焼肉パーティーでもの欲しそうに見ていた給仕人に「自分は肉を配るばかりで食べられないとかかわいそうやん」と肉を食べさせてあげた後日、都から脱出する時にその給仕人だった男が何度もピンチから救って恩を返したエピソードすき 顧栄の父顧裕は史書に「不治の病を患っていたので家督を継げなかった。しかし、実家に後継者がいなくて断絶したため、勅命により急遽継いだ」と書かれちゃうほど虚弱体質だったんだよな 石宣「たまにはぶっかけ飯以外のものが食いたいよぉ…アゴがいてぇよぉ…」 >>852
顧裕は不治の病なのに子供作れて太守勤められるので
重度でないパーキンソン病とかなのかな
顧栄は顧雍の孫なのに従兄弟の顧譚や顧承とは同世代にみえない 『北斉書』を編纂した李百薬も幼い頃は身体が極度に弱くて何度も死にかけていた
心配した祖母が無病息災を祈願して「百薬」と名付けたってエピソードがある 中国史によくある悪いことを否定=いい意味みたいな二重否定みたいな名前
悪いことを否定する過程で悪字を使うやつ
また見つけた王鎮悪
王猛の孫は南朝で活躍したんだな、しかし最後はやはり良くない >>856
実は王猛の子孫は北魏でも大貴族として優遇されてたりする 王猛の人気凄かったんだろうな
王鎮悪は褒められるような人格ではないけど人気はあったぽい >>855
霍去病みたいな名前の由来で面白いが
霍去病は早死なのに李百薬は長寿
何が違うのか気になる 沈田子を検索してたら現代の中国の教授がヒット
偶然ってことはない名だと思う
現代のあやかり名があるくらいだから中国ではいいやつと思われてるんだろうな
この吳興沈氏、武闘派が多い士族だな
隋のときの沈光、遼東城の戦いのときの身のこなしが
韓ドラの「淵蓋蘇文」に描かれてたりする 確か昔はスペインを中心としたカスティージャ地方は「ここはムスリムやなくカトリックや。豚肉を食べて改宗を証明してみろ」ってことで豚肉料理が発達したんだよなあ・・・
中華料理も豚肉がメインだが理由はよく分からない >>864
他にも沈勁、沈林子、沈慶之、沈客卿などなど中々濃いメンツが揃ってる印象
当たりとハズレの差がかなりデカい 沈光、中国の牛若丸みたいなやっちゃな
劉裕タイプの豪傑はよくあるがこの身軽さはあんまり中国史では見ない気がする >>865
豚肉は極初期の儒教儀礼の供物に余り使われず(牛羊が最上級、次ぐのが犬など)
漢代では人糞など不浄なモノで飼う食糧、以降は儒教・道教祭祀の供物に段々採用されだしたが
宋代になってすら「庶民というか貧乏人のやっすい食い物」扱いだった。
ただそれ以降はその安価な生産性の高さから一般人の食糧として盛んに使われるようになり
旨い肉として祭祀の必須供物にして貴賤問わず皆の大好物食材化した。
それからやっと中華料理のマスト材料になったので、中華のメイン食材としての歴史は結構浅い。
ここでいう五胡時代だと、豚は余り料理のメイン食材なんかではなく
漢人も胡人も「羊サイコー!!!羊しか勝たん」時代。因みに牛は天子と神専用食材で別格、魚や鶏なんかは最低ランク食材。 >>868
沈光も任侠っぽい出自だけどよく調べると没落した士大夫の子弟なんよな
凌煙閣二十四功臣も11位の劉弘基(馬泥棒)あたりから柴紹(太原では名の知られた侠客で平陽公主の夫。なお平陽公主も山賊の女ボス)程知節(隋唐演義では張飛や黒旋風の鉄牛と同じトンパチ枠)李勣(ローティーンの頃からシリアルキラー)と前漢の功臣とタメを張るトンパチ揃いだけど李勣除くとみんな士大夫の出自 李勣も家は豊かだって史書にあるね。親兄弟が結構生き残ってるし本当かも
だとしたら相当グレたことになる 李勣の子孫は吐蕃に仕えたんだよな
そして、李勣の来孫・徐舎人は吐蕃の将軍にまで出世して、唐軍を大いに撃破して延州を占拠する大功を立てた >>871
後漢の初期に西域で活躍した軍人の班超も父が『漢書』を著した班彪、兄が歴史家として有名な班個、
妹が女流文人として名高い班昭という文人一家だったので、その家風を嫌って軍人となったと言われる。
>>872
唐の開国の功臣の李の子孫がなぜ吐番に仕えたかというと、李勣の孫の徐敬業が武則天を討とうとして
失敗し、その報復による族滅を避けるため吐番に亡命したから。 よく中国史上最高の名君といえば李世民か康熙帝の名前が挙がるけど、五胡スレ住人的にはどっち推し? 「謀反を起こした事実はないが、謀反の心を抱かなかったことはないとはいえない」
これより酷い言い掛かりあると思う? 「思えば機会はあったのに爺さんになった今になって謀反起こすのか?」って論破されちゃったからね 三藩の乱は無理ゲーだな
自分らが殺しまくった以上、明の皇室の生き残りのカードは使えないし、
復明を叫んでも辛亥革命の時と違ってこの時代はまだ明の悪政を民衆は覚えてるし、
しかも相手は康熙帝
ジュンガル部やロシアと一緒に三方面から攻めるしか勝つ手段なさそう スレチの質問を…と思ったけど
このスレの住民≒中国史全体的に精通してる、だろうな
いちばん青いのが三国だとしたら、どういう順番でマニアを移動していくんだろう
おれは三国→秦→楚漢→春秋戦国→前漢→後漢(黄巾以前)→商周→隋唐→北宋、南宋(水滸伝から発展)
モンゴル、元→明→遼金→清→五胡南北朝
後になるほど面白い
清だと皇帝一人一人の個性だな
まるで太陽が昇って南中して沈んでいくよう、清でも最後は嘉慶帝にたどり着く 合従(秦vs燕・韓・魏・趙・斉・楚)
反董卓連合軍(袁紹・曹操・孫堅・劉備・公孫瓚・孔融・袁術・劉表)
北魏包囲網(劉宋・夏・北涼・北燕・高句麗・吐谷渾・柔然)
信長包囲網(武田・本願寺・浅井・朝倉・毛利)
戦力は上なのになんで連合軍いつも負けてしまうんや… >>879
そんなの連合軍側が負けてる戦役を並べてるだけで
普通に連合軍側が勝ってる戦役もたくさんあるだろ
例えば春秋戦国時代なら斉の湣王に対する連合軍が勝利してるし
楚漢なら項羽に対する連合軍が一度大敗したけど最終的には垓下で勝ってる >>874
その康煕帝と父の順治帝が史上最高の皇帝と讃えていたのが洪武帝。 >>879
合従:そもそも蘇秦の実在すら微妙なくらいの戦略
反董卓:家臣団すらまとめられない袁紹が頭目の時点で・・・
北魏:劉裕とボーボーが周囲に敵を作りすぎ
信長:提議したのが実権のほぼない義昭
つまりリーダーの問題 >>881
これ言われたら臣下震え上がるしかないな >>878
三国から始まったら五胡南北朝は比較的前の方だと思うが
最初の長期統一帝国漢の終了の成れの果てが
五胡十六国南北朝時代だと思うとマニア的には興味沸騰 >>882
今川義元や北条氏政は再評価進んでるけど、朝倉義景は愚鈍過ぎて良い部分がまるで見つからない…
武田と一緒に織田を挟撃する機会をみすみす逃すわ、姉川みたいな一大決戦で自ら出陣せんわで素人目で見ても酷い
そもそもせっかく義昭を奉じて上洛する絶好のチャンスすら不意にして、呆れた義昭に織田に行かれてるのがもうね… >>884
日本ですら「漢」と「唐」で分けるくらい別物だと肌で感じてたからな
漢のシステムが通用しなくなった末路が西晋の腐敗と混乱であり、そこから唐に変わるまでの試行錯誤がこの時代って視点でも面白い 個人的にこの時代を「華麗なる暗黒時代」と称するのが大好き 中世ヨーロッパは文字通り文明崩壊してるからなぁ…
ようやくローマ帝国の生活レベルに戻るのが1000年後のルネサンスという 五胡十六国時代に捏ねられた具材が隋で成形、空気抜きされ唐代に美味しいハンバーグが焼きあがったみたいなかんじかな >>890
後趙、前後燕、北周が別の料理になる可能性あったけど
諸事情により原型留められないミンチになったせいで隋唐にはハンバーグ以外の献立にできなくなってたって感じ
ハンバーグに限って言えば
北魏がタマネギやスパイス等の使う具材決めて、隋がミンチに上手く混ぜ合わせて形を作った
(唐が丁度いいグリルなのは同意) >>883
順治帝は臣下達と秦から明までの中華王朝で最も優れた皇帝は誰かと語り合った際、臣下達は唐の太宗ではないでしょうかといったところ順治帝は「朕が思うには明の太祖(洪武帝)こそ最も優れた皇帝である」と言ったのだった。 李世民は漢族と匈奴のハーフ
趙匡胤はテュルク系の沙陀族出身説もある
半島だと李成桂の女真族説あるね 南北朝末期くらいの独孤氏って匈奴としてのアイデンティティどこまで残ってたんだろうか
通婚で鮮卑と大差無くなってそう そら唐の皇室には独孤氏(李淵の母親が独孤信の娘)の血が流れとるからな >>894
僕たち光武帝の子孫でーすとか言い出す始末だからな 東匈奴は中華化、西匈奴は匈奴らしさを残してヨーロッパでヒャッハーした感じかな? >>893
明で漢時代を持ち出して歴史の上書きと衆愚化を試みたあたり、宋が突厥王朝なのはほぼ確実だろう
朱元璋の正当化だけなら演義はあまりにもお粗末な仕事だが、漢民族全体という括りなら劉備以外の臣下の描写も納得いく
それに対して晋書は鮮卑をはじめとした北朝側が本来のルーツというしがらみから、異民族王朝でもメタメタにこき下ろせない所に人間くささと味わいがある 韓国人が日本に来ると街中にお寺があり不思議がるみたい
あっちは李氏朝鮮の時代に仏教が徹底的に弾圧されたから基本的にお寺は山奥にしかない
中国は韓国ほどではないが仏教弾圧が唐代にあってそれから下火になり五代十国を経て次の統一王朝の宋は中華思想ガチガチの儒教国家 中国人に好きな王朝は?と聞くと唐を答える人多いな
宋は異民族に押されまくりで弱いし、明は腐ってるし、元や清は強大だが異民族だから嫌って感じ 日本人でも中国史といえば漢か唐ってイメージが強いと思うわ
人気だと三国志だと思うけど 日本でも中国でも三国志は人気やね
あちらでは水滸伝も人気 >>901
〇淵「唐ってそもそも私と同じ名前の奴だって漢民族か怪しいだろw」 戦前日本は散逸前の蔵書も豊富でオブラートに包む必要もなかったから
「今日において隋唐が拓跋国家であるというのは明白であり、これを容れられないのは中華民国くらいであろう」とセメント発言してたからな >>900
儒教を信仰していたのは支配階級で庶民が信仰していたのは道教。 >>902
漢字、唐物、等で考えると
呉服などある呉は漢、唐と同等
統一帝国建ててない地方政権なのに日本への影響大 >>908
表の歴史に載らないだけで呉の海洋支配は洒落にならん大きさだったからな
統一後の西晋があっという間に腐ったり、南朝が長持ちしつつ贅沢三昧なのも、呉の海洋支配を引き継いだのが理由
珊瑚の逸話が出来るのも無理はない 孫呉の時点でガラス器とか発掘されてるから相当経済的には裕福な地域だった可能性が高い
人口がまだ少ないから軍事的な動員力が低かったり農業生産力は低かったりするけど >>910
動員数少ないのは貴族の私兵が大半って要因がデカい
国家謹製の軍が少ないから貴族が幅を利かせるし、儲けにならない戦争はやる気がない
既得権益守るために守勢は強かったが、孫皓が国を見捨てた後はボロボロで、私兵ごと降伏するなんて事例が多発して滅亡よ それは南北朝時代の南朝にも受け継がれてるのか
いつも北朝側が数十万の大軍で、南朝側は数万程度の寡兵で対抗するよな
瓜歩、鍾離とか
防御には強く、大軍を殲滅することもあるが大局的には領土は削られる方向で
楊堅の南伐をむかえる
陳慶之北伐とか絶好機なのに支援軍をまったく派遣してくれないしな >>904
???「あなたは何人か?と聞かれて即座に中国人と答えたらもう中国人アルヨー」 漢民族「夷狄のくせに…」
雍正帝「それ言ったら周も西戎やんw徳のある者が天子になれるんやで」 >>911
孫権をイジりまくって流罪になった虞翻の孫の虞潭も王敦の乱の時に万単位の私兵動員してるんよな
学者としても孔融や曹丕から認められる碩学でなおかつ万単位の動員力もってる大豪族ならそらうかつに粛清できず流罪にするのがやっとですわ
江南の政権は日本やヨーロッパと同じく封建制度が近く一般的なイメージの中華王朝(皇帝専制の中央集権的国家)とは別物よな 虞翻と虞潭との活躍期間を比較すると約百年の差が
一世代三十年だとすると千葉真一や藤岡弘。みたいに
虞翻か息子虞忠のどちらかで晩婚アラ還で
子供こさえてないと計算が合わない
ここまで極端では無いが顧雍と孫顧栄も世代間距離離れているので
孫呉系南朝貴族の中には晩婚晩産が意外と多いのは不思議 蕭道成は拓跋氏並みのローティーンで子作り…
そして蕭賾は堅実なキャラで国造りが進むと思われたのに
もともと武をもって出てきた蘭陵蕭氏が南朝文化の代表みたいに
よくなれたもんだな >>917
蕭何に先祖返りだと思えば南朝文化の代表でも違和感ない 劉裕の4世孫と拓跋珪の7世孫が
同世代で皇帝とかもうね… >>920
北魏皇帝とかいう修羅の世界
どいつもこいつも早死すぎるんだよなあ >>920
劉裕は拓跋珪よりも年上だとはわけわかめ >>921
幼少で即位して少年で筆下ろし&パパになって、若くして病死or暗殺だからな。
10代前半で第一子誕生が何代も続いているのが、世界の歴代王朝見ても北魏ぐらいなのが珍しさに拍車をかけている。 北魏の皇室てそんなに歳離れた感じもしないんだよね
長子と末子が干支1周りぐらいで収まってそう >>923
道武帝も明元帝も太武帝も10代からキャリアスタートしてんの地味にヤバいと思う
後継者ガチャで当たり引きすぎ 苻堅もキャリア的には10代で即位で40代で死亡
北魏の皇帝3人とそれほど違わないのにな… >>927
そういや苻堅の息子ってパッとしない奴ばっかだよな
苻洪、苻雄、苻堅ときてどうしてああなった 隋が豊臣なら、唐が徳川だな
前者が天下取ったものの無茶な遠征で疲弊して短期間で滅亡して、後者が長期安定政権という >>929
なんだかんだ言って朱序に勝ったしな
慕容垂と慕容永にはボコボコにされたけどあれは相手が悪いし ただ襄陽攻略パーティって化け物集まりすぎててあの面子であんだけ手こずるのかよ感もあるのよなあ
慕容垂、姚萇、石越、苟萇、苟池、毛当、楊安は流石に選手層が厚すぎる >>936
本人病身の上アホ息子が外征勢力溶かした直後なのに拓跋虔討ち取って平城落とすのマジで頭おかしい 王莽「・・・だからあの時消しとけと・・・・」
王猛「いやそれ言ったのあんたじゃなくて俺」 >>939
策謀でキッチリ絡め取って99%破滅ってところまで追い込んだのに最後の最後で苻堅にひっくり返されるのマジで酷い 慕容垂はともかく姚萇は苻堅のバカ息子が言う事聞いてれば苻堅に尽くしてそうな印象だけどな〜
姚萇個人というより従えてる集団が脅威なんだろうけど 苻堅の怨霊に弑殺を詰られた際、兄の姚襄に罪をおっ被せて見苦しく命乞いをしたところをみると
苻堅弑殺は本意ではなかったのかもな >>942
そりゃ「てめぇら雑種に禅譲する気は無ぇ」という苻堅の発言を前にして衝動的に締め殺した訳だからな
本来は禅譲させて太上皇の神輿として利用したかったんだろう
同じ国名での相剋にしてはやり取りもぬるいし 苻堅がこれで姚萇に強姦ッ!されたらまさにインガオホーなんだけどな 苻堅が姚萇じゃなくて慕容沖に捕まったらどんな殺され方したんだろうな
イチモツ切り取られそう 朱序の戦歴はなかなかにイカれてるだけに桓温と謝玄に隠れてしまっているのが惜しい 日本だと馬を狙うのは卑怯とされたが、大陸はそういのないんで蒙古兵は普通に馬を攻撃してきて騎馬武者がビビったとか
中国や中東、欧州だと馬にも鎧を付けるよね >>946
下手すると淝水だけの一発屋と思ってる奴さえ結構いそうだからなあ 大陸では馬鎧着た馬を磁石で動けなくするとかいう
なにそれふざけてんのみたいな戦法で禿髪樹機能を撃退したという 即出かもしれんが禿髪は「布団」の意味で
樹機能の祖父の寿闐が布団の中で生まれた為に氏とした説
しかしこの氏で南涼建ててしまった子孫はどうも・・・
彡 ⌒ ミ 樹機能
(´・ω・`) 「ハゲに謝れ!!」 天下分け目の決戦で最終的な勝者が北魏の拓跋珪なのがわけわかめ >>925
ヤンパパが続いた理由としては
・幼君が続いたので、早めに後継者を作ることを家臣から勧められた
・多くの国で近親相姦として嫌われるレビラト婚の風習が元からあった
→亡き父親のまだ若い未亡人達(性欲ムラムラ)に囲まれるショタ君主 >>930
唐は高句麗を滅ぼす必要があった
突厥と高句麗がタッグを組んで攻めてきたら流石の大唐帝国でも苦戦は必至だからね
かのローマ帝国もゲルマンやササン朝との二正面戦争には耐えられなかった >>955
???「この娘可愛い〜♡毒殺しちゃいたいくら〜い♡」 一概には言えんけど、後宮にショタ趣味が結構蔓延した可能性は否定出来ない
凛々しい幼帝を見てキュンとくるくらいじゃねえと後宮なんか居られねえだろうしな 後宮の女の趣味はどうあれ中高生くらいのガキ後宮に放り込んで好きにしていいよって言ったらそらね 仮にも君主なのに清々しいほど色恋沙汰エピソードがない庶人天王が異常すぎる
容疑者を拷問無しに尋問する事と10日にいっぺん裁判長として法廷に立つのが趣味だったという >>960>>961
明の成化帝の寵妃の万貴妃か。成化帝より19歳上という25歳上の友達の母を妻にしたペタジーニのようだな。 皇太子を廃されて微妙な立場になっても支えてくれた女性だからここだけみたらまぁ...
その万貴妃から隠されて育てられた弘治帝は奥さんが1人しかいないという珍しいパターン >>964
それは公平に拷問による冤罪を防ぎながら紛争を裁くという意図なのか、罪人らしい者を「裁く」という
正義面でマウントしたかったのかどっちなんだろな。
どちらの意図もありそうだからアレだなぁ。 >>966
万貴妃悪女過ぎて泣ける
よく中国四大悪女に入らなかったものだ
五胡十六国南北朝時代は悪女の印象薄いな
悪女よりも悪人多過ぎて並の悪女だと生き残れないのかも >>968
基本その四大悪女って政治に介入した人たちだから、漢人思想からズレているから言われているだけ
遊牧民族からしたら女性の政治人事介入は当たり前だから全く問題にされていないだけ
まあそれが昂じて子貴母死なんてくそ制度も生まれたわけだが 西魏の廃帝は才色兼備で名高い宇文皇后(宇文泰の娘)のみを愛して他の女性を一切近づけず、夫婦仲は人が羨むほどよかったという
やがて廃帝が廃位されて毒殺されると、宇文皇后も「陛下が崩御された今、生き長らえる意味などありましょうか。私は陛下と国に殉じます」と告げて壮絶な自決を遂げたのであった 中華三代悪女より魏忠賢と組んで好き勝手やってた客氏の方がよっぽどやばい人間だと思う
皇帝の后ではなく乳母だけど 北魏は初代道武帝から考明帝までずっと綺麗に直系が皇位を継いでるな
孝文帝は皇太子が反乱を起こして廃された事情はあったけどほとんどが長子なのも >>966
弘治帝の妃は張皇后ただ一人だったせいか成人した男子は長男の正徳帝のみで、その正徳帝が子無しで30歳に満たず崩御した後に皇位を継承したのは弘治帝の弟の子(弘治帝の甥で正徳帝の従弟)の嘉靖帝だったが、その孫が明を実質的に滅亡へと導いたとされる万暦帝だったので数少ない明の名君の弘治帝の血統が絶え暗君と言える英宗から成化帝の血統が、その後の明の皇統になったのは明にとって大きな岐路になったと言えるだろう。 司馬炎「あの諸葛亮と互角にやり合った司馬懿の孫です」 てか諸葛亮の子孫(名前は忘れた)が晋に仕えてるな
蜀を滅ぼした先祖の仇だけど心理的抵抗感はなかったんだろうか… >>973
きみはこのスレにいるべきではない
「AIを使って拓也さんを宦官にしてみた」を500回リピート再生して暗唱できるようになる使命のある人間だ 諸葛亮の養子の孫・諸葛顕は、父親が族滅した諸葛恪の家を継ぐために呉に帰っても蜀に留まって劉禅に仕えた
諸葛亮の孫・諸葛京や劉封の息子・劉林と共に河東に移住させられたものの、東晋の時代まで生き延びていて王羲之と交流があった
王羲之が「成都城池帖」を作成するにあたり蜀のことを質問されて「成都の城壁等は(古蜀を滅ぼした)秦の司馬錯が築いた」と答えている >>975
呉蜀の生まれで晋に仕えた人なんていくらでもいるからなあ
君がアメリカ憎くてたまらないならそう思うものなんかもしれんが 文字読み書きできる、教養があるってだけで貴重な人材だもんなぁ
滅ぼした国だってそんな貴重な人材に無碍な事はしないし抱え込んだ方がいいに決まってるよね >>977
蜀が滅びたのが炎興元年(263年)だから、東晋まで生き延びたとあればずいぶん長生きしたんだな
しかしまあ、王羲之が諸葛孔明の子孫と交流があったとは知らなかった 司馬一族は劉裕の魔の手から逃れるため故地の華北へ戻ってるね
(曹)魏を滅ぼした一族が(北)魏に保護されるという
そして西晋も東晋も劉氏に滅ぼされてるという >>980
裴松之先生の陸遜評は「陸遜?ああ、石陽の戦いで無辜の民を大量に殺傷した腐れ外道のことか。あいつはやることなすこと偽善で卑劣で好かん!孫の代で家が絶えたのは、あいつの悪行のせいだな」とボロクソなんだよな
そして、陳寿に対しても「私は陳寿先生を尊敬しているのだが、あの腐れ外道を高く評価したのは納得がいかない!」と不満の声を挙げている
まあ、陳寿からしても「陸遜は忠誠を尽し、国を憂いて身を亡ぼすことになったのだが、“ほぼ”社稷の臣といえるだろう」と陸遜に含むところがある評価をしているんだけど >>984
裴松之は反江南貴族+漢民族永続論っていうのが根底にあるから、そのイデオロギーに反する人物には手厳しい
陸氏は漢に出仕せず陸機陸雲が八王の乱でも好き勝手引っかき回したっていうのも減点要因だろう
(南朝支配者の甲家は江南貴族より格上の華北貴族、漢永続論は曹魏→北魏ロジックと桓温の否定ゆえ、そういう注釈になるのは仕方ないが)
陳寿も陳寿で呉に忖度する必要ないから割とシビアに査定してる
むしろ初代曹魏皇帝にして宣帝司馬懿を引き上げた恩人である曹丕に対し、含んだ書き方なのがヤバい
更に曹髦弑逆の筆曲げの理由に曹丕使ってるのがどんだけヤバいかは推して知るべし 司馬昭「蜀を思い出されますか?」
劉禅「いいえ、ここは楽しく、蜀を思い出すことはありませんww」
司馬昭「( ゚д゚)」 >>986
それ習鑿歯の創作の可能性が高いで
まあ真偽はともかくそう言うエピソードが作られるのは、降伏後の阿斗ちゃんの振る舞いに納得できない蜀人が多かったんやろうけどな >>985
きみはこのスレにいるべきではない
「AIを使って拓也さんを宦官にしてみた」を500回リピート再生して暗唱できるようになる使命のある人間だ >>989
「」内の元ネタが明なのを知らずに六朝の話に噛み付くとか、どんだけ悔しかったんだコイツ >>991
荒らしに構うやつも荒らしだよ
カッカしてないでスルーしなさいな
呉の太史慈の子孫が梁の学者太史叔明だったりする 諸葛といえば蜀の孔明だけど魏や呉にも諸葛一族おるんよね
司馬氏の末裔で有名なのは司馬光かな
あくまで自称だから本物かどうか分からんが >>995>>997
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