五胡十六国南北朝を語るスレ19
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五胡十六国南北朝を語るスレ18
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1663590952/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>647
この逸話の肝は
陳寿が「救いようない暴君だ。降伏を認めず酷刑に処すべきだった。」とまで言わしめた残虐君主孫晧が
天下人である司馬炎の質問(なぜ暴虐をふるって惨いことをしたのだ)という質問への答えとして言い放ったことと
それを聞いて司馬炎は怒りも蔑みもしなかったことの2点
孫晧は単なる暴君ではなく相応の環境に置かれたが故の行動であり
司馬炎も他人事ではなく現在進行形で周囲に不満を持っているのが暗に示されている >>649
逸話だけでなくその人物の背景等も合わせて知らないと
重要な部分を理解しづらいのですね
勉強になります 司馬炎の子でも司馬乂は優秀だったようだけど悪い意味でいい人すぎたかもな
司馬越のように開き直り思い切りがあれば運命は違ってたような気がするが >>649
このエピソード以外も司馬炎にNDK呼ばわりされて瞬時に返したのをみても孫晧は頭の回転は無茶苦茶早いっすね 司馬紹は性格的には司馬乂の生まれ変わりみたい
貴族の強権は許さないという
司馬紹と桓温の組み合わせだったら北進統一あったかも その二人ならやれたかもしれないけど、北朝にひけをとらない専制国家になってたと思う>司馬紹と桓温
鮮卑みたいで王敦に蔑まされたってエピソードも、晋書の癖と当時の南朝メンタルからすると、混血ではなく気風や政治姿勢を指してるのが掴めるし
紹は乂と違って正論だけじゃなく暴力に訴えられるからガッツリ改革進める 個人的には司馬熾はぶん殴りたくなるぐらいムカつくわ
末路は同情というか気の毒だとは思うけど 司馬乂が司馬冏を倒した後、いちいち司馬穎に伺いを立ててたのは
謙譲の意図もあるだろうが壟断するには兵力が足りないのが大きかったんだろうな
司馬穎からしたらいちいち聞くなら俺と場所を代われとなるが >>657
末路を見るに、無学で文盲な司馬穎にとって嫌がらせのような行動になっているのを、司馬乂は気付けなかったんだろうね
しかも司馬穎は司馬冏の専横の原因である司馬倫殺しをやったくせに、舌の根が乾かぬうちに司馬冏殺そうって蜂起したって立場の悪さもある
生殺しの環境に置かれて暴力に振り切れるのも無理はない 司馬穎は何もしなければ皇太弟になれた可能性も無きにしも非ずだが
政争に明け暮れ封地の成都も異民族乱入で混乱しているのに放置ではな・・・
司馬穎が居なければ司馬乂が司馬衷の後継いで西晋は延命できた可能性も >>504
今のウラジオストクは中国人だらけみたいやね
逆にロシア人にとって極東は魅力的ではないかから流出が続いてる >>655
まあ南朝だと地理的な問題や出自に纏わる政治風土などならして北朝みたいな強力なリーダーが治める強権国家ってあんま筋はよくないイメージ >>660
ロシアは海産物食わないし、北方領土よろしく英米を見張るための地域としてあればいいと割り切ってるからね
土地自体の価値はこの時代の帯方郡に毛が生えた程度であり、維持コストの重さが問題になっていた
それに対して中国は海産物をやたら食うようになったしサプライチェーンを米から奪いたい
土地のポテンシャルが喉から手が出るほど欲しくなってる
米は国内で冷戦やってて麻痺、英は中国内の傀儡失っているという状況だからこそwin-winの取引になっている 司馬穎って一度でも成都に行ったことあるんだっけ?
封国に行ってるやつと行ってないやつがいる辺りもややこしい 今松下憲一「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」を
読んでるけどイメージほど孝文帝の漢族化改革ってイメージほどキッツい感じじゃないよね。
胡語の禁止も朝廷(政府)に限定されてて今で言うところの英語公用語化みたいなもん。(それも30歳超えた奴には無理強いしてない)
鮮卑としての民族教育にも熱心で「国語孝経」って教典作らせて民族の言語や文化を教える事にも熱心
よくネタにされる珍妙な字も姓と諱は漢人風にしても字は民族名だから起きた現象だし >>662
アメリカは物を作れないし計算もできないのに強国だから
ドルが基軸通貨じゃなくなったら終わるな
>>664
北京語が満洲語説もあるし
皇帝とかも既に漢語になっていたんじゃないかな
日本も薩摩や長州が支配者になったのに薩摩弁とかが公用語じゃないし
日本語と山口語、鹿児島語ぐらいの差しかなかったのでは 中公新書『唐―東ユーラシアの大帝国』を読んだ
初めの方で拓跋国家論について書かれてたが
突厥は唐を拓跋の転訛であるダブガチと呼んでいた
これ、今もまさに同じ事例があってロシア語の中国全般を指すКитай は契丹から
ちょうど10世紀前後にルーシ国家と遼が接触した時期に重なる
それが今に伝わってるなんて感慨深い
漢民族… China(秦)の語源からあるように
もっと早くから中華に接してた他の欧州からすると
ロシアは遅れてきた蛮族
ロシアが勝手に領有主張している北海道のロシア語は
Мацмай(Матсмай、Матмай)は松前(松平、前田)から来てるので
ロシア人は起源の意味もわからない蛮族なのは否定できない ジョンブってる子はさておき
>>664
ただでさえ華北運営のため官僚に多かったであろう漢民族に対し優越権を与えた、というのがまずかったんだろう
北魏はあくまで拓跋部の団結で固まれた国家であり、拓跋が優良人種でなければならなかった
十六国春秋が天命論とマウンティング色が濃いことからもプライドの高さがうかがえる
それを国家運営の都合でひっくり返したのは大問題になる
反動で産まれた北周が最終的な勝者になるのは、なんとも感慨深いものがある
>>665
当時の山口弁が今の標準語のベースになってるのは割と有名な話であるが
会津藩が新政府軍と激戦になったのは、新政府軍のシマでは会津弁を理解できる者がいなかったせい
という笑えない原因があったのはあまり知られていない 逃げてきた難民も
攻めてきた敵も
等しく一匹残らず駆逐した例は? 沿海州どころか外満州まるごとロシアから取り返そうとしてないか中国
今回のウクライナ侵攻然りレッドチームは何でもやってくるから何が起きても不思議ではないが >>669
暗黒森林仮説ってものを知っていれば分かるけど、絶滅させられて歴史に残っていない例なら無数にある
そういうので残るとしたら、辛うじで神話のヒール役としてくらいか
逃げてきた難民も「攻めた相手」も駆逐したのは、有史から近い例はある
難民すら認めず1つの種族が絶滅して周囲がそれを残した例なら、胡殺令での羯
種族は滅ばなかったけど地域単位で皆殺しはバグダート大虐殺
皆殺しにしようとしたけど漏らして生き残ってしまったのがインディアン
難民は認めるが処刑や娯楽で結局殺されたのが中南米
他国への難民以外は皆殺しにされたのがチェルケシア
アイヌの口伝のみで詳細不明だが北海道ニヴフも駆逐された例になる >>671
インドとの領土問題で譲歩するならくれてやる、というのがロシアの本心だろう
そうして係争地をスワップしていけば、インド〜パキスタン、パキスタン〜アフガン等の態度も軟化して中央〜南アジアが固まりやすくなる
イギリスお得意の分断策へ意趣返し
こういう譲歩引き出してわらしべ長者する方法で、すでに西アジア(中東)が安定した実績があるし
ロシアと直接的に関係良化をしづらい国に中国が介入して、ロシアの絵図のとおり手を組まさせてたりと、手口も洗練されてる
今後、正しい意味での実利主義を実践している例になり得るだろう >>672
ろすけもちゃんころも
問答無用に皆殺しだ >>668
あと北魏の軍隊は胡語使ってたんで軍隊の反発もあったんかな
軍歌とかも胡語で謳ってた記述あるし、高歓も軍の命令は
鮮卑語使ってた >>675
軍の中枢である六鎮自体がチャイナプロパー外(内モンゴル)だから、元から漢民族の与する隙がない
軍事行動ができるだけのロジとバックアップ以外で、漢民族を使う必要もない
故に彼らにとって漢化は百害あって一利なし
現代でもよく悪者にされがちだが、軍事力は最も強力な抑止力かつ自浄作用の担保であることを忘れてはいけない 孝文はそれでも身分が下げられた連中(代遷戸)を羽林虎賁(ようは近衛兵)に採用したり六鎮の巡幸もしてたり不満を宥めるのに神経使ってた方やぞ
なおそれ以降
・かつての六鎮の将軍は皇族か大貴族だったのがボンクラに
・犯罪者の流刑地にもなり治安の悪化
・ボンクラ将軍の搾取で貧困から脱出できず
これは反乱待ったなしですわ >>677
いくら皇帝が気にかけようとしても、立場や実益を漢人>鮮卑にしたら下々までそれに倣ってしまう
今のフランス見れば分かるが、元々差別意識の強い多数派に差別正当化の口実与えたら碌なことにならない
鮮卑って呼び自体がクソザコって意味なのも忘れてはいけない
その後の万侯醜奴といい、漢化が深刻になった北魏は漢民族国家みたいな腐り方をするのが何とも惜しい >>663
司馬穎は太康10年(289年)に成都王に封じられているが
史書読む限りは成都に行った形跡ないな
元康9年(299年)に平北将軍に任じられてからは鄴に鎮守して以降八王の乱の戦乱に従事
益州刺史は西晋統一後 王濬→胡羆→張敏→栗凱→趙廞(判明分)
と引き継がれたが永康元年(300年)の趙廞反乱以降成漢が治めるまで混乱の只中 イングランドでもフランス人が支配者なのにイングランド語になったように
日本でも朝鮮人が支配者なのに日本語を使うようになった 松下先生は爾朱栄=ラオウって書いてるけど脇の甘さも含めてDIO(第一部)や無残様の方が近くね
拳王さまは倒した拳王家は禍根を残さず族滅してるし聖帝との戦いと勝てる確信ない時は避けてた >>679
封地と軍権が分断されてる上に領地経営がアホ臭くなるほどのバブル景気だから、封地はさして重要じゃないんだよね
逆に軍権はどこで挙兵できるか、どの規模の兵を使えるかがストレートに影響する要素
この軍権持ちのシバき合いで分が悪いからと、異民族ブーストをやった司馬穎がいかに罪深いことか 欧州で大暴れしてる中東・アフリカ移民を見てると
在チョンが可愛く見えてくるから困る
移民入れて得するのは企業だけで、治安悪化や社会保障費負担で国民にはデメリットしかない >>681
爾朱栄=ラオウの世界だとすると
トキやケンシロウよりもシンやジャギやユダが強いという
おぞましい世紀末になるな・・・ トキやケンさん枠は蘭ちゃんがおるやろ
あと文宣帝も無惨様枠だよな。治療がなかなか進まなくてイラッときて医者を殺すとことかまんま >>683
漢化政策で蔑まされた鮮卑がどうしてハジケたか
どうして北魏の大部分を得た北斉が鮮卑帰り政策をした北周に負けたか
を端的に表してるのが今回の一件
今回暴動やってるのが、日常的に差別されてた移民2世〜3世+それに同情する白人
2世や3世は欧州で育ち欧州の教養を得ていたが
色があるからと文化的にも制度的にも下流とみなされ差別が横行し、恨みが蓄積して火薬庫になっていた
少年射殺は火薬庫に偶然飛んだ火種でしかない ウクライナにNATOが供与したのと同じ武器が、何故か暴動に使われてる
(しかも対物用の大型銃器だから誤魔化しが利かない)
っていう時点でお察し
まあ正常性バイアスにズブズブだから無理強いはしないが >>664
続き
松下憲一「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」の4章に煬帝の食事メニューが出てくる
○膾(なまの肉や魚と野菜を細切りにして酢に浸したもの)八種 北斉武威王生羊膾・飛鸞膾・咄嗟膾・専門膾・拖刀羊皮雅膾・天孫膾・天真羊膾 魚膾永加王特封 ○烙(弱火であぶる)・炙(強火であぶる)四種 烙羊成美公・龍鬚炙・乾炙満天星・金装韭黄艾炙
○蒸(むす)一種 露漿山子羊蒸 ○飯(穀物を蒸したもの)・鮓(なれずし)三種 越国公砕金飯・新治月華飯・虞公断醒鮓 ○餅(穀物粉をこねたもの)・麺(めん)・餤(クレープ)・(蒸しもち)・糕(こなもち)一四種 滑餅・千金砕香餅子・雲頭対炉餅・楊花泛湯糝餅・乾坤夾餅・含醬餅・撮高巧装檀様餅 君子飣 湯装浮萍麺 急成小餤・朱衣餤 象牙 花折鵝糕・紫龍糕
羹(肉と野菜スープ)・臛(肉スープ)・湯(具なしスープ)七種 細供没葱羊羹・剪雲析魚羹・折筯羹・香翠鶉羹 十二香点臛・金丸玉菜臛鱉 春香泛湯 ○肉・魚など一〇種 交加鴨脂・剔縷鶏・高細浮動羊・修羊宝巻・白消熊・蓮珠起肉・魚羊仙料・無憂腊 加料塩花魚屑 蔵蟹含春侯 ○酒・醬・乳・酥(バター)六種 爽酒十様巻生・千日醬・帖乳花面英・加乳腐・添酥冷白寒具・暗装籠味 いま
松下先生も指摘してるけど犬と馬と牛と豚の肉がなぜかない
んだよね。犬と馬は遊牧民的には食用ってよりは狩りのパートナーだから食う気にはなれんのだろうけど牛と馬は謎
あと餅って書いてあるのは実はパンの事もでもあるとか 鬼谷子批語龐涓「遇羊而榮、遇馬而絕」
羊が肉の主食にみえてしまう 難民もどうせ逃げるなら
トルコ、イラン、サウジなど同じイスラム教の国に逃げたらええのに・・・
結局、宗教よりも独仏で豊かな生活送りたいんやね イスラム教の国に先進国は無いからな・・・
ジャービル・イブン・ハイヤーンもあの世で嘆いているだろうな >>692
フランスの件は難民じゃねぇよ
れっきとしたフランス人だ
ヨーロッパ出身の人種じゃないってだけで差別あるがな
だからサッカーのジダンも、ベルベル人であるからか協会の要職に就けない
しかもベルベル人は北アフリカながら白人なのに「バーバリアンの語源だから」って理由で差別されてる >>693-694
イスラムが今のようになった理由のうち、大きいのは三つ
1 知恵の館の喪失
古代ギリシャ、ローマからの蔵書が、ハザール派閥(特にジョージア)のラジコンにされたモンゴルにより消された
アレキサンドリアに残っていたわずかなコピーがイタリアに流れた結果、ルネサンスが発生するような逸品
これを知識者層含む200万人と一緒に失われたことで人類史は200〜500年ほど遅れており
科学技術由来での先進国の座もここで奪われた
2 イギリスによるオスマン解体
国家規模や経済での先進国の座を失った理由である、オスマン帝国の崩壊の手法は悪辣
民族をわざと細分化し、オスマンやイスラムに虐げられたというシナリオを作った上で独立支援し
独立に成功させた国家の事実上の宗主国として、好き放題ネガキャンをさせた
これを一世紀以上行った結果、イスラム=悪や野蛮という印象を既成事実化しただけでなく
イスラム本来の寛容な政治を失わせ、綺麗事に包んだ唯我独尊という西洋思想を正義とせざるを得なくなった
3 資本主義による支配
イスラムはそもそも資本主義や経済成長と反する教義であるため、グローバリズムでは置いて行かれる
置いて行かれないよう資源に頼る国家(UAE、サウジ等)と、貧困にあえぐ国家(アフガン、サヘル諸国)に分断し
前者は欧米フロント企業に急所を握らせ、後者は武装組織化を助けるよう工作を行い、自立できなくした
ステレオタイプでの処理が愚かに思える奥深さは、この時代と通ずるものがある
隋唐の仏教ベース皇帝も、かつてのイスラム国家の哲人王政治と近い スペイン人やイタリア人を黒髪にして目の色も黒にして日焼けさせたらアラブ人 兵馬俑を見てると今の中国人と顔つき変わらんし
五胡やら契丹やら女真やら蒙古と混血しまくっても漢族のベースはそのままという感じなのかな アレクサンドリア図書館の焼失
知恵の館の喪失
文化大革命 ローマ帝国は庶民でも文字が読めたが
中世ヨーロッパでは農民どころか国王や貴族・騎士も文盲で、読み書きできるのは教会の神父だけという有様 顔氏家訓読んでても「読み書きと四書五経さえ抑えておけば出自がわるくても寺子屋の先生くらいにはなれる、逆に無学文盲なら大貴族でも奴僕に落ちぶれる。ちゃんと勉強しろよ」と買い取るからな
なお、解説によると南朝梁では貴族の学力がダダ落ちし「馬に乗れれば著作郎。ご機嫌いかがですかって書ければ秘書郎」といわれるほどでカンニングも横行するほどや 読み書きできないとカンペに書かれてることもわからないし解答も書けない
読み書きって大事だな 中華も五胡十六国南北朝時代を含む書の五厄の混乱で牛弘も嘆いているのに
知恵の館の喪失やアレクサンドリア図書館の焼失級の
壊滅的被害にならなかったのは七不思議 >>701
問題はその四書五経をはじめとした写本が結構な高値であり、得る手段を要するという所
転じて写本を作成できる教養と画力(と材料を買う資産)がある場合、下手な官吏の俸禄より美味しい稼ぎになっていたそうな
ここら辺で西晋からの寒門のインテリ化(食い扶持のためにやらざるを得ない)と皇族や名家のバカ発生(やらなくても一生遊んで暮らせる)のカラクリが見え隠れする
>>703
知識人自体が生き延びたのと、注釈に使われて要点が引き継がれていったおかげかと
アレクサンドリアは焼失後にキリスト教による独占、知恵の館は文字通り皆殺しによる知識断絶が致命的
ステンドグラスやイコンが文盲用教材って時点で色々察するものがあるだろう >>701
そう考えると詰め込み教育から
ゆとり教育に緩くなった日本は亡国に向かっているな…
今に英語の筆記体読める日本人皆無になるだろうな ゆとり教育なんて十年前から止めてるやろ
あれは寺脇研みたいなろくに勉強しないで映画ばっかみてても東大一発で受かる
超優等生向けの教育よ >>706
>超優等生向けの教育
これが核心突いてる
実際にゆとり教育でZ世代より前に現れたのが、さとり世代
なまじ自己で学ぶウェートがでかいから、今の腐敗した社会を知る機会が多くなってしまい、ブルーカラーの奴隷労働が成立しなくなった
中国で問題になっている寝そべり族と根っこは同じ
文化面で爛熟しながらも国力は衰退の一途を辿った劉宋以降の南朝と似ている 東晋はあくまで中原回復が国是であり続けたけど
劉宋から江南こそが中華の中心であるという考えが貴族を支配していった
この辺りは会田大輔先生の本に書かれていた
まあ、狐と葡萄みたいな話なんだろう
元嘉北伐の失敗と瓜歩の役による煮え湯、
文帝の前期までは東晋から劉裕ときた北伐の大義を持ち続けていたが
文帝末期になってみんな折れてしまったんだろうな >>698
同じく混血しまくってるエジプトでも数千年前のミイラとか
現代の日本在住のフィフィとあまり顔つき変わらんから >>711
絶対強者が裏の目的隠しつつ表面上は掻き回してるだけだから
今のアメリカ合衆国の政治みたいな状態 このスレで貴族DS論ってのがあったな
北斉だと段韶が表でも裏でも最強じゃないか
高一族も手を出せないし軍功も内政も堅実なのになんであんまり取り上げられないのか
段韶の立ち位置はフランク王国の宮宰のようだ >>713
北斉が利用価値のない敗北者だから、というのに尽きる
歴史上の敗北者は、だからダメなんだよっていう結論になり得る内容こそ記載しなきゃいけないのに
段韶は堅実過ぎた上に裏切りや裏切られがないから、ろくにダメエピソードが作れない
さらに北斉が衰退滅亡した本当の理由が漢化っていうのも問題
隋唐のロジックである、優秀な漢民族の血筋によるレコンキスタ、への反駁材料になってしまうため、原因どころか一挙一動に脚色を要する
ゆえに書かざるを得ない最低限の内容だけの味気ないものと
埋め合わせとして奸臣や暗君の醜聞豪華メガ盛り特濃フルコースの両極端になったと 相談もなしに舎弟を引き連れて独立したがその舎弟からこんな奴の味方じゃないからとドン引きされるも
そこそこの人数は引き抜きに成功したJane Styleの乱は何に近いんだろ フランク王国がメロヴィング朝からカロリング朝に交代したのは
中国南北朝時代に多発した禅譲≒簒奪に近いな
意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う
中国には宮宰みたいなのがいない
文治と軍権はときに重なることがあったが
宮廷内のことは宦官などがやってて比較的に文武官と分離されていた
李勣「これは陛下の家のこと、なぜ外の私に聞くんですか?」…武則天の専権へ >意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う
完全体のローマ存続までは権力=権威で分業なんてない状態だし
以降はベニスから始まった資本家orバチカンから始まった宗教家の間接統治だから国内を乱して首を挿げ替える必要が薄い
むしろやるなら他国を扇動して潰してもらい、その後覇権握ったとこに取り入るほうが楽ちん >>716
斉の田氏もそうだけど実験握って100年以上経って
ようやく君主を追放して即位だからなあ >中国には宮宰みたいなのがいない
日本では天皇家に対する征夷大将軍(幕府)とか
鎌倉公方(足利家)に対する関東管領(上杉家)とか
龍造寺家に対する鍋島家とか
近い例は枚挙にいとまがない 鎌倉幕府の得宗体制とか傍から見たら東晋より権力のポジションが意味不明だもんな
天皇家の代理(征夷大将軍)の家宰(執権)の腹心(得宗)が権力握ってるとか最初に教科書か参考書読んだとき全く理解できんかったぞ 高湛まではいくら横暴をやっても
手加減というのは知ってた
勲貴には手を出せないし、使い方も分かっていた(互いに利用してた)
段韶の寿命が北斉の運の尽きか
高緯だって斛律光は粛清できても段韶は無理だったろうから 段韶の息子の中には唐に仕えた奴も居るな
まあ武威段氏だからおかしくないが 歴史は繰り返す
斛律光や蘭陵王を謀殺するはいいが、その後に北周の攻撃から自国をどう守るかは一切考えていない北斉
太田道灌を亡き者にし山内上杉に対して一気に劣勢になった扇谷上杉も然り
朱元璋や豊臣秀吉みたく完全に外敵を駆逐しきってからの粛清ならまだ分かるんだけどね >>722
正式名称すら最近手紙で判明レベルだから正式な役職じゃないんだよね
もっとも世界史で実質乗っ取ってみたいなのは結構あるけど
それでも即位した瞬間に潰されたり即位迄100年200年かけてるんだよね 李蕩が仲平で、李雄が仲儁と二人とも次男系の字なのは、
どうせどっちか死ぬだろって想定なのかな ある時、李雄の母である羅氏は、2つの虹が門から天へと道を作り、
その途上で1本が途切れる夢を見た。その後、李蕩を生んだ。
またある時、羅氏は水を汲みに行き、うっかり眠り込んでしまった。
その時、大蛇がその体にからみつくという夢を見た。
その後、妊娠していた事が分かり、14か月後に李雄を生んだ。
羅氏はいつも2人の子のどちらかが亡くなれば、
残った方は大富貴に至るであろうと語っていたという。
その予言の通り、李蕩が303年に亡くなると、李雄は成漢皇帝に至ったという。
李蕩と李雄は同母兄弟なのに日本でいえば
織田信雄(三介)と織田信孝(三七)みたいな同格扱いなのかな
なお長男なのにほぼ空気の李始(伯起)・・・ 李氏の不倶戴天の敵である羅尚と李雄の母が同じ羅氏というのがなかなか面白いな
もしかして縁者だったりして >>724
豊臣秀吉は最も危険な徳川家康を始末しなかったのが命取りで案の定、死後に天下を奪われ豊臣家は滅ぼされる破目となった。
朱元璋も死後に靖難の変で孫の建文帝が帝位を奪われたが、その帝位を奪った永楽帝は息子だったので朱家の天下が続いたという点ではマシと言えるだろう。 大地震の被害が凄まじく、徳川への対応が武力征伐→和睦へ方針転換せざるを得なかった
あと秀次があのまま豊臣家を継いでいれば家康が付け入る隙もなかったかもね >>730
そもそも豊臣秀長が早逝しなければ豊臣秀次の処刑も唐入りも無かったかも知れないから、やすやすと徳川家康に天下を奪われる事もなかったろう。
そう考えると豊臣秀長の早すぎる死は朱元璋にとっての皇太子・朱標の早逝と同じような意味があったのだろう。 朱標と馬皇后が長生きで朱元璋没後も健在だったら後世の朱元璋評価も大分違っていただろうな。
唐太宗や康煕帝と並び称されたかもな。 燕賊も本来望んでた「北の蛮族への防人」って立場で生涯を終えてたろうしな >>730
秀次程度じゃ家康にいいようにやられる
石弘が石虎に敵わないのと同じ 漢族は基本的に長子相続だけど、故族は必ずしもそうではないね >>736
遊牧民族は成長した順に独立して親元を巣立っていくので、
そうなると最後まで親元にいた末子が相続する事になる。 財産分与的な相続でいえば末子相続になるけど
家督的な相続は必ずしもそうじゃないよな >>731
いや、秀吉はきっと処刑したよ
というか秀長自体も処刑したかもしれん >>737
慕容吐谷渾とか長男なのにどうみても慕容氏継げる人生ではないな
もし慕容吐谷渾が慕容氏継いでたら >>739
それに比べると朱元璋は甥の朱文正(長兄の子)は過失あって免官したが軟禁しただけで殺さず、その子の朱守謙は赦されて靖江王に封じられ子孫が代々受け継ぎ明末から南明にまで至るが、
これは唯一の朱元璋の子孫以外の藩王である。
また李文忠(長姉の子)は開国の功臣として曹国公に封じられ、その子の李景隆が受け継ぐが靖難の変で建文帝について燕王(後の永楽帝)に損害を与えたことで除爵され、その子孫が
複爵することも無かった。
劉邦も即位後も生きていた次兄の劉喜は死刑にされてもおかしくないところを降格するだけで済まして子の劉濞は後に呉王に封じたし、早逝した長兄手・劉伯の子の劉信も母(劉邦の兄嫁)
気に入らなくても後に羹颉侯に封じたように中華の庶民出身の開国の皇帝は日本の権力者と違って肉親の処刑はほとんどしない傾向がるようだ。 劉備も劉封を処刑にしたが、秀吉と秀次の関係と違って血の繋がりの無い養子だし
殺すのは劉封だけに留めて劉封の息子は生かしてたな >>742
劉封はあくまで関羽のド低能失策を叱責しないための生贄だから、権力争いや家督相続の意味合いはそこまで強くない
そのぶん生贄としての効力も弱いから取り返しの付かない負け戦をやらかす羽目になったわけだが 拓跋珪は40前で殺されたのか
人生濃すぎだろこの人 北魏の皇帝はみんな暗殺か30代前半までか
韓国の大統領…とは方向性が違うけど幸せとは思えない
それと皇帝の皇弟たちもみんな曰く付きばっかりだな 40超えたのが高歓だけという呪われた一族、北斉高氏
爾朱栄とかあの濃さなのに40前で誅されてるってマジか >>744-746
騎馬民族は馬より少し長い寿命しか持ってないかもな
それなら馬並みのイチモツと馬ぐらいの早熟な生殖能力あればいいのだが
残念ながら持っていないのは哀れ 東晋皇帝も50代に達したのは簡文帝のみ
というか皇族として52歳まで永らえたのに皇帝に即位させられた途端1年保たずにに崩御という ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています