五胡十六国南北朝を語るスレ19
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https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1663590952/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE なんで当時写真技術なかったのだろうか
仕組みは簡単なのに >>20
ピンホール現象は仕組み簡単だけど
映像焼き付ける感光剤とか近代にならないと無理だろうな
今のタリバンとかアルカイダとかにスマホの製造無理なように
化学とは程遠い生き様の五胡にはほぼ無理 五胡南北朝は群雄など掘ってみればものすごく面白いのに
メジャーになれないのは
哲学、科学、軍事と中学教科書に載るレベルの革命がないからだと思う
こういうのがあったら入門者は増えそうなんだが
おれは書道から、北魏の石碑の書体の多様さから >>22
あるにはあるが都合悪いから闇に葬られてるような状態
唐や宋なんてもろ五胡がないと成立しなかったんだが、漢民族の天下でないと都合が悪いから五胡をペンキで塗り潰してる
六朝も「資本家による寡頭政治」の典型例だから、研究されると現在との共通点を見つけられて非常によろしくない >>22
五胡~隋唐って儒教が仏教とフュージョンする時代やぞ
中国思想史や宗教史的には無茶苦茶重要な時代 学問的な重要性を強調したところで世間的な興味とは結びつかない
有名漫画家にこの時代のマンガでも連載させた方が効果あるだろ 高湛と高百年
>賈徳冑が百年に書を教えていたので、百年に「勅」の字を教えて書かせ、賈徳冑はそれを封じて武成帝のもとに届けた。武成帝は激怒して、百年を召し出した。百年は罪を免れないと知って、妃の斛律氏(斛律光の娘)に帯留めを割って与えた。玄都苑の涼風堂で武成帝に会うと、百年の書いた「勅」の字を示された。
陰謀を強く示唆するが、そうとも確定できない
LGBT差別発言問題、オフレコ破り、そしてその後の動きはこれを思い起こさせた
高湛、高百年、賈徳冑にあたる面々は >>26
三國志演義理論が今でも通用するというかなしみ
衆愚が衆賢になれないからBRICSが次の覇権握りそうなのがその表れか まあ逃げ若が当たったんでやり方次第だとは思うけどね
北条時行なんて一瞬だけ鎌倉奪回して後はフェードアウトする人物を主役にして当てた訳だし そういう異色物は既に土台が繰り返されてる賜物だろジジイ
あんま飛ぶなハゲ >>29
あれ当たった訳じゃなくて
・暗殺教室で得た人気の貯金切り売り
・若を超えるレベルの新連載がない
の二点で続いてるような状態
史実どおりの結びなら、ドベレース常連になる前に終われそうなのが救い 南北朝時代は本場中国だとドラマが作られたりとそこそこ人気のような印象があるが
五胡十六国時代はどうなんだろうか? 蘭陵王のドラマ見たらヒロインの家の窓枠が蝶番で開いてたけど6世紀後半に存在したんだろうか >>32
あるのは謝安のドラマ(東晋)くらい
サブカル方面でも、北朝で好意的に捉えられているのは苻堅(前秦)くらいなうえ
好意的な場合は漢民族ルックスなのに、悪役の場合は異民族ルックスにされている
児童用の歴史ものでも、苻堅が漢民族皇帝の格好で威厳があるのに、慕容垂はトンチキな所作と表情の胡服で描かれていた >>35
慕容垂でそれなら
石勒石虎ならもっと酷そうだな 石勒はラオウとか勇次郎みたいなビジュアルじゃないと様にならん気が 蘭陵王のドラマって蘭陵王が般若のお面つけてたやつ?鳥居とかもセットになってたな。
武則天は見た目が花魁の姉御みたいだったし、向こうの人達も日本を少し意識して作ってたりするんやろか? 『楚喬伝-いばらに咲く花-』
『後宮の涙』
『蘭陵王』
『琅琊榜 〜麒麟の才子、風雲起こす〜』
『独孤伽羅〜皇后の願い〜』
『王女未央-BIOU-』
『酔麗花〜エターナル・ラブ〜』
『ムーラン』 「鳳囚凰 」は劉宋だね
劉子業が劉ケを豚扱いして虐めるシーンとか >>40に追加
『蘭陵王妃』
『独孤皇后』
『北魏馮太后』 何だかんだで五胡十六国南北朝時代も
中国人にとってはフィクション込みで
ドラマの素材に耐えうる案件結構あるので
今後もドラマは作られそう
日本でいえば江戸時代の時代劇みたいな >>44
大河ドラマは日本人主役がデフォだから実現ほぼ無理
しかし宇宙大将軍は中国ドラマで作られてもおかしくない題材 田中芳樹の中編「長江落日賦」がまんま宇宙大将軍の話じゃんその前に「奔流」の時は颯爽とした若きリーダーだって菩薩皇帝が見る影もないほど劣化(晩年のセンゴク秀吉より酷い)するのはかなりキツイけど 北伐の実績なんか孔明越えなのに向こうじゃドラマすらない桓温… >>43
唐、清、宋の三強がいるからなぁ…
あちらの世界の創作でもこの時代が人気で、次点が漢
なろう系では特に清の宮中ものが人気
有名どころではキョンシーも「清時代は良かった」って羨望が反映されていたりする 日本で五胡十六国時代のドラマ作るとしたら賈疋とか人気ありそう >>50
賈疋は最後のクラッシュが泣けるな…
気を衒って賈疋はラリードライバーの設定で
ドラマ作ると意外とウケるかも
かなりシュールだが >>35
そこで辺荒伝説のtheバーバリアンな苻堅様と
白皙のイケメン慕容垂(苻堅より年下)ですよ
アレ見ちゃうと
史実無視とは何かを考えたくなってきますね 桓温は公主が入れ替わる中国ドラマの冒頭で公主に虐げられた婿の一例として挙げられてたな
鬼嫁に虐げられるイメージなんだろかね >>54
嫁が司馬興男(♀)とかどうみても鬼嫁
竜亢桓氏とはいえ刑家に堕ちた寒門よりも下の家から
親父の桓彝が頑張って江左八達に挙げられるぐらい家格上げたとはいえ
普通は司馬紹と庾文君の長女を娶るのがあり得ないぐらいの格差婚 >>56
興男というのは良い名前だとは思うんだけど、「男」の字のインパクトや音の響きに引っ張られてどうしてもね…
去病、鎮悪、無忌だとかも2文字目の方のイメージが1文字目に否定されてもなお残る。 裴松之先生の名言「誰も読めない書けない変な名前を付けるぐらいなら、一層のこと名前なんかつけるな!」を思い出しますなw >>56
しかも竜亢桓氏を刑家に落としたのが、他ならぬ宣帝司馬懿というね
回り回って桓玄に簒奪されるのは因果応報というべきか >>49
清の時代が舞台のドラマは確かに多いが唐や宋の時代が舞台のドラマより明の時代が舞台のドラマの方が多いと思う。
それに明と清は初期から末期まで両者が重なる明末清初を含めてほぼ全ての時代がドラマの舞台になっている、唐は太宗や武則天や玄宗が
中心の初期から中期までで中期から末期が舞台のドラマはほとんどなく、宋も楊家将を中心とした北宋初期と水滸伝と岳飛を中心とした
北宋末期から南宋初期までの時代のドラマが多く他の時代が舞台のドラマはほとんどない。 清が多いのは単純に近い時代のことだからね
文物も暮らしも馴染みやすいし何だかんだで中国人は清王朝大好きだよ
日本人が戦国・幕末より結局は江戸時代が好きなのと同じ >>54
>>56
楊堅「わかる」
源頼朝「わかる。ほんま怖いもん」 氏族間での横の結びつきが濃い乱世には嫁が強いケースが多々ある >>59
桓玄で簒奪してリベンジ果たしたのは因果応報でいいのだが
その後早々に衰退して河内司馬氏よりも先に消えたのがな・・・
竜亢桓氏別系統が隋唐まで生き延びているが
何か悪が栄える感で口惜しい >>56
桓温は庾翼の姪を娶っている事になるから
桓温が庾翼から西府軍団を引き継いだのも奇天烈な人事ではないな 桓玄って劉裕がチートすぎてやられてしまったけど
劉裕さえ潰せたら桓楚政権で落ち着いてもおかしくはなかったんだな
ただの無能な二代目とは違う 桓玄のおかげで
現代のノートや年賀状が竹簡にならなかったと思うと
感謝しかない 桓玄が嫁の忠告だがを聴いてさっさと劉裕頃してればよかったのに >>68
劉裕みたいに北伐して成功してれば禅譲への道開けたかもな…
とはいえ親父桓温は北伐成功しても禅譲失敗してるから
反面教師で実力行使したのだろうが天命無かったな…
桓玄は無能な二代目とは違うのには同意だが本当に持ってない
桓玄よりも実力も功績も微妙な蕭道成が禅譲成功してるのをみると
桓玄に足りないのは天命ぐらいしか思い当たらない
そういえば蕭道成も瓜歩の役では下っ端で
抗戦してるが拓跋Zにボコボコにされてるな 司馬叔璠、亡命しまくりの経歴
東晋の淮南王から始まって桓楚から逃れて南燕(慕容超)そして後秦(姚興)、
そして後秦が劉裕に攻められたので夏(赫連勃勃)、夏が北魏に攻められたので
北魏の太武帝の下で落ち着く
後期東晋十六国の簒奪、放伐から追われる人生ながら生き残り続ける
子の司馬霊寿、孫の司馬恵安と高官を務める
こんな感じで北朝にも河内司馬氏が江南から戻る形で続いたんだな
司馬睿の南遷といい、河内司馬氏はしぶとく生き延びるやつも多い >>72
一番は貴族の支持だろう
これの有無で善行も悪行に、その逆にもというのも難しくはない
桓楚は皇帝主権を志して貴族を敵視(桓温からの因縁もある)しており、支持以前に貴族にとって悪そのものだった
劉裕以降は貴族の犬として皇帝が働く条件で支持を取り付けてるせいで、言葉は悪いが小者が皇帝になる環境になってしまった ただ、南朝は北朝みたいなアクの強いリーダーって相性よくない印象。 位人臣極めると保身も兼ねて劉裕みたく簒奪に走るのになぜ日本はそれが起きなかったんだろうな 易姓革命が根付いてなかったから簒奪を正当化出来ない
頑張ればやれるだろうがそんなリスク犯すより天皇黙らせといて実権だけ持ってた方がいい 易姓革命の大義名分作って後の時代にもその手法使われた王莽みたいのが日本には出てこなかったせいか 筑紫の磐井が勝てば…
蘇我氏が上手くやれば…
新皇が成功すれば…
などなど幾つかのチャンスはあったが結局駄目でした… >>73
河内司馬氏は隋唐では北魏で栄えた三房(三祖司馬氏)を元に栄えているな
・琅琊房:司馬楚之(北魏琅琊王)の末裔(司馬馗系)
・冠軍房:司馬叔璠(北魏冠軍将軍)の末裔(司馬馗系)
・蒼梧房:司馬景之(北魏蒼梧公)の末裔(司馬亮系)
この他に傍系として
・司馬宗(東晋南頓王)の末裔(司馬亮系)
・司馬遜(西晋譙王)の末裔(司馬進系)
・司馬興龍(北魏魯陽太守)の末裔(司馬馗系)
等も存在しているから生き残るどころか北から南からゴキブリの如く栄えている河内司馬氏 >>74
劉裕以降の皇帝は貴族の犬云々の話はよく見かけるけど
強き皇帝は下を支配し逆に弱き皇帝は下に呑まれるのは
秦の胡亥や漢の前少帝後少帝から清の愛新覚羅溥儀に至るまで
皇帝の本質は時代を経てもほぼ変わっていない >>79
承久の乱や法住寺合戦みてると皇室族滅されんかつたの単に運が良かっただけな気がする >>81
本質が抜け落ちてる
本当の強者が簒奪をせずフィクサーとなり、犬に皇帝をやらせている
そんでフィクサーは枝葉を番頭に据えて富を貪りながら闇に潜る
利己的な人間の理想である「好き放題自由に振舞うけど責任取らない」を体現したのが劉宋以降よ
これの危うさを理解してないと、永遠に同じことを繰り返すだけ >>75
朱元璋「孫呉も東晋も南朝も南唐も南宋も江南に都した連中は、どいつもこいつも弱小で北伐なぞ夢物語。
やはり朕のごとく何万人ぬっ殺そうが意に介さない鋼の精神の持ち主でなければ中華統一など成功せねわ。
蒋介石?奴は北伐に成功して一時的に中華統一したのは見上げたものだが倭奴に南京を追われて重慶に尻尾
を巻いて逃げ、あげくの果てに赤匪に敗けて台湾に追いやられるなど朕には遠く及ばぬ小物よのう。」 >>79
子供はすぐ死ぬけど成人したら死亡率下がるのと同じで最初の方乗りきったら保つよな 朱元璋みたいに北伐に成功した蒋介石は有頂天になっていたのだろう
しかしまさか海から上陸して建康を襲撃してくるのがいるとは頭になかった
近代兵器を舐め腐ってたとも言える 蒋介石や朱元璋だけでなく
五胡も近代兵器の前には無力
五胡は細菌兵器にも弱いのは
五胡よりも後世のジュンガル帝国の残党が証明済 >>87
盛家に下品なし、寒門に上品なし
清談文化
この二つで分からないなら自身が豚であると認識すべき 陳霸先が陳に封じられたのは偶然?
ちょっと洒落はいってる? ちんぽの意味になるのは日本語の偶然だが国号と国姓が一致するのは当時も意識されてたのかね >>92
承聖四年(555年),王僧辯屈事北齊,迎立北齊扶植的蕭淵明為梁帝,陳霸先苦勸無效,遂誅王僧辯,立蕭方智為帝。
後又擊退北齊的南下侵略,剷平了王僧辯餘黨的反抗,晉封陳公,受九錫。
陳霸先が陳に封じられたのは王僧弁と蕭淵明(閔帝)を倒した功績により
蕭方智(敬帝)から陳公に封じられたから
洒落で陳に封じたかどうかは蕭方智に聞いた方が 江陵の後梁と永嘉王(王僧弁の残党が擁立)が健在のうちにお飾りではあるが正統性がある敬帝を廃したのは致命的な失策としか言い様がないよな
後梁と永嘉王にまたとない大義名分を与えてしまって苦しむことになるんだから >>92
趙匡胤「朕が趙に封じられていたら後に皇帝となった際、趙と名乗り後世の日本で
趙趙と呼ばれ蝶々夫人のように笑われたのだろうな。」 >54>56>64
フェリペ二世・フリードリヒ二世「隣の女だけどわかる」 叱干阿利「おお>>98よ、統万城の城壁に埋められるとは情けない」 信憑性は無視するとして潁川陳氏は春秋時代の陳の公族の末裔ということになってるから南朝陳は春秋陳の再興という建前とかあったりするのだろうか 陳覇先なんて正統性的な意味では最悪だったからな……
少しでも箔をつけるための一環だったんだろうな
「隋よりも俺のほうが正統」とか言わなきゃいけないんだから、
何でもやらないとまずい 王僧弁の北斉と友好関係を結んで西魏から江陵周辺及び蜀を奪還する策は間違ってないと思うけどな
陳覇先は当初から簒奪する野心を持っていたかは不明だけど両者の対立は結果的に西魏・北周・隋の利することになったな >>97
日本では趙趙は蝶々みたいで陳陳みたいに笑われそうだが
中国では先日帰った香香(シャンシャン)みたいなパンダっぽくて可愛らしい >>96
それはあるけど孫呉よりも狭い土地で
内憂抱えてよく30年以上保ったなとは思う >>102
春秋陳の再興は実質戦国田斉がやってるからどうだろうか >>103
伝玉璽持ってても正統性に疑問符つくのは
冉魏と同じで相当末期状態 >>104
王僧弁も陳覇先も蕭繹の部将としてなら仲良くできたかもな
蕭繹死んだら対立の道しかなかったかも
しかし2人とも忙しかったとはいえ蕭繹救えなかったのは口惜しい 北斉と梁の同盟話が持ち上がった事がある
北斉は抑留していた貞陽侯蕭淵明を送還すると、敬帝蕭方智の退位と貞陽侯の即位を要求した
王僧弁は江陵の後梁と北周と対抗するには北斉の後ろ楯が必要と考えて貞陽侯の即位を認めた
ただし、淮南割譲および敬帝の立太子を条件に突き付けるのも忘れなかった
北周と対抗するために梁との連携が不可欠と考えた北斉はあっさり条件を飲んだ
しかし、あくまでも敬帝にこだわる陳覇先は王僧弁を奸臣だと非難したうえで攻撃して敗死させてしまった
そして、貞陽侯を北斉に送還しようとしたのだが、貞陽侯が送還直前に急死する事件が起きた
態度を硬化させた北斉は陳覇先を恨んで同盟話を無かったことにした
かくして、陳は王僧弁の残党と北斉と後梁と北周に苦しめられて弱体化していったのであった >>108
末期というか「終わってる」状態で
南部の統治を押しつけられた感じやろ、陳覇先
まあ冉閔は冉閔でクソみたいな環境にあったが…… 陳は南朝が滅んでいく過程で運悪く出来てしまった王朝 >>111
貴族は既に亡命してるしなぁ
20世紀のポーランドを彷彿とさせる(まあアッチはドイツのブック破りで復活できたが) >>111
まだ陳慶之が生きてた頃は終わってなかったのにな
陳慶之と陳覇先は親戚かと思ったら
陳慶之は義興陳氏なので関係無さそうだ >>113
最終的には唐滅亡時に黄河に沈められるやん >>111
逃れる術はあったのに自分から引き受けてしまった感もある >>116
ヒャッハー理論振りかざして沈めた結果、貴族がチンパンまで地下に潜る羽目になったのは、全忠の数少ない評価点
あれがなければ宋のKENZENはあり得なかった 北斉と組んで敬帝を廃するとはなんたる不忠だと王僧弁を非難して討ち取ったのに
自分は邪魔になった敬帝を廃した挙げ句に用済みとばかりに刺客を差し向けて斬殺してしまうんだから
ダブスタもいいところだよな >>119
>>120
ナオミ・クライン「朱全忠は99%が1%を放伐しただけ」 北周が後梁を存続させたのも、陳の非正統性を問うて
征伐する口実にするためだったんだろうか >>111
冉魏の何があかんかって
・乞活(漢民族知識人が軽蔑)
・石氏の養子になる(漢民族が軽蔑)
・石氏を殺して回る(皇族・異民族が軽蔑)
・李閔襲名(自らの無学と不孝が露呈)
・天王号(東晋と不倶戴天)
・冉魏・胡殺令(全方位ドン引き)
とまあ味方が現れようがない振る舞いをしておきながら、暴力だけは超一流だったこと
割とまじで後趙のブレイクスルーを阻止するために遣わされたバケモノじゃないかと感じる 天王号が致命的やな
しかし回りに助言するのはいなかったのだろう ナチスの虐殺も一部以外の国民は引いてたし
嫌いと殺すの間には大きな壁があるわな >>126
ここまで全方位からヘイト集められるのは王莽以来
ある意味超一流の才能を感じる 石虎に虐待されていたのならまだしも、若くして戦死した養子の忘れ形見だと普通に可愛がられていたんだよな…
武悼天王も養祖父の石虎の期待に応えて、養祖父から将来を嘱望されていたのに
どうしてこうなった? >>129
王莽は後漢の都合でこの世の悪みたいに言われがちだが晩年以外は言うほどでもない 武帝に対する達磨の応対は現代ならマスコミ・SNSで総バッシングだと思う >>131
王莽が悪かどうかに関してはそこまででもないに同意だが
万人の敵という面では最高(最悪)級
苻堅でもここまで全方位敵にはなってない 王莽についてはそれまで聖人として万人の尊敬を集めてた反動が新末に押し寄せた感じ >>137
理想主義で独善家で自分のことを心の底からいい人だと信じていて、調子いい時は滅茶苦茶有能だけど悪い時はどん底まで突き進む二人やね >>134
苻堅はなんだかんだ言っても東晋に亡命した一族が高待遇受けてたり胡漢融合政策そのものは北魏から隋唐まで受け継がれてるからなんだかんだ言っても一廉の群雄よ
ヘイト集めたっても光栄風に言えば民忠MAXで死んだときも敵兵まで泣き出すほど >>140
胡漢融合は最低でも石勒がオリジナルやぞ
劉淵を端緒にしてもいいとは思うが、
ともあれ苻堅の胡漢融合はあくまでフォロワー的手段 趙の漢胡融合は基本的にトップ主導だったけど
急だったしイデオロギー的にも斬新すぎたんで漢人側も胡人側も受け入れる心の用意が完全にはできてなくて結局失敗した
反動の冉閔の虐殺で行き着くところまでいって
その後やっと民心として「これぼちぼち共存するしかねえんじゃねえかな…」という認識が双方から生まれ出した
苻堅の融合はその流れだけど、まぁそれはそれとして失敗した と言うか漢族根絶したほうが良かったんじゃねーか?! >>114
陳慶之ってかなりの名将だと思うが
武廟六十四将に選ばれてないのは意外だった >>143
漢民族の方が人口が圧倒的に多いのにどうやって根絶するんだよ
漢民族の方が圧倒的に多いんだから反撃されて自分達が抹殺されるのがオチだ
それに、漢民族を根絶したら農耕して定期的に税金を納めてくれるヤツがいなくなるぞ
官僚として仕官してくれる高度な知識を持つ漢民族名士もいなくなったら国の運営が成り立たなくなる
だからこそ、後趙の石虎以外の五胡政権は漢民族に気を使っていたんだから
後趙が石虎の死後わずか数年で崩壊したのは、漢民族の恨みを買っていたのも要因の一つなんだから
石虎が簒奪して以降、後趙は胡漢融合をかなぐり捨てて、漢民族から搾取することしかしていなかった >>141
胡漢融合って漢に胡を従属させて取り込む手法として体よく使われるんだが、石勒だけは胡も漢も主導的ではないって特殊さだからな
これの知名度が低いというのが漢民族至上主義の史観を彷彿とさせる
宇文も胡が主導って面では珍しいが、現代じゃ文化窃盗って言葉で表される内容ばかりなのが難点 >>144
武廟十哲とか武廟六十四将とか
十史(イエロージャーナリズムの晋書とか)書いてた奴らの後輩が
前世紀に十史完成して手持ち無沙汰で選んだようなものだから
少しズレてても別におかしくないので有り難がってるのは変態
現代だと流行語大賞で流行っているのか微妙な言葉が
大賞に選ばれるのが多々あるのと同じ >>145
漢民族史観丸出しだわな
ホントに搾取で恨まれてるなら前秦や前燕なんて搾りカス程度の国力しかなくヒ水なんて起こりようがない 陳慶之別に趨勢そのものひっくり返してないですし…… >>145
>>148
異民族どころか同族の異分子すら死滅させようとする
中共見てればわかるだろ? >>148
「後趙の石虎以外の五胡政権は漢民族に気を使っていた」と書いてあるのが読めない?
前秦や前燕をはじめとした五胡政権は石虎の失敗を反面教師として漢民族に配慮した政策を採っている 中共が滅んで
20億人がいきなり死滅しても
「へぇ」以外の感想しか無い
中華の歴史は大概大量虐殺が空気化してるしな というか
漢族なる蛮種に配慮する必要性すらなかった
と言うか石虎ですら甘ちゃんだったから
後々に至るまで冉閔の思想が蔓延したとしか思えんし >>151
それなら石虎存命から崩れるもんなんだわ
でも実際は死んで内紛して血族ほぼ断絶するまで保ったし、戸籍人口すら増加し、残骸から覇権国家が誕生するくらいに栄えてる
恨みを買ったらすぐ逃げ出し戸籍人口が減る、漢民族の気質と相反する動態よ
>>154
スタイリッシュ負け惜しみする暇あるなら、少しは学習しておけ生ゴミ >>155
戸籍人口でいえば後趙の石氏よりも東漢の劉氏の方が酷い
戸籍人口1/10に激減で古代夏レベルの人口とか新末の混乱でもあり得ない
なので永嘉の乱のどさくさで二王三恪から外され祭祀断たされたのもわかる >>157
しかも西晋になっても1400万しかいなくなる
この頃から独自に漢民族を従わせてた慕容部がいるのを考慮しても
よく淝水の前までに華北だけで約2300万まで増やしたもんだわ >>158
人口増やすにはかなりの善政でないと厳しいが
戸籍人口増やすには戸籍外の流民を無理矢理戸籍に編入
(土断とか強制移住とか)すれば良いので
思うほど難易度高くない
現代でいうとロシアみたいにウクライナ侵攻して
ウクライナ住民をロシア国内に強制移住させるようなものだ
あと圧倒的武力と恐怖政治で国外脱出禁止すれば戸籍人口減る要因を断てる と言うか
>>160みてたら
進撃の「地鳴らし」のように
いきなり世界人口のほぼすべてを問答無用に死滅させたほうが
かえって良いかと思うようになってきたわ >>160
その土断をやったのが桓温(南朝)
対して北朝は徙民こそあれど、規模が胡の40万〜50万(民族単位)しかやれておらず、前秦までに人口が増えた旨の記載がない
というのを考えると、ひょっとして西晋は戸籍外の貴族の奴隷が沢山いた+それが匈奴漢以降に戸籍に組み込まれたのか?という仮説が頭をよぎった >>163
>ひょっとして西晋は戸籍外の貴族の奴隷が沢山いた
普通は史書に伝が立つような人物はほぼ上級国民ばかり(一部一芸ある平民)だが
それでも西晋の貴族の奴隷から皇帝に上り詰めた石勒の例もある訳で
記録上で推測される以上の戸籍外の奴隷や流民が居た事は想像に難くない
幾度の混乱も在りながら短期間で戸籍人口増えている事からも仮説は的を得ていると思われ >>157
普通に考えて戸籍人口が1/10に激減したからといって
残りの9/10が死に絶えたとは思えないのは確か
(信憑性はともかく「屠蜀」の張献忠みたいな例外もあるが)
地球の歴史46億年の中で多細胞生物の致命的な大量絶滅は確認されているだけで5回あり
・古生代オルドビス紀末(約4億4400万年前):生物の約85%
三葉虫、腕足類、ウミリンゴ、サンゴ類、筆石、コノドントの大半が絶滅
・古生代デボン紀末(約3億7400万年前):生物の約82%
板皮類や甲冑魚をはじめとした多くの海生生物の大半が絶滅
・古生代ペルム紀末(約2億5100万年前):生物の約90〜96%
三葉虫の完全絶滅、大型昆虫、単弓類(哺乳類型爬虫類)などの生物の大半が絶滅
・中生代三畳紀末(約1億9960万年前):生物の約70〜76%
アンモナイト、爬虫類、単弓類などの生物の大半が絶滅
・中生代白亜紀末(約1億9960万年前):生物の約70〜75%
恐竜(翼竜、首長竜、モササウルス類)、アンモナイトの完全絶滅、生物の大半が絶滅
もし戸籍人口の大半が死に絶えたとすると地球の大量絶滅に近い割合の規模の死亡率であり
人口回復と環境回復するにはとてつもない時間と労力を要する
普通に考えて残った戸籍人口の数倍規模の戸籍外人口が存在したのは想像に難くない ×・中生代白亜紀末(約1億9960万年前)
〇・中生代白亜紀末(約6600万年前)
でしたスマソm(_ _)m 五胡十六国時代が、ウイグルの一番目立った時期という認識でよろしかったでしょうか? >>169
ウイグルの全盛期はもう少し後では
ウイグルといえば高車や鉄勒などよりもやっぱり回鶻 この時代が全盛期なら、ガオチャとかテュルーとかいう名称になってるもんなぁ<ウイグル ガオチャとかテュルーとかなら西夏(タングート)みたいにモンゴル帝国に滅ぼされそう 耶律阿保機・完顔阿骨打・成吉思汗・愛新覚羅努爾哈赤も
五湖がいなけりゃその他大勢に毛の生えた存在でしかなかったろうな >>175
いや北からの勢力はほっといても流れ込みますが……
そんなんロシア見てりゃわかりきったことやろ >>176
ユーラシア大陸はそうだが
アメリカ大陸のカナダがアメリカを度々侵略した話は聞いた事がない >>178
独立後ワシントンを攻略し焼き討ちしたことあるのは
カナダ駐屯イギリス軍だけだぞ >>179
まぁアメリカ独立戦争の辺りだとそうだな
しかしアメリカが万里の長城築くぐらい
カナダからアメリカへの掠奪が常態化してる話は聞いた事無い
カナダとアメリカは領土渡し合って国境直線化するぐらい仲良い
豚戦争とかも先に撃った方が負けみたいな謎のチキンレースで犠牲者ブタ1匹のみだったり
ユーラシアの五胡やロシアの概念とは違う南北関係 メリケンもカナダも元々エゲレスの海外領土だったしな 厳密には
カナダ=イギリス+フランス他
五胡やロシアよりはまとも 五胡も露助もヴァイキングも
エスキモーみたいに生きれないものかね・・・ >>183
五胡(いわゆる中央アジアの黄禍論)がシュメルの末裔という与太話ベースだと
人が人を支配するって文明化の恩恵があったからこそ、利器を対人に使うという発想が当然のように生活の一部になってたんじゃないかね
ヴァイキングも、アーリアン学説やインドヨーロッパ語言説、近代の国体からすると、古代の支配者の血筋と目されているわけだし
イヌイットにはそれがないから、文明化する前の狩猟採集する生活を続けていたと すごいな、毛唐基準でしか話さないとか
まぁ頑張ってくれ >>184
イヌイットだけでなくサハラ以南のアフリカやオセアニアや南米アマゾンの原住民も
大航海時代以降に白人が来るまで文明化する前の狩猟採集する生活を続けていたな。 匈奴よりも昔に黒海北岸〜中央アジアで栄えたスキタイ族は
金属加工等高度な文明持っていたので
その文明を少なからず引き継いでいるといわれる匈奴はじめ五胡は
初めから中華に劣らない高度な文明を持っていたのだろうな
なので初めから五胡はじめ騎馬民族が中華に攻撃的なのは
騎馬民族が持つ高度な文明の証拠ともいえる >>186
今でもインド洋の北センチネル島の原住民が(ry 文明に程遠いイメージの石勒や赫連勃勃でも
原住民よりも遥かに洗練された文明人だからな むしろ漢族が北京原人にすら笑われるほど野蛮化してるが 漢族は一万数千年前に絶滅した馬鹿洞人の生まれ変わりかも まあ統治者からすれば民衆が馬鹿であるのが望ましいから仕方ない なぜ宇宙大将軍は宇宙皇帝とか宇宙大帝にジョブチェンジしなかったのであろうか? >>194
侯景は諡号が無いようだが
もし王朝が陳陳みたいに数代続いたら
諡号が宇宙帝とかになってた可能性考えると面白い >>197
冉閔を学ぼうな?
冉閔は後世に呪いを残しかねないと思われた、、侯景は思われなかった。そういう話やぞ。 >>198
というか実際祟ったからな
さすが「てめーらゴミが皇帝自称してるのに、漢民族たる俺様が皇帝名乗って悪いか!?おん!?」と逆ギレしただけある者よ >>200
即位するも短期間で滅んだ冉閔に異例ともいうべき「武悼天王」という諡号が贈られたのは
ぶっちゃけ前燕に半年にもわたって干魃と蝗害をもたらすという甚大な祟りをなしたから
前燕は冉閔の祟りだと震えあがって諡号を贈ったうえで丁重に祀っている 侯景が爾朱栄軍団のモブではなく漢民族だったらのIF
侯景は爾朱栄死後20数年後皇帝に上り詰めたから
モブにしては悪くない人生 >>201
そんなのは知ってるよハゲ
実際に冉閔の祟りと言い切れるか?って事だぞ? >>203
少なくとも前燕は冉閔の祟りだと認識していた
というのも、冉閔を処刑してから幾分も立たない内に雨が全く降らなくなり、干魃と蝗害が広がっていったから
ちなみに、冉閔に武悼天王と諡号を贈って丁重に祀って幾分も立たない内に、今度は雨と大雪となっている
あれだけ大虐殺をやらかした冉閔の子孫が族滅されずに生き延びて、北魏で貴族にまでなっているところをみると
冉閔の子孫を粗末に扱うと冉閔に祟られるという認識が広まっていたからだと思われる ニワカで苻堅を殺したのと後秦建てたぐらいしか知らなかったから姚萇が前秦の為に結構働いてたのに驚いたわ >>204
冉閔そんだけ神通力使えるなら生前に使えと
冉閔に劉琨の息子が仕えていたのは不思議 僅か1年間ほどだったけど冉魏の全盛期は
人材が集まって官制も整えられてたので
冉閔は政治力もあったのではないかと思う
あまりにも最盛期が短すぎたので武力以外は計れないところがあるけど
未知の魅力と政治手腕を秘めている 逆に瞬殺されたから
武力も魅力も政治手腕も人材も
所詮そんな程度と(ry >>207
あれはアレクサンドリア図書館や知恵の館を焼失させたのに並ぶ人類退化の蛮行だからな… そんな冉閔でも戦闘民族慕容氏には敵わなかった
絞りカスみたいな慕容永でも勝利フラグ立ちまくりの苻丕を瞬殺するほど >>207
石勒や石虎が居ない後趙を滅ぼしても何の自慢にならないような 前秦に瞬殺されて併合された代とか言うその他大勢が
北魏という華北統一王朝に化けたという不思議 >>213
五胡十六国の十六国は
前涼(301-376)、前趙(304-329)、成漢(304-347)、後趙(319-351)、
前燕(337-370)、前秦(351-394)、後燕(384-409)、後秦(384-417)、
西秦(385-431)、後涼(389-403)、南涼(397-439)、北涼(397-439)、
南燕(398-410)、西涼(400-421)、夏(407-431)、北燕(409-436)
で代(315-376)は
仇池(296-506)、冉魏(350-352)、西燕(384-394)、翟魏(388-392)、後蜀(405-413)
らと同じ十六国外の扱いなのがな…
少なくとも代は前燕に対抗出来るぐらいの勢力なのに 代がノーカンなのは後継の北魏との連続性を考慮してとかじゃね? 「十六国」を規定したのは北魏孝文帝やぞ
ならはじめっから北魏は十六国以外やぞ >>216
崔鴻の『十六国春秋』が元ネタならもう少し後のような >>214
南涼の滅亡年おかしくね
北涼と同じ年になってる >>214
最も長く続いたのに十年保たないモブ国家と同じ扱いの仇池…
そして仇池よりも長く続いたのにほぼアウトオブ眼中扱いの吐谷渾(286-663)… >>220
「中華の歴史書」になにを期待しとんのだ
「中華」にとっての影響力が低けりゃカウント外ですわ >>220
吐谷渾は
『晋書』『宋書』『南斉書』『梁書』『魏書』『周書』
『南史』『北史』『隋書』『旧唐書』『新唐書』『新五代史』
に出てくる大人気ぶりなのに中華外扱い… 岳飛、袁崇煥
中国の救国の英雄は味方に殺されてるな
政敵からすれば国が亡ぶより夷敵のケツ穴を舐めた方がマシという 東晋は初めは陳くらいの領土だった
簒奪狙いの英雄によって領土が段階的に拡大していくという皮肉
国家体制の整備も彼らによってだし
南朝は東晋末〜劉宋初期の最大領土からまた陳まで一進一退で減っていく歴史 >>225
あくまで皇帝主権の政治と中原での政権を志していただけで、簒奪狙いではない
輿論(と嘯く貴族の信任)が絶望的にないため好き放題貶めてる感じ
司馬氏によって罪家に落とされた血統、子孫の桓玄が実際に簒奪したっていう経歴だから、史書でもヒール扱いしやすい >>214
東晋にはばかったのかってくらい他の国には東つかないな
燕が前後西南北あるのに東だけなくてモヤモヤする >>223
立場考えて裏切ったら裏切ったで秦檜呉三桂みたいに裏切り者の代名詞みたいにされるし国の末期はどうなっても悲惨だな >>226
苻生が雷弱児を殺したのは
石虎が逯明を殺したのと同じで
どんなに取り繕って元暴君が忠臣を殺す性は消しようがない >>229
ちょうど西晋から、裏切り者の救いの道は禅譲(簒奪)という宿命を背負ったのに起因している
天皇幕府、カリフスルタン制のように並立する権威という文化が無理になった
故に最後まで奪い尽くすか、奪わず粛清されるかの二択になりがち
権威を捨てて生き延びる道も東晋で閉ざされたのが痛い >>223
それどころか寸前まで対峙していた敵国に下って
故国に引導を渡すというのも 三国志といったら魏呉蜀だけど
北周・北斉・陳
遼・西夏・宋
朱元璋 ・陳友諒・張士誠
の三つ巴の戦いも面白い >>237
個人個人での魅力としては1番上の三国志が面白そうなんだけどなぁ〜
国内でのグダグダが酷すぎて酷すぎてw
グダらず三つ巴を制してその後モンゴルを追い出した朱元璋さんはさすがよ >>237
<`∀´>「三つ巴といえば高句麗、新羅、百済に決まってるニダ」 >>237
北周北斉梁は通鑑でも「再び三国鼎立す」と書かれるくらいやからな
キャラも高歓、宇文泰、菩薩皇帝とトップからしてキャラも立ってる 張士誠が陳友諒の誘いに乗って朱元璋を挟撃していれば危なかったが
漁夫の利を狙っていたからね張士誠
>>240
当初は軍事的に一番優勢だった北斉が
最終的には陳にまで領土を侵食されるほど衰退する様は見てられんよ・・・ >>238
魏と呉はグダグダやね
蜀は孟獲の反乱や魏延の謀反を除けば概ね安定してる 魅力的な武将はポイントを抑えてるんだが内紛が多すぎて見苦しいのよな、南北朝版三国志 東映実録ヤクザ映画やアウトレイジみたく「登場人物全員悪人」みたいな路線にしたほうがウケそう >>240
>>242
北周北斉梁(→陳)の中で北斉が最も先に(勢力)消滅したのは
斛律光や高長恭みたいな優秀な人材が居ても国家として最も致命的な欠陥持ってたのだろうな
同じく曹魏孫呉季漢の中で季漢が最も先に滅んだのは
グダグダな曹魏孫呉よりも致命的な欠陥持ってたのだろう
季漢は人口が孫呉の半分以下なのに官吏の数が孫呉の倍近く
どうみても無駄飯喰らいの多い破綻国家 >>245
何番の統治に役人が多く必要だったのかもしれないよ
兵士の兵糧官吏とカ事務仕事も多いし >>246
北周≒曹魏=継承国家という意味では
季漢=泡沫国家とは天地との差が
曹魏は東漢からの継承国家で勢力完全消滅したのは陳滅亡(589年)ともとれる
そこまでいかなくても曹家が二王三恪で劉宋の諸侯王(479年)
まで存在していたとすると五十歩百歩では失礼な格差 反乱から始まった五胡は三国志に征服された移民だから自然的に漢人になる運命だったよ。契丹やモンゴルと違って侵略じゃないよ。 清が中原に入って清・順・南明の三国志になるかと思いきや
順も南明も瞬殺されたな
順は寄せ集めの反乱軍だし、南明は既に人心を失っていたから東晋や南宋みたいに長くは続かなかったね >>238
と言うか
魏呉蜀のどれかが世紀単位で存続できるほどの鉄板だったら
4世紀も頃し合いしてなかったろうな >>245
国力も人口も多いが纏まるための軸がなかったから分解した、というのが北斉
北魏が過度に漢化した時の負の遺産を背負ってるから、まず内部対立から始まってる
4つの派閥(漢派胡人、胡派胡人、漢派漢人、胡派漢人)と皇帝の主導権争いで、有能な奴がいても足の引っ張り合いばかり
しまいには北魏が使用してた団結手段(仏教)に反して皇帝が放蕩三昧という有様
確固たる軸(鮮卑至上主義、仏教による中央集権)を持った他の二国に比べ、あまりにも脆かった
>>248
某クラスタのトンチキ話
「交易による利益のため官僚が必要だった、ケ艾はその交易に蓋して季漢に致命傷を与えた」
を思い出してしまった 岳飛があのまま戦っていたら金を駆逐出来ていた?
むしろ和議を望んでいたのは金の方で
支配地の拡大に伴う統治の問題や契丹族の残党への対処で
長く戦いを続けられる状態ではなかったというのが実情だったそうだ 契丹、金、西夏は宋からの歳幣により豊かになったが
尚武の気風が薄れてしまった
世界史的に共通してるが生活が豊かになった蛮族は軍事的に弱体化する傾向 南側による統一出来た可能性があるとすれば
前秦崩壊後の華北混乱状態につけ込んで東晋がずっと北上するしかなかったな
北魏VS劉宋のガチンコバトルもあったけど結果ボロ負けだし
北魏が華北を統一する前に行くしかなかった
中国史全体で見ても南から天下取ったのは明と中華民国のみだし
朱元璋クラスの英雄が出るか、
辛亥革命の時みたいに現政権打倒の気運が頂点に達してる時でないと無理か >>254
どの国でも改革派が既得権益を保持したい守旧派に妨害されるのは常だが
中国では特にそれが顕著だからな
国力では清>>>>>日本であり、光緒帝の改革が成功していればまだまだ巻き返せる可能性はあったが
西太后一派に潰されてしまった・・・ >>248
季漢だけでなく曹魏も孫呉も内患で異民族抱えて対策に悩まされていたり
一方で諸々外国とも交易してた訳で言い訳にもならない
五胡十六国南北朝時代だけでなく中華の歴史不変の現代でも通ずる課題なんだろう
北魏はじめ北朝が華北統一しても新たに獏北に勢力勃興した柔然や突厥への対策に悩まされたり
五胡はじめ異民族が中華支配しても別の異民族への対応に悩まされるのはある意味楽しい 遼みたくモンゴル高原を手放さない状態で中華に浸出するとかでもしないとね 柔然「ヒャッハー」
北魏「蛮族め」
劉宋「アレお前らの昔の姿やで・・・」 夏の桀王の子の獯粥が北方へ行き匈奴の前身である葷粥を築いたという説
だから夏なんだな赫連勃勃 >>257
いや謝玄や劉牢之が出張った上で失敗してますが
ガヤガヤする頃にはすでに慕容垂がのさばってましたよ、無理無理 >>256
人間てか生き物が抱える問題やな
過酷な環境であればあるほど強くなる
これを克服するには鉄砲とか新兵器を開発するしか方法はないんじゃね? のちの五胡時代の子孫にも李陵らの子孫がいただろうし、
漢人の血やはすでに入ってたんだろうな
中行説…は子孫は残せなかったが
漢人にもはねっかえりはいたし
中行説の逆バージョンといえるのが靳準 小勢で大軍を破るには
・淝水での朱序みたいな内通者作って破壊工作させる
・桶狭間の信長みたく敵総大将を討ち取る
・項羽や呂布のような猛将を突っ込ませて無双させる
・サルフでの後金みたく敵の部隊を確固撃破していく
他なんかある? なんか狭隘な地形に誘い込むか結果的にそういう地勢上有利な所でバトルするか 途中で投稿しちゃった
つまりアジャンクールの戦いみたいな 266、67の全てを備えているって思うのが
劉秀VS新の昆陽の戦いだと思うが淝水ほどの知名度がないな >>262
匈奴とか明らかに蔑視用語だから葷粥名乗ればいいのに
まぁ似たようなケースは多々あるので >>270
トルコなんて最近までターキー(バカ)と世界中から呼ばれるのを甘んじて受け入れてたからな
しかも代わりに要求したのはテュルキエ(トルコ語読みにしただけ)
やはり集団のアイデンティティーというのは大事
フン族や称号カンといい、ここら辺は古来から変わらないのだろう 「インディアン」と呼んでくれ、というネイティブアメリカンも居るしな >>270
匈奴は降奴で高句麗は下句麗と勝手に呼び方変えた莽は有罪? よくわからんけどジャパンとジャップで全然意味が違うしターキーとテュルキエも侮蔑的な意味を含むかどうか大きな差があっても不思議では無さそうな気がする
チャイナとシナも似たようなもん? 元からの国書には大蒙古国皇帝とあったけど
現代モンゴル人は蒙古と書くと嫌がるから注意な 今の中国語で日本はリーベンだが中世の中国語で日本はジーベン
それが欧州に伝わってジパング、ジャパンになった
チャイナの語源は秦
ちなみにロシア語では中国をキタイといい契丹が語源 >>275
そりゃ「時代遅れ」って意味だからな
五胡や鮮卑隋唐+テュルク宋を知ってると、この文字選定に納得するようになる >>273
今思うと王莽ってネトウヨちっくなネーミングセンス >>275
そら「蒙を啓く」とか「無知蒙昧」って言葉もあるようにものを知らんって意味なんだからそら当然怒るわな 禿髪烏孤とか漢字で意味が分かってて自分の名前を書いたことあるんかな
北周に至るまで数百年間も鮮卑は自民族の呼称に卑しいという字が入ってるのに
違和感を感じなかったのか不思議だ 卑弥呼とか卑しいの字をあてられてるのに日本人は気にしねえなあ >>281
禿は頭髪の量が不自由な人に対するヘイトスピーチやな(適当) 鮮卑なんか鮮(すく)ない卑(いや)しいで字面からして侮辱感がすごいな
蒙古は蒙古斑や蒙古タンメンくらいは勘弁してほしい
あと今の時代、肌色も差別用語とか面倒な世の中になったな・・・
>>282
でも倭は小さいという意味で嫌がったので国号を日本にした 満州族は漢族に辮髪を強要したが、僧侶と禿は見逃したそうだ 中国、北方遊牧民、朝鮮だと片手に剣、もう片手に盾というスタイルだが
日本は盾を持たず両手で刀を持つスタイル
この違いはなんだろう? >>286
鎧の大袖がガンダムのザクがつけてるアレみたいな感じで盾になってるとか
集団歩兵戦術が発展しなかったとか刺突武器がーとか弓メインがーとか
置き盾専門の兵士がーとか色々理由があって廃れたけど、
五胡十六国時代ってか飛鳥時代の日本は手盾に剣のスタイルやったね >>284
石勒「はあ?胡も差別用語やからな国人って呼べや」
ポリコレは五胡十六国時代からあったのだ >>269
正直、昆陽と淝水じゃそこまで知名度に差はないと思う
光武帝は宮城谷昌光が小説に書いたから日本だと昆陽の方が勝ってる可能性もありそう >>289
漢族はあまり蔑称が思いあたらないが
半島民はどう呼んでも
<#;`Д´ >「シャベツニダ!」
になるのでもうチョンでいいやという感
王莽は正しかった 呂尚、張良、荀ケ、諸葛亮、陸遜、王猛、劉基
北条幻庵、太原雪斎、山本勘介、竹中半兵衛、黒田官兵衛
他におすすめの軍師いる? >>290
光武帝はなろうもびっくりのチート主人公やから 淝水における慕容垂はワーテルローのグルーシー、
関ヶ原の島津義弘みたいなもんだな
主力軍が潰走し始めたと見るや、ここで捨てガマリだろうに
関ヶ原と違って慕容垂軍はそれでも10万、東晋軍は8万なんだから
ここで東晋軍も殲滅してドサクサに紛れて苻堅まで討ち取れただろうに
島津義弘ならやってただろうと思う 日本史だと織田軍3,000 VS 今川軍25,000の兵力差8倍の桶狭間がMAXだけど
中国史だと兵力差10倍以上でも逆転大勝利した戦いが結構あったりするんだよな… 河越夜戦の古河公方・山内扇谷両上杉の8万は明らかに数盛ってるから注意な
中国ならともかく日本でそんな大軍を動かせるのは豊臣や徳川のような天下政権でないと無理 >>295
戦闘幅と倫理の問題
どんなに大軍呼んでも、一回に会戦できる人員は戦線によって決まってる
全軍で数的有利だったとしても、会戦で大敗したり不信が広がると逃亡者が続出して崩壊するのがシナの通例
五十歩百歩のなりたちからでも分かる 淝水の華北版といえるのが
淝水前秦(王猛)VS前燕(慕容評)の潞川の戦いだろうな
川を挟んでという地勢や、兵力を淝水からひとまわり小さくしたような
この大会戦で王猛は一発で前燕滅亡までもっていってるからすごいよな
淝水は東晋が前秦を「撃退」しただけで前秦が勝手に崩壊しただけ、前秦が立て直す目もあったわけで
東晋の国是である中原回復と西晋時代の領土回復という戦略目標が達成されたわけではない 淝水の華北版といえるのが
淝水前秦(王猛)VS前燕(慕容評)の潞川の戦いだろうな
川を挟んでという地勢や、兵力を淝水からひとまわり小さくしたような
この大会戦で王猛は一発で前燕滅亡までもっていってるからすごいよな
淝水は東晋が前秦を「撃退」しただけで前秦が勝手に崩壊しただけ、前秦が立て直す目もあったわけで
東晋の国是である中原回復と西晋時代の領土回復という戦略目標が達成されたわけではない 島津が伊東との何かの合戦でで10倍差を勝利してなかったっけ
その変わり島津もほとんど死んだけど >>296
鎌倉時代の源平合戦の時に平家追討軍で上洛した
源範頼・源義経連合軍で約6万騎(ほぼ関東方のみ)だから
関東の反北条勢力ほぼ全部集まったら約8万もそんなにおかしくはない
ちなみに源平合戦の頃の日本の総人口は約600万人で
応仁の乱の頃の日本の総人口は約1000万人で
関ヶ原の戦いの頃には日本の総人口は約1700万人に増えてる アメリカ大統領が徽宗や万暦帝だったら
最強軍隊の持ち腐れだろうな 前燕は前秦とやり合う前年に桓温の北伐に体力削られてたからな
連戦はきついて >>294
グルーシーはナポレオンの命令をただひたすら順守しただけ
そもそも、グルーシーが元帥に任命されたのは忠誠心の高さと追撃能力を買われたから
その忠誠心の高さたるや、1840年にナポレオンの遺体がパリに帰還した際も高齢の身を押して出迎えて涙ぐんでいたほどだった
面従腹背の慕容垂と根本的に違うんだよな こないだまで読んでた中支戦線の戦記で連隊長が絶対動くなって命令したんだけど
戦況上どう見ても他の救援に向かうべきって部下が進言しても大隊長は命令遵守
ところが連隊長は動けって連絡してたけど通信線が切断されてて伝令がやられて伝わらず
連絡来なくても臨機応変に動けってキレた連隊長と命令を遵守しただけだって大隊長で大ゲンカってのがあったな
ちなみに筆者は進言した方だけど大隊長に対して同情的だった(連隊長の普段の性格的に) 言われた通りに命令を遵守するだけならロボットの方が使える
臨機応変に動いた方がいいなら人間ならそちらを選ぶべき 通信手段が乏しい時代は自分の判断で独立行動ができてその成果がどうかってのが最重要じゃないかと 王式面白いな
狼煙の件の他にも真っ先に倉庫開いて
この先必要な筈の兵糧を率先して貧民に開放したり
臆病な兵卒を選んで騎兵斥候にしたり
で裘甫の乱を赴任後4ヶ月弱で鎮圧
そういや王式も太原王氏の末裔 司馬光も河内司馬氏の末裔
もっとも、この頃は貴族としての形を成していないが
河内司馬氏は蘭陵蕭氏みたいな文化サロンを作れなかったのが残念
文化的には蘭陵蕭氏の功績はすごい大きいんだが、そのきっかけを作った
蕭道成って知名度低いな 司馬氏はみんな江南に逃げたのかと思いきや
華北に残って五胡に従った司馬氏もいるんやね 漢人王朝だった前涼には司馬氏は意外と逃げないのな
>>237
涼州も後涼・北涼・南涼でプチ三国志やってる >>239
新羅が自力で統一したのではなく
唐に土下座して百済・高句麗を滅ぼしてもらっただけなのがな…
千年属国の始まり >>305
君命に受けざる所あり
by孫子
でも近代の軍隊でこれやるとそれはそれで問題になるよね >>314
近代的な軍隊組織だと組織とか政治の論理を無視できんから 五胡十六国で物語書くとしたら主人公誰になるんだろうな
五代十国は面白いかは別にして馮道や郭威柴栄趙匡胤の流れがあるから書きやすそうではある 五胡前期なら慕容垂、後期なら拓跋Z
南北朝なら侯景、顔之推だな
まみえた人物の多さ、中心的な年代かが重視されるだろう >>301
8万かき集めようと思えば可能だろうけど兵糧がもたんでしょ・・・ >>321
天文13年(1544年)に冷夏長雨で全国的に飢饉が発生しているようだが
川越夜戦(天文14〜15年、1545〜1546年)の時期は籠城方(北条綱成)も
半年以上持ち堪えられるぐらい兵糧が豊富だったようだ
そもそも包囲方が食糧保たないなら平時でも餓死者出るだろ
五胡十六国時代に匹敵する寒冷化時代のシュペーラ極小期(1416〜1534年)なら厳しいと思うが
1540年代は一部を除いて温暖化した時期
またすぐに16世紀末まで寒冷化したらしいが >>322
王莽と同じでR-18+案件
最後は全身バラバラだからな…
とはいえ項羽なら絵になるので問題ないが 宇宙大将軍さんは高澄に追い出された後中々ハードな将軍相手に戦ってるよな
本人も強いんだろうけど 強いっちゃ強いけど時代の一流どころにはしっかり負けてる ナンバー3だけど武力91とかで96とか97が他にいる印象だった>宇宙大将軍 仏教(日本) 死んだら生まれ変わる
キリスト教(欧州)イスラム教(中東) 善人は天国へ行く、悪人は地獄へ
儒教の中国人は死後の世界をどう捉えているんだろう? >>329
キリストは復活だぞ
なぜ土葬文化で副葬品が豪勢なのかも、死からの復活(死を超越)というのが大きく関わってる >>320
前期なら劉曜もドラマになりそう
五胡十六国の始まり、漢の将軍で晋を滅ぼし
内乱を平定して棚ぼた(毒饅頭)で皇帝になり
ライバルの石勒と争いだんだん酒に溺れて
全勢力をかけた決戦で捕虜になり
石勒に降伏を条件に命の保証をされるも息子に全てを託して処刑される
なかなか壮絶な人生でおもしろそう 長編で時代ごとに主役が変わっていくのがいいんだろうけど、
まぁ難しいよね >>332
ジョジョの奇妙な冒険みたいに
第何部とかシーズンと主人公変えてやるのは面白そう 地域ごとでも違うからな
一番流れの把握が難しい時代 >>336
賈疋のドラマだとバッドエンドで後味悪い 苻堅の王猛とか石勒の張賓みたいに慕容氏は有力な漢人が見当たらない
一族で切り回せてたからなのか いるよ
封奕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E5%A5%95
彼こそ慕容恪に次ぐくらいの前燕の柱石
その渤海封氏は慕容燕から北魏、唐まで続く
典型的な魏晋南北朝から隋唐までの貴族の一つ 裴嶷
陽裕
陽騖
皇甫真
黄泓
裴嶷は国に帰る途中で面識がないのに慕容廆からいろいろ親切にされて結局帰れなくなったから慕容廆の某臣になる
慕容廆に拡大策を献ずるくだりは劉備に天下三分の計を説く孔明ぽくてドラマ的 慕容部って後の征服王朝に先駆けて漢民族の家畜化に成功してた集団だからな
匈奴とかでは労働力として使い潰すのが関の山だったが、慕容部は漢民族から知識引き抜きつつ民族主義掲げて自身の漢化を防いだ
そりゃ内乱以外では強いわけだ そんな慕容部も昔は漢民族の家畜で
白くて美しくて大人気のペットだったんだよな…
虐げられた分反面教師で学んで最適解求めて意外と賢い種族 慕容部と宇文部は
現代でいえばアメリカとイランぐらい仲悪いのは
あまり知られていないような… 皇甫真は安定皇甫氏だから名将皇甫嵩の子孫
慕容氏が漢人を迫害とかしてたら
冉閔との決戦で慕容恪と仕事できるはずはなく
ここで冉閔側につく前燕の漢人とかいなかった
慕容儁が150万を徴兵して東晋討伐計画を立てたりしたように
慕容氏型の府兵制みたいなのができていたのではないかなあ
拓跋や宇文が勝ち組になってしまったが、慕容モデルが絶えてしまったのは残念 >>346
胡殺令っていのは究極のレイシスト法だからな
漢民族は何をしても許される、異民族は氏ね、を具現化しただけだから
士大夫としての教育受けた漢民族なら、あまりにも本音と欲が剥き出しで近寄らない主張
こんなのでしか正統性を主張できない辺り
冉閔が当時としても滅茶苦茶なやらかしをしたということが分かる むしろ冉閔のおかげで慕容部の中原進出の大義名分ができた感 いくつか前のスレで三国時代に慕容恪にあたる人物はいないって話だったけど
皇甫嵩がいちばん近いと思う
戦術、戦略、行政や宣撫工作、最後の明哲保身までパーフェクトやないか
後漢末なんで、正史では…系の本を読んだやつも演義の皇甫嵩のイメージを
訂正できてないやつ多そう >>348
五胡=異民族が世紀末モヒカンやった、っていう風評が一番最初に当てはまるのが慕容部だからなー
それまでは貴族の主権争い→奴隷の成り上がりって状況で、中華の範囲で収まってた
そういう意味で冉閔は中華領域を広げるのに貢献した…とは言えないか
遼東は結局また女真が割拠するし >>348
李自成「冉閔は俺の前世」
張献忠「いや冉閔は俺の前世」 >>350
遼東というか帯方郡他は元々中華の範囲だったんだが
いつの間にか塞外扱いに
まあ現ベトナムとかもそうだけど 隋の高句麗遠征そのものが楽浪郡を実効支配し漢帝国の正統後継者になるってのが目的の一つやしな >>352
今の中共は台湾狙ってるけど
中華の歴史考えると台湾は長らく中華の範囲外で
台湾よりも朝鮮や越南を狙わないと
一つの中国のスジが通らん >>354
台湾なんて少子高齢化で詰むんだからほっときゃいいのに >>355
流石に格は甥っ子のオカンを嫁にするのはやっとらんやろ
まあ格は散々指摘されたようにオカンが漢人かほぼ漢人化された鮮卑なんだろし そういえば東晋〜南北朝時代の広州って大規模な反乱は無かったのかね
呉統治時代は趙氏貞とかインパクトのある反乱とかあったけど
後、山越とか武陵蛮は完全に同化しちゃったんだろうか >>358
山越とか武陵蛮とかは春秋戦国時代や西漢東漢時代の方が記述が多い
五胡十六国時代南北朝時代になるとほぼ空気に近いから
ネアンデルタール人みたいに知らぬ間に絶滅してるかもな >>359
孫呉が民族浄化したってのは割と有名な話
事あるごとに数十万人単位で奴隷化または殺戮を繰り返してる 今中国に6000万人くらいいるヤオトンとかいう穴居住宅に住んでる人たちって
この時代だと何の民族なの? >>361
この時代の主要民族の五胡(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌)ですら現代のどの民族とつながるか不明なのに、そんなこと分かる訳ない。 >>361
ありゃ漢代以降でいう三苗だよ
六千万人もいないよ ちなみに毛沢◯なのに毛が無いマオさんも
一時期穴居生活 >>364
錦衣衛「さて裁きの技(凌遅刑)を食らってもらおうか」 ヤオトンは穴居っちゃ穴居だけど規格型住宅みたいなもんやし・・・
あのスタイルでいつから住んでたのか知らんけど >>356
スレand板違いだが、今中国はロシアと組んで
中東から本気でアメリカを追放しようとしているので、
台湾問題をカモフラージュに使っている可能性がある。 中露の世界戦略って要はアメリカの影響の排除だからなぁ >>366
穴居だと五胡みたいな騎馬民族とは
生活域被っても生活スタイル違うので
例えば猪と鹿と蝶みたいに共栄共存可能だから
太古の昔から存在してるかもしれんな
穴居だと中華の歴史に影響あまり無いのでほぼ史書には出てこないとは思うが >>361
6000万人の規模は現モンゴル国(約320万人)や極東ロシア(約620万人)
よりも遥かに多い
極北地域が人口過疎地帯なのは古今東西変わらないが
哈爾浜市は現在1000万人超の都市だったりするので >>358
孫恩・盧循の乱の盧循の方は結構広州だったりする >>332
石勒、苻堅、王猛、劉裕、拓跋珪
このあたりかな
ドラマ化や漫画化で主人公やれそうなの >>374
どちらにせよ半島はKOREAと呼ばれてたのでは
GOGURYEO(高句麗)もGORYEO(高麗)もそんなに変わらん >>375
高句麗は元かとも呼ばれていた。日本各地に残る高麗(こま)という地名も
高句麗に由来するものが多い。 突厥と高句麗が組んだら流石の隋唐帝国でも危ないからな
そりゃ狙われる 高句麗は慕容翰(とペーペーの頃の慕容垂)
の時に滅ぼしてればな・・・
あと後に符堅も要らん事しおって 慕容垂の前名が慕容覇
慕容儁が狂わんぐらいに嫉妬するのもわかる気がする >>373
独孤伽羅でも5つのドラマに登場して主人公ドラマ2作作られてるから
もっと多くの人物がドラマの主人公になれそうなぐらいこの時代は人材豊富 苻堅も楊堅も名前が同じ堅
そして同じような江南制圧を目指す状況になった
僕が陳の将軍なら「索虜堅と同じ名を持つものが躓いております。戦いはわがほうが勝ち
敵は自壊するでしょう」というな
当時は縁起にものすごく影響される時代
南の士気は上がり、北は動揺したはず
もちろん謝安みたいに準備万端にやる必要があるがこれに気づいた陳の人間、いなかったのかなあ いた気はする
ただ、もうそんな迷信でどうにかなるような状況じゃなかっただけなんじゃないかと 士気でどうにかなれば
義和団の乱とか義和団の圧勝になってたかもな・・・ 陳勝・呉広
張角
黄巣
劉福通
李自成
洪秀全
乱を起こした者は咬ませ犬に過ぎず、天下を取れないジンクス
天下人になるのはその次に出てくる者 >>385
ものすっごい初歩的なことだけど
勝者やその後のマジョリティになった時は、乱ではなく「変」や別の言葉を入れるのよ
これを破る数少ない例が永嘉の乱ではあるが… 永嘉の乱が「乱」なのは東晋が生き延びたこともあるだろうけど
統一王朝としての晋の天命は尽きた
もしかして河内司馬氏を擁護したい司馬光史観のせいもあるのか 一発屋が現政権に大ダメージを与えて散り
次に出てきた勢力が漁夫の利で天下を取るというケースが中国史には多い >>387
司馬光先生は司馬孚おじの系譜(自称)なんだ
司馬孚おじはヒール揃いの司馬一族で数少ないベビーフェイスのポジションなんだ >>389
司馬孚家は八王で数少ない司馬倫べったりだったんだよな…
孫秀がもう少し立ち回り上手ければ、恵帝の逆恨みで潰され凋落ってことはなかっただろうに 司馬懿の直系じゃない司馬越が勝つ辺りぐだぐだ感半端ないよね八王の乱
そりゃ異民族が国乗っ取るわ >>390
司馬孚家は司馬孚以外はあまりまともな奴居ない印象
司馬光が奇跡の一枚に思えるぐらい
司馬孚の遺伝子がどうしてこうなった感が >>391
明の建文帝も清から恵帝って諡号貰ってる
共通してんの「良い人そうだけど頼りないなぁ」感かな 八王の乱は悪いやつが勝ってしまい、有能なほうが負けてしまうイメージ
初期の司馬瑋、中期では司馬乂とか
特に司馬乂が権を取っていればよかったかもね
>>394
「恵」は美諡とされてるけど
暗にそういう批判が込められてるらしい >>395
明(やってることは認めるけど問題ありの人物)と逆みたいな感じだな 司馬乂は幾ら何でも勢力基盤が弱すぎたね
別時代で見たかった人の1人だわ >>397
司馬乂は皇弟なのにな…
風の谷のナウシカの土鬼の皇兄ナムリスの方が
超常の力持たないのに勢力基盤持ってるように見えるぐらい
司馬乂の勢力基盤の弱さは悲惨 安帝恭帝兄弟はかなり悲惨だな
何もわからないまま利用された兄ととっくの昔に滅んでた国を存続させてくれたんだから文句はないと禅譲を受け入れた弟 >>399
皇帝を道具にした貴族合議制を完成させるための人柱といっても過言ではない
とはいえ200年前に同じシステムを目論んだのは、紛れもなく河内司馬氏だったんだから、因果応報といえる 安帝司馬徳宗(字は徳宗)
恭帝司馬徳文(字は徳文)
この手抜き感嫌いではないなw >>391
代の拓跋賀傉も北魏の道武帝より恵皇帝の諡号を追贈されている。
>>394
建文帝は南明の弘光帝によって恵宗という廟号を贈られているので諡号にも廟号にも”恵”の
字が付く唯一の皇帝になる。 そういや安帝司馬徳宗は琅琊王氏に毒殺されてるな
琅琊王氏といっても王敦や王導ではなく王廙の曾孫だが >>401
安帝は今で言う要介護5か4のレベルだから字は親族が適当につけたんだろうな 安帝に手を下したのは王韶之、琅邪王氏のくせに
そして劉宋でも高官になったり罷免されたりだけど
結局貴族らしく全うできた
武闘派の寒門の下で生き抜く名門の典型的なやつだな 劉裕は英雄的なイメージより暴虐なイメージのが強くなってしまう
もうちょい長生きして南朝宋を安定させていれば違ったのかな >>406
劉裕は傷だらけ筋肉達磨で政敵外敵反乱者には容赦ないが
軍紀厳正で文化人に優しいので暴虐とは違うような
同時代人の赫連勃勃とかみてると劉裕は暴虐度が低すぎる >>407
文化人≒貴族がいなきゃ四品程度で止まってたであろう人材だからな
優しいというか、恩義があるから手が出せないって感じ >>404
要介護5は要介護認定の基準では「要介護認定等基準時間が110分以上相当の状態」
要介護5の心身状態の例
・寝たきりの場合が多い
・食事排泄など日常生活全般で全ての介助が必要になる
・立ち上がりや歩行などの基本的な動作も自分ではできない
・理解力や判断力が乏しく意思疎通が困難になる
安帝は寝たきりではないが意思疎通が困難なので要介護5が妥当
ちなみに要介護4は要介護認定の基準では「要介護認定等基準時間が90分以上110分未満相当の状態」
なので間違いなく要介護5が妥当 安帝と恵帝には随分差があるなあ
ガチの重度と軽度
恵帝の場合、アスペだと書いてるところもある
受け答えとか人間味のあるところも多いんだよな、それにまともな子作りもできるし
人の書いたのを書写するくらいならできるから字が頭にないわけではない
司馬倫は勉強しないが、権力を狙う地頭だけはすごい >>411
和嶠「皇太子(恵帝司馬哀)は非常に素直な性格ですが、
今の世の中には偽りが多く、おそらくは皇帝の責務を果たすことは出来ないでしょう」
兄の司馬軌が夭折しなければ司馬哀は普通に影の薄い諸侯王で
政争に関わらず生涯終えてたかもな・・・
一方安帝司馬徳宗は日本なら海野信親や津軽熊千代みたいに後継者から外されるのが普通だが
安帝司馬徳宗を後継者に推した司馬道子もある意味池沼だからな・・・ 強権的な賈南風に尻に敷かれながらその一派に政治任せてる体制が1番上手く回ったのかもな
司馬倫が8王の中でも最も罪があるのかも >>415
皇太子暗殺したのが一番の悪手
文句や恨みがありながらも血筋の本流があると逆らいづらかったが、空席になったことで万人が野心を持った
倫は甘く見積もっても50過ぎ〜60近い老人だし、陸機や司馬威はその場しのぎの神輿に使えると踏んでたのかも 陸機のほかに潘岳とかも
八王の乱は文人も巻き込まれてかなり失われてるな
潰しあいの感しかないわ 賈南風は男子産めてたらプチ武則天にはなれてたんだろうな
流石に武則天みたいな絶対権力者にはなれなかったろうけど >>416
>>418
むしろしぶりんやしまりんだろ >>421
賈南風は武則天と比べると
美貌も知能も圧倒的に足りないし
武則天は英傑な性格だが賈南風は淫邪な性格だからな… >>414
そういや司馬炎の息子は司馬軌(字は賤ヶ岳七本槍の人の名前)以外は
全員字が「◯度」だったような
しかし司馬八達みたいに伯仲叔季の法則性が無く
深度は居るけど温度とか緯度経度とか面白字は皆無という… >>419
とはいえ司馬倫は司馬懿の息子なので
後の司馬睿(司馬懿の曾孫)が皇帝になるぐらいの正統性は持ってる
ただ野心は余りあるぐらい有るけど甚だ無能なのが致命的だが
これが司馬懿の血を引かない司馬越とかが皇帝目指しても誰も認めないだろうが >>420
文人の大御所の張華が巻き込まれたのは痛い
これで普通に文人も巻き込まれ対象に
しかし左思みたいに八王の乱を避けて難を逃れたのも居るな
まぁこれも寿命ですぐ死ぬけど >>426
賈南風政権のチョンボをほぼ全て尻拭いしてたから、巻き込まれたというより主犯格として処させれてる
最終的な勝者である司馬越を含め、代わりに尻拭いできる人材がいなかったのが問題
英語じゃ「直訳:誰が配慮するんだ=意訳:知ったことか」という言葉があるが
西晋末期はまさに知ったことかの状況で好き放題やる高官や皇族ばかりしかいなかった
まさに物質主義さまさま 晋の司馬一族の話になってるけどここまで東晋の初代皇帝である元帝司馬睿様の話題ほぼ無し
いちお晋を再興した皇帝なのに空気すぎでしょ 輿を担いでいたのは琅邪王氏ということか
琅邪王の家系だから最強の名族だった琅邪王氏のサポートを受けられたのはよかった >>430
王敦は司馬炎の娘婿ってのが馬鹿に出来ない強さ
司馬懿直径ですらない司馬睿よりも正統性が上と言ってしまえる可能性まである
(匈奴が皇族劉氏を名乗るロジックを流用するのが前提だが) 司馬炎の皇女で公主名判明しているのは12名
その内で旦那(許嫁含む)が判明しているのは6名
・武安公主:旦那は温裕(温羨の三男)
・繁昌公主:旦那は衛宣(衛瓘の四男)*後に離婚
・襄城公主:旦那は王敦(王基の次男)
・滎陽公主:許嫁は盧ェ(盧志の長男)*結婚前に公主死亡
・滎陽長公主:旦那は華恒(華廙の三男)
・潁川公主:旦那は王粹(王暢の子、王濬の孫)
王敦の嫁の襄城公主の生母は不明で
司馬炎が最も愛した貴嬪胡芳(胡奮の娘)の娘の武安公主よりも明らかに格下
なので司馬炎の娘婿といっても数いる中でも自慢できる程の待遇ではないが
内弁慶の王敦なら司馬炎の娘婿や琅琊王氏を盾に威張り散らしてもおかしくないw >>432
司馬睿は司馬懿の四男司馬伷の孫だがら司馬懿の直系(しかし西晋皇帝の直系ではない)
まあ東晋宗室には司馬懿の三男司馬亮の家系もあるから
司馬懿の直系を根拠に東晋を興しても正統性は微妙にみえるのは確か >>433
これみると琅琊王氏よりも太原温氏の方が司馬炎に大事にされてるな
後に温裕の従兄弟の温嶠が劉琨の遣いで東晋に渡ってきた時
東晋では新参な温嶠の存在感がでかいのは
王敦よりも格上の司馬炎の娘婿の親戚と思えば納得 八王の中に司馬騰が入ってないというのが
中盤に参加してるし、何といっても五胡乱華にした直接的な人物は司馬騰では
石勒のスイッチを入れてしまっった上にあらゆる民族の傭兵を使いまくり
劉淵だけならまだ抑えられる見込みがあったのかも 司馬騰は司馬越の弟で与党扱いで八王から除外された感が
司馬越の範囲外で好き勝手やってるけど
しかし司馬越兄弟は司馬懿の血引いてない傍系なのに全員諸侯王
ウザいぐらい司馬氏多くて石勒の司馬氏氏ねもわかる 河內司馬氏一族の中では永嘉の乱以降も北方に取り残されたのになんとか家名保ったのも居るみたいだけど良く生き残れたなあって思う
実際は淘汰されてて赤の他人が丸々家柄乗っ取ったってケースは流石に無いのかな >実際は淘汰されてて赤の他人が丸々家柄乗っ取ったってケースは流石に無いのかな
日本の平氏畠山氏(畠山重忠)の後の源氏畠山氏とか >>433
司馬炎の娘婿(許嫁含む)の中で盧ェが一番面白いな
洛陽陥落後は
劉琨→劉粲→劉琨→段匹磾→段末波→石虎→石世→石遵→石鑑→冉閔
と主を変えて冉魏の戦乱の中で死亡
子孫は北でも南でも反乱起こしたり >>438
河内司馬氏と不倶戴天の敵関係なのは石勒一味ぐらい
拓跋氏や慕容氏は河内司馬氏に諸侯王に封じられて
心の片隅に恩義が残っていたり 拓跋氏は終始河内司馬氏との関係は良好だね
統一北魏と東晋との対峙が実現してたらどういう関係になったのか興味深い 拓跋Z「東晋を亡ぼした劉宋は許さん」
拓跋弘「しかし劉宋の宗室の劉昶の亡命は許す」 王敦「のうおやっさん、あんたワシらが担いだ御輿じゃないの!おう!?」
司馬睿「もう琅邪に帰ろうや(小粋なジョーク)」
王導「徳川様逃げてはダメですよ。(時代錯誤)」 >>443
「おや、子孫が偶然滅んでしまいましたね? 仕方ないよね、偶然ならね」 >>445
劉裕の血筋は劉昶で北魏の貴族として残ってる
あと二王三恪の汝陰王の血筋もあるが
こちらは途中で挿げ替えられてる説あるな >>442
晋から封じられた代の名を捨て魏を名乗った時点で決別しているのでは 拓跋力微「魏大好き」
魏になった途端に拓跋力微の人生の半分も生きられない子孫達… >>448
そこら辺は色んな説があるが、南進して統一する機運になると敵対するためのロジック組むと思う
曹髦惨殺は権威と権力の乖離を許さない強力な呪いだからね
キン準といい司馬乂といい、この乖離を許容しようとした奴は悲惨な目に遭う 遠交近攻の原則が五胡南北朝でもわかる
間に他国を挟んで向こう側の国や民族と友好関係を持つことが多い
東晋と拓跋氏もそうだろうし、まだ石趙が強かったときは慕容氏も一時東晋と通交して服属していた
苻堅は拓跋寔君を車裂きにしている
苻堅らしくない苛烈さだな
なにか拓跋氏に因縁があったのだろうか 光武帝気取ってたから人倫に背く外道はゆるさんと聖王アピールしたかったんじゃ
なお、本人の所業は 苻堅が聖王に憧れるのもわかるが
ショタコンの時点で聖王の資格ないな 天可汗さんもそうだけど外道ほど聖人きどるのホントキッツいわ
幕末の赤毛の人斬りサイコパス並みの酷さ 聖人に憧れ過ぎて実際に聖王(聖明王・明王)名乗ったけど
実力なくて実績悲惨で単なる事大主義の犬でしかなかった
半島の王の悪口はそこまでだ ショタコンに天可汗に燕賊に赤ペン皇帝、
即位が大変なやつはまあ政務には励むから…
剛腕型の名君になる傾向はある 聖王として大事なのは人民の為に働くことだから... 西羅馬だと
人民を見捨てて敵前逃亡した挙げ句
その人民にフルボッコされて
わずか75日で強制崩御させられた皇帝もいたな 中華の歴史では即位後半日で退位(胡族に殺害)された皇帝(胡族)が居るが
世界では即位後20分で退位(父国王が退位書に署名した後に妻と揉めて退位書にサインが遅れた皇太子)
のギネス記録保持者が居たり >>459
西晋から暴落したとはいえ、中華皇帝とその他の王や皇帝じゃ重さがダンチだからなぁ
五胡十六国や五代十国の泡沫勢力並の求心力や権威しかない オドアケルが劉淵、テオドリックが孝文帝
そしてカール大帝が唐太宗 南宋、金、西夏、西遼、大理、ホラズム、アッバース朝、キエフ公国etc…
これらの国と同等かそれ以上にモンゴルに徹底抗戦した高麗だがなぜか国の存続は許されるという >>468
北魏はフランク王国
アッティラでは100%あり得ない
わりと早期から臣従
低迷期ののち対抗馬消失により勢力拡大
内ゲバで分裂するも順応
最終的に神聖ローマとして背乗り完成
っていう流れがまさに鮮卑拓跋部イズムよ >>467
慕容部は西ゴードの方がまだわかる
前秦(苻堅)は悩むな・・・ >>469
19世紀まで続く北魏
とか妄想すると楽しい >>472
北宋までに制度自体はかなり完成されてるから、壁となる文明さえあればそうなっていたと思う
西欧はビザンチンとオスマン、ロシアが分厚い壁になってくれていた >>472
神聖ローマ帝国は日本の江戸時代の藩みたいに小領主だらけだから
中華の歴史では西周東周時代が一番近そう >>463
四団体統一スーパーヘビー級王者くらいだよ
他国の王は東洋ミニマム級王者ってとこ
西洋で比較するなら、ルターが存在しない世界のローマ教皇並の権威と
中央銀行制になる前のアメリカ合衆国大統領並の権力を
永世で兼備していたようなもん
なんで未だに自国の皇室が持て囃されてるか考えりゃ分かるだろうに >>466
劉淵というか匈奴は
昔蛮族最強だったけど乱世で弱体化して存在感薄のスエビ族が近い 晋書読む限り劉淵さん本人はエリート士大夫にしか見えんしな
本人も天下取りよりも士大夫としての栄達を望んでたくさい 劉聡劉曜のアル中ってストレスとかもあるけどロシアと同じで酒飲まないと凍死しかねないヤバい環境だからじゃね しかし同じくヤバい環境の住民エスキモーが大酒飲みの印象無いな
キビヤックとか変態料理のイメージ エスキモーは肥満多いから脂肪が天然のホッカイロになってるんやぞ
アラスカに取材に行ったテレビ局の連中もエスキモーに油もんか酒飲まされて「太らなかったら死ぬぞ」って忠告されて慌てて食ってた >>480
なお同じくヤバい環境の北欧ではシュールストレミングで
変態料理ナカーマ(*´∀`)人(´∀`*)
ちなみに酒は穀物採れないと作れないので
基本肉と魚だけのエスキモーには飲酒文化は無理 >>460
これを紹介してる記事があったけど、あくまで隋唐は異民族じゃなく中華王朝だってスタンスの記事で笑った
固定観念崩れることへの恐怖があるんだろうな ローマ人、字、文化、法が漢文化としたら
ゲルマンのそれが五胡なんだろうな
一方的に化されるのではなく習合しているのも同じだ
しかしヨーロッパと中国が違うのはローマ帝国=前漢としたら
ゲルマン=五胡のあとヨーロッパは再びの大一統にならなかったということ
これについて何か考察を見たことがあったが忘れた
フランク王国にしてもカール大帝の後に独、仏、伊の国体の原型ができたあとはずっと今までそれできた ヨーロッパは神聖ローマ帝国とカトリック教会の
ある意味デュアルな封建体制なのでどちらかというと
中華よりも日本(天皇家、仏教界)の方が近い >>459
ルイ19世とかマニアックな
中華では始皇帝以後2世3世で失敗しているから
○○何世という諡号廟号はついぞ定着しなかった 特殊といっても諡号自体が東アジアローカルなものだし 諡号の視点では隋前と唐後で世界がガラリと変わるのな >>493
文武の基準や序列分からず李淵を武帝にしちゃったから取り返しがつかなくなった
実権取り上げられたオワコンが武帝なら、てんかん様どうすりゃいいの?と >>490
ふじわらのみっちゃんの数少ない功績だな >>493
もう諡号が寿限無みたいに長くなりすぎて
廟号や元号で呼ぶしか無くなった 顔真卿「諡号は最初のシンプルなやつに戻せって言ったよね」 文と武は追諡も含めて大物が多いな
石虎も武帝かあ
両漢から三国、十六国南北朝も廟号もずっと行われているのに
ほとんど知られていない 半生に影のある石勒が明帝なのは涙を誘うToT
なお石勒が生まれるよりも昔生前に「俺が死んだら明帝にしろ」
と言った皇帝が居た模様 >>499
前漢までは文>>>>武の順で、武はそこまで品位が高くなかった
文帝が呂氏の禍を克服したことで位階が確してる
…はずだったんだが、お分かりのとおり武帝が対外的にやり過ぎな成果を挙げたから
武>>>>文になった
だから後漢は光「武」帝が建国した 沿海州はロシアのままでいい
あそこが中国領に戻って日本海に中国船がうようよ出るとか考えただけでもおぞましい >>502
ウラジオストクの使用権回復したから無理やぞ >>503の本、転生したら○○だった件とかラオウとか中二病とかが出てきて草 >>504
ロシアとしちゃイギリスの犬(上海閥)さえ出てこなきゃいいからね
上海と深センのロックダウン、江沢民の死でそこをクリアした 高句麗・渤海と割と高度な文明の国を築いていたのに契丹に滅ぼされてからは
また蛮族の女真に戻ってる
中原に浸出して中華王朝の金を建国したけどモンゴルに滅ぼされてからは
また蛮族の女真に戻ってる 漢化された熟女(熟女真)よりも
未開発の生女(生女真)の方が好きだからなみんな・・・ >>507
契丹が宇文部だと思うと
宇文部の影響力は五胡十六国南北朝時代以降でも強響 隋唐を拓跋国家とするより宇文国家といったほうがいいって意見もあったな
宇文泰の府兵制とか、隋唐は北周の制度の焼き直しの感が強いだろう
宇文部って元匈奴だし、独孤信は浅井長政みたいに女系でこれらの国家に貢献
制度はともかく血筋としては匈奴の影響も見逃せないね 広義的には爾朱国家ともとれる
元々宇文泰は爾朱栄の武川鎮では陪臣なのに
爾朱栄と賀抜岳が相次いで斃れたので知らぬ間に武川鎮の総帥に 南人は見逃されたけど蒙古人、高麗人、漢人は処刑された
契丹や女真はともかく華北の漢人と旧南宋兵の漢人はどうやって見分けたんだろう? 中国本当に台湾攻めるの?
石油のあるロシアと違って中国は世界市場から締め出されたら経済が死ぬけど・・・ 中国で易姓革命が起きたり、皇帝から謀反を疑われたり、なんかやらかした人たちは
モンゴル、朝鮮、日本に亡命する傾向があるけど、近場の台湾に逃げるゲースは鄭成功くらいやね
陳も南宋も台湾には逃げようとしない
海南島は話題にもあがらない >>512
言語とか文化(食事等)とかで違い有りそうなもんだが 椅子は五胡時代に北族から入って漢民族に根付いたものなのね
そういえば東晋時代以前の絵では
樽みたいなやつに座ってるな
chairはないわ >>517
椅子は確かに西洋から伝来して北魏の頃に漢民族に定着しているが
それ以前に玉座(龍椅)なるものは存在してた模様 胡床(こしょう)
胡椒(こしょう)
胡瓜(きゅうり)
胡麻(ごま)
胡蝶蘭(こちょうらん)
胡荽(こすい)
胡粉(ごふん)
胡弓(こきゅう)
胡座(あぐら)
全部胡由来の単語
胡散臭い(うさんくさい)もか… >>517
基本的に東晋以前は筵の上で正座とか胡座だな
始皇帝は正座して木簡とか竹簡の書類決済を1日中やっていたと聞いて驚いた事がある >>520
それらは五胡時代じゃなくて主に唐時代だな
ソグド人、ウイグル人などの胡人
そして魏晋南北朝の帰結点ともいえる李世民
父幽閉、兄と弟殺しだけじゃなくて子供たちも高宗以外は処刑されたり廃されたりけっこう末路が悲惨
やっぱり北族そのものだ
李靖を使って騎兵戦に強いところとかも 漢人でも常在戦場状態なら胡俗取り入れるやろ、実際的やし
李世民がどちらかなんて現状で臆断できません、としか言えんやろ >>520
胡乱(うろん)
これは胡が中華の地を攻撃した時そこの住民が慌てふためき乱れたという故事から「胡乱」の語が生じたといわれ、
転じて乱雑であること勝手気ままでやりっぱなしであることを指すようになった。 >>523
っ中華思想
中華以外は野蛮だから不要!というのがあるから取り入れること自体がまれ
ここら辺は石虎の仏教擁護の逸話や後世の停滞でも把握ができる 紀元前3、4世紀前後に河北で一時的に漢民族と北族の交流があったね
趙武霊王の胡服騎射、中山国の成立、山戎は刀貨を導入したり
十六国から北朝の過程をコンパクトにしたようなことが起きた
結局この過程は成長していかなかったが 何をいまさらだけど何で刀の形してたんだっけ、刀貨って >>520
>>524-525
胡のつく言葉はバルバロイ感満載だな・・・
胡姓が日本でいう鼻毛とか浮気とか阿保とか毒島とか亀頭とか
いじられ(いじめられ)やすい姓だったのだろうか・・・ ムスリム難民移民は
トルコ、イラン、サウジ、エジプト等のイスラム教の国ではなく
なぜ欧米や日本など異教徒の国に住みたがる? 中国は唐の時代にイスラム教が入ってきて
(日本までは届いていない?)
元の時代に一気に全土に拡大したんよね 南宋になってイスラム商人が本国に帰るのますます面倒になって定住して一気に広まったらしい
ミナレット建てるのにあたって地元住民とのイザコザが記録されてるのも南宋時代
元朝でまた陸路が再開したのと知識人階級として優遇されてさらにブースト >>528
古代昔青銅器がもっと希少価値だった時代に
青銅製道具が貨幣と同じく通用してた時代の名残 フランスでは、受刑者の40〜50%がムスリムで、都市部の刑務所では60%を超えている
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/topic/column_07.html
内田樹
https://gqjapan.jp/culture/column/20150126/the-professor-speaks-3
フランスの場合、人口6000万人のうちの10%がイスラム系の移民です。移民が
始まって2世代、半世紀が経ったけれど、彼らはいまだフランス社会に溶け込んで
いない。種族的・宗教的な分離はむしろ深まりつつある。政府はかつては経済成
長のために大量の移民労働者を受け入れたけれど、今は移民問題の処理にエンド
レスに桁違いの予算を投じなければならなくなっている。短期的には金儲けでき
たが、長期的には巨大なコストを抱え込んだのです ユダヤ教徒やキリスト教徒は同じ経典の民だから一応保護するけど
それ以外は邪教悪魔だから滅殺する
イランのゾロアスター教徒・マニ教徒、インドの仏教徒は皆殺しにされた
それがイスラム教徒 逆に十字軍なんて
カトリック以外の全宗教を
(正教・イスラム・ユダヤといった「啓典の民」含めて)
十把一絡げに邪教悪魔だから滅殺してただろ
イスラム原理主義も
カトリックの「教条」を逆輸入したと言えるし こーゆースレチの輩に限って
神聖四文字=シャマシュ
仏教が啓典であるとイスラムも認めた
っていう重要な要素抜きにして騙るから虫唾走るんよ
>>532
宋〜元の時代までは、アジアこそが先進文明だったからね
銃器すらモンゴル系が最初に開発してたっていうのが発掘調査で分かってる
南北朝でも、コークスと鐙の発明は大きな技術進歩と言っていい もしテマ制=府兵制だとすると
高歓や宇文泰が肥桶担いで畑耕してたと思うと楽しい
侯景は肥桶担いで畑耕してたとしてもあまり違和感無いが 斛律光や蘭陵王を謀殺するはいいがその後に北斉をどう守るかは一切考えないんだな
まるで太田道灌を排除して山内上杉に対して一気に劣勢になった扇谷上杉みたいだ >>543
後主は、弱いと侮っていた陳軍にすら負けて領土が蚕食されても、側近に「なあに心配いりませんよ。亀茲ぐらいになっても安楽に暮らせますから」と言われて「おう、お前いい事を言うな!朕は何も愁う事はないのだ。あっはっは」とますます遊び呆けるようになったからな…
さすが、わりかし暗君寄りだった武成帝ですらコイツに継がせたらヤバいと真剣に廃太子を考えるほどのスペシャルバカだけあるわ 高澄が殺されずに禅譲されても結局ダメなんだろうなぁ感がある
司馬昭の後司馬炎じゃなく司馬攸が継いでも結果的にダメそうだったように 昭さんの攸ageは「今の天下は子元大兄(司馬師)のものでオレにはなんの手柄もない。だから大兄に司馬家をお返したいのだ」と言っとかないと魏晋の士大夫社会で認められないからなんじゃねえの
高一族はそれ位前に酒乱(寒冷化もあるんだろうけど)をなんとなせーやと 宇文邕がうっかり晋陽で戦死していたらどうなってただろうか >>543
高済を始末して叔父による甥の殺害という因縁を断ったところまではよかったんだけどな
>>545
それはそうだよ
孝静帝虐めで酒乱と嗜虐傾向はすでに出てるし、即位しても高洋ほどもつかどうかも分からない
高演が落馬しなくても…即位後すぐに突然に臣をぶった斬ってるし
どこかで兄の後を追うことは眼に見えてる
>>547
だからと言って北斉に反攻できる力もない
陳も加えてみんな遊びたい皇帝ばっかりで低浮上の三国時代になりそう >>547
既に大勢を決してた段階だし弘農楊氏もスタンバってるから、北周系が統一するのは変わらんだろう
民衆を諦めさせて鮮卑文化と漢文化を坩堝に入れるのを許容させたのが勝因といえる >>526
そんな話してたら武霊王が永遠に胡服騎射取り入れないが大丈夫か? 中華以外が野蛮で不要なら
現代で拉麺喰えなかっただろうな… >>550
秦以前と秦以後をちゃんぽんにする腐れ脳みそはお呼びじゃないんで…
とはいえ後漢時代の胡かぶれといい、上層が傾倒したら流入が発生するのは否定できん
今の世で、意識高い系白人によって有色人種の文化であるヨガ等が流入してるように 霊帝とかなんであんなに胡人かぶれしてたんだろうか
お気に入りの側室が胡人とかだったんかね >>552
刀削麺は今の山西省辺り発祥
歴史も比較的新しく元の時代にモンゴル族が
民衆の反乱防ぐ為に刀武器関係没収しまくり
包丁まで取られて仕方なく薄い鉄片で麺生地削いだのが由来だったような
鹹水は五胡の居住地域で取れるから拉麺は五胡由来 異民族が中華の領域を支配するには漢化が必須だな
元はモンゴル族がモンゴル族のまま中華を支配しようとして失敗した
それ以前に帝位を巡る争いが歴代王朝の中でもワーストで酷い >>556
チベ仏にのめり込むあたり、現世での悦楽を極めた者ムーブにかまける典型例に陥った感じ 漢化する条件って
華北、中原を支配→遊牧狩猟から定住農耕→文字(漢字)の使用
こんな感じ? >>558
この時代だと、中原と定住の間に
馬が入手できず戦法変更→漢民族支配の必要性を認識
が挟まる感じ
この漢民族支配が結構厄介で、後趙と北斉の失敗はこれが大きなウエートを占めてる >>556
それだからこそ中原追われた後も北元として残った 司馬炎は異民族対策の不備を指摘されることが多いけど
馬隆を絶賛してバックアップしてやったことは評価されてもいいと思う
彼の後継が恵帝の時代にいたら…八王の乱だったら無理かな
磁石を使っての鉄甲騎兵封じとか後世に伝わらなかったよね >>561
中原に残ったモンゴル人も多かったみたい
「先祖のような過酷な遊牧生活は無理ぽ・・・」みたいな感じで
女真、契丹とともに華北の漢人に同化されていった >>562
八王の乱は文鴦や胡淵でもゴミの如く頃される時代だからな…
馬隆の後継が八王の乱以降後世に継承されなかったのは残当
馬隆は司馬炎よりも年上ぽいのに司馬炎よりも長生きしてるのな
鉄甲騎兵封じは天然磁石大量に必要だから
限定的戦術で後世に伝わらなかったのは必然
馬隆が用いた諸葛亮の八陣図も陳勰が全文暗記してから
元書全て燃やして処分したので後世に伝わらなかったのは残念 >>562
晋兵がこれ使って鉄甲騎兵に対抗してる姿想像した
ttps://blog-imgs-113.fc2.com/t/o/g/togiemon/blog_import_5d59dcd8d4f97.jpeg 西欧でフルプレートが登場する前に東洋には鉄浮屠なんてあったとは
これだけ重装甲ならモンゴル軍から矢の嵐食らっても余裕そうなのに・・・ >>566
鉄=命を奪うものって道教の価値観と、資源枯渇がそれを阻んだ
あとは五代十国が生ぬるかったのも絡んでるか
西洋で発展した土地は、アメリカ含めそこら辺のしがらみが少ない >>555
そんな由来だったのか、さんくす
NHKのドキュメンタリーで中国の横穴住居に住んでる人達が民族の料理ですとかいって
作ってたなぁ >>563
中華はペットをダメにするベットみたいな感じか
中華というよりも中毒の方がしっくりくる >>570
周囲と比べて環境恵まれてるからね
ナチズムが芽生えた明って例外を除き、南朝がクソザコになるのも、恵まれた環境に安住するからだし >>566
フルプレートでもロングボウの攻撃で壊滅的被害になるからな…
現代の軍隊がロングボウよりも殺傷能力ある銃弾を前にフルプレート諦めて
ヘルメットや防弾チョッキなどの致命傷回避するだけの軽装になったのもわかる 遠距離からロングボウでボコった典型例のアザンクールの戦いはヒストリーチャンネルが
だいぶ前に検証番組を作ってたな
結論としてはイングランド軍のロングボウはフランス軍の鎧は抜けず、
泥濘で身動きとれなくなった奴を状況的に降伏させられないので鎧の隙間から刺殺したって結論だった記憶 >>573
銃器がなぜ欧州で使われるようになったか
アジアでは全然使われなかったかの好例といえる
資源的な問題を除けば有用かどうかが発明の実用化に関わるな 元寇ではモンゴル軍は「てっぱう(鉄砲)」使ってたのにな・・・
どうしてこうなった >>575
覇権握ってる間は必要なかった
何せ銃器による爆発音で馬がビビるから騎兵だと自滅しやすい
(竜騎兵は銃器と馬の改良があったからこそ実現できた)
重装の兵士は縄や鎖で縛って引きずって殺せるから、対重装の面でも銃器はあまり要らなかった
というか、てっぱうはただの原始的手りゅう弾であり銃器ではない
銃器が発掘されたのは13世紀のオルド影響下の西アジア 銃器というか火薬は中華発祥で西欧に伝播したのに
西欧で進化して殺傷能力格段に上がった武器になり
アヘン戦争以降中華は西欧にフルボッコにされたのは皮肉 >>577
プロトタイプ文化大革命である明が大体悪い
あれで自己研鑽や進歩より、他者の退化のが統治が楽ちんだと知って腐った
威勢がよかった清も、これに毒されたのが辛い
絶対ないだろうが、仮に冉閔が前燕滅ぼして河北制圧したら、同じような退化起こしてたと思う
異民族へのヘイト以外に碌なイデオロギーがなく、文化窃盗できる厚顔無恥さもないから
対騎馬戦略を除いて先祖帰りを試みて、スパルタ未満の何かになりそう >>571
南から中華を統一したのは秦、漢、明、中華民国の4つのみ 鉄甲騎兵は鮮卑の発明だよね
漢の騎兵にもないし、匈奴や氐、羌も軽騎兵で独自には開発できなかった
普通は突撃して歩兵を蹂躙するのが標準的だけど
慕容恪は冉閔の突撃を受ける鉄床として使って、軽騎兵で両翼包囲で殲滅するという変わった使い方をした
鉄甲騎兵は高句麗の騎兵の主力になるのだが、恐らく慕容部から導入したんだろうね >>579
秦は西方から興り関中を本拠地に東方の諸国を征服して統一しているし、漢は劉邦ら出身は出身は旧楚の地域だが封地の漢中から
関中に本拠地を移し、そのから項羽の西楚を倒して統一しているので江南の南京を本拠地とした明や中華民国と同じように
南から中華を統一したとは言えない。 >>580
>慕容恪は冉閔の突撃を受ける鉄床として使って、軽騎兵で両翼包囲で殲滅するという変わった使い方をした
マウントアンドブレイドでよくやる鉄板戦術
リアルだとアイユーブ、セルジューク、マムルーク朝といった重騎+軽騎の国がそれを実際にやっていたはず
それらよりも何世紀も早く実用化したのはさすが慕容恪といったとこ 両翼包囲で殲滅て紀元前のハンニバルスキピオ辺りで既に使ってたから
それから500年以上経ってるのでシルクロード通じて五胡に伝播してたのかなと思うが
前世紀のヴェルヘイム2世が皇帝退位後に初めて孫子読んだとかあるから
両翼包囲で殲滅が確実に西洋から伝播した戦術かというと怪しい 漢が西域でローマ軍と遭遇したという与太話
実際はグレコバクトリアの末裔だっけか 羅馬皇帝安敦の使者なら漢の時代来てるが
何故海渡って支那海側に来るのか >>583
鉄甲騎兵や軽騎兵にあたる兵科がないから趣旨とは若干ずれるでしょ
とは言うもののカルタゴ大虐殺の後、ハンニバルはシリアに流れ着いてるんだよね
そこから伝染っていった可能性が微レ存・・・? ハンニバルは騎兵(イスパニア、ガリア、ヌミディア、他)だけでなく
戦象も使ってたから慕容恪とは違うな
ハンニバルは戦上手でも有名だが象でアルプス越えした変態なので
逆にもし慕容恪が戦象使ってたらどうなったのかは妄想すると楽しい 皇甫謐は書の虫だから好きなだけ本を読めと言ってやった司馬炎
先の馬隆にも大いに理解があった
やっぱり司馬炎は開国君主としてはいいほうだと思う
北方の寒冷化とかがあったのか、余りにも五胡の動きが強すぎた
統一王朝でも前漢なら呉楚七国の乱とか開国しばらくして分解しかねない
大乱が起きるが常で、それを克服できるかどうかで長期王朝になるかどうかが決まる
八王の乱まではまだ標準だと思う、五胡のファクターの強さが想定外だった
これを乗り越えるには康熙帝クラスでないとムリだったんじゃなかったかな、と司馬炎擁護してみる >>588
いいほうというか、曲りなりに才能はあったよ
でも現実に打ちひしがれて半ば自暴自棄のような浪費を繰り返した
司馬氏が曹氏に代われたのは貴族の不興を買わない政治を輿論が求たからであり
皇帝になった後は貴族の不興を買ってはならないという枷になっている
故に貴族の贅沢や退廃を止められず、自身も腐る道を選んだと
一言で表すならガチャ結果が良かった孫皓って感じ >>588
西晋が滅んだのは司馬炎が原因というよりも
司馬衷が凡庸で臣下や諸侯に舐められた結果
もし司馬衷が早々に消えて司馬遹が後継いで
西漢の劉恒ばりの政治力発揮していれば 司馬懿は長命でしょむしろ
師、昭も当時からしたら短命ってわけでもない
暗愚な皇帝を支えるはずだった亮が優秀な人物ではなかったのが運の尽きだわね 司馬は懿、孚、師、昭、駿は優秀だし一族ガチャの引きはいい方でしょ亮と倫と言うとんでもないババが台無しにしたからカスにみえるだけで >>593
亮は良くも悪くも徳治政治に向いた良い子ちゃんで、自ら立ち上がることを求められる時代に合わなかった
倫は中身スカスカゆえ部下により100か0になる劉邦タイプで、運悪く0を引き当てた
両者とも指導者適性からするとババとは言い難い
司馬氏のビッグネームでマジモンのババは
凡人どころか愚者の行動原理のくせに、くじ運の良さで取り返しのつかないことをした司馬穎
政治知識0で後ろ盾もないくせに権威を振りかざした結果ハリボテ晒した司馬熾
この二人は石勒のかわりに農奴してなきゃいけないレベルだし、後者に至っては親殺しの禁じ手までした線が濃厚というね 石勒は牧場オーナーで一生を終えてたかもだし
劉淵が司馬氏はつまらんから俺が起たなければと行動するまでかなり期間がある
彼らにスイッチを入れてしまったのは司馬氏の不手際も大きいんだよな
どうしようもなく五胡乱華を迎えたわけじゃない
洋の東西を問わず、異民族の傭兵を多く使いだすというのはやばいフラグ フラグってよりも軍隊を維持し続けるコストが国家が傾いてくるとキツイだけなんじゃね
現代だってPMCみたいなのはあるわけだし >>595>>596
唐を揺るがした安史の乱で懲りたのか宋や明は異民族の傭兵をあまり使わなかったが、そのせいか遼・金・元・清といった北方の遊牧狩猟民国家
に劣勢に立たされているね。 >>596
PMCは用途が違う
人権だの自由だの正義だのという弱者利用ビジネスの建前でできなくなった、敵への残虐行為や味方への脅しを代行するために存在してる
まあ今はそれよりヤバい目的で使われてるがな
>>595
異民族を傭兵として使うというのは、そのぶん自民族の軍事力を損なうわけだからな
国民のことを大事に思わない者に軍や政治を任せることがいかに致命的かは、語るまでもないだろう L.É.(英語ではFFLか)は傭兵界では比較的成功&永続的な例か
しかし創設以後普仏戦争や第二次世界大戦緒戦では敗北しているので
数々の勲章ものの活躍の割には勝率高くないイメージになってしまう >>599
フランスは国家社会主義で国営企業まみれとはいえ、FFLは傭兵やPMCではなく正規軍だぞ
外国人部隊という括りなら成功例かもしれんが >>597
清は緑営って漢人の傭兵集団使ってたやんけ そういえば奴隷王朝ってあった
石勒はアイバクみたいなもんか ヨーロッパの古代の奴隷は、あくまで契約奴隷だからね
所属先が固定のプロレタリアートみたいなものであり、おつとめ果たせば自由の身になれた
それらと比べたら石勒はかなりハードモード 宇文泰の府兵制は国民軍、徴兵制のようなもので
これも画期的
徴兵でも愛国心高めの質が高い軍隊を作れる
それに比べて南朝の北府、西府なんてのは募兵だから
食い詰め者とかもやってきて質が悪いところがある >>602
さすがに石勒は
ポロ競技中に落馬して馬が身体に倒れ込んで
鞍の前橋が胸突き抜けるような悲惨&マヌケな死に方はしない この時代の食文化って三国時代や西晋時代と比べてなんか変化ありましたんかね 基本的には「周の八珍」からあまり変わっていないような
飢えたら人肉食やる所は今の中華もあまり変わらない 石虎、海陵王、張献忠あたりは流石に話盛られてないかと思ったが
毛沢東の大躍進や文革を見てるとあながちウソとも思えないんよな 張献忠の虐殺は清軍の虐殺も乗せられてる説が濃厚だし、海陵王も南征は貿易不均衡の解消(南宋から金もらっても南宋から物品買うんため赤字)って話もある。
石虎は知らん 北斉のドS酒乱エピソードてんこ盛りも滅ぼした北周の捏造やろ(棒) 高一族の酒乱ってテンプレ越え過ぎてね?
高澄→DV、NTR、パワハラ
高洋→パワハラ、大量粛清、女装強要、辻斬り
この兄弟だけでもバラエティーに富みすぎてて草
あと蘭ちゃんの弟くんは部下にウンコ食わせてたし 高長恭も長く生きてたらいつか高の血を発揮してたんだろうか
でも親父とか叔父はかなり若くして高の血を発揮してたし大丈夫だったのかも 高長恭にはあの弟がいるからな
高洋に特に気に入られるぐらいだからどういう人物かは想像に難くない >>611
冉閔の正当化と苻堅の下駄履かせのために、石虎の悪行は盛られてる
あの悪行を本当にやってるとしたら、国内があまりにも安定しすぎている
戸籍人口に至っては「十人のうち九人が死んだ」んなら西晋(1400万)考えたら後趙100万とかか?と
華北統べるには足りなすぎるし、前秦前燕にバフかかるのか意味不明になる と石虎儲が申しております
国内安定してるいうなら
現代の北朝鮮とか超安定してるぞ 陳舜臣=センセイも「石虎と苻生の悪行は盛られてる」と書いてたな
ただ苻生が通行人の兄妹に「ゴラァ!セックスしろや!」って強要すんのロリショタ姉弟丼やった苻堅と同じムーヴやんけ >石虎と苻生の悪行は盛られてる
盛ってるだけで悪行自体は無かったという話ではないからな
李寿が石虎に憧れて石虎に倣って成漢統治したら
とんでもない暴政悪政で怨嗟の嵐でワロタw >>619
自衛隊の小銃でも分かるとおり、どんなものも使い方次第だからね
競合するものの長短や利害を秤にかけなきゃいけない
それがわからない1ビット脳だと自滅する
今まさにそれが世界規模で実演されてるわけだけど、持ってあと2年かね >>617
北朝鮮建国当時(1948年)の推定人口約960万人
現在約2500万人(一説には水増ししてて実際は約2000万人前後)
と考えると暴政悪政でも人口増えるのな
あれだけ数百万人レベルの脱北者や餓死者出してるのに
中南米のインディオも人口激減したのは
植民地支配の暴政よりも伝染病の要素が大きいしな 化学肥料のおかげで面積あたりの食料供給能力が何十倍も伸びたのを知らないバカがおるな
こういうのが欧米の失策を認められないんだろうか そういや北魏のあたりから北の農業生産力が上がったんだっけ
「斉民要術」って農業書も出とる >>623
南も東晋末期に生産力がグッと伸びてるから、何らかの技術流入や温暖化があったかもな
開墾だけじゃ説明がつかない >>623
農業書だと「斉民要術」が現存する最古の農業書だけど
その前に「氾勝之書」とか「四民月令」とか存在している
後に散逸したけど 寒冷期だと五胡の生息地の草生えなくて
食い物に困って南の中華に侵掠する法則
地球温暖化は太平洋の珊瑚島には最悪だが
五胡の生息地には悪くない現象 南征が成功するのは寒冷化のとき、
北側が疫病と暑さにやられにくい
北伐が成功するのはもちろん北が暖かく、
南側が食糧生産のフォーマットをすぐ使える温暖化のとき
たとえば、もし淝水のときに北側が寒冷化過程にあったら
苻堅側の意思統一も違ってて一丸となって生存を南に求めるだろうから
確実に勝てただろうね
孝文帝の時期は温暖期だったんだろうな
無理な接ぎ木のような洛陽遷都、元恂「暑くてやってられんわ」 >>630
寒冷期だと長江凍って船無くても渡れる説 >>631
プリゴジンには宇宙大将軍の壮大さは感じないので
蘇峻の方が近い感が 結局、御所巻レベルで終わったけどプリゴジンはこのまま劉牢之コースかそれとも桓温コース(選挙で合法的にプーチンから権力を剥奪) 普通に考えて反乱起こした奴をそのまま無罪放免したらろくな事にならんよな。
今はいいけど長期的に見たら悪い事にしかならん。 プリゴジンはロシアが直接できない汚れ仕事担当だから殺せないかも知れん(欧米の選挙介入や中東アフリカでの軍事活動など) 王敦の乱で王敦側に付いたのは降伏したらわりとすぐに許されてその後の蘇峻の乱で官軍側で戦ってる人が結構いるけど蘇峻の乱で蘇峻側に付いたのは許されず処刑されてる感じ そら蘇峻の軍は宮殿にまで乱入して皇后や皇太后までレイプしとるからな
まあ王敦も二度目は行きててもただじゃすまなかったろうけど >>639
第二次の王敦は禅譲(簒奪)か死かっていう賽を投げたからな
司馬睿の諡は元
これは魏から司馬氏が禅譲させた皇帝と同じであり中々セメントな攻撃
司馬紹が想像以上に強権だったのと王導が造反したのでパーになったが
この造反のおかげで処罰を少なくできたといえる >>640
司馬紹が想像以上に強権だったのは司馬炎の娘婿の家柄でも
琅琊王氏よりも格上の太原温氏出身の温嶠がツーカーの仲だったのは大きい
王導以下他の琅琊王氏が日和って造反した気持ちもよくわかる
温嶠は蘇峻の乱後すぐ若死にしてるから
もし王敦よりも温嶠の方が先に死んでたらまた違った結果になったと妄想 プリコジン行方しれずだって BBC
これがマジなら結局彭越だったな すいません
質問系のスレで誘導して貰って来たのですが
スレ違い覚悟で質問させて下さい
どなたかご存知ないでしょうか?
古代中国の人物に関する逸話だったと思うんですけど
君主と、その配下の将軍が囲碁を打っている傍らに
宰相?みたいな役職の人がいる場面で
君主が宰相に対して質問する(内容は忘れた)と
「主君の前で足投げ出して肘ついているような奴は死刑にしますね」
って答える
すると正にその通りの囲碁の相手をしていた将軍は慌てて姿勢を改めた
といった内容です
宰相?みたいな人の回答を聞いて、囲碁相手の将軍が姿勢を正したくだり以外うろ覚えで、探しようがないのです 君主:司馬炎
宰相×降伏人〇:孫晧
将軍×妹婿〇:王済 >>642
核兵器ガメたって噂もある
古代や中世のキチガイムーヴしてても大量殺戮兵器が溢れてるのが現代 「仁徳天皇陵」実は513メートル? 宮内庁、100年ぶり全体測量
6/26(月) 10:03
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/125d6221fc7df56a27a84dda9ca5b87f1069021e&preview=auto
南朝尺があるなら北朝尺もあるんか >>644
有難うございます!!スッキリしました!! >>645
ヨーロッパの哲学はプラトンへの膨大な注釈である、って言葉があるとおり
そのキチガイムーヴから科学技術以外進歩してないのが現実よ
今の欧米がまんま明やローマ帝国の自壊と同じような推移してる(上から下まで殆ど堕落して国力が賄えず衰退)のも無理はない >>647
この逸話の肝は
陳寿が「救いようない暴君だ。降伏を認めず酷刑に処すべきだった。」とまで言わしめた残虐君主孫晧が
天下人である司馬炎の質問(なぜ暴虐をふるって惨いことをしたのだ)という質問への答えとして言い放ったことと
それを聞いて司馬炎は怒りも蔑みもしなかったことの2点
孫晧は単なる暴君ではなく相応の環境に置かれたが故の行動であり
司馬炎も他人事ではなく現在進行形で周囲に不満を持っているのが暗に示されている >>649
逸話だけでなくその人物の背景等も合わせて知らないと
重要な部分を理解しづらいのですね
勉強になります 司馬炎の子でも司馬乂は優秀だったようだけど悪い意味でいい人すぎたかもな
司馬越のように開き直り思い切りがあれば運命は違ってたような気がするが >>649
このエピソード以外も司馬炎にNDK呼ばわりされて瞬時に返したのをみても孫晧は頭の回転は無茶苦茶早いっすね 司馬紹は性格的には司馬乂の生まれ変わりみたい
貴族の強権は許さないという
司馬紹と桓温の組み合わせだったら北進統一あったかも その二人ならやれたかもしれないけど、北朝にひけをとらない専制国家になってたと思う>司馬紹と桓温
鮮卑みたいで王敦に蔑まされたってエピソードも、晋書の癖と当時の南朝メンタルからすると、混血ではなく気風や政治姿勢を指してるのが掴めるし
紹は乂と違って正論だけじゃなく暴力に訴えられるからガッツリ改革進める 個人的には司馬熾はぶん殴りたくなるぐらいムカつくわ
末路は同情というか気の毒だとは思うけど 司馬乂が司馬冏を倒した後、いちいち司馬穎に伺いを立ててたのは
謙譲の意図もあるだろうが壟断するには兵力が足りないのが大きかったんだろうな
司馬穎からしたらいちいち聞くなら俺と場所を代われとなるが >>657
末路を見るに、無学で文盲な司馬穎にとって嫌がらせのような行動になっているのを、司馬乂は気付けなかったんだろうね
しかも司馬穎は司馬冏の専横の原因である司馬倫殺しをやったくせに、舌の根が乾かぬうちに司馬冏殺そうって蜂起したって立場の悪さもある
生殺しの環境に置かれて暴力に振り切れるのも無理はない 司馬穎は何もしなければ皇太弟になれた可能性も無きにしも非ずだが
政争に明け暮れ封地の成都も異民族乱入で混乱しているのに放置ではな・・・
司馬穎が居なければ司馬乂が司馬衷の後継いで西晋は延命できた可能性も >>504
今のウラジオストクは中国人だらけみたいやね
逆にロシア人にとって極東は魅力的ではないかから流出が続いてる >>655
まあ南朝だと地理的な問題や出自に纏わる政治風土などならして北朝みたいな強力なリーダーが治める強権国家ってあんま筋はよくないイメージ >>660
ロシアは海産物食わないし、北方領土よろしく英米を見張るための地域としてあればいいと割り切ってるからね
土地自体の価値はこの時代の帯方郡に毛が生えた程度であり、維持コストの重さが問題になっていた
それに対して中国は海産物をやたら食うようになったしサプライチェーンを米から奪いたい
土地のポテンシャルが喉から手が出るほど欲しくなってる
米は国内で冷戦やってて麻痺、英は中国内の傀儡失っているという状況だからこそwin-winの取引になっている 司馬穎って一度でも成都に行ったことあるんだっけ?
封国に行ってるやつと行ってないやつがいる辺りもややこしい 今松下憲一「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」を
読んでるけどイメージほど孝文帝の漢族化改革ってイメージほどキッツい感じじゃないよね。
胡語の禁止も朝廷(政府)に限定されてて今で言うところの英語公用語化みたいなもん。(それも30歳超えた奴には無理強いしてない)
鮮卑としての民族教育にも熱心で「国語孝経」って教典作らせて民族の言語や文化を教える事にも熱心
よくネタにされる珍妙な字も姓と諱は漢人風にしても字は民族名だから起きた現象だし >>662
アメリカは物を作れないし計算もできないのに強国だから
ドルが基軸通貨じゃなくなったら終わるな
>>664
北京語が満洲語説もあるし
皇帝とかも既に漢語になっていたんじゃないかな
日本も薩摩や長州が支配者になったのに薩摩弁とかが公用語じゃないし
日本語と山口語、鹿児島語ぐらいの差しかなかったのでは 中公新書『唐―東ユーラシアの大帝国』を読んだ
初めの方で拓跋国家論について書かれてたが
突厥は唐を拓跋の転訛であるダブガチと呼んでいた
これ、今もまさに同じ事例があってロシア語の中国全般を指すКитай は契丹から
ちょうど10世紀前後にルーシ国家と遼が接触した時期に重なる
それが今に伝わってるなんて感慨深い
漢民族… China(秦)の語源からあるように
もっと早くから中華に接してた他の欧州からすると
ロシアは遅れてきた蛮族
ロシアが勝手に領有主張している北海道のロシア語は
Мацмай(Матсмай、Матмай)は松前(松平、前田)から来てるので
ロシア人は起源の意味もわからない蛮族なのは否定できない ジョンブってる子はさておき
>>664
ただでさえ華北運営のため官僚に多かったであろう漢民族に対し優越権を与えた、というのがまずかったんだろう
北魏はあくまで拓跋部の団結で固まれた国家であり、拓跋が優良人種でなければならなかった
十六国春秋が天命論とマウンティング色が濃いことからもプライドの高さがうかがえる
それを国家運営の都合でひっくり返したのは大問題になる
反動で産まれた北周が最終的な勝者になるのは、なんとも感慨深いものがある
>>665
当時の山口弁が今の標準語のベースになってるのは割と有名な話であるが
会津藩が新政府軍と激戦になったのは、新政府軍のシマでは会津弁を理解できる者がいなかったせい
という笑えない原因があったのはあまり知られていない 逃げてきた難民も
攻めてきた敵も
等しく一匹残らず駆逐した例は? 沿海州どころか外満州まるごとロシアから取り返そうとしてないか中国
今回のウクライナ侵攻然りレッドチームは何でもやってくるから何が起きても不思議ではないが >>669
暗黒森林仮説ってものを知っていれば分かるけど、絶滅させられて歴史に残っていない例なら無数にある
そういうので残るとしたら、辛うじで神話のヒール役としてくらいか
逃げてきた難民も「攻めた相手」も駆逐したのは、有史から近い例はある
難民すら認めず1つの種族が絶滅して周囲がそれを残した例なら、胡殺令での羯
種族は滅ばなかったけど地域単位で皆殺しはバグダート大虐殺
皆殺しにしようとしたけど漏らして生き残ってしまったのがインディアン
難民は認めるが処刑や娯楽で結局殺されたのが中南米
他国への難民以外は皆殺しにされたのがチェルケシア
アイヌの口伝のみで詳細不明だが北海道ニヴフも駆逐された例になる >>671
インドとの領土問題で譲歩するならくれてやる、というのがロシアの本心だろう
そうして係争地をスワップしていけば、インド〜パキスタン、パキスタン〜アフガン等の態度も軟化して中央〜南アジアが固まりやすくなる
イギリスお得意の分断策へ意趣返し
こういう譲歩引き出してわらしべ長者する方法で、すでに西アジア(中東)が安定した実績があるし
ロシアと直接的に関係良化をしづらい国に中国が介入して、ロシアの絵図のとおり手を組まさせてたりと、手口も洗練されてる
今後、正しい意味での実利主義を実践している例になり得るだろう >>672
ろすけもちゃんころも
問答無用に皆殺しだ >>668
あと北魏の軍隊は胡語使ってたんで軍隊の反発もあったんかな
軍歌とかも胡語で謳ってた記述あるし、高歓も軍の命令は
鮮卑語使ってた >>675
軍の中枢である六鎮自体がチャイナプロパー外(内モンゴル)だから、元から漢民族の与する隙がない
軍事行動ができるだけのロジとバックアップ以外で、漢民族を使う必要もない
故に彼らにとって漢化は百害あって一利なし
現代でもよく悪者にされがちだが、軍事力は最も強力な抑止力かつ自浄作用の担保であることを忘れてはいけない 孝文はそれでも身分が下げられた連中(代遷戸)を羽林虎賁(ようは近衛兵)に採用したり六鎮の巡幸もしてたり不満を宥めるのに神経使ってた方やぞ
なおそれ以降
・かつての六鎮の将軍は皇族か大貴族だったのがボンクラに
・犯罪者の流刑地にもなり治安の悪化
・ボンクラ将軍の搾取で貧困から脱出できず
これは反乱待ったなしですわ >>677
いくら皇帝が気にかけようとしても、立場や実益を漢人>鮮卑にしたら下々までそれに倣ってしまう
今のフランス見れば分かるが、元々差別意識の強い多数派に差別正当化の口実与えたら碌なことにならない
鮮卑って呼び自体がクソザコって意味なのも忘れてはいけない
その後の万侯醜奴といい、漢化が深刻になった北魏は漢民族国家みたいな腐り方をするのが何とも惜しい >>663
司馬穎は太康10年(289年)に成都王に封じられているが
史書読む限りは成都に行った形跡ないな
元康9年(299年)に平北将軍に任じられてからは鄴に鎮守して以降八王の乱の戦乱に従事
益州刺史は西晋統一後 王濬→胡羆→張敏→栗凱→趙廞(判明分)
と引き継がれたが永康元年(300年)の趙廞反乱以降成漢が治めるまで混乱の只中 イングランドでもフランス人が支配者なのにイングランド語になったように
日本でも朝鮮人が支配者なのに日本語を使うようになった 松下先生は爾朱栄=ラオウって書いてるけど脇の甘さも含めてDIO(第一部)や無残様の方が近くね
拳王さまは倒した拳王家は禍根を残さず族滅してるし聖帝との戦いと勝てる確信ない時は避けてた >>679
封地と軍権が分断されてる上に領地経営がアホ臭くなるほどのバブル景気だから、封地はさして重要じゃないんだよね
逆に軍権はどこで挙兵できるか、どの規模の兵を使えるかがストレートに影響する要素
この軍権持ちのシバき合いで分が悪いからと、異民族ブーストをやった司馬穎がいかに罪深いことか 欧州で大暴れしてる中東・アフリカ移民を見てると
在チョンが可愛く見えてくるから困る
移民入れて得するのは企業だけで、治安悪化や社会保障費負担で国民にはデメリットしかない >>681
爾朱栄=ラオウの世界だとすると
トキやケンシロウよりもシンやジャギやユダが強いという
おぞましい世紀末になるな・・・ トキやケンさん枠は蘭ちゃんがおるやろ
あと文宣帝も無惨様枠だよな。治療がなかなか進まなくてイラッときて医者を殺すとことかまんま >>683
漢化政策で蔑まされた鮮卑がどうしてハジケたか
どうして北魏の大部分を得た北斉が鮮卑帰り政策をした北周に負けたか
を端的に表してるのが今回の一件
今回暴動やってるのが、日常的に差別されてた移民2世〜3世+それに同情する白人
2世や3世は欧州で育ち欧州の教養を得ていたが
色があるからと文化的にも制度的にも下流とみなされ差別が横行し、恨みが蓄積して火薬庫になっていた
少年射殺は火薬庫に偶然飛んだ火種でしかない ウクライナにNATOが供与したのと同じ武器が、何故か暴動に使われてる
(しかも対物用の大型銃器だから誤魔化しが利かない)
っていう時点でお察し
まあ正常性バイアスにズブズブだから無理強いはしないが >>664
続き
松下憲一「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」の4章に煬帝の食事メニューが出てくる
○膾(なまの肉や魚と野菜を細切りにして酢に浸したもの)八種 北斉武威王生羊膾・飛鸞膾・咄嗟膾・専門膾・拖刀羊皮雅膾・天孫膾・天真羊膾 魚膾永加王特封 ○烙(弱火であぶる)・炙(強火であぶる)四種 烙羊成美公・龍鬚炙・乾炙満天星・金装韭黄艾炙
○蒸(むす)一種 露漿山子羊蒸 ○飯(穀物を蒸したもの)・鮓(なれずし)三種 越国公砕金飯・新治月華飯・虞公断醒鮓 ○餅(穀物粉をこねたもの)・麺(めん)・餤(クレープ)・(蒸しもち)・糕(こなもち)一四種 滑餅・千金砕香餅子・雲頭対炉餅・楊花泛湯糝餅・乾坤夾餅・含醬餅・撮高巧装檀様餅 君子飣 湯装浮萍麺 急成小餤・朱衣餤 象牙 花折鵝糕・紫龍糕
羹(肉と野菜スープ)・臛(肉スープ)・湯(具なしスープ)七種 細供没葱羊羹・剪雲析魚羹・折筯羹・香翠鶉羹 十二香点臛・金丸玉菜臛鱉 春香泛湯 ○肉・魚など一〇種 交加鴨脂・剔縷鶏・高細浮動羊・修羊宝巻・白消熊・蓮珠起肉・魚羊仙料・無憂腊 加料塩花魚屑 蔵蟹含春侯 ○酒・醬・乳・酥(バター)六種 爽酒十様巻生・千日醬・帖乳花面英・加乳腐・添酥冷白寒具・暗装籠味 いま
松下先生も指摘してるけど犬と馬と牛と豚の肉がなぜかない
んだよね。犬と馬は遊牧民的には食用ってよりは狩りのパートナーだから食う気にはなれんのだろうけど牛と馬は謎
あと餅って書いてあるのは実はパンの事もでもあるとか 鬼谷子批語龐涓「遇羊而榮、遇馬而絕」
羊が肉の主食にみえてしまう 難民もどうせ逃げるなら
トルコ、イラン、サウジなど同じイスラム教の国に逃げたらええのに・・・
結局、宗教よりも独仏で豊かな生活送りたいんやね イスラム教の国に先進国は無いからな・・・
ジャービル・イブン・ハイヤーンもあの世で嘆いているだろうな >>692
フランスの件は難民じゃねぇよ
れっきとしたフランス人だ
ヨーロッパ出身の人種じゃないってだけで差別あるがな
だからサッカーのジダンも、ベルベル人であるからか協会の要職に就けない
しかもベルベル人は北アフリカながら白人なのに「バーバリアンの語源だから」って理由で差別されてる >>693-694
イスラムが今のようになった理由のうち、大きいのは三つ
1 知恵の館の喪失
古代ギリシャ、ローマからの蔵書が、ハザール派閥(特にジョージア)のラジコンにされたモンゴルにより消された
アレキサンドリアに残っていたわずかなコピーがイタリアに流れた結果、ルネサンスが発生するような逸品
これを知識者層含む200万人と一緒に失われたことで人類史は200〜500年ほど遅れており
科学技術由来での先進国の座もここで奪われた
2 イギリスによるオスマン解体
国家規模や経済での先進国の座を失った理由である、オスマン帝国の崩壊の手法は悪辣
民族をわざと細分化し、オスマンやイスラムに虐げられたというシナリオを作った上で独立支援し
独立に成功させた国家の事実上の宗主国として、好き放題ネガキャンをさせた
これを一世紀以上行った結果、イスラム=悪や野蛮という印象を既成事実化しただけでなく
イスラム本来の寛容な政治を失わせ、綺麗事に包んだ唯我独尊という西洋思想を正義とせざるを得なくなった
3 資本主義による支配
イスラムはそもそも資本主義や経済成長と反する教義であるため、グローバリズムでは置いて行かれる
置いて行かれないよう資源に頼る国家(UAE、サウジ等)と、貧困にあえぐ国家(アフガン、サヘル諸国)に分断し
前者は欧米フロント企業に急所を握らせ、後者は武装組織化を助けるよう工作を行い、自立できなくした
ステレオタイプでの処理が愚かに思える奥深さは、この時代と通ずるものがある
隋唐の仏教ベース皇帝も、かつてのイスラム国家の哲人王政治と近い スペイン人やイタリア人を黒髪にして目の色も黒にして日焼けさせたらアラブ人 兵馬俑を見てると今の中国人と顔つき変わらんし
五胡やら契丹やら女真やら蒙古と混血しまくっても漢族のベースはそのままという感じなのかな アレクサンドリア図書館の焼失
知恵の館の喪失
文化大革命 ローマ帝国は庶民でも文字が読めたが
中世ヨーロッパでは農民どころか国王や貴族・騎士も文盲で、読み書きできるのは教会の神父だけという有様 顔氏家訓読んでても「読み書きと四書五経さえ抑えておけば出自がわるくても寺子屋の先生くらいにはなれる、逆に無学文盲なら大貴族でも奴僕に落ちぶれる。ちゃんと勉強しろよ」と買い取るからな
なお、解説によると南朝梁では貴族の学力がダダ落ちし「馬に乗れれば著作郎。ご機嫌いかがですかって書ければ秘書郎」といわれるほどでカンニングも横行するほどや 読み書きできないとカンペに書かれてることもわからないし解答も書けない
読み書きって大事だな 中華も五胡十六国南北朝時代を含む書の五厄の混乱で牛弘も嘆いているのに
知恵の館の喪失やアレクサンドリア図書館の焼失級の
壊滅的被害にならなかったのは七不思議 >>701
問題はその四書五経をはじめとした写本が結構な高値であり、得る手段を要するという所
転じて写本を作成できる教養と画力(と材料を買う資産)がある場合、下手な官吏の俸禄より美味しい稼ぎになっていたそうな
ここら辺で西晋からの寒門のインテリ化(食い扶持のためにやらざるを得ない)と皇族や名家のバカ発生(やらなくても一生遊んで暮らせる)のカラクリが見え隠れする
>>703
知識人自体が生き延びたのと、注釈に使われて要点が引き継がれていったおかげかと
アレクサンドリアは焼失後にキリスト教による独占、知恵の館は文字通り皆殺しによる知識断絶が致命的
ステンドグラスやイコンが文盲用教材って時点で色々察するものがあるだろう >>701
そう考えると詰め込み教育から
ゆとり教育に緩くなった日本は亡国に向かっているな…
今に英語の筆記体読める日本人皆無になるだろうな ゆとり教育なんて十年前から止めてるやろ
あれは寺脇研みたいなろくに勉強しないで映画ばっかみてても東大一発で受かる
超優等生向けの教育よ >>706
>超優等生向けの教育
これが核心突いてる
実際にゆとり教育でZ世代より前に現れたのが、さとり世代
なまじ自己で学ぶウェートがでかいから、今の腐敗した社会を知る機会が多くなってしまい、ブルーカラーの奴隷労働が成立しなくなった
中国で問題になっている寝そべり族と根っこは同じ
文化面で爛熟しながらも国力は衰退の一途を辿った劉宋以降の南朝と似ている 東晋はあくまで中原回復が国是であり続けたけど
劉宋から江南こそが中華の中心であるという考えが貴族を支配していった
この辺りは会田大輔先生の本に書かれていた
まあ、狐と葡萄みたいな話なんだろう
元嘉北伐の失敗と瓜歩の役による煮え湯、
文帝の前期までは東晋から劉裕ときた北伐の大義を持ち続けていたが
文帝末期になってみんな折れてしまったんだろうな >>698
同じく混血しまくってるエジプトでも数千年前のミイラとか
現代の日本在住のフィフィとあまり顔つき変わらんから >>711
絶対強者が裏の目的隠しつつ表面上は掻き回してるだけだから
今のアメリカ合衆国の政治みたいな状態 このスレで貴族DS論ってのがあったな
北斉だと段韶が表でも裏でも最強じゃないか
高一族も手を出せないし軍功も内政も堅実なのになんであんまり取り上げられないのか
段韶の立ち位置はフランク王国の宮宰のようだ >>713
北斉が利用価値のない敗北者だから、というのに尽きる
歴史上の敗北者は、だからダメなんだよっていう結論になり得る内容こそ記載しなきゃいけないのに
段韶は堅実過ぎた上に裏切りや裏切られがないから、ろくにダメエピソードが作れない
さらに北斉が衰退滅亡した本当の理由が漢化っていうのも問題
隋唐のロジックである、優秀な漢民族の血筋によるレコンキスタ、への反駁材料になってしまうため、原因どころか一挙一動に脚色を要する
ゆえに書かざるを得ない最低限の内容だけの味気ないものと
埋め合わせとして奸臣や暗君の醜聞豪華メガ盛り特濃フルコースの両極端になったと 相談もなしに舎弟を引き連れて独立したがその舎弟からこんな奴の味方じゃないからとドン引きされるも
そこそこの人数は引き抜きに成功したJane Styleの乱は何に近いんだろ フランク王国がメロヴィング朝からカロリング朝に交代したのは
中国南北朝時代に多発した禅譲≒簒奪に近いな
意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う
中国には宮宰みたいなのがいない
文治と軍権はときに重なることがあったが
宮廷内のことは宦官などがやってて比較的に文武官と分離されていた
李勣「これは陛下の家のこと、なぜ外の私に聞くんですか?」…武則天の専権へ >意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う
完全体のローマ存続までは権力=権威で分業なんてない状態だし
以降はベニスから始まった資本家orバチカンから始まった宗教家の間接統治だから国内を乱して首を挿げ替える必要が薄い
むしろやるなら他国を扇動して潰してもらい、その後覇権握ったとこに取り入るほうが楽ちん >>716
斉の田氏もそうだけど実験握って100年以上経って
ようやく君主を追放して即位だからなあ >中国には宮宰みたいなのがいない
日本では天皇家に対する征夷大将軍(幕府)とか
鎌倉公方(足利家)に対する関東管領(上杉家)とか
龍造寺家に対する鍋島家とか
近い例は枚挙にいとまがない 鎌倉幕府の得宗体制とか傍から見たら東晋より権力のポジションが意味不明だもんな
天皇家の代理(征夷大将軍)の家宰(執権)の腹心(得宗)が権力握ってるとか最初に教科書か参考書読んだとき全く理解できんかったぞ 高湛まではいくら横暴をやっても
手加減というのは知ってた
勲貴には手を出せないし、使い方も分かっていた(互いに利用してた)
段韶の寿命が北斉の運の尽きか
高緯だって斛律光は粛清できても段韶は無理だったろうから 段韶の息子の中には唐に仕えた奴も居るな
まあ武威段氏だからおかしくないが 歴史は繰り返す
斛律光や蘭陵王を謀殺するはいいが、その後に北周の攻撃から自国をどう守るかは一切考えていない北斉
太田道灌を亡き者にし山内上杉に対して一気に劣勢になった扇谷上杉も然り
朱元璋や豊臣秀吉みたく完全に外敵を駆逐しきってからの粛清ならまだ分かるんだけどね >>722
正式名称すら最近手紙で判明レベルだから正式な役職じゃないんだよね
もっとも世界史で実質乗っ取ってみたいなのは結構あるけど
それでも即位した瞬間に潰されたり即位迄100年200年かけてるんだよね 李蕩が仲平で、李雄が仲儁と二人とも次男系の字なのは、
どうせどっちか死ぬだろって想定なのかな ある時、李雄の母である羅氏は、2つの虹が門から天へと道を作り、
その途上で1本が途切れる夢を見た。その後、李蕩を生んだ。
またある時、羅氏は水を汲みに行き、うっかり眠り込んでしまった。
その時、大蛇がその体にからみつくという夢を見た。
その後、妊娠していた事が分かり、14か月後に李雄を生んだ。
羅氏はいつも2人の子のどちらかが亡くなれば、
残った方は大富貴に至るであろうと語っていたという。
その予言の通り、李蕩が303年に亡くなると、李雄は成漢皇帝に至ったという。
李蕩と李雄は同母兄弟なのに日本でいえば
織田信雄(三介)と織田信孝(三七)みたいな同格扱いなのかな
なお長男なのにほぼ空気の李始(伯起)・・・ 李氏の不倶戴天の敵である羅尚と李雄の母が同じ羅氏というのがなかなか面白いな
もしかして縁者だったりして >>724
豊臣秀吉は最も危険な徳川家康を始末しなかったのが命取りで案の定、死後に天下を奪われ豊臣家は滅ぼされる破目となった。
朱元璋も死後に靖難の変で孫の建文帝が帝位を奪われたが、その帝位を奪った永楽帝は息子だったので朱家の天下が続いたという点ではマシと言えるだろう。 大地震の被害が凄まじく、徳川への対応が武力征伐→和睦へ方針転換せざるを得なかった
あと秀次があのまま豊臣家を継いでいれば家康が付け入る隙もなかったかもね >>730
そもそも豊臣秀長が早逝しなければ豊臣秀次の処刑も唐入りも無かったかも知れないから、やすやすと徳川家康に天下を奪われる事もなかったろう。
そう考えると豊臣秀長の早すぎる死は朱元璋にとっての皇太子・朱標の早逝と同じような意味があったのだろう。 朱標と馬皇后が長生きで朱元璋没後も健在だったら後世の朱元璋評価も大分違っていただろうな。
唐太宗や康煕帝と並び称されたかもな。 燕賊も本来望んでた「北の蛮族への防人」って立場で生涯を終えてたろうしな >>730
秀次程度じゃ家康にいいようにやられる
石弘が石虎に敵わないのと同じ 漢族は基本的に長子相続だけど、故族は必ずしもそうではないね >>736
遊牧民族は成長した順に独立して親元を巣立っていくので、
そうなると最後まで親元にいた末子が相続する事になる。 財産分与的な相続でいえば末子相続になるけど
家督的な相続は必ずしもそうじゃないよな >>731
いや、秀吉はきっと処刑したよ
というか秀長自体も処刑したかもしれん >>737
慕容吐谷渾とか長男なのにどうみても慕容氏継げる人生ではないな
もし慕容吐谷渾が慕容氏継いでたら >>739
それに比べると朱元璋は甥の朱文正(長兄の子)は過失あって免官したが軟禁しただけで殺さず、その子の朱守謙は赦されて靖江王に封じられ子孫が代々受け継ぎ明末から南明にまで至るが、
これは唯一の朱元璋の子孫以外の藩王である。
また李文忠(長姉の子)は開国の功臣として曹国公に封じられ、その子の李景隆が受け継ぐが靖難の変で建文帝について燕王(後の永楽帝)に損害を与えたことで除爵され、その子孫が
複爵することも無かった。
劉邦も即位後も生きていた次兄の劉喜は死刑にされてもおかしくないところを降格するだけで済まして子の劉濞は後に呉王に封じたし、早逝した長兄手・劉伯の子の劉信も母(劉邦の兄嫁)
気に入らなくても後に羹颉侯に封じたように中華の庶民出身の開国の皇帝は日本の権力者と違って肉親の処刑はほとんどしない傾向がるようだ。 劉備も劉封を処刑にしたが、秀吉と秀次の関係と違って血の繋がりの無い養子だし
殺すのは劉封だけに留めて劉封の息子は生かしてたな >>742
劉封はあくまで関羽のド低能失策を叱責しないための生贄だから、権力争いや家督相続の意味合いはそこまで強くない
そのぶん生贄としての効力も弱いから取り返しの付かない負け戦をやらかす羽目になったわけだが 拓跋珪は40前で殺されたのか
人生濃すぎだろこの人 北魏の皇帝はみんな暗殺か30代前半までか
韓国の大統領…とは方向性が違うけど幸せとは思えない
それと皇帝の皇弟たちもみんな曰く付きばっかりだな 40超えたのが高歓だけという呪われた一族、北斉高氏
爾朱栄とかあの濃さなのに40前で誅されてるってマジか >>744-746
騎馬民族は馬より少し長い寿命しか持ってないかもな
それなら馬並みのイチモツと馬ぐらいの早熟な生殖能力あればいいのだが
残念ながら持っていないのは哀れ 東晋皇帝も50代に達したのは簡文帝のみ
というか皇族として52歳まで永らえたのに皇帝に即位させられた途端1年保たずにに崩御という 創作で悲劇のプリンスはいい性格に書かれたりするけど実際は拓跋珪や赫連勃勃みたいに歪むよな >>750
報復のミームに呑まれるからな
悲劇を悲劇で塗りつぶすというのが定番
それを仇討ちとか仕返しで美談にできるくらい功績挙げられるかが分岐点になる >>747>>749
蒙古も国号を元とする前の汗達は生年が不明の初代の成吉思汗と三代の貴由汗以外は全て50歳以上生きているが、国号を元としてからの皇帝達は初代の世祖と最後の順帝以外で50歳以上生きた者はいない。 始皇帝が50歳以上生きてない濃い人生だったおかげで
後の皇帝も長寿とは相反する生き様がデフォ
菩薩皇帝とか皇帝界では異端児で皇帝破門級 その人幽閉されて殺されたようなもんだからそれなければ100歳近くまで生きてそう 名前に艾か乂のつく人って気の毒な目にあってるのが多い気がする 名前に艾か乂のつく人って気の毒な目にあってるのが多い気がする >>753
じゃ在位48年で
尚且つその大半が職務放棄な万暦帝は? >>757
万暦帝「朕は祖父(嘉靖帝)に倣っただけじゃ」 >>758
嘉靖帝と万歴帝はスタンス全然違うのよな
前者はセンスないのに皇帝として振る舞おうとして国を空回りさせる曹丕や司馬熾スタイル
後者はスタート地点で油売るのに満足して国を廃れさせる北斉スタイル
甲乙つけがたい酷さ 北宋の鉄宗や明の崇禎帝は空回りタイプかな
この二人はもうとっくに取り返しのつかない国を何とか盛り返そうとする努力はしてるからかわいそうというか気の毒 >>760
で成功したのがエリザベス2世か
逆に君臨して統治して最後は国が傾いたのがルイ14世か
どちらも昭和天皇よりも長い在位期間 >>761
欽宗やぞ。あれは親父(徽宗)がぶん投げて江南に逃亡で政権押し付けられたとか言う悲惨すぎる例やんけ(結局連れ戻された)
親父の無責任ムーヴさえなければ江南で再起した時に担ぎ上げられたのは欽宗だったろうし >>763
南宋成立後に南宋から帰国を拒否されてるからより悲惨よな
晋の愍帝は1年ほどで殺されたけど、殺されなければ生きている間元帝は即位出来なかった? かもな。
後の話だけど返品されてきた英宗(天順帝)が景泰帝を追い落とした例もあるし >>764
似たような立場だった煬帝は
連れ戻されることも再起することも出来なかったという >>767
それで漢帝国復興どころか後漢存続派からも人望失ったから、荊州人を引き留めるため夷陵やらかしたっていうのが何とも皮肉
あの時は五胡入り前より皇帝の神通力と権威が強かったぶん露骨に影響が出た >>767
あれは献帝が殺されたという情報が伝わったので、それならと即位したのだったな。
後に献帝が殺されていない事が分かったが今さら退位する訳にもいかなく、そのまま皇帝にい続けた筈。 >>770
一度天子を名乗ったら後に引けなくなる、という通例がある(慕容部や冉閔)
胡亥が降伏と退位して天寿を全うできたなら話は変わっていただろうが、惨めな末路であったせいで是が非でも地位を捨てられない
敗戦以外の退位でマシな扱いされた皇帝は後漢恵帝、魏元帝、西晋恵帝、唐武帝くらいしかいないという闇の深さよ 後漢献帝に訂正
こう見直してみると、やはり溺れている犬に石を投げる民族性であるのを感じさせるな >>773
ID変わってるかもだが、そのとおり
半ば簒奪されたとはいえ隋文帝よりは随分ましな余生を送ってると言える 頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた
征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん >>765
負けて捕虜になった英宗の方がその後マシな人生歩むて
勝ったエセン・ハーンの方が不幸な末路を辿るのが皮肉だな >>775
足利尊氏は征夷大将軍としては武闘派だが
蝦夷と戦ってないので坂上田村麻呂より下
中華に征夷大将軍が有ったら
一番相応しいのは高句麗ボコった慕容翰辺りかね >>776
EU4的に土木の変は最強イベントだけど、あっちは遊牧民がガチ結束するくせに中華はすぐミンチになる仕様なのが悲しかった 英傑でも英明でもない朱祁鎮が英宗とは
まぁ諡号や廟号などおかしな皇帝を時々見かけるのは
この時代に限らず五胡十六国南北朝時代含めてデフォ >>780
煬帝なんて
いちばん有名な楊広と
↑に付けられた陳叔宝と
あまり関係ない拓跋?那ぐらいか というか皇帝自身が諡号や廟号を選べないってのもな
日の本じゃ白河とか後醍醐とかが自分で決めちゃってるし >>782
煬帝が真っ先に「なんつー不孝な制度だよ、これ」と言うのも無理はないが
元々は物質主義へのブレーキとして他人に評価させる制度であるというのを考えると、何故あるか分かると思う
この他人に評価させる制度を息子に適用したのが太子密建だから >>779
殉死の制度の廃止は靖難の変の際わずか2歳で捕らわれて以降、実に50年以上も幽閉されていた建文帝の次男の朱文圭を解放し皇籍に復帰させたのと並ぶ英宗の数少ない功績。
ただ英宗は自分の死後の殉死は廃止したが土木の変でオイラートに捕虜になった自分を太上皇にして即位した弟の景泰帝を憎むあまり、奪門の変で景泰帝から帝位を奪って復位すると間もなく死んだ景泰帝の唐貴妃を殉死させている(これが明での最後の殉死)ので、やはりロクでもない皇帝に変わりはない。 日本だと将軍は殺されても
天皇は幽閉されたり島流しに遭う程度で殺されるケースはなかったけど
中国じゃ皇帝でも臣下・宦官・外戚によってホイホイ殺されまくりで命が軽過ぎる 日本だと地方に有力な大名がたくさんいるから天皇を殺そうものなら全国から袋叩きにされるだけだが
中国は専制君主制で朝廷が政治も軍事も全て握ってるから中央がやりたい放題できる
この違いかな >>787
中国は権威と権力の分離ができない
権力を失ったら権威も失って価値がなくなるから、生き残ることが困難
始皇帝がその基礎を作った後、曹髦殺害で不可逆的になり、西晋滅亡で極まった感じ
皇帝本人が専制するかスケープゴートにされる体制に二分された >>788
>中国は権威と権力の分離ができない
シューキンペーの今でもそうだな
独裁体制以外で中国を統治する方法は無いって誰か言ってたわ >>792
中国に限らず、大体の国がそうなのよ
表向き権威しかなさそうに見えても、裏で権力筋に根回しさせるパワーは持ち合わせてる
それを民衆が容認するか認知しない場合でしか上手くいかない 北宋あたりからやろ
この時代はまだそんなに女性への縛りはそんなにキツくない >>794
南斉の潘玉児から始まったという説もあるが一般的には五代十国の南唐から始まったというのが有力。 纏足の理想的な大きさは三寸(三寸金蓮)
チョンのチ〇コ勃起時平均三寸(9cm)と同じや >>796
同じ五代十国の南漢じゃ
男の1割が宦官という異常事態だったしな >>799
そもそも尺貫法という呼び方は厳密には日本だけ。
中国では尺斤法という呼び方をする。 >>798
劉氏の漢名乗る泡沫政権(西漢東漢除く)の中で
最も長く存続したのが変態宦官国家の南漢という・・・ >>801
イカレポンチ劉eの即位までは、負け組の寄り合い所帯って感じで結束力あったからな
軍事力が低くても下手にヘイトまき散らさないから攻撃対象にならない、というのも追い風になった
なお宦官だらけにしてからはマッハで滅んわけだが >>801
劉淵涙目
劉曜が勝手に趙に変えたから15年(趙時代含めると25年)しか続かなかった泡沫政権
こんなのに滅ぼされた西晋カッコ悪い >>788
世界で唯一Emperor(皇帝=天皇)が残ったのが日本だけなのもそれが理由だよね 欧州でも王侯貴族は血筋が良いだけじゃなくて金や権力も持ってないと
民衆から権威として見なされない
血筋が良いだけで貴種として尊ばれた日本の皇室や公家との違い >>801
・劉氏漢
【正統王朝】
214年(前206年〜8年) 西漢(前漢) (劉邦、14代)
195年(25年〜220年) 東漢(後漢) (劉秀、14代)
【泡沫王朝】
2年(23年〜25年) 漢(玄漢) (劉玄、1代)
42年(221年〜263年) 季漢(蜀漢) (劉備、2代)
25年(304年〜329年) 漢趙(前趙) (劉淵、6代)
62年(909年〜971年) 南漢 (劉陰、5代)
3年(947年〜950年) 後漢 (劉知遠、2代)
28年(951年〜979年) 北漢 (劉崇、4代)
1年(1465年〜1466年) 漢 (劉通、1代)
・劉氏以外漢
【泡沫王朝】
33年(304年〜347年) 成漢(大成) (李雄、5代)
1年(551年〜552年) 漢(侯漢) (侯景、1代)
1年(784年〜784年) 漢(朱漢) (朱、1代)
4年(1360年〜1364年) 漢(陳漢)(陳友諒、2代)
基本的に漢は泡沫政権ばかりで糞
劉裕や劉勃勃が漢名乗らなかったのはある意味正しい 1年が3つもあるの草
ちょっと前の日本の総理かよ(あと前の英国首相)
こんなかじゃ蜀漢もまだ長期政権レベルよな 唐(後唐)とか明(南明)とかでも泡沫政権あるからな…
隋はそれ自体が泡沫政権
戦国七雄で韓は以降の政権で最も人気無いのか韓名乗る泡沫政権無いが
半島で韓の国号パクられて中華の泡沫政権よりも酷い扱いに… 地方に割拠とかの弱小国家とか
統一国家でも短期政権だと泡沫の感が 隋(随)唐は春秋時代に楚に踏みつぶされた雑魚諸侯のイメージが強い >>808
割合ていうなら元がダンチになる
二回しかないけど一回目は世界帝国、二回目は清が禅譲を賜った正統王朝
一回目の華北席巻を泡沫と見なさないなら次点は(後金を清としてカウントした場合) >>812
息とか蔡とか徐とか黄とか六とかと同じだもんな隋も唐も
まぁこのスレの住民よりも中華の知識無さそうな五胡なら気にしなさそう 隋唐がそういう不可解挙動を起こしてるのは
良くも悪くも北周で漢文化の取捨選択がなされたからだろうな
鮮卑にとって必要な部分は八柱国などとして取り込み、不要なものは捨てて鮮卑帰りをしたから
いざ漢民族ぶろうとした時に振る舞い方がぎこちなくなってる
むしろ漢民族に調教された劉淵や禅譲の研究した石虎のが漢的な振る舞いができるように感じる 劉淵の場合出自が南匈奴なだけでどう見ても漢人エリート士大夫ヤンケ >>816
劉淵は反乱しなければ金日磾と比べられてもおかしくない
恵帝でなければ金姓与えてもおかしくない 劉淵は十代の頃に劉禅の隣で酒飲んでた頃が幸せだったかもな・・・(遠い目) 昭さんが呉の使者と宴会やってる時に阿斗ちゃんとヤング劉淵が一緒に酒飲んでるとか言う凄すぎる絵面
この時点では劉淵本人は士大夫として栄達する事を夢見てたんやろな >>819
八王の乱経験すれば士大夫として栄達とかいう夢砕かれるのはわかる
もし劉淵が竹林の七賢になってたらのIFも面白い 劉禅「ここは楽しく、蜀を思い出すことはありません」
劉淵(何言ってんだこのアホ…)
数十年後の劉淵「懐帝の言ってた事はある意味正しかったなぁ…」 >>821
劉聡と劉曜がドラッグ(五石散や寒石散など)をキメてオーバードーズで早死しそう 五石散や寒石散などのドラッグの危険性は
無縁な五胡でも中華支配して皇帝になると
中華に毒されて病みつき中毒になってしまう処 そう言えば宇文泰って姜維を王に祀った見たいだけどなんか接点あったっけ?
考えられるとしたら梁から蜀地方平らげた時に
姜維の話聞いて感銘受けたとかだろうけど 宇文泰が姜維大好きなのは
石勒が劉邦大好きなのと同じくらい接点ないぞ >>806
1年(622年〜623年) 漢東 (劉黒闥、1代)
という泡沫王朝もある >>825
姜維自体が異民族系であったとするなら、漢文化の否定に使えると踏んだ可能性はある
不要な漢文化を捨てて国家を束ねるため、宇文泰は使えるものを総動員してる
まあ異民族系なのは某クラスタが姜維の異民族使いが巧いことから唱えてる説だが >>820
別伝だと兵出してる記述あるし内心はともかく救う姿勢は見せてたんじゃ
劉淵さん出自はともかく育ちは士大夫だから故主(成都王)を見捨てる事の不利益は理解してる >>826
石勒の不良皇帝好きは歴史書の執筆者が無理くり重ねてるイメージ
でも、ぶっちゃけ不良皇帝って五胡の群雄でも中々みないキチガイムーヴばっかだよね。
・竹か布に「一万銭」って書いて祝儀の代わりにする
・儒者の冠に小便をかける
・敵対勢力に追われてビビって子供を馬車から捨てる
・重臣の前で愛妾とファック
・降将(黥布)の前で愛妾に足を洗わせてあまりの無礼ぶりに絶望して自殺未遂に追い込む
ダークヒーローっぽい描かれ方してる我らが冒頓単于と比較するとマジでチンピラのオッサン >>830
そりゃ良くも悪くもカラッポで周囲の奴が器として利用した結果成功しただけだからな…
プロトタイプ司馬倫
担ぐ奴と敵対者の質の差が明暗を分けた 項羽と対峙するという
いちばん肝心で誰もやりたがらない仕事を自分でやってるんだから
司馬倫と比べるのは流石に失礼だろう 劉邦=天然
司馬倫=池沼
これぐらいの差はあると思われ 担ぎ上げられた劉邦こそ「狡兎死して走狗煮らる」を恐れていたから晩年ああなった気がする >>835
それは劉邦ではなく朱元璋
前者は最初から893の親玉やってたから舎弟は従順だったが、後者は拾われた後の内部昇格+裏切りだから兄貴分を始末するのに終始した 朱元璋の子孫って今でもいるの?
清によって明の皇室は皆殺し
唯一の生き残りである朱慈煥とその一族も康熙帝によって一人残らず殺された >>840
最も有名なのは国務院総理(日本の首相に相当)まで務めた朱鎔基で朱元璋の第18男・朱べん(木偏に便)の子孫で朱元璋からは19世紀の孫に当たる。
ちなみに朱元璋は息子達に五行思想に基づいて
木偏の名前を付け、その後も木火土金水の字が付く名前を順に子孫に付けるようにしたので前記の朱鎔基は土偏の名前で、その父の朱寛しゅ(サンズイに樹の木偏を抜いた字)は水編の名前で、その子は朱燕来と烈火(炎の省略形で灬)の付く名前である。 いくら敵でも祭祀絶やすのは後味悪いが
その中で祭祀絶やされた漢劉氏や趙石氏はどんだけ 母系とか女系は結構残るんだよな
司馬氏も劉裕の粛清からしぶとく逃れて北周では皇后まで出しとる
前も指摘したけど女系母系から見ると別の顔が見えるって点ではヨーロッパの王家や日本の東北大名みたいな感じ >>844
Y染色体(つまり男)の繋がりが重要なのは万国共通であり、女系はそこまで気にされない
黄禍論での遺伝子分布も男がやり玉に挙がってるし
大航海時代での有色人種の扱いの差からも窺い知れるだろう
女系で辿るっていうのは、原初の人類を探るようになった20世紀から隆盛した
それまでは「逆玉や箔付け(とどのつまり外戚)」を説明するための意味合いが強い >>842
清もラストエンペラー溥儀には子供ができなかったので嫡流は断絶している。 一方でラストエンペラー溥儀の弟溥傑(不潔ではない)は
日本人と結婚して娘2人
長女は天城山心中したけど次女は存命で日本在住
溥傑の孫5人ぐらい居たような >>847
溥傑の妻の嵯峨浩の自叙伝『流転の王妃』のテレビドラマで主演した常盤貴子は高校の同級生に溥傑の孫(次女の息子)がいて当時(1988年)ヒットした映画『ラストエンペラー』が、その同級生の大叔父(祖父の兄)を描いたものと知って色々と質問したが答えてくれなかったが後に (>>848の続き)
後に『流転の王妃』を読んで溥傑の孫である同級生の複雑な事情を知って高校時代に答えられなかった理由を分かったそうだ。 宣統帝の末弟(?)溥任氏が数年前まで存命で紫禁城で書を書いてた。
氏は人民共和国で愛新覚羅一族の長的な立場だったと聞いたが真偽の程は如何に? 秦は族滅
漢は劉備の子孫が残ってる(他の劉氏は永嘉の乱で・・・)
晋と隋も一応残ってる
唐は自称末裔が多過ぎて何がなんやらって感じ
宋は北宋の皇族は男は海陵王によって滅殺、女は靖康の変で洗衣院へ。南宋の皇族は元より手厚く保護
明も一応いる 雍正帝
「本朝が満州の出であるのは、中国人に原籍があるようなものだ。
舜は東夷の人だったし、文王は西夷の人だったが、その聖徳は何ら損なわれてはいない」
「徳のあるものだけが天下の君になれるのだ」
明の復活を唱える思想家
「ぐぬぬぬ・・・」 >>850
溥儀と溥傑の末弟の溥任は日本の傀儡の満洲国に批判的で距離を置いていた父の載ほう(サンズイに豐)に従い兄達と違い満洲国に関わらなかったので、日本の敗戦後に漢奸として扱われず中華民国や中華人民共和国でも丁重に遇された。
兄の溥儀と溥傑には男子がいなかったので二人の死後は愛新覚羅一族の家長となり、2015年に96歳で死んだ後は息子の毓嶂が家長を継いでいる。 アリウス派のゲルマン諸国は全て滅び、
アタナシウス派を受け入れたフランク王国のみが生き残り現在のフランス・ドイツに繋がる
五胡十六国で最も漢化政策を推進した北魏がもっとも国力を高め華北を統一
郷に入れば郷に従えで特に少数の支配民族が大多数の被支配民族を統治するには
やはりそこの文化を受け入れて用いていくほかない 匈奴系劉氏は劉禹錫、河南元氏(拓跋から)は元好問が有名
後世になっても北方民族的感性の詩を作っているな
今でも匈奴系の劉氏、拓跋氏からの元氏というのは認識されてるのだろうか 隋唐なんて母系は匈奴系ヤンケ
3代続けて皇后出した独孤信さんもご先祖様は劉氏を名乗ってたんやで 漢と匈奴はバチバチだけど、
ローマとゲルマンは衝突も多かったが全てそうでもなく、
帝政初期から下級兵士や農民として帝国内へ移住するゲルマン人も多かったし、
帝国と同盟を結んだ親ローマの部族もいたりした。 >>859
漢と匈奴も完全バチバチではない
ローマとゲルマンと同じで衝突も多かったが全てそうでもない >>851
漢は劉備の子孫に限らず
劉邦の子孫だけでも数多
東漢末で劉姓数万人で現在数千万人
永嘉の乱で漢の祭祀絶えただけで
どうみても族滅には程遠い 前漢の宣帝のあたりから匈奴と和睦して匈奴の子弟が人質として漢の宮廷に入朝してたりすんだよな
人質つっても劉淵同様に将来の匈奴のリーダー候補である以上最高レベルの教育(当然漢文化の)が与えられてたろうけど 匈奴と小競り合いはあってもガチでやり合ってたの武帝だけのような気もする >>861
光武帝が前漢皇族を冷遇しまくって、族滅の価値がない地位まで貶めたのが効いてるな
後漢が無様な最期になった後も前漢皇族の血が続いていったのは因果応報だろうか >>864
因果応報と言えば北宋では冷遇されていた太祖の子孫が靖康の変で徽宗・欽宗ら、趙構(後の高宗)を除く太宗の子孫が尽く金に連行されたせいで南宋で復権したのも因縁を感じるな。 >>868
あの人口削減の誓いであるジョージアガイドストーンですらひよってるからな<漢族撲滅
インドといい人海戦術できる国というのは生存面で強い 冉閔、靳準と何考えてるかわからない奴が出てくるの怖い
靳準とか晋に天を返すと言い出した時自分でもわけわからなくなってそう 日本もそうだけど古代とか中世の人間のメンタリティって今の時代と一緒にしたらアカン
まず感情とかメンツの存在を抜きにしては語れん >>870
漢民族じゃないと皇帝になれない、という前例の重さに屈した
冒頓単于の劉姓化をブチ上げて漢の継承ロジックを作れた劉淵と違い、漢化したもののバックのいない異民族なんてそんなもんよ
石勒すらも天王は名乗れたが、漢以降は漢民族のものだった皇帝の位は末期になるまで名乗らなかった >>867
あれだけ大躍進政策やら文化大革命で大量の死者が出たのに中華人民共和国の人口は毛沢東の治下で倍増して10億人を越えたからな。 >>870
靳準は何となくわかる
匈奴のエリート屠各種だから西晋宮廷内で教育を受けたはず
後漢から曹魏、そして西晋と禅譲で受け渡された位こそが正統で
匈奴系劉氏の地位は正統にあらず、ってことじゃないかなあ 冉閔も胡殺令なんて出しながら部下に大単于名乗らせたりとかわけわかめ 冉閔はシンプルに無学なんだと思う
テメェら異民族が皇帝名乗ってるくせに漢民族である俺様が皇帝名乗っちゃいけんのか!?って
仮にも漢文化の研究が進んでた後趙の教育受けたとは思えないくらいの糞回答 >>876
今や10億総冉閔、
いや全世界に対して華夷思想を剥き出しにしてる分
冉閔すらマシなほど酷くなってるがな 現代ネタ無理に絡めてくんのよそでやってくれないッスかね 冴えないイメージはないけどなw
兄に比べてルックスは悪かったようだけど優秀でドSで酒好きの高家の血をしっかり受け継いでると思う 兄貴は(高澄)はどう言う感じのイケメンだったんスかね
息子の蘭ちゃん(高長恭)は男性アイドルっぽい感じのイケメンなんだろうけど、兄貴も似たような感じだったんスかね >>881
ゴクミ(アレジ)の娘とか石川秀美(薬丸)の娘とか
親子のどちらか美形でももう一方が美形とは限らない
史書に二代続けて美形と書かれている例は限りなく少ない >>881
綺麗なバラには刺がある、タイプだったらしいけど
ちょいと年齢高め設定になっちゃうけど、西沢利明さんってイメージだなあ >>883
一応高澄パッパは「姿美容」(北史)息子の高長恭は「優美で美しい容姿」って書かれとるからまあガチの2代イケメンなんじゃね つべに安州牧の風雲南北朝シリーズがある
画風が斬新であんまり日本には見ないタイプ
その中での高歓がクールすぎる
おれは高歓って四角で野卑な顔のイメージだったんだが 同母兄弟なのに容姿でここまで差があるように言われるとはな
高洋は性格が根暗だったのかな 兄貴(高澄)は「北史」でも「北斉書」でもコミュ力高めの描写あるけど弟(高洋)はそんな描写皆無やから
頭の回転の速さは兄貴に負けず劣らずで戦上手なのは親父譲りで独特の直感力とかもあるんだろうけど 殆どの人は高洋の何たるかを知らなくても
「快刀乱麻を断つ」は誰でも知っている
彼だって現代の文化に陰ながら貢献してるんだ あれ親父(高歓)はどんな心境だったんやろ
「こいつ設問の意味わかつてねぇ……」と呆れてたんかね >>888
織田信忠と織田信雄も同母兄弟なのに
容姿含めて雲泥の扱い >>890
アレクサンドロス大王「わしの”ゴルディアスの結び目”をパクりおって、けしからん奴よ」 あと気になってんのは慕容沖と姉の清河公主の容姿やな
清河公主は「有殊色」
沖は「龍陽之姿」って描写だけどこれだけじゃわからんわ。 内蒙古でペスト発生か
店は「中国人入店禁止」の張り紙を付けといた方がいいぞ
元から中国人観光客の金目当ての店は知らんけど かいとう-らんま【快刀乱麻】
こじれた物事を非常にあざやかに処理し解決すること。鋭利な刃物で、もつれた麻糸を断ち切るように物事を処理する意から。「快刀、乱麻を断たつ」の略
言うほど元になった出来事は鮮やかに解決してるのだろうか???そもそも解決で良いのか?コレw 親父(高歓)からしたら「物事が上手く行かなくても粘り強く取り組めば解決する」って教訓のつもりで課題出したのに文宣帝は光り物出してぶった切るとか課題の意味理解してないッス 高洋て情緒不安定だしアスペ感あるよな
それで優秀なのは間違いからたちが悪い >>899
親の心子知らず
しかしこの時代は特に子育て失敗の例数多なので
高歓の子育て失敗は不幸だったと思うが努力は讃えたい >>899
一家で逃走中にまだ幼く足手まといだった高澄を射殺して捨て去ろうとした高歓にとっては快刀乱麻の方が正解だったのでは… 名君の子どもが暗君だったことは多いけど
暗君の子どもが名君だったことは少ないな
ケースとしては松平信忠と松平清康の父子くらいか 菩薩皇帝や玄宗のように
一代で名君から暗君に堕ちたのは幾らかいるけど
逆に一代で暗君から名君へと覚醒したのは
流石にいないだろうな >>906
前漢宣帝は最初かなり暗君的な行動してるけど、全部うまくいったから最終評価は名君ってパターンじゃないかね
覚醒後のやらかしの責任を元帝が取らされて暗君扱いになったのを見るに、覚醒で名君とは言い難いかもだけど 下馬評は芳しくなかったが、いざ君主になったら成果を上げたという例は? >>908
荘王は三年程度の雌伏だけど北周武帝の12年鳴かず飛ばずは凄いわ。 >>909
16歳で即位し竇太后の操り人形呼ばわりされていた前漢の武帝と、靖難の変で甥の建文帝から帝位を奪い方孝孺から燕賊呼ばわりされた明の永楽帝。 >>912
永楽帝の息子で廃されそうになったりあまり愛されてなかった洪熙帝もそうかもしれない
治世短すぎるけど 北周の武帝と言えば後梁の明帝とは社交辞令の延長だったのか本当に友情感じてたのかどうなんだろ
後、後梁の勢力小さすぎて笑ったw皇帝名乗った国では一番国土小さいんじゃ
とは言え陳に対しては凄い効果はあったみたいだけど >>912
両者とも成果は上がってるな…どこぞの邪悪軟銀や四番打線並の焼き畑だけど
下馬評は軍部、貴族、皇族、外戚、民などで千差万別だから、全員が低評価下すってこと自体が(どうしよもない末期の君主を除き)発生しないような気もしてきた 高歓の息子たちははそれぞれ気性に問題ありなのが多いけど宇文泰の息子たちは気性も良く比較的優秀だな
ただ宇文直という宇文憲を追い落とそうとしきりに讒言していた屑がいるけど 宇文泰は晏嬰みたいな質素な生活してたみたいだしその影響を子供たちも受けてるんじゃ
なお、孫の天元皇帝 中国史上最低の暗君は誰?
後漢の霊帝?西晋の恵帝?南斉の東昏侯?北周の宣帝?北宋の徽宗?金の海陵王?明の万暦帝? >>893
晋恵帝「わしの”何不食肉糜”をパクりおって、けしからん奴よ」
これはフランス宛て >>919
ベースの北魏が漢化の過程で道教とヤクにのめり込んでるから、引き継いでてもおかしくない
それに対して北周は鮮卑至上主義で一回土台をひっくり返してるのも対称的 >>920
葉限「フランスには私の真似事したシンデレラという、けしからん小娘がいるそうよ」 李克用「伊達政宗とかダース・ベイダーとかギルガザムネとか(ry」 北周になっても武帝の遺骨調べたら丹薬キメてたっぽいって話が >>923
トップガンダー(超人機メタルダー)「俺も独眼竜」 北周の宣帝ってホントに病死なのかね
遊びにかまけて不摂生が原因とか聞くけど楊堅が裏で暗躍してそうなんだが >>924
まさか武帝の息子へのモラハラも丹薬のせいで精神が不安定になってたとか >>926
楊堅からしたらバカ殿担いでる方が権力維持としては楽なんじゃね
まあ楊堅が参内したその日に死んだとか怪しすぎるけど 武帝は諡号に似合わず病弱なんだよな
北斉への攻撃の時もそうだけど何度も病気で倒れて親征を取り止めていて最後は早死 仙丹を服用し過ぎて死亡は北魏に限らず唐や明の皇帝もやらかしてる >>895
「この店の食材は全て福島県産を使用しています」
これで中国人の来店を防げる 中国人とムスリムは世界中どこ行っても郷には従わず
自分たちのルールを外国でも押し通そうとするとこがあるね >>937
当時は不老長寿って信じられとったからな
武帝なんて身体弱くてその事で諸将からも軽く見られてた節があるから尚の事ムキになって丹薬に頼ったんじゃ
まあ毒殺の隠語説も否定できんけどなグヘヘヘ ひょっとして武帝は自分が長生き出来ないのをどこかで悟ってたから跡目の宣帝にはより厳しくしつけようとしたのかね 武帝も死んだの36歳だからなぁ
天元皇帝って16ぐらいの時に作ったんだし20歳程度しか歳の離れてない親子だとどう接していいかわからんかったんじゃ
まあそのために傅役がおるんやけどなグヘヘヘへ >>918
これは中国人にアンケート取って集計してみたいな
しかし今やると福島原発処理水放出の件でチュン発狂中なので
イギリス史上最低の暗君は簡単でジョン王でFAなんだがな
好感度全てライオンハート兄貴に取られてしまってるので >>918
これは中国人にアンケート取って集計してみたいな
しかし今やると福島原発処理水放出の件でチュン発狂中なので
イギリス史上最低の暗君は簡単でジョン王でFAなんだがな
好感度全てライオンハート兄貴に取られてしまってるので カースト制度はヒンドゥー教徒内の階級だけど、インド国内のイスラム教徒はどういう扱いなんやろ? カースト外で外国人みたいな扱い? アッラーの前ではみな平等という思想だし相容れないでしょ? >>944
カースト制度なんか存在しない
ヴァルナ(血統)制度とジャーティ職能)制度を悪魔化して捏造した糞論理
実際カーストにあたる言葉はインドにはなく、元はポルトガル語 ヒンドゥー内でのヒンドゥー教徒以外は全て「異教徒」という人外。
アウトカーストな穢れた存在、なんだが
現実はムガール帝国やムスリムのマハラジャや
イギリス支配層という都合上、遠慮する相手と考えられていた。
そのためヒンドゥーカースト内での差別が激しかった
非差別カースト民族はムスリムマハラジャやイギリス人に従って
イスラム教やキリスト教に改宗して
マハラジャやイギリス人の庇護下に逃れていた。
ヒンドゥーの神の下の平等思想は少なからずイスラム教やキリスト教の
影響で確立したのだが、実際はヒンドゥーカースト内では
やはり異教徒はスードラ以下の穢れたアウトカーストと見なされる事が今なおある。
そのせいか、ヒンドゥー教徒以外の異教徒がヒンドゥー教に改宗すると
全員カーストはスードラとなる。 以上、アラブ首長国連邦との石油取引が「ドルではなくルピー」になり、覇権崩壊にガクブルのジョンブルによる罵詈雑言でした…っと >>948
配慮のない専制君主のお決まりのパターン(内外に敵を作りすぎて擁護されない )でありながら、瓜歩以降は成功とは言いがたい状況だったからな
忖度で隠蔽やフォローしてもらない悪行(仏教弾圧+崔浩族滅+宗愛)が評価面で足を引っ張るのは仕方ないこと
根っからの悪役とか戦犯として描かれないくらいの成果を上げていたのは救いといえる 国史事件は最初は崔浩に乗り気だったけど鮮卑の保守派の反発が強すぎて崔浩に全部押し付けたんだろうな
石版に刻む草稿にまったく目を通してないとか考えにくいし 北魏はわりと長期政権なのに最初から最後まで皇帝が短命か弑殺される割合が高い 畳の上で死んだの6人しかおらんからな
宣武帝以降は自殺一人除くとあとは弑殺 >>952
道武帝〜太武帝の間に目ぼしい内外の敵対勢力を潰しまくって安置になった成果
新たに内廷が裏切らない限り、国を脅かすことは発生しなかったし、南朝なんて単なる正統性のための示威に成り下がってていた
例えトップがすげ替えられても、意思統一が図られていたから収拾もどうにかなった
ゆえにイデオロギーの根幹に絡む大規模な身内の裏切りの結果である六鎮の乱で、見るも無惨にボロクソになったと
しかも皇帝側から身内を裏切ったのが致命的
そりゃ事態収拾後も分裂するわ というか
武則天以前に女帝即位直前になってしまったよな >>953
北魏の時代は既に上流階級では牀(ベッド)が普及していた筈だが、そもそも中国には畳がないので畳の上で死んだ皇帝はいないか。
だから日本の”畳の上の水練”という諺は中国では”紙上談兵”という表現になる。 結論としては宦官も外戚も道具にすぎない、これを使いこなすことが名君、そして長命王朝への道ということだな >>957
>結論としては宦官も外戚も道具にすぎない、これを使いこなすことが名君、そして長命王朝への道ということだな
道具であると悟らせず、天を動かせると驕らせない
使いこなす上でこの絶妙なバランスが非常に重要であり、失敗したら皇帝が過労で倒れたり弑逆される >>956
席疊加的數量與人的地位有關,地位越高疊加之席越多,《禮記》載周天子之席五重,諸侯之席三重,大夫則為二重[3]。
周の頃は普通に畳有ったような
唐以降日本で畳文化栄えるのと反比例して中華で畳は絶滅したようだが 畳とは日本でも薄縁や呉座みたいな物で、今の形態になったのは室町時代。 やっぱり会話という概念自体
無駄だったとわかったな
問答無用に殺して壊して鏖しかないな >>961
物質主義の先が絶滅主義なのを端的に現しているな 皆さんの知恵を拝借したいです。時代は五胡十六国時代で劉宋付近だったと記憶しているのですが、ものすごく珍名な方がいたはずです。確か田中太郎とか鈴木君みたいな姓名合わせて日本語でも通るみたいな。どうしても思い出せないので教えてくれるかたいませんでしょうか?多分劉宋所属で珍名ランキング一位みたいな方です。 日本人の姓名で通ると言われてぱっと思いつくのは北宮 純だけど劉宋じゃねえしなぁ 曹操が生まれなかった世界線の劉備っぽい劉裕、配下や同僚も癖のある奴多い >>967
個人の武力が劉備とは比較にならんだろ
それに、自分が使えてた主君2人に北伐したほうの4人と
皇帝殺し6人ってのも中国史上最多記録だろう >>968
頭脳はないだろ
結局のとこ貴族の筋書きどおりのこと(桓温超えの実績獲得からの禅譲)こなしただけ
ただし暴力による実現能力だけは圧倒的
ブレーンから全幅の信頼を獲得した冉閔て感じ 劉裕は長安奪還前後ぐらいから焦り過ぎて様子おかしい気がする
体調悪かったのかな 皆さん司馬道子や興男のこと教えてくれてありがとうございました。私が思い浮かべている珍名の人は、確か劉宋の前廃帝か後廃帝に絡んでたモブで黄巾賊でいうところの張曼成みたいな軽い事歴の人でした。多分文官で名家の出身ではありませんでした。五胡十六国近辺の暴君を調べてて出てきたので前廃帝とか蕭宝巻周囲の人でしょうか。 >>972
体調良ければ赫連勃勃と雌雄を決されただろうに
長安奪還から数年後には死んでるので
もう死兆星に見えていてもおかしくない 蕭道成も陳覇先も皇帝即位後3年前後で死んでるな
寒門軍人だから皇帝にゴールしたところで一気にガタが来るのかもしれない
その点、蕭衍はよかった で半世紀以上在位してガタが来て
宇宙大将軍とかいうクソザコに
簒奪かつ餓死という末路でも良かった? 表向きに神様なのに、貴族の言うことを聞かざるを得ず権益も侵せない雇われ支配人に甘んじて
矛盾に耐えかねた子々孫々が狂ったり暴走したあげく最後は族滅
っていう末路と比較したら、後梁なんて作って貰えるくらいの待遇を得られるほど地盤を固められたのは、よいという言葉で収まらないほどの格差としか言いようがない 歴史的な蕭道成の評価が低すぎだと思う
寒門だった蘭陵蕭氏を皇族にまで引き上げ、
南斉のサロンから蕭統などなどの文化の基盤を作った
蕭道成の奪権なくして文選なども生まれなかったはずで
成功した平清盛みたいなやつじゃない? 清盛も成功した部類だろ
でなければ公家の犬同然だった武士が
700年間も日の本の支配階級になってなかったろ >>978
蘭陵蕭氏だと表舞台は蕭道成だと思うが
潜在的影響力はもっと昔の蕭文寿(劉裕の継母)の方が大きいのでは
あれで蘭陵蕭氏は劉宋の遠戚扱いになってる
六朝時代に琅邪王氏がデカい顔してるのも
元は一族に孫呉の孫権の側室王夫人(孫晧の祖母)が居て
江南に少なからず影響力残してたからもある >>979
太政大臣は平氏の末裔の特等席、という前例を作り上げたのは大きい
源氏の特等席である幕府体制がシナの諸軍閥よりかなり強いから、影に隠れがちではあるけども
>>980
ぶっちゃけ南宋劉氏がイカレたから収拾付けるために使った近場の武官、の域を出ないからな>蕭道成
後々のサロン(これも後漢清流派からの伝統芸能)も近場だからこそ知恵を得られたわけだし、きっかけで遡ると蕭文寿に軍配が上がるのは納得する 王戎、王渾、王濬のトリオが滅呉で活躍してから
琅邪王氏が急にのさばった感があるのと似ているか
蘭陵蕭氏と蕭道成
琅邪王氏も三国のときからちらほら出てくるが両晋以降のような
デカい顔はしてないもんな
王姓の名が頻出=東晋南北朝のイメージが固定するくらい それ以前なら太原王氏がビッグネームだったけど、あくまで皇帝独裁と輔弼って伝統的な価値観を尊重してたから、損な役回りも多かった
琅邪王氏は責任を負わず横暴できる自由を知ってしまったせいで、権力を得た南北朝から本格化した感じ >>982
将軍にも太政大臣にもなった義満や家康は?! 平氏で太政大臣になったの清盛しかいないのに太政大臣は平氏の末裔の特等席ってどゆこと >>986
平氏が全員平の名字名乗ってると思ってるんか貴様 >>987
ルーツを確認した上で言ってますが何か? >>989
ごめんなさい平氏の末裔で太政大臣になった人教えてくださいお願いします 実際のところ義満秀吉徳川以外は藤原北家と村上源氏の公家しか清盛以降は太政大臣になってないけど平氏の末裔の特等席というのは本当にわからない 三職のうち太政大臣受けてた説をとるなら信長もそうかね? >>983
>王戎、王渾、王濬
琅邪王氏でないのが混じっとる
この勢いだと王猛も琅邪王氏扱いしそうな >>985
義満は幼少から既に将軍だったから、南北朝統一の功績として将軍以外の既存権力も全部カバーしに行った結果に思える
公儀の最高位と皇室の外戚の地位をゲットした後も、天皇の座(太上皇として)を求めてるし貪欲
それに対して家康は、将軍によらない公儀中心の統治を志した信長秀吉ルートを全否定して潰すために得た感じ
幕府以外の権力の必要性を求めて自滅した室町幕府も参考にしていそう このスレッドは1000を超えました。
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