五胡十六国南北朝を語るスレ18
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>899
雄略天皇は北魏馬鹿にできないくらい野蛮だろうが 選択肢というか、極東の島国が仕入れられる情報なんか限られてるでしょうよ 百済も北朝方にくら替えさせるとかどうにかしないと
大陸への道自体無くなりそうなんだが >>897
漢化せず統一する可能性があったのは後趙と燕
前者は中華と夷狄の垣根を無くして出自のしがらみを断つタイプで、後者は中華の奴隷化に長けていて慕容こそ至高というイデオロギー作るタイプ
どちらかというと前者の世界が見てみたかったが、前秦からだと後者になるのが残念 >>900
雄略天皇は南朝に朝貢してた癖に
やってる事は北朝の皇帝みたいだよな >>904
家族だろうが関係ねえ!邪魔者は焼き殺すぜ!な世紀末スタイルの君主だからな
「大悪天皇」とか呼ばれるのも納得ですわ >>904
まあ南朝の皇帝も劉宋以降は北朝に負けないくらいヤバいヤツ増えてくるけどな >>906
正直古今東西の王とか皇帝って基本的にヤベェ奴の割合が圧倒的に高くて、聖人とされてる奴は後世忖度が働いて暗黒面が削除されただけなんじゃないかって思えてくる >>903
一時的に平等化しても代を重ねるうちに中華文化に飲まれると思うがな
結局どこかで漢人に憧れる君主が出てくる >>904
>>905
ケータイ天皇のプロパガンダやぞ 蕭整┬蕭儁─蕭楽子─蕭承之┬蕭道生
│ └蕭道成○南斉…
└蕭鎋─蕭副子─蕭道賜─蕭順之┬蕭懿
└蕭衍○梁…
継体天皇は「五世孫」
疑惑の万世一系?皇統交代?はこんな感じだったのかいな
まさか南斉と梁の離れ具合を真似たなんてね
最近は完全な皇統交代説は否定的でやっぱり遠縁であったことは確からしいが 「五世孫」ぐらい離れているともう親戚という感じはしないが
陳陳の初代皇帝陳霸先と玄奘三蔵法師で有名な陳褘とはもっと離れているな
(陳霸先は陳太丘(陳寔)の十六世孫にあたり、「季方難為弟」で知られる陳ェの系統)
(陳褘も陳太丘(陳寔)の子孫だが陳ェとは別系統)
ちなみに陳褘は
曾祖父:陳欽
祖父:陳康
父:陳恵
兄:陳素
なので陳霸先よりも陳陳ぽい家系 継体天皇から確実に続いてるってだけで十分凄いと思うけど
いわゆる万世一系自体は無理があるわな 玄奘が陳室の縁戚とは知らなんだ。
まぁ劉備の自称漢室よりは信憑性有りそう。 >>914
劉備に関しては属尽と呼ばれる漢の皇帝の末裔だが宗室の資格を失った疎遠の親族だった説が有力になっている
そして『典略』の記述から光武帝の兄の系統である臨邑侯の庶流だという説も浮上している
もしも劉備が皇族を騙っているのなら漢の律によってとっくに極刑になっているはずだし
何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない 訂正
誤…自称漢室
正…自称中山靖王の後胤
後出しみたいで失礼。
言い訳ついでにいずれにせよ漢室を騙るには図々しい気がするが。 大耳のオッサンは推定年齢30前後で郡太守クラス(平原国の相)になってるんでそこらのモブ士大夫じゃないのは確か
五胡~南北朝と比較するとやはり後漢末って年功序列の秩序キッツイからモブ士大夫じゃ郡太守になるのすらキツイ 武廟六十四将に南北朝時代は多いけど五胡十六国時代は少ないよな大乱世なのに >>915
厳罰なのはそういうのがいるからだろうし
光武帝前も自称がいたし
違うって証明は難しいんじゃないかな
最悪事実がばれても自分はそう信じていたって言えるし
俺は天皇の子孫 高師直「天皇なんてそこらへんの木のフィギュアや石ころやR田中一郎でも置いておけば問題ないから自称天皇なんぞなんの価値もないわ」 >>918
北魏の奴とか五胡十六国時代だけどなんか地味なんだよな…トウ羌とかは入っててもいい気がする >>915
>何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない
何故かこの板には劉氏信仰みたいな傾向あるけど
ぶっちゃけ東漢末期には黄巾族や蛮族にも劉氏いるし
漢室といえるぐらい正統な血統が地方割拠するのに少し有利になった程度で
劉氏のアドバンテージが消えかかっている時代なので劉氏はあまり自慢にならない
劉備が漢中王になった途端反乱続きで不穏な中原が一気に易姓革命へ傾いて
中原の親劉備勢力が雲散霧消するぐらいの逆神的効果
このスレ出入りしていれば五胡十六国時代なんて劉氏がゴミ未満の存在なのが分かるはずなのに
劉裕も劉交の子孫名乗ってみたものの何の箔もつかなかった >>917
劉備よりも明らかにモブ士大夫の孫堅も30前後で太守になっている
東漢末期は意外とモブ士大夫でも太守(相)になれるのだが
最低限のコネと実力は必要
劉備も袁備とか宏備とか変な名前でも公孫瓚のコネあれば太守(相)になってるだろう >>923
ハハハこのスレに出入りしてんのに劉淵忘れてんのすごいですね そもそも沛郡劉氏がそんなに尊いのなら
五胡十六国南北朝時代には琅邪王氏や陳郡謝氏と権勢肩を並べてもおかしくないのだが
実際に五胡十六国南北朝時代以降の沛郡劉氏はほぼ存在消えている
沛郡劉氏なんて清河崔氏とか呉郡陸氏とかと比べても歴史半分以下しかないぽっと出の成り上がりでしかない
なので五胡十六国南北朝時代を経て沛郡劉氏は本来の姿に戻ったともいえよう >>925
劉淵は沛郡劉氏の血は引いているが沛郡劉氏ではないからな
漢名乗っていたものの結局自ら漢捨てて趙名乗ってるから
劉淵を沛郡劉氏と一緒にしたら失礼だろ >>923
劉備が漢中王になった直後は中原に反乱が頻発してたでしょ(漢中王効果かどうかは知らんが)
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備が皇帝になってから
皇帝になったことで中原の士大夫が劉備に失望したという記述があるしな >>918
祖逖が選ばれてないのが意外に感じてしまう
どうも祖逖は過小評価されてる気がする >>929
218年正月 吉本の乱
218年10月〜219年正月 侯音の乱
219年9月 魏諷の乱
219年 秋 劉備漢中王僭称
首謀者のわからない群盗騒ぎとか辺境の異民族系反乱とか除くと
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備漢中王僭称以降ともとれる
他に大きな反乱あったら御指摘よろ >>929
献帝が文帝に禅譲したからじゃないのか?
劉備の皇帝僭称なんて最早大した意味も無かっただろうよ。 演技での「劉皇叔万歳!」ぶりを史実と異なると批判するのはわかる
だからといって後漢期に劉氏の格が地に堕ちて名乗り放題だったかと言えばまったくそうではない
実際世にでる前の暮らしも庶民のそれじゃないもの
何にせよ劉備は劉姓の末端として記録されていて
かつ当時の社会でも自然に受け入れられてた訳なので
否定するなら林羅山みたいな推測じゃなくて根拠がいる >>933
言ってる事はある意味正しいとは思うが
ここは五胡十六国南北朝時代を語るスレなので
スレタイ的にはスレの趣旨から外れてるので
該当スレで続きされた方が 雲行きが怪しくなってきたから言ってんだろジジイ、調子に乗るなハゲ しかし後漢期に劉氏の格が地に堕ちて
名乗り放題だったかと言えばまったくそうではないのは確かだが
五胡十六国時代には既に劉氏の格が地に堕ちてるのは明らかで
どうしてこうなったのかには興味深いのだが興味無い人多いのかな >>923は劉氏である事と漢室に連なる事をイコールで話してるけど
そもそも漢と無関係な元々の劉氏を皆改姓させた記録ってあったっけ? >>908
それは
文化が中華>胡であることが明確かつ
胡が中華に対しアイデンティティが保てない
場合に発生する現象
そうなると大抵中華のモノマネで終わる
隋から北周イズムへの揺り戻しを行い異文化を奨励した唐
クビライをも中華浸透はしない方針を貫いた元
逆に髪型や服などを唐式から満州式に置き換えた清
を見るに、ある一定の閾値を超えたら中華に染まるのではなく中華が異文明に染められる
四夷思想に抗えなかった唐ですら大幅な変革となってるのだから
二百年早い異文化奨励
九百年早い征服王朝の誕生
今までなし得なかった中華思想の卒業or昇華
を期待してしまう
冉魏はこういう可能性の中でも下の下(漢人に憧れるだけの無知な馬鹿による、徹底的な異民族絶滅主義)の結果っていうのが不憫だが 母系から乗っ取られるからな。北魏でも子貴母死をやめたら瞬時に外戚が専横してきたり。子貴母死正当化のために、わざと信頼できる身内に専横させたかのようだ。 >>910
陛下の玉音にもあるけど、我が国の歴史は1400年。 >>941
それらは中華への免疫が違うよ
元はモンゴル帝国として世界中と触れ合った経験が根底にあって、文明を相対的に見られる目が宋を滅ぼした時点で既に育ちきっていたから、結局モンゴル全体としては漢化しなかった
清は金時代から中華と交流していた
加えて漢化という(周代や五胡時代、元代も含めての)歴史を知りえたし、自他の統治法や性質の違いを熟知していたのもある
それで漢化への予防線を張れた
唐の場合は、逆に胡が漢主導で彼らに同化していく総仕上げの時代だったんじゃないか
胡由来の刺々した文化が漢を揺らしたのが五胡時代、その角が落ちてきたのが南北~唐代
途中で何度か反動があったものの
五代の混乱を経て完全に丸くなった
結果、漢意識の塊みたいな宋が出来た
幞頭や官服の変遷を調べると胡が中華に飲まれていく様子がよくわかって面白いよ >>930
史書によると石虎に負けてるし、石勒に勝ったと言っても石勒自体かなり負けの多い武将(最後には毎回勝つだけで)だし。あと当時の歴史の流れにそこまで影響与えたかって言うと微妙。東晋存亡の危機を救った陶侃や謝玄の方が功績大きいと思う。 儒教的には父系絶対だが、
劉淵が劉邦からの正統を名乗ったのは母系からだな
実際、前漢から匈奴へ降嫁は続けてたので、実際に母系から血を引いてた可能性は高い 春秋の晋も母系っぽい
中山も母系理由に姫姓を名乗れているし
呉とかも怪しいけど晋は古すぎてよく分からなくなっていたっぽい
金文で初代が武王を左右したとかあって武王の子じゃなさそうだし 日本の歴史は1400年って教科書の知識からすると違和感あるけど、倭と大和を別の国扱いしてるのかな? 白村江で滅んだ倭の代わりに、畿内が中心の唐フランチャイズ国家の大和が勃興し、それが今の日本だと。 >>944
漢意識の塊は明
宋はあくまでテュルク系の順応で唐を継承しただけで、中華意識は弱い
征服王朝を黙認してるのとか良い例
(本来なら永楽帝や煬帝、司馬昭司馬炎のように屈服か絶滅させる対象)
んで唐が胡が漢主導で同化せざるを得なくなったのは、北魏の軛が元凶
いくら宇文泰が鮮卑を持て囃しても、過去に鮮卑<<<<<<<<<<<<<<<<<<漢って価値を御用学者が知らしめたのは払拭できない
故に最後は箔付けに漢民族に背乗りせざるを得なかった
これに束縛されない後趙や前後燕がいかに魅力的なことか 天皇号は唐高宗からが定説だけど
天王は天皇の古称ともされてるので
十六国由来かもしれない
初めて「天王」号を名乗ったのは靳準なんだよなあ
皇帝を名乗らなかったのは親晋意識から皇帝から一歩下がった号とした
匈奴劉氏以上のエリート匈奴、屠各種の靳準が親晋派になったのか不思議だ
この時期だと親漢派というとどっちかわからなくなってしまう
漢民族か漢趙かで >>949
黙認はせざるを得ないからするもので中華意識がない証にはならないし、実際宋も理念的には相当うるさい
むしろ明より拗らせてると言えるかもしれん >>951
っ不倶戴天
皇帝の意味をしっかり覚えよう
司馬昭が禅譲に踏み切れなかったのは、匈奴にかわる北の異民族を征した証がなかったからよ
それに拓跋の服従が選ばれたからこそ、西晋時代を経て漢化した鮮卑となった
とにもかくにも形式が大事なのが中華
劉淵はまず東西季漢の開祖を祀り、第四の正統王朝だとアピールして漢以外の帝国を否定しているし
the蛮族の劉裕すら、簒奪した桓玄の力の源泉(桓温)を上回る存在だとアピールするため、桓温なぞって北伐した後に禅譲にさせてる 東ローマ帝国はギリシャ文化に憧れてギリシャ語が公用語になっても
ギリシャ人扱いされると怒り狂っていた
日本も中国の歴史や文化が好きな人でも中国人扱いするとキレる
漢文は古代の文字であっても多言語の大陸では統治のためには使うしかないし
自称漢民族もほぼ異民族と混ざっているし
北魏はほぼ遺伝子的には同族の鮮卑を野蛮人扱い
平安貴族も源氏を野蛮人扱いだったけど >>953
言葉の意味と現状が一致しないことはよくある
前者に後者を合わせることが出来ない時には黙認するしかやりきる方法がないからね
漢は中華国家を自認していながら匈奴や南越の存在も認めてたのは屈服も絶滅もさせられないからで
殺れるようになったら案の定滅ぼした
宋も中華意識旺盛で、その理念に基づいて常に領土を回復したがってたけど出来ず
色々鬱屈して理屈国家になっちゃった面もある 天王号の起源は相当古い
五胡どころか周代には使われてた筈 >>956
秦が皇帝を作る前は
天王、王、公、候って序列だからな
周が天命そのものであるからと天王と目されていた
そこに天だけでなく地と人の支配権を付与し、王という被りすら許さなくなったのが皇帝
宇宙号や六合号も、宇宙漢が突き抜けてたら通例のように使われてたのかなと感じる となると「自分が不甲斐ないから領土が増えない」という理由で自ら庶人天王(庶人大王とも)に貶号した慕容盛はいろいろおかしい 仮に侯氏が統一してたら宇宙も皇帝と同じ位置になったかもな
天王号は一説には僭称の王に対抗した周王の呼び方で
天子号が一般化する前の春秋期に使われた
これによれば厳密な序列として王の上位に天王があったわけではないと >>956
むしろ周王と呼ばず、王または天王と呼んでいた
殷王のことは周王と区別して周原甲骨では衣王と呼んでいた
合同祭祀を衣と言ったりで連合の意味なのかも? >>958
宇宙の初出は淮南子とかそのあたりじゃなかったっけ 中国大陸ではそろそろ漢化が始まるぞきっと。儒学や道教が再流行する。
蛮族化した状態で観光客を世界中に送り出し、良心の呵責なく◯◯に踏み切るためのヘイトをかき集めていたところだった。 >>964
一番重要な「不可視な存在による倫理観」が壊れてるから、明化やマオ様化が関の山 >>963
淮南子以前の道教とかの書物に宇宙の記述あるかもしれんが
淮南子の「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」が
宇宙について明解なので宇宙の初出でいいと思う
一応五胡十六国南北朝時代にも南朝中心に宇宙とか天文学真面目に研究してるようだけど
現代でも通用しそうな宣夜説が滅んで
蓋天説や渾天説みたいな現代ではトンデモ説扱いが
持て囃されるような社会ではまともに宇宙を考察しようがない 瑯琊王氏や太原王氏って名将名士を大量に輩出してて実際に魏晋南北朝時代は 王濬、王浚、王猛、王鎮悪とか名将出してるのに三国志の時は後世に有名な将を出せなかったのはなんでなんですか? 渾天説はトンデモでもないだろ
今でも天球という概念があるし >>>967
釣りだよね?
王浚以外琅邪でも太原でもないよね?
さすがにそんくらいはわかってるよね? 三国時代の名臣名将の一族も五胡十六国時代にはろくに名を成してないやん >>972
名門が南に逃げちゃったから
中国も台湾に故宮によりよいものがあったり孔子の子孫の一族の長がいたり
どうでもいいけど蜀とか呉とか中央にしたがわない辺境の主食が米なんだよなあ
米を食べる地域は従わないみたいな 董卓も清盛も、短期政権に終わったから、後世からの評価がカラい。のちに物語のなかで、暴君として描かれた。『平家物語』や『三国演義』のイメージでは、容貌まで重ならないか? 外戚の争いを演じ、皇帝を取り替えたのは、梁冀も董卓も同じ。 遷都せざるを得ない。洛陽よりも、長安が守りやすいのは、自明のことだ。
「董卓は、自分の本拠地・涼州の近くに、皇帝を移した」
と書けば、董卓の自分勝手さが浮き上がる。ただし、長安が涼州に近いのは、二次的なメリットである。それより、まず孫堅から逃げることが、遷都の理由だ。 三国志とか他で語ればいいのになぜわざわざこここでするのか 三国志しか知らないから三国志の範疇でしか語れない
このスレの住民からすると井の中の蛙で浅くて何か哀れ このスレで三国時代の話をするなら
涼州軍閥、氐、羌、馬超、韓遂、あたりの用語を使って
十六国時代の涼州事情につなげていくとかなら可 「秦王の下、秦は戦国六雄でいちばん強かった。秦に勝てる国などなかった。だが、一度秦が滅びてしまえば、次の王朝は、秦が作った支配のインフラを流用できる。命令者が秦王の嬴氏であろうがなかろうが、命令系統は働いた」
だから劉邦は天下が取れました。 さて、郡県制の攻略方法について述べましょう。郡県制は一枚岩ですから、敵を国内に招き入れる者はおりません。また側近の叛乱は期待できません。腐敗させるのも難しい おかしいな。秦が滅びたのは、宦官・趙高が始皇帝に背き、国を腐敗させたからだ。 日本がずっと漢と呼んでいたのに隋や唐と呼ぶようになったのは
それまでと全く違っていたから 楽天三木谷社長「社内公用英語化で 会社を辞める人間は これからの時代、戦力にはなりません」 郡県制の弱点は、君主の血統である。君主の血統さえ絶やしてしまえば、すぐに勝利することが出来る アレクサンドロスの大帝国が保たれたのは、後継者が団結したからだ 郡国制は一枚岩ではありませんから、容易に侵入することができます。しかし勝利しても、維持するのが難しい。君主を倒しても、自律した諸侯がウヨウヨいます。彼らを満足させられないと、統治は失敗します 「どうすれば治まるか」
「長く統治をして、かつて諸侯に分裂していた記憶を消し去ることです。ローマがとった手法です」 漢は妥協して、郡と国を並存させました。しかし時代を経るに従い、郡と国の区別がなくなりました。郡の太守の仕事と、国の相との間に、どんな違いがありましょうか レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。