【酔っ払っているうちに】 趙匡胤 【皇帝になった】
酔っ払っているうちに皇帝になってしまったという、趙匡胤について語りましょう。
およそ三百年に渡って続いた宋朝の太祖皇帝です。 趙匡胤なら個人スレを立てるに値すると思うよ。
飛龍伝についても語りたい。
この趙匡胤とか、漢高祖の劉邦とか、どうも明るいイメージがあるんだよね。
趙匡胤は、簒奪に際しては、柴氏を保護して、殺しも最小限に抑えたし、
酔っ払っているうち(本気ではなかっただろうけど)に皇帝になってしまったという逸話とか、
言論の自由を認める遺訓とか、
その行いには、あまり凄惨な印象がない。
こういったあたり、坊主出身の某太祖皇帝とは違う。
殿前都指揮使。 その前は殿前都虞候。 その前は宿営軍。
郭威の李守貞討伐のとき、徴募に応じて参じた。
それまでは諸国を流浪し、いろいろ逸話を残す。
そのとき、江南のほうまで行き、操船にも通じたので、のちの後周世宗による淮南戦役では、南唐の水軍相手に連勝を重ねる。
燕雲十六州を奪還する北伐のときは、大運河に闘艦を並べて北上。
水軍の趙匡胤、陸軍の韓通と呼ばれた。 諸国流浪時代の逸話を基にしたのが飛龍伝かな。
飛龍伝って翻訳はあるの? 陳先生が皇帝の中じゃ一番好きそうなのに、小説の主役にはしないのが残念だ >>7 予定では12月頃に、小前亮「飛竜伝」が出版されるはず。
ただし、「飛龍全傳」の邦訳ではなく、趙匡胤を基軸とした小説だそうだ。
「李世民」がつまらんかっただけに、小説としてあまり期待はできないけど、流れを掴むことはできるだろうね。 趙匡胤の小説の方は、飛龍伝の題にするんだね。
この時代の小説って少ないから、かなり興味ある。 どの辺りから始まり終わるのだろうかねぇ。
生まれたときのエピソードは入るとしても、就職先を探しに旅をするようなところの話だと、一話完結シリーズになりそうだし。
その辺ははしょって、とりあえず軍人になってからかな?
終わりは陳矯の変… ではないだろうなぁ。
やっぱり斧の音のところまでは行くか…
ううう、気になる。 光義が血を流して殺したなら何らかの証拠が残るわな。 殺すなら、もうちょっと巧みに、毒殺とかじゃないのか。 手を下したのが趙光義でなく、ほんとうに光義を呼び入れたあとに死去したとしても、遺言が趙光義の主張通りかというのは、確認のしようがないわな。
また、毒殺とかにしても公衆の面前であれば死ぬ間際に、光義の歓迎しない後継者指名をしてしまう場合もある。
それにしても、兄→弟の引継ぎを、母の遺訓として大義名分としたのに、理由をつけて廷美に渡さなかったのは、なにやら豊臣秀吉と秀次を彷彿とさせる気がする。
北宋の皇帝は、代々趙光義の子孫が即位した。
しかし南宋一代目の高宗のときに「趙匡胤の祟り」とやらで子孫が絶えてしまったので、
趙匡胤の子孫を探し出して帝位につかせ、以後は代々趙匡胤の子孫が滅亡まで即位したという。
靖康の変で、ほとんど全員が金に連行されて、奴隷にされてなぶり殺されちゃったからね。
趙匡胤は飲んだら、べろんべろんに酔っちゃうタイプなのかな? 酒の上の失敗が多いから庶民の人気が高い、というのは陳舜臣が書いてるね。 死因にしても、弟による暗殺ではなく、酒の飲みすぎで脳溢血、という説も有力。
柴栄と趙匡胤の出会いはどんなもんだったのだろう。
趙匡胤の父である、趙弘殷はもともと後晋〜後漢〜後周の禁軍将軍だったので、あるいは郭威とも知己だった可能性がある。
郭威の河中平定時に、趙匡胤の人に優る活躍ぶりが目に留まり、よくよく調べてみるとなんと、趙弘殷の次男だった。
などということで、目をかけられたとかないだろうか。
その後、中央軍のいち将校として仕えており、柴栄とも面識が生まれたと仮定。
後周建国後、滑州にある駐屯軍の副将としての任を受けたとき、赴任する趙匡胤を、柴栄が引き止めている。
柴栄は趙匡胤を傍に置き、馬直軍士としたのは、のちの禁軍大将へのルートが開ける瞬間だったのではなかろうか。 弟、あるいはその系譜は、結構イケメン揃い。
南宋の太祖系は、冴えない系揃い。
あくまで見栄え(肖像画)の話だが… 肖像画の話だけど、趙匡胤は何だか、福のありそうな顔立ちしているね。
柴栄の方は、肖像画ってあるんだろうか? あるよ。
いけ好かない顔してるけど…orz
趙匡胤は福耳(大耳)だからね。 スレタイ、田中芳樹を思い起こさせて不愉快なんだけど >>29 もう少し詳しく。 陳舜臣氏も取り上げている上に好きな皇帝なはずで、田中芳樹を思い起こす余地は、それより少ないはずだぞ。
それとも知らんのか? >>32 柴栄の肖像画をみてると、ほんとに「陰険」のイメージが広く知れ渡ってるのじゃないかと、疑いたくなる。
「飛龍伝」ではそういうキャラらしいが… 幼帝から帝位を奪い、周の忠臣(と言っても一人だけだが・・・)の一族を根絶やしにした
外道を称えるスレはここですか? >>34 その主張はおれもするけど、一方で。
韓通は、柴栄にはものすごく信頼された有能な武将だけど、実は同僚や部下には嫌われている。
韓瞠眼という渾名があるくらいで、すぐムキになったんだろう。
趙匡胤とは兵権をわけた将軍で、ライバル心を旺盛だったに違いない。プライド高そうだし。
そういう人だから、両雄並び立たずの言葉どおり、趙匡胤が起った以上、韓通が退場するのはある意味で必然。
趙匡胤の暗い部分は、李重進を挙兵に追いやったこと。
李重進は味方すると言っているのに、趙匡胤側はそのバックボーン(周の親族)を恐れて葬ったから、趙匡胤政権の打算が伺える。
だけど外道じゃないよ?
田中芳樹の評判が地に落ちたせいで、すっかり宋の太祖陛下も割りを食ったな。
趙匡胤を評価しているのは、陳舜臣だろ?
大丈夫か? >>35
まあ、こんな後ろめたいことのない天下人は世界でも稀だとは思う。 >>43 天下人とするには、完全な平定(燕雲はのぞくとして)に至ってないけどね。
こういう皇帝は世に稀。 この人の下なら、やることさえキチンとやってりゃ気楽そうではある。 石守信や李継勲など、同じ禁軍将校同士ではかなり気の会う連中とつるんでいた。
あと、乱暴者のようなイメージがあるかもしれないけど、かなりの教養人。 庶民の邸宅を強引に奪ったり賄賂を強要したりする趙普を弾劾した御史中丞を処罰した趙匡胤。
寵臣郭嘉の不行跡を非難した陳羣を誉め猶も両者を重用した曹操。
この一事だけを見れば曹操の方に好感を持てる。 >>47
>>50
チョーさん駄目じゃん。
精錬潔白なイメージが消し飛んだわ。 もともと清廉潔白ではないわな。
どっちかというと乱暴物のイメージが定着している。
怒りに任せて家臣をぶん殴り、前歯折ったとかそういう逸話に事欠かない。
太祖と趙普の関係には、公人というより私人としての面が強すぎるから、曹操の逸話とでは不釣合いだな。
その話自体は初耳だけど、傳にあるのかなそれとも本紀?
清廉潔白と言うより、頼りになる豪放磊落な兄貴って感じのイメージかな >>52
ああ、ごめん、「宋名臣言行録」だったわ。 >>54 いや、ごめんとか必要ないって。
「宋名臣言行録」か。 実はまだ読んでないんだよね。
誰の項か、わかれば教えてください。
趙普はかな〜り押しの強いやつというイメージがあるし、夜中憂悶して寝られない太祖がふらりと立ち寄れる友人でもあるから、割りに好感がある。
でも、何度か左遷されているし、そうキレイな関係だとばかりは言えない面もあったり。 >>55 今確認したけど、『竇儀』のとこだな。
しかも、太祖じゃなくて太宗だったよ。
この趙普左遷の話は知っていた。 それがそのような讒言だったというのは、忘れていたか知らなかったか…
もともと太宗が、趙普を煙たがって左遷させたがっていたような節もあり、そのへんはっきりとは言えないところがあるかも。
うろ覚えでなんだけど、趙普左遷の時期が
宋史だと太祖期で、宋名臣言行録だと太宗期じゃなかったっけ? 宋名臣言行録読みたいんだけど、日本語で手に入るのってありますか?
PHPのしか持ってないんで。 小前亮の「飛龍伝」講談社から12月8日発売だってさ。 作者本人のブログによると、
趙匡胤と柴栄が主人公なんだって。 PHP文庫の「中国皇帝列伝」という本でも趙匡胤が紹介されてるけど
微行好きな匡胤が大雪の降る夜に趙普の家にこっそり行って
驚く趙普に「いや、どうにも寝つかれないし、心細いからお前に会いに来た」
と言って一緒に酒を飲み、焼肉を食べながら政戦両略の話をするエピソードは
何か微笑ましかったw >>65
趙匡胤がいつも予告なしで来るものだから、
趙普は朝廷から退いて家に帰っても、衣冠を脱がずに待機していたらしいなw >>65
雪の中に皇帝が立っていて、びっくりしたらしいねw
危ないからやめるようにと臣下に止められても、
言うことを聞かずに微行を繰り返していたらしい。 大雪だから来ないと思ってたらキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
嫁さんのこと嫂(あによめ)とか呼んでるし、いつの間にか兄貴にされてました
「雪夜訪普図」でぐぐると、北京故宮にある絵が見られるよ >>65-68
そういうエピソードがあるから、この人はイメージがいいんだよな。
それに比べて朱元璋が夜中に家を訪ねてきたら・・・w 朱元璋に優しくされたら、生きた心地しないだろうなw 「朱元璋 羅復仁」でググると微笑ましいエピソードがあるよ。 >>74
へえ、そんな逸話もあったんだね。
知らなんだ。 >>70
「いや、(お前が叛逆するんじゃないかと思うと)どうにも寝つかれないし、
(様子を探らせようにも他人は信頼できなくて)心細いからお前に
(粛清する口実を見つけられないかと直々に)会いに来た(クックック…)」
ということか。
何と恐れ多い…。同じ時代・同じ国に生まれなくてよかったぜ…。 趙匡胤って武術もよくできたのかな。
何だか、太祖発祥の武術というものがいくつかあるみたいだけど。 太祖が趙普の家を訪れてみたら、呉越錢氏からの心づけが届けられるとこだった、ってエピソードもあったよな ちょっとした不正がばれても、一度だけなら笑って許してくれそうなイメージがあるな。
最初は激昂するけど、あとでめちゃくちゃ反省した顔で謝りにくるだろう。 >>77
水滸伝に太祖から伝わる何たらが出てきたし、
天龍八部にも太祖長拳なる武術が出てきた。 太祖長拳は今も伝わってるよ
ちょっと検索すれば套路のVCDもすぐ出てくる 趙匡胤は若い頃、就職先を探してあちらこちらの軍閥を訪ねているんだね。 趙匡胤は後漢の初めの頃、親元を離れて諸国漫遊の旅に出た。だが、実のところは、就職口を求めて
各地の軍閥を巡り歩いていたのであった。
黄河を遡って陝西方面へ行き、更に南下して復州(湖北)の軍閥王彦超を訪ねた。ところが王彦超は、
趙匡胤に若干の金を与えて門前払いしてしまった。
後の宋朝が開かれた後、皇帝となった趙匡胤は酒宴の席で王彦超に、
「なぜあの時に雇ってくれなかったんだ?」
となじると、王彦超は、
「あの時、私は一介の地方官に過ぎませんでした。どうして小さな柄杓の中に神龍を納められましょうぞ。
もしもあの時、陛下のご依頼を受け入れていたら、今日の陛下はなかったでしょう」
と答えたので、趙匡胤も大笑いしたという。 この頃の武将って、あちこちの軍閥を回って、
就職活動をするのが普通だったのかな? >>86 復州ってどこかと思ったけど、ここは節度使も置かれず、他の藩鎮にも入っていない州なんだな。
王彦超は当時、復州防御使ということで、国境の司令官といったところか…
また地味なところの門を叩いたもんだ、趙匡胤。
趙匡胤はオヤジに勘当されたから、仕方なく方々を彷徨うしかなかったのだな…
オヤジと仲がよければ、苦労せず禁軍の将校となれたろうに。
でも結局、同じ穴に帰っていくのが、なんとも面白い。
これで、他藩鎮の牙将とかだったら、趙匡胤も埋もれたことだろう。
当時(だいたい西暦の948年ごろ)の有力藩鎮といえば、兗州符彦卿、鄆州の慕容彦超
襄州の安審琦、蒲州の李守貞、魏州の高行周、鎮州の武行徳、滄州の王景
并州の劉崇、潞州の常思、ってところか…
うち、李守貞と慕容彦超は大鎮だけど、謀叛するしなぁ…
劉崇の幕下だったら、劉継業(楊業)との鬼コンビが誕生したかもしれんがw
464 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/04(日) 07:01:52
趙匡胤は先帝の遺産がでかいからな
この中からだと、韓信・劉秀・李世民・李勣・朱元璋
にまで絞れると思うけど、李靖は確定かな
468 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/04(日) 13:51:41
>>465
しかし趙匡胤が即位した時には既に天下の形勢は決していたしなあ。
柴栄の下でも活躍はしているが、それなら似たような奴はいくらでもいるし
474 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/05(月) 00:29:36
唐の統一は、とてもぬるいとは思えないなあ
李淵が挙兵した当時はまさに群雄割拠で、名将も各陣営にいたし
李淵の勢力が突出して有利なんてことはなかったはず
統一後の業績は語るまでもないね
匈奴に負けたままの漢や、遼に勝てなかった宋とは比較できない
挙げられてる中で一番の名君は趙匡胤だと思うが
一番幸運な後継者であったのも趙匡胤だと思う
なんか柴栄のツマ扱いされてる将軍としての趙匡胤
性格がよく話に登る分、その他の方面で過小評価の傾向がある気がするなぁ 柴栄と趙匡胤が合体して一人の人物になることができればいいんだがw 飲み会で、部下や後輩全員におごってくれそうだね。
ところが、財布を開いたら、金が足りなかったりw ・滅ぼした王朝の一族を滅ぼすどころか保護した
・言論によって人を殺さなかった
・文治主義で周辺に睨みをきかせられた
これだけで尋常じゃないですよね >>93
むしろ、なんだか奢っても気分が悪くならないのが趙匡胤だと思うw >>93
で、趙普に頭下げて金借りて、その金でまたドンチャン騒ぎするわけだw
やれやれと思いつつ常に自腹切る趙普の顔が目に浮かぶw
柴栄の肖像画の話が前のほうで出てたから検索かけてみたけど…
若い印象があるんだけど老けてるな。
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顔も体格も大柄で威厳のあるつくりだと想像してた >>99
結構若いイケメンのイメージが何となくあるんだよね。
趙匡胤の肖像画はよく見るけど、
柴栄の肖像画はあまり馴染みがないし。
趙匡胤の肖像画は徳川家康とちょっと似た印象。