鮨・鮓・寿司の歴史と文化
なぜか異説・俗説も多いこの分野ですが、まったりといきましょう。
当面はわりと詳しい(らしい)1が質問にこたえます。
ルール:情報はソースを示すこと。 「起源」の意味がよく分からない。
昔からあった、ってだけで、伝来した訳ではない。
「魚介類と米の発酵」をもって寿司の原型とし、
東南アジアにそれがあるから「寿司の起源」は
どう考えても変だと思う。
古代東南アジア人が海を渡って当時の日本に来て
「寿司の起源」を伝来した訳ではないのだから。 なれずしは東南アジア起源 というのはよくいわれますね。稲作文化と一緒に中国経由で
日本に伝わったとも言われます。
東南アジア山岳民族 篠田統氏(すしの本 など)
タイやミャンマーあたりの平野部 石毛直道氏(魚醤とナレズシの研究 など)
あたりが有名なとこのようです。 >>11
現代の日本語としては、意味の違いは無いよ。
「鮨」は中国に古くからある文字で、「鮓」の字も同様に古い中国の字。「鮨」と「鮓」の違いは
字典によってあったりなかったりと曖昧で、いずれにしろ日本に入ってきた時点では特に違
いは無かっただろうと考えられている。「寿司」は江戸後期ごろ登場した「すし」という音に字
を当てたた当て字。
一般には「寿司」がよく使われるけど、たまに「鮨」の字が本来だとか、「鮓」の方が本格だと
か言う人がでてきたりして、結果、時代や地区で好まれる字があり、今じゃ関東で「鮨」、
関西では「鮓」が好まれているようだね。 ありがとうございます。
また質問なのですが
「えんがわ」
って、回転寿司にあって
カウンター系の店では置いてないようですが、
ひらめにしろカレイにしろ「えんがわ」って
しもじもの食べ物なのでしょうか?
カウンター系のすし屋に置いてない理由を教えてください。 過疎ってるのでよそのスレから話題を拾ってきた。
【おすし】寿司なんでも質問スレッド
http://food8.2ch.net/test/read.cgi/sushi/1113082607/584
>携帯からなので全部みていません。
>凄く基本的な事なのですが寿司は何故二個一組でだされるのでしょうか?
>また「1カン」とはお寿司2個さすのでしょうか?回転寿司だと大抵「一皿」とかでてちますが
>よろしくお願いします。
この『「1カン」とはお寿司2個』ってのはいったいどこからきたものだろう? >>15
江戸時代の屋台寿司は握りひとつで1カン。
でも、その1カンがでかく、半分に切った。
なので2個で1カン。
これ、ホント。 >>16
それって聞いたことのある説なんだけど、そんな記録は全く知らないし、根拠がいったい
どこにあるんだろうか?ってところが気になる。 追加
2つに切る店はあったみたいだけど、「めずらしい店」のはず。 1貫=3.75s
1つ1貫だと滅茶苦茶でかくないか? またよそから拾ってきた
【寿司は値段が高すぎる】
http://food8.2ch.net/test/read.cgi/sushi/1103301832/154
>いつ誰が、高い値段の取れる食い物にしたんだろうな。
>立ち食いのファーストフードからの出世物語を知りたい。
結論から言うと、握りずしは江戸時代末期、成立した直後から高級品でもあり、
ファストフードでもありました。今の高級店から安価な回転すし屋が共存している
構図と似たようなもの。
握りずしを創案したのは「与兵衛鮨」という説と「松が鮓」だという説が有名だが、
この2店ともが高級店。「松が鮓」が超高級店としてオープンして、「与兵衛鮨」が
追従して高級化したと思われる。「松が鮓」を詠んだ川柳に
松ケ鮓 一分ぺろりと 猫がくひ
猫とは吉原の遊女のことだろうが、一分もするすしをペロリと平らげられてしまったと。
また、五寸の二段重で3両もしたともある。【甲子夜話/松浦静山】
江戸末期の風俗誌【守貞謾稿】から江戸市中の握りずしの値段を拾ってみると、1つ
4文〜60文。贅沢を禁じた天保の改革では多数のすし屋が処罰され、その後しばらくの
間は1つ4文、8文とある。当時はかけ蕎麦が二八の16文。すしは今の倍くらいの大きさで、
5、6個程度で1人前。安いすしを5つ6つつまむと、かけ蕎麦の倍くらいになる。
貨幣価値は換算方法によるけど、1両=4分≒8万円 1文≒15円くらいでどうだろう。 二段重で3両≒24万円ということは久兵衛より全然高い! テレビで某外タレが大阪寿司を食べ「コレハスシデハアリマセン。」と言っていた。 >>27
その某さんに、フナズシを食わせてみたいもんだ。 新潟の魚沼ではホッケ寿司が冬の保存食。
ま、タンパク源でもあったんだろうな。 >>29
新潟でホッケずしなら麹と野菜の入るイズシ系のすしかな。 >>30
蕪寿司の様なものですか。
ただし、ホッケ寿司の場合、野菜無しの麹とホッケだけの物もある様です。
この場合、ある程度の保存は利く様ですが、調理の一種と考えても良いかもしれませんね。 北海道寿司情報「寿司職人」には、江戸時代の寿司を再現したものが
作り方と一緒に載ってるよ。たしかに、かなり大きい握りのようだ。
「寿司職人」
http://www.g-linknet.co.jp/~sushi/menu.htm 上記より「寿司の豆知識」→「北海道の寿司の歴史」ね。
引用
シャリ自体の味が重要で、すし飯には甘辛く煮た椎茸や干瓢を刻んだものや、
海苔を加えたりしていました。またすし酢には、臭いのきつい柏酢が多く使われていました。
当時のお寿司は、一口では食べきれないほど大きな寿司でした。4個も食べれば
満腹になるくらいで、普通は2、3個をつまむ程度だったと言います。
この時代には冷凍・冷蔵といった保存の技術がまだなかったため生のまま使うネタはなく、
酢や醤油に漬けたり、塩を利かせたりと必ずネタに手をかけていました。
当時のネタの数はだいたい10種類以内だったようです。
ミシュラン東京において、すきやばし次郎、鮨 水谷の両店が三ツ星獲得をはじめ、
150軒中15軒ものすし屋が星を獲得。すしの歴史に新たな足跡を残した。○○さんも
××さんもおめでとう。行ったことの無い店どころか、実は名前も知らなかった店も
あって、これには少々驚いてしまった。
しかしながら、江戸前ずしという食べ物が、江戸前すし屋という形態が伝統あるミシュ
ランガイドの三ツ星に、肩を並べていいものかと疑問が残るところ。一方、世界的にも
ブームとなっているすしの頂点であるなら、たとえ海外からでも「そのために旅行する
価値がある卓越した料理」であることには違いない。相殺されてプラスマイナスゼロと
いうところか・・・。 終わってる寿司屋
錦糸町花壇街の公園の前にあるたけなんたらって店。 包丁一つで切り身の味が変わる事を知る彼の国に評価された事は
喜ぶべき事ですよね。
ただ、確かにおっしゃる通り、
旅行に主眼を置いている為、
いわゆる「日本情緒を楽しむ」的な要素が
評価材料に入っている感は否めない気がします。
出来れば、「日本”文化”を楽しむ」形で紹介された方が良かったのかもしれません。 >>1と
>>2-40に
乙!!
これからもいろいろ教えてねっ!
・・・通りすがりよりm(__)m やっぱり質問がないので、他スレから拾ってくる。。。
> なんで寿司って基本的に二カンで一セットなの?
> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sushi/1232168979/
昔1つのすしを2つに切って出していた習慣から、2カンづけがはじまったなどという人が
いるが、全くの間違い。四谷大木戸、蛇の目鮨のように戦前2つに切って出していた店の
記録はあるが、これはごくまれなケース。
2つつけて出すことに最初の言及をした本は、宮尾しげを「すし物語」(昭和35年)だと思う。
この本によると「二丁づけの始まり」と章をたてて、明治・大正のころ、日本橋の魚河岸に
あった「宇の丸」というアナゴずし専門店が、大振りのすしを一皿に2つのせて出していた
のが始まりとしている。
しかし、内田正(弁天山美家古 主人)「寿司屋さんが書いた寿司の本」などでいうように、
時代とともにだんだんすしが小さくなって、1回の注文で1カンづつ出していたら効率が
悪いから、1回の注文で2カン出すようになった、というのが正しいと思われる。
>>44
おらぁてっきり、女と行った時に一個ずつ分けて食う為だと思ってたよw >>44
とても素晴らしい考察ですね。
ただ、他に、よく言われる食料統制の影響は無いですかねぇ。
すし折の一合、二合はそこから始まった表現だそうですが。
岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1256630318/1
早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww
飾り寿司って、歴史の面から語るとどうなるのでしょうか。
飾り巻きといえば、遡っても巻き寿司より古いって事は、無いでしょうが、
バラ寿司、起こし寿司、あるいは蕪寿司、ヒネ寿司、いずしなどから
遡って見ると少し面白い話にならないかな?等と思っています。
ご存知の方にご教示願いたいと存じます。 >>52
えーと、飾り巻きずしのことですよね?
こういう細工はいかにも主婦好み、なぜか野菜をハート型などに抜きたがったり、キャラ弁が
流行ったりしてますよね。そんな感じのものですが・・・。
一応、巻きずしをつくる慣習のある地域から出てきたものなので、そのあたりを少し。
地域的には千葉県の中部。この地では江戸時代末期あたりからお葬式に家庭で巻きずしを
作って出すようになり、芯にはずいきを煮含めたものを巻いた素朴なものだった。明治末には
カンピョウにとってかわり、それもずいきを模して赤く染めたという。
昭和半ばくらいからいろいろな図柄を巻くことが流行り、地域料理として根付いた。
精緻な図柄を巻くこと自体は、明治の末あたりから東京の握りずし屋で流行った。主に出前用の
高級品で、図柄は文銭、四海、梅、桜などのほか、上り藤のような複雑な家紋まで巻いた。こちら
はいかにも職人的。 >>53
レスありがとうございます。
飾り巻きは、寿司の華がありますからねぇ。
東京に限らず、東海地方にもかなり凝った物がある様ですから。
ただ、私が興味が有るのは巻きにこだわらずに、
重ね、起こし等のなれ鮨からの系譜を継ぐものです。
今でこそおっしゃる通り、主婦のお弁当の飾り的な身近な例もありますが、
祭の時に作られるこけら寿司や、ばら寿司には、
ハレの日のご馳走にふさわしい飾りがなされた事かと。
ここで、ただ、押す事で発酵を促した押し寿司から、
早馴れの手法を取り込み、酢を合わせた(土地によっては酒を合わせた)米と、
具材を重ねあわせた寿司への変貌。
ここに、握り、巻きに職人の技の粋を求める寿司と対局の技、歴史があると思うのです。
崩す為に重ねる、バラす為に押す。
何だか、日本的な美学を感じます。
ということで、
こう言う寿司の歴史や各地方での発達の仕方について語りたいと思いました。
>>1さんのお住まいの地域にはこのような歴史を持つ飾り寿司はありませんでしょうか。 はいはいはいはい質問!
江戸前寿司とは
@東京湾で獲れた魚を用いる寿司
A江戸で考案されたいわゆる握り寿司や細巻
さあどっち?
理由の添えてくださるかた歓迎です。 >>61
結論から言うと(2)。
最初にすし屋が「江戸前」とうたったものは、『江戸町中喰物重宝記』1787年(天明7年)に
「江戸前 地引すし」とあるのが、初出らしい。握りずしは文化・文政(1804-1829年)の頃
発案されたものだから、もっと前、おそらく押しずしであろうな。もちろんこいつは、高級品で
あった江戸城前の海で獲れた「江戸前ブランドの魚介」を使ったすしだという意味。
ところがだ、「江戸前寿司」とワンワードで呼ぶ言い方となると、古い記録には見当たらず、
どうやら比較的最近のものっぽい。
「江戸前寿司」という言い方をされはじめたかというと、一つは、地方で東京風の握りずしを
売り出すときのキャッチコピー。もう一つは東京でも関西ずし店などが台頭してきて、それら
と区別をする目的。いずれも「東京(江戸)風」の意味だから、(2)の「東京(江戸)風」。
ただし、"の"が入って「江戸前のすし」となると話が変わる。少なくとも戦前あたりまでは、
すしの話で単に「江戸前」といえば、東京前の海で獲れた魚介のこと。 おまけ。
おせっかいなことに、お役所が「江戸前」の定義がなんちゃらとか言い出したのがあるよ。
2005年、水産庁の「豊かな東京湾再生検討委員会食文化分科会」というのが東京湾全体が
現代の江戸前。さらに「職人により芸術の域に高められた粋な理」も江戸前で、江戸前の
海域以外のネタで握ったすしなどを「江戸前」として出すのは問題ないのだと。
ちょっとなぁ。 何十年も江戸前を名乗ってきた多くの店に、今更「江戸前の文字を外せ」とは言えんわなあ。 でも、江戸前の本来の意味を指摘したら、
間違いだと大騒ぎするのがいるから、始末に負えない。 >>65
なるほど。
江戸前の海域以外のネタで握ったすしなどを「江戸前」として出すのは問題ないのだと。と。
つまり世界中のどこの海で獲れた魚でも、江戸流の寿司であれば「江戸前寿司」ということですね。
ありがとうございました。 詐欺が公認されたからと言って、語義は変らないのだがね。 詐欺だとか誤用だとかいう言葉を使うのが好きなんだな。 >>68
細巻きはネタによって、鉄火巻きは四角、かんぴょう巻きは丸くと、変える店もあるね。
四角いネタ(鉄火など)のときは四角に巻くんだと、昭和のちょっと古い本に出てました。
明治あたりの古い絵や本の挿絵などをみると、丸く巻いてありますから、もともとは丸く
巻いたものなんでしょうね。いつごろから四角く巻くようになったかはわかりません。
なぜ四角くかというと、玉子焼きも四角くするくらいですから、単に「東京人好み」
じゃないかと思いますが、どうでしょうか。折に詰めやすいというのもあるでしょうけどね。 「江戸前」というのはもともと地域を表す言葉。地域名が転じて、その地域「風」とかその
地域「気質」とかに使われるのは、詐称だとかでなくて、ごく自然なことだと思うけど?
江戸前ずしは江戸(東京)風すし、でいいんじゃないですかね。
それより >>65 水産庁のそれは、「東京湾全体が現代の江戸前」というが、これはどうした
もんかと思うんですよ。内房なら内房、金沢八景なら金沢八景にあった独自の歴史・文化が、
江戸前という名で塗りつぶされるのは、いかがなものかと。 >>73
巻物は折り詰めでお土産や弁当にすることが多いからでしょうね。
かっぱ巻きや鉄火巻きなどは断面を上に向けて収めたので四角に。
かんぴょう巻きは断面を上にすると汁が漏れるから横に収めたので丸くとか。
かんぴょう巻きは4等分、他は6等分というのもこの辺に理由がありそうです。 >>74
だからと言って、転用された語義以外は認めないというような
>>69が正しいとも思えない。 京都や大阪にだって江戸前寿司の看板掲げてる店はあるやん。 日本中に「本場 讃岐うどん」があるのと変わらんでしょ
上京して江戸前寿司の店で修行して故郷に帰って「江戸前寿司」の看板を揚げるのも >>78
大阪にはかんぴょう巻きが無い。
江戸前の寿司職人は干瓢巻き一個
喰っただけでそこの店の“煮物”のレベルが
わかるから。それでレベルがわかる。
その代わり昔から穴子+胡瓜の穴胡巻きが
その代わりに使われるが、胡瓜の味で
分かり辛くしてある。
ノルウェーの寿司屋で現地の職人(?)が両掌で一個づつ握ってた。つまり2個同時に握ってたw 鉄火巻きは一口で食べられる長さ、干瓢巻きは干瓢の歯ごたえが味わえるように
噛みきれる長さになっているって何かの本で読んだ。 北海道の鱈子を使っても博多明太子。輸入小麦を使っても讃岐うどん。
京懐石だって地場産の素材だけじゃ作れない。殆どが他県産の素材。 浅草・鳥越 おかず横丁の「都鮨」
創業125年 現在四代目の富嶋さん。
煮きり塗って出す店なんざぁ、ひょっ子よ。
今時、“煎酒”で鮨ぃ喰わせてくれる店ゃ
広いお江戸は華の東京でもココ一軒だけ!
すなはち、日本でここ一軒だけの唯一無二の店。
ココの煎酒で漬け込んだ“ヅケまぐろ・赤身”がタマらん! 播州の秋祭りでは鯖丸ごと鰭も頭もついたまま姿寿司にする
何十匹も作って近所に配ったりもする
飾磨や家島、高砂あたりが本場だと思うんだけど、山間部の福崎や香寺、北条でも作られてる
調べてもルーツが良くわからないんだわ >>94
手元の資料には、兵庫県多紀郡、佐々婆神社の秋祭りに、サバの姿ずしや棒ずしを
親戚じゅうに配るとありました。これのことかと思います。
写真や作り方を見る限り、全国的によくある形の姿ずし、特に関西近辺では一般性の
高い形です。酢飯を使うことから、いわゆる「早ずし」で、江戸時代・後期以降の形態と
いうことがわかります。しかし、それ以前にナレずしであった風習が、早ずしに替わった
可能性もありますので、もっと古い風習かもしれません。
すしは古くから『ご馳走』であり、冠婚葬祭など特別な日の行事食としても多く定着して
います。祭りの日にすしをつくるなり出前などでとることは、現代でも全国で行われて
いることですので、特にいわれがあるわけでないのではないかと思いますが。 カンボジアで寿司の原型になる淡水魚の塩漬け「プラホック」を食ったんだが
今昔物語の様な酸っぱい物ではなく、甘酢ぱかった。 江戸風を、江戸前というのはちょっと抵抗があるな。
そんな用例が他にあるのかな?
なんで、前なの?
ま、別に反論てわけじゃないが。
寿司の歴史一通り見せてくれて、実際に食える施設がないかな。観光施設にもなると思うけど。 >>99
ご存知のとおり「江戸前」はもともと産地のこと。「前」というのは江戸城「前」の川・海なので江戸前。
江戸時代の引き札などに、すし屋やうなぎ屋が「江戸前」とうたっていたけど、これは江戸産の
高級品を使っているんだぞ、というキャッチコピーでしょうね。
他の用例はというと、戦前の文芸作品で産地の他によくあらわれるのが、江戸気質の人のこと、
「江戸っ子」と同じような意味ででてくる。他に江戸風の料理という意味で、夏目漱石『坊ちゃん』に
「大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。」と、田舎者を蔑むようなセリフもある。
「江戸前ずし」という言い方は、古い記録がみつからず、意外に新しいんじゃないかと思ってます。
>寿司の歴史一通り見せてくれて、実際に食える施設がないかな。観光施設にもなると思うけど。
ホント、あるといいですねぇ。むしろ、東京にあってしかるべきものかも。
近いものとしては、「江戸東京博物館」に以前は江戸前料理の「八百善」があったんですが、閉店
しちゃいました。なにをもって「江戸前」なのかわかりにく料理でしたけど…。ミツカン本社に付属の
博物館があって、江戸時代のすし屋台の再現や、再現すし(サンプル)を展示してました。すしは
食べられませんが、黒酢をジュースで割ったものを飲まされますw
静岡に「清水すしミュージアム」というのもありますが、ここには行ったことがありません。 >>94 >>95
>>95さんがおっしゃる通り、”鮓”は魚の保存食と言う一面を持つので、
その地方に限った話ではない様な気がします。
ただ、その時に大量に取れた鯖やツナシなど、
脚の早そうな魚や地元から外に出にくい下魚が姿寿司にされるのも、
冷蔵庫が普及するまでであれば当時の方々にとっては普通の事かもしれませんね。
なにせ、豊漁であれば、あれこれ細かい調理を加えるより、
基本的には開いて飯(または酢飯)を酸素の少ない状態に詰めるのが精一杯とも思われます。
そう言えば大阪でバッテラと呼ばれる様になった経緯もツナシの豊漁が元とも言われてますよね。
なんにせよ、大漁なのに腐らせてしまうより、
その港の人達が集って豊漁を祝う鮓を作る、なんて考えると、楽しくなって来ますよね。 鉄火巻きの語源は鉄火場(賭博場)で食い易いよう巻物にしたからとか
炎のように赤いからとも言われている >>100
戦中戦後の配給制度の中、仕込みに時間がかかる押し寿司、棒寿司に代わって
握りが台頭してきた際に誤用が広がったのじゃないでしょうか。
盗んで技を覚えた時代、料理の由来もまことしやかな噂話を口伝してしまった可能性もありますよね。 >>101
バッテラは明治の半ば、心斎橋「矢倉」の職人が「鮓常」という店を出して、その店でできたすし。
当初はコノシロの半身の形にあわせた型をこしらえてで押しずしにしたもの。お客さんが「バッテラ
(ボート:ポルトガル語)」と仇名したのだとありました「すしの本(篠田統)」。
個人的には「豊漁だから」生まれたというより、もっと商業的に店の名物料理にと創作したすしだと
思ってます。
おもしろいと思ってるのは、コノシロの値が高くなると、あっさりサバに切り替えてしまったこと。東京
だったら意地でも替えないじゃないかな。大阪らしいと思いません?
>>103
産地や産物などの名前を「その地域風」と例えたり意味を拡張したりというのは「誤用」ってほどの
モノじゃないと思いますか・・・。「道産子」とか。
戦後の食料統制下、表立って飲食商売ができない時代に東京のすし屋が尽力して、委託加工と
して1合の米と交換に1人前の握りずしを売ることを認めさせたんです。全国でこれにならって握り
ずしのみを認めさせしまったことが、全国制覇につながったんです。
東京のすし屋をまとめたのが、一番古いのれんの「すし栄」だったんですが、去年百貨店の出店
だけ残して閉店。大阪の市場にあったバッテラの発祥店「すし常」も、最近閉店しました。残念! >>102
サンドイッチも博打しながらでも食えるようにできたものだとか。
飯を食う間もおしんで博打にのめりこむのは古今東西を問わず、なんですなw >>105
存じ上げてますよ。(^^)
そして、なぜ最初がコノシロだったのか?ですよ、私が書いたのは(^^)
あ、コノシロって成魚になる前のツナシの異名です、念のため
今だ、瀬戸内に面した漁港の近くのすし屋ではコノシロを開いて
バッテーラの形のような棒寿司を供するお店があります。
東京では、これからの季節はシンコで細かい細工のような、
まさに”意地”の見せどころのような寿司を握るんでしょうね。
道産子は、北海道の農耕馬にたとえて、人へも転用されたものですから、
表現方法の分類でいえば"比喩"と言えなくもないです。
しかし、「江戸前」に関しては、"前"を”〜〜風”の”風”の様な用法で考える方もいますよね。
実際このスレでもいらっしゃいましたから、この手の解釈が横行してる事は否定はできないでしょう。
その場合、江戸前の産出品への比喩はあり得ないし、
ましてや料理のジャンルの冠に持ってくる用法もない。
従って、はっきりとした誤用です。
食料統制の話はよく御調べになられていらっしゃいますが、
これについても、"何故、握りが物々交換として成立するか"の観点が欠けているように思います。
ご存知でしょうが、まちゃれ、なんてキーワードがその説明に意味を持つ気がします。
バッテラのお店は残念ですね。
でも、アレンジ版ともいうべき松前寿司の発祥の店の方は健在ですよ(^^) 寿司食べたいのに、バッテラなんか出てきたらマジオコ 散らし寿しはなんだか無視されてるね。
田舎じゃ寿しと言えばこれだった。 >>112
江戸と大阪だけが和食を楽しんでたのか?
そういうのは文化とは言わないんだよ。
お前が食ってるカップ麺もプロが作ってるのか? そんな逃げ方とかw
じゃあ、カップ麺はやめよう。あまりにバカにし過ぎだ。
お前が毎日食ってる、白飯や味噌汁、パンは、一体なんと言う職人が作ってるの?
名前言ってみ。
シローとじゃなかろうね。
まさか寿しは特別だとか言わんだろうね。和食の一形態に過ぎない。
仮に百歩譲って、寿司は特別で職人芸を見せてくれる人がいたとして(数寄屋橋二郎でもなんでもいいが)、その人が出て来る前は誰も寿司を本当には食ってなかったのか?
そもそも寿司は一般農民、漁民の保存食から始まった。名人が出て来るのに時間が掛かるだろう。
出て来るまでは、その地には寿司文化は存在しなかったのか?
江戸や上方の料理屋ってのは特殊な存在に過ぎない。食文化の存在には関係ない。
そんな職人や名人がいようといまいと、寿司は存在してるんだよ。
2chには美味しんぼwとかからネタを仕入れて来てグルメぶる奴がいるのは承知だがw、こんな歴史探訪のスレにもいるとは悲しいね。 >>115
激しく同意です(^^)
>>1さんの付けたスレタイから趣旨は握りに限らないはずですよね。 立派に働いて、高収入を得ている社会の奴隷(笑)には敬意を表しますが
焼き肉と言ったら牛角や安楽亭、寿司と言ったら回転寿司のような残飯食い漁ってるような生活水準の奴は虚しくならないのか?
飲み行って会計が数万円になったくれーで痛々しい顔するhttp://ameblo.jp/toney0407/image-10374804565-10288694032.htmlとか、てめー自身が痛々しいっちゅーのw
世間的に「無職(笑)」と指差されて笑われようが、知的障害者級の低学歴でもない限りは年間600万は楽々稼げて最低限度の性活ができるスロプの方がマシリト博士かなと。
http://chosksysi.xsrv.jp/wordpress/archives/39220 【話題】「生ものダメだから火を通して!」を拒んだ日本のすし店主を中国人女子学生が批判、反対に中国ネットで責められる
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1399634689/
香港メディア・東網は5日、「ネットユーザーが話題:火を通したすしを作ることを拒んだ日本の店主を
中国人女子学生が批判、反対に責められる」と題した記事を掲載した。
日本に留学中の中国人女子学生が先月3日、友人ら5人で有名なすし店を訪れた。
その日、5人は予約していた時間を40分遅刻して店に到着した。店側に謝罪の言葉などは一切なかった。
席に着いて食べ始めた5人だったが、そのうちの1人が「生ものは食べられない」と言って席を立ち、
とんかつを食べに行ってしまった。この2つの件で店主はすでに相当、頭に来ていたようだ。
店主の怒りが爆発したのは、結局、すしを食べられなかった一行が「火を通したすし」を作るよう要求し、
さらにそれを持ち帰るために包んでほしいと言った時。
「君たちの国ではすしは生ではないのか?店に来る前は知らなかったのか?」と怒りをあらわにする店主。
だが、女子学生は「すしの量が多すぎるから」「予約は自分でしたわけではない」などと反論、
双方は激しい言い争いになった。怒りが収まらない女子学生はマイクロブログで事の顛末をぶちまけた。
ところが、ネットユーザーたちの反応は、ほとんどが女子学生を非難するものだった。
「生ものが食べられないなら、なぜすし屋さんに行った?しかも、40分も遅刻って!」といったコメントが多数寄せられ、
女子学生は書き込みを削除。だが、書き込みを保存していたユーザーによって中国本土や台湾、香港にまで、この話題が広まった。
女子学生は騒ぎを受け、その後、再びすし店を訪れ、店主に謝罪したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140509-00000030-xinhua-cn >>121
TEACじゃなくってオーディオテクニカじゃないかな?
寿司ロボは持っていないが、TEACならオープンリールのMTR、オーディオテクニカはレコードのカートリッジと
ケーブル類ならもっている。 歴史上、寿司は今のような酢飯を握り固めた上に
魚などのネタを乗っける握り寿司の形で生まれてきたわけではありません。
寿司の原点となるのは今で言う「熟れ鮨(なれずし)」であったと考えられています。
熟れ鮨は米や麦などの穀物を炊き上げて、
その中に魚などを詰め込乳酸菌の力で乳酸発酵させた発酵食品の一種です。
発酵食品は、発酵に関わった微生物の力で原材料となった食品には無かった栄養が含まれています。
熟れ鮨は一種の健康食品として、
発祥の地であったとされる東南アジアから中国、そして日本へと伝播していったのです。 【芸能】 松本人志、ホリエモンの「寿司職人が何年も修行するのはバカ」に持論★4 [転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1447018158/ 東南アジアから日本に寿司の先祖みたいなもんが伝わり奈良時代の日本でなれ寿司が誕生した
その後、室町時代に押し寿司が誕生して、江戸時代に握り寿司が誕生した 【北海道】大晦日、何食べる? 一年で最も生寿司が売れる日🍣
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/ニュー速+/1514643565/ 【究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜】
http://www4.nhk.or.jp/P4740/3/
江戸前ずし200年の歴史で、「天才」「鮨の神様」「天皇」の名を欲しいままにした男がいる。
伝説のすし職人、藤本繁蔵(1902〜1987)だ。
その卓越した技術と美学は、亡くなって30年がたった今も語り継がれている。
高級すし店では、当たり前になった劇場型の白木のカウンターや、
職人が握るタネと順番を決める“おまかせ”は、藤本が始めたものと言われている。
双葉鮨→なか田→すし春→にし木→きよ田
弟子である清水喜久男(赤坂・喜久好)らが再現。
番組では、歌舞伎俳優の中村芝翫が、藤本の常連だった父の思いをたどりながら、その神髄に迫る。
【出演】中村芝翫,【語り】六角精児,久保田祐佳 なれずし
発酵食品として生の魚と穀物類を合わせて熟成させた食べ物
日本だと鮒寿司とかニシンなんかの「いずし」ですよね。
・・その起源と言われる東南アジアで、それに当たる食べ物は現存するのかな お、>>97
カンボジアにあるのね
淡水魚なら鮒寿司に結びつくね