鮨・鮓・寿司の歴史と文化
なぜか異説・俗説も多いこの分野ですが、まったりといきましょう。
当面はわりと詳しい(らしい)1が質問にこたえます。
ルール:情報はソースを示すこと。 北海道の鱈子を使っても博多明太子。輸入小麦を使っても讃岐うどん。
京懐石だって地場産の素材だけじゃ作れない。殆どが他県産の素材。 浅草・鳥越 おかず横丁の「都鮨」
創業125年 現在四代目の富嶋さん。
煮きり塗って出す店なんざぁ、ひょっ子よ。
今時、“煎酒”で鮨ぃ喰わせてくれる店ゃ
広いお江戸は華の東京でもココ一軒だけ!
すなはち、日本でここ一軒だけの唯一無二の店。
ココの煎酒で漬け込んだ“ヅケまぐろ・赤身”がタマらん! 播州の秋祭りでは鯖丸ごと鰭も頭もついたまま姿寿司にする
何十匹も作って近所に配ったりもする
飾磨や家島、高砂あたりが本場だと思うんだけど、山間部の福崎や香寺、北条でも作られてる
調べてもルーツが良くわからないんだわ >>94
手元の資料には、兵庫県多紀郡、佐々婆神社の秋祭りに、サバの姿ずしや棒ずしを
親戚じゅうに配るとありました。これのことかと思います。
写真や作り方を見る限り、全国的によくある形の姿ずし、特に関西近辺では一般性の
高い形です。酢飯を使うことから、いわゆる「早ずし」で、江戸時代・後期以降の形態と
いうことがわかります。しかし、それ以前にナレずしであった風習が、早ずしに替わった
可能性もありますので、もっと古い風習かもしれません。
すしは古くから『ご馳走』であり、冠婚葬祭など特別な日の行事食としても多く定着して
います。祭りの日にすしをつくるなり出前などでとることは、現代でも全国で行われて
いることですので、特にいわれがあるわけでないのではないかと思いますが。 カンボジアで寿司の原型になる淡水魚の塩漬け「プラホック」を食ったんだが
今昔物語の様な酸っぱい物ではなく、甘酢ぱかった。 江戸風を、江戸前というのはちょっと抵抗があるな。
そんな用例が他にあるのかな?
なんで、前なの?
ま、別に反論てわけじゃないが。
寿司の歴史一通り見せてくれて、実際に食える施設がないかな。観光施設にもなると思うけど。 >>99
ご存知のとおり「江戸前」はもともと産地のこと。「前」というのは江戸城「前」の川・海なので江戸前。
江戸時代の引き札などに、すし屋やうなぎ屋が「江戸前」とうたっていたけど、これは江戸産の
高級品を使っているんだぞ、というキャッチコピーでしょうね。
他の用例はというと、戦前の文芸作品で産地の他によくあらわれるのが、江戸気質の人のこと、
「江戸っ子」と同じような意味ででてくる。他に江戸風の料理という意味で、夏目漱石『坊ちゃん』に
「大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。」と、田舎者を蔑むようなセリフもある。
「江戸前ずし」という言い方は、古い記録がみつからず、意外に新しいんじゃないかと思ってます。
>寿司の歴史一通り見せてくれて、実際に食える施設がないかな。観光施設にもなると思うけど。
ホント、あるといいですねぇ。むしろ、東京にあってしかるべきものかも。
近いものとしては、「江戸東京博物館」に以前は江戸前料理の「八百善」があったんですが、閉店
しちゃいました。なにをもって「江戸前」なのかわかりにく料理でしたけど…。ミツカン本社に付属の
博物館があって、江戸時代のすし屋台の再現や、再現すし(サンプル)を展示してました。すしは
食べられませんが、黒酢をジュースで割ったものを飲まされますw
静岡に「清水すしミュージアム」というのもありますが、ここには行ったことがありません。 >>94 >>95
>>95さんがおっしゃる通り、”鮓”は魚の保存食と言う一面を持つので、
その地方に限った話ではない様な気がします。
ただ、その時に大量に取れた鯖やツナシなど、
脚の早そうな魚や地元から外に出にくい下魚が姿寿司にされるのも、
冷蔵庫が普及するまでであれば当時の方々にとっては普通の事かもしれませんね。
なにせ、豊漁であれば、あれこれ細かい調理を加えるより、
基本的には開いて飯(または酢飯)を酸素の少ない状態に詰めるのが精一杯とも思われます。
そう言えば大阪でバッテラと呼ばれる様になった経緯もツナシの豊漁が元とも言われてますよね。
なんにせよ、大漁なのに腐らせてしまうより、
その港の人達が集って豊漁を祝う鮓を作る、なんて考えると、楽しくなって来ますよね。 鉄火巻きの語源は鉄火場(賭博場)で食い易いよう巻物にしたからとか
炎のように赤いからとも言われている >>100
戦中戦後の配給制度の中、仕込みに時間がかかる押し寿司、棒寿司に代わって
握りが台頭してきた際に誤用が広がったのじゃないでしょうか。
盗んで技を覚えた時代、料理の由来もまことしやかな噂話を口伝してしまった可能性もありますよね。 >>101
バッテラは明治の半ば、心斎橋「矢倉」の職人が「鮓常」という店を出して、その店でできたすし。
当初はコノシロの半身の形にあわせた型をこしらえてで押しずしにしたもの。お客さんが「バッテラ
(ボート:ポルトガル語)」と仇名したのだとありました「すしの本(篠田統)」。
個人的には「豊漁だから」生まれたというより、もっと商業的に店の名物料理にと創作したすしだと
思ってます。
おもしろいと思ってるのは、コノシロの値が高くなると、あっさりサバに切り替えてしまったこと。東京
だったら意地でも替えないじゃないかな。大阪らしいと思いません?
>>103
産地や産物などの名前を「その地域風」と例えたり意味を拡張したりというのは「誤用」ってほどの
モノじゃないと思いますか・・・。「道産子」とか。
戦後の食料統制下、表立って飲食商売ができない時代に東京のすし屋が尽力して、委託加工と
して1合の米と交換に1人前の握りずしを売ることを認めさせたんです。全国でこれにならって握り
ずしのみを認めさせしまったことが、全国制覇につながったんです。
東京のすし屋をまとめたのが、一番古いのれんの「すし栄」だったんですが、去年百貨店の出店
だけ残して閉店。大阪の市場にあったバッテラの発祥店「すし常」も、最近閉店しました。残念! >>102
サンドイッチも博打しながらでも食えるようにできたものだとか。
飯を食う間もおしんで博打にのめりこむのは古今東西を問わず、なんですなw >>105
存じ上げてますよ。(^^)
そして、なぜ最初がコノシロだったのか?ですよ、私が書いたのは(^^)
あ、コノシロって成魚になる前のツナシの異名です、念のため
今だ、瀬戸内に面した漁港の近くのすし屋ではコノシロを開いて
バッテーラの形のような棒寿司を供するお店があります。
東京では、これからの季節はシンコで細かい細工のような、
まさに”意地”の見せどころのような寿司を握るんでしょうね。
道産子は、北海道の農耕馬にたとえて、人へも転用されたものですから、
表現方法の分類でいえば"比喩"と言えなくもないです。
しかし、「江戸前」に関しては、"前"を”〜〜風”の”風”の様な用法で考える方もいますよね。
実際このスレでもいらっしゃいましたから、この手の解釈が横行してる事は否定はできないでしょう。
その場合、江戸前の産出品への比喩はあり得ないし、
ましてや料理のジャンルの冠に持ってくる用法もない。
従って、はっきりとした誤用です。
食料統制の話はよく御調べになられていらっしゃいますが、
これについても、"何故、握りが物々交換として成立するか"の観点が欠けているように思います。
ご存知でしょうが、まちゃれ、なんてキーワードがその説明に意味を持つ気がします。
バッテラのお店は残念ですね。
でも、アレンジ版ともいうべき松前寿司の発祥の店の方は健在ですよ(^^) 寿司食べたいのに、バッテラなんか出てきたらマジオコ 散らし寿しはなんだか無視されてるね。
田舎じゃ寿しと言えばこれだった。 >>112
江戸と大阪だけが和食を楽しんでたのか?
そういうのは文化とは言わないんだよ。
お前が食ってるカップ麺もプロが作ってるのか? そんな逃げ方とかw
じゃあ、カップ麺はやめよう。あまりにバカにし過ぎだ。
お前が毎日食ってる、白飯や味噌汁、パンは、一体なんと言う職人が作ってるの?
名前言ってみ。
シローとじゃなかろうね。
まさか寿しは特別だとか言わんだろうね。和食の一形態に過ぎない。
仮に百歩譲って、寿司は特別で職人芸を見せてくれる人がいたとして(数寄屋橋二郎でもなんでもいいが)、その人が出て来る前は誰も寿司を本当には食ってなかったのか?
そもそも寿司は一般農民、漁民の保存食から始まった。名人が出て来るのに時間が掛かるだろう。
出て来るまでは、その地には寿司文化は存在しなかったのか?
江戸や上方の料理屋ってのは特殊な存在に過ぎない。食文化の存在には関係ない。
そんな職人や名人がいようといまいと、寿司は存在してるんだよ。
2chには美味しんぼwとかからネタを仕入れて来てグルメぶる奴がいるのは承知だがw、こんな歴史探訪のスレにもいるとは悲しいね。 >>115
激しく同意です(^^)
>>1さんの付けたスレタイから趣旨は握りに限らないはずですよね。 立派に働いて、高収入を得ている社会の奴隷(笑)には敬意を表しますが
焼き肉と言ったら牛角や安楽亭、寿司と言ったら回転寿司のような残飯食い漁ってるような生活水準の奴は虚しくならないのか?
飲み行って会計が数万円になったくれーで痛々しい顔するhttp://ameblo.jp/toney0407/image-10374804565-10288694032.htmlとか、てめー自身が痛々しいっちゅーのw
世間的に「無職(笑)」と指差されて笑われようが、知的障害者級の低学歴でもない限りは年間600万は楽々稼げて最低限度の性活ができるスロプの方がマシリト博士かなと。
http://chosksysi.xsrv.jp/wordpress/archives/39220 【話題】「生ものダメだから火を通して!」を拒んだ日本のすし店主を中国人女子学生が批判、反対に中国ネットで責められる
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1399634689/
香港メディア・東網は5日、「ネットユーザーが話題:火を通したすしを作ることを拒んだ日本の店主を
中国人女子学生が批判、反対に責められる」と題した記事を掲載した。
日本に留学中の中国人女子学生が先月3日、友人ら5人で有名なすし店を訪れた。
その日、5人は予約していた時間を40分遅刻して店に到着した。店側に謝罪の言葉などは一切なかった。
席に着いて食べ始めた5人だったが、そのうちの1人が「生ものは食べられない」と言って席を立ち、
とんかつを食べに行ってしまった。この2つの件で店主はすでに相当、頭に来ていたようだ。
店主の怒りが爆発したのは、結局、すしを食べられなかった一行が「火を通したすし」を作るよう要求し、
さらにそれを持ち帰るために包んでほしいと言った時。
「君たちの国ではすしは生ではないのか?店に来る前は知らなかったのか?」と怒りをあらわにする店主。
だが、女子学生は「すしの量が多すぎるから」「予約は自分でしたわけではない」などと反論、
双方は激しい言い争いになった。怒りが収まらない女子学生はマイクロブログで事の顛末をぶちまけた。
ところが、ネットユーザーたちの反応は、ほとんどが女子学生を非難するものだった。
「生ものが食べられないなら、なぜすし屋さんに行った?しかも、40分も遅刻って!」といったコメントが多数寄せられ、
女子学生は書き込みを削除。だが、書き込みを保存していたユーザーによって中国本土や台湾、香港にまで、この話題が広まった。
女子学生は騒ぎを受け、その後、再びすし店を訪れ、店主に謝罪したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140509-00000030-xinhua-cn >>121
TEACじゃなくってオーディオテクニカじゃないかな?
寿司ロボは持っていないが、TEACならオープンリールのMTR、オーディオテクニカはレコードのカートリッジと
ケーブル類ならもっている。 歴史上、寿司は今のような酢飯を握り固めた上に
魚などのネタを乗っける握り寿司の形で生まれてきたわけではありません。
寿司の原点となるのは今で言う「熟れ鮨(なれずし)」であったと考えられています。
熟れ鮨は米や麦などの穀物を炊き上げて、
その中に魚などを詰め込乳酸菌の力で乳酸発酵させた発酵食品の一種です。
発酵食品は、発酵に関わった微生物の力で原材料となった食品には無かった栄養が含まれています。
熟れ鮨は一種の健康食品として、
発祥の地であったとされる東南アジアから中国、そして日本へと伝播していったのです。 【芸能】 松本人志、ホリエモンの「寿司職人が何年も修行するのはバカ」に持論★4 [転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1447018158/ 東南アジアから日本に寿司の先祖みたいなもんが伝わり奈良時代の日本でなれ寿司が誕生した
その後、室町時代に押し寿司が誕生して、江戸時代に握り寿司が誕生した 【北海道】大晦日、何食べる? 一年で最も生寿司が売れる日🍣
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/ニュー速+/1514643565/ 【究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜】
http://www4.nhk.or.jp/P4740/3/
江戸前ずし200年の歴史で、「天才」「鮨の神様」「天皇」の名を欲しいままにした男がいる。
伝説のすし職人、藤本繁蔵(1902〜1987)だ。
その卓越した技術と美学は、亡くなって30年がたった今も語り継がれている。
高級すし店では、当たり前になった劇場型の白木のカウンターや、
職人が握るタネと順番を決める“おまかせ”は、藤本が始めたものと言われている。
双葉鮨→なか田→すし春→にし木→きよ田
弟子である清水喜久男(赤坂・喜久好)らが再現。
番組では、歌舞伎俳優の中村芝翫が、藤本の常連だった父の思いをたどりながら、その神髄に迫る。
【出演】中村芝翫,【語り】六角精児,久保田祐佳 なれずし
発酵食品として生の魚と穀物類を合わせて熟成させた食べ物
日本だと鮒寿司とかニシンなんかの「いずし」ですよね。
・・その起源と言われる東南アジアで、それに当たる食べ物は現存するのかな お、>>97
カンボジアにあるのね
淡水魚なら鮒寿司に結びつくね