【陰謀論】フラットアースを優しく論破するスレ 第5日
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科学は成立条件を確定すべきかと思うけどね
無矛盾であること、この一点に尽きると理解している
科学の歴史は否定関係で規定してきたことが差異であることを示す
光速度一定の原理は静止の存在を否定する
つまり自然の存在形態は運動であり無矛盾だと示している
地球、人間もまた自然の一部であり差異なのだと
粒子と波と否定関係だと理解してきたことが実は差異なのだと
なぜ否定で規定、認識してきたのか
それは認識の在り方なのだと
〈わたし〉という表現は自己を他として認識している
自然が無矛盾であり〈一〉であり、それを認識する場合も同じ
自己を他として認識する
科学認識は本質として否定としてある
三浦つとむはフォイエルバッハの観念の理解から観念的な自己分裂が認識の本質だと指摘して言語学を展開した
わたしは形という認識の在り方は必然だが、それは認識器官の在り方に生成れた像であり自然に存在するという理解には納得できない
静止で運動は規定されるが静止は存在しない
それで理論展開することには賛成するが、それが=自然なのではない
光速度一定の原理が示す絶対座標の否定はそういうことなのだと 数学の様々な説明が理解できず物理の重力の説明も判らず理系を諦めた
二十代で実はそれは丸暗記で対応するしかないと判った
つまり学問は理数系でさえ現在は基本は確立していないのだと
カント、ヘーゲル、光速度一定の原理、観測問題などなど論理として納得したいと彷徨ったがますます迷路に
得た結論は学問は本質として中世に毛が生えた程度で、科学でさえもまだまだなのだと
ホーキングは現在の科学という知の在り方に疑問を持たなかった
わたしは自然科学は自然認識だから認識もまた認識しなければならないと理解している
学問という知に終点は無い 三浦つとむの学問は支持するが、思想としての共産主義は支持しない
このへんは「進化は万能である」が知の在り方から共産主義を否定していて面白い
それはともかく「日本語はどういう言語か」とか一連の啓蒙的著作は認識の本質理解の参考になる
その弟子筋の板倉聖宣の「新哲学入門」は論理の性格を指摘している
これが手掛かりとなりスピノザの規定は否定の意味が判明した
山川偉也「ゼノン4つの逆理」はゼノンの逆説の正体を明らかにしている
個人的に解明に達することは無いと諦めていた一連の問題が実に単純な視点から解り驚いている
三浦つとむは真理は単純だと語ったがその通りだと
認識の在り方に興味のある方にお勧め ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています