石田三成の挙兵 ★6
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毛利が腰抜けアホだったからアッサリ終わって家康は日本全域に渡って国替え知行割りをやれて天下を掌握したけど、家康が負けてもそうはならなかったと思われる
家康の武威は落ちるだろうけどまだ秀忠の本隊と250万石はあるわけで、各地で東軍と西軍に分かれて領土の奪い合いが行われる緩い分裂状態になったんじゃないか >>898
大野治長は東軍に参加してたから外されるんじゃ? >>895
三成からも家康の背後を突いてくれと毛利は要望されてたから
最初から最後まで毛利家の態度としては一貫している >>897
毛利にしても、上杉にしても、伊達にしても、地方大名にとっては本質的に敵は徳川ではなく豊臣だからな。
いつまで我慢して勢力を回復させるか。 関ヶ原はもっと毛利をクローズアップして語るべきだと思うなあ
もしかすると三成などよりもずっと主役であり立役者で奉行も家康も東西両軍毛利に振り回された感がある 輝元がいるから家康は上方を留守にし、輝元がいるから西軍はあれだけの軍事行動ができたのに、その輝元がイモ引いて関ケ原は終わるんだから迷惑な話だよな 三津浜でわずか数百の留守兵にぼろ負けした毛利が何だって? 輝元が無能なのは明らかな事実だろ
家臣の嫁に手を出したりしてるほどだし
そもそも秀吉は隆景=毛利と見ていたふしがあり、だから隆景が死んだ後に
あんな遺領裁定したんじゃないのか?
輝元ならどうにでもなると考えてさ >>908
輝元が無能かどうかの話以前に、隆景が死んだ頃の秀吉なんてもはやまともな判断もできないボケ老人だよ。 輝元は三成襲撃事件解決後に家康に起請文を入れてるわけだけど
これ割と異質な気がする
家康暗殺計画関与が疑われた前田利長すらこうした起請文は入れてない訳だから
つまり何らかの危険な計画を家康に掴まれかけてたんじゃないか、この時から輝元の野望は始まっていたことになる 大坂城占拠の為に毛利軍が大坂付近に展開していたとしたらどんな名目だったのか気になる
超怪しいじゃん >>912
名目というか、会津征伐に兵をだしていただけだな 「石田三成」の挙兵なのか、石田三成の「挙兵」なのかでニュアンスが変わるからなあ。
今のところ、一連の関ヶ原において石田三成はただの下っ端、主犯は毛利と3奉行という感じだから、
石田三成に関してはろくに見るべき所がないんだよなあ。 いざとなったら三成に責任を擦り付けて逃げる作戦を考えていたから
毛利と三奉行は主犯として挙兵できたわけで
もしも三成に罪を擦り付けることができないなら毛利と三奉行は挙兵できないよ
そういう意味では、三成がいなければ西軍は挙兵できないし
三成がいるから西軍は全力で戦えないというジレンマが成立している 西軍での三成って殆ど実権は無い単なる指揮官の一人だからなあ
上杉との連絡役もとってつけたような適当さだし てか、東軍が勝っても西軍が勝っても奉行衆にメリットなくね?
軍勢の半数以上を毛利に依存して勝っても、毛利が第二の徳川になるだけで。 >>918
そうなったらそうなったで、今度は毛利に対して徳川と同じ事をするつもりだったんだろ
少なくとも前田と徳川で成功してるなら(西軍勝利ルートの場合)毛利でもうまくいくと考えておかしくはない
これを繰り返せば大大名の力は弱体化して豊臣政権を牛耳る奉行の力は相対的に増大する
虫が良すぎると思うかもしれないが、室町幕府なんかはそうやって大大名の力を削いでいた訳で >>920
その力の根源は何処よ?
徳川の時には辛うじて毛利がいた。
じゃあ関ヶ原で勝った場合の毛利相手に、西軍の半分以上の兵を出していた毛利相手に誰がどれだけの兵を出すの? >>921
上杉や宇喜多がいるじゃないか、或いは没落した徳川や前田に奉行の名の下で復権のチャンスを与えたっていい
要は奉行がバランサーになって大諸侯をコントロールできればそれでいいんだからな
そもそもこの話は奉行がそんな風に考えてたんじゃないのか、って話であって
実際にそんなご都合主義満載の話が上手くいくのかなんて考慮してない、正直自分自身もこんなの無理だろって思うし 織田信長、今川義元、毛利元就、北条氏康、大友宗麟 等々。
隠居なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ。 >>923
石田家嫡男の重家は関ヶ原当時大坂にいた
他の石田と違って重家は大坂から出る事はなく関ヶ原の後に剃髪、家康に一命は許されたと言われてる
おそらく重家は家康と親しかったので西軍に拘束されていたんじゃないか。重家は三成襲撃事件の際家康に身柄を預かられた後秀頼への出仕を許された。その経緯から家康に目をかけられていたというから >>923
よく勘違いされるけど石田家の家督を持っているのは兄の正澄であって
別に三成が家督を持ったことなど一度もない 石田氏自体歴史も浅いし
家督云々の概念も薄かったんじゃないか >>924
マジレスすると早いとこ家督は早いとこ譲っとかないと、お家騒動がヤバい。
織田信長も今川義元も毛利元就も大友宗麟も、自身の時は兄弟と家督争いして相手を滅ぼしている。 そういう意味では、上に出ている家臣の妻を強奪したという無能エピソードのある毛利輝元は、
結果的にはこれが唯一の嫡子誕生に繋がるという大ファインプレーだった。
ここの有能無能はともかく、子を残して家督を継がせる、これが大名としての最低限の仕事だと思う。
この点では織田信長は成功していたんだけどなあ……なんで信忠まで一緒に死ぬかなあ。
秀吉に関しては浮気したならそのまま子も作れよとしか。 本能寺は信長信忠をまとめて葬る唯一絶対のチャンスを後先考えず動いた明智光秀の行動力の勝利
後先考えてないから味方が集まらず光秀も即座に終わったが
秀吉の女好きは有名すぎるから単純に秀吉に子種が無い
秀頼に関しては秀吉が自分の子供と認めた時点で秀頼が秀吉の実子かどうかはどうでもよい >>931
有楽斎も三法師も脱出に成功してるから、信忠も脱出出来たはずなんだよな。
>>932
関ヶ原も結局は誰が後見役として実権を握るかという、割とありふれたお家騒動のひとつ。 家康も最初は秀頼の後見役として実権を握ろうとしたけど
三成や輝元が無能すぎたので、後見なんかやめて独立すればいいと気付いただけ 有楽斎は信忠が自刃して明智軍が近江に進軍してから京を脱出したんじゃなったっけ そもそも西軍が負けるのは当たり前
前線にまで出てくる総大将と、後方で何にもしない総大将
これじゃ勝負は最初から見えてる 近年の新説を踏まえてもいわゆる西軍が政治的にも軍事的にも何ら惜しいところなく負けるべくして負けた
というのはほぼほぼはっきりしたと言ってよさそうだけど
まあ今後も旧来の関ヶ原像が一般に至るまで覆ることは難しいんだろうな
例え司馬遼太郎を墓から引きずり出して書き直させてもエンタテイメントとしてつまらないものになるし
関ヶ原後数百年かけてドラマチックな嘘創作捏造積み重ねてきた末の決定版が司馬遼太郎のお伽噺なんだから
歴史に単純明快なエンタテイメントとロマンしか求めない一般層は
今後も司馬のお伽噺を思考停止で受け売りして歴史を語ってるつもりを続けるんだろう >>935
というより、西軍の挙兵によって徳川が豊臣政権を支えるメリットが消滅したんだよ
だって政権内でいくら権勢を高めようと、それが徳川の御家安泰に繋がらない事を
よりにもよって西軍が証明してしまったんだ、そりゃ家康も政権存続に見切りつけるよ
>>937
前線に出りゃいいってもんでもないだろ、島津義久とかあまり薩摩から出なかったとは言うぞ
まあ秀吉には敗北したがさすがにどうしようもない、前線にいてどうにかなる相手じゃないよ
突出しすぎて孤立して敵に討たれるような奴はそれはそれで困るし、
後方にいても情報収集や整理に努め的確に各戦線に指示を飛ばせるなら問題はない
まあ輝元がその辺ちゃんと出来てたのかって言われると困るが 西軍の初期戦略が破綻してどうすりゃいいのかわからなくなってるのがね
徳川本隊無しに東軍先手衆が岐阜城落としたのがまず想定外だったはず
家康が上洛にきてると掴んでたら輝元の東進もあったかもしれないけど関ヶ原の前日まで掴めてなかった訳でそこから大垣に行っても間に合わなかったろうし
戦いになった時には勝ち負けは決まってるのよね 輝元はしょせん隆景あっての存在
隆景が死んだ時点で自分の身のほどを知って引くべきだったが、それができない時点で無能としかいいようがない >>940
結局は東国側である美濃を、関が原を戦いの地に選んだことが致命的だったかと。
尾張清洲の福島正則を引き入れる算段があれば話は別だけど、
むしろそこが一番石田三成と敵対していたわけで。 奉行はしょせん秀吉あっての存在
秀吉が死んだ時点で自分の身のほどを知って引くべきだったが、それができない時点で無能としかいいようがない 野戦とかどうでもいいよね
誰も味方がいなかった大坂の陣じゃもう手遅れだけど関ヶ原時点なら大坂城に籠城すればどうとでもなった 関ヶ原の時点では、豊臣家にとって家康は言われているほど脅威ではない
秀頼と家康では残された寿命が違うのだから慌てるような段階ではなく
幼児の秀頼がもうすぐ60歳の家康に焦って戦いを挑む必要は全くなかった
あくまで三成が返り咲きをしたり、奉行や輝元が権勢を握るのに家康が邪魔だっただけ
奉行や輝元の個人的な欲望のために大坂城に籠城することは許されない
大坂城外で勝てないのなら奉行や輝元が諦めなければならない 立花宗茂とかは籠城を主張してたからな。総大将引き受けたくせに我が身かわいさに勝手に家康と手打ちした輝元がクズだっただけで宗茂の主張通り籠城してれば十分勝ち目はあった 岐阜も大垣も佐和山も見捨てて大坂に籠城しても
それって秀頼を盾にして不法占拠してるだけじゃね?
大坂の陣が15年早まるだけのような気がするけど >>946
勝ち目は0だよ。
大坂冬の陣の豊臣方の兵力は9万人、夏の陣で5.5万人。
それも豊臣のために覚悟を決めたり、ほかにはもう行き場のない死兵が集まっての話だ。
対してあの時点の西軍残存勢力は大津勢が無事に帰っても3万人で、うち2万人は毛利勢。
豊臣のために命を賭ける義理もない。 西の丸だけで籠城するのと本丸を占拠して籠城するのじゃ天地の違いがある
西の丸だけでの籠城はありえないと思われるので本丸を攻める必要があるが、そこまでやるか?
どちらにしろ毛利にとって豊臣の価値は低いし毛利は自領に拘るから大阪籠城はやらないと思うわ
籠城して瀬戸内を取られ毛利領を攻められたら意味が無い
だからこその関ヶ原講和だし 西軍に豊臣軍が入ってるのに東軍がそれに動揺したって話は無いから仮に大坂城に籠城したら包囲して秀頼を渡せと言われて詰むだけだろう
仮にそこで秀頼が西軍こそ公儀と演説出来たとしても東軍がそれを聞き入れる訳もない、「秀頼は輝元に脅されてるんだ」って総攻撃加えて涙の落城するだけ そんで輝元としては大坂城に籠城したら囲まれた挙句毛利本土を侵略されるのは明らかだから籠城戦は出来ないだろう
かといって秀頼連れて広島へ撤退とかできるか? みっともねえなあ、頼んでもない豊臣御為掲げといて負けそうだし尻ぬぐい手伝って下さいだとさ
いつから大坂城は毛利輝元の城になったんだか教えてほしいわ
家康が豊臣政権を私物化してるって言っといて、やる事が西軍による豊臣の私物化とか
天下を我が物にしようとしているのは一体どっちなんだって言いたくなるよ
こんな意見をよくまあ平然と主張できるな、恥って言葉を知らんのだろうか 家康最強って言いたいだけのスレだったの忘れてたわ
1人でようやるわほんと 石田三成は豊臣家を守るために立ち上がっただけ
立派な大忠臣
家康は政権に野心を見せる大悪党 >>955
それなら加藤や福島に土下座するくらいの覚悟はしろよ
もともと武功がないのに豊臣家に大迷惑をかけただけだろ 現代人の視点で考えても、関ヶ原敗走後だと大坂城退去が条件の講和はそんなに悪手ではない、
というか結果的に反故にされてるとはいえ、あれが唯一の手なんだよなあ。
他のどんな手を打っても、史実よりマシになる可能性がない。
いくら輝元が無能でも、勝敗や引き時も分からないほどの無能ではなかったとも言える。
そもそも籠城戦が出来るほど、西軍が「豊臣家を掌握」してるなら、それこそ関ヶ原の戦い自体が発生しなかった。 >>955
それで奸臣の毛利輝元を大将にするどころか、半数以上の兵を毛利に依存。
完全な利敵行為のどこが忠臣なんでしょうかねえ?
ちなみに毛利を奸臣といったが、5大老でも徳川、上杉、毛利は豊臣恩顧どころか、豊臣に対して基本的に恨みしかないからな。
それぞれ自分の家が優先の奸臣で当然。 三成の奉行職解任は豊臣家からも北政所が協議に参加して、その結果決定した事だから
それらを無視するような三成の関ケ原時の行動は間違いなく忠という観点からは許されない
大体本当の忠義者なら政権から没落や破滅を命ぜられても平然と受け入れるのが当然で
むしろ自らが政権の礎という名の犠牲になる事を満足する位じゃなきゃ駄目だろう
三成が関ヶ原の際にすべき事は(本当はおとなしく謹慎してるのが一番良いのだが)
早急に西軍首脳部の元へ駆けつけて『政権崩壊を起こしかねない天下大乱を誘発するような
暴挙を今すぐやめよ!』と説得をする事であって、西軍参加なんて論外の極みだ 豊臣視点で重要視してたのは
徳川>前田>宇喜多>毛利>上杉
毛利はむしろ暫定的な仮想敵位置だったとは思うけどな(豊臣政権下では 三成たち奉行連中は十数年間誰よりも政権中枢部にいながら全く豊臣を守る気がなかった
そのくせ批判が高まり自分たちのクビが危うくなると慌てて豊臣を守るとか言い出す
三成たちの調子のいい態度に加藤や福島が激怒するのも当然だった 徳川は何がやりたくて、何を成功したか、はっきり分かる。
毛利も何がやりたくて、何を失敗したか、わりと分かる。
しかし奉行衆や大谷らの小規模大名は、そもそも何がしたかったのかがサッパリわからない。 秀吉信者じゃあるまいし家康を最強だのスーパーマンだの化け物だのと崇め奉ることはない
ただ西軍の連中が政治的にも軍事的にもお粗末そのもので順当に敗れただけなのに
後世の秀吉信者とその係累が寄って集って嘘創作捏造を盛りまくってホルホルしてただけのこと 家康が政権に野心が無いとか忠臣とか言ってる奴らは、前田利長に謀反の嫌疑をかけたりしたのを知らんのか
三成は確かに和を乱す爆弾で問題児だったのは事実だが、主家豊臣を守るために立ち上がったことだけは紛れもない事実
家康は豊臣を滅ぼし、その遺児まで殺して豊臣を完全に滅ぼした悪党 >>968
奉行が讒言したから問題になったことも知らんのか 讒言したからそれを聞き入れたのか家康
大したもんだわ
讒言かどうかの判断もつかんのか? 讒言したんならむしろそれを機に奉行を解体したらええやん
そんな奉行ならむしろ政権にとっては害悪だわ
家康は自分の大久保事件で忠隣とか追いやってるしな >>968
大名らの合議で政権運営するなんてのは無理な話なんだから
豊臣政権を守るためには誰かが独裁しないといけない 真っ先に遺言破っておいてどこが豊臣を守ろうとしてるのか
三成が守りたかったのは自分の権力だろ 三成が主家豊臣家守る為だけに立ち上がったというのは、ちょっと無理なような…
豊臣家による統制を無視して、軍事クーデターなんて起こしたから豊臣家は統制する事ができず実権を失ったわけだし。
豊臣家のこと考えるなら、秀頼の号令のもと行わないと意味がないかと。
石田三成は、踊らせられたのかな。 前田利長は確かに怪しいから仕方ない
実行犯が血縁で太閤遺言に逆らって帰国、しかも親友の上杉景勝も帰ってますよとなるとね
家中にも反徳川派いるしで怪しめば怪しいという >>968
そもそも論になるが、徳川に豊臣を立てる義理はあるのか?
これは五大老で言えば毛利や上杉にも言えるけど、豊臣が何をしてくれたのよ?
盟友だった前田や、猶子にまでした宇喜多とは訳が違う。
戦国の世になって御恩と奉公もないけど、一方的に押さえつけられていたのだから、
秀吉が死ねばそれぞれ好き勝手に動くのは当然。
その意味で、西軍の敗因を言えば潜在的には反豊臣の毛利と上杉を味方に引き入れたこと。
奉行衆は大人しく上杉が成敗されるのを待ち、毛利が暴発したならこれ幸いにと討伐すればよかったんだよ。 >>977
息子に秀の字をくれた。秀吉は一門扱いの者にしか秀の字はあげない
大幅に加増してくれた。石高だけなら豊臣も凌いで日本随一の大大名
高位高官をくれた その程度なら三成の謀反を鎮圧してあげたからチャラだろう
むしろ豊臣家が家康に対して感謝するべき >>980
謀反だと言ってる人がいるんだから仕方ない 上杉の史料だと奉行が帰るように勧めたとかあったような >>978
大盤振る舞いした秀の字にどれほどの価値が?
豊臣秀次や小早川秀秋みたいなガチの一門衆以外で思いつくだけでも、
徳川秀忠、結城秀康、小早川秀包、毛利秀元、宇喜多秀家、仙石秀久、織田秀信、伊達秀宗、蒲生秀行。
多分検索したらもっと出てくるはず。
てか、そもそも本物の一門衆の豊臣秀次が切腹させられ、豊臣秀俊が九州に追い出される等ろくな扱いを受けていない。 結果が残せなかったから三成が悪く言われるのは仕方ないよね
だけど三成は主家を守ろうとした忠臣だった 仮に三成が忠臣で豊臣家を守ろうとしていたとしてもやった事は豊臣崩壊の手助けなんだよな
無能の働き者の典型例 三成は忠臣でも佞臣でもない単なる官僚
豊臣公儀に従って豊臣公儀に見捨てられて死んだ 本気で疑問なんだが、なんで奉行って自分が犠牲になったり身を切るのを死ぬほど嫌がるんだ?
少なくとも自分が考える忠臣と呼べる最低ラインって主家や主君の為に
己の没落や破滅を平然と受け入れられる奴なんだが、三成ってその程度の事も出来てないんだよ
三成忠臣説なんて後世の人間の願望を仮託した物に過ぎないんだろうけど、
なんていうか、その、もうちょっと対象にする人間を選べよ、とは思ってしまう そらそんな奴戦国時代どころか日本史全部探して一人居るか居ないかだろ >>989
いや、いっぱいいるだろ 基準が緩すぎると思う位なんだが
代替わりや方針転換、用済みであるって理由だけで解任や排除されたら、反抗を一切せず
黙って静かに表舞台から去ればいいだけだぞ、こんなの誰でも出来るわ
本来ならもっと忠臣の基準なんてガチガチに厳しくしたいよ、自分なんかは
この程度じゃ世の中が忠臣で溢れかえってしまう(その基準すら満たせないのが三成だが) 夏目吉信とか毛利勝永とか土屋昌恒とか
ああいうパターンのことじゃないの そもそも日本の場合、忠臣である前に一族郎党の長だから、犠牲になれと言われてはいそうですかとはならない。
殉死でさえ多くは隠居かつ世代交代済の爺さん。
防衛戦や撤退戦での犠牲は、一族郎党の安泰に繋がるから成立する。
例えば、殿軍を任せて当主が死んだ家を、後継がいないから御家断絶な、なんてやったら家臣が一斉に離反しかねない。 >>994
まったくもってその通り、だからこそ私はその高いハードルを乗り越えることが出来ない奴に
忠臣なんて大層な称号を与えたくないと思う
自らの御家の立場や末路をかなぐり捨ててでも、ただ、主君や主家の礎となるのであればそれこそ本望!
となんのためらいもなく犠牲になれる存在こそ忠臣と呼ばれるに相応しい存在だ
はっきり言って三成程度の存在を忠臣とか表現してもらいたくない、忠臣を馬鹿にするなと言いたい >>991
殉死は「主君の為に身を滅ぼす」行為じゃ無いぞ 主君の為に犠牲になれと言うのは結局のところ「秀頼には主君としての力が無い」事を他責的に押し付けてるだけ
というか輝元からすりゃ噴飯モノだろう
どうして赤の他人の為に自分が身を切らなければならない?そんな事を言う奴がまず腹を切るべきで他人に言うなって話よ
つまり豊臣の方が毛利の為にその身を削れって結論になるし輝元はそれを実行したまで 奉行も奉行なりに豊臣のことは考えていたんだろうがだから何なのレベルの話で終わった レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。