【疑問】スレ立てるまでもない質問17【戦国時代】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>782
越後國の飢民救済の為に「北関東戦争」を定例公共事業としたこと。
無論、論理的には最初から早晩破綻の見えていた事業だったが、
兎にも角にも十数年間はこれを維持して一定の効果を挙げたことは一応評価しなければならない。
歴史にifを構えるのは愚行だが、
敢えて上杉謙信がこの事業を行わなければ…という仮定に立って想像するならば当該期間に於ける越後國の餓死者が史実よりも遙かに多かった蓋然性は高い。
>>783
飢餓輸出かな
関東の人を餓死させて越後の人を守りたい、て感じやね
まあ、戦国時代はそういう時代で、たいていの戦国大名は飢餓輸出するのが最大の仕事(てか、飢餓を輸入しないことが最大の仕事)やったってことやな 信長は厳しい戦いを勝ち抜いて戦国の覇者となったから甲斐に生まれても成功したろうけど政宗は無理だな >>784
それを定例スケジュール化したのが上杉謙信のユニークさだと考えている。
みんなが大好きな戦国ゲームやマンガでは決して扱われないことだが、
どの「戦国大名」権力体も戦争を第一義としたわけじゃない。
それぞれに災害対策や殖産興業をこそ最大の責務としていた。
「戦国大名」権力体=領国「政府」なんだから当り前だが。
殆どの大名にとって戦争はあくまでもクラウゼヴィッツ謂う所の「異なる手段に於ける政治の継続」だった。
上杉についてもその本質は変わらないにせよ、
他よりは戦争を「平時の政治」に近い位置付けに置いて定例化して、尚且つ一定の効果を挙げた所に特異性を認めたい。
その最終的破綻の後遺症の深刻さはまた別の話になるが。
>>780
記事読んでみたけど完全にゲーム脳だわ
情勢とか全く考慮していない 本郷て以前雑誌の記事だと
伊達政宗腐して直江兼続持ち上げてた記憶あるんだが >>787
本郷の戦国記事は
ノブヤボファンにも馬鹿にされるレベルだぞ >>786
いや、もう少し古い世代の四国の小大名が、毎年毎年、秋になると海の向こうから米の略奪に来ると書き記している
略奪犯である大友氏は、謙信の頃には縮小に向かっていたのではないか、つまりこの略奪の記事は謙信の関東攻めより古いのではないか? と思う 本当にいつも読みづらいな 何だよその文章
愚行は君の文章だよ 北條氏だろ 本郷センセイのお仕事って歴史に無知無関心な層相手に
何か目立つ事言って耳目を引く以上の物じゃないでしょ
スポーツ新聞とか芸能系週刊誌とかああいうのと同じレベル 質問です
能登畠山家に仕える平総知(ひらふさとも)ですが
苗字が平で氏も平?
この「平(ひら)」という苗字がどこ発祥で本姓は何か由緒など詳しいかたいらっしゃればご教示ください >>796
遊佐氏温井氏らとの連署の時も平を使ってるので普通に考えれば本姓は平で苗字は無しだろうけど。 織田勢が鉄貼り装甲艦を、あるいは
織田麾下の九鬼軍が鉄貼り装甲艦を建造したみたいな話が
1990年頃に突然出現した様子なのですが、
言い出したのは学研ですか?
歴史を題材にしたゲームに定評があるコーエー(当時は光栄)は、
学研が出した珍説に便乗しただけのようです >>801
鉄はり大安宅船らしきものは、それっぽい記述が複数あるようなので、まるっきりの妄想ではないと思う
ただ、航行能力があるようには見えないし、船と呼んでいいのかどうかすら微妙
伊勢から大坂まで舟で曳航して数ヶ月とかのシロモノっぽいし、簡易の水上要塞みたいな位置付けと憶測してる 海上封鎖をするときなんかは便利かもね
何隻か連結して浮かべておけば良い訳だし 第二次木津川口の戦いにしても織田方が受ける形での戦だから水上要塞的な物だったとしても戦闘に寄与した事に不思議はないな 問題は鋼を用意する事だと思う
あの時代は生産量が少ないから船を覆う量を集められるのは織田くらいの大国でないと無理だろう 必要な性能としては、火矢を射かけられても燃えないことが重要なだけだから、鋼ではなく鉄が必要なだけなんだよな
だが、鉄板の製造能力は、どの程度だったのやら。 >>801
突然出現した話なの? 1990年より前に出版された小説やドラマに出てたら
突然じゃないということになるけど...覚えてねえな
海戦は火攻めが普通だから燃えないようにという発想は誰でも思いつくよね
歴史は動いたを見てきたら鉄板は関鍛冶が作ってたが... >>801
小説ないので横山マンガ見たけど水軍さえ出てないね
山岡に忠実だと思うから山岡小説信長秀吉には無さげ
学研てのは歴史群像か 大河信長の1992年に1号信長発刊みたい
以前持ってたなあ 絵入りで特集してたかも
言い出しかは知らんが、広まったきっかけかもしれない でも世界的に鉄船って発展しなかったよな
どこの国でもたまに金属を貼った軍艦の話が出てくるけど一時的なもので一般化はしない
まあ、性能云々以前に結局膨大な金属を集めるのが難しいからなんだろうけど
本格的に鋼鉄の船が生産され始まったのは産業革命以降だし 秀吉の構想で大陸侵攻を企てた際、
軍船に鉄板を貼る装甲を追加しようとして
結局は失敗している
その十数年前には実現できていたとしたら、
秀吉の時代にはロストテクノロジー化していた理由が無いため、
技術水準面で食い違いが生じる
信長の時代に鉄貼り装甲船なんて無かったとしか解釈しようがない 秀吉の場合は海を渡れる軍船である必要があったけど、上記にあるように海上要塞としての浮舟のようなものなら存在した可能性はあったんじゃないかな 普通の船よりも速度が遅いことで運用しにくかっただろう点も重要だろう
信長の時は、毛利軍が本願寺に兵糧を運び込むのを阻止するのが目的の戦いで、淀川河口のとこに浮かべて要塞にしてたから活躍できただけで、拠点防衛的な場面以外では使いにくいのではないか 浮舟で良かったであろう信長の鉄張り船と朝鮮まで攻めにいかなければならない秀吉の船じゃ
目的もそれに要する技術も違いすぎるから秀吉時代で無理だったから信長時代にも鉄張り船が無かったとは言えないでしょ
単純に大安宅船のパワーアップ版みたいなイメージの船としては無かったんだろうけど 鉄板なしの大安宅船でさえ、使う局面の限られた特種用途にしか見えないしなあ
義昭追放の時に使った、琵琶湖渡江のための大安宅も義昭の追放後すぐに解体してるぐらいだし、鉄船も本願寺との戦いが終わったら不用品だっただろうな 日本の船は外洋航海を想定してないから、大名で2人だけガレオン船建造した家康と政宗の元に設計図は残ってないのでしょうか?
太平洋横断する船なので当時の造船技術満載だったど思いますが・・・。 多分残ってないだろうな
黒船来航の時には
「雲龍船」なる当時あった技術で永久機関を使った大船を作ろうとしたけどな 当然失敗して
島津や鍋島が蒸気船の自力制作するも実用レベルに及ばず
結局上記含む各藩及び幕府が上喜撰、もとい蒸気船を買う羽目になったがな ネットで見ると刈谷水野家は
信元の時代は24万石
忠重が家督継いだときには12万石の勢力があったとさせるけど
忠重死去には2万石と
信元追放以外は落ち度なさそうなのに
なんでそんなに減封されちゃったの? >>819
完全に推測だけど
・信元時代に比べて水野氏の戦略的価値が下がっていた
・信雄家臣から秀吉直臣になってるのでその過程で削られた
・バカ息子が色々やらかした事で親の所に被害が飛んできて削られた
こんな感じで色んな事の積み重ねでジワジワと減封されて2万にまで落ちちゃったとか >>799
遊佐、温井、平、長らの連署状はそれぞれ本姓ではなく苗字を使っている
よって平は苗字だよ
にわか知識で間違った回答するなよ >>819
ウィキより推測 苦情は受けないよw
信元の時代は24万石[注釈 14] いかにも過大 俺も誇張だと思う
家督継いだときには12万石の勢力があった[注釈 14]
分限帳は天正一二年九月以降、同一四年七月以前
継いだ時でなく小牧の役後らしい 加増後と思われ
1万3千貫文(約12万石)も怪しい 1貫文 2〜10石くらいと時期によって誤差あり
2石なら2万6千石だw
信雄が秀吉の臣下となったので、忠重は陪臣の身分となった
この後に秀吉の直臣となったよう
小田原の役では、250騎を率いた。同年9月4日、伊勢神戸城4万石に移封
秀吉の直臣には3万石前後で直臣になったと推測される
文禄の役に名前有り
三河刈谷に戻され石高は2万石とあるので、減封になったよう
文禄の役の不手際で減封でしょうw >>823
教えてくれてありがとうございます。
1万3千貫文が2万6000石なら転封による妥当な石高推移だ >>823
三河全土で三十万石ちょいと考えると、二十四万石って大きすぎるよなあ 石高はあくまで田畑の生産力だから税収という点では更に増えるというのはある 田畑の収穫だけを示す数値じゃないぞ
徴税できそうな対象の大半を対象にしてる
屋敷地(家屋の敷地)も計上されてる、それも上田ランクとして。 当然見栄張って表高を過大申告したのもあったな
結果、島原の乱の様な極端なぶり返しで
潰れたところも幾らかあったような 薩摩藩って幕府に差し出してる石高データより莫大な収入があったらしいな
だから倒幕できたのか >>830
単純な石高だけじゃないぞ
江戸時代半ば以後の人口停滞期(おおむね、元禄以後ぐらい)には、大都市周辺(欣喜の三都と江戸が代表格)では人口が減り、大都市から遠いところ(筆頭は薩摩だが、長州も含む)では人口が延び続けていた
その影響は小さくない >>830
これ今だったら脱税してるみたいな感じ? >>834
そういう感じ ...なんだけど
格式が変わるので、体面・待遇に影響してくる wiki家格
家格の引き上げのために内高の水増し申告を行うなどのトラブルの原因になる
wiki内高 概要
なので脱税と違い逆の申告もあるらしい >>834
それとも違うんだよなあ、現代に例えるのは困難 そもそも正確な石高換算なんて不可能だし農業以外は更に不透明だから領内の実収入なんて大名家ですら把握出来ていなかったからな 領地の収益ってのは、生産高とかGDPとかではなく、税としてとれる金額の基準値だぞ 戦国時代のアイヌ人との交易品だった蝦夷地の海産物についてですが
昆布とか魚介類といった塩漬けや天日干し加工はどこでやってたんでしょう?
和人が出稼ぎ労働者として蝦夷地に入るようになったのは江戸時代からとされてますが
それ以前は衝突を避ける意味からもアイヌ人の接触は最低限に留めていたらしいけど 本田正信は息子の正純に加増は受けるな(3万以上は受けるなとも)って
訓戒してたって話はわりと有名だと思うけど
息子とは別に秀忠にも本多家の事を思ってくれるなら息子に加増はしてくれるな
って嘆願してたって話を最近知ったんだけど
こっちの方は信憑性はわりとある話なんですかね?
あったとすると秀忠は正信の嘆願をあえて無視したという話になるけど
(加増が秀忠の悪意によるものだとも言い切れないけど) まず日本語の勉強を頑張った方がいいんじゃない?
義務教育レベルにも達してない感じだけど >>841
禿同。
よくぞ云ってくれた。
最近この手合いが多くて辟易している。
>>842
逸話が全部事実はとは思ってませんが、全部が全部うそっぱちだとも思っていません
ですから質問した訳です
信憑性が低いからおそらくそういう事実は無かっただろう
という事ならそれはそれで納得します
上記の質問について何か知見はお持ちなのでしょうか? その考えが正しい
二次資料だから嘘みたいな考えこそ歴史を聞き齧った程度で知ったふりしている人間だよ
一次資料の裏付けが出来れば二次資料であっても同様の史料的価値があるし
一次資料では窺い知れない部分を補完できる史料としても価値があるものだ
仮に裏付けが出来なくても当時や書物の書かれた時点でそういう認識が持たれていたという事が知れるので歴史を知る上では重要だ
古文書には無価値なものなどない それは同意
一次資料以外まやかしだと談ずるのは狭量 マヤカシとまでは云わないが、
考古学成果、物理/化学解析、数値計算など自然科学によって立証されたもの以外は、
一次でも二次でも何次でも「文献」史料は全て「保留」の棚に置いておくべきだろう。
生物ヒトが植物繊維の上に擦り付けた炭素の文様を何の担保も無しに盲信するわけには行かない。
>>846
資料も史料だがその文脈なら「断」ずるのが正しい。
>>848
二次までしか史料はないんですが?w
いつもの大袈裟君は史学を学んだことがないね
お得意は「戦国大名権力体」
ほかには無駄に「國」という旧字を使うんだが、こだわりはまったくない >>849
断ずるって書いたんだがさりょうで出てこずにあれ?ってググってきょうりょうって入れ直したら断ずるが談ずるになってた
突っ込まれるかなーって思ってたんだがやっぱ突っ込まれたな
ニホンゴムズカシイ ネイティブの日本人でも難しいんだから日本語って欠陥言語だな >>851
そもそも狭量を「さりょう」と読んでいたバカが何を語るんだかw
挟撃は「さげき」なの? >>844
資料も何も無い話をどうしろと言うのか?
想像で話するスレでもないんよな >>853
日本語はその時々によって読み方が変わる
さりょう さげきで突っ込んだらきりないほど違う読み出てくるだろ >>854
wikipediaによる秀忠に懇請云々の記述の出典は
シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩って書籍みたいですね
この本は読んだ事無いので判らないのですが
作者が作文したのでなければ何かしらの史料を元に書いたのでしょうから
何も無い話って訳ではないと思うんですよ >>850
何だ、例の粘着君か。
相変わらず病的かつ稚拙な文言には敬服する。
文章の中で「國」と「国」は明確に使い分けている。
それぐらいも読み取れずに罵言とは恐れ入る。
貴君が目の前の文字を読めるようになってから改めて批判を承ろうか。
また「戦国大名権力体」が鬼の首に見えるようだが、
それを問題にすること自体、貴君が術語の使用について如何に無神経であるかを物語っている。
>>856
何かしらの資料をどうぞ
ウィキの俗説話をソース提示してんのか? 普通に秋田県か青森県でやってたんじゃね。ボイルしたり塩に浸けたり
内臓を処理したりと、腐る前に人海戦術でやらないとならない事が山積みだし wikiって信憑性が低いとされてる史料をソースにしてマジっぽく書くやついるから参考にしない方がいいよ >>842
そこまでマウント取らなくていいんじゃね
親切に教えてあげなよ そもそも信憑性が低いというのもネットの怪しげな情報だろ
出版されている歴史関係の書籍なんて殆どがwikiと同じレベルだよ
だからあくまでも自分で他史料との突き合わせをして初めて信憑性の有無について判断できる wikiってこわいよね 広がる速さ、常識となる力が。
ホントかよって注を辿ってくと歴史好きの一般人ぽい人が
最近出してる本だったりする
絶対違うだろってのもある 何を参考にしてるか確認して欲しい
言葉は使う人が多い方に変化するらしいが歴史は困る 関ヶ原の戦いはなかったと考えるのが真実とか言ってるやついたな
まあこの目で見たわけじゃないからそうかもしれんが混乱するわ それを自分なりに調べるのが楽しいってもんよ
江戸の講談師に騙されっぱなしも癪じゃないか あーでもないこーでもないというのが楽しいのはわかるがあんまりバッサリやっちゃうのはどうかと
歴史好き初心者にも優しくしてやれ wikiは浅く広く知識を求めるには良いが掘り下げると多くは俗説だらけだからな
特に歴史だと情報量の水増しから俗説が多いから >>866
戦いの存在自体は疑いの余地が少ないだろうけど、信頼できる史料が少なすぎて、戦いの推移を追うのが難しいとは聞くな
そんな難問を、どうにか折り合いを付けて再現してくれてる学者たちには、頭が上がらない思いだ でも史料自体よりも歴史学者や自称研究家が厄介なんだよ
歴史って昔の事だから嘘書いても許されるみたいな感覚が学者の中にも蔓延している
だから露骨に自分の贔屓の武将を持ち上げてその敵対武将を貶めるような5chレベルの論文や出版物を平然と出している >>866
まさか「天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった」という本の話?
現国の文章理解力が低すぎでは? >>871
ビジネスと願望のせめぎ合いなんだろうね
>>872
地球空洞説や地球平面説みたいにディベートを楽しむ主張じゃないの
そのうち信じた信者が現れる所までがデフォ >>875
専門板こういう喧嘩売ってくるやつばっかだから慣れたわ 建設的な事は何もいわずにひたすら口汚く煽りを繰り返す人は匿名掲示板ではときおり見るけど
この手の社会性の欠如した人って普段どうやって生活してるんだろうと思う >>877
それしか孤独を紛らわせる方法がないんじゃない?
まあネットで吠えてるだけならいいよ 結局有名な家、やたら評価が高い家っていかに後世に関係者がホラを吹いたかという事なんだよな
声が小さい家は評価されずむしろ陥れられたりする 煽るってお前・・・日本語の読み書きもマトモに出来ないのかと聞いただけなんだがな
で、>>866は単なる国語力の無さゆえの誤解だという事は理解できたのかい? >>877
派遣無職
ネットで中傷して捕まったやつの職業見てみ >>848
お前昔勝頼スレで史料は全く無意味とか言って皆からフルボッコにされてた奴か
文体といい勝頼スレの荒らしにめっちゃ似てるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています