石田三成の挙兵 ★2
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石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/ >>75
妄想の前にシッタカのお詫びは?
なんで都合悪いとシカトするの? 秀吉は明朝鮮相手に勝ったと思ってたのは明らかだからな。でなければあんな無茶苦茶な講和条件を押し付けたりしない。あれだけ高飛車な講和が結べると思ってたんだから正しい戦況を知らなかったことになる。大体秀吉の渡航が延期になったのは天候が理由だし。 五月の漢城落城を知って秀吉は渡航しようとしたけど家康・利家に止められた。ここで二人は「秀吉が渡航する時には共をするから」と言ったという。結構興味深い。少なくとも二人は外征軍の現実を知ってた訳で故に朝鮮には渡りたくなかったろう。こうして秀吉を止めるように振舞いながら実は渡航の順番を最後にしたのだろうか。 人たらしと人を使う能力、家臣の献策を聞く能力に長けてたが
人の言うことを聞かなくなって自身の能力を過信した秀吉自身の軍略の無さは小田原征伐の忍城水攻めから出ていた
秀吉の水攻め指令に現場の三成らは大反対
秀吉の命令だからと渋々実行したら決壊して大損害&沼地化して逆に難攻不落の要塞化
朝鮮出兵も秀吉の当初の目的の唐入りなんか目指さず、秀吉が来ても迷惑だから止められてただけでは? >>79
適当なこと言うな
漢城陥落前の天正20年4月28日付福島正則宛豊臣秀吉朱印状等で既に秀吉渡海の意向は述べられてる
書中で秀吉は自身の渡海準備のため奉行を添えて空き船を名護屋まで運ぶよう命じてる 渡海して悪戦苦闘し彼の地で客死でもすればまだ言い出しっぺとしての責任とったとも思えるんだがな
本人以外ほぼ誰も望んでいなかった国を賭け物にした外征を
結果的に配下任せのやりっ放しで何の後指示も出さず死んで
残ったのは駆り出された諸侯の疲弊と政権の分裂と衰退
これで家康が座りしままに天下餅食ったなんてよく言えるわ
秀吉が捏ねるの放棄して腐らしそうになった天下餅を危うく家康が救いあげて食品として完成させた
残った豊臣家は天下餅食うには幼すぎもしくは衰え過ぎて無理やり食わせたら喉につかえて死亡確定だった >>80
朝鮮出兵は最初から失敗して当然の戦だった。指揮官が名護屋にいてそこから指揮を行うからタイムラグがある。一週間前の情報から一週間先の未来を予測しないとならない。正確な情報伝達が不可欠だが諸将は秀吉を怖がって都合の良い情報だけ送ってきた。こんなので勝てる指揮官は居ないわな。石田三成なんて諸将に軍役拒否させて欲しいって言ってるくらいだし。 >>33
伊達政宗は東の大名じゃなかった…?北の大名ってカウントしてるんかな >>84
そういうのいいから
シッタカしたお詫びは? >>75
基本的な歴史の理解が矛盾してる訳でなく
そういう矛盾した状況だったんだよ
トップに対して失敗してると言えない状況
歴史上というか今の時代の身近な例でも
普通に生活してたらいくらもあると思うけど? >>79
実際秀吉が出馬していたら泥沼化して
撤退がより困難になった可能性は高いよ
秀吉が出馬してたら勝ってたとかは楽観的過ぎる
当面の戦闘での勝利は得られても政治決着が無理
目的だった明を降伏させる全面勝利は得られず
かと言って目的達成もできないうちに
秀吉が撤退するのは政権の明確な失敗となりかねない
そして家康利家が日本にいなくなれば
秀吉を(うまく)諌められる人はいなくなる
政治的にもふたりの渡海引き伸ばしは必要だった
その点では家康利家奉行の利害は一致してたんよね 秀吉が朝鮮に渡っていたら現実を認識して朝鮮出兵は即時打ち切りになった可能性が高い。秀吉が認知症になっていて適切な判断が出来なかった可能性もあるが流石に聞いてた朝鮮と現実の朝鮮の違いを知れば唐入りの不可能さを思い知っていたろう。そういう意味では本土で裸の王様だったのが悲喜劇だった。 >>87
単純に秀吉の認識の問題。秀吉が朝鮮の現実、日本軍大苦戦を知っていたなら明に高飛車な講和条件なんか出さない。史実として秀吉は明・朝鮮に勝ったと思ってるからあんな非現実的な講和条件を突きつけた。これはつまり秀吉は朝鮮の現実を知らなかったということ。皆が朝鮮渡航を止めるのは苦戦してるからではなく気候の問題と思ってた。じゃあその秀吉が家康を朝鮮に送らなかったワケは?伊達政宗や上杉景勝は渡航してるから国の東西は関係ない。答えは家康に手柄を立てられたく無かったから、くらいしかない。 三成は秀吉の出陣を要請したらしいけどそうでもしないと戦争が終わらないとみたんだろ >>89
そういうのいいから
なんでシッタカしたという指摘は無視するの?
論文読んでくれた?
はっきり書いてあるよね、読めば
直臣以外は借米だと
図書館で取り寄せなくてもPDFでさくっと読めるんだから読んでくれたよね? >>92
一応本土に「聞いてた話と全く違う!このままだと日本は負ける!秀吉さまに話して戦略を変えるよう説得してくれ」と書状は送ってる(名護屋博物館所蔵)ただこれは秀吉には披露されなかったと見られてる。この時点で三成は秀吉を見限った。もしくは秀吉の絶対に叶う事の無い夢が叶ったという、優しい嘘を伝えてやることにしたんだろう。明はおろか朝鮮すら倒せないことを秀吉が認める筈もないから。 >>94
で、シッタカした件についての見解は?
君の妄想なんて誰も興味がないんだよ >>95
お前さんが何にそんな興奮してるんだ?朝鮮出兵だと直臣だろうが自弁だぞ。有名なのが加藤清正書状(『今井文書』『本妙寺文書』)で清正は国許に向けて唐入りの物資を集めさせたり、また朝鮮に物資を送るよう命令してる。戦国時代、部隊長が全ての差配をするのは当然なのでそこまで妙じゃない。つまり秀吉は自分の子飼衆にすら物資を与えてなかった事になるがおそらく何らかの支度金位は渡していたろう。 >>97
なんで文末のそれ、わざわざサラッとおまえの妄想書いてんの?
そういうところが嫌われるんだよ >>97
「おそらく」という根拠なきものをさも前提に話すからおまえは妄想太郎といって忌み嫌われるんだよ
ちなみに清正は直臣ではない
旗本と呼べるものが直臣だから根本的な認識も間違っている
頼むから書き込まないで
害悪 >>98
見事にかぶったがこれが共通認識ではないかと思うね 途中でいきなり知識不足丸出しの変な妄想が入るからすぐアイツだと分かる
指摘されてもスルーして再登場
相手にするのも気持ち悪い >>98
だからお前さん何興奮してるの?どっかで論破されて頭真っ赤とか?
仮に秀吉が何ら支援をしていなかったとすると秀吉はとんでもない暴君になると思って言っとるだけよ。お前さんが「秀吉は部下を死地に裸で送った最低野郎」って言いたいのはよく分かったが… >>102
横だが、支援した根拠史料教えて
あ、君は史料読めないんだったね
撤回撤回
だろうで史学できるなら苦労はないな
おめさんには理解できないだろうけど
頼むからいろんなスレでしゃしゃってこないで
そのスレ必ず過疎るから
邪魔だって思われてるの分からない鈍感さんなの? >>102
あと、紹介した論文読んだ?
簡単に読めるのに読まないとかありえんけど
妄想が楽しいだけで新たな知識はインプットしたくないのかな
ならもう来ないで >>97
今井文書?
清正が国元から物資補給を命じてる書状でそんな書状あったか?その今井文書とやらの日付は?
本妙寺文書で物資補給に関する書状は文禄2年4月28日付のものが一通だけあるが、関連史料なら下川文書が圧倒的に多いだろ つまり秀吉は外征という大事業にあたって僅かの支援も行わなかったと?
…ひっどいなぁ。秀吉の株がまた一つ下がったね。 >>106
株とか評価とかどうでもいいんだよ
事実としてあったかなかったか
妄想で下駄はかせて何になるの?
寄り付くなキチガイは >>105
今井文書っていうと天正十九年極月の加藤清正文書では?内容は唐入り始まるから物資集めるぞってもの。その後朝鮮出兵が始まると清正は国許に物資を送らせようとしてるけど書状の感覚からして殆ど送れてない。 >>85
秀吉「家康殿は東の大名だから朝鮮に行かなくて良いぞ」
秀吉「政宗!景勝!お前ら朝鮮に行け!」
そりゃ大坂の陣ですわ ホントズレてんなあ
横から教えてやるけど加藤清正は大大抜擢されて秀吉の御恩に応えないといけない立場
だから他の大名と同様に兵粮も自分で十分に用意することが「忠節」の証
高級取りのサラリーマンが自分で良いスーツを用意したり自己研鑽する必要があるのと同じ
その前提がズレてるから秀吉は最低野郎とか裸で送ったとか変な妄想に繋がってる >>108
12月17日付清正書状か
翻刻見れてないから確認できてないが、内容的には唐入りのための物資調達命令
ではなく、名護屋城普請に関する物資調達を命じたものじゃなかったか
渡海前なら渋沢栄一が所蔵してた天正19年8月13日付の清正書状の方が唐入りに向けての詳細な指示出してる
朝鮮出兵後はほとんど送れてないは言い過ぎだが、下川文書見ると鉛と塩硝が
常時不足してたようでかなりの頻度で早く送るようせっついてるのは確かだな
あと鬱陶しいから一々ID変えんな >>90
秀吉に報告あげる連中もついてくし
今更白紙撤回できる状況でもないよ あと変な話してるけど加藤清正は大名
「直臣」は豊臣家の禄を食む連中
大名は自弁 >>111
まず文禄二年四月十四日加藤清正書状(原富太郎氏蔵文)、同月二十八日加藤清正書状(本妙寺文書)に清正が兵糧欠乏に陥っていた事が記されているね(「都辺兵根不相続」「兵糧相越候事専一候」「兵糧之儀、成次第可差越事肝要候」)同じく玉薬に関しても数回催促が行われているから補給がままならない現実が窺える。具体的には文禄二年で「兵糧を送れ」と言っている書状は簡単に数えて三月に一通、四月に二通、六月に一通、八月に一通ある。 たしかに加藤清正は熊本へ要求した物資不足が半分も届いてないと責めているが、これを公儀に責任転嫁するのは間違いだし清正もそのつもりは全くない 二人の話の割り込みになり、そんな話はとっくにしてたなら済まないが、朝鮮出兵の書状ずらっと見てきた
朝鮮・明との戦争中は秀吉書状に大名の船は兵糧運送のために、秀吉管轄として全部集められてるから戦争中に各大名が自弁したという話はないな
釜山に兵糧が集められて、それを「手繰り」で漢城に至る城の古い御城米と交換しろという話が多々あったな
古くなった御城米は支給なのか借米なのか分からんが、奉行から加藤清正に兵糧は要るかという返答に、「現地調達(略奪?)したから要らんわ!」と書いてる辺り
船が秀吉に使われてるから釜山経由で奉行から貰うか現地調達するしかないわな
そろが兵糧欠乏による漢城撤退からの敗戦になるわけだけど >>116
船は秀吉が用意(各大名から有償で借りた)して各大名が運ぶ兵粮の運賃を免除した
この部分は秀吉の負担
兵粮自体は各大名が用意した(自弁)か、現地調達ありき
秀吉直轄軍の兵粮(御蔵米)は各大名の兵粮と厳密に区分され、原則支給されなかった
されたとしてもそれは借米か何かの褒美として与えられたもの(つまり有償)
御蔵米は秀吉直轄軍だけのものだけではなく、いざという時の籠城戦のためのもの
そもそもの話、直轄地の収入だけで各大名の兵粮賄うのは無理に決まってる(直轄地だって普通に軍役負担があるのだ)
当時は兵粮=現金同等物だから例えば加藤清正が秀吉に兵粮を要求するのは褒賞や減税を要求するに近く、不忠扱いされる で話が戻る。秀吉は何故家康を朝鮮に送らなかったのか?
東の大名だから送られなかったというのは否定された。朝鮮出兵が負担になるから嫌がったのか朝鮮で手柄を立てられたく無かったのか?そう考えるとやっぱり秀吉、明や朝鮮を甘く見てたんだろうなぁ。 >>118
話を戻すけど、論文読んでくれた?
支度金の妄想、なにか根拠文書ありますか? >>117
兵糧を要求しても不忠扱いにはならないんじゃないか。名護屋博物館所蔵の本土宛三成書状に小西行長の言として前線の兵糧不足を記してる。翌年一月に行長が兵糧不足で退却することを報告してる(富田仙助文書)行長と三成は盟友だから行長を嵌める讒言じゃない。じゃあ何故行長は三成に兵糧不足を訴えたのか。兵糧を送ってくれと言いたいんじゃないか?勿論その裏には「それが出来ないなら外征を止めろ」があったんだろうが。つまり仮に清正が兵糧不足を訴えても不忠と切られる事は無かったろう。 >>118
東国の大名だからだよ
文禄の役と慶長の役で分けて考えれば明らか
慶長の役は伊達も上杉も渡航していない
文禄の役は伊達と上杉が渡航したとはいえ、渡ってないのは東国の大名ばかり >>122
醤油うこと
清正を直臣扱いしたり基礎知識がなさすぎるんだよ、あいつ
史料も誤読するから何か挙げていても注意が必要 >>122
天正二十年正月の秀吉書状だと借米の場所は大坂か播磨。仮に借米だとして播磨からの輸送代や手続きは誰が取るんだ? >>121
「東国の大名だからだよ」→わかる
「伊達や上杉は渡航してるけど」→いやおかしいだろ
ここまでド派手な自爆芸は見た事無いんだが誰の本に書いてあるん?伊達や上杉が渡航してるなら東国の大名でも渡航させられることになる。 >>124
上記に挙げた論文読めばほぼ答えが書いてあるよ
ほんと学ばないんだな
妄想だけで楽しめるんだから楽な性格してるね
ある意味うらやましい >>124
だからさ、紹介された論文読めよ
何か不都合あるの? >>125
朝鮮出兵のwikiでも読んでこいよ
東国の大名の負担は圧倒的に軽い
伊達や上杉が渡航してるのに徳川が渡航してないのはおかしい、なんて変な妄想するのは一かゼロでしかものを考えられない君特有の症状
兵站の問題で北上が難しいのに前田や徳川の大軍渡航させても無駄だろ
ましてや政権の中心なのに >>114
自分で史料読んでるか?
文禄2年6月(朔日付)の清正書状挙げてるけど兵糧送れなんてどこに書いてるの?
国元の山中にある米・大豆は兵糧として渡す分以外は全て売り払えとしか書いてないが
「国本山中有候八木・大豆之儀、御兵粮ニ相渡、残分悉うり可申候間、無由断可出事肝要候」
この「御兵粮ニ相渡」は兵糧として使用する分って意味で、ここでは送れとは言ってない 都合が悪いことには返事すらしないクズムーブメント
だからどこでも嫌われるんだよ
それでも妄想を垂れ流すからスレが過疎になる
こういうのを老害と言うんです 普通は論文を紹介してもらったら「ありがとう」と言って読むものだが
シカトして妄想垂れ流すとはどういうことか? >>127
では申し訳ないが言わせて貰うと、君がその論文を信じているならば正直正気を疑うかな。そもそもこの論文は先行研究による補強が無いがそれを抜きにしても酷い。私も秀吉は嫌いだけどこの論文は秀吉への嫌悪感で満ちていると思う。
論文の内容としては複数の一次史料から組み立ててはいる。まず秀吉は蔵入地から兵糧を集めていてこれは唐入りの為と説明してる。そして兵糧が朝鮮に送られた事を挙げる。
ところが突然、天正二十年正月の秀吉書状から「これらの兵糧は外征組の為ではなく「秀吉が統率する軍隊」の為だとする。そしてそれ以外の大名はこれらを使えず使用する場合「借米」となる。筆者は「秀吉が統率する軍隊」なる存在が誰のことか具体的に指摘していない。 まず前提として朝鮮出兵は秀吉の指揮下で行われているので加藤清正から毛利輝元、小西行長や伊達政宗まで全員「秀吉の統率する軍隊」に相当する。相当しないという事は秀吉の命令を無視して行動する軍団がいた事になる。
これをかなり限定して「豊臣家の武将」とする事も出来る。しかしだとすると加藤清正が除かれる理由が無い。清正は秀吉子飼衆の最たる例で秀吉から国を任されている。つまり彼はこの兵糧を使う権利がある。にも関わらず清正は国許に兵糧催促をしてる。秀吉は「兵糧が足りなかったら送る」とまで言っているのに何故なのか。 加藤清正ですら使えないならこの兵糧は何の為にあるのか?
筆者はこれに手を付けると「借米」になるとする。ここはかなり悪意がある。つまり秀吉は大量の物資を集めながらそれを大名には与えず貸し付けていたと言っているのだから。
これは無茶苦茶に悪質で秀吉が嫌いだとしてもここまでは…何しろ自分で諸将を地獄に送り付けておきながら食糧は自弁、山と積まれた物資は使わせずに困窮した大名に貸し付けていた…となる訳で幾らなんでも酷いんじゃないか? だから私としては東京大学教授とやらをしてる高木昭作氏の説の方が説得力があると感じる。彼は著作「公儀権力の確立」の中で「最終的には中央権力が兵糧の補給に責任を持つ」としてるがこれが妥当だろう。秀吉は確かに悪党かもしれないが兵糧三十万石を貸付の原資にするほど我利我利亡者じゃ無かったはずだ。 >>132
> >>127
> 私も秀吉は嫌いだけどこの論文は秀吉への嫌悪感で満ちていると思う。
満ちてません
君の妄想です 好き嫌いとかひどい云々で論文書くわけないだろ
史学というか学問に携わったことないだろ
大学すら出てないんじゃないか?
きっちり先行研究に言及した上で批判するところは史料を挙げて批判しているし
難癖つけるなら慶長がほぼなく文ろくに片寄っているとか、言い様はあるのにこのざま
頼むから消えて >>133
>も関わらず清正は国許に兵糧催促をしてる。秀吉は「兵糧が足りなかったら送る」とまで言っているのに何故なのか。
それが御恩と奉公だから
高級取りのくせに会社にスーツ代と夕飯代くださいと頼むようなものだから
どうしても兵粮が用意できないのなら秀吉が有償で貸す
清正は自分の評価上げるためにも自分で用意しようとする
大前提は各大名が自分で兵粮を用意する >>134
> 加藤清正ですら使えないならこの兵糧は何の為にあるのか?
戦国時代、城には米を備蓄することが日本全国共通の常識
いざというときの籠城のためであり、通過する軍に食べさせるためのもの(もちろん有償)
> ここはかなり悪意がある。つまり秀吉は大量の物資を集めながらそれを大名には与えず貸し付けていたと言っているのだから。
各大名は所領を貰い、或いは所領安堵されて所領に対し強力な徴税権を有する
各大名が兵粮を自弁するのは当然
公儀の米に手をつけるのは恩賞を受けてるのと同義だから公儀として公平性を保つため、有償でなくてはならない
> 幾らなんでも酷いんじゃないか?
君の妄想 しかしまあ、業界向けの論文で基礎を共有している人間に読まれると思って書いているのだろうけど
悪意がどうのとか理解不能な解釈される筆者に同情する
紹介したことに後悔すら感じる 高木先生の論考は未読だが、こいつが書いているとそのままの内容なのか極めて怪しい
史料も実際に読むと真逆の解釈とか平気でするからな ま~たスレタイとは全然関係ない話ししてるな
家康マンセーや朝鮮の話ししたけりゃあ当該スレでやってくれや そもそも関ヶ原のIFスレいくつ立てたら気が済むんだ?
スレタイどーのこーのよりも、「ゴミスレ乱立させんなクズ」って話では? >>117
116のレスの者だけど、やっぱ借米か
釜山から漢城までの輸送は大変だったようで最終的には海路で輸送しやすい南岸側の倭城に防衛ライン引く有り様はやっぱ秀吉の戦略は最初から失敗してんだな
海路も海路で途中で水夫が大量死して秀吉や奉行から日本軍に自分で兵糧確保しろと言った辺りからもうヤバかったな >>121
文禄の役に出兵して渡航もしてるのに知られているのが乱取り報告書くらいの佐竹さんも思い出してあげてください… そういや半島南岸に拠点だけ築いてそれが終わったらそのまま帰国したの結構いたんじゃなかったけ?5万ぐらいだったかな? 御城米については中野等氏や服部英雄氏が既に述べているけど基本的に御城米は城主が受け取って管理するもので借米のように見える。「見える」というのは御城米は政権側が輸送から貯蓄までを担っている点が単なる借米とは違う。だから「御城米が無くなる」ことは政権側の落ち度で城主の落ち度とまでは言えなかった。 >>148
> 御城米については中野等氏や服部英雄氏が既に述べているけど基本的に御城米は城主が受け取って管理するもので借米のように見える。
見えない
御蔵米は御蔵米で公儀のもの
原則手をつけてはいけない
各大名は厳密に管理して数量を定期的に報告し、使ったら報告しろと命じられている 江戸幕府なんて島原の乱で各大名に兵糧米を配ってるからね。秀吉が江戸幕府以下なのは時系列上仕方ないがそれでも似た様な事はしてるさ。服部氏によればまず各大名の陣中兵粮が大名負担なのは当たり前として城の備蓄米は政権側が責任を持つとしてる。この備蓄米は籠城用の米なので気軽に手を付けてはならないが禁止されてるものじゃない。戦になればこれらの物資は当然に消費されるしその補充は政権が責任を持つ。
天正二十年正月の秀吉書状では「全国の武将に兵粮を渡す」と書いてるけど上記の江戸幕府と同じで物資援助を約束してたんだろう。何故かといえば政権にとって戦争に勝つ事が重要で大名を甚振りたい訳じゃ無い。兵粮援助で勝利が買えるなら安いもんだろう。負けたけど。 借米だからとケチで秀吉が意地悪してるように妄想してるようだが、御蔵米に手をつけたら日本でその分返すだけのことだよ
ちゃんと管理してるからこそ勝手に使うなということでもある 御城米は籠城用の物資なので基本的にその全ては政権が担当する。敵に攻められて使用した場合は直ちに政権が補充しないとならない。それで小西行長も「兵糧が無い」と石田三成に報告してるわけだね(名護屋城博物館所蔵)
「手を付けてはならない」は間違いでだとすると何の為にあるのかわからない。籠城用なので気軽に使う事は許されないが使えない訳では無いよ。政権にとって重要なのは戦争に勝つ事でこれはその一環なんだから。 三成は挙兵するにあたり、なぜ伏見城を20日近くも攻める愚行をしたのか
もうあれで挙兵失敗が決まったようなもの
なんで伏見城なんか後回しにして、さっさと濃尾から東海道を抑えようとしなかった >>154
そもそもトットと落とせない体たらくでクーデターなんか起こしたのが間違い 挙兵して味方を集める計画だったけど
結果思うように集まらんかったってだけだわな 関ヶ原で負けたことよりその後陣営を維持できずあっさり崩壊したことのほうが問題
南北朝や応仁のように長期化させればまだ芽があったかも知れないのに 南北朝や応仁と違って豊臣の後継者は秀頼で確定しており
元官僚に過ぎない三成が俺を政権に戻せと我儘を言っているだけだからな 東海道を抑えろというけどそもそも
東海筋の大名が靡かないわけで
留守居の城なら簡単に落ちるでわけじゃなく
内応させられなきゃ時間がかかる
落ちない城が増えるだけかと >>159
清須城だけ落とせれば全然違うぞ。
史実の動きは清須の兵糧あてにして東軍動いてるからね。
西軍が抑える事が出来たら、家康はウルトラマンにしか成らない そもそも石田って奉行席順は4位だろ?秀吉死亡~利家死亡まであんま動いていない。
浅野が主導だしぶっちゃけ七将蟄居後も動いていない。石田の暗躍も基本憶測だしな。
関ケ原は西軍は宇喜多・毛利が主導で中央で都合よく残っていた奉行枠で使われたとかなんじゃね。
後東軍は都合よく首謀者格にできそうな奴だった都合よく切った。
関ケ原の戦いは斜めに見ると大坂の陣より暗闇が深い。 >>161
確か関ヶ原で誰かが伊勢路から清州攻撃言ってたよな
美濃方面制圧前だったから無茶だけど、採用してもよかったんじゃないか
家康に勝つこと自体ばくちみたいなものだし 三成は主力部隊を東進させて徳川を上杉と挟み撃ちにする作戦を提案したけど伊勢制圧を訴えた安国寺らの案が採用されて万事休す。三成の単なる短期決戦志向じゃなくて味方になってる真田家が対東軍最前線になっていて兵を送りたいし岐阜城の織田秀信が兵を集められなくて頼りにならんっていう状況から来てる面もあるんだろうけど 家康に勝つこと自体博打って…
その後の悲惨な結末知ってるからそんな事を言えるだけであって
あの時の西軍の戦略って上杉が関東で暴れることを期待した持久戦でしょ >>163
博打を打つのにも全軍従えてないと無理だろ >>165
それ自体部の悪い博打以外の何者でもないやんw >>163
言ってる奴が大谷吉継とかならいいんだけど確か吉川広家と毛利秀元なんだよな…この2人徳川との内通を疑われてたから採用されんかったんだと >>163
宇喜多らが伊勢路から攻めてたけど時間切れで大垣に集結やん
まさか兵糧運搬の海路のために港掌握しながら順に落として行くのは古来からの常套手段であり常道
未来予知して間に合わないから素通りして行けとかいう話? 伊勢掌握しとかんと東海道から上方に抜けられるやん、九鬼の息子は東軍だし 情報戦で西軍は押されてるからねぇ。三成は単に佐和山、大垣の司令官で他の隊に命令出来たかも怪しいのに単体で東軍に立ち向かえって方が >>169
普通にそういう主張と思ってた
常識はずれの奇策だから博打と言ってるんだと 西軍の中でだれか家康と刺し違える奴はいなかったのか
要は家康さえいなくなれば、秀忠なら何とかなったのに 常識外れの奇策って戦術においてはあるが
兵站無視などの戦略段階の常識外れの奇策ってあるんか? >>173
刺し違える遥か手前で死ぬから無理。無駄死には誰だって嫌だろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています