長篠の後の勝頼の細かい命令だの賦役だのは改革でも何でもないんだわ。基本的に信玄の時代にもやっていたことをより細かく、厳しくした内容のものでしかない。これはこれで権力が強まったと言えないこともないが、口悪くいってしまえばただの増税。
あくまで信虎の時代から進んでいる中央集権化の流れの一環として見るべきもの。重商主義や鉄砲重視も同様。

武田は信虎の時代に戦国大名化して郡内含む甲斐全体に棟別銭を課した。国家権力とは徴税権が重要だからこれだけでも相当な権力。信玄の時代も国人を血生臭く粛清して中央集権化を図っている。重臣の家の顔触れ、信玄家督相続時と勝頼家督相続時でガラッと変わってるのもそういうこと。君の書いてる旧来の行政改革だの旧来の権益関係って具体的に何?としか思わない。何が体系的、解析的だよ。偉そうなこと書いてるわりに具体的な説明無しに勝手な前提ありきじゃないか。武田は何が遅れていたのか?主張があるなら史料の根拠とともに具体的に書けばいいじゃないか。