>>565
武田軍にはもうそんな余裕が無い。武田軍は長篠敗戦後本格化した織田・徳川の攻勢に打つ手が無く負け続けてる。勝頼は必死に「美濃に、三河に、遠江に出撃する」とぶち上げてるけど武田が出来た反攻といえば犬居谷に攻め入ったぐらいで後は特に無し。天正四年には「占いで悪い結果が出たから」と苦しい言い訳で三河攻撃計画を延期してる(一月六日付春日虎綱宛書状)。天正六年には勝頼本隊は専ら徳川軍の迎撃にキリキリ舞をさせられてる始末。もうイケイケだったあの頃とは違う。