秀吉の出自を徹底議論 Part.2
既に下級農民出というのは破綻しているのはこの板の皆が周知
では、なんだったのか?
そこをトコトン議論する。
※前スレ
秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/ 出世したので身内を取り立てた
別になんらおかしな話ではない 秀吉の母親は貧農なのにどこで字を習ったの?そこからおかしいでしょ 刀鍛冶は有名になれば将軍や大名にも御目見得できる立場
大政所は刀鍛冶の娘で、姉妹は郷士・武士階級に嫁いでいる
貧富と地位は別物
大政所と秀吉の家が貧しいことと、出自が底辺階層に所属していたかどうかとは分けて考える必要がある >>6
例の木下祐久が主筋だったので、それより上になったのを期に氏を変更したとか >>40
あー、これ見るとある程度の身分だったとわかるね。 斎藤道三も北条早雲も下剋上の化けの皮が捲れたけど、秀吉は自身が生前から改ざんしているからややこしい 織田家の同輩とかいたはずなのに「あいつ若い頃はあんなこと言ってたのに晩年は日輪の子だってよw」みたいな話まったくないのがすごい
家康ですら願人坊主に買われただの今川の人質だのの話残ってるのに 大阪籠城(大坂の陣)の砌、豊臣秀頼公は篠原又左衛門という者を召し、
「汝が生国は淡路であるから、能く案内を知っているだろう。また親類、好の者も有るだろうから、
それらとも語らい、同心の者があれば、由良城を攻め、かの島を固め、由良、岩屋表に番船を置き、
四国九州の往来を差し防ぐべし。」
と命ぜられた故に、篠原は内々これを謀ったが、大野修理亮(治長)がこれを聞いて
「海を隔てての働き心得ず、始めの手段を仕損じては如何なり。」
と制し、支度の船共を焼き捨てたため、篠原の謀略も徒になったという。
(新東鑑)
篠原というと、阿波三好家重臣の篠原氏の縁者なのかな? まぁ、貧農、底辺労働者階級の出だと代々木、北京、モスクワ辺りのウケが良い罠。 松下嘉兵衛に仕えてたのは史実でいいんだよね?
どういうプロセスでそうなったんだろ 秀吉の尾張国中村出身という出自を事実とすれば、尾張今川氏の旧根拠地那古野に近い
今川義元の尾張侵攻目的が尾張今川の旧領回復なら、その辺の情報や繋がりを得たかったのかもしれない >>61
親戚がいるから遠江にいく←わかる
遠江いったら武家に仕えることになった←これがわからんのよ
松下と仲良いレベルの身分の木下氏がいるなら後年の親族不足の時に取り込んでもおかしくないのにね
松下への恩返しは美談だけど、じゃあなんで遠州木下氏は取り立てなかったんだろう >>64
遠州木下氏はその後の記録が無いから、桶狭間の戦い以降の遠州惣劇か徳川・武田戦の最中に滅亡してそう
なお尾張の木下氏は木下祐久らが実は秀吉の木下氏本流だったのではと自分は考えている
大政所姉妹が桶屋や鍛冶屋と結婚してるから
大政所の夫も職人の家の物だったんだろうか >>66
下級武士の下の方の妹だからじゃないかと
上の妹は小出・青木といった同じ下級武士に嫁いでいるようだし 農民出だろうが職人出だろうが
明の朱元璋レベルの貧乏人だったんだよね
幼少期の栄養不良が体格や寿命にまで影響した為政者って国内では他に知らないから 貧乏だった根拠って何?
史料上の初出の段階で織田家の奉行だが >>60
子供の頃に口減らしで出家させられ寺で学問を習ったとの伝承があるが
読み書きが出来れば親の身分が低くとも小者として武家に雇ってもらうのはそう難しくなかったんじゃないか? 親(家)がお寺にお布施してるから学問を習えるんだよ
貧乏な家の子供は何も学べず一生下働きだよ 長男出すのは労働力>口減らしになると思うからそういう理由では無い気がする。
普通に庄屋的立場で読み書き算盤必要な家だから学ばされたんじゃないか。弟もたぶん学んでるし。 竹阿弥が同朋衆説に従えば
長男を寺で学ばせるのは口減らしでもなんともなく
家業を継がせるための至極当然の準備になる 三河物語
「太閤は松下加兵衛の草履取りをしていた」 >>70
口減らしの参照元はなに?
寺に入った話は太閤記にあるけど
その理由は家の困窮ではないよ そのあたりを書いた門外不出の「松下家文書」みたいなのがぽろっと出てこないかなぁ。まあまず偽書を疑われるだろうけど。 松下家に仕える前に寺を出奔している
となると乞食やら下働きは放浪中のことであって
生家の経済状況とは直接関係はないことになる
まあ身一つで出奔してるから
常に誰かが着いてるほどの
身分や経済状況でないとは言える 平とか藤原のような本性もないような家であることは確か 早雲も道三もそれなりの出自だって分かっちゃったからなあ
天下統一はおろか出自も分からん下層階級出で大名になったのって他に居たっけ? 最近なのかは分からないが道三と同郷の山城国西岡出身説のあとに
松永兄弟は摂津国五百住(現・高槻市)の土豪の出という説が出ている うちの親父は今でも秀吉は貧農出だと信じてる。年寄りはそうなんじゃないかな?
学校教育で現在はなんて教えてるんだろうか? それは説と言うより大義名分でっち上げただけじゃね? 秀吉自身が命じて作成させた『天正記』が出典だから、皇族落胤説 そもそも父親は誰かというレベルから始めないといけない >>90
昔、何かのテレビアニメでそんな描写あったわ 農民が土地を簡単に離れられる事は無理だからヒニンかサンガだったんじゃねーの? サンガは京都だろ!
というネタはさておき、この時期なら一家まるごととかでない限りそれほど厳しくはない てか、戸籍ってそこまで厳密に把握できてたかな。居住実態も合わせてさ 藤堂高虎も足軽から出世したけど高虎は武勇に優れてて徳川の武将の首取って長政から感状貰ってそれ履歴書にしてあちこち仕官してのし上がれたからな
個人戦闘力雑魚の秀吉がいきなり偉くなり奉行になれるものなのかという疑問はあるね あれだけ各地の戦場で生き残れるやつが本当に雑魚なのだろうか そりゃ後方で指示出すだけの人は生き残るでしょw
官兵衛、立花道雪が武器持って直接戦ってたと思ってるの?w
高虎は若い時は戦場で槍働きして武将討ち取ってるの
区別つかないの?
何十人も雇える身分にない人間が短期間でのし上がるなんて身分ある人間討ち取らなきゃ無理だよねって話ししてるんだが話通じないか >>104
いちいち煽るなよ
煽らないと話せないのか 蜂須賀や前野とか武張った連中が早いうちに配下になったのって想像以上に大きかった 自前の譜代一族すらいない裸一貫から命かけてくれる部下作る時点でかなりおかしい
実際の秀吉は史実劉備みたいなやつだった可能性ある? 桶狭間の戦いで勲一等扱いが誰なのかも知らないのかな
織田家では槍働きより情報の持つ価値が高いのよ
あと秀吉の係累は木下杉原浅野加藤だけでなく大政所妹婿の小出青木福島まで抑えて考えるべき。
岩倉の織田伊勢守家の元家来筋が秀吉初期の近臣に多いのも気になるとこではある 簗田は創作っていうか何かの手柄を立てて領地貰ったのは事実だけど
それが情報だったってのは確定してなくて諸説のうちの1つに過ぎないって感じよね 加藤清正と福島正則
秀吉の親戚コネあって子飼武将欲しくてしょうがなくて経験と実績あげさせようと
積極的に起用。毛利戦、明智戦に参加。それぞれ一番槍、城攻め一番乗りする。170~200石から500石に昇格
少年時代の身の回りの世話から本能寺までの8年戦働きでこの程度
二人ともブレークしたのは賤ヶ岳で一番槍、名のある武将首取って加藤3000石、拝郷家嘉討ち取った福島は5000石に。まだ一万石は超えない
小牧・長久手の戦いでは加藤150人、福島300人を指揮
なんのコネもなく身分も低く名のある武将討ち取ったわけでも一番槍何度もしたでもないのにいきなり奉行
さらに軍も任され上洛軍にも参加したのは信長公記にも載ってて明智、丹羽と京都に残され政務を行う
1569年には山名尼子、浦上大友に包囲網食らって泣きついてきた毛利への援軍2万の副将任されその後も金ケ崎、横山城城代で活躍し小谷城攻略に抜群の働きをし功績認められ大名
銀英伝の若手提督なみの昇進速度だった秀吉 サンガって日本全国に居たんだろ。単に逃げ出した人達
居なかったという説もあるが、逃亡してる人なんてどこでも居たから。
よってサンガは居た 尾張は臣籍降下した親王の子孫が多数移住してるんだよな
天皇落胤でなくともその子孫説は十分ありえるわ 信長がなぜ秀吉を重用したか?
秀吉は忍びの者で諸国の事情に精通し謀略に長けている
オーソドックスだけど真相ではないかな 百姓ではなくて行商人だろうね
農作業に従事してたタイプではなさそう
どちらかというと斎藤道三タイプ >>114
近親相姦で産まれたんでしょ?
現にワシが子供の頃近所の子がそうだった 斎藤道三も本人が油売りで~って話今は否定されてるんでしょ? >>127
道三の父が油売りから身を起こして土岐氏に仕える
武士になって出世して、やがて道三が父の跡を継いで
更に力を蓄えてやがて美濃を乗っ取るという
親子二代による出世劇という説が有力視されてる。 貧しい農民の出だという説だと秀吉秀長が兄弟揃って調略の添状書けるくらい学があるのがおかしいんだよな > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 糞吉は家康様以下なんだからよ!
頑張って豊臣政権家康様に
渡せや! >>128
最新の話やと三代じゃなかったか?
1480年代に祖父が美濃入りしてどうのこうのっていう 秀吉の生家が貧しいかどうかはわからないが他人に誇れるような立派な家業(武士含めて)ではなかったんじゃないかな
それなりに立派な家なら自分自身でそのことを言ったり書き残したりすると思う
金があったとしても蔑まれるような仕事で得ていたんじゃないか? >>136
そういったことを含めて不明なんでしょ
勝手な想像 秀吉と秀長に学があったから裕福な家の出自とは限らん
学問は後からでも学習することは可能 普通はそうかもしれんが
普通じゃないから天下取ったんだよなぁ 秀吉って父親のこと本気で嫌っていたんかいな
菩提寺もないし
それとも誰が父親なのか特定できなかったんだろうか 秀吉の直筆書状読めば、いわゆる「教養」がないのは分かるだろ
そのかわりに愛嬌はある >>141
確か大政所などは位牌所はあるけど、父親とされるじん すまん途中で送信した
人物の位牌が、殆どの豊臣家関係者の位牌が現存するにも関わらず
管見する限りで無いんよな。
少なくとも秀吉存命中に「父親の追善法要」を執行した記録が無い。
もちろん自分がご落胤を称した実在していない某天皇・萩中納言や継父の竹阿弥を含めて。
充分に異常ではある。同時代の貴種や大名、それなりの武士は功なり名を挙げたなら
何等かの形で祖先の菩提を弔う行為をしているが位人臣を極めた筈の秀吉がしなかったのは異例でしかない。 すまん途中で送信した
人物の位牌が、殆どの豊臣家関係者の位牌が現存するにも関わらず
管見する限りで無いんよな。
少なくとも秀吉存命中に「父親の追善法要」を執行した記録が無い。
もちろん自分がご落胤を称した実在していない某天皇・萩中納言や継父の竹阿弥を含めて。
充分に異常ではある。同時代の貴種や大名、それなりの武士は功なり名を挙げたなら
何等かの形で祖先の菩提を弔う行為をしているが位人臣を極めた筈の秀吉がしなかったのは異例でしかない。 当時の人達はその点を疑問に思ったりしていないのかな