秀吉の出自を徹底議論 Part.2
既に下級農民出というのは破綻しているのはこの板の皆が周知
では、なんだったのか?
そこをトコトン議論する。
※前スレ
秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/ 貧農説 豊鏡という半兵衛の子供が記したもの、秀吉にも仕えたものなのである程度史料的根拠はある。ただ貧農にしては秀吉の出世が早すぎるという意見があるが、秀吉本人の書状でも若いころは貧しかったのは確か。
足軽説 太閤素性記という江戸初期の書物による。鉄砲足軽の子供というもの、針売りや寺にいたりするのもこれ、鉄砲伝来前(鳥銃はあった)だったり疑問もある
奉公人説とかもこれに入るのかね?
豪農説 村長の息子というもの、武功夜話という前田家の子孫の蔵から戦後「発見」された史料にある、真偽が分かれる、少なくとも原文そのまま写したものではなく、後世の加筆修正は確実にあるので信ぴょう性が下がっている。
天皇の落胤 秀吉が書かせた天正記によるもの、まあないなあ。 >>4
貧しいといぬは誰と比較してなのか?農民との比較じゃないだろ 織田家の庶流の木下氏説 秀吉が最初なのっていた木下氏が実は織田家庶流の木下氏であったという説
織田家の奉行をして小牧長久手で戦死した木下兄弟とかもここ?
今川家の記録にも木下藤次郎とか似たような名前があったりする。
秀吉の出世の裏付けや一族には甘い信長から信頼された理由にはなるが、羽柴姓を名乗ったりする理由がわからなくなる。
織田氏を名乗って乗っ取ったほうがよかったのではとか、隠す理由がない
私生児説 江戸中期の小説などにもある、島津氏は由来なきものとか書状に記しているから当時からそういわれていた可能性は高い
父親は実際竹阿弥が養父説が強く、父親不明と思われる。父方の親族は不明(福島?)
俺は村祭りでできてしまった子供ではないかと思っているが、自称秀吉の兄妹が大勢いて、それが後に処刑されたのもそれが理由では?
非農民説 針売りだったり、連雀商人つまり行商人だったというもの。寧々のこっち系ではないかという説もある
秀吉が商業重視だったりするしな。
サンカ説 よーしらんが異説 >>5
莚をまいて寝ていたとか、貧農レベルだったことを小早川?だったかとの書状のやりとりである 信長公記に名前が出てくるのは30歳ごろだが、すでにこの時は重臣である
数千の兵を率いる立場で六角の城を攻めている。
京都奉行をして毛利氏や将軍、皇族との取次もやっており、山名に二万の兵を率いて坂井とともに攻め込んでいる
金ヶ崎で武功建てて出世したのではなくて、重臣だから殿を任されたとみるべきかな
池田殿の与力説は俺はねーなと思ってる。
織田家に仕えたのが17か18、遅くとも二十歳くらいだろうから、10年あまりでこの地位なのでそれなりの身分では?
という説が近年でている。美濃でも信長の領地安堵の添え書きしているし >>4
豊鑑には「里のあやしの民の子」とあるのみ
身分が低いとは解釈できるが貧農とは限らない
というか豊鑑は職業、階層についてはただそれだけ
何であるとも明言してないというのが正しい
武功夜話は基本根拠にしないほうが良い
武家奉公人説は他に甫庵太閤記等
比較的成立の古い史料で竹阿弥(実父・同朋)
とされているなど >>7
それの何が貧しいだけでなく
「農」であった証拠になるの? 貧乏や卑賎は放浪時代を指しているかもしれなくて、出自に直結しているとは限らないのが面倒なところ ・大政所の姉妹は少なくとも地侍クラスに嫁いでる
・中村の家にも織田家に仕えた竹阿弥が婿入りした
ことを考えると木下家?が全くただの貧農とは考えられない
もちろん生活が苦しいのは別問題だが >>10
話が通じない人だな。
貧しいとは誰との比較なのだというのに対して、筵にくるまって寝ていたというのをだして貧農レベルとしている。 >>12
貧農なのか鍛冶屋なのか桶屋なのか奉公人なのかはわからんが
いずれの場合でもそこまで裕福ではないとは思うんだがな
地侍なのか、実はそもそも青木や小出も奉公人の可能性はないのかというのもある
そして地侍だとして、農民と武士の間にいる程度なら、さほどおかしくはないような気もするし
妾の一人だったのが、秀吉が出世したことで引き揚げられたとかね。 >>9
正確にはそうだったね。
農村でそういう立場だから貧農と解釈されたんだっけ?
武功夜話は俺はそこまで否定はせんな。今と違って文書そのまま転写して保存するようなルールはない、役職とかを後世の加筆で書き加えたり、地名が変わったら書き換えたりすることはさほど珍しい事ではないし
まあ俺は貧農どころか農民ですらない奉公人説を推すので、名主が豪農説である武功夜話には否定的だがね >>13
いや話が通じないのはあなたでは?
貧い=貧農だとは限らないし
あなたのいうその「レベル」とやらも
あなたの思い込み以外根拠あるの? >>16
5人間七七四年2022/02/12(土) 09:30:26.75ID:/6BWbeOH>>7
>>4貧しいといぬは誰と比較してなのか?農民との比較じゃないだろ
というレスにたいして若いころは筵に包まって寝ていたという話をあげたんだ。
「貧しい」理由をお前は聞いてきたのだろう?
だから貧しい理由を示した、それへの返答が今度は貧「農」であった根拠になるんだ?
論点がずれているだろうが、貧農の理由を聞きたかったのなら、最初から「貧しい」ではなくて、
「貧農」の根拠は何と聞け
筵に包まって寝ていた程度じゃ貧農レベルじゃない、豪農だとかいうのならまだわかるがね
俺個人は貧農説を推しているわけじゃないから、通説以上の事は語れんに熱意込めて説得するつもりもない
フロイスの柴を集めていた貧しい百姓(これも農民とは限らんが、当時の農作業は村でやるし農繁期は駆り出されてもおかしくない)
とか、豊鏡の説が根拠だろ、そんなに知りたいのなら自分で調べろ 久しぶりに惟任退治記読んだら、元貴に非ずってのは信長の葬儀を出す口実の下りで出てくるんだな
貴じゃないのに信長が異例の出世をさせてくれただけでなく、秀勝まで猶子にくれた
葬儀出さないといけないのに年寄り衆や、たくさんいる御連枝に遠慮してたら一向に誰もやらないじゃねーかと
自身主催の葬儀と秀勝の地位向上を狙ったプロパガンダと思うが、取り立てられたり織田家の子供もらい受けることが異例の立場だったのは確かなんでしょう
もとが貧しかろうと武士階級ならこんなこと言わないと思うけどな >>18
少なくとも下級武士階級なら殿様の子供を養子に貰い受けたら言うと思うが 信長の娘はみな重臣の息子に嫁いでいる、だが秀吉には子供がいなかった
息子の代で外様になってしまうし、秀吉に子供いないのなら自分の子供が乗っ取れるし、後に子供ができても排除されないだろう。 >>17
いやそもそも「貧農説」に根拠がないと言われてるんよ
なのにそこに追加の根拠もなく「貧農レベル」というので・・・ >>21
貧しいという質問に対して、貧しい根拠を示した
貧農という質問では最初からない。
問の答えを聞いてから設問を替えるな。
貧農について聞きたいのなら最初から貧農説の根拠と聞け
だから話が分からない奴だとしたんだ いや・・・だから最初の>>7からして
「貧農説」への疑問なんだって・・・
いやもうあなたがそう録ってないことはわかったよ >>19
なんにでもすぐ文句をつける
自分はなにも語らない
こういう人ばっかりだよな、この板 俺としては当時の農村に固有の農地や財産がどこまであったのかという疑問があるんだよなあ。
農作業なんて家どころか村ぐるみでやるものだ、水利や肥料に草むしりなど重労働であり農繁期に集中して作業する必要がある。
秀吉が検地して農民の農地と所有と納税が定められたがそれまでは個別ではなかった。当時は村連帯責任であるし逆に村の人間が何かされたら村ぐるみで報復したのが中世だ
こういう世界で「貧農」というのは存在するのだろうか、作業も土地も財産も村で共有される村社会において
貧農がいるのかなと。解死人など身分が低い存在もそりゃいただろうし、農民でも身分の上下はあるだろうが
ほぼ全員が農作業をはじめ多くの作業を共有すると思われる。
農業、漁業、林業、芝刈りから兵役に至るまでね。
農民であり場合によっては戦にも出るだけでは?
農作業をしつつ、有事は村充てで領主などに兵役や雑役をするような家柄ではなかろうか 確か秀吉が添状書いてるとき秀長(長秀)も書いてるよね
貧農兄弟?なわけだけど まさかの中世は原始共産制だったと言う主張キタコレ
貧富の差のない理想の世界かよw
それ共産主義の幻影だから
中世の惣村を理想化する見方は昔流行ったけど
土地所有と富の偏りは実際には農耕と同時に
世界的に観られるようになるのよ 貧農の出ってマルクス主観かよ。
ちうごくとか北なんとかで、成分が良いって言うとるの同じだろ。 >>29
誰も貧富の差がないとか言ってないんだがな
同じ会社の人間であっても地位も給料も異なるように、同じ村の人間であっても明確に差はある
元々公地公民から荘園に移行した。
さらにその荘園制が崩壊し武士が台頭しさらには中央の権威の低下とともに自治組織として惣村という形態になっていく
このくらいは学校でも教わるだろう。興味あるなら最近でた荘園制の新書でも嫁
で、荘園や惣村の形態になったときに農民個人が各々土地を所有しているのかね? >>31
持ってる農民は個々で所有してるでしょ
小作もいるわけで
単純に課税が村単位ってだけ
逃散した百姓の分までちゃんと納税しろってのは、末端では個々に徴収していたってことでしょ
逃げた分も耳揃えて村で払え(逃げないようにお互い監視しろ) 畿内の惣村はそれなりに記録があるが地方の村はよくわからんね
記録を残す層が少なかったからだろうか >>32
当時の農民の土地所有を証明するものなんてあるの?
村の有力者が所有ないしは、村で共有というのが実体でしょ?
大半が小作人みたいなもん
荘園からの派生なんだから、荘園の土地を農民が所有という時点でおかしいんだけどな
山の中とかに自分たちで開墾した土地とかならまだしも、その場合でも村の共有地である山林などを開拓してるわけだから、
どこまで私有財産になったか疑問なのだがね
ちなみに当時は税金払えないなら村ごと逃散するからな >>34
あのねえ
検地帳で調べてみれば?
荘園ってのも土地の所有者ではなく、課税権利者ってだけだぞ ん?荘園なら検注帳だろ?
で、ここで税負担者は名請人なわけだが、土地所有者ではなくて税負担の責任者ってのが正しい
所有しているわけじゃないから、自由な売買はできない
太閤検地により所有と名請け人が一致すると農民が田畑を売買するようになり、江戸幕府は売買の禁止をしていく
まああまり守られてはいないわけだが お前が出せよ
正直不明としか言い様がない
貧農は否定されているのは事実 秀吉の母・大政所の妹たちは秀吉がまだ子供の頃に武士階級に嫁いでいる
妹栄松院:同郷・愛知郡中村の織田家家臣の小出正重に嫁ぎ、1540年に小出秀政を産む(秀吉は1537生れ)
妹大恩院:美濃の豪族青木氏の青木重矩に嫁ぎ、青木一矩を生む
重矩の父・重任は元・今川・徳川家臣で七手組の青木一重の祖父重藤と兄弟
同じく妹が嫁いだ福島正則の父で桶屋の福島正信、加藤清正の父で元・斎藤道三家臣の刀鍛冶加藤清忠は
ともかく、母系は単なる平民じゃなかったことは確か そもそも青木が豪族かあ?
さらにいえば江戸時代に家系捏造してる臭いのだが
秀吉が出世したことで一族も出世したので、武士だったことにしたんじゃねーの? 真面目な話、秀吉の時代でも武士身分以外の人間が簡単に武士にはなれない。
自称すればいいって話じゃない。 秀吉の時代とは秀吉が天下とった時代の事?
ならその時代には大名になっているんだからやりたい放題だ 秀吉が身内の非武士身分の人間を武士にした、という根拠はどこにもない 出世したので身内を取り立てた
別になんらおかしな話ではない 秀吉の母親は貧農なのにどこで字を習ったの?そこからおかしいでしょ 刀鍛冶は有名になれば将軍や大名にも御目見得できる立場
大政所は刀鍛冶の娘で、姉妹は郷士・武士階級に嫁いでいる
貧富と地位は別物
大政所と秀吉の家が貧しいことと、出自が底辺階層に所属していたかどうかとは分けて考える必要がある >>6
例の木下祐久が主筋だったので、それより上になったのを期に氏を変更したとか >>40
あー、これ見るとある程度の身分だったとわかるね。 斎藤道三も北条早雲も下剋上の化けの皮が捲れたけど、秀吉は自身が生前から改ざんしているからややこしい 織田家の同輩とかいたはずなのに「あいつ若い頃はあんなこと言ってたのに晩年は日輪の子だってよw」みたいな話まったくないのがすごい
家康ですら願人坊主に買われただの今川の人質だのの話残ってるのに 大阪籠城(大坂の陣)の砌、豊臣秀頼公は篠原又左衛門という者を召し、
「汝が生国は淡路であるから、能く案内を知っているだろう。また親類、好の者も有るだろうから、
それらとも語らい、同心の者があれば、由良城を攻め、かの島を固め、由良、岩屋表に番船を置き、
四国九州の往来を差し防ぐべし。」
と命ぜられた故に、篠原は内々これを謀ったが、大野修理亮(治長)がこれを聞いて
「海を隔てての働き心得ず、始めの手段を仕損じては如何なり。」
と制し、支度の船共を焼き捨てたため、篠原の謀略も徒になったという。
(新東鑑)
篠原というと、阿波三好家重臣の篠原氏の縁者なのかな? まぁ、貧農、底辺労働者階級の出だと代々木、北京、モスクワ辺りのウケが良い罠。 松下嘉兵衛に仕えてたのは史実でいいんだよね?
どういうプロセスでそうなったんだろ 秀吉の尾張国中村出身という出自を事実とすれば、尾張今川氏の旧根拠地那古野に近い
今川義元の尾張侵攻目的が尾張今川の旧領回復なら、その辺の情報や繋がりを得たかったのかもしれない >>61
親戚がいるから遠江にいく←わかる
遠江いったら武家に仕えることになった←これがわからんのよ
松下と仲良いレベルの身分の木下氏がいるなら後年の親族不足の時に取り込んでもおかしくないのにね
松下への恩返しは美談だけど、じゃあなんで遠州木下氏は取り立てなかったんだろう >>64
遠州木下氏はその後の記録が無いから、桶狭間の戦い以降の遠州惣劇か徳川・武田戦の最中に滅亡してそう
なお尾張の木下氏は木下祐久らが実は秀吉の木下氏本流だったのではと自分は考えている
大政所姉妹が桶屋や鍛冶屋と結婚してるから
大政所の夫も職人の家の物だったんだろうか >>66
下級武士の下の方の妹だからじゃないかと
上の妹は小出・青木といった同じ下級武士に嫁いでいるようだし 農民出だろうが職人出だろうが
明の朱元璋レベルの貧乏人だったんだよね
幼少期の栄養不良が体格や寿命にまで影響した為政者って国内では他に知らないから 貧乏だった根拠って何?
史料上の初出の段階で織田家の奉行だが >>60
子供の頃に口減らしで出家させられ寺で学問を習ったとの伝承があるが
読み書きが出来れば親の身分が低くとも小者として武家に雇ってもらうのはそう難しくなかったんじゃないか? 親(家)がお寺にお布施してるから学問を習えるんだよ
貧乏な家の子供は何も学べず一生下働きだよ 長男出すのは労働力>口減らしになると思うからそういう理由では無い気がする。
普通に庄屋的立場で読み書き算盤必要な家だから学ばされたんじゃないか。弟もたぶん学んでるし。 竹阿弥が同朋衆説に従えば
長男を寺で学ばせるのは口減らしでもなんともなく
家業を継がせるための至極当然の準備になる 三河物語
「太閤は松下加兵衛の草履取りをしていた」 >>70
口減らしの参照元はなに?
寺に入った話は太閤記にあるけど
その理由は家の困窮ではないよ そのあたりを書いた門外不出の「松下家文書」みたいなのがぽろっと出てこないかなぁ。まあまず偽書を疑われるだろうけど。 松下家に仕える前に寺を出奔している
となると乞食やら下働きは放浪中のことであって
生家の経済状況とは直接関係はないことになる
まあ身一つで出奔してるから
常に誰かが着いてるほどの
身分や経済状況でないとは言える 平とか藤原のような本性もないような家であることは確か 早雲も道三もそれなりの出自だって分かっちゃったからなあ
天下統一はおろか出自も分からん下層階級出で大名になったのって他に居たっけ? 最近なのかは分からないが道三と同郷の山城国西岡出身説のあとに
松永兄弟は摂津国五百住(現・高槻市)の土豪の出という説が出ている うちの親父は今でも秀吉は貧農出だと信じてる。年寄りはそうなんじゃないかな?
学校教育で現在はなんて教えてるんだろうか? それは説と言うより大義名分でっち上げただけじゃね? 秀吉自身が命じて作成させた『天正記』が出典だから、皇族落胤説 そもそも父親は誰かというレベルから始めないといけない >>90
昔、何かのテレビアニメでそんな描写あったわ 農民が土地を簡単に離れられる事は無理だからヒニンかサンガだったんじゃねーの? サンガは京都だろ!
というネタはさておき、この時期なら一家まるごととかでない限りそれほど厳しくはない てか、戸籍ってそこまで厳密に把握できてたかな。居住実態も合わせてさ