実は創作だった通説・俗説7【コピペ・レッテル貼禁止】
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史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
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レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
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デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
※前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1612849924/ 未だに伝・源頼朝の肖像画を源頼朝として使用しているアホがいる 伝・頼朝像は未だ議論が有る状態。「頼朝ではない」と確定したわけではない。 あの頼朝が否定されたらあの木像しかないから必死なんだろ >>752
もうちょっと現状の議論を調べてから書き込んだほうがいいぞ >>751
伝・頼朝像=足利直義像説は歴史学者たちはおおむね賛成
反対派は主に美術史家たち 流れをブッタ切るけど、
「信康事件は徳川家のお家騒動」説は、一般にはどれくらい浸透してるんだろう?
大河ドラマ板で、信康切腹は信長の命令ではないと書いたら、
ドラマの話なのに、と嘲笑された >>759
世間一般の人は歴史については
フィクションしか認識してないよ
ちょっと詳しい人でも司馬遼太郎の
小説を読んだだけくらいのレベル 史実を知っているかどうかの問題でもない
ドラマは脚色するのが当然と考えている人には史実など関係ないわけで 何でもかんでも史実通りにしようとしたら娯楽なんて成立しないしな
しかもその「史実」も今の研究だと多分こうらしいレベルの話な訳で確実なことは何も言えんし
近代以降なら話も違うが それ言い出したら歴史ドラマなんか何でもありでも良いってことになるだろ
それだったらこれは歴史ドラマではありません歴史上の事件をテーマにした奇想天外な話ですと書いとかなきゃ! それより100%史実に忠実にドラマ化した作品なんてあるの? >>765
そんなもの、どうやったらできるんだよ♪
大筋の事実経過を実証研究の最新成果にきっちり合わせたとしても、
特定の場面で特定の人物がどんな科白を吐くか、何を着て何を喰ってたかなんざ脚本家の想像で作り込むしかないだろ。
そういうことについても必ず「史実」は存在するわけだが何百年後にそれを知る術は無い。
無い以上は合わせようもない。 そこまで誰も求めとらん
ただ古い学説を下敷にした根拠のない話やるなら
歴史ドラマとか名乗るなと言いたい
三国演義とか太平記みたいな講談ドラマを名乗れと うーん、大衆ってつまらない真実より面白い虚構をもとめるもんだから
ある程度はしゃーない気もするがな 歴史「ドラマ」って時点でそもそもフィクション前提だろ
歴史ノンフィクション名乗ってたらアレだけど >>768
>大衆ってつまらない真実より面白い虚構をもとめるもんだから
おれもつまらない史実より面白いフィクションの方が好きだが(単なる病死より陰謀があったとか祟りで死んだとか)
とはいえ、せっかく新しい研究成果といういわば「新ネタ」があるのに、古い定説のままでやることはないよな、とは思う >>770
新ネタ、なあ。
旧見解「野望に燃える梟雄」→新見解「淡々と公務をこなす幕府職員」
旧見解「理想を目指す新政策」→新見解「大震災後の危機管理」
旧見解「謀略に満ちた侵攻戦争」→新見解「村々からの要請を受けた在地抗争介入」
実際にこうやって人物像が一変しちまった戦国大名もいるわけだ。
能動的な歴史好きはともかく衆愚にはウケねえと思うぞ…。 テレビという時点でなぁ
歴史ドラマどころか、ノンフィクションの
歴史検証番組でさえフィクションに近い そんなに史実を見たいならまず女はお歯黒塗れって言えよ
俺は見たくないけど 麒麟が来るでは女性が膝立ちしてたのはそれが史実だと言われても違和感があった
ドラマには長年作られた様式美というのがあるな
まあ史実を取り入れるのもありじゃないの 過去の作品では真田信吉の生母の存在なんか無視されてたが真田丸では居たし
予備知識無しで穴山信君(のぶただ)とか出されるとこれルビ間違ってねとか思っちゃうけどw >>773
そういうこと言ってるわけじゃない
ドラマなんだから現代人が共感できるような絵面や表現にするのは別に良い
でも荒唐無稽な旧説とか講談の話を、史実です!てやるのはヤメロってこと >>774
最近の漫画で髷も結わずに自由な髪色なのも
様式美だから広まるとイイね >>775
やめろって言ったって
無理だと思うよ
テレビ番組がそこまで
クレバーになることは
これからもないだろう ドラマって別にこれが史実だとか主張してないだろ・・・ インスタントラーメン発明したのは日清食品の創業者ですみたいな嘘ドラマやったら問題だろ 大河ドラマの史実性にそこまで厳密にケチつけるやつってちょっと気持ち悪い 大河ドラマ自体じゃなく大河ドラマスレで冷たくされたのが辛かったんだろう 伊勢宗瑞が最初の戦国大名です
みたいな話
正確性を重んじるならもっと細かく説明必要だが
まあ一般的にはそれで通じるって感じ 歴史に限らず創作作品の話中に作外の専門知識をひけらかすのは基本的に嫌われる >>782
楽市楽座や三段撃ちは織田信長が考案した説みたいなもの? >>783
戦国大名の定義にもよるがもし朝倉孝景が認定されるのなら彼の没年は伊勢宗瑞の伊豆入りより前 何を以て戦国大名とするかは定義が未だに決まっているわけではないが、
幕府と関係なく実力で領域支配を為し得た存在を戦国大名とするのなら、
それこそ畠山義就がその嚆矢だろうな >>783
最初じゃねえよな、どう見ても。
関東に限ったって古河、山内、扇谷、太田、長尾諸流の領域権力化の方がよっぽど早い。
それに最新の伊勢宗瑞像は>>771の通りで、戦国大名として成立したのは「状況に巻き込まれた」結果と考える方がしっくり来る。
守護でも荘園領主でもねえ公務員が地縁も既得権も無い地で典型的な戦国大名になったから却って過程も構造もよく見える。
解り易い事例として引き合いに出されるだけだろう。 なのに>最初じゃねえよ、どう見ても と断言出来るヤツ 何故北条早雲が最初の戦国大名と言われてるのか
他の最初の戦国大名説とその根拠
この位まで掘り下げてくれないと面白くないわな 応仁の乱のどさくさで国を乗っとたり独立した連中のほうが時期的に早雲より早い
あとは守護大名から戦国大名に移行した連中をいつから戦国大名とするか この場合は元から存在したわけで
誰が1番かはともかく早雲じゃないとは思う 早雲だとしたら現地での新興勢力という条件は付くかな ただでさえでも通説の立身出世説は否定されてるのに 分国法の有無とかじゃないなら何を持って戦国大名と言うかの定義づけがないと論争自体無意味 昭和になって歴史学者が勝手に使いだしただけ
明確な定義づけなどアホらしいの一言につきる 「戦国時代」も「戦国大名」もそれこそ「幕府」でも
歴史用語はほとんどが後世の後付けよな 「戦国時代」は中国史の用語を一条兼良が応仁の乱以後の様相の比喩として表記したもの とまあその辺の微妙な議論なので
世間は多分どうでも良いと思ってる
て意味ではまさに>>779そういうことかなと >>797
歴史に限らず(社会)科学全般がそういうもの
アホらしいとか言い出すのもアホらしい 結局誰かの受け売りにすぎない知識でマウントを取ろうとしてないか? 北条早雲「えっ?俺って戦国大名なの?ハハハハハッ」 >>799
それを言うなら「守護大名」も後世作られた歴史用語 >>814
なにがどうなるの?
真面目に教えてほしい 前から疑問だったのだが商人って切腹するのか? 他に例はあるの? 切腹が武士だけの死に方になったのは江戸時代からだし >>819
小西は元商人なだけだしキリシタンだから自害せずに捕縛後斬首 >>818
利休は商人として切腹させられたわけじゃないだろう 腹切れ命じても
自殺できんのです言うから
首切るのって優しさなのか >>823
通説では捕まるくらいなら自害してはという協力者の提案を小西が断っただけで捕縛後に斬首されたことに徳川方の忖度は無いだろう
>>824
自害できないから殺したってのは通説では細川ガラシャの例があるな そもそも石田三成からして斬首なんで
この時の仕置きは別に宗教的なこと抜きに
斬首で進んでるものと思われ 逆に恵瓊坊主だから切腹させられないし行長もキリシタンで切腹しないし、3人いて一人だけ切腹ってのも妙に浮くから三成も斬首になった可能性
このときなんで梟首なのか史料からわかるものがないから完全な妄想だけども 日蓮も斬首(未遂)だったけど深く考えたことなかった
坊さんは切腹できないのか 秀次事件の隆西堂(虎岩玄隆)
清水宗治の庶兄・月清(清水宗知)は切腹してるし
出家後に自刃したのはたくさんいるから
僧侶だから切腹しないというルールはない
名誉ある刑罰なので、僧侶には切腹させない、というのは考えられるが
>>828
大坂の陣でも斬首なので、「謀反人」の斬首は規定路線かと >>830
少なくとも月清は入道ってあるしちゃんとした僧侶ではないよ >>830
武田龍宝も自害してたと思うし坊さんが切腹しないということはない
特に出自が武家だったり元武士だったりした場合は 恵瓊も当てはまる
特に恵瓊は通説では大名だったとされてるし関ヶ原でも軍を率いて参戦してるから坊主だから切腹しないは通らないのでは
そもそも晒し首にする罪人を切腹させないよね 合戦中や降伏時に自害なら別だけど 大坂の陣の敗将といえば真田信繁・後藤又兵衛・木村重成あたりの首は晒された? それとも首実験止まり? 俘囚の安倍氏が鋸引き
杉谷善住坊も鋸引き
一向門徒は油で釜茹で等々
キリシタンは逆さ吊り火炙り等々
武士なのに館に詰めて焼き殺された荒木一族は珍しいのか >>834
前九年の役で鋸挽きにされたのは安倍氏じゃなくて藤原経清(藤原清衡の父)
家康も大賀弥四郎を鋸挽きにしてるな
どちらも裏切った部下に対する斬首の追加刑的意味合いだろう 旧来の通説・俗説を「これは創作だっ(キリッ)!!」と断じて確立された筈の定説が、
考古学と地震学という問答無用の物理知見でサクッと否定された事例なら知ってる。
明応四年地震。 >>841
考古学だけで地震が何年何月何日に起こったかピタリ分かるわけないだろ
災害史研究は文献史学と考古学やその他分野の共同でやってるんだから意味不明な文系バッシングに巻き込まないでほしい
地質調査で特定できたのは15世紀末に確かに地震があったらしいということだけで
それが明応4年なのか明応7年・9年の史料的根拠がはっきりする別の地震なのか特定するには鎌倉大日記の史料的評価という別の問題が伴う(まああったらしいが) >>842
わざと触れなかった(触れたくなかった?)のかもしれないが、明応四年地震についてはもう一つ決定的事実が解っている。
明応七年や九年の地震、即ち南海/東南海/駿河トラフ三連動型地震では伊豆半島東岸の発掘調査から推定される波高の津波を同地域に生ずることは不可能であるという知見だ。
それは大正関東大震災と同型の相模トラフ地震でなければならない。
よってそれは七年や九年の地震とは別個のものと確定される。
鎌倉大草紙の史料価値評価など全く関係無い。
今後、中世に関しても遺構発掘の事例は漸次増加していく。
出土物の解析技術は日々革新されていく。
数理シミュレーションの為のバックデータも蓄積されていく。
恣意的解釈を許さない真の「実証」研究の成果こそが歴史学の主役となっていく。
文献の価値をゼロとまでは云わないが、いずれその役割は補完的・副次的なものとなる。 >>843
文献史学の否定、いつもお疲れ様です
ごく幸運なケースでしたそんなこと実現しないから 史料がなきゃ目処もつかないしで両翼になってより事実と思しきものを解釈してくだけなのに、なにを無駄に荒れる言い方をしてるのか
って感じ
考古学地質学も決して欠点がない学問ではなし、鬼の首を取ったように一部の学問を下げる道具にするのは決してそれらの学問に対しても真摯な態度でない お前ら和歌山県出身の下村拓郎氏(35歳独身、元自衛隊)のことを知っているか?この方は人格的に素晴らしい人物なのでよく覚えておけよ >>843
その地震学の方の論文興味あるからどこに書いてあるか教えてくれませんか 多数あるが、最も端的なものは;
・相模トラフ沿いで発生する地震の地震動・津波浸水想定 (平27 静岡県)
・駿河トラフ・南海トラフ沿いで発生するレベル1地震の津波の想定 (平27 静岡県)
これらに対して、
静岡県伊東市の宇佐美遺跡発掘調査によって15世紀末~16世紀初頭の年代観を有する津波堆積物が海抜7.8mの地点に確認されている(金子2011、2012)。 考古学といえば聚楽第の発掘調査で新たに堀を掘ったりして増改築した証拠が見つかったようだな。
最近秀次ネットでも小和田説とか真に受けて、秀次は被害者とか言っている人増えたけど、無断での城の増改築は謀反疑われる行為
他にも婚姻や誓紙や金のやり取りなどアウトな行為が多数した結果なんだろう。
御掟や武家諸法度でそれらの行為が禁止されているのも秀次事件をうけてなんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています