もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 33
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信忠が本能寺から逃げて、身を潜め生き延びていたら、その後の歴史がどうなったかを語りましょう!!
信忠、信孝、信雄、秀勝、秀吉、勝家、長秀、一益、家康、氏直、兼続、元親、輝元…。
前スレ
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 32
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1624440770/ >>100
言いたいことはわかる
でもね、それをね
論文読めなくて、有料記事を他人に頼んでて、公開史料を現地に見に行ってない奴が言っても
まったく説得力ない
それだけのこと 学術がどうのってレベルの話じゃないだろ
ある歴史的事件があると主張して
それに史料的出典がないのではないかと指摘された
反証すべきなのは主張した当事者なのは当然だろ
「あったという出典は?」「ない、なかったという反証をしろ」
って常識なさすぎやん 論文や有料だと確かめれないくせによく言うよなw
論文検査サイトで有岡城の戦いの関連論文を調べることも出来ない高卒おじかな?
参考文献は人に聞くまでもなく腐るほど見つかるわ
コイツはどうせ名の知れた史料しか知らないから意味ないか >>101
無料かつネットで見られる史料すら読めない人間に言われたくはないですねえ
たとえば乙夜なら朝日のサイトに核心部分は写真が載っているんだから、記事でどうこうより自分で読めばいいじゃないか!
違う?
読めないから他人の解説が必要なわけで、その他人の解説をとくとくと自説のように語ったりするから滑稽なんですよ
私は古ポルトガル語は読めないので、そこらは松田先生はじめ、諸氏の受け売りですが >>103
こいつはとんでもない、途方も知れぬバカ
論じるに値しない >>104
全部観てから威張れよな
とりま金沢行けや >>106
ほー
ずいぶん高飛車なことで
いいご身分ですね、まさに滑稽の見本 >>107
オイ虚勢だけは一人前だな
たかだか学芸員の分析のほんの一部(無料記事部分)をさぞ得意げに自分が考えたかのように語っててさ
ウケるw
ほんとは崩字も読めないんだろう??
ほんとに読めるならさっさと『乙夜之書物』全三巻を読破・解析してるよなw 一時話題になった「乙夜之書物」は山崎の戦いは天王山の取り合いと書いてたりして史料性には懐疑的だわ
秀吉の書状やフロイス、大村由己等より時代の近い史料とは整合性がとれなかったりな
本当に崩字読めて3巻読破したら、所詮は乙夜之書物は当時の架空戦記だという評価になるはずだけど
そうでなく乙夜を過大評価し続けるなら、『上之介が別心か』を二次史料で信憑性ないと言えないはずなんだけどね
つまりほんとは崩字も史料も読めず他人の言葉を借りて語り虚勢だけが一人前の奴なんだろうな 更に信忠が明智を討つという架空戦記をやたら信仰してるのもコイツの分析能力が著しく欠けてると思うところ
その架空戦記が成立するためには、トンズラ中の信忠の代わりに信忠軍を指揮出来るほどの実績と地位と判断能力がある家臣が濃尾にいることが必要だ
それは河尻になるが、残念ながらその河尻は甲府にいる
河尻をご都合主義で濃尾にいることにするか、すぐに甲府から戻ってくることにするかだが
だが河尻は徳川の本心(叛逆)を見抜いたため甲信から動かず結局は武田遺臣の一揆で死ぬがな
これは信忠の生死にかかわらず変わらない
つまり、信忠軍には明智は討てない
信忠が合流出来たからころには逃亡兵が相次いで既に軍は壊滅してるか、まだ後詰めができる大軍がくることを期待して濃尾に籠ってどれだけの規模になるかわからない明智軍に備えるしか選択はない >>109
こんなもの読まされるなら早起きは三文の損だわ
まずね、大日本史料の細川家記だったか、斎藤利宗が「光秀は武田内通がばれて謀反した」という史料を紹介した
疑わしいと思いつつ
そうしたら利宗ソースの乙夜が出てきたわけだ
そこに出てくる又聞きした人脈を分析すると、そこに嘘はない
乙夜は明智方だけでなく、本能寺内部にいた人間の生の声も収載している
そこの人脈も前田家だから問題ないと結論した
経緯はここですでに解説している
もちろん、全てを信じるわけではない
むしろ、天王山争奪の話を写真から崩し字読み解いて、ここは極めて通俗的と最初に批判したのは私なんだがね >>111
乙夜の関連論文や分析論のパクリってバレバレ >>110
乙夜の再発見の功績は、現場にいた明智方、信長方双方の生の声が載っていること
既存の信憑性の高い史料ともさして齟齬はなく、驚くほどの新情報はないのだが、そういった史料の価値も結果的に高めている
加えていうなら、ここでも繰り返し述べたのだが、斎藤利宗という人間は自分の過去をペラペラしゃべる人間だったということ
ならば、細川家の記録にある武田内通説も検討する価値があるでしょうと
利宗という人間が求められるままに嘘八百を言っていた可能性もあるわけで、そこらの考察を聞きたかったんだが、てんでなかったな
なんの根拠もなくあり得ない、くらいだっただろうか
といっても、私も武田内通説なんて信じてはいないが、気になるところはここでいくつも指摘した 早稲田卒の自称歴史家の本か投稿だったか
それとほぼ同じ内容をずらずらと口調を変えて書き込みしてたよな
ほんと悪質だ 乙夜はあくまで参考に過ぎないという結論をコイツは変えてたから悪質極まりない >>112
信じたいものを信じなさい、あなたは
過去スレ読めば分かることなんだけどもな もし有料記事を読んでないというのがフェイクだとしたらどうだろう?
いくつもでていた論文や分析を読んだ上で、あたかもはじめて記事を目にした一般人のふりしてイキりたいという基地外になるな
しかもただの二次史料をあたかも優良な史料かのようにミスリードしてるからもはや詐欺師とよんでもいいぐらいだ >>110
河尻は甲州征伐でも単なる目付だぞ
滝川含め、信長の命令に反する信忠のイケイケを止められなかった
結果としてはそれで武田はすさまじい勢いで滅んだわけだ
また別に、本能寺当日からすぐに中国へ発向予定であった
では、信忠は河尻が甲州にいるから軍を動かせなかったのかい?
変が起きてからでも逃げれば安土なんてすぐだぞ
そこらは信長公記やフロイスの記録見ても記述されている
信長、信忠がいわゆる「天下統一」の仕上げに出ていく中国征伐で、少数の兵力で京を出るわけないでしょ
あれほど天下の外聞を気にする人間が
続々と大兵力が集まっていたと考えるのが当たり前で、細川家記なんかでも前進している
それが瓦解したのは信長と信忠という指揮系統の最上部がともに死んだからだよ
仕事したことあれば分かるだろうが、責任者が消えたら動くに動けないもんだ 大人げないが、君こそフェイクと示しておこう
制限あるので途中まで
202 人間七七四年 2020/11/30 22:39:21
もうひとつ、面白い記述がありますね
また、光秀は武田信玄、勝頼にかねて内通していたことを、穴山梅雪が降参して、その由を信長へ訴えたとの風聞がある
と記しています
さらに面白いのは「一書(にいわく)」という続き
かねて内通していたが、信玄が死に、勝頼が討たれて本意を失った
そこに穴山が降参したので、内々の逆意がばれることを恐れ、「取急ぎ叛心を起されしと、斎藤佐渡殿物語也と云々」
斎藤佐渡守は斎藤利宗、利三の三男で山崎の戦いのあとに細川忠興にお預けになった人物と比定できます
その後は加藤清正に仕えたり、春日局の縁で家光に仕えたりしています
稲葉家の家督問題で奔走したりもしています
光秀関係先の細川家記をそのまま信用はできませんが、面白いですねえ >>118
詐欺師がまたなんかほざいてるな
ただの目付?
河尻の功績を分析した論文や研究があると知っていてまたミスリードか
都合のいい二次史料を優良と喚き都合の悪い論文や研究には目を逸らすか二次史料を基にしてるとのたまう
どうしようもない奴だな 0819 人間七七四年 2021/01/03 23:14:08
よくみたら朝日の写真に当該部分の一部がでてますね
「光秀は鳥羽にひかえたり」とあり、明智弥平次と斎藤内蔵助が二千余騎で本能寺に押し寄せ、「早夜はほのぼのと明にけり」
水撒きの「下郎」が桶を持ってでてきたが、軍勢を見て門を閉めようとした
「あの門たてさせるな」と押し寄せて門を打ち破り、乱入
当番の衆は何事ぞとでてきたが、すぐさま踏み込んだ
縁側の上下で攻めあい、「信長公」は白き御帷子を乱しながら出てきて、「御弓にて座の敵を」射たてた
弓の弦が切れたようで、弓を投げ捨て、「十文字の槍」で競り合った
しかるところ、「御手」(けが)を負ったようで、「白き御帷子に血かかつて見ゆる」
槍を捨て、奥に入り、ほどなく奥の方より火が上がった
御番衆はずいぶん働いたが、いずれも素肌、わずかな人数、敵(一貫して明智勢は敵と記している)は具足兜、弓槍鉄砲(ここで写真は切れる) >>119
リアルタイムでこれ懐疑的な史料だぞと詐欺師に言ったがな
そのあとで、このおまえのレスがよ〜くご存知のあの誰かさんの分析のパクリパクリってわかったけどな
ほんと悪質だな >>122
いや、むしろ興味深い
その人のブログを教えてくれ
勉強になりそうだ
明智の武田内通説ってのは一応いろいろ紹介されていたが、「これ由来だったか」と思ったんだよな
その人は詳しそうだから教えてください >>123
ブログwww
またフェイクか
やりおるやりおる
認めたら法に触れるもんな
そりゃパクパクネタは無料では目に触れることはないと思って余裕ですよね >>122
まあ、読めないのは分かった
読むための努力もしないのも分かった
事実関係を混同する、というより憎しみ?かなにかでしか動けない畜生並みだというのも分かった
じゃあね >>124
ああ、じゃあねといったの撤回
君はブログくらいしか見てないだろという「偏見」から出たものだ
そこは謝罪しようw
しかし、具体的な史料や研究者の名称が一切でないし、自分の論拠もない
なにが楽しいの? 崩字は書き手の癖や誤字あるからそれだけで様々な解釈や研究がされるぐらいだ
そして注目された史料だと崩字を読めない研究者向けの解説がいくつもすぐに手に入る
だから崩字を読める人はそのことを誇らし気に何度も自慢する奴はいないし人をそのことでバカにすることは絶対にない >>127
戦国の崩し字なんて読みやすいんだよバーカ
右筆が主に書くんだから
研究者が困るのはその後の時代に多く残る自分用のメモにしてる癖字なんだよ
乙夜もけっこうな癖がある
清書しようという感じは受けない
よそに示すというより、家に残そうという史料だ
分かる? >>128
そこまで知ってるならやっぱフェイクだったな
あの時は故意にミスリードしたりパクパクったわけだ
これまで疑いだったが確信になったわ
じゃあな 戦国のくずし字はわかりやすいからAI認証アプリで簡単にわかるよ
乙の画像もいけたぞ とーでもいい罵り合い以外新しい展開なくね?
天正7年の信忠の足取りは信長公記にも割と詳しく
摂津の砦を固めたら即播磨へ遠征しその首尾を
信長に報告したら岐阜へ戻り
荒木村重逃亡の少し前に包囲側に戻る
その間に信長の安土への引っ越しやそれに伴い
岐阜を動かない馬廻の成敗なんかがあって
おそらく岐阜ではその辺の仕事をしてる
摂津陣へ戻ってからも後に彼が死ぬことになる
親王の新御所入りに供奉したり忙しそうだ
一方塩川はこの間鷹狩中の信長を接待したり
銀を下されたりしつつ包囲継続
信忠が播磨へ行ってからは彼の砦を引き継いでる
その間に縁組が進んだと思われ
屋敷に夜這いとかその間に砦陥落のような
イベントは記録されていない >>131
出典何?
例によって具体的に言えず知らないのかって返すだけのじゃなくて? >>133
すまん何の出典??
単に誰でも知ってる信長公記の記述について軽く触れただけなんだけど >>134
信長公記かよ
脚色が酷すぎてわからないな 簡略な説明に脚色って
最初に信長公記って書いてあるし 信長公記はただでさえヨイショなのに更に
くどいなぁ >>131
史跡巡りとか資料館とかにあまり足を運んだりしたことないでしょ?
ネットで手に入る無料史料だけじゃ知識は偏ってしまうよ
くずし字はAI任せて足を使って活きた情報に触れないとね 信長公記に書いてないな
砦が壊された時期の記載はなぜか休暇を満喫する信長の記述が不自然に差し込まれてるからウケるw 織田信忠は摂津国有岡城攻撃の陣に於いて荒木与党の女子供ら460人ばかりを2軒の家屋に押し込め焚殺す
信忠は火遊びと女子どもの丸焼きがほんとに大好きなんだな >>135
すまんどこが脚色?
俺の認識に誤りあると問題なんで指摘頼むわ
信忠の在陣期間、摂津以外での仕事、塩川の動向は読んだまま書いて謝りはないと思う
その間縁組進んだというのは書いてないけど
その間進んでないなら秀信生まれないよね?
夜這いや砦陥落の記載がないのは全く脚色なく本当
>>140
夜這いと砦陥落の記述は何が出典なのか?
信長の遊侠が書かれてる時期は信忠は摂津におらず
加茂砦には当の塩川が詰めてる 割と真面目に塩川氏と信忠に嫁いだ娘については
史料が乏しく夜這いや砦陥落について
記した書状があれば大発見だろう
軍記物でもほぼ無視されてるんじゃなかろうか それっぽい記述描いている本は見つけたけど出典がわからない
https://books.google.co.jp/books?id=98b4DwAAQBAJ&pg=PA78&lpg=PA78&dq=%E5%A4%A9%E6%AD%A37%E5%B9%B4%E3%80%80%E5%8A%A0%E8%8C%82%E7%A0%A6&source=bl&ots=79QgrDDYwf&sig=ACfU3U1JXJxKL3Vqz6faGRda7RY8V2OQVA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwj5yIG_8OfzAhUXE4gKHUeMCCwQ6AF6BAgkEAM#v=onepage&q=%E5%A4%A9%E6%AD%A37%E5%B9%B4%E3%80%80%E5%8A%A0%E8%8C%82%E7%A0%A6&f=false >>129
朝日が報じた日に指摘してるのになにがパクリだ
ロジックがめちゃくちゃ
>>138
それは単なる物見遊山というんだ
横着せずに自分で読め、勉強しろ >>144
ありがと
夜這い云々は正直彼が信忠を落とすための
いつものアレだと思うんよね
天正7年正月か
加茂炎上自体が信長公記他史料で見たことないけど
仕込みがその頃だと三法師の歳があわないね
加茂砦が信忠に任されてた時期なのは確かだが
同年3月に上洛するので摂津に在陣だったかは不明
ちなみに塩川伯耆は古池田の砦を守っててた
高山中川の寝返りから荒木方から織田方に付いたと
たまにされてることあるが多分それは間違い
子作りマンは最初身分が低いと強調して
今も夜這いが可能と思ってるようだが塩川は
少なくとも一城構える国人領主
気軽に密通できるというのは無理がある >>142
よく考えればわかることだけど
信忠が夜這中で砦留守だったというのは実は信忠擁護なんだよなあ
それを頭の軽い信忠擁護に否定させることが目的でした
ただ否定したいだけであげ足とりなんかしてるから大局
文化庁監修の史跡などの解説によれば、信忠が守る砦へ後詰めに向かった隊が砦に着くと、既に信忠は逃げた後で砦は空
砦は燃やされ武器や兵糧は全て奪われていた
トンズラ信忠の本領発揮よ 子作りマンはその後、信長の命令で数ヶ月戦場から離れることになる
その頃にせっせと子作りに励んでいたという説もあるな >>146
パクパクリンを認めたら楽になるよ
記事の前にとっくに分析されてたじゃない
有料記事読んでない教えて〜っていいながら既にで回ってた分析と同じ内容を口調を変えてレスしてる時点でおかしいってwww
まあ、有料記事や分析と同じだとわかったのはずっと後だけど
乙夜は参考程度って研究者の間の共通認識だから、やたら持ち上げるのは辞めてくれないかな? >>150
君は最高の理解者だな
ある意味、私の分析をそこそこ評価してくれているようだから
乙夜が参考程度というのは当たり前で、どこを評価するかの問題なのね
君は研究者の共通認識というが、君自身の細かい評価はできないのだろうか?
結局、史料を自分で読めないとこういう奴隷に成り下がるということですね
反論があるならどうぞ、ご自分の分析で
できなければ研究者の引用でもいいよ! >>147
あげた書籍は自費出版のようでイマイチ情報がわからない
ただこの書籍と同じ記述がwikipediaの「有岡城の戦い」に書かれているが
これには要出典がつけられている
書かれている文で検索してみても不自然に同じ文は出てくるものの出典については無し
子作りマンのいっている文化庁監修の史跡などの解説というのも見つからず >>151
パクリンする能力と詐欺師の才能は認めてるよ
でもパクった人の分析の結論を変えるのは悪質だな
それはやめたほうがいい
研究者に失礼だ 例えば尼崎市立地域研究史料館 紀要『地域史研究』
道糞の謀反に関する最新論文が何本も掲載されてるから取り寄せてみたらいい
『荒木村重研究序説』『荒木村重史料』の基本研究から入るのもいいぞ
無料のネット記事やAIアプリで騙せるのはアホだけな 信忠を研究した論文って意外と少ないんだよね
斯波がらみの考察は面白いけども信忠自身はパッとしないというか…さ
信忠の英雄伝が少数の兵に対して大軍で攻めきれずイライラして大将自ら突っ込んだというのも立花宗茂らと比べるとなあ…
夜襲で敗走して戦場から安全地帯に呼び戻されて数ヶ月何をしてたのか記録がない子作りマン信忠
そして翌年には三法師誕生w
松姫の切ない純愛ネタの相手として盛大に担がれてるのにw
おっと話がそれた
つまんないよな信忠の経歴・戦歴ってさ
結局は信忠本人でなく家臣らが活躍したり争ったりして、信忠は神輿として担がれて天下人になるってとこだろうね 信忠が父の遺産を受け継いでも、家臣がどう動くか誰が担いでくれるかで子作りマンの運命が決まるって感じだな 〉文化庁監修の史跡などの解説によれば
はどこの史跡? >>159
金と足と頭を使えよ
それも無いならあきらめろん 可哀想に、根拠を示せないから言うことコロコロ変えるしかできない 言いたいことはわかる
でもね、それをね
論文読めなくて、有料記事を他人に頼んでて、公開史料を現地に見に行ってなくて、さらに無料記事の写真を優良な根拠という奴が言っても
まったく説得力ない
それだけのこと ここまで目上の人から親切にヒント出してもらっても見つけれないようじゃ程度がしれるな
礼儀も教養も金もないカスってことだな
ネットの無料公開史料やブログ程度の偏った知識でドヤ顔してどこまでも恥ずかしい奴よのう
しばらく忙しくなるからその間に宿題やっとけよ
次来る時までに有料情報に触れて一般人レベルになってたら少しは相手してやるぞ なんか有料無料にこだわっているらしいが
>>157の地域研究史は37号からは無料でpdf閲覧できるぞ
最新の研究とかいっていたから誰の研究読んだのか挙げてくれ >>148
いいから出典聞かれてんだから答えろよ
お前が妄想書き込む狙いなんてどうでもよくて
妄想書き込むなって言われてんだよ >>162
なぜ、無駄に改行するの?
そんなに注目されたいのか?w
生を読めばいいだけの話なんだよ
ネットでちゃちゃっと見られる範囲でも
レベルの高い反論を欲していたが、ここでは無理だと体感した ならばもうここに居座る必要も無かろう
さっさと出ていけコピペ荒らしめ 坂井政尚
塙(原田)直政
森長可
平手汎秀
この四人のうち二人でも本能寺の変後まで存命であれば、
その後の歴史は変わっただろうなあ 戦国大名で子沢山はプラスにしかならないよね?
種無しがいいの? 信長も家康もいっぱい子供作ってるからな。2人とも生まれながらのお殿様でそういう意識があったんだろうけど 荒木が謀叛をしたおかけで三法師は産まれた
コイツがいなければ信孝が天下人だったかもな 婚約してた武田と断交して側室必要なとこに
荒木謀反で節義を守った塩川氏どの縁ができたから
そこから貰った形なんよね
それがなくても何処かから側室は入れてたんじゃね? そういや武田滅ぼした直後なのに松姫を京に招いてたよな
信長は知ってたのかな? 武田家が滅ぼされることになっても、織田信忠に思いを寄せていた松姫は、生涯独身を貫き通しました。
戦乱の世で純愛を育み、戦国時代のロミオとジュリエットを体現した。
金照庵での滞在中、まだ若く美しい松姫には数々の縁談がありましたが、松姫はすべて辞退。
織田信忠も、松姫のことを忘れてはいませんでした。
織田信忠は、戦乱のなかにあっても松姫の生存を信じ、彼女の行方を捜索。
そして、松姫を発見すると、松姫を改めて正室に迎えたいと手紙をしたため、迎えの使者を送ります。
松姫は織田信忠の申し出を受けることにしました。
こうして、松姫は10年越しに織田信忠に輿入れをするため、織田信忠が滞在する京都へ向かいます。 ゴルァ山梨県っ!!R139旧道の松姫峠を開けろぉぉぉっっっ!!! 三法師と松姫の子で争って天下割れそう
そして信長の四男が棚ぼたで天下人になる >>188
松姫を正室にするのは無理でしょ
没落した家の姫じゃメリットが無い 摂津に逃亡して1682年まで長生きした武田勝なんとか待望論 塩ナンとかより武田の血のほうが人気ありそうだけどな
真田ですら大人気だし 一色、佐竹、山名、細川、姉小路、斯波、京極
この辺りの血筋から正室欲しいな その辺血筋は良くても今更感ない?
一番ありそうなのは公家だね
有力大名との縁組は外戚の専横怖いから
普通避けるものでもあるしな
武田は逆に滅亡してることで
旧臣まとめて取り込みのために娶る
パターンがワンチャンあるかもよ
信玄における諏訪御料人とかのパターン
濃姫の存在は美濃衆の家臣団取り込み過程で
ある程度は意味はあったと思われ
信忠直臣に斎藤家や加治田衆付けてて
その割に口うるさい親戚筋が付いてこなくて
お得って成功体験が信長にはある >>189
うるさい親父は死んだから、信忠は好きな相手と結婚するぜw 信長の嫁というか息子達の母ちゃんてあんま分かってないんだよね。嫁選びでそういうの気にしてなかったんじゃね 信雄信孝の妻は北畠神戸の娘で家臣団取り込んだ
信忠は勢州軍記の記述だと濃姫の養子になり
その真偽は置いといても美濃衆を家臣団に取り込んだ
武田旧臣や甲斐衆取り込みのために松姫と婚姻
まんざらあり得ない話でもないと思う
まあでも武田家督は穴山に許したし信房もいるし
正室は公家か宮家から貰う方が可能性高いけど 松姫との間に男子生まれたら武田の跡継がせればいきなり養子送り込むより抵抗少なそうだ
生まれた順番によるだろうが 信長は足利将軍の武家政権は決裂後放置してた一方
誠仁親王に新御所献上して政務に当たらせたりしてる
信長には政権構想がないと言われたりするけど
それって政権構想あっての行動じゃね?
って思ったりもすんのよね
誠仁親王の即位(正親町天皇の譲位)と
信長(または信忠)の極官拝命と東西の戦争勝利と
うまいタイミング見計らってた節もあるので
信忠の正室もそれで先送りになってた気はする 中納言を自称らしいというがかなりな夜郎自大ではないか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています