もし毛利輝元が講和破棄して秀吉を追撃していたら
関が原も大阪城から秀頼連れて出陣したら圧勝
2回天下統一できたのに無能のせいで逃しているな 輝元と毛利両川が雁首揃えても秀吉の構築した攻囲を破れずに指をくわえて高松城の落城を見ていることしか出来なかったのにそんな余力があったのかね 確か、本能寺後に宇喜多と同様に毛利から織田に寝返った南条家の城を
攻撃して落城させてたはずだけど(両川も参加してたとか)
軍事的な脅威が去った空白状態の領地を奪ったり制圧したりはあるだろうけど
秀吉追撃はしないんじゃないかな、御家自体が良くも悪くも近視眼的っぽい
どこまでいっても器が地方大大名どまりというか 岡山城の宇喜多軍の1万と姫路の浅野長政5000を抜く必要があるな
これを山崎の戦いに間に合うように撃破するの無理じゃね?
いちおう輸送速度は水軍使えばどうにかなるが 秀吉を粉砕して播磨丹波割譲で明智と和睦だな
徳川は甲信釘付け
柴田も上杉に対し苦境
信雄は雑魚
光秀優位のなか義昭上洛と 和睦破棄より秀吉の和睦に乗らなかったら?の方がほかへの展開がありそう
和睦した時点でどうしても数日の穴空くからな >>9
秀吉は和睦しなくても高松城の水で足止めして全速で反転することはできたのでは
たしか殿は死んでもいい赤松のはずだし羽柴軍だけ道中補給もできるし山崎で明智撃つことはできる >>10
別に毛利自体は武田の長篠みたいに野戦で大打撃を受けたわけでもなくせいぜい鳥取城への援軍くらいじゃね? まあ本能寺がなく信長の総攻撃が目前に迫っていた状況の時はやばかったろうが 織田軍の1軍団を相手にしてるだけなのに高松城を見殺しにせざるを得ない状況まで追い込まれてたんだからやばかったのは確かでしょ?
秀吉に内部に手を突っ込まれて調略でグチャグチャにされてたしな 「毛利家は天下を目指してはならぬ」とかいう家訓があるんだっけ?
丹波・京とか面倒臭い地域に接している為に、力が分散するのを防ぐ為?
天下は足利とかの傀儡を立てれば済むし。 信長が最初は幕府に畿内を任せて岐阜に帰ったのと一緒だよ
当時下剋上があちこちで起こったけどその原因は領土を離れて中央の抗争に注力してる間に領土で守護代、家宰の影響力が増して主導権を奪われるってものだったから
天下支配と戦国大名は両立しないってこと。信長は自分が天下を支配すると決めた時には尾張美濃の戦国大名織田家は息子に譲って自分は天下人としての仕事に集中した 室町幕府の中央集計の仕組みが壊れていたから、統治できなくなっていたのか。信長がキレて「仕組みを見直す」とか言って織田家の統治方法(能力の高い者を広く登用してゆく)を朝廷・幕府に持ち込もうとして公家衆が危機感を持ったわけだな。そして、公家衆と信長との間に軋轢が広がったと。公家衆は信長に官位を授けて取り込もうとしたが。 ポツンと一軒家 戦国武将ゆかりの土地へ!?四百年つづく生家に?史実と母息子の想い >>17
元就が生まれてない時代を含めて、大内が義満に粛清されたり、
家臣に謀反されて滅んだりした歴史を知ってるからだろうね。
でも本能寺なかったら信長に滅ぼされてただろうし、高松城の時には
「もっと早く包囲網に加わって信長潰しとけばよかった」と思ってても
おかしくないが。 毛利の実態は周りの機嫌を伺いながら付いてきてくださいって言わなくちゃいけない立場だったから。これ以上でかくなっても内部崩壊するしリターンに対してデメリットがでかすぎる。
そもそも天下を狙ってる大名なんてほとんどいないから欲張るなという事を伝えたかっただけと思われる。 元就の「天下を競望せず」ってソースは何なの
吉川広家あたりが書き残したの? 広家じゃなくて吉川元長の写しだった気が
違ったらすまん 天下を目指して滅んだ武田
天下目前で実質滅んだ織田
天下を取ったが滅んだ豊臣
天下を自制して残った毛利 >>27
「天下を狙う野心は無い」という意思表示だったんだろ。 実は結構毛利内部に秀吉の調略の手が来てたんじゃなかったっけ
講和破棄して追撃したら味方から裏切られるっていうルートでは >>32
調略はあったと思うが、反乱軍が信長を殺して形勢逆転してたら知らんぷりするだろ >>4
弾薬も底をつき、我々はもう戦えない負けだーとか呻いてたらしいね。
ヘタに大坂に戻る羽柴軍を追撃してたら返り討ちにあい滅んでた。
まあその場合羽柴も大坂到着がずれ込み別の武将に先越されてたかも。
毛利の傍観→WinWin そもそも関ヶ原のとき大坂城に引き篭もっていたテルにそんな度胸ないやろ
本能寺のときよりこっちの方がはるかに天下取りの可能性あったのに 可能性なんてないよ
どうやって宇喜多を突破するの? >>32
調略に乗るような奴が、旗色無視して律儀に約束を守るわけがない 信長も桶狭間の前には身内が美濃や駿河から調略を受けまくってた。兄の信広なんかも斎藤と通じていた
劣勢の時にはよくあることなんじゃないのかね?嵐が去ったら何事もなく握り潰す。主君側も分かっていても追い込むと面倒なことになるからスルーする >>35
輝元の目的は別にあるんだからわざわざ関ヶ原に行くわけないだろ >>39
スレチだけど、火事場泥棒狙いで、いくら北九州や四国北部を切り取ったって、
関ケ原で家康が勝っちゃったらご破算だと、考えなかったのかね?アホテルは。 未だに関ヶ原が天下分け目の戦いだと思ってそう
周回遅れ >>41
え、違うの?
初級者だからそう思ってたわ 秀吉の常山城攻め、「陣立て」記した文書見つかる…海側からの攻撃を指示か
滋賀県長浜市は26日、羽柴(豊臣)秀吉が1582年、備前国児島郡の常山(つねやま)城(岡山県
玉野市)を攻撃した際の陣立て「備(そなえ)」を記した文書が見つかったと発表した。海に近い城を
海側から攻めたとされる記述があり、市は「あまり知られていなかった戦の実像を示す史料」としている。
3月17日の日付と秀吉の花押があり、家臣や武将7人の名前などが、それぞれの軍勢(計1530人)と
ともに記されている。いずれかに陣形を指示したものとみられ、「浜手の衆」との記述から、児島湾から
攻撃したことがうかがえる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef3e1f1b5a1bc2c7f58ad908428868d8dbd3181 織田羽柴・・・アメリカ
徳川・・・イギリス
武田・・・ナチスドイツ
毛利・・・大日本帝国 >>40
我々は歴史を知ってるから関ヶ原の一戦で形勢が決まった事を知ってるけど、応仁の乱みたいに長引く事も多い >>47
まあ、輝元が大阪城で籠城するという手も残ってたからなあ
主要メンバーが散り散りだから、あそこから挽回は無理か 輝元が出陣する際の家臣への手紙に戦の金がないとぼやいてたらしい。
だから信長が来なくても秀吉軍だけで勝てたってさ。
つまり追撃はむり >>53
51に言っても仕方ないだろ
輝元に言えよ 備中高松城への援軍総勢5万と伝わるので
それが一気になだれ込んだら危ない
ただ湖と化した高松城一帯を挟んだ退陣だし
水攻めの堤を切って退却されると水浸し
追撃には支障が出る
それを超えた頃には宇喜多領では防戦準備中
他国への遠征なので仮に半分連れてけたとして2万5千
宇喜多勢1万と押さえの5千が岡山城で防がれる
山崎の頃には宇喜多領内で睨み合い
尻に火が付いた秀吉は再度転身が必要になる
そのために史実ほど中央の権力争いに専念できない 上洛を目指してたというよりは自分の本拠地を安全にするために戦ってたって感じかね
上洛を目指していたなら信長みたいにどんどん拠点を変えていくのが合理的だけど大体の大名は自分が決めた本拠地は変えてないわけだし 毛利が備前抜いて播磨まで行ける気はしない
けど西への対処が必要になった秀吉が
天下取り逃がすのはあるかも
京都への進駐と清洲会議参加できず
秀吉の遺領配分取り分減
信孝の三法師抱え込みが放置
秀吉的には中央に集中したいだろうけど
講和破られて備中取り返された状態で再度講和
ってのは流石に舐められすぎなので
中国攻略は詰め一歩手前から2年くらい後退
毛利に取っても疲弊したまま戦争継続で苦しい そもそも毛利としたら羽柴と明智がかちあって中央の混乱が長期化するのが理想だったろうし
まあ実際には秀吉の一人勝ちみたいになって中央が統一されたけど 信長の動座を願ったのは輝元と両川が出張ってきたから
でも輝元と両川が出張っても秀吉軍団のみで構築された高松城の包囲を破ることすら出来なかった
本能寺で有耶無耶になったが毛利のかなりの数の重臣一門にも秀吉の調略の手が伸びてたみたいだし織田の混乱に乗じて何かする余力なんてなかったんじゃないの >>59
高松へ後詰を出してくる位だから、余力はあるのでは?
鳥取でも準一門の吉川経家を出して中国表における面目は保っているし、追撃ちらつかせれば宇喜多も戻ってくるかもしれない。 吉川死んでるやん
後詰めに来たって救えないんじゃどうしようもなかろう >>61
言葉足らずだった
経家は清水同様屠腹して面目を保った訳 現に攻めてる相手を迎え撃つのは
余力なくてもやらん選択肢はないべ
んで撃退までする余力がないから
領土と城将差し出してまで和睦するんだべ >負けても生き残ったのでセーフ
西軍総大将の家系が残されただけでも奇跡??
家康との間に【裏取引】があったとされるのが定説
↓
家は残ったが大減封され山口の
萩に押し込まれた
↓
徳川270年間、各地が城下町を形成していったのだが
現在の県庁所在地(山口市)
は寒村として取り残された
↓
全国一ショボい県庁所在地山口は毛利氏によって
今日の姿があるんだね >>60
宇喜多にしてみれば、毛利に今さら再服属してみても、忠家や秀家が出頭するか
自領に毛利軍を引き入れるかしたら殺されかねないから、死ぬ気で抵抗するのでは? 宇喜多は秀吉に賭けた感じだからな。運命共同体というか >>64
スレチだが、減封先として、関門海峡の北側なんて戦略要地をあてがったのは
個人的には昔から疑問だった。毛利領が安芸や山陰だったら、幕末の歴史は
相当変わったというか、幕末なんて起きなかったかもな。
家康にしたら、本州の西端に追いやったつもりだったんだろうけど。 >>67
でもまあ長州の反幕府活動は下級武士達の主導権握られてのものだしあんまり関ヶ原の影響とかはないんじゃないかな
どのみち幕府もガタがきてたしむしろまだ力がある程度残ってる段階で終われて逆に良かったのかもしれん貴族院議長とかもほぼ徳川系の指定席状態だったし >>66
直家が死んだ時点では秀吉いうより
織田家に賭けた形だよ
秀吉がそのために骨折って服属の
話まとめたのは事実だけど
けして秀吉ありきではないのでは 追撃前提のシュミレーションなら宇喜多が秀吉の防波堤にはなり得んだろ
後ろから毛利が迫るなかで光秀と決戦など不可能だし、旗色勢力も多くが光秀につくだろうな
良くて姫路籠城で開城降伏あたりか
いやしゃあしゃあと光秀軍に加わるかも いや毛利迫る中明智と決戦じゃなくて
宇喜多抜けないから毛利は岡山足止め前提だろ 高松後詰の毛利本軍が三万
宇喜多は一万程度
仮に岡山で籠城されても、中国より毛利本隊進軍中とわかれば畿内の諸勢力は浮き足立つ
その上での光秀と秀吉の動きだよ 時間的に光秀敗退する13日までに
水が引いた備中高松超えて岡山攻囲できるか
結構微妙だと思う
仮に10日段階で備前に乱入できたとして
秀吉が姫路から取って返したら
戦線は膠着するだろうし
秀吉がいなくても北から柴田、西から徳川
南から摂津衆&四国遠征軍が迫れば
明智軍はやはり崩壊するのでないかね
東側の北条は神流川が19日
信州に攻め込むのが月末なんで
そこまで粘ればまだしもだが
明智軍団単体では北陸畿内濃尾勢の勢力を
支え切るのはかなり無理のある話かと 滝川は史実通り北条に蹴散らされ、徳川は甲信争奪戦、柴田は上杉と和睦交渉、信雄は伊勢固め、毛利牽制で動きがとれない秀吉、秀吉がこない四国遠征軍はちりじりでそのうちに信孝がうちとられると
混乱のなかで、朝廷を後ろたてに畿内勢力を 結集し美濃尾張を平定し伊勢を潰し、織田滅亡
あとは各個撃破で義昭を迎え寒管領明智改め土岐光秀の元で足利幕府再興 史実通りのタイムラインだと滝川蹴散らされた頃には
明智も蹴散らされてるという・・・ 和議のために切腹までさせた家のメンツ丸潰れだし
織田家もいつか立て直してまた侵攻してくるだろうし
そのとき家は潰れる 史実でも山崎の合戦の頃には勝家が近江まで来てるからな
光秀にあまり時間は残されてない >>80
光秀の濃尾平定は不可能というわけか、、
畿内諸勢力の動向次第ではと思うが、勝家の戦力はいかほどなのかな 勝家が濃尾平定し信雄奉じて結集すれば勝負ありとみた なんか秀吉だけが動いてて
他はあたふたしてたイメージだけど
そうでもないんよね
柴田は北庄から近江侵攻を目指してたし
一度四散した四国遠征軍も摂津へ
進軍する程度には立て直したし
秀吉だけじゃなく柴田ともやり取りしてた
信雄も寡兵で近江入りできなかったけど
秀吉より先に安土に着けてる訳だし >>83
四国は秀吉が戻らん限り寡兵のまま
信雄は安土放火て国元に
逃げ帰ってる
残る勝家が決戦を挑みそうだから、やはり、勝家の戦力如何と いや四国遠征軍も諸説あるが山崎の戦いで
丹羽4000信孝3000で合流してて
所領考えたら相応だよ
領内から老若問わず無理に集めたのが四散した
元より別に秀吉と合流し立て直したというわけでもない あと信雄が安土放火したのかも諸説あるが
安土の出火は山崎の戦いの後だよ
寡兵で近江入りをやめたのが
光秀撤退で進軍したのであって
放火して逃げたという訳ではない >>85
摂津あたりにたむろしてたら光秀に粉砕されないかな
で、勢いに乗った光秀に勝家も敗北と
あとは掃討戦で畿内北陸濃尾制圧 >>85
史実でそれが起きてない
光秀は主人不在(にした)近江を平定に向かった
摂津では後に山崎で主力になる将と兵が揃ってた
これは離散したという記録もない
普通に考えたら近江平定は妥当な判断よね
無理に動員したため四散したとされる四国遠征軍は
近江平定後に取って返した光秀が山崎に陣取る前に
前述の兵力で秀吉と合流した
けして秀吉が駆けつけて四散した兵をまとめた
という訳ではない >>88
でも四国方面軍を各個撃破しなかったのは失策だな
撃破しておけば近隣の日和見勢力も取り込めたかもしれんし、秀吉軍とも兵力差も五分になる。 光秀は味方してきた零落れ大名を使って近江の諸城を制圧してるからね
細川筒井が当然味方になることを前提にした計画しか考えてなかったんじゃないの
そうすると、近江、丹波、大和、丹後、山城と支配下に置くことが出来る。それを背景に親しい摂津衆も味方に取り込んで畿内を制圧する計画だったんじゃないか >>90
光秀らしいなw
足場固めすぎだなあと思う >>89
それをやるには摂津には将兵が多すぎる
四国遠征軍自体の規模が明智軍を上回るんよ
崩壊を前提に攻め寄せるのは楽観的に過ぎ
崩壊がはっきりするまで待つのは悠長過ぎる
さらに四国遠征軍との間にも摂津衆がいる
池田恒興高山右近中川清秀らが健在で山崎では
9000ほど動員して明智を破る主力
それらを蹴散らせるほどの戦力はなかった
安土は信長が死んだことでまとめる者がいない
主だった部将達も後詰を出せるもの周辺含め遠征中だ
佐和山城若狭の丹波長秀は摂津、江北長浜の秀吉は備中
越前北庄の柴田勝家は越中、岐阜の信忠は殺した
1万3千しかいない明智軍としては
大規模な組織的反抗が期待できない近江しか
現実的な侵攻ルートはないでしょ >>92
なるほど
史実の光秀にとっては秀吉の来襲は想定外だったわけか
そこで本題だけど、
講和開城の高松に秀吉が殿軍を置き、かつ、
岡山を宇喜多が守るとしてだ、秀吉は姫路を迂闊に動けないと思うがどうかな? >>92
消去法で近江を攻めたというのもあるけど
1番の武闘派の柴田を恐れたと言うのもあると思う
しかも安土は信長の本拠地で、
誰かに取られる前に光秀が抑えれば政権を奪うという演出もできる >>91
まぁ後世から見ればそうだけど、
渦中にいる人はなかなか
わからないだろうね 安土その他占領地の兵団を残らず山崎に投じるべきだったという指摘はあるな そもそももし首尾良く足場を固められたとして自分をどう正当化するかとか考えてなかったっぽいよね
下剋上のパターンとしては主家の別の誰かを推戴することで正当化するのが常道だけどそういう動きを全く見せていない
朝廷から天下人として箔付けしてもらうという手もあるけどそれをやったら同僚だった他の重臣たちが光秀に従うことはまずないだろうし >>97
縁戚に一応津田信澄はいるけど…正直正当化する材料としては弱いな
速攻で信孝らに殺されちゃってるし >>93
いや仮に想定してても摂津に向かって勝てるか微妙
ということ
四国遠征軍が崩壊四散したという後知恵があると
それに勝てると安易に思うのはわかる
でも信長討った時点でそれがわかる訳じゃないし
史実でも別に崩壊しなかった摂津衆もいた
普通に自軍を上回る相手に突撃するために
自軍の7割程度の兵が守る城塞郡を超えていく
という選択肢を取らずに主人不在に陥った(陥れた)
首都を狙うというだけのことなんよ
>>94
実際普通に柴田はそれで遅れをとったし
近江が落ちてなかったら攻め寄せてた可能性ある
安土を押さえる効果ももちろんあるしね >>97
紀伊の国人に対しては将軍への協力を乞うてるし
他の大義名分がない以上それを当てにしてたと思うがなあ 武器もなんもかんも足りなくて崩壊寸前です
って輝元が穂井田元清に手紙送ってるのにどうやって追撃するの? 隣国が乱れている時は、疲弊しきっていても統制はとれている大大名は
プレゼンスだけでそれなりの政治的・軍事的影響力を発揮するからね。
天正壬午の上杉家が典型。直前まで「六十州の軍勢(=織田)を敵にして
滅びるとは武士の本懐だわ」(震え声)なんて言ってたのに。 >>103
それ佐竹に出した手紙だっけ。
なぜ突然佐竹になんか手紙書こうと思ったのか
よくわからんな。
付き合いがあったのかな 佐竹は山内上杉から迎えた養子の系統がずっと続いてるからね 織田信雄が織田家臣団率いて光秀討伐して天下とってたな >>110
>>110
家康とか勝家とか後詰がないと一万も動かん むしろ前段階の講和を受け入れたことが理解できない
本能寺の変がなかったと仮定して
高松城明け渡しと城主切腹と、現状のままの領土確定、出先の秀吉と何決めても、
信長直率の大軍、明智軍を主力とし筒井や細川・中川・高山など合わせて
少なく見積もっても三万の増援が到着したら、そのまま滅ぼされたんじゃね
毛利家中でも織田に内通していた家臣もいただろうし武田の二の舞なんじゃね
信長も中国・九州まで平均するとかいってたよね、たしか。
この間の交渉の呼吸がよく分からない。秀吉の仲裁・仲介にかけたのかな? 毛利と秀吉の和睦と思ってない?
あくまで毛利と織田家の和睦だよ 毛利の主力が何もできずに遠くから秀吉の包囲軍を眺めているだけの状況だろ
織田の主力とか以前に、秀吉軍単体にも勝てないんだから本能寺が無い仮定でもその場は和睦するしかない >>116
そもそも明智の軍団は毛利攻めに行く予定だったんだよね(行かなかったけど)
なんで秀吉は講和の話し合いをしてるんだろ? >>121
交渉の窓口全て閉じるほど毛利と織田は険悪な仲じゃない
むしろ織田は毛利に敵ながらそれなりに敬意をはらいながら戦ってる(武田との対応が段違い)
高松城落ちれば毛利の威信は完全に失墜するし、ここで何とか手打ちしたいってのが毛利の思惑
この交渉は秀吉が勝手にまとめてしまうと完全に越権行為だから信長にまとめてもらうしかない
兵数揃えて信長が来るのが、交渉を有利に進める脅しの武力なのか、破談になった時の兵力なのかは分からん >>121
元々毛利は勝てないと観て講和を申し入れてた
秀吉は勝てると観て信長の出馬を要請して
毛利には呑めなそうな割譲案を提示して
援軍到着まで引き伸ばしを図ってた >>123
そういえば、武田の時もズルズルと講和交渉を延ばしてたよな
結局は滅ぼすつもりだったのかな?
でも講和の交渉をしてたから本能寺を知った後に即まとめて大返しできたのね 物量豊かだからなせる技だな
毛利なんぞ諏訪表まで出張ってきた武田と同様、内部はガタガタで追撃どころでは無かったが真実 信長が上洛したころから秀吉は毛利の取次ぎをしている
故に安国寺の「藤吉郎さりとてはの者」発言がある
本能寺の変が伝わる前の要求 五カ国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲
本能寺の変が伝わった後 三カ国(備中・美作・伯耆)割譲・現状追認
信長直率の増援軍が到着するまで、強圧的に交渉を引き延ばしていたのに
急にベタ降り・宥和的になって不思議に思わなかったのか?
それに信長が、この妥協策で満足すると思ったのか?
不思議でしょうがない。
とりあえず高松城五千の城兵を助けることを重視したのか?
少なくとも小早川・安国寺は本能寺の変を伝えられていたのではないか? >>126
急に条件が緩くなったのに飛びついたってだけ
輝元の穂井田宛書状みれば当時の毛利の武器弾薬不足と士気崩壊が見て取れる >>127
まあ、同盟してた本願寺が降りて更に武田があっという間に滅亡したから戦意は喪失してるだろうな >>126
不思議に思ったから和睦しない
という選択肢と余裕が当時の毛利にあったの?
毛利はなんとかして和睦したかったから
条件緩和に大喜びで飛びついた
そこでえ?何急にいい条件くれてんの?なんて
そんな阿呆なことないだろ 山崎の合戦で光秀が勝った場合、追撃しなかった毛利は罰せられるのかな? 別に主従関係にないので罰するどころか
そもそも命令もしてない 光秀が勝つということは細川・筒井らが味方になったのだろうから
山崎の合戦自体が起きないね 石見銀山の銀を贈答品ではなく輸出品にしたら毛利は無双だった 昨日、田舎の母ちゃんがファックスで3万円送ってくれた 陶から大規模戦争の連続で1945年の日本状態
戦争どころじゃなかったんだろう
陶倒したら大友と2万規模の戦い数年
得るもなのにもなく国力消費しただけ
さらに尼子も同時に戦ってた
浦上、三好、尼子を援護する山名とも戦うことになり信長に泣きつき停戦交渉仲介して撤退させたり山名牽制の軍勢出してもらう
さらに従属してた三村が背く
これらが片付いて織田との戦い始めるが
これじゃ国力消費激しくて織田と戦い始まった時点でかなり無茶してた
追撃なんか無理なんだけどな状態と予測 良く言われる謎のタラレバ。
・中国大返しを追撃していれば……
→根拠地の姫路を含む自陣営を戻る秀吉軍に対して敵地を兵糧なしで追いかけないといけない毛利軍。
そもそもどうやっても追いつけない。
・南宮山から降りれば西軍の勝ちだったのに……
→家康の本陣周辺の兵力は5万、南宮山勢は3万。
運良く一撃で家康の首が取れなければ関ヶ原の隘路で毛利勢が包囲殲滅されるだけ。 池田が毛利軍が突進してきたのを見て
突如寝返って「父の敵〜!」とか叫んで
家康襲撃するとかなかっただろうか 追撃してもまずは宇喜多を倒さないといけないんだけどな >>134
筒井と細川が味方になってもギリギリ1万増えるだけ
2万3000から3万弱では全然兵力が足りないんだけど……
しかも寄せ集め 叔父の小早川隆景の影響を受けたのか慎重すぎる
あれだけの広大な領土がバックにあるのにビビりすぎだわ 毛利兵って強かったの?元就が権謀術策で台頭したイメージ強いわ。
秀吉に早期に降った大名で景勝と毛利は全盛期の強さ衰退してたやろ。織田軍に押されまくりで。