織田信長は過大評価されすぎ 16
本を読んでるアピールするが中身を全く理解できない知能
428:人間七七四年 2020/11/18(水) 16:40:42.48 ID:bTL2lfdw
信長の陣城構築が凄いとかそんな事も全く言われてない
損害出したくないからガッチガチに防御固めてたら、勝頼が勘違いして突っ込んできただけだしね
430:人間七七四年 2020/11/18(水) 17:28:34.90 ID:bTL2lfdw
誘い込むためなんて指摘はされてない
今はむしろ信長の予め描いていた作戦だったなんてことは否定的な見解がされてる
433:人間七七四年 2020/11/18(水) 17:53:47.19 ID:bTL2lfdw
研究が進んで実態が見えてきたんだよね
436:人間七七四年 2020/11/18(水) 20:46:55.91 ID:bTL2lfdw
桶狭間と同様に長篠の幻想も消え去っていくね
461:人間七七四年 2020/11/19(木) 15:07:41.29 ID:pgKxsE4q
ちゃんとした知識を得たい方のために金子拓氏の長篠の戦い、長篠合戦の史料学や信長徹底解読を参考文献として提示しておきます
↓実際の金子拓氏の長篠の戦いの記述
とりあえずp71から抜粋
このように武田軍が前進してくることを信長が計算にいれてたかは分からない
ただ連吾川の流域の低地は後述のように陣を布く上で絶好の場所だから
その可能性を考えてその地(設楽)に布陣し自軍を敵に見えないように配置したことは「ありうる判断である」
後述のように〜の部分はp89の馬での移動が困難な設楽の湿地帯を利用して陣城を構築した信長の判断を筆者は賞賛しているという記述 15:人間七七四年 2020/09/09(水) 21:04:34.11 ID:+6c/Rvzr
ひろ野合戦は桐野作人も織田方に多くの手負い死人が出たと書いてるね
225:人間七七四年 2020/09/22(火) 16:09:29.98 ID:GbRhey6N
ひろ野合戦の惨敗はそもそもが首巻がソースなんで
桐野作人も首巻をそのように解釈してる訳でそんな当たり前の事も説明しないといけない無知さよ
396:人間七七四年 2020/09/26(土) 18:28:49.60 ID:W0itxEFf
ひろ野に関して新人物文庫の現代語訳信長公記でも信長方に負傷者死者が多数出たと訳してるね
↑
ひろ野で惨敗は全く書かれていない捏造の常習犯 捏造その3
156:人間七七四年 2021/01/06(水) 06:56:03.75 ID:J8l2KrKT
いや信長も兵糧の用意ができてなくて撤退する予定だと謙信に書き送ってるし
175:人間七七四年 2021/01/06(水) 17:49:32.63 ID:J8l2KrKT
>>173
この書状を根拠にして織田軍が長篠で長期滞陣するほど兵糧の準備が整ってなかったことをうかがわせるとされてるからねえ
長篠と無関係つーのは単なる個人の主観なんで
↑
謙信への手紙の原文
現在、岩村城を攻めてる最中ですが、甲信への遠征は兵糧の準備期間を用意して秋の予定です。
原文には長篠から撤退とはどこにも書いてなく、岩村城攻めてる最中で撤退となると岩村城からも兵糧足りなくて撤退という訳になるが、史実では約半年包囲してる
その後の言い訳で秋まで待つのはおかしい!足りない証拠と言い出したが、信長でも秀吉でも遠征は準備期間設けてるから普通
原文には長篠から撤退と書いてないのに、他人には個人の主観と喚く池沼 信長アンチのミスだけじゃなく信長厨のミスもまとめといてくれ 信長の死後残った子供達がボンクラしか居なかったのが悔やまれるな >>8
信長も悪い
せめて三男まではちゃんと教育と経験を積ませるべきだった
信忠しか教育しなかったから、信忠以外はボンクラになった 他の息子にもちゃんと教育しておけば政権は継げなかったとしても信長系一門として10万石以上が2、3家くらいは残せてたんじゃないかと思う。 秀信がうまく立ち回ってたら濃尾のあまり重要でないところか
先祖の北陸で十万石で残れたかね 子供いる人なら子育ての難しさ知ってるはず
人の上に立つ人に育てるのは更に難題
言ってはいけないが、母親が有能な遺伝子でなかったら何しても無駄だったりする 織田家はずっと残るからいいでしょ
秀吉の血筋は絶えてる >>12
仮に秀信が生きてて秀吉家康どちらが覇権を握ってたとしても、転封は避けられなかったと思う。
家康配下になったら山陽以西に100%転封だな 岐阜
周の文王「岐山」より起り天下を定む
孔子の誕生地「曲阜」 岐阜の名称も信長が美濃を支配する前から使われてた。
おそらく普通に土「岐」家の支配する阜「丘」という意味。
天下がどうこうは関係ない 岐阜は当時の禅僧の間で稲葉山の雅号としてつかわれてたらしいが、正式名称にしたのは信長だし、
>>18のいうように
当時の漢籍の素養があればそう解釈するのが普通
岐阜 改名に意味がないなんてことはまずない 井口じゃダサい・しょぼいという重要な理由はあっただろうな >>14
秀吉って、秀次とその家族をほとんど殺したけど、幼児の夭折が多かった当時に、もし秀頼が夭折したらどうする気だったんだろうな
信長なら一応スペアはたくさんいたが、秀吉はいないはずだし >>20
そういう名字>土地名って名前の付け方は現代人の感覚やろ
土岐氏程度にそこまでの影響力が有るかは怪しいし名前を分解して使うというのも微妙 蘭叔録にも文王が岐陽を修め、これにならって井口を岐阜と改めたのは宜しいこと とあって
周の岐山との関係が語られてる。 岐阜 → 名古屋 20分
豊橋 → 名古屋 1時間
県を跨いだ移動という括りもどうなんだろうな
隣県からの方が近い場合もあるし、逆に県内でも僻地から中心部に行く方が遠い場合もある >>26
実際江戸時代美濃地方の大部分は尾張藩に編入されてるからね
尾張美濃の結び付きは昔は強かったかと 寛永通宝 1枚
文久永宝 1枚
嘉慶通宝 1枚
道光通宝 1枚
名称不明 (表)大満州国大同三年 (裏)壹角 1枚
ギザ十 14枚
その他(明治から昭和初期の貨幣、昔の西欧の硬貨)
随分前に死んだ爺さん遺物
ギザ十は俺が加えた分も含まれてる
ソ連が攻めてくる前に日本に戻れたようでラッキーだったみたい レア度でいえば寛永通宝より永楽通宝の方が上かな?
手に入れたいもんだ >>27
今でも美濃や北勢は尾張地域と結びつきは強いぞ
文化も似てるように感じる
むしろ県内とはいえ三河はなんか遠くに感じる >>30
厳密に言うと西三河はそうでもないかな
東三河は異質 >>31
そういうのは千葉県なんかでもある地方あるある 名駅は名古屋市外や岐阜三重などの県外から田舎民が集まってるせいか何となく芋っぽいんだよな
街行く人でいえば栄の方が洗練されてる気がする >>31
東三河は水源を静岡に頼ってるからな
静岡には頭が上がらない
近代で水源が乏しい問題がやっと解決したのが東三河 「プレジール福島」1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務 昭和62年うまれ)は怖い住民。井本寛(いもとかん)の壁ドンが横行、住んだら絶対ダメ!そんなマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、トランクルームとしても役立たない下水臭いマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、安かろう悪かろうがモットーの商都が運営する賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27),
夜中笑い出す怖い入居者が多数入居中、鉄筋つくりなので響く騒音、そして嫌がらせの横行。
性器ヘルペスの異常性癖者が1002号室の井本寛(近畿日本コンサルタンツ勤務)の賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、、
賃料を下げても空室率が上昇中、貧乏人とトラブルメーカーの井本寛をはじめとするクズのたまり場の「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、下水臭い室内は商都のメンテナンス不足の証拠,
入居時に前の入居者の陰毛が散乱した状態で引き渡す清掃料金ぼったくりの商都が運営する「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、住んだら絶対ダメ!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27) ,空室率上昇中!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 井本廉 井本もも 井本梅香(杉並区成田東1-11-6-102) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛の持病 性器ヘルペス ソープで感染 井本寛(いもとかん)のペニスに毎日大江橋クリニックで処方された軟膏を塗る生活
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 柳 恒太郎(豊中市北緑2−1−18−1115) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 船越 明生(門真市上島町6−12) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 東 利則(茨木市小川町9−211) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 田岡 亜弥(横浜市都筑区牛久保東1−26−43) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 西口 昌宏(岸和田市八幡町10−15) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 飯尾 義弘(神戸市灘区八幡町4-9-27) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 葉山 大樹 葉山 真里 葉山 結里奈(東成区深江北3−15−14) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 立花 直輝 立花 智美 立花 和美 (住吉区山之内1−17−13) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か?? 22 >>38
その守護の名を土地の人間が分割して軽々しく使う方が不自然やね 土岐氏は美濃の土岐郡から因んだ名前だし単に土岐氏が支配する前から岐阜だったんでは >>41
地元の坊さんが中国の故事から呼び出したぐらいやろな 東北と九州は強兵の産地
蝦夷や隼人の末裔だからかな >>43
家康が討伐する前の甲信越東北はまさに無法者の集まりだもんな
東海道筋の地元有力者の集まりとは毛色が明らかに違うわ >>45
だからこそ上杉とか伊達みたいな巨大勢力ができあがったわけで、生粋の戦闘民族感はあるわ。あと本間残党とか帰農して東北の大地主になってたり、武士を辞めても行動力が半端ない怖さがある。 中国だと前王朝の皇族は基本的に皆殺しだけど
日本だと族滅されたのは鎌倉の北条だけで
室町の足利や江戸の徳川は今でも子孫が沢山いるのよね 室町の足利の子孫は庶流の義維系統だけど?
将軍家のほうは子孫がみんな坊主になったから断絶してるぞ
徳川もつい最近慶喜系が絶えてる この手の系統って陪臣化や帰農した庶流とかの方が残ってたりするよな、不思議な法則。 島津や佐竹は中世から現代まで存続
武田や後北条は本家は滅んだが、分家筋は残ってる
今川は品川と改姓し、徳川に旗本として使えるが、江戸時代に断絶 むしろ島津は明治維新まで永遠に内ゲバを繰り返してた記憶しかない
立地が幸いして滅ばなかったけど >>26
当時の長篠合戦の日程だと岐阜→熱田(名古屋)まで一日(当日到着)
熱田→岡崎まで一日(当日到着)だからな >>55
島津勝久とかいるし、重豪もあれ晩年は財政立て直ししたけど、前期の浪費を考えると名君と言えるのか そーいや戦国時代以前の室町期の島津って何してたんだ?
一応鎌倉時代から名の知れた名門だろ?? 比企の乱で大隅日向守護職失う以外はだいたい勝ち組について九州の勢力と戦ってた
南北朝終わってからは内紛してた 今さら信康切腹を信長主導説は古すぎる
天王寺砦の戦いの意味不明な行動から
史実と辻褄を合わせるのを完全に止めた感じだな 光秀側に視聴者の同情集めないといかんから
だったら国盗り物語でよかったんじゃねえか コロナ騒ぎもあって尺が足りなくなって端折りまくりになっちまったな 桶狭間の戦いは雨がふらなかったらただの無謀な突撃になったのだろうか そもそも雨が降らなかったら突撃なんてしてない
桶狭間の地勢を調べあげて土地勘の無い今川軍は雨天で泥濘にハマると見越していたから敵中に突っ込んだ
別に信長に限らず戦場になるであろう場所や気象条件を複数想定し事前にシミュレーションするのは普通だろ
その選択肢のひとつを実行しただけ
まさか義元を仕留められるとは思ってなかっただろうが まあ、日本の歴史学の学問的レベルは高くないからなあ。
政治や経済が分かってないのに歴史が分かるはずないのにと思う。
文献という名の個人のお手紙や日記に振り回されてるだけのようにしか見えないよ >>74
江戸以降は他分野の専門家の関心は高いけど戦国時代は高くないもんな まともな社会経験もないくせに人物評価してる学者も同罪
学校って歪んだ社会だし 天皇 お飾り
将軍 お飾り
執権 お飾り
得宗 お飾り
鎌倉時代すげええ 今だってそうだ
天皇 お飾り
首相 お飾り
官房長官 お飾り
事実上の独裁者 2F 誰の役に立つかによっても変わるだろう
悪党の役に立ってるのなら俺らゴミより始末が悪い 悪党とか安易に見下せるもんじゃ無いけど
ゴミは存在するだけで汚れでマイナスやからなぁ 二階が独裁者のわけねーだろ
自民党や日本会議の分かりやすすぎる悪行が見えねえのかよ
お前らが戦国時代にいてもろくな歴史書を残しそうにないな コロナ初期にマスクは意味がない、中国からの人の移動は制限すべきでないと言ってたテドロスは飾り?主導側? 歴史家さんはこんなバカな掲示板に来ないほうがいいんじゃ無いか >>95
そういう発言は証明しなきゃ逆に微笑まれる(嘲笑される)だけやぞ 無名歴史家だけどこのバカスレも勉強になってる
こんな奴らがいるからトンデモ説が広まるんだなって 所詮場末の匿名掲示板よ
得られる物が無いとは言わんが過大な期待をしてはいけない 歴史家っていっても庶民的なもんだよ
18きっぷ発売したら張り切って史料集めの旅に出るよ >>100
池上さんがここ来たら皆、論破されちゃうよw なお、池上を持ち上げてた馬鹿は論破されて涙目で逃走した模様w 池上さん、書籍の評判からちょっとアレなひとかな
と思ってたけど
やっぱりアレなひとなんだな そんな池田さん大好きな人も
やっぱりアレなひとなんやろな 専門分野の論文はちゃんとしてるぞ
一般向けの専門外の信長本はアレだったけど 一般への落とし込みに失敗してるならそれは福沢諭吉の言う虚学じゃないのか 足利義昭はどうするのが正解だったんだろうな
信長に反抗したら史実通り京都を追放されあぼーん
信長に従順でもいつかは廃されるかもだし 義昭の場合どうしようもないだろ
ノブを後ろ楯にしても近畿のヒャッハーどもを押さえられなかったんだぞ
しっかり生き残って秀吉に厚遇され悠々自適に天寿を全うしたんだから最適解を選んでたんだろ 昨今の研究では信長が思う室町殿をちゃんと務めれば問題なく将軍として君臨し続けられた感じじゃない?
義昭が微妙に頭が良かったからああなった >>113
人生としてなら勝ちだが、室町幕府が滅亡した時点で将軍としては負けだろ >>112
廃されるかもだしなんて猜疑心で生きてるから追い出されたんだろ
あの暴虐なヒデキチですら大事にされたんだからノブのところおったら下手すりゃ死ぬまで将軍だったわ 信長が言ってることを守れば良かっただけじゃないの?
朝廷の援助をちゃんとやる
論功行賞ちゃんとやる
裁判をちゃんとやる それをやろうとしたら部下の反発買って西近畿は収拾がつかなくなったわけで
義輝がやらかして幕府にはもう畿内勢力をコントロールできる基盤が失くなっていたので
義昭がどう足掻こうが室町幕府は滅亡しか無かった 義昭と一緒に復帰した幕臣には土地を持たないのが多いから
横領したり問題になったらしいね
じゃあその後の織田政権はどうだったの
何か違うのと言うのは興味があるところ 上野一色なんかが横領した土地は信長によって返却させられてるな。 地の利、時の利を直ちに利用した
濃尾平野の海陸の豊かさと京の情報も全部利用し途中からは西洋の情報もフルに活用した
野心がありある意味反社だが、
仕方ない時代だね
斎藤道三にも近いからなあ 義昭を擁立したんだから反社じゃないよ
むしろ反社を排除して秩序を回復しようとしたのがノブやん
それに義昭がガキみてぇに反発した 義昭にも義昭の言い分はあるだろう
幕府の基盤を再構築しようとしたが新興勢力の反発を買い収拾がつかなくなった
だからその新興勢力の顔色を伺いながら新たな基盤を構築しようとしていたが、それはノブの目指す天下布武と相容れないものだった
実際義昭追放後も確固たる基盤を持つノブを持ってしても西近畿の平定には苦労してる 義昭政権は寺社や公家の土地も横領してるから旧勢力も敵に回してるんだよな 義昭が単なる怠惰と強欲でノブに叱られたのを逆恨みしたってのが真相 義昭が出て行ってからすぐに信長がやったこと
・改元
・譲位の提案(実現せず
・公家への経済支援 >>127
この程度の事も出来ずに義昭は何をやっとったんやろな?
そもそも最初の上洛時は自分の役目はもう終わったとばかりに美濃に戻ってるからなあ 義昭も応仁の乱以降の将軍と同じだったんだろ。こっちが余裕ないのに朝廷に援助なんてしていられるかと
だから方々の大名に援助を求めたり荘園を横領して自分のお気に入りに配ったりしてた
で、信長にそれを浅ましいと怒られた どこまでが本心かわからないが
信長はまず濃尾の本領を将軍権力に名目的保障を付けてもらいたかった
と言うポーズに見える >>129
兵糧庫の兵糧を売っぱらったり
諸国からお金集めてるのに家臣に給料やらんかったり
そういうことを咎められてるやん
強欲将軍だと言われてますよと 比較対象になる将軍が少なくて
義昭が悪いのか信長が無茶なのか
判断しにくいな >>132
信長が片手間で将軍の仕事やっとる時点で比較もクソも無かろう だから信長の分国から出すって言ってるんだけどね
まあ義昭は信長にだけ依存するのは危険だと思っていたんだろう。それは当然だと思う 尊氏くらいの英雄か、義満くらいのやり手でもなきゃ
もうあの時点で室町幕府の再興は厳しいな
義昭の取り柄といったら狡賢さと筆まめくらいだし 日本史上最凶の暴君ってやはり足利義教?
くじ引き暴君 >>136
ノブと信頼関係結べなかった時点で無能の極みだろ
そのくせ信玄や毛利に依存したりして >>138
義昭は最初信長マンセーだったんだよ
でも将軍として主導権握りたいのに制約を課されたりして徐々に関係が悪化して行った
にしても最後はよく追放で済んだな
別の戦国大名なら殺されても不思議ではないほど恨み買ってるだろうに まぁノブの言う通りにやったら近畿勢力の恨み買って三好に襲撃されたりしたからノブに不信不満を抱くのも分かる
義昭なりに毛利や武田上杉と言った有力大名を纏め幕府復興を目指したんだろうけど
坊主上がりで世情にも疎かったし、そもそもあそこまで基盤が崩壊してたら頼朝クラスのカリスマ指導者でもないと立て直しは無理
なにせ幕臣の給料すら出せずヒャッハーで食わせてたんだから >>116
室町幕府再建の動きとか皆無だし、生かしておいても無害と判断しただけだろ秀吉
余談だが、ジャンプの新作の主人公が北条時行で胸熱 頼朝 義経がいなけりゃ平家打倒は無理だった
家康 信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をつまみ食い
征夷大将軍の称号が相応しいのはやはり尊氏かね 尊氏とて直義や師直が居なかったら・・・
後醍醐に追討されると聞いたら卒倒して寺に引きこもるヤツだぞ 都道府県で一番まとまりがないのは実は愛知だったりする
尾張は名古屋とその属国たちで名古屋弁、三河はトヨタ帝国であり三河弁
文化も言葉も微妙に違う
それをむりくり一つの県にした感じ
だから愛知県民という意識は薄く
尾張なら名古屋人、三河なら豊田出身・岡崎出身・豊橋出身等々という具合
だから「自分は〇〇県民」という他県と違って、愛知は県民としてのアイデンティティがバラバラなのよ いや一番まとまりのないのは兵庫県だね
旧国で言うと、播磨・但馬・淡路・摂津の一部・丹波の一部で旧5カ国の寄せ集めの上
交通の要所にあって隣接地域が多く、日本海側・瀬戸内海側にもまたがっている
次点を上げるなら地形で分断されやすい長野かな >>147
そもそも豊田市が尾張藩領だしな
羽島、海津、多治見、中津川も尾張藩領で、今の県境とは違うからな >>140
もともと三好に好かれてたの?
そんなわけないよね? 義昭だけじゃなくて、柴田林、弟、浅井長政、波多野赤井、別所、松永、三木、北畠、荒木、そして明智と全員でないにはせよ、信長の性格にかなり難があったのは間違いない
ブラック企業のオーナーそのもの そもそもでいうなら百姓に藩単位でのまとまりとかあったの? 三好三人衆とか義昭にとって兄の仇やし
三好家自体父の代からの因縁が そもそも大阪も、摂津と堺と北河内と南河内と泉州では、同じ大阪でくくられたくないほど違うぞ >>155
他地域からすればオール陽キャラたこ焼野郎って感じなんだけど
地元民からしたら違うのか? >>149
美作や備前も一部入ってるから旧7カ国(内4国が部分的)という
見事にまとまりがない県だからな
大久保利通が神戸港で外国との交易を考えて、周辺で
産業が発達してるところを一つの行政区分にまとめたのが
原因なんだけど 1つの島だからって九州や四国を1つの県にまとめてられても困るし テレビ局が三代都市圏以外独立なのもその辺が絡んでんだろうな 横浜「東京様のケツ穴うめえええええええええええええええ」
神戸「俺は大阪とは違う(キリッ」
同じ港町でも気質がここまで違うんだよな >>156
ぜんぜん違う
喋り方も
大きく分けても北側の人間からしたら泉州側の田舎モンはガラ悪すぎて別次元だし
だんじりとか意味わからなすぎて怖いwwwとなるし 信長のやらかしの後始末をしたのが秀吉、秀吉のやらかしの後始末をしたのが家康
家康が前二人みたいな無能じゃなくてよかったな 後始末するだけで天下取れるなら後の方が能力要らんという事になるんやけどな >>163
言われてみれば東京でも港区と足立区では住人の質やタイプが全然違うしな 北京、南京、東京
あとは西京でもあれば全部揃うんだがな・・・ >>157
へー大久保利通が主導したんだ
美作・備前まで吸収するとか強欲県だな 幽霊の寿命は長くて400年くらいのようだ
2000年を超えたあたりから関ヶ原で落ち武者の幽霊の目撃が減ったという エリザベス1世とかヘンリー8世の頃の幽霊はまだ目撃されてるで 朝鮮は明に助けられたが、琉球はスルーされた
あの時の明はガタガタで海外まで出兵する余裕はなかったしな
(出兵しても薩摩隼人相手にフルボッコにされたろうけど)
国防を他国に任せっきりなのも危険
強国と同盟しつつ、自分も強くなるのが理想
信長と同盟を組んだ家康のように え?
ここの要望に応えて織田家中心の物語に組み直して
信長を主役らしくしたんだけどまだ不満なん? 戦国無双はゲームとしては2の出来が良かっただけの一発屋みたいな感じだよな
5はどうなるか 海外から見た戦国時代の日本とは―、Netflixのドキュメンタリー・ドラマ『エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い』
https://dramanavi.net/drama/news/2021/02/netflix-3418.php
【Netflix】エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い/Age of Samurai: Battle for Japan
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/netflix/1614929858/ なんで信長って建勲神社みたいなショボいところにまつられてるのか不思議 ちょっと見晴らしがよくて駅から遠いから散歩にちょうど良いくらいの場所やん 建勲神社も現在の豊国神社も明治天皇の詔でできたもの
豊国神社も実は江戸時代絶えていて公式には存在してない
今も立派なのは鳥羽伏見の戦没者が合祀されて
戦前の神道政策の上で社格が非常に高くて整備されたから まとめ管理人の信長動画出たな
「尊敬する人物:織田信長」な奴全員に見せるべき内容 まとめ管理人とやらの動画宣伝してた奴が、無知を晒して涙目で逃走してたのは見たw 近代以前の中国的循環史観から皇国史観を経て 近代的発展史観から再評価を受けた理由はそれなりにあるわけなんだが
まとめ管理人はわかってないんだろうな まとめ管理人?学者先生の論説を捏造した動画上げたって恥知らずの事かい? 信長の過大評価を是正するのはいいことだと思う
ただ最近はまとめ管理人みたいな「頭の悪い信長アンチを演じることで信長の過大評価是正しようとしてる人たちの評判まで落とそうとしてる信長厨」が多いのが困りもの >>174
二人は主君と部下の主従関係だね。
武田氏と真田氏。 信長厨とレッテル貼りして脳内敵を作ってる奴が無知を晒して馬鹿にされただけで
信長厨ってのは本当はいないんじゃなかろうか?
史料で捏造や間違いを指摘しているだけで 「信長は関所撤廃・楽市楽座で儲けて兵農分離し職業軍人を生み出した。織田家だけは年中戦える軍隊を作った合理的主義だった」
みたいなこと言ってる信長信者ヤフーニュースコメント欄とかでいっぱい見るなw ヤフーでそいつらに言えばいいものをここで脳内敵作り出して無知を晒して馬鹿にされてるだけw 言ったところで「信長を馬鹿にするな!」みたいな感情論しか返ってこなさそうだけどなw
そもそも俺は一連の流れに関係ない通行人やw >>201
お前みたいのが一番馬鹿にされると思うぞw >>2-4に指摘されてるような無知を晒して涙目で逃走した馬鹿がYahoo!に今逃げ込んでるってこと? 歴史秘話ヒストリアが最終回で昨今の信長研究について取り上げるらしい >戦国のヒーロー「織田信長」の意外な素顔も紹介する。
どうせ秀吉の妻に励ましの手紙を送ったとか
そんなレベルの話な気がする >>211
まぁ「昔」に含まれるのは明治以降だろうな >>213
江戸時代は反徳川で秀吉
明治になって勤王家として信長が再評価されたわけだし 1980年に黒澤明「影武者」、1983年に信長の野望
ここから人気が上がっていったんだよ 歴史書を読まなくても、信長の野望の攻略本読むだけで何となく戦国時代に詳しくなった気がするのが大きいな
当然、一番詳しいのは信長のことだし あのゲームのせいで信長が革新的、西洋好き、創造的という誤ったイメージが浸透してしまった
本人も不本意だろう 礼儀正しく正義感に燃えた真面目な人、中国文化に傾倒
こんな感じ。まあインテリの坊ちゃんというか 影武者そんなに信長推しじゃなくね
73年の大河ドラマ国盗り物語が
エポックメイキングだと聞いたが
なにぶん生まれる前で確信はない
司馬遼太郎の原作小説発表は63-66連載
山岡荘八 55-60
坂口安吾 50?
の後追いではある
が、そもそもこの辺りの戦後の信長像は
戦前戦中戦の天才で勤王の偉人イメージ
からの脱却であったと平成初期くらいまでは
よく言われていたと思う 司馬遼太郎のは山岡荘八の影響が見られるな
基本的にあらゆることに革新性をもった聡明かつ血気盛んな猛将だが晩年になってちょっとおかしくなるみたいな
コーエーのゲームでは群雄伝(88)ではスペースバー連打でオール100に近くなるような完璧超人だったが
武将風雲録(90)から戦闘力が信玄謙信幸村あたりより明確に下にされるようになった
天下統一(89)でノブの戦闘力が辛口評価されてたのが影響してるのかも
ウルフチームの斬(89)も天下統一と似たような評価だったはず
GETEN(91)ではもっと辛口評価で織田軍はカスの集まりだった
なんかこの時期から「ノブの戦闘能力はたいしたことない。家康は戦に強い」と評価すると歴史通ぶれるという謎のトレンドがしばらく続いた
余談だがこの時期に前田慶次郎が花の慶次(90-93)の一本だけで突如戦国最強武将として登場しだした バブル期はカネをかけまくった88大河と映画天と地との影響で謙信信玄の評価が爆上がりだった影響もあるだろう
なんかノブは地味な扱いをされる時勢だった 坂口安吾の若き無頼の信長像の影響も
国盗り物語の信長像に繋がってる
桶狭間奇襲説の総本山が旧陸軍だったように
戦中の信長像の否定なのよね >>223
戦術でも家康は武田にボコボコにされてるからな。
戦略に関しては家康は信長に敵わない凡才なのが分かる文書。
高天神城の武田軍から滝坂城、小山城、高天神城の3城を渡す条件で助命を願い出たから、徳川から水野を介して、それを受けていいか信長にお伺いをした文書。
それに対して信長は(水野文書で)水野にこう返した。
「勝頼の分際では後巻できないだろうから滝坂城、小山城も貰っても意味がない。どうせ取れるから。
それより、信長は一両年に甲信征伐するけど山奥の上に長々敵地にいるのはあまり乗り気しない。
行き着く所は、勝頼が後巻と称して国境に出てくれれば、手間要らずで片を付けられる。そうなれば、甲信は手間要らずで取れる。
それか万が一にも勝頼が後巻をせず、高天神城と同様に小山城と滝坂城を見捨てるならば、その評判は駿河の端々の小城に至るまで響き渡り維持はできなくなるだろう。
この通りに家康に説明して家康の宿老たちにも聞かせて欲しい。」
徳川が目先の餌で3城の明け渡しで合意したがってたのと違い、信長は武田崩壊させるための先の戦略を見ていたのが良く判る。
信長の読み通り、武田はこれで完全崩壊した。
家康が戦略立ててたら勝頼はもっと抵抗できてたろうね。 >>226
家康の実態はあまり前線に出ない神輿系の武将
ただ流石家康と言えるのは要所の戦いでちゃんと現場に出て大将やるところ 家康は戦得意じゃないのに、ここ一番では命晒して戦ってるのは律儀物と言われるだけはあるわ
長久手で池田親子と鬼武蔵が命を落としたのは、家康と信雄が前線に出てきたせいが大きいと思う >>229
律儀というより若い頃から家臣統制に苦労してきた成果やろなあ
何しろ二代続けて部下に刺されるぐらい厄介なのが三河武士 >>231
まあ「三河の律義者」は嘘っぱちなのは確か
どちらかと言うと「マジキチ者」が多い印象 三河物語や三河武士の家譜で徳川の実績が誇張されてるし
信玄を討ち取ったのは俺だ!
長篠で武田四天王を討ち取ったのも複数いる始末 江戸時代にできた○○記なんて全て徳川マンセーだから 忠義者は主君の心証悪くするのを承知で諫言する様なヤツだろう
家康の家臣にそんなヤツ居たかね? >>239
律儀に裏切ったとかかな?
とりあえず頭に律儀と付けたらなんでも通りそうで草 忠臣の定義は主家に役に立ったかどうかの結果が全て
それが忠義心によるものだろうが個人の欲望だろうがどっちでもいい いや結果は関係ないよ
主君が忠臣の意見を聞くとは限らんわけだしね 家康は義元にもノブにも秀吉にも信頼されたのは確か
あの時代に裏切らないという処世術はかなり効いてる
とくに大身になったあとも諸大名の世話焼きを続けてた
今川氏真も織田の子孫も大切にしたし
あの秀頼ですら叛逆の目がなければどうこうするつもりも無さそうだったのが驚異的な忍耐
しかも元々野戦が得意とは言えない上にかなり高齢なのに危険な突撃を受ける位置に陣取ってた まああの同盟の堅固さは異様だったね
信長と武田北条今川なんかを評価して相対的に信長が上だと思っていたのか他の理由があったのか 本意だったかどうかは知らんが氏真裏切っちまったのがトラウマになっていたのでは
結果的に妻子を8らざるを得なくもなってるし 今川義元の時代から木綿を京に運んでたから
当時の木綿産地だった西三河が信長と結びついた方が得策なのは分かるでしょ 普通に考えても重臣が西三河出身だから織田と争い続けると西三河が戦災に巻き込まれる
東三河は吉田城周辺以外は山ばかりだから戦に巻き込まれても経済的な損失もない
吉田城を守り抜けば良いだけ だから今川に対して義元の弔い合戦しましょうや
って言って出て来れないの確認してから
織田との同盟に踏み切ったんでしょ 義元を討ち取った信長についたほうが滅ぼされにくいだろ
元今川だから氏真が遠く及ばないと内部情報も得てるし 信長だってまだ桶狭間で上手いこと義元を倒せただけで美濃を取る前の状態だからなあ
なぜあの段階で織田を選んで信長が死ぬまで関係が継続したのか 数字の計算じゃなくて、家康はちゃんと信長の人物を見極めてたんじゃないの
敵にしてはいけないとね 独立して今川と敵対したのだから織田と組むしかない
利害の対立など大きな問題が起きなければ同盟は続く
何も不思議なことはないやろ 実態は桶狭間後の信長の西三河侵攻に耐えられなくなった西三河の豪族が家康を担ぎ上げて織田方についたという流れ
三河の豪族としては信長の家臣になるより家康担いで独立した上で織田方につく方が色々とやりやすかったんやろな 今の日本見てみりゃいい
中国は明かな侵犯してるが経済的な観点から日本は強く出れない弱腰
表に出さないだけで中国にゴマをする国賊もいる
もし仮に米が日本を守れないほど弱体化してみろ そもそも織田の攻勢に晒されてもう持たない言ってるのに小田原に援軍出すから増援は送れませんって言われたらそりゃ白旗上げて織田のパシりになるしかないやろ
ヤス自身は城を枕に討ち死に覚悟でも三河の家臣はついてこない
下手すりゃ三代揃って暗殺されちまう
選択の余地はないやろ >>256
単独で喧嘩腰になるだけが外交じゃないんだよ >>257
そもそも当時はそこまで家臣って感じの配下は少ない
ただ祖父のそこそこの武名と今川から親族に近い扱いを受けた立場が旗頭にピッタリだった >>257
その後三河一向一揆で三河武士が家康を裏切ってるしな >>258
単独じゃない中国への制裁にも参加しなかったな 取り敢えず桶狭間今川からの援軍がない以上
織田との同盟は安全保障上必要だったろう
東三河の支配権自体も認められてない状態で
援軍もなく織田とは戦えない
その後は特に裏切るべきタイミングはないんじゃね
信長上洛時の武田との駿遠同時侵攻は大チャンス
その後西上作戦で痛い目にはあったがそれ以前に
駿河を狙って武田と対立深めてるのは家康の方だしな
ずっと喧嘩売ってた相手に全面降伏してまで
手のひら返して信長に喧嘩売るほどには
追い詰められてないてだけじゃないかね 諏訪が甲斐本国に送られて始末されてるあたり
武田包囲網を作り上げた首謀者の家康が武田に降伏したら
まあ助からないと思うでしょうな 武田に限らず生き残れる方が稀
織田に降伏した大名の方が悲惨 ノブに降伏して悲惨な目に遭ったのは俺の知る限り秋山と波多野くらいじゃね? 北畠、別所、松永、黒田、浅井、荒木
表面上は反逆したように見えるが、実際は違う 波多野は降伏と言えるか?
家臣に捕らわれて引き渡されてるだろ 波多野が降伏とか改変だらけの麒麟が来るを見た知識しかないのかw >>266
諏訪は武田晴信の方から難癖つけて侵略して連行して処刑したが
北畠も松永も一度信長に降伏して許されてるだろ
別所も浅井も武田晴信みたいに難癖つけて侵略したわけじゃなく裏切ったから滅ぼした
今川も武田晴信が難癖つけて侵略して滅ぼしてるし家康が武田を信用するわけがない 武田晴信は騙し打ちばかりの凶悪犯罪者
信長とは違うね 秀吉『信玄も諏訪や北信御三家を騙し討ちにして56すなどバカな事をしたものよ。お主なら上手いことおだて上げて取り込み謙信公の登場以前の割れてた越後に攻めこんで手中に収めていたであろう、家康どの』 >>269
織田に降伏した連中達はそれ実態が違うと怒ると思うよ 信玄の騙し討ちには信長自身も激怒してるからな
まあそれが原因で武田は滅ぼされるわけだが 信長は信長で降伏しても権益を奪われ、尊厳を奪われ、絶対服従を求められるからね
というか信長に降伏した近畿の大名は全滅と言っていいよね 信玄は所詮、戦闘馬鹿だからね。
たられば補正しても天下を獲る器ではなかった。 信長は所詮嫌われ者の独裁者だからね
たられば補正しても結局は家臣に裏切られて殺されて天下を獲る器ではなかった 成り上がり者と室町幕府どっちを選ぶかだったら畿内周辺の勢力は室町幕府を選ぶよ 上に書いてある連中や明智光秀が室町幕府選んだなんて眉唾だけどね
一言でいうと信長は仁徳がなかった 話題逸れてるが、家康がなぜ信長にずっと付いたか
信玄の仁徳がなく、信長のほうがマシだったからってことだね いやいやそもそも織田と武田が揉め出したのは徳川のせいなので うん、だから徳川は近畿の奴らみたいに織田を裏切れたよね
でも織田を選んだ
信長も家康を選んだ
信玄を選ばなかった 信康が裏切ろうとしてたし、家康が裏切らなかったからこそ律義者の評価を勝ちとったわけだし >>281
近畿の連中ほど他の味方近くないし信玄も大概ヤバい
信玄と信長を比較して合理的に信長の側に付いてたんだよ
別に律儀って程じゃない 義元討死した後の遠州錯乱してる時期に武田信玄は、遠江に調略かけたり
義輝の仲介で上杉と武田の和睦を結んで信濃守護補任されたが、信玄が信濃守護補任=信濃全域を治めてよいと勝手に糞みたいな理由をつけて和睦を破り、残りの北信に侵攻して謙信と義輝を激怒させたり
武田と徳川が同盟して駿河侵攻してる時期に三河の奥平に調略始めていたり
最後は信長が上杉と武田の和睦仲介してる時期に遠江に攻めこんで信長を激怒させて
それが原因で武田は滅亡する
信玄は正直クズ過ぎて氏真、家康に信用されないのは当たり前だからな >>278
眉唾も何も荒木なんかには義昭の近臣がずっとくっついてたじゃん
本能寺の変でも義昭にくっついてた零落れ大名が光秀の近江制圧に協力してる また信玄アンチか
まあ人気の裏返しやからいいけれどもw >>286
信長だって家臣から裏切られ続けて最後もあのザマだったくせに信用ねえ
正義を掲げる人ほど他人に不寛容で傲慢、周りは息苦しくなる
信長はそれがピッタリ当てはまる 家康が織田裏切ったら、武田は当然漁夫の利狙いになるか、
織田と争っている徳川の背後襲うんじゃないか >>287
それをもって信長ではなく、室町幕府を選んだと書いちゃうの? 信玄がクズ過ぎるから家康は信長から離れなかった
信玄がクズ過ぎるから信長は家康の味方した
それだけの事よ 家康が自分から武田と織田の同盟破棄させると意気込んで信玄に喧嘩売ってるのにどのタイミングで信長を裏切って武田を選ぶのやら >>286
はっきり言って戦国時代なら当たり前の話ばかり 当たり前の話なのに当時の人(信長)は信玄の行いを
信玄は武士の風上にも置けない卑劣な男だ。二度と武田と和を結ばない
と激怒したのか? >>295
一方で北条も上杉も後年武田と同盟を結びます
結局は利害が一致するかどうかで同盟は決まる
信長のそれは自分を正当化するための宣伝でしかない >>296
信玄死んだ後の長篠でも信玄は糞野郎だったから武田をボコって鬱憤を晴らしたと言ってるわけだけどね
勝頼からの和与もスルー、武田を滅ぼすことしか考えなくなる信長であった >>297
信長は敵や気に入らない相手に対してはいつも鬱憤晴らす系の残虐行為繰り返してるだろ
一向一揆とか荒木村重とか
自分を正当化するのもいつものこと
そんな信長だから家臣から愛想尽かされるわけだ そりゃ上杉との和睦の仲介をしたのにそれを利用してこっちに攻めてきたら怒るだろ >>298
信玄がやるのは当たり前!
手をクルクル
信長がやるのは残虐行為!家臣が呆れて愛想つかされる!
それを言うなら信玄の行いは家康にとっては信用できる物ではなく、呆れて当たり前のことでもないってことだよね >>300
だからどっちがどうではなく、どっちもどっちだろ
互いに自分を正当化するのも当たり前の話
武田には信用がどうのと書くのなら家臣から裏切られまくった織田だって信用があったとは到底言えない
少なくとも降った大名のほとんど全員の末路は悲惨である >>274
そりゃ独立性高く言うこと聞かない国人として
統一政権下に生き残るってのは無理だろう
細川(長岡)筒井中川高山三好(笑岩)一色ら
ちゃんと背かずに生き残ってる勢力もある
降っ(たのに反旗翻し)たら最後みたいな
当たり前すぎることを言われても・・・ 残虐行為も戦国時代なら当たり前のことと擁護さないの?w
同盟は利害関係云々言っておいて、愛想つかされる原因は残虐行為といい
騙し討ち等の不義も愛想つかされる原因になるんじゃないか?w
294: 人間七七四年 [sage] 2021/03/25(木) 19:56:47 ID:EMYKiRyX
>>286
はっきり言って戦国時代なら当たり前の話ばかり
298: 人間七七四年 [sage] 2021/03/25(木) 20:45:47 ID:EMYKiRyX
>>297
信長は敵や気に入らない相手に対してはいつも鬱憤晴らす系の残虐行為繰り返してるだろ
一向一揆とか荒木村重とか
自分を正当化するのもいつものこと
そんな信長だから家臣から愛想尽かされるわけだ >>301
だったら戦国時代なら当たり前のことだとアホ丸出しのレスするな
いつの時代も大義名分はある >>303
擁護って織田信長のことを差し置いて武田の信用がないとか一方的に書いてあったから信長も同じと書いたわけだろ
武田ばかり一方的に批判できるほど信長は仕えやすい信用できる人間ではありません
結果が全て
家臣に殺されてますしw >>302
統一政権なんて偉そうなもんじゃなく、所詮は尾張譜代贔屓の領地拡大と鬱憤晴らす系の戦を繰り返した独裁者だよw
譜代以外の末路は悲惨 >>305
>>296で自分で戦国時代には正当化するための宣伝(大義名分)があったといっておいて
戦国時代では当たり前だの、利害関係云々で同盟が決まるだの馬鹿だよなw 大義名分なんて勝てば官軍で後年から見たら信長に大義名分があったように見えるだけだ
当時の人からは室町幕府簒奪した仏敵で無駄な虐殺を繰り返した独裁者で家臣から頻繁に裏切られたという見方もできる >>296
これも武田が駿河侵攻した時も、氏康がなぜ今川攻めた?との問いに信玄が見苦しい言い訳して、大義名分がなかったから氏康は今川に付いた
利害関係なら北条も今川領食ったほうが得だったのに
そして武田と北条の再同盟も北条から上杉に譲歩して景虎を人質に差し出したのに
謙信が全くヤル気なしで氏政がぶち切れたってこともなかった事になってんだな >>309
甘いよ、甘い
北条も駿河を武田に獲られたくないから今川の味方して氏直を養子に送り込んだんだよ
娘が大変な思いをしたからというのも嘘でそれよりずっと前に軍勢を集めてる
北条と上杉の同盟も結局は利害が一致しないから機能するわけない
ちなみに上杉謙信は貴方が嫌う武田信玄よりずっとずっと北条氏政が嫌いですw >>310
>ちなみに上杉謙信は貴方が嫌う武田信玄よりずっとずっと北条氏政が嫌いですw
信長と同じ鬱憤があったり感情があって非協力的になったり、ぶち切れて破談したりと認めてるわけだよね
利害関係だけじゃないってねw >>309
北条は欲を出して駿河全部を取りに行ったんだよ >>313
武田が駿河攻めなかったら北条が駿河を欲して単独で駿河を攻めたと? >>311
それも違うよ
上杉謙信の行動原理は関東管領の復権
だから武田信玄に一番苦労させられてるのに北信には執着しないし、大して恨んでもない
今川徳川織田と対武田軍事同盟してるのに機能していない
上杉謙信の頭の中はその同盟は今川徳川織田が武田を攻めてくれれば関東に行きやすくなる程度のものでしかない
で、役に立たないから今川は捨てられ、織田とは信玄と似たような理由で断交となった で、その論の根拠となる史料は?
俺の記憶では信玄だけは絶許って書状が残ってたと思うが 織田信長に対しても絶許と書いてるよw
自分を正当化するための宣伝文句 >>315
上で言ってる氏直を養子にした件も大義名分を得るためな
いい加減に自分のレス読み返せよ
信玄の行動は戦国時代では当たり前と擁護し、同盟は利害関係云々と言っておいて
信長の行動だけは残虐行為だの感情で家臣が裏切ったの言ってるアホがいるって話だ
大義名分を得られてない信玄の行動は批判されて当たり前 1.信玄が駿河攻めの際、北条と敵対して苦戦していた際に今川北条と同盟してるにも関わらず全く動かなかった謙信
2.信玄没後、信長に信州攻めようと持ちかけたくせに動かなかった謙信
3.長篠後、信長から信州侵攻のチャンスと持ちかけられたのにシカトした謙信
4.織田と敵対した信玄を蜂の巣を突くようなものと評したのに自分も同じ道を歩む謙信
行動は全然信玄には絶許じゃないから
1は将軍家の意向が優先だったから
今川は反将軍家だし、国も保てない軟弱な奴は切り捨て
北条との同盟は関東の領地寄越さないから結局駄目
2は自分は織田が攻めてくれたら信州じゃなくて関東行くつもりw
3も関東行きたいだけで武田攻めるほど武田に興味無し
4は義昭の意向に従ったから、信玄とほぼ同じ >>318
だからどっちもどっちって書いてるし、信長の大義名分なんて室町幕府や仏教を信仰してる人には噴飯物 >>320
どっちもどっちじゃなくてお前の言ってることが手の平クルクルのアホだと言ってるのが分からない? >>321
アホは君だ
信長のことを棚に上げて武田の信用がどうのこうの書いてあるから、それ違うどっもどっちだよと書いたわけで
武田が信用できないから降ることはできないというなら、織田信長に降って悲惨な末路を辿った大名達はなんなのか? >>322
>>303であるように手のひらクルクルなアホに言われてもなぁ
信玄の行動は何が戦国時代では当たり前なのかw
ちゃんと当時でも書状でも信玄の行動は批判されてるし、誰でも大義名分を得ようとしている
信玄大好き君が無理矢理擁護してるだけ
元の話も家康が信長について信玄につかなかった話だろ?
駿河侵攻の際に徳川からクレームありゃ信用なんてなくなるわな >>323
>>286
>義元討死した後の遠州錯乱してる時期に武田信玄は、遠江に調略かけたり
織田だって両属の東美濃に手出したり、浅井に無断で朝倉攻めたりしてるじゃん
>義輝の仲介で以下略
室町幕府滅ぼした信長さんが文句言う資格無し
>最後は信長が上杉と武田の和睦仲介してる時期に遠江に攻めこんで信長を激怒させて
>それが原因で武田は滅亡する
信長に敵対した家には室町幕府と仏敵という超完璧な大義名分がある
無いなんて言わせない
そんな大義名分も要らないほど皆揃って裏切ってるから人間的に問題あったとしか思えないけどねw
>信玄は正直クズ過ぎて氏真、家康に信用されないのは当たり前だからな
クズ過ぎて重臣に殺されちゃった信長さん ID:EMYKiRyX
>>244あたりから家康が信長との同盟をなぜ固持したかが議論の中心
その流れで来てるのに急に信長憎しで語り出すアスペの菅沼
すぐ正体を表しちゃうんだよな
せめて信玄と信長どっちにつくかのメリットや信用の点で比較説明すればいいのに
頭アスペ菅沼だから理解できないか >>325
>せめて信玄と信長どっちにつくかのメリットや信用の点で比較説明すればいいのに
徳川には織田選ぶか、武田選ぶかの選択肢があった時期なんて一度もない
掛川開城以降武田とは上手くやれるわけない
信用なんかで織田選んだわけではないし、信長のどこに信用があるのかと先に書いた通り >>326
徳川目線でどっちにどう利点があるのか説明すればいいのに
発狂して関係ない話をしだすのは病気なの? だから書いてあるじゃん
徳川は武田と同盟して今川を攻めた
武田が北条と苦戦したのもあり、掛川は徳川単独で攻めることになった
しかし、掛川は徳川単独では落とせないから北条と無断で和睦して掛川を落とした
でも武田とは勝手に和睦しないという誓約それも秋山の遠江衝突後に結んだものがあったから結果として武田を裏切った形になった
あ、知らなかった?
どこに織田選ぶか武田選ぶかの時期があるんだ?
利点もなにも徳川がうまく立ち回り遠江を手に入れたという話
信用なんかどこに影響してんだ? >>328
遠江攻めた件も信長通してな
家康を信長の手下扱いしてるような振る舞い
遠江は徳川、駿河は武田とそれぞれ言い分が違う話
勝手に和睦するなもどう交渉したかも不明だろ? >>329
>>>328
>遠江攻めた件も信長通してな
>家康を信長の手下扱いしてるような振る舞い
今川攻めは将軍家と信長と武田の共同作戦
徳川は信長の先陣
手下扱いしてるとしたらそれは信長
>勝手に和睦するなもどう交渉したかも不明だろ?
どこが不明?掛川開城が誓約違反であることは武田が信長にはっきり抗議してるのだから嘘ではない
嘘では無いからこそ信長は家康にそれ以上の武田への敵対行為は止めさせたんだろ
残ったのは信玄の家康への三カ年の鬱憤と、信長の信玄への貸しを作ったという感情、家康はもう信玄からは許してもらえないなという感情だろう
というか武田と徳川の間では領土問題が常に付き纏うから感情抜きでもどうにもならない
奥平みたいな国衆一つとっても奥平は武田に積極的に交流しようとする
いわゆる両属だし、奥平にとっては徳川と紛争してた時期もあったのだから武田と交流するのも自然
今川時代の遠江の国衆も同じ
国衆にとってはボスは強くないと困るから自分で選ぶ >>330
領土の明確な切り取り線やお互いの言い分が曖昧なままだったから
秋山が遠江に言ったんだろうと平山氏だか忘れたが言ってたけどね
それは信玄がわざとやったのか、不手際としたら前線の徳川と交渉してない信玄の不手際だろ 武田が北条相手に苦戦して本隊が一時撤退するのは仕方がない、
武田本隊に戦線離脱され単独では北条に対抗し得ない徳川が和睦するのも仕方がない
この点ではどっちもどっちだと思うが。
秋山の遠江攻めがなかったなら徳川ももう少し武田に気を遣ったかもしれないが
それでも北条徳川の和睦は避けれなかっただろうけど。 秋山が遠江に行ったのは単に想定外に北条が敵に回って援軍に呼んだから
飯田からの最短距離は遠江経由だったから衝突してしまった
信玄も予期してなかったから平謝り
いわゆる遠江狙ってやったというのは嘘
北条が敵に回ってそんな余裕は全くない時期 >>330
>家康はもう信玄からは許してもらえないなという感情だろう
ここらへんは>>263で言われてるまんまじゃんw
アホな奴が>>264で信長に降伏したほうが悲惨だと話題逸らししたアホがいた
そして>>322を見ると主張が同じで同一人物のアホがお前って話だなw
理解できたか? >>334
自分が先に裏切っておいて、どんな人からも許してもらえると考えるの君は?
信玄が信用できるできないと全く別の話じゃん >>333
秋山が遠江攻めたのは信玄自身が書状で掛川で家康と会おうと言ってる時期の直後だから
普通に余裕あるだろ >>333
自国経由しないと途中で安定した兵糧は手に入らんだろw
しかも攻めるのにも道案内を立てるのに知らない土地を経由するw
それこそ嘘だw >>337
だったら信玄が12月20日に掛川行くなんて書くわけないだろ
北条は出陣していても本格的な動きを見せる前だったとか理由はいろいろあるだろうし。
あと駿河西部制圧前だから北条に備えて秋山呼んだとするなら
わざわざ敵中突破なんかさせず時間かかっても甲斐経由する方が確実だろう。 家康視点だと秋山と信玄の行動完全に殺しに来てるになるからなー。 >>335
武田が興津で北条と対陣してたが四月末に武田は撤退
そのままだと徳川は掛川城の今川軍と北条軍に挟撃される恐れがあるから和睦した
裏切りじゃなく>>294でいう戦国時代では当たり前と言わないの? >>339
>>>337
>だったら信玄が12月20日に掛川行くなんて書くわけないだろ
実際に行くつもりないし、行ってもいない
行くにしたって北条が背後にいるんだから備えないなんて道はない
>北条は出陣していても本格的な動きを見せる前だったとか理由はいろいろあるだろうし。
ないよ
動き見せなくても大軍が小田原から派遣されてるんだから警戒しないわけにはいかない
>あと駿河西部制圧前だから北条に備えて秋山呼んだとするなら
>わざわざ敵中突破なんかさせず時間かかっても甲斐経由する方が確実だろう。
遠江は離反者だらけで無風 >>341
戦国時代で当たり前の話だったかどうかが論点の話ではないので
信玄からみたら裏切られたという思いがあると書いているだけ >>338
当時の軍隊の兵糧は自弁と現地調達です
自国より他国の方が良いくらい >>327で徳川目線でやればいいと言われてるのに武田目線しかできない
な?アスペだろ >>344
占領した領地には寺社から懇願されたりで大名が兵に略奪乱暴狼藉を禁ずる禁制を下したり
兵糧を集めて次の戦に備えるわけだけど
そこに勝手に乱入して現地調達すると?
誰の許可を得て?
え?許可がない?侵略だろ、それ >>306
であってもだよ
他国衆に支配されるんだから
言うこと聞きません独立したままです
なんてのは潰されるし
まして公然と反旗翻したら滅ぼされる
と言う当たり前のことが起きてるだけ 実際に家康からクレーム出てるのに信玄大好き君は何でも擁護するからね フジのドラマで桶狭間やってるからノブの評価がわかるね 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。
アクチュアリー試験
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/lic/1608023944/ 創価学会では同志とか大躍進とか使うけど共産圏みたいで赤っぽい
仏教で最も一神教的なのは日蓮宗だろうね
法華経以外の宗教宗派は全て邪教邪宗という扱いだしね
中世のローマカトリック教会、イスラム原理主義、原始共産主義並みにガチガチ
八百万の神を祀って、神道も仏教もなあなあな日本では珍しい キリスト教って異教徒にはまずは改宗させようとアプローチするスタンスだが
異端に対しては問答無用でぶち殺す!みたいな感じ
カトリックVSプロテスタントや魔女裁判なんてまさにそれ
イスラムやユダヤなどの対異教徒よりも容赦ない気がする
異端は異教より憎しってどういう意味なん? 元々別より裏切り者の方が憎悪増すからな
何度も改宗しながら聞き乗り越え、ナントの勅令やって国内改革やっていった
ブルボン朝初代アンリ4世なんて凄い人だけど そのカトリック世界で一度は教皇に異端信仰を認めさせたフス派 和議を一方的に破棄して美濃に攻め込んで負ける飛び抜けた信長の戦況判断 細かい失敗は多いけど結局は最後に買って領国増やすんだよね
不思議 頼朝は義経がいなけりゃ平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をつまみ食いした
征夷大将軍らしいといえばやっぱ尊氏
九州大返しなんてロマンやん 直義と師直が居なければ尊氏も朝敵の汚名を着せられて糸冬了だったやん 頼朝は東国武士の労働組合長であって別に平氏を滅ぼしたかったわけじゃないからなあ
尊氏もそもそも直義が組織を作って兄貴にゴリ押ししなきゃ将軍になってないと思う >>362
流石に平家と平氏をごっちゃにする人が源平を語るのはどうかと 源平合戦は武士同士を争わせて力を弱らせコントロールしようとした後白河の陰謀の結果で別に頼朝は平氏でも平家でもいいが別に族滅させたかった訳では無かろう
義経が空気読めず滅ぼすまでやっちまったから今度は義経立てて頼朝と争わせようとしてたし
頼朝も義経に何度も後白河に騙されるなよって言ってたが結局騙されてマリオットになり56される破目になった 陰謀論かよ
そこまでいうなら後白河を滅ぼせばいいやん 南朝・後南朝とかで調べるとガッツリ根絶やしにされてて結構ビビった。
二重権力体制はありでも、天皇家自体の分裂継続はやっぱり宜しくなかったんやね。 織田は平氏を自称してるね
徳川は源氏を名乗ってる
劉備が前漢の景帝の末裔と言ってるのと同じくらいの信憑性 >>368
本姓変えてる信長や家康と違って劉備は信憑性高いぞ 一応劉備は漢王室の端くれ名家出身であったのは事実らしいが
素行が悪すぎて一族から距離を置かれてたらしい >>370
普通に才能認められて一族の劉元起から援助受けて盧植門下に入れてもらえるぐらいちゃんとした関係やぞ
何かさっきから適当な事ばっか言っとるけど何が言いたいんや? 劉備は織田信成みたいなもんだろ
劉姓だけ一致してるだけ >>373
当時は勝手に劉姓(特に劉邦の子孫の)名乗ると罰せられるぞ
魏王朝になってから匈奴の王族とかが劉姓名乗れるようになって緩くなったけど >>363
誤変換で鬼の首を取ったようにドヤるのもいかがなものかと 363は平家と平氏では概念が違うって事を言いたいんじゃないのか 今日の世界ふしぎ発見で本能寺の新設が出るらしいが何だろう? 乙夜之書物について論文が発表されたので、
それを踏まえた説を取り上げるんじゃないか
(本能寺襲撃は斎藤利三と明智秀満が担当し「光秀は鳥羽に控えたり」と記されていた) ローマで宣教師が残した書物が発見されたとあるから違うかも 信長って本能寺の少し前くらいから家来に恐れられるというより
密かに愛想尽かされてたというか見限られてた所があったんじゃないかと最近思えてきた
本願寺に目途がついた頃からなんか変わったのかもしれんなあと 愛想つかれていたなら本能寺で襲われた際に信長の首取って明智に命乞いする家臣くらいはいただろうな 愛想は尽かされてはいないだろうが
長曽我部や佐久間の扱いを見るに
晩年はやや劣化なのか奢りなのか分からんが強引な面が出てきていたのは確か
一部家臣らに不満や疑心が燻り出して明智の謀反で表面化したとも取れる 愛想は尽かされてないけど、敬愛されてない感じ
恐怖による支配とは言い過ぎかもしれないが重臣達は幸せではなかったろうね 信長は正義や外聞をやたら気にする人だったそうだが、そういう人間は周りが息苦しくなって嫌われること多い
竹生島事件とかね 特に一線級のそれこそ光秀や秀吉なんかがそんな感じがしてならなかった
戦線の規模が拡大して出先の将官と信長との意思が乖離していったようなそんな感じ
信長にも焦りか何かは分からんけど何か粗雑になったような気がして そういう史料はどこにもないけどよく妄想が広がるな
死の年でも追放した佐久間信栄を哀れに思って釈免したりしてる甘ちゃん
中国方面は秀吉が頑張ってるからそろそろ信長自ら本腰を入れようと本能寺に宿泊してた時の凶事だった 敬愛されてないのは秀吉じゃないの?
信長の孫や息子は、いつも信長の〜だからで許されていた
秀吉の息子、秀頼や孫は秀吉の〜で許されすらしないし >>388
秀吉や勝家があんな感じなのに敬愛されて無いとか無理がある
光秀に協力する者も殆どいなかったのに
妄想が過ぎる あんだけ毎年のように原因がよく分からない謀叛が起きたり、虐殺重ねてたのに敬愛されてたらむしろおかしい >>396
そんなのが当たり前に起こる時代に、そんな事で敬愛されてないと思い込む方がおかしい
もっとも敬愛されてるだけじゃ天下は取れん
敬愛、畏怖のバランスが重要
信長はどちらもあったと見られる 敬愛されてたら重臣中の重臣に寝首掻かれたりしないよ >>398
敬愛されてなかったら光秀に付く奴が沢山いるはずだけど?
頭悪いのお前? >>400
敬愛されてたら重臣中の重臣、特別に取り立てて恩があるはずの人間から寝首掻かれたりしないよ
普通は人間としてよほど嫌われてたんだろうなと思う
人間関係読めないのお前? >>401
その全てに裏切りにあってたらな
一部だけ切り取ってワーキャー騒いでる馬鹿こそ人間関係も組織も知らない幼稚園児だろうが
その裏切った奴らにどれだけの人間がついてったか答えてみろ知恵遅れ
信長が敬愛されてなければ裏切った者に皆ついていくか協力する
そんな事もわからんのか >>402
谷口克広「信長と消えた家臣たち」を読みなさい
明智光秀に味方した武士は秀吉にほとんどが許された
短気、気まぐれ、傲慢、残忍、他人に厳格すぎ、執念深いこと、猜疑心が強い信長の性格が故に裏切りを多く招いた
こういう人間は敬愛されるには程遠いよ >>403
返しにもなってないな
統失の戯言は日記にでも書いてろ低能 そもそも敬愛とは尊敬と親しみのことであり、親しみなんて信長から一番遠いものだろ
何でそんなキレてるのやら >>401
重臣中の重臣
光秀は織田家臣の序列では柴田勝家や丹羽長秀よりは下だし、譜代ではないなり上がり
石高では40万石だが序列では秀吉より上だが決して重臣中の重臣ではないぞ >>406
誰も一位なんて書いてないし、ひどい揚げ足取りだなあw
あんだけ家臣多くいるのに3位か4位だと重臣中の重臣ではないとかww 光秀含めて全部信長の敵は中世に君臨した室町将軍家だの一言で終わる話だ 明智光秀が室町幕府の再興目指してたなんて相当下火な説だしなあ 信長はかなり敬愛されてた方だな
カリスマのような感じ
雑魚光秀がショボすぎて裏切ったけど織田家の家臣にクソミソにやられ、誰も仲間になってくれず終了 蒲生氏郷とか細川忠興とかの武断的な若手にめっちゃ心酔されてた むしろ秀吉のほうがな
天下人にまでなったのに、家臣から敬愛されていたのか? 家康(笑)
よりによってクソ雑魚の名前出すとかウケる(笑) 低レベルな煽りだな
よほど現実社会で鬱憤溜まってんだろうな ノブは一種の宗教みたいな崇拝の対象に近いイメージはある
ヒデは彼の死後の豊臣政権の扱いを見れば分かるわな。うまい汁吸わせてくれるから従ってただけ
家康はどうかねぇ・・・ノブヒデの下で学んだ経験を生かして日本を纏めきったのは評価されて然るべきだが家臣大名から支持は得られていたのか?
石川とか見るにあんまそーゆーイメージはないな >>420
家康は力と法律でうまく治めた
これは評価できる >>420
家臣から「面と向かっては何も言えずにブツブツと何か言いながらその辺の石に八つ当たりしてた」と言われるような人物。
一方、本多忠勝のように忠誠を尽くし、家康を守り続けるような者もいた。 陰湿で気が弱く、喧嘩も弱い
だからこそ狡猾な性格にならざるを得ない
日本人が一番嫌う小者
それが家康 嫌われたかも知れんが結局その方が大業は成し遂げられるって事だな
ノブは周囲の評判を気にし過ぎた為に晩年は強引な手法を取らざるを得なくなって明智の謀反を招いたのかも知れない >>424
違う
信長は甘すぎた
秀吉家康と比較しても甘すぎる
敵に対しても使えるならとことん甘いし 信繁に本陣に迫られて「うわぁー怖いよー終わったー僕自殺すりゅーー泣」
って泣いてたクソ雑魚の家康がなんだって? >>426
あれは徳川の2代目が使えない奴らばかりだったから仕方ない
初代たちが生きていたなら真田が突撃なんて絶対無理だった まあ家臣の武将の実力も関係するからね
でもそれを言うともっと苦手な昌幸も全盛期になる訳で >>428
昌幸の場合は全国相手にしてない
信繁の場合は使えない奴らでも全国相手にだから兵力が違いすぎる そんな何百回も否定されてる手垢付きまくった嘘話を前提に
話しててむなしくならんのかお前ら >>427
大阪夏の陣で徳川の陣が崩れなかったのは家康が招き入れた立花の采配があったからだぞ
そして二代目将軍の秀忠の命を救ったのは立花と柳生の刀
この二人の武勇は天下に轟き三代目将軍の家光も尊敬していた
あと真田信繁が家康本陣を急襲できたのは毛利勝永のおかげ
毛利勝永隊がいなければ幸村も大野も一時的とはいえ家康本陣や秀忠本陣を強襲できなかった 家康が優秀なのは無能な2代目でも運営できるシステムを構築したことだろう
信長も秀吉も家康より個人的な能力では優秀だったが、システム作りでは家康に劣っている 日本ではトップは権利はあれども統治せずが1番安泰だということを家康は分かってたっぽいな。熱心に歴史を勉強してたみたいだし 本多とか今川家臣時代から苦楽を共にした部下が複数居たのも成功できた要因のひとつだろう
暴走しそうになってもそいつらが止めてくれたし愚痴聞いてもらってメンタルを立て直せたのも大きい
雪斉の下で机並べた氏真が家臣だったのも良い影響だったんじゃないかな
あいつは昔話が長くて困るとか言いながら度々呼び出しては一緒に呑んでたみたいだし 秀忠は戦は下手だが武家諸法度と参勤交代の基礎を作った政治は有能な説と
武家諸法度は家康、参勤交代は家光という定説はどっちが正しいのか決着ついた? 少なくとも秀忠の代には徳川に対する大規模な反乱は起こっておらず
家光が強権的な政策にシフトしても表だって歯向かうヤツも出なかった
てことはきっちり諸大名を纏めあげたと言っても的外れでは無いだろ?
優秀と言うにはやや心許ないが無能とは口が裂けても言えん 3代あたりには間違いなく重臣の合議制に移行してるんだが秀忠ぐらいの頃は過渡期で秀忠個人の才能なのか家康が残したブレーンが優秀だっただけなのか判断がつきかねる部分がある >>286
永禄3年(1560)秋に北陸一向一揆と連携をとり、謙信の関東侵攻を北条と一緒になって食い止めてる間に今川氏真・寿桂尼に下手に出て担ぎ上げ足利政権への協力ということで大義名分として今川と敵対する徳川・織田の仇討ちという事で攻めてれば義信事件も起きなかったし、北条も同盟破棄せずに西上作戦に早く出れたと思う。 >>441
その頃はまだ徳川は今川傘下だから相手は織田信長だけ
それは悪くないが武田信玄に今川との利害や関係調整は無理だよ。利益を示さないと信玄に対して >>440
2代目としては相当に優秀だったのは間違いないね
鎌倉や室町の2代目と比較してもね
内乱は起きてないし52歳まで生きた >>443
足利義詮は戦はうまい
負けて勝つタイプだし >>444
それ戦略で勝ってるだけで戦弱いいうんやぞ 義詮はオヤジとオジのグダグダの尻拭いを上手いことやってたからボチボチだったんじゃないの
義満が一気に飛躍出来たのもオヤジがボチボチまとめてくれたからでしょ >>445
戦術で勝っても戦略で負けたら無意味
それは弱いではない
武田信玄なんか最たる例でしょ >>447
つまり頼朝は義経より戦に強いと言いたいんか? 足利義輝も三好長慶に対して政治的優勢を作っていたが戦で跳ね返されてたな 足利は没落しちゃったんだよな
なんちゃって源氏の徳川は今も上級なのに >>449
足利義輝が三好長慶に対して政治的優勢?
なんのことだ?
長慶に5年も追放されて、六角からも支援が難しくなったから幕府役職を餌に帰還したんでしょ
しかもその間は三好長慶が京都を事実上支配して将軍不在でも大丈夫という政治体制築いてまうし三好長慶が >>355
ファーティマ朝(アラブ人、シーア派)とセルジューク朝(トルコ人、スンニ派)も尋常じゃないくらい仲悪かった
セルジューク朝は10本の矢があれば、1本を異教徒のキリスト教徒に
残り9本を異端派のイスマーイール派(ファーティマ朝)に放つという話があり
ファーティマ朝はというと、十字軍の襲来を知るとウッキウキで
ビザンツ皇帝に十字軍の成功を祈るという手紙を送る有様だったww >>450
北条時行の末裔が後北条氏に仕えてて胸熱 真田信之93歳
人間50年の時代で卒寿とかもはや仙人 前原誠司の支持者の所有してる信長下知状
和泉国の国単位の徳政を百姓中が直に訴えてそれを信長が朱印状で許可してる。
最近の研究では信長は家臣委任が大きかったってことになっていて、信長の上位権力はそれほどでもないって結論らしいが、
この下知状みると信長朱印状は織田大名の頭越しに信長分国内で相当大きい力を持ってたんじゃないかな 札幌かに本家
かに会席
織田(おだ)12,000 円(税込)
かに会席
徳川(とくがわ)7,700円 (税込)
かに会席
豊臣(とよとみ)5,500円 (税込)
シルバー会席
大名(だいみょう)3,700円 (税込)
どういうネーミングだよ・・^^ 光秀はなりふり構わずタブーを犯して他家から人材を引き抜きまくってた。延暦寺でも熱心に働いて信長から焼き討ち後に延暦寺周辺の領土の管理を任されてる
宣教師にも明智は信長に媚びるのが上手いとか言われてたな 明智は相当な腹黒やね。信長はまだスッキリした性格やね フロイスは光秀と確執でもあったのか、あいつは人を騙すのが趣味のサイコ野郎だと酷評してるからなw
ここまで悪態つかれてるのは恐怖の独裁者扱いされた信玄くらい
まぁ相手次第で態度を変えるタイプで邪険にされたやつらからは嫌われていたんだろうな まあ最後は誰も味方に付かなかったからな
細川でさえも 主殺しは大罪だからね
応仁以降下剋上は日本中で為されたけど主殺しまでしたのは意外と少ない。大体上手く乗っ取った人は追放で済ませている 主殺しにしてもそれなりの大義名分を用意してくれたら乗れるけど
突発的なクーデターだからそのへん何も考えてなかったっぽしな 明智って信長公記でもあまり語られないからな
嫌われ者だったのは間違いない 主を殺しても乗り切った人は主家の別の人物を立てて形式的でも主君と仰いでるな 牛一『明智についてもっと書いてくれ?だってあいつ大逆人だぞ??詳しく言及出来る訳ないだろ、下手な事を書いたらワイの首が飛ぶわ』 別にその時代に明智のこと何を書いてどうなるとかないだろ
後に出世したやつに明智と仲良かったやつとかいたらヤバいから伏せたかもしれんが 766 山師さん@トレード中[] 2021/08/04(水) 08:03:46.40 ID:G5XpvErwr
先行して下がるのはナスダックでしょう 今夜辺りからが危ない 209 山師さん@トレード中[] 2021/08/05(木) 10:13:25.45 ID:oe/0zItHx
ボックスシート上抜けは、処女膜をパァンて突き破ったような感触やで〜(^ω^)
あとは気持ちええだけやからホーチミンでぎゅんぎゅん上がるから何も考えなくてええんやで〜(^ω^) 天海「悪口書いたら許さんぞタコ」
春日局「せやせや」 >>463
光秀「信長は希代の悪王、紂王と同じゆえ、朝廷を救うためにわしは立ったのだ」 主殺しを正当化するには下剋上の歴史を見ても主家の中から代わりを立てるしかない
当時の武士なら誰でも分かってたことだろうから津田信澄が速効始末されたのも当然と言える 554 山師さん@トレード中[] 2021/08/06(金) 11:01:45.66 ID:f9s1WwJmr
>>447
日経の目先底はあなたが生まれる前から11日の水曜日と決まってる 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛官)は世界一の天才だと思います、彼を馬鹿にするやつは俺が許さん! 明智光秀はただの謀反人
現代の明智の子孫の光秀へのよいしょが逆におかしいだけ
少し異常な状態ともいえる 主討ちだけなら松平広忠や蘆名盛隆など他にもいるが
軍勢を伴ってとなるとあまり思い浮かばんな 謙信の親父も軍勢伴った主殺しだよね、正当性はともかくとして 光秀の謀反がなぜ嫌われるかと言うと光秀が謀反を成功させるために嘘をつきまくったから
一度蘭丸に言われて光秀の謀反を疑った信長
しかし光秀は涙を流し謀反はありえないと嘘をついた
『川角太閤記』などのある話。斎藤利三はもともと稲葉一鉄の被官(家来)であったが、故あって離れ、光秀のもとに身を寄せて家臣として高禄で召し仕えられたので、一鉄が信長に訴え、信長は利三を一鉄の元へ返すよう命じた。
光秀はこれを拒否して「畢竟は君公の恩に奉ぜんが為」といったが、信長は激怒して光秀の髷を掴んで引き摺りまわし、脇差に手までかけた。光秀は涙を流して憤怒に堪えたとする。
このように光秀は信長に叱られると涙を流して度々許しを請うた
ルイスの日本史にも同じような事が本能寺の変の前に行われたことが書かれている 光秀が頭がいいのは事実
それと同じように子孫も頭が良くて都合の悪い事実は敢えて書かない
だから現代人にはどのように光秀が信長を騙したかがわからない
信長や蘭丸は本能寺の変の数年前辺りから光秀の過去の嘘を見抜いて光秀に厳しく当たっていた
それに焦った光秀は涙を流して許しを請うて信長もそれを信じて許していた
これが本能寺の変の真相
よくみればわかる事である 光秀は信長を完全に騙せていたが
油断して小姓の蘭丸までは騙せなかった
信長には見せなかった憎しみに満ちた怒りの形相を蘭丸は見逃さなかった 本能寺の変の小姓と言えば約6年間小姓をしていた蘭丸
そしてその弟の力丸坊丸がいてさらに数多くの小姓が信長に仕えていた
その当時に筆頭小姓は蘭丸で常に信長の身の回りを取り仕切り朝廷や信長の武将への伝令などをも務めていた
ルイス日本史より
明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度明智を足蹴にしたということである。だがそれは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事であったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが‐‐‐
本能寺の変の前の一年前くらいになると信長の光秀への態度は以前のものとは異なり冷たくなっていた
当然 蘭丸を筆頭とする光秀への小姓らの態度も冷たいものであった 光秀は信長に取り入るためにありとあらゆる努力をしていた
「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」
「彼(光秀)の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者が信長への奉仕に不熱心であるのを目撃して自らがそうではないと装う必要がある場合などは、涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」
初めのうちは信長に気いられていたが、やがてその嘘がバレるようになっていった
本能寺の変前では信長の不評を買う事が度々ありなんとか嘘の涙で誤魔化していた
信長の周りの小姓らにも正体がバレて目をつけられるようになる
「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」 ただ信長は蘭丸ら小姓の忠告を受けて一度光秀に蹴りを入れて問い詰めるも光秀の涙を見て光秀を信じた
最後まで家臣の光秀を信じていたのだ
蘭丸ら小姓は光秀の裏の本性を知っていたので信長に忠告していたのだが、それでも涙する光秀に騙されてしまったのだ なんかの本で蘭丸が信長に明智の者だと言ったのは光秀のことじゃなくて明智の家臣団のことを言ってたんじゃないかって書いてあった
明智光秀は惟任と呼ばれてたからということらしい そもそもあの状況で、反乱軍の指揮者が光秀本人なのか、利三や秀満なのか把握できるもんなのかね? 武田信玄や上杉謙信がタイミングよく死んでくれたから信長は成功しただけ
信玄か謙信が長生きしてたら信長は終わっていた 信長は早期から鉄砲を利用しているからかなり強い
家臣どころか小姓さえも当時は高額の鉄砲の扱いに慣れているし
上洛時に既に5万の軍勢を集める事が可能だった信長に対抗できた武将はそうそういないと思う 基本的に「連合軍」って強者達が結集して弱勢力を叩くパターン以外に成功しないよね 徳川家康らが天下を取れたのは信長軍の配下になったからであり
武田信玄より弱かった家康らは長篠の戦いで鉄砲の有効性を学び
その後の戦で鉄砲を大いに取り入れた
だから武田信玄の軍勢より信長軍が弱かったとは少し考えにくい
信長が苦戦したのはむしろ同じく鉄砲を主力として戦いに利用した雑賀衆の方だった 信長の前に鉄砲の有効性が分かっていたから国産化しようとした人たちが居たわけじゃん むしろ過小評価されてるだろ
とんでもない傑物だよ織田信長は 尾張統一戦から浅井朝倉滅亡ぐらいまでの自ら指揮を執った一連の戦いは格好いい
信長の魅力はやっぱり戦場での勇敢で迅速な戦いっぷり 天王寺砦の救援に寡兵で本願寺勢に殴り込んでいったのも最高にカッコいいぞ >>497
1543年にまずは薩摩藩の種子島氏が鉄砲を二丁買い取る
種子島氏は火薬調合と鉄砲製作を家臣に命じる
国産鉄砲をつくったのは種子島に来た美濃の八板金兵衛
1545年のこと
堺に鉄砲が来たのは1549年
信長が鉄砲を使ったのは天文23年(1554年)、村木城の戦いの時で堺に鉄砲が来てわずか5年後の時
信長は早い時期から鉄砲を戦に取り入れて活用してる
桶狭間の戦いの前から鉄砲を利用した先見性のある武将だった 明智光秀という評価が高いのか低いのか良く分からん人間に、多分私怨で寝首をかかれてるからな
アンチからすれば突っ込みどころ満載なのが痛い
信長あってこその光秀で逆は成り立たないだろう 信長は単に運が良かっただけだよ
桶狭間、武田信玄、上杉謙信と全て運だけで生き抜いてきた
本能寺の変は運を使い切った結果にすぎない >>502
だから役に立つと分かっている武器を買って使っただけじゃん 武田信玄なんて弾を鉛じゃなく、不適な鉄や銅を奨励してた無能だもんな
それで試し撃ちして威力が出てない鉄砲だったから過小評価されて長篠で突撃に繋がったのかもしれない 鉛以外だと当たると普通に死ぬけど全然まっすぐ飛ばないんだってな 鉛は融点・硬度が金属の中で最弱レベルだから、鉄や銅みたいに鍛冶屋並みの火力なくても現場で製造可能
そして硬度も鉄や銅と比べ、鉛は柔いから鉄砲に押し込め槊杖でガンガン突いて変形させてたから
真っ直ぐ飛ばない&威力低減の原因になる隙間からの圧力・ガス漏れが無くなる
小学校の理科の空気鉄砲で、スチロールの弾が隙間無くピッタリ嵌まってないと真っ直ぐ飛ばない&威力も出ない原理を理解してれば単純に分かるだろう >>494
強者連合もうまくいかない例が多い。第一次大戦の七カ国連合をチャーチルが率いてケマル•アタチュルクに阻まれたり。逆に第二次ウィーン攻囲をトルコに比べれば弱者連合のキリスト教側が打ち破ったり。 >>503
光秀は上洛後に武将として認められているからね
上洛時には既に信長は鉄砲付き5万以上の軍を出せる大名
>>505
信長は桶狭間の戦い以前から多くの戦こなしているからね
時には鉄砲を使い時には弓や長槍を巧みに使う
運だけで数多くの戦には勝利できないよ
用心深く巧みな戦を展開したのが信長
家臣の秀吉や家康はその戦いの形式をうまく自分のモノにした
鉄砲から城やら包囲戦などなどまさに戦の専門集団が信長の軍勢なんだけどね
家臣にも優秀なのがいたけどそれは光秀なんかじゃないんだけどね 光秀は太田牛一によると明智城を追い出されてから朝倉家にいたときは従者が一人だけだった
まさに名のない食客
信長に仕えたのも信長が既に上洛した時
上洛戦でも後方で見ていただけ
ルイスによると
「殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんど全ての者から快く思われていなかった」
と言うか美濃の多くの武将は光秀以前に信長に仕えていて光秀は後から信長に仕え始めた
信長が光秀を重用したのは
「主君とその恩恵を利することをわきまえていた」
「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」
「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」
光秀が出世したのはその働きもあるけど常にお歳暮を贈り信長の事を気遣っていたから
で光秀が領地を信長から与えられたのは比叡山延暦寺の焼き討ちで他の武将ができなかった放火を率先してしたからでありそこから坂本城を築城した
この延暦寺焼き討ちで光秀は大いに出世した 695 山師さん@トレード中[] 2021/08/23(月) 07:48:17.93 ID:3GW7LuJ80
みなさんおはようございます 日経平均は10SQ付近までの上昇トレンド入り 1月半のトレンドをお楽しみください
10SQ付近までの上昇トレンド 信長は武田信玄か上杉謙信が長生きしていたら負けていた雑魚 たられば言ってたらきりがないわ
尾張一国から戦線拡大しつつ勢力拡げていった
兵農分離で年がら年中合戦できる織田は一地方の合戦の負けなんて屁でもないのは戦歴でわかる 38 山師さん@トレード中[] 2021/09/01(水) 22:19:50.93 ID:Bt/Er8uM0
ダウは9SQ付近で前回安値を割らない程度の下落はありそう
10SQ付近までの上昇トレンド >>514
それもない
武田信玄が勝利したのは徳川家康に対して
三方ヶ原の戦いでは信長からの援軍は佐久間と平手
上杉との戦いはもっとひどい
手取川の戦いでは柴田勝家が総大将だが諜報活動が行われておらずに
七尾城落城を知ったと思われる秀吉が勝手に離脱
柴田勝家らは何も知らぬまま進軍
柴田勝家は全軍が手取川の渡河を終えた所で初めて七尾城落城と謙信軍の松任城入城を知り、即座に撤退を下命したが、その途上、謙信直率の上杉軍に追撃された(9月23日夜)。結果、織田軍は、鯰江貞利をはじめ1000人余りの戦死傷者、さらに増水した手取川で多数の溺死者を出す大敗を喫した。
上の二つの戦いは信長正規軍とは言えない戦いぶり
まあどちらかと言うと秀吉の方が信長を敬愛するだけあって信長正規軍の戦い方に近い 310 山師さん@トレード中[] 2021/09/07(火) 07:40:08.54 ID:dvjNig4J0
来るか!調整! みなさんおはようございます 日経平均は9SQ近辺で押し目を付けると見ます 10SQ付近までの上昇トレンド 学者の評価も当てにならん
注目を集めたいためにわざと異論を言ってるだけというやつが多い >>521
そう言う人は学者と言わないやろ。
在野の自称研究家 学者でもおるよ
とにかく極論を言って新しいワードを捻り出して注目を集め、そのワードを定着させようとする 三職推任とか最初に言い出した奴誰だよって感じだよな 学者の定義ってなんや
いい加減な学説論文書いてるだけの大学教授とかでも学者のカテゴリーに入るんか? 織田の方面軍制度で秀吉に権力を与えすぎたのが、織田崩壊の理由じゃないの 秀吉じゃなくて光秀だな
佐久間が畿内の司令官として残っていれば本能寺もなかったかも 秀吉の権益拡大は信長死後
清洲会議による畿内支配容認と
その後のゴタゴタのどさくさでしょ 信長が生きてる時だって、秀吉と柴田と明智が組めば信長倒せるんじゃないの 騙し討ちなら明智単独で殺せたじゃん
でもその三者合わせたより織田一門衆のが所領でかいし
彼らの与力が謀反に付き合う義理もないよ 過大評価というが信長がいなければ秀吉は絶対、家康もほぼ間違いなく天下人にはなれない。
そうなれば今の東京も絶対にない。
後の日本に大変な影響を与えた人物であることだけは間違いない。 所領ベースで考えると力関係は織田政権と羽柴秀吉よりも
豊臣政権下の徳川家康の方がよほど差が少なくなる 信長は領地がeasyモードじゃん。信玄、元就、謙信、氏康、政宗が尾張から
出発なら余裕だったんじゃないの? まずノブがその領地を自分の物にするまでどんだけハードモードだったか勉強してから書き込もうなw 親父を追放しないといけない家の状況ってのもなかなかハードだと思うが 信秀も晩年負けまくって相続においては信勝に半ば分割するという信長が位牌に灰を投げつけるのも当たり前の完全滅亡ムーブやらかしてるから 信玄は汚い事やり過ぎて尾張諸将の支持を得られず袋叩きに遭っておわりやろな >>544
粛清された義信「言うほど信頼得られてたか?」
裏切った穴山小山田「ぶっちゃけ親父以前は甲斐で争いまくってたからなあ」 方面軍で秀吉に権力を与えすぎたっていうけど
秀勝を養子に出してるしノブの死後も勝手なことは出来なかったよ
信雄と信孝が跡目争いするのがいけないんじゃん そうだよ
あの兄弟がアホすぎた
まあ信忠とその他で明確な差をつけてたから信長と同時に信忠が消えたことで織田一門が団結できなかったってのはまあわからんではないが。信長としては一門で派閥が出来て自分みたいに一門との抗争で苦しむことになるのを回避したくてそうしたんだろうしな 信勝の息子の信澄も討たれるし、ノブの色々の思いが完全に無駄になるところなんかドラマチックだな… 本能寺の時の信雄はそれなりの領土あったでしょ
単に能力不足 ゲームみたいに常備軍が何万もいるわけじゃないんだよボク? 勢州軍記によると本能寺の際信雄は
四国遠征軍に援軍出してて手元に
2500しか兵がなかった
数値はともかく状況的にはありそうではある 少ない手勢でもなんとか安土城から東に行かせまいと奮闘したせいで焼けてしまった
誰も信雄を責めれない 信雄も信孝もホントにバカだったら跡目争いできるだけの味方を
集める事もできなかっただろうしな
ノブが一代で築き上げた政権だから家臣の目はシビアよ
尾張時代から付き従っていた筈のヒデすら政権握ったらノブをボロクソ貶してるくらいだし ノッブとかノブっていうのは認知されてるけど
ヒデは寒い 信長=ジョルダーノブルーノ説を大真面目に語ってるyoutubeチャンネル見つけた…。しかもそれを絶賛する信者たち…。
https://youtu.be/Yv8PBthy9WA ノブちゃんほど後継者育成や権限移譲をしっかり考えていた人はいないよね。信忠も同時に死んで裏目に出たけどね。
信玄とか謙信とかひどいからなあ。武田は当主と後継ぎで争うことが多かったから仕方ない面はあるのかな。 秀吉の酷さは信長信玄の比ではない
というより家康が滅ぼしたというより秀吉の自滅じゃね? 殆どの家でなにかしら後継者争いのいざこざは起きとるよ 徳川は家康が長生きしたから表面化しなかっただけだな
50歳で死んでたら終わりだ 1代でのしあがった英傑は大体後継問題で揉めて家が傾くな
家康とて早死にしてたら徳川がどうなったか分からん嫡男死なせてるしな 子供が出来ない→養子とる→歳取って子供生まれる→養子の廃嫡を企む→炎上 >>571
信康の派閥が出来て分裂の危機だったなんて説もあるしな
まあでも武家の嗜みとして子供はいっぱい作っておくに越したことはないね。織田だって信忠も死んで天下からは転げ落ちたと言われてるけど、結果的に最初から嫡流からハズレてた子供や兄弟の家が残ったわけだし >>545 >>543
横からだけど、義信事件の時も、家臣の大半は信玄に味方してるように思うけど。
信玄時代には、甲斐の家臣の離反や敵対は義信事件をのぞけばほとんどなかったように思うし、
実際に家臣から離反や敵対をされまくってたのが、信長に思うけど。 そりゃ逆らうヤツは皆粛清したんだから味方ばかりに見えるわな。で、その結果がルイスフロイスの恐怖の独裁者評 敵もみんな片付けたから、戦時体制解いて人事配置やり直すかな〜ズバッ
ってわけよ >>576 >>577
信玄の事?実際には、信長の方がよっぽど粛清とかしてる件数多い様に思うけど。
その君が言ってるフロイスの信玄評の粛清って日本側の資料じゃ、
ろくに確認できない事のように思うけど。
武田側の軍鑑や妙法寺記とかでも、信虎のよくない所業と思しき事は書いてあると思うけど、信玄の家臣に対してのよくないと所業と思しき事はそんなに書いてないように思うけど。 そりゃ拡大した範囲とスピード考えたら信長が粛清するのは当たり前だわな >>579
尾張時代から信長は粛清や謀殺してるように思うけど。 >>580
そりゃ信長のスタートは尾張の一部からで弾正忠家ですら弟の信勝と分割(共同)統治やし
信長のスタートが尾張一国統治してる状況からとかトンデモな知識でもない限り尾張時代の粛清に疑問持たんやろ >>581
尾張時代の話で言うなら、林兄弟のように
本来なら、信長に従うべき家臣とかまで信勝に従ってたり、
信長に敵対してたり、
信長公記読むと信長と協力関係にあったと思しき織田信光とかも謀殺されてるように思うし、
信長の兄弟で信長公記とか読むと信長と協力関係にあったと思われる織田安房守も、それが家臣の角田にやられてて、丹羽氏勝がそれに協力してるっぽいのに、
それらへの処罰が不明瞭に思えたり、という感じで、
尾張時代の粛清や謀殺がそんなに信長にとっていいものか微妙だと思うけど。 >>582
>>581の人の事を言ってるの?
そんな風に書くのは感心しないかな。 勝頼スレに飽き足らずここまで伝染していたか……
汚染が拡大してる >>585
そうやって、君の気に入らない論旨をレッテル貼りするのはどうかと思う。
言いたい事があるなら、論旨で書いた方がいい様に思う。 >>585
というか、元々信長とか信忠のスレに粘着してたんだぞ
人がいなくなったから勝頼に移動したんだ そうなのか
やはり谷本と同じで現実世界で相手にされないからここで暴れまわってストレス解消してるんだな
まあ谷本みたいになったら困るが >>587 >>588 >>589
また変な事書いているように思うけどさあ、昨日は休日で、僕は合間に書き込みしてただけに思うけど。
僕は信長とか信忠のスレとか一時的にしか書き込みしてないように思うし、
他の誰かと同じ人認定されても、としか言えないんだけど。
勝頼スレ37とかでも、君こと菅沼認定厨さんが、IDコロコロや複数回線で多数を装いながら、平日とかでも一日スレに貼りついている可能性が高い事とかは指摘がされてたと思うし、君が同じ人認定して菅沼認定してる人々が特徴バラバラの複数人で、君自身でさえその矛盾にろくに答えられてないように思われる事とかも、普通に指摘がされてたと思うけど、それで同じ人認定なんかしてもしょうがなくないかな。 お前誰と俺を同一視してんの?
お前みたいな基地外は昨日初めて見たわ
黙っとれ >>591
>>585の書き込みとか読むと、君が普通に資料とかに基づいてされた書き込みでも、信長を異常に持ち上げたり、信玄や武田叩きにつながりそうな書き込みが否定されたようなレスに対して、異常に拒否反応を示してるように思うけど、
それって信長を異常に持ち上げたり、信玄や武田叩きにつながりそうな書き込みが、平常という事に君はしたいと思ってるように思うけど、
それで中立を装うのは色々と無理があると思うんだけど、どうなの。 >>593
つまりそれって君が都合のよくない事には答えたくないけど、
君は好き放題に>>587とかのようにレッテル貼りと思しきレスを書き込みたいって事に思えてしまうから、
それはさすがに色々と厳しい主張だと思うかな。 >>583
真実は分からんけど協力関係なんて粛清の対象になって当たり前の時代だし林兄弟なんて当時から勝手に陣を引き払うぐらい主家を軽く見てる
自分で尾張時代の信長の粛清を正当化してる様な内容だけど何を言いたくてレスしてるのか全く分からんな 信長は下剋上したんだよ
同格格上の織田一族は粛清、御輿にしてた斯波の生き残りは追放
まあ割と普通の下剋上パターンて感じ 織田一族は後に許してるやつ多いけど?
斯波義銀も後に追放したが結局はまた許してる 何言ってんの?それって織田大和守だけだろ?
しかも主殺しした謀反人だから清洲城を攻めて殺害しただけやん
なにが粛清だよ 基本信長は人殺ししたくない人
それでも大量にやってる時は、騙し討ちされてテンパった時と
やった人数盛って相手をビビらせたい時 荒木村重の一族の抹殺はページ数さいてかなり悲惨だったと描写してるが
これは戦国でも珍しい大処刑だったとかではなくたまたま牛一が身近で見聞きしたからかな? >>596
また変な菅沼認定してるようだけど、>>590に似た事書いてあるように、
君こと織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの菅沼認定は、
特徴バラバラの複数人で、君でさえろくにその矛盾について答える事が出来てないように思われる事とかに、まずは答えて欲しいと思うかな。
ついでに、君って>>591で菅沼認定厨さんとかを知らないように書いているように思うけど、そんな書き込みをするって事は、やっぱり君はそうやって、菅沼認定を知らない人になりすましてるだけだった、という事に解釈するしかないように思うけど、どうなの。 >>602
別にそんな事ないでしょ。
第三次伊勢長島、越前一向宗攻略、岩村城の戦い、をはじめとして、信長が騙し討ちや虐殺をしてる事例は複数あるように思うのに、
なんでそんな話になるのかと。
信長がやった粛清、騙し討ち、虐殺、の総合は戦国武将でもトップレベルだと思うから、
それで信長をそんな風に書くなら、他の戦国武将なんて聖人君子レベルだと思う。
>>603
単に普通に酷い虐殺だったから、特筆されただけの話じゃないの。
太田だって信長に仕えて、いくつもの虐殺や粛清とかがあった思うし、
そんな特筆すべき事じゃないなら、他の事例のようにさらっと書いたんじゃ。 >>601 >>599
>>583に似た事書いたように、信長の尾張時代の粛清としては、信長公記を読むと協力関係にあったと思しき、
織田信光や織田安房守を粛清や謀殺してるんじゃないかと思うけど。
そんな風に言えるものかと。 信長軍団制説において、
中川重政
原田直政
坂井政尚
磯野員昌
荒木村重
松永久秀
って軍団長に数えてええの?
それとも佐久間・柴田・滝川・羽柴・明智+信忠限定? >>595
そんな事を書くなら、>>577 >>576 >>543 >>545とかで、
軍鑑とかの資料的には、義信事件とか勝沼事件とかも信玄が自分から粛清したわけでなく、
相手側の謀反の動きや計画に対応しただけのように思える信玄を、
よくないように書くのはどうかと思うんだけど。
君が信長の所業をそこまで擁護できるなら、信玄なんか非難される理由なんかろくにないと思うけど。
ああ、君が上記の577、576、543、545を書いた人と別人というなら、これらのレスに対して、
どう思うかも答えて欲しいと思うかな。 >>595
追記として、>>583に書かれてるような粛清が、信長の自発的な意思によって行われたのなら、
>>608にも似た事書いたように、義信や勝沼に対して、軍鑑とかの資料的には受動的な対応のように思える信玄より、
よくないように思えるし、信玄は信長に対しての林兄弟のような立場の家臣に背かれてないように思うんだけど、どうなの。 >>607
その中で与力率いて軍団長ぐらいの立場だったの佐久間の前任者原田とほぼ秀吉の前任者の荒木ぐらいやろ
松永はほぼ協力者やし他は軍団長言えるほど権限ない 信長の場合、特に史料もないのに現代人が信長の所業だと決めつけてる件もあるからなぁ
織田信光や織田安房守、少なくともこの二人は信長にやられたわけじゃないだろう
村重家族の処刑はあれ、当時の人は「厳しいご成敗(成敗あるのは当然だけどね)」って評価
ここでも信長の代表的残酷エピとして持ち出す現代人とはちょっと違うんだよね >>612
織田信光も織田安房守も信長公記を読むと、どっちも相当有力な信長の協力者だったように思えるけど、信光がいなくなった後、その領土や勢力、立場を信長は信光の子息とかに引き継がせようとしてないように思われるし、安房守についても、安房守程の信長の協力者がやられたのに、>>583にも似た事書いたけど、その実行者や、それへの協力者への処罰があいまいなように思うし、どっちも非常に信長が怪しい事件だと思うけど、どうなの。
少なくとも、信長が優しい事例じゃないと思うけど。
>>605に挙げた複数の事例とかを考慮しても、信長が優しいとか寛容だとか、そういう風にするのは厳しいように思うけど、どうなの。 現代の感覚だったら戦国時代の武将に優しい奴なんかいるわけねえだろ
殺人とか暴力とか平気な連中ばっかなんだから
同時代平均の武将の中でどうだと評価しないと意味ないと思うが
ノブがことさら暗殺や粛清を好むだとか残酷だったという評価は同時代に無いようだけど?
少なくとも信玄は悪評が目立つが? >>614
同時代の評価で言うんだったら、資料的には、信長は軍鑑や三河物語をはじめ、人格的評価についてよろしくない評価が多い様に思うけど?
事例で言っても、>>605に書いたような複数の事例とかからして、他の戦国武将と比しても、信長の虐殺や騙し討ちの数とかは多い様に思うし、
これまた上記605にも似たような事書いたけど、信長の粛清数も他の戦国武将と比して多い様に思うけど。 そりゃ守護代の家臣風情が一代で天下人になるぐらいのスピードで急拡大すれば
無理な事も多くせざるを得なくなるし良く言われないわ 最低でも信用おけない史料を根拠に持ち出すのヤメロwwww >>616
だから、普通に信長は苛烈な人間、って事でいいんじゃないの、と思うけど。
>>617
なんで?軍鑑や三河物語をはじめ、戦国時代を生きた人が残した、もしくはその口伝を基にしたとされる資料で
信長は人格的に評価されてなさそうに思われる事は考慮していいんじゃ?
まさか、織田家の人間が書いた信長贔屓の信長公記の評価しか参考にしちゃいけない、とは言わないでしょ? 史料の信憑性の違いも分からないのが菅沼の特徴だしw 史料について考察するスレで起こったこと
勝頼スレで信長の持ち上げにイラついたIDが長文で書き込む
(内容は史料の信憑性の違いが分かってないという馬鹿な内容)
↓
意味の無い長文と馬鹿にされまくるw
↓
突然菅沼本体が現れ、スレを荒らし始めるw
↓
第三者のフリして菅沼を擁護する奴もなぜか現れるw
この流れ笑ったwww >>613
まあ短く言っちゃうと
当時の人が「信長は優しい人」って言ってるよ >>621
短すぎて何が論拠なのかわからないけど、>>615や>>618にも似た事書いたように、
軍鑑や三河物語といった、戦国時代を生きた人が書いた、もしくは残した口伝が基とされている資料でも、普通に信長は人格的によくない評価を受けてると思うけど、そこら辺どうなの。 >>619
またそうやって、織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの君が、
議論的に厳しいと思しき状況になったからと言って、
>>590にあるような感じで、IDコロコロや複数回線で多数を装いつつ、
君自身が特徴バラバラの複数の人々に認定をしまくっていて、
君自身でもその矛盾にろくに答えられてないと思しき、
菅沼認定をしていく必要はないと思うし、そんな事を書くんなら、
ちゃんと論旨で反論した方がいい様に思うけど、どうなの。
君がどんなに書いても、僕は菅沼なんて言う名前じゃないし、認める事もないと思うんだけど。
>>620
上記のように、僕は菅沼なんて言う名前じゃないし、
そのスレでも君が菅沼認定してる人々は特徴バラバラの複数人と思しき人達で、
君はいつものようにその矛盾について聞かれても答えられないでいたように思うけど、
それでそんな事を書くのはどうかと思うけど、どうなの。 >>624
だからさあ、>>590にあるように、IDコロコロや複数回線で多数を装ってるつもりなのか知らないけどさあ、そうやって抽象的に書くんじゃなくて、ちゃんとした論旨で書いてくれないかな、織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さん。 信康切腹は家康の意志と判明してるのに、信長のせいにして改竄してる三河物語とか菅沼って本当に馬鹿なのな(笑) >>626
また>>590にあるように、IDコロコロや複数回線で多数を装ってるっぽいけど、
文体も口調も言ってる事も毎度毎度同じように思うのに、そんな事する意味あるの?と思うけど、
その菅沼認定とかするんだったら、同じく上記590にもあるような感じで、君が特徴バラバラの複数の人々を菅沼認定していて、その矛盾に答えられてないと思しき事にも、ちゃんと答えて欲しいと思うかな。
どんな2次資料にだって、属した勢力や立場によってある程度の作為とかはあるでしょ。
信長公記だって、志賀の陣で朝倉浅井が不利だったかのように書いていると思うし、君の理屈だと信長公記も使えないでいいのかな。
完全無欠な2次資料なんてないから、総合的に考慮して、使えると思う所を使うのが普通なんじゃ。 ✕ 総合的に考慮
○ 菅沼が都合が良いように脳内変換した >>628
また>>590にあるような感じで、IDコロコロや複数回線で多数を装ってるっぽいけど、そんな事を書くなら、>>627にあるような菅沼認定の矛盾とか、
信長公記の事とかについてとか、答えて欲しいと思うかな。 >>607
>>610が言う通り原田と荒木ぐらいだね
中川と磯野は柴田と同等の厚遇を受けた重臣であっても軍団長ではない
まあ中川は弟に連座して失脚しなければ、軍団長になるチャンスはあったかもしれない
坂井も長生きすれば軍団長になれたかもしれない
松永は下に与力付けてもらうことがないから軍団長ではない >>629
本当に>>590にあるような感じで、IDコロコロや複数回線で多数を装うのが、
しかも文体や口調ややってる事まで同じような感じでやるのが好きなように思うけど、
>>627や>>630で聞かれてる事に答えて欲しいと思うかな。 菅沼しばらくまとめサイトにも来てなかったけど入院でもしてた?
いい年なんだから体を労れよ
20年くらい前からいるから若くても40、50くらいだろ
早く寝たほうがいいぞ >>633
だから、僕は菅沼なんて言う名前じゃないって。
いい加減、>>627で聞かれてるような菅沼認定の矛盾とかに答えて欲しいと思うかな。
正直、そんな事を書いている菅沼認定厨の君の実年齢の方が、
君が今書いている年齢なんじゃないかと思うけど、どうなの。 菅沼じゃないなら反応しなきゃいいのに
他の認定された人はほとんど反応していないのに
菅沼認定に反応するから、みんなこのIDは本当に菅沼なんだなって判断するのに それが馬耳東風で処置なしなんですよ。
かまってもらいたんだね。 渡邊大門先生も軍記物や歴史小説を根拠に永遠にああだこうだ言ってくる迷惑な老人の話をしていたがこれか >>636
構わないと谷本や試験会場を襲撃した奴みたいに何やらかすかわからんぞ
>>637
まだ軍記物を根拠にしてるならマシ
菅沼の場合はその軍記物をさらに自分の都合がいいように改竄までするから始末が悪い 学者先生の論説まで捏造なんて大逸れた真似までするからな
ホント迷惑やで 菅沼一族『山家三家に名を連ねる我が家の名を騙り荒らし行為に精をだす不埒者は断じて許すまじ』 なんjでも昨今の信長像が広まっているようでちょっと驚いた。数年前だったら「ただの通説の逆張り」とかただ喚くヤツが何人かいたのに… 呉座さんの中世の陰謀論を論破した新書は面白かったな
信長を安倍とか言ってた人も本能寺朝廷黒幕説は一定の評価をしていたけどイエズス会黒幕説はボロカスに批判してたぞ >>644
黒幕説がそもそもおかしいからな
主犯は信長を裏切った明智光秀であり、光秀の子孫が悪名を避けるために
いろいろな黒幕を作り黒幕のせいにしているだけだからな そもそも欲望のために殺し殺されなんて当たり前の時代なのになぜ明智光秀だけ隠された陰謀とか動機とかを探りたがるのか分からん
正義とか法に照らし合わせて行動したがったのなんてノッブだけやん
誰かが隙晒したら欲望丸出しで襲いかかる連中が大半やん 明智なんたらさんの家康黒幕説は念入りにフルボッコにしてたな
相手側もこれまでの研究をディスるような煽り文句を入れたりしてるからまあしょうがないわな 呉座は研究はまともだが人間的にくそ
明智は著作が論考以前のくそ 信長に長年従属してきた家康が信長を反面教師にして幕府を作り270年の太平の世を築いた 秀吉も家康も身内以外には大軍を任せなかったとか?
まあ信長の時代はまだ四方に敵を抱えていたからしょうがなかったんだけど なにも信長の代で天下統一する必要はないんやし
一族重視でゆっくり行けばよかったんやで 本願寺を降伏させて以降は明らかに信長の支配の仕方に変化が見えてる
畿内や尾張美濃などで大規模な城割、検地が始まってたし、四国支配の方針変更で信孝を引き立てようとするなど畿内やその周辺に一門や近習を配置して集権化を進めようとしてた アレな論考をメディアに乗せてる大門や
よく知らん時代に口出ししている本郷などに比べればまだ呉座のほうがましだな 研究者としてはマシだが人間としてはダントツの最下位 義昭を追い出してからはノブは名実共の天下人になってたんだから政治機構を自分なりに変え始めるのは当然 >>657
人間性がどうであろうが、研究内容がまともならいいんだよ
俺は宗教本読みたいわけじゃない
どんなに人格者であろうが、内容がクソならそいつはクソだ 半農兵からの脱却は結構な大名がやってたけど
家臣を土地からほぼ完全に切り離して土地に応じた軍役無くす代わりに与力大量に付けて戦わせるのは当時の感覚からしたら革新的だったろうなあ >>654
信長の構想ならあと3-5年で完全に戦乱は終わる予定だった
根拠は滝川への手紙 半農兵はいるぞ
一領具足のような事例は日本では珍しくない 半農兵自体が元々武士の戦力では例外的だが
土地からほぼ完全に切り離された家臣とはいったい? ちなみに、菅沼認定厨に構ってしまう
荒らしさんは、菅沼認定厨を装って
レスバトルの自演をやった過去がある。
菅沼認定厨側がID変えてレスした演出で
荒らし側が「君はIDコロコロなんだ」と
ツッコミ入れて既成事実を作り、
ワッチョイ導入しても菅沼認定厨が
他人を装って荒らすから同意しないと
自作自演の言い訳を作っている。 信長って今で言えばプーチンとか習近平みたいな奴じゃん 成蹊大学名誉教授の池上裕子先生のお言葉
@「(信長は)支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしていくかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う」
A「(信長に抵抗する者は)たくさんいた。戦国大名、一向一揆とか。なぜそれほど抵抗が大きかったのか。室町幕府の全国支配がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる。各地に地域権力が生まれ、農村では村という共同体が成立していった。いろんなレベルで地域社会ができ始めていた。信長は外から、それをどんどん壊そうとした。だから地域の人たちは強く抵抗した。信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった。そう考えないといけない。「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」と評価を下す人が結構います。支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと。それは違うと思う。信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった」
B「(人物叢書「織田信長」の自書で、信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘したことについて)信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長自身がやったことはありません」 信長は石高制を採用したと言われるが、実はそんな史料ないらしいね。 畿内近江の史料見ると普通に石高制で対応してるぞw
基本的に信長が支配する以前から石高制だったとこはそのまま石高制
貫高制のとこは貫高制だから
制度を無理やり変えようとせず村の自治に任せていたような感じ >>673
名誉教授様はそんなことはしてないと言われています
信長はただの無能です 人物叢書「織田信長」って故安倍総理批判してる本だろ
歴史書籍でそんな政治活動してる辺り学者としてはもう終わってると思う >>677
名誉教授様はそれ以外でも多くの著作を出されています
もっと学習しましょう 極めつけのクソ本出しといて他の業績とやらで穴埋めできるのかね 池上先生は多くの著作を出されて歴史学に大きく貢献されています 池上先生の「織田信長」は
歴史学の権威といわれる丸島教授も
「やっと信頼できる織田信長の伝記が出た」と
絶賛した最新の歴史学術本なんだが? 年取って左翼脳の側面が強く出て老害化してきた学者ってだけだろ 学者の著述や意見は一般人より信頼性が高くなる
高くはなるが出鱈目な学者もそれなりに多い
そこを見ていかないといけない 素人やから池上先生をよく知らんけど「だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった」
これおかしくない?
信長と秀吉がまるで同じ条件からスタートしたみたいに言ってるし
池上先生って信長が尾張時代どれだけ大変な状態からスタートしたのか知らないの?
ゲームでも家督相続の信長と、本能寺の秀吉は比較にならない勢力だし 池上裕子ならこのスレがあるだろ
信長は過大評価という学者の言のレベルはこんなもの
ttps://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1609481175/
>>686
この本では尾張時代のことはほとんど触れていない
良質な史料無いからある意味仕方ないとは思うが。 >>687
良質な史料無い
確かに信長公記首巻も尾張時代はおかしいけど
だから触れないのっておかしい
触れてないのにこんなこと言ってるなら身勝手な学者だ >>687
こんなスレあったのか……
というかネットで調べたら池上の著作は賛否両論だな https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1609481175/ https://www4.nhk.or.jp/hibiki/x/2023-01-08/07/66552/4829750/
1月8日日曜
NHKFM 午前7時20分~ 午前8時10分
吹奏楽のひびき 吹奏楽で描く戦国武将
「夢幻の如くなり」
広瀬 勇人:作曲
(指揮)加養 浩幸、(吹奏楽)土気シビックウインドオーケストラ
(6分46秒)
<フォスターミュージック FMCD-2002>
「蒼き三日月の夜」
樽屋 雅徳:作曲
(指揮)加養 浩幸、(吹奏楽)土気シビックウインドオーケストラ
(8分13秒)
<フォスターミュージック FMCD-0012>
「竜虎相克 ~川中島の戦い~」
田中 賢:作曲
(指揮)田村 守、(吹奏楽)陸上自衛隊東部方面音楽隊
(28分56秒)
<ジーベック音楽出版 XECC-1010>
https://www.nhk.or.jp/radio
NHKのネットラジオ 乱丸と一緒に落ちのびて北前船で唐朝鮮へ行きましたw >>684
消したってことは池上の著書がダメって気づいたからじゃないの?
読んでみたけど、信長が検地してないとかめちゃくちゃ書いてたぞ
農民に見向きしてないとか
池上は尾張とか大和で信長が検地していたの知らんのか?
しかも秀吉は検地して良い君主みたいに書いてるし
あいつの著書やばいぞ >>695
逃げて逃げて大声出しながら叫んで泣いてたとかありそう