信長は過大評価という学者の言のレベルはこんなもの
「織田信長」(人物叢書)を出した池上裕子という学者。
成蹊大学名誉教授だというが、この大学って大したことないの?
以下に池上の「織田信長」論を記す 皆自分のことしか考えてなかった乱世に割と本気で中世室町時代の秩序を回復しようとクソ真面目に行動してたっていうのは斬新?なんじゃないか
クソ真面目で神経質過ぎて自分の思う天下静謐に合わない勢力を徹底的に叩いてたらいつの間にか大勢力にって感じ? 信長公記や一次史料や高木氏、本多氏の経済と貨幣の本などを読んでいれば
池上氏が言ってることに疑問符だらけになるのが普通
それに疑問を抱かなくて盲信してしまう奴など基本的にニワカ知識しかない そもそも当時の人は信長を先進的とか斬新とか言う言葉では評価してないな
彼らの信長評は聖人、恩徳ある人、偉人、武勇秀でた人、優しい人・・・だっけ
つまり史料無視の学者達が嘘撒き散らしてきたが、最近になってその嘘を学者自ら回収し始めたってだけやろ
池上氏も回収員の一人なんだが、信仰心まで妙に混ぜ混んじゃっておかしなことになってる >>770
信長みたいな三下(身分的に)が天下を仕切る時点で室町体制の崩壊なんでは >>773
義昭が室町将軍の慣例に従わないで謀叛した挙げ句職務放棄して逃げちゃったんだからしゃーない(信長目線では)
信長にとって天下人とは朝廷に厚く奉仕をして天下五畿内の静謐を保つのが務めなんでしょ 義昭がいたとしても信長のような馬の骨が実質的な権力者になる事自体が室町体制の破壊って事でしょ >>753
秀吉家康による米さえ作ってりゃいいっていう石高制のせいで他の産業が育たず万年貿易赤字になったんだよな
茶の栽培にでも力入れとけば欧州相手にボロ儲け出来たのに 天下人が朝廷を保護して畿内を取り鎮め、地方の有力大名にはある程度の自治を認めるが天下には従順であること
それが室町時代の理想の体制でしょ 信長は中国四国北陸関東にも兵を進めてるし九州の争いにも口出してるし畿内の平定にとどまってないだろう >>774
その天下布武の考え方も最近になって勝手に解釈されただけの話 そもそもこの池上って女、安倍晋三を織田信長とそっくりとか言ってた奴だぞ
こんな奴の著作なんか当てにならん ワイには安部元首相とノブさまの類似点が何一つ見つけられないんだが >>776
石高制関係なくもとから貿易赤字状態だ
あと茶で儲けるのは中国産に質量値段で勝てないから困難だと思う 親父の位牌に抹香を投げつけたと言われるのが信長、
親父の危篤時にゲームボーイをしていたと言われるのが安倍。 現代日本で8年総理を継続できた安倍さんの方がはるかに功績は上。 池上論だと安倍元が各省の方針やコロナ対策・経済政策もやらずに国税庁に来ていきなり音頭取り出して
検地(今でいう国税庁の脱税などの税務調査)してたら
池上的には安倍元は国民をこき使わない国民と向き合った政策してたって事になるんだろ? もっと単純に
安倍のおかげ(←実際は何もしてない)
信長のおかげ(←戦争に明け暮れて農民に対する政治は何もしてない)
だろ >未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
>ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。
これ、完全に同意
安倍とそれを無批判に受け入れたせい日本人のせいで日本は没落が早まった ところで石破が私は光秀とか言ってたの、もしかして池上婆の影響?
政治家にまでその発言が知られるほどの学者とは思ってなかったけど >>794
時期的にそうかもね
石破って下手な発言するオッサンやと思ったもんだ 麒麟は本当にゴミ大河だったな
最新の研究を反映と言ってたくせに駒とか東庵とかのオリキャラがウザいくらい出て
光秀の謀反の理由をネットのwikiに載ってるような信憑性ない陰謀説全部を闇鍋状態でぶち込んだだけの投げっぱなし
闇鍋と本能寺で無駄な信長無双したからか尺が足りなくなったのか山崎の戦いはナレ終
その挙げ句、光秀生存したかのEND
控えめに言ってゴミ >>796
信長の功績を濃姫や光秀に分ける事で
信長の最新研究を少し加えた事と併せて優れた信長下げ作品にはなっとるな >>776
鎖国して国内産業育てたおかげで
徐々に国産絹や陶器磁器が海外にも輸出できるようになって
幕末にはアヘン戦争太平天国の乱で中国の絹茶の生産地にダメージ
同時期欧州は蚕の病気で蚕が壊滅、これで絹がガンガン売れた
まあそれでも貿易赤字だが。
秀吉家康期じゃ産業育ててぼろ儲けは困難。 麒麟は配役から、秀吉が走って大返ししてくるのを期待したんだけどね >>798
秀吉家康時代の事かと思えば幕末の状況を語るとか
なんとも中身のないレスよ 最初のあたりで鉄砲にかなり時間さいてる時点で「?」だった
鉄砲って別に明智光秀に特有なもんじゃないのにさ >>783
中国に品質で勝てないとか言ってるが、秀吉家康期ってヌルハチが台頭してそこから60年くらい戦乱が続く
明なんて清との戦いや大干魃と長い戦乱の疲弊でボロボロになった挙げ句、最後は農民の反乱の李自成の乱で滅んだり
中国全土は荒れに荒れる時期
明時代から清の康熙帝時代まで海禁政策してて康熙帝が1684年にやっと海禁を解除 >>801
斎藤家の家臣時代を長くやったかと言えば義龍はナレ死
その息子の龍興は無かったことに
本能寺の原因で新たに発見された斎藤利三と長宗我部関連やると思ったら何にもやらず、wikiに載ってるようなカビが生えたような逸話集を垂れ流しただけ
信忠とともに討死する道三の忘れ形見の斎藤利治も無かったことに
そんな扱いなら斎藤家に尺を取るな 検地は同時期に各地の大名が行っている
むしろ北条などで竿指検地の導入も始まる一方
織田支配下の一部では指出検地すら実施されておらずこれも近年指摘される信長の旧態的な内政の一例
柴田勝家の越前における「刀さらへ」は豊臣政権の刀狩とは大きく性質の異なるもの
信長の資金稼ぎに関しては堺への「矢銭二万貫」に象徴されるような
上洛以降に強まる畿内一円における際限なき課税(ちなみに矢銭を拒否した尼崎は市街焼き討ち)、
朝倉滅亡後には朝倉に協力していた座すら保護しての座役銭の徴収といった旧態的な方法こそが大きな源泉となった
ちなみに本能寺の変の後、明智光秀が行った最初の政策は三好氏が廃止し信長が復活させた京の地子銭の再廃止
だけど現在の社会でも政界とか見ていると
別に革新的な政策とかではなく
既得権益からの献金やら集票で成り上がってきた政党とかもある訳やん 北条の一部でやっている政策を、織田家の一部ではやっていないという指摘に意味はあるのだろうか? >>805
西国より東国のほうが先進的な政策を実行してたみたいな指摘じゃね 伊勢新九郎の代から検地始めた北条家と
信長の代から検地始めた織田家で差があるのは当たり前 >>804
検地なんて農民の隠し田畑を暴くだけで大した政策ではないのに
過大評価するアホの多いこと >>807
ただの詭弁じゃ?全体で比較するんじゃなく、
北条家の一部の先進地域と織田家の後進地域の一部の比較だし。
これだと、織田家で竿丈量地やってる一方、
北条支配下の一部では差出検地すらしていないって書くことだってできる。 上で池上擁護してボロクソに論破された阿呆が帰ってきた? >>1
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652 >>1
●「楽市楽座」の実態
織田信長の「楽座」令とは座の廃止どころか座を認めた上で税を軽減するという座の優遇政策だった
朝倉氏の滅亡後、朝倉の庇護下にあった座を織田氏が安堵した史料も残る
実際の座の廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた
そもそも「楽市楽座」の通説は皇国史観で悪名高い戦前期歴史学の権威・平泉澄が捏造したもの
そして「鎖国」や「士農工商」同様、史実と大きく乖離した内容が歴史教科書に載ってしまった
関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けの「京の七口」が存続しており
琵琶湖においては堅田衆の関税を織田に上納させていた
こうした信長時代に存続した商業関は豊臣政権の時代に廃止が進んだ
明治以降の薩長史観や井沢元彦の歴史ファンタジーで定着した「織田信長=既得権益と戦い新たな時代を築いた英傑・天才」という史観は近年の歴史研究の世界ではもはや時代遅れ
むしろ「最初の天下人」こと三好氏凋落後の畿内における既得権益との癒着や支配地への過酷な課役、京の地子銭の復活など前時代的な方針こそが織田氏の権力拡大に多いに寄与したとされる ●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料
(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員できたのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する北条氏の百姓動員令のような事例は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の主な仕事は普請等で直接戦闘に参加する事は少なかった。 ●信長の肖像画
織田信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)がポピュラーで教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)が採用されてきている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://star.ap.teacup.com/tensi/timg/middle_1308435680.gif
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。 フロイスの評価通りなんだろ
真面目で公平で正義感が強くて、そして戦争に強かったから天下を取れたんだよ なるほどな
なんでその当たり前が語られなかったんだ?? >>819
歴史学者はなんだかんだで西洋資料を忌避してるからじゃないか?
ただの読書になっちゃって学者気分が味わえない、
分からないとこは外国語学者に聞く羽目になるし >>821
でも日本側の一級史料の信長公記の評価と一致してるじゃん >>818 >>821 >>822
普通に信長公記とか読んでも、信長が謀略とか粛清の多い人である事は伺えるように思うし、信長や織田勢の敗北はいくつもあるように思うし、他の資料とかを考慮してみれば、とても君がいうような評価にはならないように思うけど、どうなの。 >>823
ヨダレ垂れ流しながら書いてそう
キモい文章だな >>824 >>825
また変な事書いてるようだけど、実際には、信玄西上の時には、武田と包囲網勢力の方が総和的に織田徳川を上回ってるように思うし、信長も信玄を警戒してたと思う。 >>827
まじめな話として、>>352とかにも書いてるように、僕は菅沼なんて言う名前じゃないし、
その菅沼認定厨さんは、上記352にも書かれてるように、IDコロコロや複数回線で多数を装いながら、
上記352とかにも聞かれてるように、複数の人々に菅沼認定をして、
その矛盾とかにまったく答えられてないように思うのに、それで僕を菅沼とか言ってもしょうがなくないかな、と思うけど、どうなの。 元々構って欲しくて否定された自説を
延々と繰り返す人のスレだものね 信長が明確に謀略を用いたことなんて数えるほどだろ
大体河尻秀隆か丹羽長秀がやってる あちこちのスレにクラスターやらかしてるな
見境が無くなってる >>831
また変な事書いているように思うけど、このスレと同様に、
菅沼認定厨の君が変に思える事を書いて、それに僕とかが反論してるだけに思うけど。
菅沼認定厨の君自身が勝頼スレ37とかで指摘されてるように、IDコロコロや複数回線で
多数を装ってる可能性が高い事は指摘されてたように思うけど、
君の言ってる事は、君がそうやって多数を装って、多数の書き込みをしていると思しき事はよくて、
相手側が反論をしていくのはよくない、みたいに言ってるように思うけど、どうなの。 >>826 >>828
あれ?なんで君は僕の書き込みと思しきレスをコピペして、そんな妥当性の考慮もないように思われる形で提示してるように思うけど、
それって>>832にも書いたように、菅沼認定厨の人がIDコロコロや複数回線で僕になりすましをして、
相手側がコピペをしてる、っていう事にしたい、具体的には、>>827のようなレッテルを貼りたい、と
思ってるように思えてしまうんだけど、どうなのかな。
>>827
僕はそんな妥当性もないような感じで自身の書いている文章をそのまんまコピペとか、まずそんなにしないと思うんだけど、
君は何を書いているのかな?という事について、答えて欲しいと思うかな。 >>824
謀略や粛清をしてるからと言って、業績で英雄じゃない、っていう事もないと思うけど。
>>825
まったくそんな事ないけど。
なんでそんな変な事書いているのかな、と思うし、言いたい事があるなら、論旨で書いて欲しいと思うかな。
>>830
そうかなあ?弟を粛清したのとか、志賀の陣で朝倉浅井を和睦で騙した事とか、
伊勢長島を騙した事とか、秋山とかを騙した事とか、
佐久間をはじめとして、家臣達を何人も過去の事を持ち出して粛清してたりとか、
そういう事は普通に信長がやってるように思うけど。
家臣がやった謀略も、信長が指示や承認してやらせた事なら、普通に信長がやった事扱いでもいいと思うけど。 >>833
の
>なんで君は
は
なんでか君は、に訂正をしておくかな。 >>831
過疎板って大体そうだよ
人がいるスレを手当たり次第に荒らすのさ 池上裕子は著作見てると研究対象を極端に憎悪して分析結果に反映させてしまうし
駄目な研究者の見本みたいな人なんだよな 史料も充実してるしレベル低いってことはないだろ
駄目なのは著者の左翼思想に基づく結論だろう >>847
充実してる?
あれ読んだけど「公記」を真っ向から否定しすぎてる
それに池上は信長が尾張とかで検地してたの知らないのか?
あと、信長は尾張美濃の出身者を重用したとあるけど、明智とか
出自が曖昧な奴らも結構いるのにどうやって割り出したのあれ?
あと、なぜか桶狭間からスタートで尾張統一はスルー
尾張統一で信長がどれだけ動いたかも語らずに信長は〜
なんていう事態お門違いがすぎる 自分の政治思想を信長を利用して表現するとか学者と言っていいものか >>849
> 自分の政治思想を信長を利用して表現する
それは良いんだよ。
意識するにせよ無意識にせよ、独立人格が何かを発信するという行為は既に何らかの思想や価値観の表出であることから免れ得ない。
学術論文から場末の落書きまで一切の例外は無い。
だからそれは構わない。
池上の問題はそこには無い。
事実の誤認や歪曲、恣意的な抓み喰い、考察の浅薄さ、等々職業人として稚拙過ぎるということこそが問題だ。
簡単に云うと、度し難い愚者だということに尽きる。
逆に聞くけど織田信長の伝記で良著ってなにがあるんだ?
谷口先生はもういらっしゃらない。
桐野先生は10年ぐらい前に書いただけ。
柴先生や金子先生はまともに信長を書いていない。 >>852
むしろ織田を専門に研究「していない」学者に書かせた方が良書になるかもな。
ただ、人物中心の伝記なんてものは最良のものでさえ所詮は講談の域を出ない。
中世後期の社会構造論の中で「偶々そこに存在した要素」を表す単なる記号として「織田信長」なる固有名詞を出す方がよっぽど本質に迫れるだろう。
織田を専門にしない学者が書いた結果が
池上先生の「織田信長」なんだよな。 >>855
というか池上、織田信長を利用して安倍晋三を
批判してるやん
無能すぎる 楽市楽座
兵農分離
三段撃ち
信長の業績ってだんだんメッキが剥がれていくよな 革新性がなくなっていく度に素の能力が上がって行く感じやね >>857
そんな目先じゃなく当時の最適解を導き出してるのがとんでもないんだよね
領内の経済を安定させる金融政策や恐ろしい数の鉄砲を揃えられる生産力の向上を実現させた施策がどれだけ頭いいのってなる 革新性がなくなった結果
ただの戦争に超強い政治もできる偉人であることが判明した織田信長 >>860
池上裕子はそれも否定してるぞ
たった8年で統一を果たした秀吉こそが偉人なんだと 信長を安倍晋三やヒトラーに例える無農薬の話はいいです 信長や秀吉を評価しないのは無理がある
本能寺時点ではジリ貧の毛利、瀕死の上杉、他は残党が無駄な抵抗をしていたくらいで
東北から九州まで田舎豪族でさえ安土に貢物を持って必死に信長のご機嫌取りをしていたからな
当時の人間はみな信長を天下人であると認識していた
その信長が評価できないと言うなら他の武将は無能か白痴かという話になる 実際に朝廷は信長に右大臣の官位を送ってるからな
斯波の陪臣だった織田弾正忠家出身の信長にだぜ?
並外れた実績と貢献を当時リアルタイムで信長に接していた人達の評価の程が伺えるだろ
信長は過大評価ではないと言い切れる答えになると思うが そりゃあ信長も秀吉も信玄・謙信らと並ぶトップランクの武将だよ 並ばないだろ
信玄や謙信は地方大名の域を出ない
せいぜい国を3つ4つ取って地方の覇者となるのが限界 >>865
朝廷の評価
織田信長 正二位右大臣
武田信玄 従四位下
上杉謙信 従五位下
勢力範囲も信長は畿内を支配する「天下人」
武田上杉は地方のわずか数カ国の守護でしかない 謙信は関東管領職の地位もあるし短期とはいえ関東全域に勢力を伸ばしたから信玄より上の扱いでいいのでは 池上っていうのは本当に学者なの?
今は亡き谷口先生と比較すると余りに低レベルで驚いた
谷口先生みたいに史料を提示してないし