【早雲】後北条家総合スレッド 其の七【氏直】
北條善政伝説が形成され始めたのは対長尾戦争よりも遥か以前、伊勢宗瑞や北條氏綱の頃とみられている。
恒常的な飢饉や頻発する災害を背景として年貢の減免交渉に真摯に応じたこと、国主権力体が直接かつ明文規定に拠って対応したことなどがその伝説のコアを成していると考えられる。
そもそも論を云うと、
気候変動と地殻変動の激化による危機に際して無力無能を晒した室町体制=複線/複層統治構造に対するアンチテーゼ群の試行錯誤が「戦国」なる社会運動の実体だった。
そしてその典型事例の一つとして北條は在った。
この危機の中で領国の立ち行くような権力体系を確立すること、換言すれば室町体制とは異なる統治論理を具現化することが北條のアイデンティティだったわけで、それが「善政」と評価されたのは純然たる結果論に過ぎない。
そもそも他の大名の領国でも特に統治に差があったとは思えない
例えば室町体制を最後まで守ろうとして北条と対立していた佐竹も善政で知られていて400年経った今でも慕われているが
話の内容は北条と極めて似ている
だが戦国末期の関東は災害が多発して飢饉も発生し領民の暮らしはかなり苦しかった事は間違いない
それに加えて北条も佐竹も毎年のように戦を繰り返していたから賦役と年貢の負担はかなりのものであった事も疑いようがない
これらの善政伝説は江戸時代以降に語られるようになったもので
逼迫した江戸時代の諸藩の暮らしに対するアンチテーゼとして生み出された虚構に過ぎない >>297
> これらの善政伝説は江戸時代以降に語られるようになったもので
そう思いたい人にとっては甚だ遺憾なことではあるが、同時代史料にある。
本当に「善政」だったか否かは知らず、
「善政と評価されていた」ことは否定できない。
他國と北條の統治体系に差があったか無かったか、史料や研究論文を当たった上で貴君自ら判断されたい。
また関東の在地の荒廃は戦国末期に特に顕著だったわけではない。
遅く見積もっても享徳ノ乱の当時から荒廃を極めている。
その状況下で前代の統治者が十分な対応を取れなかった事実が北條善政伝説の前提になったことは想像に難くない。
また佐竹が室町体制を固守しようとしたとは初耳だ。
室町体制そのものの内訌を克服して「戦国大名」化を果たしたからこそ北條との間に実体利害の矛盾を生じて対立に至ったわけだし、
永年に渡って北條に対抗し得たのも佐竹が戦国大名だったからに外ならない。
佐竹もまた北條とは異なる形で旧秩序へのアンチテーゼを提示していた。
それは彼等に自覚があろうと無かろうと、客観事実として動かない。 >>298
それは全く違うよ
佐竹は戦国大名ではない
室町体制の中で洞中という新しい支配体系を構築していた
これはあくまで室町体制の延長でしかなく関東公方という権威が不可欠なものであるから擁立に最後まで固執した
里見、結城、宇都宮など他の関東衆にとってもこれは同じ事で
結局これが原因で長尾上杉と決別する事となる
北条の善政も伝説でしかない
北条は早くから検地を実施していたので領民の負担はとても大きいものであった
室町体制下の年貢などはザルで百姓がいくらでも誤魔化しが可能であったからむしろ北条支配以前の方が生活が楽であった
実際、北条家の検地帳とそれに関する覚書が実在しているが大幅な増税が記されている
隠田や年貢滞納は死罪とする厳しいお触れも出しているし免田であった土地も年貢の対象としている
その結果、北条領内では百姓による年貢の拒絶や一揆、逃散が相次いでいる
特筆すべきは百姓だけでなく地侍までも国外に逃亡している事だ
年貢が完納されない場合は徴収役の武士も連帯責任となっているのでそれを恐れて正に村ぐるみで逃亡した 黒田基樹によれば北条氏康時代に民衆が他国に流れるのに歯止めが止まらずまだ働き盛りなのに氏政に家督譲って徳政令やったってさ
善政してたのに民が他国に流れるのわけがない
借金無くすからなんとか出て行かないでとやって引き止めてたのが北条 いくら善政敷いてても、大水害で飢饉が起きたら仕方ないわな 後北条の善政を否定するなら、
まず4公6民を否定するソースを出せよ。 根本的なところから学んだ方がいいよ
そもそもそこで言う年貢というのは田畑など収穫に対して課されたものであって税率ではない
税はその他にも様々なものに課される
代表的なものでは棟別銭や夫役などであるが北条も棟別銭、陣夫、城米などたくさんの課税をしており総じて見ると税率は6割を超えている
しかも滞納すれば打首か妻子牛馬の召し上げという時代劇の悪代官のごとき厳しい処分であったため国外逃亡する者が後を断たなかった
これは北条が滅亡するまで慢性的に続いている 信虎、謙信、信玄に国内侵入許し荒らし回られても引き籠もって撃ってでない
思う存分暴れられてからやっと形ばかりの出陣するもボッコボコにやられ和睦する
領民からすりゃこんな大名に税金払いたくないわ
お前ら数年に一度中国が日本荒らし回って日本政府に不満持たないのかよ
そりゃ領民も逃げ出すわ 一つか二つで止めときゃいいのに調子に乗るから段々見えてくる尻尾 百姓「あと三日!あと三日だけお待ちくだせえ」
代官「ならん!ならん!払えぬのなら女は貰ってゆくぞ」
百姓「それだけはご勘弁くだせえ!」
代官「ええい!邪魔立てするなっ」
バサーッ
百姓「ぎゃああああ」
娘「いやあああ!」
北条領内の日常 上杉謙信の関東遠征は表向き義のためとか言ってるけど本質は略奪軍だったらしいよ ちゅーか真面目な話謙信、信玄が国内略奪放火しまくってるのに迎撃しないの領民からしたら糞大名だからな
税払った見返りに守らなきゃいけない
家失った、財産奪われた、田畑駄目にされた
これ全部北条が弁償したとは到底思えないんだよな
4公6民程度で名君呼ばわりする奴いるけどさ。もし中国がしょっちゅう攻めてきて日本の家、工場、ビル破壊しまくって自衛隊引き籠もって迎撃しなかったら日本政府糞すぎんでしょ
それと一緒 北条は大大名に成長したけど動きが鈍く決戦を避ける行動が多いのが不可解だったけど
北条が出している書状やお触れを見るに領民とその代表である地侍との関係が上手くいっていなかったから無理な命令は出来なかったのだろう そうか?
秀吉、家康の転封で余所者が配属されると一揆多発
徳川はまったく一揆起きてないので北条が特段優れてるというわけでは無い
そもそも前線の城で敵を抑えて迅速に軍勢集めて迎撃しない糞大名が人気あるわけがない
何回領内侵入され荒らし回られてるんだよ
しかも謙信、信玄共に上野から相模まで侵入許し居城まで迫られ放火されまくっても迎撃しない
そりゃ民も逃げ出すわ 北条だけなんだよ最初から敵が攻めてきたら迎撃しないでいずれ帰るだろうと二カ国突破許して居城までこられてもまだうってでないで城下までめちゃめちゃにされてるの。
民の家、田畑、財産どうなろうと知ったこっちゃない
織田で言えば浅井朝倉に美濃尾張突破され岐阜城下まで放火略奪されまくってるのに迎撃しないのと一緒
毛利だって備中、鳥取で敵の大軍雪崩込むの防いで頑張ってる
上杉も越中魚津城が本能寺まで粘りそのおかげで生き残れた
北条はヘタレで領民からすれば糞大名 もし日本の隣に地続きの国があって
中国が頻繁に日本破壊しまくって略奪しにきていずれ帰るからと日本政府は自衛隊に迎撃させず政府高官だけ自衛隊に守られ引き籠もってたら
そんな国見捨てて隣の国に逃げるだろ
北条の民もそれと一緒で逃亡しまくってた
なのにゲームのせいか北条は政治100とかわけわからん数値にされてる
民を守らない奴が政治100なわけねーだろ ロシアお得意の作戦ではある
1ナポレオン戦争
2独ソ戦 そんな多民族の戦争と一緒にすんなよ
それは征服されれば死ぬか奴隷にされるか強制疎開させられ強制労働なの知ってたから民衆も死に物狂いで国のために戦った
北条がそれに当てはまるか? >>319
じゃ中国が日本に略奪しにくる話と同じとか言わないでください 暴れてる人の素姓はだいたいわかった 相手にしたら負け >>320
略奪、放火は変わらんだろボケ
お前の言ってるような多民族の戦争がどうやったら日本国内の戦争に当てはまると思うのか馬鹿だねぇ君
それとも謙信、信玄軍はただ通過するだけで何もしなかったと?
北条は敵が来ると迎撃しないで民の家が放火略奪されてるのに引き籠もって引き返すの待ってたヘタレ
こんなのが政治凄かったとかアホすぎるわ 多民族間の戦争と日本国内の内戦一緒にしてるアホのことでしょ 政治凄かったのに民が略奪放火されてるのに迎撃しないで二カ国突破、国内縦断を指を加えて見てるだけで安全なところに引き籠もって敵が飽きて帰るの待ってただけのヘタレが政治凄いはねーわ
税納めた見返りに大名は民を守る責務があるのに北条はやらなかった糞大名です >>324
まず、>>317の中国が頻繁に日本を破壊、略奪された時に日本が何もしないのと同じって言う例えにおいてあなた自身が他民族間の戦争と日本国内の内戦を同じに考えてることに気付きましょう
ちなみに>>320の略奪、放火は変わらんと言うならナポレオン戦争や独ソ戦だって変わらんだと思いますよ 名将と言われる武将の殆どはどんなに不利な状況でも必ず敵地か国境付近に打って出て戦ったけど
度々国内に敵を入れて戦う北条は珍しい家ではある 国内に敵を入れてを例えると
危機を感じると引っ込む巻貝に…反撃がないな 亀か
反撃はするからボクシングのブロック、クリンチが上手い選手 上杉や武田が織田にやられて退場したから良かったものの
攻撃に晒され続けていたら北条も内部崩壊しただろうな
領民や配下の不満がかなりたまっていたようだし >>329
氏康ならもっと立ち回り上手かったと思う 本能寺後のあのチャンスに4万近い大軍で上野抑えて碓氷峠通って信濃に進出して
真田とかも呼応したのに結果的に1万程度の徳川軍に負けたって酷すぎね?
しかも信濃も全て失ってるし
ここで甲斐信濃も抑えてたなら250万石くらいあるだろ 滝川と戦った時は珍しく素早い出陣で勝ったけど
その後は結局いつも通りぐだぐだで弱かったな
徳川に完敗して甲信を断念し已む無く上野の切り取りを行う事になったけど、その上野すらも結局は制圧できなかった
そしてそれが北条滅亡の原因になるのだから確かに酷い有様だ
甲信を切り取って豊臣と対峙し有利な条件で臣従し天下取りの地盤を築いた徳川とは雲泥の差がついた >>331
でも氏康時代から悪化したからな
両上杉を倒す事には成功したけど領内は荒れ果てて更に天災と増税が追い打ちをかけて領民の生活は破綻した
それで国中で領民が逃亡という事態に陥って氏康は例の徳政令を出したが
この時、徳政令だけではなく減税処置も行って領民の帰還を促した
しかし結局僅か2年ほどで再び増税を行い数年で元に戻ってしまっている
だから領民の逃亡は収まる事はなく領主までもが逃亡する状態であった
その後も増税を繰り返し天正9年には一揆が起り、逃亡という言わば消極的反抗から一揆という積極的な反抗に変わっていくのだが 甲州征伐の時も結局駿東の国境付近しか切り取れなかったからね 必死に書いてるのに誰も相手にしてくれない→よしそれなら自演だ! 織田に瞬殺された末期の武田に一方的に押されてただけあって北条は弱い >>339
武田と断交して以降甲州征伐まで駿東も上野も切り取れてないとかどんだけ弱いんだよ 関東東北は室町体制が生きていて、そのルールの中でみんな戦っていたけど
北条や伊達はルール無視の何でもありで暴れたからお山の大将にはなれたが
戦国大名化した他の地域の勢力には全く歯が立たなかったんだよな 織田には平身低頭従った氏政が織田より巨大化してる秀吉に逆らった意図が分からんな
そもそも北条自体が秀吉馬鹿にするほど大した家系でもないだろうに >>342
ほんと意味が分からないな
当時の豊臣は織田より地位も戦力も圧倒的に上だったのに何であんなに強気だったのだろうか
領内の統治も不安定だったし
中国韓国北朝鮮みたいな政策だったのだろうか
内政が上手く行かないときは敵を作って国民の意識を逸らす的な 強気の原因
長期の籠城に耐えられ小田原城は落とせない これが一番でしょ
徳川と縁戚 これが二番 交渉は何とかなる
伊達もいる これを当てにしてたら滅んで当然 強気というか面子の問題なんだろうね
徳川以上の自負があるから、妹や母を差し出されたのと
同等の扱いか官位の約束が欲しかった、とかが真相に近そう 家臣の面子もあるから自分の面子だけの問題じゃないよね 逆に言うと謙信の時は関東衆だけでも小田原を囲まれてしまったのに
西国と東海北陸関東まで支配下に置く秀吉は謙信など比較にならないほどの規模で攻めて来る事は子供でも分かると思うのだがね
それで勝算があると考えるのはやはり謎だ
家康についても北条はボロクソに悪口を言って家康を仲介した交渉のパイプを自ら切るような事をしている
この家康に対する態度も秀吉を激怒させた一因になった
伊達についても不可解
仮に伊達が本気で豊臣と戦うつもりであったとしても常陸や下野などに豊臣方の勢力が多数いて通れない
これを攻め滅ぼしながら向かうなどと悠長な事をしていたら何年かかるか分からない
戦略的に伊達との同盟はさほど意味があるものではない
せいぜい北関東の諸将を足止めできるくらいがメリットであろう
家康もメンツがあるから豊臣の情報は詳細に伝えていただろうし氏規も上洛しているのに
あまりにも現実を無視した言動は謎すぎる 伊勢も色々あるので
宗家なら名門だけど早雲は何だか良く分かっていない 織田に従ったのに武田攻めの恩賞はロクに貰えないわ上野は取られるわで懲りたんだろうな >>354
一説によると
領地あげます、従属します
って言っておきながら上洛もしてこない北条に信長がキレてたらしい。
そう考えると名胡桃に対しての秀吉への対応含めて北条って何だかなぁって思える 氏康も武田の駿河侵攻でかたくなに今川側に立って無駄な抗争繰り返してたし
北条も大概な感じはするな
その結果上杉に後の景虎を人質に出して御館の乱で北条と武田が全面抗争になる遠因も作ってるし REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担 >>354
上野は甲州征伐まで武田領だから、取られたというより出遅れて取り損ねたと言う方が正しい 全然関係ない下野の領地も手放す事を強要されているし
武蔵の国衆なんかも織田の臣下に組み込まれてしまっていたので
上野を取ったとしても直ぐに巻き上げられただけだわな まぁ武田にあれだけ押されてた北条だから
まさか武田が1か月で滅亡するなんて思わずに
チンタラしてたのを信長が許さなかったってことだろうね
滝川を上野に入れたのも北条への圧迫だろうし >>65
信長に追放された足利義昭が小田原ではなく鞆に行った理由の一つは
「北条氏は完全な地方政権であるから天下を左右する力はまったくないので」
と言われているな。 著名な戦国大名の殆どは上方へ向って勢力を伸ばそうとしたけど
北条は真逆の北東に向かったという点では非常に珍しい
この事を見ただけでも北条は短絡的で先見性が全くなかったと言えるな 将門といい奥州藤原氏といい
中央政権から距離を置いて独立した勢力圏を成立させようとしたとかロマンがあるじゃないか
結果的にみんな失敗したけどそういう男達がいたと事に熱い思いがこみ上げてくる 勢力拡大したら結局は中央政権と戦わざるを得ない事は子供でも分かる事
だから生き残るには中央を目指して覇権を握るしか無い
しかし北条は目先の領土拡張しか頭になく、北関東の田舎でチマチマといつまでも争っていてタイムオーバーとか
全くもって無駄な戦いだったと言わざるを得ない
関東衆なんてなあなあでプロレスみたいな戦をやっていただけだし、北条の方から喧嘩を売らなければ積極的には動かないのだから
どうせ大志もないなら変な欲をかかずに相模と武蔵の半分くらいを維持していれば生き残れた可能性が高かったものを 家康への配慮もあって秀吉もだいぶ譲歩してくれなのにな
あそこで調子に乗って逆に喧嘩を売る意味が分からない >>368
河越の戦いで返して今川と和睦してるから無意味だったな そもそも今川との関係がこじれて攻撃しただけだからな
上方を目指そうとかそんな考えは微塵もない >>364
鎌倉幕府だって最初は東国の独立政権からスタートしてるからな 徳川家の関東転封で一揆が起きない。
→北条氏は余所者だからどうしようもない。
従来の鎌倉以来とか鎌倉公方以来の国衆 に
比べれば求心力はないから、
いなくなりました→ああそうかいぐらいの感覚だろうな。
我々の感覚だと地元の駅前百貨店が無くなりましただと少なくとも地域ニュースにはなるけど、ジャスコがイオンに変わったぐらいだとニュースにはならないぐらいじゃないかな。
北条氏の善政>
せいぜい実際統治している役人がよけいな負担をさせにくいように制度を整えている程度。
(税負担を分かりやすくするのとかあらかじめ公印が無い負担は認めないとか目安箱ぐらい)
黒田先生か、小野田先生かが税負担は他の大名と変わらないと言われてたから凄い善政とは言えないと思う。
ただ北条氏が旧来の土着勢力より増しだと思われていたからその統治下では一揆とかは起きなかったんだと考えられる。
まあ、一揆の中心に
なる
中央志向>
毛利元就は普段から天下を望むなといっていたわけだから家や場所によると思う。
島津氏や大友氏、長曽我部氏が天下を望んでいるとも思えないし。
>引きこもり
北条氏統治前の関東の庶民には地元が戦場なのはよくあることだからなあ。
大体、相手が上杉謙信に武田信玄じゃ相手が悪い。
滅ぼされないだけましだと思う。
そもそもそんなに北条が弱かったら、何回も対抗できないし、
上杉になびいた他の国衆に滅ぼされているだろうな。 追加
一揆の中心になる国衆は北条が排除しているせいもあると思うけど。 戦国最弱なんて言われてしまっている小田氏治でさえ謙信に攻められた時は侵攻を阻止するために打って出て戦っているのにそんな言い訳は通用しませんわ
武田も北条と同じく上杉と何度も死闘を繰り広げたけど引き籠もって領内を荒らさせるなんて事は一度もなかったし
北条の善政なんてものは軍記物語ネタであって一次資料から見えるのは北条の圧政でしかない >>377
謙信が越後と関東の軍勢合わせて10万くらいで
攻めてきたら信玄でも籠城したんじゃね。 >>378
武田なら先制攻撃しかけたろうな
そもそも籠城する城もないし
10万言うてもゲームじゃないのだから広い平原で10万人と同時に戦う訳ではないし
寄せ集めで統制も全く取れてないので脅威度は低い
名将と言われているような武将は3倍や5倍、中には10倍の敵を破っている武将もいるしな 城に籠るのがまずいなら、どこの大名も何で城なんか作るのさになっちゃうじゃないの。
籠城反対なんて、ドイツ参謀本部や、ナポレオン1世、第一次世界大戦前のフランス軍指揮官なら大賛成だろうけど。
大体小田城は由緒正しい元館みたいなところを改造した場所だから籠ってもなあって感じか否めない。
大体本当に小田氏は土着して長いんだから、それなりに縁者も多いだろうし、
そこがぽっと出の北条氏とはちがうわな。 >>380
その人は毎日後北条を貶さないと死んじゃう病の人だから触っちゃダメ
スルーかNG推奨 籠城てのは圧倒的に不利な状況でとる最後の手段
領内に敵を侵入させる事は最も下策であるから普通は極力回避しようとする
だから名将と言われるような人は常に外で戦った
北条が異常なのは十分な戦力があっても引き籠もる事だ
領民の犠牲を省みない不可解な戦略である
おそらく北条は百性だけでなく配下の国人達に対しても求心力が低くて
決戦に挑むような命令を下すことが出来なかったのではないかと思う
北条の発給した文書を見ると百性だけでなく国人領主も北条の圧政に苦しんでいた事が記されているので 北条って北関東の小領主寄せ集め軍と戦ってもパッとしないもんな
大概は睨み合いになって終わる 上杉謙信が小田原城を落としてたらその後どうなったんだろ逆に混乱? >386
越後上杉景虎が関東管令就任
古河公方は足利藤氏再就任
関東は北条氏を滅ぼすか、完全屈服させた後
関東を安定化させた後、その勢力を背景に
上杉景虎が近衛前久と共に上洛し、畿内を安定化させる。
周辺の敵対勢力は古河公方の権威と関東管令の実力、近衛を通じた朝廷からの勅で押さえる。
という構想だったらしいけど、
下手すると史実の関東進攻の拡大版や大内氏の二の舞になるのでは無いか? >>387
そんなこんなしてる間に武田に関東取られそう >>386
謙信が関東衆を上手く扱えるかどうかだな
それには上手く藤氏を処遇できるかが重要
もしそれが出来たらエグい事になるわ
あの時点で15万くらい動かせる訳だから天下取れる
まあ、謙信にそんな人望も政治力もないから絶対に無理だけど
北条のポジションに謙信が入れ替わるだけで、上杉(関東管領派)対関東衆(古河公方派)の争いになっただけだろう >>390
そうなったら関東衆(古河公方派)は武田と結んで上杉に対抗するだろうね 第一次関東進攻の際に藤氏を奉じているので、そのままならかつての関東管令=古河公方体制の復活で問題無し。
そもそも関東がまとまらなかったのは関東管令=古河公方体制が崩れたのが大きいからここが解決できるなら大体大丈夫。
次に上杉氏内の争い(山内vs扇谷)だと思うが有力な越後上杉が乗り出して来ているのでこれも問題解決。 ここの詳しい人のおかげで関東諸将って扱いクソ面倒臭そうって学べたのは良かった 関東の外交は平安時代から続くしがらみで複雑怪奇だからな
殆どの家が婚姻関係や本家分家の関係にあるので大名間だけでなく家中でも統制が極めて難しい
それに加えて関東府は独立性が高く、将軍家とは険悪で何度も討伐を受けている
関東管領も表向きは関東公方の補佐役であるが実態は将軍家が送り込んだ監視役で関東公方家との仲はすこぶる悪い
それによって関東は将軍派(関東管領派)と関東公方派で真っ二つに別れて争ったが
それは大名単位の話ではなく各大名家の家中でも管領派と公方派に別れて内戦になり
更に関東管領家と関東公方家も分家が乱立してそれぞれ宗家の座を巡って争ったのでカオスと化した 1560頃
関東公方
古河公方→藤氏派、義氏派
小弓公方→頼純
堀越公方→滅亡
関東管領
山内上杉→憲政(政虎)
扇谷上杉→憲勝
北条→氏康