>>187
名胡桃事件を受けた「宣戦布告」の段階でもなお、
「豊臣公儀」側の公式声明は「実行者の処断と北條氏政の上洛謝罪無くば北條を討伐する」だった。
裏を返せばそれが果たされれば少なくとも殲滅まではしない、とも読める。
北條権力体視点で「家」存続を至上命題とするならば史実に於ける北條の運動は確かに不適切だったとは云える。

とは云え、
社会史を俯瞰する視座からは天正十六年八月時点で既に北條の役割は終わっていた。
その先の謂わばノイズの部分で有能無能を論ずることに積極的意義があるとは思われない。
ましてやそれ以上の無意味なifなどは議論に価しないだろう。