>>155
あまりに皮相的な見方だな。
これはシステム、構造の問題だ。

北條は大規模で優秀な戦国大名だった。而して戦国大名でしかなかった。
羽柴は戦国大名の止揚と云う統治原理を掲げる権力体だった。その具現化に足る暴力を保有してもいた。
両者の相対関係は明らかで、要するに北條はシステムとして羽柴に超克されたが故にその退場は必然だった。
本質を抽象すればこういうことになる。
 
毛利にせよ上杉にせよ島津にせよ伊達にせよこの本質は変わらない。
彼等もまた羽柴への屈従といっ形で戦国大名としての役割を終えた。
個々の「家」なる小さな共同幻想の消長など瑣末なノイズに過ぎない。
 
附言すると、
末期の北條も間違いなく「豊臣大名」として羽柴権力体の構造に組み込まれていた。
その為の政治的儀式も確定していた。
これは意外にもあまり知られていないが。
その状態が短期間で終わったことは名胡桃城奪取に始まる偶発事案でしかない。
上に云う如く、正に歴史のノイズだった。