もし武田信玄が今川との同盟を維持していたら 3
というか、信長が家康を飼い慣らしたように、信玄も氏真を飼い慣らしたら良かったんだよ
外交できない武田信玄 一応、駿河侵攻自体は勝算あったんじゃないの
織田家…というより室町幕府と同盟結んだことで、どうにか上杉と和睦できる道ができたし
徳川と共同作戦で今川攻めることもできるようになった
想定外だったのは北条が今川に味方して、越相同盟が成立したことで一度占領した駿河を北条に取り返されたことと
徳川北条が同盟結んで武田を追い返そうとしてきたことと、上杉が幕府の仲介になかなか応じず相変わらず武田敵視していたことぐらいか
まぁ上杉北条あたりは仕方ないとして徳川の立ち回りはまぁまぁ酷い、お前も幕府方なんじゃないのかと 勝算あったというか実際勝ってる
その後12年かけて徳川織田に完膚なきまで火負けただけ 信玄が今川領超えて三河取ったとしても、その後織田潰して尾張美濃取るんなら余り問題
無い様に見えるんだよな。
この流れなら、今川や北条との同盟は維持出来るし、上杉との和陸も今川通して出来るかも。
一時的に飛び地に成るけど、戦力を一点に集中出来るんで史実よりましに見える だから交渉と言うステップを踏まずいきなり攻め込んだのが問題なのよ
交渉して決裂したなら攻め込む口実ができる
今川が押し込まれれば武田は南北から脅威に晒されるんだから
氏真見切って織田徳川と組んでも周囲は納得する
そのステップを飛ばして攻めたから氏康はブチキレたんだろ >>6
氏康は氏真に嫁いでいた娘、早川を辱めたのが大きい。あと、氏真と信玄の間を取りもったのに、駿河侵攻で信玄にぶち壊されて顔潰されたから 今川を駿府から逐った信玄だが、今川が完全に滅亡する前から秋山に徳川を襲わせるとかちょっかい出して、徳川家北条家を同盟させ、一旦撤退するほかなかった
そこから北条、上杉、徳川に囲まれる袋小路に陥ったわけで、信玄の晩年近くに北条と再同盟するまで引きずっている
もっとやり方があったはずだと指摘したい >>5
木曽路ほどじゃないけど、伊那路もかなりの隘路だからなぁ
そもそも三河を取れたかどうか、三河衆の独立意識は相当強いからな >>9
家康には従ったし、三河衆はそこまで強くはない 三河のやつらは主君がやばくなったら躊躇なく裏切るだけさww 仮に上手く話まとめて駿河侵攻した永禄11年末に
三河に攻め込めてもその段階で織田-徳川との
全面戦争に雪崩れ込むだけでは?
仮に今川が付いてくれても結構微妙じゃね? 義昭抱えてる織田と戦った場合、上杉と和睦できる可能性は皆無だぞ
おまけに上杉と和睦したら北条とも関係悪化する
常にあちらを立てればこちらが立たず
武田は領土が貧しい上に列強の真ん中にいるからどうしても苦しくなる >>8
>今川を駿府から逐った信玄だが、今川が完全に滅亡する前から秋山に徳川を襲わせるとかちょっかい出して、徳川家北条家を同盟させ、一旦撤退するほかなかった
順番と因果が違うよ
秋山で揉めた後も武田と徳川は改めて誓詞を交わしてともに今川攻めに当たった
関係が破綻したのは武田が一旦撤退して徳川が自力で掛川落とせなくなり、武田との誓約を破って北条と和睦したから
秋山のせいにしてるのは徳川史観 だから義昭上洛をきっかけにして織田徳川と手打ちにして中央政権に食い込むんだよ
氏真はお前も足利の一門だろがと首根っこ引っ掴んで連れていくw >>2
飼い慣らすことができるなら諏訪氏も梨氏もやってるはず
信玄にはできないんだよなぁ >>15
手打ちにするってなんのこと?
武田の史実の今川攻め自体が織田の義昭上洛作戦と共同作戦
武田は義昭支持して織田と敵対する今川を攻めるという作戦
織田と今川の同盟を仲立ちしろと? 義昭上洛に便乗するんだよ
信玄『俺は義輝様に信濃守護にして貰った恩があるので馳せ参じねばならぬ。ついては氏真殿にもご同行願いたい。お前さんも足利の一門だろう?まさか嫌とは言わないよね?』 秋山じゃなく徳川のせいにする武田史観でもいいんだが
外交下手過ぎて結局徳川史観を織田も採用しちゃったて話 >>18
それ結局織田と今川の仲立ちしろっていうのと同義じゃん
だんだん話が奇想天外になってんな >>14
だから秋山を侵攻させなきゃいいのに、やるから徳川も破ったろって考えたんだろうな >>17
「武田の史実の今川攻め自体が織田の義昭上洛作戦と共同作戦」
んなわけないだろ
三河すら奪い返せない今川に義昭上洛を阻める力なんてもともとない
そもそも貴方、「義昭抱えてる織田と戦った場合、上杉と和睦できる可能性は皆無だぞ」って言ってるけど、今川と上杉謙信は対武田信玄で同盟してたんだが? つまり反義昭の今川に、上杉謙信は組んでいたのか? >>22
>んなわけないだろ
>三河すら奪い返せない今川に義昭上洛を阻める力なんてもともとない
信長からみたら上洛前後で武田が今川と三河攻めてきたら困るからこその共同作戦
>今川と上杉謙信は対武田信玄で同盟してたんだが? つまり反義昭の今川に、上杉謙信は組んでいたのか?
義昭の言うこと聞いたから上杉は今川の要請に全く応えず、滅んだ後も書状をシカトした
同盟は全く機能せず、上杉謙信は徳川と交流がある始末 今川と上杉の同盟は機能してないのを知らないのか
北条と今川による塩止め要請されても上杉はやらず
今川が攻められたら上杉は信濃を攻める要請もが来てもスルー >>24
本庄繁長が反乱起こしてるのに、信濃攻めろとか正気かよ 謙信に関しての同盟は三国同盟を崩壊させるための離間の計だった疑惑が強い
北条から領土返還と人質貰った同盟も謙信はまったく協力的じゃなかったからね
今川北条に利することはしないのが謙信 義昭政権に食い込むはありだと思う
上洛に馳せ参じるのが筋だが無理なら
秋山に千でも持たせて上洛戦参加させて
三河に変な茶々入れさせない
今川攻めるのは公方様のためです
織田殿徳川殿と和睦しなされとか言っといて
(その間徳川が攻めないとは言ってない)
それを拒否されて義昭陣営まとまって動く
まあ正直そんな器用な事できるか?と思うけど 三河衆は桶狭間直前に今川に対して反乱起こすようなイカれた奴らだぞ
飛び地で治められるほど容易な土地ではない >>25
攻城に手間取って繁長の降伏待ちだったけど、信長だと付城築いて兵糧絶ちか放置して帰還し
他の所を攻めるのが謙信と信長の違いだよな
今川の優先度が低すぎて今川無視しただけかもしれないがw 上杉は譜代家臣まで離反があるのは恩賞のないからだからね。
武田は逆に辺鄙な土地まで手を出して恩賞にしてたから拡大路線するしかなかった。
だから駿河攻めない義信路線なんて有り得ないよ。 >>27
出来る出来ないじゃなくてする努力しましたってアピールすんのよ
私は私怨は捨てて幕府に従って和睦しろと説得しましたよ?でも氏真は応じないからやむを得ず攻めたんですってな
氏真が説得に応じたなら応じたでそれは信玄の手柄になる >>30
徳川や織田を攻めれば良かった論は、甲信二国のショボい国力でやれたと思うのかな?
迎撃作戦だった川中島と違い遠征になるのに。 信玄なんて将軍義輝仲介の和睦を破って義輝と謙信を激怒させてる奴が幕府を語っても誰も信用しないよ
お前が語るなと() >>31
信長家康が許さないものを武田がいくら動いてもムダ
そんなの交渉する前から分かり切ってる話
当の今川氏真自身が国人粛清しまくってる通り未だ強気一辺倒なのに織田に降伏しろとかね
そもそも三国同盟をなんだと思ってるのか 87 病巣院クルリ ◆ExSH/7DvkA 2020/12/02(水) 20:08:27.663 ID:VLwRSBtRa
>>84
クルリは今後は三国志戦国板に関わろうと思います。
あの板の住人は女性、新参者でも他人を歓迎します。
平等主義者の塊のように感じられます。あの板は気持ち良すぎます >>31
ん?それ俺が書いたことじゃん
わざわざ言い直さなくていいぞ >>32
ショボい国力の前に
三河まで遠征しつづける金が貧乏な武田にあるのか
家臣に領地(恩賞)を与えずに三河に遠征し続けられるのか
武田家臣に恩賞を与えるために三河の国人を追い出したら三河に反乱が起き続け、信長家康連合に靡くだけでは?
その度に貧乏な武田が甲斐から今川領の遠江を通過して三河で戦うのか? そもそも戦国時代は兵糧や援軍を通過させるのに関所の通行を許可したり
治安維持のために他国の者が自由に出入りできないようにしてるだろ
また商人に関銭を課したり、農民が勝手に移動しないようにしたり、不穏分子や間者の行き来も防がなくてはならない
今川義元時代から関所関銭に関する判物が残ってるのに
遠江をフリーパスにして治安と経済崩壊させるのか 今川攻めは義昭政権公認の軍事行動だから大義名分も十分
幕府側にいるから謙信もうかつには攻めて来ない
完璧やん 通行権論者は全体的に兵の交通を軽視してるな
地元に高速道路通してそこ使わせるだけみたいな
兵站の苦労もあればそのための領国整備は
まさに当時の大名権力の支配そのもので
支配権そのものを手放す事になりかねない
後単純に武田の軍事能力を過信してる
当時の徳川はもちろん織田と同盟してるし
三河支配も将軍擁立したことで正式に認められた
同じように畿内支配認められた連中は互いに兵を貸しあって
当然信長も出兵して互いの支配を助けてる状況
その大同盟に喧嘩売るってことなんよね 通行権認めたら今川の国衆はあれなんで自分今川なんかに従ってんだろ?武田に従えば良くね?となるよな
ただでさえ離反者が相次いでるのに
今川氏真だってそれ分かってるから通行権なんて認めない 三国同盟堅持なら武田は北今川は西北条は関東のすみ分けも守らな
武田が南から西に伸ばすなら今川は従属化か滅ぼすしかない 三河攻めるなら
1.織田敵に回す覚悟で永禄11年の上洛前にやるか
2.史実の駿河侵攻後に織田が苦しく朝倉浅井がまだ元気な
元亀年間の史実より早い時期に西上作戦に踏み切るか
3.外交頑張って織田に武田より徳川見限らせるか
だと思うよ
1.は史実より早い上杉との和睦と大遠征必要で
三河への侵攻ルート確保も難しく現実味は薄い
ただやり遂げると信長の覇業が頓挫する可能性ある
2.はありと思う
駿河侵攻は小田原攻め後の永禄13(元亀元年、1570)年に
一応ひと段落してその時点では甲越和与もなってる
ただ織田徳川に攻め込んだ時点で甲越和与が破れる
可能性もなくはない
3.史実で持ち得なかった外交のうまさが必要で
その後強大化した織田とどう付き合うかの問題はある 三河なんて攻められない
氏真からは通行許可は出ない
で終了 >>43
色々と無理があると思う。
1.は和睦には双方のメリットが必要だけど上杉に対して出せるものがない
2.は西上作戦自体が氏康が死んで甲相同盟を結び直したからできた
甲越和与もまず確実になくなる
3.外交の上手下手のレベルではなく、仮に織田に見限らせても三河を
武田が取るというのは無理筋(織田に何のメリットもない) >>46
1.は俺も現実味薄いと思いつつ書いたわ
今川と同盟堅持して三河攻めという声があるから
2.は元亀元年中に甲相同盟を復活させるのが必須だね
それが無理という考えはまあわかる
3.は対徳川は元々徳川もやる気で進めてて
織田は上方忙しく東に兵を割きたくない事情があった
そこで信玄は西上作戦という対織田戦に踏み切ったけど
それが対徳川の遠江侵攻であれば外交次第で
黙認は十分あり得ると思うけど無理かな
それで徳川に勝てても三河は大半織田領になって
取れない可能性はあるけど 結局なんでも無理なんだな
じゃあ織田にこび売って、時節到来を待つしかないやんか
それを史実で自分から破綻させたのが武田信玄だけど >>47
外交次第でどうにかなる?
信長が上杉と武田の和睦仲介していて
信長の意を裏切って同盟国の徳川攻めて信長の顔に泥を塗ったんだぞ? >>49
それ史実そのままじゃん
そつ言う形にしちゃダメなんだって
あくまで徳川が駿河脅かすんで困ってるということで
その戦争の許可かせめて黙認を取り付ける
武田から手を出した形にはしちゃダメという話ね >>50
今川も徳川も全部信玄から攻めたのに?
外交という言葉で誤魔化してるが、つまりは信玄の能力改変か?
氏真を信長みたいな能力になれば滅ばなかったというレベルのなろう系やな じゃさ、信長の西上に代理の将を参加させて織田の準傘下に入るのが一番確実な手法だった? 武田四天王は何してたんだ
こいつら織田や徳川より名将なくせに、外交は…… 武田四天王が織田や徳川より名将とまで言える程明確な差はないわ どうしたら良かったってあまり別の道もないね
北条と同盟しないで交戦続けるか、北条と同盟して上杉と泥沼続けるかだね
前者は関東管領に上杉謙信がいる以上、めんどくさいこと多い
後者は北条はどうせ越後まで一緒に攻めてくれないから手詰まりになる
まあ、史実は徳川に遺恨があったからそっち行ったんだと思うけど >>47
てか今川との同盟を堅持した上で三河を取るというのがぶっ飛びすぎなだけだな
スレタイとは真逆になるが、以前はなんで今川との同盟を破棄してまで
攻めたんだろうと思ってたけど、今はなんとなくわかる。
武田視点で63-64年ぐらいの状況を考えると、織田は美濃へ攻勢をかけていて
徳川も東三河で争っていてこれも優位に動いてる。対して今川は義元死後の混乱が
収まるどころか悪化してる状態。上杉を敵に抱えている状態で下り調子の今川を
切って、上り調子の織田徳川と結ぶのはおかしくないと思う。織田徳川があまり
影響しない北条との温度差はどうしても出てしまうが。 >>55
朝倉浅井優勢の信長包囲網かと思って織田徳川攻めたら
実は既に虎御前山砦が完成していて信長本隊がいなくても虎御前山砦だけで朝倉浅井を完封していて
武田の諜報力の無さが露呈したんだよな
しかも朝倉撤退も三方ヶ原後に分かるってどんだけ諜報が貧弱なんだよ >>56
その結果、親今川の義信やその側近達を56す事になって後継問題と人材の枯渇を招いて滅亡する羽目になったからこうして議論してるんだろ
今川切るにしても史実のやり方は駄目だと
ちゃんと今川と交渉して立て直しに尽力したけど駄目なのでやむを得ず切りましたと言うポーズは見せないと
それなら義信達も納得するし
北条も弓矢持って武田に喧嘩売るまではしなかったやろ 桶狭間から7年近くも経ってるし充分我慢した方だろ
弱い同盟国なんて迷惑でしかないよ
上杉謙信の今川氏真に対する対応がその象徴 >>51
だからそれをやらなきゃいいと言ってるんじゃん
なろう系?何言ってんだ?
>>51
ぶっちゃけそう思うけどね まぁ三国同盟が崩壊したのは義元が死んだのが悪い
義元生きてた頃は、謙信も武田北条相手に強気に出れなかったし、
武田は北信濃・北条は上野をじわじわと侵攻していき、もしかすると越後に攻め入ることも可能だったかもしれない
義元は「足利幕府の権威じゃなくて自力で国を治めます」って独立宣言してるし、
信玄も将軍に和睦してもらったのに速攻で泥を塗るような真似ができた
しかし現実には義元が桶狭間で死んでしまったせいで、謙信が暴れだして北信濃や関東の反三国同盟勢力も息を吹き返し
越後に攻め入ることなんて夢のまた夢になってしまった
更に織田家が将軍担いだせいで織田・徳川・浅井・朝倉・上杉・関東諸将からなる超巨大な包囲網が敷かれる可能性もあった
弱った今川家と武田北条でこれに抗うのは厳しすぎる
なので信玄が三国同盟を見限って織田方(というより将軍側)に裏切ったのは、そう不思議なことではない
まぁ信玄にとって想定外だったのは畿内の反将軍勢力が意外と強くて、浅井朝倉あたりが速攻で将軍と敵対して
むしろ信長が大苦戦していたことだろうか >>59
寿桂尼が生きている間に手を出しても、武田信玄が勝てるかどうかは怪しい
寿桂尼が死ぬまで待っていたんじゃないのか? >>60
ぼくの考えたさいきょうの信玄とさいきょうの外交w >>62
平山優の「武田氏滅亡」には信玄は、氏真が遠江錯乱を治めることができなければ遠江に攻め込む
と穴山に手紙を出し遠江の情勢の報告と調略を進めてたらしい
氏真が遠江の乱を鎮めたから攻めなかったが、三河の元康は依然として今川から離反したままだったのに
信玄は三河スルーしてたの見りゃ分かるだろう 全部武田から攻めたのが悪いというから
向こうが悪いと言う名分を得る努力が必要
と言っただけでなろうとか能力改変になるのか
怖いなゲーム脳でやつ? 史実にできてないことをできるというゲーム脳君が何か言ってるw
ぼくの考えたさいきょうの信玄とさいきょうの外交w そして信長が強大になることを未来予知して信長を足止めするなろう系w >>65
言ってる意味がようわからんが
武田信玄はとにかく、事前に大義名分を得る工作活動を明らかに怠っていたとしか
諏訪とかでも、山内上杉と和睦しやがって諏訪てめえだし、どういう思考してるんだか まあ信玄が後先考えずに目の前にぶら下がった餌に全力で食いつく性格なのは確かだろう
家臣の手前、奇想天外なことをしようとしても家臣が付いてこない
特に家臣らが結託して信虎が追放された経緯からも領土を家臣に恩賞として信頼関係を築ける遠交近攻重視からは逃げられない そういうのって中世の武士なら至って普通じゃね?
関ヶ原前後の大名の勝手な行動とかまさにこれ >>71
そういう奴らの行動を抑えるために動くべきだって事だろ
秀吉は関白に就任して強力な権威を手に入れ、圧倒的な統率力とカリスマで
諸侯を抑えつけることに成功したし(本人の能力頼りのせいで死後悲惨な事になるが)
家康は幕府を成立させて強大な組織と統制力をもってこれを解決させた
要するに信玄も何かしらの方法で家臣団の増長を抑えるべきだといいたいんだろう
まあどうすりゃいいのかと言われても私はわからないが 恩賞与えずにそこらに首突っ込みまくってた謙信は譜代さえ離反したからな
青苧と直江津で金持ってたから軍事力にして謙信は何とかなったけども
武田なんて貧乏だからどうしようもない
領地を餌にするしかない でさ、武田信玄て駿河に侵攻して、結局利益はあったの?
駿河支配は石高より、交通を生かした交易や水軍支配こそがメリットなのに、前者は活用できていたと思えないし、駿府は廃墟にして江尻なんか使う始末
水軍も編成したのに、あまり有効活用した形跡がない
駿河支配して、得るものはあったの? >>58
言わんとすることはわかるんだけど
>ちゃんと今川と交渉して立て直しに尽力したけど駄目なので
>やむを得ず切りましたと言うポーズは見せないと
このポーズを見せるために徳川とは敵対状態になるし、織田とも史実のように
婚姻同盟を結ぶのは難しいと思う。まあ織田とは双方とも積極的に争う理由は
ないので緊張関係に入るくらい?
んで尽力する=救援の兵を出すことだと思うけど、どれだけやれば義信や
北条が納得するかがわからんからなあ。今川自体より北条と交渉して
どの程度支援するか決めた方がいいように思う >>74
結局北条が敵になるのわかっていたのだから何とか謙信と手を組んで一緒に北条をぶちのめせば良かったと思う
出来るのなら菊姫輿入れ前倒しで同盟
そして侵攻先は駿河ではなく北条の本拠地である相模
上杉武田徳川佐竹里見もろもろ相手じゃさすがの北条も死ぬだろう >>79
信長擁する将軍家がバックにいるのだからそんなに揉めることはないと思うがなあ
将軍家が相模と武蔵(の一部でも)の武田領有を認めれば謙信は何も言えんだろうし
史実通り信長と義昭が仲違いしたらどうなるかわからんが 信玄と謙信が一緒に小田原を包囲するの想像できるかい?
両方とも自己中なお山の大将だから北条滅ぼす前に喧嘩が始まってカオスになる 氏真殿、悔しいが最早我らでは織田徳川には到底太刀打ちできぬ
悪いことは言わぬ、過去の蟠りは捨てて織田徳川と和睦せよ
逆賊三好を討つ為に手を結ぶ事にすれば御主の面目も立とう
さもなくば俺は領民と家臣を守るため織田と手を結び彼奴の信用を得る為に御主を攻めねばならぬ 上杉の重臣に工作して、鶴ケ岡八幡宮から一気に西へ兵を進ませ、今川を滅ぼしたところで、疲弊した上杉軍に攻めかかり、
あわれ上杉主従は駿河の山野に屍の山を築き、旧今川領は武田が併呑するのである。 >>82
氏真「分かった。和睦に応じよう。」
信玄「え?待ってくれ!マジで和睦に応じちゃうの?(困ったどこも攻められなくなってしまった)」
家康「信玄よぉ~お互い攻める所がないと困るだろ?今川攻めようぜ」
信玄「おぉ、ワシも攻められる所が無くて困っておったのだ」
史実と同じく駿河侵攻へ >>84
義信『父上、貴方を甲斐に入れる訳には参りませぬ。浜松にお戻りくだされ』
信玄『なっ、何を!義信血迷ったか』
氏真『ふふふ、我らが叔父上の企みに気付いておらぬとお思いでしたかな?竹千代に一芝居打って貰ったのですよ』
信玄『ぐぬぅ、この親不孝者どもがぁ!』ジタバタ >>86
三国同盟のおかげで徳川は今川攻め停止してた説はあるね
武田と仲の良い織田への配慮もあり
桶狭間後、三国同盟の生きていた期間は少なからず抑止力にはなっていたはず >>88
家康が三河統一時に、弟を今川に人質として出して今川徳川で和睦したと言う、逸話。 >>89
信憑性が低いという史料が何かは分からないけど徳川が和睦する利点は
ないような…でも戦争続行なら北条や武田が援軍に来る可能性もあるし
織田が上洛するならその間は和睦というのもあり得るのかな?
(氏真が反義昭というわけでもないだろうし) 義元は幕府から距離を置いていたって話もあるから
一門の癖に義輝を見捨てた結果義輝が56されたと見なされてたかも知れん
ワイとしては義輝殺害を契機に織田徳川と和睦し義昭上洛に便乗して中央に食い込むのが今川が生き残る道だったと思うが
そういう経緯を考えると難しかったかもな 結局、武田がやる道ってどれとってもダメだな
というかさ、上杉謙信が出奔したり、上洛して越後を留守にしている間にすら春日山を落とせない武田信玄が、織田信長や徳川家康にとうやったら勝てるの? 越後に攻め入るって簡単に言うけど、
北陸新幹線も上信越自動車道もない時代に北信濃から春日山に抜けるのはめちゃくちゃ大変なんだぞ
仮に春日山城を占領できたとしても維持できないんじゃないか 自分の半分以下の勢力に速攻で滅ぼされるほど信長を無能だと思っているの? 信玄公が労咳という病気持ちだったのと、重臣団に擁立された当主だったというマイナススタートがそもそもの致命 >>95
労咳は山岡荘八の創作
仮に労咳なら、重臣一族医師団に全くクラスターが起きてないのはおかしい >>93
だが勝頼はそれをやった
まぁ春日山は落としてはおらんし
維持できなかったから武田は滅んだわけだが 越後長尾と北信の仲の良さを考えると交通が悪かったとは思えない
それ以上に甲斐からがとても遠いということなんだろうな
外交で北条や今川と対立してでも上野や駿河を獲りに行くのは甲斐から近いからだろう >>100
上野近いか?
甲斐から上野だと、信濃経由で峠越えないときつい
まさか北の山越えして上野とかはないよな >>100
上杉が関東へ雪の中を少数で強行軍したり、越年したのに対して
信濃には高梨などが攻められて謙信が激怒して武田討滅の願文を捧げても
結局雪解けの春まで信濃へは行けなかったり、越年したことがないの見りゃ分かるでしょ >>101
じゃあ上野以外で近いとこある?
もう他に北条とガチンコの相模や武蔵しかないんだが 越後からどこかに行くのも冬は雪で大変
でもその中でも川中島(善光寺平)は
冬以外は比較的簡単に行ける場所だよ 越後は古来から京都・近江と太平洋側の関東・東北の国を結ぶ要所の国だぞ。
越中、信濃、上野、会津、羽州へと通じる街道があるくらいだし 雪国で冬は動けないだけだな
そんなん日本海側は広くそうだし
何なら甲斐でも起こり得ることだぞ 結局、冬になると雪で兵站が途切れるから大軍が維持できずに退却するしかない 例:朝倉の撤退
兵糧を賄えるだけの少数の軍を残しても冬の間は孤立していて殲滅されてしまう 例:御館の乱の景虎 >>107
信玄が信濃取れたのは立地的優位なだけだったからなぁ
信玄が北信に冬から攻められたのに対して
謙信は春からしか行けず、冬前には帰らないと行けなかった
信玄がガチで謙信と戦ったら信繁含む重臣を失うボロ負けの有り様
信玄は謙信とガチな決戦は避けて南進に方針転換するほどに 実際がちでやり合ったらぼこぼこに重臣が討たれて北進が不可能になったからな
信玄はあの損害の責任を取るとか言って家督を義信に譲っとくべきだったんだよ
上杉ともそれで和睦できたかも知れん 信玄がもう少し、誠実で約束もよく守る人だったなら、信濃統一も早まり、氏真もおじさん助けてと言ってきてくれたのかな? 謙信も村上達の期待に応えられず、信濃に全然攻めなくなったし、信玄を名将扱いしてるけどね >>112
それ、あんまりいい方法じゃない
義信が処断された原因が南下政策の意見対立であるなら、
義信が家督継承した場合、北進政策を続行する可能性が高いので
上杉と和睦という選択肢が初めから存在しないことになる
仮に対織田に方針転換するにしてもあの時点の武田の国力で木曽路からの美濃進出は
絶望的だろう、岩村のような僻地ならともかく西進は進出しても維持は出来まい
まあ義信が継承する事に利点が全くない訳ではないけどね 義信が信長謙信を超える天才ならあるいは
もしくは信玄と違って上手いこと今川を従属化させていたかも 川中島で義信が踏ん張ったからこそ武田軍は崩壊しなかったんじゃなかったか? 上杉相手に攻勢には出なくても義信誅殺せず5年くらい様子見みたいな形にしてたらどうなってた? 義信の才覚は兎も角、氏真も義信相手なら信用し武田に泣きついた可能性は高い
バックに武田が居るとなれば家康も遠江深くまでは攻め込めない
ノブも東濃方面に展開ができないから美濃攻めは苦労する筈 氏真が泣きつく?
彼最後まで弱気なところ全然見せてないよね
国衆粛清の連続で強情と軍鑑に書かれてるくらいだし >>118
それ江戸時代後期に書かれた口伝による逸話でしょ
まだ軍鑑のがマシなレベル >>123
軍鑑のほうがどう考えても酷いだろ
信玄は悪く書けないし
そもそも江戸時代後期に義信がクローズアップされてるほうが凄いわ、江戸時代は信玄は伝説の名将扱いなのに むしろ今川云々は関係なく義信が優秀過ぎたのにビビった信玄が粛清したのが本当のところでは? 今川攻めるのに反対したからやろ
義信からしたら嫁の実家は後ろ楯だから
そこを切られたら自分が失脚しかねんから反対するのは当たり前だが 四方八方に手を出すくらいなら上杉とずっと戦ってた方が良かった気がする 覇 風林火山みたいに、家康を毒殺して徳川を取り込み、織田信長を倒して上洛、とはいかんか >>128
俺もそう思うけど、そうなると徳川が面倒になりそうなんだよな
織田とは互いに争う理由もメリットもないから相互不可侵の条約は
結べそうだけど、徳川は東進しかないから今川との争いは避けられない
武田や北条が救援すればせいぜい東三河止まりだろうけど、今川領の混乱が
収まらなければ、上杉を敵に抱えてる状態で今川が不良債権化してしまいそう… >>126
優秀なのにほとんどの武田家臣に支持されずに粛清されたのか >>131
飯富と穴山と曽根と長坂の時点で、甲斐の大半は制圧してるぞ >>131
そもそも義信とその派の粛清の理由が現在まで不明
謀反起こしたからというが、軍鑑で言われてるだけで、一次史料には謀反の記録はない。今川や北条、織田の記録にも謀反の記録はない
いきなり粛清して、その後始末に2年もかかってる意味不明すぎるもの >>132
家督も継いでなく嫡男でもない次男坊以下は家臣と同じ扱いなのに当主扱いしてるのか? 嫡男じゃない次男以降は主君を守る盾として小姓や馬廻りに送られるからな
前田利家も四男だから小姓送りにされたが武功立てまくって主君からの命で無理矢理前田家の家督継いだが長男&その家臣と揉めた 武田信玄は無敵だから
長生きしてれば絶対に天下取れた >>133
ほぼ確定できるような史料がないのは確かだけど、時期や義信の立場を
考えると対今川で修復できないほど関係がこじれた(謀反を計画したかも?)
までは類推できるんじゃない?
近い状況の徳川信康の場合でも、信長に弁明に来た酒井が信康を全く
庇わずに家康の好きにするように(あるいは死罪を命じた)と言われてる
でも信長公記だと「酒井と奥平が馬を献上しに来た」の一文だけで終わってるし
信康死後も特に言及されてないから、仮に謀反でも未遂で終わってるなら
そもそも言及されないと思う >>93
謙信は何度も北信濃に攻め入ってるけど逆は簡単なの? >>139
信康にしても、謀反とか言い出したのは江戸時代だがな >>140
甲府に拠点構える以上は無理
海津に拠点を据える
あと、木曾義仲が城氏に大勝して一気に北上するなら、信濃から越後制圧は可能だけど、慎重すぎる信玄にこんなやり方、できるかな? また拠点厨かよ
拠点どこにしようと甲斐からその都度兵連れてこないと始まらないんだから変わらないだろ >>141
一次資料の家忠日記にも突然信康を引っ捕らえて、コイツに味方するヤツは処罰するぞって言い出したって書かれてるだけなんだっけ >>143
別に甲斐兵を主力に据える必要などあるまい
信濃に拠点を移し家臣や場合によっては住民も移住させる
古今東西似たような政策を行った偉人はいくらでもいる
住血吸虫が蔓延し洪水に悩まされるドイナカなど住民も本音はさっさと逃げ出したいだろうから喜んでついていくだろうw >>143
アホか
時代違うけど足利尊氏見てみろ
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とみんな攻めやすいとこに拠点変えてるぞ
そもそもそこに本拠を本格的に構える必要なんかない
越後攻略までの一時的なものとかな
信長は小牧を、家康は対武田でそうしてるだろ
甲斐にばかり頼る信玄にはまあ無理か 安土や岐阜や小牧山の人口がどれだけのものか知ってるのかな?
いずれも城下に兵はごくごく一部しかいなかったよ
民や兵を移住なんてごくごく一部を除いて無理 >>147
ならばなぜ、信玄以外の方々はうまくいったのでしょうか? うまくいった?
岐阜、小牧山、浜松それぞれ目的と効果は同じなのか?軍事上の目的なのかどうか、どういう効果があったのか自体もはっきりしない
少なくとも多くの兵を城下に移住させたというのは嘘 武田信玄が長生きしたら天下は取れていた
早世したのが残念 戦国時代に満51歳(数え53歳)まで生きて早世はねーわ あと何年長生きしたらいいのかねえ
20年あっても無理じゃないか 信玄は病弱だったから早世だよ
むしろよく頑張った病弱なのに 氏真『冬の朝はやはり浜名湖の浜辺で乾布摩擦に限るな竹千代』
家康『そうだぜアニキ、温泉に入り浸ってる軟弱坊主とは俺達は違うからな!』
水野『こいつら、絶対マゾだろ・・・』 信玄は優れた政治家で、軍人にはなりきれなかった
軍略は勝頼や家康の方が上でしょう。
こういう信玄だから武田の限界を理解し先が見えていた
武田には上杉を潰すだけの実力がないことも織田に勝てないこと
だから政治家信玄は弱い所を削っていくという戦略をとった
政治は外だけじゃなく内もある。大半の大名は国内の問題で自滅した
信玄がこの国内を重点においた。勝頼は国内の問題を対外で向けて今の韓国の様な戦略をとった。
これが結果として間違いで国内の問題を外で消化できなくなって滅亡したと。
結局、勝頼は武田の実力を理解できなかったのが敗因でしょう 耄碌したんだろ
まぁ独裁者ってヤツは優れた政治家でないと務まらないから
政治家としては優秀だったのは認めるよ
義信とその派閥を粛清して人材を枯渇させたのが勝頼が悲惨な末路を遂げた原因だけどな >>158
優れた政治家とは、先のことを考える力がある者でもあるが、信玄にはそれが………… >>156
勝頼の悲惨な最期は自業自得。信玄没後に2度も東濃に侵攻するとか軍略として意味不明
あと高天神城攻略は理解できるけど東濃よりも遠い奥三河侵攻からの長篠の戦いって若くして耄碌してたとしか >>161
まあ、確かに長篠は回避できまからな、決断誤らなければ
ただしそれでも時間の問題じゃね? 結局は知識がないゆえに信玄がいきなり信長を裏切ったように思っている人がいるってことやな >>163
定説だと義昭から信長攻めろっていう指示があったから信長裏切ったけど、
最新の研究では義昭からの指示はなかったけど信長裏切ったんだろ
いきなり裏切ってるじゃねーか!
そりゃ徳川とは前から揉めてたけどそれなら徳川だけ攻めれば良い >>163
ではどのように裏切ったとお思いなのか、教えて下さい 比叡山や本願寺の要請は間違いないでしょうな
あと徳川に対する恨みが大きい >>167
はいはいお逃げなさりますか
そんなことだと思いましたよ
武田信玄と同じ口だけさん 北条徳川上杉に囲まれてナーバスになってたトコロにノブが
岩村乗っ取りしたからブチキレたってどこかで聞いたような 結局イエスマン以外粛清したから
ノブが敵対する意思などなく岩村が当主の急死で不安定化したから処置しただけだって
教えてくれる家臣がおらんかったんやろな
あと汚い事ばかりしてきて恨み買いまくりだから他人を信じられない 武田の拡張政策自体が甲斐貧乏国人の要求って要素が大きいからしょうがないとも言える まあそこら辺はイエスマンだらけにして暴走した秀吉と通じるものがあるよな >>174
その国人って誰だよ
穴山や小山田は若手でそんな発言力なかったろ 軍艦が略奪で甲斐の人達が喜んだって記述があるだけで
別に拡大政策を国衆家臣が要求したって史料はないよな そもそも信虎追放の一因が無茶な拡大政策による疲弊だからな
そして武田滅亡の一因も 拡大するのはいいんだよ
問題はそれが一貫しないこと
信長や元就、氏康は一貫してますは主敵を定めてそれを叩くのに全力をあげた。
信玄は謙信は無理、おっ、上野で長野が死んだなよし攻めよ、おっ、駿河の今川が弱ったな、よし攻めよとあまりに行き当たりばったりだもの それが臨機応変ってことじゃないか
上杉謙信と一生死闘続けろとかバカかよ 信長謙信という天才二人がいたことが信玄最大の不幸
となれば凡人氏政を攻めるのがベター
北条が敵に回るとわかった時点で謙信と同盟して相模に侵攻すべきだった 攻めたけど小田原が硬すぎてほうほうの体で逃げかえっとるがな >>183
信長との同盟継続、足利幕府の調停による上杉との和睦
まではできそうだけど、徳川―北条で同盟組まれて厳しいでしょ >>181
>信長や元就、氏康は一貫してますは主敵を定めてそれを叩くのに全力をあげた。
全然そんなことはないよ 信玄に小田原落とせんの?西上作戦では浜松落とせず野田みたいな小城すら手こずってるのに??
ゲリラ的に北条領をヒットアンドウェイで攻めても維持できんやろ
小田原落とせないと相模にも武蔵にも出られないぞ >>187
それは無理、武田が駿河取った時点で徳川は行き先がなくなるから
絶対に対立する羽目になる 史実から考えるなら徳川は自分から戦端開いたりしないから放置しても大きな問題はないだろ >>192
自分から戦端開かないどころか、上杉や北条と結託して率先して武田潰そうとしていただろ…
信長(足利幕府)の斡旋で武田上杉の和睦を進めていたけど、
徳川が上杉と組んで武田潰そうとしている情報が入ったから信玄かなり焦って
信長にあいつなんとかしてくれよ、っていう手紙出してただろ
徳川史観のせいで武田が一方的に悪者にされがちだけど
徳川もまぁまぁえげつない >>193
遠州侵攻なんかせずに、大人しく徳川が先に動き出すのを待ってれば、織田は徳川より武田に本格的に肩入れしてくれたかも
信玄て忍耐がないよね
何でも自分から破る
向こうから破るのを待とうとはしない >>193
裏で動くだけで実際に軍事行動起こすまでは
出来ないのだから自分から喧嘩売る必要ないだろ 上杉と徳川がタッグ組んで攻めて来ると聞いたら
信濃の国人達は次々と寝返るでしょうなw
ただでさえ義信ぶっ56して動揺してんのに その辺の詳しい経緯は信玄宛の書状がほとんど残ってないし、複雑だから分からない部分多すぎ
徳川と上杉の同盟直前に信長は信玄と謙信が交戦したら信玄の味方するって書いていたらしいが >>189
だから駿河ではなく北条の本拠地である相模に攻め込む
武蔵の北条勢力は謙信に任せ今川は徳川に任せて
如何に小田原といえど救援なければそのうち落ちる 信長に限らず普通同盟国が攻められたら肩入れするし
調停機関である幕府は攻めることを止めさせようとする
でも「攻めてこようとしてます」って片方が訴えるだけじゃ
「そうなったら守るよ」「そうしないよう言っとくわ」
くらいしか言うこともやれることもないし
実際信長の返事もそれだよね
ところが調停しようとしてるところに
訴えた方が逆に攻めこんだわけだから
そりゃ信長に限らず幕府に限らず敵に回るでしょ >>196
その程度で寝返るようならもっと厳しい69年の段階で、
武田は信濃失ってるだろうよw そもそも義信事件自体が、信玄が甲斐国人衆よりも信濃国人衆を重視していたことを象徴する事件だからなぁ
・信濃を守るために織田徳川と同盟を結びたい
→今川から反感を買い、義信や甲斐国人衆から反発
・信濃支配を強固にするため勝頼に高遠城を任せる
→義信が不満
上杉謙信と戦うためには信濃国人衆の支持が不可欠だからしょうがないんだけど >>198
関東進出するってことは上杉とますます利害対立するし、謙信が許さない
少なくとも関東管領の傘下に入らないといけなくなる >>199
>でも「攻めてこようとしてます」って片方が訴えるだけじゃ
>「そうなったら守るよ」「そうしないよう言っとくわ」
>くらいしか言うこともやれることもないし
>実際信長の返事もそれだよね
ちょっと違うと思うよ
信長は謙信ではなく、信玄に味方すると書いてるわけだから
でもそれは1570年の話で1572年には信長は上杉と武田の調停に当たっている
その2年で何があったかは不明 >>201
こじつけすぎだと思う
勝頼が高遠諏訪家継いだからには高遠に赴任するのは幼少の頃にとっくに分かってた話
葛山、仁科、望月等全部同じやり口で送り込んでる
あと、信濃国人衆からしたら上杉を背後に抱えて駿河攻める方が危ういと考えると思うよ? >>203
信長が義昭と対立するまではとりあえず大丈夫でしょ
謙信も将軍家公認の行動に口出し出来んだろうし >>205
あれ、甲陽軍鑑に勝頼は城持ちなのに自分には城がないって義信が不満に思った
って書いてなかったっけ >>204
違うかな?
>193の家康と信玄の緊張関係に対する
双方の外交的な立ち振る舞いの話題を受けて
199のように事態が推移して
武田は信長的に回す後戻りできない失敗に
至ったと認識しているのだけど >>206
将軍家公認っていうのは関東管領たる上杉謙信の傘下に武田が入るってことだろ
仮に将軍家が武田は傘下じゃなくていいよと言ったところであのお山の大将の2人が仲良くできるわけがない
あるいは家臣や国衆が勝手に揉め出す
揉めたら不利なのは立場が弱い武田の方 >>207
都合良く軍鑑引用なのか
跡継ぎが城がないって不満言うのは疑わしいな >>208
信玄が信長に佞人(徳川)の讒言を聞かないよう依頼してるけど、その返信は残ってないのよ
それに限らず武田は滅んだせいで信玄宛の書状はほとんど皆無
義昭が信玄にいつから何を送ってたかも不明
一つ想像だけど、信長が武田と上杉の調停してたのは惣無事令を意識してたんじゃないのか?信玄としては上杉と和睦したら北条徳川上杉と周り全てと同盟和睦なわけだから戦国大名としては譲れなかったはず >>209
義昭は武田上杉北条で和睦させようとしたぐらいだから、
上杉の傘下に入るような和睦は考えてないと思う。 >>210
そもそも義信事件に関する詳細な記述が甲陽軍鑑にしかないからな
一級資料だとどうも義信事件に相当する出来事はあったのではないか、ぐらいしかわからない >>211
一次史料だとその辺は残ってなくて
俺の考えは状況からの類推でしかないかな?
ちょっと整理してみるわ
惣無事という概念は秀吉を論じる文脈で使われて
何か特殊なものと理解されかねないところだけど
本来武家の争いの調停は幕府の仕事だものね
当時の信長は幕府を代行する立場なので
そう言う理解は有効だと思う 平山優の「武田氏滅亡」だと義信事件は
信玄が義信は武田の子か今川の子か分からない等の書かれた書状から
第二次川中島の戦い最中に書かれた物だという理由で、今川義元の意を受けた義信が和睦をゴリ押ししたと書かれてた
それに対して、信玄が和睦内容が気に食わなくて義信と亀裂が入ったと書いてあった
今川武田のどちらの子か分からない一枚の書状だけで他に何の根拠もない平山優の推論だけど
その当時の義信が17歳前後の若造だったから信玄や武田家臣の意を退けて、今川義元の意をゴリ押しできたかはかなり怪しい ゴリ押しって今川の案に強く賛成したってだけのことやろ
そして信玄は義元の提案を受け入れたのであって
義信の意見を採用したわけじゃないだろ まぁ義元に心酔しちまって信玄があいつは義元に取り込まれて俺に逆らいやがるって愚痴ってたらしいし 義信なんて武田の国衆に全く支持されずに飯富と直臣もろとも粛清されただけなのに
甲斐の国衆が義信を支持していたというデマを飛ばしてる奴がまだいるのか 義信が国人から支持を得られなかったと言うそのソースは何だ?
史料的根拠を是非拝聴したいな 程度問題やろ
誰からも支持されてなきゃ政策譲歩も必要ないし
粛清の際に連座されるものも出ない
大多数から信玄より支持されてたら粛清されんのは信玄 家臣達の実利としても義信路線で上杉と戦い続けるのは嫌だろう
頼りなく役に立たない同盟なんか破棄して今川攻める方が家臣の支持を集めて当然 >>222
実利の面でもそうだし義信事件(甲陽軍鑑だと64年7月だけど、信玄の
書状や高野山の記録から実際は1年後?)の少し前の周辺の状況は
織田→尾張を統一し美濃へ侵攻中
徳川→西三河で独立し東三河へ侵攻中
と上り調子の2勢力があるから外交の見直しは必須だしな
駿河侵攻で失敗があるとするなら北条を抱き込めなかったことか? 義信路線では今川を助けないといけないのだから謙信と戦う余裕もなくなるよ 義信が死んでから信玄は家臣国衆に起請文を提出させそれらは生島足島神社に現存してる
これは義信を支持する者が離反を防ぐ為に行った処置で少からぬ支持層が居た証拠だろう
ウィキだと上杉相手の戦勝祈願だと言っている人も居るみたいに書かれていたが
北進を断念したこの時期にわざわざそんなことするかね
さて俺は史料的根拠は示したぞ
義信が支持されなかったと断言した史料的根拠を拝聴しようか >>225
誰の名前も出していないやん
傅役の飫富さんや義信に付けられた武将は義信と一蓮托生みたいなものだから
それ以外の武将を挙げないとね >>225
それは支持されたとちゃうやん
秀吉も秀次事件で起承文提出させたけど、みんな秀次支持だったと思ってるのか?
ただの主従関係の再確認だぞ? 国衆(国人領主)の次男坊以降は家督を継げないから信玄や義信の近習や小姓、馬廻り等に送られるのが普通なのに
次男坊以降を家督継いだ嫡男と同じ国人領主扱いしてるんだろ
穴山の名前出してる時点で 生島足島神社の起請文はそんな義信事件の跡は感じないけどなあ
中身に長尾が頻発している通り対上杉謙信に向けて北信濃の武士中心に内通を取り締まるためのものに見える
対今川ではない >>227
連座であれだけぶっ殺して、秀次や義信を支持なんかするわけないやんすぐに
秀吉の死後に秀次系はのきなみ徳川
信玄の死後に義信系の曽根は信長と内通していたらしいな >>232
秀吉の豊臣政権に臣従してるだけで誰も秀次を支持してないのと同様
信玄の武田家に従ってるだけで義信なんか支持してなかったってことだな
起承文なんて何の証拠にもならん それは君の個人的感想に過ぎない
具体的に起請文が義信粛清の反発を封じ込める為の物ではないと証明できる史料があるの?
時期的に起請文提出理由はそれしか考えられないが
少なくとも俺は根拠となる史料は提示したぞ?
そっちも俺の主張を否定するなら根拠となる史料を提示するのが筋じゃないかい? >>228
穴山家の家督継いだ信君の弟で、国衆(国人領主)では無いやろ
連座した奴らは家督も継いでない、小姓や近習に出されてたかもしれない奴らが、国人領主の各家の当主を超えた総意だったとでも?
長坂、曽根、穴山の名前があるから甲斐国衆が義信を支持していたと語るが
家督も継いでない奴らに各国人領主としての決定権も無く、義信の近習、小姓として下っ端の立場で死んだだけだろうに
なぜか甲斐の国衆(国人領主)が義信を支持していたと語るガバガバ設定何とかしなさい >>234
時期的にって、起請文の内容からして上杉と決戦迎えるための起請文だろ
あの起請文のどこに義信が関係する? 決戦?1564年以降、上杉との大規模な軍事衝突は起こっていないのに
どうして起請文を取る程逼迫した事態になるんだい?
具体的に史料も提示してご説明願いたいな 時期的に考えるなら
対上杉と言うならその後上杉相手に決戦挑んでもおかしくないがそのような動きはない。
また上杉と本格的に戦っていた時期はもっと前なのだから、
対上杉のための起請文ならその頃にこそ何度か出しているのが普通だけど、
この時のような家臣大半からなる起請文出したことはない。
前者は状況が変わったからとかで否定できるけど、
総合的に考えるなら、やはり時期的に義信処分に対する起請文じゃ。
対上杉謳っているのは義信殺すじゃ外聞悪いので、言い訳に使っただけだと思う。
そもそも上杉と決戦するつもりなら今川と手切れまでする必要ないから、義信と対立する必要薄れるし。 あと義信が家臣国衆から全く支持を受けていなかったと言いきった根拠となる史料を早くお願いしたいな
支持を受けられなかったと断言したからには義信に対する不満を書き記した書状でも見つかったんだろう
提示して貰えるのが実に楽しみだ あの頃の上野戦線は長野の爺さんと遊んでただけじゃないか 西上野侵攻は北条の救援と共同での戦線だったのも知らないと見える >>240
国衆=国人領主
国衆の意味も分からずに連座した奴らや穴山弟とかの国衆ではない奴ら挙げてる時点で全く理解してないよね、君
甲斐国衆が義信を支持していたと証明できてないのは君だよ? たしか最新の研究だとあの起請文の後に川中島で対陣してたんじゃなかったか? >>243
いいから義信が支持を受けていなかったと証明できる史料出してみろよ
全く指示されていなかったと断言した以上は確証がある史料があるんだろ?
人には史料を出させておいてジブンは出さないのか?? >>244
wikiとかだと領地の動きがないから上杉との戦いが終わったように見えるんだろうね
一次史料より
1566年12月、謙信から山吉宛の書状に信玄が自ら出陣して箕輪城に在陣しており、北条氏政も来ているけど寝返るなと警告
1567年1月、信玄から蘆名宛に武田と北条が協力して沼田城を取り囲むこと、四月には越後入りするので蘆名は遅れるなと打診
1567年5月、3月18日に武田軍に信濃国野尻城を落とされたがすぐ取り返したと謙信が報告
1567年8月、信玄より市川信房に信濃越後国境の上杉対策として昼夜の警戒と城の普請しろと指示(同日に生島足島神社の起請文)
1568年1月、沼田衆が上野国岩櫃城に武田軍が集結して沼田城を攻撃して来ようとしていると謙信に報告
1568年3月、本庄繁長が信玄と内通
ざっと書いたけど武田は上杉とずっと戦ってる
膠着して領地取れないから上杉との戦いが終わったように見えるんだろうね
生島足島神社の起請文の内容と一次史料の武田の動きから見て上杉対策は間違いないよ >>248
その史料って何だったっけ?
起請文自体が謙信対策と明記されてる
>>249の一次史料の羅列だと信玄はずっと上杉と戦ってる
連座された奴らは国衆(国人領主)ではない
君の史料というのは君の推論の事かな? というか義信が誰にも支持されてなくとも後継者が処分されれば全家臣が動揺するのだから
それに対する対処は必要だよね >>252
飯富が支持してるのに、支持してないとはいったい 飫富さんは傅役だから義信に味方するしかないと言ってるじゃん 北信濃の内通防ぐも謙信が関東管領になった頃ならともかく、
67年だとそこまで心配するような状況じゃないと思う。 1566年に箕輪城を取ってから1568年末の駿河侵攻まで上杉に対して何回も大軍を動員しても
膠着してまともに領地を削れず家臣に恩賞が与えられないから信玄の求心力が急激に落ちた
だから不穏分子である義信を切腹させ、 恩賞を与えられそうな駿河攻めに方針転換したってところでしょ
大軍動員するにも莫大な金掛かるし、貧乏な武田にはつらい
負担だけあって恩賞が無しじゃ家臣の忠誠もなくなる >>256
廃嫡して義元の娘と離縁させて幽閉したとは聞くが切腹したの?
切腹したら記録に残るよね? 中身読んだらわかると思うけど、起請文は動揺抑えるために書かせる類の内容ではない
上杉と団結して戦わせるためのもの
もっと前から書かせろとはいうが、謙信の関東管領就任の際は武田方の国衆も謙信へ祝賀の使者を送ってたのだから、起請文書かせた頃は信玄の権力がより強まったということ
起請文の内容が謙信村上小笠原とは交流しません寝返りません、北信濃の武士は互いに監視します、だからね
北信濃の国衆だけ特別細かく書かされているところが義信事件とは関係ない証拠である >>258
御託はいいから君の主張の根拠となる史料を出せ
全て君の個人的感想に過ぎないじゃないか
まさか史料的根拠も無しに義信は全く指示されてない!
起請文は義信事件とは無関係だ!!
と宣ってる訳じゃあるまいな?
人には史料を提示させておいて >>256
大軍で何回も?
箕輪落とした後はほとんど小競り合いでは?
68年夏は信玄も奥信濃まで出兵して大軍だっただろうと思うが。
あと箕輪落とした後も多少は領地増えていると思うけど、まあ駿河に比べれば誤差かもしれんが。 >>259
じゃあ傅役ではなかったと主張するの?
では誰が傅役だったと思う? >>260
支持されてない根拠は支持されていた根拠がないから じゃあそれを証明できる物証出してみな
指示されていた史料が無いと言い切れる証拠を
例えば件の起請文が義信事件とは無関係と証明できる史料とかな >>264
だからお前は証拠の史料など出していないやろ そもそも「義信やその派が謀反を起こした」と主張しているのは軍鑑だけで、一次資料並びに軍鑑を除く二次資料にすら謀反したという記録はない
一次資料にしても確認できるのは「信玄が義信とその派を粛清した」というだけで、理由はわからない >>261
謙信に四回目の川中島でボコボコにされてるのに謙信を舐めて大軍じゃなく少数で来てたと?
ボコボコにされたから決戦を避けて膠着してたのに小競り合いだと?
川中島も四回目以外は決戦を避けて膠着をさせて決戦してない小競り合いだけど
66年で上杉との戦いが終わってると思ってるwiki見たような知識しかないのか >>260
人に史料を出させておいて?
何か出したっけ? >>266
だからと言って謀反を企んでいたという前提の話をするなってことにはならないじゃん 起請文はどっちにしても義信処分して今川攻めるためじゃ もし寿桂尼が死なずに生きていたなら、どうなったかな >>270
起請文の内容は対上杉しか書かれてない
それを否定して個人的感想を垂れ流して史料といい張る人がいるだけやな
史料なんて何一つ出せていない だからそれでも義信処分して今川攻めるためって話では? 起請文の内容自体、ネットで読めるんだから読んできなよ
どこに義信事件と関係があるのか教えてもらいたいくらいだ 内容読んでたら今川攻めるための起請文なんて解釈はしない >>274
時期とその後の武田の行動から考えるなら、
おかしくないと思うけど。 >>276
内容じゃなくて何が目的かという話だと思うが?
まあ他の人の内心まではわからないけど。 国衆=国人領主って意味も理解しておらず
1566年で上杉との戦いが終わってるとwikiとかの知識しかないからな
時期とか全く理解せずに言ってるだけだよ、彼 起請文自体は信濃で軍を集結させた時に書かせた
だから穴山信君や木曽義昌あたりは参陣していないから書いていない
なんで信濃で軍を集結させてたかというと謙信が飯山に出陣していたから
その為信濃の国衆は長尾について細かく書かされている
義信は2年くらい前に幽閉されているし、飯富も2年前とっくに粛清されている
一応、起請文の直後に義信が亡くなってはいるが、家臣達からみたら義信はとっくに失脚していて動揺なんかするだろうか 義信が謀反を計画していたのならいつまでも義信を処刑しない信玄に不満を抱く家臣も居たろうし
説によって考えも違うよね >>281
そもそも謀反企んでいたなら、一族に連座がいくはずだが、飯富も曽根も長坂も当人だけで他は連座なしで済んでるし、謀反じゃなくて単なる信玄個人による粛正の可能性もある 義信事件はホント闇が深いよ
ただのクーデターじゃない
問題は穴山で信濃含めて一番豊かで流通も活発な経済地域を治めていた
武田の最重要の拠点を治めていたのと同じ。つまり穴山に背かれると武田は即死するぐらいよ。
義信事件の首謀者は穴山一族だろう。
そして義信は京の最高位の公家の血を引いている。
武田は源氏の名門だが所詮、甲斐の田舎守護。周辺地域の国人勢力に舐められる。
やはり関東東海北陸の大名からみたら山猿と同じ。
義信は公家の母の名門の血統で田舎相手じゃ超サラブレッドの王子様。これが武田の当主になれば
武田の甲斐信濃は支配は磐石になる。これが勝頼との違い。義信は信虎信玄二代が苦労して育てた最強の駒だった。
これを穴山やらオブに奪われ利用されるとなると、どうなるか分からん。
問題は、第四次川中島の損害が3000とも言われる。最大動員2万程度で3000の損害は軍事の常識でいうと再起不能レベル
方針転換で派閥争いが起きて義信事件が起きたと言われるが、根本の原因は川中島の損害から来ている
ここで武田の天下は終わった このように見ると、天竜川、大井川川沿いにおける通行地役権設定が一番現実的だという指摘は説得的ひびきをおびてたちあらわれてくるのである。 北畠顕家みたいに東海道を一気に踏破したら良かったんだよ信玄も 猫の額しかない川中島はさっさと第二次で終わらせて既に支配下にあった
東美濃を拠点に中美濃侵攻を進めていればワンチャンあった >>286
そんな損切りが決してできないのが武田信玄
僅かな土地にこだわる田舎者武田信玄 >>286
その川中島を守るためには西上野まで取らないといかんわけよ >>286-288
いやそれは流石に川中島を過小評価しすぎだろ
川中島周辺を治めていた松代藩14万石もあったんだぞ
善光寺周辺の商業地帯もあったし
めちゃくちゃ豊か、だから信玄としては喉から手がでるほど欲しかった 川中島一帯の石高は飛騨国4万石にせいぜい1万石を上乗せした5万石程度。
ただその先の上越は人口6万人を抱える直江津湊がある。
そして北信濃は上方と関東を結ぶルートを抱える地域であり
そこから得られる商業利権は大きく直江津を得られると更に旨味がある >>290
謙信の関東攻略を頓挫させたのだから十分な成果やろ >>292
八幡原の後も関東出兵されまくってるんですが >>293
謙信が北条を倒す可能性を0にしたということだよ >>294
八幡原の後も関東情勢は一進一退じゃん
臼井城の戦い(1566)で北条方が勝利したことで謙信は関東への足がかりをほぼ失ったが
八幡原の5年後だぞ 第二次で犀川あたりまでは支配できてたから、川中島のうち半分くらいは武田のものじゃないの?
善光寺と川中島半分は諦めるしかないが、どのみち善光寺は謙信が越後に住職連行したし、川中島半分と第4回の犠牲は釣り合いが合わない そもそも第四次の前に武田は海津城を完成させて戦略的に勝利していた
だから第四次は本当に戦闘する気があったのか?疑問よ
第一次〜三次は小競り合い程度、第二次は1年間対峙していた
第四次も両軍、戦闘の意思がなく、霧のせいで起きた遭遇戦の大事故だと思う
でないと両軍の損害の数の説明がつかない。
2万程度の戦争で3000もの損害を出すのはありえん
1000でも多いぐらい。 信玄は天才だろ
第4回以降は謙信に信濃を事実上あきらめさせたし ああ、天才だよ
諏訪や伊奈への醜悪な裏切り者
北進御三家や義信に対する陰惨で残忍な粛清
あんたがやばくなったら必ず俺が駆けつけるから安心しろと胸を叩いたノブに
突如として攻め込む厚顔さ
これ程の悪事の天才は古今東西俺は知らない 諏訪は先に裏切った頼重が悪い
山内上杉憲政と義兄で主君である信玄を無視して勝手に和睦したりした
伊奈や北信御三家は長尾と内通していたから処分はやむを得ない
信長はあっちから勝手に岩村城を占領したから、向こうから約束を破ったのであり信玄は悪くない
むしろ信長は信玄を立てないといけないのに家康ばかり立てていたから不義の理由は信長にある >>286
この手の奴って大体歴史や地形を知らない
信玄を過大評価してるんだよな
上でも言われてるが基本的に信玄は戦では弱いから謙信にはボコボコにされるし
決戦は避けて膠着させることを何回もやってるから侵略も何年も掛かる
川中島の戦いも謙信側からは雪解けの春まで援軍には行けず、冬前には帰らないと行けない地理的な制限不利があった
武田が中美濃に行くには木曾東濃越えという地形的不利を抱えるのは武田になるのに侵略できるという
しかも信玄の戦は侵略速度は遅い亀すぎるのに、急に短期間で平定する戦上手になるという過大評価 >>304
随分と無駄な長文書いてるね。川中島に何年も固執するくらいなら
中美濃に何年もかけた方がマシという程度の話なんだがな。難しかったか? >>305
何年も掛ければ信玄なら中美濃取れると思ってる信玄の過大評価っぷりに突っ込んでるのを理解できないのか
川中島は武田側に地理的な優位があったから取れた
中美濃は武田側に地理的な不利があるから取れない しかも三国同盟続ける限り北条から要請があれば武田は上杉を攻めなければならない
実際それで武田は川中島に進軍したり海津城も築城したり上杉に圧力かけたりしたのを無視する歴史の知識の無さが分かる
第二次川中島で止めれば上杉と戦わなくて良いという意味不明なガバガバ設定も三国同盟と時代背景を知らないと見える 木曽も東濃も信玄支配下だしね
さっさと美濃行けばオーケー つか史実でも義龍龍興を支援して美濃に出張っていた訳だが
ノブが先に中濃を押さえたから諦めて同盟組んだんだろ?
あれで出口が駿河しか無くなった
そこまではまぁ仕方ないにしても今川に対する扱いが雑過ぎたのが問題
それは以前にも議論したやろ
結果、義信の反発を招いて只でさえ八幡原で人材を失っていたのに義信派粛清で更に人材が枯渇した
イエスマンしか残らず信玄の暴走を招き武田は滅亡に突き進む結果となった >>286
それ主張して今川のためばかり行動すると書状に書かれたのが義信ってのが平山や大石の説だったか。 >>309
いや信玄の強力な独裁がここに完成したのである
むしろ信玄がやりやすくなった
ただ信玄は寿命に恵まれなかった 高井野藩を川中島2万石と最初に言い出したバカ誰だよ
川中島かすりもしねえ 美濃攻めろと言うが
武田と斎藤は友好国で戦争する理由がない
両国の外交僧が同門だから戦争するきっかけがない
じゃ斎藤が滅ぶまで待つかって
その頃はもう南下して泥沼化していて織田に頼るしかなかった
さらに言うと、村上上杉と対立せずに信濃平定前に美濃を攻められるか?
これだと60万石程度で最大動員は2万いかず、これじゃ正攻法で美濃は落とせない そもそも美濃の東部の遠山氏とかは美濃斎藤氏ではなく武田の傘下に入っていたからな
一応美濃攻略はしてた
まぁ山しかないやばい地域だったから美濃斎藤氏も文句は言ってなかったけど
中濃への進出は難しかっただろう 長井隼人が武田と懇意にしてたから中濃まで影響力持ってたからね
さっさと美濃へどうぞ その長井をさっさと見捨てるような真似をしたから
美濃衆から不信持たれて勝頼が明智まで突っ込んでも誰も武田に靡かなかった訳だが どのみち信長に中濃取られた時点で無理でしょ
本当か知らんが織田の一部隊に過ぎない森に負けたみたいだし武田軍
あの信長に決戦仕掛けるとか自殺行為でしかない 本気で上洛する気なら中美濃は押さえておかないとな。
信長が中美濃を手に入れたのは1566年だから川中島は
第二次で終わらせておけば10年くらいの期間があった。 信玄が斎藤を攻めてガチな戦いしている背後の隙を突いて
信長が中美濃攻めて史実より早く中美濃を手に入れると思わない迷軍師様だなw
未来を知ってるのに「なぜだぁ〜」と言って墓穴掘ってそう(笑) 単純に中美濃は川中島より遠くて山越えにゃならんのでね 武田は中濃に既に長井がいるから手引きしてもらえるしね 信玄「中濃を先に信長に取られるという失態で骨折り損だったわ。ワシの行動が変われば、お主の知ってる未来とも違う未来になるだろうということを予想できなかった>>321の首をはねよ。」 間違えた
未来変わる言うなら55年から美濃攻めたら、桶狭間起きなくて信長が今川とやり合い続ける可能性
対武田と言うことで義龍謀叛起きずに道三と協力して武田と戦う可能性
謙信出奔して越後に戻って来ない可能性
三河反乱が起きない可能性
とかいろいろあるぞ >>328
三国同盟放置して美濃攻めを決行して武田を疲弊させた信玄を義信が追放するIFもな 少なくとも東美濃攻めは今川と協力だから放置とはならんだろ。
長尾が北条攻めたら北条に協力して結局また長尾と争うことになるだろうけど。 >>321は自分の行動が変わっても周りの行動は変わらないというゲームでいう同じ行動を繰り返すだけのNPC化してるんだろうね 信玄スレで言えることは、信玄はどこに進んでもダメだってことだな 川中島は行き詰まり確定。上野は北条の侵攻先。桶狭間前に
武田が進むとしたら東美濃を足掛かりとした美濃くらいしかない そもそも信玄は侵略スピード遅いからな
川中島は謙信に地理的な制限不利があったから取れたけど
武田の木曾東濃越えとなると積雪した場合、大軍で進軍不可、通常でも関ヶ原の秀忠の移動のような目に逢う一方
織田は尾張から中美濃まで即日対応できるから武田は地理的に圧倒的不利だという 信玄最後の出陣では、武田信玄が長生きしていたなら尾張と美濃をあっという間に落として上洛、とよく言われてるよな なお、当時の格下だった徳川の遠江に侵攻したが二俣城落とすのに二ヶ月掛かり、掛川城と浜松城と重要拠点を落とせず
信玄が一瞬で制圧したことはなかった模様 >>338
何かで見たけど、信玄が二俣や野田で時間をかけていたのは、信長本隊をおびき寄せるためらしいな >>336
桶狭間前で長井が義龍に謀反起こしているときが一番の好機だったと思う >>342
その頃の信玄て、確か今川義元の仲介で成立していた長尾との和議を、北信のわずかな領土にこだわって破って旭山城に出兵してなかったか? >>337
実際は仮に信玄が健康でも色々と不確定要素があって
軍を動かせたかどうかすらわからないんだけどな
まあ美濃尾張をすぐに落とせるんなら、史実の信玄の行動が
アホすぎることになるんだけど >>343
長井がいつ離反したかはわからないが
武田が支援するって言ってる書状は1559年1560年辺りと言われてるな
横山説だとそもそも離反していないになるが
1556年から58年辺りは逆に武田が東濃失っている時期だと思う 長井については義龍と対立したと言う史料はない
信玄が長井に支援を申し出た書状も時期がハッキリしないし
中濃失陥まで信玄は今川と同じ反織田徳川だったのだから織田と交戦中の義龍龍興支援の為と考える方が自然
龍興と和解した記録から彼と対立関係があったと見られる事から義龍とも対立があったのでは?と憶測されているに過ぎない 武田今川は東濃の関係で斎藤とは敵対が小川小笠原柴辻らだったか? 謙信にはボコボコにされたし義元を討ち取った信長にはビビっていたってのが本当のところだと思う 謙信『は?』
信長『誰が?』
長慶『短命だったって?』 義輝『余が貴様の歳まで生きていたら天下統一してた』 まー信長も49で本能寺だし
本能寺がなくても織田の天下はなかったと思うよ
信長もそうだけど、結局、二代目が重要なんだよね
一代で天下統一するのは無理でしょう。当時の寿命じゃ時間が足りない
秀吉は超天才だったから、本能寺の後、最短距離で天下と統一できた
これも信長秀吉のセットの天下取り事業でしょう。
信長でも足りないのだから甲斐の田舎の信玄じゃ無理 ノブ『ワイは8年で尾張平定に概ねケリをつけて次の8年で美濃を攻略したで』
軍神『俺も越後はほぼ8年で纏めたな』
長慶『ワイも魑魅魍魎蔓延る摂津和泉河内を10年で従えたで』
信玄『・・・』 信玄は謙信にフルボッコにされてガクブルして決戦は避けて、謙信が信濃には春にならないと来れない&冬前に帰らないといけないという地理的な制限不利を利用して
謙信が来る春前までに侵略して謙信が来たら決戦しない持久戦をずっとしてたから北信だけでもめっちゃ年数が掛かってるからな
信玄率いる武田が雑魚すぎてどこを攻めても年数かかる、かかる >>357
何を偉そうに
信玄くらい領土広げた戦国大名どんだけいると思ってんだよ 甲信統一してからの駿河侵攻で一度落とした駿府から
撤退しなきゃいけなくて数年かけた信玄
濃尾統一した年と翌年2度の出兵で伊勢を領国化した信長 謙信は半年で能登加賀を制圧したな
彼こそ早死にしなければ天下は無理でも
信長と名勝負を演じ戦国最強の英傑にして信長の宿敵と礼讃されたであろう
信玄は平凡な山猿武将扱いでこの板を荒らす輩がのさばることも無かっただろうに残念だ 信玄は義理堅すぎたのがいけない
もっと汚くやらないとな >>360
周りに強敵いるかで違う話でマウントとられてもね
幼稚だなとしか >>359
誰も積極的に取らないような山ばっかだよね
広く見えるだけ >>363
だからその周りの強国を敵に回す外交の失敗と言われてる訳で 信玄は義理堅いのに、周りが不義理ばかり
諏訪は義兄である信玄を無視して勝手に山内上杉憲政と手打ちする
今川氏真は上杉謙信と同盟を結んで武田を攻めようとする
北条氏康は今川の領土を分けてやると同盟に気を遣ってやってるのに拒否して上杉謙信と結ぶ
徳川家康は遠州を手違いで攻めたのは悪かったと謝罪までしてるのに、逆恨みして上杉や北条と結ぶ
織田信長は武田が娘を嫡男にやるとまで気を使ってやってるのに、徳川にばかり贔屓して岩村に勝手に手を出す
四方が不義理ばかりのクソ野郎が多すぎ
武田信玄は義理堅すぎた >>359
最大石高だと信長秀吉家康はもちろん伊達政宗や島津義久よりも下だぞ? >>368
伊達政宗は、あれ葛西や大崎は支配下に置いていたといえるかどうか微妙だし、蘆名とか合わしても120万石もいくか? >>368
伊達政宗や島津義久と比べてる時点で十分英雄だな >>366
全般的にだろ
駿河も敵多いのにわざわざ同盟国攻め込んで
味方だった北条が敵に回って維持できなかった >>363
伊勢領国化したといっても一向一揆だの謀反だので完全な領国化はだいぶかかってるじゃん >>369
120万石って武田のこと?
それはいつの時代の換算だい?
何回も戦乱にあってる地域ばかりの武田が120万石?
駿府も武田が焼き尽くしてるし
下手すりゃ100万石未満だろ
しかも信玄が織田を敵に回したことで清水湊も全く活かせていない
経済的に貧乏のまま まあだいたい100万石だと考えるとそれ以上なのは
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
毛利元就
大友宗麟
島津義久
伊達政宗
上杉謙信
前田利長
三好長慶
北条氏康
こんなところか?
一族次代の北条氏政、豊臣秀長、毛利輝元は除外した あとは細川大内と従属勢力含めれば竜造寺
尼子長宗我部今川朝倉里見佐竹は70万前後ってとこか? 第4次川中島の損害のせいで信玄が謙信にブルって
上杉が北条や他を攻めてる留守を突いてしか攻めることができず
謙信が来ても決戦には応じず膠着または退却してるから領地が増えない
謙信相手じゃ軍を動員しても領地が増えないから恩賞が与えられない
恩賞どころか負担ばかりで家臣の忠誠心がどんどん無くなる
謙信相手じゃ手詰まりになってたから駿河侵攻に切り替えた
今川との同盟維持なんて最初から無理だったって話だな 無理でも今川支える為にやれることはやりましたってポーズすら取らず切り捨てて攻め込んだのがダメだと何度も ポーズとってたよな?
飯富と義信粛清してから何年もかけてるし それ今川助けようとしたポーズなの?
むしろめっちゃ切り捨ててる流れじゃん そりゃ切り捨てられたんだから
新しい同盟相手を探すでしょうよ
今川から観たら武田では嫁通じ義弟の義信が
幽閉して廃嫡された上離縁までされてる
という流れな訳でな 北条氏照だかが言及してるとおり、武田は今川が上杉と同盟したのを口実に攻め込んでるんだからむしろ喧嘩売ったのは今川だろ
軍事同盟なんだから落ちぶれた同盟国を支えるなんて義務なんかないし >>383
武田から喧嘩を売ってきたから対策をしたけど
結局そのままぶん殴られました、ってだけだろ >>383
北条氏照が言及したってよく言うけど、氏照は「信玄が領土を競望した」って批判もしてるんだがなあ >>386
領土を欲しがらない戦国大名なんていたの? 領土を奪うのはいいけどそこに至る過程で筋道は通せって事だろ
信玄の場合、小田原が攻められても氏真が統治に苦労してても何ひとつ彼らを支える事をせず挙げ句攻めこんだ >>384
遠江関連のスレでも、秋山の北遠江侵攻をスルーして「家康が謙信と同盟して
武田を裏切ったから、信玄は遠江に侵攻した」と言う奴がたまに現れる。
>>387
戦国大名は領土拡張を志向するという一般論でなく、同盟国の領国を狙ったり
家中を調略したりしたことを批判したんだろ、氏照は。 >>388
そんな嘘書いてどうするの?
お前も馬鹿にされるだけだよ >>389
>>>384
>遠江関連のスレでも、秋山の北遠江侵攻をスルーして「家康が謙信と同盟して
>武田を裏切ったから、信玄は遠江に侵攻した」と言う奴がたまに現れる。
それは事実だろ
>>>387
>戦国大名は領土拡張を志向するという一般論でなく、同盟国の領国を狙ったり
>家中を調略したりしたことを批判したんだろ、氏照は。
氏照はそんなつもりで書いてないと思う 意図不明の第五回川中島と長尾政景暗殺事件は連動してると思うんだよね >>391
>>389が言いたいのは徳川が先に裏切ったようにいう奴がいるけど
武田が先に裏切った(敵対行動をとった)んじゃない?ということなんじゃない >>386
氏照の書状の目的は上杉との同盟の打診で、その経緯として
理由もなく武田が駿河を攻めたけど、武田の言い分は今川と
上杉が共謀してたからという話が出てるだけだからな
氏照自身は今川と上杉の共謀については否定も肯定もしてないから
この書状が根拠にはならないと思う 同盟時よりも著しく衰退したという事自体が同盟違反だしな
それだけでも大義名分は十分やろ 勝頼もそれで上野北条領攻め込んで背後の織田に滅ぼされてんだから世話は無いな かと言って、御館の乱で揉めた後で北条に土下座して和解できたかね? 揉めた後っつーか真っ最中から
北条勢の信濃通過拒絶したり
越後坂戸勢による樺沢山城落城に祝意の書状出してたり
敵意を明確にしてる
上野領食う気満々
まあ食いたかったろうな
そりゃ高天神なんか見捨てますわ
ならそもそもなぜ盗ったw
捨て駒岡部さん可哀想 >>397
揉めた段階で北条ではなく織田と和解する方針になったと思う
織田家の血を引く信勝を嫡男にして元服後にすぐ後を継がせて
人質の信房も返せばなんとかなると思ったんじゃないかな…
信長からみれば感情論を抜きにしてもわざわざ和解する必要性が
なかったわけだけど 勝頼(というか武田)の見通しが甘すぎたよな
あのタイミングで織田との「和議」はありえない
「降伏」すればなんとか命だけは助けてもらえたとかそんなレベル うまく立ち回れば織田の東国侵攻の
先鋒として生かしてもらえるかもとか
甘いことを考えてたのかもな。 武田が織田と和睦するとしたら、北条が越相同盟を切り捨てて甲相同盟へ戻した時と同様
「代替わりを口実にした外交方針の大転換」が唯一のチャンスだった。
岩村放棄が最低必要だから家臣は納得しないだろうし、よくて主君押込、悪くしたら
クーデターで殺害されかねんけど。信玄が対織田開戦した挙句に死んだ時点で詰んでる。 勝頼が剃髪して詫びに岐阜に来ればあっさり許したんじゃね?
何だかんだでお優しいノブさまだぞw
ただし本願寺はブチキレて甲斐は一揆勢に蹂躙される >>403
それ波多野兄弟みたいに斬られるだけじゃね? そういや波多野も信長裏切って光秀を襲撃した前科持ちだったな
というか、あの時点で勝頼が信長と対等な講和とか空気読めな過ぎて草だよ
あの時点ならもう降伏、臣従
領土は割譲して武田側から新たに婚姻を求める形で人質を出す
これくらいはしないと 勝頼『信長が俺を許さぬと言うなら岐阜で斬り死にするまで。信長に一太刀でも浴びせられたら本望よ』 信玄最後の西上作戦が、戦闘では負けずに終わった直後だから、他家を一度継いだ
勝頼が「東農を織田に、遠江を徳川に差し出して臣従しよう」なんて言い出しても
家中が従うわけはない。近代だって国力を正確に把握して、いずれ負けるから不利な
条件でも講和しようなんて正論言っても、軍部や世論が許さなかった例が多数ある。
甲信駿三国と遠江・上野の半分と濃飛の一部を支配して、戦慣れした将兵が多数いる
武田家からすれば、西上作戦で徳川にまともな後詰できなかった織田と十分対峙できると
考えてたんだろう。背後は北条と同盟してたし、謙信とは実質休戦中だったし。 勝頼『私は信長殿に臣従するつもりでしたが家臣が言う事を聞きません。信勝と岩村の子供連れて亡命してきたので雇ってください』 信長自身は勝頼の才能買っていたから時期と条件さえ合えば赦したと思う 勝頼『竹中先生、先生の智謀は甲斐信濃まで届いておりました。どうか私を弟子にして頂きたい。先生の軍略の学ばせてください』
竹中『武田・・・いや諏訪どの、貴公は先日まで敵味方だったのですぞ。内応工作を疑われるような軽率な事は誉められませぬな。』
勝頼『』 細川藤孝宛の信長の手紙
武田を必ず根切(みなごろし)にする!吉報を待て 5/15日
↓
武田の根切は眼前である(決戦日前) 5/20
↓
前日に送った手紙と通りの結果になった。誰の首かを今確認してる所だ 5/21
↓
根切にしたがまだ勝頼の首は出ていない。川で溺死している武者の中にいるかも。殲滅したので勝頼は生きてはいないだろう。近年の鬱憤を晴らしてスッキリした。
そもそも信玄が表裏を構え、恩を忘れた自分勝手な行動をしたのであり、勝頼も同様である。 5/26
信長曰く、勝頼は信玄と同罪だってよ
信長が勝頼の首を探し回らせ、鬱憤を晴らしたと言ってるくらいだから、長篠時点で降伏してもまず勝頼は助からない 竹中『3年・・・いや5年お待ちください。その頃には貴公ほどの人物なら織田家中で信任を得られましょう。その時は私の知る限りの事をお伝え致しましょう』
勝頼『おお・・・約束ですぞ』
5年後
勝頼『竹中先生!5年経ちましたぞ。竹中先生はどちらじゃ』
秀吉『勝頼殿・・・申し上げにくいのじゃが半兵衛は先日病で亡くなってしもうた・・・』
勝頼『』 佐竹を信じた勝頼がアホだった
新羅三郎の血はバッチリ流れてる お人好しで騙されやすいのか・・・ノブさまそっくりやないか >>415
勝頼は信長が脳筋化したようなものでしょ >>417
そうかな?
松永久秀は2回
柴田勝家は1回
織田信勝は1回
他にも許された奴は結構いる
豪族とかならまだしも、大名クラスでこんなにボンボン許した例ってあったかな? 武田勝頼絶対殺すマンだし
甲江和与の駆け引きはずるい
高天神城への支持は怖すぎる 久秀は一応幕臣だしあまり強気で潰せなかった事情はあるかと
信行勝家の場合、まだ足元が覚束ない時期なので人材が足りなかったからでは >>415
お人好しと言うよりお気に入りには甘い印象が強いけどな信長 上洛戦から散々逆らっていた三好一族を赦したのはかなり寛大だと思うがなあ 足利将軍を擁していた三好に逆らったのは信長のほうじゃん 三好一族上洛から逆らっても許されたというのは
大雑把は話で宗家の義継は逆に上洛に従って
将軍追放時に匿ったという理由で攻め殺されてる
散々逆らったというと三人衆はそんなイメージだが
岩成友通は一瞬信長に付いてたりする
3人とも天正ごろには没落したか死んだと思われ
許されたとは言い難い
実態として散々逆らい許されたというのに
一番合致するのは多分阿波の三好長治十河存保兄弟
三好康長あたり 義継は信長上洛後暫くは信長側だったけど71年には信長と敵対してそのまま滅ぼされただし
岩成も73年まで信長についていたが義昭と信長が対立した際に義昭について滅ぼされただからなー
早めに降服してれば松永みたいに再度許された可能性もあったかもしれん 信長は時代劇で描かれるほど酷薄な人物ではなく、意外に甘いという逆転評価が
近年広まったけど、谷口克広『信長と消えた家臣たち』(中公新書)とか読むと
尾張内戦時代の不服従を突然蒸し返したり、服従した国人を謀殺したりと
やはり天下人王手目前までいっただけあって、やるときはエゲツなく粛清してる。 >>427
そのへんは難しい
「天下人目前までいった」から粛清したのかもしれないし
劉邦だって天下取ってから粛清しまくってただろ 信玄が今川との同盟を維持いていたらって話にそろそろ戻ろうか >>430
信玄は同盟を維持する気満々だったが、氏真が上杉輝虎と同盟を結んで武田領に侵攻しようとしていたから、維持は不可能だよ もうそういう因果関係を意図的に無視して話まぜっかえすのいいから
どこの研究者あそんなこと言ってんの 尾張内戦時代の不服従を蒸し返し・・・
というのは多分林秀貞と思うがこれは信長公記
「先年信長公御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり」
から曲解されてるだけに思える
同時に美濃衆安藤守就も改易されて
処罰理由も同じ表現に括られているので
より新しい何らかの疑獄があったと読む方が自然 >>432
平山優
「武田勝頼」か武田関係の書籍です
信玄は氏真との同盟を維持するために、義信の嫁を送り返して誓書まで交わしたのに、氏真が上杉と同盟を結んで武田を攻めようとしたので、信玄は敵対せざるを得なくなったのです >>434
平山氏が言ってるのか、これは荒らしと勘違いして失礼しました
内容を読めていないので図書館で今度読んで確認しますね そういうのは義理不義理だけで決まるものじゃなくて今川の国衆がもう氏真に愛想尽かしてるとか、武田の国衆が上杉との交戦にうんざりしてるとかそっちの方が大きいだろうね
特に今川の国衆なんかは信玄に守ってもらいたいくらいだったのでは >>434
>義信の嫁を送り返して
さんざんゴネてね? 「プレジール福島」1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務 昭和62年うまれ)は怖い住民。井本寛(いもとかん)の壁ドンが横行、住んだら絶対ダメ!そんなマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、トランクルームとしても役立たない下水臭いマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、安かろう悪かろうがモットーの商都が運営する賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27),
夜中笑い出す怖い入居者が多数入居中、鉄筋つくりなので響く騒音、そして嫌がらせの横行。
性器ヘルペスの異常性癖者が1002号室の井本寛(近畿日本コンサルタンツ勤務)の賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、、
賃料を下げても空室率が上昇中、貧乏人とトラブルメーカーの井本寛をはじめとするクズのたまり場の「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、下水臭い室内は商都のメンテナンス不足の証拠,
入居時に前の入居者の陰毛が散乱した状態で引き渡す清掃料金ぼったくりの商都が運営する「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、住んだら絶対ダメ!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27) ,空室率上昇中!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 井本廉 井本もも 井本梅香(杉並区成田東1-11-6-102) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛の持病 性器ヘルペス ソープで感染 井本寛(いもとかん)のペニスに毎日大江橋クリニックで処方された軟膏を塗る生活
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 柳 恒太郎(豊中市北緑2−1−18−1115) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 船越 明生(門真市上島町6−12) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 東 利則(茨木市小川町9−211) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 田岡 亜弥(横浜市都筑区牛久保東1−26−43) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 西口 昌宏(岸和田市八幡町10−15) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 飯尾 義弘(神戸市灘区八幡町4-9-27) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 葉山 大樹 葉山 真里 葉山 結里奈(東成区深江北3−15−14) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 立花 直輝 立花 智美 立花 和美 (住吉区山之内1−17−13) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か?? そもそも63年には信玄が家康と通じて今川の味方しないって言ってるから、
氏真が上杉と組んだってのはそれまでの信玄の敵対的行動の結果。 そういう解釈もあるのかと思うけど
ちょっと武田に都合よすぎない?とも思うなぁ
同盟のための嫁入り解消して嫡男を処断して
そのまま付き合った例は織田徳川の例があるが そもそも史実の信玄は義理堅い
諏訪→山内上杉と勝手に和睦した上に、領地まで勝手に分ける裏切りをしたため
高遠→武田との領地分割を逆恨みして攻め寄せた
長尾→和睦したにも関わらず、北信国衆と通じた、これが北信御三家誅殺の原因
今川→信玄は氏真の要請に答えて妹を返したのに、氏真は輝虎と手を結んで武田を攻めようとした
北条→今川領の分割で譲歩したのに裏切る
徳川→秋山の件を謝罪したのに逆恨みして上杉と組む
織田→岩村城に武田に相談なく手を出す、徳川ばかり贔屓して武田を冷遇して、勝頼の偏諱、叙任を妨害する
どれも相手が悪い 大分都合のいいものの見方してるの、ほんとにいいから 今川・北条に何度も援軍を出しているし義理堅いのは確かやな >>434
平山優の本なら>>64に書いてあるように
武田が既に遠江に調略始めてたからそれがバレて氏真が武田を不審に思ってたなら
武田のせいやで 平山優先生はまともな社会経験ない勝頼贔屓だからなあ >>434
でも今川と上杉が同盟を結んだ物的な証拠はないんだよな
わかるのは武田がそう言ってたということくらい そもそも氏真が謙信と連絡取り合ってた具体的な書状は残ってんの? >>441
> 諏訪→山内上杉と勝手に和睦した上に、領地まで勝手に分ける裏切りをしたため
> 高遠→武田との領地分割を逆恨みして攻め寄せた
高遠が逆恨みなら武田も逆恨みでは? >>450
氏真と謙信が直接交わしたのは不明
上杉重臣の直江景綱、斎藤朝信と、今川重臣の朝比奈、庵原が誓詞を交換した書状はあるらしい 平山は武田家滅亡か武田勝頼で、今川は義元の時から上杉と関係を持っていたと言ってるから、川中島の戦いを仲介した頃から使者を交わすくらいはしていたのかな? そら足利一門と外戚だからパイプくらいあったやろ
連絡は取り合ってたとしても不思議はない
それを理由に攻めこんだ信玄・・・ >>455
足利一門と外戚て、尊氏の時代のことだし
あんなのこの時代まで有効だったのか? 信玄が今川に援軍出したのって、
河東の乱で兵出して北条と今川の和睦した時と
三河の反乱時下条奥三河に派遣したの二回?
今川が信玄に援軍出したのは、
藤沢攻めと第二次川中島と
あとは対上杉ということで60年から63年まで関東に援軍出しているが北条への援軍としてで、
武田支援にもなっているが主は北条だろうな。 氏真って結局どうやれば大名として生き残れたのかな
何とかして徳川に勝たなきゃどうにもならないか… ノブの上洛に乗じて織田徳川と和睦し義昭政権に食い込む 信長上洛時はどっちも同盟国やで
義昭上洛を支持して徳川と今川領攻め込んだ ノブ『上洛したらしばらくは畿内に釘付けにされるやろし東が心配だなぁ・・・』
ヤス『上洛に駆り出されたらアニキもここぞと手薄な三河に攻め込もうとするだろうし心配だなぁ・・・』
交渉次第でいけるんじゃないかと 氏真『駿河に手を出したら公家の人脈駆使して朝敵認定するからそのつもりで』 駿河攻め自体は徳川と利害一致してて
信長も上洛にあたって長年の敵だった今川を除き
東が武田徳川という同盟国だけになって好都合だった
その初手で秋山が遠江侵したりして
不協和音起こしてる訳だけど
本質的な問題は徳川がそれ以上伸びるには
武田領以外道がなくなったことやね 折角、氏真抱き込んだんだから彼の人脈利用して武田を駿河から追い出せば良かったんや
いや、ひょっとしたらそれを実際にやったら信玄がブチキレて攻めてきたのかもしれんけど >>467
正にそうしようとしてたんやで(氏真は当初北条にいたけど)
ただ北条と上杉の同盟はやっぱり上手く行かず、71年に氏康が死亡して
北条と武田が再同盟することになった(ここで氏真は徳川に移動)
逆に言うと氏康がこのタイミングで死ななければ西上作戦自体が
なかった可能性が高い 信玄が氏政に再同盟の条件に氏真の首を要求したのは
ほっとけば彼の人脈を利用されて自分が窮地になることを理解してたからなのかな 大河の武田信玄で武田じん勝頼って呼んでたけどじんてなんで意味? 信玄と謙信が合体できてたらよかったのに
縁組で謙信を養子にしとけば信玄が天下統一してた うんうん養子となった謙信を嫡男と同じように通り殺していれば
信玄が天下統一だな 信玄は誰も信用できない恐怖の独裁者だからな
勝頼は脳筋だから生き残れた
それでも最期まで家督すら譲らなかったからな 信玄が日本中全ての大名を養子にして
根こそぎ義信れば天下統一だったよね〜 今川・武田・北条の三つの力を束ねて尚押し留めるのがせいぜいっていう越後のドラゴンが悪い。
謙信倒せないならもう南下するしかねぇ 短絡的だな
拡張政策が頓挫したなら外交を駆使して利権を貪るまで
織田の上洛に便乗して氏真と信長を和睦させてその手柄を持って義昭政権に食い込むのだ
甲斐信濃なんてドイナカ義信に押し付けて京に繰り出し義昭を意のままに操って幕府のフィクサーにのしあがれ
何のために三条から嫁貰ったと思う >>476
面積は広いとはいえ越後一国+αの領地で、本土に外敵を踏み込ませないどころか
数国持ちの北条や武田の領内へ何度も遠征かましたうえに、北陸でカルトと戦う
始末に負えないバーサーカーだしな。
武田としては、今川を裏切らず、織田とも敵対しないなら、飛騨か西上野くらいしか
進出先がないけど、どっちも上杉とまたぶつかるし、後者は北条にいい顔しない。 >>478
もう徳川が今川滅ぼした後侵攻するしかねぇ!
今川と徳川が同盟したら詰むけど。 そもそも氏真は家康をある意味で恨んでいただろうに
信玄やその近臣らは、その恨みを自分たちにではなく家康に向けるように仕向けられなかったのか
義元が死んだらあからさまに今川に野心燃やすとかバカだとしか >>477
三条家なんてすぐ断絶して利用価値もなくなり
逆に本願寺顕如に嫁いだ姉妹縁で顕如に利用されただけじゃね? >>480
恨んでたろうし怒ってたけど、元々松平を見捨てた今川が悪いからな。
松平に単独で織田と戦争させて、その救援要請を黙殺して北条に救援兵送った訳で。松平からすると氏真の為には死ねませんって話になる。(尤も、北条見捨てる事は絶対出来ないけど)
だからか家康妻子は殺してなかったり、徳川と話し合うつもりはあったのかもしれない。
信玄も焦ったんじゃないかな。万が一徳川と同盟されたら武田は打つ手が無いから。速攻徳川領に攻め込むしかないけどルートがなぁ… 恨んでも怒ってもおらんだろ
妻子の返還には応じてるし
ガキの頃から雪斉の元で机並べた間柄だぞ
家康の性格は把握してたし事情はどうあれ見捨てる真似すれば織田に寝返る事くらい予想してただろ
氏真はああ見えて人を見る目は確か 松平元康は今川一門衆扱いだったって説もあるし、
だとすれば元康に裏切られたのはかなりの痛手だったはず
とはいえ裏切りも何も見捨てたのはお前じゃんって言われたらぐうの音も出ないのも確か。
どっかで和睦したかった筈だけど、松平改め徳川が織田と同盟している以上心理的に和睦のタイミングが難しかったろう。
信玄への書状で「三河なんぞ徳川にくれてやるわ!」って啖呵切ってるし、家康になんとか痛撃を与えてから今川に有利な状態で和睦したかったのかも。その前に信玄に襲われたが… 家康の三河統一後
家康の弟人質にして徳川とは和睦していたという史料(軍記物)もある。 ただ信玄さん、
駿河攻めしながら徳川とも紛争起こしてるんだよな何考えてたんだろ… 今川と同盟継続ルート
上杉と決着つかないまま寿命
最終支配地域
上野西半分20万石、信濃甲斐60万石
飛騨の一部従属
美濃越えルート
織田より早く美濃取れるかどうか
でも信玄って例え美濃とっても甲斐から引っ越さず美濃に居城遷すことはしないだろうから
いちいち甲斐から美濃の先に遠征はものすご効率性悪いのとその場合
上杉南下にいつまでも気をつけなければならず北信濃、上野に兵力分散強いられて連れていける兵士は少なめ
このルートでも美濃の先は進めず寿命迎えそうだ
そもそも信濃9割に20年かかった信玄が美濃取れるとも思えんが
詰みです。どのルートでも一国とっておしまい
せめて上杉と和睦できていればいいのだけど多方面に敵かかえているため兵力密集度が低い。
上杉と和睦の場合、北信濃渡せ言われるだろうしそんな条件飲めるわけがなく交渉決裂
東からの脅威無くなって全力で美濃に行けた織田みたいな戦略展開はできない 論理的には三国同盟以前に戻り武田と今川が関東管領側について北条と戦う選択肢もあるが、当時の情勢で現実としてあり得ないか 今川にとったもシビアなタイミングだからなぁ。
三河の松平と戦線持ってる以上、北条と戦争はしたくないだろうし… >>487
居城がどこだろうと兵は各地から来るので関係ない
信玄家督相続1541年、村上義清越後亡命1553年
20年もかかってません 医師国家試験の受験生が玉石混合と書いた2つの理由は、個人的な経験によります。
第一に、私の出身高校は某男子校の進学校ですが、医学部に進んだ人も少なくなく、同じグループで集まるメンバーにもいます。
彼らの内何人かは頭が良いなと思いましたが、ほとんどは普通です。中高で英語9年間学んで、ようやく英検2級レベルの頭です。
共通していたのは家が裕福であることや、彼らの両親の多くが医師であったこと。彼ら個人の能力は平凡でしたが、家の経済力は中の上以上あったでしょう。
第二に、父(大学教授)が某医師国家試験で100%合格率を継続している医学部で、週一で非常勤講師(理系の一般教養科目)をしていた経験からです。
本業の大学は週4であり、非常勤では年契約により様々な大学で週一で教えています。
父が感じたのは、医学部生の能力の平凡さです。大学の実名を挙げるのは避けますが、仮にも医師国家試験100%合格率なのに、その大学の学生の能力は、例えば早稲田理工などにも劣るのではないか、と感じたようです。
もちろん、旧帝大の医学部とかなら話は別で、学生は皆優秀でしょう。 駿河を取ったのは正しいと思う。
むしろ上杉謙信とは外交で何とかするべきだった。川中島の戦いは時間と国力の浪費だ。北信濃を多少譲歩して、不可侵条約でも結ぶべきだった。
桶狭間直後に駿河侵攻、西上作戦だろう。 >>493
まず上杉との外交が無理。第三次の後だから譲歩するなら
相当不利な条件を飲む必要がある
仮に結べたとしても桶狭間直後だと史実より国力が武田は低下、
今川は高い状態になるので不利な条件になる。西上作戦なんて
そもそも何のためにするのか 北信濃や西上野をチマチマと拡大したのはそういった元手がないと今川にぶつかれないという事情があったのでないか 上杉との戦争をやめるのは北条との共闘を破棄することであり、その上で今川侵攻したら北条は完全に敵に回るので西上作戦なんて不可能だろう >>468
北條が長尾に絶縁状を叩き付けて武田と再び同盟を組んだのは
氏康から氏政への遺言によるものだというのが通説になっている。
もしもこれが事実なら氏康の生死に関わらず信玄の西上開始可能な状勢が生まれていたとみられる。
但しそれを円滑に遂行する為には史実のような対織田戦争ではなくて、
景虎の上洛の如く他国領通過の外交交渉が必要になる。
当時既に中央権力を掌握していた信長がそれを許諾したかどうかは何とも云えないが。 上杉は上洛の際、宿泊地でカネを使うから敵(一向一揆との和睦はまだ先の話)でも通してくれるけど
(海路でも敦賀港でカネを払って上陸)
武田はカネがないから通してくれない
戦いで破って突き進むしかない >>472
どっちも後のことロクに考えてないアホだし無理じゃね 徳川の台頭が遅れるわな
仮に
徳川VS今川で武田はどっちに着くんやろか
駿河侵攻の後の徳川の行動は武田並みにクソ >>500
仮に徳川の台頭が遅れても、極論すれば徳川がその段階で消えても、
最終的には誰かが江戸幕府的な上位権力体を建てて超越的・圧倒的な暴力を以て下位権力体の暴力を封鎖する流れは変わらない。
そこに至る過程で誰と誰が同盟したとか抗争したとかは些細なことだ。 第4次川中島のあと美濃狙うでよかったのでは
単独で狙うもよし、きついなら
今川挟撃したときみたいに織田と協力して半国ゲット
その状態なら将軍は武田頼るかもしれず
織田もたいした驚異じゃない
武田が攻めてこないなら今川は負けない
いざとなれば北条の援軍も見込める
謙信の関東遠征のとき助けた貸しもある かねて指摘しているように大名家として今川家を存続させ、かつ、武田の封土拡大をはかるには武田家のための通行地役権設定と浜名湖一帯の地上権設定しかない >>502
それやろうとしたら義信以下、親今川派に反対され、そいつらを粛清してるうちにノブに全部美味しい所を持っていかれたんだが 山本勘助が川中島で戦死しなければ少しは変わったかな >>498
でも天文22年(1553)の上洛で謙信は本願寺証如と会見をしてるから越中・加賀一向一揆は協力してくれたんだよ。 塩を獲るために今こそ今川攻めの好機
殿にも御運が巡ってまいりましたな・・・w 駿河のために北条徳川織田と険悪
釣り合って無いな
対北条も後世の人間は和睦するって知ってるけど当時の人間は武田北条は信虎時代のように泥沼の戦いになると予測し
関東の反北条勢力も上杉見限り武田と対北条包囲網を敷く
たかが駿河のために北条と戦い続ける
費用対効果見合ってないわ
たまたま同盟復活したけどな
今川と同盟続けて遠江平定と徳川倒すの手伝ってた方が良かった
その見返りに三河半国割譲してもらう
将軍からいずれ上洛要請来る。その時徳川いなくて武田今川で織田領土侵入
上杉は将軍の根回しで武田領に侵入しないようにしてもらい全力で織田領内に侵入する
さすがの織田も負ける 今川氏真追い出して北条氏康を怒らせた所で信玄の戦略が狂ったな。信玄が当主になった最初諏訪寅王丸を担いで高遠頼継を倒したように今川氏真担いで徳川織田に義元の仇討ちという大義名分で西上作戦始めれば良かった。上杉対策には将軍家を通して制止させ一向一揆と北条氏康に牽制役を任せれば抑えられた。 自分の息子を氏真に養子取らせるとかも
落とし所としてダメなんかな >>515
と全く同じの歴史ユーチューバーもあげてた
やっぱこれしかないよな
徳川滅ぼしときゃ織田は負ける
武田今川に東海道から攻められたらひとたまりもない
4万の大軍が押し寄せてきてそんな大軍に対するまもりの兵なんか織田には無い でもそれっで三河という今川家の旧領奪取に
見返りないまま武田が滅私奉公しないと起こり得ない
つまり起こり得ない空想でしかない >>518
どの時期を想定してるかはわからないけど、武田が織田と同盟を結ばないなら
織田上杉間で同盟が結ばれることになる
武田今川で徳川を攻めても織田が救援に来るので国力的にほぼ互角
武田だけが遠征する距離で大変な上に、上杉への対応を考えたら
徳川を倒せる見込みはない
織田の美濃侵攻を遅らせることはできるけど、武田も勢力拡大が望めず
負担は大きいので、今川だけが助かる結果になるだろうね REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 駿河攻略が済まないうちに遠江越境侵攻して北条と松平両方を敵に回したのが、マズかったのでしょうな 今川と同盟堅持し
織田信上洛のタイミングで
武田今川連合で家康を倒し
三河を奪う
以後は信長不在時に尾張美濃を
齧りとっていく
完璧だろ 上洛と今川攻めは織田武田の同盟あってのものだからね もう武田家が滅亡したの信玄のせいじゃん
織田の味方ずっとしてりゃよかったのに 同盟相手を裏切りまくって
個人どころか武田家全体の信用を落とした信玄
勝頼はその負債を背負わされた >>529
勝頼も北条との同盟切ってたし親子やな
まぁ、それが原因で滅ぶんですけどね