今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう まず、桶狭間の戦いの影響を考えてみよう
@今川義元の戦死
A多くの重臣の戦死
B反三国同盟勢力の勢い増
@これは言うまでもなく大きい
当時、義元は既に氏真に家督を譲ってはいたものの、
事実上の当主は言うまでもなく義元だった。
また、この当時は駿河遠江は氏真、三河は義元と分業しており、
三河を治めていた義元が討ち死にしてしまったことが松平元康の独立に繋がったと考えられる。
A桶狭間で討ち死にした武将は大勢いるが、
松井・久野・井伊といった遠江勢が多く討ち取られている。
これによる遠江支配が大きく揺らぎ、遠州?劇に発展した
B今川が弱体化したことで、アンチ三国同盟というべき
上杉(長尾)、北信濃諸将、関東諸将の連合軍は大いに勢いづいた
義元が存命している頃は武田北条に対して強気に出られなかったが、
桶狭間後には小田原城にまで押し込まれてしまい、武田も決戦を避けられなくなってしまった。
今川家も北条に援軍を送らざるをえなくなり、三河や遠江の国衆の離反を招くことに繋がってしまった。 桶狭間により今川弱体化→三河遠江の国衆の心が離れる→今川弱体化により北条攻められる→北条に援軍送る→三河遠江の国衆離反
まさに悪循環 ということで氏真にも同情すべき点はかなりあるというか
継いだ時点で無理ゲーだったんじゃねという気もするが
どうなんだろう >>5
下手に実力あったら警戒されて謀殺されていただろうから
当時から放っておいても無害なやつだと思われていたんだろうな… 三河独立と遠州錯乱が無きゃどうにかなったと思うが
その原因のほとんどが桶狭間だしな
そうとうな寝業師が氏真についてないときついわな 今川氏真の野望(桶狭間敗戦後からスタート)
とりあえず武田義信を当主にさせるよう全力で調略(ココ重要)
↓
武田信玄が世を去るまで領国を現状維持
↓
後北条と武田旧領を分割する密約を締結して信玄いなくなったら即侵攻作戦開始
↓
武田義信を捕縛して侵攻作戦終了、武田旧臣を取り込んで領国をそのまま統治させる
↓
織田徳川連合軍と和睦(ココで織田徳川と軍事同盟締結)
↓
今川家の太守様として大大名となり英雄と呼ばれる氏真様が誕生
ギャルゲーで言う所のバッドエンド回避したルートの妄想 今川が速攻で崩壊した理由としては、
家督争いが続いたことで一門衆が少なかったことが原因とも言われているね
確かに北条や武田と比べると明らかに一門衆が少ない
まぁ武田とか見てると一門衆だからって裏切らないとは限らないというか、
むしろ真っ先に裏切っているので多けりゃいいってもんでもないんだろうが
殆ど唯一の一門衆(というより実際に今川家を取り仕切っていた?)の
寿桂尼が死んで、すぐに武田が攻勢かけているのも偶然ではないだろう 氏真の兵力を1% 家康の兵を99%にしてすぐに織田を攻める
夏に信玄に攻め取られるが
すぐに終わりから攻め返せば あら不思議 信玄の兵力が1 勘助の兵力が99になってる
あとは勘助を避けて信玄を討ち取れば旧領も奪い返せるだろ 結局、史実通りに1568に信玄が攻めてくるなら滅亡回避は無理じゃね
それまでに松平氏を滅ぼせていれば別だけど遠江の反乱祭りで対応無理でしょ なんで松平が裏切って武田が攻めてくるかといったら
織田への報復がなされていないからだからなんとか遠江をなだめつつやりとげるしかないんじゃね >>13
しかし、桶狭間の直後に上杉の攻勢が始まっていて、それに援軍を出している。
で、そうこうしているうちに三河で松平元康が独立、遠江でも続々と国衆が離反
北条を見捨てるしかなかったのか 今川氏真無能論の根拠
@仇敵である織田家討伐の兵を起こさず、松平元康に離反される
A三河一向一揆などチャンスはあったのに活かせず、独立した松平家の討伐に失敗
B遊興に耽っており、家臣に政務を任せきりだった
C武田家に攻められて速攻で滅亡
こんなところか、他にもある? @仇敵である織田家討伐の兵を起こさず、松平元康に離反される
については、当時の情勢が無視されている
まず桶狭間で当主義元と重臣が死にまくったため、すぐに大規模な軍の動員は難しい状態にあったこと
その上、関東で長尾景虎が北条氏に対して大攻勢を仕掛けており、
それに援軍を出さないといけなかったため織田討伐は不可能だった。
織田家の討伐を行わず、北条に援軍出したことで松平家が見限ったという説もあるが、
それは現実的な選択肢だったのだろうか A三河一向一揆などチャンスはあったのに活かせず、独立した松平家の討伐に失敗
これはちょっと擁護が難しい
当時、三河だけでなく遠江でも離反祭りが起こっていたが
それでも親今川勢力の方が多かっただろうし、
何よりも三河一向一揆で半数以上が裏切った松平家を滅ぼせなかったのは
氏真が戦下手と言われても仕方ない
ただ、相変わらず関東情勢は一進一退で、
松平を追い詰めたとしても織田の援軍が来る可能性もあったため
いうほど簡単ではなかったと思うが 勝頼は家臣団増強するためそこかしこから人集めしたのに氏真と来たら‥ B遊興に耽っており、家臣に政務を任せきりだった
これについては出典が甲陽軍鑑とかで怪しい
武田方からすると、氏真が無能のクズだったということにしておかないと
攻め滅ぼしたことに関してバツが悪いからな
ただ、当時の今川家は祖母の寿桂尼が実質的に取り仕切っていたという説もあり、
寿桂尼が死んで速攻で武田に攻められ滅亡しているので、
家臣に政務を任せきりだった、というのは事実だった可能性が高い C武田家に攻められて速攻で滅亡
信玄が甲府を出立して僅か7日間で駿府陥落
半年後には遠江の掛川城も落とされるという記録的なスピード滅亡、RTAでもやってたのかな?
一度は駿府を取り返して意地を見せるも、北条氏の力なので別に氏真の手柄ではない 全力で松平を攻め、屈服させ、支配下に置くしかないんでは?
今川の生命線はやはり三河 >>21
しかし、そのためには北条見捨てることになるけど大丈夫か
武田が駿河侵攻する代わりに北条が駿河侵攻するルートに入りそうだ そもそも三河独立は桶狭間後に信長が三河に攻勢をかけてたのを放置してたのが原因じゃないか? >>23
そういう説もあるね
三河衆が対応していたけど氏真は援軍を出さずに
北条の方に援軍出したから見限ったという説
ただこれって何か裏付けあるんだったっけ 家臣団の離反を防がないことには何ともならないな。薩埵峠の戦いなんて最早笑い話でしかない。
かと言って敵討ちだ何だで織田や松平を叩くための軍役の負担増もまた離反の理由になるわけで、結局は早いうちから三河遠江はあきらめて、北条あてにして駿河一国に注力するしかなさそう。 >>26
駿河一国では下手したら徳川以下の国力に成り下がるのだが
武田に三遠切り取り次第にさせるか、いっそ従属するくらいのミラクルな手を打たないと駿河一国ではどうにもならないだろう まず遠江の反乱を鎮圧して二ヵ国の大名から再スタートだ
徳川と一揆で分裂してる三河をうまく再支配できれば簡単に滅ぼされはしない >>28
一応、史実でも遠江の反乱は鎮圧したんだけどね… 信玄が来る前に今川だけで三河統一した徳川つぶすのはきびしいかな? きびしいよね そもそも折角尾三国境を安定させた信長も黙ってないだろうし >>17
飯尾が反乱して、井伊も降伏したばかり
三河への道が半ば塞がれているから仕方ないといえば仕方ないと思う
東三河だって反乱制圧したの1558年のことだから、信用できるかといえば微妙だし。 桶狭間を必死で止める
もしくは義元ではなく氏真が出陣 三河で仏敵にもなってないであろう家康って
どんだけ圧政を引いたんだろうな?
三河全土に及び一向一揆とか
その辺を上手くつければ
遠江が間にあって無理か >>34
氏真が別動隊で出陣してれば無傷の残存部隊を結集させて戦うこともできたやもしれんが
もちろん本陣に同陣してたら首が二つになるだけだが 家康の家臣も大量に一向一揆側に付いたんだからそこを利用して寝返りを持ちかけるとか
家康が裏切った際に家臣の家族を殺してるのが先だと無理か >>32
信長と戦うことになるのは厳しいね
尾張を完全統一した織田家は56万石
更に1565には中濃も攻略され、北伊勢の侵攻もはじまっていたから
駿河遠江(44万石)の2ヶ国の今川よりも遥かに国力が上になっていた
そうすると、松平家を攻略して東海三国を取り返すチャンスは最初からなかったのかなぁ… 武田相手にやられる前にやる作戦か…
その場合は松平家に加えて北条家まで敵に回りそうだけど大丈夫なんですかね かたき討ちしなきゃいけない時に同盟国北条が上杉に攻められてそっち優先しちゃった結果
対織田の矢面に立たされていた三河衆がキレて離反、それにのって遠江もってことっしょ?
このドミノ倒し防ぐにはやっぱり北条さんにはしばらく自力で頑張ってもろて、その間に織田攻めて面目を保つのが優先なんじゃ?なるはやで
北条さんサイドも親父のかたき討ちって名分なら反感も少ないんじゃ? >>42
北条が上杉を食い止められるならそれでいいけど
小田原城に籠もっていただけだから、駿河を空にすると
今川領まで略奪しに押し寄せてくる可能性もあるけど大丈夫かな
わざわざ箱根の山を越えたりはしないか? >>43
さすがに上杉が今川領まで北条無視してくるとは考えにくいんじゃない?