もし仁科盛信が武田家の家督を継いでいたら
武田親類衆と武田氏権力 須藤 茂樹 著
第一部 武田親類衆穴山氏の支配構造
第一章 穴山信友の文書と河内領支配
第二章 武田親類衆穴山信君の河内領支配
第三章 穴山信君の江尻領支配
第四章 甲斐武田氏の滅亡と穴山氏 ―穴山勝千代考―
第五章 穴山氏奉書式印判状とその奉者
第六章 穴山信君と畿内諸勢力
―武田外交の一断面・史料紹介を兼ねて―
付論 穴山信君と鷹
第二部 武田親類衆の支配構造
第一章 武田逍遥軒信綱考
第二章 信濃仁科氏の武田氏被官化と仁科盛信
付論 武田氏と郡内領に関する一史料
第三部 武田氏の外交・訴訟・宗教
第一章 武田信玄の西上作戦再考
第二章 甲・越同盟の一考察
第三章 戦国大名甲斐武田氏の「訴訟」をめぐって
第四章 武田信虎の信仰と宗教政策
第五章 窪八幡神社所蔵掃除指図の紹介と武田・後北条氏の掃除役
付論一 「市河文書」に見る一武士のいきざま
―信濃から越後・会津・米沢、北海道へ―
付論二 関東戦国史に関する新史料二通の紹介
―武田信玄と上杉謙信の書状―
付論三 阿波に残る武田家伝承
ttp://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4-86602-025-9.htm >>26
光秀なら二条御所の構造を知っててもおかしくないし信忠軍は合戦の準備なんかしてなかったわけで
高遠城はほぼ間違いなく初見だったろうし 高遠城が1日で落ちたって本当なん?
やる気無すぎだろ 逆に戦国終盤で勢いある大軍率いてすぐに落城させられない家の軍は弱い まともな城にまともな将兵がちゃんと籠れば瞬殺はなかなか無いだろ
高遠城は武田の重要拠点として整備はされてただろうし 戦力差はどうにもならんから、落城はまあ仕方ない。問題は足止めすら出来ていない事。
敵の侵攻が遅れれば遅れるほど、打てる手は増えるのは当然な訳で。
勿論、粘れば武田の命運は尽きなかったなどと能天気な事を言うつもりはないよ。
しかしせめて四、五日は頑張ってほしかった。たとえ、無駄なあがきだったとしても。 誤解している人が多いけど確かに高遠城での本丸決戦自体は
一日と持たずして終わった。
けどその前に数週間信忠軍を足止めしている
(信忠からの降伏勧告をめぐるやりとりなんかで)
信盛はやるだけのことはやったんだよ、実際はね >>34
数週間って・・・ 数日間の間違いだろ
織田軍が鳥居峠で勝ったのが高遠落城の約2週間前
どのみち攻城始まって即落城では時間稼ぎの役目は果たせてない ゲームじゃないのだから数日だろうが数週間だろうがその分
甲斐に入るのを止めてたという意味では役目果たしているだろう
何日足止めしたところで他が同じなら結果は同じなんだから
役目果たしてないとかさすがに言い過ぎだべ それじゃ言い換えるけどあそこで盛信がもっと
足止めをできていたら何がどう変わったの? >>38
変わらないよ。だって穴山の謀反は高遠攻めより前に発生している。あれでもう武田軍に継戦能力は無くなった。
ただ、仁科が高橋紹運みたいに信じられないくらいの抵抗と大被害を織田軍に与えたなら、その間に勝頼が何処かに逃げれた可能性は高まる。 ゲームじゃないのだから重要拠点が即落城では将兵の心が折れる
ゲームじゃないから高遠落城だけでは済まないのだよ
そもそも数日って最短レベルだよ そこらの小城じゃあるまいし開城交渉や攻城準備だけでそれくらいかかる 素通りされるよりマシって程度
織田軍は攻城のための陣城を築いてたらしいし即落城は織田・武田双方にとって予想外の事態 織田武田ともに盛信の力量を完全に見誤っていたということで >>40
穴山の裏切りが高遠にも伝わって、勝頼が甲府に引き返して後詰が全く無くなったんだから高遠軍の士気はどん底になったのではないかな? 助け合いとかスイーツみたいなこと言うなよw
今と時代は違うねんぞ 仁科信盛は松姫の実兄だから信忠もできることなら死なせたくなかったんだろうな 数日時間を稼いだってのも松姫絡みかもしれんなw
さすがに盛信助命は無いけど >>45
そもそも信忠が送った降伏勧告を務める僧侶の耳と鼻を削ぐとか、やることが当時でも酷すぎる。高橋紹運は島津が送った降伏勧告の僧侶を丁寧に返したのに、この差はなあ。 僧侶の件は味方を心理的に追い込むのが狙いじゃないかな?
敵に降伏しづらい状況に持っていき徹底抗戦するために 僧侶の件は信忠との関係は一切無いと敵味方に示す意図もあったかと >>46
それ家久紹運が古い作法で戦して
中央ほどガチじゃないから籠城長引いたって話になるだけだよ >>46
複数の史料から降伏交渉は数回に及んでいたことがわかっていて
城外の小競り合いもあったが実質膠着状態だったところへ
穴山の寝返りが判明したからこれ以上は無理と判断したんじゃないかと
いう見方もある。
小笠原が信忠へ内応したのも信盛があえてそうさせたみたいな話が
地元の寺には残っているらしいという話もある。 >>20
高遠、諏訪は勝頼縁のところ
盛信に対しての忠誠と言うより勝頼に対しての忠誠といった方がいいだろう >>44
まあ、普通に降伏して欲しかったんだろね、本気で。 降伏したって許されるわけはないわな
夢見るとしても松姫の引き渡しくらいじゃない それとて信長に殺せと言われかねん >>57
それなら、武田滅亡後に北条に殺害命令出してるよ。北条も信長の歓心得たいから応じるだろうし。 正統性は仁科に養子に出されてる時点で勝頼と似たり寄ったりだわな
勝頼はまだ10年ほど前から上野攻略戦以降の主要な戦いを経験してる分はまだマシ >>58
戦陣中のぶっ殺すモードと戦後の逃げた女の扱いとでは違いがあると思うが
本能寺直前に松姫が信忠と会いに行く途上だったというのが事実ならその頃には信長も冷めてたのだろう >>58が言ってるのは仮に高遠城で松が引き渡されてたらってことでしょ
史実でそんな行為は無かったから命令があるはずがない そもそも盛信が勝頼に忠義立てしていたというところから疑ってみてもいいんじゃないか
盛信が政治的に重用されてたか?
むしろ武田軍本体が上野でボーナスステージやってた時期に辺境に封じ込められてたんじゃないか?
いくら実兄とはいえ遠方の他家の名籍に入った盛信に松姫が付いて行ったのにも違和感がある 高遠城って武田の最重要級拠点じゃないの 武田からしたら上野こそ辺境だろう 高遠入りしたのって天神山が落ちてからなんだってえ
なんという貧乏くじ >>65
ついていったんじゃなくて盛信が高遠入りした時に
松姫を高遠によんだんだよ
それまでの松姫の居所は実質不明に近い 松姫って当時としては既に行き遅れだけど織田との講和を模索してる中で他家に嫁がせるわけにもいかんしな
同母兄の盛信が引き取るのは無難かと 盛信は織田と武田が完全に決裂後松姫に何回か縁談を勧めたが
全て断固拒否姿勢で断ったという話もある
(松姫は髪を下ろして半俗半仏生活に入っていたとも言われるから
縁談話と何かしら関係しているのかもしれんが)
盛信としては再び他国との政略の駒に使われるぐらいなら
一門や家臣に嫁がせて平穏な暮らしとか落ち込む妹を励ます意味合いで
という妹を想ってのことなのか、勝頼はどうあれ個人的に織田との講和には
断固拒否姿勢だったのか、逆に勝頼に松姫の意思はこれだけ強いというのを
示すためにこのようなことをしたのか探ってみるとおもしろそうだな
探って それらが勝頼の意向も含んでなのか含んでいないのかが気になる >>29
なんの講演会かは忘れたけど信忠は高遠城内部の構造を
かなり詳細に知っていた可能性がある攻め方だったらしい
小笠原の寝返りがあったとはいえ攻め口や攻撃方法、松姫が
いたとされる曲輪は焼失せずまんま残っているなど(信忠らが
普通に宿泊できるレベル)具体的にどこに何があってどういう導線で
弱点はここなど実際に見て歩いたことなければわからんだろみたいな
レベルっぽいぞ(だから焼失も最低限で済んだとか)
質疑応答の時に松姫に忍んで会いに来た可能性があるのでは?と
指摘されて可能性は否定できないと返事していた
因みに講演者はI先生 まあ確かに信忠はやけにお前高遠城の内部知ってるんか?と
言わんばかりにgogoモードなんだよな…
盛信も変に潔いしこの2人会ったことあるんじゃねーの そもそも高遠より前に森城主として武将を調略したり、国境警備したり戦以外の活躍もちゃんとしてるよ? 勝頼以上の猪突猛進だからもっと早く滅亡するだろ
勝頼軍と北条の大軍が対陣したときに睨みあいで終わったけど
仁科だと攻撃しちゃって大敗してたろう 松姫様こと信松尼が亡くなって四十九日が明けた日からきっちり400年後に生まれた我が娘。休みがあれば武田神社の産湯の井戸や、高遠裏にある地元民が知る湧き水を西八王子の松姫様のお墓に持って行ったご褒美に、何かしらの存在がそんなミラクルを娘と俺に授けてくれたんではと感謝している。
さすがに娘が松姫様の生まれ変わりだと思い込むのは少々ご無礼かな、と思っている。でも思いたいイヤ駄目ダメでもちょっとならイヤ駄目だめダメ〜。