弾正忠上総介
一時期、来てたけど、それは同時に、まことの
ハッキングが判明したときだったな おまえがここに書き込んだ途端、まことも書き込んだんだろ?!
ハッキングを疑われるとおもわなかったのか?!
ったくww 何度も言うけど、子供が親の財布からお金を
盗るのと同じだよ
ハッキングがバレてないと思って、行動が
エスカレートしたんだろうなww それにしても、調子に乗り過ぎだろ!
いくら偶然を装っても、毎回毎回、同時間帯に現れたりしないだろ! まこと、と、バレてないと思ってたのかねえ
文脈、行動、性格と似ていたら、同一人物と考えるのが普通なのになww まことにとって、自演とは何だ?
キャラを演じて、乗ってやると、喜ぶけど ハッキングと同じくキャラも、バレてないと思っているのか!? うーん
だから、最近、気が向いたときにしか返信してやらないんだけど
時々、キャラとして話しかけてくるんだよ そのキャラをまことだ、と言ったら怒るんだろ!?
ネットに溺れすぎだよな! まことのキャラ 「誰、おまえ?」
オレ 無視
まことのキャラ 「誰かと聞いているだよ」
オレ 「何で、まこととわかってい るやつに自己紹介しなくち ゃいけないんだ?」
その後、まことは、発狂する まことの掲示板のときでもそうだったけど、オレは、まことに対して話している
けど、まことは、自分のキャラに話していると思っているわけだ
こう考えても、まことにとって自分のキャラは、別人と思いたいわけだなww >>2から>>16
なんかオープン2chの方で現在進行形で複数端末ID切り替え自演の常習犯である事を
ご自身でも明らかにされている、必死な織田厨の人が、必死に連投を繰り返しておられるように思われますが、
菅沼なんたらといったり、まことと言い出したり、
お忙しい感じではございますが、とりあえず貴方の言われている事に
論証の方をよろしくお願いいたしますかねえ。
そもそもまこと、って誰なのですか、と思うのですがねえ。
まーた新たなるレッテル貼り用の架空人物レッテルなのかとは思いますが、
ご説明と論証の方をよろしくお願いいたしますかねえ。 まこと君
どうせ、戦国2ちゃんねるにも、まことしかいないんだろ?
まことしかいないんだから、そんなに必死になるなよー まことしかいないから、必死になってんだよ!
まことしかいなければ、堂々と自爆発言出来るからな! まったく、そのとおりだせww
必死になって、自爆発言するのは、まことの
いつものことだからなww さて、せっかくの戦国時代スレッドなのだから
戦国時代を語ろう
戦国時代のはじまりは、応仁の乱、と、一般的
な考えだけど、実際は
北条早雲が、伊豆に攻めたとか、山城の一揆とかいろいろ説がある
本当に、山城の一揆が原因か?! 応仁の乱やろ
北条早雲が、山城の一揆や北条早雲が伊豆に
攻めたくらいで、戦国時代がはじまるかいな 戦というのは、ちょっとしたことで広まるらしいぞ
そのくらい、でな その考えは一理ある
応仁の乱も、一大名の跡取り争いから、はじまったのやから 北条早雲が伊豆に攻めたのと、戦国時代がどう関係あるん ? 確か、伊豆に攻めたことが発端で、北条早雲と当時有力大名だった
三浦と戦いがはじまったんだよ
それで、戦が広まった それが原因なん ?
応仁の乱と違って、説得力がないやん まあ、オレに言われてもな
歴史研究者に文句を言ってくれよ じゃあ、歴史研究者の名前と住所と電話番号を教えてくれ 戦国時代初期、今川家は、貧乏
再建したのは、北条早雲 義理の妹、北川を助けに北条早雲が駿河に入ってきた
もっとも、そのときの名前は、伊勢新九郎やけど 確か、伊勢新九郎時代の資料は、ほとんど残ってないと
聞いたけど
斎藤道三もそうだけど まあ、オレの中では、松浪庄九郎の印象は
国盗物語だけどね >>40さんは、いいところを見てらっしゃる
斎藤道三をあれだけ小気味がいいワルに書き上げるのは
司馬遼太郎だけやろ 北条早雲は、52歳で悟りを開いているはずだけど
箱根の坂では、それが書かれてなかった 司馬遼太郎も、忙しいんやろ
すべてを書ける余裕はないんちゃう ? 早雲の人生は、54歳で動き出したといっていい
と、箱根の坂で書いてあった 悟りを開くことを、目覚める、というけど
目覚めてから、徐々に変わり出すらしい
そう考えてると、その2年はそうかも アホ!
悟りは、敗北者の都合良き理論
と、司馬遼太郎は国盗で書いているやろ まあ、悟りはいいとして、北条早雲の関東八州統一計画は最高ザマス 北条早雲は、悟りを開いたから、貧乏駿河を
大都会に変えられたん ?
駿河に入るまで、箸にもかからない浪人やったけど、悟りを開いたから
54歳から人生が動き出したん ? 悟りは、敗北者の都合良き理論なんだろ?
おまえのいうとおりなから、違うだろ 悟りなんかインチキやろ
インチキお札で、カタギから金を巻き上げる裏稼業やんけ
インチキお札を買うゼニがあったら、100円マックを買う うるせえな
今は、悟りの話じゃなくて、北条早雲だろ 伊勢新九郎時代の資料がないから、クスぶっていたとはかぎらないやろ
伊勢新九郎は、有能だったから、北川に呼ばれたんちゃう ? 小説では、太田道灌に呼ばれていたけどね
北川の旦那が殺されて、義理の兄伊勢新九郎に助けを呼んでたが
まあ、太田道灌も、クスぶっている兄を呼ぶだりはしないかな 断言する
伊勢新九郎は、有能だったから、駿河な呼ばれた! まあ、でも、歴史研究者の間では、伊勢新九郎時代
クスぶってたとの話だがな >>58
藤壮司は、本名か?!
藤壮 司なのか?!
それとも、藤 壮司なのか?! 本名のはずないやろ
ちなみに、藤 壮司 や
俺の近くに、歴史好きのやつが2人いるから
それを組み合わせたHNや 藤 壮司
変なホールドネームだけど、その歴史好きは
とんな名前なんだ?! ホールドネームで、だいたい想像がつくやろ
ここは、戦国時代5?ちゃんねるや
戦国時代の話をしろよ!
弾正忠上総介なら、信長の話をやろう! 信長は、見方によっては、大したことがない
運がいいだけの男 大したことがないやつが、天下統一真近まで
いくはずやろ 時々言ってるが、たとえば、信長が凄いんじゃなくて
信長の参謀が凄いとしたら? それでも、才能
一見簡単そうだけど、参謀を束ねるのは生半可なことではない
威張り散らして、それでも、天下統一寸前までやっているのだから
これを才能と言わずして、何て言うのやろ 信長は、部下の才能を引き出す才能を持っていた
もし、信長の参謀が、無能ばかりだったら? 無能ばかりなら、運が悪いだけやろ
運がいいとは話は別やん そういや、原哲夫が、若き信長の漫画を書いてるそうだけど オレも知らないけど
信長は、うつけか?
それとも、天才か? その時代に生きてないから、わからないやろ
君の言うとおり、部下が優れているかもしれないし
部下の手柄が、すべて、信長に行っているのかもしれない
100年も経てば、歴史が落ち着くけど、それが本当の歴史か
どうかもわからん 天才かうつけか聞かれたら、天才と答えるしかないやん オレが悪かった
まあ、変わり者にはちがいないだろうな 安土時代は、信長好みの変わった時代やろ
そう記録にも残っている
信長好みはいいが、それに付き合わされている部下は
堪ったものではないやろう まあ、変わっているといえば、世論の逆流を走るところがあったよな 霊魂を信じてなかったというが、信長は宗教そのものを
否定していたわけではないらしいよ 霊魂と宗教は、関係あるん?
警察や学校の先生が、悪いことをしないと決めつけるのと同じや まあ、宗教といえば、あの世も信じている気はするけどな 信長は、宗教裁判で人を裁いているやん
自ら、神になろうとしているやん
でも、あの世とは、また、違うやろ 結局、2万vs5千だろ?
尾びれがつくにもほどがある それくらいで、尾びれがつく、と言い過ぎたら
おもしろくないやん
戦国時代武将たるもの、ハッタリも士気の内や 桶狭間の話でも、言ったやん
尾びれを言い過ぎたら、おもしろくないやん 死者1万7千と云われたわりに、有力武将は
みな生きている
何とも不思議な川中島4戦目 武田も上杉も、謀反を多かったんや
いわば、謀反を起こさせないための戦いやろ そう考えたら、武田と上杉で、何か密約があったんやろ
さもなければ、信玄は遺言で上杉を頼れ、とは言わない >>114
上杉謙信が、他国に攻めたことは、当時
革命的出来事だったやろ 北条早雲が伊豆に、攻めたときのほうが早かった
もっとも、そのときには、武田信玄も上杉謙信も
影も形もない 北条早雲の時は、まだ、戦国時代ではなかったやん
もっとも、これが、きっかけだったという話もあるけれども 司馬遼太郎は、あまり武田信玄や上杉謙信のことを書いてない うん
まあ、真田昌幸は、戦争が得意だったんだが
あれは、武田信玄の知恵なのかな 昌幸は、信玄に気に入られていた
常に、信玄のそばで、戦いを見ていたというのだから
信玄が無関係ということはないやろ もし、そうなら、武田信玄は、日本歴史史上最強の
武将だったことになるだろ でも、結構、武田信玄って、謎に包まれて鋳るだろ?
今の肖像画は、実は、偽物とか 武田信玄の絵のひとつで、丹波の印がついているものが
あるらしい
が、武田信玄は、丹波には行ったことがない
で、その武田信玄の絵は、偽物という話がある 信玄は、晩年、出家していたのに、チョンマゲが描かれているから、偽物とも言われているやん 武田信玄の絵そのものが偽物だという話もあるな
楠木正成なんかは、偽物と断定されて、教科書から
消えているよな ちなみに、武田家は、一朝一夕に出来た家柄てはない
例えると、育ちの悪い植物
いくつもの苦難を乗り越えて出来た家柄やろ 本当のヘタレだったら、とっくの昔に家督を奪われているやろ 山本勘助、弟の信繋に支えられていた
やはり、武田信玄は、ヘタレなのでは ? まあ、一説ではな
山本勘助が死んだら、武田家は不安定になり
弟信繋が死んだら、武田家は不安定になった
信玄が、ヘタレの理由には十分だろ でも、藤の言うとおり、本当にヘタレだったら
とっくの昔に家督を奪われているんじゃないか
?! それは、わからん
ただ、武田家は、共和制だったらしい
つまり、共和国のてっぺんに、武田信玄がいた 勝頼の言うことを聞かなかったのも、それが理由か!? それは、勝頼が信長にハメられて、信用を失っていたからかな
でも、司馬遼太郎の話によると、信長、家康、北条とが
一斉に戦っても武田家に勝てなかったらしい
これくらい、武田家は、強かった でも、長篠の戦いで、勝頼は、信長、家康連合軍に負けたじゃんか! 大河なんか見ていると、あれで終わったみたいな感じだけど
実際は、勝頼が戦に負けただけの話らしい
まだ、武田戦は健在だったらしい 武田を滅ぼした原因を作ったのは信玄だよ。
勝頼はその後始末を押し付けられ、そして滅んだ。
勝頼は信長と和睦したいからと勝長(信房)を美濃に返した。
しかし信長に武田を許す気はない。
なぜ?
実は信長は1572年に、武田信玄と上杉謙信の仲介を取り持ち和睦させようとした。これで2人に恩を売れるメリットも信長にはあった。
ところが信玄は、信長の仲介を受けるふりをしながら、軍を北信濃に向けた。それを知った謙信は抗議し、信長は撤兵するように求め、信玄は兵を引いた。
ところがこの軍は実は徳川家康に向けて南下された。しかも信玄はこの直前になって足利義昭に対し、俺は朝倉義景が仲介をするなら上杉謙信と和睦してもいいが、信長が仲介するなら受けないよ、と言い出した。
これで信長のメンツは丸潰れ。
激怒した信長は、謙信宛の手紙で信玄は侍の義理を知らないクソ野郎だ。俺は2度と武田家とは仲良くしない、と言ってるほど。
武田を滅ぼす原因を作ったのは、武田信玄だよ。勝頼はある意味可哀想。 私が道民の家でお茶をご馳走になったときのこと
その家の42歳の息子がむずかりだした。
母親がその子を椅子の上に立たせてパンツを降ろし
牛乳の空きパックを男性器にあてがうと小便をした。
しかも、あろうことか空きパックに入ったものを
キッチンの流しに捨てたのです。
その慣れた様子からも日常的にしているのでしょう。 >>145
結局、勝頼が移動する間に、いつの間にか軍勢が半分気になり
7千ほどになり、3千人ほどになった 勝頼は、家康を破ったんや
でも、深追いはしなかったんや >>143で、長篠の戦いの話は、終わっとるやろ
その後の話や 皮肉なものだな
勝頼が、家康を追っかけていたら、秀吉の
天下が続いていたのにな 秀勝の墓は、並んでいるという意味な
つまり、一人が、信長の四男で
もうひとりが、秀吉とネネの子
秀吉の子が早くに死んで、信長が四男をくれた
という まあ、証拠はないわな
信長の四男は、浅井浅倉を破ったときの褒美
というのが通説だけどな
オレは、この話を、何となく信じている あっ
信じているというのは、秀吉とネネの子という意味な >>161
その秀勝の母親はおねさんではない。
みなみ殿とかいう側室だよ。 井沢元彦で書いてたあったことなんだけどな
まことは、何か勘違いしているらしい 「本気」ではないけど、最近、秀頼は、茶々の
子だという気がしている もし、秀勝がネネの子やったら、誰も秀頼が
秀吉の子か疑わんやろ まあ、福島正則なんかは、茶々の子とは思ってたかった
らしいからな
身内だったら、ネネの子かどうかくらいわかるわな >>152
とにかく、家康が死んでも、豊臣の天下は続かなかった 家康以外のやつが天下を取っても、264年も
幕府は、続かなかっただろうね 家康は、反乱が起きない態勢を作ったからね
経済発展の態勢ではない よくよく考えてみると、関ヶ原で家康が勝ったのも
奇跡的なものだろ
小牧長久手の闘いと同じで、長引けば不利だった それは、石田三成と小西行長の不満と
茶々とネネの対立を利用しているから大丈夫やん 秀頼養護の問題だろ
長引けば、どちらに義があるかわかるはず 秀頼はともかく、加藤清正や福島正則がいるんだからな
ネネもまた、家康に騙された一人だろ >>133
謙信は、あまり脚光を浴びないけど、オレは、
信玄以上だと思っている お互いに決着をつけるつもりではなかったのだから
どちらが上とも言えないやん 真田正幸みたいな男を従えた男やぞ
信玄でも、鉄砲を破っているだろ 結果論だからなあ
謙信は、積極的に領土を広げなかったけど
信玄は、必死だったからな
もし、謙信が領土を広げるつもりなら、信玄
が負けていたかも 何で領土を広げなかったかを知らないのてすか ?
信玄も謙信も領土を広げなかったのは、広げられなかったからや
両方とも、一揆に悩まされていたからやん 織田信長に倒されなかったら、そこそこ行っとんたんちゃう ?
あるだけ力のある家柄は、そう簡単には破綻しない 案外、教科書の一部には、書いていたかもね
平将門のように 信長に討たれた、と、教科書に書いているやん
どちみち、教科書には載っていたということやん 家康、まあ、あのとき、竹千代と言ったのかな
織田方の城を落として、身内を生け捕りにして、人質交換
をするくらいだから、今川義元は、三流ではないかもな 今川が大軍で、織田が小勢だったから、出来たんだろ? 駿河は、貧乏だった
けど、北条早雲が、経済を立て直した
早雲の義理の妹、北川殿から数えて、2代か3代か
3代続くのは難しい
今川義元とは、そういう男じゃけん 3代続くのは、難しいから、今川義元も大したものと言いたいんだよ 4代やろ ?
北条早雲が一代目だとしたら、北川殿の息子は、2代目やん
氏康は、北川殿の息子のあとだから、3代になる
その後だから、4代目やろ 4代目だったら、もっと凄いだろ
よって、今川義元は、凄いという結論になるな 今川義元は、いろんなところに気を配ってた
らしいからなあ
統率力を高めていたからなあ
もっとも、そこ「統率力」が仇になって、信長に討たれるわけに
なったわけだが 今川義元が、貧乏で生まれていたら、あっと
いう間に滅んでいたやろ
金持ちの王道での政策やろ まあ、今川義元の器量は、資料が少なすぎて
計れんな それにしても、もし、信長が、道三の話を
聞かなかったら、あそこまで行ったかな 道三なんか高が知れているやん
司馬遼太郎も言っとう 信長と光秀は、道三の作品
と、司馬遼太郎は言ってるぞ 美濃一国取っただけの油売りが、信長や光秀を
作品に出来るわけないやろ !! そういや、道三って、一代で美濃を取ったといわれているけど
父親との二代という話があるよな
道三は、一時期、長井という姓を名乗ってたけど、それが
父親という説があるらしい 道三は、あまり記録に残ってないやん
よって、一代でも二代でもおかしいやろ 長井という者の息子とすれば、戦に負けて
出家させられたのではないか ? 国盗物語では、道三こと松浪庄九郎が17歳から
はじまっている
奈良屋の娘を寝取って、そのまま奈良屋を
乗っ取っている
ちなみに、奈良屋の娘の子と道三の子孫は
今でも、静岡県で過ごしているとか