豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子なのか? [転載禁止]©2ch.net
果たして豊臣秀頼は本当に豊臣秀吉の実子なのでしょうか?
豊臣秀吉は種無しだったという説もあります。
実子でないとしたら豊臣秀頼は誰の子なのでしょうか?
本当は淀殿と大野治長の子なのでしょうか?
このスレでは豊臣秀頼の出生にまつわる謎について語りましょう。 真田丸は、清正暗殺説とかいろんな説を盛り込んでるけど、
茶々浮気妊娠説はけっきょく出さなかったな
やっぱそれをしてしまうと幸村の戦いが間違った戦いになるからかな
秀吉関係ねー 浅野幸長は徳川家隠密目付の柳生禅風に暗殺され、池田輝政は徳川隠密・大伴一角に暗殺され、加藤清正は二条城で毒酒を呑まされたことが、明瞭になった >>209
それ豊臣秀吉は被差別民(笑)
とかいってる時点でたかが知れてるだろw
信じるのはお勧めしない >>215
加藤清正はともかく、池田は既にかなり病気で苦しんでいたし、
また秀次派で秀次事件で処分された池田輝政、浅野幸長は秀頼が憎くて
潰したくてしょうがないので、大阪の陣の前に家康が除く動機はない。 まずそれ以前に、池田輝政、浅野幸長が秀頼と良好な関係だったら、
わざわざ姫路、和歌山のような隣接地に置くだろうか。結びついたら
厄介と、たとえ秀頼を存続させ続けるにしても、考えるはず。
実際には、両者ともバリバリの秀次派で秀頼の仇敵だから、間違えても
結びつくことがないと考えたから置いたんだけどね。 そもそも秀頼が生まれて得した大名なんて(徳川を除けば)一人もいないといっていいからな >>219
民衆にとっては、おかげでとくがわの世で平和になったから秀頼でよかったんじゃね? 実父は大野治長、道犬、名古屋山三郎、石田三成などの説がある。 >>1
史料上確認できる子供が4人いる=種無しではない=終了 秀吉種なし説ってどこから出てきたんだろうな
単なる豊臣の権威失墜を狙った徳川の捏造だろうとは思うけど あれだけ女好きなのに生涯でたった4人
しかも2人は秀吉が歳取ってからで
おまけに同じ側室からとか誰だって疑うだろう >>220
平和w
参勤交代や江戸滞在費で諸藩は苦しみ、庶民は重税をかけられて地方では餓死で死者累々だってのに。
江戸時代で得したのは、江戸と街道の町民と天領の農民くらいのもの。
戦国時代より酷い暗黒時代。だから江戸時代でも太閤人気は不動だった。
>>223
そいつらが浮気しただけの可能性が高い。
また参籠という乱交パーティで子供授かるってのは最後の手段としてあった。
捨が生まれた時は聚楽第落書き事件の時に東大寺の僧侶が大量に処刑されているし、
秀頼が生まれた時には、陰陽師の大弾圧があり、懲農されて九州送りにされてみなそのあとは行方知れず。
父親が出てこないように処分した可能性がある。 豊臣政権時代よりも江戸時代のほうが庶民に重税課されてたっていうソースは? >>228
外様の諸藩は参勤交代と江戸滞在費で財政の半分以上が飛んでいる。
こんな基地外みたいなことは豊臣政権はやってないんだな。
ちなみに豊臣政権時代京都滞在が長かった家康には、近江から12万石相当の費用が別途に支払われていた。
江戸時代にはそういうことは当然ない。 それ庶民関係あるのか?
豊臣政権時代主に西国大名は軍役で外国に行かされるという基地外みたいなことをやらされてるし
費用を関白から借りてたら後で謀反への関与を疑われるという恐ろしい目にもあっている >>229
江戸時代には戦がないから、参勤はその代わりの軍役。朝鮮に行くとおぉえば安い。
江戸近辺に賄領もらってた家は結構ある。 大名の負担は重税という形で庶民が負担するようになっている。
軍役で外国に幾分にはさほど負担にはならない。
なぜなら食糧は現地調達するので、外国人が困るだけ。
江戸に軍役でいくと、物価がクソ高い江戸や街道筋で消費させられる為、
諸藩の財政は真っ赤になる。
賄賂というか途中の諸藩に挨拶やお礼を言わないといけないので、
その品々だけでもかなりいく。つまり潤うのは天領と街道筋だけで、
日本の八割にとっては江戸時代とはただの暗黒時代。 朝鮮で食糧を略奪する分にはコストはかからない。
だが江戸で消費すると金を必要とする。
なので基地外沙汰をやったのは江戸幕府であり、
朝鮮征伐はむしろ負担を大幅に軽減している。
何十万という人間の食糧消費がいらなくなったのだから。
これは戦国時代では珍しくなかった上杉謙信は越冬の為に毎年大軍率いて、関東に駐留して、
そこで略奪して生活してた。
関東の人間には迷惑だったのだが、上杉家の金蔵は満杯になってた。 大坂城に立てこもった武将の中に、過去の経歴がよくわからない小笠原権之丞なる者がおり、これが、大御所の隠し子だという珍説がある。 参勤交代は交代路の道筋に大名が金を落として行くので庶民経済にはむしろプラスなよう。 秀吉より晩年に平直方女との間にだけポンポン子供が出来た源頼義 国単位でみれば通ってるだろうが
藩単位でみれば街道が通ってない藩はたくさんある 萩藩毛利家は元禄年間に転覆事故を起こすまで海路、瀬戸内海航行で大坂まで来ていた。
また、薩摩藩島津家は、飫肥の伊東と不仲のため、海路で大坂まで来ていた。 いやまあ経路がどうだろうと庶民に金が落ちるなら経済システムとしてはそう悪くはないんじゃないかなあと。 地域によるんですよ。
江戸近くの街道沿いは潤うが、地方の藩はその費用を負担させるために重税だった
今の日本からはぴんと来ないかもしれないが、
日本国内でも、日本と途上国くらい物価が違っており、
10倍くらい普通で差があった。だから地方の藩は藩で餓死がでていようが移出してたし、
旅費と江戸滞在費で地方の藩は死んでた。
江戸と地方の経済格差が広がるほどそれは酷くなった。 日本の四大飢饉はみな江戸時代に起こっている。
おこっているばしょは全部地方。西日本や東北
飢饉でも食糧が自給できない大都市では飢餓がおこっておらず、
明らかに飢餓輸出がおこっている。 四大飢饉て江戸四大飢饉のことだから江戸時代に起きてるのは当たり前では? >>246
日本の四大飢饉であって江戸の四大飢饉ではないですよ。
だが全部江戸時代に起こっている。 >>248
そもそも日本四大飢饉などという言葉が存在しないのですよ。 >>249
元々は日本の三大飢饉という用語だったんですよ。
それが全部江戸時代だったから江戸とついたんですよ。もうひとつの大飢饉とあわせてね。
それまでにも大飢饉は何度かありましたが、江戸時代ほどひどくはなっていない。
源平合戦の頃や戦国時代にもありましたがね。
都でウン万人と死んだだけ。
けど江戸時代の餓死は江戸では死なず、地方で死ぬ。地方の米が江戸に奪われて餓死するという構図です。 つうか別に飢饉の記録自体は続日本紀からあったが、あっちの方が思いっきり頻度が高いよ。 あと、江戸時代飢饉は、地域としては東北太平洋側、特にひどいのは商品経済が発達した場所だった。
江戸で死者が出なかったのは、たんに江戸が東北地方太平洋側ではなかったからだ。 江戸時代中期には参勤交代や江戸滞在費、幕府による普請で地方の藩は年収の何倍から何十倍もの借金を背負っているのが普通であり、
その支払いの為に収入を担保にとられていた。
凶作であろうと一定量を必ず売らないと利子の支払いすらおぼつかなかった。
その結果が大飢饉へと繋がった。
酷い藩になると、米を藩札などで無理やり買い叩いて、それを江戸に売り払っていた。
ていうかそうしないと借金が支払えない。
結果農民は食べ物がなくなりみな餓死った。
酷い藩になると人口が半分になっていた。
東北や北関東では人口が大幅に減っていることがそれを物語っている。
朝鮮征伐のほうがまだよかった、朝鮮で略奪してれば誰も飢えなかったのにな。 >>251
徳川実記、つまり徳川家の公式記録でも100万人近くみたいな記録があるんですけどね。
それほどの記録があるような大飢饉はそうそうないよ。
人口割合をみてもね。
死者数千万とかw明らかに人口より多い記録はあるけどねw
>>252
廻米ってものがあってね。地方の藩は米を売って金を得ているわけ。
だから江戸は飢えないわけ。
100万都市の江戸、50万都市の大阪や京都が自給できると思う?
地方から集められた米で彼らは飢えない。 >>254
つうか東北以外の地方で飢えた記録って果たしてどれだけあるの? まあ同じ東北でも、盛岡藩と秋田藩とか、米沢藩と福島藩とかでまったく様相が違うので、一緒くたにしちゃいけないんだけど。 作物がとれないと飢饉になるけど、作物が育ってもウンカの大群に食い潰されて飢饉になる。悲惨な でなんでそんな話になったかというと、別に飢饉は江戸時代だけの話でもないいんじゃ?という 飢饉と言えば平安中期以降や室町時代中期が有名
日本の4大飢饉って初めて聞いた ググってみたが「日本の」4大飢饉ではなく「近世の」「江戸時代の」4大飢饉じゃないか
こいつ>>245巧妙に嘘ついてやがる
しかも気候が世界的に温暖で安定した16世紀(戦国期)と世界的に寒冷化した17世紀、18世紀(江戸時代)を比較して豊臣政権が優れていたと言われても比較対象にならんわ
そもそも豊臣政権が徳川幕府よりも農民(二公一民)・商人(税率2割)に重税を課していた事実を考慮して江戸幕府と同じ位政権を維持したと仮定するとより酷くなると推測されるのだが >>262
それ自体がわりと最近のいいかた。
日本の三大飢饉だった。
そして戦国時代は普通に寒冷期、温暖化していたのは江戸初期である17世紀初期くらいのもの。
さらにいうと、中世の温暖期である13世紀がおわってから、19世紀までずっと小氷期に分類される。
あと勘違いしているようだが、税は双方の話し合いで決められる。
大名ごと、さらに年によっても違う、ただ揉めて決まらないと2公一民になる。
あとこれは利益にかかるものであって収入にかかるものではない。 どうでもいいんだけど別に飢饉自体はどの時代でも起きている。それこそ昭和にも。 飢饉は何時の時代でも起きているが江戸の飢饉は食料不足よりも、購買力格差と幕藩体制が原因
東北で飢饉が起きているのに幕府は江戸の物価高騰の方を恐れて地方からさらに米を集めてた。 >>266
あんたこの前から何の根拠もなく妄想たれ流しているけど、何か一つでも根拠示せるの? >>267
「飢饉日本史」江戸時代のは天災に人災が影響してる。 秀頼の実父の話は都合が悪いから、スレ違いの飢饉の話ずっとしているんじゃないかな 江戸時代が暗黒を越えた純黒時代だったことと、
秀頼が托卵であることは矛盾しないわけだが。 うん、まあ飢餓太郎がアレな人であることは伝わった。 >>271
スレ違いばかりしていると病気だと思われるよ。 それは江戸時代が豊臣時代よりも良かったとか、根拠もなくぬかす奴に言ってくれ。
227で言っているように、秀頼はほぼ間違いなく秀吉の子供ではない、
ねねと秀吉の間の手紙をみても仮の子供やら、淀に自分で育てろよとか書かれており、
秀吉には心当たりもない。 そりゃまー飢饉に対する誤った知識をあれだけ強弁されたら荒れるに決まってるよなーと思った。 家来の家康に、なにゆえ主の豊臣が出向かねばならぬのじゃ。考えてもみよ。家康は、亡き太閤殿下に、大老にまで取り立てて頂いたご恩も忘れ、御血筋、秀頼公を二条城に呼びつけるなど、言語道断
下知じゃと…それが赦せぬともうしておるのがわからぬのか。 そもそも淀が托卵なのは秀吉も知っていたはずなのだが。
むしろ最初の子供の時は秀吉公認で托卵をしたと思われる。
市の子供に「秀吉」の子供を産ませて後継者を作りたかったのだろう。
信長の妹で浅井家の血を引く淀は、尾張と近江の人間が多い秀吉にはちょうど良かった。
早世したので諦めて不出来の秀次を後継者にしたら、
淀が今度は無断で托卵をした。
子供が欲しかったのか、地位が欲しかったのか、豊臣政権への嫌がらせなのかはわからんがね。 長浜時代の一男一女は、石松(秀勝)と安息願った娘のことか?
それなら娘は当時養女にしたばかりの豪姫のことだから実子ではない
10歳そこらで死んだ石松が元服してるのもおかしいし
そもそも生母が遊女な時点で誰の子供か分らんだろう
子供がおらず跡継ぎを欲しがってる中小企業の社長が
お気に入りの風俗嬢が妊娠して「俺の子だ!」と言ってる状況
托卵で社長の後継ぎ狙う女に夫がデレデレしてたら糟糠の妻は怒るさ
おねが怒ったのは当然のこと 言わんとしてることはわかるんだけど
種が違うことを托卵ていうのが理解できない 後水尾天皇践祚の儀を機会に、是非、胸襟を開いて歓談したいとの、おん下知でござる。 所で秀頼なんで右大臣を辞任したんだろう?
辞任した直近で昇進しそうな話も気配も無いし、幕府から辞任せよと迫られた様子も無いんだが。
右大臣としての仕事が出来た出来なかったは別にして、持ちっぱなしでもよかったろうと思うけど。 序列としては現職の内大臣かどうかではなく、内大臣を経験したか、がポイントになる 街道も通っていない地方が貧乏でない時代のが珍しい。 豪姫について調べたら「南の御方」と呼ばれてたみたいだ
これは長浜城時代の「南殿」のことじゃない? 俺の勝手な想像。淀殿の相手は、秀吉の正式でない息子ではないか。身分の低い女に産ませてしまった。家来の1人として自分の近くに置いた。例え淀殿との子供をつくってしまったとしても孫になる。だから秀頼を可愛がった。勝手な想像です。 淀殿のお骨としてDNAは無い、信長のお骨のDNAもない。しかし、信長のお父さんのお墓が名古屋の大須観音で有名な所の商店街の中に有ります。DNAを遡り疑わしきお骨のDNAを採取し続ければわかるかも知れません。 >>283
当時の朝廷官職でまともに仕事なんてあるのか?
ほとんど名前だけだろ やっぱり秀吉帰阪後に抹殺された陰陽師のうちの一人だと思う>実父 >>291
「坊主に祈って種のわからない子が生まれたな」
って落書きされるくらいだからなw 捨とか拾とか忌名?らしいけど、こういう名付け方の例は他にあったのかな
拾は山内一豊の養子くらいしか知らない(こちらは拾った子供だから拾という中々の謎センス) ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ >>276
頭回らないから後先考えず暴走して秀頼産んじゃったのか。
第二子は秀吉も予想外みたいだった。
結局淀がおバカさんだったから秀次その妻子が死んで結局自分と息子も自害 秀頼がでかいという方向で大野以外ででかい武将の種という可能性ないかな
ぱっと思いつくのは前田利家と加藤清正、後藤又兵衛だが清正と又兵衛は
朝鮮いってた時期長いからないか そもそも淀がでかいんだから父親の体格は関係ないだろ 確かに父がちびでも母親がデカくて180ある奴もいるな 身長だけなら覚醒遺伝もあるだろうし
状況証拠の1つでしかないな
それより若い頃からあれだけ手当たり次第女に手を出して
まるで子供が出来なかったのに高齢になってからと言うのは疑わしい
基本的にタイミング良すぎるし
淀だと疑わしくても何も言えないだろうし 鶴松関連を本やWikipediaでみると
涙なしでは読めないわ、
秀吉、よっぽど鶴松愛してたんだな
死後も鶴松の夢を見て泣いてたとか「亡き人の形見に涙のこしおきて行へ知らずも消えおつるかな」
の和歌とか…。
あくまでも自分の主観でしかないけど
鶴松が死んだ時に秀吉の中の人も死んだんだと思う
秀次や秀頼に関してイマイチ悪手ばかりだったのも、もう抜け殻だったからかなと感じた
確かおねへの手紙にも自分の子は生涯鶴松だけ、みたいなこと書いてたよな?
ここまで執着できたのは
鶴松は自分の子だという確信があったのかも。
顔が自分にそっくり似てたとかそういう。 秀吉の和歌は辞世の句もそうだけど
なんか印象に残るよね 泣けるね、、、
秀吉ほどの偉業を成し遂げても
子孫の将来不安と悲しみのうちに亡くなるのは
信長の子供にしたことへの因果なのかな、、、
って江戸時代の人達は思い描いたのかな 秀吉はそういう和歌の才能とか教養は優れてたのかね? 浅井長政の幼い嫡男を串刺しにしたってのは
信長の命令と言われてるけど本当かね
実行犯は秀吉だよな
よくそんな過剰虐殺できたなぁ >>307
和歌は著名な師匠に習ってたとかなんとかみたよ >>308
っで?お前だったら信長に命令されたら拒否する訳? 天秀尼の遺骨が残っていれば、残っている秀吉の歯か遺骨とのDNA鑑定できないか? >>311
天秀尼の遺骨と今上天皇や皇太子(実は秀吉の姉の子孫にあたる)の
髪の毛なりから採取したDNAを調べてみればはっきりするけど、
まぁ、宮内庁が許すわけないから実現しないだろう。