豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子なのか? [転載禁止]©2ch.net
果たして豊臣秀頼は本当に豊臣秀吉の実子なのでしょうか?
豊臣秀吉は種無しだったという説もあります。
実子でないとしたら豊臣秀頼は誰の子なのでしょうか?
本当は淀殿と大野治長の子なのでしょうか?
このスレでは豊臣秀頼の出生にまつわる謎について語りましょう。 桐光学園 サッカー
稲城市立向陽台小学生時代少女突然大声を出したり、泣き出す事があった
感情の起伏が激しく、変人としてクラスで浮いた
警察は、女子生徒が今は.ふぇら名人桐光学園中学中学生【しまnざき結子】の家庭環境
父=嶋●慎太郎(近○相姦←結子と)兄(嶋●亮(りょう)介(東京電機大学中学校うわさ万引少年)は
小人病を苦にメガネ鈴木と自殺。
しまnざき結子の(稲城市立向陽台小学校うわさ 万引 とぐぐれば顔!) 俺は80%の確率で秀頼は淀と大野治長が密通してできた子だと思う 母、妹、姪の子沢山ぶりからすると、大野が相手なら十分な時間があるのでもっと子供ができてそうな気がする 直前に秀吉としたタイミング以外で受胎するわけにもいかないだろうからそれ以外は外出ししたんだろうw 2メートル近い大男だった秀頼
家康もあの小柄な太閤の子種にあらずと思ったであろう
良心の呵責に悩まされることなく、むしろ匹婦に正義の鉄槌を
くらわす気分で豊臣家を滅ぼしたに違いない 小柄だった秀吉に大柄というより巨体だった秀頼ができるのはおかしい 一応、淀もデカかったらしいし、淀の両親の浅井長政もお市もデカかったらしいから、ありえなくはないが
それこそDNA鑑定しなきゃわかんないだろうな トンデモ話かも知れんが、秀吉の子が前田利常って聞いたことあるな
確か尾張か長浜在住時に妾が産んだ子を利家に預けたらしい 秀次の男子皆殺しにして
もしも秀頼が成人までに早世でもしてたら
跡継ぎどうしてたんだろ? 長浜にいたときに妾の誰かが子供産んでて早世してる
ってのはなんかの小説で読んだ事あるな、だから淀が
子供産んだ時も秀吉自体の子作り能力はあるんだから
って根拠になったとか 精子が薄い秀吉と子供ができやすい淀の組合わせって話はあるな、一応 >>13 そもそも多数の面々が秀吉公の面影が全く無いと言ってるわけだからなあ
立派な体格自体は浅井長政公の遺伝子で説明してもいいと思うが
つか体格に関しても長政公が180?位で淀にへばりついてたのが190近かったらしいから答えは出てる 秀吉が秀頼のことを自分の子ではないと薄々気づいてはいたが自分には子がいなかったので本当の自分の子と思って育てたというのはどうよ? その時期に妻と子作りして子供ができたら信じて疑わないでしょう
ましてや、自分の子供に継がせることに異様に執着してるボケかけた爺なわけだし
そこを利用した茶々も茶々だがw
それこそDNA鑑定でもしないとわからないよね >>19 そら気付いてるよ まず淀に捨はてめーの乳で育てろやと言い放ってるし
秀吉が留守の時淀の回りにいた奴等片っ端から粛正もしてるわけだから >>14
面白いな! まあ違うとおもうけど
肥前名護屋城にいるときに出来た子
秀吉はほんとにセックス中毒で、人妻でも求めることがあった
お松さまが寄越した女に手をつけたかも知れない ってか、
お松さまなんか、いっぺんはやったことがあるかも知れない
でも前田利常ってデカかったらしいからやっぱ違うかも 浅井お市の血と食い物よかったろうからな
秀吉は若い頃は秀頼と比べ物にならないくらい粗食やったろうしな
秀頼は生まれながらにして日本有数の金持ちとして育ったのに対して
秀吉は百姓とも地侍ともつかんような身分からのし上がったわけだしな 淀はヤリヤリだから簡単に股開くぜ。
男が欲しくて欲しくて我慢できねえってよ。
大坂城に出入りする大名のほぼ全員が最低3回はヤってるぜ。 大野治長はイケメンだったらしいからそういう男がいつも側にいたら女性ホルモン出まくっちゃって普通食っちゃうだろう 秀吉の子種なしは間違いない
出産経験のある女を何人も側室にしても子供が出来なかったし
秀吉の元から暇を貰って別の武将と結婚して子供が生まれた元側室が
少なくとも2人確認できるらしい
そんな秀吉が淀殿だけ二度も子供ができるのはおかしな話 どうだろうねぇ
初には子供はいなかったが江は8人も産んでるからねぇ
秀吉と淀の相性がよかったんなら淀も江並にめちゃ妊娠しやすい人間なら
秀吉が種なしとは言い切れないやろなぁ 江が子沢山なのは秀忠の方の血筋じゃないの
親父も子沢山じゃん 秀勝との短い結婚期間で一人できてるのと、母の市も江と同じくらいのペースで子供を産んでいるので、出来やすい血筋と考えていいと思われ
ただ、江の娘で母並の子沢山は一人だけなので、淀も出来やすい体質とは言いきるのは無理がある 190cm以上の秀頼が当時でも小柄扱いだった秀吉の息子とか流石にありえんだろ 秀長に子供がいたら秀次みたいに簡単に殺して
排除もできなくて面白い事になったのにな >>36
三成の石田家は、京極家配下で浅井氏と敵対しており、淀は敵の娘。
三成ら旧京極系の武士は、秀吉の側室では松の丸殿(京極竜子)を慕っていた。 >>33
身体の大きさをもって秀吉の子種説を否定するのは根拠として薄いと思うな。
親が小さくても、子供は大きいって例は現代の日本でもよく見られる傾向だろ。
それは昔の人より今どきの子供の方が栄養状態が向上しているってのが一番の理由だろうな。
天下人のお坊ちゃまも食が満たされてるんだからデカく育つことは十分に考えられる。 >>38
両親とも小さければまだ納得だが、淀が女の割にバカでかかったんだろ
なんの説得力もないよな まあ、普通に考えれば淀の子供なわけがない
秀吉の精子は薄い。あれだけやりまくって子供がほとんどできない 石田三成はない 本能寺の変の黒幕はぁ徳川家康ぅ並の酔っ払いのヨタ話 http://ninkyou.blogspot.jp/?m=1
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秀長本人はともかく、その子供なら余裕で殺すだろ秀吉なら
秀長死後ならなおさら 体の大きさは母系の浅井長政と市が大きい人だったという記録があるから
不思議ではないが
問題はサルが荒淫なのにろくに子供がいないということだよな
まぁこっちもウォーエンブレム(秀吉)に対するクリックヒア(淀)だった可能性もあるが ところで秀次は関白になったけど秀頼は官位は最終的には右大臣だったの?
葵の大河だと淀が秀頼を右府さまって言うてたけど 秀頼は秀次が淀をNTRして産ませた。
嫉妬に狂った秀吉は秀次を排除。 当時は人工受精みたいなことやらなかったのかな
密通するのはヤバいから、治長から精子だけ貰って、セルフ受精みたいなこと 人の目を盗んで受精妊娠セックス・・・ やらしい・・・ 秀頼が生まれて間もなく茶々付きの女官や陰陽師が
秀吉によって多数処刑されてるらしいから
秀吉公認の秘密みたいな感じだったのかな
秀吉の側室には秀吉の下に来る前や秀吉の死後、他の男性との間に
子供つくった女性たちもいる事考えると問題はやっぱり秀吉の方だったんだろうし どうせ秀次の政権も持たなかっただろうしな
家康という、最適者の手に収まって、よかったのかもな >>51
秀次には義兄の池田輝政という名臣がいたから、そこそこ持ったと思う。
逆に、かくも危険な池田を族滅できなかったところに、秀吉の甘さがある。 秀吉の最大の甘さは現場から散々クレームが来ても三成を擁護し続けたことでしょ
さっさとリストラしていれば豊臣存続の目もあったのに >>52
池田がおとがめなしだったのは、
よっぽど輝政がうまいことやったのか、
もしくは秀次と嫁がよっぽど不仲だったとか? >>54
父の池田恒興が、清須会議で柴田勝家ではなく自分側についてくれた恩、
及び、天王山の戦いで自分についてくれた恩で、助命している。
なお、石田三成、増田長盛は、池田輝政の族滅を強く主張している。 池田はそもそも織田の準一門ですらあるからな
元織田家臣が多い豊臣政権で池田族滅は相当苦慮する判断だろう
恒興からの恩も大きいし、三成あたりはその辺がわからなかったんだろうな
いくら秀吉が優れた才覚を持っているとはいえ、豊臣政権自体が不安定不確実の産物だということに 出典は知らないけど、服部英雄の本に書いてあるのを読んだ事があるな 当時の人たちの手紙や日記で、秀頼の出生について疑念を書いてるようなものって無いのかしら
家臣たちとか、淀懐妊の報せを聞いた時「またやりやがったあの女」って思っただろうに 淀にそれが可能なら、なんで他の女はそれをやらんかったんかね? つか大阪の街に揶揄する落書きが書かれまくって秀吉さらに発狂したらしいやん >>61
他の側室は淀と違って実家があるからね
利家の娘は、寝所に誘われても具合が悪いと言って断った手紙が残ってる
そもそも側室になった時点で、秀吉からの恩恵が十分なほど貰ってるから
京極殿も京に屋敷を与えられてるし、実家も安泰だし
托卵してまで子を産もうとする女性は淀以外にいなかったのでは
淀の場合は、乳母子が男だったから密通しやすかったのもある 野望や 女にも身を焦がすほどの野望があるんや
さすが信長公の姪よ 実子派と非実子派の有名どころの研究家ってどんな人がいるの? >>68
NE-YO!
仕込んだ時期は名護屋城内で、その時三成は朝鮮にいた そもそも仕込んだとされる時期に本当に茶々は名護屋に滞在してたのか まず秀吉が種無しと思ってるのがそもそも間違い
鶴松秀頼以前に一男一女もうけてるから夭折してるだけで
秀頼の体格も浅井の血もあるから否定材料足り得ない 秀勝も実在したのか実在したにしても実子だったのか養子だったのかよく分からん人物だからなぁ >>66
否定派だと服部英雄あたりか
秀頼が産まれたとき秀吉が陰陽師や侍女を多数殺害した事や
実子説のある秀勝に対しても著書で疑問点を上げたりしてたけど 鶴松の時点で秀吉は種無しだから実子ではないと皆が思ってるとフロイスは書いてるんだよな まあみんな疑いは持ってたんだろうな
秀頼に対する大名達の対応を見ると
そう思えてくる 秀吉「茶々の子がわしの子ではない…?」(大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」) >>76
疑ってても男や天下人としてのプライドを優先したんじゃないか >>67>>73
服部英雄の非実子説を福田千鶴が発狂した様に否定してたのは面白かったな
全然反論に説得力が無かったけど、とりあえず秀頼と茶々が大好きなのは伝わってきた >>71
長浜時代にいたその一男一女というのは大勢いた養子たちの誰かで
しかも男の子は後の小早川秀秋だという説もある そもそも秀頼を懐妊した時、茶々は名護屋にいなかった説もある
名護屋にいたのは京極殿とのこと 笠谷和比古とかみたいに秀次やその妻子虐殺を
実子説の根拠みたく言う人もいるけどどんなものかねぇ 服部英雄あたりは秀次とその妻妾が
秀頼が秀吉の実子か不信や疑問をもったために
皆殺しにしたみたいな事を言ってるな >>83
まあ秀吉自身が茶々の侍女や陰陽師を大量処刑するような
葛藤し苦しんでいる時に、「あの子は本当に貴方の子なのか。我が家の者もみな疑っている」
みたいな事言われたら、ストレスが溜まっていただけにぶちギレて
皆殺しにしたかも知れないなぁ 秀長も種無しだろ
兄弟揃って子供の頃におたふく風邪をやってると思われ たしか秀長には息子がいたはずだが・・・
木下与一郎とかいったかな?
三木城包囲網の中に名前が見えるが、中国攻めの最中に亡くなった模様
あとは三八と菊という娘もいた。
三八は秀保と夫婦になったあとは不明だが、もしかしたらこの血筋は
どこかで続いているかもしれないな DNA鑑定すればいいじゃないか
秀吉・秀頼、二人共遺骨が存在するのだから
信長や信玄のように遺骨そのものが存在しないワケじゃないんだから >>88
秀吉はともかく秀頼の骨とされるものは普通に別人の可能性があるから
鑑定は無意味でしょ。
というか時間が経ちすぎて無理だと思う。 秀吉の頭蓋骨あるんならどんな顔だったか復元してほしいな。本当にサル顔だったのかイケメンだったのか 真田信繁と淀の間の子らしい。今年出てきた新説。三谷幸喜説。 あれだけ側妾がいて懐妊したのが茶々だけなのがおかしいよな
出産経験があったり、秀吉の死後他の男性に嫁いで
子を産んだ側妾とかいた事を考えると、やっぱり秀吉は種無しだろう 秀吉って六本指ってマジ?
だとしたら秀吉自体DNAに欠陥があったんかな 今で言うと松本人志みたいな感じで何らかの障害があったかもしれないな >>79 >>83
『河原ノ者・非人・秀吉』は納得することばかりだが
豊臣家に秀吉の父方の親族が全く見当たらないところから出た秀吉私生児説は頷ける 嫁の親戚に頼りっきり、実父の親戚はさっぱりってのも
考えてみればすごく変だな
青木一矩は一応、継父の竹阿弥の一族ってことになってんだっけか 母ちゃんのほうの親戚は一応いたけどどれも
小物すぎたみたいだしな そんな中から加藤清正や福島正則が出てきたのはかなりのめっけもんだよな 河原のもの非人秀吉の説、片岡愛之助の歴史捜査でやってたな
予想以上に面白かった 作者の服部先生もちゃんとした大学の名誉教授だし、
よくわからん作家のとんでも説とは一味ちがうな 本買おうかしら >>87
姉ともの血筋が皇室につながっているのもすごい話 >>46
まあつまるところこれしかない
関白はさらに父だけでなく夫になることも
それが一つの選択だったが血族にならないことを拒んだ太閤が >>87
紀伊で浅野氏が
それにのちに入れたあの家系の血
血を濃くしたとしか
まあこれ以上は吉良しか知らないことなのかも 淀が宗教的乱交で生まれたのが秀頼ていう説が一番有力なんですか? 服部説は辻褄は合うから結構説得力はあるんだよな
トンデモ説と一言で片付けられないから困る 「むしろトンデモ説」と反論する研究者のほうが
反証できるだけの一次資料も用意できていないようだ ぶっちゃけ服部説がダントツで説得力あるわ
でも高貴な淀君が自分主催で乱交パーティー開いてやりまくって秀頼をはらんだ
こんな衝撃的なのお茶の間時代劇では
絶対採用出来ないから服部説がメジャーになることは無いんだろうな 秀頼の叔母にあたるお江は長政、お市、茶々と違い小柄であったとされていたり
自身の生んだ子達(秀頼のいとこ)の体が大きかったという話が残ってなかったり
姉達と違って子沢山である等、三姉妹の中で異質に思えるのですが
お江は本当に長政、お市の実子なのでしょうか? 通夜参籠説でそ。
肥前名護屋城のときに茶々の周りの者処刑されてるからなぁ 最初秀頼の誕生を全く祝ってなかった秀吉が
何をどうなってあんなデレデレになったんだろか
秀頼たんとチュッチュッしたいよ〜
秀頼たんの事は何時でも魔法の鏡で見てるよ〜
淀君にもキスさせたら駄目だよ〜
とか実の親が息子に向ける種類の愛情とは思えないけど >>114>>115
まあ肖像画見ると可愛い顔してるしな
無関心だったのを豹変させる愛らしい赤ん坊だったのかも
まあ肖像画がどれだけ信憑性があるかは別問題だけど いや、やはり甥っ子一家を全員処刑させた感情の昂ぶりは、
他人の子では説明できん 秀吉は自分の子と考えたんじゃないだろうか
淀はそう言ったんだよ あなたの子です、と ほんとは違うのに・・・ 実子説の根拠に秀次一族虐殺を挙げてる人もいるけど
どうだかなぁ 実子説というか、実子と信じてた説だろ。
よもや、石田や大野、その他他の男の子だと思ってんなら、
溺愛しないだろう。
血より家が大事とかそういう話ではないからな。 天下を織田から奪った豊臣家の正当性を固めるために
どうしても織田の血のはいった後継者が必要だったのではないか この手の話に歴史学者と小説家は不必要だと思う。
研究するなら、数学者、医学者(産婦人科)、心理学者にお願いしたい。
@ 数学者には妻妾の数、推定交尾回数、妊娠数から実子か否かを・・
Aまた、医学者にも上記の数値や当時の性病、体位などから検討してもらいたい・・
Bさらに、心理学者には秀吉の男としての虚栄心、対して大野治長などが間男をした場合の
恐怖心と征服欲の葛藤から考察して欲しい・・・
最後に三者の代表が集まり、数学的、医学的、心理学的に考察して
実施である確率を算出すべきと思う。
ちなみに、私の直感は実子確率は〇に近いように思う 長浜時代に実子がいたからって主張する人もいるけど、秀勝自体実子かどうか怪しいからな じゃあ心理面から1つ(別に心理学者ではないけど)
長年子宝に恵まれなかった夫婦に子供が生まれたとき
周りの人間がどういう反応するかと言うとだね
父親と似てるところを一生懸命探して「お父さんとそっくり!」って言うんだよ
うちもそうだったから実体験なんだけど
本当にね、逢う人逢う人が口々に言うんだ・・・「お父さんとそっくり!」ってね
マジで判で押した様に逢う人逢う人みんな同じ行動とるから笑えるよ
きっと深層心理で「もしかして…」と疑念を持ってるんだろうね
だからこそ子供を見た瞬間に無意識に父親と似てるところを探しはじめ
似てるところを見つけて安心し、そして「お父さんとそっくり!」と叫ぶと
これ皇太子様のところの愛子様も言われまくってるし
長年子宝に恵まれなかった家の子供に対する一般的な反応として良いと思う
でだ、秀頼くんだけど
当時の人だって無意識にせよ意識的にせよ秀吉に似てるかどうかチェックしてるはずなんだよ
秀吉には長年、子がなかったという前情報があるんだから、チェックせずには居られない
そして似てるところを見つけて安心したい。それが人間心理
にもかからわず「太閤殿下にそっくり!」と逢う人逢う人が口々に言ったという記録は残ってないよね
つまり、似てるところを一生懸命探したけど見つからなかったってことじゃないかな
ということは秀吉と秀頼は微塵も似てなかったんだろうと思う それから補足だけど
みんな愛子さまのこと「似すぎ!」とか「皇太子のコピペ」とか言ってるけど
それは上記の「心理」によって皇太子様に似てるところ探しを無意識下で一生懸命してるからであって
よく見れば、あの子は皇太子様と雅子さまを足して2で割った顔してるだけなんだよ
つまり本当の皇太子率は50%なんだよ
なのに多くの人には皇太子率99%に見えてしまっている、それが「心理」なんだよね
豊臣家の場合も同様の心理が働くから通常の親子程度の似方(50%)であっても、
「似すぎでっせ!」「亡き太閤の生き写しや!」ってなるはず
でもなってない、ということはそうとう似てない 男性側の類似が50%ならまんま似てるんじゃねえか。
何言ってんだこいつ >>125
秀頼が秀吉の子供なんは当たり前すぎて記録するヤツが書く必要無いと思ったんちゃうかな?
それと愛子様は皇太子殿下のお子様よ。長野のグランフェニックスとか何の関係も無いから邪推したらいかんよ >>88
但しDNA検査する場合、火葬若しくは焼損が劇しい遺骨だと既に細胞自体が破壊されているからしたくても無理だけどな。
焼けた骨は只の炭酸カルシウムの固まりに等しい代物
秀吉は死後壺棺にそのまま収められ密かに阿弥陀ケ峰に埋葬、後に幕府に墓を荒らされたが明治の時にも壺棺とミイラ化した遺骸はあったそうだから問題無い。
しかし秀頼は自裁後どこまでその遺骸が櫓の火災で焼損したか、若しくは櫓から焼かれず出されたとしても埋葬前に火葬されたか否かが不明。
これ如何ではDNA検査自体無理になる。 豊臣の忠臣扱いされてる清正や幸長にしても、細川家の書状を見ると
二条城の会見で秀頼より自分達の将来の娘婿の御供を実際は
優先してるくらいだから、怪しんでいたんじゃないかな >>128
秀頼の娘の天秀尼のDNA採取して秀吉と比較して祖父、孫の関係みる手はありそう。
東慶寺に墓があるし、当時のことだから土葬じゃないのか。 真田幸村が小屋で種付け経って、爺さんがちょっと前の日曜夜9時頃いってたな。 >>129
確実に実子だという思いがあったら違う結果になってたかね?
俺はそうは思わんが。 看羊録とか見ると当時から治長の子じゃないかって噂はあったみたいだけど 歴史の結果が変わったかどうかまではわからないけど
「太閤とは似ても似つかぬ大巨人を裏切ってください」と
「まるで太閤の生き写しのような秀頼様を裏切ってください」とじゃ
難易度ぜんぜん違うよな >>133 看羊録は今後は資料として活用していくべきだよね。
家康と茶々の結婚話が面白い。
信長公記はもう終わってしまってるし。本能寺のち、家康が帰り着くところまでしかない。 まあ当時どんな噂があったかが分かる程度の価値はあるかなぁ 『看羊録』では、秀吉の遺命によって家康が淀殿を娶ろうとしたが、
治長の子を身ごもっていた淀殿が拒否したため、家康が治長を流刑にし殺した
と書いてあるわけだが、上記の短い文章でさえ、「身ごもっていた」という誤りが混じっている
から、資料としては、いくぶん割り引いて信じる必要がある。 看羊録については又聞き程度の情報でしかないからね
上のレスにもあるように当時どんな噂があったかは
知ることができても、その噂の真偽の解明には
役に立たないからな >>138 だからわざわざ別の資料でも確認をとるんだよ。
「治長を流刑にし殺した」という一文も、流刑は本当。殺したは誤り。
なにしろ看羊録は当時のリアルタイムの人が書いた記録だから、江戸時代の軍記物よりも
はるかにマシ。
>>138が軍記物の創作話を信じてたら、笑える。 >>129
姻戚関係者に近侍したことは、
清正や幸長が秀頼の血統を怪しんだか否かとは関係ない 現代だって男側の問題(精子が少ない等)での不妊があるけど、妊娠させる能力が
低いだけで、妊娠させる能力がないわけじゃない人はたくさんいる
現代は、一夫多妻じゃないから男に問題がある場合、「不妊」で終わってしまうけど、
たくさんの女とやれば運よく妊娠する相手はいるかもしれない
そして、逆に膣口から子宮までの距離が短いなどの理由によって、他の女性より
妊娠しやすい体質の女性もいる
秀吉と南殿・淀殿がそういう組み合わせだったってだけだろ
正室・側室いるのに42歳になるまで子に恵まれず、そこから長男、長女、次男を
もうけた毛利輝元、
同じく側室によって49歳で定勝をもうけた上杉景勝、
いくらでも秀吉と同じ状況の大名はいるのに、なんで秀吉だけが種無し・秀頼は
他の男の子供って話になるんだよ?
それとも毛利秀就、毛利就隆、上杉定勝も、側室たちが不倫して産んだ子供とでも
言うのか?
輝元・景勝は正室と側室1人以外にいなかったの?という話になる ujHbGg1nちゃんって何かひっしだね
景勝はホモ疑惑があるくらいだし、ほかに側室の話は聞いたことないな
そもそも四辻の娘は側女扱いでなく継室だったって説もあるし(一応公家のお嬢だし)
このへんの事情も錯綜しててよくわからん
輝元は、例の杉んとこの嫁を奪い取ってからは、正妻の目を盗みつつ
大坂にこっそり連れまわしたりしてるうちに秀就を生ませたらしい。
正妻はどうも流産を繰り返してたそうだから、嫁に問題があったケースかと 秀頼は石田純一の実子なのかな? だから正則とか最後まで秀頼を守る気がなかった。 もしホントに秀頼が不義の子であったら、それこそ元豊臣系の大名こそ、こぞってそれを言い立てないかな?
彼らにとってはその方が都合がいいし。
徳川にしてもかっての主君の息子を殺すと言うより不義の子を殺すとした方がいくらか聞こえがいいだろうし。
でもこれらが大々的に言われたことは無いみたいだから、いちおう秀頼は秀吉の実子とみるしかないんじゃないかな? >>148
確たる証拠もないのに太閤様の子ではないと言い立てるのなんて無理だろ >>148 こぞってそれを言い立てて秀吉の耳に入ろうものなら、
言った奴の鼻をそぎ、耳をそぎ、竹ノコギリで首を切断、その家族もタダではすまない、
という恐怖政治だから、秀吉が生きている間は言えなかっただろう。
死後の関ヶ原のころは、言っても大丈夫?だけど。秀頼は、養子で跡継ぎみたいなものだろ。
土佐の山内一豊の例でいうと、一人だけ産まれた子は地震で亡くなった。
代わりに家来から赤ちゃんを一人もらって(捨て子を拾ったという名目)、
その子を山内夫婦の子として育てた。
が!、跡継ぎの時になって、山内家の殿様として就任は、生まれが問題となりできなくなり、
僧になった。秀頼は出生の怪しさから、やはりすんなりとは認められなかっただろう。 >>151
いやいや、秀頼殺しちゃった後に。
罪悪感がちょっと削がれるし、次の政権にしても適当な言い訳になるから準公式見解ぐらいで流布しても損は無いのに、やんないっていうのは、秀頼は秀吉の実子と当時の人はだいたい信じてたってことじゃないかなと >>152 ああ、そういう意味なら、秀吉の実子
と当時の人はだいたいは信じてたんだろうね。 孫娘の婿が、どっかの馬の骨って公表出来ると思えるほど、現代の日本人は恥知らずになったのか? >>147
三成よりはまだ家康の方が可能性あるぐらいだな
三成は淀に嫌われまくってたから >>154
騙されてたとかなんとか理由づけはいくらでも。
孫娘の婿が不義の子と主君の子を攻め殺すのと
さて、どっちが外聞悪いかね。 三谷ぜったい、秀頼非実子説を意識してたな。
茶々を肥前名護屋に呼び寄せたことにしてるのにもびっくりしたが、
懐妊して、大阪に送り返したことにしたのは笑った。
新幹線もない時代に妊婦に長旅させるかよ?
逆だろ、大切だからこそ手元の肥前名護屋で出産してほしいだろうに。
秀吉の子でないと真田幸村が一命を掛ける美談の理由にならないからな^ ^;
わざわざ肥前名護屋にいたことにした話入れたとしか思えない。 茶々が肥前名護屋にいて妊娠の時期と合っているのは実話。
だから秀頼が別の男という説は、完全否定はできないんだよなあ。
男がタネナシというのは、実際には精子の働きが悪いだけ(つまり生殖機能はわずかにある)
というのは現代でもよくあることだから。 「不妊治療、やめました。」というコミックや、
「華の姫 」というコミックが、
秀吉の不妊問題についてわりと関係が深い作品だな。
子ができると、父親は変わる。父親らしくなる。 >>160
>茶々が肥前名護屋にいて妊娠の時期と合っているのは実話。
その説もあるようだけど、秀頼生誕の地は大坂じゃないの?
ドラマみたいに、茶々をわざわざ大坂まで返す必要があるのか疑問。
肥前名護屋で妊娠がわかったのなら、手元において一日でも早く我が子を見たいはず。
大坂に返したら、戦が終わるまで、我が子の顔見れないじゃん。 名護屋に茶々を同行したという噂があったって史料があるけど、
通行の確認が出来なかったという史料もあって
服部英雄とかは名護屋同行を否定しているな 秀吉は男色の趣味が無いから、女が名護屋に居たことは確実だろう。 >>157
そうですよね、方広寺の問題でもあれだけ強引な言い掛かりを付けた人が不義の子って
美味しい話に食い付か無いのは不自然です。 >>166
別スレでも同じようなこといってるようだけど方広寺は言いがかりではないぞ
呪詛とか言ってるのは林羅山だけで問題視されたのは諱の使用でそれについては清韓も詫びを入れてる 女好きの秀吉に淀にだけ二度の妊娠があったことは秀吉種なしは当時の常識
秀長不在後は秀吉の痴呆症で大混乱期だった これ何人いるんだ?上級生いなくなるともう
試合できないレベルか? 健康に恵まれてる現代人でも50代じゃもう受精能力落ちてる人が多い
若い頃からあんだけ側室が居て、子持ち女相手ですら子供ができなかった秀吉が
50代でたまたま運よくポンポン子供ができましたーとはとても考えられない
秀頼の誕生前後の経緯からして疑ってたか分かってた上で実子として育てたんだろう 大正時代の本なのにちゃんと出典引用してて凄い
徳富蘇峰「近世日本史 豊臣氏時代 乙編」
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F960830&contentNo=214&outputScale=2
五箇条詰問の中にて、奴隷売買の一件は、最も重大であった。しかもコエリョは、ただ言葉を濁して、申し訳したるのみにて、その事実を否定すること能わなかった。
それもその筈だ。これはポルトガル商人が公々然行うところの罪悪であったからだ。
その詳細の顛末はレオン・パゼーがマドリッド府の歴史学士院の文庫を捜索して得たる文書を、その日本耶蘇教史の付録に採録したるもので分明だ。
その一節に曰く、
ポルトガルの商人は勿論、その水夫、厨奴等の賤しき者までも日本人を奴隷として買収し、携え去った。しかしてその奴隷の多くは船中にて死した。
そは彼らを無闇に積み重ね、極めて混濁なるうちに籠居(ろうきょ)せしめ。
しかしてその持ち主らが、一度病に罹るや ――持ち主の中にはポルトガル人に使役せらるる黒奴も少なくなかった―― これらの奴隷には一切頓着なく、口を糊する食糧さえも、与えざる事がしばしばあった為である。
この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを逞しうして、あえて憚(はばか)るところなく、そのマカオ帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。
予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児濫造――したる、放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。
と。しかしてムルドックの如きは、この奴隷売買を途絶したるは、秀吉及びその継続者の力にして、耶蘇会宣教師の力にあらざる事を特筆している。[ムルドック日本史]
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960830/214 >>170
>>秀頼の誕生前後の経緯からして 疑ってたか分かってた上で 実子として育てたんだろう
この意見に賛成。自分の子供じゃないと薄々気付いていたが、実子ということにしたんだろう。
それに小さいころから育てると、かわいい。 >>170
高齢で御三家始祖仕込んだ家康は化け物。健康オタクの成果でもあるが。 関ヶ原前に曾孫が生まれてるのに関ヶ原後に御三家始祖が生まれてるんだもんな 家康も、若いころにできた子供は粗暴に扱っていたのに
晩年に出来た子供(御三家始祖)は大事にしているんだよな。
人間、老いて死期が近くなると、子煩悩になるのかね。秀吉の子煩悩ぶりは重症。 >>141
生殖能力が全く無い男性ってむしろ珍しいんだよね。精子異常でもごく僅か正常な精子があったりする。
不妊を告げられてから子を授かったせいで夫婦に深刻な亀裂が生じるなんて話もあるよ。 家康は秀吉が死んでから、おねと淀とSEXしたと思う。
おねには子が無かったので化粧料1万石、淀には秀頼がいたので殺した。
よって、秀頼は秀吉の実子だったと推定していいと思う。
実子ではないと思ったら、関が原なんかやらない。
「間男の子」と吹聴すれば良いだけから。 家康と淀の再婚話はあったらしい。
看羊録に記載があるそうな。捕虜にまで噂が届いたということだな。 多聞院日記にも載るくらいだから、東スポ以上で、
今でいえば、民放のテレビでニュースとして各社から報道されるくらいの認知度。 というか、秀吉の遺言だから、
議員たちの中から次の総理大臣を誰にするか、というレベルの
重要決定事項だったぞ。そのとおりにはならなかったが。 本当に遺言なのか怪しいので、某消息筋からの情報によれば的なの
多聞院日記を含めた寺社の記録は、公家の日記より情報の信頼性に欠ける点がある 他に、毛利の書状にも秀吉の遺言のことが載っているという。
ただ、看羊録や多聞院日記に、家康と淀の祝言のことが資料として挙げられても、
毛利の書状は証拠としてほとんど使われいない
ことから、はっきりとは載ってないのだろう。 多聞院日記で、信長の鉄の船のことが載っているが、
横七間(幅約12.6m)、竪十二〜三間(長さ約24m)
と、ずんぐりしすぎている比率であるから、(1:2だが、通常の舟なら1:3ぐらいある)
多聞院日記は、ややいいかげんなことを書いている傾向があるのは確かだ。 茶々はヤリマン
秀頼は大野治長との子
って澤田君が言ってた まあ、本当に実子かどうかより、周りに実子と認識されていたかどうかだよね、この場合。
で、実子と認識されていたってことだよね。 茶々は実際に今回の竹内茶々っぽい感じなんじゃない
それでなおかつ長身(たぶん165くらい) 周りは実子とは認識してなかったが、
秀吉が豊臣家の後継者に指名していたから、
そんなことはどうでもいい 茶々は医学天正記によれば鬱状態で食欲がないという
ドラマや小説のヒステリックなイメージとは違った人なんじゃないか
秀頼は実子ではないと思うが 秀頼の父は陰陽師という説もある。秀吉が弾圧したタイミングがあってるとか。 めっちゃでけえって聞いた 2メートル近いって
ちょっとありえんわなあ 父親候補として名が上がっているのは秀吉、三成、治長、陰陽師あたりかな 朝鮮に負けたんだから
大人しく朝鮮に服従すればよかったんだよ
そうすれば豊臣は滅びなかったし、今ほど日本人は馬鹿にされなかった 何から何まで嘘くさいんだよなw
秀頼の体格も徳川の資料からだし
敵側を醜くこきおろすのは
戦勝国史観でいう日本軍をみれば今も変わってない
そもそも茶々がクソ女にしてるのも江戸時代の創作物で
実際の茶々がどんな人物かも謎。 秀頼入洛の際、自然発生的に巻き起こった民衆の熱狂的な歓迎は、家康に、強い衝撃を与えた。 >>199
軍議にまで出ている、幼少時はともかく
秀頼が15,6歳あたりで、奥に引っ込むべきだった 淀のお方様だけに次々とお子ができるのは奇妙と申さば奇妙 秀頼は徳川の一門衆で秀頼と千の間に子が産まれれば低いとはいえ
継承権が得られるわけだから、秀吉の子だという確証が得られない以上
家康としても受け入れがたかっただろう。 淀殿は北之庄落城の時、ショックで目が見えなくなってしまい、南禅寺の長老のもとに庇護され、琵琶を奏でながら諸国を回っていた
また、淀の母親 お市の方が酒呑童子に犯されて身籠った子が替え玉として淀殿にされたのである。 秀頼入洛のとき、自然発生的に巻き起こった民衆の熱狂的歓迎は、家康に、強い衝撃を与えた。 『河原ノ者・非人・秀吉』目を通した。
秀次が秀頼を実子と認めるのはおかしい!て秀吉に言って、口封じ一族処刑・・・?
もし本当なら秀次かわいそう。
秀次ご乱心していたっていうのも「秀次のいう事はウソばっかり!信じちゃだめ!」
ってことかな・・・ああ東軍に参加したくなってきた・・ 密通とかしなくても、誰かから精液だけ貰って自分で受精させる 子授けの祈祷で、複数の呪術的師(たぶん陰陽師)と交わり、鶴松、秀頼を授かったという説か。
鶴松の時は秀吉公認だったが、秀頼の時は淀の独断とか。
秀吉の陰陽師弾圧と時期が合うらしい。 茶々(淀殿)にとって秀吉は直接の家族の仇だったんだから
その相手に手篭めにされるのは屈辱感がハンパないはず。
そんな相手に一番の復讐する手段は他人の子供を産み秀吉の子供や後継者として育てることだよな。 真田丸は、清正暗殺説とかいろんな説を盛り込んでるけど、
茶々浮気妊娠説はけっきょく出さなかったな
やっぱそれをしてしまうと幸村の戦いが間違った戦いになるからかな
秀吉関係ねー 浅野幸長は徳川家隠密目付の柳生禅風に暗殺され、池田輝政は徳川隠密・大伴一角に暗殺され、加藤清正は二条城で毒酒を呑まされたことが、明瞭になった >>209
それ豊臣秀吉は被差別民(笑)
とかいってる時点でたかが知れてるだろw
信じるのはお勧めしない >>215
加藤清正はともかく、池田は既にかなり病気で苦しんでいたし、
また秀次派で秀次事件で処分された池田輝政、浅野幸長は秀頼が憎くて
潰したくてしょうがないので、大阪の陣の前に家康が除く動機はない。 まずそれ以前に、池田輝政、浅野幸長が秀頼と良好な関係だったら、
わざわざ姫路、和歌山のような隣接地に置くだろうか。結びついたら
厄介と、たとえ秀頼を存続させ続けるにしても、考えるはず。
実際には、両者ともバリバリの秀次派で秀頼の仇敵だから、間違えても
結びつくことがないと考えたから置いたんだけどね。 そもそも秀頼が生まれて得した大名なんて(徳川を除けば)一人もいないといっていいからな >>219
民衆にとっては、おかげでとくがわの世で平和になったから秀頼でよかったんじゃね? 実父は大野治長、道犬、名古屋山三郎、石田三成などの説がある。 >>1
史料上確認できる子供が4人いる=種無しではない=終了 秀吉種なし説ってどこから出てきたんだろうな
単なる豊臣の権威失墜を狙った徳川の捏造だろうとは思うけど あれだけ女好きなのに生涯でたった4人
しかも2人は秀吉が歳取ってからで
おまけに同じ側室からとか誰だって疑うだろう >>220
平和w
参勤交代や江戸滞在費で諸藩は苦しみ、庶民は重税をかけられて地方では餓死で死者累々だってのに。
江戸時代で得したのは、江戸と街道の町民と天領の農民くらいのもの。
戦国時代より酷い暗黒時代。だから江戸時代でも太閤人気は不動だった。
>>223
そいつらが浮気しただけの可能性が高い。
また参籠という乱交パーティで子供授かるってのは最後の手段としてあった。
捨が生まれた時は聚楽第落書き事件の時に東大寺の僧侶が大量に処刑されているし、
秀頼が生まれた時には、陰陽師の大弾圧があり、懲農されて九州送りにされてみなそのあとは行方知れず。
父親が出てこないように処分した可能性がある。 豊臣政権時代よりも江戸時代のほうが庶民に重税課されてたっていうソースは? >>228
外様の諸藩は参勤交代と江戸滞在費で財政の半分以上が飛んでいる。
こんな基地外みたいなことは豊臣政権はやってないんだな。
ちなみに豊臣政権時代京都滞在が長かった家康には、近江から12万石相当の費用が別途に支払われていた。
江戸時代にはそういうことは当然ない。 それ庶民関係あるのか?
豊臣政権時代主に西国大名は軍役で外国に行かされるという基地外みたいなことをやらされてるし
費用を関白から借りてたら後で謀反への関与を疑われるという恐ろしい目にもあっている >>229
江戸時代には戦がないから、参勤はその代わりの軍役。朝鮮に行くとおぉえば安い。
江戸近辺に賄領もらってた家は結構ある。 大名の負担は重税という形で庶民が負担するようになっている。
軍役で外国に幾分にはさほど負担にはならない。
なぜなら食糧は現地調達するので、外国人が困るだけ。
江戸に軍役でいくと、物価がクソ高い江戸や街道筋で消費させられる為、
諸藩の財政は真っ赤になる。
賄賂というか途中の諸藩に挨拶やお礼を言わないといけないので、
その品々だけでもかなりいく。つまり潤うのは天領と街道筋だけで、
日本の八割にとっては江戸時代とはただの暗黒時代。 朝鮮で食糧を略奪する分にはコストはかからない。
だが江戸で消費すると金を必要とする。
なので基地外沙汰をやったのは江戸幕府であり、
朝鮮征伐はむしろ負担を大幅に軽減している。
何十万という人間の食糧消費がいらなくなったのだから。
これは戦国時代では珍しくなかった上杉謙信は越冬の為に毎年大軍率いて、関東に駐留して、
そこで略奪して生活してた。
関東の人間には迷惑だったのだが、上杉家の金蔵は満杯になってた。 大坂城に立てこもった武将の中に、過去の経歴がよくわからない小笠原権之丞なる者がおり、これが、大御所の隠し子だという珍説がある。 参勤交代は交代路の道筋に大名が金を落として行くので庶民経済にはむしろプラスなよう。 秀吉より晩年に平直方女との間にだけポンポン子供が出来た源頼義 国単位でみれば通ってるだろうが
藩単位でみれば街道が通ってない藩はたくさんある 萩藩毛利家は元禄年間に転覆事故を起こすまで海路、瀬戸内海航行で大坂まで来ていた。
また、薩摩藩島津家は、飫肥の伊東と不仲のため、海路で大坂まで来ていた。 いやまあ経路がどうだろうと庶民に金が落ちるなら経済システムとしてはそう悪くはないんじゃないかなあと。 地域によるんですよ。
江戸近くの街道沿いは潤うが、地方の藩はその費用を負担させるために重税だった
今の日本からはぴんと来ないかもしれないが、
日本国内でも、日本と途上国くらい物価が違っており、
10倍くらい普通で差があった。だから地方の藩は藩で餓死がでていようが移出してたし、
旅費と江戸滞在費で地方の藩は死んでた。
江戸と地方の経済格差が広がるほどそれは酷くなった。 日本の四大飢饉はみな江戸時代に起こっている。
おこっているばしょは全部地方。西日本や東北
飢饉でも食糧が自給できない大都市では飢餓がおこっておらず、
明らかに飢餓輸出がおこっている。 四大飢饉て江戸四大飢饉のことだから江戸時代に起きてるのは当たり前では? >>246
日本の四大飢饉であって江戸の四大飢饉ではないですよ。
だが全部江戸時代に起こっている。 >>248
そもそも日本四大飢饉などという言葉が存在しないのですよ。 >>249
元々は日本の三大飢饉という用語だったんですよ。
それが全部江戸時代だったから江戸とついたんですよ。もうひとつの大飢饉とあわせてね。
それまでにも大飢饉は何度かありましたが、江戸時代ほどひどくはなっていない。
源平合戦の頃や戦国時代にもありましたがね。
都でウン万人と死んだだけ。
けど江戸時代の餓死は江戸では死なず、地方で死ぬ。地方の米が江戸に奪われて餓死するという構図です。 つうか別に飢饉の記録自体は続日本紀からあったが、あっちの方が思いっきり頻度が高いよ。 あと、江戸時代飢饉は、地域としては東北太平洋側、特にひどいのは商品経済が発達した場所だった。
江戸で死者が出なかったのは、たんに江戸が東北地方太平洋側ではなかったからだ。 江戸時代中期には参勤交代や江戸滞在費、幕府による普請で地方の藩は年収の何倍から何十倍もの借金を背負っているのが普通であり、
その支払いの為に収入を担保にとられていた。
凶作であろうと一定量を必ず売らないと利子の支払いすらおぼつかなかった。
その結果が大飢饉へと繋がった。
酷い藩になると、米を藩札などで無理やり買い叩いて、それを江戸に売り払っていた。
ていうかそうしないと借金が支払えない。
結果農民は食べ物がなくなりみな餓死った。
酷い藩になると人口が半分になっていた。
東北や北関東では人口が大幅に減っていることがそれを物語っている。
朝鮮征伐のほうがまだよかった、朝鮮で略奪してれば誰も飢えなかったのにな。 >>251
徳川実記、つまり徳川家の公式記録でも100万人近くみたいな記録があるんですけどね。
それほどの記録があるような大飢饉はそうそうないよ。
人口割合をみてもね。
死者数千万とかw明らかに人口より多い記録はあるけどねw
>>252
廻米ってものがあってね。地方の藩は米を売って金を得ているわけ。
だから江戸は飢えないわけ。
100万都市の江戸、50万都市の大阪や京都が自給できると思う?
地方から集められた米で彼らは飢えない。 >>254
つうか東北以外の地方で飢えた記録って果たしてどれだけあるの? まあ同じ東北でも、盛岡藩と秋田藩とか、米沢藩と福島藩とかでまったく様相が違うので、一緒くたにしちゃいけないんだけど。 作物がとれないと飢饉になるけど、作物が育ってもウンカの大群に食い潰されて飢饉になる。悲惨な でなんでそんな話になったかというと、別に飢饉は江戸時代だけの話でもないいんじゃ?という 飢饉と言えば平安中期以降や室町時代中期が有名
日本の4大飢饉って初めて聞いた ググってみたが「日本の」4大飢饉ではなく「近世の」「江戸時代の」4大飢饉じゃないか
こいつ>>245巧妙に嘘ついてやがる
しかも気候が世界的に温暖で安定した16世紀(戦国期)と世界的に寒冷化した17世紀、18世紀(江戸時代)を比較して豊臣政権が優れていたと言われても比較対象にならんわ
そもそも豊臣政権が徳川幕府よりも農民(二公一民)・商人(税率2割)に重税を課していた事実を考慮して江戸幕府と同じ位政権を維持したと仮定するとより酷くなると推測されるのだが >>262
それ自体がわりと最近のいいかた。
日本の三大飢饉だった。
そして戦国時代は普通に寒冷期、温暖化していたのは江戸初期である17世紀初期くらいのもの。
さらにいうと、中世の温暖期である13世紀がおわってから、19世紀までずっと小氷期に分類される。
あと勘違いしているようだが、税は双方の話し合いで決められる。
大名ごと、さらに年によっても違う、ただ揉めて決まらないと2公一民になる。
あとこれは利益にかかるものであって収入にかかるものではない。 どうでもいいんだけど別に飢饉自体はどの時代でも起きている。それこそ昭和にも。 飢饉は何時の時代でも起きているが江戸の飢饉は食料不足よりも、購買力格差と幕藩体制が原因
東北で飢饉が起きているのに幕府は江戸の物価高騰の方を恐れて地方からさらに米を集めてた。 >>266
あんたこの前から何の根拠もなく妄想たれ流しているけど、何か一つでも根拠示せるの? >>267
「飢饉日本史」江戸時代のは天災に人災が影響してる。 秀頼の実父の話は都合が悪いから、スレ違いの飢饉の話ずっとしているんじゃないかな 江戸時代が暗黒を越えた純黒時代だったことと、
秀頼が托卵であることは矛盾しないわけだが。 うん、まあ飢餓太郎がアレな人であることは伝わった。 >>271
スレ違いばかりしていると病気だと思われるよ。 それは江戸時代が豊臣時代よりも良かったとか、根拠もなくぬかす奴に言ってくれ。
227で言っているように、秀頼はほぼ間違いなく秀吉の子供ではない、
ねねと秀吉の間の手紙をみても仮の子供やら、淀に自分で育てろよとか書かれており、
秀吉には心当たりもない。 そりゃまー飢饉に対する誤った知識をあれだけ強弁されたら荒れるに決まってるよなーと思った。 家来の家康に、なにゆえ主の豊臣が出向かねばならぬのじゃ。考えてもみよ。家康は、亡き太閤殿下に、大老にまで取り立てて頂いたご恩も忘れ、御血筋、秀頼公を二条城に呼びつけるなど、言語道断
下知じゃと…それが赦せぬともうしておるのがわからぬのか。 そもそも淀が托卵なのは秀吉も知っていたはずなのだが。
むしろ最初の子供の時は秀吉公認で托卵をしたと思われる。
市の子供に「秀吉」の子供を産ませて後継者を作りたかったのだろう。
信長の妹で浅井家の血を引く淀は、尾張と近江の人間が多い秀吉にはちょうど良かった。
早世したので諦めて不出来の秀次を後継者にしたら、
淀が今度は無断で托卵をした。
子供が欲しかったのか、地位が欲しかったのか、豊臣政権への嫌がらせなのかはわからんがね。 長浜時代の一男一女は、石松(秀勝)と安息願った娘のことか?
それなら娘は当時養女にしたばかりの豪姫のことだから実子ではない
10歳そこらで死んだ石松が元服してるのもおかしいし
そもそも生母が遊女な時点で誰の子供か分らんだろう
子供がおらず跡継ぎを欲しがってる中小企業の社長が
お気に入りの風俗嬢が妊娠して「俺の子だ!」と言ってる状況
托卵で社長の後継ぎ狙う女に夫がデレデレしてたら糟糠の妻は怒るさ
おねが怒ったのは当然のこと 言わんとしてることはわかるんだけど
種が違うことを托卵ていうのが理解できない 後水尾天皇践祚の儀を機会に、是非、胸襟を開いて歓談したいとの、おん下知でござる。 所で秀頼なんで右大臣を辞任したんだろう?
辞任した直近で昇進しそうな話も気配も無いし、幕府から辞任せよと迫られた様子も無いんだが。
右大臣としての仕事が出来た出来なかったは別にして、持ちっぱなしでもよかったろうと思うけど。 序列としては現職の内大臣かどうかではなく、内大臣を経験したか、がポイントになる 街道も通っていない地方が貧乏でない時代のが珍しい。 豪姫について調べたら「南の御方」と呼ばれてたみたいだ
これは長浜城時代の「南殿」のことじゃない? 俺の勝手な想像。淀殿の相手は、秀吉の正式でない息子ではないか。身分の低い女に産ませてしまった。家来の1人として自分の近くに置いた。例え淀殿との子供をつくってしまったとしても孫になる。だから秀頼を可愛がった。勝手な想像です。 淀殿のお骨としてDNAは無い、信長のお骨のDNAもない。しかし、信長のお父さんのお墓が名古屋の大須観音で有名な所の商店街の中に有ります。DNAを遡り疑わしきお骨のDNAを採取し続ければわかるかも知れません。 >>283
当時の朝廷官職でまともに仕事なんてあるのか?
ほとんど名前だけだろ やっぱり秀吉帰阪後に抹殺された陰陽師のうちの一人だと思う>実父 >>291
「坊主に祈って種のわからない子が生まれたな」
って落書きされるくらいだからなw 捨とか拾とか忌名?らしいけど、こういう名付け方の例は他にあったのかな
拾は山内一豊の養子くらいしか知らない(こちらは拾った子供だから拾という中々の謎センス) ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ >>276
頭回らないから後先考えず暴走して秀頼産んじゃったのか。
第二子は秀吉も予想外みたいだった。
結局淀がおバカさんだったから秀次その妻子が死んで結局自分と息子も自害 秀頼がでかいという方向で大野以外ででかい武将の種という可能性ないかな
ぱっと思いつくのは前田利家と加藤清正、後藤又兵衛だが清正と又兵衛は
朝鮮いってた時期長いからないか そもそも淀がでかいんだから父親の体格は関係ないだろ 確かに父がちびでも母親がデカくて180ある奴もいるな 身長だけなら覚醒遺伝もあるだろうし
状況証拠の1つでしかないな
それより若い頃からあれだけ手当たり次第女に手を出して
まるで子供が出来なかったのに高齢になってからと言うのは疑わしい
基本的にタイミング良すぎるし
淀だと疑わしくても何も言えないだろうし 鶴松関連を本やWikipediaでみると
涙なしでは読めないわ、
秀吉、よっぽど鶴松愛してたんだな
死後も鶴松の夢を見て泣いてたとか「亡き人の形見に涙のこしおきて行へ知らずも消えおつるかな」
の和歌とか…。
あくまでも自分の主観でしかないけど
鶴松が死んだ時に秀吉の中の人も死んだんだと思う
秀次や秀頼に関してイマイチ悪手ばかりだったのも、もう抜け殻だったからかなと感じた
確かおねへの手紙にも自分の子は生涯鶴松だけ、みたいなこと書いてたよな?
ここまで執着できたのは
鶴松は自分の子だという確信があったのかも。
顔が自分にそっくり似てたとかそういう。 秀吉の和歌は辞世の句もそうだけど
なんか印象に残るよね 泣けるね、、、
秀吉ほどの偉業を成し遂げても
子孫の将来不安と悲しみのうちに亡くなるのは
信長の子供にしたことへの因果なのかな、、、
って江戸時代の人達は思い描いたのかな 秀吉はそういう和歌の才能とか教養は優れてたのかね? 浅井長政の幼い嫡男を串刺しにしたってのは
信長の命令と言われてるけど本当かね
実行犯は秀吉だよな
よくそんな過剰虐殺できたなぁ >>307
和歌は著名な師匠に習ってたとかなんとかみたよ >>308
っで?お前だったら信長に命令されたら拒否する訳? 天秀尼の遺骨が残っていれば、残っている秀吉の歯か遺骨とのDNA鑑定できないか? >>311
天秀尼の遺骨と今上天皇や皇太子(実は秀吉の姉の子孫にあたる)の
髪の毛なりから採取したDNAを調べてみればはっきりするけど、
まぁ、宮内庁が許すわけないから実現しないだろう。 皇室以外にも色んな所に遺伝子繋がってそう
ウィキで辿ってみたが浅野家や小笠原家など
だからといって遺伝子調べさせて下さいとは言えんがw 秀吉が家臣にあげた奥歯が現存してるし
皇室なんてややこしいとこ介さなくても調査は出来ると思うけどな
天秀尼の遺骨さえあればな
秀頼と思しき遺骨も埋葬されてるそうだが
天秀尼とDNA一致すれば秀頼だと判明するだろうな 秀吉140cm 茶々170cm
まともにやれるのか? >>163
鶴松のときだってわざわざ出産のために淀城与えてたやん >>316
142cmのアーノルド坊やが170cmの白人女性と結婚、
39歳にして初めて性交して、
それまでは自分はこういうことは出来ないと思っていたが
やってみたら出来たよってコメント残してる。
なので、やろうと思えばできるだろう。
Z武さんだって子づくりしてるし、不倫しまくるくらいだぞ。 >>315
火葬にしてなければ、が前提。
焼いてしまうとDNAが破壊されてしまうので、例え形としてあっても役に立たない。
生前に与えた秀吉の歯はその条件に叶うけど、天秀尼や伝秀頼の遺骨が現存していても火葬にしていたらかなり困難。
天秀尼の墓はあるから、土葬でしかも日本特有の酸性土で消滅してないのを祈るしかないね。
伝秀頼の方はそもそも本人かどうかすら分からないんだから、これを初手から判定サンプルにするのは不穏当だろう。
秀吉と天秀尼のを比較し基準となるDNAの型を確定してから、伝秀頼の比較に入らなくては。 確か昔は、生理中の女性や出産は出血するから穢れだと忌み嫌われていて
生理や出産する女性は別小屋を作って隔離してたし
名護屋城で出産させるより、産場として与えた淀城で産ませるのが
当時の価値観では妥当ではないかな 大野治長の自害で秀頼と淀の命を救ってくれっておかしくね? この戦の首謀者は大野であり秀頼親子は巻き込まれただけとしたいのでしょう
秀頼最後まで出陣しとらんしな
子供ならまだしも20超えてる秀頼でそれを言い張るのは無理があるし大野の首ごときじゃ責任は取れんが
大野が父親だったとすれば泣ける話だわ 秀吉は全くの種無しではないだろ
若い時にある女性との間に
確か石松?とかいう男子を儲けている
しかし不幸にも夭逝
お墓もあったはず 遺伝子検査も何もなかった時代、母親の気持ち一つ、証言一つで父親は決まるだろ。
秀吉の子を産みたい側室は誰でも淀殿になれたはず。ただ淀殿以外の側室にそのような野心を考えた物が居なかったのは不思議といえば不思議。 てか、誰の種でもいいから子供産めと言われてたんじゃないだろうかね。とおも 産まなくても他の大名より実家を取り立てて貰えてるし
秀吉は気前は良かったが、チビで6本指で百姓の成り上がりだし
名門生まれの姫様たちは、そこまで必死に子供を作りたい相手ではないと思う
その点、淀は父方も母方も滅亡&没落してるし
御家再興するには秀吉の子を産む必要があったんでは
孤独な淀だからこそ子宝祈願で坊主に抱かれることも出来たのかも
実家が健在なら子種が違うことが、どこからか漏れる可能性が高いし
摩阿姫は夜の誘いを体調不良で断る手紙が残ってる 国松やら秀頼やら、
秀吉の可愛がりぶり、メロメロぶりときたら
自分の種じゃないと知ってたとは思えないなぁ〜 小柄な秀吉から巨漢の秀頼はっていうけど単に巨人症だっただけじゃねえの
現代でも、少なくとも日本人で190超えは巨人症の疑いありって言われるくらいだし 巨人症の患者が独裁者の嫡男にして生存する唯一の子供として産まれる確率ってどれぐらいなんだろうね そもそも秀頼は嫡子ですらない
嫡子というのは正妻の子供のことで正式な婚姻関係ではない側室の産んだ子供は庶子
兄の鶴松の時はねねの養子にして嫡子に直したが秀頼は淀殿の産んだ庶子のまま
滅亡したとはいえ大名家の姫であった淀殿が乳母を持つことも許されず自分の乳で養育している
これで疑うなっていう方が無理だろ 当時は血も後継ぎとして重視されてたと思うしつながってないなら秀次秀秋皇族でええやんってなるから参籠説は微妙なんよな 信長の異母妹の娘の息子ってだけで、若き日の信長の容貌に異様に似ていて家康も戦慄したという
…てことは、父親も信長の血を引いているに違いない
信雄か、秀雄か、信好か、信高か、秀信か、秀則か…
大坂に頻繁に出入り出来て淀に近づけるのはそこら辺か 単純に考えて2度も落城させられて、両親きっちり殺されて
そんなジジイに操立てるはずない
寝所で刺し殺しても全くおかしくない もうね、どっかのボロ家から、秀頼と秀吉の血判状とか出てくりゃ良いのにね! 俺は毛利秀就は杉元宣の子だと思うけどな。
何回か年齢の修正してるし。
まあいいんじゃないか。
おおらかな時代だったということで。 >>340
そんなんいくらでもあるというか。
ある意味、女は戦利品の時代だから。 石松丸実子否定派の根拠が実子である確実な証拠がないから。
いやこれ失礼だろwww
子供だよ、普通は養子である確実な証拠がなければ実子として考えるよ。
しかし朝鮮のやつらが羽振りをきかすようになってから秀吉ってホント悪人扱いだわな。
今とは価値観違うのに現代の物差しでバッサリやるとかまさに朝鮮だよwww 琵琶湖に浮かぶ小島にある寺の怪文書に見れなれない変な名前が載ってたってだけ
載ってた順番ではそれなりの身分のガキだったんだろうなってだけ
そっから一気に秀吉の実子だ!とかね、妄想にも程が在るんだわ
その怪文書にすら秀吉の子であるって記載は全くないのに何が証拠だバカ >>345
そこまで青筋たてて夭折した歴史になんの影響も持たない幼児の存在を否定するってなんの意味あるん?
普通は、はーんまだ小さかったのにかわいそうやねで終わりやん。
そこまでして秀吉を種無しにしたい理由ってなんなん? まあ秀頼の子孫が何百年も日本を支配してたら、秀頼が実子かどうかは支配の正当性という意味でかなり重要な意味を持ってたと思うが(日本版の千載不決の議となっていただろう)
実際は秀頼が実子であれ非実子であれすぐ滅亡した訳だからどっちでもいいわな
あとは秀吉や秀頼のファンやアンチの感情の問題でしかない NHKBSPの偉人たちの選択を観てたら、秀吉の血判状が出てきた。秀吉は筆まめだから
結構血判状も残っているのではないかな。
だとしたら秀頼の血判状などあれば親子鑑定ができるのでは?
秀吉の末裔などいないから、ピラミッドのミイラのようにDNA鑑定も可能だと思うけどね。 側室の子、国松は死刑になった。お千との間に男子があったらどうしたんだろうな 治長におっぱいをもまれる淀君「あ〜ん♪あん♪天下の主は秀頼ぞ!」
淀君「天下は家康に貸したにすぎぬわ♪」
こうやって生まれた気がします お千と秀頼は褥を伴にしたとは思えない。茶々が絶対にHさせなかったと思う。
本多家に嫁いで初めてHできたから子どもにも恵まれた。
もし秀頼との間に男子が出来ても抹殺されたでしょうね、家康に。
だって信康と築山殿の例があるし、孫など虫けらでしょう。 秀勝家こそが嫡流
石松丸秀勝
|
於次丸秀勝
|
小吉秀勝
|
完子
|
二条康道:二条家第16代当主
九条道房:九条家第19代当主−−−−昭和天皇
松殿道基:松殿家第12代当主 娘は父親に、息子は母親に、似る傾向があるという
この伝でいけば、お千は秀忠に、秀忠は西郷氏に似ていたことになる。 >>90
時間が経ちすぎて無理とか本気で言ってんのかね どのみち秀頼が豊臣にトドメを刺した訳で運命的な存在であった。 畠山持国「遊女の子だから自分の子かと疑っていたが、成長するにつれて自分に似てきた。これは自分の子に間違いない」
秀吉「乱交パーティで産ませたんだろ。自分で乳やれよ」 父親候補は第一大野修理、第二名古屋山サブ、第三、大野道犬 秀吉がインポなのはねねが一番よく知ってる事だったんだろ
秀吉「子供ほしいしもう間男の子供でもいいよ」
ねね(ふざけんな!家が乗っ取られるだろうが!)
家康こそ豊臣家に尽した真の忠臣だった説
ねねと良好な関係だったし木下家を潰してはいなかったんだよな・・・ 淀の前にも長浜時代に2子もうけてるってのが主流みたいだし
種無しってことはないでしょ REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 犬や猫と同じ、育てればそれはこの世界で言う実子なんだよ
DNA的繋がりどうかとか思考がそもそもない
この時代に民主主義がー三権分立ーがーって誰も志向してないだろ?