そろそろ最強の剣豪を決定しようか [転載禁止]©2ch.net
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20戦以上無傷無敗で上泉伊勢守と足利義輝と北畠具教という最強クラスを弟子にしてる塚原卜伝でええか? >>431
宮本武蔵がそんなキチガイだったなんてありえないわw
五輪の書読んだことない素人がこんなスレで書き込んでるとかwスレの次元を疑うww
>現在の剣道なんかとはまったく違う思想
と書き込んでおいて、昔の剣士は現代の我々には計り知れないような事やってたんだ!と持論を展開する作戦なんだろうけど、
現代剣道ってのは昭和の戦後とかに突然降って湧いたものではなくて、先人達から脈々と伝わって来たものをほぼ忠実に伝えているわけw
槍とか居合も戦国時代とかから続いてる流派がほぼ忠実に形やら技を残しているんだよwやってる人なら解るけど(笑)
人斬り包丁持ったキチガイが木刀構えた強い現代剣道7段、8段の人に勝てるだろうかってw無理だわwwキチガイはキチガイであって達人ではないからww >>428
山岡鉄舟が達人だったのは確かだけど、若い時は弱かったみたいな都合のいい話はありえないから(笑)
→>>429>>435の捕捉として書くけど、
体力使うどんな武道、格闘技、スポーツに於いても20代30代でショボかった奴が40代50代で突然ピークが来て達人になるみたいな事は無いw
これは人間の体(体力)が基本的にそういうふうにしか出来て無いから。
こんなのが解からないとか、体鍛えたことすらないのかねw
サイヤ人じゃないんだから(笑)
40代50代で達人だ、すごいって言われてる人は20代30代の頃からすでにすごかったんです(笑)
分かりやすい喩え引用すると、大相撲で今最強とか言われてる横綱白鵬(30歳)も40代50代になったら現役で鍛えてる20代の十両力士にも勝てなくなるよw
王貞治だって長嶋茂雄だって、20代30代でホームラン打ちまくってたけど、いま大谷翔平の165kmの球なんて打てねえよ(笑)かすりもしないだろ(笑)
人間の体っていうのはそういうもんなんです(笑)
サイヤ人じゃないんだからw
※最強の剣豪について語るなら、まず人間の体(体力)ってもんを知るべきだよ(笑)
そうすれば実像が解って来て、誰が強かったんだろうかって話がそこから出来るようになるだろうねw 新撰組の剣士はあまり凄い印象は無いなぁ
基本戦術が多数での暗殺だからなぁ 池田屋で近藤は一人で正面を塞いだし相当に強かった事は間違いない
志士側だってみんな免許や目録を受けるレベルだったのに 斎藤一は明治維新後に警察内で開かれた剣道大会で優勝してる
その当時の警察は元武士が大勢居たから、相当レベルが高かった筈で、
その中で新撰組元隊長が優勝したって事は、いかに新撰組のレベルが高かったかという証だろう 技術ってのは時代が下れば下るほど磨かれていく物だから、幕末の剣士が最もレベルが高かったと見るべきだろう
という事で、最強は沖田総司や岡田以蔵辺りではないか 強いか弱いかは分かるけど、誰が最強かは直接戦ってみないと分からない
時の運と相性って重要だから
従って場数が多いとリスクも多くなる訳で、結局は多くの戦場に出て多くの者を討ち取っている人が強いという事になるだろう >>443
幕末は特別だけど時代が下れば下るほど
実際の斬り合いの経験が無くなってくから
真剣勝負じゃわからんよ だから真剣での斬りあいがあった最後の時代である幕末の剣士が最強でしょ 流派の技って時代が下がると失伝してるものも多いから
一概には言えないんじゃねえかなあ。
あと、幕末にしても、日常から斬り合ってた訳でもないんだから、
むしろ自力救済が基本の戦国期の方が実戦頻度多かったと思うぜ。 現実には漫画みたいなそれを知ってるか知らないかで強さにまるで差が出る秘伝奥義何てないし、
失伝してるとしたら、実用性がなかったというだけだろう
また、真剣で斬り会う機会自体は戦国に劣っても、剣術自体は盛んだったわけだから、剣士の平均水準自体は高かったと見るべきだろう 強いか弱いかは個人の問題であって別に時代や流派が強い訳じゃない
いつの時代にも強い奴も弱い奴もいる >>449
戦国時代に失伝したならともかく江戸時代に実用性を図るなんて無理だろう 小野次郎衛門なんかは実際に強かったろうか
合戦でも手柄挙げてるし、あの時代でもキチガイ扱いされていたぐらいだから
一般的にイメージされる剣豪そのものといった感じだ 真剣での切りあいでは超有効だが、竹刀での戦いでは使えない為、失伝した…何て技、そうそうないだろうし、
あったとしても、それだけで戦国期の剣士の方が幕末期の剣士より強いという根拠にはならないだろう 戦国期は竹刀がなくて木刀で練習していたから、練習するのも大変だった
打ち所が悪ければ死ぬし、そうでなくても、簡単に怪我してしまうから、思うように経験がつめない
その点、竹刀や防具が普及して安全に練習できるようになった幕末期では、戦国期より遥かに多くの経験を安全につめた
だから、幕末期の剣士の方が、戦国期の剣士より、少なくとも平均水準でははるかに高かったはず
また、ぶっちゃけ、一の実戦より、百の練習の方が効果がある
そりゃ、実戦でしか得られない物もあるだろうが、一度実戦を経験しただけの人間より、百度試合を経験した人間の方が遥かに強い
これはISISと自衛隊が同武装、同人数で戦った場合、どっちが勝つか想像してみれば分かりやすい 幕末は立ち木を狂ったように叩く練習してただけの薩摩が
他を圧倒してたんだぜ、どれだけ戦国期より惰弱になって
かがわかろうものだろ 討幕派の筆頭が薩摩で、その薩摩に示現流の使い手が多かっただけで、別に他の流派を圧倒してた事にはならなくない?
即効性と初見殺しに秀でた流派であった事は間違いないと思うが… 上に書いてあるように剣術としての完成度の高さなら幕末で実際の実力は戦国という印象 >>458
そもそも薩摩藩は最新鋭の装備をしていたから強かった訳で別に刀で戦っていた訳じゃない
有名になったのは西南戦争だけど、あれは百姓出身が多かった鎮台兵が慣れない白兵戦で恐慌をきたしたという話であって示現流が特別強いという話ではない 呂布>>>>>>>日本の剣豪
なのが現実^^
JAP(笑) イメージの呂布は強いんだろうけど、実際はどの程度だったんだろうな
剣豪と比較するなら戚継光とかの方がいいんじゃないかな? 支那人は大ボラ吹きだからな
元寇でも唐入りでも日清戦争でも一方的にメタボコにされているしはっきり言って弱い
そもそもモンゴル人や満州人にも侵略されまくって漢民族はほぼ消滅したとも言われているし
呂布もあくまで支那レベルの強さだから他の国で言ったら普通レベルだろう 幼少時の素質なら木曽義仲
人形劇『平家物語』vol.5 - 22〜24話
http://kiratemari.exblog.jp/4627472/
> 駒ヶ根の牧が狼の群れに襲われ、愛馬が餌食にされたことに腹を立てた義仲が、
> たった一人で狼数頭に立ち向かい斬殺する光景を目の当たりにして、
> 将来天下にはばたく武将の相を見て取り、その教育係を引き受けた…
木曾義仲の興亡と越中国の伝説
http://ettyuukyoudoshi.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=299381386
> ・平治二(永暦元年、1160)年 7歳 狼退治
『7歳』の時点で、1人でオオカミ数頭を斬殺してたなら凄いことだ 後の時代の方が有利だとか戦国期の方が上だとかいう話は意味が無い
技術が必要なのは当然だが殺敵技法である以上、遣い手の意志が重要だろう
つまり躊躇なく斬る・トドメを刺すという確固たる意志があるか否かだ
例えば現代剣道で段位を得ていても、敵を前にして迷うことなく斬る事が出来ないなら素人に不覚をとるかもしれない(人斬りを本気で意識して剣道を習っている者がどれだけいるだろうか?)
実戦に強いというのはエグい手段も躊躇なく出来て血飛沫を
浴びても眉一つ動かさずにいられる、現代人の一般常識からは異常なメンタルを持つ事ではないだろうか? >>479
新撰組なら永倉が斎藤よりも沖田よりも強いと元隊士が
公の場で証言してるので沖田最強はない 元隊士の主観だけじゃなあ
そいつが沖田斎藤の人気に嫉妬してたただけかもしれん
だから地味な永倉を上げる 千日も持って鍛とし、
万日を持って錬とせよ。
宮本武蔵。
これが、鍛錬だと知った。
日々、鍛錬です。 >>474
剣豪と謳われた人間はみんな人を斬りまくってるし、当然そうしたメンタルは持ち合わせてるでしょ 宮本武蔵「そうそう、一番強かったのは石を投げてくる奴」
小山田信茂「やはり俺が最強か」 >>487
書簡で自己申告した割に豊前中津藩の負傷者の中に武蔵さんのお名前がないのはどうしてですか?
あと小山田さんの投石って同時代史料から確認できますか? やっぱり技術的に洗練されていて、人も切り慣れている幕末の剣豪が最強でしょ >>362
一介の浪人が、その当時の権威に立ち向かい打ち倒すという痛快な設定が、
講談師やその客である庶民に受けたんだろう 十二号染色体的合成不仅表明我们能设计并构建获得含有百万级碱基的合成染色体,
实现对高度重复的编码核糖体RNA基因簇进行秋月康秀编辑与操控,奠定了未来对其他超大、
结构超复杂的基因组进行设计与编写的基础,同时也证明了酵母基因组中编码核糖体
RNA区域及其他序列均具有惊人的灵活度与可塑性。 >>488
あれは有馬直純に「そちらにはいけません」という手紙だからなあ。
拙者儀老足可被成御推量ともあるし。
別にたいした負傷はしていないけど、なんか行きたくないのか行けない用事が別にあるのか、そんな失礼なこと書けないから負傷したってでっち上げたのかもしれない。 >>503 492の通り他藩のお偉いさんの養父ってイレギュラーな立場の人間だった事考えたら載ってない方が自然じゃない? >>504
まあそう考えても、なんら不自然も不都合もないと思う。
ただ、断わりの手紙なんで適当なこと書いてたとしてもそれはそれであり得る話かなと。
有馬家は当時、軍功争いで水野家と揉めてたので、両家に関わりがある武蔵は避けたのかも…というてる人もいたが、いくらなんでもそら穿ちすぎだろうしね。 そもそも負傷者リストってある程度以上の立場の人間まで載るものなのかな
あんまり詳しくないけど有名武将が載ってる話を聞いたことないし 柳生石舟斎だって弓で拳射ぬかれて大怪我してる例もあるし
自分は飛び道具で負傷したらショボいみたいな感覚全く無いから
敢えて穿った見方してまで武蔵は怪我してないかもしれないって言う人の気持ちはよくわからんなあ
特に武蔵の場合はおそらく攻城戦の落石だろうし弓以上に防ぎようなくないか 世の中に弓鉄砲がなかったら、我が兵法にかなう者なしとか、弓矢は魔法の類とか書いてる人もいるしな。
石舟斎からして、兵法は弓矢鉄砲と戦うものではないとか書いてたと思う。
武蔵の投石の話は、なんかいつの間にか島原の観光ガイドとかが「武蔵は子供の投げた石をあてられた」とか語ってたそうだ。
良かれ悪しかれ、話ってのは尾ひれがついていくもんだね。 しかし最強剣豪の話ってのは夢がある…。
どうあがいても確定できないあたりが実にいい。
個人的には男谷信友とか、面白いんじゃねーかなと思う。
幕末の鉄人流の使い手、牟田文之助が日記であちこちの道場にいったりしたこと書いてるけど、男谷は別格の強さを感じたのか、剣客たちの中で唯一「様」つけてる。
所詮は個人の感想にしかすぎないけど、当時五十代だった男谷に二刀で挑んだ若者が感服したって話は物語的な美しさがあってよい。 上泉信綱に決まってる
他の名前を挙げる奴は動物議論で最強はアフリカゾウなのにサイだのカバだのと書いてる奴らと一緒 >>511
上泉伊勢守は偉大だろうけど弟子たちの方が受け継いだ技を更に発展させていけるわけだし
最強かどうかは疑問だな
戦国武将だから戦場でもどうこう言う人がいるけど実際には武将としての活躍は
同時代史料から一切確認できないし 実戦を体験した奴じゃないとな。
人も斬ってないのに竹刀振り回してた奴が最強とか無い無い。
誰の事かは分かるよな。 あー江戸初期から中期の平和になった頃の剣士は
戦わずして勝つみたいなのが極意とか人を殺せない
からそういう方向に行ってるな 実戦経験のある剣豪だって実戦未経験だった時期は当然ある
例えば新選組の面々だって入隊前から実戦経験豊富なんて人物がどれだけいたのか?
武士は帯刀した生活が当たり前で現代人とは感覚や価値観が違ってたろうから、いきなりの実戦に対応できるだろう
上田馬之助が料理屋で襲ってきた三人を即座に返り討ちにした事からも分かる
実戦経験が無いのはたまたまその機会がなかっただけで実戦経験者に後れをとるとは限らない筈 実戦を経て生き残った者だけが剣豪だ
実戦という免許のない仮免剣豪など論ずるに値しない 強い人は初めての実戦でも対応できる
平穏な世では達人級の人でも実戦に遭遇しない
幕末には実戦経験者が多数登場したが、それも技を泰平の世に伝承していった先人がいたからだ
現代と違って帯刀が普通の時代の人々の技量を現代人の基準や感覚で語るのは愚考で愚行 竹刀なら大丈夫。木刀なら通報案件だけど
やはり上泉伊勢守は偉大 竹刀はオモチャ
竹刀を使ってる流派はオママゴトをやってるだけ
竹刀を使ってた先人は剣豪じゃなくてオママゴトをやってた頭の足りない大人 竹刀で戦う流派なんてないだろw
道場稽古なら新選組でも竹刀だし >>525
つまり新陰流もそのオママゴトってことか 竹刀は直接打ち合う稽古の為の木刀の代用品であり、木刀は稽古の為の真剣の代用品
つまり竹刀は代用品の代用品であり、竹刀の使用を非実戦的という奴は剣術の基本以前の知識すらないニワカ 柳生連也斎でしょ
上泉信綱が流祖の新陰流を完成させたのは柳生石舟斎の孫の尾張柳生の連也斎
兄の利方を差し置いて新陰流五世を継承
寝こみを襲ってきた刺客を脇差で片手斬り
将軍徳川家光に招かれて江戸柳生の柳生宗冬と型を披露するが連也斎の打ち込みの早さに
宗冬がついていけず宗冬の拳を砕き宗冬の血痕が付着している木刀が現存
しかも宗冬は太刀の木刀だったのに連也斎は小太刀の木刀
型の披露でしかも小太刀に拳を砕かれたこ江戸柳生はこれ恥じ試合だったと吹聴 >>525-528
真剣の半分以下の重さの竹刀で打ち合ってもな。
御飯事とまでは言わないが、軽い竹刀で打ち合うのは半分遊びみたいなものだよ。
うちの道場では木刀も竹刀も使うけど、1.2kg未満の物は使用禁止になってる。
スレに関係ないけど。 帯刀が禁止された現代人と帯刀が日常で何時斬り合いが始まるか分からない時代に生きた剣豪を現代人の基準で語るのは無茶では? >>531
そう思ってるならこのスレに来なければ良いだろ。
このスレには剣術やってるか現代人か、剣術をしてない現代人か、どちらにしても現代人しかいない。
そしてレスは全てレスする人間それぞれの基準で書くのだから。
それに時代背景が違ったとしても、稽古の質が強さに影響するのは、どの時代でも変わらないよ。 >>530
確認したいんだが1.2`以上の竹刀っていったいどんなものなんだろうか? >>533
野球のバッターが重いマスコットバットで素振りの練習するようなもんじゃね? >>534
そういう目的聞いてる訳じゃないのは普通に読めばわかるだろ
具体的にどんな作りの竹刀なのか気になっただけだ >>532
ならば訊くがアナタの道場ではどんな稽古をしてるのか?
重い竹刀や木刀を使っても防具の無い部分に竹刀が当たっても平気だという意識なら剣術としては実戦的ではないよ
現代剣道のルール上では打突が有効とされる部位は確かに決まってる
でも例えば上腕や肩に竹刀が当たっても負けではないが、実戦なら斬られてる
鍔迫り合いで相手の竹刀が肩に当たってるのに気にしないならばそれはスポーツ
勝負も三本勝負ならばやはりスポーツ(実戦にニ度目はない)
江戸時代にも三本勝負はあったが当時は帯刀が普通の事で実戦も勿論仇討ちその他で存在してたから意識は現代人とは違う
ちなみに自分は子供の頃に通ってた道場では全て一本勝負だった >>529
元の尾張柳生の古老の話紹介した本だとスピードというより連也の打ち込みのタイミングが早いせいで起きた事故ってニュアンスだったと思うが
型じゃなくて試合だったって言いふらしたの尾張柳生の厳長さんだし 宗冬と連也が型やったって話自体かなり怪しいんだよなあ
その話に触れてる一番古い記録が昭和になって尾張柳生の当主が出版した本だし
伝説だと指砕かれたはずの宗冬が当時の記録だと二週間後に家光と緒大名の前で型披露してるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています