そろそろ最強の剣豪を決定しようか [転載禁止]©2ch.net
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20戦以上無傷無敗で上泉伊勢守と足利義輝と北畠具教という最強クラスを弟子にしてる塚原卜伝でええか? 柳生宗矩
最も剣術の技術と教養に秀でていたから幕府の指南役になれた
風呂に入らない不潔な武蔵や、話が盛られて胡散臭い義輝と卜全はNG >>1
戦国時代限定?
それと剣術だけなの?
槍や柔術なんかも含めてのこと? 一次史料で剣術の型を天皇に実際に披露してる上泉信綱に勝る実績の持ち主はいない 戦国限定せず剣術のみにしようか
>>3
「親父(宗矩)は武蔵に敵わない。 俺(十兵衛)は親父に敵わない。」
息子十兵衛がこう書いた日誌が実在するのでこの時点でこの二人は最強候補から外れる
兵庫助を自分以上の天分と称賛した石舟斎もやはり最強ではない
よって柳生家からの最強候補者は兵庫助か剣聖と呼ばれ新陰流を完成させたと言われる連也斎のどちらか 現代の剣道家が強いかもしれない
試合数が過去の人とは段違いだし、技術も洗練されてるだろうし
ただし、命のやり取りはしてないけどね >>6
それ本人が言ったわけじゃないし、何も根拠無いだろ
宗矩は逸話じゃなく合戦の実績があるし(他家の記録にあるから捏造の可能性は低い)、幕府や戦国時代を生きた秀忠からも剣術の腕を認められてる。大名にもなった
武蔵は吉岡一門やら佐々木巌流やら実像が不明瞭な名声だけだし、関ヶ原や島原に出てるのに武蔵と言えばあやふやな試合の逸話ばかりで合戦で全然評価されてない
同じ剣豪でも宗矩は武将だが武蔵は武芸者で、宗矩の名前を自分の売名行為に使ってただけだわ
それで弟子を増やして本書いて信仰宗教みたいなものだから、幕府も宗矩も構わず試合もしなかった 宗矩が弱いとは思わないけどどっちか言うとこの人って政治家とか官僚ってイメージ 東郷重位だろ。あの薩人マシーンの巣で新興流派を勝ち残らせたんだぜ >>6
小説かなんか読んだの勘違いしたんじゃないの?
十兵衛の著書で武蔵について語ったものは全くないし石舟斎も自分と兵庫比較してどうとかは書き残してないよ
一応上泉、石舟斎、宗矩については十兵衛が「祖父は上泉を超え、親父は祖父を超えた」って『月之抄』に書いてるけどそれで宗矩最強!とはならないでしょ 伊東一刀斎はどうもエロの人ってイメージが強くていかんな蜜壷からしたたり落ちるなんたらとか まぁ、塚原卜伝か上泉信綱だよな。上泉は剣聖だが人材教育がすばらしかった。
柳生宗矩よりは尾張柳生の宗矩の兄貴、厳勝だっけ?それとその息子で石舟斉の孫の方が腕がたつんで新陰流の認可を石舟斉が直々に与えてる。
江戸に入れば小野派一刀流の開祖、北辰一刀流なら千葉周作辺りかな。 鉄砲玉一発の流れ弾で、どんな強者も戦死する時代
最強の要件は、運が必須だろう
天寿をまっとうしてない剣豪は外していいと思う 妻帯はしなかったが、童貞だったのかは謎じゃないか?w >>26
コヤブ歴史堂でも見とけ
当時は何でもありやぞ
柳生連也斎ともなれば毎日違う女や男を抱いとるわ 早くからあいまいになったがそれは剣術に没頭して女を抱かなかったからだと言われている
今で言う若年性痴呆症なだけだろうけど女も男も興味がなかったらしい 女とやらなきゃ最強ってんなら、口すら利いてもらえないお前らが最強じゃん 要は生き残って、大名家に仕官でき、流派が連綿と続いた剣豪が候補として上がるんじゃね
その集大成が幕末期としたら、一刀流、新陰流、示現流等が候補と思う 鹿島新当流が最強にならないか、流派生き残りとかいうのなら
近代史でも、GHQの銃剣術使い相手に戦って無傷で勝った、とかいう達人出してるし >>36
鹿島神流18代宗家を名乗った国井善弥の創作の蓋然性が極めて高い流派で過去の古文書が全て失伝されてるってね
GHQの銃剣教官に勝ったのは事実だが相手は所詮アメリカ人だからね >>38
所詮アメリカ人って・・・そのアメリカ人に日本全体がぼこぼこにされた直後で
しかも、他の武術家は怖気づいてた状況で、だぞ? >>39
機関銃や火炎放射器や焼夷弾爆撃や原爆にやられて戦争で負けたからってアメリカ人の剣術が上になる道理はないね
それに政治家が国井善弥を対戦相手として選んだだけだよね
しかも鹿島〜の成り立ちなんて如何にも御伽話だしね
そもそもここは○○流が最強とかのスレじゃないよね
それとも国井善弥が歴史上最強の剣豪って認識? S 上泉信綱 塚原卜伝
A 宮本武蔵 柳生利厳 伊藤一刀斉
B 丸目長恵 千葉周作 柳生厳包 鐘捲自斎
C 足利義輝 永倉新八 東郷重位 念阿弥慈恩
D 北畠具教 柳生宗章 岡田似蔵 小野忠明 >>40
白兵戦でも日本は圧倒されたのを知らないのか
うん、スレの流れで流派の長さが、となったからそういうレスもついたんだけど
確かに、国井が最強説はありえるかもしれない
実績が確実にわかるからね 江戸時代や昭和の人の名も出てるし戦国時代に拘らずに行こう。
一番重要な先祖を忘れてる。
一番強いのは八岐大蛇を退治した素戔嗚だよ。
日本人は素戔嗚の子孫だから邪悪な虫国、姦国を嫌うんだよ。 >>41におがさわらげんしんさいが入ってないのはおかしい
AとBの間くらいには入るんじゃないの おがさわらげんしんさいって小笠原長治のことか
だったら確かに丸目や千葉よりも上に来るかも
八寸の延金って虎眼流の流れみたいなものだったんじゃないかってどこかで見た 小笠原 長治 真新陰流剣術の開祖で号は源信斎
明に渡り矛を習得して八寸の延金なる見た者は全部死んでった必殺技を編み出すも失伝する
矛とあるからスレチじゃないのと思うが 矛のじゅつりを応用して間合いをかんぜんに極めたんだよ! 八寸の延金
敵の動きを剣で封じ、延金の如く勃起した股間の矛(全長八寸)で貫く
これが必殺八寸の延金である
股間の矛が八寸に達する継承者がおらず失伝したという 戦国
剣豪将軍足利義輝「剣日本一は上州の上泉信綱、西国一は肥後の丸目長恵」
幕末
江戸本所の暴れん坊勝子吉&信濃の最強力士雷電「江戸の平山先生最強伝説」
豊後中津の天才剣士島田虎之助「幕臣男谷先生を筆頭に江戸の剣客は強すぎる」
陸奥の大剣豪千葉周作「江戸の高柳先生や男谷先生には生涯勝てない」
江戸の幕臣勝海舟「白井(江戸人)の剣は神の領域」
近代
東京出身の文豪芥川「千葉の山田次郎吉先生が最強」
水戸の高野茂義&岡崎の三橋鑑一郎「天下第一の名人は栃木鹿沼の下江先生」
別府の堀「水戸の門奈正最強」
京都の大日本武徳会「技の水戸人門奈、気の水戸人内藤」
昭和天皇「天覧武道大会全制覇の法神流(群馬)」 剣豪っていっても、実際の戦場で使うのはまず槍
刀での強さなんて、所詮は二の次
江戸期に差し掛かると、戦場自体が減るから話はかわるけどね
可児才蔵が最強じゃないの、槍使いという意味では(宝蔵院流) 新撰組でいいんじゃね
その中で、齋藤一か永倉新八で 水野勝成の隊の中にはあの宮本武蔵がいたらしいから
かなりこの隊は強かったのは間違いない
大坂夏の陣でも二番目の恩賞にあずかっている まあ、それでも16万の大軍に守られた家康を強襲した毛利勝永には敵わなかった
一般的には水野勝成や勝永は宮本武蔵や真田信繁(幸村)とは異なり
マニアを除くと知る人もほとんどいない武将だが、実は当時は1、2位を争う実力を持った名将だった。 戦国時代から離れすぎな剣豪を挙げるのはなんなんだw 信綱卜伝から武蔵くらいの世代までしか合戦の経験ないだろうからなあ。
>>41
の千葉や東郷や柳生厳包は実際に人を斬った事もないんじゃないのかね。
それを弱いと言ってるんじゃなく時代的な問題で。 柳生宗章ぐらいか、江戸時代に入ってから世話になっていた家の内紛に巻き込まれて斬り死にした剣豪って 戦国期なら塚原と上泉、富田だろうな
後世に名人、達人の弟子を輩出したから 元々強い人が剣術やれば、そりゃ強いって例ばっかりだな
結局、剣術が強いのではない、という当たり前のオチ 本人の実力実績と共に後進の育成や後への影響力を考えても塚原上泉がベスト
人材育成は塚原だけど流派の影響力は上泉だろうし優劣つけるのは難しい 上泉信綱(秀綱)小野忠明は戦場でも手柄立ててるし流派を広めた点から見ても素晴らしいわな
抜刀隋変流を起こした立花宗茂
新陰流の亜流である新陰治源流を起こした高橋直次
この兄弟は戦上手い上に流派起こしてなんちゅーかチートすぎるわなw 柳生宗章の逆風の太刀は名作
史実でも形勢不利のなか18人切り殺して討ち死にしたとか
足利義輝は盛ってそうだけどそれでも20人以上は返り討ちにしたんじゃないか 足利義輝が、自ら敵を斬ったというのは後世の創作
当時の資料では、義輝は一度は逃げ出そうとしたが部下の諌言でやめて
その後は、部下と一手になって戦って全滅。自ら剣をふるった、というまともな資料は実はなし フロイスの日本史に書いてなかったっけ?
まあそれでも数人倒した程度だった気がするけど >>72
政治力外交力なかったからな
権力基盤ないのに三好にちょっかいだすし
それでも将軍を敬っていた当時の
天下人(ここでいう天下とは信長が天下布武を掲げる前の天下=畿内のことね)の
三好長慶生きている間は良かったが死後はそりゃあーなるわw
義輝は謙信信長なんかは自分が仕えるべき将軍として人気はあったみたいだが
政治力外交力に関しては弟のお手紙将軍の方があったからな
それほどに政治力外交力がダメすぎた
まぁそこそこ能力があったからお飾りに徹することもできず
かといって深謀遠慮し時を待つほどには状況が許してくれず
まぁハードモードの無理ゲーだったからな >>71
書いてないよ
薙刀で数名の敵に傷を負わせたあと、刀を抜いて戦ったが傷を負って倒れたところで殺された
周囲を驚かせるほど、という形容があるのは薙刀のほう >>43
昭和期推しの人で他スレで高山政吉と国井善弥を列挙してた人かな
今までのレスを見る限り戦国時代の剣豪を差し置いての国井最強説は誰の共感も得なかったみたいだね
それに戦国時代のスレだから戦国時代の剣豪の話に戻ろうね >>75
名人達人に指導を受けたから、とか
悲運の将軍への同情票からじゃないかな? >>24
当時の印可は卒業証書のようなもので石舟斎が発行した印可は色んな人に宛てたものが現存している
尾張が新陰流正当の証としてるのはただの印可では無く「一子相伝印可」の印可
ただしこれも石舟斎は色んな人に発行していたようで
正当後継者を指名する意味合いがあったのか、そもそも石舟斎に後継者を一名に限定する意思があったのかもちょっと疑がわしい
という話もある
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10107607740 直木三十五がこれの結論に白井か男谷を出してた記憶あるけど
どっちだったか忘れた >>77
それが大きいだろうな
>>78
新陰流の中では信綱弟子ではタイ捨流の丸目がおそらく別格だろうねぇ
西国での新陰流の教授を一任されとるしな
柳生家に新陰流の道統を渡した以外では
弟子の中では破格の扱いだった
もしかすると新陰流の道統は丸目が継いでた可能性もあるわな
柳生家に新陰流の道統がうつってからは柳生家の方針に変わった
柳生兵庫は石舟斎からみれば家督を継ぐべき長男の孫
しかし宗矩の出世で柳生の領地も宗矩のものになっちまったからな
だから新陰流の道統は兵庫にやったのだろうね
宗矩も政治家としての才覚で出世したわけで小説などで書かれるほど
新陰流の道統にはこだわってなかったろうしな 結局、個人の資質じゃないかね
よほどアレな嘘を教えるところでもない限り、剣術流派に上下はないだろう >>81
(その時)強い人間が使う剣術(格闘技)が(その時)最強ってことよ
ボクシングみればわかるやろ
スタイルはいくつかあれどパンチの強さだったり
打たれ強いとか間のとりかた上手いのが強いわけだしな
だから>>1は剣術流派と言ってないわけやで 実際に斬り合ってないから強さの強弱は比べるのは不可能
剣術をどれだけ普及させたかは比べることができるね そもそも斬りあいで強くなることを重視してない流派とかあるしな
基準がない なぜに柳生新陰流が将軍家御流儀としての地位を確立したのか?
本多忠勝の槍や剣術が採用されなかったのか?
それは二代目将軍の徳川秀忠と柳生宗矩が原因
大坂夏の陣で徳川15万の兵は毛利勝永の突撃により、不覚にもまさかの大崩れ
いいところを父の家康に見せようと思っていた将軍の秀忠は大野の軍勢に切りかかられて
絶体絶命の危機でまさかの大失態
それを逃げずに救ったのが柳生宗矩で共に戦った立花宗茂は秀忠を指導して大坂夏の陣で勝利した
この二人がいなければ秀忠は殺されて、敗軍の将となっていた
ために立花は東の本多忠勝、西の立花宗茂 とまで呼ばれるようになった
柳生宗矩はこの戦で将軍を助けた剣の腕前により、大いに取り上げられた
大坂夏の陣でもし毛利勝永がすぐに敗北していれば、大野もすぐにやられて
本多忠勝の息子が、将軍家御流儀としての地位を確立していただろう 二代目将軍の徳川秀忠は戦ではめっぽう弱いが
この二人にはきちんと感謝して、最高の待遇で立花宗茂と柳生宗矩を生涯もてなした
この家光も好待遇で迎えていた
徳川幕府の基盤が強かったのは、こんな義理堅いところにある
柳生宗矩の剣が日本一ともてはやされたのは戦の時に逃げずに命がけで主君の危機を救ったから。 柳生宗矩の戦場での命がけの戦いがなければ
新陰流も日の目を見る事はなかったと思う
本多忠勝の息子が勝永と戦わなければ彼らがその地位を独占していたはず 宗矩が徳川宗家、つまり家康の剣術指南役になったのは関ヶ原以前な
で、1601年に秀忠の剣術指南役になった
でそのまま幕府に移行し将軍家剣術指南役及びご流儀におさまった
で、当時一大勢力になったのは新陰流だけでなく一刀流も同じ
新陰流の普及は大坂の陣とはあまり関係はない >>87
東の本多忠勝、西の立花宗茂と言ったのは豊臣秀吉 >>87それは家康が柳生新陰流の奥義、無刀取りを見て偉く気にいったからだよ
関ヶ原での地味な働きもある 家康自身、若い頃から奥山陰流を学んでいて、後継者がいないときは一時預かりをしていた腕前だしな >>93
家康は当時の武将としては珍しい武芸マニアだったからな でも宗矩も最強には程遠いよね
ただ将軍家指南役にうまいことありついたってだけで 柳生は平和な時代に適応できた流派だからな
精神論を取り入れ、治国と剣を結びつけたり まあでも柳生宗矩と立花宗茂が出世できたのは二代目将軍を助けた功績が大きいね
実戦で強い剣術でないと何の役にも立たないし 柳生が弱いってわけじゃないんよ
ただ宗矩の江戸柳生と利厳の尾張柳生だと地位は江戸柳生の方が上だけど実際に強かったのは尾張柳生
何度も江戸と尾張で御前試合してるけど毎回尾張の方が勝ってるしね
だから柳生但馬守宗矩や柳生柳生十兵衛は映画や小説で強者イメージだけど実際はそうでもないってこと 大阪の陣で、柳生但馬が剣で将軍を守った、というのは虚構じゃなかったか
あの戦では、まったく褒美も手柄も記録されてないよ >>80
上泉の道統を石舟斎が継いだなんて話はそれこそ尾張柳生の独自主張以外の何者でもないだろ
(石舟斎-兵庫も尾張の伝説以上のものでは無いが、不遇の長男の継子という点でまだあり得なくは無い)
俺は敢えて弟子の筆頭を挙げるなら疋田だと思う
織田信忠、豊臣秀次、黒田長政、徳川秀忠と起請文が残ってる弟子の名前見た感じ当時相当高名だったっぽいし
師事した期間も最長であり甥説が本当なら尚更
ただ>>78の通り石舟斎が一子相伝印可を乱発してる点からも当時道統を一人に継がせるという意識は薄かったと思うが >>99
江戸と尾張で御前試合したってのは宗冬対連也の事言ってると思うけど
それも多分ガセだよ
尾張の口伝にしかない話だしそれすら厳長さんが意図的にゆがめた疑惑があるし
何度もしてるってのは初めて聞いたが小説か何かの話じゃないか
正傳新陰流にもその後の尾張宗家が出してる本にも無いが 当の柳生流伝承の人達の話だと、将軍御前で型を披露するとき、どっちかがミスって怪我した、というのはあったようだなw 今村嘉雄が尾張柳生の印可を受けた古老に聞いた話だね
連也の打ち込みが早すぎて宗冬の指を砕いたって話
宗冬対連也の話は厳長さんの著書でも書いた時期によって細部が違うし
息子の延春さんの本でも違いがあるし厳長さんの兄弟子の神戸さんは怪我させた事自体全否定してるし
尾張に元々あった話を厳長さんが脚色して紹介したのが広まったんだと思う 武神を祀り、これに仕える神人が古代の武術を伝えていた鹿島神宮は、奈良時代には、東北や関東方面の武人が九州へ防人として出発する際に、
必ず立ち寄って武運長久を祈り、神人達から武術を教って旅立ったので鹿島立ちという言葉が生まれ、そして、旅の道すがらや任地の九州で、
鹿島立ちと云えば、現在のニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノ等とはと云って珀(ネームバリュー)をつける様な事が出来たのであろう。
ともあれ、この防人達の喧伝によって、兵法は東国からと云われていたのである。
飯篠長威斎が創始した剣術兵法は、香取鹿島地方の優秀でしかも名人や達人となった門下達によって継承進化され新しい流儀が続々と派生していったのである。
特に塚原卜伝と上泉伊勢守は当時の都であった京への上洛を果し、卜伝は十二代将軍足利義晴に上泉伊勢守は十三代足利義輝にそれぞれの剣術を上覧して
天下一の名声を博した上、関東から北陸、東海、近畿地方に至るまで自らの流儀を指導広布した事によって、当時は香取鹿島と云う一地方民族の武術に過ぎなかった
剣術剣法が、全国に伝播する礎を築いたと云えるのである。
(『古流剣術』田中普門著) >>95
関ヶ原の時に本陣に突っ込んだ敵を7人くらい斬ってるんだよ。ただ自分の友達を切腹させちゃったこともあって平和になった江戸時代も相まって臨済宗の沢庵和尚から禅を習い剣禅一如、殺人刀活人剣の境地に至ってる。
俺は本当の強さとはこういうもんじゃないのかなと思ってるんだが。
宗矩のことは調べれば調べるほど面白いよ。 >>106
オナニー後の賢者タイムに権力者に都合のいいこと言ったら最強なんてナイワー 安藤治右衛門って言う剣豪が同じく二代目将軍の徳川秀忠を守って
大野の軍勢と戦い負傷しながらも追い払っている。
その安藤治右衛門が柳生宗矩の事を書いたのが今なお残っている
それが有名な七人斬り伝説の元。
ちなみに安藤治右衛門は大坂夏の陣の傷が悪化し死亡した。 家康同様二代目将軍の徳川秀忠もまたかなり危なかったのはいろいろな記録に残っている。
柳生宗矩が大名まで出世しているのを見ると本当の事だったと思われる。 柳生宗矩が出世したのは、政治家としての大目付とかの力量でしょ
剣術指南なんて、小野家みたいに数百石でも高禄なぐらいの役どころ 秀忠の麾下として参戦してた立花宗茂、直次兄弟の書状では秀忠旗本は前線に出なかった、大した損害も無かったと、書いてるよ。
秀忠が危なかった記録って何に残ってるの? 徳川方の記録では家康の逃亡も無視して大したことなかったと書いてあるものもある
実際に3時間程度で戦は終了しているし、大したことなかったと言えば大したことないんじゃないのか?
でも突破されたのは事実で戦死者も出ているんだよな 江戸初期の剣豪なら宗矩が一番強いというのは、合戦と出世という明確な実績が証明してる
そもそも幕府初期の剣術の指南や大目付なんて、戦国時代の生き残りが沢山いる時代なので媚や肩書きでやれる役職ではない
しかも大名になってる
対して尾張柳生は武芸者なので実戦的な根拠無し
武蔵は合戦での手柄皆無&胡散臭い逸話の話ばかり
塚原卜伝は強いんだろうが剣術で大名まで出世する実績に比較して、名声が先行してるよくある武芸者の様相が強い
上泉信綱は武将なので政治&実戦で実績があるから説得力があるが、この点で言うとやはり宗矩 >>108
安藤治右衛門は徳川実記にも載っているし、夏の陣に参加していたと書いているから
ほぼ実在は間違いない人物だろうね >>114
「最強の剣豪」の話しで武芸者だからダメってのは無茶苦茶じゃないか? 結局、あらゆる剣術の源流になった鹿島流の開祖が最強じゃねえの
いろんな視点からみて まあ勝者側が書いた書状だからな
実際はボロボロにやられてたのに「大した損害も無かった(震え声)」って見栄張った可能性もあるっちゃある 立場兄弟の書状は旧臣に充てた書状だからその可能性は低いと思われる 家光が宗矩をリスペクトしてたってのも大きいだよな。
元々、家光は将軍争いから蚊帳の外で辻斬りやったりねかなりふてくされてたのを
宗矩から剣を習うことで人間教育にも大いに役立てた。
家光は今の自分があるのも宗矩のおかげと言っている。 家光が辻斬りやってたのって、本当なんだろうか
普通、そんなバカ殿なら強制隠居だろうに 安藤治右衛門は徳川実記では馬の手綱を弾いて徳川秀忠の動きを止めたとある
敵二人の首を取ったが、数か月後に死亡で死ぬ前だから真実を書いたと思われる
宗矩は出世の代わりに口止めがあったと思う
秀忠は徳川実紀でも将軍なのに、家康に何度も怒られてる
これ以上の失態の暴露は徳川の威厳にもかかわる事だったのだろう。秘匿は当然なのかも? 高柳光壽先生が柳生但馬守のことを酷評していたなあ。
つまらない人間だって。
あの人は利休のこともボロクソだったけど。 柳生但馬守宗矩は性格も堅物だから面白くないと思う人もいるね
どちらかと言うと剣聖 頑固者 義理堅い 善人 じゃないのかな?
「活人剣」「剣禅一致」 キャラが堅物であるがゆえに小説やドラマにはよく登場する 小野忠明と言ういい意味でも悪い意味でも見本がいたから、柳生宗矩はあれだけ成功したのだろうな >>124
武芸の柳生としたら宗矩が政治ばかりやるから息子の十兵衛はグレて全国に放浪に行っちゃったりと言うこと聞かなかったらしいな。
でも晩年は柳生の中で最強は石舟斉と親父だと語っている。
大体、石舟斉が宗矩を徳川に送り込んだので柳生家はあそこまで再興出来たのであって
宗矩は長年の禅修行のおかげか地位も名誉も金にもそれほど固執してなくて遺言で
死んだあとは全て徳川家に返してるんだよね。
勝海舟あたりが宗矩を相当褒め称えてる なんにしても最強の候補にはならない人だね但馬守は
個人的にはただの官僚って感じ 宮本武蔵の評価を5段階評価のどこに置くかあたりから議論してみる? >>128
柳生家が伊賀の里に近く剣術と忍びの家系だからな。
とにかく関ヶ原でも大目付の時でも汚れ仕事の諜報活動をやって成り上がった。
将軍家剣術指南役ってのは表向きでね。 >>132
諜報活動は汚れ仕事じゃない
関ヶ原時の、どの領主がどちらの陣営に付くかを明らかにすると言う地道な調査は
重要だし、評価されて当然 宗矩が剣豪として万石以上を領する大名になったのではないという話なら、
その通りだ
外様大名と公儀との外交窓口という重役でもあり、
官僚としての職務で出世したのだから >>134
忍びってのは武士として成り上がるには当時恥とされてたんだよ。
その辺は宗矩がせっかく家康に柳生新陰流奥義無刀取りを認められて剣術家として
召し抱えられたのにやる仕事が忍びの仕事ばかりで相当愚痴ってるよ。
でも家康からのその汚れ仕事と剣術指南役で地味〜に評価されて成り上がってる 戦場での働きはあまり残ってないよねムネリン
小野忠明は戦場で大活躍したけどあの性格だったから大成できなかった 小野忠明だっけ?剣術の邪魔になるから一生女断ちしていて晩年ボケた時、近所の人から結婚しないからだって笑われたのはw 無刀取りを認められるといっても宗矩と石舟斎の二人で打ち合わせどおりやったパフォーマンスじゃんよ〜 >>141
息子が二人いたはず
小野派一刀流と伊藤派一刀流をそれぞれ継いだ >>130
虚像の規模なら宮本武蔵が一番であることに異論は無い >>144
余談だけど小野派一刀流は山岡鉄舟も継いでんだよな
…一応、木剣で斬りかかってくる家康を石舟斉が無刀取りで組伏せてそれでえらく感心して召し抱えたという話だ。 武蔵は不意打ちだまし討ちの名手だったと聞くが実際は不意突かれて負けてるほうが悪いからねえ 武蔵は上泉がスポーツ剣術を広めた後に出てきた劣化塚原卜伝
戦後の平和な時代に「戦中だったら〜」とか言って無茶苦茶やるDQN 伊東一刀斉って実在したの?
芸名がダジャレみたいで怪しい >>150
実在しない
あと柳生石舟斉なんかも、鬼武者系ゲーム世界設定で創作されたフィクション上の人物
モデルにされたのはそれぞれ伊東一刀斎や柳生石舟斎なのは明らかだけど
ちなみに「斎」は部屋の意味で、芸道の一定領域に到達したと自覚した修行者が
自分の世界を持ったことを示すために創出した名前に付ける
その名前を「斎号」という
「斎」と同類の字義に「庵」や「軒」といった、同じく建築由来の語がある
伊東一刀斉とやらの元ネタであろう伊東一刀斎だが、
その師匠である鐘捲自斎は変名も多く使っていた人物で、
冨田一刀斎を名乗っていた時期もある
伊東は師匠の斎号の一つを拝借しただけで、オリジナルではない >>148
否、負けた方の縁者が全力で宮本武蔵の評判を落とそうとしただけだろう。
宮本武蔵が生き残り、時代を経て現在でも多くの剣術家・剣道家に認められている。
これほどの勝利はないだろう。 武蔵の二天一流なんて九州の片隅で細々と続いてるだけのマイナー流派
多くの剣術家・剣道家にスルーされまくりだろw 最強剣豪が誰かという事と流派の繁栄とを混同している馬鹿をスルーする事はできなかった。 >>151
斎はいたんだね
で、そいつは強かったの? 高柳光壽の随筆で柳生宗矩の書状は字が汚いし誤字だらけ
その事績もねつ造だらけで政治家としての実績は特にないって書いてた。
ただの寵臣が権勢があるように見せかけるために自分を大物らしく見せてただけだって。
まあこの人は家光の人格・政策に否定的でそのお友達にも評価が厳しいんだけど。 あの漫画だとオーガに刀もたせた瞬間に二位になっちゃうよ >>159
柳生のジジイと一刀斎にボコられてたじゃん >>155
あんたが考える強いの基準が判らないことには答えようがない
・寝ている最中、賊数人に襲撃されたが、無意識のまま返り討ちにした
斎藤伝鬼坊や岩間小熊は格下複数人による不意打ちを受けて暗殺されてしまったが、
伊東一刀斎には不意打ちで殺られるような隙は無かった
・調子こいた明国渡来人を圧倒した
実のところ、その渡来人の戦闘力がどれほどの物かさっぱりわからない
自分は剣豪を500人くらいしか挙げられない半端者だが、
その中から強いと考える者を選出せよということになったら、
十傑どころか五傑に、伊東一刀斎を入れるけどね
剣豪を200人以上挙げることができる連中にベスト10を選ばせたら、
大方は伊東一刀斎を入れるだろう 北辰一刀流・千葉周作
神道無念流・齋藤弥九郎
鏡新明智流・桃井直由
新陰流・上泉信綱
柳生新陰流・柳生宗矩
心形刀流・伊庭八郎
示現流・東郷重位
新当流・塚原卜伝
二天一流・宮本武蔵
直心影流・男谷信友
小野派一刀流・小野忠明
伊藤派一刀流・伊藤一刀斎
念流・念阿弥慈恩
馬庭念流・樋口又七郎定次
香取神道流・飯篠長威斎家直
鹿島神流・松本備前守政信
陰流・愛洲移香斎
タイ捨流・丸目蔵人佐長恵
疋田影流・疋田景兼
無住心剣流・針ヶ谷夕雲
鐘巻流・鐘巻自斎
巌流・佐々木小次郎
さて最強は誰だ? 幕末江戸二大流派
・直心影流(新陰流〜真新陰流〜直心正統流系)
割り竹刀や防具の研究で先進性があり、打ち込み稽古を早くから取り入れた伝統流派
・心形刀流(神道流〜本心刀流系)
経緯が不明瞭だが、江戸後期には盛んになっていた
幕末江戸三大流派
上記二大流派+
・柳剛流(神道流〜本心刀流〜心形刀流系)
武家以外も多く入門した。新興であるが、システマチックなカリキュラムで人気を得、大流行する
幕末江戸五大流派
上記三大流派+
・神道無念流(新陰流〜新神影一円流系)
漢学、兵学、砲術など幕末に必要とされた学問を学習でき、人気を得たユニバーシティ
・一刀流中西派(念流〜中条流〜一刀流小野派系)
江戸前期には元気だった将軍家御流儀の直系だが、中期からやや衰退
その他、地方で活動が明らかな流派や、五大流派に及ばないまでも江戸で存在感があった流派
・北辰一刀流(念流〜中条流〜一刀流小野派〜一刀流中西派〜一刀流浅利派系)
新興であるが、柳剛流同様にシステマチックなカリキュラムで人気を得、急速に発展する
・甲源一刀流(念流〜中条流〜一刀流小野派〜一刀流溝口派系)
甲斐国で非常に盛んな流派。武家以外も多く入門した。防具研究は早い方
・馬庭念流(念流系)
上野国で非常に強い勢力。北辰一刀流の拠点を上州に置こうとした千葉周作一家を追い出した
・田宮流(神道流〜林崎流系)
居合重視の流派。紀州に伝わったが、江戸にも進出
・天然理心流(神道流〜一羽流系)
武蔵国の農村部で盛んな流派。武家以外も多く入門した
・鏡新明智流(念流〜中条流系。一刀流をベースに、中条流系各流派からのいいとこ取り)
江戸に開設されたが、道場生の質・師範の実力ともに劣り、三代目までは底辺流派に甘んじていた
四代目は実力が高く、綱紀粛正もあって急速に格を上げた
・無外流(山口流系(山口流自体が神道流の他、新陰流や中条流からもいいとこ取りをしている))
全国区の流派だが、特に大阪などの上方で盛ん
・愛洲神影流(新陰流〜疋田陰流系)
筑後国柳河藩で主要な新興流派。江戸で道場破り行脚を行なう大石進を輩出
・神蔭流(新陰流〜真新陰流〜無住心剣流系)
筑後国久留米藩で主要な流派。加藤田平八郎、その門下である松崎浪四郎といった優れた剣客を輩出
・浅山一伝流(神道流系?)
江戸中期、館林藩主の後援で江戸に道場開設され、広まる
ルーツに謎が多いが、神道流的要素を多く含む
・雲弘流(新陰流〜真新陰流〜無住心剣流系+神道流〜弘流系。対等合併を公言)
江戸で発足するが、宗家が肥後国熊本藩に招聘され、熊本と江戸に別れる
江戸では一時衰えるが、比留間彦九郎によって再興。江戸では比留間流とも呼ばれることになる
・小栗流(新陰流〜柳生新陰流系)
土佐国高知藩でそれなりに主要な流派。元来は組み討ち重視 戦国期の一刀流は幕末の隆盛のおかげで過大評価されてる気がする 幕末の隆盛?
一刀流のシェアは、幕末にはむしろ減少しているが >>162
まあ半端なく詳しい人なら子孫や流派の伝承根拠に強さ語ったりはせんわな いろいろさかのぼっていくとひきはだ竹刀を作り流派も大きく広めた上泉信綱がやっぱり >>169
竹刀の長さを規格化
防具の標準化
構えの体系化
基本技の取捨選択
総合的に考えると、直心影流の男谷信友が現代剣道の祖 現代剣道の祖って全く誇らしい事じゃないぞ。
現代剣道は竹棒での当てっこゲームで、斬る事から離れているという致命的な欠陥がある。
剣の道というより棒の道だよ。 >>172
直心影流かぁ。俺は今の剣道は千葉周作の北辰一刀流から派生したものだと思ったんだが… >>174
北辰もある
そもそも各流派の技術を明治に取捨した のが、現代剣道の基礎になったと本で読んだな 現代の剣道が真剣の殺し合いで役に立つもんか
刀は重いんだぜ
おそらく竹刀で可能なほとんどの剣道技がまともに使えなくなるぜ
剣道との打つと違って切るが主体だしな
メッシでも鉄のサッカーボールじゃシュートはおろかドリブルすらまともにできないでしょ >>176
メッシじゃなくても誰でもできないだろう 最強の剣豪が誰かのスレで
撃剣興行の成れの果ての
奇声剣道の話なんて入れるな 古式剣術なんてまともに稽古したら1年経たないうちに死人が出るわ 刀で人を斬る機会がまず無い現代なら棒で叩きあう方が実戦的な気もする
まあ仮に刀でも鉄の棒で思いっきりぶっ叩けば普通に死にそうではあるが 木刀と真剣じゃ戦い方も全然違ってくるよ
木刀は薙ぎ払い使わないでしょ
真剣ならスパッといくけどね
もはや違う競技 >63
松山主水も一応その類い
コイツの場合は完全に自業自得ですけでも 実戦実戦いうなら刀より槍だし、
槍より弓、弓より鉄砲だべ。
刀使う必要なし 刀は中途半端な武器だ
戦場の武器としては貧弱だが喧嘩で使うには凶悪 元々日常における護身目的だったのに江戸時代では抜く事のリスクの方がでかくなっちゃったからな バガボンドだと武蔵は槍に勝ってるよ
宝蔵院のハゲに >>186
上泉信綱も槍の宝蔵院を赤子扱いしてるな。
その後、信綱に弟子入りしてるw >>186
史実だと武蔵は槍(宝蔵院流だから、鎌とも言う)に負けている
高田又兵衛という年下の武芸者に(模擬試合で)
嬉しいことに、ここで又兵衛が「貴殿の勝ちだ」と降参した、
というバリエーションストーリーが、後になって加わった
おかげでフィクション界の武蔵は無敗ということにできる 小笠原源信斎は槍同様の長柄武器である矛を相手に、
リーチの差を無きものにする技を開発した
八寸の延金と呼ばれるその技は、
どうやら間合いに関係するらしいという推定があるだけで、
現在のところ具体的なことは何も判っていない
八寸の延金を習得していたことが確定している剣客には
小笠原源信斎本人と、その弟子だった針ヶ谷夕雲がいる
別の高名な弟子である神谷伝心斎については未確定
源信斎と夕雲ならば、槍にも勝ちうる
相手の技量次第ではあるが 戦国時代などを待たずに日本史上最強の存在は遥か昔に確定しています。
それは間違いなく建速須佐之男命です。 >>195
神様とアニメのキャラクターは別の会場です 上泉信綱をよく知る疋田豊五郎が、小笠原源信斎を信綱以上と評したり、
その源信斎の弟子・夕雲が師匠より強いのではないかと評されたり、
世代ごとに最強と見られる者がいる
そして世代間比較は容易ではない 塚原卜伝と上泉信綱は若い時、鹿島神宮で修業した仲で師匠が同じ松本備前守なので兄弟弟子だったんだってな 幕末ってどうなの?いっぱい死人出てるけど
龍馬は北辰一刀流の免許皆伝だったそうだけど
不意打ちくらいでやられてるようじゃきっと大したことないなあいつ
セックスしてる最中に賊に襲われて勝った一刀斎のほうが強い 幕末剣士はなんというか汚さが足りない
戦国〜江戸初期剣士のような、底の知れない感じがない
戦国剣士が幕末に行ったら恥も外聞も無く短筒仕込んだりライフルの使い方習ってそう >>202
>龍馬は北辰一刀流の免許皆伝だったそう
うーむ、はっきりとは判らないね
北辰一刀流が免許皆伝だった証拠・証言は無い
土佐で修業していた小栗流については免許皆伝だった
免許皆伝は、いわば卒業証書みたいなもので、
それがあるからと言って剣術が人並み外れて強いという裏付けにはならない
正式に剣術修業をしたことが無い者よりは強いだろうという判断材料でしかない
道場剣術ではあるが優秀だった桂小五郎に到底及ばない水準だったかも >>204
うろ覚えだけど、つい最近龍馬の北辰一刀流免許皆伝の証拠が発見されたってニュース無かったっけ? まぁ柳生だったら兵庫だろうな
宗矩は剣豪と言うよりも政治家だからな 朝倉義景家臣より
富田勢源・・・中条流の使い手。弟子には鐘捲自斎(伊藤一刀斎の師)、川崎鑰之助(東軍流)、重政(甥、「名人越後」)
真柄直隆・・・身長220cm。五尺三寸の太刀「太郎太刀」を使う豪傑。子も豪傑。 >>206
つい最近と言えば、「北辰一刀流兵法」という科目が皆伝だったという発表かな
「北辰一刀流長刀兵法」という科目についてなら、
皆伝証明書が龍馬の実家にあったことが既に知られていたから、これじゃないと思うが まあ坂本龍馬なんて創作された立役者で維新の三傑には勿論、十傑にも入ってないもんな。
強かったというのも話半分にしといた方が良いよ、免許皆伝の人なんて腐るほどいるし。 >>202
>不意打ちくらいでやられてるようじゃ
斬った佐々木只三郎は居合の達人で、不意討ちが非常に上手い
たとえ龍馬が幕末剣豪百傑に入るほどの領域にいたとしても、
斬られたという結果でも止む無し
斬った方が雑魚じゃない(むしろ幕末最強候補の一人)のだから
この件をもって龍馬が大したことないとする裏付けにはならない >>211
下手人が仮に見廻組だとして
やったのは佐々木かどうかわからんよ
見廻組で後に浜松市長だか何かになった奴が自分がやったとかほざいてたし 別に弱くはないだろ>龍馬
免許貰ってるなら、それなりの腕はあっただろうし。
ただ、剣豪と言えるほどの腕前があったかどうかは分からん。
同年代の北辰一刀流の筆頭といえば、まず千葉栄次郎だろうが、
こいつより強いとは思えんのよな。
剣道で言えば四段とか五段位のイメージかな。 そもそも同時代でこいつを剣士として評価してる奴っていたのか?
北辰の免許持ちなんざいくらでもいるんだし剣豪扱いはねーよ >>213
龍馬は土佐で中条系剣術の中目録くらいの段位は貰ってるよ >>215
複数の流派の併修は別に珍しくないし、
そっちが突き抜けた腕前なら話は別だけど、そういう訳でもないんだから
特に評価は変わらんよ。 >>212
なんか否定したいみたいだが、
提示しようとしている情報がまるっきり間違っている
今井信郎という京都見廻組の生き残りが、
中岡慎太郎らを斬ったのは行動班の班長だった佐々木だったと証言している
今井自身は宿の見張りで、殺害そのものには関わっていない
殺害後にチーム全員合流して、佐々木から斬った旨を聞いている
で、明治維新後の今井が就任したのは、静岡県初倉村村長だ
静岡県浜松市市長とは 全 然 違 う
知りもしないクセに、よくもまあ… まあ盛り上がってるところ申し訳ないが
刀を脇に置かずに油断してやられるような坂本龍馬を剣豪の話題で取り上げる事は違和感しかないし
最強とは全く無縁の人だと思う >>214に同意だな。
強い奴はその当時すでに剣豪扱いされてる。
竜馬は剣士扱いも受けていない。
だから竜馬は全く話にならない。 沖田総司の三段突きってどんな技だったのか不明だけどヤバそうだな >>220
一説には武蔵が左利きだったからとも言われるな
また天才(?)故に、万人に技法が伝わりづらかったと思う いや普通に今も伝承されとるがな
本当適当な事しか言わねえなここの奴等は なんか今、テレビに出てた東大教授が天下人でバイセクシャルじゃ無かったのは豊臣秀吉くらいだったって言ってたな。
それで寵愛を受けたものは小者から大出世したと言ってたな。
真っ先に連想したのは柳生宗矩だわ。
柳生ホモ矩だったのか、残念だなあ。 >>225
んーどの程度?みたことあるけど一般的とは言えないでしょ 二天一流系の流派は九州が多いけど都内でも何箇所か教えてるところがあるな。 >226
宗矩と家光の話は妖しいのがあるな
二人の他に誰もいない狭い部屋で膝と膝を突き合わせてみたいな奴 ホモは問題無かったけど家光はネコだったから大問題だった
お相手の1人は水戸頼房でそのため国許に帰らず
そのまま江戸定府が慣習となった >>229
息子の友矩が家光と相思相愛になって、一万石の加増のお墨付きを貰ったけど、親父に怒られて殺されたとか >>231
13万石だろ>お墨付き
今、ニンジャスレイヤーの漫画描いてるコンビが、
「SAMON」ってタイトルで漫画にしてた。 剣豪スレでわざわざホモネタ振るなよ。
何考えてんだ。 柳生宗矩
最強の剣豪じゃなくて
最強のホモ出世男だったという現実 将軍に気に入られて出世しただけの宗矩は、このスレタイに相応しくないな。
プーチンをロシア最強の柔道家って言うのと同レベルのアホ。 幕末だと
白井>大石>男谷 かな。
仏生寺>宇野>鬼歓、桂 >>239
大石や男谷は幕末の活動家(例:桂小五郎)連中の年代からすると、
祖父ほどの世代だぞ
白井は男谷らより更に一世代上。幕末に掠りもしなくなってくる 講武実用流 江戸幕臣(東京都) →三蔵(平山=東京)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都) →幕末最強三羽烏(寺田・白井・高柳=東京)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県) →三道場(千葉=宮城)、千葉の小天狗(栄次郎=東京)、明治大正最強流派(下江=栃木、門奈=茨城)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
一刀正伝無刀流 江戸幕臣(東京都) →明治の剣聖(山岡=東京)
直心影流 江戸幕臣(東京都) →幕末の剣聖(男谷=東京)、三剣士(島田=大分)、追賛一話(長沼=東京)
神道無念流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
斎藤派無念流 越中氷見郡の百姓(富山県) →三道場(斎藤=富山)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡新明智流 駿河沼津藩士(静岡県) →三道場(桃井=静岡)
心形刀流 江戸幕臣(東京都) →伊庭の小天狗(八郎=東京)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県) →幕末の三剣士(比留間=埼玉)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県) →昭和最強流派(天覧試合全制覇、持田=群馬)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
新当流 常陸鹿島神官(茨城県)
香取神道流 常陸笠間藩士(茨城県) →追賛一話(杉浦=茨城)
笠間示現流・唯心一刀流 常陸笠間藩士(茨城県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
東軍流・武蔵流 三河岡崎藩士(愛知県)
柳生新陰流 尾張藩士(愛知県)
無外流 土佐藩士(高知県)
方円流 豊前小倉藩士(福岡県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県) →幕末の三剣士(大石=福岡)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県) →追賛一話(加藤田=福岡)
示現流・薬丸流 薩摩藩士(鹿児島県) アンチ柳生宗矩はしつこいね
一応戦国時代に生きて将軍秀忠と共に実戦経験もある柳生宗矩なのに
将軍秀忠は戦がすごく下手だから何度も敵に襲われて将軍の命を救った剣の達人なのに
おそらくその事実を知らないんじゃないかな?
優しい感じがするけど実戦を何度も積んでいるぞ わざわざ触るなよ。
荒らしと大して変わらないんだからスルーしとけ。 尾張なら連也斎が最強じゃねえかなあ。
兵庫助から更に技を発展させた訳だし。
御前試合で十兵衛とやってくれたらもっとよかったんだが、
あの話はどうも胡散臭いのがなあ・・・。 二天一流が広まらなかったのは単純に武蔵教えるほどの技術がなかったからじゃないの
武蔵って180cm以上の大男で握力は青竹握りつぶすほどあったというし
技術より体力や心理戦で勝ってた印象が…
二刀流もただ腕が二本あるんだから両方で使えるようになっとけと言ったのが看板扱いになったんじゃないかな
片手で人切るなんてよっぽど腕力か技術がないとできないと思う 片手剣なんて世界中にあるのに何言ってるんだ
そもそも日本刀だって元は片手で扱うもんでしょ >>248
握力は青竹握りつぶすほどあったという、
その情報はどの史料に書かれてるんだ?
文脈からすると、元々は二刀で名声を得て、後に一刀に転じた山口武蔵のことではなく、
二刀で闘ったことは一度も無いのに(研究してみただけ)、後世のフィクションで
二刀の使い手であったかのように扱われた宮本武蔵のことだと思われるが…
宮本武蔵は体格に恵まれていたから技術が劣るという理屈は無い
>>249
室町前半以前の主流だった太刀と、剣術が発達した室町末期以降の打刀とは違う
打刀は両手を使うことを前提に、断然重くなっている(殺傷力も増した)
腕力に優れる者は打刀を片手でも振り回せる
振り回せても、制御の面で両手持ちに比較して勝ることはない
打刀の二刀が普及しなかったのは、実用性が無いから
山口武蔵も二刀の限界に気付いて辞めている
江戸時代中期以降、割竹刀が発達すると、その軽さ故、
各流派で二刀の研究をする者が再興してくる
中には宮本武蔵の研究成果を取り入れた流派もあるだろう
飽くまで竹刀剣術の内で二刀が可能になっただけの話であり、
真剣(打刀)の二刀に本気で取り組まれたわけじゃない 山口武蔵て、江戸時代後半に流行った無外流の開祖の師匠、
ていうか無外流のルーツになったのに、
あまり宣伝されてないね >打刀は両手を使うことを前提に、断然重くなっている(殺傷力も増した)
打刀も戦国前期は「片手打ち」と言って片手遣いしやすいものが主流なので
打刀でひとくくりにすることはできないぞ 男色宗矩を指摘したら、アンチ認定する奴が湧いてきた。
政治家と剣豪を混同する馬鹿には呆れるばかりだ。
そのうち宗矩の男色を否定し始めるのも時間の問題だな。 氏真って同時代史料で剣術習ってたと確認できたっけ
家康なんかは奥山流とか新当流とか新陰流の起請文残ってるけどさ 竹刀なら白井亨、江戸剣豪総なめにした大石進からきっちり2本とってる
真剣だとだれだろ、戦国時代だと白兵戦のメインウェポンは槍だから刀で戦ったって人は少ないし
切った人数だと上意討ちで何人か切ってる東郷重位か?
あと、池田屋で4人で20人くらいの相手に切り込んで無傷だった近藤勇あたりも候補に入れてもいいかもしれない
ただ新撰組の連中は最強ってイメージじゃないんだよなぁ 最強というわけじゃないけど意外と強いのが福沢諭吉
本人居合には自信があるみたいなこと言ってるらしいし
関係者も福沢は強かったって言い残している
福沢は学者、思想家、教育者というイメージだったので意外だった >真剣だとだれだろ、戦国時代だと白兵戦のメインウェポンは槍だから刀で戦ったって人は少ないし
調べると太刀打ちの功名は結構出てくるけどな
遣いもしない1キロを腰にぶら下げておくことはしないだろう @竹中平蔵 A安倍晋三 B麻生太郎 C黒田東彦 犯罪の悪質さからいえば完全に極刑だろう
https://twitter.com/tok aiamada/status/702002841326497792
今朝、辺野古で新基地建設に反対するママの会メンバーに対して、機動隊員が「お前たちには汚い血が流れている」などと暴言を吐いたそうです。
自分のやっていることを「だってお金欲しいもん〜」「俺の写真を待ち受けにしろ」とも (顔写真)
https://twitter.com/MothersNoWar/status/690357793702940672
【報道ステーション】 数日後に連絡が来て、「実は東京が危ないということは報道できない」と、全面カットになった.
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
ネットにおける言論統制は、非公然で陰湿に進んでいるようです
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
2014年1月に急死した御堂岡啓昭のアカウントが何者かに乗っ取られ、私などへの嫌がらせに利用されている。死者のアカウントを乗っ取った人物
https://twitter.com/tok aiamada/status/703766584163106816
嫌がらせアカウント対策で最大の効果は身元の曝露です。身元開示要求も行いました。誰が出てくるのか楽しみです
とうとう彼らは私へのブロックや、これまでのツイート削除などを始めて大混乱になっています
https://twitter.com/toka iamada/status/705878087620136960
暴走事故運転者、大動脈瘤破裂? 大動脈解離、震災後2倍に…岩手の病院調査 (読売新聞)
2016年被爆者 笑福亭笑瓶テレビで初告白、ゴルフ中に倒れたのは急性大動脈解離だった
【訃報】「機動戦士ガンダムSEED」脚本家の両澤千晶さん死去 大動脈解離のため亡くなった。56歳。 >>257
福沢より渋沢の方が強いよ。
渋沢より勝の方が強いよ。
勝より親父の方が強いのは当たり前。 畳に名刀を多数刺して交換しながら1人で槍兵多数を切り倒した義輝の話が一番凄味があると思うの
師匠は上泉だけど >>262
同時代の史料には見られない話だけど
あと義輝は上泉の流れの柳生宗矩が卜伝の弟子の一人として名前上げてるよ 【IKEA】 テーブル、破裂! 【家具】
【助けて】うぎぁぁああ!!IKEAで買ったテーブルがいきなり破裂した!
夜中にドーンって音がして見たらガラスバキバキで破片が4m以上飛んで……
重いもの載せてないし熱い冷たいもない
これってどうしたらいいの?IKEA対応事例?
https://twitter.com/minopu/status/760534645297393664
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。
三宅洋平の得票では、豊島区ではなんとゼロ票 中央区ではゼロ票。江東区ではゼロ票、荒川区ではゼロ票 足立区ではゼロ票 通常、こんなことは考えられない。
認知症対策の新戦略
首相「認知症は誰もが関わる可能性ののある身近な病気」
新戦略「2020年ごろまでに、日本発の新薬の開発に向けた治験を始める」
出ました、新薬の治験
また介護施設や老健で治験するんだ。
もちろん処方するのはバックマージンに目がくらんだ医師。
https://twitter.com/pecko178/status/760804609573040128 完全武装相手を想定してない剣豪は鎧武者に
勝てないのと違う? >>262
それ創作だよ
てか畳に刀刺してたらフロイスの日本史に記録残らないわけないし 情報網が凄いかどうかはともかく時として同時代の出来事を日本人より詳細に
記録しておいてくれているのはありがたい
もちろん事実誤認も含まれることがあるから史料批判は大事だが >>266
えぇぇぇぇーーーーーーーー
フロイスの日本史に記録に残ってないものは全て史実ではないってか? 当然。当時の全ての伝聞は、フロイスの日本史と照合すれば創作か真実かが確定する。 フロイスの創作だと確定した件もあるしな
>>269>>270
みたいなもんじゃない
示現流は神道流の系譜
タイ捨流は新陰流の系譜
別系統に属する
東郷重位は元々はタイ捨流を修業してみたものの、
どうにも自身が求める剣はコレジャナイ感を抱いていた
あるとき神道流の流れを汲む剣術家(職業的には僧侶だが)の指導を受け、
自身が求める剣はコレだと確信
後から習得した神道流系の剣術を柱に流派を創り上げたのであり、
先に習得していた新陰流系の剣術は実際にはほとんど反映されていない >フロイスの創作だと確定した件もあるしな
具体的には何の件だろうか? それはフロイスがいた地域や集団にそういう噂があったとか誤った情報が流れてたとかじゃないの
>>274とか>>266は論外だと思うけど 義輝についてはフロイスの手記にも
「公方様は家臣とともに戦いはじめ、腹に一槍、頭に一矢、背に刀傷二つをうけて死した」
あと言継卿記に「戦い暫しと云々。奉公衆数多討死すと云々。大樹午の初点御生害と云々」とある程度だし
実際はドラマチックでもなんでもないんだよね。てか畳に刀刺さってたら後で発見されそうなもんだけど
刺客を倒したという実績においては義稙のが強そう >>282
有名な刀をいっぱい持ってる→刀剣マニアに違いないって短絡的な発想だろ 刀を取り換え取り換えってのは同時代史料にはなく後世の↓あたりが出典だが
これにすら刀剣マニアってのはないからな
「さて御所様は御前に利劔を數多たてをかれ。
度々取替て切崩させ給ふ御勢に恐怖し。半は向ひ奉るものなし」(永禄記)
「扨公方様御前に利剣をあまた立てられ、
度々とりかへ切り崩させ給ふ御勢に恐怖して、近付き申す者なし」(足利季世記) >>278
創作の件を要求されてるのにそういう誤報の話しか出てこないあたり
フロイスの意図的な創作ってのは意外とないのかな? 誤報ではないぞ
信雄が放火した理由まで御丁寧に創り上げている、
意図的な創作 伝聞か本人の創作かもわからんだろ
だいたい創作することでフロイスにどんなメリットが得られるのか 足利家にあった刀も義輝が収集したもんじゃないし刀マニアでもなんでもないような マニアは集めて愛でる変態
実際に使うならマニアとは言わない フロイスや言継卿記の記録には名刀使ったとすら書かれてないし
なんか義輝って後世に行くにつれてどんどん最期が大げさになってるよね
過大評価って言うか剣豪とすら呼べないだろ実際は 一世代後の柳生宗矩が卜伝の代表的な弟子として名前挙げてるんだから
当時から剣豪として評価されてたって事はいいんじゃないですか
それ以上に持ち上げる必要も貶す必要もないと思いますよ 名の知れた弟子であることと剣豪であることは似て非なる気がするがな。
素人ではなかったとは思うけど。 義輝は免許皆伝した証拠もないな
薙刀の扱いはうまかったようだけど剣豪というほどじゃないだろうしこういう趣旨のスレでは出る幕ない感じ
自分は上泉信綱が最強だと思う >>295
まあ剣豪なんて曖昧な定義だから
剣豪じゃないって判断する人がいてもいいんじゃないですかね
個人的には当時の最大流派を代表する数人の中に挙げられるレベルなら剣豪でいいとは思うけど
>>296
この時代だと免許皆伝した証拠がちゃんと残ってるケースの方が稀だし
とくにマイナスポイントにはならないんじゃないでしょうか
まあ最強の剣豪は誰だってお題の中で出す名前じゃないって話は同意
卜伝より上って判断できる要素は全く無いですし
ただ剣豪将軍と過剰に持ち上げられてる反動か知らんけど極端に貶めるレスが気になったもんで >>298
信綱が上覧に与ったのは事実みたいだけど、弟子となると
また違うような。
仮に正式に足利将軍を弟子にしたとすると、信綱の放浪も
難しくなるし、後のタイ捨流と柳生新陰流との揉め事も、
或る意味人を食った信綱の収め方では収まらないと思う。 >>298
弟子じゃないよ
義輝は言っちゃうと過大評価というか
活躍っても戦国時代当時の記録には残ってないものを江戸時代後半に盛っただけだし
弟子の一人として名前が挙がってるからといって=超強いということにはならない
さらに腐っても将軍なんだから名前上げないわけにはいかんだろうしなぁ
名前が挙がってるからといって=強かったってのは短絡的すぎるし証拠に乏しい
あと、卜伝が義輝だけじゃなく義昭にも剣術教えてたって記録もあるとか タイ捨流って柳生新陰流と揉めてるのか
二天一流のほうが有名だろマダ() ドリフターズの島津豊久がタイ捨流だったりで、
昔よりは知られてきてる気がするな。
ニトロの凍京ネクロでもアドバンスドタイ捨流とかあるし。 >活躍っても戦国時代当時の記録には残ってないものを江戸時代後半に盛っただけだし
江戸時代後半に盛ったって何の話だろう
↓の記述がある足利季世記なら安土桃山時代の成立と言われているが
「扨公方様御前に利剣をあまた立てられ、
度々とりかへ切り崩させ給ふ御勢に恐怖して、近付き申す者なし」(足利季世記)
http://archives.pref.okayama.jp/doc/H26%E7%B4%80%E8%A6%8110-03%E5%B3%B6%E6%9D%91.pdf
P12「足利季世記」安土桃山時代『改定史籍集覧』第三〇輯 「義輝は死に際に大暴れしました」ってだけならフロイスの日本史でも書いてあるしなあ。
暴れたら剣豪なのかね? 義輝の評価は
・一世代後の人間に「北畠具教、雲林院松軒 と並んで上方で5,6人といない卜伝の弟子」と認識されている
・ほぼ同時代の人間が書いたものに死に際に大暴れした、という記述がある
という事以上の事は個人の推測か願望にしかならんかなあ
なまじ創作とかで過大評価されてるだけに冷静に判断しづらくなる部分はあるよね
>>300
この時代に個人でやり取りする書簡に名前を挙げない訳にはいかないって程足利に気を使う理由は無いんじゃないでしょうか
というか仮に義輝存命当時であっても、第三者間のやり取りで持ち上げないといけない程気を使うポイントになるんですかね、剣の腕前なんて
さすがに直接的に貶めたりはしないでしょうけど >>300
義輝の活躍が江戸時代後半に盛られたということについて詳しく話してくれ
具体的にはなんという江戸時代後半の文献でそうなっているのか? 剣豪か剣豪じゃないかは別に興味がないんでその江戸後半に盛られたという件について
早くお願いしますよ >活躍っても戦国時代当時の記録には残ってないものを江戸時代後半に盛っただけだし
義輝をこき下ろしていた人もかなり不正確な知識しか持ってなかったのかな?
「足利季世記」がいつの時代の書物か知らなかったみたいだし
とりあえず「江戸時代後半に盛っただけ」の件についてはちゃんと説明してくれよ タイ捨流と柳生新陰流との揉め事って、
信頼できる史料に載ってる話なのか? >>311
スレ違いではないしもうその流れが50以上続いてて
しかもそれ以前は4か月近くレスのつかない過疎スレだったんだから別に構わんだろう
むしろなんで急にそんなことを言いだしたのか気になるな あっちで構ってもらえないからって外に持ってくるなってんだよボケ。
義輝の信者もアンチもどっちとも巣から出て来るな。 最強の剣豪を決めるっていう趣旨のスレで
そもそも剣豪じゃない人物の話をすんなってことだろ
ごめん 小野派一刀流と柳生新陰流だろ将軍家の剣術指南役
タイ捨流とか聞いたこともないわw >>314
義輝の話は>>264以来ずっと続いてきたのに今になって突然騒ぎ出すとか
アホかお前 多少ならともかく、同じ話を延々やるなら
巣に戻ってやれって言ってんだよボンクラ
あっちで誰も相手にしてくれないとか手前の都合なんざ知るか 剣豪の定義なんてのは曖昧だが少なくとも世代の近い宗矩の書簡に卜伝弟子として名前があがる
義輝を武芸者としての一面がないというのは無理があるわな
>>300
で、ウヤムヤにしないでもらいたいんだけど「江戸時代後半に盛っただけ」というのは
一体何を根拠としているの?それだけははっきりさせてもらいたいね
適当に言ったならそれを認めてほしい
素直に誤りを認めるのはむしろかっこいいと思うよ 著名な剣豪の弟子で死ぬ前の奮戦で評価されてるけど実態がわからないというと柳生五郎衛門とダブる
後の世で死に際が盛られた事も含めて >>312
なんか後付の創作臭いんだよな。
丸目忍軍とかもそうだけど、時代劇っぽい感じ。 義輝厨うぜえんだけど義輝が剣豪じゃなけりゃ死んじゃうのかこいつ
軍記=創作の足利季世記をバイブルみたいに語ってるけどそれ軍記、つまり物語じゃん
しかもその足利季世記の元になってるといわれる細川両家記には義輝が畳に刀どうたらなんてチラとも書かれてないし
さらに一般的には永禄の変にもっとも近いとされる義輝に好意的な(フロイスは布教を許されたから)二名の記録にも>>280としかない
足利季世記連呼でドヤる位ならその史料の一般的な信憑性考えてから言えや
だから義輝は盛られすぎ、創作乙ってウザがられんだよ。一生剣豪将軍義輝笑でも読んでろ >>322
「足利季世記」の信憑性なんて全然議論してないんだがなあ
個人的にも相当盛り過ぎな内容だと思ってるし
こっちは>>300が言っている「活躍っても戦国時代当時の記録には残ってないものを
江戸時代後半に盛っただけだし」について聞いている
間違っていたなら間違っていた、知ったかぶりしてしまったと言ってほしいだけ
何しろ盛られたというなら安土桃山時代の「足利季世記」に盛られているんだし
江戸時代後半に盛られたってのは一体何の話なのかってことになる
ところで>>300はどこに行ったの?
他人のフリしてウヤムヤにしようとなんかはしてないよな? >>325
義輝ばかり同時代史料がでは云々と追求されるけど他だって相当不確かだもんな
上泉伊勢守が上野一本槍の感状を長野信濃守から得たなんて話も江戸後半の
「撃剣叢談」に出てくる話で同時代の証拠なんか残ってないし、
塚原卜伝だって本人の伝書がいくらか残ってるくらいで実際に強かったかとか
この相手に勝ったという確かな根拠は同時代史料からは確認できないもんな
後世の伝承を一切援用せずに最強だとか主張できたり強さを証明できる戦国時代の剣豪なんて
どれだけいるんだって 義輝を中心に考えるあまり他の剣豪の活躍まで捏造説扱いとか
義輝厨ってほんときめーな
そんなに義輝がスゲーと照明したいなら信頼できる物語以外の史料探すか
自分で本でも出したらええんちゃう(鼻ホジ) 義輝と同じ基準にすると他の剣豪の活躍もかなり怪しくなるぞって話なのに
なぜ捏造説になるんだろうな
怪しくないというならそれらを裏付ける同時代史料を早く持ってきてくださいよ
それに>>300の人は「活躍っても戦国時代当時の記録には残ってないものを
江戸時代後半に盛っただけだし」をいい加減はっきりさせてくれないかね >>328-329
お前ら同じ話題を延々ループするなら
専スレに戻れって何回言わすんだ…? >>330
義輝以外の戦国時代の有名剣豪の強さが同時代史料で裏付けられると思ってるくらい
ツッコミがバカだから余計に続くんだよな
それに>>300の人がいい加減とぼけずに出てきて釈明したら自然に消滅するわな
>>300に出てくるようあんたも呼び掛けてくれ もう義輝だけの話じゃ無くなってるな
柳生石舟斎なんか強かった逸話すら無いような 何をもって剣豪と判断するかとかまともな1次資料に残りにくい剣豪の強さをどうやって評価するかってこのスレのお題にあったテーマだと思うから徹底的にやるべき >>332
石舟斎はそれなりに剣術もできた家康を無刀取りで手玉に取ったり、
松永久秀からの感状が残ってたりと、結構記録が残ってる方だぜ。
手に鷹を留まらせたまま、振り向きもせずに刺客を返り討ちにしたとか、
巨石を叩き斬ったとか、逸話も結構あるし。 >>331って実生活でも粘着質すぎて嫌われてそうw
重箱の隅つついてばっかで対極見ずに大騒ぎとかアスペ以下じゃん
出てけっていっても聞くわけない
池沼なんだから 剣豪って結局、
放浪→他流試合→吹聴→道場開設→吹聴→弟子募集→吹聴
って職業だよね >>336
どっかの家に武術指南役として仕官するのが多いかな 自営業なんてそんなもんだろ。
飯食えなきゃ剣以前に生きていけないし、それが普通だと思うがなあ。
それ以外だと、別に生活手段があって剣術に集中できたとかだろうし。 タイ捨の丸目さんは剣豪農家だしな。
指南役、というか家臣化してさらに一流を持ってるってなら名人越後さんや真壁もそうだし。 >>334
家康に無刀取り決めたって話も100年以上後に書かれた玉栄拾遺が最古だから記録って呼ぶには微妙じゃない
普通にやってるとは思うけど 雑魚相手に無刀取り決めたり、返り討ちにしても最強とは関係無いけど、
一応強いって事の証明にはなるかな? 無刀取りは型や演舞じゃなくてできるならめちゃくちゃスゴいんじゃない
今の尾張柳生の当主とかはできるのかな?その辺の剣道部員とかになら 伊東一刀斎や上泉信綱は、徳川家の剣術指南役の柳生と小野の祖にあたるから
どんどん有名になるのはいいとして、丸目君はなんでこんな知名度が高いんだろう? 柳生がうさんくせーから対抗馬だす時に
便利っていう 残ってる起請文の面子見る限り上泉の弟子だと疋田が圧倒的に名前が売れてたっぽい
宗矩が出世したから最初から柳生が凄かった感じになってるけど
確かに丸目が上泉の弟子の中でも知名度高いのはよくわからんな タイ捨流は九州でかなり勢力があったからかな?
今でも九州は剣道がかなり盛んなんだっけ? 疋田さんは関白秀次にも指南やってたって話しだし。
上泉の甥だし。 丸目君が有名なのは名前が覚えやすいというのもありそう 信綱くらいなんだろまともに戦場で槍働きできたのw
鎌倉武士じゃないもんなw >>348
現存するものだけでも織田信忠・豊臣秀次・徳川秀忠から起請文受け取ってて
細川や黒田宛ての絵目録もあるんだよな
もしかして卜伝レベルの名声があったんじゃないか 当時の知名度と後世の知名度からして違うってことか
キリストもブッダも本人より弟子が頑張ったって言うしなぁ >>346
兵法由来覚で免状を信綱から与えられたとさrてるのが
疋田景兼、柳生石舟斎、丸目蔵人佐、香坂要の4人だけど
丸目にだけ「殺人刀太刀」「活人剣太刀」の両方の印可状が与えられ、
信綱が足利義輝に兵法を披露した際も丸目が相手役を務めて
義輝から感状を与えられたりしてるからかな >>354
辛かったんだな、寂しかったんだな、わかるよ! 「院号」は、寺院を寄進した貴族や皇族に授けられます。
院号に準ずるものとして、「寺号」、「軒号」、「斎号」、「庵号」などがあります。
「寺号」は、寺の建立者やこれに準ずるものに付けられます。
「軒号」は、屋号、雅号の類がよく付けられます。
「斎号」は、部屋、転じて書斎、居間の意味で、多くの医者、芸術家、剣豪に与えられました。
「庵号」は、大寺に属した建物、草庵、茶室の意味です。
この他にも、「房」「舎」「堂」「園」などがあり、
いずれも場所、空間、処を表わして院号に次ぐものと考えられてきました。
斎号の例:柳生連也斎、柳生石舟斎、神谷伝心斎、小笠原源信斎、伊東一刀斎、新免無二斎、鐘巻自斎、奥山休賀斎、、 >>350
でも槍働きで手柄を立てた証拠は一次史料からは何も確認できない 剣豪なら宮本武蔵
殴り合いなら原虎胤
口喧嘩なら石田三成
相撲なら立花宗茂
尻相撲なら吉川経家 昔の事だから卜伝でも武蔵でも強さの程度は不明だが、今となっては宮本武蔵の地位に変わる者は出てこない。
それは遅くとも昭和以降に特別に強いと思われる剣術家を今武蔵と表現するように、宮本武蔵の位置付けが常に最高だからである。 江戸時代に武蔵を取り扱ったフィクションが大量に作られたのは何故だろう
卜伝や蔵人(モデルになった実在人物は丸目「蔵人佐」であって、創作では名前が違う)
も扱われたが、その数は武蔵ほどではない 千葉周作は白井、高柳、男谷より弱いが知名度だけは一番高い。
近年の幕末ですらこうだ。
後世の評判など当てにならない。 いや、今となっては宮本武蔵の名声は固定化されていて最早それを覆せない現実がある。
実際に全世界で最強の剣豪として宮本武蔵は認知されている。
そして強さなんてのは直接対決してないのだから時代が違う剣豪の強さは比べようがない。
これからどんなに時代が進んでも、少なくとも日本人の宮本武蔵への最強の剣豪というイメージは不動だよ。 フィクションで神格化されて現代では剣聖
そして世界でも圧倒的知名度と人気
どう考えても宮本武蔵の一人勝ち 海外の剣道家は武蔵人気で二刀流使う奴が多いから日本代表は特別に二刀流対策するってテレビでやってたな まあ五輪の書みたいなわかりやすいアイテム
の存在もでかいよ、柳生流の奥義が書いてある
本とか一般人見れるのかな? 戦国時代って武者修行とか出来たの???
武士の格好してふらふら他国に行ったら、
すぐ間者と間違われて拷問にかけられそうな気がするけど? 宮本武蔵が最強の剣豪と認知されているのは武蔵本人や弟子の功績じゃなくて吉川英治の功績な
そしてあれ程繰り返しドラマや映画にされた吉川英治の名作を超える物はもう出ないだろ
柳生宗矩に限らずその他の剣豪の名声が宮本武蔵の名声を超えるのは無理無理到底無理 確かに小説・宮本武蔵を凌ぐ傑作が出てくる可能性は0に等しいね。 津本陽は剣豪を書かせたら一流なんだけどね
しかし、柳生石舟斎は最強じゃないし、伊東一刀斎は弟子の育成が非情すぎるし、
宮本武蔵以外にいいモデルがいないなー それはおかしい
宮本武蔵がいいモデルだという前提が無いと成立しない論法だが、
宮本武蔵はちっともいいモデルではない >柳生石舟斎は最強じゃないし
宮本武蔵だって最強じゃない
>伊東一刀斎は弟子の育成が非情すぎるし
宮本武蔵だって卑劣にも程がある逸話(信憑性は無い)があって、
決して共感を得られるような人物ではない
吉川英治は根拠無く武蔵最強とする描写をしてみせ、
ネガティブな人物像になる要因(逸話)は排して、
実に都合良いキャラクターをでっち上げた
素材(モデル)の問題ではなく、書き方の問題だな >>372-376
これは剣豪同士の直接対決じゃく妄想世界の単なる格付けなんだよ
そして他の作品が全敗してるから宮本武蔵最強論が君臨してんだよ
今から足掻いても他の候補者が下剋上するなんて無理無理到底無理 >>376
吉岡、柳生と関連があって、無名すぎず、負けた記録が全く残って無く、
仕官が下手で、剣一筋に見える剣豪はそうはいないと思う。 >>378
宮本武蔵のことか?
吉岡、柳生と特に関連はない(吉岡とは、父親が多少関係したが)
彼らと関連が深い剣豪なら、他にいる
高田又兵衛に負けた記録が残っている
美術方面の功績があり、とてもじゃないが剣一筋には見えない
あんたが言うキャラクター像は、吉川英治がでっち上げた人物像そのまんま 薙刀女子と剣道男子の交流試合を見て実戦でも薙刀女子の方が強いと叫ぶ初心者が偶にいるよねー >>380
どれもこれもほとんど問題ないことを挙げ連ねて何が言いたいのかサッパリ。
全くキャラクター像に影響しないじゃん。反論に全然なって無い。
で、武蔵に匹敵するほど小説に適した最強と嘯ける剣豪は挙げられないの?
反論も塵芥、実例も無しじゃ、情け無くね? >>380
高田又兵衛は又兵衛側の伝承だと三戦三分け
武蔵側の伝承だと武蔵が二勝又兵衛が一勝(ただし又兵衛の一勝は武蔵が勝ちを譲った疑惑あり)だね
どっちも記録と言えるかは微妙だが(笑) >>382
>>378で挙がっているキャラクター像が、近代の一小説家が創り上げ、
その後複数の作家たちによって模倣された虚像だと言っている
>どれもこれもほとんど問題ないことを挙げ連ねて何が言いたいのかサッパリ。
>全くキャラクター像に影響しないじゃん。反論に全然なって無い。
完全に的外れ。現在のところ最も影響力が大きい虚像しか知らずに、
宮本武蔵を知っているかのような振る舞いがちゃんちゃらおかしい
そのお粗末な点の指摘
>で、武蔵に匹敵するほど小説に適した最強と嘯ける剣豪は挙げられないの?
>反論も塵芥、実例も無しじゃ、情け無くね?
論点のすり替え。どの剣豪でも宮本武蔵と同じように虚像を創り上げることはできる
反論ですらない指摘を反論と受け止めるような馬鹿だから、言ってることが支離滅裂になるのか
>>383
又兵衛と武蔵の模擬試合を主催した小笠原家の記録だ
自分を飾りたい当事者の自己申告では、史料価値が高いとは言えん >又兵衛と武蔵の模擬試合を主催した小笠原家の記録
どこで読んだの?
騙されてるよあなた >>378は原因と結果が入れ替わってるな
武蔵がそういう人物だったから小説の題材にされたのではなく、
小説でそういう人物像にされたから剣豪物の主人公に最適と錯覚しただけ
原因と結果の捉え方が逆なのは理論を構築する能力に欠けるということだし、
武蔵の他に適材が無いと思い込むのは武蔵以外を知らない無知ということだ
時代小説板ならともかく、戦国板で口出しするのが不思議
自分にはレスの遣り取りに付いて行ける水準に無いことを自覚していないのだろう
その後の>>382の展開もお粗末な論点ずらしで誤魔化そうとしてるし 【「UFOは物理学的に不可能」←アホ(笑)】
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。
ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」(矢追純一)
【被爆しながら『シン・ゴジラ』観賞www】
マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。
彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。
汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。
問題は、日本政府が、日本の原子力産業と連携して、
日本の原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。 初心者というか剣術をやっていない素人は一対一で長槍の方が強いと本気で思っちゃうんだよ
とみ新蔵も吃驚やで >>386
吉川英治は君より真剣に史料に向かい合って、
武蔵のキャラクターを決定しているよ。
「美術方面の功績があり、とてもじゃないが剣一筋には見えない」キリッ
とかいう素人の分析と吉川英治の分析を比較する方のくつうを考えて欲しい。
もう、これ以上痛い話聞きたくないから、
さっさと他にいるとかいう武蔵以上の主役を張れる剣豪を挙げろよ。 宮本武蔵と一口に言っても、いろいろある
1.一次史料から組み上がる実像。情報量は乏しい
2.武蔵関係者や流派の後継者らによる著述から浮かび上がる虚像。流祖武蔵を持ち上げるための嘘や間違いがかなり含まれる。
「小倉手向山武蔵顕彰碑」、「兵法大祖武州玄信公伝来」、「武公伝」など
3.浄瑠璃や歌舞伎、講談など文芸作品の脚本家が創り出した虚像群。荒唐無稽な話も多く、実在しなかった忍者・児雷也とも同等の扱い。
「敵討巌流島」など
4.吉川英治が2.の一部を基に、3.の一部を織り交ぜて再構築した虚像。
ファンタジーとしてのエンターテイメント性に優れてヒットし、伝記小説だと勘違いする読者が多数産まれた。
東宝映画「宮本武蔵」シリーズ、東映映画「宮本武蔵」シリーズ、長編漫画「バガボンド」など
5.4.の流行に疑問を抱き、1.の一部を考察して、ある程度学術的な分析を試みようとする姿勢で編み出した半実像。
司馬遼太郎「真説宮本武蔵」など。考察がおかしいこともある
>>389
はいはい、あんたが間違い
吉川英治が小説の元ネタにしたのは史料と呼べるシロモノじゃありませんよ
やっぱりあんたが無知じゃんか。痛い奴だな
吉川英治が書いたのが伝記小説と勘違いしてるクチの一人で、
しかも他に色が異なる武蔵像があることすら知らないわけだ
口を開く度に恥の上塗りをしなければ生きていけない病気なのか?
原因と結果を取り違えているという指摘に対して、自説の正当性を説明するどころか弁明すらできず、
的外れで幼稚な扱き下ろしを繰り返すだけで、一体何がしたいんだ?
いくら的外れな噛み付きを重ねても、あんたが指摘された本末転倒の珍説に正当性を加えることはできないんだぞ なんなんだ、この口角泡を飛ばして超特大ファールを打ちまくってる輩は…
論点は、「宮本武蔵以外に良いモデルがいないとする、おかしな私見の根拠(原因と結果の取り違え)」に対する指摘なのに、
一切「取り違えではない」ことを証明せずに、
「だったら武蔵以上の素材を挙げろよ」と、まるっきり的外れなことを言い出すし
こういう論点のすり替えばかりする輩には、たとえ武蔵と同等以上の素材を200人教えてやったところで、
「現にそいつらを主人公にした小説は、吉川英治の『宮本武蔵』以上に売れてはいないじゃないか」と
論点をすり替えて悦に入るだろう
何を言っても無駄だと思う。スルー推奨 >>390
小説の題材なんだから、二次史料を使っても何も問題無いのに、
何を勘違いしてるんだw
というか、研究も小説も全く理解できてないんじゃん。
1.吉岡、柳生と特に関連はない(吉岡とは、父親が多少関係したが)
レスを書いた時点で、自己矛盾しカッコ書き。
2.高田又兵衛に負けた記録が残っている
読み間違いで瞬殺された。>383−385
3.美術方面の功績があり、とてもじゃないが剣一筋には見えない
個人的感想にすぎないのに力説中。
4.吉川英治が小説の元ネタにしたのは史料と呼べるシロモノじゃありませんよ
二次「史料」は史料じゃないという謎の主張。
研究者は一次史料の方が二次史料より「信憑性が高い」と言っているだけで、
二次「史料」は史料じゃない!とか史実じゃない!とかいう珍説は唱えていない。
妄想複数レスとか恥ずかしいことしてないで、>>378に対して普通に次の剣豪の名前出しとけば、
こんなに恥かく事も無かった上に完勝できたと思うぞ??? ちなみに、上の1、2、3は>>380からで、4は>>390の後半の妄想レスから抜粋な。 武蔵が小説のモデルとして優れてるかとかどうでもいいんだけど
高田又兵衛と武蔵の試合についての小笠原家の記録が本当にあるかを知りたい >>394
確かに小笠原家の記録が本当にあるのか知りたいね! 明治時代に編纂された『宮本武蔵顕彰会本』は、素材にした材料が劣悪で
史料価値はない。二次史料ですらない
これが吉川英治が執筆するにあたって柱にしたのだが、
吉川個人はこれを史料と誤解していた節がある
そんなことも知らずに噛みつきまくってるのか。恥ずかしい奴
スルー推奨とされたけど、馬鹿はいつまでも暴れるしなあ ああ、そういえば『常山紀談』を史料呼ばわりするのがいてびっくりしたことがあるけど、
『異説まちまち』やら『渡辺幸庵対話』まで史料と言うのがいて絶句したわ
この程度の阿呆は珍しくないのかもなあ >二次「史料」は史料じゃないという謎の主張。
>研究者は一次史料の方が二次史料より「信憑性が高い」と言っているだけで、
>二次「史料」は史料じゃない!とか史実じゃない!とかいう珍説は唱えていない。
やっぱり馬鹿丸出し
論点がまるっきり判っていない
二次史料は史料か史料じゃないかと論は全く関係ない
吉川英治が執筆に取り掛かるにあたって入手した情報が史料ではなかったことを問題にしている
理論の構築が絶望的におかしい知能は、論点が何かを把握することができない知能と同一なのかな
何か重大な学習障害を抱えているのだろう >>398
もう珍説はいいから、「小笠原家の記録」と誤魔化した史料の
きちんとした名前を出せよ。 神谷傳心斎な、通称が丈左衛門or文左衛門、諱が直光or真光といった具合に
似た字面の複数表記に揺れている
目録といった重要な文書は代書を使ったというし、相当な悪筆だったのかいな >>400
神谷傳心斎って、小笠原家の記録と関係ある? 強いと思ってるのはジキシン君とその仲間達だけじゃないかな? >>397
『常山紀談』も普通に史料だろ。誤りが多いだけで。
だいたい剣豪の史料ってそれこそ宣伝文句の大売出しなんじゃない?
検証も合戦よりはるかに難しそう。 『小笠原家の記録』ってどこで見れるの?
何という名称の資料なの? 396から珍説三連投。そして『小笠原家の記録』からは逃亡。
どうしようも無い奴だったな。 神谷傳心斎「武蔵とて打込めないことはない」
って、同年代の剣豪からもすでに有名だったの宮本武蔵? >>406
会員なら誰でも投稿できる別冊歴史読本という本にあったと思われる情報が載ってる所を見たのかもよ
http://www4.kcn.ne.jp/~hozoin/matabematubara.htm >>408
微妙だけど、一応記録が存在する可能性はあるね。
でも身内同士の試合ではね。 剣豪としては天皇の前で剣術を披露したことが一次史料で確認できる上泉信綱が一番偉大だよ 天覧演武は珍しくないんじゃないかな。
近代では1894年11月に近畿・中国・九州の各府県から選抜された剣術家26人による天覧演武大会が開催されてる。
長い歴史で見たら腐る程いると思うよ。
天覧演武や天覧試合をしたら偉大だとしても、そもそも、強さと偉大さは別物だしね。 戦国時代にも何人かいたんじゃないのかという意味なんだけどね。
それに天皇の前で剣術を披露した⇒偉大⇒最強となるのかな。
単純に違うと思うよ。 そんじゃ戦国期の剣豪の強さを何もをもって測るか具体的に説明してくれ 剣士としては山岡鉄舟も良い線いってるんじゃ無い?
一刀流の技まとめたりしてるし、剣禅一致を体現したしね
幕末を生き抜いて流派を設立したのも評価に値するよ
実績としては人を殺害して無いけど、逆にそこを評価したいね >>414
だから資料しかない
剣豪とは言っても武士であるのが前提の強さなら、試合より戦の実績でないと話にならない
柳生宗矩の秀忠救援は剣豪で唯一と言えるくらいの実績で他家の書状にもあるので捏造ではない
引き換え、武蔵なんて合戦での実績は皆無
現代で言う妙なアーティストみたいなもんだ >>416
戦の実績って事は御前試合じゃないってことは戦場で殺傷したかって事?
だったら槍や弓がメインになるから上泉武蔵守信綱が当てはまるかなぁ
実際の所刀での殺傷は室内での戦闘か江戸時代以降ぐらいしか無いんじやわない? >>416
戦の実績って事は御前試合じゃないってことは戦場で殺傷したかって事?
だったら槍や弓がメインになるから上泉武蔵守信綱が当てはまるかなぁ
実際の所刀での殺傷は室内での戦闘か江戸時代以降ぐらいしか無いんじやわない? 上泉も戦場で活躍したって当時の史料が残ってる訳でもないから微妙
小野忠明は感状が残ってたが他に戦場で活躍した一次史料が残ってる剣豪がいるかな? 剣のみで言えば色々だし、当時の剣豪達は大概が「兵法家」であったので、
剣術のみで語るのは無理がある。
流派によっては槍薙刀弓小太刀棒組手なんでもありなんだぜ? 感状の現物が残ってるのだと松永久秀から石舟斎宛てに出されたのがあるな。 戦場での働きで測るなら剣豪なんぞは合戦で活躍しまくってる武将の足元にも及ばないな 武将の手柄だと個人の武勇であるケースばかりではないからなあ 千葉栄次郎
北辰一刀流2代目。幕末剣豪勝率9割以上を誇った天才剣士。30歳で早世。
>>415
玄武館で「鬼鉄」と渾名され恐れられた山岡鉄舟だが、
手下20数人がかりで栄次郎を襲撃するも全く歯が立たずボコボコにされた。 >>427
山岡鉄舟は一刀正伝無刀流の頃が剣士としてのピークじゃない?
長男の後見人もしてるしさぁ 新撰組の中でも永倉新八、沖田総司、斎藤一。この3人はガチで強かったらしいね。
道場での稽古を見た人、実戦の斬り合いの現場を見た人や仲間が口を揃えて証言している。
彼らが達人として思う存分に腕を振るったのは20代前半の頃。体力も充実していた年頃だから当然だ。
剣道経験者なら解ると思うが、幼い頃から稽古していて、20代30代の頃は弱くて40代50代になってから当然剣士としてピークが来て強くなって達人になる人なんていない(笑) なんか武蔵って片手斬りが基本だったらしいよ
走り回り、逃げ回りながら、片手でちょこちょこ当てに行くタイプだったらしい
たしかに人斬り包丁だから、片手斬りでもそこそこのダメージはある
自分が攻撃を受けないように、逃げ回りながらのジャブ攻撃こそ必勝法なのか
現在の剣道なんかとはまったく違う思想 >>427
そこそこ記録が残ってる江戸末期の逸話にしては盛りすぎてて逆に気持ちいい 隊内処理の斎藤一も強そうやん?
まぁそれ言い出すと服部武雄が強いってなるけど >>432
千葉栄次郎>>>>>>【越えられない壁】>>>>>>>>>>山岡鉄舟>>>>【高い壁】>>普通の剣士 >>432
論破された後の負け惜しみはいいよww
428:人間七七四年 :2016/11/20(日) 04:52:32.49 ID:KhVXO5+5 [sage]
>>427
>山岡鉄舟は一刀正伝無刀流の頃が剣士としてのピークじゃない?
429:人間七七四年 :2016/11/20(日) 17:50:10.75 ID:zNhRG8wS
>剣道経験者なら解ると思うが、幼い頃から稽古していて、20代30代の頃は弱くて40代50代になってから突然剣士としてピークが来て強くなって達人になる人なんていない(笑) >>431
武蔵は弱い奴としか戦わなかったという俗説もあるなw >>432
事実だからありのまま伝わってるだけで盛る必要なんてないじゃんw
千葉を祭り上げて得する奴なんて当時いないのに、誰がどんな利害関係でなんのために盛る必要があるんだよ?ww
大坂の陣で活躍した真田信繁は豊臣贔屓徳川嫌いの奴らが大袈裟に盛ったんだろ
って話なら可能性としてわかる
玄武館での話なんて現場見てた奴が70、80年前まで存命してるのに、なんの利害関係があって話を盛るんだよバーカ!ww
都合の悪い歴史や逸話を盛って改竄して残す風潮があるなら千葉より長生きしてる山岡が、みっともない逸話を残すのは不自然だって馬鹿でも解るよなww >>431
宮本武蔵がそんなキチガイだったなんてありえないわw
五輪の書読んだことない素人がこんなスレで書き込んでるとかwスレの次元を疑うww
>現在の剣道なんかとはまったく違う思想
と書き込んでおいて、昔の剣士は現代の我々には計り知れないような事やってたんだ!と持論を展開する作戦なんだろうけど、
現代剣道ってのは昭和の戦後とかに突然降って湧いたものではなくて、先人達から脈々と伝わって来たものをほぼ忠実に伝えているわけw
槍とか居合も戦国時代とかから続いてる流派がほぼ忠実に形やら技を残しているんだよwやってる人なら解るけど(笑)
人斬り包丁持ったキチガイが木刀構えた強い現代剣道7段、8段の人に勝てるだろうかってw無理だわwwキチガイはキチガイであって達人ではないからww >>428
山岡鉄舟が達人だったのは確かだけど、若い時は弱かったみたいな都合のいい話はありえないから(笑)
→>>429>>435の捕捉として書くけど、
体力使うどんな武道、格闘技、スポーツに於いても20代30代でショボかった奴が40代50代で突然ピークが来て達人になるみたいな事は無いw
これは人間の体(体力)が基本的にそういうふうにしか出来て無いから。
こんなのが解からないとか、体鍛えたことすらないのかねw
サイヤ人じゃないんだから(笑)
40代50代で達人だ、すごいって言われてる人は20代30代の頃からすでにすごかったんです(笑)
分かりやすい喩え引用すると、大相撲で今最強とか言われてる横綱白鵬(30歳)も40代50代になったら現役で鍛えてる20代の十両力士にも勝てなくなるよw
王貞治だって長嶋茂雄だって、20代30代でホームラン打ちまくってたけど、いま大谷翔平の165kmの球なんて打てねえよ(笑)かすりもしないだろ(笑)
人間の体っていうのはそういうもんなんです(笑)
サイヤ人じゃないんだからw
※最強の剣豪について語るなら、まず人間の体(体力)ってもんを知るべきだよ(笑)
そうすれば実像が解って来て、誰が強かったんだろうかって話がそこから出来るようになるだろうねw 新撰組の剣士はあまり凄い印象は無いなぁ
基本戦術が多数での暗殺だからなぁ 池田屋で近藤は一人で正面を塞いだし相当に強かった事は間違いない
志士側だってみんな免許や目録を受けるレベルだったのに 斎藤一は明治維新後に警察内で開かれた剣道大会で優勝してる
その当時の警察は元武士が大勢居たから、相当レベルが高かった筈で、
その中で新撰組元隊長が優勝したって事は、いかに新撰組のレベルが高かったかという証だろう 技術ってのは時代が下れば下るほど磨かれていく物だから、幕末の剣士が最もレベルが高かったと見るべきだろう
という事で、最強は沖田総司や岡田以蔵辺りではないか 強いか弱いかは分かるけど、誰が最強かは直接戦ってみないと分からない
時の運と相性って重要だから
従って場数が多いとリスクも多くなる訳で、結局は多くの戦場に出て多くの者を討ち取っている人が強いという事になるだろう >>443
幕末は特別だけど時代が下れば下るほど
実際の斬り合いの経験が無くなってくから
真剣勝負じゃわからんよ だから真剣での斬りあいがあった最後の時代である幕末の剣士が最強でしょ 流派の技って時代が下がると失伝してるものも多いから
一概には言えないんじゃねえかなあ。
あと、幕末にしても、日常から斬り合ってた訳でもないんだから、
むしろ自力救済が基本の戦国期の方が実戦頻度多かったと思うぜ。 現実には漫画みたいなそれを知ってるか知らないかで強さにまるで差が出る秘伝奥義何てないし、
失伝してるとしたら、実用性がなかったというだけだろう
また、真剣で斬り会う機会自体は戦国に劣っても、剣術自体は盛んだったわけだから、剣士の平均水準自体は高かったと見るべきだろう 強いか弱いかは個人の問題であって別に時代や流派が強い訳じゃない
いつの時代にも強い奴も弱い奴もいる >>449
戦国時代に失伝したならともかく江戸時代に実用性を図るなんて無理だろう 小野次郎衛門なんかは実際に強かったろうか
合戦でも手柄挙げてるし、あの時代でもキチガイ扱いされていたぐらいだから
一般的にイメージされる剣豪そのものといった感じだ 真剣での切りあいでは超有効だが、竹刀での戦いでは使えない為、失伝した…何て技、そうそうないだろうし、
あったとしても、それだけで戦国期の剣士の方が幕末期の剣士より強いという根拠にはならないだろう 戦国期は竹刀がなくて木刀で練習していたから、練習するのも大変だった
打ち所が悪ければ死ぬし、そうでなくても、簡単に怪我してしまうから、思うように経験がつめない
その点、竹刀や防具が普及して安全に練習できるようになった幕末期では、戦国期より遥かに多くの経験を安全につめた
だから、幕末期の剣士の方が、戦国期の剣士より、少なくとも平均水準でははるかに高かったはず
また、ぶっちゃけ、一の実戦より、百の練習の方が効果がある
そりゃ、実戦でしか得られない物もあるだろうが、一度実戦を経験しただけの人間より、百度試合を経験した人間の方が遥かに強い
これはISISと自衛隊が同武装、同人数で戦った場合、どっちが勝つか想像してみれば分かりやすい 幕末は立ち木を狂ったように叩く練習してただけの薩摩が
他を圧倒してたんだぜ、どれだけ戦国期より惰弱になって
かがわかろうものだろ 討幕派の筆頭が薩摩で、その薩摩に示現流の使い手が多かっただけで、別に他の流派を圧倒してた事にはならなくない?
即効性と初見殺しに秀でた流派であった事は間違いないと思うが… 上に書いてあるように剣術としての完成度の高さなら幕末で実際の実力は戦国という印象 >>458
そもそも薩摩藩は最新鋭の装備をしていたから強かった訳で別に刀で戦っていた訳じゃない
有名になったのは西南戦争だけど、あれは百姓出身が多かった鎮台兵が慣れない白兵戦で恐慌をきたしたという話であって示現流が特別強いという話ではない 呂布>>>>>>>日本の剣豪
なのが現実^^
JAP(笑) イメージの呂布は強いんだろうけど、実際はどの程度だったんだろうな
剣豪と比較するなら戚継光とかの方がいいんじゃないかな? 支那人は大ボラ吹きだからな
元寇でも唐入りでも日清戦争でも一方的にメタボコにされているしはっきり言って弱い
そもそもモンゴル人や満州人にも侵略されまくって漢民族はほぼ消滅したとも言われているし
呂布もあくまで支那レベルの強さだから他の国で言ったら普通レベルだろう 幼少時の素質なら木曽義仲
人形劇『平家物語』vol.5 - 22〜24話
http://kiratemari.exblog.jp/4627472/
> 駒ヶ根の牧が狼の群れに襲われ、愛馬が餌食にされたことに腹を立てた義仲が、
> たった一人で狼数頭に立ち向かい斬殺する光景を目の当たりにして、
> 将来天下にはばたく武将の相を見て取り、その教育係を引き受けた…
木曾義仲の興亡と越中国の伝説
http://ettyuukyoudoshi.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=299381386
> ・平治二(永暦元年、1160)年 7歳 狼退治
『7歳』の時点で、1人でオオカミ数頭を斬殺してたなら凄いことだ 後の時代の方が有利だとか戦国期の方が上だとかいう話は意味が無い
技術が必要なのは当然だが殺敵技法である以上、遣い手の意志が重要だろう
つまり躊躇なく斬る・トドメを刺すという確固たる意志があるか否かだ
例えば現代剣道で段位を得ていても、敵を前にして迷うことなく斬る事が出来ないなら素人に不覚をとるかもしれない(人斬りを本気で意識して剣道を習っている者がどれだけいるだろうか?)
実戦に強いというのはエグい手段も躊躇なく出来て血飛沫を
浴びても眉一つ動かさずにいられる、現代人の一般常識からは異常なメンタルを持つ事ではないだろうか? >>479
新撰組なら永倉が斎藤よりも沖田よりも強いと元隊士が
公の場で証言してるので沖田最強はない 元隊士の主観だけじゃなあ
そいつが沖田斎藤の人気に嫉妬してたただけかもしれん
だから地味な永倉を上げる 千日も持って鍛とし、
万日を持って錬とせよ。
宮本武蔵。
これが、鍛錬だと知った。
日々、鍛錬です。 >>474
剣豪と謳われた人間はみんな人を斬りまくってるし、当然そうしたメンタルは持ち合わせてるでしょ 宮本武蔵「そうそう、一番強かったのは石を投げてくる奴」
小山田信茂「やはり俺が最強か」 >>487
書簡で自己申告した割に豊前中津藩の負傷者の中に武蔵さんのお名前がないのはどうしてですか?
あと小山田さんの投石って同時代史料から確認できますか? やっぱり技術的に洗練されていて、人も切り慣れている幕末の剣豪が最強でしょ >>362
一介の浪人が、その当時の権威に立ち向かい打ち倒すという痛快な設定が、
講談師やその客である庶民に受けたんだろう 十二号染色体的合成不仅表明我们能设计并构建获得含有百万级碱基的合成染色体,
实现对高度重复的编码核糖体RNA基因簇进行秋月康秀编辑与操控,奠定了未来对其他超大、
结构超复杂的基因组进行设计与编写的基础,同时也证明了酵母基因组中编码核糖体
RNA区域及其他序列均具有惊人的灵活度与可塑性。 >>488
あれは有馬直純に「そちらにはいけません」という手紙だからなあ。
拙者儀老足可被成御推量ともあるし。
別にたいした負傷はしていないけど、なんか行きたくないのか行けない用事が別にあるのか、そんな失礼なこと書けないから負傷したってでっち上げたのかもしれない。 >>503 492の通り他藩のお偉いさんの養父ってイレギュラーな立場の人間だった事考えたら載ってない方が自然じゃない? >>504
まあそう考えても、なんら不自然も不都合もないと思う。
ただ、断わりの手紙なんで適当なこと書いてたとしてもそれはそれであり得る話かなと。
有馬家は当時、軍功争いで水野家と揉めてたので、両家に関わりがある武蔵は避けたのかも…というてる人もいたが、いくらなんでもそら穿ちすぎだろうしね。 そもそも負傷者リストってある程度以上の立場の人間まで載るものなのかな
あんまり詳しくないけど有名武将が載ってる話を聞いたことないし 柳生石舟斎だって弓で拳射ぬかれて大怪我してる例もあるし
自分は飛び道具で負傷したらショボいみたいな感覚全く無いから
敢えて穿った見方してまで武蔵は怪我してないかもしれないって言う人の気持ちはよくわからんなあ
特に武蔵の場合はおそらく攻城戦の落石だろうし弓以上に防ぎようなくないか 世の中に弓鉄砲がなかったら、我が兵法にかなう者なしとか、弓矢は魔法の類とか書いてる人もいるしな。
石舟斎からして、兵法は弓矢鉄砲と戦うものではないとか書いてたと思う。
武蔵の投石の話は、なんかいつの間にか島原の観光ガイドとかが「武蔵は子供の投げた石をあてられた」とか語ってたそうだ。
良かれ悪しかれ、話ってのは尾ひれがついていくもんだね。 しかし最強剣豪の話ってのは夢がある…。
どうあがいても確定できないあたりが実にいい。
個人的には男谷信友とか、面白いんじゃねーかなと思う。
幕末の鉄人流の使い手、牟田文之助が日記であちこちの道場にいったりしたこと書いてるけど、男谷は別格の強さを感じたのか、剣客たちの中で唯一「様」つけてる。
所詮は個人の感想にしかすぎないけど、当時五十代だった男谷に二刀で挑んだ若者が感服したって話は物語的な美しさがあってよい。 上泉信綱に決まってる
他の名前を挙げる奴は動物議論で最強はアフリカゾウなのにサイだのカバだのと書いてる奴らと一緒 >>511
上泉伊勢守は偉大だろうけど弟子たちの方が受け継いだ技を更に発展させていけるわけだし
最強かどうかは疑問だな
戦国武将だから戦場でもどうこう言う人がいるけど実際には武将としての活躍は
同時代史料から一切確認できないし 実戦を体験した奴じゃないとな。
人も斬ってないのに竹刀振り回してた奴が最強とか無い無い。
誰の事かは分かるよな。 あー江戸初期から中期の平和になった頃の剣士は
戦わずして勝つみたいなのが極意とか人を殺せない
からそういう方向に行ってるな 実戦経験のある剣豪だって実戦未経験だった時期は当然ある
例えば新選組の面々だって入隊前から実戦経験豊富なんて人物がどれだけいたのか?
武士は帯刀した生活が当たり前で現代人とは感覚や価値観が違ってたろうから、いきなりの実戦に対応できるだろう
上田馬之助が料理屋で襲ってきた三人を即座に返り討ちにした事からも分かる
実戦経験が無いのはたまたまその機会がなかっただけで実戦経験者に後れをとるとは限らない筈 実戦を経て生き残った者だけが剣豪だ
実戦という免許のない仮免剣豪など論ずるに値しない 強い人は初めての実戦でも対応できる
平穏な世では達人級の人でも実戦に遭遇しない
幕末には実戦経験者が多数登場したが、それも技を泰平の世に伝承していった先人がいたからだ
現代と違って帯刀が普通の時代の人々の技量を現代人の基準や感覚で語るのは愚考で愚行 竹刀なら大丈夫。木刀なら通報案件だけど
やはり上泉伊勢守は偉大 竹刀はオモチャ
竹刀を使ってる流派はオママゴトをやってるだけ
竹刀を使ってた先人は剣豪じゃなくてオママゴトをやってた頭の足りない大人 竹刀で戦う流派なんてないだろw
道場稽古なら新選組でも竹刀だし >>525
つまり新陰流もそのオママゴトってことか 竹刀は直接打ち合う稽古の為の木刀の代用品であり、木刀は稽古の為の真剣の代用品
つまり竹刀は代用品の代用品であり、竹刀の使用を非実戦的という奴は剣術の基本以前の知識すらないニワカ 柳生連也斎でしょ
上泉信綱が流祖の新陰流を完成させたのは柳生石舟斎の孫の尾張柳生の連也斎
兄の利方を差し置いて新陰流五世を継承
寝こみを襲ってきた刺客を脇差で片手斬り
将軍徳川家光に招かれて江戸柳生の柳生宗冬と型を披露するが連也斎の打ち込みの早さに
宗冬がついていけず宗冬の拳を砕き宗冬の血痕が付着している木刀が現存
しかも宗冬は太刀の木刀だったのに連也斎は小太刀の木刀
型の披露でしかも小太刀に拳を砕かれたこ江戸柳生はこれ恥じ試合だったと吹聴 >>525-528
真剣の半分以下の重さの竹刀で打ち合ってもな。
御飯事とまでは言わないが、軽い竹刀で打ち合うのは半分遊びみたいなものだよ。
うちの道場では木刀も竹刀も使うけど、1.2kg未満の物は使用禁止になってる。
スレに関係ないけど。 帯刀が禁止された現代人と帯刀が日常で何時斬り合いが始まるか分からない時代に生きた剣豪を現代人の基準で語るのは無茶では? >>531
そう思ってるならこのスレに来なければ良いだろ。
このスレには剣術やってるか現代人か、剣術をしてない現代人か、どちらにしても現代人しかいない。
そしてレスは全てレスする人間それぞれの基準で書くのだから。
それに時代背景が違ったとしても、稽古の質が強さに影響するのは、どの時代でも変わらないよ。 >>530
確認したいんだが1.2`以上の竹刀っていったいどんなものなんだろうか? >>533
野球のバッターが重いマスコットバットで素振りの練習するようなもんじゃね? >>534
そういう目的聞いてる訳じゃないのは普通に読めばわかるだろ
具体的にどんな作りの竹刀なのか気になっただけだ >>532
ならば訊くがアナタの道場ではどんな稽古をしてるのか?
重い竹刀や木刀を使っても防具の無い部分に竹刀が当たっても平気だという意識なら剣術としては実戦的ではないよ
現代剣道のルール上では打突が有効とされる部位は確かに決まってる
でも例えば上腕や肩に竹刀が当たっても負けではないが、実戦なら斬られてる
鍔迫り合いで相手の竹刀が肩に当たってるのに気にしないならばそれはスポーツ
勝負も三本勝負ならばやはりスポーツ(実戦にニ度目はない)
江戸時代にも三本勝負はあったが当時は帯刀が普通の事で実戦も勿論仇討ちその他で存在してたから意識は現代人とは違う
ちなみに自分は子供の頃に通ってた道場では全て一本勝負だった >>529
元の尾張柳生の古老の話紹介した本だとスピードというより連也の打ち込みのタイミングが早いせいで起きた事故ってニュアンスだったと思うが
型じゃなくて試合だったって言いふらしたの尾張柳生の厳長さんだし 宗冬と連也が型やったって話自体かなり怪しいんだよなあ
その話に触れてる一番古い記録が昭和になって尾張柳生の当主が出版した本だし
伝説だと指砕かれたはずの宗冬が当時の記録だと二週間後に家光と緒大名の前で型披露してるし そういう本をベースに時代劇作家が散々書き散らして
ますますそれを定着させてしまった訳だね >型の披露でしかも小太刀に拳を砕かれた江戸柳生はこれ恥じ試合だったと吹聴
試合に負けた方が恥だと思うのは現代的な感覚なんだろうか 週末になっても>>532は>>536からの質問はスルーなのか
どんな回答が書かれるか興味津々だったのだが それで1.2kg以上の竹刀って具体的にどんなものなんだよ >>530=532が消えたので分からないな
ちょっと考えれば書き込みが本当の話か怪しいもんだ
重い竹刀にするには錘になる物を仕込む必要があるが(当然細長い形状になるはず)、束に入れても重心が真剣とは違ってくるから余り意味が無い
一方束より前に仕込むと(物打付近でなくとも)錘の入った部分はしならないから衝撃吸収機能がかなり落ちる
防具を強化しないと浅からぬ怪我を追う可能性がある(胴ならまだしも籠手はかなり危ないし面も打ち込みがそれて耳の上や肩に当たった場合は危険) 1.2kgもある竹刀で打ち合ったら怪我するだろ。
もしも打ち合えばな。 >>538
江戸柳生の奥義は驚異的な再生能力なんだよきっとw
尾張柳生は普通の剣術として進化していった一方、江戸柳生は公儀隠密なども請け負う性格上そのうち山田風太郎のナントカ忍法帖ばりの人外技ばかりになって真っ当な武士からは気持ち悪がられて廃れたのであったw 結局>>530(>>532)は出まかせだったのか
本物だったら他にも色々訊きたいことがあったのに(歩み方とか構え方とか)
残念 実戦ではどうこうという実戦コンプレックスは平和な江戸時代や現代ならではのもの
剣術の稽古は精神的に自信を付けていざというときに平常心で敵に対峙できるための胆力を練る修業だから別に細かいことはどうでもいいんだよ
後は勝負は時の運、結果的に斬って勝とうが斬られて死のうが堂々と立派に戦えれば武士としての面目は立つ
てか「真剣勝負で二本目はない!」とか肩肘張って力んで戦ったらかえって負けるぞw
真剣でも竹刀稽古のように「さあいっちょ腕試ししてやるか」と気軽な気持ちで挑める境地に至ってこそ一人前 そんな簡単に行くなら小さい頃から戦闘訓練
してる武士の息子の初陣に多くの郎党を付けんわ そりゃ大量の郎党がいるような家の息子に死なれたら一大事だからな
長男じゃなくても今と違って病気で若死にする確率も低くないからスペアも必要だし
下手したら戦に負けなくても跡取りがいなくなってお家断絶、郎党も全員浪人として路頭に迷うことになる
王将〈次世代含めて)がいなくなった時点でいくら相手の駒を取り巻くって丸裸にしてもそこで試合終了
一般の武士に関してはいくら剣術では無敵でもいつ戦場で火縄銃で撃たれたり平時にちょっと風邪をこじらせたくらいで病死するか分からないわけだから、そりゃ今と比べたら個人の命なんかもう屁みたいに軽いものよ
もう諦めて悟りの境地で生きていくしかない
生きるか死ぬかの真剣勝負でも案外と今の剣道の試合に出場する選手よりチョー気楽な気持ちで挑んでいたんではないだろうか 江戸時代も中期は平穏だったが初期は殺伐とした気風が残ってたと言うし(それを改めたのが五代将軍綱吉だとか)
幕末は物騒な世相になって斬り合い頻発
それに江戸中期でも仇討ちだの決闘だのはあったろうから実戦とは無縁ではない
幕末の鏡新明智流の剣豪として名高い上田馬之助はとある料理屋で逆恨みをした三人の武士に襲われた(二階から降りる際だそうな)が返り討ちにしたそうだから、闇討ち同然の咄嗟の戦闘にすら対応して勝てる人もいたわけだ >>549
初陣だろうがなんだろうが関係なく郎党はつくだろ… >実戦ではどうこうという実戦コンプレックス〜
いやいや、古今東西を問わず武術はいかにして敵を制圧するか工夫を凝らしたものだろう
だからこそ多様な武器に多様な技が存在する
胆力は必要に決まってるが、技術もなく単なる力任せで勝てるほど勝負ごとが甘いものとは思えない
そもそも技術を身に付けて己の技量に自信を持たねば胆力だって持てないだろう
常在戦場の意識で過ごしてた時代の人々は勝ち負けには現代人より遥かにこだわりがあったと思う
なにせ負けたら一族郎党が根絶やしにされる危険すらあったんだから
合戦の前段階として敵側に内紛を起こさせるように罠を仕掛けた…敵の重臣が自分と内通しているかのように見せかけるとか…なんて話が戦国時代にはあるくらい手段を選ばず勝ちにいってた >合戦の前段階として敵側に内紛を起こさせるように罠を仕掛けた…敵の重臣が自分と内通しているかのように見せかけるとか…なんて話が戦国時代にはあるくらい手段を選ばず勝ちにいってた
この板でなんでそんな常識的なことを得意げに語ってるんだろう… >>554
他人が単なる事例の一つとして挙げた話を得意げに語ってると思い込んでるのは、自分自身が大したことがない話を得意げに語る底の浅い人間だからだよ ここでオウム返ししかできないあたり知識が欠如しているだけじゃなくて
思考能力まで著しく低いみたいだな 大坂の陣で秀忠に迫った10人近くの武士を瞬く間に斬った
柳生宗矩とかどうよ。 柳生宗矩は剣豪と言うか政治家のイメージしか思い浮かばん >>559
特にどの作品に出てきた宗矩が印象深い? ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 戦国〜江戸初期の剣豪と
幕末の人斬りが戦ったらどうなりますか? 剣道の一本とは
相手が鎧兜を着込んだと仮定して
鎧兜ごと相手を切断できた状態 などと意味不明の供述に対し、慎重な調査の結果未経験者の妄想と判明しました >>565
それは具体的に誰の説なんですか?
根拠を教えてください >>7
でこぼこの地面の上で実際に戦えば
剣道は弱い 江戸末とかで剣道の稽古してるビデオとか残ってるけど現代のと較べて
すんげえダイナミックで大夫違うんだよなあ >>569
戦国の上級武士だからまず槍で戦ったとは思われるが
上野一本槍とかの情報って実の所同時代史料からは確認できないよ
だから戦場でも名手だったかどうかまではわからない >>571
史料的にはその通りだけどあの時代に軍法で世に出てる以上、やっぱそこそこ活躍はしてるんじゃないか
実際の戦場で活躍してないと誰も話を聞いてくれないでしょ 俺の頭の中の小説では小野次郎右衛門が最強だなぁ
同じ将軍家指南役でも柳生は御留流で官僚や諜報として重宝されたみたいな
別に一次資料は無いんですけどね 戦場で実力を見せた剣豪なら、大坂夏の陣で徳川方の本陣に突入してきた真田の兵が家康か秀忠に斬りかかろうとしたところを柳生の当主が返り討ちにしてなかったかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています