何故、徳川家康は天下統一ができたのか? [転載禁止]©2ch.net
かつて、実の息子である長男を切腹させたが?
長男とは比較にならないほど、
日本全体にとって害悪でしかない身内を粛清した事件だな
>>171が言う「道徳」とは何のことかイマイチ判らんが…
古代支那の逸話で、
親の法違反を告発した息子を道徳的にけしからんと役所が罰したら、
皆が法を守らなくなって治安が崩壊した、
というガチガチの儒教観念があるが、
それを持ち出して無理矢理当てはめる試みだろうか >>171
孫の婿が大犯罪者、自分は公のトップ
やることは決まってる 主である今川、織田、豊臣、全て弱ってから
行動を起こして徐々に勢力を蓄えてる
徳川は本当陰湿だよ
力を大きくした時期は全て主君の崩壊時期 相容れない人は
人でなしかKYバカってことにして終わらせれば正直楽だよね >>174
弱るのを待った、というか、そう言った武将連中が没落したのはそいつらの実力、責任なわけで。
家康が卑怯なことして弱らせたわけでもない。 本能寺の変後の秀吉の天下統一はヌルゲーというが、
だからこそ本能寺の変は秀吉にとって最大の難関だった
同僚の明智光秀が自分と同じように天下に野心を抱き、
自分と同じように信長を抹殺したいと思っているという情報をつかめばこれを利用しない手はない
信長を中国に呼んで光秀に背後から討たせればよい
こうした謀略を黒幕と呼ぶのかどうかは知らんが、
たまたま本能寺の変が起きてたまたまその情報をつかんで・・・
と考えるよりははるかに筋が通っている
つまり秀吉は武将としては大したことはないが、謀略家としては超一流である
逆に家康は、豊臣の滅ぼし方を見ても謀略家としては大したことないのが分かる
しかし、武将としては超一流である >>177
家康の場合は謀略などのセンスは本多正信や正純によるものが大きい。
家康は側近に能力のあるものが多く、家臣の使い方がうまい。
自分の足らないところを知ってるんだろう。
武将としての自己管理能力は高いと思う。
鷹狩り等の実践的な趣味や、健康管理に関しても、意識が高い。
今で言うと、アスリート的な気質があるのかも 家康が天下統一できたのは関ケ原で勝てたからじゃなく
その遥か前の小牧長久の戦いで秀吉に負けなかったから
あれで負けていたら大幅に所領を減らされ
秀吉の死後好き勝手に振る舞えなかった いやいや家康が天下統一できたのは、幼少のとき織田に捕まったのに殺されなかったからだよ 徳川が天下取れたのは
使えてきた主家の凋落っぷり
気がついたら俺が一番力持ってるんじゃない
以前は考えもしなかった天下人に自分が一番近い位置にいた
そうなったら意識してなかった天下が近い
封印していた野心が恥ずかしがること無く出てしまったんだろう 上手く当時の1番有力な大名の家臣であった事が運が良かったんだな 野心もあったとは思うけど、秀吉死後のみんなが好き勝手動く情勢を抑えるには、どっちみち事実上の徳川政権にせざるを得なかったと思う。秀吉も恐らくそれはある程度理解して逝ったんじゃないかな
もし家康が天下取りに動かなければ、また戦乱に逆戻りしただろう >>183
まさにそれ
徳川がいやでもまとめないとまたぞろ戦争させろという輩でまとまりがなくなる
力でもって押さえ込むのもまた有力者の務め >>185
違う、三成ら奉行と輝元が最初に密かに誼を通じた 関東入封させずに
三河・遠江あたりだったらわからなかったな
内府はウンがイイ 家康アンチは小説や講談程度の知識で語るから始末に悪い
反論できなくなると、在日やら半島人やら言い出して逃げるのが常だし >>157
でも、結果を知ってると不思議ですよね?
関東移封って言っても、旧領の駿遠三甲信に隣接してるから封じられた豊臣恩顧大名から見ても
何時一揆扇動とかされるか分からず怖い訳だしさ。
なんで強引にでも力を弱める事をやらなかったんでしょうね。
家康が名古屋城のお手伝い普請やったように、駿府城の大改修や会津で築城を命じるぐらいやれば
良かったのにね。
家康自慢の蓄財を、なんとか使わせるくらい出来んかったんだろうか。 関東の開拓に散財してる、朝鮮出兵のため国内の生産力下げること出来ない
自慢の蓄財できるようになったのは各種利権抑えた関ヶ原以降 >>189
関東でまた戦乱を起こしたいなら、それもありだろうな
後北条信者は後北条の治世は素晴らしいから関東は豊かだったって妄想に取り付かれて、
上杉vs足利の大戦争は無視してるみたいだし。
豊臣信者は三遠駿だけしか持ってない家康に関八州をプレゼントしたくらいの妄想を抱いてるし。
ボロボロの関八州を押し付けられた家康が、上杉みたいにならずに勢力を蓄えるなんて、
後世の人間以外じゃ想像つくわけがないだろうに 家康が初めて江戸に入ったころ、当時の江戸は
台地の先端に江戸城があって、そのわきに広くて浅い沼があった。海水が入る日比谷入江。
その向こう側に広くて平らな土地があって、日本橋あたり。
浅い沼は全面埋め立てすれば、広大な平坦値がもらえるわけで、低湿地のまま家臣に与えた。
家臣は、自分で埋め立て開始だ。土は基本的に、堀を作ってその土を両脇に積み上げれば、
排水も良くなるし、土地のかさあげもできる。
武道よりも土木作業で大わらわ。 関東移封は、上方から遠ざける意図もあったにせよ、豊臣政権の対北条戦略の責任者として、そのまま戦後の関東東北の抑え役を任じられたと考えるのが妥当
拠点として小田原でなく江戸が指定されたのも、北条氏の主要拠点のうち、関東全体から東北まで睨みを効かせるのにちょうどよい位置だったということが大きな要因。 >>191
家康が移封されたのに、殆ど家臣や一族の所領の加増をしなかったのも予想外だと
思うんですよね。
その上家康自身の蔵入り地を約100万石も取ったんで、一種の家中クーデターを
やったのと同じですよね。
寧ろ、家康の独裁的な権力が強化されたみたいですしね。
弱めるつもりが、逆に強化してるんだもんな。 他人の失敗を近くで見てきて
良いとこだけを持っていった そういうの学べるのは素晴らしいな
さすがダイゴンゲン。 >>193
江戸は北条の主要拠点だったって江戸の発展は
家康の成果じゃないみたいに主張するレスを偶に見かけるが
北条時代の江戸は周りを湿地帯囲まれた防御能力に優れた要害としての
主要拠点であって、政治都市、商業都市として優れた拠点では無かっただろう >>197
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「いま都知事選の候補者である小池百合子は、水俣病の患者切り捨てをした人間だ」ということを、水俣病の患者さんに話しました
https://twitter.com/tok aiama/status/755195613298384896
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。
三宅洋平の得票では、豊島区ではなんとゼロ票 中央区ではゼロ票。江東区ではゼロ票、荒川区ではゼロ票 足立区ではゼロ票 通常、こんなことは考えられない。 天下と言っても日本だけじゃんか
織田や豊臣は海の向こうまで見据えていた >>201
甘いな。
大御所は、関ケ原後、再就職できなかった浪人の為にルソンやタイでの傭兵斡旋事業や朱印船貿易を通じての
日本人居留地、いわゆる日本人町の発展などを支援し、南シナ海に日本人町の貿易ネットワークを構築し、将来
は日本人町を日本国の貿易拠点にしていく経済植民地政策を目指していたんだよ。
豊臣のボンクラ二代目が大坂で乱など起さなきゃ、日本国内では不用の浪人どもを日本人町に送り込んで軍縮を
平和裏に実施できた。 海外侵攻を見据えるもなにも、ただの無謀だったわけだが。 千成瓢箪は渡海してないしな
どういう意図だったのやら 単に領土拡大、恩賞地の確保のための唐入りだったろうな
明到達より朝鮮半島を完全制圧するのを重んじるべきだった >>194
三大都市圏は自分の子供に任せて、間を埋めるように譜代の領土にしたんだよな
統治システムの作り方が上手い 家康氏は結構わからないことあるけど
その一つが七将が光成を襲撃した時仲裁を買って出たこと。
光成を生かしとけば光成憎さに豊臣が割れて天下が転がり込んでくるから
とか言ってるが、
逆に、おのれ内府も光成派だったか、それならまず内府を討ち滅ぼそう
ってことになると思うんだけど?
どうにもこのエピソード合点がいかないのよね。 >>207
家康の物の言いかたひとつじゃないの
あんな小物7人も揃って殺すまでもない、とか
蟄居引退させて生き恥をみせてやる、とか >>207
内乱に等しい行為だから、天下の維持を求める家康としては、何とか穏便に済ませたかった >>207
嫌だから、あそこで三成が処刑された場合のシュミレートを考えてみたら?
西軍に付いた宇喜多なんかと福島加藤なんかが和解しかねないですよ。
基本秀頼守護なのに、奉行衆に対する好悪で別れてるだけですからね。
幾ら本音と建て前が違うとしても、大義名分は大事です。 >>207
家康は小早川秀秋とか最上義光とかいろんな人に恩を売ってるから、
そんな調子で三成も庇ってやってると思われていたんだろう >>6
雑魚にしっかり反撃されてるならヌルゲーじゃねえじゃん 豊臣征伐はよく言われているように二条城会見までは深くは考えていないだろう。
一大名としてあの母親も彼処まで増長しなければ、滅びてはいない。 淀殿の気位と家臣が無能だった。
時流が分っている且元を追放したし。 秀吉の出目が出目だけに、家臣がアホだったから。
そこに、淀殿が止めをさせいて自壊した。
家康がしたのは破裂しそうな風船に一刺ししたようなもの。 とうてい天下の器ではなかった三河の陰気で糞面白くない男は
持ち前の運の良さのみで場違いな天下人となってしまう。
人生のほとんどを媚びへつらい強い者に忍従するヘコヘコバッタのように生き、気が付けばこれまでの強者共は皆死んでしまった。
「オイ、正信!天下とれるんじゃねえか!!」
これまでとは態度を豹変させた家康!!いや本性を現したというのが本当のところだろう。
「おれが法律だぁ〜」「おれを暗殺しようとしたらしいな〜」
「やられたくなかったら子分になれ〜」「上洛せんかい〜」
「拒んだら謀反人にするぞ〜」「やっちゃえ〜」
「小僧〜っ!早く裏切らんか〜」「ひーっ島津こぇーっ」
「豊臣〜っ!金使わんかい」
「豊臣〜っ!わしを呪詛しやがったな〜」
「豊臣〜っ!人質出せや」「豊臣〜っ!大坂出んかい」
「拒んだら暴力が物言うぞ〜」
「やっちゃえ〜」
「ひえーっ!幸村ゆるして〜」
この小物ぶりは最低だね。
おまけにこいつの政権が地味で引き籠もりで最悪の日本の礎に
とほほほ・・・・ 面白くない 批判が多すぎ 別の角度から
みてもいいと思うが… 事実でも今の現代が有るのは過去の人のおかげ
もっと有能ならもっといい現代になっていたとでも…
批判してもいいけど教訓も与えてくらた
それが歴史 主君に対して、命を賭けてくれる家臣が何人もいたからや
家康が、幸せ者には違いないやろ ただ運がよかったからだよ
速い段階で実力者の信長と同盟できて
武田信玄に殺されそうになったけど運よく助かって 秀吉より寿命が長かった
秀吉亡き後に自分より優秀なライバルがいなかった
ただそれだけ 運というのは尊いぞ。
世の中の99%の凡人は特別な運なんて持ち合わせていない。 >おまけにこいつの政権が地味で引き籠もりで最悪の日本の礎に
この視点って朝鮮人気質そのものじゃないか。 でもぶっちゃけ家康って、幼子でも他国の人間はむろんこと兄弟、親類縁者によって殺されることも
珍しくない時代に、18、19まで海道一の大大名も庇護下でぬくぬくと育ち、かなり高度な教育まで受けて
しかも戦国大名にお決まりの兄弟や親族間の争いもなしに、三河一国を手に入れてしまうとか、武将とし
てのスタートラインはかなり恵まれた部類だと思うぞ。人質にされて可哀想、可哀想いうのはまったくなかった
わけではにないが、徳川期になってその部分だけやたら誇張されてる面があるとおもうぞ。 三河一国手に入れるのだって、結構苦労しているんだけどね 桶狭間から三河平定まで6年くらい掛かっているからな >>226
それ言うなら信長は10年以上、毛利元就はさらにそれ以上だけどね。
武田信玄なんか父親が統一はしてくれていたから恵まれている方だよ。 そもそも毛利織田徳川と違って武田は守護だしな。
守護勢力は織豊期にすべて勝手に崩れたにせよ、媚びられずに潰れていったことに差はない。 なんか家康って武将としてよりも、むしろ天下を取ったのち300年の支配体制を築いた内政家として
の手腕こそ評価すべきだと思う。もし徳川幕府が家康の死後20年か30年くらいであっさり滅んで、
戦国時代に逆もどりとかだったら、後世の家康の評価って全然違っていたと思う。 信長が種を植え育て、秀吉が開花させ、家康がそれを維持管理したってだけの話 小牧長久手で圧倒的勢力の秀吉と直接戦って撃退した実力に尽きる
加えていつでも家康のためなら命を投げ出す三河家臣団の精強さ >>229
ある程度は評価されるかもしれんが、家康を題材として長編小説を、ソウル拘置所に収監
されている韓国の前大統領までもが、獄中で愛読するほどの人物にはなってなかっただろう… 秀吉が死ぬまで我慢したから
秀吉が家康くらい長生きしてたら、徳川幕府は生まれなかった 「行きたくない県ナンバーワン」から脱却しようと、名古屋市がご当地ソング作りに乗り出した。
「名古屋ゆかりのヒット曲がない」と嘆く市長の肝いりで、市民から歌詞を募っている。
http://www.asahi.com/articles/ASKCN5WJ6KCNOIPE02B.html
これが歴史の真実なんだろうなあ…もし信長や家康があくまで尾張や三河に執着していたら、
逆に上杉謙信や武田信玄が甲州や越後といった僻地を捨てていたらその後一体どうなっていたか……? 義元一代は逆らわず死んだ途端に今川家を離脱し三河をとりもどす
信長一代は逆らわず死んだ途端に甲斐で一揆を起こして信濃もろとも獲得
秀吉一代は逆らわず死んだ途端に関ヶ原そして大阪の陣で豊臣を滅ぼす
結局若い頃からやり方は同じ >>237
徳川に頭を下げるのをいやがって滅んだ豊臣とはえらい違い。 強力な上昇志向と、絶対的な臣従
この二つを何度も使い分けられなければ、戦国を生き抜いて天下を取ることはできない
秀吉の場合は、信長が死ぬと完全にタガが外れて修復不可能になった >>237
ここまで来ると凄いとしか言い様が無いわww ライバルが次々と死んだから。
信玄か信長が生きていたら家康は雑魚。 天正地震が一番大きいだろうな。あれのおかげで秀吉が懐柔策に切り替えたし
その後の転封も200万石を越える破格の待遇を得られた。上杉や毛利、
前田と同程度の100万石程度の石高だったら天下は無理 歳取ってから基本能力が上がるなんてことはないんだから
若い頃から信長・秀吉・信玄以上の能力はあったんだよ 家康の人生って選択肢があるようであまりない感じがするな
なんかレールの上をノンビリと進んだ感じ
天下を取ったからそう見えるだけかもしれないけど >>245
大器晩成型ならあり得るんだが。
若い頃の徳川家康が武田信玄や織田信長以上はあり得んよ。 大器晩成型なんて存在しなんだよ
元々能力はあったんだよ >>233
だろうなあ...朴叔母さんは、文が高転びに転んだ後に奇跡的に復活する自分を夢想してそう。
実際、現大統領が阿呆しぎて叶う可能性も。 家康がいなければイエズス会の天下かも
そっちの方が良かったかも 断っとくが
オレは徳川家が好きなんであって
国なんかどうでもいい 所JAPAN【江戸城を謎調査!会いに行ける将軍?徳川家康が東京に残した仕掛け】 五大老とかいうアホな制度のおかげ
三成というアホのおかげ 松平清康の時に天下取ってればよかった
三十年遅れた 能力、革新性に関しては、信長、秀吉より下だった。
信長、秀吉のレールなしに、家康の天下人はあり得なかった。
ただ、運を生かす能力には、とてつもなく長けていたことは事実。 寿命で死んだの秀吉だけだもんな
義元も信長も、あの各の戦国大名としてはあまりありえないような死に方してるし
運は凄いわ 運じゃなくて天命。元々生まれる前に伝説多いし
天下を取った人に運があるとしたら頼朝はあんな死に方しとらんわ 頼朝は幕府開くまでの運だったんじゃね
秀吉が1代限りの天下を開くのもまた運
家康は260年も続いた運があったんだろ そこまで行ったら家康はもう神だな
運のおかげばかりいうと理屈で能力を説明できないアホだと思われるぞ 理屈なんてないから結果論で運が良かったとなるわけじゃん 家康は家族運には恵まれてないけど
武将としての運には恵まれてたろ
これで運が悪いとか言ってたら、誰が運がいいと