何故、徳川家康は天下統一ができたのか? [転載禁止]©2ch.net
三河武士が全国に散らばり230年間続いた室町幕府
家康とやらは、その既得権益者グループのラスボスでしょ
松平のポジションは伊勢氏や蜷川氏と同じで、足利将軍家に近い室町幕府の中の人
織田豊臣と一括にして三英傑とか間抜け過ぎる これが大事
三河グルで現代日本の全てが辻褄があう
源頼朝と三河、これが全ての始まりで現代に至る850年続いている
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) 日本は、三河武士の血を引く源頼朝の呪縛から逃れられず現代に至る
源頼朝は鎌倉に幕府を開き、三河にいた母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵し源姓足利氏を誕生させ
その縁故で三河が足利王国になり、足利尊氏は鎌倉将軍家の敵をうつ形で室町幕府を誕生させた
源頼朝(初代鎌倉将軍)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)、初代藤姓熱田大宮司)→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男)→足利義兼(初代源姓足利氏)
鎌倉時代
三河県岡崎市の足利氏VS神奈川県鎌倉市の北条氏 ←勝者は三河
戦国時代
三河県岡崎市の徳川氏VS神奈川県小田原市の後北条氏 ←勝者は三河
現代
三河県豊田市のトヨタVS神奈川県横浜市の日産 ←勝者は三河 晩年の狂った秀吉に朝鮮行かされたりしてもう疲れ果てていたところに、家康という拠り所を求めたんじゃないかな。
ぶっちゃけ加藤清正も福島正則も三成憎しで家康に付いたのではなく、もう狂った秀吉の忠誠心など無く豊臣なんてどうでも良かったと思うぞ(笑) 統一とは言っても、家康は対立構図がシンプルな中での成功だった
大きく分ければたった二つという派閥対立で、
対抗派閥の中枢を潰せば、残りは降伏するしかない流れになる
戦う相手が何十もある時代とは構造が違う 最大の皇室領荘園だった豊田市に繋がる鎌倉将軍家、足利将軍家、徳川将軍家、トヨタグループ
今も昔も、三河は皇室を庇護する日本の番長だわな
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 天下取るためなら誰でも騙すし、秀吉の作った伏見城なども本人が死んでから徹底的にぶっ潰した
成功者と言われる人は最終的に成功して力を手に入れれば騙そうと裏切ろうと後付けで美談にできるものである。 秀次を讒言で殺して豊臣から関白を奪ったのは三成だし
秀吉の作った伏見城を焼き払ったのも三成だからな
三成は朝鮮出兵でも讒言で邪魔な武断派などを隙あらば攻撃したし
最後は謀反を起こして秀頼を軟禁状態にもした
結果論から家康が天下を取るために何でもやったように言われているけど
権力を求めてアグレッシブに行動していたのはむしろ三成の方だった
家康は三成に狙われて正当防衛的に行動しただけでむしろ被害者の方だったといえる 秀吉って信孝の母親と娘も殺してるんだろ?
信長の側室を殺す大悪党だろ。
豊臣は家康に滅ぼされて当然の報い。 >>85
家康に滅ぼされて当然なのか?
大坂の陣が勃発する土壇場まで、
家康は豊臣を存続させようと尽力していたのだが
秀吉の罪を秀頼に負わせる考えがあったとは思えん 1590年くらいでポックリ秀吉死んでれば全然ちがうんだろうな・・・トヨトミ自爆? 尽力していたとか小説の読み過ぎ
娘まで尼寺入れて子孫断絶図ってるのに
っていうかこの行為自体戦国の世で普通だろうに >>88
夏の陣までと夏の陣以降で家康の意志が一貫していたと考える方が小説の読み過ぎだぞ >>89
武家諸法度の発布がいつだか知ってる?
又、家康が征夷大将軍になった年
大阪夏の陣の年
もしかして、武家諸法度がひと月ふた月で作られたとか考えてないよな?
1600年関が原の戦い
1603年:家康征夷大将軍に就任
1614年11月:大阪冬の陣
1615年5月:大阪夏の陣
1615年7月:武家諸法度発布
ひと月、ふたの月の構想で成立するようなそんなちゃちな制度じゃないよ
実は家康好きは家康馬鹿にしてんのか? 秀吉は天下統一後に自分の死後に天下簒奪される事の無いように
万全の仕組みを作った。
しかし秀次事件で秀吉はその仕組みを自ら破壊してしまった。
家康も秀次事件が無ければ天下簒奪を諦めてた。 秀長がカギぢゃ
秀長さえ長生きしていてくれていれば秀次事件は起きなかったのぢゃ >>92
秀頼が生まれた時点で結果は同じ。
秀頼が生まれたことで秀次が邪魔になって秀次事件が発生したわけだからな。
秀次排除に反対した秀長が立腹した秀吉に切腹させられた可能性すらある。
豊臣政権が続く道は、秀吉の実子が秀吉死亡時点で充分に成人してるか、
もしくは秀頼が生まれずに秀次が関白位のまま秀吉が死亡してるかの
2通りしかなかった。 家康が必死に長生きしようとしたのも「豊臣を滅ぼす時期を待つため」
以外に「後継者が充分に育つのを待つため」というのもあっただろう。
後継者が未熟なまま死ぬのは何としても避けたかったはず。
豊臣はそれによって天下を簒奪されたわけだから。 >>94
>「豊臣を滅ぼす時期を待つため」
ねーよ 家康って野心はないけど、転がりこんできたら何が何でも掴もうとする印象があるんだけどな
そして掴んだものを絶対に手から離そうとしない
だから秀吉が死んだことで「天下」が転がってきたら掴んだだけなんじゃないの?
長生きしようとしたのも天下とるためではない気がするけどな そんなに腹が減ってなくても高級料理の試食があったら食べてしまうのと同じだな 転がりこんできたから天下をとったというか、
家康は基本的に真面目だから(これは信長にも言えるが)天下静謐のために手を尽くした結果
新政権樹立の道しか無くなったんじゃないかなあと思う 野戦に強く深謀遠慮あり状況判断も適格で時代を読み違えず健康で長生きしたからでは? 長生きも才能の一つというのもあるね。
家康が関ケ原直後あたりで死んだら徳川幕府は無かったと思うし
仮に前田利家があと10年生きていても徳川幕府はなかったろう。 あと肉親への情に溺れないとこもあるよな
信康を切腹させたり忠輝を追放したり息子だろうが反逆者は許さない 肉親だからって甘い裁定したら信長みたいに反乱に苦しむことになるからな 逆境に弱い印象だが、結局のところ生き延びたからな
・今川家に預けられる身のはずが、織田に横取りされる
&父・広忠が織田の恫喝を退け、なびかないことを表明
人質としての価値を失った竹千代は、いつ殺されてもおかしくない
↓
今川家が軍事行動を起こしてまでして、救出してくれる
・桶狭間で今川義元討死
取り乱して自害しようとする
↓
自死を止められ、新たな目標を与えられる
・本能寺の変で信長が横死
取り乱して自害しようとする
↓
自死を止められ、自領への脱出にも成功
・秀吉との対立中、背中の出来物が悪化して死を覚悟
死後の方針を整理しようとする
↓
本多作左衛門のハッタリで名医の治療を受け、快癒 小牧長久手の戦いが大きな鍵
武田勝頼は長篠の合戦で国力の差があったから負けて仕方ないとか擁護する人いるが、それは違うことを家康は見せつけている
最終的には秀吉に屈したけれども、この戦いで諸将の大きな尊敬を勝ち取った 小競り合いみたいな感じで総力戦じゃないっぽいんだが
寝返ったのを先鋒ってよくあるもんな・・・関ヶ原の東軍でも一番槍は豊臣子飼いだしな
池田恒興は信長の乳兄弟で鬼武蔵も織田譜代で死んじゃったけどもw >>105
大坂夏の陣でも真田幸村に突撃されて自害を止められたそうだな。
でも本当に自害するつもりはなくて誰かに止めて欲しかったんだろう。
誰も止めてくれなかったらどうしたんだろうね?w そもそも秀忠がだらしないから家康が70超えても戦場に出張らないとならないわけでw 家康の自害未遂エピソードの多さはやる夫が首を吊ろうとするフリしてチラ見してるAAを思い出す 家康の自害未遂エピソードが多いのは神君が自害しようとするのを
我ら旗本が必死に止めて支えたからだと後から作っただけだと思っている 自害エピソードは家康を悪役側にしたてた講談劇の主役をひきたてるための過剰演出と思う
真田があわや家康をーってのは最たる例かと。 >>107
現代人は豊臣が関ケ原以降どうなったか知ってるから三成を忠臣みたいにとらえてるけど
同時代の人達からみれば裏切り者は三成の方なんじゃないの
仮に西軍が勝っても豊臣の天下は維持できず毛利が大阪城を乗っ取って九州と関東は再び戦乱の世がおとずれるだけ >>108
真田幸村という架空の人物が絡んだ話なら、
それは創られた物語上のことであって、
真面目にどうこう考察することでもない 三方ヶ原の戦いの後すぐに信玄死んだから徳川は滅亡せず済んだって所もあるんじゃない?? 真田幸村なんて架空の人物を使っている時点で戦国自衛隊と同じレベルの話だからな >>99
家康の能力というより、人使いの上手さだろう。深謀遠慮があったというが、
それも有能な家臣からの情報があっての事。
信長と家康は全くタイプが違うが、人には恵まれていた。これは、兵質が良かった
という三河ならでは。だから、信長は尾張を基盤として、三河武士の武を欲した。
家康の活躍は、家康のもの。弱兵というが、尾張も人材が居なかったわけではない。
武士ではなく、その他の民間人や商人に分散していただけだろうね。 背中の出来物が悪化して、の件は、
本多重次の死ぬ死ぬ詐欺だろうな
主君も過去に死ぬ死ぬ詐欺をしたことがあり、
主君も主君なら家臣も家臣だ。なんちて 戦上手
運動好きで体が強い
得意戦法は謀略戦
2番手で生き残る処世術
新統治に敵の旧臣起用
律儀物で周りの信用もある
家康はずば抜けて無いが、何でも出来るからゲームや専門家の能力分析でやたら高くなる
信長死後からは弱点が無かった まあもっともめんどくさそうな寺社勢力を信長と秀吉が壊滅させてくれたのも大きいよな まあ、社長死んで2代目が子供だから継げるようになるまで面倒見てねって立場の副社長が
則ったって話だから、もちろんそれはそれなりの能力必要だったけど、戦国の世をを切り従えた、
てのとはスケールが隔絶するほど落ちてる 「戦国の世を切り従えた」ってのに夢見過ぎじゃない? ファンタジーって…定義の話なのにこの知恵遅れには全く理解できないとは憐れなゴミクズ
こんな知能レベルでドヤ顔で何しに出てきたんだこのカスはw その定義の仕方がファンタジー脳って言われてるんだゾ 2016年被爆者 【訃報】「機動戦士ガンダムSEED」脚本家の両澤千晶さん死去 大動脈解離のため亡くなった。56歳。
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これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
ネットにおける言論統制は、非公然で陰湿に進んでいるようです
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。
多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい 要するに
織田信長=戦国の世を切り従えた
徳川家康、豊臣秀吉=戦国の世を切り従えてない
って事だろ?
最近、ファンタジー脳が理解できるようになったわ。 水野の血だろ
あの狂気の血が何かの化学反応を起こしたに違いない >>128
そこまでバカじゃないだろ
源頼朝(関白まで上がった平家一門殲滅)
足利高氏から義満(鎌倉幕府勢力駆逐、上方武者殲滅)
この辺と比べるから軟弱なんだろ 平家がいつ関白になったんだよwww
つーか頼朝や足利家こそ血統が高貴だったおかげって感じで軟弱。
頼朝は流罪からの逆転劇だからまだしも足利は鎌倉幕府でもNo.2の御家人だったし 鎌倉幕府倒したのは後醍醐天皇と新田義貞だろ
足利高氏は六波羅探題追い出しただけ >>132
義詮を担がなければ新田だけでは鎌倉は落とせなかった。 関ヶ原の戦いをセッティングしてくれた石田さんのおかげ
あれがなかったら家康存命中に天下なんて握れなかった 三河国以外で国を治められるのいるのか?
そもそも当時の日本は三河国以外に人材がいないだろうが そういや家康って鎌倉幕府の正史吾妻鏡が愛読書だったらしいな。とりあえず鎌倉
幕府の歴史を見るとほんと暗殺、毒殺、謀殺、裏切り、寝返り、騙し討ちのオンパレード
家康がそこから何を学んだかなんだよな。江戸幕府が鎌倉幕府と同じことやってたら
さすがに300年は続かなかった。将軍の代かわりごとの恒例の後継者をめぐる血みどろ
の争いがおきない仕組みを作っただけでも、家康は政治家としてかなり優れていたと思うぞ。
とにかく家康がただ己を欲を満たしたいがために征夷大将軍になるようだったら、幕府
は家康の孫あたりの代で滅んで、最悪戦国に逆戻りだったかもしれない。そうすれば今
ほど家康の存在がクローズアップされることもない。結局家康は武将としてよりも政治家
として評価すべきだと思う。 家臣の墓を暴いて死体を取り出して斬首するようなメンタリティの
持ち主だもの。難癖つけて主筋を攻め潰すなんてかわいいもの
そんなイカレタ人物だからこそ他人の天下を乗っ取れたのさ >>138は過度に美化しないと死んでしまう病気なのか? 大久保長安は斬首梟首に相応の重大な汚職を働き、それが発覚したのが死後だから
墓を掘り返してでも厳罰を実行することは、徳川政権の公正さを示す
もう死んでるのだからと有耶無耶にするどこかの政権とは一線を画すということ
豊臣家が徳川家にとって主筋というのは大阪における独自文化限定の勘違いな上、
大坂の陣発令の原因である大坂軍の武装蜂起と伏見・堺・岸和田などへの破壊行為を無視し、
原因ではない鐘銘事件を難癖と強弁するのは、
大坂史観が実に見苦しい欺瞞に満ちていることを証明している >>142
長安の遺骸を掘り出して云々は史実では無いから
戦乱が原因で余った女性がヒステリックにならないという保証はない。
>>144
鎌倉幕府の北条執権家みたいに、「権威」=秀頼を祭り上げて「権力」を握り
実質的な天下人になるだけなら、関ケ原なくても余裕だろう。 笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』(宮帯出版社、2016年) 秀吉の作った統治機構をそっくりそのまま横取りしたから >>148
豊臣政権の統治機構なんぞ参考にもならねぇ 全国統一直前の信長にも言えるが、政府とも言えないような属人的政権。
だから家康が簒奪できた。参考にしたとすれば、反面教師としてだろう。
大大名が複数いて、ガチで戦ったことのある潜在的政敵=家康に政権の
No.2の地位と馬鹿みたいな巨大な知行(関東)を与えたことも、家康は
真似ちゃいけない教訓として学んでる。 >>150
参考にしたとは思うが相違点の方が大きいし、同じような参考例もあるので、
もう徳川流としか言い様がない
こういう政治組織の構築は、もっと賞賛されてしかるべきだと思うのだが、
個々の政策として説明できないので、ぼんやりした解説になってしまう そもそも他人の政権を乗っ取っただけなので天下統一したわけではない
豊臣公儀の五大老筆頭の立場を利用して征夷大将軍の地位を得て、借りていた
権威をそのまま己の権威にすり替えただけのこと。
北条得宗家のようにそのまま執権として秀頼を傀儡として扱うならまだしも
殺してしまうという汚名を被るのも小心者らしいが 家康より秀頼がもっと小物だったから滅ぼされたんだろ? 秀吉死後の豊臣政権なんて、官位による法的正統性も権威付けも無い、血筋も貴種じゃない、
直轄の所領・軍隊もショボい。簒奪するなという方が無理。
秀頼も大坂城を出れば助命されてただろう。 >>135
本当に不思議だよね。あの大返しの時に大活躍した人と同じ人物と思えん。
でまた家康のほうも武田信玄に脅かされてた家康と同じ人物は思えない。 三河に生まれて織田・豊臣と政権のNO.2で居続けたのが大きかった
この二人についていったおかげで関ヶ原の時点で関八州250万石までなれた
九州か東北に生まれていて単独で徐々に領土を増やし続けても
一生かけても1〜2ヶ国ぐらいの大名で終わったのではないか そうは言っても、信長の時代を最初で、そして最後まで続いた同盟者というのは、
唯の有能では続けられなかったと思うぞ 豊臣の築いた基盤、なんてないよな
むしろ穴だらけだったからこそ家康が躍動できたわけで。
反面教師といわれればまさしくそうなのだろうが。
江戸は滅びたが日本人ってたくましいな 真面目な話、
>>153みたいな寝言、というか
妄説は、一体どこで流布してるのかね
大阪限定で信じられてるとか? 江戸を認められないなんて日本人じゃないんじゃないの 秀吉の政権は、織田信秀→信長と受け継がれた清州織田政権の色が強いが、
家康の政権は今川政権の申し子かと思われるほど今川色が強く、はっきり言って別物
単に、全国の諸大名に号令をかけることが可能な立場の強力な大名家の力関係の変化が、
豊臣家がトップの時代から徳川家がトップの時代へと移り代わった、それだけのこと 豊臣政権はモデルケースがほぼ信長しかなかったけど、徳川は今川も武田も北条も旧臣を通じてノウハウを知っていたというのは強みだったかもな 実力主義の織田政権、豊臣政権を反面教師にして
徹底的な親類と譜代重視の政権にしたからじゃね そうだな
基本的に身内にエサあたえてるだけで他の武将とそんなに差はない 織田五大将とか秀吉の五大老があったように
織豊政権は外様を重用してた
それが当主死亡後の政権崩壊に繋がったから
家康は外様を政権運営に加えなかったんだろう 秀頼をくれぐれも頼む 後見人の立場で
その後露骨に天下人の野心を表に出す 徳川に天下人の野心が無かった
笑わせる
結果として徳川の治世になって300年も続く基礎を抜かりなくやったのだから
計画的であったと解釈しなきゃ理解できない 「秀頼をくれぐれも頼む」
頼まれた通り、一大名として存続できるよう最大限の努力はしたものの…
(本当はそんな遺言を守る義理はなかったが)
結局のところ秀頼は、飽くまで戦乱を起こさずには生きられないことを示し、
戦乱の無い世を創ることを究極の目標とする家康とは相容れないのだと証明した
これはもう滅ぼすしかないね
遺言は果たされないけど、仕方ない >>170のような人でなしにすれば、義兄秀吉の遺児で、孫娘の婿を攻め殺すのは正当で道徳的に何の問題も無いんだろうな
ありもしない豊臣公儀なんかは関係なく、
義兄の息子殺し、孫娘の婿殺しなんて、九州のリアル修羅甲斐の爺くらいしか他にいないだろ