【名君】今川義元 Part2【海道一の弓取り】 [転載禁止]©2ch.net
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今川義元(永正16年(1519年) - 永禄3年5月19日(1560年6月12日))とは、室町時代の戦国大名にして駿河の守護大名今川家の9代目当主。
足利氏一門で、今川氏親の五男
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
1560年、2万5千の大軍を率いて尾張へ侵攻するが、田楽狭間で休息中に織田信長による奇襲を受け戦死(桶狭間の戦い)。
享年42歳。
前スレ
【桶狭間の戦い】今川義元【花倉の乱】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1333917640/ 今川義元は世間ではバカ殿扱いされてるけど、本当は名君なのです 信長にやられたってところがまだ救いだな。
これがもっと無名なやつにだったらここまで有名にもなってないし評価も一枚落ちる 鵜殿氏長の評価低すぎない?
蒲郡を領有していたので家康の裏切りでは最前線に立たされるも今川一門として戦い
親が死に捕らえられた状態からスタート
そこから1,700石の旗本として家名残しているのだし 今川義元ってどうやって桶狭間の戦いで殺されたんですか?
2万5千人の兵を率いた大将が戦場で討ち取られるとか普通あり得ないんですけど。 2万5千、あるいはそれこそ10万とかいても今川義元の命は1つだもの
ゲームみたいに兵力数値バーがあるわけじゃなし 今川義元は現代では変なイメージにされててかわいそう 仮に信長に負けなかった場合。
美濃の斉藤さんと戦うことになるだろうが、
堅城を本拠にしている斉藤さん相手の戦闘で勝てただろうか? >>14
> 仮に信長に負けなかった場合。
>
> 美濃の斉藤さんと戦うことになるだろうが、
なんで? >>10
まず二万五千というのが作り話。資料により人数がまちまちで、その差は二万〜四万
実際の駿河、遠江、三河の最大動員数は石高から考えると二万五千でも多いと言われている
加えて義元が上洛途中だったというのも、創作。尾張を無視して進むわけにはいかないし、尾張は今川氏の旧領だった時代がある
そして兵隊は戦闘員ではなく、半分以上が前線に向かう輸送部隊だったと考えたら織田が奇襲して勝つ可能性は僅かにある
加えて雹混じりの暴風雨の夜で、田楽狭間は狭く視界も悪い
こういう悪条件が重なった結果、信長の旗本二千程度が夜間に突撃して義元本陣の五千程度の兵と乱戦になれば義元を討つのも不可能ではない
暴風雨と暗闇と湿地で馬もろくに走れないしね
つまり幸運が重なった結果 最近の説だと義元は小山の上に陣取っていたことになってるんじゃないの?
奇襲って成り立つのかな? 奇襲というか、信長側が迂回しようが正面から行こうが今川側にとって桶狭間が不測の遭遇戦だったという事
大昔は義元の目的が上洛前提とされていたから奇襲か否かの論に意味があったが、戦後に有象無象の資料が整理されていく中で、桶狭間はいくつもの天候や偶然が味方した不測遭遇戦であった場合は信長側も今川本陣を特定していたわけではなかった可能性が高くなった
こうなる奇襲という呼び方自体に意味が無くなる
ものすごく単純に言うと、勝ち続きの中で天気荒れたので一先ず休憩した今川隊に決死の信長隊が突撃して、それがたまたま互いに本隊だった
こうなると攻撃体勢に入っていた信長側が有利で混乱のまま義元が戦死した
という説 義元が直虎の諫言を無視して桶狭間で宴会とか有りそうだな おいおい、氏親の5男なんて初耳だぞ!
僧籍に入ってて兄貴と家督争いして勝ったから家督を継いだんわ分かるけど、他の兄弟どこ行った? >>22
通説だと氏輝 彦五郎 恵探 泉奘 義元 氏豊だから五男だな
もっとも彦五郎と泉奘と氏豊は氏親の子か疑わしいから実際には三男だろうけど >>27
えっ?そうなん?彦五郎って幼名かと思ったよ 織田家の三郎とか松平家の次郎三郎とか北条家の新九郎と同じよ >>29
松平次郎三郎元信(家康)だよね?
伊勢新九郎宗瑞しか知らんのやが、北条家は代々新九郎が幼名なん? >>30-31
幼名じゃなくて通称
>>29の諸家と同じで今川家の家督継承者は「彦五郎」か「五郎」を名乗るのが慣例
氏輝弟?の彦五郎は通称だけ伝わって諱は失伝したんだろう >>32
なるぼど、通称でしたか教えて頂きありがとうございます
つか、信長は三男じゃないの?
三郎ってのも通称ですよね 確かに信長は三男だけど、三男だから三郎を名乗ったわけじゃなく織田三郎信秀の嫡男だから三郎を名乗った
同様に松平家、北条家も代々長男が次郎三郎、新九郎を名乗っている >>34
なる程 ほんまに勉強になりやした
ありがとうございます >>34
ん?つか以前から気になってたんですが、嫡男と長男の違いってなんすかね?嫡男=長男なら信長は三男になりますよね?
義元も長男じゃないですよね?
無知ですいません 基本的に嫡男は正室の産んだ子ども
父親から見て最初に産まれたかどうかではないのですな >>37
あぁ、なるぼど伊達政宗の子供もそうでしたね、側室の子供が先に生まれて
正室の子供が後から産まれましたよね
つか、義元には側室いなかったんすかね? 一応、築山殿の母は一般には義元の妹とされているけど
史料によっては義元の元側室だとするものもあるな >>36
嫡男は「家」を継承させる可能性がある「嫡子」のうち、男児を指す
分家を立てる場合でも、同じ苗字を名乗れる場合なら嫡子と見做される
「家」を継承させる可能性がない子が「庶子」
たとえば信長の場合、子供は大勢いたけど、嫡男とされるのは
信忠、信雄、信孝の三名だけ。いずれも側室の子
信雄、信孝はそれぞれ北畠家、神戸家を継ぐ様に養子に出されたが、
家の乗っ取りを完了すると、織田の苗字に戻している
父・信長の地位は信忠が継ぎ、信雄と信孝は織田の分家を興した >>40
なるほど、よく分かりました教えて頂きありがとうございます
江戸時代から長男が家督を継ぐのが主流になったんすよね? ただまあ将軍家なんかも正室の長男が生まれるの遅かったりすると
後継ぎになれなかったり…… >>45
綱吉の場合はどうなんですか?家綱の子供の家宣が居ましたよね?
つか、江戸時代の家康が決めた家督は長男が継ぐってのは、架空だったの? >>46
勘違いしてる。家綱に実子は無く、家宣は家光の子である綱重の子。つまり家綱や綱吉の甥だ
「後継ぎになれなかった正室長男」ってのは徳川家斉の五男敦之助のこと
既に徳川家慶が後継ぎに決まっていたから、清水家の養子に出された可哀想な子(まあ夭折したけど) っていうか今川の話から大分ずれてるじゃねーか!
彦五郎と弥五郎と千代秋丸の話しよーぜ! >>47
なるほど、勉強になりやす
教えて頂きありがとうございます
つか今川家って高家で残ったんでしょ? 残ったね。で、幕末に断絶
最後の当主は幕府で活躍したけど、
跡取り息子に先立たれ明治維新で財産も失うというお手本のような泣ける晩年を過ごしたようでくっそ鬱になれるぞ 織田信秀との小競り合いに勝ち気持ちが高ぶっていた今川義元は
陣中にいた松平元康を呼んだ。
義元「竹千代よ、今宵の伽を命じる」
元康「そ、そんな・・・・・」 毎回思うんだけど今川義元の軍勢2万5000ってどこのソースなんだ?
駿河→三河の領地で2万も軍勢集まるとは思えないんだけど
当時関東である程度名声持ってた上野下野足利連合軍6万うんちゃらの方がまだ説得力あるが
天下の殆んど手中に収めた最後の激戦大阪夏冬陣でも20万(膨張)なのに あ、ごめんレス読んだら既に議論されてたのね
スルーしてくれ 人数なんて本当のところはわからない。
みんな妄想だっての。
誰が数えて、その数値は正確なのか、その文章は本物なのか。
どの数字もあてにならない。
義元が敗死したのは事実のみ たしか石高で算出する兵力だろ、2万5千は
100万石だととかいうやつ
三国志もそうだが攻める方は号して10倍ぐらい言うし
勝った方も大兵力に勝ったことにしたいから相手の兵力を水増し
ジンギスカン戦法で住民全部動員する気なら相当な人数集められるけどな >>55
そうそう、3万とも4万とも聞いたが数字は戦国ロマンって事にしようよ 奮戦して人の指噛みちぎって大暴れして討ち死にするようなゴリマッチョでアスリートぽい義元が見たい >>57
4万とかその辺は信長公記の4万5000に準拠してるんじゃないかな
その数も信じがたいが2万程度ってのもどこから出てきたかよくわからないだけに
検討材料にしづらい 慶長あたりの検地で、駿河19万石、遠江28万石、三河35万石だった筈。
当時の織田家が20万石程度と言われているので乱暴な計算だが
残りの尾張の石高35万石も今川領として合計117万石
北条氏の援軍も2〜3千いたようなので留守居の兵を引いても2万5千は可能だと思う。 >>61
桶狭間での織田軍の勝利が不期遭遇戦か、狙いが当たった奇襲かはともかくとして
悪天候があったとはいえ義元本陣を蹂躙されてる点で、さほどの兵数があったとは
思えないけどね。戦域は尾張南東〜西三河の狭いエリアなのに。 大将の周りに2万5千全軍を配置しているとでも思っているのか?
真性のアホだw >>15
>>14
今川がガチで上洛するというなら、
美濃や近江を通過しないわけにはいかないのでは? 今更だが、首取られて25000は無傷なのに、取り敢えず引き返し、氏真を総大将に再び尾張へ進攻出来てただろうに まあその後、見限る元康、降伏した将兵数千居ても、まだ尾張は万の兵には至らなかったはず 仮に信長に勝ったとして。そのあとどうするつもりだったのだろう?
そのまま美濃に攻め込んだ? >>71
当時の道路事情を考えると、
やっぱり
美濃→近江→京都
が無難だと思うんだが。 最近は「伊勢湾経済圏の掌握が義元の狙いだった」という研究が多い。当時の海岸線だと
大高城は湊でもある。津島や熱田の交易利権を失えば、信長が生還しても織田は立ち枯れる。
尾張を併合して数年したら、史実の信長と同じように美濃・北伊勢侵攻に移るだろう。 桶狭間の敗戦が、最上位指揮官の義元が戦死しただけで、
配下武将や軍勢そのものは無傷だったと、
とてつもない勘違いしてる奴が、未だに実在するんだ…
それなら、長篠・設楽ヶ原の武田軍の敗戦は、
最高指揮官の勝頼すら生還したちょっとした敗北であって、
武田家の致命傷にはなっていなかったと、言い張ることができるわな >>74
そういえばそんな内容の勝頼の書状があったな >>76
>これまでの通説のように今川軍に悟られぬように迂回してしのび寄ったのではなく、
旗を巻き、まるで今川軍の一部隊の如く堂々と近つ”いたのではないか。
これは武士として恥ずべき行為である。
だからこそ、太田牛一はあえて書かなかった。これが桶狭間合戦の真実ではなかったのか。
ありえるな。しかも豪雨なら。 >>63
桶狭間て、中京競馬場の坂を下りきった今の国道1号線の辺りだと思うが、あの辺りて山と山の間の一本道だし、伏兵はやりやすそうな感じ。
トーカイオーコクゥゥゥー! ⊂⌒~⊃。Д。)⊃
文藝春秋SPECIAL 2016春
戦国大名 究極のサバイバル戦略?今川義元 桶狭間に散った「東海王国」の野望 - 小和田哲男(静岡大学名誉教授)
http://blogos.com/article/165961/
※文藝春秋SPECIAL 2016春の記事一覧
http://blogos.com/blogger/gekkan_bunshun_2016spring/article/ 今川義元の城(家臣の城も含む)
・駿府今川館(当時は駿府城ではなく今川館でした)
・尾張鳴海城=城主・岡部元信
(以下、城主は省略)
・駿河朝比奈城=朝比奈元長
・三河田原城=朝比奈元智
・駿河瀬名城=瀬名氏俊
・駿河蒲原城=蒲原氏徳
・駿河庵原城=庵原元政
・駿河川入城=由比正信
・遠江掛川城=朝比奈泰朝
・遠江二俣城=松井宗信
・遠江高天神城=小笠原氏清
・遠江井伊谷城=井伊直盛
・遠江引馬城=飯尾乗連
・遠江佐久城=浜名正国
・三河岡崎城=松平元康
これ以外では、犬居城(天野景泰)、横山城(興津清房)、葛山城(葛山氏元)、
松平氏関係で、大草、竹谷、桜井、青野、長沢、形原、田峯、長篠、野田、足助、寺部、上ノ郷、牛久保、作久、五本松の三河の各諸城があります。 桶狭間で動員したのは2万だろうね。
で、4万というのは、最終的に三好長慶と対峙するときの予定兵力。
義元の目的は、やはり上洛だと思う。もちろん、単独じゃなくて、六角義賢、
畠山高政らと組んだ上でのね。斎藤義龍は、六角義賢と同盟中なので、
普通に味方になってくれるし、上洛の敵は、三好長慶と対峙するまでは実は
三好長慶の同盟者で、最初から潰す対象となっている信長だけ。浅井長政?
雑魚過ぎて話にならん。あと、氏真への早すぎる家督相続も、上洛目的なら辻褄は合う。
証拠の書状はあったのだろうが、六角は最終的に秀吉についたので、その時に
証拠を抹消し、隠滅したんだろう。畠山一族は無残に滅び去ったので、証拠が
消え去っても何の不思議もない。 逆に、三好長慶も義元の上洛を読んでおり、前年に信長を京都に呼びつけている。
信長が滅びると、三好長慶もマジでヤバくなるので、信長にかなり細かい指示を
与えたのではないかと推測される。
逆に、三好長慶は同盟者の桶狭間の勝利で油断し、翌年今川義元抜きの六角、畠山に
フルボッコにされ京を追い出されている。 >>82
ということは、
駿府→京都のルート上の敵は
織田信長と浅井長政の二人しかいなかったということになるなあ。 >>84
そういう意味で、意外に上洛説のハードルは低い。少なくとも、美濃も近江も
戦わなければいけない、というのは、当時の外交関係を無視した暴論。
あとは証拠だけだが、これも六角−今川さえ結び付ければあとは自然と
結成できるので、それほど複雑な外交を要しない。 浅井長政としては、別に国境を接しているわけでもない今川義元と
戦わなければいけないこともなかったと思うんだが。 >>86
浅井長政は反三好連合軍では六角義賢のみならず、斎藤義龍とも敵対していた。
間違いなく、六角、斎藤が血祭りに上げたがる以上、今川も従わざるを得ない。
そして、三好方(恐らく間違いないだろう)としてぶっ潰し、三好と対決する前に
気勢を上げるのに使われただろう。 >>87
堅城である小谷城に籠城されたらどうしようもないと思うんだが。
抑えの兵を置いたとしても、その抑えの兵がもし負けたらどうするのかという問題はあるだろ。 義元と元康
元康「お呼びですか?」
義元「うむ、元康に今宵の伽を命じる」
元康「そっ、そんな・・・・」
元康「川中島で武田と長尾が激突した模様です」
義元「なんだと、それはそうと元康に今宵の伽を命じる」
元康「そっ、そんな・・・・」
元康「信長が尾張の下四郡を掌握した模様です」
義元「そうか・・・、元康に今宵の伽を命じる」
元康「そっ、そんな・・・・」 本当は有能な名君だったのに後世では無能なバカ殿扱いされてて可哀想な人だ >>89
桶狭間の時期、浅井はまだ六角に臣従してたんじゃないの?
それならば浅井領も素通りできるかもしれない。 >>94
久政時代は実質的に臣従していたけど、元服した長政が六角との決別を決めて自立・家督奪取に至る
それが1560年の夏ということになってる 桶狭間で勝った場合に、どのコースをたどって、どの勢力と戦って上洛するか
というのは複数の選択肢があるのかな?
美濃を通過せずに、伊勢経由での上洛ってのは不可能だったの? 桶狭間で勝った場合に、ではなく、
信長を倒すか、倒さないまでも無力化したという仮定で。 >>97
伊勢経由は美濃経由より厳しい。
北畠はともかく、伊賀は難攻不落だし、更に大和も経由しなければならない。
もちろん、南山城経由もあるが、難易度は大して変わらない。
また、南から来る場合は、難物巨椋池が(今はないが)当時あったことも
忘れてはならない。非現実的。
それよりは、反三好の旗色を明確にしており、確実に同盟を組める六角義賢、
斎藤義龍のいる美濃・近江ルートの方が現実的。 >>99
伊賀は少なくとも義賢の頃までは六角の支配下じゃなかったか?
尾張から京への道も当時は伊賀から山城に抜けるコースがメインなんじゃ?
それに、伊賀を越えたら江南に入っても良いんだし。 大軍で木曽三川を越えるのは楽じゃないだろう
長島の一向宗や伊勢水軍の協力がないと不可能では
里見が小田原攻めまで生き残れたのも、今の城東地域が当時は大湿地帯で
大軍を動かすのに不向きな地形だったからだし 撃退はしてるけど下総経由で侵入してるし、北条と組んだから小田原陣まで生き残ったんじゃ? >>101
里見さんは水軍が強かったから、北条さんの背後を撹乱できたというのも一因かも。 >>103
そもそも、上総へ行くまともな陸路ってあるのか?
湿地帯(利根川水系流域というべきか)を越えて下総経由か、海路で上総だろ?
占領出来るような兵力なんて無理だろ
少なくとも木曽川を越えるよりは大変だと思うが?
(流石にアクアラインを当時作れるわけないだろうし) 死亡率上昇トップの千葉3区 2位の千葉7区
http://inventsolitude.sblo.jp/article/176300101.html …
2015年10月娘の友達が「紫斑症」に。内臓で出血すると大変なことになるから、と運動会も見学。でも親は何も気付かない。
https://twitter.com/neko_aii/status/760466542106521600
2年前、最愛の夫が39歳で逝ってしまいました。いわゆる突然死というものです。
インフルエンザにかかり4日目に熱が下がったものの、まだ体調が少し悪いな、と言っていた朝。「胸が苦しい」と言うので病院へ行こうと準備をしている間
https://twitter.com/hopi_domingo/status/760426247797080067
マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。
注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。 >>104
> そもそも、上総へ行くまともな陸路ってあるのか?
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※本当のサイト名は英字です 今川義元は山本勘助という後の大軍師がせっかく仕官してきたのに容姿が悪いからっていう理由で断り続けていたのは馬鹿だよなあ ヤマモトカンスケなんてろくな成果残してねえのにやたら有名 「おんな城主 直虎」の今川義元だけど最初の方一言も喋らなくてワロタw アニメ「信長の忍び」で落合福嗣くんが今川氏真役やっててハマリ役だと思った 雪斎あっての義元って感じ。雪斎亡くなってから精彩欠いてないかい? セッサイが決め手じゃないよ
桶狭間の結果のみが義元をおとしめた
桶狭間も本来負けるようなことはなかったのに負けたので一気に落ち目イメージついた 久々に大規模軍事行動を起こしたら敗死なんだから
どうしたって戦上手ではないわな そういえば雪斎って、桶狭間のときは生きてたっけ? 死んでたか 久々はまあ否定しないとして桶狭間で負けてないなら基本的に評価高いから今川
負けたらもう致し方ないが。
セッサイに関してはむしろ家康を育てたって感じで評価高いよな >>125
そういえば、なんかの大河で、天国の雪斎、おまえも酒のめえ!って
義元が言ってた気がする! >>127
雪斎は義元の叔父ではなかったか?
そのセリフはちょっとおかしいね。 >>127
たぶん風林火山
義元幼少の頃から付きっきりだし雪斎、三河攻略も総指揮官は雪斎。やはり雪斎あっての義元だと思います。織田信秀と激闘を演じたのは雪斎 >>123
でも特別戦が下手でもないと思う
相手が相手だし >>130
安城攻めて捕虜交換で竹千代奪還してきたのも雪斎だし、すごい坊さん。 >>131
>>123
広岡監督が率いる常勝西武ライオンズが
ロッテに12対0ぐらいのスコアでボロ負けしたことがあった。 織田の人間を人質にしてたほうが得じゃないのかな
別にそれで織田と今川の争いが終わったわけでもなし 西三河の豪族を抑えるには竹千代が必要だったってことじゃないの >>135
そうだろうね。
人質を交換するメリット・デメリットを考えて
「やっぱりメリットのほうが大きいな」
と判断したんだろうね。 人質交換だけど当時の織田信広と竹千代はどっちが重要人物だったか?織田と今川はどっちが得した? >>137
織田信広は庶子だからなあ。
正嫡の家康のほうが重要人物だったと思うよ。 たしかに松平元康がいるから三河勢は織田攻めに参加するわけだからなあ 織田信広は庶子だとしても三河の対今川最前線の城主なんだからそれなりに有能なんじゃない? 有能かどうかじゃなくて有用性の問題じゃないの?
極端な話し信広は跡継ぎではないので人質としておいても捨てられかねない
竹千代を抑えておけば西三河の豪族たちに言うことをきかせることができる
どちらが今川にとって得か 竹千代は人質だから今川に殺されてもおかしくなかったという人が時々居るけど、殺しちゃ元も子もない三河支配のキーパソンだよね。 織田信秀にしても身内を見捨てたと思われて求心力さがるより殺すだけの人質タケチヨを交換するならメリットあるもんな 竹千代やっぱキーパーソンだね。信秀も竹千代奪取した時はかなり嬉しかったんじゃないかな。これで労せず西三河は俺のものってね >>108
それ、どのフィクションの設定?
勘助の仕官を断ったのは、
所望の流派ではなかったから
塚原卜伝の売り込みに影響されたのか、
義元は新当流か、そのルーツの鹿島神道流を欲し、
勘助の京流には興味が無かった 軍事外交は雪斎、義元は内政統治
何事も雪斎と二人で決めてたって話もあるくらい他の者を信用しなかったのが義元
雪斎死んだらそりゃ崩れるわな いやボロが出たから今川潰れたんよ
龍造寺隆信も仏門から還俗して島津氏に討ち取られて同じ末路になるが
鍋島と秀吉のお陰で領土は残ったが鍋島に乗っ取られちゃうんだよな 息子の氏真は「蹴鞠の天才」といわれるほど蹴鞠が上手かった 小学校のクラスメートに「金魚すくいの天才」と呼ばれる奴がいたが
それくらいどうでも良い ウジザネは家康の偉大さに比べられて負けた、損な立ち位置 なんだかんだで戦国サバイバルレースを完走し今川家は幕府高官になったからな 河東を北条氏康から奪還したのも雪斎の功績?
まるで義元が無能とでも言いたげななんでもかんでも雪斉の功績にしすぎじゃね?
ステレオタイプだと思うわ >>156
家康と信玄に挟まれて領国維持は至難の業だな。 なんで義元いっつも桶狭間で死んでしまうん?
いっぺんぐらいは天下獲ってもいいじゃん おもしろいじゃん >>142
今川に殺される状況はない
殺される可能性があったのは、織田によって
身柄を織田に確保された際、織田は松平広忠に従属を要求したが、
広忠は拒否。人質としての価値を失っていた時期がある >>157
完走はしたな
スタート時はほぼ先頭集団にいたはずが、
ビリに近い順位にまで下がってゴールした
といったところ
先頭を争っていたような武田や大友がリタイヤしたことを考えると、
それなりに評価しても良いとは思うが 古いけど徳川家康の成田三樹夫が大河史上最高の今川義元だったわ
太守にふさわしい貫禄があった 「おんな城主 直虎」の今川義元はどうして喋らないの? >>165
今週、しゃべってた でも今まですごい迫力だったのが、しゃべったとたん春風亭昇太になってガッカリした
もっと低い声で、ラスボスみたいにしゃべってほしかった 明るい噺家だった マジで今川義元を昇太がやってるのかよw
女城主は一回も見たことないが今度見てみるかな >>168
次回で義元死ぬから、見るなら最後のチャンス 「おんな城主 直虎」の今川義元って結局一言しか喋らなかったよね? 上洛作戦のラスボスは戦争に強い三好長慶なわけだが。
もし戦っていたら、どっちが勝ったんだろうね? >>176
織田が族滅または降伏したとしても、美濃(斎藤)や北伊勢(北畠)、南近江(六角)と伊賀(国人割拠)の
何処を通って、どのような外交・統治をするかで全然違ってくるしねぇ。 >>176
軍事的能力は
三好 >> 今川(雪斎なし)
ではないかなあ?
それと、ホーム三好とアウェイ今川という有利不利もある。 近畿はまとまんないから上洛できるまで強大化した今川を止められる要素は少ない
上洛まで行けたならね 三好にとって畿内はホームというより準フランチャイズって感じじゃないのかな 今川義元は上洛が目的ではなく尾張平定が目的だったというのが最近の研究の見解 >>180
大内義興はアウェーなのに、ホームの細川政元を破ったよな。
今川は名門だし、反三好長慶を旗印にすれば、斎藤義龍や六角義賢、
畠山高政、細川晴元らが合流することは十分に考えられる。
そうなれば、決して三好相手に不利とは言い切れない。 忘れてた。浅井久政・長政父子や朝倉義景も合流しそうだ。
今川義元の上洛は、決して非現実的な妄想ではない。
工作跡がないのが難点だろうが、それも信長、秀吉の世の中で
置いておいたら命取りになりかねないから、廃棄された可能性もある。
というか、朝倉、浅井、六角などは滅亡時に灰となった可能性も高い。 浅井、六角はまだしも朝倉は・・・
義昭が転がり込んできた時も動かなかったし 織田領に侵攻したときは兄弟争いのゴタゴタをついてだし、
桶狭間で勝ったとしてそこから数年後に死ぬ長慶の後を狙って上洛狙うのは充分ありるな // ヽ
/ ./ , -──‐──-.\
/ ./ ./ : : : : : : : : : : : : : : : :\
ヽ //レ∨l:/\ : : : : /レ\: : ヽ
i\/ : : : : :i ,.=、ヽ;/ ,.=、 |∧丿
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. l .l : : :l \ ./ |: : l | \ 寄親寄子って主君の下に重要な家臣を、その下に他の家臣を置いてそれぞれに御恩と奉公の関係にする制度でしょ?
現代の感覚だからかもしれんがこれって当たり前じゃねって思ったんだが
逆にそれまではどんな組織像だったの? 御恩と奉公は大名と寄親か大名と寄子の間だけにあって、寄親寄子の間には無し
御恩と奉公によらずに上司部下の上下関係のある結びつきの強目な組織を作れたのが画期的 私的な寄親寄子関係は昔からあった
戦国大名が強制的にという違いがあるだけ 今川氏の“復権宣言” 静岡市と地元経済界が盛り上げ
今川氏の“復権宣言” 静岡市と地元経済界が盛り上げ
今の静岡市、駿府の礎を築いたのに、いまひとつ人気がないのが、戦国武将・
今川義元公です。静岡市と地元経済界などは義元公生誕500年の2019年に向け
その功績を見直してもらおうと動き出しました。高らかに宣言をしたのは田辺
静岡市長や静岡商工会議所の酒井会頭、そして義元公をモデルにしたマスコット
「今川さん」です。5月19日は義元公の命日にあたり、今川氏の菩提寺である
静岡市の臨済寺で生誕500年に向けたキックオフイベントが開かれました。
今川義元公は政治経済や外交にも優れ「海道一の弓取り」と謳われましたが、
あまり評価されていません。
イベントでは静岡大学の小和田哲男名誉教授が「静岡から義元公再評価の声を
あげていきたい」と語りました。今川氏は今の駿府城公園のあたりに館を構え、
その守りのために八幡山に出城を置きました。19日はその八幡山でも専門家が
市民を案内し、参加者は今の残る痕跡から当時の今川氏の勢力に思いを馳せ
ました。静岡市と商工会議所は推進委員会を立ち上げ、今川氏に脚光を当
てる様々なイベントを企画する予定です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170519-00010002-sbsv-l22 よく知らないんだけど、基礎を築いたのは義元なの?
もっと前のようなイメージがあったけど >今川義元公は政治経済や外交にも優れ「海道一の弓取り」と謳われましたが、
こういう嘘を混ぜ込むのがよくない
こんな呼称は史料からは確認できないだろ 義元は天下人のウツワだった
それが桶狭間という完全なる事故で死んでしまうから歴史は恐ろしい 洋泉社の研究の最前線シリーズ、織田、豊臣、徳川ときて今度は今川か 今年の直虎をステップにして2年後に義元か
良いのではないかな 信長の本能寺は格好いいのに、義元の桶狭間がダサいのはなぜだろう? 現代(つうか後世)の主観で見て公家の化粧とか輿がダサいからじゃね
足利連枝で旧世代然として実に物語的な踏み台にしやすい素材だし、源平の平家や維新時代の幕府方のように改革者側が描ければ実態なんかどうだっていいんだろうな 仮に京都近くまで進出できたとして。
いくさ上手の三好長慶と戦って勝てたかどうか? 織田を倒しても、その後斎藤、浅井、六角、三好と連戦か・・・下手すりゃ畠山も警戒する必要があるのか
きついな 今川義元公の父、氏親公弔う 静岡・葵区の増善寺
戦国大名今川義元の父今川氏親の命日の23日、静岡市葵区の増善寺で法要が
営まれた。2019年の義元生誕500年を前に、南部生涯学習センターの歴史研究
講座で今川氏を研究する受講生らと、同市非公式キャラクター「今川さん」が
参列し、氏親公を弔った。氏親は1501年、当時衰退していた同寺を法相宗から
曹洞宗に改宗し、再興したとされる。参列者は法要の後、氏親の等身大木像を
見学したほか、江戸時代に建てられた氏親の墓の石塔の見方などについて、
市文化財資料館運営委員の曽根辰雄さんから説明を受けた。黒沢慈典住職は
「今川家や駿府の歴史はあまり知られていない。市民の一人として盛り上げに
貢献したい」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170624-00000014-at_s-l22 駆け出しフリーの秀吉も最初は義元に就こうとしたんだっけ?
んで、家康も「わし(の家臣の雪斎)が育てた」っていうし
天下人3人の内の2人が義元の下にいた可能性がある
これひょっとしたら信長と義元の立場がそっくり入れ替わった世界線だってありえたんじゃ >>180
京都サンガvs.清水エスパルスと考えればいけるいける 義元って昔はすごかったけど油断して信長にやられたありがちなかませポジションかと思ってたら
結構すごいのな
息子も無能呼ばわりされてるけどなんやかんやで生き残って明治まで家は続いてるし
三国同盟で唯一生き残ってるやん ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 203 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/06/07(水) 08:41:07.94 ID:CvJfFMJF
仮に京都近くまで進出できたとして。
いくさ上手の三好長慶と戦って勝てたかどうか?
↑
これはどうなの? 陰謀上手の松永久秀もくっついているわけだが。 久秀が陰謀上手っていうのがもうアレ
自身の権力担保が長慶と幕府の久秀が今川に流れるわけもなし 朝比奈 泰寄←これって名前なんて読むの?
やすより? 秀吉がはじめに仕えたとされる
松下長則(之綱ではない。彼の父)なのですが
彼がいつごろ三河にきて、いつごろ死んだのか(死因。戦死なのか病死なのか)とか
事績についてわかる事はありますか?三河に来る前の出自の話はちょこちょこあるんだけど
今川(松平)家中でどんな活躍があったのかいまいちハッキリしなかったので 今川義元の出陣は天下制覇が狙いか、単なる尾張制圧目的かは、議論があるが、その際に@武田信玄も応援部隊を従軍させていたのかAそうならば山本勘助がいたのか
が問題になる >>215
1560年の長慶は秀吉の末期状態。
功臣の水軍率いて大活躍してた弟の安宅殺すわ、息子は無能で大したことない。
秀吉みたいに弟が有能だったけど早死にですでにいない。
主家ないがしろやりたい放題の三好三人衆と松永で内憂外患。屁でもない。
三好と何度も戦ってる六角は今川になら従属したかもしれないし、
六角も浅井に離反され交戦中で数年後には観音寺騒動で弱体化するなど
家臣との間が上手くいってなく桶狭間なみの戦力差があったのに
真っ正面からぶつかって浅井に大敗するなどあまり強くなく今川には勝てない。
北畠も今川には従属したかもしれないし、
しなくても尾張まで併合した今川の敵では無い。
北畠も内部ガタガタ状態。
史実でも信長が進行してくると伊勢の豪族は信長に味方しまくり、
具教の弟・木造具政さえも信長に味方し裏切った。 1560年の三好ってまだピンピンしまくってると思うんですがそれは 1560年時点では三好の弟達はまだ健在
観音寺騒動は1563年
安宅冬康誅殺は1564年
三好長逸以外の2人が台頭して三人衆と化すのは長慶の死後
三人衆と久秀が大暴れを始めるのも長慶の死後
三好家の段落では1564年以降の情勢を語ってるのに次の六角家の段落では1560年頃の話をしてるから一貫性が無くて分かりにくいな
まぁそれはともかくとして長慶存命中の三好家を倒すなら反三好勢力に勢いがあって河内、大和で押され気味だった1561〜62年が一番のチャンスだと思う わかってないな。
崩壊する要因がありまくるんだから
伊勢か近江まで領有してる大勢で
名門の今川がやってくればそれらの出来事は早まるし、
1560年にはもう長慶は耄碌しはじめてかつての知能はもってない。
伊勢の国衆、弟だって信長が攻めてこなければそのまま何も起きなかった。
強い勢力が攻めてくれば野心も何も無くてもそっちに味方するのは当然。
九州の大半攻略した島津は豊臣軍が来ると赤星以外、島津をから離反し
上杉の小田原遠征だって別に北条と従属化してた国衆の仲悪くなかったのに
ほとんどの関東勢力が上杉に味方したんだから。
内憂外患の三好もこうなるわ。
今川に味方するもの続出。
六角と三好は何度も戦ってたので今川に味方する可能性大。
六角と斎藤は同盟関係なので
斎藤も今川に味方する可能性大。
畠山ともごたついてるので畠山も今川に味方。
東西から挟撃され裏切り続出で三好なんぞ速攻で四国に追い払われる。
1568年の信長と同じことが起きるだけ。 久しぶりに今川スレが活気立ってると思ったらまた今川と三好の妄想バトルやってんのか
そんなの「で?織田信長に勝てんの?」で終わる話だろうに
ていうかまずどちらも信長に負けた敗北者だし平日昼間にレスバしてるお前らも敗北者だという『現実』を受け入れろよwwwwwww そもそも三河を満足に統治出来なかった今川や大和丹波を満足に統治出来なかった三好に夢見過ぎ 久しぶりに大規模な軍事行動に打って出たらあっさり討死しちゃった人に
そこまでの幻想は持てないですね 今川の領国の三カ国はみんな小国だし、織田の領国の尾張は50万石級の大国
しかも三河にかなりの領土を持っている水野氏は今川に敵対している
そう考えると今川と織田の戦力はたいして変わんないよなぁ
義元を圧倒的戦力で返り討ちにされたバカ殿と決めつけるのはあんまりだと感じる 小国の信長が僅か2500の手勢で策を弄し10倍の今川勢を討ち果たしました、
ってどうなんだろうな。
信長は練度の高い正規兵に対し今川のは農民の徴集兵がほとんどだろ。
パヨクのデモ隊に自衛隊が襲い掛かるようなもんだ。 義元は大軍で油断してたというのが免罪符になっているんだよ
織田とそこまで兵数が変わらないとなれば油断はないだろうから
今よりも評価が落ちてしまうんだよ 駿遠三の大大名・義元が、油断して、尾張半国の寡兵の信長に討たれた
ーーというのは実相と違うと思う。今川は奥三河や西三河を掌握しきれて
いなかったし、尾張侵攻前に皮革の輸出禁止を命令するほど国力にも
余裕はなかった。村木砦の救援も大高の付城構築妨害もできなかった。
信長が幕府や水野と組んで、義元を誘い出して叩こうとした(ら首級まで
獲れてしまった)という桶狭間研究本もある。 このところのレスを見ていて思ったんだけど、
今川は領国内を支配しきれていないと言いながら、信長も領国内を支配しきれていない点に留意しないのは何か意図があるのかな? そもそもあの当時、完璧に領国を支配し切ったと言い切れる大名なんているの? >>237
> 信長が幕府や水野と組んで、義元を誘い出して叩こうと
幕府と組むといっても、当時の将軍は無力だから組みようがなかったのでは? >>239
いないと思う。
島津ですら一枚岩ではなかった。 どこも戦国大名を頂点とした半独立の従属国人連合だからな >>238
信長の領内掌握度を、義元と比べて強調するようなレスってあるか?ドラマの桶狭間みたいに
重臣も全く信用しなかったというのは創作的過ぎるにしても、服部党みたいに今川方で参戦した
尾張国人もいたし、そもそも今川に奪われた国境地帯での戦いだし、信長が尾張を完全には
統一していなかったというのは常識だと思う。
>>241
義昭の御内書外交と同じく、義輝も弱体化したとはいえ幕府の権威を武器に、三好と張り合ったり
遠方の大名を利用して外交をしたりしていた。だから信長や謙信も上洛したわけで。 >>244
今川と織田にそれほどの差はないって流れになってたからね 現代人の地図鳥瞰バイアスだと、尾張は小国に、駿遠三は大国に見えるけど、
国力差はイメージより小さいってことで。 義元は、上洛をエサに呼び寄せられて織田領で暗殺されたんよ 信玄も 義元は今川仮名目録制定していて内政面は有能だけど軍事作戦能力って上手くないの? 北条とにらみ合いの末に外交で勝利した河東一乱とあの桶狭間しか戦歴無いからね それらは雪斎か朝比奈泰能の功績じゃねーの
義元が直接出向いたわけじゃないだろ 今川は前線総司令官制を取ってて当主は遠征せず北条早雲や太源雪斎を指揮官に立ててやってる
関ケ原の時は氏真に当主を譲って義元が総司令官になって遠征 第二次河東一乱では義元自ら出陣してるよ
吉原城の氏康と一ヶ月ほど戦い撤退させ
武田信玄と合流して幻庵が籠もる長久保城を包囲し和睦開城させた だから河東一乱と関ヶ原しか前線での戦歴がないって話をしてる 当主時代に義元は河東に遠征してますね
あと関ケ原ではなく桶狭間ですよ 織田信長は今川義元を尊敬していた
岐阜城を信忠に譲って安土城に入ったのは駿府を氏真に譲って岡崎城だか安祥城だかに入った義元の真似
義元が後方を氏真に任せて三河・尾張の統治・制圧に専念したように、信長も後方を信忠に任せて畿内・西国の統治・制圧に専念した
と、いうのをどこかで見た 今川さんと徳川さんのおかげで、今の私があります
ありがとう! 結局桶狭間は上洛ではなくて尾張の同族今川氏豊を助けるためだったの? >>265
助けるというより、尾張の一部は今川家領という意識があったし、もっと大きな
戦略意図として伊勢湾経済圏の制圧をめざしていたという見解もある。
蟹江の服部党を取り込んでいるし。 >>265
助けるというより、尾張の一部は今川家領という意識があったし、もっと大きな
戦略意図として伊勢湾経済圏の制圧をめざしていたという見解もある。
蟹江の服部党を取り込んでいるし。 尊氏の命令で今川について各地を転戦していた伊達の一族が駿河に領地を貰っただけ
謎ではないよ 上洛だったら将軍とやりとりや畿内大名に協力求める要請書残ってるはず
武田、北条にも上洛すると言ってないし
援助求めてもいない。まず上洛では無いな
ただ単に三河落ち着いて山口教継が寝返ったから尾張攻略に動いただけ 山口教継が寝返ったから尾張攻略に動いたのか、尾張攻略に動いたから山口教継が寝返ったのか 尾張を攻略できた場合には美濃と隣接することになるが。
美濃斎藤は今川にも織田にも加担せずに中立だったんだっけ? 尾張攻略と簡単に言うけど信長相手に勝てるわけがないわな >>276
今川と共謀して織田を挟撃する選択肢もあったはずなんだが。
それはしていないな。 >>277
今川と斎藤が示し合わせて同時に尾張に攻め込めば勝てるだろ。 斎藤は周辺国から嫌われてるから無いな
唯一の同盟国の六角でさえ信用するなの記録残ってる
戦国とはいえ親殺しはタブー
朝倉と同盟組んでて六角と敵対してる浅井、武田、織田と敵対
今川も斎藤と共同すれば楽になるなんて承知の上だが今川も毛嫌いしてたんだろう >>280
親殺しはたしかにタブーだがそれ以前にその記録に触れた割に外交認識が滅茶苦茶では では今川、斎藤双方協力求めた書状の一つでも公開してもらいましょうか 今川と斎藤というと
道三存命時に武田信玄が木曽家に対して
私は今川と親しい。その敵である斎藤家と親しくしないように
と釘を刺しているね 斎藤家と浅井家は同盟を組んでいた
義龍の最初の妻は浅井家から
斎藤家が追放したのが土岐家で土岐家の盟友が六角家と朝倉家で土岐頼芸は六角家が保護している
道三死後にこの土岐六角朝倉の繋りに織田も参画している
義龍は浅井家と手切った上で六角家と組もうとして当主義弼も承諾して同盟を成立させようとしているのを知った先代の承禎が激怒しているのが>>280のいう記録 義元は坊さんになるはずだった
兄の死が不幸を招いたわね 仮に桶狭間に勝ったとしても、
氏真の代で家康等に下剋上くらうか、他国に併合されるだろうなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています