【バカ殿】織田信雄 Part2【茶筅丸】 [転載禁止]©2ch.net
蟹江城に救援に駆けつけるスピード
さすが信長の息子って感じがしないでもないがな 蟹江と信雄のいた長島は、直線で10キロぐらいしか離れてないからな。
すぐさま駆けつけて当たり前で、特に褒めるような事ではない。
信雄は、軍事に関しては全くの無能ではなく、最低限の能力はあった証明にはなる 信雄冤罪を晴らす画期的な大河。ってことはまずないか ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 小田原攻めの時に徳川家康と示し合わせて尾張で蜂起し、
豊臣軍を背後から急襲していれば信雄の天下だった。 そういう騙し打ち的な方法じゃ明智と同じ運命になると家康はわかってたからそれはないな センゴクおもろかった
なんで急にイケメンの才人になってんだよ
のぶおって長生きするし淀がメイン級で描かれるようになったら横っちょにいつも居るようなキャラだろうに >>392
領地替えの命令→反発し領地返上→流浪
ごねるというより、意地を見せた。 安土城焼失は冤罪の可能性大
本能寺の変から山崎合戦後までの間、
信雄は安土まで行ってはいなかったようだ 信雄は大坂の陣決戦が決まったら早々に逃げ出したけどね
しかも且元に淀達が且元殺害を考えている事を告げた上で
その後今まで散々迷惑かけてきた家康にちゃっかり保護されて大名に復帰しているんだからなぁ
現代に伝わっているほどバカ無能って訳ではなかったってことだろうな
時の有力者にふりまわされ落ち目になってもそこそこの立ち位置を保持できる頭はあったわけだ >>398
頭がいいんじゃなくて図々しいだけだろw 最初から徳川方のスパイとして大坂城に入ってたんだろ 図々しさだと有楽とどっちが上だろう?
知性だと有楽斎の圧勝だろうが >>264
それだよな
犬山城、岐阜城、おとすのに苦労してたのは初登場時。
なんか再生怪人みたいだな 最後に生き残った、それが信雄サイキョー論
殺されたアホ武将とはやはり目先がちがう あの混沌の時代に5万石もかすめとるなんて凄い武将だよな。
清酒「織田信雄公」
間違いなく売れるわ。 秘かに一子相伝で作られ続けた幻の名酒ぞ
そうそう簡単に教えてもらえると思うか?? >>410
まずこれを暗記しろ。酒はそれからだ。
織田信雄公の生涯
12歳 養子に出され伊勢攻略を開始
19歳 伊勢を平定(剣聖・北畠具教を討ち取る)
22歳 伊賀攻略を開始
23歳 伊賀を平定(伊賀上忍・百地丹波を討ち取る)
25歳 安土城を攻略(四天王・明智を下す)
26歳 岐阜城を攻略(四天王・柴田を下す)
27歳 小牧・長久手合戦に勝利(四天王・羽柴・滝川を下す)
32歳 韮山城を攻略(対北条戦における最激戦地帯)
同 秀吉と対立し、全ての領地を叩き返す
35歳 家康と秀吉とに請われて御伽衆(相談役)に就任
42歳 織田家嫡流となる
56歳 豊臣家総大将を固辞
57歳 楽山園を造園(現在は国の名勝)
73歳 死去
http://www.furusato-tax.jp/japan/prefecture/10384 >>411
19時前からもう酔ってるのか。うらやましい。
>>412
安土城を焼いたのは信雄説を採用してるのか。
信雄公みたいに、いつも他人のふんどしで成功できて
何度致命的な失敗をしても、不死鳥のように蘇るのは素晴らしいね。
とにかくありがとう! 伊勢、志摩、紀伊の国境を策定したのも忘れてはいけない偉業 >>412
甘楽町、お礼の品が酒ばっかじゃねーかw 「信雄公は安土城焼いていない」と主張する学者はアンチ信雄派の急先鋒な!
信雄公の偉大な功績を消そうとするなんて、あいつら頭が狂ってる! 確かに安土城焼いちゃったりするようなことは信雄公くらいの大物にしか出来ない 敵の安宅船を単身で奪うくらいの恐るべき武勇。北畠家で身につけたのだろうか。 こないだ、
中学の同期と飲んで、
織田くんの話題になったんだけど
誰も織田くんが何部だったか思い出せなかったんだよね。
「おだのぶかつ?」 『清須会議』での信雄のバカ殿っぷりは映画・ドラマ史上最高だったんじゃないかな 中京大(名古屋市)は7日、「本能寺の変」の後の織田信長の後継者を決める「清洲会議」直前に、
次男信雄が明智光秀側の残党掃討に当たる羽柴秀吉に「近くに陣地を置きたい」として返事を求める書状を公開した。
当時の信雄の行動が分かる史料は少なく、後継者になろうと腐心した様子が分かり貴重という。
清洲会議は1582年6月27日(旧暦)、清洲城(愛知県清須市)に織田家の家臣の秀吉や柴田勝家らが集まり、信長の後継者や領地の再配分を話し合った。
結局、信雄ではなく、本能寺で信長と共に自害した長男信忠の息子三法師(後の秀信)が後継者に選ばれ
書状は6月24日付で、秀吉の近くに陣を置こうと思ったが、適当な場所がなく、北伊勢(三重県北部)付近に陣取ったと説明。そ
の上で「そちらの都合がいいように決めて連絡してください。近くに陣を寄せます」との内容が書かれている。
http://www.sankei.com/images/news/160707/lif1607070035-p1.jpg
織田信雄が羽柴秀吉に宛てた書状
http://www.sankei.com/life/news/160707/lif1607070035-n1.html
(2016.7.7 18:23) ∧,,,∧
(´・ω・`) < 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
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最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤは何百万の人々に話しかけることのできるようなやり方で、まずアメリカに現れるのです。それから日本です。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
矢追純一 「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
竹下雅敏 「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」 >>412
「文武両道」って信雄公のためにある様な言葉だよなぁ 武の成功例って、実は失敗した作戦を
叔父のフォローで奪回して貰っていたという… 豊臣秀頼は徳川家康と会見して器量を持っていると判断されたから殺された。
それに比べて信雄ちゃんは・・・。 逆だろ、ノブオちゃんは状況をみてクルクルと対応を変化できたから生き残れた 身の程を知るって大事だな、そしてある程度上に居たのにおちぶれるを受け入れるだけの度量も素晴らしい
増長の上はむかって破滅した豊臣秀頼も見習うべきだった
巻き込まれた家臣団、民衆が気の毒だ 信雄には家臣団なんていないから、気楽なもんだよな。 織田信長の子供でありながら豊臣秀吉と徳川家康に生かしてもらったラッキーな人。
織田信孝も豊臣秀頼も殺されてるのにねえ。 ラッキーじゃないぞ、本人が努力して取り入り、そして政権をおびやかす災いの種ではありませんとアピールした結果
立場をわきまえた見事な立ち回り 金王朝のマサオちゃんなら、有能がバレて殺されただろ 有能無能は相対的なもの
ノブオちゃん程度でも半島レベルでは有能という事か 信孝は、北陸方面平定の仕事を柴田勝家と共に行ない、勝家に大器と認められる
信雄は、伊勢方面平定の仕事を織田信包と共に行ない、信勝の失敗をいつも信包にフォローしてもらう
清州会議
勝家は、信孝を強力に推した
信包は、信雄を無視し、会議に介入しなかった
何故だ!?
信包にとって信雄は、さんざん手を焼かされた可愛い甥だろ 清洲会議の模様のほとんどが架空なんで
勝家が信孝推したって資料は存在しない でも次男なのに誰もが信雄様をと言わなかったのがあれだよねw
嫡男が死んで、健康な次男がいたら普通は第一候補だろ
そもそもどうしても次男には継がせられないから会議になったんだろうけど 次男に継がせると三男(信孝派)と内紛になるかもしれない
家督を譲った信忠の嫡男なら神輿に担ぎやすいし
異論を出す余地もない
だから秀吉も勝家も三法師で決めた、が事実やん 織田信雄と今川氏真は対面したことあるんかね?
信長とはあるみたいだけど バカ殿同士の対面なら、信雄と秀吉の対面で実現しているが 織田信雄は今川氏真に通じるものがある。
共に愚鈍な二代目といわれているけど戦国時代をしぶとく生き残った。 こいつの生き様を見ると「頼まれなくたって生きてやる」という某アニメのキャッチコピーを思い出す 小牧長久手の講和の時に秀吉が信雄以外に人質を求めたのは
長益、滝川雄利、中川定成、佐久間正勝、土方雄良、雑賀松庵の6人
松庵以外は当時の信雄の支城主層
この6人が信雄の政策決定に影響力があるとみなされていた 信長が少しでもこいつにも期待してちゃんと教育してたら瓦解せずに済んだのにな >>467
後の五人がそれぞれ織田家ゆかりの歴々の中で雑賀松庵って何者? >>470
ググってみたら「織田信雄奉行人雑賀松庵について」って本が出てるみたいだよ
なんか実務官僚のトップみたいだね
2750貫、貰っていたそうだ 小牧・長久手の戦いの構造 藤田達生 編 岩田書院 2006.4
「天下分け目の戦い」の時代へ 藤田 達生
ブロック形屋敷地群の成立と展開 伊藤裕偉
乱世から静謐へ 立花京子
史料論
外交論
実態論
小牧・長久手の戦いから見た大規模戦争の創出 谷口 央
小牧・長久手の戦いと在地社会の動向 山本 浩樹
小牧・長久手の戦いと長宗我部氏 津野 倫明
小牧・長久手の戦いに関する時系列データベース 白峰旬
尾張武士と伊勢 下村信博
戦場の目撃証言 西島太郎
秀吉の人質策 跡部信
秀吉文書と戦争 播磨良紀
織田信雄奉行人雑賀松庵について 加藤 益幹
羽柴・徳川「冷戦」期における西国の政治状況 中野 等
陣立書からみた秀吉家臣団の構成 三鬼 清一郎 三介殿は残念ぶりが自分とよく似てて武将の中ではつい感情移入してしまう人 安土城炎上事故は、信雄から亡父信長への送り火だった説 あれって単に、世間から信雄が濡れ衣着せられただけな気がする
犯人身内にしておけば、一番丸く収まるね〜っていう当時の人の知恵w >>476
しかも仕方ないねで済まされそうな人物w 大坂の陣で家康討つために単騎城を出て徳川方へ向かったのって通説なん? 見事な舞を披露する信雄の横に
背の低いデブデブ太って不格好な家康がしゃしゃり出て
下手くそな舞をして笑いを誘ったエピソードもある
家康はアホのふりをして太閤殿下の警戒を解こうとしたのだろうと周囲からは評されている 大坂陣で信雄総大将と宇喜多秀家泳いで参るとだと、信雄がリーダーになった方が大坂方の勝率あがる 大坂の陣で泥舟に乗らなかった事は評価してもいいような気がする。 そういや大名に復帰した晩年の迷エピソードって何かあったっけ?
(小大名にしかなれなかったってのはナシでw) >>489
大嫌いな父親に死なれて、漸くら自分が
恵まれた環境にいたことがわかったか?
ん?
56歳ニート >>489
信雄は秀吉のバカ話の相手(御伽衆)してお金もらってた訳だが >>485
片桐暗殺をやろうとしたのは信雄という説もあるけどなw 大友宗麟のバカ息子(信雄と同い年)「もう少し長生きできてればなあ・・」 >>493
その息子「大坂の陣で豊臣側についたのでしょうな」 『忍びの国』見たけど
バカ殿っていうか単なる弱々しいお坊っちゃんじゃん
殿様が部下に張り倒されてメソメソ泣くって
とても知名度&イメージアップにはなりようがない
しかも荒武者がそのけなげな様子に心打たれて忠誠誓うって、アッーにしか見えんかった 安土城を燃やしたのって秀吉側の人間じゃないのかな
あの時点で織田の象徴みたいなものだったけど
あれがなくなって秀信が安土城に入って織田家をまとめることもできなかったし
城のせいだけではないが
豊臣秀頼も大阪城が燃えて別の小規模な城に移ってたら豊臣の権威は落ちてたかも
信長が死んで一年以内に安土城を超える大阪城を造った秀吉にとっては
安土城なんて邪魔で燃やして信雄のせいにしたとか 天守閣は焼け落ちたが清須会議の結果織田家の嫡孫の秀信が安土城二の丸に入居した
秀吉が3年後に安土城を廃城にしたのは将来天守閣が再建されるのを憂いたからだろう 信雄研究というと
U 織田信雄―豊臣期の織田氏
藤田 達生「豊臣期の織田氏―信雄像の再検討―」
(安土城考古博物館特別展『残照―本能寺の変からの織田一族』1994年)
加藤 益幹「織田信雄の尾張・伊勢支配」
(有光友学編『戦国期権力と地域社会』、1986年)
岡田 正人「織田信雄の改易について」
(『歴史手帖』3-12、1975年)
本多 隆成「小田原攻め後の家康と信雄」
(『愛知県史のしおり』資料編12織豊2、2007年)
渡辺江美子「甘棠院殿桂林少夫人―豊臣秀吉養女小姫君―」
(米原正義先生古稀記念論文集『戦国織豊期の政治と文化』、1993年)
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4-86602-966-5.htm
「織田信雄家臣団について」 『郷土文化』 山口茂
こんなところなんだろうか
あとは最前線シリーズとか天正壬午の本であったかなあ
>>472
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/feature/CO022951/20160926-OYTAT50037.html 秀信(三法師)が早死にせず大坂の陣の頃に生きてたら,
豊臣側についてたのか、はたまた大名・旗本として迎えられ
徳川側についてたのか なんやかんやで戦国の重要な政局の裏で暗躍してる危険人物 エオロッパにまで鳴り響いた壮大な安土城を焼き払ったのが信雄だったら、これに勝る悪事はありますまい。 本能寺で散っていたのが信忠ではなく信雄だったらなあ 4月2日放送の忍びの国見てね
パパに討つなよ!討つなよ!絶対に討つなよ!って言われてたのに
勝手に戦しちゃった伊賀の乱だよ
忍者側が主役だけど信雄の成長物語でもあるよ 織田信雄を無能だと言う奴とは関わらないようにしてる
そういう論調の記事や番組も相手にしない様にしてる ミネルヴァ書房では「織田長益」予定されてる
長益出すんなら、信雄も出してほしい 江戸時代の尾張の繁栄ぶりの基礎を作ったのは、意外にも織田信雄だった
清須会議によって尾張を相続した信雄は、さっそく清州城下とその周辺の経営に着手した
大した戦歴もなく、伊賀攻めや韮山城攻めに苦戦した事で、合戦能力ではボンクラ呼ばわりされる信雄だが、
領地経営では非凡な才能を発揮している
信長が岐阜や安土に拠点を移動してからは、清州城は城代が置かれるだけの実質空城となり、
さらに清州周辺は河川が多く、水害も多かった事から、城下も廃れ始めていたが、
そこへ商業の発展と水害対策を行い、その土地を再び繁栄させたのが信雄である
秀吉の移封命令に反発したのも、自分が再興させた清州を奪われる事に憤慨したからにほかならない
信雄の改易後、尾張は福島正則が治めるが、彼も尾張出身で馴染みが深い土地だったとはいえ、
信雄とは真逆の性格である猛将が、特に問題もなく領地経営が出来たのは、
前任者の完璧な経営を引き継いだからである
関ケ原の合戦の前哨戦となる岐阜攻めの拠点となった際も、反転西上の強行軍をしてきた東軍が
繁栄し続ける清州城下とその周辺で十分な休息を取り、軍備を整えて士気を高める事が出来た
関ケ原の論功行賞で、尾張は家康四男の忠吉が領主となり、その忠吉が死ぬと、家康九男の義直が領主となり、
これ以上の発展余地が見込めない清州から拠点を那古野へと変えて、名古屋城が建築される
清州城下の住民の多くも名古屋城下へと移住し、現代の名古屋市の原型となった
江戸時代には、暴れん坊将軍こと8代将軍徳川吉宗の政敵となった尾張7代目藩主徳川宗春の
失政による経済バブル崩壊などの話題があるが、それはまた別の物語である… 家康や秀吉相手に破滅ギリギリのとこまで傾き通したんだから大したもん
弟の信貞は腰抜け >>498
和田裕弘 天正伊賀の乱 中公新書
も追加で >>498
>>515
高橋成計 織田信長の伊賀侵攻と伊賀衆の城館 アメージング出版刊 小牧長久手のあと、どんな気持ちで秀吉の臣下になったのだろうか。戦国時代、下克上は数あれど、ここまでの主従逆転ってあんまりないよね 織田家の人間でない時期も長かったので
織田家重臣は自分に仕えるべき
という感覚だったかどうか
仮にそういう性格だった場合
厳に戒められる立場ではなかろうか 自分の器を見切ったところがすごい。
小牧長湫あたりまでは大将だと思ってたが、
大坂の陣で大将になってほしいと懇願されたときには
もう自分はその器でないと早々に辞退。 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 戦国群雄伝(シナリオ2)
織田信雄(伊勢志摩城主)
政78戦67魅90野76
当時の光栄の担当者は何考えてこんな高い能力評価したんだ? 歴史探偵 本当はスゴい!織田信雄
18 (水) 22:00 〜 22:45 なんか最近は生き延びたとか世渡り上手とか勝手に評価してるけど結局信長の子という権威に頼りまくってただけの無能でしかねえな 大坂冬の陣の時、ぜひ大坂方の大将にと懇願されたけど
「僕はもうそういうんはいいねん」
と言ってあっさり断ったってエピソードが好き。
あそこで引き受けて真田の提案取り入れて勝利したら、
彼は将軍になってたかもしれんが。 >>527
むしろ負けて織田家取り潰しになってるでしょ 信雄を総大将にしようとしたらビックリして大坂から逐電してしまったことよ。 勝ち目ないからお断りしたんだろう
秀吉の親戚筋の福島正則さえ関ヶ原からずっと家康についたのに、織田家強奪した豊臣に信雄がつく必要ないわな