【バカ殿】織田信雄 Part2【茶筅丸】 [転載禁止]©2ch.net
織田信雄は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。
大和宇陀松山藩の初代藩主。
永禄元年(1558年)、尾張国丹羽郡小折(現在の愛知県江南市)の生駒屋敷で織田信長の次男として生まれる。
生母は生駒家宗の娘・吉乃。
時代劇では馬鹿殿扱いされることが多い。
安土城を焼いた。
過去スレ
織田信雄を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149993954/ 信雄はバカだが、信雄を大坂方総大将にしようと本気で考えていた茶々と取り巻き連中は大バカ 織田信雄って小牧・長久手の戦いの後は何やってたんですか? まあ北畠信雄は織田家臣団から三介殿のなさることだからwって馬鹿にされ、
南蛮寺が出来た時は信雄、信忠、信孝の順番で訪問するほど、
信雄が宣教師を厚遇してたのに
宣教師からは知恵が足らないと酷評され、
伊賀攻めでは信長から親子の縁を切ると言われた程の暗愚だから傀儡にするのは簡単だろうな。
信雄はどんだけ賤しくぶざまでも死にたくないって言う情けなさで戦国時代を生き残った名誉も持たない男だから。
一方、信孝は南蛮寺に行くのが最も遅い男だったが、耶蘇会から思慮あり諸人に対して礼儀礼節あり偉大な勇士だって激賞され、
天正記でも知勇は人を超えていたとまで評価されていたので、
秀吉に操られた信雄は嫉妬しまくり信孝を殺した。
信雄は暗愚だから織田家を滅ぼした後の自分は用済みになるとは夢にも考えて無かったんだろうな。
まさか強制出家させられ小姓1人だけを連れて秋田へ流罪にされるなんて。
織田家を残す必要があるなら、嫡流の秀信を救うか、
北畠氏による簒奪をせずに織田家に復姓していた信孝の死を免じてやればよかっただけ。
伊勢国司北畠信雄は彼らを死ぬように追い詰めただけ。
結果、秀吉によって北畠姓まで剥奪されて秋田へ流刑。
織田を滅ぼした命乞いの土下座王信雄。
大坂陣の時もひそかに逃亡するヘタレ 信雄は南伊勢を割譲して尾張、北伊勢の領主に復帰するが、金箔の派手な建物を立てたのと、東海五ヵ国転封を拒絶したのが秀吉の怒りに触れ、除封失脚のうえ、身は下野に流罪。 下野に流罪された後、織田信雄は何をやっていたのですか? 血統上、信雄がいなければ織田は歴史に埋もれて滅んでいたわけだから
まあ菅沼遼太がお怒りになるのももっともな話 秋田に流罪された後、織田信雄は何をやっていたのですか? 四国に流罪された後、織田信雄は何をやっていたのですか? 秀吉に土下座して赦免してもらう活動を繰り返していた。
姪の淀がいたから秀吉もいずれは赦免してくれるからね。 織田信雄は愚鈍ゆえ秀吉と家康に危険視されず結果的に生き残ることができた。
人間何が幸いするかわからんね。 西軍として関ヶ原で敗戦して家康に改易された時は
五山の僧たちに土下座して家康を説得してもらってるし
この人の土下座力は父親譲りだよなあ。 ノブヲのエピソードで印象的なのは
敵が捕らえられてノブヲの前に曳き出されたときに
美少年だったので
「待て、そのほう、助命いたす!」
とかいって命を助けた話。
美談なのか何なのか、ようわからんが。 >>14
織田信孝は優秀だったので秀吉に殺されたからね 信孝は秀吉じゃなくて信雄に殺されたのを
また織田在日が懲りずに捏造歪曲。 秀吉はなんだかんだ言っても信雄や信包や有楽らに優しいんだよな。
まったく役に立たない無能なんだけど彼らを絶対に見捨てたりしない。
だから彼らも織田の血筋でもある淀と秀頼を盛り立てて秀頼政権は織田政権と言われていた。
家康にとって織田政権は潰すべき対象になっていたんだろうね。 三谷幸喜の小説・映画「清須会議」でのバカ殿キャラがおもしろい 大坂の陣では大将にしてもらえるって話だったのに
なんで断ったのか? >>5
全然違う。
信雄は安土城の明智、岐阜城の信孝、蟹江城の滝川に勝利し、
秀吉に対して意地を貫き通した戦国最強の武将。 >>27
のぶおと読む説もある
カッコ悪過ぎだけど
のぶお のぶお、カッコイイじゃん?
>>31
ありのままの事実を認めよう!まずはそこから! アンチ秀吉が秀吉の敵をAgeるという菅沼遼太特有の意味不明理論
普通Sageてついでに秀吉もSageるんじゃないですかねぇ・・・・ 失敗、愚行だらけの信雄でも、潜在能力は高かったのかも知れない。
生涯一度も能力を発揮しなかった人物を英雄とは言わんけどな。 >>36
生涯一度も能力を発揮しなかった人物?
北畠家を滅ぼし、伊賀を完全平定し、安土城を完全攻略し、秀吉を降伏させたうえに、
領土にも拘らなかった。
まさに英雄。真のサムライ。
信雄は、英雄以外の何者でもない。 >>38
(自分が当主の)北畠家を滅ぼし
(単独で攻めて大敗したので大軍をつけてもらい)伊賀を完全平定し
(すでに敵が退去した後の)安土城を完全攻略し
秀吉を降伏させた(実際には信雄は秀吉の家臣になっている)
領土にもこだわらなかった(実際には転封を拒否して改易された。)
つまりはただの皮肉。
こんな持ち上げ方、普通にけなすより陰湿だよな、お前。 でも最終的に家を残したという面では、織田家で一番優秀だったわけよ
異母弟の旗本の系統も途中で信雄の子孫の養子が入ってるし >>39
それ完全な徳川家による史料操作の結果。
徳川家康は徹底的に信雄と織田幕府の成立を怖れていた。 >>41
そういう設定の小説書いたとしても、
面白いものになりそうにないな。 信雄が影で家康を操り、豊臣家を滅ぼしたなんてレスをどこかで見たような
これならそこそこ面白い話になりそうじゃね? その場合、信雄が実は優秀だったという設定より、
ない知恵を絞って取った策はことごとく裏目に出たけど、それでも打倒秀吉を誓う執念の人みたいなキャラの方が良くない? なるほど、それに付き合わされた家康が
あー信雄うぜーとか家臣に愚痴ってたので
史書に悪く書かれてしまったのか >>42
北畠は南朝最強の大名。内部から崩壊させた信雄は凄い。
伊賀は石山本願寺と並んで信長に長年抵抗した難攻不落の土地、
安土城の敵が退去していたという話は出鱈目。
後世に伝わった話が真実とは限らない。 >>46
なるほど。一次史料も誤りだらけだから、
すぐ一次史料を持ち出す菅沼遼太の述べることはデタラメって事で良いな。 >>46
後世に伝わった話が真実とは限らないけど、
お前のその書き込みは、明らかなデタラメだな。
しかも、それが正しいとしても並以下の業績で、英雄にはほど遠い。お前何がしたいの?
まあ、誇張と史料の曲解、多少の嘘を混ぜたら信雄でも英雄に仕立て上げられそうだな。 >>49
おい、論破されたのにいつものコピペ爆撃はどうした?
まさか、改心して真人間になったわけじゃないんだろう? 見方次第で、
戦国時代は全員が英雄と言っても過言じゃない時代だよな。
信長も秀吉も信雄も利休も紹巴も武蔵もみんな英雄。 やる夫はカードを引くようですめっちゃ面白い
お前ら見てみ そもそも評価できるだけの史料があるのか?
いや、あるにはあるだろうけどみんな興味あるのか?? 宮下英樹は無能と酷評されてる武将でもカッコ良く描いてくれるから好感が持てる こじつけじゃなくて、まともな再評価なら興味あるけど。 茶筅なんてつけられるぐらいだからブサイクだったのかね 顔も似ていたのか。
信長の子のなかで一番優秀なのに性格も顔も似ていたとはビックリ。 親子の顔が似てる位で、そんなビックリする事ないだろ。 名は体をあらわす。茶筅なんてつけられたらグレるし、周囲の視線も
小バカにした感じだっただろう 安土城放火犯呼ばわりされたが、シロだろう
当時の畿内の状況を把握できなかったフロイスの思い込みで放火犯にされた >>62
信長に似てたんなら信雄も顔は良かったんじゃないかな >>66-67
茶筅丸や奇妙丸は今で言うとDQNネームだわな。
信長はDQN親だったんだろうな。 「名前など記号にすぎない」という信長の思想が感じられる
テキトー感あふれるネーミングだな 茶筅なんて天下をとる名前じゃない
≫71
だから成人後もテキトーに扱われたんだろう >>71
そうだね。
信長ってかなり変わった人だったんだろうな。
故に常人には発想できない斬新なアイデアもいろいろ出せた。 >>72
幼名は適当だろ。むしろ愛情のある名前に思える。 赤ん坊の顔を良く見ている証。
それに今と違って正式な名前は元服した時に決まるはず。 単純に変な名前付けたのか、中国の風習みたいに子供が病気などに掛からないことを祈って変な名前にしたのかが気になるな 心情的には茶筅や奇妙って呼んでたやつを成人後にリスペクトできないよね 信長息子 幼名一覧
嫡男、信忠 奇妙
二男、信雄 茶筅
三男、信孝 三七
四男、秀勝 於次
五男、勝長 坊
六男、信秀 大洞
七男、信高 小洞
八男、信吉 酌
九男、信貞 人
十男、信好 良好
十一、長次 縁 >>82
まともな幼名が無いな
大洞小洞とかどういう意味だよ >>82
奇妙とか茶筅とかがまだマシに見えるぐらい酷くてワラタ。
「酌」とか「人」とか、ひど過ぎるだろ
茶筅って、流行ってた茶の湯関連の名前をつけたわけだから、
現代だと「光宙(ぴかちゅう)」みたいな感じか? >>82
これ絶対ギャグで名前付けてるだろw
「人」とかワロタw 最初は、まだ頑張って名前考えてる感じだけど
後になるほどテキトーになってくな 於次だとまだまともっぽく見えるからちゃんと於を外して「次」だけにしないと 織田信雄は大坂の陣の時総大将になりそうだったという話は本当なのですか? 於次は秀吉の命名じゃね?
羽柴家を次がせるて名目で信長から
もらった養子だし 信長からもらった跡継ぎに
○松なんて庶民っぽい名は付けれんだろ 大坂の陣で信雄が総大将になってたら、徳川方がもっと楽に勝てた。
の、まちがいじゃないの? 大阪の陣の時点で織田家最強の信雄を超える歴戦の武将なんて居たか?
徳川ですら四天王全員死んで弱体化してるし。 大坂の陣時点でも信雄が家康越えてるとかありえないだろ 大坂方の総大将はあくまで豊臣秀頼でしょ。
指揮権が大野治長じゃなくて織田信雄になりそうだったってことなんじゃないの? 信雄が、豊臣家のために尽くすとはとても思んよな。
現実に戦になる前に徳川方に寝返ってるし。 あの変わり身の早さは見事と言うほか無い
文武の才はともかく世渡りの上手さは天下一だろう >>102
ここはバカ殿の誉れ高き信雄公を慕う
バカの集うスレだよ 雑賀に勝ち、明智を敗走させ、安土城に火を放ちヒャッホー、秀吉に勝ち
家康を手玉にとりコケにした名将のぶお。
大坂の陣でぜひ浪人どもを指揮させたかったな。
そうすれば堀を埋める条件で家光を人質に取ることに成功させるなどできたかも。
で、自身は再び配流されたりしてな。 明智光秀、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉に勝利し、
徳川家康に天下を譲った男。それが信雄。 大坂冬の陣の時信雄は自分が担がれるを嫌って大坂城から逃げちゃったよ >>108
さすが信長の子供だけあって、人に利用されるのをよしとしない意地を
みせたんだな 信雄公を無理なく持ち上げるのは、難しいな。。。
そこまでバカにしなくていいのに、不自然な擁護が多い。 織田信雄は関ヶ原の戦いの時西軍と東軍どちらに付いたのですか? >>118
西軍についたっていう説もあるし 東軍に密通していたっていう説もあるけど改易されたのは確か 西軍で全く重きを置かれず、
故に東軍に密通しても役立たずで改易される信雄の姿が
目に見えるようだ バリッバリの西軍というような働き
なんかしたっけ? 信雄が西軍か東軍に付くか態度を曖昧にしていたのは最後まで時勢を見極めようとしていたんだよ 信雄は北畠具房から塚原流奥義・一の太刀を伝授されており、
あえて領地を持たず諸国を流浪して家康を狙ったという。 柏原藩があった兵庫県丹波市の近くの者です。
信雄は藩主の祖先なので尊敬されているのですが、映画「清州会議」で信雄の
バカっぷりを見て恥ずかしい限りです。
それを逆手に取って町興しのネタに利用しようという動きがありましたが、
あまりにも恥ずかしいので止められました。 >>132
天才は凡人には理解され難し。
信雄の輝かしい戦績が一般人に認知されるのは5年先だろう。 安土城は燃やされなければ、秀吉や勝家の居城にされて貶められてた。 親父の大事な城だから自分が保持しよう、と思うのが普通なのに、
重臣の誰かに負ける前提かよw 信雄は伊賀攻めのときに軽挙を戒められていたからな。
うかつに城にいて攻められるのを防ぎたかったのだろう 攻められて負ける前提で自家の本拠地を焼くのが、軽挙妄動でなくて何なの。
まあ、信雄は自分の居城だった田丸城も失火で焼いてるからな。
重臣殺しと同じように、味方の城を焼くのも趣味なんだろう。 だからそこは常人ではなく三七殿がなされることだから 織田家最強武将である信雄は知っていたのだよ。
天守閣なぞ飾りに過ぎない事を。 安土城のような織田家の象徴で貴重な建物は絶対燃やしちゃ駄目でしょ 飾りのために巨額を投じて作った天守閣を、飾りに過ぎないとは、さすが信雄様。
堂上家の北畠家をあっさり捨てて、出自も定かでない織田家に戻った方は
おっしゃる事が違います。 戦場だったわけでもないのに謎だな確かに。父親嫌いだったんかな 安土放火とか3家老処断とか
どうにも短絡的なイメージが拭い切れない 圧倒的な個人武勇を誇る信雄にとっては、
重臣なぞ飾りに過ぎないのだよ 滝川一益・九鬼嘉隆との戦いでは、家忠日記によると
信雄様は(敵の)大船に(単身で)乗り込んで敵船を奪い、
数人を討ち取り、数人を捕らえたらしい。
もはや、戦神と言っていいだろう。 信雄は騙しうちして乗っ取りをしたり、部下を惨殺するわりに人望もあるようだね。
ジャギ様みたいな人なのかな ていうか、伊賀侵攻の失敗以外は無敗なんじゃねえか? 織田信雄ってどうして小牧・長久手の戦いの時優勢だったのに秀吉と講和しちゃったんですか? 信雄は長篠にも参戦してるよね。
武田、豊臣に勝利しているわけだ 織田家は鬼神の血が混入しているのだろうか?
織田有楽斎
織田信長の弟。
本能寺の変では、織田信長・信忠親子が相次ぎ戦死し大混乱に陥る中、狂騒の京からいち早く離脱に成功する。
庶民は人離れしたこの活躍を絶賛し、「織田の源五は人ではないよ」と褒め称えたという。
関ヶ原の戦いでは西軍の武将蒲生郷舎を討ち取るなど大活躍を見せ、、大和3万石を授かった。
茶道にも精通し、利休七哲の一人にも数えられるほどだった。
大阪冬の陣では豊臣側の中心人物となり奮戦し、将としての器を示す。
有楽斎は豊臣の未来のために、和平策を提案したが
受け入れようとしない豊臣側に呆れ、有楽斎は大坂城を退去する。
有楽斎の提案を受け入れなかった豊臣は予言どおり滅亡してしまう。
大坂城退去後は茶道に専念し、趣味に生きた。
文武両道兼ね備えた希有な武将であり、文化人でもあった有楽斎は有楽町という地名で現代に残り、
人々の心に生き続けている。 優勢なところで講和するなんてのは実は至難の業だよな 織田の源五は人ではないよ
お腹召せ召せ 召させておいて
われは安土へ逃げるは源五
むつき二日に大水出て
おた(織田)の原なる名を流す 褒めたたえられたわけではないな。
というかここ三すけスレ うーん、秀吉と講和したのは絶妙のタイミングだったと思うんだ 1つの局面で勝利しても、持久戦となれば不利な場合は講和するのも一種の手では
北畠率いる伊勢も、兵力差が倍以上ある織田相手に1度は勝利したけど
兵力差を考慮して講和して、神戸や北畠や長野家に
信長の息子を養子として受け入れることになったんだから >>182
織田の侵攻軍を一度撃退したのが神戸。最侵攻で戦わずに降伏。
北畠から養子に入った当主を追放して、戦わず降伏したのが長野。
孤立無援になっても善戦したけど、ジリ貧で降伏勧告に応じたのが北畠。
織田信雄の小牧長久手と、どれもかぶらない。
信雄の話してるからって、お前の認識力まで信雄レベルになる必要はないと思う。 例えがおかしいのは、そこまで突っ込まなくても良いんじゃないか?
問題は、家康のおかげで長久手で勝てたのに、
自分が負けそうだからと言って家康に相談なしに和睦した事だろう。自分の都合だけで動いて信義の欠片もない。 >>187
北畠家を抑えていた。
北畠家は武田信玄、勝頼の侵攻に必ず呼応し蜂起するのは当然だった。
それを未然に抑えていたのが弱冠16歳〜19歳の信雄であることは少し考えれば判る事だろう。
当時は北畠具豊(ともとよ)と名乗り、すなわち南海の次期源氏長者と恐れられる存在だったと云う。 信雄はうつけの振りをしていただけ。
明日から本気出すと思っていたはず。 うつけ〜三瀬の覚醒〜弟討伐〜天下平定
織田信雄の生涯は信長に重なるな。
唯一違うのは津田一安、柘植保重、津川義冬、岡田重孝、浅井長時の謀反を
未然に防いだ高い危機管理能力か。 それがアダになった。反逆を抑えて結束を高めた父との違い。
つまり、賢すぎた 織田信雄は強く賢すぎた。
天は信雄を恐れ、世界を信雄に与えなかった。 信雄を讃えるポエムか。
もう少し詩的な表現が欲しいね。 伊賀攻めに失敗してなかったら、本能寺の変で兄貴と同様に明智光秀に
狙われたであろう 週刊朝日で今、織田信雄の直系の子孫が連載書いてる。
でも連載の名称は「我が先祖信長」。 >>198
まあ信雄の子孫なら間違っちゃいないけどなw 安土城お炊き上げとか…
家康に無断で秀吉と講和とか…
国替え拒否で改易で秋田に配流とか… 小牧長久手の戦いは長期戦になり尾張・三河の領民をかなり疲弊させたから、
慈悲深い信雄の性格だったら和睦は不可避。
しかし、秀吉は戦に負けたからといって根に持ちすぎ。
また信雄に挑むとか、尾張・三河の領民に対して遺恨があったのだろうか? 家康に無断で講和、って徳川史観だと思う。
信雄は信雄で生き残るに必死だったのだろう。 >>205
徳川史観って言えば何でも許されるという風潮は何なのか 権力握ったのを良い事に好き放題自分に都合のいい史観を捏造したせいだろう 実際のところ徳川が信雄が味方してくれなければ実力的にも詰みだっただろう 秀吉に狙われた家康は、織田信雄公に命を救われたよな >>210
織田信雄がザコ???
コイツ頭狂ってるのか?
過去レス1000回読み返して出直して来い、ど素人が! 勘違いしたままこのスレに来るアホが多すぎる。
次スレは
【戦国最強】織田信雄 Part3【覇王の器】
にしないとナ。 信長の悪いところばかり受け継いだみたいな信雄の
どこが良いんだ? 常人離れしたところは父譲りだな。
なんつったってうつけの子だもん >>213
漫画だけどセンゴクの信雄みたいに考えればかっこよく見えるかな 信雄は生き延びるしたたかさという面では非常に能力が高かったと思う 織田信雄公の生涯
12歳 養子に出され伊勢攻略を開始
19歳 伊勢を平定
22歳 伊賀攻略を開始
23歳 伊賀を平定
25歳 安土城を攻略(明智を下す)
26歳 岐阜城を攻略(柴田を下す)
27歳 小牧・長久手合戦に勝利(羽柴・滝川を下す)
32歳 韮山城を攻略(対北条戦における最激戦地帯)
同 秀吉と対立し、全ての領地を叩き返す
35歳 家康と秀吉とに請われて御伽衆(相談役)に就任
42歳 織田家嫡流となる
56歳 豊臣家総大将を固辞
57歳 楽山園を造園(現在は国の名勝)
73歳 死去 ちなみに織田信雄は、織田水軍最強の九鬼嘉隆も海戦で破っている 織田信孝公の生涯
13歳 神戸具盛の粛清に失敗
25歳 四国遠征に失敗
26歳 織田信雄に負けて自害 豊臣時代の人は「息子達のなかで信長に一番似てる」なんて評価してます
いつからバカ殿になったのか 信孝なんてつまんねえ奴だ。
信雄のほうが断然おもしろい! 清洲会議で三法師じゃなく信雄が織田家の跡継ぎに決まってたら、
秀吉に権力を奪われずに済んだと思う? 暗愚だから家督になれなかったんじゃなく、有能で危険だから外されたんだろう 織田信雄は、織田四天王のうち丹羽長秀以外の4人を倒している。
惜しかったな。 褒めてる所が全部妄想かこじ付けってことは、
信雄ってほんとにバカ殿だったんだな。。。 当時の評判も今の評判もバカ殿。
清洲会議で重臣どもの傀儡にも選ばれないほど、人望は無かった。 重臣たちは信長の再来を恐れたから、真先に信長に瓜二つの信雄を排除した。
信雄は実績をあまりにも高く積みすぎた。 >>240
必死に信雄公の評判を落とそうとしても、
こじ付けでバカ殿と貶めようとしても、
全ての事実と真実の記録が信雄公の戦国最強を証明している。 ヒデが推した三法師も勝家が推した信孝も岐阜で玉砕。
信雄はヒデに勝ち、信孝にも勝っている。
誰が優秀かは一目瞭然 信雄厨とアンチ信雄の対立とか、設定に無理がありすぎるだろ。
このスレ的には、「特に根拠は示されてないけど信雄が戦国最強」ってことで良いんじゃない?
菅沼遼太は二度とおーぷんから出てくるなよ。 信雄って菅沼遼太の嫌いな信長の息子で、大嫌いな秀吉の家臣なのに、
なぜ奴は信雄ageしてるんだ? コテンパテンに負けたアンチ信雄派が苦しまぎれの菅沼認定を始めたな。
ここまで予想通り。 相変わらず、自分だけで納得してて、他人には理解出来ない書き込みしか出来ないんだな。
だからお前は、誰にも相手してもらえないんだよ。 ネタのつもりで始めたはずの信雄偉人説が
だんだん引っ込みがつかなくなって意地になってる印象 織田信長の次男以外にも、戦国時代に織田信雄って居たの? 伊賀攻めに失敗した後にすぐに修正するあたり、優秀だろう。
怒られたからってすぐにできることじゃない 第一次と第二次の伊賀攻めの間に信雄のやったことで、記録に残ってるのは、
居城田丸城の焼失ぐらいで、何を修正したと言ってるのか全くわからんが
怒られても全く反省できない菅沼遼太よりは、信雄のほうが優秀だな。 松嶋城の築城があるよ
あと田丸城焼失の原因の玄智を処刑している >>260
築城わずか8年で、立地が悪くて廃城になった松ヶ島城か。
信雄が捨てた田丸城は、改修されて明治まで残ったから、
いかに信雄が土地を見る目がないか、良くわかる。
その玄智って何者?
過失だと分かってるんだから自害させてやればいいものを、
わざわざ処刑するのは信雄らしい。 >>261
防御用に作ったわけだから平和になり用がなくなったら廃城にしても不思議じゃない。
お前はそんなこともわからないのか ところで岐阜城って信長以外は割と容易に落としてるよな。
信おは少なくとも父は超えてるといえる 信雄が信長越えてるなんて今さら言うことか?
むしろ世界史の英雄の誰なら信雄に匹敵するかを話すべき。 >>263
平山城を捨てて、交通の便の良い所に防御用に平城を建てるのは理屈に合わないし、
防御用の城ならわざわざ城下町はつくらんだろ。
と思ったけど、
残忍酷薄な信雄なら、町人を盾にするために城下町を作ってもおかしくないか。
>>265
話すべきだと言うなら、世界史上の英雄で誰に匹敵するのか、自分から挙げろよ。 こいつだけはほんま擁護不可能よな
佐々とかは意図的に下げられてるって分かるけどこのアンちゃんは全ての行動がパーの証明 信雄には頭の良さが伺えるエピソードが1つも無いんだけど。
勇猛さを示すエピソードなら前に挙げられてたが、大名にあるまじきまさに匹夫の勇だしな。 信雄は軍事的には勝勢でも政治的にはこれから敗勢になることを見切った上での和解だと思う そもそも、政治で秀吉には歯が立たんから、
家康の後ろ盾で軍事で優位に立とうとしたんじゃないのか?
名目は和睦だけど実質は降伏だし、
一度見限って敵対した相手と再度手を結ぶとか、節操のかけらもない。
結局は秀吉を利しただけ。 >>266
当たり前すぎるよな!
いまは下げネタの方が笑える! 秀吉と家康両方裏切ってるのに、生き残れたのはすごい。 秀吉と家康に全く媚びを売らずに最終的には5万石の大名だからな。
賢いというより一本筋が通っていたんだと思う。 >>273
いやいや秀吉が信雄に土下座したから信雄は仕方なく応じてやっただけだよ
下記の史料にみられるように
秀吉は信雄に歯が立たずに顕如に土下座して取りなししてもらってるし。
http://iup.2ch-library.com/i/i1548373-1448115246.jpg 相手がちょっと下手に出てプライドをくすぐられだけですぐたらし込まれるとは、信雄は単純な性格だな。
和睦と言いながら臣従させられてるし、猿に良いように弄ばれただけ。 また性懲りもなく土下座とか言ってるな。
空気の読めない菅沼遼太は、おーぷんに帰れ。 信雄凡人説
北畠○教氏
織田の次男坊は暗愚そのものよ。わしの号令ひとつで織田家の回し者は、
みな切り殺される手はずが整ってる。あやつは何も気付いていない。あやつは阿呆よ!
百地丹○氏
織田の次男坊は凡将よ。あんな将器の無い奴はみたことない。
あやつが指揮をとる限り伊賀の地は百年は安泰よ!
兄弟の○孝氏
俺から言わせて貰えば信雄は出来損ないの凡夫だな。もし一回でも俺に逆らったら、
あいつの清洲城を1日で攻め落として、能力の違いを見せ付けてやるよ!
羽柴○吉氏
信雄殿?あれは凡人さ。何をやっても駄目な奴。あいつが俺の敵にまわったら?
それは嬉しいね。あの駄目男が何をしようと一ヶ月で叩き潰せるよ。賭けてもいいね! 羽柴○吉さんは息子が信雄に総大将を依頼するとは夢にも思わなかったんじゃなかろうか。
それにしても受け付けなかった信雄は毛利輝元よりは頭がいいといえそう 信雄は、家臣の処刑や小牧長久手の和睦、大坂の陣での寝返りなど土壇場での判断と行動力には優れるけど、
窮地に追い込まれないように予め手を打っておくような、洞察力に欠けている。 アレをかっこよいと思うのは物事の上辺しか見えない池沼 どんな風にかっこ良く描かれてるのか、
センゴク読んでなくても分かるように説明してくれ ≫294
必死な徳川羽柴を手玉にとり天下の趨勢を1人ニヒルに見つめる漢。
それが信雄 >>295
読んでなくても分かるように、って頼んだんだけど。。。
まあ、とりあえずありがとう。
綱渡りの策を弄しながら、両雄の共倒れを狙う謀略家って感じか?
それってカッコいいのか? 三家老を殺すシーンはかっこよかったな
あの展開は大河ドラマでやってほしい >>296
小牧長久手はただ秀吉と家康を戦わせてみたかっただけで満足したから和睦する
信長の息子だしこれくらいの余興は許してねみたいなオチだったはず
あと信雄は天下人なんかより自分の子が無事に生きていけるかのほうが大事という風に描かれてたね
格好いいかは別として魅力ある人物には描かれてたと思う >>296-298
そういうキャラ設定の信雄もカッコイイな 説明聞く限り
他人の命で遊ぶ、ただの自己中にしか見えんけど。 漫画喫茶でもいって読めばいいだろ
イメージなんて人それぞれだ
実際にあうことのできる生きた人間だって持つ印象は人それぞれだしな >>304
確かに、お前と会話するよりは、
一人でマンガ読んでた方が有意義だな。
邪魔して悪かったな。じゃあな。 >>305
302と俺は違うよ
信雄アンチかなにか知らないけど基地外は怖いな すぐアンチとか言い出す二元対立厨の菅沼遼太が、
性懲りもなく不自然な書き込みしてるな。
奴の脳内では、菅沼遼太に頼らずに自分で信雄の魅力を探そうとしたら、
アンチ信雄になるらしい。 これアンチと菅沼何某のとこ入れ替えたらそっくりそのまま返せるな 笑 >>309
お互い、相手とまともなコミュニケーション取りたくないって所だけは、気が合うみたいだなw
俺はアンチ信雄じゃなく、アンチ菅沼遼太な。もう間違えるなよ? >>310
菅沼文太くんちーすw
武田スレ追い出されたからって、
こんなところにきて信雄厨の人と喧嘩しなくてもwww >>311
菅沼文太はお前じゃないか。自分のキャラを忘れるとは、ボケが始まったのか?
ちなみに武田スレを追い出されてるのは菅沼遼太本体。もう忘れたのかw このスレでは菅沼遼太も菅沼文太もみな、泣きながら敗走してきた。
>>5>>210>>308
アンチ菅沼>>312とやらも、もはや涙目であるw キリスト教に関心を示さなかっただけで「信雄は知恵が足りない」などと恨み言を
フロイスに書かれても平然としていた信雄公が、今更菅沼どうたらの書き込みごときで
苦に思われようはずもない。否定や非難も甘んじて受け入れる寛容さこそ信雄公の最大の魅力である 菅沼菅沼と居もしない奴のことで過疎板が疑心暗鬼に陥り数少ないスレ民が対立する。計算されていたら凄まじい権謀算術だな。
つか長文コピペ野郎死んだ?あれいそうなスレみてねーからさ 生きとるよ。
学館の一次選考に落ちて荒れてるみたいガガガw そうだね。どこの板でも「コイツ死なねーかな」て言われてるよ。
菅沼遼太だと知られていない板でさえもね。ハンでおしたみたいにさw この人の名前を聞くと 何故か室谷のぶおさんの顔が浮かんでくる… 三姉妹を保護したのは秀吉ではなく、じつは織田信雄。 420 :人間七七四年:2015/10/24(土) 11:26:24.36 ID:gdCJmTRU
いやだって>>410見ると文太連呼=遼太叩きでしょ?
自演じゃん
426 :人間七七四年:2015/10/24(土) 15:32:48.29 ID:gdCJmTRU
文太叩きと遼太叩きは同一人物だった!
ということだから>>325は菅沼遼太と武田信玄を叩けるんだよな?
出来ないなら黙ってろ 菅沼文太くんねぐらの武田スレに帰っていつものように荒らしてたら、
みんなに凄い叱られてたw可哀そうすぎるwww http://ninkyou.blogspot.jp/?m=1
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まだ、信雄ゴリ押し上げの方がマシ。 織田信包の家系は江戸初期に速攻断絶してる
織田信雄の家系は現在でも続いている
というか現在残る織田の直系子孫は全て信雄系
信雄がいなければ現代に織田の子孫は存在しないことになる この前信雄の子孫が雑誌で連載書いてたが自らを信長の子孫と称していた のうのうと長生きした信雄の首を斬首したいのは俺だけやないはず
有楽斎も同じく >>317
織田信雄は、祖父の信秀、父の信長ゆずりの絶倫じゃタワケ! 戦に強いやつは生物としても強い。
信雄が秀吉に勝ったのはまぐれじゃなくて必然。 今上天皇には信雄の血が入っている。
もっとも明治天皇が本当に孝明天皇と血縁が繋がっているのが前提だが。
あとだなグンマーに織田信雄公という清酒があってしかも旨い。
小幡藩が織田宗家を名乗ったことに由来するんだが、酒が可哀想だ。 酒がというか、米が、水が、瓶が、ラベルになる紙が、米を育てた農家が、
酒を仕込んだ杜氏が、運ぶ運転手とトラックが、売る店員が、隣に並べられる酒が、
買う客が、飲む人が、憐れでならない。
清酒「織田信雄公」
なんでこんな名前を…。 酒がというか、米が、水が、瓶が、ラベルになる紙が、米を育てた農家が、
酒を仕込んだ杜氏が、運ぶ運転手とトラックが、売る店員が、隣に並べられる酒が、
買う客が、飲む人が、憐れでならない。
清酒「織田信雄公」
なんでこんな名前を…。 そうかな?
清酒でちょっとホロ酔いになるなら「信雄」のぬけた感じは悪くないとおもうけどな。
ダメでもいいじゃん生きてたほうが、みたいな。
本能寺で丸焼きにされたり、天目山でポンポンきったりするより、バカにされても長生きしてりゃ、こんな旨い酒にもありつけるみたいな 信雄はボンクラなバカ殿じゃなくて、
暴君タイプだと思うけど。 >>354
同意
ボンクラなバカ殿はイメージ的には有楽斎の方だな 寝返りを繰り返した変節漢、部下や領民を殺しまくった暴君なのに、
晩年の、のんびり長生きしたバカ殿イメージの方が一般的な気がする。
有楽斎との混同もあるんだろうけど、運がいい人物だね。 信雄と有楽斎はのらりくらりとあの生き馬の目を抜く戦国の世を結果的に生き残ったんだからなんだかんだいって凄いよ http://ninkyou.blogspot.jp/?m=1
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画像を御覧くださいませ!! 戦国武将っていうよりは、江戸時代の大名っぽいよな。 織田殿は安土への新年の挨拶に来ないで伊勢にとって帰した で、その価値ある話は?
コイツはロクなエピソード無いだろ。 素直に甲信駿遠三もらっとけば家康に次ぐ大大名たったのにアホだなw 信長の全盛期は500万石とも言われてるけど
その内4天王(柴田、羽柴、滝川、明智)が半分の250万石くらいだし
その他の小大名とかの分も引けば実質織田の直轄領は150万石くらいだよな
それなら秀吉に頭下げて甲信駿遠三もらっとけばこっちも150万石と引けを取らない所領なのに
やっぱヴァカ殿だったのか 信雄150万石+織田宗家の秀信(三法師)が尾張+美濃+伊勢でやっぱ150万石くらいだったら
豊臣家と織田家と徳川家は全く互角だな 蟹江城に救援に駆けつけるスピード
さすが信長の息子って感じがしないでもないがな 蟹江と信雄のいた長島は、直線で10キロぐらいしか離れてないからな。
すぐさま駆けつけて当たり前で、特に褒めるような事ではない。
信雄は、軍事に関しては全くの無能ではなく、最低限の能力はあった証明にはなる 信雄冤罪を晴らす画期的な大河。ってことはまずないか ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 小田原攻めの時に徳川家康と示し合わせて尾張で蜂起し、
豊臣軍を背後から急襲していれば信雄の天下だった。 そういう騙し打ち的な方法じゃ明智と同じ運命になると家康はわかってたからそれはないな センゴクおもろかった
なんで急にイケメンの才人になってんだよ
のぶおって長生きするし淀がメイン級で描かれるようになったら横っちょにいつも居るようなキャラだろうに >>392
領地替えの命令→反発し領地返上→流浪
ごねるというより、意地を見せた。 安土城焼失は冤罪の可能性大
本能寺の変から山崎合戦後までの間、
信雄は安土まで行ってはいなかったようだ 信雄は大坂の陣決戦が決まったら早々に逃げ出したけどね
しかも且元に淀達が且元殺害を考えている事を告げた上で
その後今まで散々迷惑かけてきた家康にちゃっかり保護されて大名に復帰しているんだからなぁ
現代に伝わっているほどバカ無能って訳ではなかったってことだろうな
時の有力者にふりまわされ落ち目になってもそこそこの立ち位置を保持できる頭はあったわけだ >>398
頭がいいんじゃなくて図々しいだけだろw 最初から徳川方のスパイとして大坂城に入ってたんだろ 図々しさだと有楽とどっちが上だろう?
知性だと有楽斎の圧勝だろうが >>264
それだよな
犬山城、岐阜城、おとすのに苦労してたのは初登場時。
なんか再生怪人みたいだな 最後に生き残った、それが信雄サイキョー論
殺されたアホ武将とはやはり目先がちがう あの混沌の時代に5万石もかすめとるなんて凄い武将だよな。
清酒「織田信雄公」
間違いなく売れるわ。 秘かに一子相伝で作られ続けた幻の名酒ぞ
そうそう簡単に教えてもらえると思うか?? >>410
まずこれを暗記しろ。酒はそれからだ。
織田信雄公の生涯
12歳 養子に出され伊勢攻略を開始
19歳 伊勢を平定(剣聖・北畠具教を討ち取る)
22歳 伊賀攻略を開始
23歳 伊賀を平定(伊賀上忍・百地丹波を討ち取る)
25歳 安土城を攻略(四天王・明智を下す)
26歳 岐阜城を攻略(四天王・柴田を下す)
27歳 小牧・長久手合戦に勝利(四天王・羽柴・滝川を下す)
32歳 韮山城を攻略(対北条戦における最激戦地帯)
同 秀吉と対立し、全ての領地を叩き返す
35歳 家康と秀吉とに請われて御伽衆(相談役)に就任
42歳 織田家嫡流となる
56歳 豊臣家総大将を固辞
57歳 楽山園を造園(現在は国の名勝)
73歳 死去
http://www.furusato-tax.jp/japan/prefecture/10384 >>411
19時前からもう酔ってるのか。うらやましい。
>>412
安土城を焼いたのは信雄説を採用してるのか。
信雄公みたいに、いつも他人のふんどしで成功できて
何度致命的な失敗をしても、不死鳥のように蘇るのは素晴らしいね。
とにかくありがとう! 伊勢、志摩、紀伊の国境を策定したのも忘れてはいけない偉業 >>412
甘楽町、お礼の品が酒ばっかじゃねーかw 「信雄公は安土城焼いていない」と主張する学者はアンチ信雄派の急先鋒な!
信雄公の偉大な功績を消そうとするなんて、あいつら頭が狂ってる! 確かに安土城焼いちゃったりするようなことは信雄公くらいの大物にしか出来ない 敵の安宅船を単身で奪うくらいの恐るべき武勇。北畠家で身につけたのだろうか。 こないだ、
中学の同期と飲んで、
織田くんの話題になったんだけど
誰も織田くんが何部だったか思い出せなかったんだよね。
「おだのぶかつ?」 『清須会議』での信雄のバカ殿っぷりは映画・ドラマ史上最高だったんじゃないかな 中京大(名古屋市)は7日、「本能寺の変」の後の織田信長の後継者を決める「清洲会議」直前に、
次男信雄が明智光秀側の残党掃討に当たる羽柴秀吉に「近くに陣地を置きたい」として返事を求める書状を公開した。
当時の信雄の行動が分かる史料は少なく、後継者になろうと腐心した様子が分かり貴重という。
清洲会議は1582年6月27日(旧暦)、清洲城(愛知県清須市)に織田家の家臣の秀吉や柴田勝家らが集まり、信長の後継者や領地の再配分を話し合った。
結局、信雄ではなく、本能寺で信長と共に自害した長男信忠の息子三法師(後の秀信)が後継者に選ばれ
書状は6月24日付で、秀吉の近くに陣を置こうと思ったが、適当な場所がなく、北伊勢(三重県北部)付近に陣取ったと説明。そ
の上で「そちらの都合がいいように決めて連絡してください。近くに陣を寄せます」との内容が書かれている。
http://www.sankei.com/images/news/160707/lif1607070035-p1.jpg
織田信雄が羽柴秀吉に宛てた書状
http://www.sankei.com/life/news/160707/lif1607070035-n1.html
(2016.7.7 18:23) ∧,,,∧
(´・ω・`) < 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
(| |)
し--J
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤは何百万の人々に話しかけることのできるようなやり方で、まずアメリカに現れるのです。それから日本です。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
矢追純一 「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
竹下雅敏 「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」 >>412
「文武両道」って信雄公のためにある様な言葉だよなぁ 武の成功例って、実は失敗した作戦を
叔父のフォローで奪回して貰っていたという… 豊臣秀頼は徳川家康と会見して器量を持っていると判断されたから殺された。
それに比べて信雄ちゃんは・・・。 逆だろ、ノブオちゃんは状況をみてクルクルと対応を変化できたから生き残れた 身の程を知るって大事だな、そしてある程度上に居たのにおちぶれるを受け入れるだけの度量も素晴らしい
増長の上はむかって破滅した豊臣秀頼も見習うべきだった
巻き込まれた家臣団、民衆が気の毒だ 信雄には家臣団なんていないから、気楽なもんだよな。 織田信長の子供でありながら豊臣秀吉と徳川家康に生かしてもらったラッキーな人。
織田信孝も豊臣秀頼も殺されてるのにねえ。 ラッキーじゃないぞ、本人が努力して取り入り、そして政権をおびやかす災いの種ではありませんとアピールした結果
立場をわきまえた見事な立ち回り 金王朝のマサオちゃんなら、有能がバレて殺されただろ 有能無能は相対的なもの
ノブオちゃん程度でも半島レベルでは有能という事か 信孝は、北陸方面平定の仕事を柴田勝家と共に行ない、勝家に大器と認められる
信雄は、伊勢方面平定の仕事を織田信包と共に行ない、信勝の失敗をいつも信包にフォローしてもらう
清州会議
勝家は、信孝を強力に推した
信包は、信雄を無視し、会議に介入しなかった
何故だ!?
信包にとって信雄は、さんざん手を焼かされた可愛い甥だろ 清洲会議の模様のほとんどが架空なんで
勝家が信孝推したって資料は存在しない でも次男なのに誰もが信雄様をと言わなかったのがあれだよねw
嫡男が死んで、健康な次男がいたら普通は第一候補だろ
そもそもどうしても次男には継がせられないから会議になったんだろうけど 次男に継がせると三男(信孝派)と内紛になるかもしれない
家督を譲った信忠の嫡男なら神輿に担ぎやすいし
異論を出す余地もない
だから秀吉も勝家も三法師で決めた、が事実やん 織田信雄と今川氏真は対面したことあるんかね?
信長とはあるみたいだけど バカ殿同士の対面なら、信雄と秀吉の対面で実現しているが 織田信雄は今川氏真に通じるものがある。
共に愚鈍な二代目といわれているけど戦国時代をしぶとく生き残った。 こいつの生き様を見ると「頼まれなくたって生きてやる」という某アニメのキャッチコピーを思い出す 小牧長久手の講和の時に秀吉が信雄以外に人質を求めたのは
長益、滝川雄利、中川定成、佐久間正勝、土方雄良、雑賀松庵の6人
松庵以外は当時の信雄の支城主層
この6人が信雄の政策決定に影響力があるとみなされていた 信長が少しでもこいつにも期待してちゃんと教育してたら瓦解せずに済んだのにな >>467
後の五人がそれぞれ織田家ゆかりの歴々の中で雑賀松庵って何者? >>470
ググってみたら「織田信雄奉行人雑賀松庵について」って本が出てるみたいだよ
なんか実務官僚のトップみたいだね
2750貫、貰っていたそうだ 小牧・長久手の戦いの構造 藤田達生 編 岩田書院 2006.4
「天下分け目の戦い」の時代へ 藤田 達生
ブロック形屋敷地群の成立と展開 伊藤裕偉
乱世から静謐へ 立花京子
史料論
外交論
実態論
小牧・長久手の戦いから見た大規模戦争の創出 谷口 央
小牧・長久手の戦いと在地社会の動向 山本 浩樹
小牧・長久手の戦いと長宗我部氏 津野 倫明
小牧・長久手の戦いに関する時系列データベース 白峰旬
尾張武士と伊勢 下村信博
戦場の目撃証言 西島太郎
秀吉の人質策 跡部信
秀吉文書と戦争 播磨良紀
織田信雄奉行人雑賀松庵について 加藤 益幹
羽柴・徳川「冷戦」期における西国の政治状況 中野 等
陣立書からみた秀吉家臣団の構成 三鬼 清一郎 三介殿は残念ぶりが自分とよく似てて武将の中ではつい感情移入してしまう人 安土城炎上事故は、信雄から亡父信長への送り火だった説 あれって単に、世間から信雄が濡れ衣着せられただけな気がする
犯人身内にしておけば、一番丸く収まるね〜っていう当時の人の知恵w >>476
しかも仕方ないねで済まされそうな人物w 大坂の陣で家康討つために単騎城を出て徳川方へ向かったのって通説なん? 見事な舞を披露する信雄の横に
背の低いデブデブ太って不格好な家康がしゃしゃり出て
下手くそな舞をして笑いを誘ったエピソードもある
家康はアホのふりをして太閤殿下の警戒を解こうとしたのだろうと周囲からは評されている 大坂陣で信雄総大将と宇喜多秀家泳いで参るとだと、信雄がリーダーになった方が大坂方の勝率あがる 大坂の陣で泥舟に乗らなかった事は評価してもいいような気がする。 そういや大名に復帰した晩年の迷エピソードって何かあったっけ?
(小大名にしかなれなかったってのはナシでw) >>489
大嫌いな父親に死なれて、漸くら自分が
恵まれた環境にいたことがわかったか?
ん?
56歳ニート >>489
信雄は秀吉のバカ話の相手(御伽衆)してお金もらってた訳だが >>485
片桐暗殺をやろうとしたのは信雄という説もあるけどなw 大友宗麟のバカ息子(信雄と同い年)「もう少し長生きできてればなあ・・」 >>493
その息子「大坂の陣で豊臣側についたのでしょうな」 『忍びの国』見たけど
バカ殿っていうか単なる弱々しいお坊っちゃんじゃん
殿様が部下に張り倒されてメソメソ泣くって
とても知名度&イメージアップにはなりようがない
しかも荒武者がそのけなげな様子に心打たれて忠誠誓うって、アッーにしか見えんかった 安土城を燃やしたのって秀吉側の人間じゃないのかな
あの時点で織田の象徴みたいなものだったけど
あれがなくなって秀信が安土城に入って織田家をまとめることもできなかったし
城のせいだけではないが
豊臣秀頼も大阪城が燃えて別の小規模な城に移ってたら豊臣の権威は落ちてたかも
信長が死んで一年以内に安土城を超える大阪城を造った秀吉にとっては
安土城なんて邪魔で燃やして信雄のせいにしたとか 天守閣は焼け落ちたが清須会議の結果織田家の嫡孫の秀信が安土城二の丸に入居した
秀吉が3年後に安土城を廃城にしたのは将来天守閣が再建されるのを憂いたからだろう 信雄研究というと
U 織田信雄―豊臣期の織田氏
藤田 達生「豊臣期の織田氏―信雄像の再検討―」
(安土城考古博物館特別展『残照―本能寺の変からの織田一族』1994年)
加藤 益幹「織田信雄の尾張・伊勢支配」
(有光友学編『戦国期権力と地域社会』、1986年)
岡田 正人「織田信雄の改易について」
(『歴史手帖』3-12、1975年)
本多 隆成「小田原攻め後の家康と信雄」
(『愛知県史のしおり』資料編12織豊2、2007年)
渡辺江美子「甘棠院殿桂林少夫人―豊臣秀吉養女小姫君―」
(米原正義先生古稀記念論文集『戦国織豊期の政治と文化』、1993年)
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4-86602-966-5.htm
「織田信雄家臣団について」 『郷土文化』 山口茂
こんなところなんだろうか
あとは最前線シリーズとか天正壬午の本であったかなあ
>>472
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/feature/CO022951/20160926-OYTAT50037.html 秀信(三法師)が早死にせず大坂の陣の頃に生きてたら,
豊臣側についてたのか、はたまた大名・旗本として迎えられ
徳川側についてたのか なんやかんやで戦国の重要な政局の裏で暗躍してる危険人物 エオロッパにまで鳴り響いた壮大な安土城を焼き払ったのが信雄だったら、これに勝る悪事はありますまい。 本能寺で散っていたのが信忠ではなく信雄だったらなあ 4月2日放送の忍びの国見てね
パパに討つなよ!討つなよ!絶対に討つなよ!って言われてたのに
勝手に戦しちゃった伊賀の乱だよ
忍者側が主役だけど信雄の成長物語でもあるよ 織田信雄を無能だと言う奴とは関わらないようにしてる
そういう論調の記事や番組も相手にしない様にしてる ミネルヴァ書房では「織田長益」予定されてる
長益出すんなら、信雄も出してほしい 江戸時代の尾張の繁栄ぶりの基礎を作ったのは、意外にも織田信雄だった
清須会議によって尾張を相続した信雄は、さっそく清州城下とその周辺の経営に着手した
大した戦歴もなく、伊賀攻めや韮山城攻めに苦戦した事で、合戦能力ではボンクラ呼ばわりされる信雄だが、
領地経営では非凡な才能を発揮している
信長が岐阜や安土に拠点を移動してからは、清州城は城代が置かれるだけの実質空城となり、
さらに清州周辺は河川が多く、水害も多かった事から、城下も廃れ始めていたが、
そこへ商業の発展と水害対策を行い、その土地を再び繁栄させたのが信雄である
秀吉の移封命令に反発したのも、自分が再興させた清州を奪われる事に憤慨したからにほかならない
信雄の改易後、尾張は福島正則が治めるが、彼も尾張出身で馴染みが深い土地だったとはいえ、
信雄とは真逆の性格である猛将が、特に問題もなく領地経営が出来たのは、
前任者の完璧な経営を引き継いだからである
関ケ原の合戦の前哨戦となる岐阜攻めの拠点となった際も、反転西上の強行軍をしてきた東軍が
繁栄し続ける清州城下とその周辺で十分な休息を取り、軍備を整えて士気を高める事が出来た
関ケ原の論功行賞で、尾張は家康四男の忠吉が領主となり、その忠吉が死ぬと、家康九男の義直が領主となり、
これ以上の発展余地が見込めない清州から拠点を那古野へと変えて、名古屋城が建築される
清州城下の住民の多くも名古屋城下へと移住し、現代の名古屋市の原型となった
江戸時代には、暴れん坊将軍こと8代将軍徳川吉宗の政敵となった尾張7代目藩主徳川宗春の
失政による経済バブル崩壊などの話題があるが、それはまた別の物語である… 家康や秀吉相手に破滅ギリギリのとこまで傾き通したんだから大したもん
弟の信貞は腰抜け >>498
和田裕弘 天正伊賀の乱 中公新書
も追加で >>498
>>515
高橋成計 織田信長の伊賀侵攻と伊賀衆の城館 アメージング出版刊 小牧長久手のあと、どんな気持ちで秀吉の臣下になったのだろうか。戦国時代、下克上は数あれど、ここまでの主従逆転ってあんまりないよね 織田家の人間でない時期も長かったので
織田家重臣は自分に仕えるべき
という感覚だったかどうか
仮にそういう性格だった場合
厳に戒められる立場ではなかろうか 自分の器を見切ったところがすごい。
小牧長湫あたりまでは大将だと思ってたが、
大坂の陣で大将になってほしいと懇願されたときには
もう自分はその器でないと早々に辞退。 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 戦国群雄伝(シナリオ2)
織田信雄(伊勢志摩城主)
政78戦67魅90野76
当時の光栄の担当者は何考えてこんな高い能力評価したんだ? 歴史探偵 本当はスゴい!織田信雄
18 (水) 22:00 〜 22:45 なんか最近は生き延びたとか世渡り上手とか勝手に評価してるけど結局信長の子という権威に頼りまくってただけの無能でしかねえな 大坂冬の陣の時、ぜひ大坂方の大将にと懇願されたけど
「僕はもうそういうんはいいねん」
と言ってあっさり断ったってエピソードが好き。
あそこで引き受けて真田の提案取り入れて勝利したら、
彼は将軍になってたかもしれんが。 >>527
むしろ負けて織田家取り潰しになってるでしょ 信雄を総大将にしようとしたらビックリして大坂から逐電してしまったことよ。 勝ち目ないからお断りしたんだろう
秀吉の親戚筋の福島正則さえ関ヶ原からずっと家康についたのに、織田家強奪した豊臣に信雄がつく必要ないわな