>>630
あのさぁ>>629は「天下人」の定義を畿内を支配すれば天下人と単純に言っていいのか?
という点を問題にしているのであって「信長ガー」とか言われても困りまするわ
上記の意味で織田政権は単なる畿内の実力者(狭義の「天下人」=細川〜三好)を超えた
室町幕府に代わる実質的な新たな統一政権(実質的な「天下人」)であった
やはり天下統一への転換の画期は三好長慶ではなく、織豊政権であったと思う
というごくごく普通の感想を書いただけだわ

自分は好き嫌いでいえば信長よりむしろ三好長慶のが好きなくらいだけど
歴史的な重要性としてはやはり織田政権と三好では残念ながら同列ではないと思うね
しかし織田政権と比較しただけですぐ不必要に「信長ガー」と力瘤の入る
このスレの三好信者の感情的な過剰反応には正直辟易するね

ちなみに朝廷は三好政権の極盛期である長慶晩年に至っても
彼を足利将軍と同等あるいはそれを超越する武家の棟梁としては
まったく認識していないでしょう
だから改元要求を断ったわけだし、そのへんの三好の自意識と外部(朝廷・他大名)
とのずれは天野さんの本にも最後の方で書いてあった記憶があるけどね
足利義輝を殺したものの、それに代わる朝廷からの三好義継への将軍宣下なりは見込めず
足利将軍不在での三好の政権維持は不可能であったから
結局三人衆にしても遅ればせながら阿波公方の義栄を擁立せざるを得なかったわけなんだし

しかしあなたの評価では、戦国を完全に終結させたいわば最終的な「天下人」である
徳川幕府がなぜ豊臣政権より一段低い評価になるのか
そのあたりは自分にはまったく理解できないな