真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 6
幸隆が滋野嫡系の海野棟綱の子であるという話があるが、これはない
なぜなら海野の名跡は武田信玄の次男、盲目の竜芳が継いでいる
幸隆の実績からすれば海野を継げるはずだがそうはなっていない
海野を継げる血筋ではなかったと考えるのが妥当 幸隆が信繁の孫ってこと知らないって言うか信繁の名前すら知らない自称歴女が居るんだけど手打ちにしてもいいの? 小学校3年生の息子が、学校の宿題で自分の名前の由来を、
「両親から聞いてきなさい」って言われたらしい。
最近はキラキラした名前が多いからだと思うが、
うちの息子の名前は「信幸」。
「真田幸村のお兄ちゃんの名前を貰ったんだよ」って教えた。
ちなみに我が町、鹿児島市谷山には秀頼の墓があるんだぜぇ 長篠の戦いで兄2人が死んだおかげで昌幸が家督を継ぐことになったんだよな。
結果的には良かったのだろうか。 昌幸は武田滅亡後の大勢力を泳ぎ回る割に
沼田問題など理不尽な事には相手が徳川でも
屈しない所が好きだ。でも関ヶ原後は徳川に許しを乞う姿がな…
まあそこで終らず信繁がやってくれたから、話のいいスパイスに
なってるけどな 幸隆は、内から崩すと言うより、
ピンポイント爆撃で無力化って気がする。
まぁ、イメージだけど。 結城秀康の家臣に真田一族がいるのは以外に知られてない
津軽の家臣は有名かな アンチ家康な真田家を召し抱えたわけではないぞ
真田幸隆の次男で真田昌輝の子 信正が
長篠で武田家が滅んだ後に関ケ原以前に家康に仕えて その後松平 忠輝に仕え
その子松平忠昌に付き添う形で福井に移っている 実際真田家は、数で云ったら徳川寄りの家が多い
むしろ昌幸や信繁が徳川に反旗を翻した少数派 その子松平忠昌 入力変換間違いw
その後、松平忠昌 が正解 真田宝物館は館内で写真撮影していいのかな?
博物館や美術館は基本的に撮影禁止だと思って諦めてたけど
ブログに写真をアップしている人って多いよね
今度行ったら確認してみよう 不勉強にして昌輝に子がいたなんて知らなかった
ちょっと嬉しいな 意外に知られていない
真田信幸の最初の奥さんは真田信綱の娘
信幸の長男 信吉は彼女の息子
小松姫が嫁いでくる時に 側室に格下げされた 真田太平記の渡瀬恒彦は良かった。
苦労人でお疲れさまって演技でした。 片倉重綱が信繁の三女(梅)を連れ帰って
侍女にしてたけど、正室が死んだ後妻にした。側室違う。正室。
何で重綱が連れ帰ったんだ?拉致った? 九度山周辺に居たんだろうから、「乱取り」で拉致だなw
と云うか、信繁の三女と云われる別人だろ おれは草刈正雄だな。人をひきつける魅力的な幸村演じてた。
あとお江がいい味出してた。苑文雀だっけか? 国道145号線沿い 岩櫃山付近
145号を走っていると看板アリ
山城でミニ登山用に整備されている程度で結構やぶだらけ
ふもとまでは車で行ける
山城なので季節に因ってはかなり登頂が難しい
夏は虫ブンブン秋はクマ注意冬は雪多い 沼田城〜名胡桃城〜岩櫃城はほぼ一直線に並ぶのでたらい回しツアーに最適w 松代に行って来た。
真田宝物館には幸隆・昌幸・信之・信繁関連の宝物はほとんどなくて、あってもほとんどが複製。
宝物のほとんどが江戸時代の安定期の代物ばかりで少々ガッカリすた。 戦えば連戦連敗の大坂方は多少条件が変わっても負けるだろ >>31
勝ち目はないっしょ。日本ほとんど全部の大名が相手だったんだぜ。 高野山蓮華定院過去帳には「真田弾正忠幸綱…天文九已亥四月二十六日」
とあり、上野の白山神社の奥宮社殿の銘文に「大檀那幸綱信綱」とあるので幸綱で間違いないかと。 真田好きだけど、信繁をあんま神格化するのはどうも。
兄ちゃんの忍従加減がむしろ神格化してあげたいぐらいだw ところで真田宝物館は館内で写真撮影していいのかな?
博物館や美術館は基本的に撮影禁止だと思って諦めてたけど
ブログに写真をアップしている人って多いよね
今度行ったら確認してみよう 小さい頃よく遊んだ真田山公園…大阪城の出丸として真田幸村が陣を張った場所と知ったのは大人になってからだった 後藤わすちゃいかんがな! 家康ゎ大阪城入城の報受けたら… 親の方か?子の方か?って(((゚Д゚;)))ガクガクブルブルしてたらしい…家康がびびったんゎ幸村ぢゃなくて昌幸なんだよね☆ でもやっぱ戦国最強ゎ島津義弘ですな☆
真田日ノ本一って島津が言ったらしぃけど…
関ケ原の退却んときなんかヤバすぎやろ? >75かもしれんが最初から真面目に戦ってほしかった 島津は静観してたが、東軍側も義弘の朝鮮武勇を知ってるだけに
なかなか攻撃を仕掛けられなかったみたい 長篠の合戦で兄貴どもが揃って討ち死にしたから、真田の家督を継げたんだんだよね昌幸は。
もし武田の勝利だったら、歴史はどう変わっていたのか 家康自身は出てないけど2度真田にやられてるからね、昌幸は信玄の戦のやり方を見てきているから強いんだけれども、その信玄と対等に遣り合った謙信テどれだけ強いんだ。島津家は強いけど戦国最強はどうだろう。 >>45
信綱、昌輝ですね、戦死したのは
戦死しなけりゃ、昌幸は武藤家で活躍するのかな 武藤家のままだったら一生旗本のままで終わりだろうね 信綱に息子いたらしいけどどこ行っちゃったんだろう・・・ 長篠で戦死しているんじゃないのか?
生き残っていたら昌幸が真田家を継ぐ事は無かった気がする
娘はいつの時期に信幸と結婚したんだろ >>48
それはそれで幸せだったかもしれないけど
真田の名前がこれほど広まることはなかっただろうから 家康本陣の旗印を倒し踏み躙ったのは、武田信玄と真田信繁(幸村)だけである。 信綱って地味に武田軍の一角を担う猛将でかっこいいな。
信繁を神格化して語られる昨今真田好きの癖に信綱や昌輝や幸隆の弟矢沢頼綱とか知らんやつが多くて困る >>53
全員わかるぜ。信尹とかまで知ってるぜ。
青江の太刀は一度見に行きたい。
信綱は実際、信濃衆の旗頭を務めてたんだよな、確か。一角どころか、信濃衆の中心だったはず。 信綱が正式に家督を継いだのは幸隆が死んでからだが
それ以前から権力を持って仕事はしている模様
信玄が死んだり勝頼が継いだりで、真田家の家督相続どころではなかった様子 >>56
正式にいつ継いだのかはわからんが、信玄が死んだ翌年に幸隆が死んだ。
それから長篠合戦までは間違いなく家督は継いでる。 ああ、幸隆が亡くなったのは、勝頼が高天神城を攻めている最中だったね
幸隆の容態がいくらか上向いたという連絡が陣中に届き、勝頼が安心したと返事を書いた
実はその書簡のやり取りの間に幸隆は没していた。死の直前にちょっと元気になる現象と、
当時の通信速度の限界から生じる行き違いなんだろうな 矢沢の爺がいなければ昌幸は沼田を取れなかっただろうし、
取れていたとしても第一次上田合戦で北条に取り返えされていたと思う。
一族の年長者として、当主である甥の昌幸を良く補佐し、
その子の信幸、信繁兄弟の後見として歴史に名を残す武将に育て上げた手腕は見事だと思う。
自らの子である頼康も、昌幸、信之の右腕として活躍したし。
矢沢の爺あってこその真田三代だと俺は思う。 勝頼を岩櫃へ誘っておきながら、陰では北条なんかとコソコソやってたんだよな。昌幸。
でも、勝頼を裏切るってんではなく、あらゆる可能性を想定して色々な策を打ってたんだろうけど。
勝頼を北条や織田へ差出すようなマネはしなかったと思うけどな。
主君を裏切るような不忠を働けば、自分もいずれ嵌められる事くらい、昌幸ならわかってただろうよ。 それは勝頼が北条から嫁さん貰っていたり織田から嫁さん貰う予定立ってたからだろ 勝頼を岩櫃へ誘っておきながら、陰では北条なんかとコソコソやってたんだよな。昌幸。
でも、勝頼を裏切るってんではなく、あらゆる可能性を想定して色々な策を打ってたんだろうけど。
勝頼を北条や織田へ差出すようなマネはしなかったと思うけどな。
主君を裏切るような不忠を働けば、自分もいずれ嵌められる事くらい、昌幸ならわかってただろうよ。 というか、あの時点でどうやっても上杉か北条に頼らなきゃ、何の見通しも立てられないだろ。
援軍の見込みがない籠城戦は、勝てないっていうように。
勝頼が来る来ない、どちらにしても北条に使いをやることは必要。 昌幸は口ではいいこと言っているが、内心は勝頼を拒絶したかったのだろ。そんなことが見抜けない勝頼ではなかった。 幸村は、大阪夏の陣の前、仲の良かった姉に手紙を送っている。
その内容は、
秀頼を「殿様」と呼んでいた。
秀頼に感謝し、自分は幸せと書いている。
大坂冬の陣で死ぬつもりだった。
大坂夏の陣は、間違いなく死ぬだろうけど、名誉ある死なら、あれは自分の弟だと伝えてほしいと言った。
そして最後に、真田信繁と書いてあった。
それまで、真田幸村と思われていたらしく、その手紙で、本当の名は、真田信繁じゃないか?
という説が出たらしい。
まあ、司馬遼太郎はこういうのが多いよな。
でも、ときどき、資料を訳さず書いてあって、めんどくさいこともあるけど。 一番いい男はおにいちゃんだろうな。でなきゃ極悪親父の助命なんてできない。 ×勝頼を北条に差出すようなマネ
○勝頼を北条に保護してもらう事前工作 極悪親父「ここで大事なのはだな。織田に勝頼が北条に落ち延びたと伝えることなのじゃ。さすれば織田は北条に引渡しを求めるとわしは踏んでいる。織田と争いになってくれればもっと勢力を広げられるというものじゃ」ぐらい考えてそうだな 漫画か小説を鵜呑みにしてるみたいだけど昌幸ってけっこう義理堅いよ。 北条側の謀略でかすめとられたというのは物語
実際には沼田の北条軍が名胡桃城を急襲して奪い取ったという事だけが事実
直後に秀吉が北条側の攻撃を非難した書状を昌幸に送った事は事実 でも、碁盤上に打ち込まれた碁石というか謀略の一手というか、
沼田を北条に与えて、名胡桃を真田に与えたのは秀吉の戦略だろう
秀吉「名胡桃は真田の先祖の墓が在る土地なので真田の土地である」と云っている
これに対して昌幸は「名胡桃には真田の墓など無い。これは秀吉の謀である」と云っている 名胡桃を真田領にしておくことが上州騒乱を誘発する火種として仕組まれたことは事実だろう
それが昌幸の謀略なのか秀吉の謀略なのか、あるいは両者の共謀なのか、
いろいろ説がある
俺的には、どれもそれなりに説得力があると思える 主犯秀吉、手先昌幸くらいじゃないの
>>75
ほうほう、なんの書物で言ってるの? 「名胡桃には真田の墓など無い。これは秀吉の謀である」
長国寺殿御事蹟稿 名胡桃には真田氏の墓が無かったことは事実だが、
当時の誰がその事実を認識し、
誰が誰の策謀だと考えていたのかが大事
で、>>78の記述内容は誰による発言? 長国寺殿御事蹟稿は 昌幸が云った事、行なった事を纏めた本 ということは、昌幸自身は秀吉の策謀と考えていたのか
北条が暴発して滅ぼす口実が産まれるよう、真田を利用したか だから名胡桃が盗られたとき手を出さずに秀吉の裁定を待ったんだろうね 名胡桃は沼田から近過ぎるし、川を挟んで真正面には北条方の砦が在るし 国境最前線の守りの城としては危な過ぎる
形状的にも出るのも入るのも一方向だけに限定されてしまう城で戦略的に使い道が難しい城だと思う
だからあっさり盗られてしまったわけだし、城代は置いていても元々増援を出してまでは守る気もなかったんじゃないかな 信玄好きとしては、幸村より幸隆、昌幸のが好きだなぁ
信繁(幸村)も信玄の弟を尊敬してて名をつけたんだよね昌幸が
信玄・謙信に天才と言われた幸隆格好よすぎ
信玄に、我が眼と言われた昌幸も格好よすぎ
真田の旗の六紋銭はあの世の駄賃という意味と
生涯、信玄公の恩顧を忘れぬ為と言う意味もある
真田一族の仇敵であった武田家だが、若き日の信玄の才能を見抜き
真田家の復興をたくし、忠誠を誓い仕えた幸隆(幸綱)は真田家の名を残した中興の祖 鈴木主水は責任を取って割腹したんだっけな
でも、結果としてそれが秀吉公の北条征伐の口実になった
北条戦での割田下総守の活躍もなかなかおもしろい
真田の極めつけは上田城で徳川を撃退した戦い
上田城はワザと敵を浸入させてから叩く特異な構造の城だったらしい
山本勘介と馬場美濃の作だっけ?
勢いに乗ってウカツに追撃した徳川軍が手痛くやられるのも仕方ないか 沼田領問題を秀吉に持ち込む際、昌幸の肚には
秀吉の裁定結果とは異なる別案でもあったのだろうか しかし秀吉の威を借りた、というより利用した北条潰しで、
ちゃっかり領土拡張のおこぼれにあずかる昌幸 勝永隊も本陣突入しなかったか?つか、勝永が先に突入・蹂躙ってな説もあったり。 どうだろな。
そもそも本陣まで辿り付けてないし(旗本に被害が無い)
大坂の陣関係の一次史料だと細川書状や多門院日記とか
後藤や信繁や明石が無類の活躍したとか書いてあるが勝永は無い >>90
『真田太平記(ドラマ)』だと毛利勝永隊は活躍してるのにな 昌幸・幸村は兵を統率するタイプだが、将を統率するタイプじゃないだろ。
直接命令を下せる人数なら実力を発揮するが、それ以上の数になると、
中間の将を動かさないといけないからな。 10万石だと複数備だから将を統率するタイプじゃないなんて言ってられないだろ?
実際に配下に大将が複数いてそれで戦ってたんだし
信繁の大坂の陣配下6000兵ってのも同規模 犬伏の陣の場所行ったけどあっさりしすぎて悲しかった 真田幸村博っていうのがあるんだ(´・ω・`)
今年から来年は幸村年になりそうだね >>92
タイプじゃないというか、やった事がないだけじゃん。
適正があるかどうかは別の問題だ。 真田昌幸の架空名シーン
@1582年 勝頼を岩櫃に迎え織田の大軍と戦う
A1600年 石田三成らとともに関が原で戦う
A1614年 大阪城に息子とともに入城し、家康を大いに苦しめる 江戸時代、松代藩の藩政は厳しく、圧政から一揆が頻発
一揆首謀者は打ち首
また、重税軽減を松代藩に願い出れば、その首謀者も磔
また幕府に訴え出れば、松代藩が叱りを受けるため、その首謀者のみならず
その村ごと焼き討ち、親類縁者皆殺しと相成った
松代城焼失は、そんな村人の恨みを買っての事と思われる 歴史のif
大坂夏の陣で家康が討ち取られていたら、その後はどうなる??? >>101
大勢に変化はないけど、
家康が目標達成目前に死んだ悲劇のヒーロー扱いになってるのと
秀忠の自由がきくようになるので改易される大名が増えたかも すでに政治的実権は秀忠に委譲されていたいた時期だし
家康は夏の陣終わって一年後には死んでしまうくらいだから大勢には影響ない ちょうどこの前BSで検証番組やってたけど
まあどうなるかなんて素人がいろいろ言ってもしょーがないが 真田昌幸が生きていて大阪入城していたらどうなったか見てみたい 昌幸は、能力でなく身分・立場・地位の点で過大評価されてるよな。 >>108 どうせ意見聞き入れてもらえないかと・・・信繁(幸村)よりマシかもしれないけど 大坂冬の陣 城を守らなくてはならないが為の篭城戦になった時点で負けが決っている 昌幸「城を出て戦うべきです」
淀君「秀頼公は誰が守るのじゃ?戦線が伸びきっておる上に少なき守備兵の中で関東方に攻め込まれたら何とする!
その上大坂城は太閤殿下が築きし(ry」 昌幸も軍団長レベルでの活躍を見てみたかったな。
部隊長としては十分過ぎるくらい有能なのはわかるが。
ゲームだと政治力も高いけど、外交的な駆け引きは
政治なんだろうか?いや政治は政治だけど。 昌幸の発言力と幸村の発言力の違いだろうね。
昌幸なんて、その武勇は天下に轟いていたわけだから、
まあ当時の無名の幸村のように意見を一蹴されるなんてことは
なかったと思うよ。まあ、タラレバだが。 総合的に信繁より昌幸が優秀なのはわかるんだけど、昌幸は幸隆よりも優秀なの!?もちろん総合的にみて >>122
2人とも与えられた状況下で最高の結果を残してるから
比較しようがなくね?
あえて実績で比較するなら攻め手に優れた幸隆だろうけど。 >>121
淀個人が上だと思ってる人でないと誰の意見でも一蹴だよ、嫌なら徳川行けってだけ
>>123
昌幸のどこが与えられた状況で最高の結果出したんだよ
最高の結果は一族全員が家康に付いて秀忠軍も関ヶ原間に合わせて西軍を史実以上にボコって20万石以上にはなることだっただろ 一族を東西に分けたってことは一族の存続を第一と考えたわけで、大正解だろ。
でも信繁って家康個人に対して生理的、性格的に嫌ってるふしはなかったの? 武田滅亡時には普通に家老状態になってたのはそれだけ有能だったからだろう
長篠で当主が戦死した後、権限が制限されていく家が多い中、まだ若い昌幸が出世したのは際立っている
勝頼個人と繋がりがあったわけでもなさそうだし 謙信がワシに8000の軍勢を与えれば、この世のどんな軍でも打ち破ると言ってる
んだが、大阪の陣の幸村は、20万の軍に対して家康の目前までいってる。
急造の兵でなくて、越後兵クラスの洗練があれば家康を討ち取れていたのだろうか?
謙信いわく、手・足の如く動かせる兵はせいぜい7・8千くらいのもんだということ
なんだろうけど。幸村の鬼神の突撃で、この言葉にも信憑性があるんではと思ってしまう。 籠城は兵力で劣りながらも援軍が来るのを耐え、援軍が来たら挟撃に持ち込む戦術
更に当時の情勢を見ると、援軍に当たる勢力が無いのと、豊臣の勝利条件が、
家康を倒して権威が消えたときに、家康の権威で集まった兵力と同等の兵力(豊臣方)の存在に対し
外様勢が秀忠に絶対の忠義を尽くして消耗戦を繰り広げるよりも、一端終結して群雄割拠の再スタートに落ち着かせるものと思われる
昌幸が大阪に入城していたなら、全面的な野戦に持ち込むよりも
大阪+昌幸の難攻不落の威光を持って、戦わずして家康との和睦になった可能性もある
開戦しても、大砲を撃ち込まれたくらいでは、淀を叱責し降伏は起こらず
籠城しながら隙を突いての不意打ちが、幸村よりも上手く運んだと思う
和睦による不穏分子がのさばりながらも徳川の治世か
家康討ち死による数十年太平の世が遅れたか
どちらにしても冬の陣で結果が出て、夏の陣は起こらない 信繁(幸村)は家康の誘い(一万石)にのらなくて正解
どうせ福島正則みたく取り潰されてるだろうから 信繁に誘いをかけたというのは
慶長見聞書に書かれた世間話なので事実ではないと思うよ >>133
昌幸は軍団を率いた実績こそないが、たぶんまあ名将だろうけど
さすがに一人の人間に左右出来るような時点ではないとも思う。
時流が出来上がってたよ完全に。 >>137
オサレってやつ?
真田のことはあまりやらなさそうだけど
映画の手紙見た方がよい 幸村の事を、さも歴史に詳しいと言いたげに信繁って言う奴なんなの?
世間的に幸村で通っているから幸村でいいじゃん。 >>139
ハハハ、まったくお前はホント幸せ村だな >>139
通ぶってるだけだよ
ほっといてやれ
そういう奴は大抵、毛利勝永の方がー とか言いたがる。 沼田市が小松姫&信之押しを始めた
様々なパンフレットの中では 信繁(幸村) 表記で統一されています。 結局幸村も江戸期の馬鹿が広めたのをそのまま採用していることに気づいた方がいいと思うけどな。
で、何故信繁と命名したか?あれ?似た名前なかたっけ?とか、武田信繁と同じ名前じゃないか?とかそういう疑問が起こり
調べ始める。よって、信繁でいい。 27 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2014/05/11(日) 02:02:32.25 ID:n7wdjTUw0
司馬遼太郎が城塞かなんかで
ホントは信繁ってのは知ってるけど幸村で通じるし幸村で通すけどいいよな
って言ってそのまま幸村で書いて言ってたけどそのくらいのノリでいいのにな
いちいち信繁だぞ、と指摘するやつの喧しいこと
まさにこの通りだと思う
さすが司馬 大坂の陣で豊臣方には総大将レベルがいないよな。
そういう連中は徳川につくか関ヶ原で没落しているし。 「幸村」って書かれた場合にはおとぎ話の主人公と理解すれば良いだけじゃん >>147
しいて上げれば長宗我部盛親。
しかし、かれを総大将とするのには反対する連中が多そうだな。
能力的なことでなくて、身分というか地位というか格というか豊臣政権との
かかわりにおいてというか。 盛親は豊臣政権での立ち位置がわけわかめだからな
それぬかしても長宗我部も所詮中堅大名だし
そもそも新座が豊臣直参に指図するのも無理がある
どう考えても幕府と戦うには深刻な人材不足 司馬遼太郎は嫌われてないよ。小説超上手いし
ただ司馬遼太郎の書いたものを鵜呑みにしてる奴が嫌われてる
史実じゃなくてあくまで小説、フィクションだからね >>147
だからやっぱり
泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家
が、大坂の陣の結論なんだな ようつべに真田幸村博ってのが多数アップされてるが、なんぞこれ
天王寺区では幸村人気なのか? 関西方面は
幸村>>>>>>>家康=江戸
昔から幸村押し
江戸=東京が大嫌いの裏返しなんだよなぁw >>158
まあそういうある程度あったのは知ってるけど
今はもう知名度うすいんじゃない?
つーか、大河決まったな
www.yomiuri.co.jp/culture/20140512-OYT1T50062.html
真田丸って超ピンポイントじゃんw
幸村でやるよりさらに狭いw >NHKは12日、2016年度の大河ドラマを三谷幸喜脚本による『真田丸』と正式発表した。戦国時代屈指の英雄として知られる人気武将・真田信繁(真田幸村)の生涯を描く。
信繁表記?
マジかなw ttp://www.oricon.co.jp/news/2037349/full/
信繁で統一してるww 嫌な予感しかしないな。おにいちゃんが毎週胃のあたりをさすってるイメ−ジが見えるw おせーよw
上田真田まつりは殆んど歴女居なかったぞ(笑)
もうブームは過ぎたのに再来年って 今年と来年に真田をもってくるかと思っていたけどなかったので油断してたら2016年か・・・
上田真田まつり、今年は観客少なめな気がした ほんと犬HKは馬鹿だよなぁ〜
少しは頭使えよって話 俺は信綱と昌輝についてもっと知りたいんだけど、なかなかわからない
これは本当に史料も何も残ってないって事? http://www.oricon.co.jp/news/2037349/full/
2016年NHK大河は三谷幸喜脚本『真田丸』 大坂の陣から400年――真田幸村を描く
NHKは12日、2016年度の大河ドラマを三谷幸喜脚本による『真田丸』と正式発表した。戦国時代屈指の英雄として知られる人気武将・真田信繁(真田幸村)の生涯を描く。 堺雅人だと 従来の幸村ではなく、信繁をやってくれるのかとちょっと期待してしまう しかしまた毛利勝永を活躍させないと、うるさい奴が現れる
信繁厨と勝永厨は厄介w 「来年の事を言えば鬼が笑う」と云うが
2年先の自分が生きているかどうか心配になってきた今日この頃 真田信繁(幸村)と徳川家康の違いは、楠木正成と足利尊氏の違いと似たようなものだ。
ゲリラ隊長と軍司令官に必要な資質は必ずしも一緒ではない。
人の将たる者と、将の将たる者の違いではなかろうか。 真田昌幸の強さは遊撃軍を率いてのゲリラ戦法的な部将として
しか評価できんと思うのだが。大軍の統率に対する助言なんて
出来ないでしょ、元が地方の豪族なんだから。
あと、「信玄の部将だった」は評価にならない。「信玄公の旗下、
赫々の武功あり、感状○枚頂戴いたし候」とかなら別だが。
信玄最強説は江戸時代に徳川の軍学者が
「神君を打ち破った信玄最強じゃね?」
「オマエ頭いいな」
って流れで作ったもので、当時の信玄像は地方の有力大名の中で
強い方、ぐらいのものだったかと。 夏の陣は意外と長く書けると思う
合間のゲリラ戦も書いてほしい。
家康を鉄砲で狙ったエピソードもあったはず >楠木正成と足利尊氏の違い
なかなかいい例えですね 幕末明治の頃、西郷と足利尊氏が例えられていた。
西南戦争の頃と類似している。
が、尊氏の場合、絶対不利のさなか、天下を獲った。 都合良く、ホントに都合良く皆死んじゃったからなぁ
結城秀康1607年死去 加藤清正1611年死去
浅野長政1611年死去 浅野幸長1613年死去
前田利長1614年死去
豊臣方にとって重要な武将が次々に死んだ結果1614年冬にタガが外れてしまった 豊臣恩顧の武将とかw
裏切りもんばっかじゃん
福島なんて惨めな末路だし
加藤清正なんて散々恩受けといて裏切るし 清正って秀吉に嫌われたんじゃなかろうか?
「九州の押さえ」って云えば聞こえがいいが平定直後の九州で佐々成政が失敗後の尻拭い
辺境の地へ飛ばされただけだろ >>187
九州て交易の面からも重要だとおもう
あのタイミングだと唐入り意識した配置じゃないかな
個人的に佐々を肥後においたのも同じ理由じゃないかと思ってる どの道大坂の陣で大坂側が勝つことなんて不可能
真田信繁あたりが奇跡のような善戦をしても家康を討ち取れなかったわけだし
昌幸が入ったからって勝てないもんは勝てない
基本的に篭城で後詰が無いようではいづれ陥落する タヌキと裏取引して淀引き渡すぐらしないと無理だわな 全て家康の思い通りにことが進んでた気がしてならない
大阪城にも家康のスパイいっぱいいただろうし
大物の中にもいたと思う 昌幸が幸隆程度にはやれたと考えても大阪落城を防ぐのは無理。
せいぜい積極策で徳川方の損害増やす程度。幸村とあんま変わらんよ。
将棋でいったら完全に詰みなんだからどうしようもない。
あの場に信長と信玄と秀吉と謙信がいても無理ぽ >>194
冬は全力での力責めが出来なかった状態に、
家康が昌幸を震えるほど恐れてたってのが影響すると
落城までもっと長期戦にはもつれ込む
家康以外が総大将なら昌幸効果は無いけど 家康などという耄碌老人を討ち取ってもしょうがない。
秀忠を戦で討ち取ってこその大坂陣。 秀忠では外様を押さえられないから
日本の半分くらいは徳川から離反 戦略で負けてるんだからどーにもならん。まあ豊臣家を生き残りだけ考えれば大坂を退居すればいい 大阪には小幡景憲が入り込んでおり
淀君が小幡の意見を重視していたので、いかに真田が強くても無理
情報戦で敗けていた 昌幸さんとこの三男と四男は大阪の陣どっちについたの? 三男は秀忠の旗本だったが1609年頃死亡した模様
四男は信之の臣下だったので沼田にいた可能性大 幸村と信玄は会った事があるのかな?
あったとしても幸村は覚えてないだろうけど。 >>203
信玄が没したとき信繁(幸村)は6歳だから年齢的に微妙。
それに父が側近とはいえ、外様の三男の次男坊に目通りを許すかな。 三谷幸喜の映画ってコメディだよね?
そんな人が大河作ったらどうなる?
新鮮組って見たことないけどどうだったの?
コメディの真田家なんて見たくないけど 幸村が主人公なんだからコメディでいいんじゃないかなw コメディでもいいよ。おもしろければ。
どうせ信繁じゃ一年間の半分は穴埋め回になる訳だし 幸村は1570年生まれ説がある
理由は上杉に人質に出されるとき、元服前で
19歳で元服してないのはおかしいだろうということらしい
まだ弁丸を名乗ってたことを証明する書状があるそうな お気に入りのお小姓は二十歳越えても元服させなかったりするらしいぞ 【家康を討ち取った男】本名「信繁」。後に真田十勇士と言われた者達を使い、大坂の陣前から徳川方を苦しめ、いよいよ冬の陣が始まると、彼らと共に大活躍をする。
夏の陣では、何と家康の首を討ち取り(それから一年間の家康は影武者である)、秀頼らと共に落城する大坂城から脱出し(夏の陣で死んだのは彼らの影武者である)、
薩摩に逃げ落ち島津家に匿われた 九度山でお爺ちゃんと子沢山パパでホームコメディーするんだよ
20話くらい >>197
なにを根拠としてそのようなことをおっしゃるのか? >>213
擬似大河ドラマの真田太平記で十分やっちゃってるしね もう草刈正雄と渡瀬恒彦復活すれば高視聴率期待出来るよw >>215
大坂夏の陣以降の家康が
本物だったのか偽者だったのか
今となっては確認できない 真田氏は幸隆の代で滋野氏の嫡流となったという説があるけど
詳細分かる人います? >>220
そもそも、三河時代に死んでる可能性もあるよね? >>221
徳川や足利みたいに血統関係なく一番勢力の強い一族が
嫡流になる時代だから幸隆晩年はそういう状況だった(はず)
or
後世に作られた系図がそうなってるからそうなんだ
の、どっちかじゃね 信綱も昌輝も長篠で討死してなかったら昌幸並に活躍してそうだ 実際、信濃衆束ねたり、百足衆に名を連ねたりで、すでに才を発揮してたからな。 大河ドラマでは伊達政宗との関係が気になる
幸村の名が示す様に、ただの敵で終わらせるにはもったいない程に絡み合った関係だし
三谷が上手く料理してくれる事を願う 信之以降の真田氏の系図どなたかリンク貼ってください。
養子が何代もあるみたいなんですけど、信之の血は繋がっているんでしょうか? 信之の男系の血筋は絶えている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%B0%8F
※女系では真田の子孫で続いています。 真田信弘ー女子(柳沢信鴻継室)−保光ー女子(外山光施室)ー八千代(竹内治則室)−輯子(10真田幸民室)ー11幸正ー12幸治ー13幸長ー14幸俊 いわゆる男系・直系で続いてる家を探す方が大変。
あくまで○○家として現代でも続いてるのであってね >>229
松代真田氏(真田本家)は
宇和島伊達氏男系男子&真田女系子孫ってことか。 真田家って江戸時代は譜代大名で老中まで出してたのか! 譜代になれたのは、小松姫のお陰だな。
ただ老中になれたのは、当人が養子で将軍の曾孫だったからだろうね。 真田家ってマジかっこいいよな
あの秀吉にも勝ってる天下の徳川を少ない兵で二度も撃退した昌幸
絶望的状況の大阪で、獅子奮迅の活躍をして家康に死を覚悟させた程の信繁
そして秀忠に睨まれたりで苦労しながらも藩を存続させた信之
こいつら半官贔屓のオレのツボにぴったりと嵌ったわ
みんな仲が良いのも好きだわ 幸村は家康だけを狙った 幸村軍は具足 冑 みな赤一色だ それが真紅の旗印を風になびかせ 家康の旗本めがけて真十文字の槍を突き立て! 阿修羅の如く荒れ狂っている ! 六文銭ジャージ・・・今、オークションに出たら高値で売れそうだなw >>235
その時、兄に迷惑かけないように六文銭の印は無かったって本当なの? 『大坂夏の陣図屏風』を見ると赤備えで他の家紋や紋章は確認出来るが 六文銭は描かれていない >>238
迷惑かけたくなかったら、そもそもそんな場所にそんな立場でいるなよw 「(大坂入城は)奇怪な事と思い召され」とか言って本家に負い目の気持ちがあったのは確か
六文銭を使わずに赤地に金一横棒の旗印を使ったこととの直接の動機になったかは不明 大坂を暴発させる為に紀州九度山におかれてたんだよ。
大名が味方しないのは確定としても、有力牢人までいないんじゃ、さすがに大坂も立ち上がらんでしょ?
その為に真田を紀州に流し、長曽我部や後藤は京都にいるのを見逃されている。
みんな監視がついてたのに易々と大坂城に入っているし、その事で監視側が幕府に処罰されたわけでもない。
最初から家康の罠だったんだよ。
六文銭を使わないのは、一応遠慮してますってポーズを取れば、本家には被害が及ばないことをノブシゲは知っていたんだよ。 家康のもくろみ
信繁・長曽我部・後藤・他 →《釣り餌》→ 大阪 成功\(^^)/
大阪 →《釣り餌》→ 福島・伊達・信幸・他 失敗( ´-ω-)
ってこと? おにいちゃんが引っ掛かったらマズイだろタヌキ的にも。おにいちゃんの鬼嫁はタヌキの養女だし実の親は平八郎だぜ。
そんなんが引っ掛かったらタヌキのメンツ丸潰れだよw 身内で手柄独占して、豊臣系の領地を直轄地&古参の領土にしたかったのに、
秀忠が遅れた所為で、外様やらが手柄をほとんど持っていったため、
せっかく豊臣から奪った領地を、そっちに分配しなきゃいけなくなった 小松姫が夫を選ぶ時、オニイだけ床に顔を伏せなかったみたいだが
これも徳川と手を組むためのオニイの賢い戦略だったのかな? 真田のお家を残す為の!
肖像画は老いたジジイだが若い頃はイケメンだったりしてw >>246
いえ、真っ先に引っ掛かりそうになった忠輝とか言う阿呆もいるしww
家康って親族も姻族も平気で斬るから引っ掛かったら最後でしょ
>>248
イケメンかどうかは知らないけど衣類や具足から、かなりタッパのある人だったことが分かってるみたい 信繁と毛利勝永って江戸時代を通じてどこでこんなに差が開いたんだ >>250
有力な縁戚がいるかいないかじゃないか。
真田は大名として、後には徳川の子孫として残ったから。 信繁や後藤又兵衛とかと違って、細川忠興や多聞院や山科言経が
活躍をちゃんと一次史料として後世に伝えてくれなかったから仕方あんめい 細川や多門院や山科ってどういう基準で書き残すべき事象や人物をチョイスしていたんだろう >>236
ジャージもそうだが校歌も涙ものだな・・・上田高校
関八州の精鋭を ここに挫きし英雄の
我に至剛の誇りあり いざ百難に試みん 六文銭ってたしか上田の何処かの企業が版権取ったから勝手に使用出来ないって聞いたが上田高校は除外かw ジャージってそんなによかったか?
あれ部活で個別に作ってるやつだよな
ちなみに以前、松代高校の硬式野球部のユニフォームにも六文銭あしらわれてた
しかしどこかでユニフォームにマークを付けるなとか問題になって外された。
その何年か後に甲子園出場。
あと少しで、甲子園で六文銭が見れたのにな
高校野球は変な規制が多いわ
まあ、今も靴下には六本のラインが入ってるという話だが。 真田家の血筋は回りまわって伊達政宗・片倉景綱・真田信之の血を一応引いてる 仙台藩士だった頃の真田家って伊達の陪臣だったんだろ
知行はどれくらい貰ってたんだろう 最初は1000石以上持ってたらしいけど辰信が匿っていただきありがとうございましたって1000石を返したらしい たまにやませで死ぬけどな。出羽の方が安定してるイメージがある。 伊達家の資本力
そちに1000石やろう。なに?300石しか取れない?
開墾すれば1000石になる{はず}の土地をやったのだ。と言うわけであとよろしく 昔、信綱の野太刀を見たよ。
刃こぼれしてて、長篠の激戦を思うと目頭が熱くなった。 >>271
部下の兄弟が持ち帰ったあと、殉死した奴かな。
青江の太刀? 首を陣羽織に包んで持ち帰ったんだっけ?
ところで信綱の娘って父親死亡時は年齢的に既婚だよね
何らかの事情で寡婦になったの? 信綱の娘は 信幸の正妻だったけど、小松姫が嫁いでくる事になったので側室になった 信幸の長男 信吉は小松姫の子供ではなく、側室となった信綱娘の子 信幸の正室になる前にどこかへ嫁いでいたはずだよね
信幸よりも七歳も年上なんだから 信幸の正室になる前の記録を見たことが無いんだよねぇ
仮に嫁いでいたとしたら武田の家臣の誰かだろうなぁ
真田信幸は1582年に武田家が滅びるまで、武田家の人質だったので
信綱娘と結婚したのは1582年以降だろう 1582年時点で信幸はようやく16歳だし
と云うか、信綱娘の年齢も初めて知ったw いや、短命だよ。ストレスがなければもっと生きられたよ♪ 真田丸、堺雅人主人公決定で
検索ワード急上昇ランク一位だ 三谷幸喜脚本コメディ決定なので
喜ぶ信繁厨
怒る幸村厨 そういえば『新選組!』にも山南敬助役で 堺さん出てたな 真田太平記の主人公って前半がパパンて後半がおにいちゃんだっけ? 概ね そのとおり
原作では真田忍びのエピソードに幸村が絡んでくる部分が多い
TVでは真田忍びのエピソードを削った結果、幸村の活躍する部分が減ってしまっている感じ 上田城隠し部屋の、火鉢の傍レバーを引くと自動で扉が開閉する仕組みが興味深い 信玄にインスパイアされて
床下の水桶に玉を落として水音で忍びと連絡とったりとか 真田太平記と比べられるのは確実だから配役をしっかりしないと駄作言われるだろうな。
丹波哲郎のアレ超えるの大変だぞ 思い出補正も強力だし、今の芸能界の面子じゃどうやっても越えられないだろ 真田太平記のドラマはヒロインの忍が最後の最期まで全然老けた感じに
見えないのが子供心にも不思議というか凄いなあと思いながら観てた
若く見積もっても50歳くらいにはなってるはずなのに 渡瀬、草刈、村井、清水、梅雀を臆面なく起用するほかあるまい 新選組!では新選組血風録の土方役の栗塚旭と沖田役の島田順司が
土方の兄貴役と沖田の療養してる家の主人の役だかで出演してたな >296
くノ一は歳をとらないという描写が原作の真田太平記の中で描かれているから、それを再現している
池波正太郎が画く、くノ一は皆若づくりで歳をとらない 真田丸
第一話「幸村入城!」
第二話「冬の陣!」
第三話「真田丸を作れ!」
第四話「崩壊への序曲!」
どう考えても50話もたん
信之とかも活躍させれ >>301
せめて犬伏の別れか北条攻めから始めるべき 鬼平つながりで吉右衛門さん連れてくるとか?ただしその場合堺さん空気になりかねないがw >>300
原作を読んだことなかったから教えてもらえて助かった
なるほどなあ… 昔から漫画などに登場するくノ一は歳をとらず若く見える様に画かれている物が多い
しかも長命で100歳を超えるようなヤツが出てきたりする
忍者を妖怪のように描く物も多い 「昌幸は幼い頃から才気煥発だった」ってのをガキンチョの頃に
本で読んだんだが、これ実話なのかな? 石田三成ら西軍とは、信濃、甲斐、上野の三ヶ国を進呈しますという密約が交わされた
当時、信濃は48万石、甲斐は21万石、上野は35万石と見積もりますから100万石を越え越え越え越え越え越え越え越え 山だらけの海無し県ばっか貰ってもなぁ
それだけの大大名になったら、当然海を求めて戦を起こすよ 上田領って東はどこまでだっけ?碓氷峠とかも領土だと遅かれ早かれボッシュートされる運命だったのかな? 上田領って呼び方をする場合は1615年以降の話だと理解すると
現在で云うと国道145号に沿って領地が存在して旧岩櫃城あたりまでが東の境界
碓氷峠の在る国道18号側は領地にほとんど入っていない 上田のスグとなりの小諸は仙石さんの領地になってます しなの、かい、かみつけ
をGETすれば硫黄採掘量が半端ないな
ただし、火薬の需要は泰平の世になると少なくなるけど 火薬は、蚕の泄物に人尿とよもぎの葉を混ぜ、床下等湿った処に置いて腐敗させ、腐敗土を煮詰めたものに、
灰汁を加えて乾かしたものから精製され、越中五箇ヶ瀬山で秘密裏に量産されていたらしい でも俺は高梨内記の娘派だな
竹林院は自分の子以外も引き取って育てたらしいけど引き取るといえば母親はいない可能性が高いわけで、なほは母親いるし菊は上田にいるし於市は幼くして亡くなってるから阿梅しかいないんだよな
あと何で阿梅だけ片倉重長に頼んだのかも不明
結果的に多くの兄弟が仙台に行くことになったけど信繁が頼まなければ行くことはなかったと思う
だから阿梅は竹林院の娘じゃないと思うんだよな 京の真田屋敷と伊達屋敷は隣通しだっけ?
ご近所通しだとご家来衆の間にもコネクションできる? 信繁の娘達の中に奥州白石で亡くなった名前不明の娘がいなかったっけ
阿梅の墓がある寺には何か母親に関する記録はないのかな 読売新聞小町相談室から
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2014/0627/666051.htm?g=01
故人が三途の川を渡るとき用に、お金が必要と聞きました。
つまりお金を包んで持たせた状態でお別れすると知人から伺いました。
「だけど業者が盗んだら、三途の川を渡れないじゃない。なら使いきるほうがいい。」
と知人に伝えたら、
成仏できないと言われたのですが、一般的に火葬では故人に持たせるのでしょうか?
心無い業者が金歯を盗んだりすると聞けば、入れたくないです。
詳しい方 宜しくお願い致します。
未だイクサバ稼ぎが有るらしゅうございます >>319
実高がどれくらいあるのか、それが問題だ。 地図上は広い領土
実際は山と山の谷間に微々たる平地と千曲川
上田はそれでも広い方 分家したのは家の事情もあるけどその方が効率よさそうだもんね なんだかんだ言って家が栄えたのは昌幸と信幸は狡猾なやりてだったから
流石は信綱の息子追っ払って真田家乗っ取っただけのことはある しかし一点、信之存命中にも制紂が困難な、伊賀守信利のような虎狼のたぐいが生まれてしまったのは、驚きだ 端から見ればアフォな御家騒動も
当事者からすると死活問題だったんだろうな
悪いとされる方も、何かしらの言い分が有ったに違いない 信利の凡庸ぶりは一族、家臣が知るところ
それが嫁の実家の老中酒井忠清の権力を背景にして本家の跡継ぎを狙ったが、排除
後に沼田藩を悪政でとり潰しの憂き目に合わせた訳だから良い藩主ではなかっただろう 320
伊達の家臣と結婚したやつだよね
名前覚えんの苦手で覚えてないけど
確か片倉、
片倉小十郎本人かこどもだったと思うけど お梅じゃなかたっけ
戦場になぎなた?もって出てここから先は通さんっていう逸話の人だよね 池田氏の末裔に真田幸村の子孫が仕えていたのは意外と知られていない >>187
人材払底だな
すでに秀吉の主要な家臣は各地へ配属済
佐々の失政で誰かを送り込まなければならないので
加藤と小西、半人前二人を足して一人前のニコイチ 真田宝物館
収蔵品の信幸の甲冑 昌幸の甲冑 展示してなかった
何処か他に出張展示中か? 大河ドラマ真田丸
九度山時代の幸村は側室はべらして
子づくり三昧の日々だったわけだが、ドラマもそうするのか? 昌幸さんの介護をクローズアップし現代にも繋がる問題提起を試みる三谷 昌幸さん、秀吉並みのすさまじいぼけっぷりご披露したりしてwww
信幸夫妻はラッキーだな。弟に介護押し付けたんだから酒ぐらい送ってやれよ 真田太平記読み終わったけど面白かった
リアルタイムでドラマ見れなかったのが無念 原作を読んでしまうと
テレビでカットされたエピソードが残念でしかたがない ドラマではお江と佐平次の間に肉体関係はないことになっている(原作ではある)。 真田太平記(ドラマ)は信之主役だけど
信之主役
昌幸主役
幸村主役
草の者主役
放送回によって主役が違って見えた 原作がそうだよ。四巻なんかほぼ全編草の者の話(お江vs甲賀忍者)
まあ元ネタである太平記からして主役という存在は薄いだからね
信之を主役にしてるのは、最後まで生き残った者としての役割と、池波氏個人の思い入れ 関ヶ原西軍贔屓、大坂の陣豊臣贔屓にとっては
「真田丸(幸村主役)」は楽しみだ 「真田太平記」「真田三代」「真田三代風雲録」以外で真田三代のおもしろい小説教えてください 滝川一積
寛永9年(1632年)になって、幕府から突如としてこれら信繁の娘を養女として他家に嫁がせたことなどを罪状にされ、幕府使番の職を解かれて除封される。 滝川なにやったんだ?
そいやお兄ちゃんは伊豆守だっけ?年代的に知恵伊豆といかと被ってるけど家名いれないとごっちゃになったりしないのかな? 信之は父や弟が苦労かけなかったらもっと長生きできたのに・・・ すみません、教えてください
真田信之が松代に転封になったとき
何万石から何万石になったのですか? 大河ドラマ板情報によると大河ドラマ「真田丸」では
真田幸村でなく真田信繁でやるとのこと
どうする上田市
どうする長野県
どうする九度山町 >>358
信繁の字喜んで使ってる人らってにわか迄はいかないけど俺物知りなんだぜアピールに見える
幸村の方が有名だし無難に幸村にしとけばいいのに 真田太平記風だと本名で呼ぶなんてことはないからどっちでも構わないかと・・・というか親でも子供が大きくなったら官職の方で言うのが普通だったのか? 日常会話ってどうだったんだろうね。公式の場では官職だと思うけど。
真田太平記では、昌幸の「豆州・・・」というセリフがカッコいい。ドラマで演じた丹波哲郎さんがまた上手かった 上田や九度山は観光面を考えて「幸村押し、信繁じゃ困る」って立場だから
NHKと地方自治体の間で暗闘が始まるだろうな 脚本は三谷でしょ?あの人清洲会議も清須にこだわっよね
どっちも間違いではないんだが「洲」の方がよく使われてる中で「須」にあえてした
観光地の要望で幸村に変えるとは思えないが
つか、大河ドラマ決定において舞台地がいかに金使ってるかよくわかるエピソードだわ
日本各地の大河ドラマ誘致運動マジうざい 商店街と土産物屋はウハウハだからな。宿泊業は当てが外れるらしいが 上田の町割りって上田合戦のときとは違ってるんだっけ?いや、街中にここらに上田兵が伏せていましたとか書いてあったら楽しいかなっと思って 信繁だけで50話もつのか?
お得意のホームコメディやるつもりか? 前半の10話の内幼少期〜上杉人質時代と豊臣から関ヶ原まで5話ずつで、最後から10話の内前半が冬の陣、後半が夏の陣だな
わかる コメディならなおお兄ちゃんのほうがよくないか?毎週毎週ピンチで胃が痛い・・・橋田ドラマな大河とかないかなw 九度山ホームコメディのオチに毎回伝え聞いたお兄ちゃん胃が痛いでいいジャマイカ >>369
面白そう
是非やって欲しい!個人的には関ヶ原終わった辺りとか凄いみてみたい!!後鬼嫁小松ちゃんとかw 大河ドラマ「真田丸」では
真田丸に長曾我部の兵が入ったことにするのか
長曾我部の兵は入っていないことにするのか
どっちだろう 真田信繁の子供でわかっているのは
【正室・竹林院】
※大谷吉継の娘で、別名を竹姫・安岐・利世とも云われている。
@長男:真田幸昌(1601〜1615年)※嫡男
A次男:片倉守信(1612〜1670年)※仙台真田氏
B四女:あぐり(蒲生郷喜・室)※滝川一積の養女
C六女:阿菖蒲(片倉定広・室)※名前読みは『おしよふ』
D七女:おかね(石川貞清・室)
【側室・隆清院】
※豊臣秀次の娘
E五女:なほ(岩城宣隆・室)※別名:御田姫
F四男:三好幸信(1615〜1667年)※亀田三好氏
★幸信は三男の可能性もあるが、之親が九度山蟄居中の子と考えて四男と表記。
【側室・堀田興重の娘】
※真田氏家臣の堀田興重の娘
G長女:阿菊(石合重定・室)
【側室・高梨内記の娘】
※真田氏家臣の高梨内記の娘
H次女:於市※信繁の次女
I三女:阿梅(片倉重長・継室)※別名:泰陽院
【側室・不明?】
※信繁が九度山蟄居中の百姓の娘
J三男:石田之親(16??〜16??年)※細川(石田)国弘の養子
以上、11人です。
★ナンバリングは、生まれ順などとは関係ありません。 ここだと男系でつながってるだっけ?世間だと女系も含むとか 血の繋がった子孫も表舞台には出なくてもこの世の何処かには生きてるよね?
やっぱそう信じたい。
髪の毛とかDNA残ってないのかな?
いつかそこから調べられれば >>380
兄の支援で生活してたくせに子供増やしすぎワロタ
その上で大阪に入城して迷惑かけてるんだからどうしようもない奴だな 兄貴より人気あるんだから黙ってろ
嫉妬してんじゃねーよ 兄はむしろマイナーだから良いと思ってる人多そうだがな
にわかには幸村見せて満足させりゃええ 信幸ファンは相変わらず性格悪いな
信幸もあの世で泣いてるだろ
信繁を好きで真田家と共に誇りに思ってたのは遺品見てもわかる。
貶める行為を見るともはやファンとすら言い難い 信繁は嫌いじゃないよ 幸村ファンがキモチワルイだけ >>391
幸村が真田家や信幸に迷惑かけたとか毎回散々言ってるじゃん
それとも内輪揉め狙った徳川ファンかよw
400年の恨みつらみってかw 幸村が真田家や信幸に迷惑かけたのは事実の問題。歴史ファンなら当然の結論。
真田日本一の兵、だけが信繁評ではない。
>>392は事実を鑑みず、ただ幸村の評価下げが気に入らないキモチワルイファンの代表ではないか?
そう思われても仕方ない >>394
まあまあ、真田家は幸村のお陰でより有名になったんだし、
幸隆が盛り上げて昌幸と幸村が名を知らしめて信幸が存続させたでいいと思うよ 生かしたら将来危険だと思えば死なせたられた状況で監禁もしてなかったんだから何されてもそれで幕府にどう思われても自己責任だろ
戦国でない家光でも最後は弟自害させたのに弟に迷惑かけられたとか血縁関係より一個の武将というのが優先されるのが分からないホームドラマ好きのスイーツだね >>394
歴史ファンの結論てなに?
そんなの専門家とかがろんじてるわけ?
おまえら一部が内輪だけで言ってそれを絶対正しいと思い込んでるだけだろ
どこかの国の人の主張みたいなもんだ 上田を離れるのが嫌なら幕府に言えばいいものを仙石に八つ当たりして結果的に上田の民に迷惑かけたのが信之 >>397
九度山に置かれた信繁の身柄は、幕府の管轄であり信之は何も出来ないよ。
昌幸が死んでも葬式すら許可得られなかったんだぜ。
岳父の本多忠勝も死んで、嘆願もしづらくなった。
権力者の家光の事例と同等に考えるのは無理がある。
>血縁関係より一個の武将というのが優先される
・・とか思ってる方がホームドラマ好きのスイーツなんじゃね?やばいょお前 真田厨はどうしてレスが分散するだけのスレを乱立出来るんだ気に入らない流れになったら新しくスレ立ててないか? >>403
なんかやだ
私のなかで倍返しだ!!のイメージがつきすぎてる 大河、幸村最後の突撃シーン
「やられたらやり返す 倍返しだ!」
かっこいいじゃん
しかし、九度山幽閉後
「倍返しだ!」
翌年「倍返しだ」
昌幸脂肪「倍返しだ」
翌年「今年こそ倍返しだ」
翌年「くっ!今年こそ」
ならダサいな 北条の大道寺軍との碓氷峠の合戦が信繁(幸村)の初陣のようである。
「(前略)時ニ源次郎信繁、自身ニ働キ、手ヲ砕キテ高名アリ、敵ヲ追ヒ崩サル。」 長篠の戦いで兄2人が死んだおかげで昌幸が家督を継ぐことになったんだよな。
結果的には良かったのだろうか? >>374
>F四男:三好幸信(1615〜1667年)※亀田三好氏
江戸時代は三好、明治になってからは真田に改正
「豊臣」秀次の血を引く貴重な子孫 豊臣秀次の血統はしっかり残されてます。
しかも秀頼系の血統は天秀尼(秀頼娘)の死で江戸前期に絶えたのに対し、秀次の血統は実は現在も続いてます。
秀次の次女の血統は真田信繁(幸村)の子孫として現存してます。
当初は秀次の名籍を継ぐ形で「三好姓」を名乗ったようですが、
最終的には「真田幸村の子孫のほうが見栄えがいい」という理由かららしく、明治には真田姓に戻したようですが。
歴史の神様は秀次を見捨てなかったとも取れますね。あんなに残したかった秀頼系よりも、秀次系のほうが血統のこりましたからね。 真田信政(信之次男)は、ちゃっかり2代目小野お通を側室にしていたんだな >>413
秀吉直系ではないにしろ、豊臣の血が現代にも残っていたのは、家康嫌いの私にとって嬉しい限り。
スレ汚しスマヌ。 幸村が秀頼を逃がしたというのも満更伝説じゃないのか 女系通して血統が残ってるという言い方には違和感あるな 幸信の子孫が江戸時代通して実子かどうか・・
血統が残ってるんじゃなくて、家が残ってると言うのなら確実だし良いんだが
母系ってそれくらい頼りないものなんだよ
ロマンに冷や水かけるようで悪いけどね テンノーもそうだけど、血糖ってそんな大事かなと思う時がある。
この世の何処かで、血がつながってる人もいるだろうし、こだわらなくても良いのではと 宮内庁はその事実が白日の下に晒されるのが怖くて天皇陵調査を認めていない そうそうアフリカ人の血が混ざってるのが確実とw
っていうか百済の人間と今の朝鮮人は関係ないですから。残念!! 豊臣完子─九条道房─待姫─輔実─幸教─二条宗基(母は徳川吉通の娘信受院)─治孝─九条尚忠─道孝─貞明皇后─昭和天皇─今上天皇 豊臣完子─九条道房─待姫─輔実─幸教─俺の先祖ー・・・ー俺 「故太閤殿下の恩を蒙ったにもかかわらず、
秀頼公を見捨てて内府公に味方する面々は、
それぞれの下心があってのこと。
それがしはたとえ嫡子伊豆守が切腹させられ城攻めに遭おうとも、
君臣の道は踏み外せぬ。
昌幸が義か不義かは天下後世の論に任せるべきである。道中のついでに当城を攻められること、どうぞご随意に」 元々の君主だった勝頼が死んだのにいけしゃあしゃあと織田に降った奴がよく言うよ
って思われたろうな 秀忠勢は城を遠巻きにして善後策を協議する。
戸田一西は力攻めを献策し、一旦はそれに決まりかける。
しかし正信が強硬に反対し、結局城の押さえに兵を置いて美濃へと急ぐことに決し、上田を後にした。
これが九月十日のことである。
しかも正信は大事をとって本道を避け、間道を経て十三日に諏訪へ到着する。
榊原康政ただ一人は正信の方針に怒り、「真田など如何ほどのことがあろう。攻めてくるなら踏みつぶすまで」と、
本道を進んでいったという。
もうこの時点で同勢の関ヶ原への十五日参陣は、既に不可能となっていた。 >>429あれ?勝頼が死ぬ前から降ってたっけ?生きている間はどんなに劣勢でも忠誠を尽くしてなかったか? 物語などでは武田勝頼が死んでからだが 史実では死ぬ以前から信長へ繋がる工作をしている 昌幸がズルいとか云々以前に、
自分の廻りの人脈を使ってコミュニケーション取るのは当然と云うか
工作やっておかないといざという時に何も出来ないだろ
力だけではのし上がれないのは何時の時代でも同じ >>437
マジレスすんなよ
んなこたみんな知っててやってるんだよ
ここは感情でしか議論してない奴等ばかり 皆さんに質問です。
真田家関連の読物でおすすめな物は有りますか? 大坂冬の陣後に家康が信繁(幸村)を1万石で寝返らそうとした話は本当? 本多正純の部下として
大坂陣中目付役である真田信尹が冬の陣の戦いの最中から信繁に接触してきていたのが事実
真田丸の激戦から7日後に10万石で徳川方につけとという交渉が行なわれたようです
更に三日後前田家家老の本多政重と真田信尹がもう一度信繁と交渉しています。
その数日後冬の陣が休戦します。 本気かどうかは別として「会った」という事実だけでも効果あるからね なるほど信繁(幸村)の叔父が交渉役になっていたのか。 信繁の方としては、休戦交渉をスムーズに運ぶ為の交渉の場に付いたという感じみたいだけどね 外様がそういうことする必要や意味あったかね
まあともかく、そのつもりだとすれば逆に利用されたわけだ
冬の陣あれだけ活躍したのに最後まで後藤たちと連携取れなかった 徳川側は主要な武将にコンタクトとっていると思うよ
豊臣側に不協和音とか疑心暗鬼とかを生む事が出来れば成功だから 関ヶ原の時に、家康からも三成からも手紙貰っている武将が多数いるわけで
やれる事はすべてやっているのが戦い 事実とすれば交渉は失敗だったということになるが、信尹は戦後に加増されてるからな 戦いの現場は別として大阪城上層部は本当に秀頼、ひいては豊臣の生き残りを狙ってたんだろうか
三成でさえも実は家康派だったのではないか
命を懸けてまで、家康に添加を取らせた超忠臣
いやこれは皮肉か >449
交渉した時点で徳川側は成果アリ 信繁は一本とられるカタチになった 記念の年だしやはり今年、真田大河をやるべきだったな
軍師官兵衛はいつでもできる
神戸えは、秀吉のイメージが悪すぎる
>>451
一族だから立てたんだよ。
あの一族はよくやる。 >>453
だよね。安部の圧力で来年の大河はああなったんだろ?
権力に弱い犬HK 上掲のご意見につきまして、安倍首相サイドからの威圧は、
ひじょうに遺憾であります。 完全ビジュアル! 戦国最強・真田の戦い!!
ttp://tkj.jp/book/?cd=20224501
こいつは見ごたえあったな >>454
NHKはアニバーサリーにもっと少し気を使ってほしいよね。
来年は夏の陣400年
2016年は家康没後400年
2017は高杉晋作没後150年と
記念年のビックイベント目白押しなのに
松蔭の妹で全て大河でやるの無理になった。 来年は吉田松陰生誕185年の記念だから(無理矢理) 家康とか新作とかはどうでもいいとは言わんが、大坂の陣で戦った武将が
どれだけいるんだという話。 狸の没後400年の年に真田大河やるのか
皮肉なのか?
狸の皮算用 >>457
それ見て買っちゃったぞ
真田三代の本と迷ったけど 真田家が上田を支配していたのは僅か40年
しかし上田の殿様と言えば真田昌幸
他の殿様は全部スルー 信之の時代は上田城そのものがなかったからな。本拠は沼田のままだし。
仙石氏により再建(今ある城址はこの時の)、あれみて「真田の〜」言ってる人には苦笑する。
その後は松平氏が明治まで治めてたけど・・ >>466
一応、一部の石垣だけは昌幸時代の物だよね
信之が城にある物は一切合財、松代に持ってっちゃったけど
あの石垣だけは持ってけなかったというね 信之が上田領貰ったときはもう城は完全に壊されてたんですが・・・ 真田石 最近石垣が傷んできているのか、真田石の後ろへ手が入る隙間が在る
意外にうすくて驚いた 長野北部で震度6弱あったけど、信之統治の時代もでかい地震あったんだろうなぁ 信之は死ぬまで昌幸や幸村を思ってたいた
なぜその心がおまえらにはわからんのだ。
いいか、戦国時代の考えでいけ
おまえらは現在の価値観に置き換えるからダメなんだ 信之って家族や豊臣を裏切った薄情者だろ
幸村みたいに武功も無いのになんで最近評価されてんだ それはお前が信之の戦績知らないだけ
あと信之は家康の女婿だから主君に忠実なだけです 「大坂冬の陣」終結記念の登閣証明書 ── 大阪城天守閣が入館者に配布 [2014/12/22]
http://news.mynavi.jp/news/2014/12/22/590/ 真田丸 wikiより
真田信繁(さなだ のぶしげ)演:堺雅人 http://www.sankei.com/west/news/150104/wst1501040019-n1.html
【関西の議論】
「真田丸」は孤立無縁の砦だった 最新の等高線調査が崩した“定説” あえて敵の大軍を引き寄せた真意とは… 昌幸はなんで信繁って名前付けたんだろう。信玄弟と同名だよね。 >>484
親兄弟でも争いまくってた時代に武田があんなにでかくなったのは
晴信信繁兄弟が仲たがいしなかったからお前もそうしろって事。
そういいつつ、俺は家康に喧嘩を売るから、兄貴はほっといて俺を手伝えとかいう親父。 真田信之 上野沼田 27,000 → 信濃上田 95,000
真田昌幸 信濃上田 38,000 → 改易
戦前は、併せて6万5千石
面積で見ると結構あるけど、石高ではちっちゃいよねえ 交通の要衝だけどな。中山道と越後に向かう道を塞げる 交通の要衝って結構多いからなあw
信之の松代移転時、上田は数字以上の収穫あったというね >>484
戦国出来た弟の一人 武田信繁だからね。
仲が悪ければ、織田や伊達のように兄弟対決になってただろうし。 信繁の方が年上なのに信幸が兄扱いになった
理由は母方の出自が信繁の方が低かったから 政宗が跡を継いでいるのに母の義姫が弟の小次郎を跡継ぎ推していたことがきっかけで政宗は小次郎を殺さなければいけなくなったって話だった気がする それって確実な証明はされてなくて真相は謎なんだよな
政宗の弟と言う住職が江戸に在住、政宗と対面した記録もある(政宗の弟は記録上小次郎しかいない) 政宗の弟って結構年齢離れていなかったっけ?
自発的に謀反起こせないくらいに幼かったような >>500
母親に毒盛られて殺されかけたけど母親を殺すわけにはいかないので、かわりに弟を殺したとかなんとか
母親かダメで弟ならOKってのもよくわからないが 毒殺未遂話が初めて出てくるのは100年以上後に編纂された「伊達治家記録」なので
創作された可能性が高い >>501
義姫が小次郎推してたことで御家騒動になり、その芽を摘んだってことじゃない? 来年真田丸だし、戦国無双でやたらプッシュされてるし、信之の影が薄いと言われている時代が過去になろうとしている・・・? >>504
真田丸はどういう扱いかわからんぞ
三谷後期の思い入れ次第
しかし、さんまのまんまは未だに真田昌幸が出演してるな >>508
ドラマの話かと思ってました
小説ならあるでしょうね 幸村って名前は徳川時代
政権者に配慮してあえてフィクションですっていうために幸村って呼んだんだよね? しかし、幸隆の話題がすくないなあ。
どう考えても幸隆が一番才能あっただろ。 >>517
Wikiによると系図では幸隆 資料だと幸綱と書いてあるそうですよ
つか、幸隆の兄に綱吉ってのがいるのをWikiで見たんやが、裏方なんかな? また、まことは、異常な知ったかぶりである。
料理でもそうだし、法律でも基礎すらできていない。
そのくせ、行政書士を簡単に受かった、と、ほざき、
どこでもこんなやついるなあ、と、思った。
http://bbs7.aimix-z.com/mttbbs.cgi?room=kike >>516
昌幸も捨てがたい
幸村はほぼ作られた英雄像にしても、昌幸が権謀術数で戦国を切り抜けたのは大体史実の通りなはずだから
まぁ幸隆は肝心の調略活動についての具体的な既述とか残ってないんで、不明な点も多い 信之が敵側に付いたとは言え、夏の陣で信繁が死んだ事に思う事はあったのかな? 少なくともいい感情は持ってなかったと思うよ
戦後、停戦中に信繁と会談した家臣や息子達に対して怒りの厳重注意をしたくらいだし 内心は誇りと羨望だろ
戦国武将ってそういうもん
そりゃ徳川派なんだから表向きはそう装わなきゃダメ出し。
なんか、現代の価値観で当てはめる馬鹿が多いな。 井伊・藤堂隊にあっさり軍を粉砕されて、最期は討ち死にって有り様で羨望ねえ?
夏の陣前にせめて長女だけは助けてくれって決別した真田宗家に嘆願したのに誇りね…… >>526
頭悪いな
これだけ名を残してるんだぞ
さらに現代の400年後まで、大河ドラマにもなろうとしている。
天下人じゃないのにだ。
戦国時代の価値観で考えてみな。
凝り固まった現代の価値観は捨てろ 信繁じゃなくて幸村だしなあ
幸村賛美って信繁死後60年以上経ってからの価値観だぞ 関ヶ原までは自分の好きにやれて羨ましいという気持ちはあったかもしれんが、大坂はどうなんだろうね
始まる前は嫌な予感にかられながら大人しく蟄居していてくれと思ってたんじゃないの? その好き勝手に沼田領荒らしが含まれているという事実はあまり知られていないんだよな
『逆説の日本史12 近世暁光編/天下泰平と家康の謎』 (井沢元彦/小学館文庫)
ーーー
・・・御三家(尾張、紀伊、水戸)のうち、水戸家は家格が落ち、将軍にもなれない。特別に参勤交代がない、江戸急変時の補佐か、藩主は江戸常駐を義務付けられている(定府の制)。「天下の副将軍」とも称された。
他にも「御三家」の中でも水戸家が特殊な位置を占めたことは12巻で述べた。それは、天皇家との関係においてである。これは、家康が打った徳川家の為の危機管理政策に端を発する、と私は推理する。勝っても負けても徳川家は生き残る。そのための深謀遠慮である、と。
つまり万が一、他の藩と朝廷が結びついて徳川が滅びることがあっても、水戸徳川だけは、生き残れるように、徳川将軍家でなく、天皇方に味方するようにとの遺命であろう。
水戸家は、関ヶ原で東軍に味方した真田信之のように、将軍家と天皇家が争った場合、天皇家に味方して血統を後世に残すための「分家」である。だから決して将軍にはなってはならない[p.268]。
だから、家康の考えでは、薩長と天皇が連合して、徳川が負けても、水戸徳川だけは、薩長連合について、生き残るという計算があったはずである。
なるほど家を敵と味方に二分するというのも、有事の処世術で、足利幕府や豊臣が滅びゆくのを見てきた家康が、真田のひそみに倣わぬわけがない。
ところが、慶喜が一橋家に養子に行ってしまったことで、黒船の異常事態下に将軍になってはいけない人が将軍になってしまった。それは、吉宗が家康の真似して御三卿を作ったことで、間違いがおきた。
敗因は慶喜の逃亡でも、遠因として吉宗が家康の真似をして作った御三卿があって、吉宗だってよもや自分が原因で徳川が潰れることになるとは思ってもみなかっただろう。
殆ど無血開城で終わることが出来たのは、水戸の慶喜が将軍になったからでもあり、見る方向を変えれば、これでよかったと、言えるのかもしれないが・・・。
沼田真田と上田真田は結果的に2つに分かれただけで、昌幸や信幸には当初はそういう計画はなかったぞ
昌幸と信繁は西軍に付くよう信幸に強く求めていたからな
家康は信幸が徳川に付くとは思っていなかったような書状残しているし、当時の他の記録でも真田が揉めていたのは確認できるからな 大体関ヶ原前の信幸と昌幸はそれぞれ独立した大名だっての 大河ドラマの信幸
天才の弟信繁に嫉妬を抱き、なにをやるにしても失敗ばかりという立ち位置 そして大阪の陣で信繁と信幸の兄弟対決ドラマでもやるんか
安いのう あの兄弟は兵を率いて戦うより個人で斬り合った方がしっくりするんだよなあ
犬伏で弟が兄を散々こき下ろしてそれに切れて兄が抜刀、親父殺し合いを止めたっていうのが真相みたいだから 真田信繁の側室の豊臣秀次の娘・隆清院は
どうやって秀次事件から逃れたの? 秀次の自害自体、どうも秀吉の意向ではなく当人が勝手にやったみたいだからな
毒を食らわば皿までな感じで権力強化と気に食わない勢力の懲罰をやって、必要のない部分はあえて見逃していたかも知れん 「真田街道」を「幸村街道」に変更した上田市
大河ドラマ真田丸が「信繁」使用で落胆したり、NHKに抗議したり… ヤフー知恵袋のベストアンサーに選ばれている投稿が
信繁の家系図について詳しい
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11128806131;_ylt=A3xTwsOyAkVWkmAAlF1sAPR7?pos=3&ccode=ofv >仙台真田氏を調べていたら、信繁の六女・阿菖蒲の家系を見つけました。
>女系ですが、片倉氏の方が信繁の血を引いてるかもしれません。
よくここまで調べたものだ 伊達臣下の真田は女系はともかく、男系は初代からして本物か眉唾 >>542
日本史板で質問してみたら「必死に逃げたんでしょう」^^;てな回答だった
つまり、真相は誰にも分からない。
来年の大河ドラマ「真田丸」でどう描くか見もの 片倉家に嫁いだ信繁の娘が自らの身分を明かしたのは信之死後だったような 素性は知ってたけど、面倒を避けて身分を隠させた方がしっくりするかな
状況的に大坂夏の陣の乱取りで気に入って確保した感じだし 真田丸の配役で小山田信繁役が発表された
武田家滅亡が第1回か第2回あたりか? 武田勝頼(1546〜1582)+21…平岳大(41)
小山田信茂(1539〜1582)+28…温水洋一(51)
穴山梅雪(1541〜1582)+26…榎木孝明(59) 松[姉・村松殿・小田山茂誠室](1565〜1630)+2…木村佳乃(39) ありがとう
真田太平記には出てなかったから心配だった >>558
真田丸は甲斐武田家滅亡から始まるのかな 村松殿の配役の年齢からして甲州崩れでの逃避行での出番はなしかな? やってもいいけど年齢表示して欲しいわw
何歳なのか分からん時があるからな 最近、小田原の陣まで行方不明だったのが明らかになった、小山田茂誠の扱いはどうなるやら 小田山茂誠[義兄・松の夫](1567-1642)+3…高木渉(49) 小山田茂誠は天正18年に昌幸より信濃小県郡村松郷(長野県青木村)を与えられる。
真田信之の家臣となり、大坂の役では、病に臥せていた信之の名代の真田信吉・信政兄弟に従い、息子の之知とともに従軍した。
信之の弟の真田信繁とも親交があり、真田信繁から茂誠宛に出した近況を伝える手紙は、信繁が最後に出した手紙であったという。 http://ninkyou.blogspot.jp/?m=1
ヤクザグッズ!指定暴力団各組織!代紋バッチ!金箔代紋入り大灰皿!代紋彫刻ジッポーライター!代紋バックルエルメス方式!品揃え多数!一度画像ご覧くださいませ! 真田丸出演者(判明分)
真田信繁(幸村)(1570-1615)…堺雅人(42)
真田昌幸(武藤喜兵衛)[父・信濃の戦国大名](1547-1611)+23…草刈正雄(63)
真田信幸→信之[兄・徳川家臣・初代松代藩主](1566-1658)+4…大泉洋(42)
きり [側室・高梨内記娘・於市、阿梅の母]…長澤まさみ(28)
薫[母・山手殿→寒松院](1549?-1613)+21…高畑淳子(61)
松[姉・村松殿・小田山茂誠室](1565-1630)+5…木村佳乃(39)
梅[堀田作兵衛妹・信繁の初恋の女性]……黒木華(25)
堀田作兵衛[真田郷の地侍・梅の兄](?-1615) …藤本隆宏(45)
高梨内記[昌幸側近・きりの父]…中原丈雄(64)
小田山茂誠[義兄・松の夫](1567-1642)+3…高木渉(49)
とり[祖母・恭雲院]…草笛光子(82)
出浦昌相[真田隠密頭](1546-1623)+24…寺島進(52)
佐助[真田隠密]…藤井隆(43)
徳川家康(1542-1616)+28…内野聖陽(47)
阿茶局[家康側室](1555-1637)+15…斉藤由貴(49)
本多正信[家康の参謀](1538-1616)+32…近藤正臣(73)
本多忠勝[徳川四天王・信之舅](1548-1610)+22 …藤岡弘、(69)
小松姫[義姉・信幸正室・本多忠勝娘・家康養女](1573-1620)-3…吉田羊(年齢非公開)
武田勝頼[武田信玄四男・甲斐の戦国大名](1546-1582)+24…平岳大(41)
北条氏政[相模の戦国大名](1538-1590)+32…高嶋政伸(49)
滝川一益[織田四天王](1525-1586)+45…段田安則(58)
上杉景勝[上杉謙信甥・越後の戦国大名](1556-1623)+14…遠藤憲一(54)
室賀正武[信濃の豪族](?-1584)…西村雅彦(55)
小山田信茂[武田家臣](1539-1582)+31…温水洋一(51)
織田信忠[織田信長嫡男](1555-1582)+15…玉置玲央(30)
穴山梅雪[武田家臣→織田家臣](1541-1582)+29…榎木孝明(59)
おこう…長野里美(54)
矢沢三十郎頼幸→頼康[昌幸の従兄弟・真田家臣](1553-1620)+17…迫田孝也(38)
明智光秀(1528-1582)+42 …岩下尚史(54)
板部岡江雪斎[北条の外交僧](1537-1609)+33…山西惇(53)
豊臣秀吉(1537-1598)+33…小日向文世(61)
北政所(1547-1624)+23…鈴木京香(47)
茶々→淀殿(1569-1615)+1…竹内結子(35)
石田三成(1560-1600)+10…山本耕史(39)
大谷吉継[豊臣家臣・信繁の舅](1559-1600)+11…片岡愛之助(43)
豊臣秀頼[秀吉と淀の子](1593-1615)-23…中川大志(17)
豊臣秀次[秀吉甥](1568-1595)+2…新納慎也(40)
片桐且元[豊臣の官僚](1556-1615)+14…小林隆(56)
千利休(1522-1591)+48…桂文枝(72)
※考証の平山優さんの説を採り真田信繁の生誕年は1570年としました。
※山西さんと西村さんは誕生日まだですが12/12で近いので更新しておきました。 真田信繁だけで一年持つのかな
完全に三木谷のホームドラマになりそうだな
戦闘シーンほとんどないだろ >>576
何かを批判したそうな論調だがぼんやりしててよくわからんな 武田勝頼(1546〜1582)+21…平岳大(41)
小山田信茂(1539〜1582)+28…温水洋一(51)
穴山梅雪(1541〜1582)+26…榎木孝明(59)
武田家滅亡の描き方に期待 滝川一益[織田四天王](1525-1586)+45…段田安則(58)
この人秀吉かなんかでも滝川やってたようなw
勝頼に平岳大は酷いなぁ
この人の演じる武士って傲慢で最後失脚するようなのばっかだし
温水洋一は新田武田勝頼みたいに本人は勝頼迎えるつもりだったが
息子や部下が裏切って幽閉される流れっぽいなw 滝川一益ってあまり出番無さそうだけど有名どころを起用するんだな 本能寺後に上野は北条と滝川が決戦するし
北条に真田は一時的に服従するからかな 中央政界じゃいつのまにか消えた人だけど
真田視点だと家康・北条の甲信入りって序盤のメインだろ う〜ん、そっか〜
では、黒田基樹「真田昌幸」
平山優「真田信繁〜幸村と呼ばれた男」
が妥当かね? 第一回「船出」
天正10年、重臣への裏切りから織田の侵攻を許した武田家当主・勝頼に昌幸は上野での合戦を進言し城へ向かう。
しかし勝頼はそれを退け岩殿城へ逃げる。信幸信繁兄弟は父の待つ上州へ向かう。
第二回「決断」
母や姉を伴い父の待つ岩櫃城へ向かう真田兄弟は野党に襲われながらも家族を守り進む。
しかしその途中、勝頼が家臣の裏切りに遭い武田家が滅亡したという知らせが届く。
第三回「策略」
織田への降伏を決意した昌幸は一家を率いて信州小県郡の真田の郷に帰り。
そして、織田に従属を認めてもらうための策を巡らせる。
第四回「挑戦」
信長との謁見のために昌幸とともに諏訪入りした信繁は、そこで家康と出会う。
信幸は真田の郷で留守を任されていた。 >>588
平山優「真田信繁〜幸村と呼ばれた男の真実」は俺も現時点で幸村についての最高の解説書だと思う。
でもこの本幸村中心に書いてあって真田三代ではない。 >>591
「大坂冬の陣は豊臣家の勝利というのが当時の認識だった!」とか抜かしてるのはその本だっけ >>574
262 : 人間七七四年 2015/04/22(水) 02:41:44.49 ID:Abu1PvRN
だから257には何て書いてあるんだよ!
上田市が国道144を真田街道から幸村街道に変えた直後にNHKが信繁って発表して、
それを沼田市の偉い人が「正直、ざまぁみろと思った」って言ってたそうな。
真田フォーラムの人たちからすると、上田に対しては思うところがあるらしい。
あと、松代の色々な場所で鈴木右近について訊いたら誰も何も知らず、
仕方ないから名胡桃城で訊いたら子孫のお住まいまで知ってた。 真田信尹[昌幸の弟・叔父](1547?〜1632)…栗原英雄(50)
真田太平記で出番がなかった信尹登場 林邦史朗は死去する前に2016年NHK大河ドラマ『真田丸』の収録に参加、自身が尊敬していた武将:武田信玄の亡霊役で出演しており、これが遺作であるという。 >>592
あながち間違いじゃ無いけどな。誰にとっての視点かは問題だけど >>598
堀を埋め立てることに承知してるのに勝利者とかないわー 武田勝頼[信玄四男・甲斐の戦国大名](1546-1582)+21…平岳大(41)
小山田信茂[武田家臣](1539-1582)+28…温水洋一(51)
穴山梅雪[武田→織田家臣](1541-1582)+26…榎木孝明(59)
木曽義昌[武田→織田→徳川→豊臣→徳川家臣](1545-1595)+22…石井愃一(69)
跡部勝資[武田家臣](?-1582)…稲荷卓央(45)
これだけ揃っているので武田家滅亡は詳しく描かれるものと期待 >>602
昌幸が岩櫃入りを強く勧めたのに気が変わって岩殿城に行く
愚かな勝頼を詳しく描くんだろうな
実際は真田も武田滅亡前から北条と密書交わしてたと言われてるが 39 : 陽気な名無しさん
今年の大河ドマラに、真田昌幸が若い頃、武田信玄に寵愛されていた小姓時代も登場するのかナッ?
若かりし頃の草刈正雄だったら、演技力がゼロだから、
ちょうど地のママ、自然体で演ずれば、上手く描けただろうゼッ!!!!!
男色シーンの無い戦国時代なんざ嘘偽り、虚妄の作り物でしかネエから、
ここは必ず回想場面としてでも挿入すべきエピソードなのサッ!!!!!!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
〆 さっきのヒストリア、メッチャクチャおもしろかった
あれが大河でいいじゃんってくらい ヒストリアネタバレしすぎだろw
ただ今回の考証通りにドラマ作るなら今までとは一味違う内容になりそうだな 寺が6つとあったが、初め6文銭の事かと思った俺はバカ? あの地図の見せ方だと6つしか見えないが
あの南にも寺並んでたからな 寺町があったので接近経路と視界が制限されて真田丸総攻撃に失敗したと言ってたが
塹壕と高台からの攻撃の話は総攻撃失敗後の話なんだよな?
でないと辻褄合わないもんな 真田昌幸は関白秀吉の像を拝んでいたらしいが
何でそこまで入れ込んだんだろうな >>612
属領じゃない形での「真田領」の成立を認めてくれたのが
関白たる全国政権の秀吉だけだったからじゃないの?
昌幸自体、武田が順調だったら真田家を継ぐ目は
全然ないんだし。 もし昌幸が許されて信之の元に帰って余生過ごしてたら
真田信繁は大坂の陣に幕府側で参戦してたんだろうな
そうなると誰も知らない武将扱いでノブヤボでも武力58武勇59みたいな雑魚扱いだったんだろうな 武力58武勇59って何だよw
変わらねえじゃん 知力の間違いか?
秀忠の軍食い止める際、武勇を示してるからその数値はない >>30
やっぱりレプリカなんだな。
一度行って、懲りたw。
受付の人の言葉にも。
昌幸の物は
上田に返してくれりゃいいのにw >>617
ぶらタモリでも、唯一残ってる遺構か、石垣やお堀だけだったな。 九度山はどうなんだろ。うちからだと便が悪すぎで、気軽に行けないんだけど。 >>621
マジかいw
16日の鶴瓶の家族に乾杯が、九度山なんだが、上田以上に苦労しそうだな。wikiみたら、お店が個人商店とローソンしかないって書いてあった。 あの町の雰囲気は好き〜
一度行けばわかる
真田庵は感動で涙がこぼれてくる。
あの柿の葉寿司の九和楽には寄ってみて。
おやじさんもおばさんもいい人。 当然高野山にも行ったが、戦国ファンなら九度山の方がより感動するはず。 69 :無記無記名:
草刈正雄の二十歳頃の裸体のポスターが、ウチにあるんだけど、
保存状態が良好なので、競市(オークション)に出したらイイ値がつくかナッ?
縦長のかなり大きいサイズのポスターだから、巻いたママ残しておいたのサッ!!!
だけど、これはこれで記念になるので、そのまま所持していても構わネエんだゼッ!!!!
アイツが化粧品会社専属モデルで数人の男性のパトロンに飼われていた頃の思い出としてナッ!!!!!!!!
〆 鶴瓶の家族に乾杯みた。九度山って、堺から自動車で一時間って。
大阪まで、滅茶苦茶近いじゃんw
Googleマップみても、山は信州みたいに険しくないし、妻子をつれて余裕な道だよね。
もし、蟄居を解かれて上田に帰っていたら、距離ありすぎで、動きが取れず、平穏な人生だった可能性があるよね。>信繁 配流なら島とか奥羽あたりに飛ばせばいいのになぜ高野山なの? 初めは死罪だったのを信之に免じて高野山になっただけでは? 戦国時代は隠岐とか佐渡とかあまり聞かないよね?
何故? 佐渡は金山だな
日本海は航路が発達してたから佐渡は行きにくい場所ではなかったんじゃないかな? >>638
宇喜多さんち?だとすれば、八丈島は伊豆諸島
鳥もかよわぬ、というキャッチフレーズだが、実際は上田や九度山よりぽかぽかの常春の国マリネラで、大阪からは遠いが、昌幸が長生きしてそう。 小笠原は江戸時代になって存在が知られるようになった。本土から移住者が行ったのは
幕末で、危うくアメリカやイギリスに横取りされるところだった。
気候は温暖だろうけど、伊豆諸島は江戸初期の農業・海運技術では絶対的に食料不足。
宇喜多秀家も嫁さんの実家(加賀前田家)から援助物資を送ってもらっている。
本題に戻ると、真田父子の配流先は、子供の頃から「大阪に近すぎ」と思っていた。
上田城トラウマが強すぎて、東国に置きたくなかったのかね? 真田紐っていうのを作っててこれが結構
評判よかったらしいw 当時は高野山で蟄居とか多かったじゃん
皆1615年を前提に考えるからおかしくなるわけ
1600年当時は家康は大阪城内に天守閣作って君臨してたわけでな
むしろ高野山は監視しやすい場所 高野山は女人禁制だし酒とかも飲めないし、山から脱走は難しいから配流先として適してるけど
その麓の九度山で一家で酒飲んで紐作りながら貧しいながら楽しい我が家って
なんのバツにもなってないと思うんだな
結果的に脱獄されてるし まぁ信幸(のバックに居る本多忠勝)のお陰じゃね?としか言いようが無いな テレ東で昔オンエアしていた「風雲!真田幸村」という時代劇だと、幸村(信繁)が
配流先を脱け出して京・大阪・堺だけでなく、仙台〜江戸〜鹿児島で徳川方を討つ
展開なんだが、あるエピソードで「このままでは浅野殿(九度山監視担当の紀州藩主)に
迷惑がかかる」と言い出す回があって噴いた。「今更かよ!?」って感じ(笑) >>647
その脚本で夏の陣では「浅野長晟どの謀反!」とか流言流す信繁鬼畜だなw 政宗と信之は仲良かったようだが
忠興とはどういう関係だったのやら
DQN四天王のうち2人とやりとりした書状があるお兄ちゃんって一体・・・ >>645
昌幸の書状見てればわかるけどすごく罰になってるぞアレ 実業家やエリートサラリーマンがその境遇に鳴ったら鬱になって死ぬ
ニートなら罰どころかご褒美かもしれんが 忙しかったらしいけどな紐作ったり
ワラベに読み書き教えたりして() ま有能だったら何やってんだよ俺って自己嫌悪になりそうだな
兄貴バリバリやってるし だから配流先を脱け出しあちこちで徳川方を討ってたんだな 大器晩成ってことだ。雌伏の時を過ごし、最期を花で飾るのが真の武士w
晩成どころが400年経ても未だに日本人の心を打ってるではないか?
家康?
( ´,_ゝ`)プッ >>649
森長可:本能寺直後の混乱に巻き込まれる、移封された松代は昔長可の領地で弟忠政が治めていた時もあった
島津家久:会った事もない弟を日の本一の兵と呼んだ
こう考えると四天王全員と関係あるな
>>653-655
信繁が大坂に入城したのはこのまま朽ち果てて死ぬのが怖かったっていうのもあるかもしれん
徳川に二度も勝った父が老いて弱気になって病気で死ぬのを見たらああはなりたくないと思ったんだろう
信之にとってはいい迷惑だろうが 真田が大坂入場したのは明らかに家康の自業自得だからなぁ
信之の元で近親って形で昌幸と幸村を信州に返してればよかっただけだし
家康は性格に問題がありすぎ
大昔のこと根に持ってたりするしw 山手殿が宇多頼忠の娘って説は 大河だと葵徳川三代がとってたが 今回の真田丸も真田太平記もとってないね
史実としてはどうなんだろ?
昌幸は三成と相婿ゆえに第二次上田合戦の奮闘に繋がるのかな? >>662
山手殿が菊亭晴季の娘であるする説はほぼ否定されている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 昌幸が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
信幸を1566年に産んでるんだから、山手殿は1550年頃には
生まれてないといけないけど、菊亭晴季はそのとき11歳。年齢に無理がある。
そして、武田信玄の正妻・三条夫人の実家と同格の清華家出身というのは、
当時動員兵力45人の足軽大将武藤喜兵衛になる前の小姓でしかなかった
真田昌幸に嫁いだものとしてはいくらなんでも無理がある。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山手殿
(1)清華家菊亭晴季の娘・・・真田が江戸幕府に提出した家譜によるが、家譜は先祖を持ち上げ美化する捏造が行われるのが基本
当時の真田昌幸の身分は武田信玄の下級家臣に過ぎず、上級公家である菊亭家の娘を妻に迎えるとはまず考えられない。
なお、主君である武田信玄の正室の実家・三条家と菊亭家は同格であり、この点からもあり得ない。
このため、菊亭家の娘としたのは後世の格付けを意識したものとされている。
また、年齢的にも合わない(>>901)。
(2)宇多頼忠の娘 ・・・ 『尾張藩石河系図』にも、寒松院(山手殿)が宇多頼忠の娘と明記
(3)武田信玄の家臣・遠山右馬助(足軽30人持ちの足軽大将)の娘・・・『沼田記』
武藤喜兵衛時代の45人持ちの足軽大将だった昌幸には最も相応しい相手である。
昌幸の正室の出自としては最も説明が付く人物であると柴辻俊六は主張している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
信幸の母は菊亭でも宇多でもなく、遠山の可能性が高い。
菊亭晴季の娘というのは極端な身分差や年齢があわないなどの問題からありえない。
宇多頼忠の娘は、もし結婚していたとしても、信幸出生後であり、信幸の母であることはありえない。
菊亭だと家譜に描いてるのは、真田家が提出した家譜がソースなので(家譜は粉飾されてるのが普通)、
信幸の子孫である真田藩が、信幸の母の家柄を飾りたいので捏造した可能性。 家康はなぜ真田丸に大筒を撃ち込まなかったのかな?何か理由があるんですか? 大筒による遠距離砲撃は狙って当たるものじゃない
天守直撃は運が良かった 国崩しに夜討ち朝駆けする武辺者はいなかったのか?情けない 文禄三年十一月三日付で
左衛門佐に任ずる旨の口宣案の控えが現存する。
(柳原家記録・資勝卿符案幷御教書)
ここには豊臣信繁とあり
豊臣の氏を授けられ、左衛門佐に任官。
因みに、同日、兄信幸も豊臣信幸として従五位下伊豆守に叙任されており
こちらは口宣案の実物が真田宝物館に所蔵されている。 真田昌幸弟の正室は馬場信春女であり、遠山右馬助の軍役負担は馬場信春より劣るから、遠山右馬助説は成り立たないと思う。
「加沢記」に信之は砥石城生まれと書いていて、真田の家譜だと信之出生地は不明としているから、これを根拠にしたら、昌幸と正室の婚姻時期は信之出生後になる。
実際、昌幸の武藤氏継承は永禄10年だから、正室の出自を考察するなら、武藤信尭縁の女性になるはず。 保守
大河ドラマ「真田丸」視聴率
<地域別+BS視聴率・上半期(名古=名古屋、北九=北部九州)>
______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野__ BS .__
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4___*3.3___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1___*3.3___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*___*3.5___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*___*3.9___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7___*4.5___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0___*4.2___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*___**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*___*4.4___ 「調略」
09(03/06) 16.6___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「駆引」
10(03/13) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「妙手」
11(03/20) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「祝言」
12(03/27) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「人質」
13(04/03) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「決戦」
14(04/10) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「大坂」
15(04/17) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「秀吉」
16(04/24) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「表裏」 >>972
昌幸の兄の信綱の嫁は、家臣の高梨の娘なんだけど。
足軽大将の遠山の娘が一番、足軽大将だった昌幸に相応しい相手だろう。 >>674
信綱の嫁は高梨氏だけど真田家臣の娘ではないよ
北信濃の国人で上杉謙信の親戚である高梨政頼の娘
高梨政頼と真田家臣の高梨内記との関係については不明だけど一族かな >>672
真田信綱と真田昌輝の妻はもっと格下だからな。
武田家が没落してきたから、結婚が後になればなるほど、格上の相手と結婚できるように
なっただけじゃないの?
http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/48160115.html
>そもそもの出発点として、昌幸(役・草刈正雄)の妻「薫」(役・高畑淳子)の出自の問題があります。
>若かりし昌幸の身分やその他の条件を考慮すれば、昌幸の妻としては、遠山右馬助の娘が有力との説があることを以前に紹介しました。 昌幸の妻が公家出身とか江戸時代に松代藩が捏造したんでしょ?
秀吉が天皇のご落胤とか家康が源氏とか何でもありじゃんあの時代 真田信繁ってなんで後世に幸村って呼ばれるようになったの?
軍記物でも普通に本名でいいのに、なんか不思議 一応大坂城入城の際に名乗ったらしい事は語り継がれてるらしい
真田家のみだから胡散臭いけど <地域別+BS関東視聴率・上半期(名古=名古屋、北九=北部九州)>
______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野__ BS .__
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4___*3.3___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1___*3.3___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*___*3.5___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*___*3.9___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7___*4.5___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0___*4.2___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*___**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*___*4.4___ 「調略」
09(03/06) 16.6___14.4___16.7___13.6___12.3___**.*___**.*___ 「駆引」
10(03/13) 16.2___17.4___16.9___11.9___13.3___29.2___*4.7___ 「妙手」
11(03/20) 15.6___14.0___16.9___13.4___12.8___25.0___*4.5___ 「祝言」
12(03/27) 17.9___17.0___19.7___14.8___15.7___**.*___*4.1___ 「人質」
13(04/03) 17.5___16.4___17.6___11.6___14.4___**.*___**.*___ 「決戦」
14(04/10) 17.1___15.2___19.5___15.0___16.4___**.*___*4.8___ 「大坂」
15(04/17) 18.3___17.4___18.9___15.7___--.-___27.6___**.*___ 「秀吉」(北九:13.9未満)
16(04/24) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「表裏」
17(05/01) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「再会」 今日面白かったぞ
視聴率はこの時代にしては十分だろ
プラスBSの視聴率も高いらしいし。
取り敢えず、軍師化んべー超えてれば御の字だと思う 本スレなのに心ないやっかみの書き込みあるが
昨日はBSの視聴率が最高の5パー超えだ
せいぜい批判してるがいい <地域別・上半期(名古=名古屋、北九=北部九州)> ※BSはBS関東視聴率
______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野_______ BS .__
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4________*3.3___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1________*3.3___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*________*3.5___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*________*3.9___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7________*4.5___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0________*4.2___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*________**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*________*4.4___ 「調略」
09(03/06) 16.6___14.4___16.7___13.6___12.3___**.*________**.*___ 「駆引」
10(03/13) 16.2___17.4___16.9___11.9___13.3___29.2________*4.7___ 「妙手」
11(03/20) 15.6___14.0___16.9___13.4___12.8___25.0________*4.5___ 「祝言」
12(03/27) 17.9___17.0___19.7___14.8___15.7___**.*________*4.1___ 「人質」
13(04/03) 17.5___16.4___17.6___11.6___14.4___**.*________**.*___ 「決戦」
14(04/10) 17.1___15.2___19.5___15.0___16.4___**.*________*4.8___ 「大坂」
15(04/17) 18.3___17.4___18.9___15.7___13.6___27.6________**.*___ 「秀吉」
16(04/24) 16.9___16.3___**.*___**.*___**.*___**.*________*5.2___ 「表裏」
17(05/01) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*________**.*___ 「再会」
18(05/08) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*________**.*___ 「上洛」
19(05/15) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*________**.*___ 「恋路」
20(05/22) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*________**.*___ 「前兆」
21(05/29) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*________**.*___ 「戦端」 幸村の大阪時代の記録ってほとんど残ってないっていうから
けっこうあんな感じだったのかもしれん。
つか大河面白すぎw ヒデキチに気に入られてたのはじじつか
近習になった事実はないよね? すみません、「吉光のお長持」に入っていたという三成からの書状が見たいんですけど、
掲載している本とかありますか?
上田博物館とかに行かないと見られないでしょうか >>690
三成の書状は上田市立博物館ではなく松代の真田宝物館にあります
真田宝物館収蔵品データベースで「石田三成書状」で検索すると見られますが画像のみです
http://jmapps.ne.jp/sndhmt/index.html
真田宝物館で販売していた「長野県宝 真田家文書(1)」という本には
史料番号 吉45と吉47の2通の書き下し文が掲載されています
現代口語訳はありません 吉蜜の長物ってどういう意味持ってるだろうな
信繁への思いは伝わるけど
三成に対してはどういうことだったんだろ >>691
一般の書籍では見られないんですね…
ご丁寧にありがとうございました 愛知県史資料編や信濃史料とかの関ヶ原合戦時の三成文書とかはそういうのだろうな >>693
ちゅうか検索して見た?
どうせ候文読めないんだから現代語訳見ても意味ないし
概要なら>>691の書いてくれてる場所で検索したら書いてるだろ >>693
手近にあった本を確認したところ「真田氏三代―真田は日本一の兵」という本に
史料番号 吉45(7月30日付書状)の全文の書き下し文・現代口語訳と解説が掲載されていました
ちょっとお値段がはる本(税抜3,000円)なので図書館などで探すのも良いかもしれません >>696
重ね重ねありがとうございます
「真田氏三代―真田は日本一の兵」は購入しようと思っていたので、
情報がいただけてよかったです
本当にありがとうございます 信繁って秀次の娘を側室にしているが、どういう経緯だろう。
秀次は罪人扱いだからその人物の娘の素性を今世に伝える事は決して得にはならないと思うが >>698
そもそも秀次の娘を側室にしたというのが真田家の捏造 >>699
また捏造スピーカー君かもう飽き飽きだよ ツイッターでの仙台真田家の宣伝(書籍、セミナー)がウザい
信繁(幸村)と血のつながった子孫だと主張している そもそも秀次の娘が助かった史実はない。
秀次の娘は1人であり、その一人娘は息子3人と一緒に三条河原で処刑されている。 意地汚いヤロー共だな
じゃあ捏造したという証拠見せろ
あるものならな <地域別・上半期(名古=名古屋、北九=北部九州)>
______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*___ 「調略」
09(03/06) 16.6___14.4___16.7___13.6___12.3___**.*___ 「駆引」
10(03/13) 16.2___17.4___16.9___11.9___13.3___29.2___ 「妙手」
11(03/20) 15.6___14.0___16.9___13.4___12.8___25.0___ 「祝言」
12(03/27) 17.9___17.0___19.7___14.8___15.7___**.*___ 「人質」
13(04/03) 17.5___16.4___17.6___11.6___14.4___**.*___ 「決戦」
14(04/10) 17.1___15.2___19.5___15.0___16.4___**.*___ 「大坂」
15(04/17) 18.3___17.4___18.9___15.7___13.6___27.6___ 「秀吉」
16(04/24) 16.9___16.3___17.4___12.4___18.5___24.5___ 「表裏」
17(05/01) 17.0___14.7___17.9___12.6___14.3___**.*___ 「再会」
18(05/08) 19.1___17.6___17.6___12.9___18.3___23.4___ 「上洛」
19(05/15) 17.0___14.7___18.0___11.9___14.3___23.1___ 「恋路」
20(05/22) 18.7___16.8___17.6___13.8___17.9___**.*___ 「前兆」
21(05/29) 16.8___15.8___17.1___12.5___13.8___**.*___ 「戦端」
22(06/05) 16.6___14.8___16.5___12.9___17.2___**.*___ 「裁定」
23(06/12) 18.9___17.3___18.3___15.9___17.4___25.5___ 「攻略」
24(06/19) 17.6___14.9___**.*___**.*___**.*___22.1___ 「滅亡」
25(06/26) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「別離」 真田家に詳しい人に質問
恒興輝政(備前池田家)の末裔という人が先祖には上田真田家から
嫁に来た人もいて云々とSNSで語っていて気になったから調べてみたら
池田側は支藩一門(庶子)に該当する人は婚約側室含めて一人もいなくて
かすりもしない状態だったんだけど真田家側には池田に嫁いだみたいな
記録ってあるの?
もしこのあたり知ってる人がいたら教えて欲しいです。 慶応の学生です。
大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。
今回の三宅洋平の得票に戻るが0時00分現在で東京都合計で18万8千票である。
区部合計では、13万票 そのうち千代田区では、たったの1千票。
港区では5千500票 新宿区では6千500票、文京区では4千票 台東区では3,500票 墨田区では4千票 品川区では7,569票 目黒区では10,000票
大田区では12,000票 世田谷区では20,000票 渋谷区では8,000票 中野区では8千票 杉並区では1万7千票、北区では4,500票 板橋区では1500票
練馬区では1万2千票 葛飾区では500票、江戸川区では5,000票 八王子市では6,000票、立川市では2500票 武蔵野市では3,500票 三鷹市では4,500票 と続く。
豊島区ではなんとゼロ票 中央区ではゼロ票。江東区ではゼロ票、荒川区ではゼロ票 足立区ではゼロ票 通常、こんなことは考えられない。 ______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*___ 「調略」
09(03/06) 16.6___14.4___16.7___13.6___12.3___**.*___ 「駆引」
10(03/13) 16.2___17.4___16.9___11.9___13.3___29.2___ 「妙手」
11(03/20) 15.6___14.0___16.9___13.4___12.8___25.0___ 「祝言」
12(03/27) 17.9___17.0___19.7___14.8___15.7___**.*___ 「人質」
13(04/03) 17.5___16.4___17.6___11.6___14.4___**.*___ 「決戦」
14(04/10) 17.1___15.2___19.5___15.0___16.4___**.*___ 「大坂」
15(04/17) 18.3___17.4___18.9___15.7___13.6___27.6___ 「秀吉」
16(04/24) 16.9___16.3___17.4___12.4___18.5___24.5___ 「表裏」
17(05/01) 17.0___14.7___17.9___12.6___14.3___**.*___ 「再会」
18(05/08) 19.1___17.6___17.6___12.9___18.3___23.4___ 「上洛」
19(05/15) 17.0___14.7___18.0___11.9___14.3___23.1___ 「恋路」
20(05/22) 18.7___16.8___17.6___13.8___17.9___**.*___ 「前兆」
21(05/29) 16.8___15.8___17.1___12.5___13.8___**.*___ 「戦端」
22(06/05) 16.6___14.8___16.5___12.9___17.2___**.*___ 「裁定」
23(06/12) 18.9___17.3___18.3___15.9___17.4___25.5___ 「攻略」
24(06/19) 17.6___14.9___16.9___15.1___15.5___22.1___ 「滅亡」
25(06/26) 18.3___16.8___16.6___13.2___14.0___**.*___ 「別離」
26(07/03) 16.4___16.1___18.0___14.7___16.9___**.*___ 「瓜売」
27(07/10) 15.1___13.6___16.1___14.3___13.1___18.9___ 「不信」
28(07/17) 17.0___15.5___16.9___11.4___13.4___23.4___ 「受難」
29(07/24) 17.5___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「異変」
30(07/31) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「黄昏」 ______________関東__関西__名古__札幌__北九__長野
01(01/10) 19.9___20.1___19.7___13.5___15.9___32.4___ 「船出」
02(01/17) 20.1___21.8___20.3___16.7___16.3___31.1___ 「決断」
03(01/24) 18.3___20.2___19.3___13.7___17.2___**.*___ 「策略」
04(01/31) 17.8___18.8___19.8___14.3___16.4___**.*___ 「挑戦」
05(02/07) 19.0___18.1___19.8___13.8___14.6___29.7___ 「窮地」
06(02/14) 16.9___17.6___18.3___12.8___12.8___31.0___ 「迷走」
07(02/21) 17.4___17.1___16.8___12.8___13.9___**.*___ 「奪回」
08(02/28) 17.1___17.4___17.4___16.8___13.6___**.*___ 「調略」
09(03/06) 16.6___14.4___16.7___13.6___12.3___**.*___ 「駆引」
10(03/13) 16.2___17.4___16.9___11.9___13.3___29.2___ 「妙手」
11(03/20) 15.6___14.0___16.9___13.4___12.8___25.0___ 「祝言」
12(03/27) 17.9___17.0___19.7___14.8___15.7___**.*___ 「人質」
13(04/03) 17.5___16.4___17.6___11.6___14.4___**.*___ 「決戦」
14(04/10) 17.1___15.2___19.5___15.0___16.4___**.*___ 「大坂」
15(04/17) 18.3___17.4___18.9___15.7___13.6___27.6___ 「秀吉」
16(04/24) 16.9___16.3___17.4___12.4___18.5___24.5___ 「表裏」
17(05/01) 17.0___14.7___17.9___12.6___14.3___**.*___ 「再会」
18(05/08) 19.1___17.6___17.6___12.9___18.3___23.4___ 「上洛」
19(05/15) 17.0___14.7___18.0___11.9___14.3___23.1___ 「恋路」
20(05/22) 18.7___16.8___17.6___13.8___17.9___**.*___ 「前兆」
21(05/29) 16.8___15.8___17.1___12.5___13.8___**.*___ 「戦端」
22(06/05) 16.6___14.8___16.5___12.9___17.2___**.*___ 「裁定」
23(06/12) 18.9___17.3___18.3___15.9___17.4___25.5___ 「攻略」
24(06/19) 17.6___14.9___16.9___15.1___15.5___22.1___ 「滅亡」
25(06/26) 18.3___16.8___16.6___13.2___14.0___**.*___ 「別離」
26(07/03) 16.4___16.1___18.0___14.7___16.9___**.*___ 「瓜売」
27(07/10) 15.1___13.6___16.1___14.3___13.1___18.9___ 「不信」
28(07/17) 17.0___15.5___16.9___11.4___13.4___23.4___ 「受難」
29(07/24) 17.5___15.7___17.8___13.0___15.5___**.*___ 「異変」
30(07/31) 14.5___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「黄昏」
31(08/07) **.*___**.*___**.*___**.*___**.*___**.*___ 「終焉」 >>708
該当アカウント見てきたけどその人のご先祖が池田違いを
しているんじゃなかろうか
池田に嫁に来ているのに六文銭万歳みたいなのって池田家の
家風的にかなりおかしいとオモ
というのも池田んちって将軍の養女だろうがなんだろうが池田に
嫁いできたからには完全に池田の人間になってもらう。
できなければ去れみたいな家風だぞ、分家含めて。 大河ドラマって、合戦シーンに期待できない印象が強い
昔っからそうなの? 昔は金使ってエキストラを揃えていたけど、いまはろくに集めてないんだっけ?
下手したら以前の作品の使い回しだったりもあったような >>715
「武田信玄」の頃まではそこそこ良かったのではないか? 1981大河ドラマ「おんな太閤記」は合戦シーンは皆無に等しい 432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/30(木) 17:55:09.88 ID:kwO7WiyE
物語などでは武田勝頼が死んでからだが 史実では死ぬ以前から信長へ繋がる工作をしている
↑
ほー >>413
> 歴史の神様は秀次を見捨てなかったとも取れますね。
あんなに残したかった秀頼系よりも、秀次系のほうが血統のこりましたからね。
なるほど 歴史番組で幸隆が特集されてて初めて幸隆のこと知りました
出だしから「現代にも通じる幸隆の処世術」という触れ込みだったんですが
蓋開けてみれば、最前線で何年も命を危険にさらして戦ったり、先見的で巧妙な奇策を用いたりと
とても凡人には真似できないものばかりでしたorz 蒲生氏郷もでねーな
関ヶ原の時生きてれば面白かったんだが 真田丸で九度山の村人に真田信繁が兄から送ってきた蕎麦の実で蕎麦掻作って
売るって所で結局大量に売れ残るって流れを
ナレーションで「売れず」とあっさり流されたのを「そばがき、ナレ死」とつぶやいたんですわ 真田丸、昌幸の言葉「軍勢を一つの塊と思うな、ひとりひとりが生きておる。ひとりひとりが思いを持っておる。それを努努忘れるな。」 219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 00:55:21.95 ID:/kWRrGog
もう草刈正雄と渡瀬恒彦復活すれば高視聴率期待出来るよw 最後の戦国大名 真田信之
1645年、戦国時代を知る僅かな大名の一人となった真田信之は江戸城に呼び出された。
4年前将軍に就任した徳川家綱は未だ15歳である。
家綱「くるしうない、面をあげよ」
信之「ははっ」
(松平)信綱「実はな上様の初めての相手を貴殿に頼みたくて呼んだのじゃ」
信之「えっ・・・・、ご勘弁くだされそれがしは既に80歳、
杖がなければ歩く事もままならない有様、お若い上様の相手は務まりませぬ」
家綱「勘弁できぬ、私ははじめては戦国時代の武将とすると決めておったのじゃ」
信之「そ、そんな・・・・」
将軍の小姓たちに取り押さえられた信之は衣服を脱がされ四つん這いの体制で床に組み敷かれた。
信綱「さぁ上様、この穴に又の竿を挿れるのです!!」
家綱「うむ、参るぞ、食らえっ!!」
ズブブブ・・・・
信之「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
家綱「ふんっ!ふんふんっ!!」
信之「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで…っ!!」
家綱「嘘を言うな!こんなに股の竿を硬くしおって!!」
信之「あひぃ!扱かないでぇっー!!」
かくして80歳にして将軍の夜伽相手に選ばれた真田信之は
その後も亡くなるまで13年間もの間将軍の寵愛を受けることになる。
家綱「ふんっ!ふんふんっ!!」
信之「うひぃ、もう勘弁してくだされ腰が抜ける・・・・・」
家綱「だめじゃ!今宵は朝まで寝かせぬぞ!!」
信之「ひいああああっー!!」
将軍に尻の具合を気にいられた真田家はその後も栄え続け、
外様でありながら譜代大名と同格に扱われ子孫には幕府の老中に任じられるものも出るのであった。 上田から沼田と言ったら、石高は別にして
面積だけなら相当広いぞ。
端から端まで当時なら一日がかりだろう 【問】武田家滅亡前に昌幸と北条がやりとりした書状には何が書いてあったんですか
【答】
武田家滅亡前、の「前」とはいつごろくらいから前のことなのかな?
武田家の信濃侵攻以降、真田は武田の対北条・対上杉の最前線として活躍した一族なので、
外交折衝とか調略とか、真田昌幸と北条とのやり取りの書状は現代でもかなり残っている。
たとえば長野県立歴史館の『信濃史料』デジタル版とか。
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/2000710100/topg/shuroku.html
それだと長期間過ぎるから、もう少し時期を絞って、武田勝頼自害の翌日に出された書状の
正村文書(しょうむらもんじょ、真田昌幸宛北条氏邦書状、氏邦は汁かけの氏政の弟)だったら、
北条氏への真田家の帰属をうながす内容の書状。昌幸の返書は、ちょっと分からんな。 神のような智謀の昌幸、決断力のある信之、英雄の信繁 http://www.myouji.org/sanadadaihachi.htm
>片倉守信と真田大八は 全くの別人です。ニセの子孫の言い伝えよりも 歴史学者或いは 家系の専門家の説が正しいのは言うまでもありません。
>真田幸村の直系子孫と称する人は デタラメな「仙台人名大辞書の真田の項」に 基づいているので、それは間違いです。
その人は 真田大八の子孫ではありません。 16 :日本@名無史さん 2017/01/01(日) 14:49:04.91
明治時代に仙台真田家当主が、娘が生んだ男の子(女系)を養子にしたため、
仙台真田家は、
「少なくとも女系」ではなく「よくて女系」。つまり、『直系子孫が語る』は詐欺。
歴史学者たちやNHKが仙台真田家を無視していることから女系すら怪しい。
いま伝わっている仙台真田家に関する物語には一次史料の裏付けのあるものは
何もなく、すべて作家(非歴史学者)の想像によるもの。
17 :日本@名無史さん 2017/01/01(日) 14:55:46.32
仙台真田家の3人目の養子・幸清の実父は真田信知。
仙台真田家は真田信繁から真田信知までの系図を明らかにしようとしない。 >>738
仙台真田家にはガッカリしました。
一瞬でも歴史的事実だと思った僕が大馬鹿でした。
あー腹立つッ! 真田丸は盛り上がってたのに
この本スレは一年かけても全然進まないな
それもそのはず
>>737
>>739
こういう意地汚い糞野郎がのさばってるからだ 仙台真田家の家系図は明治時代作成
数回養子を迎えているが実家の由来が不明
信繁女が片倉家に嫁いだ説の元ネタは大正時代成立の聞き書き
信じろって方が無理やで 真田大八が幕府に見逃されていたというのも無理がありすぎるからな
なんで大坂の役以前に死んでいたのが、いつの間にか以降に石合戦で死んでたとされたいう説になったのやら 天正10年。武田勝頼が真田領内に逃げ込む可能性もあったわけだが。
いくら真田昌幸とはいえ、織田信長の大軍を相手に戦い抜くのは不可能だと思うんだが、
勝頼が逃げ込んで来た場合にはどう戦うつもりだったんだろう? 越後に勝頼逃がしてしれっと降伏だろ。滝川逃がした時以上のことができるとは思わんな 昌幸と信幸の関係のぎこちなさってなんなんだろうなって考えてて、信幸が信綱の娘を正室に貰ってたってことに改めて気づく
昌幸の中に、どっかで、「自分は武藤喜兵衛だ。真田氏の傍流だ」って意識があって、
信幸を真田氏の嫡流に据える一方、ゆえに、信幸が本流なんだから、そこに自分の影響があってはいけないって意識があったんじゃないか
真田丸じゃあ、その弟の信尹を真田家の傍流、影、っていう描き方をしてたけど、実は昌幸自身もそう自己規定していたと
もっというと、信幸に真田家の責務を押し付けて、自分は自分のやりたいことをやると試みたがった 幸隆について新説が出て、研究者間で話題になってるらしいね。定説化するかも?
真田の墓所は廃棄された後復興された形跡がない。先祖代々の文物も伝わっていない。
これは幸隆が嫡男ではなかったから。嫡男ではないが武田に仕えて功あって旧領を与えられたのでこういう捻れがおきたということらしい 真田昌幸って名前がまず良い。自分も○田何で息子には○田昌幸と名付けたい。
でもマッサーとかアダ名は嫌じゃな >>747
幸隆から昌幸から信繁から、真田家はずーっと弟が活躍する家系かおもろい オレは、同一人物という証拠であるID一致を貼った
が、まことは、文面を読まずに反論しているため
それは、自演の証拠ではない
と、言った オレ様は、バカバカしくなって、まことに知識を教えなくなった 上田真田まつりで、真田鉄砲隊に討ち取られるミッキーマウスを見てみたい。 戦国遺文 真田氏篇 第1巻
黒田 基樹 編
平山 優 編
丸島 和洋 編
山中 さゆり 編
米澤 愛 編
A5・352ページ
本体17,000円+税
http://www.tokyodoshuppan.com/book/b359740.html 法律スレッドに書き込んでいる自称慶応のまことが
なぜ、法律の初歩的問題に答えられないのだろう 誰にも相手にされなくなったまことだったが
その後も「我慢が出来ず」自演に没頭する ネット検索で勉強するまことは偉い
が、大物専門家を気取りたいななら、もっと
勉強すべきであった 初歩的な質問ですまないが。
真田幸村は関ヶ原の前に従五位下になっているわけだが。
九度山に配流されている間も、この官位は剥奪されないで有効なままなの? >>763
徳川家から制裁されたわけで
朝廷から制裁されたわけではないからなあ…。 確か信繁は死ぬまで位階剥奪は無かった筈。
これが宮中で天皇に無礼を働くとか、天皇への謀反と見做される行為があったら位階剥奪もあったけど。
官職はどうだったっけ?受領職じゃない諸大夫だったから官職もそのままだったかも。
豊臣の官職も武家官位だから公家みたいな定員無いし。 某家は「直系子孫です」とアピールしたから歴史のプロたちによって斬られた。 >>751
残念だがはすでに創価の天下は近いだろう
色々な所を監視しまくりで
自民も暴露されまくりで言いなり...
移民は創価信者だから 何十年後は完全乗っ取り完了だな 先週だかにやっていたEテレの知恵泉、
久しぶりにテレビで真田見れて嬉しかった
何度見ても幸村が家康に突撃するシーンは
カッコよくてシビれる、まさにヒーローだわ
んで、その後に必ずウルっと来てしまう 赤備えってのがいいんだよな
強そうに見える
実際赤色はそういうような効果あるらしい
赤備えにしたのはそれもあるだろうけど
信之の方の真田と区別する意味もあった 赤備えはそれだけ決死の覚悟の現れってことだろうね
文字通り最後の決戦突撃で
十中八九死ぬワケだから そう
逃亡防止目的も兼ねているので統率出来ない大将だと率いるのは難しいから、必然的に他の部隊より粘りがちになるんじゃないのかな >>778
所詮豊臣方は浪人たちの寄せ集めだから、統率を取るためにも赤備えで士気を上げ、逃亡を抑制する意味があったんだろうな。
それに赤色は人を興奮させる効果もあるし一石二鳥ってところかな うん、赤備えは理にかなってたんだね
味方の士気を上げ、敵には強そうに見える
さすがは戦の天才名将幸村 Eテレ知恵泉、ついでにと言うと何だが信之編ようやく見た
まず思ったのは超現実主義だな信之
でも何つうか出来すぎで面白味に欠けるというかやはり地味
ロマンが無さすぎつうか、いや偉いんだけどさ
悪いがまあ人気はあまり出ないなと思った 岩櫃城跡が国の史跡に
ttp://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1418206.html
ttps://www.pref.gunma.jp/houdou/x46g_00042.html つも思うんだが、真田信幸とか藤原彰子みたいに
衛生も医療も現代より遥に劣る時代に80歳以上も生きた人が
現代に生きていたら、一体何歳位まで生きるんだろう? >>785
龍造寺隆信の祖父は93くらいまで生きていたな。
しかも90過ぎてから戦争を指揮して勝っている。 信之も亡くなる2年前まで現役で
前年にはお家騒動に巻き込まれてるからな
亡くなる直前まで心身共に元気だったと思われる 真田家の歴史本見るに信之次男の信政って開発狂と称される暗君の類だったっぽい 信繁が一騎打ちで討ち取られたと言われる一次資料なんてあるの?
嘘臭くないか 人の振り見て我が振り直せ
他人を蔑んで悦に入るようにはなりたくない 【戦国こぼれ話】真田昌幸は「打倒家康」を悲願としていたのか?実は貧困と病気で苦しんだ悲惨な晩年。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20200901-00196122/
慶長16年(1611)6月4日、昌幸は65歳で真田庵(和歌山県九度山町)で病没した。
九度山での幽閉生活は11年にも及んだ。ここまで記したとおり、「打倒家康」を悲願としていたという通説とは大きく異なり、
晩年は病と貧困に苦しんでいたのである。 伊豆守信之は70近くになって庶子を儲け、その子は飯山の寺の住職になったそうだな >>798
『真田丸』の天正壬午の乱の所で登場できなかったのは惜しかったね。依田信蓄。 >>799
正規の研究者も全国飛び回って講演する事が出来なくなったよね。中高年以上の世代はzoomなんてやらないし。 >>807
上田市周辺の人の一部は村上氏や砥石城跡の話をすると避ける人がいる。生島足島神社の氏子か甲斐から来た武田氏の末裔の人達だろうか? >>782
兄は現実主義で幕末まで家を保ったうえに、養子だけど途中で老中まで出して
弟は負けたとはいえ最期に武名を全国に轟かせて戦死。
セットで見ると、武家としては最高の展開だわな。徳川・松平一門や譜代でも
取り潰されたり、藤堂家みたいに出世はしても幕末になって「やっぱり裏切り者の
家系」と不人気だったりする家も多いのに。 武田氏滅亡の真田昌幸による上野攻略
勝頼軍抜きでやって凄いな
勝頼の方は北条、徳川相手に駿河伊豆ではりつけで上野は真田に任せっきり
丹波に5年かかった光秀より優秀
謙信も氏康も信玄も誰も上野攻略はできなかった
こんな才能あるのに勝頼在命中は独立しようと思わなかったのだろうか
よっぽど勝頼好きだったんだな
いちいち勝頼に報告してやること許可取ってるし
独立しても木曽さえ討伐できなかった武田に討伐は無理だと思うが 真田家と本多家と言う勇猛な血を引いたはずの内記信政であったが… 松代真田藩の家老は小山田姓がいまして、岩殿城主小山田一族を何人か受け入れたと存じます 武田の小山田も武田征伐で殉じたもの
江戸を乗り切った一族でも上杉だったり会津だったり色々あるからなあ 昔榎木孝明が演じた樋口角兵衛って実在したのか。
wiki見るとドラマのキャラそのまんまの残念エピソードテンコ盛りで
にわかに史実と信じ難いのだが… 信繁は生き抜く政治力と求心力はかなり低いと思う 父親が偉大でなければ埋もれるタイプ
かなり過大評価されてる 依田信蕃 > 真田昌幸
信蕃がいなければ昌幸は北条氏とともに滅んでいた >>816
いやさすがに小田原征伐起きそうなら速攻で裏切るだろ 来月で真田が上田から松代に転封してからちょうど400年になります。 家康の力借りて上田城作って速攻裏切り
昌幸外道過ぎるw 元祖戦国最強は武田信玄だけど、あえてそれ以外で挙げるとするなら、
真田家を挙げる。真田三代の祖、真田幸隆は武田信玄から「攻め弾正」と評され、
城攻めでも大活躍した。真田幸隆の三男、真田昌幸は「我が両眼の如く」と評され、
北条軍や徳川軍を撃滅する大活躍をして、天下人徳川家康からも恐れられた。
真田昌幸の次男、真田信繁は「日ノ本一の兵」と評されているのは周知の事実で、
天下人徳川家康をあと少しで討ち取るところまで追い詰める大活躍をした。
このように、家三代に渡って優秀な人材を産み出せたのは真田家しかなく、
他の大名や武将の家柄ではあり得なかった。しかも、真田流兵法の特徴としては、
自軍の損害をほとんど出さずに、敵軍に大損害を与えたことである。
このように実践できたのは真田家しかなく、ほんと凄すぎるのである。
真田昌幸をあえて、近代のナチスドイツ軍の軍人に当てはめるなら、
ロンメルやマンシュタインに匹敵するであろう。 黒田官兵衛、竹中半兵衛、立花宗茂、加藤清正、といった軍師、武将、でも真田昌幸にはかなわない。 真田昌幸の上田城決戦は有名ですが、同じ真田家の血筋の人物にあたる、矢沢頼綱の
沼田城での戦いも有名になってほしいですね。北条軍数万の軍勢が沼田城に攻めてきたとき、
何度も撃退して北条軍に大損害を与えた。真田家の血筋の矢沢頼綱もぜひ有名になってほしいです。
優秀な人材を何代にも渡って産み出す家柄は真田家しかなく、他の大名や武将の家柄ではありえなかった。 最近知ったけど、三方ヶ原の戦いは真田信綱が提案した作戦が武田信玄に採用されて、徳川軍を打ち破った見たいですね。
よく真田流兵法は、寡兵にて大軍を制す、とは言われますが、武田軍3万〜4万の大軍でもフルに活用できたんですね。それにしても、真田家凄すぎます。 ギリギリまで引き付けといてガ~ッってのがいかにも真田っぽいよね >三方ヶ原 真田幸綱vs村上義清 砥石崩れ 真田幸綱の勝利
真田幸綱vs上杉謙信 白井城の戦い 真田幸綱の勝利
真田信綱vs徳川家康 三方ヶ原の戦い 真田信綱の勝利
矢沢頼綱vs北条氏邦 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利
矢沢頼綱vs北条氏直 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利
真田信之vs北条氏直 手子丸城の戦い 真田信之の勝利
真田昌幸vs徳川家康 上田城の戦い 真田昌幸の勝利
真田信繁vs徳川家康 大坂冬の陣 真田信繁の勝利
真田家は戦国最強の戦術家で知略・軍略も戦国最強!
矢沢頼綱は元々、真田源之助といい、真田幸綱の弟にあたるので、真田家の血筋の人物。 いっときは上野東の沼田までの上野北半分と信濃も所有
関ケ原でやらかさなければ半国大名から一国大名に格上げ
さらに大坂の陣で60万石大名も夢じゃなかったのに戦の方は凄いんだが戦略はおせじにもいいとは言えない
しかも北条のように上洛要請無視して危うく取り潰しの危機も過去にあった
家康が秀吉に臣従すると秀吉としては家康と仲良くしたくいつまでも沼田問題で徳川との関係悪化させようとしてくる真田はウザくてしょうがなく秀吉は家康の肩を持った
それに不貞腐れて小笠原、木曽はとっくに上洛して秀吉に臣従したのに上洛断り続けて危うく取り潰しの危機もあった
表裏比興者と呼ばれ秀吉から疎ましく思われたのもこの時で真田征伐発動される
景勝が親身になってくれたらしくかろうじて解除されたが結局家康の与力にされる
関ケ原も結果論だけど上方からはるか遠くの黒田なんかは隣に大国毛利がいたのに徳川についたわけで戦略眼は黒田官兵衛に劣るとしか言えない
東国の人間で黒田より情報量多かったのに徳川につなかったのはうーん 真田昌幸vs織田信長、の幻の岩櫃城決戦ぜひ見てみたかったな。
真田昌幸が勝てば誰も異論をはさむことなく真田家が戦国最強となるのは間違いないだろう。 信綱昌輝が生き残ってる状況での武田滅亡からの世界線も見てみたいなぁ
昌幸信伊含めどう動いたのか 大坂夏の陣で徳川家康の本陣を何度も蹂躙して、「日ノ本一の兵」の称号を得た真田信繁。
真田信繁の兵力がもうちょっと多ければ、真田信繁も確実に生きて帰ることができたかもしれない。
テレビによれば後藤又兵衛は徳川家康を討ち取った後、大坂夏の陣を生き延びていたとか。 幸村が秀頼連れて九州へ逃げ延び
1637年に九州で、秀頼か秀頼の子を総大将にした反乱を起こしたら
どうなったろうな? 天草四郎時貞こと羽柴秀頼は、島原、天草、口之津、唐津で同時多発的決起を起こし、筑前衆と肥前衆は配送、そのまま北上し、壱岐、対馬を経由し、朝鮮半島に上陸し、やがて消滅するでしょう 剛勇の真田と本多の血を引くはずの真田内記信政の影が、あまりにも、薄すぎる為! 上田や沼田あたりならともかく、片品あたりで「真田ゆかりの郷」
とか看板見かけると、ムムムな気分になる。 徳川と近い位置にいながら歯向かった昌幸が戦略に優れてるはねーわ
豊臣恩顧でありながらあっさり徳川に鞍替えした山内以下だよ
関ケ原でそのまま徳川に従ってたら信濃半国貰え大坂の陣で活躍すれば信濃一国も夢じゃなかった
ただ家康が嫌いというだけで敵対した私怨で戦略決めた男が戦略優れるは無いわ
本当に戦略が優れてるってのは上杉討伐の時点で上方から徳川がいなくなれば三成がことを起こすの予測して上杉征伐についてったもしくは上方に軍勢派遣し本国もぬけの殻になった国が出てくるのを予測しその国を制圧するための準備してた人のことを言う
これが当てはまるのは日本では黒田官兵衛と毛利輝元のみ REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担 >>842
> これが当てはまるのは日本では黒田官兵衛と毛利輝元のみ
毛利輝元本人ではなくブレーンが良かったからでは? >>842
「嫡男は東軍につけた上で」自身の気持ち(=豊臣への忠義、家康と戦いたいという心意気)を
曲げなかったもので、武士としてこれ以上ない判断と思う。
また輝元が本当に戦略に優れていたなら西国の旧領回復に勤しむ以前に
本役最大の要点である東軍本隊への対応にもっと心血を注いだだろう。
家康が率いる大軍を烏合の衆でしかない西軍諸将にまかせた結果1日で壊滅させられ
自身の所領も大幅に削られた。
そもそも貴方の理屈だと豊臣恩顧でありながら徳川についた山内の方が戦略に優れて
いるそうだから、西軍の総大将なんかになった時点で輝元って、、て話だよね。 信幸を味方だと思ってたせいで西軍の機密情報ダダ漏れにしてたんだよな昌幸さん 実は真田家が上田から松代に国替えされてからちょうど400年になりますエー 真田信利
真田信之の長男信吉の子
信吉が若くして死んだため真田家は次男が継ぐ。これに信利は不満たらたらで幕府巻き込むお家騒動起こし真田は直系の俺が継ぐべきと運動起こすが
幕府から却下され沼田三万石で独立藩主になる
本家松代10万石に対抗してくだらないプライドで表高3万石なのに幕府には14万石と申告し大名行列も14万石相当のものとなり当然民には重い重税が課せられ怒った民により幕府に直訴され幕府の知るところとなり改易される
幕府も島原の乱の再発を警戒してて民の訴えをあっさり聞いた。訴えたものは処断されたが
幸綱、昌幸、信之、信繁たち名将、名君の家からこんな権勢欲にまみれた馬鹿が生まれてた
先祖の才能を爪の垢ほども引き継がなかった男 工エェェェ━━━Σ(○・Д・○)━━━ェェェエエエ工 江戸時代前半に改易食らった家ってだいたいそんな感じよな
内陸藩の福知山藩、稲葉紀通が寒ブリ大好物で隣の宮津藩に寒ブリ欲しくて大量の寒ブリ頼んだら賄賂に使われるのかと思われ頭のないブリなら賄賂に使われないだろと送られたら馬鹿にされたと勘違いして激怒し宮津藩の人間虐殺し藩主自ら鉄砲で人間狩りして首を宮津藩に捨てるなど異常行動がみられ改易された福知山藩
水野忠胤 茶会に浜松藩主、松平忠頼を誘い家来たちが囲碁をする
松平忠頼が家来に助言してるのが気に入らず口論になり殺害。責任取らされ水野忠胤は切腹処分