真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 6
>>798
『真田丸』の天正壬午の乱の所で登場できなかったのは惜しかったね。依田信蓄。 >>799
正規の研究者も全国飛び回って講演する事が出来なくなったよね。中高年以上の世代はzoomなんてやらないし。 >>807
上田市周辺の人の一部は村上氏や砥石城跡の話をすると避ける人がいる。生島足島神社の氏子か甲斐から来た武田氏の末裔の人達だろうか? >>782
兄は現実主義で幕末まで家を保ったうえに、養子だけど途中で老中まで出して
弟は負けたとはいえ最期に武名を全国に轟かせて戦死。
セットで見ると、武家としては最高の展開だわな。徳川・松平一門や譜代でも
取り潰されたり、藤堂家みたいに出世はしても幕末になって「やっぱり裏切り者の
家系」と不人気だったりする家も多いのに。 武田氏滅亡の真田昌幸による上野攻略
勝頼軍抜きでやって凄いな
勝頼の方は北条、徳川相手に駿河伊豆ではりつけで上野は真田に任せっきり
丹波に5年かかった光秀より優秀
謙信も氏康も信玄も誰も上野攻略はできなかった
こんな才能あるのに勝頼在命中は独立しようと思わなかったのだろうか
よっぽど勝頼好きだったんだな
いちいち勝頼に報告してやること許可取ってるし
独立しても木曽さえ討伐できなかった武田に討伐は無理だと思うが 真田家と本多家と言う勇猛な血を引いたはずの内記信政であったが… 松代真田藩の家老は小山田姓がいまして、岩殿城主小山田一族を何人か受け入れたと存じます 武田の小山田も武田征伐で殉じたもの
江戸を乗り切った一族でも上杉だったり会津だったり色々あるからなあ 昔榎木孝明が演じた樋口角兵衛って実在したのか。
wiki見るとドラマのキャラそのまんまの残念エピソードテンコ盛りで
にわかに史実と信じ難いのだが… 信繁は生き抜く政治力と求心力はかなり低いと思う 父親が偉大でなければ埋もれるタイプ
かなり過大評価されてる 依田信蕃 > 真田昌幸
信蕃がいなければ昌幸は北条氏とともに滅んでいた >>816
いやさすがに小田原征伐起きそうなら速攻で裏切るだろ 来月で真田が上田から松代に転封してからちょうど400年になります。 家康の力借りて上田城作って速攻裏切り
昌幸外道過ぎるw 元祖戦国最強は武田信玄だけど、あえてそれ以外で挙げるとするなら、
真田家を挙げる。真田三代の祖、真田幸隆は武田信玄から「攻め弾正」と評され、
城攻めでも大活躍した。真田幸隆の三男、真田昌幸は「我が両眼の如く」と評され、
北条軍や徳川軍を撃滅する大活躍をして、天下人徳川家康からも恐れられた。
真田昌幸の次男、真田信繁は「日ノ本一の兵」と評されているのは周知の事実で、
天下人徳川家康をあと少しで討ち取るところまで追い詰める大活躍をした。
このように、家三代に渡って優秀な人材を産み出せたのは真田家しかなく、
他の大名や武将の家柄ではあり得なかった。しかも、真田流兵法の特徴としては、
自軍の損害をほとんど出さずに、敵軍に大損害を与えたことである。
このように実践できたのは真田家しかなく、ほんと凄すぎるのである。
真田昌幸をあえて、近代のナチスドイツ軍の軍人に当てはめるなら、
ロンメルやマンシュタインに匹敵するであろう。 黒田官兵衛、竹中半兵衛、立花宗茂、加藤清正、といった軍師、武将、でも真田昌幸にはかなわない。 真田昌幸の上田城決戦は有名ですが、同じ真田家の血筋の人物にあたる、矢沢頼綱の
沼田城での戦いも有名になってほしいですね。北条軍数万の軍勢が沼田城に攻めてきたとき、
何度も撃退して北条軍に大損害を与えた。真田家の血筋の矢沢頼綱もぜひ有名になってほしいです。
優秀な人材を何代にも渡って産み出す家柄は真田家しかなく、他の大名や武将の家柄ではありえなかった。 最近知ったけど、三方ヶ原の戦いは真田信綱が提案した作戦が武田信玄に採用されて、徳川軍を打ち破った見たいですね。
よく真田流兵法は、寡兵にて大軍を制す、とは言われますが、武田軍3万〜4万の大軍でもフルに活用できたんですね。それにしても、真田家凄すぎます。 ギリギリまで引き付けといてガ~ッってのがいかにも真田っぽいよね >三方ヶ原 真田幸綱vs村上義清 砥石崩れ 真田幸綱の勝利
真田幸綱vs上杉謙信 白井城の戦い 真田幸綱の勝利
真田信綱vs徳川家康 三方ヶ原の戦い 真田信綱の勝利
矢沢頼綱vs北条氏邦 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利
矢沢頼綱vs北条氏直 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利
真田信之vs北条氏直 手子丸城の戦い 真田信之の勝利
真田昌幸vs徳川家康 上田城の戦い 真田昌幸の勝利
真田信繁vs徳川家康 大坂冬の陣 真田信繁の勝利
真田家は戦国最強の戦術家で知略・軍略も戦国最強!
矢沢頼綱は元々、真田源之助といい、真田幸綱の弟にあたるので、真田家の血筋の人物。 いっときは上野東の沼田までの上野北半分と信濃も所有
関ケ原でやらかさなければ半国大名から一国大名に格上げ
さらに大坂の陣で60万石大名も夢じゃなかったのに戦の方は凄いんだが戦略はおせじにもいいとは言えない
しかも北条のように上洛要請無視して危うく取り潰しの危機も過去にあった
家康が秀吉に臣従すると秀吉としては家康と仲良くしたくいつまでも沼田問題で徳川との関係悪化させようとしてくる真田はウザくてしょうがなく秀吉は家康の肩を持った
それに不貞腐れて小笠原、木曽はとっくに上洛して秀吉に臣従したのに上洛断り続けて危うく取り潰しの危機もあった
表裏比興者と呼ばれ秀吉から疎ましく思われたのもこの時で真田征伐発動される
景勝が親身になってくれたらしくかろうじて解除されたが結局家康の与力にされる
関ケ原も結果論だけど上方からはるか遠くの黒田なんかは隣に大国毛利がいたのに徳川についたわけで戦略眼は黒田官兵衛に劣るとしか言えない
東国の人間で黒田より情報量多かったのに徳川につなかったのはうーん 真田昌幸vs織田信長、の幻の岩櫃城決戦ぜひ見てみたかったな。
真田昌幸が勝てば誰も異論をはさむことなく真田家が戦国最強となるのは間違いないだろう。 信綱昌輝が生き残ってる状況での武田滅亡からの世界線も見てみたいなぁ
昌幸信伊含めどう動いたのか 大坂夏の陣で徳川家康の本陣を何度も蹂躙して、「日ノ本一の兵」の称号を得た真田信繁。
真田信繁の兵力がもうちょっと多ければ、真田信繁も確実に生きて帰ることができたかもしれない。
テレビによれば後藤又兵衛は徳川家康を討ち取った後、大坂夏の陣を生き延びていたとか。 幸村が秀頼連れて九州へ逃げ延び
1637年に九州で、秀頼か秀頼の子を総大将にした反乱を起こしたら
どうなったろうな? 天草四郎時貞こと羽柴秀頼は、島原、天草、口之津、唐津で同時多発的決起を起こし、筑前衆と肥前衆は配送、そのまま北上し、壱岐、対馬を経由し、朝鮮半島に上陸し、やがて消滅するでしょう 剛勇の真田と本多の血を引くはずの真田内記信政の影が、あまりにも、薄すぎる為! 上田や沼田あたりならともかく、片品あたりで「真田ゆかりの郷」
とか看板見かけると、ムムムな気分になる。 徳川と近い位置にいながら歯向かった昌幸が戦略に優れてるはねーわ
豊臣恩顧でありながらあっさり徳川に鞍替えした山内以下だよ
関ケ原でそのまま徳川に従ってたら信濃半国貰え大坂の陣で活躍すれば信濃一国も夢じゃなかった
ただ家康が嫌いというだけで敵対した私怨で戦略決めた男が戦略優れるは無いわ
本当に戦略が優れてるってのは上杉討伐の時点で上方から徳川がいなくなれば三成がことを起こすの予測して上杉征伐についてったもしくは上方に軍勢派遣し本国もぬけの殻になった国が出てくるのを予測しその国を制圧するための準備してた人のことを言う
これが当てはまるのは日本では黒田官兵衛と毛利輝元のみ REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担 >>842
> これが当てはまるのは日本では黒田官兵衛と毛利輝元のみ
毛利輝元本人ではなくブレーンが良かったからでは? >>842
「嫡男は東軍につけた上で」自身の気持ち(=豊臣への忠義、家康と戦いたいという心意気)を
曲げなかったもので、武士としてこれ以上ない判断と思う。
また輝元が本当に戦略に優れていたなら西国の旧領回復に勤しむ以前に
本役最大の要点である東軍本隊への対応にもっと心血を注いだだろう。
家康が率いる大軍を烏合の衆でしかない西軍諸将にまかせた結果1日で壊滅させられ
自身の所領も大幅に削られた。
そもそも貴方の理屈だと豊臣恩顧でありながら徳川についた山内の方が戦略に優れて
いるそうだから、西軍の総大将なんかになった時点で輝元って、、て話だよね。 信幸を味方だと思ってたせいで西軍の機密情報ダダ漏れにしてたんだよな昌幸さん 実は真田家が上田から松代に国替えされてからちょうど400年になりますエー 真田信利
真田信之の長男信吉の子
信吉が若くして死んだため真田家は次男が継ぐ。これに信利は不満たらたらで幕府巻き込むお家騒動起こし真田は直系の俺が継ぐべきと運動起こすが
幕府から却下され沼田三万石で独立藩主になる
本家松代10万石に対抗してくだらないプライドで表高3万石なのに幕府には14万石と申告し大名行列も14万石相当のものとなり当然民には重い重税が課せられ怒った民により幕府に直訴され幕府の知るところとなり改易される
幕府も島原の乱の再発を警戒してて民の訴えをあっさり聞いた。訴えたものは処断されたが
幸綱、昌幸、信之、信繁たち名将、名君の家からこんな権勢欲にまみれた馬鹿が生まれてた
先祖の才能を爪の垢ほども引き継がなかった男 工エェェェ━━━Σ(○・Д・○)━━━ェェェエエエ工 江戸時代前半に改易食らった家ってだいたいそんな感じよな
内陸藩の福知山藩、稲葉紀通が寒ブリ大好物で隣の宮津藩に寒ブリ欲しくて大量の寒ブリ頼んだら賄賂に使われるのかと思われ頭のないブリなら賄賂に使われないだろと送られたら馬鹿にされたと勘違いして激怒し宮津藩の人間虐殺し藩主自ら鉄砲で人間狩りして首を宮津藩に捨てるなど異常行動がみられ改易された福知山藩
水野忠胤 茶会に浜松藩主、松平忠頼を誘い家来たちが囲碁をする
松平忠頼が家来に助言してるのが気に入らず口論になり殺害。責任取らされ水野忠胤は切腹処分