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【宇都宮・那須】 下野の戦国大名2 【小山・佐野】

0619人間七七四年
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2015/02/14(土) 07:47:38.60ID:O6jiY+xL
うちも大金だけど聞いたことないな
0620人間七七四年
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2015/02/14(土) 08:40:56.58ID:TlB0Ezz8
聞いたことあるなあ。土岐氏で1450年頃に大金にかえたと。坂本龍馬なんかも遠縁になるそうな。
1560年頃に佐竹氏の助っ人として突如として那須地方に現れたり。
0621人間七七四年
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2015/02/14(土) 16:21:35.36ID:sUlWR2a7
流れ者と言えば下野にも如水と同族の黒田氏がいるみたいだな
0622人間七七四年
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2015/02/15(日) 10:04:04.78ID:ynByz9Ga
>>620
それは嘘だな
下野の大金氏は那須の大金村の発祥であり承久記には既に登場している
つまり少なくとも鎌倉時代には大金氏として存在していた
0623人間七七四年
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2015/02/15(日) 11:38:38.92ID:YHO1BXdt
馬頭町史によれば、那須記を著した大金重貞の系譜として土岐氏→金山貞房→金山貞徳→( )→大金重宣(1566年下野国那須郡小口村に移る)となる。
南那須の大金さんは、別系統ではありませんか。苗字が同じでも全員が同族とは限らないでしょう。
0624人間七七四年
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2015/02/15(日) 16:05:21.34ID:5RxWzTku
そういや藤姓足利氏と源姓足利氏も全くの別物だしな
0625人間七七四年
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2015/02/15(日) 16:34:52.85ID:WDbLPcON
那須近辺は同族と考えるのが自然かと
全国でも那須近辺にのみ集中している訳だけど
いくつも系統があってたまたま那須にみんな移住してきたなんて事は絶対に有り得ないでしょう
西日本などにも極僅かに存在しているから別系統が全く無い訳ではないだろうけど
土岐氏云々は大金重貞の家系だけだと考えるべきかと
0626人間七七四年
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2015/02/15(日) 23:44:39.13ID:6MaVOr1Z
宇都宮氏は一時期美濃守護だったから、美濃と下野は交流がある。
有名なのは氏家氏とか。
0627人間七七四年
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2015/02/16(月) 08:31:42.90ID:6ZhyRrpQ
武茂(宇都宮)泰藤の室は、土岐頼直の娘である徳子。
その縁で泰藤は、上和田城(愛知県岡崎市上和田町)を築くことになった。
0628人間七七四年
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2015/02/16(月) 10:39:00.62ID:OMifS5Gy
>>626
氏家氏の嫡流は断絶したんだよな
断絶後に氏家城は芳賀氏庶流の居城になったし
0629人間七七四年
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2015/02/16(月) 13:38:47.11ID:vIH2wnHt
>>626
氏家氏は下野から美濃に直接じゃなく斯波氏の家臣経由してなかったか
0630人間七七四年
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2015/02/25(水) 11:59:28.68ID:078QHDhR
>>621
へぇ初耳
常陸の多賀谷氏の家臣に播磨赤松氏の一族いたけど、
同じように播磨から流れてきたのかな

南北朝時代の武将とか家って流動的だから
戦国時代になると意外な所に意外な家の末裔が土着してたりするな。
0631人間七七四年
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2015/02/25(水) 22:25:57.95ID:sV2sx4YR
元々支配階級は流動的と言えば流動的だけどね
地生えの武士って殆どいないし
0632人間七七四年
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2015/04/02(木) 10:54:15.34ID:e1sojmoB
>>625
那須の場合は他地方から名家が移住してきたのではなく
国人クラスが婚姻を重ねて地域集団になったんだろうね。
だから、あそこまで小さく纏まった
本姓藤原はたぶん仮冒w

宇都宮は朝綱から藤原氏と縁戚だから、藤原の系統ではあるんだろう
根拠地が欲しい藤原傍流と、血統が欲しい中原のハーフ的な
0633人間七七四年
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2015/04/03(金) 13:14:56.71ID:CbQwgZCT
那須は宇都宮から養子を迎えたよな
0634人間七七四年
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2015/04/15(水) 10:52:17.42ID:HdgfpQXa
国造の那須直氏は、廣成や赤龍の存在がはっきりしている。彼らは白河郡の郡司であり白河軍団のトップでもある。
白河軍団の記録は1050年頃まである。従って国造系那須家に藤原氏系の方が、白河軍団が形骸化するころに婿入りされたと私は考えています。
0636人間七七四年
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2015/06/02(火) 06:11:34.61ID:/SlLXkf6
宇都宮興綱が忠綱の息子説の証拠になる資料って何かないかね?
0637人間七七四年
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2015/06/04(木) 18:46:54.34ID:3mZcTrTt
武茂郷ほかは一時、白河結城氏領となる。宇都宮氏の斜陽時代。かっこ悪いな
0638人間七七四年
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2015/06/05(金) 23:00:08.79ID:olhaozZs
私怨で宇都宮国綱をパワハラ改易した浅野長政、許すまじ
浅野はえこひいきやワイロ要求で東北の諸大名を苦しめ、伊達政宗には絶縁されたクズ
0639人間七七四年
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2015/06/06(土) 07:18:04.54ID:4NIwGx9q
浅野ってかなり嫌われ者だったみたいだね
一応秀吉の縁戚なのだし、あそこまで必死に権力闘争しなくても良かった気がするけど…
もっとも秀吉って案外、親類だからといって優遇しないからな
0640人間七七四年
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2015/06/06(土) 12:06:00.12ID:1h8kH4BI
いや、優遇されてたよ
当初は関東・東北の諸大名の申次役でメイン任されてた
その後、前田利家や蒲生氏郷、徳川家康、石田三成、増田長盛にその役を奪われ、
権威が転落したのは、他人に嫌われる所業のせいなので自業自得だと思われ
0641人間七七四年
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2015/06/06(土) 22:36:43.61ID:Qx1uJuVX
長政は、実力で抜擢された他の奉行たちと違う
北政所の縁者として高い地位にいただけの男
秀吉が信長家臣だったころから、長政が武功をあげたとか、蜂須賀・竹中・黒田のように謀略・調略・外交に貢献した話もない
辛うじて、出来のよい息子のおかげで面目を保っていたに過ぎない
0642人間七七四年
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2015/06/06(土) 22:54:25.56ID:WjgY6uX0
浅野長重が宇都宮家に養子入ってたら
歴史も変わって忠臣蔵も無かったんだろうな
0643人間七七四年
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2015/06/07(日) 00:18:35.54ID:r1kIsHq/
浅野長政は酷い奴だw
佐竹氏まで改易しようとしてたんだな

 論説 「豊臣期関東における浅野長政」 (PDF)
  
  第一章  浅野長政による取次大名の囲い込み
   第一節 滝川一益と東国領主の関係
   第二節 浅野長政による宇都宮氏の囲い込み

  第二章  浅野長政による囲い込みの弦かい
   第一節 浅野長政と佐竹氏の関係
   第一節 浅野長政と伊達政宗の関係
  https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/1847/1/shigaku_49_18_32.pdf
0644人間七七四年
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2015/06/07(日) 06:48:35.18ID:pj9PN3Jn
佐竹は宇都宮と兄弟のように親密な関係だし、当初は常陸も浅野が管轄していたようだけど
次第に石田の方に傾いていたから、この際一緒に潰してしまおうと目論んだのだろう
0645人間七七四年
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2015/06/08(月) 15:23:40.41ID:+oA/mCpF
浅野長政って屑野郎だな
0646人間七七四年
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2015/06/08(月) 18:53:01.14ID:rx70TAmu
しょせん太閣死後に家康にすりよる糞だからな
0647人間七七四年
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2015/06/08(月) 19:03:42.38ID:4JL2+yPj
まぁ言葉遊びにしてもつまらんわな
0649人間七七四年
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2015/06/08(月) 21:04:59.62ID:l6cAQQaI
佐竹を改易してたら、誰がそこに入ったんだろうか?

奥州仕置の主担当・蒲生氏郷、関東の申次役・前田利家、上杉景勝のうちの
いずれか2者が陸奥会津と常陸に入り、佐竹を20万石ぐらいでその跡地に
移すって感じなのかな

佐竹は、宇都宮のように領地没収になったのだろうか?
あるいは減封でどこかに飛ばされただろうか?
それとも、秀吉の分断政策により、佐竹宗家のライバルで、宗家とは別に
中央政府に接近していた佐竹義久と佐竹義宣に10万石ずつとかに
なっていたのだろうか?
0650人間七七四年
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2015/06/09(火) 03:53:36.73ID:mEhgZO4q
>>649
蒲生が下野と常陸の2国を与えられる予定だったらしいよ
まあ佐竹は改易を何とか逃れられたから結局下野のみになったけど
0651人間七七四年
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2015/06/09(火) 05:15:48.10ID:tM7V9uTU
ひどい話だわ
政権の都合や奉行の気持ち次第で簡単に改易とは

宇都宮家なんて
無害で早くから豊臣政権に友好的だったのに
0652人間七七四年
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2015/06/09(火) 07:58:53.58ID:k461kIzJ
結城の朝勝追い出しと浅野の宇都宮潰しは豊臣にとってもマイナスだったと思うわ
佐竹ー宇都宮ー結城の関係が健在だったら120万石に及ぶ勢力になるし
更に史実通り上杉が会津に移れば、これらの大名家は古くから連携してきた家だから徳川と十分に戦える
彼らが領地を接していては家康もうかうか領国を留守に出来ず、露骨な行動など出来ない
なのに中央の権力闘争でや彼らの関係をズタズタにして連携を取れなくしてしまった事は悔やまれる
0653人間七七四年
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2015/06/09(火) 20:21:45.36ID:ONwUFNeG
>>652
それはどうだろ?
彼等が、豊臣家のために徳川と戦ってくれるかどうかは微妙
結城氏は家康の子を養子にしたし、佐竹氏だって関ヶ原の際に隠居の義重や
分家の有力者義久は徳川方に付くよう主張した
上杉氏だって、敢えて徳川と対立しなきゃいけない理由は無い
下手したら、徳川がそれらの外様大名勢力を束ねて、関東に治外法権の
巨大な勢力を形成してしまう可能性もあった
豊臣政権としては、蒲生氏郷や木村吉清などの昔馴染みの大名を北関東や
南奥州に入れて、徳川と伊達・南部らを分断したいと考えるのは自然なことだろう
0654人間七七四年
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2015/06/10(水) 07:18:54.86ID:pKs68Hjq
>>653
豊臣家が武家の棟梁としての地位を保持している限り彼らは豊臣家保存の為に行動する
忠誠心というか保守的ゆえに
戦国末期に至っても室町体制の維持を図ってきた様に、中央から大義と名文を得て統治する事を絶対とするのがこの地域の体質と言える
関ヶ原でも佐竹らが身動き取れなかった要因として、どちらから発給されたものが秀頼の命令であるかを判断出来なかったと言う事がある
だから義宣も豊臣家には異心なく、秀頼様の支持に従うという旨をしきりに主張していた
まあ、確かにこれは道理だよね
本来、従うべきは主君において他になく、主君には異心なく仕えていたのに
石田と徳川が勝手な行動をして、それに従わないからといって処罰されるなんて非常に理不尽な話だ
0655人間七七四年
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2015/06/12(金) 08:17:55.42ID:HLFXkYfx
下野の宇都宮と信濃の宇都宮と中津の宇都宮は同族なんすか?
0656人間七七四年
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2015/06/12(金) 18:53:38.04ID:f9/wvZJD
信濃に宇都宮なんているっけ?

下野と中津と伊予はそのまんま親戚だよ
0657人間七七四年
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2015/06/12(金) 19:19:05.29ID:KkMkMCcq
>>656
間違いました、信濃は小笠原でした

しかし、下野や中津や伊予は親戚だったんすね。初めて知りました。
0658人間七七四年
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2015/06/16(火) 01:52:58.30ID:QcEYwnWY
今でも大関家の子孫の方は居られるんでしょうか?
自分の遠い先祖が大関氏と関係があるようなので、ちょっと関心がありまして。
去年黒羽の大雄寺に行って代々の藩主のお墓を見てきたんですが、立派なお墓でした。
関係ない話をしてすみません。
0659人間七七四年
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2015/06/16(火) 20:28:11.29ID:XyggMwD5
大関氏の下野黒羽藩は幕末まで続いたし、当主の大関増勤は子爵にもなってるから
まだどこかに子孫はいる可能性は高い
もっとも大関増勤は、信長家臣の谷衛友の谷家からの養子だから、血筋としてどうなのかは
わからんが
0660人間七七四年
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2015/06/16(火) 22:57:56.78ID:oJpsAaeO
大関氏は、常陸と下野に多い。名字の地は常陸の大関郷だった気がする
0661人間七七四年
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2015/06/16(火) 23:16:50.61ID:TpWyB38g
>>659
大関増勤は他家からの養子だったんですね。
血筋自体は絶えてしまったのかなぁ。

自分も名字が大関で、代々伝わっている話と家系図だけですが、うちの遠い先祖が室町時代に、大関家の女性と結婚したのをきっかけに大関を名乗ったとなっているので、ここのスレを見て興味が湧いて書き込みしました。
0662人間七七四年
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2015/06/16(火) 23:18:45.19ID:oJpsAaeO
大久保彦左衛門などの大久保氏。名字の地は黒羽藩にあった大久保村。
ここから宇都宮氏系の大久保氏は出た。これは本物。結城氏の去状に出てくる八郎在家のことか。この近くに大久保村はあったそうな。
八郎とは那須与一の兄弟の八番目のようだ。
一方で徳川氏側近の大久保氏は偽物。宇都宮氏と関係はない
系図偽装の三河武士
0663人間七七四年
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2015/06/18(木) 17:44:49.29ID:0WTq1rx2
大関さんは東日本を中心に全国におおよそ3500軒、約2万人います
特に茨城、栃木に多い
色々な系統があるようなので全てが黒羽藩大関氏と同族ではないけど、少なくとも茨城栃木の大関家の大半は元々共通の先祖を持つ同族であったと見て間違いないと思います

ちなみに黒羽藩大関氏は先代までさいたま市に在住していました
二千点に及ぶ膨大な大関家の文書を旧黒羽町に寄贈しており、芭蕉の館で常時展示されています
先代は7年前に亡くなられましたが、現在はお子さんが跡を継いでいると思われます
0664人間七七四年
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2015/06/18(木) 17:52:36.52ID:H8hLTJT0
>>662
三河の大久保氏は、元々の名乗りは宇都宮氏系の宇津氏
大久保(大窪)氏を称したのは、松平清康・広忠・家康に仕えた宇津忠茂・大久保忠俊親子の
代からに過ぎない
下野の大久保村とは関係ない
0665人間七七四年
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2015/06/18(木) 18:01:16.21ID:H8hLTJT0
ちなみに大久保(大窪)姓も、越前の大窪藤五郎に家名を残すために譲られたもので
宇都宮氏系大久保氏に由来するなどと、三河大久保氏は一言も言っていない
0666人間七七四年
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2015/06/18(木) 19:19:17.71ID:eiMQB0uG
宇津氏は、宇都宮氏と関係はありません。
岡崎市の方は、みんなで笑ってますよ。
徳川氏側近の宇津氏が、宇都宮氏に代えた理由は何だったのでしょうか。
太平記で有名な宇都宮泰藤の墓所近くに、大久保氏発祥の石碑もあります。
0667人間七七四年
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2015/06/18(木) 19:59:46.12ID:eiMQB0uG
多くの何点かの大久保氏系図は次のようになっています。
宇都宮泰藤(幼少期に大久保村で遊ぶ)ー泰綱ー泰道ー泰昌ー昌忠ー忠与ー忠茂ー忠俊
泰藤の妻は、土岐頼直女
0668人間七七四年
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2015/06/19(金) 00:16:12.77ID:k2vKIEy5
>>661です。

>>663
色々教えて下さってありがとうございました。
0669人間七七四年
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2015/06/19(金) 05:50:48.01ID:j6cMuxyF
なお、太平記で有名な宇都宮泰藤と武茂泰藤は、同一人物である。
0670人間七七四年
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2015/06/21(日) 04:16:01.54ID:zNfQUB6Z
宇都宮という名門のルーツが欲しかったから偽装したのか?
0671人間七七四年
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2015/06/21(日) 07:03:38.70ID:xUvy1bx5
その通り。多くの岡崎市民は知っている。恥ずかしいかな馬頭町史も騙されている。
大名の系図は幕府に提出されている。今なら有印公文書偽装同行使にあたる。
小田原藩は遠いけれど、烏山藩は武茂氏の菩提寺から目と鼻の先にある。
供養された痕跡が全くない。関係ないから供養しなくても良いのであろう。
0672人間七七四年
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2015/06/21(日) 10:56:55.81ID:KRn4i1Z5
泰藤は越前での敗戦後三河へ落ち延びたんだから大久保氏がその後裔を称すのはおかしくないんじゃないか
実際に後裔であるかどうかは別として
0673人間七七四年
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2015/06/21(日) 11:22:20.01ID:xUvy1bx5
落ち延びたと言っても上和田城を築いている。
大久保村は、泰藤の故郷。だから本物の大久保氏と偽装大久保氏の二通りがある。
本物は、故郷の大久保を名乗っても良いと思う。
それよりも宇都宮氏の領地が水戸藩ではなくて、いつの間にか黒羽藩の領地になったのが疑問である。
白河結城氏から戻された後に水戸藩成立の間に黒羽藩領になったようである。
0674人間七七四年
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2015/06/21(日) 16:54:32.27ID:a3d3o1zM
藤の枝の果てとでも嘯いておけば済むものを
今でもB地区の人程、仮冒するけど昔も怪しい血筋の人は背伸びしたのかね

そして近年、実は貧農の子じゃない木下藤吉郎説とか出てくるし(笑)
0675人間七七四年
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2015/06/21(日) 19:15:20.05ID:xUvy1bx5
からと日本に出世の鑑
されば太閤秀吉が
素性を問えば其の昔
国は尾張の中村で
築阿彌彌助といふ猟師
妻は日吉の権現へ
心眼かけて懐胎し
程なく男子を生み落とし
其名を名づけて日吉丸

文化文政期以前のトッチリトン節では、猟師の子になっています。節は全然分かりませんが不思議なことに何処かで聞いたような気もします。
0676人間七七四年
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2015/06/23(火) 21:31:17.90ID:S+HGx2Nk
那須資晴は相当な戦上手だとおもうのに某ゲームでは評価すぐる
0677人間七七四年
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2015/06/23(火) 22:06:22.80ID:N8gm23U1
弓の名手の鮎箇瀬源蔵によって岩城の総大将志賀備中守は絶命した

時ならぬ岩城の志賀が流れ来て那須野の原の露と消えけり 資房

春になれば しが(氷)(志賀)こもとけて
どじょっこだの ふなっこだの
夜が明けたと思うべな
※資房のは、狂歌で宜しいのでしょうか。?
0678人間七七四年
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2015/06/23(火) 22:22:26.97ID:x7/3Xo6A
那須資晴は防衛戦では滅法強いけど
自分から攻めると大体敗れてたりして
あまり所領拡大できてないからね
0679人間七七四年
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2015/06/24(水) 17:45:07.02ID:0Q7jggco
志賀備中守て志賀直哉のご先祖様か
0680人間七七四年
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2015/06/24(水) 22:30:36.25ID:9eqto5Zy
直系かどうかは不明。同族であることは間違いない。
足尾銅山の元権利者だった志賀家は、あっちの方の元家老。
権利者になった経緯は、二宮尊徳の斡旋だという。
二宮尊徳も日本の公害の原点になるとは予想だにしなかったであろう
0681人間七七四年
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2015/06/26(金) 07:17:18.31ID:nTz/zMdZ
>>678
那須氏の攻勢で思い出したが、先月に武茂城みてきたけど
多少急峻な地形ではあるものの規模は小さく、とても大軍を迎え撃てるような城ではないね
もっとも武茂氏はせいぜい1万石程度の所領しか持っていなかっただろうから
あまり大きな城を作っても人手が足りなくなるだけだが…
それでも完全に飛び地で孤立している武茂氏的には少々心許ない印象を受けた
あれでよく何度も那須氏の攻撃を退けられたなと思う
0682人間七七四年
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2015/06/26(金) 11:03:00.57ID:WrzY1J4r
戦国時代末期に武茂氏は、佐竹方ですから孤立していませんよ。当時ずでに後の保武連(保内郷と武茂郷の連合体)の礎は出来ていたと思う。
武茂郷の大方は、那須与一が源平合戦屋敷の戦いの戦勝祈願で宇都宮の二荒山神社に寄進したもの。
従って那須氏は、武茂郷のために宇都宮氏と正面切って戦う気は起きなかったでしょう。
遥か古代に武茂郷の境明神峠は対蝦夷戦の前線基地になったところです。
ある程度の覇権が取れたところで那須氏は白河方面の国造も担当されたと思われます。西暦500年頃。
なにせ茨城県の大子町は長いこと陸奥国白河郡で、関東になったのは豊臣秀吉の太閤検地の時になります。
堺明神峠は、特徴がないという人がいますけれど、今は隠れてしまった特徴があるのですね。
0683人間七七四年
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2015/06/26(金) 12:33:34.70ID:0kmshk8E
武茂氏が攻められると
同じ宇都宮一族で佐竹に属する松野氏が援軍送ってたはず
武茂松野はお互い共同で軍事行動起こしたり相互関係近かったと思われる
0684人間七七四年
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2015/06/26(金) 16:00:13.82ID:VcIT3BPA
でも佐竹に属したのって天正年間の頃だと思われるし、それまで数百年よく生き延びられたなと
宇都宮佐竹も宇都宮広綱・佐竹義昭以降でこそ蜜月の関係になったものの、それ以前は両家とも極めて険悪であったし
松野氏もせいぜい2〜3千石程度の勢力であったようだが
100や200の兵で逆に那須氏に合戦しかけたり、攻めてきた那須勢に逆襲して資晴を討ち取る寸前まで追い詰めていたりと
この辺りの戦いは数の少ない方が勝つという法則でもあるのだろうか
もっとも、殆どが軍記ネタだから大袈裟に書いてあるのは間違いない
現実には双方睨み合って、数人負傷者が出たら兵を引くといった小競り合いだったと見るのが自然だな
0685人間七七四年
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2015/06/28(日) 06:47:21.57ID:J1n6KyeA
13世紀 那須氏等から寄進されたばかり
14世紀 南北朝時代
15世紀頃 武茂郷は白河結城氏に譲渡されていた。常陸は山入氏の時代。
武茂氏と佐竹氏の直接対決はかなり少なかったと思います。
0686人間七七四年
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2015/06/28(日) 07:12:43.36ID:FsChHi65
佐竹が一揆を克服して本腰を入れ始めたらすぐに従属せざるを得なくなったし
那須は終始家中の対立に悩まされて殆ど外征する余裕がなかった
状況的に恵まれていたと言うのはあるだろうね
しかし、武茂氏は自立性が高く宇都宮宗家とも不仲であった時期も多々あったがそれでも宇都宮一門である訳だし
佐竹が武茂氏を従属吸収した事について宇都宮と問題になる事はなかったのだろうか
0687人間七七四年
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2015/06/28(日) 09:13:37.70ID:PrQxRdE8
15世紀後半に武茂六郎が宇都宮本家に叛乱起こしたけど鎮圧されて
その後宇都宮成綱によって兄弟の兼綱が送り込まれたけど佐竹に従属するまでどういう立場だったんだろうか
1516年に武茂郷で宇都宮と佐竹が戦った時は兄弟の縁から宇都宮に協力したのかな?

松野に関しては宇都宮等綱からの宛行状が残っているから少なくとも15世紀中頃は宇都宮に従属していた
0688人間七七四年
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2015/06/28(日) 12:19:57.38ID:J1n6KyeA
道景(宇都宮等綱)去状 白河氏宛
上杉奥州跡塩谷三カ郷ならび武茂12郷事===
結城直あ寄進状 近津神社宛
下野国茂武大山田村
や八郎在家
武茂郷他は、永享11年(1439)から明応9年(1500)頃まで白河結城氏の所領です。
松野郷は別だということになりますと、余りにも孤立的です。
八郎在家とは、かつて那須八郎が住んでいた館跡だと思います。この付近がが宇都宮泰藤の故郷です。
0689人間七七四年
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2015/07/02(木) 06:53:46.91ID:WBxm0arz
ということは1510年に白河結城家が内訌を起こして衰退するまで武茂家は武茂郷にいなかったってことか?
0690人間七七四年
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2015/07/02(木) 08:38:01.62ID:RuXDxnnF
一方で、白河結氏の1門の誰かが武茂郷にいたという話も聞きません。
それ以前に武茂氏が宇都宮氏宗家を継いだら、それを気に入らないと思った塩谷氏が不意打ちで殺害しているでしょう。
その為に武茂氏の断絶は、確実にあると思います。
0691人間七七四年
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2015/07/02(木) 15:00:39.71ID:CtaZ3pAV
武茂郷は等綱から白川結城氏に割譲されたようだけど、当時等綱は宇都宮家当主としての権力は無かったし
名目だけで実際は結城氏に渡っていなかった可能性はある
ただ、当時は隣接する依上保は白川結城氏の領地であったから支配する事は難しくなかったはず
1504年に至り、山入一揆を克服した佐竹氏が依上保を奪還したため武茂郷は孤立する事になる
それで放棄された可能性もあるだろう
0692人間七七四年
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2015/07/05(日) 02:41:17.76ID:xh0GUYMZ
>>691
その時期に宇都宮成綱が兄弟の兼綱に武茂家を継がせて再興させたってことか
内訌を克服した佐竹に対する備えみたいな感じで

>>690
15世紀後半に宇都宮宗家に対して叛乱を起こした武茂六郎って人物で一度断絶した可能性があるね。あの時期の武茂家の動向ってよくわからないし
0693人間七七四年
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2015/07/30(木) 11:16:15.58ID:onLYxsMl
壬生氏が興ったのは1462年だそうですが、それ以前に壬生氏が治めていた領域を抑えていたのは小山氏でしょうか?それとも宇都宮氏でしょうか?
0694人間七七四年
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2015/07/30(木) 15:57:43.48ID:V/hulUmK
北部は宇都宮、南部は小山、西部は佐野の支配であった模様
0696人間七七四年
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2015/07/31(金) 23:21:12.19ID:1LGFKY++
壬生氏が京からやってきた名門壬生家説の胡散臭さは異常
江田郁夫 氏が唱えてる壬生氏は宇都宮一門説の方が納得できる

第一1462年といったら享徳の乱真っ只中で室町幕府と古河公方の仲は最悪で小山持政時代の小山氏は古河公方足利勢力の筆頭勢力でその影響力、軍事力は関東管領上杉氏に匹敵するほど
仮に壬生近辺が小山領だとしたら
当時の緊迫した情勢を考えると公方が最も頼りにしている小山氏の勢力を削いでまで壬生氏に領土を与える必要性も余裕もない
0697人間七七四年
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2015/08/03(月) 00:00:59.26ID:VpyzSnmz
>>694
鹿沼に鹿沼姓の小豪族がいなかったっけ?
0698人間七七四年
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2015/08/28(金) 22:57:34.08ID:rl6WzdwP
那須資親について何か逸話ってないの?
0699人間七七四年
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2015/11/05(木) 13:53:25.56ID:9fOFHrQR
>>693
皆川領同様古河公方が直接支配してた領地じゃなかったっけ
0700人間七七四年
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2015/11/06(金) 17:42:46.86ID:ypNnnwIl
日向にいた那須氏はどの系統なんだろう
0701人間七七四年
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2015/11/09(月) 01:32:09.78ID:ZFoFDPMh
那須与一の弟の系統の末裔
0702人間七七四年
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2015/11/09(月) 01:44:38.68ID:dHcOGqVC
弟の系統なのに与一を名乗ってるのがいたんだな
0703人間七七四年
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2015/12/02(水) 21:13:59.36ID:HKCZ5f6R
それは那須宗家も似たようなもんだろw
0704人間七七四年
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2016/05/06(金) 12:27:09.18ID:M37freBt
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0705人間七七四年
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2016/06/25(土) 01:01:45.35ID:VI2WNBLi
大河で宇都宮仕置やってたな
0706人間七七四年
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2016/07/09(土) 20:14:18.72ID:M/Lu5Vpc
武茂の系譜関係はちょっと整理する必要があるだろうな
0709人間七七四年
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2016/07/11(月) 21:52:42.59ID:K7vw0omF
お、識者か、ただしい系譜ぷっりーず
0711人間七七四年
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2016/08/08(月) 21:20:16.90ID:71FYPO9v
喜連川合戦の五月女坂って、氏家側から進むと峠を登り始めたような所なんだな
宇都宮尚綱はあんな所で無理押しして戦死したのか・・・?
0712人間七七四年
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2016/08/14(日) 10:53:00.07ID:ISmYaOx3
ちょうど五月女の所から山地に入るんだよな
迎撃するにはもってこいの所だけど、宇都宮方は数に恃んで力押ししようとしたのだろうか
0713人間七七四年
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2016/08/14(日) 19:27:33.61ID:lXanIt3L
   ∧,,,∧
  (´・ω・`) < 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
  (|   |)
   し--J


最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤは何百万の人々に話しかけることのできるようなやり方で、まずアメリカに現れるのです。それから日本です。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。


矢追純一 「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
竹下雅敏 「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
0714人間七七四年
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2016/08/21(日) 09:18:28.62ID:b5BhpBUR
千本城に行ってきた
那須七騎の中でもマイナーな家だが、城は意外と大きく縄張りもなかなかの城だったよ
那須七家の中では黒羽城とこの千本城が気に入ったわ
大手から左にも道があって、そこを登っていくとちょうど主郭の真横に同程度の標高を持った高台に出る
出城というか砦というか何かしらの防衛施設があった事は間違いないだろう
ここは頂上の樹木が切り払ってあり展望台のようになっていて見晴らしがとても良い
そこから眺めていると在りし日の千本城に思いを馳せる事が出来た
0715人間七七四年
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2016/09/03(土) 16:09:02.58ID:I+9L603o
千本城は最後には、茂木氏に渡ったような。
あの辺は近くに茂木城、千本城、飯村城があって面白いですね。
0717人間七七四年
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2016/12/29(木) 22:03:01.99ID:ZCUG+BhM
安得虎子フィーバーや
0718人間七七四年
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2016/12/31(土) 00:52:41.81ID:xEw1udff
今日で宇都宮成綱が没してから500年の年が終わるのか
0719人間七七四年
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2017/01/23(月) 00:12:06.26ID:IM9fnYot
宇都宮家って常陸国にも版図があるのに信長の野望等のゲームだとなかったことにされているよね
0720人間七七四年
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2017/01/31(火) 22:43:03.40ID:xhrxCGC4
>>719
書籍の地図でもそういうのあるな
まぁ笠間はやりたい放題だったからな
0721人間七七四年
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2017/08/16(水) 22:20:39.39ID:ULbugotf
来月の栃木県立博物館たのしみだな
0722人間七七四年
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2017/09/30(土) 02:49:42.89ID:dShaGGki
中世宇都宮氏展に行ってきた
初めて見た資料や肖像画もあって良かった
0723人間七七四年
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2017/09/30(土) 09:21:49.88ID:uhA3hTM3
栃木県立博物館の中世宇都宮氏展、物凄い資料が見られたな
やっぱり下野の戦国時代は面白い
ただ、この企画展は本当に歴史好き向けだね
0724人間七七四年
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2017/10/03(火) 22:33:41.70ID:VKe7yUyw
kwsk
0725人間七七四年
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2017/10/04(水) 01:25:58.82ID:0O4vr422
よくあそこまで国宝に指定されてる資料集めたよな
入場料1200円の価値はある
0726人間七七四年
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2017/10/20(金) 10:37:03.82ID:9R6Td34d
今更ながら那須氏の嫡男?だった方の冤罪事件を知った
司法や警察酷すぎ
0727人間七七四年
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2017/10/20(金) 20:43:56.02ID:lxXdGRaW
いまですらたいして変わらんのじゃないの?
てかさ、自分たちでさんざん排斥しておいて無罪になったら名誉市民に推すとか弘前ってとんでもないとこだな
0728人間七七四年
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2017/10/24(火) 15:02:10.13ID:TxMu4TqE
ああ、もう今週いっぱいで栃木県立博物館の中世宇都宮氏展が終わってしまう
ここまで国宝が集まった展示も中々お目にかかれないし、もう一回行こうかな
0729人間七七四年
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2017/10/27(金) 21:17:04.39ID:NWzku1GZ
>>723
新発見の足利尊氏像か
0730人間七七四年
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2018/04/14(土) 13:07:00.25ID:lb/HIJMv
何のサイトか忘れたが、宇都宮氏が改易された際に5万石、佐竹が24万石と虚偽していたと書かれていた
長曽我部も公称9.8万石→山内入国後の検地で17万石だったし、さもありなんと感じた
0731人間七七四年
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2018/04/14(土) 14:35:01.13ID:m8OaDN4w
浅野長政との関係悪化も影響ありそうだな
0732人間七七四年
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2018/04/15(日) 00:11:05.26ID:+QigaFqX
>>730
佐竹は宇都宮の改易以前に54万石の朱印状を貰っている訳ですが
0733人間七七四年
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2018/10/04(木) 22:44:25.14ID:eLiZtL3u
>>625
こんなスレもあるんですね…うちも大金なんで興味深いというか…先祖が書いた那須記という怪しげな本によれば
土岐光定の子、定親が蜂屋氏の養子に入る(この頃千葉氏から因縁つけられる)-貞経-光経-満房-金山貞房-大金太郎貞寅(さだのぶ)
愛知県の幡豆崎ってところにあった御城に南朝方として籠ってたそうです
その後不明な何代も経って那須記に佐竹方の大金備後守重宣、恩賞に不満で那須方に寝返った大金三介だったか弥介さんが登場
重貞さんは大森佐太郎さんという人を養子にしているので、土岐氏と関係なくなっていると思います
0734人間七七四年
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2019/09/03(火) 00:36:23.37ID:+V1dop5o
宇都宮の弥三郎・弥四郎ってどういう使い分けなんだろう
0735人間七七四年
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2019/09/03(火) 12:52:07.60ID:+wwyt48g
大関氏の有名な逸話ってなんかある?
0738人間七七四年
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2020/03/27(金) 06:59:02.47ID:r7XiYmhY
那須氏の家老、興野氏について詳しい方おられますか
現代においても栃木県の林業に影響力のある家柄なのでしょうか

21
0739人間七七四年
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2020/10/29(木) 15:13:12.52ID:dtvOu64r
小山氏関連を調べているのですが・・・

小山義政の五男 常宗=逆井氏ということで、逆井城の築年が亮徳年間(1451-55)と言われておりますが・・・
小山義政の乱が1380年-82年であり、小山氏は最後に糟尾城に籠り、最後は櫃沢にて一族郎党自刃、
しかし嫡男 小山若犬丸は落ち延び、1386年〜97年にかけてゲリラ的に蜂起を繰り返すものの
最後は会津にて自決、その子も幕府により殺害ということで一族滅亡。
その後、結城氏から新生小山氏を分家させております。

なのに五男が1450年代に逆井氏?逆井築城?おかしくね?
1450年といえば結城合戦(1440-41)よりも後なのです?

どなたか、このあたりの事をご存知の方おりませんか?

(逆井城の築城時期が違うのか?逆井氏が小山 五男 常宗というのが間違いなのか?)
0740人間七七四年
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2020/10/29(木) 15:29:07.34ID:dtvOu64r
あと・・・
小山義政の乱
最後に糟尾城に籠るも数日で陥落、対岸の寺窪城にて抵抗し最後は櫃沢にて自刃

この糟尾城は小山氏の詰城だったとも言われていますが・・・
あんな宇都宮氏の勢力圏内の奥に、小山氏が詰城を持つというのにも疑問を持ちます・・・

このあたりの話も知っている方がおりましたら、ぜひに・・・
0741人間七七四年
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2020/10/30(金) 16:00:35.10ID:7D9X9ztu
>>740
都賀郡は小山義政の乱までは小山氏の勢力圏だから粕尾城が小山氏の城ってのは別におかしくない
本拠からめっちゃ離れてる城を詰城って言っていいのかは知らん
0742人間七七四年
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2020/10/30(金) 17:32:59.60ID:zHOh2m0U
>>740
有難うございます。
あのあたり、小山勢力だったんだ・・・
車で糟尾城まで行きましたが、途中、宇都宮をかすめる形だったので、宇都宮側かと思ってました。
乱の時期は、そもそもが宇都宮氏統領が小山氏に討たれたのが原因で、
当時は宇都宮勢が一時的に衰退していたと推測されるので通過妨害も無理っぽいですね。

>本拠からめっちゃ離れてる城を詰城って言っていいのかは知らん

小山付近は基本平地ですから・・・離れないと要害の地がないですし・・・
小山氏の城郭は水利に防御を託すのが好きなようですし・・・
(祇園城、新城、鷲城、岩城窪(中久喜城)みんな同様)さらにいえば上で質問した逆井城も・・・)

糟尾城あたりまで奥にいかないと良い場所が見つけられなかったんですかね。
(確かに良い縄張りでしたが…あれ人数居ないと守れない…残存勢力の蜂起じゃ守り切れなかったのも判ります)
0743人間七七四年
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2021/01/25(月) 14:30:48.42ID:wMn13kUN
>>1
宇都宮氏
自称、藤原北家
藤原宗円が前九年の役の功で宇都宮別当に任じられたのが始まり
2代目、八田宗綱
3代目、宇都宮朝綱
毛野は毛の国と呼ばれ、宋書の倭王武の上表文に、東に毛人(蝦夷)を征すること五十五国とある
毛野は上毛野(上野)、下毛野(下野)、那須の
3つに分かれた
宇都宮から八田(小山)、那須、中村(伊達)が別れる
通字は宗と綱
宇都宮は分家の結城、小山、壬生、芳賀との内戦で衰退した
子孫は仙台藩が引き受けた
0744人間七七四年
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2021/02/17(水) 13:13:43.79ID:jBEZHsSv
>>743
妄想設定か?
子孫は水戸藩が引き受けたんだけど
0745人間七七四年
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2021/04/29(木) 14:42:18.74ID:5g3Zrdkn
都賀郡は色々な勢力が入り組んでるよな
鎌倉期には西方氏(宇都宮氏系)、鹿沼氏(佐野氏系)もいたし
長沼氏の皆川移転と壬生氏の勃興は小山氏の衰退の結果だろうけど
0747人間七七四年
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2022/02/17(木) 23:40:30.64ID:9xh+Cy3s
皆川は場所的にも難しいところにいながら家を繋いで江戸幕府成立まで家を保ってたのに
その後滅びた
0748人間七七四年
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2023/04/11(火) 15:30:42.22ID:h+TYt/5j
イメージだと北条と古河公方が張り合ってる中を上杉がちょっかいだして、他は右往左往してるだけかな
0750人間七七四年
垢版 |
2023/05/03(水) 18:07:36.82ID:3s2SgOg6
1477年、正綱は成氏に従い長尾景春の救援に向かったが、上野国の川曲の戦いで陣没した。さらに従軍していた宇都宮一族の横田綱親・保業・清業父子、
今泉盛泰も討死し、紀党の棟梁益子唯正・延正父子も討死する等甚大な被害を受けた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E6%AD%A3%E7%B6%B1
何があってここまで負けた
0751人間七七四年
垢版 |
2023/08/08(火) 19:03:51.79ID:m54KdJzq
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担
0752人間七七四年
垢版 |
2023/08/16(水) 13:08:53.17ID:Jdp0aZrv
>>744
水戸藩宇都宮氏
益子にある菩提寺で盛大に法要を行っていたから領主である黒羽藩は凄く嫌がっていたらしいw
0753人間七七四年
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2023/09/04(月) 20:13:25.23ID:J5QJ92NE
>>749
一応、別系統の家だからじゃないのか

武田、小笠原、南部、佐竹の始祖は共に新羅三郎義光だけど鎌倉期にはそれぞれ別家としての御家人だったのと同じ
0754人間七七四年
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2023/09/14(木) 21:20:23.82ID:oNc2RVyR
歴史群像に沼尻の戦いが載ってたから買ってしまった
即戦動員できる後北条氏と、国人衆を纏めてから出て来ないといけない佐竹・宇都宮氏は体質的に差が大きかったな
天正壬午の乱終結後の関東は後北条の独壇場
0755人間七七四年
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2023/09/15(金) 23:47:49.44ID:kaprIc4+
南奥で伊達と蘆名が手切れとなって佐竹はその介入で動きが取りにくくなったと言うのが大きい
毎年のように陸奥と南関東の往復を繰り返していた佐竹の体力は異常
豊臣政権下に組み込まれる前の佐竹はせいぜい15万石程度の大名なのに何故あそこまで戦えたのか不思議だわ
しかも関東特有の複雑怪奇な寄り合い連合で非常に難しい外交を強いられていたのに
ある意味宇都宮尚綱の戦死と広綱の早世によって宇都宮家の主導権を握れたのがプラスに働いていたとも言える
佐竹宇都宮の結束は強く最後までほぼ崩れる事がなかったし
結城とも蜜月にあったから佐竹宇都宮結城のラインで防ぐ事ができた
0757人間七七四年
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2023/11/27(月) 06:29:05.12ID:naIH9r9a
1578年に東方ノ衆に入った後も
余裕で佐竹、宇都宮と戦闘が起きてる親北条の那須
0758人間七七四年
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2023/11/28(火) 05:36:46.24ID:y17YJm4g
>>735
二人の弟と千本の所領分割したとか
佐竹を呼び込んで那須烏山に攻め込んだとか
那須家のガンみたいな逸話ならあるな
0759人間七七四年
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2023/12/05(火) 17:04:43.19ID:SsnNcdKA
大田原資清と高増ら三人の息子はやりたい放題だったからな
那須七騎のうち2家を乗っ取って1家を潰し主君まで殺そうとした
0760人間七七四年
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2024/01/27(土) 15:11:49.44ID:GPN/fELs
烏山城って常陸方面からの守りは鉄壁だな
崖→河→湿地→崖→城下町→山城という高難度
0761人間七七四年
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2024/02/04(日) 18:04:46.80ID:KwCa4GRG
>>759
そうは言うけど本家の上那須氏(神田城)、分家の下那須氏(烏山城)に家来衆もそれぞれ分かれての100年の対立が有った訳で
その延長線上の抗争と考えると分からなくもない
千本氏も主君暗殺とかヤバい事やってたしな
0762人間七七四年
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2024/02/04(日) 22:28:00.50ID:WqaLuF0W
でも下野の大名で戦国時代から明治にかけて転封も改易もなく現地で存続したのは
大関と大田原ぐらいだという罠
0763人間七七四年
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2024/02/05(月) 08:37:13.11ID:XAHoNSWz
下野って何気に生き残っている家が多かったんだよな
小大名が割拠していて戦国大名によって統一されなかったというのも原因だろうけど
那須七騎も江戸時代以前に滅亡した千本以外の六家は本領安堵されている
那須と伊王野は後に改易されて那須は交代寄合、伊王野は水戸藩士になっているけど
0764人間七七四年
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2024/02/05(月) 15:29:11.60ID:ShUhB9s4
千本氏て養子が攻めた側にいて跡を継いでるから滅んでないと思うけど
0765人間七七四年
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2024/02/05(月) 17:13:38.13ID:7JapXjzg
那須氏が小田原の役で遅参してなければ他の那須七騎は那須氏の家臣になってたのか、それとも宇都宮氏とは別に豊臣家臣に取り立てられてた塩谷氏のようになったのか
0766人間七七四年
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2024/02/05(月) 19:46:34.10ID:sFHwldrZ
佐野氏もそうだけど女系で繋ぐってあんまり残った、存続した感ないんだよね
他家に「乗っ取られた」というか
同じ藤原氏系統の名門ならまだしも織田徳川の陪臣とかもうね
小山、壬生みたいに影も形も無くなるよりかはマシだろうけど
0767人間七七四年
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2024/02/11(日) 01:24:12.66ID:LHAIsjTz
>>761
あれは、上那須の抗争の延長というより
資清の子らの野心と自立への運動とみた方がいいかもしれない
0768人間七七四年
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2024/02/12(月) 15:57:36.05ID:6F7Uq4fO
大田原三兄弟らは那須家と和睦はしたけど主従と呼べるような関係ではなかったのだろうな
那須氏がいわゆる洞を形成していたのかは知らないけど小田原征伐で那須家が豊臣方に参陣しなかったのに対して
大田原家らは参陣して所領を安堵して貰っている訳だからな
独自に外交をしていたという点で洞中であったからそれ以上に対等に近い同盟関係であったのだろう
0769人間七七四年
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2024/02/18(日) 17:15:19.67ID:QcROTiIi
下野守護の小山が下野統一すべきだったんだろうが
中先代の乱での敗戦で当主以下200人の自刃した事件と
小山義政の乱での滅亡によってどんぐりの背比べ状態から脱せられず
下野の豪族を下すような強大な勢力が登場することはなかった
甲斐の武田に当たるような家はでなかった
0770人間七七四年
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2024/02/18(日) 23:08:35.72ID:Fk/6vUY/
下野は宇都宮氏や那須氏といった古族もいるからな
常陸も佐竹と小田で二分されていたしなかなか一国を統べるのは難しい
0771人間七七四年
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2024/02/28(水) 13:44:03.53ID:kcZ40Hzf
>>768
資晴の祖母が大田原資清女だし、一条天皇の外戚として国政を恣にした道長みたいなもん?
0772人間七七四年
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2024/05/18(土) 12:29:39.81ID:TKqPMwQs
>>769
というか小山がうまく立ち回れたのは頼朝期だけで後はダメダメの印象
あと小山の活動領域ってほぼほぼ下野南部限定だよな
結城は白河獲得した分家とか、東国の南朝方での主力と言っていい活躍、結城合戦も特筆される
宇都宮は百人一首、ほんの一時期だけど伊予・上野・越後で守護、四天王寺や薩埵山での全国的な活動があるんだけど
何で小山にはそういうエピソード無いかっていうと結局は所有してる領土が都賀郡のみだから動員力も一門譜代郎党が少ないって事なんだよね。
野木宮合戦の一発屋ということ
0773人間七七四年
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2024/05/18(土) 13:35:14.60ID:GhnDpS4U
小山氏って秀郷の嫡流なのかね
しかし秀郷流って平安の頃から平氏と共に関東で圧倒的な勢力を誇っていたけど軒並み没落したな
0774人間七七四年
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2024/05/18(土) 14:05:54.69ID:c2vHOPfx
>>773
言ったもん勝ちで済し崩しに嫡流を名乗った可能性はある
もしかしたら佐野の方が嫡流なのかもしれん
0775人間七七四年
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2024/05/20(月) 00:28:04.97ID:DoXxH9Va
小山持政age。
0776人間七七四年
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2024/05/20(月) 08:23:55.18ID:Th5Fb6/D
佐野というか藤姓足利氏が嫡流っぽい雰囲気はあるな
0777人間七七四年
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2024/05/28(火) 06:20:14.08ID:WC6QM1ta
>>767
烏山って盆地だし、大奥道・東山道・奥州街道は大田原辺りを通過する訳で、烏山は交通の主要道から外れた地域と言わざるを得ない
今でも北那須(上那須)と南那須(下那須)では地勢は別で、あまり一体感は無いしね。車のナンバーすら違うし
那珂川だけは繋いでるけど
0778人間七七四年
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2024/05/28(火) 09:39:55.54ID:DyvvO1MG
烏山城って非常に堅牢な要害で守るには適した場所だけど
烏山は山深い辺鄙な所だし那須氏の勢力圏でも東南の端で居城としてはあまり適した場所とは思えないんだよな
築城当初は親兄弟と対立して新たな拠点を設けたから離れた場所だったのは仕方ないけど
その後もずっと居城としていたのは少し不思議だ
0779人間七七四年
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2024/06/01(土) 15:05:47.34ID:9Nzi9kPT
旧下那須氏当主が旧上那須地域に直轄地が無かったのと、旧上那須衆が非協力的だったからだろうな
あと本拠地の移転って進出したい方向に行くから。織田の清須→小牧山(美濃方面)、後北条の韮山→小田原(関東へ)
0780人間七七四年
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2024/06/01(土) 16:56:29.26ID:8aTVrewk
でも那須氏って矢板方面の進出を狙っていて烏山城のある常陸方面や茂木方面には動かなかったよね
逆に烏山城は那珂川を挟んで眼の前が佐竹の領地であったから常に佐竹の攻撃に曝されて苦しんでいた
だから大田原の辺りのほうが本拠地に向いていたのではないかと
まあ宗家の領地があった訳では無いから居城を移すから領地を寄越せなんて言えなかったのだろうけど
0781人間七七四年
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2024/06/02(日) 19:43:36.81ID:TdPPgi9G
下野新聞に藤原宗円の記事載ってたけど二荒社に遠慮して低地に館(宇都宮城)建てたのだろうとかいう推測には笑う
坂が嫌だから平地に居館を置いたに決まってんだろ
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