【御館の乱】上杉景虎 その2【北条三郎】
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生きてることが隠されてたならあるんじゃね
また市川氏かって気もするが >>290
景虎が勝って越後を掌握して、北条経由で織田に講和を申し入れたら、信長は呑んだかな?
越中の完全放棄と武田包囲網への参加くらいの条件で。
勿論、武田を潰して西日本を平定した後は、難癖つけて北条・上杉も攻めるだろうけど。 越後国衆にしたら「関東管領の跡継ぎが『他国の凶徒』にヘーコラしてんじゃねーよ!」になるかな? 景虎が北条氏の援軍呼んでる時点で他国者に服属嫌がるような越後衆は全員景勝についてるだろ 北条氏康の子だもんな 本来越後の跡継ぎ候補になるのもおかしい
とくに北条に恨み骨髄の上杉憲政が景虎方だったんだよな
おかしな話だぜ・・・ 憲政にしたら最近は北陸ばかり見てる長尾から上杉取り返せるくらい思ったのかもな。
北条に行ったらなお悪いようにしか思えんけど 憲政は単に自分で戦争いきたくなかっただけじゃね
謙信が北条討伐に憲政にも軍付けて連れ出そうとして「どーか許して」って言ってるし
景勝がそのまま謙信のやろうとしたこと受け継いだら謙信より若く果断な景勝は
憲政を引きずってでも戦場に連れていっただろう 謙信との血の濃さや越後出身であることを考えると、景勝に分がある
じじつ集まった兵数は景勝が有利になった 景虎の息子の道満丸を後継者にする考えはなかったのかな? 道満の母親は景勝の妹で景勝にとっては甥だし、そのあたりで両派の妥協とか打てなかったのかな? 謙信がどう考えてたかはわからないけど戦端開いちゃった以上は無理だろ、よく道満丸(と憲政)殺した景勝極悪非道とか言われるけど
変に赦免したところで再度担ぎ上げる御旗残したままとか景勝にとって危険すぎるし、当然の行為とは言えないけど指示で殺させててもおかしくはないと思う >>306
景虎が押しかけてきて、「巻き込まれた」側面はあるかもな。 憲政の墓所はナゼか米沢市にあります(照陽寺)
直江兼続夫婦の墓がある林泉寺が山大工学部を挟んだ向かい側にあります。 憲政はなんで小田原の養子の助命嘆願に動いたんですかね。不用意だし、そもそもはさんざん小田原に痛い目に合わされているのに 両者の争いを調停して存在感のアピール
あるいは
憲政「謙信亡き後の上杉家を仕切れるのは予しかおるまい」
とかイタいこと考えてたのかも _,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、
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. Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ ,r' 勝頼の動向がこの乱を大きく左右したのは間違いないけど
即座に領土割譲してでも和議同盟に動いた景勝と違って景虎が受身というか、特にアクションを起していないのが疑問
実家の同盟相手だからほっといてもいいだろうとタカをくくったのか、景虎含め謙信政権中枢から離れた者達の集まりだから時勢を読むセンスというかそのへんが鈍かったのか
それとも権力が無いから同盟の見返りになるものを出せなかったのか
もちろん景虎も武田も滅びてるから書状等が残ってないというだけかもしれないけど 上杉憲政や古田織部を見ていると、殺る気マンマンの当事者を仲裁に立つと命に関わることが良くわかった >>319
確かに一時的とはいえ和平の仲立ちを勝頼がしたのだから、景虎も勝頼と同盟してはいるのだろうけど
あくまで不戦協定的な物に見えるというか、景勝のようにより積極的に自陣営側に引き入れようという動きに欠けるように見えてね
やっぱり資料が散逸したからで景虎は景虎なりに何か動いてたのかなあ 武田が出張ってきたのは北条との同盟関係が理由なんだから景虎との同盟関係はそもそもの前提なんじゃないのかな >>321
景虎も勝頼が援軍に来たぞーこっちが断然有利だぞーと喧伝とかしとる。当然それなりにやってるだろ
たしかに景虎側の史料は少ないが推測できる程度の史料はあるのに散逸し直接の史料がないから分からんじゃただの思考停止だぞ それ単に甲相同盟のおかげじゃ
景虎はそう喧伝するしか手はないししかも北条は勝頼が景勝と同盟結んだの知って勝頼の動き警戒してるし
景勝は勝頼に一切手を出さない前提で信濃口方面の将兵どんどん上田方面に動かしてるから北条も気付くの当然
...というかそれ込みの情報戦か
勝頼は中立のつもりだったとしても景勝が一切勝頼に警戒してない用兵すりゃ北条は勝頼警戒するよなあ 結局上杉憲政や仙桃院ってどういう立場の人だったのかね
中立だったり景虎側だったりよくわからん
もし景虎側だったのなら上杉憲政が道満丸を連れて交渉に来たってのもよく分からない 憲政にしてみりゃ道満丸を差し出して一種の命乞いみたいなもんかも
自分の息子が同じようなことされたのにな
ようやく越後過去名簿を素直に解読して、為景と上条上杉家の姻戚関係を指摘する人が出てきてるが
やっぱり謙信と仙洞院は異母兄弟になるのかね 仙洞院が上条上杉家の血を引いてるから謙信は仙洞院の子らを特別目にかけていた、というのもなんとなく納得はできる
虎御前と景勝も祖母と孫にしてはあんまり関わってないような気もする
景勝に古志氏の血が入ってるとも古志長尾の動きを見る限り思えない
でも上条上杉家の娘が為景に嫁いでいたなら彼女が為景の正室になるのでは?
晴景と仙洞院もなかなか年離れてるが、為景室上条氏は男子を産まず仙洞院しか産まなかったのかな
謙信母の古志氏は本当に継室だったんだろうか
謙信神格化の過程で謙信と仙洞院が同母姉弟になり(景勝が本流の上杉氏の血を引いてることより「謙信に近い」方が大事だった)
本当は側室出の末弟だった謙信が継室出に書き変わったとかそういうことありそうだ あと、景勝が上条上杉家の血を引いてるなら息子の千徳に憲ではなく定を使ったのも納得かな
定はどっちかというと山内より上条によく見られる字だし 晴景は仙洞院と同母だと思うよ
政景夫妻像には晴景の戒名が為景夫人天甫喜清と一緒に書いてあるし
仙洞院が生まれた頃に晴景は将軍から「晴」の字をもらってるが
当時、道一と名乗っていた元服前の幼児〜少年と資料から推定されるから、仙洞院とそんなに年は離れてない
謙信も天甫喜清の子の可能性はあると思うんだけど、虎御前の伝承が邪魔してんだよな
母が古志というのが大嘘か古志の側室腹(天甫喜清は為景死去の2年後死去)だったということかな 謙信が上杉家本流の血を引いてたら古志長尾出自の母の伝承が出来るとは思えないなあ
加地氏に嫁いだ謙信妹はまず側室腹な気がするけどスルーされっぷりからすると謙信とも晴景とも異母妹かな 謙信が古志長尾氏を継承し、古志をバックに晴景を圧倒した史実から
謙信の母は古志出身だという伝承が生まれた可能性もあるな
春日局が家光の実母であるとんでも説がうまれたみたいに
ただ幼児期に寺に預けられ、天甫が死んだ後に元服してる状況が
保科正之がお江の死んだ後、秀忠の子としてお目見得がかなった状況に似てるっちゃあ似てる
謙信が景虎を気に入ったのも、側室の子として寺に入れられていた状況が自分と同じだったからとか
今年の景虎の法要の講演会で、御館の乱は晴景と謙信の争いと似たようなものだったって言われてたらしい
ただ御館は越後の国外勢力が介入したことが大きな違いかな 一旦古志長尾に入れられたにしても、古志長尾氏は後継いるのに謙信入れられ、
謙信が古志継ぐのやめて府中長尾継いだら今度はまた後継いるのに長親入れられるとかいう訳の分からなさ
(しかも長親の嫁は古志長尾、というわけでもない) 自分は三条手切から御館の乱が始まったという説を知った時に関ヶ原の経緯に似てるなと思ったよ
神余親綱も景勝も政権に逆らうつもりはなかったのに手続きの不足から謀反を起こしたとみなされて、そこに他の勢力が乗っかってきて誰も想像しなかった国を二分する内戦が起きたってところが 神余→主君に無断で人質集め
景勝→秀吉にも家康にも秀忠にも許可とっての領内整備
だいぶちがくね 行動の正当性については自分も神余と景勝では違うんじゃないかと思ってる
ところで秀忠からの許可ってのは普請もっとも上方いよいよ静謐、ってやつだよね
他にも許可があったらどういうのがあるか教えて欲しい 大河で今名胡桃城事件やってるけどやっぱり景勝がやった
主君の許可とらずに統治権行使したら即処罰は時代的に正しかったんだろうと思った >>333
景信は言われてるように古志の直系、房景の子ではないんじゃないか
歴代が名乗る官途名名乗ってないしな
越後過去名簿で上杉十郎の乳母が生前供養を頼んだ記録があり、資料紹介した山本氏は十郎を景信と比定されていたが
景信が上杉を名乗ったのは謙信が上杉氏を称した後だから、年代的に別人の上杉十郎じゃないのかな
為景時代の十郎も景信のことではないかもしれない
花押がないから元服前とされてたけど、例えば最勝院家を継ぐ予定だった、早世した長福院が十郎を名乗っていたとしても不思議じゃないし
新潟大から出た上条氏に関しての論文は、概要はネットで見ることが出来たけど、全文掲載されたものとか見れないのかなあ 調べたら長福院は大永2年に亡くなってるから、越後衆軍陣連判壁書の十郎はありえないな
むしろ上杉十郎定明が存命だから、老齢で花押が押せないというのもありか
しかしこの上杉十郎は房能や顕定、定憲が為景と死闘を繰り広げてる間、全く史料に登場しない
何してたんだろ >>329
ずっと気になってるんだけど、勝の字はどこから来たんだ?
謙信が与えてるけど、近親に勝の字使ってる例ないよな 最勝院殿御家にゆかりの勝って言ってる人もネットで見たけど
わかんないね 信玄死んだか、あいつ糞だったけどすご奴だったなぁ、
そうだ虎千代は景虎にやっちゃったから喜平次には勝千代からとって景勝でどうだ?
こりゃいい織田も北条もぶっ飛ばせるすごい兄弟になりそうだ!でも将来争ったりしちゃうかもwはっはっはー
ということで信玄の勝千代からとった説をここに高らかに提唱する。無論根拠はない。
が、本当だったら謙信のキチガイ伝説が増えちゃうなぁ そしたら景勝の「勝」と勝頼の「勝」が同じ由来になるなw 武田四郎信頼は上杉景勝に降伏し、景勝から偏諱を賜り、武田勝頼と名乗った 景勝の直系の子孫は定勝、綱勝って続いてるのもなんか意味ある?
養子が相続した後は◯勝はいなくなる 謙信由来の一字を通字にすると虎となり景虎が正当であったと言う印象を与えかねない
なので景勝の勝を通字にしたんだろう >>345
謙信は別格だけど初代藩主の勝が通字になるのは当たり前
養子の綱憲も綱〜にしなければならなかったから仕方ないけど、一族の男子は勝〜を名乗るのが通例となってるように勝の字は大切にされてる
不思議なのはなんで綱勝は弾正少弼じゃなくて、播磨守を名乗ったんだろう 新暦意識したこと無かったわ
んもぅみんな気が付いてるならもっと早くおしえてくれてもよかったのに
https://twitter.com/saki_Historic/status/722422274494636032?lang=ja
上杉謙信(1578年4月19日没)
上杉景虎(1579年4月19日没)
上杉景勝(1623年4月19日没)
これは衝撃の事実!!! 江戸時代中期を過ぎると勝の字はなりをひそめ、分家が多用し、本家は定、憲が増えてくる。
吉憲 宗憲 治憲
重定 治定 斉憲 茂憲 養子が入ると通字が変わる「家の交代」ってやつね。伊達とか他の大名家でもある 新しい史料とかないかな
景虎に関しては少ないからでてきてほしい http://333a.jp/tochio/blog2/modules/nmblog/response.php?aid=63
本庄慶俊って誰?え、徳川秀忠の妾の父親?
て清七郎の子?景乃じゃなくて?
つーか慶秀っててっきり講談名だと思ってたから通字が繋がる人物がいるとは思わんかった
ここも系図の混乱があるのかもしれんね >>338
そうそう、なんで古志景信がその時代から上杉十郎になるのか
意味不明な説だよな。 今までは、景勝ばかり戦に駆り出されるから「いつ死んでもいいと扱き使われる存在で
戦経験のない景虎は大事にされていた」と言う論調が罷り通ってたけど
戦能力がものを言う戦国時代には、実戦経験豊富に育てられる方が大事にされてると思うんだが
景虎派の皆さんはどう思われているんだろうか
昔は景勝が兵をあげて乱を起こしたと言われていたけど
最近は、景虎が挙兵し景勝が政務を取り仕切る春日山城を取り囲んだという
説も出て来てるし(そう考えると数か月間の空白が解消されて時系列的にスムーズなことの運びとなる)
景虎こそが飼い殺し状態で、景勝こそが正統な後継者と考えられていたんだと思うんだが
一昔前は小説の影響で、景虎好きな腐女子が多くて感情論でやみくもに反論されたけど
最近は熱も冷めて腐女子が消えたおかげで盲目な景虎後継者論に疑問も出て来てるね 今度、高志書院からでる上杉謙信にすげー期待してる
今福匡氏がその辺のこと講演会で話してたみたいで研究進むのかも知れん >>356
感情的に肩入れしないでくださいな
幽閉とか、それこそ根拠ない、
腐女子と同レベルの発想やで。 景虎の息子の道満立てて、景勝の母親を後見人にして何とか丸く収まらなかったものかねえ。アホみたいな内乱やって織田につけこまれたし。 >景勝ばかり戦に駆り出されるから
そりゃ分家筆頭が戦争出るの嫌がるとか無いわ
>戦経験のない景虎は大事にされていた
戦経験無い証拠も無いんよなあ
とりあえず留守番で国境哨戒はやってる
そもそも相模では一門筆頭久野家を継いでたから出陣経験無いとは思えないのよね
なにせ当主が討ち死にしたばかり 今福は長尾景満=上田長尾右京亮家=景信弟=長尾右京亮義景説だろ
無茶しやがって 北条研究の中では景虎は誰になってんだ?
氏秀じゃないんなら 景勝自身は、山内上杉を継ぐ自覚はなかったんだと思う
逆に、母の仙桃院の生母が上条氏であって、その時代に越後守護家の
血を引く男子は自分しかいないという自負はあったんだと思う。
だから憲政を見殺しにしても、自分は越後上杉を継ぐのだから関係ない
という考え方だったのでは?子孫の諱も定勝、実勝という越後系だし。 養子が入るとそこから通字が変わるのはよくある事だし大きな意味はないんでないかい >>365
北条研究から氏秀じゃないと出てきたんだろ >>368
うん。だから誰の可能性高いんだ今だと。 >>369
諱って事だと不明
景虎の北条時代の名前だと思われていた「氏秀」という名前が別人の名前だったことがわかりましたって話 >>369
もう少し補足すると別に景虎の中身自体が大きく変わったわけではない、ただ名前が違ってたというだけ
氏秀だと思われていた景虎の北条三郎時代の事跡はそのままと考えれば良い
ただし武田家への養子入り等軍記物にしか見えない話は信憑性低かったりと個々の検証は別だけど
むしろ「氏秀」の中身が変わったと言ったほうがわかり良いかな 景虎に北条時代の名前なんてあるの?
あっても幼名とかじゃないの?
なんとか丸とかの。 >>371
サンクス
まだ曖昧なんだな
ということは、景虎は越後来る前に奥さんいて子供いたってのは確定か 本当の北条氏秀さんは(玉縄)北条孫二郎→北条治部少輔さんだから一次資料による事績の混同ナシ
軍記その他では北条氏秀さんはいない人になってるのでこれまた混同ナシ
逆にこれまで景虎宛て氏康書状と思われていたものが幻庵長男北条三郎時長説が濃厚に
景虎とは活動年代が異なるので本来は混同起こるべくもないのだが、
先の書状は私信のためか年代が書かれていないため解釈が割れたようだ ところで謙信願文で、氏康の遺命に背き景虎遠山親子を見殺しにした氏政は人でなし絶許
、と書かれた遠山親子なんだが、遠山左衛門尉(父康光)宛て由良成繁書状により
遠山新四郎(子康英)が小田原にいることが判明してしまった
じゃあ願文に書かれた遠山親子の子って誰よ?
まあ願文奉納直後に柿崎左衛門尉とで人質交換の形にしたのかもしれんけどね >>373
奥さん(北条幻庵娘)は確定
子どもはなんもわからん
新婚生活4ヶ月で引き裂かれて
史料に子どもの言及が見つかってないので
まあいないんじゃないかと >>375
遠山親子の子って景虎の側室になった人とか?違うか
遠山の娘側室にして子供いたっていうが
>>376
子供はわかってないのか…それは知らなかった >>372
まず生まれた時に付くのが幼名
**丸とか**千代とか**松とかそういうの
その後元服した時に仮名というのが付く
仮名の中でも一般的にはまず輩行名というのがつく
太郎、次郎、三郎
もしくは源太郎とか平二郎とか吉三郎とかその家の先祖に由来する漢字が1字付く場合もある
というか付かないのは代表的な名家の本家だけで付く場合のほうが圧倒的に多い
それと(だいたい)同時に諱というのが付く
武将と言われれば我々が一番思い浮かべる名前のことね
信長、秀吉、家康
元々は元服の時の烏帽子親(≒後見人役)の名前を1字貰うことが慣習だったが
時代が進むにつれてその家が代々受け継ぐ漢字が決まったり(徳川「家」康「家」光「家」綱)
代々の上司から1字貰うことがルール化する家ができたりした(伊達稙宗晴宗輝宗) その後、朝廷から役職を貰ったら輩行名を使うのを止めてそれを名前として使う
これを官途名という
ただしこの官途名は自称であることが多いすごく多い非常に多い
本来なら御先祖様が貰った役職名をその御先祖様の子孫ですよとのアピールで自称したんだが
そのうちその御先祖様自体が創作だったりごじつけだったりしてだんだんカオスになっていく
自称だったのを朝廷に働きかけて(≒献金)本物の役職として任命してもらうこともあった
どーせ仕事の無い朝廷の仕事の無い役職だしね さらにその後子どもが生まれ嫡男として元服したら
官途名を嫡男に譲って別の名前を名乗ることがあった
その場合に安芸守や上野介など地方の国司の役職を名乗るのが慣習とした家もあった
こういう地方国司の役職を名前としたものを受領名という
こういう代替わりで名前が変わる場合非常に紛らわしい反面
年代不詳だった書状の発給年が特定できたり親子関係(養子含む)を確定できたりすることもある >>378
結構でかくなってから養子にだされたんだってね 16歳で「結構でかくなっ」た扱いなら
あとはショタっ子になってしまう。。。 >>362
謙信の前の代が戦に出ない病弱ってんで謙信が当主に引っ張り出された経緯を知ってると
当主候補を戦に出さないっていうのは越後的には考えづらい気もする
謙信までの長尾と上杉の関係も含め、越後出身者は現場で戦ってる方が統率に影響力強くなるの身に染みて知ってておかしくない >>360
別の本と俺が混同しているかも知れんが、洋泉社新書信書の『関東戦国史と御館の乱』が確か、
道満丸=謙信後継者と決まっていたのに、色々あって内戦になった−−説じゃなかったかな? 乃至政彦氏のだね
そこから議論が出てないから乃至さんしか言ってないけどね >>386
話し相手がいないなら、話してあげてもいいよ
ただし、得意のハッキングと1日中の自演をやめたらね(笑) 桃井清七郎っていう人は結局誰なのだ?
景虎の仲間で一門だったよね? >>366
高志書院の謙信本、もう某書店では売られてた
謙信は母が上杉氏じゃないコンプレックスがあったんじゃないかとされてたな
自分に上杉姓を与えてくれた憲政に対して謙信が持っていた遠慮みたいな気持ちは、もしかしたら景勝はあまり持ってなかったかも
そもそも憲政の祖父は修行が辛くて蓄電した破戒僧で、父憲房も一族として管領顕定の元で活躍していただけで、顕定の養子ではなかったというのが研究者の見解
顕定の正式な後継者だった顕実を追放して山内家当主になったけど、上条定憲とかは憲房親子より自分の方が上杉家の嫡流だと書き残している文書が残っている
定憲は顕定の実子説もあるけど、越後国主や顕定の実家である上条上杉一族からしてみれば憲房親子は庶流と思う気持ちがあった可能性もある いままで全く考えが至らなかったんだが
三郎景虎側室妙徳院(生母説もあるが)と遠山室が姉妹とあるが
生家も判らないこの姉妹ってひょっとして越後人、もっと言えば現地妻なんじゃないか?
遠山家ゆかりの者であれば小田原側で身元なり戒名なりが記録されるだろう
(氏綱偏諱世代の)遠山綱景の弟と(1555年生まれの)景虎が妻同士が姉妹という不自然さも
妾、というか身辺世話係兼監視役と思えば不自然でもなんでも無くなる
ところで妙徳院墓のある関山宝蔵院って軒猿の根拠地て伝説があるってホントですかい?
景虎方の軍事行動がやけに読まれてると思ってたら。。。
本庄顕長は流してると思うんだが顕長が御館入ったのはずっと後やん 今福本上越市史一四八四
「備方については」の備方というのは今までずっと軍事的防備の事だと思い込んでたが
よくよくみれば軍事を司らない女にわざわざ賛否の子細を耳に入れるの入れないのを
起請するのには非常に違和感がある
いくら非常時で財産権を預かったにしても軍事は男の専権だろう
この備方ってのはひょっとして当主の備え=次期当主候補→道満丸廃嫡
・畠山景広への付け替えの話を指すんじゃないか?
それだと家中の批判を仙洞院が耳にする可能性が出るのも尤もだ
それと「おんミつの事」と「備方」というのは同じことを指すんだろうか?
並列関係にある別の項目を指してるような気もするんだけども
「おんミつの事(中略)申ましく候、尤備方ひはん申ましく候」ってなんかくどい
そもそも起請文ってそういうもんなのかもしれんけども、でもくどい
で、結局「おんミつの事」てなんなんだー!? 見るの忘れた
再放送次の火曜日夕方
ちぃ覚えた
12月12日火曜
NHKBSプレミアム 午後5時30分〜 午後6時30分
偉人たちの健康診断「越後の竜・上杉謙信 死の謎に挑む!」
http://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2017-12-12/10/21210/1800008/ こう言う「現代医学で〜」とか「心理学、脳科学で〜」とかに登場して解説するのは医学のスペシャリストであって本職の歴史研究家じゃないからなぁ。
例えば歴史研究家は「謙信は大酒飲みと伝わるが史料で裏付けがとれるのだろうか」と言ったところから始まるけどそう言った人たちは俗説や通説を前提に考えるし。
本郷和人だって本職はAKB48研究者であって上杉謙信を対象に研究してる人じゃないしね >>397
本郷和人は歴史学者で、流石にAKB48はついでだよ。
専門は日本中世史。ただ、発言を見る限り源平〜南北朝に詳しく、
上杉謙信に関しては微妙だけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています